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男はつらいよ-寅さんの風景(12)

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さくらの銅像

 6月24日(土)、三度目の葛飾柴又。とりあえず駅前に設置されたさくらの銅像をみた。思い起こせば、3月25日(土)、「男はつらいよ-ブータン山寺放浪記」講演の準備をしていた松山のホテルで、さくらの銅像落成セレモニーの報道に接した。以来、三ヶ月の時間が流れたわけだ。
 銅像のさくらはとてもやさしい顔をしてました。写真でみるより実物のほうがずっと良いので、ぜひみなさんも柴又に足を運んでください。 


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 上野で蕎麦をたいらげており、腹はふくれてたし、澱粉カットの余生を送ろうと決めてはいるものの、もう何度掟やぶりをしたか分からないわけだから、わたしはさっさと高木屋の暖簾をくぐった。
 店内には若かりし寅さんと山田監督のパネルが壁にかけられている。他店にくらべれば、おとなしい展示だが、パネルの写真には訴求力があった。蓬団子はごらんのとおり(↓)、定番ながら美味しそうでしょう。ここだけの話にしてほしいんですが、正直な感想を述べますと、前々回のとらやの団子よりもランクは上です(とらやは団子が互いにくっついて離れず硬かった)。


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 参道を歩く。参道では必ず漬物と川魚の佃煮を買うことにしている。まず、通りに面している佃煮屋をひやかした。小鮒やモロコを味見した後、「いま荷物が多いから帰りに買うよ」と言って立ち去ろうとすると、年取ったほうのオヤジが、

  「みんなそう言って、帰ってこねぇんだよッ」

と啖呵を切った。いかにも短気な江戸っ子気質の物言いであり、その点ではきわめて「寅さん的」あるいは「テキヤ的」である。「おもてなし」を優先していないところがいい、とまでは言えないが、それなりの風情ではあるかもしれない。 


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縄文-建築考古学、再び(6)

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西鹿田中島遺跡 復元住居現場原寸仮組

 群馬県みどり市の岩宿に近い西鹿田中島遺跡(縄文草創期)の史跡整備事業は着々と進んでいる。6月23日(金)、今回は超底浅で無柱穴住居の現場仮組を指導した。昨年9月末の博物館敷地内の仮組は2/3スケールであったが、今回は遺構直上での原寸仮組であり、復元工事前の最重要工程に位置づけられる。なお、遺跡上でのなめし皮被覆はおこなわず(他の場所で実施)、骨組のみの展示となったが、木材の耐水性を高めるため防腐剤を注入するため、いったん完成した架構を解体して近畿の業者にすべての木材を持ちこむことになっている。 


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 もちろん三脚の組み上げから始めたのだが、コナラ材を長目に伐採していて屋根勾配がきつくなりすぎたため、木材の下端を80センチ切り落として、頂部の股木をかみあわせた。ところが、股木のほうは短めであり、3材の接合に難があったので、少なくとも2材については股木の長いものにさしかえることにして仮組を進めた。平面が正円ではなく、わずかに長軸ながめの楕円形であるため、3脚に1脚加えて実質上四脚構造になる。この四脚めの斜材を前回は「長材」と呼んだ(↓)。そして2本の「短材」で「長材」を支える。結果、ここにも三脚構造が出現するので、楕円形平面に不規則なふたつの三脚が配されることになる。



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 作業は10時過ぎから始まり、一時間経ったあたりで、麻央さんの逝去が何気に知らされた。わたしにとって小林麻央とは「恋の空騒ぎ」である。恋からとは小林姉妹であり、あのころの映像を視たいのだが、youtubeでは削除されてしまったようだね。
 現場で動揺がひろがるなか、WC社長だけは蚊帳の外で生存されており、しばらくして、「えっ、浅田真央亡くなったの?」とかなんとか宣って-麻央さんには申し訳ありませんが- 笑いの渦がひろがった。
 さて、下はいつもの「出張証明写真」です。今回は史跡名を刻んだ石柱標識の値段が気になりましてね。訊けば140万円だったというので仰天。摩尼山でも登録記念物の標識を製作しなきゃいけないから再び動揺しました。ところが、帰鳥して会長にたずねると、「大御堂」では10万円だったというので胸をなで下ろした次第です。それにしても、この値段の差はなんなんだ!?


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 下は芝生道に使われていたローンガードナーという芝生保護材です。こういうのも、摩尼山の奥の院や立岩で使わなきゃいけなくなるのではと思い、撮影してきました。じつは、それだけ摩尼山の問題がせっぱ詰まり始めていたのです。それは口にするのもはばかられるほど重大事になり始めていて、わたしのメンタルを蝕んでいましたが、昨日(28日)夕刻、解決されたという知らせが2方向からあり、ストレスから解き放たれて、突発的にハッスルし眠りに落ちたのでした。


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肉うどんうどんぬきで

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 6月22日(木)、ANAの最終便に滑り込んで羽田へ。京急で浅草まで直行したところ、ホテルのある浅草橋は二つ手前の駅だった。折り返しの便で浅草橋まで引き返し、歩いてホテルにむかう。途中、黄色い看板に「ソース二度漬け禁止」と大書きした大阪風串カツの店を発見した。チェックイン後ダッシュでその店に向かうも、ドアを開けると「いま満席です」の返事。いったんうなだれたが、若い青年(バイト?)が「軒下のドラムカンでよければ?」とドアの外を指さすので、間髪入れず了解した。「なにぶん田舎者で、軒下ドラムカンのテーブルで飲んだことなどないから嬉しい」と答えると、その青年は「ぼくも田舎者です」と言う。青年は津山出身、わたしは奈良から出張ということにした。


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 まずはお薦めの5品串カツと角ハイを注文。家で晩酌するブラックニッカのハイボールは濃いめなので、居酒屋の角ハイは、とても薄く感じる。それにしても、二度漬け厳禁の串カツを食べたのは何年ぶりだろう。大阪駅の有名な店は撤去されてしまったしね。でも、やはり、美味いな・・・しばらくして店長らしき人物があらわれ、「中の席があきました」と引っ越しをうながされたが、「いや、ここがいい。こんなところで飲んだことないから」と動く意志のないことを述べた。あとは山芋の梅酢漬けを注文して1杯めのジョッキが終わり、津山出身の青年からお代わりを打診されたが、丁重に断って「肉吸い」をいただくことにした。メニューのコピーを写しておく。

  二日酔いの芸人さんの
  「肉うどんうどんぬきで」という注文が
  歴史の始まり。
  肉吸い喰ったら売れっ子になる
  という伝説があります。

 これがまぁほんに美味いのなんの・・・うどんの代わりに絹ごし豆腐が入っていて、トッピングは刻みネギととろろ昆布。ダイエットに最適ですよね。澱粉をみごとに排除している。明日も必ず食べようと決心して、店をでた。


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あやめ咲く用水路

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 週にいちどのペースでペースノートに通いモーニングを食べる。野菜の多さが尋常ではなく、澱粉質ロールパンは極小で、ほかにスクランブル、ヨーグルト、ポテサラがついて520円。珈琲は朝に限ってアメリカンにする。全世界の喫茶モーニングと比較して劣るところをさがすのが難しい。


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 この春からぺースノートまで散歩して往来するようになった。水の流れに沿って歩けば清々しい気持ちになる。その水路は上下二段になっていて、屋敷側の上段に四角いプランターを規則正しく並べている。
 6月中旬になってプランターの菖蒲が一斉に花開いた。空梅雨なのに水かさはまし、プランターの底を浸しており、茎も葉も花も瑞々しい。花は色とりどりの百花繚乱。ぽつぽつ咲き始めた水草の白い花と紫陽花とのコーディネートも絶妙だ(↓右)。


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 畑仕事をしている男性に「だれがやってんですか?」と問うと、「有志」と答えられた。表裏同一デザインの看板が水にせり出している(↓)。その下に「大口堰土地改良区 大覚寺町内会」とあるので自治体の支援をうけての活動であるのだろう。


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男はつらいよ-寅さんの風景(11)

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続・ロケ地撮影カチンコ勝負!

 6月22日(木)、曇り。先週に引き続き「寅次郎の告白」(1991)ロケ地で映画シーンの再現撮影をしました。この日は鳥取市街地5カットと円通寺墓地1カットのみであり、大勢を運ぶ交通手段も確保できなかったので、2年生の男子3名に4年生の町並み班を加えた少数精鋭で挑みました。出演者を補うため、4年も脇役で参加しています!
 

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 若桜橋袂の叩き売り  まずは若桜橋での寅さんの叩き売りのシーンから。「寅次郎の告白」では季節は秋ですが、場面はお盆のしゃんしゃん祭りという矛盾した季節感の設定をしています。若桜橋袂の袋川沿いに屋台が軒を連ねてとてもにぎわっている場面です。男子が寅さん、ポンシュウと見ならいの若いヤンキーに扮して、私も屋台の品物を物色するエキストラで出演しました。高校生以来のポニーテールです。この日の寅さんはちょっとスリムすぎますね。大きなジャケットで寅さんTシャツと腹巻が隠れてしまいます。それと、ここだけの秘密にしてほしいのですが、この日先生が準備した寅さんのずぼんはチャックがあがらなくて、スースーしていたそうです(笑)。一方、ヤンキー君はスカジャンと柄シャツの2パターンで撮りましたが、柄シャツ・草履と茶髪がどんぴしゃ・・・
 叩き売りの小道具はペットボトルやらビンやらですが、こういうものでも並べるとそれなりのリアリティを発揮するから不思議です。市街地だけあって、人通りも多くチラチラと視線を感じながらの撮影でした。


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パリンカの夢(11)

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どんどろけの会

 もう一週間ちかく前の出来事で、記憶が朦朧としてきているのだが、19日(月)は午前中に奈良で歯医者に行き、今月に入って2回も外れた親知らずの詰物を半ば割り込みで詰めてもらった。いまのところ安定感はある。
 それから家内を乗せて車を西に走らせた。ばあちゃんたちと三朝温泉で遊ぶことが急に決まったためである。用瀬で車から降ろした。そこからは介護タクシーを予約してあったからだ。
 わたしは大学をめざした。翌日の講義資料を揃えなければならない。大急ぎで100部コピーした。そうこうしているうちにあっというまに時間はすぎる。会場のジャパンズには開演15分前になんとか滑り込んだ。なにぶん奈良からの旅なので、すでにしてばててている。


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 開演前に講演時間を聞かれた。半時間、と答えると安堵されたようだ。七時半から八時のあいだに東京在住の議員さんとのWEB会話が始まるそうで、わたしのミニ講演はその前座にすぎないのであろう。講演の構成は以下のとおり。

     摩尼山ー日本最大の登録記念物

  0.世界文化遺産登録運動の挫折(2006-07)  
  1.摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査(2010)   
  2.摩尼寺の建造物-国登録有形文化財(2014)
  3.摩尼山-日本最大の登録記念物(2016)
  4.余論 パリンカの夢~寅さんの風景

 これまで何度も講演した内容だが、パワポの作成(修正)に時間をかけた。講演者本人としても、すでに摩尼山の話は飽きてきている。むしろ、最近の成果として「パリンカの夢~寅さんの風景」を話したかったので、0~3はかなり圧縮した。新しいスライドをつくるにも時間を要するが、既存スライドの圧縮にも時間がかかる。さいわい「パリンカの夢~寅さんの風景」の内容は歓迎いただいたようで、一気に笑いの渦がひろがった。


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 講演終了後しばらくして、テレビ電話みたいなWEB会話が始まった。東京事務所にいる議員さんの姿はよくみえるのだが、言語がドシャメシャで、宇宙語か前衛音楽のように聞こえる。これを修正するのに時間がかかった。「だれか話しますか」というお声がけがあり、某県議会議員が手をあげた(あとで知ったがこの議員さんは初参加だったらしい)。その後、だれも話そうとしないので、わたしにご指名がまわってきた。東京の議員さんと面識はないが、

   「わたしと議員さんは同い年だと思います」

という挨拶から始めた。わたしがピンポン球の抽選で附中を落ちたとき、議員は附小から附中に進学され、わたしが河原中から西高に進学した際、議員は東京のKO高校に進学された。同い年ではあったが、ニアミスだったのである。


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パリンカの夢(10)

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居住環境実習・演習(Ⅱ)中間発表 その4
 
 醸造・蒸留のプロセス 酒づくりのプロセスにはいくつか共通する点があるので、まとめて説明する。麦や米等の穀物に麹を加え糖化させるとアルコール1%未満の甘酒になる。それに酵母菌(イースト)を加え発酵させると、醸造酒になる。醸造酒を蒸留すると、穀物は焼酎、果実はパリンカになる。果実酒を作る場合、果実・果汁に糖が含まれているので、「糖化」のプロセスはいらない。穀物より簡単に造酒できる。ワインの場合、蒸留する際のブドウの絞りかすをさらに蒸留するとグラッパになる。こうした一種の廃棄物からも美味しい蒸留酒をつくることができる。


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 醸造所の訪問 これまで文献で酒造りを学んできたが、できるだけ早いうちに現場を訪問したいと思っている。北条ワイン醸造所は鳥取県唯一のワイナリーである。県下で果実酒製造の免許をもっているのは北条ワイナリーだけと聞いている。ワイナリーとしては中国地方では最古、西日本全体でも3番目の歴史をもつ老舗なので、ぜひ訪問したい。ただし、昨年の中部地震でワイン約5万本が割れるなど大被害を受けている。そのときスパークリングワイン「エソール」は地震の被害を免れ、地震でも割れなかった縁起の良いワインとして新たに発売され好評を博しているようだ。北条ワインはグラッパを商品化していないが、その製造方法についてもヒアリングしたいと考えている。震災の関係もあり、見学許可がおりない可能性もあるので、他の候補も探していたところ、「アグリネット琴浦」という会社が長いも焼酎、ブルーベリーワイン、梨ジュースを販売していることがわかったので、ぜひ見学し、交流を図りたいと考えている。さらに、灯台もと暗しで、若葉台の産業技術センターには試験醸造部門があることも分かったので、まずは足下から固めるべきかもしれない。



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パリンカの夢(9)

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居住環境実習・演習(Ⅱ)中間発表 その3

 焼酎とはさまざま材料からつくられる日本の蒸留酒である。とくに九州・沖縄地方で親しまれてきた地酒だったが、いまは日本中に愛好者がひろがっている。山陰には砂丘の長芋焼酎、隠岐の海藻焼酎などの特産品もある。アルコール度数は20~45%まで幅広い。炊飯した米と水に麹を加えて発酵させると「甘酒」になり、さらに酵母イーストを加えると「どぶろく」になる。これを蒸留すると焼酎になる。


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 ブランデーとは、果実酒から作った蒸留酒のことで、主に白ブドウのワインを蒸留してタルにいれ熟成させたもの。リンゴやチェリーから作られるブランデーも存在する。一方、ワイン醸造の際に出るブドウの搾りかす(ポマース)を再発酵させてつくる蒸留酒をグラッパと言う。 グラッパはイタリア、クロアチアなどの地中海地域でおもに食後酒として愛飲されており、おびただしい数の地酒がある。醸造酒の絞り粕を応用した日本式グラッパが最近島根県で製造・販売されている。グラッパになぞらえて、リゾッパと命名されている。リソとは「米」を意味するイタリア語である。日本酒醸造後の米の絞り粕からアルコールを蒸留した酒で、吟醸酒の香りを残したフルーティな焼酎である。


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パリンカの夢(8)

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居住環境実習・演習(Ⅱ)中間発表 その2

 四月から読みこんできた参考文献6冊の概要について紹介する。

①高千穂辰太郎(2003)『趣味の焼酎つくり』農文協
 蒸留装置と芋焼酎の作り方を参考にした。
②蓮見よしあき(2013)『ゼロから始める ワイナリー起業』虹有社
 ワイナリー経営について説く本であり、残念ながらあまり参考にはならなかった。
③貝原浩(1998)『図解文集 世界手作り酒宝典』農文協
 酒の発酵について世界各地の知恵や工夫がかかれていた。ウォッカ作りはこの本を参考にした。
④アドバンストブルーイング(2015)『リンゴのお酒 シードルをつくる』農文協
 リンゴの発泡酒シードルを作る方法について述べている。リンゴだけでなく、あらゆる果実酒の作り方の参考になる。
⑤永田十蔵著(2006)『誰でもできる手作りワイン』農文協 
 ワインの基礎知識を著者の体験をもとにわかりやすく説明している。ワインについての著書だが、他の醸造酒にも通ずる記述がいくつかあり、参考になった。
⑥農文協編(2007)『農家が教えるどぶろくのつくり方』農文協
 日本全国の「個人が家で作る」どぶろくを集めて解説してある。


170607白川9 図7

 醸造酒づくり  ワインから説明する。ワインとはブドウを原料にしてつくる醸造酒であり、ブドウ汁を発酵させればすべてワインにできる。しかしブドウにはワインに向く品種と向かない品種がある。例えば、ヤマブドウはワインにするのに向いているが、高価でおいしい巨峰は向いていない。ヤマブドウは色素が強いことに特徴があり、発酵する過程でアルコールが色素やポリフェノールなどの成分を溶かしだすため、それらはワインの色、味、香り、コクに影響する。ここで特に印象に残ったのが「不味なブドウは美味のワインになる」という格言だ。商品にならないクズ梨からおいしいお酒が造れる可能性を示唆しているのではないだろうか。
 ワインづくりのプロセス  まず収穫したブドウを水洗いし、軸から身を外す。そして、葡萄のみを手で握りつぶす。そこに酵母(イースト)を入れると一次発酵が始まる。ブドウ汁には糖が含まれているため麹は不要だが、発酵促進のために糖を補うのが一般的である。一次発酵を5~10日ほどつづけると、甘酒のようなものができる。これを搾った果汁を酸素を遮断した状態で、二次発酵させる。二次発酵終了後、放置しておくと、不純物が容器の底に沈殿しワインの完成となる。


170607白川10 図8



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パリンカの夢(7)

佐藤 中間発表 見出し


居住環境実習・演習(Ⅱ)中間発表 その1


 6月7日(水)におこなわれた中間発表の内容を3年4名が分担して報告します。トップバッターの私のブログアップが遅れたことをゼミのみなさんにお詫びします。

 今年の3月、先生たちがスロバキア・ハンガリーを訪問し、パリンカという酒に出会った。スロバキア・ハンガリーは寒冷な高地にあるため小麦栽培に不向きであり、洋梨・林檎・プルーン・アプリコットなどの果実栽培が盛んである。それらの果実を材料につくられる蒸留酒を「パリンカ」と呼ぶ。とくに洋梨のパリンカが有名だ。それは「梨のウォッカ」というべき風味を備えている(図1).


佐藤 中間発表 図① 図1


 スロバキアのセベチェレビィ村では酒蔵を見学し、その後、パリンカの試飲となった。通訳ガイドは偶然にも鳥取県智頭町出身の女性であった。試飲会はたちまち宴会となり、手作りのチーズとハムを酒菜にして宴席は盛り上がったそうだが、パリンカのアルコール度数が52度と高いので、日本勢はまもなく酩酊状態に・・・こうして出会ったパリンカに魅せられ、帰国後、鳥取でのパリンカづくりを思い立ったそうだ(図2)。


佐藤 中間発表 図② 図2


 ここで、日本の果実酒と東欧の果実酒パリンカの違いを簡単に説明する。日本の果実酒の代表は梅酒であろう。梅と氷砂糖を焼酎につけ込んで作るため、どうしても甘みが強くなる。一方、パリンカは洋梨、林檎、プルーンなどの果実そのものを蒸留して作るため、甘みはほんのり残る程度で、果実本来の香りを感じながら、ドライなウォッカを飲む感じでのむことができる(図3)。


佐藤 中間発表 図③ 図3



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パリンカの夢(6)

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リンゴ甘酒

 林檎ジュース瓶暴発の反省から、芯をとった皮ごと林檎をミキサーにかけ原材料としてみました。

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 皮ごとおろしたので、色が濃い。こげ茶色のゲルです。

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父の日

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四駆のハスラー

 ほんらいならば、月曜日の講演に備えて鳥取に滞在し、父の日の夕刻は吉田次郎4の演奏を聴く予定だったのだが、家族のスケジュールは狂うし、わたしの時計・眼鏡・歯は連続して故障する始末で、急ぎ奈良に戻ってきた。
 帰ってきた甲斐はあったようだ。苗木屋さんに注文しておいたゴールドキーウィ苗と珈琲苗のうち後者が入荷したという知らせがあり、我が家で3本目のプランター栽培珈琲樹が誕生したのだ。値段は500円と安く、それならさらに1~2株買ってもいいと漏らしたところ、「最後の1本」だったそうで、ラッキーだったというほかない。また大切に育てて、必ず白い花を咲かせてみせるよ。


0617父の日01珈琲01 珈琲苗


 一方、女たちは神殿(こどの)のディーラーから新古車に乗って帰ってきた。家内名義のワゴンRの乗り換えである。おもに娘が乗る車だが、今回は四駆にした。この2月の豪雪が堪えたのである。豪雪時にはわたしが使うことになるだろう。軽自動車の現況はといえば、背高のタイプではNボックスとタントがトップを競り合い、ワゴンRは敗北感否めない(積極的に見積もりしようとしない)。代わってハスラーが売り上げを伸ばしており、たしかに路上でよく目にする。ライバルはNワゴンあたりだが、こちらの見積もりはとても高かった。いろんな面でハスラーに分があった。
 たまたまなのだろうが、Nボックスは結婚30周年の記念となり、ハスラーは同35周年の記念となった。ともに身の丈にあった良い車だと思っている。


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男はつらいよ-寅さんの風景(10)

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ロケ地撮影カチンコ勝負!

 6月15日(水)、先週の44「寅次郎の告白」(1991)ロケ地下見ツアーをうけて、1年生が撮影現場での風景再現撮影に挑みました。4年生も町並み卒論系のメンバー中心に支援しましたが、カッキーさんとOK君は撮影に自転車が必要ということで、大学から40分かけてサイクリングでやってくれました。感謝、感謝!!です。


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 おもな撮影地は上方往来河原宿です。1年、4年のみんなが衣装やバス停等の小道具・大道具、先生はカチンコとメガホンまで用意して雰囲気を盛り上げました。結構ほんきの撮影です。まずは出会橋前のバス亭のシーンから。1年生には高校時代に演劇部・放送部の女子学生がおり、私たち4年生が用意したバス停よりも立派な道具を作って来てくれました。バス亭を立てる黒子はかっきーさんです。イズミちゃん役とマドンナ役の一年生は、映画と同じ色の服を来てくれています。満男役の学生には頭にケガをしているので、包帯をまきつけました。寅さん役は先生が葛飾柴又で買ってきたTシャツ、腹巻に加え、先生のブレザーと寅さん風の帽子をかぶりました(このとき雪駄を履き忘れました)。


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 出会橋前で撮影終了後、着慣れない腹巻きを身につけたからか?、寅役の学生がお腹が痛いと言い出したので、先生がコンビニに連れていきました。そのあいだに他の学生は新茶屋の近くまで移動しました。寅さん一行が宿泊した割烹料亭です。中には入れないため、外のシーンのみの撮影となりましたが、マドンナ役の学生は男物の青いジャケットに着替えるなどやる気満々です。もう一つのシーンは、女将が寅さんと二人っきりになるために、従業員を家に帰すシーン。自転車二台を有効活用しました。
 その後、裏手の背戸川にまわり、鮎の選別と洗い物をしているシーンへ。男1名、女1名のシーンですが、とても痩せている役者さんの体型を考慮し、背の高い女子学生がおじさんの役を演じることになりました。ちなみに、この段階で下駄と雪駄を準備していることを思い出し、履いてもらいました。さらに雰囲気が出ています。
 なお、女子であることを隠すためにベトナムの帽子を使いました。目的はかなえたのですが、日本の風景としては少々異質だったかもしれません。


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↑↓背戸川の洗い場。演者2名とも女子です。
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パリンカの夢(5)

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スタジオからパリンカ工房へ

 6月14日(水)。ゼミの時間に修復スタジオの大掃除をしました。現在3年生が取り組んでいるパリンカ作りの、今後の拠点となるこのスタジオを、作業に適した空間に衣替えするための掃除です。正直、掃除なんてすぐに終わるだろう… なんて高をくくっていたら、なんのなんの、予想をはるかにこえていろんなものが溢れかえっていて、それはもう、パンドラの箱を開けた気分でした。まず、スタジオに入ってすぐ目に入っ たのは、水槽の中で死んでいる金魚。2か月くらい前にこのスタジオを紹介された時は、元気に泳いでいたのに、たぶんこの2か月の間に金魚のお世話してあげる人はいなかったんだろうな、と思いました。かわいそうな金魚。


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 そんな金魚の埋葬は男の先輩方に任せ、さっそくスタジオの掃除にとりかかり ました。掃除を進めると、出るわ出るわ謎の「もの」たち。毛布や服の山、卒業 した先輩が写っているプリクラ、その他卒業したヘイケ先輩などが残した数多くの品々(ゴキブリやムカデの死骸も)。3時間ほどの時間をかけ、必要なものと不要なものをみんなで分別し、最終的にきれいなスタジオに生まれ変わることができました!
 これからは、このスタジオが3年生のパリンカ作りの拠点になります。 自分たちで掃除したこのスタジオで、これからの活動も頑張っていきます。(あやかめ)


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2017年度 公立鳥取環境大学学内特別研究費に新規採択!

中国青海省・西蔵自治区におけるチベット仏教僧院の予備的調査研究

 先月23日、表記研究申請について採択通知がありました。満額回答でして感謝しております。以下、研究申請の概要です。

【研究課題名】
  中国青海省・西蔵自治区におけるチベット仏教僧院の予備的調査研究
【申請額】
  990,000円
【研究目的】
 ①背景  2013~15年度科学研究費基盤研究(C)「チベット系仏教及び上座部仏教の洞穴僧院に関する比較研究」(課題番号25420677)の最終年度に次回科研申請のため本学教育研究特別助成に「中国青海省におけるチベット仏教系僧院の予備的調査研究」を申請し採択された。採択後まもない2015年9月後半、省都西寧を訪問して青海省文物考古研究所の研究員と交流を図り、人的コネクションを確立した。その後、西寧に近い同仁、貴徳、夏河、青海湖などでチベット仏教ゲルク派(ダライラマの所属する最大宗派)の主要僧院と遊牧民放牧宿営地などを視察した。中国では、密教の瞑想洞穴を「修行洞」と呼ぶ。青海省は高地寒冷のなだらかな丘陵地域であり、ブータンのような「崖」は多くないが、ラフラン寺(夏河)やタール寺(湟中)などのゲルク派大寺の背後の山に修行洞が集中して設けられている。また、唐代にまで遡る西寧周辺の北山寺、白馬寺等にも崖面に修行洞の遺跡が露出している。こうした視察成果は、研究室ブログに「遊牧の彼岸」として連載したが、その改訂版を今年度の本学紀要に投稿する予定である。
 今年度は、チベット仏教ニンマ派(古派)とゲルク派の布教の道を辿ることで、アムド~チベット地域の重要僧院の実地情報を得るとともに、地元の研究機関との交流を図り、申請の準備を進めたい。


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男はつらいよ-どんどろけ(2)

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 Jリーグ開幕記念日にして息子の誕生日であるところの5月15日(月)にスピーチした鳥取中央ロータリークラブ第1212回卓話を記録した第38号がずいぶん前に送られてきていました。遅ればせながら、ここに転載させていただきます。


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男はつらいよ-寅さんの風景(9)

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「寅次郎の告白」ロケ地を訪ねて(2)

 八東川堰堤  午後4時に出会橋で再びバスにのり、片山の八東川堰堤に移動しました。フィナーレに近い場面で、満男が泉ちゃんに「道ばたに花が咲いているとするでしょ。寅おじさんは、花を摘まずにそのままそっとしておきたい、そういうタイプなんだ」と説明する場面ですね。ここでも仮撮影と集合写真をパシャリ。前日梅雨入りしたためか、川が増水しており、満男が釣り人(笹野高史)においかけられる中洲に渡ることはできませんでした。


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 若桜鉄道安部駅  最後は若桜鉄道の安部駅です。寅さんが鳥取を離れるシーンに使われる駅舎で、登録有形文化財になっています。いうまでもなく若桜線は若桜駅が終着駅ですので、県外にでることはできませんが、映画の風景としてはなんとも哀愁のある雰囲気を醸し出していました。駅舎内には寅さんのポスターなどが展示されていました。1年の鉄フェチT君が寅さんの帽子をかぶって撮影され、喜んでいました。また、寅さんが赤電話で葛飾に電話するシーンは2年K君が寅さんに扮して撮影しました。映画に写っていた看板は今でも残っていますが、遠景の山並みは交通標識に遮られてよくみえませんでした。


0608安部駅02フォーム01 0608安部駅03記念撮影
↑プラットフォームで記念撮影  ↓駅舎内展示
安部駅舎内



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男はつらいよ-寅さんの風景(8)

背戸川さん 0608背戸川01sam


「寅次郎の告白」ロケ地を訪ねて(1)

 6月8日(木)、曇後晴。先週、第44作『男はつらいよ 寅次郎の告白』(1991)の鑑賞に加わり、今回は大学に近いロケ撮影地の一部を1・2年生とともにまわりました。4年生の参加者は4名です。大学からバスに乗り込み、まず国道53号線の「河原」で停車。

 背戸川の風景  国道から小路を東に進み、まずは映画で鮎の選別と野菜洗いをしていた背戸川を見学しました。2年前、おなじ上方往来に沿う用瀬でスケッチしましたが、用瀬の背戸川は幅広の急流でした。河原の背戸川は溝と川の中間ほどの幅ですが、かつては千代川の鮎が遡上してきていたそうです。映画の舞台になった洗い場でさっそく人物2名をいれて仮撮影しました。 
 背戸川沿いを南行しました(↑)。ここは上方往来の裏通りで、屋敷の蔵が建ち並んでいます。2014年に昨年度の卒業生がスケッチした連続立面図が残っています。


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 旧森下医院  背戸川の南端を東に折れると上方往来に出ます。そのあたりは「東洋美人」と「陽気正宗」という大きな蔵元が相対して軒を連ねていたそうですが、いまは介護施設などに変わっています。その近くに旧森下医院が建物を残しています。女将に迫られた寅さんがどぎまぎしているところ覗き見していた満男が2階から池に転がり落ち、頭から血を出す怪我をした。その治療をした医院です。先生も子どものころなんどか通院したことがあるそうです。 映画では、通院後、満男と泉が自転車にのって川のほうに向かいます。その場面も仮撮影しました。


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↑↓森下医院周辺の撮影には自転車が必要ですね。
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パリンカの夢(4)

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 発表会前の6月3~4日にかけて甘酒づくりに挑戦しました。レシピは米麹の裏書きと以下のサイトを参照。

https://cookpad.com/recipe/1584029


 材料は、米1合、麹200g、湯500cc+αのみです。まず米1合と水2合を炊飯器に入れてお粥をつくります。できあがったお粥はべとついていたので、少々お湯を足してスープ粥にしました。このあたりは適当でよいと思います。問題は温度です。70℃以上になると麹菌が死滅してしまうので、常時温度計で水温を50~60℃に維持します。炊飯器のスイッチはオフにすべきです。


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 この段階までにお湯を沸かしておきます。こちらも温度管理が重要でやはり55℃前後までさましてから、200gの白湯に米麹200gを加えて混ぜます(↑)。その汁を炊飯器のお粥に注いで攪拌します(↓)。


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 ここで炊飯器を「保温」にセットします。温度調節ができる場合は「低」がよいと思います。保温の状態で炊飯器を清潔なタオルで覆うと55℃前後を維持できます(↓)。


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パリンカの夢(3)

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居住環境実習・演習(Ⅱ)中間発表会速報!

 6月7日(水)、久しぶりの土砂降りですが、学内での発表会はなんの問題もなく終了しました。今回の実習・演習は6研究室が参加したため、3研究室ずつ2班に分かれました。ASALABは3班のうち2番めの発表でした。発表は以下の3部構成で、これを4人で分担しました。

  1 パリンカの夢-序章 
   1-1 パリンカとは何か
   1-2 日本の果実酒とパリンカの比較
   1-3 なぜ梨パリンカなのか
   1-4 醸造酒と蒸留酒の基本
  2 酒づくりに係わる文献研究
   2-1 参考文献六冊 
   2-2 醸造酒づくり 
   2-3 蒸留酒づくり 
  3 成果と課題 
   3-1 酒づくりのプロセス(まとめ)
   3-2 ワイナリー訪問
   3-3 蒸留器について
   3-4 林檎パリンカに挑戦!?


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 詳細はおって学生がアップします。発表会終了後、ジュースと柿ピーで簡単な打ち上げをしました。途中から、みひろとパディが「○○先輩来ないかな~」というので、市内で働き始めた鬢鬢20に電話したところ、嫌がりましたが教室にあらわれ、金切り声しきり。じつはまだ大雲院の報告書を渡してなかったのですが、ようやく手渡せてほっとした次第です。
 とりあえず、一段落。明日は寅さんツアーです。


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第40回河原町文化祭記念講演のお知らせ(2)

寅さんの風景-上方往来河原宿の移り変わり-

 表記講演会のスケジュールが確定したので改訂してお知らせします。いよいよ今週木曜日(8日)、学生を引き連れて上方往来河原宿~若桜鉄道安部駅のツアーをおこないます。九州・山口で梅雨入り宣言されましたが、鳥取の木曜は曇りのようです。撮影には最適です。こうした成果をふんだんに盛り込んだ講演にする予定です。 

  イベント名: 第40回河原町文化祭記念講演会
  主   者: 河原町文化祭実行委員会
  期   日: 平成29年10月28日(土) 13:30~
          13:30 実行委員長あいさつ
          13:45 講演
  会   場: 鳥取市河原町コミュニティセンター(旧中央公民館)大講堂
  演   者: 浅川 滋男
  演   題: 寅さんの風景-上方往来河原宿の移り変わり-(仮題)

 河原町文化祭40周年事業の一つなんですが、ネットを徘徊していると、「寅さん40周年プロジェクト」というサイトを発見しました。「男はつらいよ」が始まったのは1969年なのでおかしいなぁ、と思い、情報を精査すると、葛飾柴又での40周年事業は2008~2009年の出来事でした。しかし、考えなおすと、1~2年後に寅さんは50周年を迎えます。そろそろ準備が始まっているころでしょう。今年の寅さんサミット(11月25-26日)でお知らせがあるかもしれません。顔出してみるかな?


寅さんの風景44(鳥取篇)1991_01

男はつらいよ-寅さんの風景(7)

寅次郎の告白44表紙 アマゾン


寅次郎の告白

 最初にみた第6作「男はつらいよ純情篇」(若尾文子 1971)と第12作「私の寅さん」(岸惠子 1973)は寅さんが手の届かぬマドンナに恋してあえなく振られる初期の定型バージョン、3回目にみた第32作「口笛を吹く寅次郎」(竹下景子 1983)は寅さんがマドンナと相思相愛なのに自ら身をひいていく逆定型バージョン、4・5回の第17作「寅次郎夕焼け小焼け」(太地喜和子 1976)と第26作「寅次郎かもめ歌」(伊藤蘭 1980)は前期後半~中期の傑作、という流れで作品を紹介してきた。視聴の最終回はそうした流れからやや逸脱して晩期の第44作「寅次郎の告白」(後藤久美子・吉田日出子 1991)を選んだ。鳥取を舞台とした作品だからである。
 第41作「寅次郎 心の旅路」(竹下景子[3回目] 1989)を最後にお盆公開がなくなる。第42作「ぼくの伯父さん」(後藤久美子・檀ふみ1989)以降は年に1回の年末公開のみとなり、事実上の主役はおいの満男(吉岡秀隆)が務め、寅さんは準主役級の立場で満男を見守る役割を果たす。時代の流れもあったのだろう。「男はつらいよ」は90年代を迎える前から、すでに「古くさい映画」という烙印を若者から押されつつあり、その処方箋として、吉岡・後藤のロマンスを取り入れざるをえなかったのであろう。そしてまた、寅さん演じる渥美清の体調に大きな変化があったことも変化の重要な要因であった。
 鳥取を舞台とする第44作が上映された1991年は渥美清に肝臓癌が発見された年でもある。画面の寅さんから生気は薄れている。あの喧嘩っぱやい寅さん全盛期の姿はない。年とったタコ社長と癌をわずらう寅さんの喧嘩に往年の迫力はなくなっているのだ。寅さんがかなり寡黙で分別のある人柄になっているところは、仕方ないとはいえ、残念でならない。代わって満男が無鉄砲な「第2の寅さん」を演じるわけだが、渥美清との実力差は歴然としており、本来の客層が物足らなく感じる所以であろう。「寅次郎の告白」は鳥取を舞台としているから本学の教材とする価値がおおいにあり、今後のプロジェクト研究の鍵をにぎるわけだが、作品の質を上記5作品とくらべると突出した位置づけにはならないように思われる。教室のスクリーンで再会した第44作を視聴した結果、そう思わざるをえなかった。
 <ストーリー> 満男の恋人・泉は母の愛人の存在を許せず悩んでおり、思いつめて家出する。鳥取砂丘の絵葉書が満男のもとに届いた。ただならぬ内容に満男は家を飛び出し鳥取に向かう。一方、山陰を旅していた寅さんは当てもなくさまよう泉と倉吉で偶然出合う。すがりついて泣く泉。寅さんと同じ宿に泊まり、悩みを打ち明ける。翌日、砂丘で若い二人は再会した。その夜、寅さんは鮎の里、河原の料亭で昔馴染みの女と再会。深夜、女将に迫られている寅さんを2階から満男が覗き込み・・・
 ■ロケ地  鳥取県倉吉市・砂丘・八頭郡河原町、岐阜県蛭川村

 6月1日(木)は第44作を4年生にも視てもらいました。今後4年生のサポートは不可欠であり、この日もみひろさんにスニッピング・ツールの使い方をスピーチしてもらいました。来週からのフィールドワークが1・2年生だけでなく、4年の卒論にも良い成果をもたらすことを祈っています。





 

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立川~樗溪の町並み調査(11)

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↓M洋装店(昨年)  ↑現状
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崩れゆく町並み(2)-劇的ビフォーアフター

 5月晦日、男子2名が大雲院で作業を進める中、みひろさんと私の町並みコンビは立川町1丁目を散策しました。先回視察した大雲院の裏側の4丁目で町家が取り壊されていたため、1丁目の様子も見に行こうと思ったのです。1丁目は私たちが連続立面図を作成する際に担当した区間であるのですが、散策していくと何か違和感を感じる所が少なくありません。学校に戻って昨年の写真と見比べると、違和感の正体が分かりました。
 1年前は「しもたや」のM洋装店があった所には、新築の家が建っていました(↑)。家主さんにお聞きしたところ、最近建てたと仰っていました。


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 尾崎放哉の石碑がある通りの、岸田内科医院は綺麗さっぱり無くなって、広い駐車場になっていました。上が昨年、下が最近です。


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 私たちがなんども逆上がりに挑戦していた公園には、鳥取市長の「大空のました帽子かぶらず」という石碑が新しく立っていました。昨年の調査から約1年経ちましたが、町並みの変遷が想像以上に速いと感じました。大雲院の住職さんも、半年で建物が壊されて、新しい建物がすぐに建つと仰っていました。
 散策をしてみて、昨年との間違い探しみたいだなと思いました。大空のました帽子を被って、日焼け止め対策と熱中症に気を付けて、今後も調査を続けていきます。(ぱでぃ)


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大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅨ)

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宝塔スケッチ開始

 5月31日(水)。大雲院御霊屋の本尊とされる宝塔厨子のスケッチを4年男子2名で始めました。学生にとっては重要な演習であり、先生にとっては今年の4年生の実測・作図能力を見極める一回めの審査のようなものです。
 私は正面図、だっしょは組物等細部のスケッチを担当しました。私たちはこれまで町家の立面図しか描いたことがなく、この厨子のような美術品は初めてだったので、組物の構造や細部の表現などで骨が折れました。
 宝塔厨子は二手先の組物を有しています。四隅の組物は連三斗(つれみつど)系の複雑な構造をしています。スケッチして分かったのですが、一部の巻斗は肘木に支えられておらず、宙に浮いた状態になっています。建築としてはありえない構造であり、宝塔(建築)と宝塔厨子(模型)の違いが顕著に現れている箇所だといえるでしょう。

 正面図はすこし小さく書いてしまったため、採寸にあわせてプロポーションなどの訂正をしていきます。細部のスケッチについて先生は「木柄が太く感じる」とおっしゃっており、写真と照らし合わせていく必要があります。この日はASALAB出身で市教委に異動になったばかりのOGさんが現場に来られ、摩尼山の件など打ち合わせされました。岡垣さんは実測作図のスペシャリストなので、宝塔についてもご指導を仰ぎたいと期待しています。

 またこの日、久々にドローンが出動しました。コントローラーには先生のiPadを使う予定でしたが、アプリのダウンロードがうまくいかないので、学生のスマフォを使いました。6月にはおそらく「寅さんの風景」プロジェクトで活用することになるので、操縦の再訓練が必要だからです。やや風が強く、ドローンは流されがちでした。操縦を担当しただっしょは宝塔厨子のスケッチ作業もあったので、この日は3年生に向けて簡単なデモンストレーションした後、ケースに仕舞われました。(OK牧場)


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↑正面   ↓細部
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パリンカの夢(2)

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シードルづくりに失敗

 新3年生の居住環境実習・演習(Ⅱ)中間報告会が6月8日(水)午後2時40分~に迫ってきています。毎週ゼミで発表練習してきました。かなり良くなってきています。練習に併行して、家でシードルづくりに挑戦したので、簡単に紹介しておきます。なお、この方法は、アドバンストブルーイング『シードルをつくる』(農文協・2015)に従ったものです。
 さて、シードルとはフランス語の呼び名であり、英語のサイダーの語源です。日本でサイダーといえば、アルコールを含まない甘い炭酸飲料をイメージしますが、じつはリンゴ汁を発酵させたものなのです。シードルをつくる主夫をオランダ語でシードルフ、梨のシードルをドルトムントではナシードルと言います、ぐふふ・・・


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ギシルコーヒー

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2年ぶりのイシランメ

 BSの「晴れ時々ファーム」がいよいよ珈琲栽培に乗り出した。先輩として負けてられませんね。しかし、初回から後塵を配してしまったところもある。珈琲はもともと珈琲の実、すなわちコーヒーチェリーを食するために栽培されていたものである。生のチェリーよりも、むしろ赤い実を乾燥させたドライチェリー食べていたようだ。まもなく、そのドライフルーツを煮出してエキスを飲むようになり、さらに進んで果肉と種を分けて煮出すようになっていく。この種こそが珈琲豆である。一方、果肉ティーのほうもなお愛飲されており、それを「ギシルコーヒー」と呼ぶ。番組では、出演者3名が「フルーティであり、漢方薬のようでもあり・・・」などと絶賛していて、ほんと悔しかった。


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 我が家では、皮をむいて種を取り出し水漬けしたところで、果肉をかじってはみたが、さほど上質のチェリーではないように思えたので、そのまましばらく乾燥させた後、珈琲プランターに肥料として戻してしまった。果肉がまた新しい果実の成分になると思ったからだ。この五月、白い花が2本の珈琲樹に咲き乱れたので、来年もまた苦みばしった珈琲を飲めるはずだから、来年こそはギシルコーヒーをしっかり味わいたい。

 ギシルの悔しさをイシランメ(ユスラウメ)のチェリーが晴らしてくれた。4月の開花時に十分予想されたことだが、2年ぶりの大収穫である。またたくまにヨーグルトのトッピングとして胃袋に消えてしまった。大きな種が出るのは愛嬌だが、野性味溢れるチェリーの味にうなった。ちなみに、もうひとつのトッピングは、アルペンローゼで仕入れた手作り「ゆずのマーマレード」である。息子はヨーグルトなし、チェリーだけのほうが美味しいとも言った。秋の剪定さえ注意すれば、来年も食べられるだろう。


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↑5月27日  ↓5月22日 数日で赤みが一気に増した。
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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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