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国英神社(2)-スキル伝承演習

00本殿と幣殿01 00本殿と幣殿02拝殿などsam


スキル伝授の日

 1月27日(水)、全体ゼミの日ですが、「密」を避け、有志による実測・測量演習をおこないました。天候が不安視されましたが、国英神社を訪れる日はなぜか晴天がひろがります。不思議な縁ですね。今回は、4年生が3年生に重要器材のスキルを伝授する最後の機会でもありました。演習は以下の3種です。

 1)ドローンの操縦と撮影: 研究室所蔵の2台のドローン(ファントムとパロット)を操縦して空撮し、そのデータを使ってフォトスキャンによる2D、3Dモデルを作成する。
 2)インパルスによる測量: ハンディ測距測角儀による配置図の作成。歩測によって、ラフな屋根伏図を方眼紙に手描きし、基準点(BM)からの距離と角度を計測して、そのデータを方眼紙の余白に書き込む。
 3)平面図実測と採寸: 方眼紙に間取りを書き込み、巻尺とコンベを併用して、3色ボールペンで寸法を書き込む。 

 4年男子2名は機械に強いので、1)2)はうまく教えられるのですが、3)実測・採寸には慣れておらず、教授とガキオ先輩の指導を受けました。この日は本殿をのぞいて内部の調査もできたので、建物ごとに構造形式等を述べながら、演習の状況も併せて説明していきます。


0127国英神社02本殿03土台04 0127国英神社02本殿03土台01


本殿
入母屋造正面千鳥破風銅板葺き(宮殿型=八棟造)
平面1間四方 土台建 向拝一間 軒唐破風付 (幕末)

 すでに述べたように本殿の内部には入れなかったが、近い位置から観察できたので改めて報告しておく。正面向拝の虹梁型頭貫や木鼻を派手につくり、明治期に下るようにもみえるが、繋虹梁(海老虹梁)や本体木鼻の渦の絵様は素朴であり、幕末期と考えてよいと思われる。これについて、後述する「伊勢宮」の棟札が天保二年(1831)としており、本殿の年代観に近いと感じた。ただし、千木・鰹木は昭和55年に更新されている(棟札あり)。神社らしく和様を基調としてはいるものの、頭貫上に台和をめぐらして出組の組物を詰組風に配し、全面扇垂木で屋根を支えるなど禅宗様の影響が濃厚である。千鳥破風・軒唐破風付の宮殿(くうでん)式本殿であり、聖神社(県指定)や長田神社(登録文化財)などとの共通性がみとめられる。


0127国英神社02本殿01細部02扉 


 床下は春日造風の土台建とする。拝殿より一段高い位置にあり、乾燥しており、柱根本や土台の劣化もひどい状態ではない。いちばんの問題は幣殿の拡張に伴い、軒唐破風の正面が塞がれているところであり、これについてはなんらかの改善が必要であろう。全体に傷みは少なく、屋根葺き替え・防水処理・部分修理で十分維持保全が可能となるだろう。実測・採寸は外側からおこなったが、文化財価値の高い繊細な建物であり、学生ではなく、先輩と教授でおこなわれた。


0127国英神社02本殿01細部01 0127国英神社02本殿01細部02木鼻01 0127国英神社02本殿01細部03扇垂木01


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日本のなかのブータン(4)

ブータンのコロナ事情

 月ヶ瀬温泉施設長とのリモート面談をおこなった26日、佛子園ブータン事務所長からもメールがあった。佛子園本部(石川)ではブータン蕎麦粉を1キロ500円で販売しているとのお知らせであり、ただちに2キロ注文させていただいた。麺にするのは素人では難しいけれども、ブータン風のパンケーキ(クレ)や日本流のソバガキなら私たちにだってできるので、時間に余裕があれば、4年生が鳥取にいる間に調理してみようと思っています。

 その二日後、今度は次のような連絡を頂戴した。

  NPO法人「大阪自由大学」の取材を受け、
  動画「ブータンからのコロナ報告」(約20分間)が
  Youtube にアップされました。

 最近、強烈な校正マシーンと化しており、即座に対応することが叶わなかったのですが、本日夕刻、無事すべての初校ゲラを投稿し終えたので、さきほど「ブータンからのコロナ報告」と題するユーチューブを視ることができました。文字通り、主題はブータンのロックダウン事情であり、もちろん私たちブータン文化の研究者にとって生命線なのですが、中島所長はブログ「民樹のつぶやき」でロックダウン・シリーズを連載されており、その情報群のおかげで概要は把握していたつもりです。





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コロナ賛歌(6)

白梅① 白梅②


白桃花舞ういちにち

 お久しぶりです。お嬢です。卒論もとうとう終盤に入り、毎日苦しんでいます。コロナで全面オンラインに戻った本学ですが、卒論の指導だけは許されているので、また今日も大学に来てみると、先週、先生が蝋梅と一緒にもってきてくださった白桃が咲き始めています。最初は枝と小さな蕾だけだったのに、白くてかわいらしい花が咲いています。まるで窓外に舞う大粒の粉雪のようにも見え、触るとすぐに散ってしまうほど繊細なので、大事に扱おうと思います。
 蝋梅は盛りが過ぎて花がしおれてきてしまいました。でもまだ蕾がついている枝もあるので、水替えでなるべく長持ちさせて楽しみたいです。
 今日29日も先生がお花を持ってきてくださいました。トスクが昨日で閉店してしまったので、マルイで大きな蕾が3つもついた黄色い百合(?)を買われたそうです。「多分百合なんだけど、百合は秋だよねえ」と仰いましたが、お花に疎い私はよくわかりませんでした。でも私も百合だと思います。
 黄色の大きな蕾がいつ咲くのか、どんな花が咲くのか楽しみです。卒論を書きつつ、お世話頑張ります。
 お昼過ぎくらいから鳥取は雪が舞い始め、キャンパスにもどんどん積もってきています。風も強いので、今週末は荒れた天気になりそうですね。研究室内から見る雪はとてもきれいで好きです。先生が雪をバックに写真をとってくださいました。


百合②



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茶室の休耕畑物語-4年ぶりの収穫

茶室 畑 収獲2021


冬野菜の初栽培・初収穫

 皆さんこんにちは、ASALAB4年の月市です。この度、昨年8月に訪問した裏山の茶室「盃彩亭」の奥ににる菜園で、じつは秘かに水菜とジャガイモを栽培しており、このたび収穫に成功しました。
 教授いわく、菜園で収穫できたのは4年ぶりということであり、今回は自然を相手にした試行錯誤の記録をご紹介させていただきます。少し長いですが、お付き合いください。


2020 畑01 茶室 2021 sam
左:開始時点の菜園 右:茶室


菜園との出会い

 私がこの菜園と出会ったのは、暑さ厳しい昨年の8月のことでした。ゼミ活動の一つとして、以前から噂に聞いていた茶室を訪れたのです。茶室の奥には畑があると聞いていたので、どんなもんかとワクワクしていました。そんな私の目に、飛び込んできたのが上の写真の光景です。写真中央部にある畑の囲いが、なんとか見えるくらいであとは奥行も幅もわからないくらいに雑草が生い茂っていました。
 教授によると、学年(3年次)によって栽培熱意にかなり差があり、ある学年がほぼ総ての夏野菜を枯らしてしまって以来、やる気をなくしてしまったのだそうです。なかなか衝撃的な出会いでしたが、ゼミに入る前から畑のことは聞いており、諦めきれなかった私はここを耕すことに決めたのです。


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日本のなかのブータン(3)

やぶつき02リモート


 1月26日(火)、先日のリモート面談で、ティンプーの佛子園所長、中島事務所長からご紹介いただいた広島県安芸太田月ヶ瀬温泉施設長とのwebex面談が実現した。
 加藤さんは、これまで公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)の職員として人材育成や学校でのワークショップなどの教育活動に携わってこられた方で、安芸太田町には昨年の6月に着任したばかりとのこと。前回同様、私の卒論と関わる部分に焦点を当て、成果を報告する。

月ヶ瀬温泉-佛子園が輸入するブータン蕎麦実の活用

 佛子園は長年「ごちゃまぜ」のまちづくりに取り組んでおり、その活動を通してブータンとのつながりを持っていた。そしてJICA(独立行政法人国際協力機構))北陸と協力して、ブータンへの技術協力プロジェクトを実施した。その際に、日本から一方通行で提供し続けるのではなく、ブータンからも何か提供してもらうことでお互いの関係性を向上させていこうということになった。そこで、ブータンの高山地域で栽培されており、日本の食文化にも馴染み深い蕎麦に注目が集まった。
 蕎麦の実をブータンから輸入することによって、蕎麦を栽培する農村の収入は以前の2倍かそれ以上になったという話もあり、収入の向上によって医療処置を受けられる人も増え、ブータン人の健康の向上にもつながっていると仰った。

お食事処「やぶ月」のブータン蕎麦

 月ケ瀬温泉には「やぶ月」というお食事処が併設されており、そこでブータン蕎麦実を製粉・製麺したそば料理を提供している。 蕎麦のメニューにはすべてブータンから輸入した蕎麦が使用されている。ブータン蕎麦を目当てにして来客するのではなく、食べてから初めてブータン産の蕎麦が使われていることを知るお客さんの方が圧倒的に多いとのこと。また、ブータン甘蕎の質が日本のものと遜色なく、味覚に驚くお客さんもいると教えていただいた。
 月ケ瀬温泉の運営は、佛子園の手法をモデルにしており、店名の「やぶ」とは佛子園のブランドのようなものである。そのため、いくつかのメニューは佛子園のレシピを覚えて提供されているのだが、まったく同じというわけではなく、地域独特の食材を使用した料理や季節のメニューなどの月ケ瀬温泉独自のメニューも提供されている。
 やぶ月で提供される蕎麦は、すべて製粉製麺機を使用して作られている。その理由には、月ケ瀬温泉がモデルとする佛子園の「ごちゃまぜ」の概念が関係している。ごちゃまぜのまちづくりとは、障がいのある人もない人も、日本人も外国人も皆が活躍できるまちをなんでもかんでもやっていこうという考え方である。製粉製麺の過程は敢えて手作りにしていない。その工程を機械でおこなうことによって、障がい者も蕎麦づくりに参加できる。つまり、誰でも蕎麦を作れるように機械による製粉製麺がおこなわれており、障がい者の就労事業に蕎麦は役立てられているのである。


やぶつき02リモート02kato




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賀状の終活

切手


小さな幸せ

 喪中ですから、年始の挨拶はできないわけでして、年があけてから寒中見舞いを送ろうと決めていたのですが、自分で作る気にもなれず、ネット通販で挨拶文+切手付葉書を取り寄せることにしました。喪中は賀状枚数を減らす好機であり、30枚までにしようと決めてネット通販で購入したのですが、送付先の選抜に悩み苦しみまして、結局さらに20枚追加購入しました。
 来年度の賀状は夫婦あわせて50枚で済ませよう。いやもっと少なくていい。何枚かの知人には「年賀状もそろそろ引退の年だねぇ~」とお達ししたからです。つまり、年賀状も「終活」の時代を迎えている。年賀状の時代は終わりましたね。
 でも、ちょっとだけ良いことがありましたよ。今年のお年玉付き年賀はがき当選番号のうち3等は、下2桁が「50 58 60」です。1枚当たれば御の字か、と思っていたら、3枚も当たっちゃった。なんか、嬉しいね、お年玉記念切手もらえるの。以下の方々に感謝申し上げます。

 50 宮脇様   58 上田様   60 宇田様




コロナ賛歌(5)

0122トスク蝋梅05 0122トスク蝋梅02sam


さよなら、トスクの蝋梅

 2~3日前のことである。めずらしく天気が良かったので、シュープリーズまで散歩にでかけた。じつはカレンダーを分けてもらうことになっていて、そのついでに?ケーキも買おう、という魂胆である。帰途、雲山のトスクに立ち寄った。正月用の恵比寿ビールの残りを190円で安売りしている。誤解なきよう広報しておきますが、わたしはあまりビールを好みません。体によくないに決まっている。ビール系を飲むとしたら、プリン体ゼロ 糖分ゼロの発泡酒に柚子の輪切りを浮かべるの。これでコロナ・ビールの味になる。Covid19の味さ(笑)。
 一通り買い物をして、レジも済ませたところで、「あっ」という声がでた。蝋梅のシーズンじゃないか。切り花のコーナーに行ってみると、並んでるぅ、並んでるぅ、おれのカラウメ、イェィ!(スライダースTOKYO JUNKのつもり)。1束250円で、トスクにしては高めだが、ともかく蝋梅には心凍らせているので、ひたすら無心になってどれがよいかと物色していると、店内放送が流れた。

  「本店は今月28日をもって閉店いたします~~」

 えっ、冗談だろ。農協かJAか知らないが、狂っちまったのか? わたしゃ、どこで蝋梅を買えばいいんだ・・・たしかに普通のスーパーにも切り花はおいてありますが、トスクに比して50~100円ばかり高い。野菜も同じ。トスクがいちばん安い。今や、河原の「道の駅」よりも間違いなく安いんだからから。
 そのとき、目の前にある蝋梅を買い占めよう、という欲望にかられたが、少し冷静になって考えなおすと、下宿には飾る場所もないので、1束だけにとどめ、学校に行く日にまた買おうと決めた。帰宅して、例年どおり、陳従周先生の詩を納めた額の前に花瓶をおいた。


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 翌日、大学に通う途中、再びトスクに寄った。蝋梅1束と開花していない桃も1束買った。演習室に着くと、お嬢さんがいたので、花瓶に蝋梅と桃を活けてもらった。蝋梅は2週間ぐらいもつかな。奈良の家の庭の蝋梅はあまり成長していないが、今年も花を咲かせるだろうか。そういえば、赤い木瓜(ぼけ)はもう咲いていたぞ。木瓜は少数ながら大きな実を稔らせます。昨年はジムビームアップル(甘いシナモン・バーボン)に漬けて、九ヶ月間熟成させ、正月のお屠蘇にしたんです。美味、美味。ホワイトリカーはひっくり返っても敵わない。
 蝋梅は江南の庭を思いださせるし、ある人物を回想させる。金茂ビルの70階に戻りたくなる。上海に帰りたい、あの日に帰りたい。蝋梅も、紅梅も、白梅も返してほしい。それにしても、結構な人気店であり、本学の学生もレジでバイトしていたのだが、なんでまた・・・やはりコロナなんだろうか。まったく無関係とは言えないような気がする。もう勘弁してほしい。


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日本のなかのブータン(2)

ブータンとのリモート


ブータンとのリモート面談

 その後、ティンプー在住の中島事務所長の方からズームで面談しないか、というお誘いがあり、zoom か webex かで少々迷ったのだが、大学の公式webexだと時間無制限なので、中島さんに webex の使用法を学んでいただくことで、1月14日(木)、ブータンとのリモート面談が実現した。研究室活動史上、画期的な出来事だと思う。
 面談は一時間半以上に及んだが、今回は私の卒論と係わる「蕎麦」の栽培と食文化に係わる問題に焦点を絞り、成果を報告する。

ブータンの蕎麦食について
 基本的には米を主食としているブータンであるが、中央ブータンの高地、ブンタン地区で米より蕎麦を食べる習慣があると聞いている。そのブンタンの代表的な蕎麦料理が、ケプタン(ソバ粉のパンケーキ;西ブータンの標準語ではクレという)やプタ(蕎麦の押し出し麺)である。クレは粉にするときに蕎麦の実をそのまま使うのでザラザラとした食感になり、プタは蕎麦粉のみを使っているので長さが短くパサパサとした麺になる。また、プタは野菜や唐辛子と一緒に食べる。それが伝統的なブンタン流の食べ方である。
 他の代表的な蕎麦料理としては、西ブータン・ハ地区のヒュンテ(ソバ粉皮の餃子)がある。ハ地区だけがブータン式餃子の皮に蕎麦粉を使用する伝統がある。中島さんは、これらの地域以外では蕎麦料理を聞いたことがないと仰った。
 しかし、ブータンでも最近では健康志向が高まってきており、甘蕎を使った蕎麦クッキーやプタやクレを改良品を首都ティンプーで売り出すための企業が立ち上げられるなど、数は多くないが新たな動きも出てきているというお話もあわせて聞かせていただいた。


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日本のなかのブータン(1)

西日本初のブータン料理店 charocharo 長期休業

 ブータンに行くことが叶わなくなった2020年、なんとか日本のなかのブータン人とブータン文化を探ろうと努力をした。宗教的なアプローチはなかなか難しいところがあるけれども、蕎麦とか食文化は一つの手がかりになると思って情報を集めていたところ、京都にチャロチャロ(charocharo)というブータン・レストランがあることを知り、昨秋、ネットで得た番号に電話をかけてみた。
 https://www.facebook.com/charocharobhutanjapan/

 電話に出た女性にお話を伺ったところ、日曜日の午後だけテナントビルの一室をレンタルして営業しているとのこと。コロナは小康状態にあった。ただし、奈良経由で京都のレストランを訪れ、食事をし、少しばかりのヒアリングするには少々の覚悟が要る。しばらく時間をおくことにした。
 年末の冬休みになり、再度電話をした。マダムと10分ばかりお話をすることができた。結論から述べると、チャロチャロは長期休業に入るのだという。コロナのせいというよりも、産休だとマダムは仰る。お目出たいことですね。
 チャロチャロを運営しているのは、ブータン人の夫と日本人のマダムのお二人で、平日は別の仕事をされており、日曜の午後だけの営業を続けてこられたのだという。マダムのKさんは大阪出身で、2010~13年、国際青年協力隊の一員としてブータンで活動し、夫のNさんと知り合った。2014年に結婚し、Nさんは来日。以来7年、日曜の午後だけブータン料理店を営業してきたが、年末12月20日をもって長期休業となった。
 大阪や京都なら、ブータン料理の店はいくらでもあると思われがちだが、ネパール料理やインド料理とはわけがちがう。チャロチャロは西日本で初めてのブータン料理レストランであった。無理をしても秋に訪れておくべきだったとひどく後悔した。
 料理について少々うかがった。もちろん蕎麦食がいちばん気になる。ところが、常連のお客さんに(会長のような)蕎麦アレルギーの人がいるので、蕎麦料理はいっさい提供しなかったという。しかし、石川の佛子園(http://www.bussien.com/#/)がブータン支援(障害者支援・貧民救済等)の一環として、ブータンからソバの実を輸入し続けている、という情報を教えてくださった。

佛子園ブータン事務所長ブログ

 これは大変なことだと思い、ネット上で情報を集めたところ、「(佛子園)事務所長 民樹のつぶやき」と題するブログを発見し、12月25日付けの「ロックダウン5日め」と題する記事に対して、12月30日に私はコメントを投稿した。そのコメントを要約して転載しておく。

  はじめまして。私共は2012年から2019年まで8年連続でブータンを訪問し、おもにブータンの
  崖寺、瞑想洞穴、民家仏間、各地の護法尊などを調査してまいりました。今年(2020)、
  ブータンに行くことができず、本当に残念でした。京都のブータン料理チャロチャロさんから
  仏子園のことをお聞きし、サイトを巡っていたところ、このブログを発見し、驚いております。
  ブータンのコロナ感染者の状況が手にとるようにわかり、学生にもサイトを周知したところです。
  仏子園とブータンの関わりについて、いろいろお教えいただければ幸いです。今年の4年生は、
  一人が「仏教とボン教の関係」、もう一人は「ブータンの蕎麦食」で卒論を書いております。
  とくに後者については、仏子園さんがブータンの蕎麦を輸入されていると聞いております。
  どのような支援活動をおこなわれているのか、大変興味をもっております。今後ともよろしく
  お願い申し上げます。



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コロナ賛歌(4)

抗原検査

 先週の大雪の影響をまともに受けたのは北陸や東北の雪国だけではなくて、九州の交通網にも混乱が生じました。スタッドレスを履いていない地域で雪が降ると車は動けなくなる。11日(月)にバスの手配をして帰鳥予定だった学生がいるのですが、その長距離バスが週末までストップしてしまい、鳥取に戻ったのは15日(金)のこと。週が変わり、彼は大学に近いアパートにいたのですが、「発熱したので卒論ゼミを休ませてほしい」というメールを送ってきました。もちろん下宿で静養してもらうしかありません。九州から鳥取に至る9時間のバス移動が堪えたのでしょう。かれは下宿近くの医院で受診し、「コロナではない」という診断結果を得たのですが、町の普通のお医者さんに大丈夫と言われて安心な時代ではありません。陰性から陽性に転じることだってあるわけですし・・・
 昨日、学生にはまず保健所の相談係に電話して指導を受け、その後、PCR等の検診可能な病院で正式な診断を受けて「陰性」であることを確定すべきだと指示しました。仮に陽性であったとしても恥じることはない。長距離のバス移動中に感染が発生する可能性は十分あるのですから。素直な彼は病院で抗原検査を受けました。結果の報告を転載します。

   本日、病院で抗原検査をおこなった結果、COVID-19及びインフルエンザウイルス
   陰性でした。「急性上気道炎」という風邪症候群と診察され、処方をしてもらいました。
   大事に至らず、本当に良かったです。

 本当に良かったと思います。服薬・静養して熱が下がれば、卒論の対面指導を再開できる。もともと真面目でよくできる学生なので、挽回は十分可能です。じつは、昨年秋にも若干1名がPCR検査を受けて陰性だったのですが、ともかく陽性なら陽性で仕方ない。決して落胆することなく、勉学に励んでいただくしかありません。

 スクールバスが運行停止になっていることに気づきました。卒論関係者など、まだ大学に来なければならない学生もいるのですから、バスがなくなるのはつらいけれども、抗原検査の学生にみるとおり、バスに乗ること自体が感染の危険性を伴っているわけで、ほんと、自家用車以外はすべて危険な交通手段になってしまいました。どうなることか?

コロナ賛歌(2)

イントロ01


P2&P4「 いい加減に学ぶ中国語講座」WEB発表会のお知らせ

 先回申し上げましたが、大学は全面開講から全面オンラインに180°転換してしまい、後期当初から対面開催が危ぶまれていたプロジェクト研究発表会が、オンライン開催に変更とあいなりました。対面をオンラインに短時間で切り替えるのは、読者諸兄が思っていらっしゃるよりはるかに大変です。パワーポイントに音声を吹き込んでppsxに変換し、オンデマンド方式でサーバーから配信するのですが、1・2年生全員(18名)のパワポと科白を校正し、録音してもらう作業は大変時間がかかります。おかげで自分の講義をまた順延してしまいました。自分の講義パワポを録音できる時間がないのです。体力もない。さて、愚痴はこのぐらいにして、一部の学生以外聴講できないオンデマンド式発表会の広報を(意味はないけど)しておきます。

1.日時: 2021年1月21日(木)~
2.研究題目と構成:
 いい加減に学ぶ中国語講座-上海の生活空間と食文化-

Chap1.イントロダクション(河村・長谷川・銅山・山田・原)
 1-1 中国語翻訳の新手法
 1-2 上海の歴史と生活空間
 1-3 上海食文化の系統
Chap2.外灘と近代租界建築群(銅山・原)
 2-1 外灘(バンド):十里洋場
 2-2 外灘の近代租界建築
Chap3.浦東摩天楼(河村・山田)
 3-1 上海タワー
 3-2 上海グロ-バル・フィナンシャル・センター
Chap4.「里弄」再開発(野田・梅田・原)
 4-1 新天地
 4-2 田字坊
Chap5.豫園(藤原・大澤)
 5-1 上海県城と古典園林
 5-2 茶と茶館の文化
Chap6.水郷古鎮(吉田・矢野・宇野・増田)
 6-1 周荘
 6-2 角直
 6-3 朱家角と粽
 6-4 南翔と小籠包
Chap7.上海の食文化(引田・松原・錦織)
 7-1.小籠包の起源
 7-2.上海蟹
Chap8.内山完造と魯迅(大野・長谷川)

【学内WEB】学外からはアクセスできません
http://gakunai.kankyo-u.ac.jp/lecture/2020/project2/Group11/public_html/index.html
http://gakunai.kankyo-u.ac.jp/lecture/2020/project4/Group11/public_html/index.html

 感想を述べておきます。前期、ゼミの3~4年生に試行してもらって手ごたえを感じていたのですが、1~2年の場合、二極分解してしまいました。ついて来れる学生とそうでない学生に分かれた、ということです。基礎レッスンの時間をもう少し長くとるべきだったのかもしれません。オリエンテーションの後、いきなり異なる原文を学生にばらまくのではなく、同じテキストをみんなでやってみる時間がさらに1~2コマ必要だったのではないか、ということです。
 来年度も後期にプロ研の担当があたっていて、再挑戦するかどうか、迷っています。もういちどやってみたい気もするし、やっても無駄なような気もする。まぁ、来年は来年の風が吹くでしょう。

 今回のパワポのレベルは高いので、余裕があれば、ブログで連載してみたいとも思っているのですが、卒業式にむけての仕事も、いやになるほどあるので、実現するかどうかはわかりません。発表会が事実上なくなってしまったのは残念なことだと思っています。


イントロ02

コロナ賛歌(3)

四月になれば彼女は


 This diary was deleted.



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国英神社(1)-初詣

0113国英神社00鳥居01 asa国英神社00鳥居sam


大イチョウと本殿・祈祷所

 みなさま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 1月13日(水)、摩尼寺を後にしたASALAB一行は、わけあって河原町の国英神社を訪ねました。摩尼寺では、私たち以外の参拝者が3名いましたが、国英神社のほうは人影もなく、ここでも「密」を避けながら参拝することができました。人気(ひとけ)がないので、気をつけないと通りすぎてしまうような河川敷の道路沿いに境内があります。そういえば、「寅次郎の告白」の名場面として知られる八東川の堰堤がすぐ近くにありました。


asa国英神社03大イチョウ01記念撮影sam asa国英神社03大イチョウ01sam


 河原町片山854番地の国英神社は歴史的にかなり重要な神社です。鳥居の脇には「鳥取市指定文化財 大イチョウ」の標柱があり、境内のシンボルともいえるイチョウの大木が立っています。鳥取市の天然記念物です。また、拝殿の軒先に吊るされていたという梵鐘(現在は県博所蔵)には「伯州久米郷長谷寺鐘」という14世紀の銘が記されており、倉吉の長谷寺の梵鐘を払い下げられたものとして注目されています。国英神社の創始年代はなお不詳ですが、倉吉の長谷寺が鎌倉時代に遡ることはこの梵鐘銘により明らかなのです。


0113国英神社02本殿04全景01 0113国英神社02本殿02チドリ破風01


 建造物については、先生がいちど「国英神社」という記事を書かれています。本殿は全面扇垂木に台輪をもつ禅宗様の影響が見られ、細部は県指定「聖神社」に共通するところが少なくないようなので、江戸時代後期まで遡るかもしれません。ただし、本殿には近づきにくいので、以上の年代観はあくまで遠望しての推測です。絵様等がはっきりみえるのは祈祷所であり、こちらは19世紀前期ごろの虹梁や木鼻を残しています(↓)。


0113国英神社03神庫細部 0113国英神社03神庫獅子鼻 0113国英神社03神庫細部sam



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中国道蕎麦競べ(19)-摩尼寺門前門脇茶屋

0113摩尼寺門前掲示板00 asa摩尼寺00掲示板00源平


あまびえ調伏-摩尼寺初詣

 みなさん、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 2021年1月13日(水)、今年度初めてのゼミ活動があり、摩尼寺と国英神社に初詣に赴きました。今年度後期から全面開講に踏み切った本学ですが、11月以降の感染者急増に耐え切れず、昨年末、年初の1週間のみ(~14日)オンラインが決定し、この日は希望者のみの参加です。コロナ禍ということで、「密」を避けなければなりません。初詣も控えてほしいという要望が国や一部の自治体から出ていますが、この日訪れた二つの社寺は(残念なことに)もとより参拝者は多くなく、大雪の後ということもあって、私たちのグループ以外ほとんど初詣の人はおりませんでした。なんの不安もない「疎」の状態での初詣であったことを予め申し述べておきます。


0113摩尼寺01参道11 asa摩尼寺01参道03記念撮影samぼけ


 まず門前の茶屋から、長い石段の参道を上っていきました。雪で凍っているところもあったため慎重に進んだつもりだったのですが、体育会系のわたしとN先輩はすいすい登段したようで、後続する先生や女子たちはふうふう言っています。あとで「速すぎる」との御不満を頂戴してしまいました。中過点の仁王門(県指定・18世紀後半)で説明をうけ、さらに登ってお地蔵さんを過ぎたあたりから左手の崖が崩れており、石造の欄干も壊れたままの状態でした。先生によると、2018年夏の集中豪雨による被害であり、その後、登録記念物に対する文化庁の支援で崖の法面は復旧したものの、石段や欄干が放置状態にあることには少々驚きました(↑)。


asa摩尼寺02境内01本堂周辺02参拝01 0113摩尼寺本堂記念撮影sam 


 境内に入ると、居川副住職の手厚いもてなしをうけました。本堂、三祖堂、如来堂、閻魔堂などを参拝した後、可愛いおみくじをひかせていただきましたし、新しいお札もいただきました。ありがとうございます。ちなみに、おみくじのキャラクターではピンクの「あまびえ」が一番人気でした。あまびえ(↓)は本来仏教とは無縁の妖怪ですが、こうして仏教のお守りとして取り込まれているのをみると、ブータンの「調伏」を思い起こしてしまいますね。


あまびえのお守り あまびえのお守り02sam
アマビエは豊作・厄除の女神だが、海から出現した妖怪であり、それが仏教の守護神に変換されている。同類の神霊としてアマビコがあり、こちらは男神なので、ヒコ(彦)に対してヒエはヒメ(姫)の訛音かも?



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スローフォワード(3)

奈良のオールブラックス 優勝!

 1月11日(月)、全国大学ラグビー選手権の決勝で、天理大が早稲田に圧勝し、初優勝を飾るとともに、平尾・大八木の同志社三連覇(1983-85)以来、じつに36年ぶりに関西に優勝旗を取り戻した。55-28という点差以上の実力差があり(最後、天理は選手を大替えした)、正直な感想を述べるならば、トップリーグと学生リーグぐらいの力量さを感じた試合である。
 わたしが初めて「奈良のオールブラックス」という記事を書いたのは、2012年の正月のことであり、3連覇をかけた帝京大をぎりぎりまで追い詰めたが、最後は帝京のPGで惜敗した試合をレポートした。帝京のSH流 対 天理のSO建山がぶつかりあう息詰まる懐かしい試合である。その後、天理高校ラグビー部のことを一度書き、さらに二年前の全国大学選手権準決勝で天理が帝京に雪辱圧勝したばかりか、帝京の大学選手権十連覇を阻止したことは記憶に新しい。決勝の明治大戦も勝つだろうと予想したのだが、明治に思わぬ完敗を喫し、昨年は準決勝で早稲田に大敗した。

コロナ惨禍をのりこえて

 念願の優勝です。ご存じのとおり、天理大学ラグビー部では昨夏コロナのクラスターが発生し、大学は大バッシングを浴び、勢いあまって天理市民までが差別的対象となり、奈良市に天理市民が「上京」してくると白い目でみられたものである。その奈良市民が今は五條市あたりの県南を訪問すると、白い目でみられている。奈良の感染は大阪と一体化しており、いずれ大阪・兵庫・京都に連動して緊急事態宣言が発せられても不思議ではなくなっている(人口が少ないので、10万人あたりの感染率は全国有数の地域である)。というか、グーグルAI感染予報などを参照するならば(1月20日で東京6,000人、全国10,000人以上)、早めに全国緊急事態宣言を発令したほうがよいと個人的には思っている。

 ラグビーには、サッカーや野球では味わえない純真な感動があり、「スポーツとは何か」を根本的に教えてくれる球技だと何度か書いてきた。これについては、一昨年のワールドカップ終了後に短文を著し、そこそこの拍手を頂戴しているので、ご参照いただければ幸いです。不幸なことに、ラグビーの大学選手権決勝とサッカーの高校選手権決勝は同日にあることが多く、どうしても後者が見劣りする。いつもの老婆心ながら、昨年に引き続き、青森山田が決勝で敗れた点、日本サッカー界全体にとっては良いことだと思っている。昨年優勝した静岡学園のサッカーが日本の向かうべき道筋だと信じているからである。
 さて、モードを切り替えよう。



2012年正月 決勝 帝京vs.天理

一如庵の年越し

1227一如庵00幻想01 1227一如庵00外観


蕎麦・菜食 一如庵  https://ichinyoan.gorp.jp/
奈良県宇陀市榛原自明1362
古民家(幕末)再生型 山里料亭数奇屋系 畳座敷に椅子座+イロリ座+縁座(個室・桟敷あり)
昼食 11:00~12:30 13:00~14:30 夕食 17:00~20:00 ★4.5


 但馬・丹波めぐりの10日後にあたる12月27日、我が家はひっそりと宇陀の「一如庵」で年越しのそば懐石を堪能した。面白いことに、たとえば息子を京都の高級レストランに誘ったとしても八割方断られるが、「一如庵」だと彼が首を横に振ることはない。
 それだけ「一如庵」の食事が美味しかったのである。蕎麦はもちろんだが、あの晩夏の「茄子の箱寿司」の美味しさは語るに尽くせないレベルであり、この一年の間に食べた料理でいちばん美味しかった。それどころか、35年奈良に住み、奈良で口にした料理の中で最高の味がした。9月は単品何品かの注文であったが、年越しは豪勢に行こう、ということになって、昼食のセットを所望した。


1227一如庵00幻想03個室01


 場所と建物について再確認しておくと、「一如庵」は宇田川上流に沿う幕末ころの和風住宅を改装した蕎麦屋であり、外観は料亭風だが、内部は大型民家そのものの体をしている。一般客は畳座敷上の和風テーブルに椅子座で食事をする。上左の写真は偶然2枚の写真が重なってできたデジャブのようだ。屋内と屋外の関係が幻想的に表現できているでしょ。わたしたちは今回も段差を回避して、畳部屋ではなく、身障者用の個室で食べさせていただいた。シェフはごつい体格をした三十代後半ぐらいの方であり、予想したとおり、精進料理の修行者だという。セット料理については、情報量が多すぎて、すでに記憶が失せつつあるのだけれども、お店のHPを参照しながら紹介しておこう。以下のサイトもかなり参考になります。
http://small-life.com/archives/12/11/2619.php


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1.そば寿司と香物(↑)
 漬け物は白菜とヒノナ。酢漬けのヒノナを丸かじりする快感! 
 

1227一如庵00幻想04セット02総菜01 1227一如庵00幻想04セット02総菜01sam

2.惣菜14品(↑↓)
 すべて精進系ですが、すべて味が違います。手前左から3つめのデリにはクミンを使っていて、カレーっぽい味がする。味が口内にしばらく残るので、最後に食べるのがいい。もちろん、これも美味しい。HPから引用しておきます。

  宇陀金ごぼう・大和まな・千筋みずな・黄金まくわ・筒井れんこんなど、大和の伝統野菜や
  地元産の旬菜をふんだんに使った精進料理の数々。動物性の素材は一切使用せず、
  「身体にやさしい」料理です。野菜の持つ生命力溢れる滋味深い味わいをご賞味ください。


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↑名物「椎茸の箱寿司」


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中国道蕎麦競べ(18)-ろあん松田

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「集落丸山」プロジェクト

 丹波篠山の市街地(旧城下町地区)から544号線を北東に数キロ進むと茅葺き民家の密集する丸山という集落に至る。ネット情報によると、「限界集落」化していた時期があったようだ。居住者は四世帯にまで落ち込み、そこから「集落丸山」というプロジェクトが始まる。空き家になっていた民家を改修し、民宿(ホテル)やレストランに再生する試みが奏効し、今は人気を博している。前者(ホテル)はNPO法人や社団法人のサポートを受けながら、ここでもまた NIPPONIA が運営している。ネット上の写真をみる限り、荒壁を残す内装の処理は竹田のホテルen に通じており、両者が無関係だとは思い難いが、VMGの名前はみえない。
 レストランについては、2009年から里山フランス料理「ひわの蔵」が経営を続けている。わたしたちがめざしたのは、「ろあん松田」という割烹蕎麦料理店であり、ミュシュランガイドに掲載されているというので、期待に胸が膨らんだ。少し調べてみたところ、「ろあん」も「ひわ」も民宿ホテルに食事を提供しており、この二つを含む「集落丸山」が2015年10月に刊行された『ミシュランガイド兵庫特別版2016』の「旅館」部門で4つ星を獲得したとのことである。


1219ろあん00丸山集落02



蕎麦と旬のお料理「ろあん松田」 
兵庫県篠山市丸山154 http://www.roan-matsuda.com/
新型木造建築(山荘料亭型) 数寄屋系 畳座+椅子座+玄関待合
営業時間:昼(2部制 11:30~ 14:00~) 夜 18:00~
定休日:火・水曜日(完全予約制) ★3.0

 丸山集落からさらに奥の細道を上っていくと、ようやく「ろあん松田」に至る。探しだすのに苦労した。「集落丸山」プロジェクトの根幹に民家の再生・活用があるのだから、料亭ろあんもその類だろうと思い込んでいたのかもしれない。実際には、下に示したように、新築の数奇屋風平屋建(一部二階建)の木造建築であり、看板も暖簾も出していないので、周囲をうろうろ彷徨ってしまったのである。これだけ古民家の密集する地域であるにも拘わらず、空き家化した物件がなかったのであろうか。新しい料亭は、白木をベースにしており、聚楽壁のような洗練された仕上げをしていて、蕎麦屋らしい木造建築と言えばそうなのだが、「骨董の匂い」はしない。骨董の風貌ではないから、数奇屋の重みも薄れている。この軽さが料理の味覚にも通ずる、と書いたらまずいかねぇ・・・
 わたしたちは大きな洋室を独占して昼食のフルコースをいただいた。隣は書院風の和室で、やはり客は居なかった。ただし、お客らしいざわめきが遠くに聞こえる。駐車場に車が数輌停車していたので、反対側の二階建のエリアに他の客が集まっていたのかもしれない。ともかく、二人で「会食」はしたが、どこにも「密」は存在していない。こういうことを気にしながら紀行文を書かなければならない悲しい時期を迎えてしまいましたね。


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福住のなりとぱん

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重伝建「福住」

 丹波篠山市にはもう一つの重伝建がある。正式名称は、丹波篠山市福住伝統的建造物群保存地区(2012)。文化庁系のサイトを若干修正しつつ抜粋すると、「福住地区は、丹波篠山市東部、京都・大阪との府県境に位置し、古代から交通の要衝であり、江戸時代には篠山藩が西京街道の宿場町として整備し、明治以降も多紀郡東部の中心として栄えた。妻入を主体としたツシ二階建瓦葺の町家が建ち並ぶ宿場町の町並みと、平屋建茅葺きの農家住宅が建ち並ぶ農村集落という二つの異なる町並みが、西京街道沿いに連続して残されていることが特徴」である。この解説を補足するならば、宿場町の住宅群も江戸時代にあっては、農家と近似した平屋建妻入茅葺きのスタイルであったに違いなく、それが明治以降、「妻入を主体としたツシ二階建瓦葺の町家」に進化したものだと思われる。こうした変化は、宿場町・農村地区だけでなく、城下町の中心部においてもおきたであろう、というのが倉吉・河原宿を分析した当方の持論である。


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 福住重伝建地区は長い。西京街道に沿って並ぶ福住、川原、安口、西野々の4集落を含む3キロ以上の範囲が町並み保存の対象地区になっており、正直なところ、「ここが重伝建か」と訝しく思うほど町並みが現代化している部分も少なくない。それをみて呆れていると、まもなく歴史的建造物(群)があらわれ、また消える。これだけの範囲の住民がよく重伝建の選定に同意したものだと感心するとともに、本当に修理・修景を実現しうるのか、気の遠くなる思いがした。
 わたしたちは、福住上あたりから東行して川原、安口西、安口東まで行って、篠山東雲高校でUターンした。あまりに長い街道に疲れ果てて、休憩処を探したが全く見当たらず、来た道を折り返し、福住上を過ぎて福住下に至るあたりで古民家の集中する地区があり、そこにちらほら店舗の看板や暖簾が点在するようになる(↓)。


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なりとぱん

 パン屋さんに入ることにした。もちろん古民家活用のテナントである。表にちょうちんを吊るしており、その紙にくずし字で「なりとぱん」と書いている。これが店名である。ところが提灯のある表側からは店内に入れない。裏側にまわって井戸があり、その前の裏口から店に入る。古い井戸を守りたくてこうしたのだという。いまは表側に厨房をおいているが、表側から人を入れると、背面にまわった厨房が井戸を圧迫してしまうのであろう。


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ホテルen (2)-登録文化財「旧木村酒造場」

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酒蔵レストランの構造補強

 一夜あけて、朝食は本館西側の酒蔵レストランへ。播但線に面する宅地背面にあたり、窓外には朝靄に煙る竹田城跡を見通せる。こちらは登録文化財の一部であり、改修の手法は分館以上に慎重になっている。共通するのは、荒壁残しの手法である。荒壁のお陰で骨董品の風貌をよくとどめているが、目立たぬように構造補強もしていた。酒蔵本来の小屋組を木造のラーメン構造で支えているのである。その木材は古色塗りされているので、素人ならば新材・古材を見分けることは難しいであろう。これでよいと思う。
 屋根が高いので、やはり少々寒い。ここでも空調とともに、石油ファンヒーターを何ヶ所かフロアに置いているが、暖気は小屋梁より上に上昇してしまう。原始的な手法かもしれないが、大型の扇風機を屋根裏に設置して暖気を押し下げたほうがいいかもしれない。ご存じのように、この種の大型扇風機は東南アジア、南アジアで多用されており、夏には冷気の循環にも役立つだろう。


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 朝食は豪華な和食である。ご飯と味噌汁は何杯おかわりにしてもよくて、マスク美女たちに何度か薦められたが、「肥満で糖尿なので控えます」と答えるしかない。残念なことではあるけれども、この日(12月19日)は、丹波篠山でミシュラン一つ星の蕎麦屋を訪ねることになっており、朝は控えめにして腹を空かせておく必要もあった。


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 ホテルenの改修・活用手法には感心させられた。骨董の風貌を継承する基本方針が確固としてあり、それを前提として構造補強やフロアの改修に取り組んでいる。荒壁を活かしている点にはとくにセンスの良さを感じた。文化財の修復や改修に習熟しているか、木造建築の美学に精通している者がトップに居ない限り、こうした方針を堅持しえないと思う。どのような人物がこのプロジェクトを率いているのか、気にならないと言えばやはり嘘になる。


1218en竹田城00交流館・裏門・酒蔵
↑左から情報交流館(市営)・裏門・酒蔵レストラン(en)


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ホテルen (1)-登録文化財「旧木村酒造場」

2020竹田城ホテルen_圧縮


VMG と NIPPONIA の健全な野心

 因幡にはなくて、但馬~丹波にあるのが VMG HOTELS & UNIQUE VENUES のホテル群である。ただのホテルではない。大型の歴史的建造物を活用したホテルである。学者が声高に主張してきた文化遺産の活用構想は、机上の空論にすぎないものばかりだが、VMGは壮大なアイデアを実践し続けている。VMGの取り組みを目の当たりにして、ときに mリーグ の出現(2018)と比較したくなる。プロという肩書きはもっているが、雀荘での活動以外にほぼ収入源のなかった雀士の世界を、サイバーエージェント代表の藤田晋氏が統合して、賭博性を排除し、「オリンピック競技をめざ」す知的スポーツとして再編成したのが mリーグ であり、朝日放送系のABEMA TV で連日対局が放送されている。麻雀界はおおいなる飛躍の時代を迎えようとしているのである。


1218en竹田城10町並み02本館01up


 歴史的建造物活用の革命を、文化庁や国交省などのお役所ではなく、VMGという民間企業が実践し、利益を上げ、各地に施設を増殖させているという事実は「驚異」以外の何物でもない。ひとつわからないことがある。NIPPONIAという組織が別にあって、やはり多くの歴史的建造物をホテル化しており、VMGのなかにNIPPONIAも含まれているのだが、両者の関係が不透明なのである。実際、但馬~丹波でも、VMGのサイトでは紹介されていないが、NIPPONIAの暖簾をかけた民家/町家をいくつかみた。大杉や篠山などの重伝建で NIPPONIA の暖簾を確認している。


1218en竹田城10町並み01 分館(町家)が点在する表通り


 いずれにしても、わたしが「古民家終活の時代」の遺産と呼ぶところの対象を、VMGは見事に再生している。文化遺産全体からみれば、「終活」の見方は決して間違ってはいないであろうが、その盲点をつくように、VMGは突出した物件を探しだし、文化的価値を大きく損なうことなく、ホテルに改修して利益を生んでいるのである。藤田晋レベルの人物が背後にいない限り、このような変動がおこりうるはずはない。それはいったい誰なのか、どのような人物なのか?
 わたしが竹田城の山下で、登録文化財「旧木村酒造場」を活用した ホテルen に出会ったのは9月下旬のことである。あのときも、そば処「伊とう」を探していたのだが、開店時間を過ぎていたこともあり、結局みつけられないまま、ホテルenに遭遇した。その後、ネットで予約を試みたが、大変な人気を博しており、12月18日にようやく1泊の予約を確保できた。9月のことである。

en本館・別館の建築年代

 明治34~35年の再建とされる登録文化財「旧木村酒造場」はすべてがホテルになったわけではない。南半は市営の観光案内所(情報館 天空の城)であり、北半はホテルの管理部門等。客室(分館)となるのは、表通りに面して近接する3~4軒の小型町家である。ホテルの係員によると、周辺の町家は江戸時代後期にまで遡るという。これを研究室の町家編年成果に照らしてみると、本館は虫籠窓ツシ2階形式であり、案内板にある明治35年前後は妥当な年代であるのに対して、わたしたちの宿泊した分館は、本館よりもやや丈の高い中2階形式となっており、しかも2階部分に格子を使っていない(↓)。こうした中2階は明治後期~大正初期の様式であって、江戸時代後期の建立という年代が正しいとすれば、1階のみがそれに相当すると考えるしかなかろう。おそらく1階は幕末ころの茅葺き建物であり、明治後期以降に中2階を増設し、同時に1階の屋根も桟瓦葺きに変更したのではないか、と思われる。


1218en竹田城04桜02外観01web 分館SAKURA



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中国道蕎麦競べ(17)-右衛門五郎

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 12月18日(続)。昼食の後、チェックインまで少々時間があったので、JR竹田駅周辺を散歩した。コンビニやスーパーの割箸が我が家で圧倒的多数を占めるようになっており、海砂利水魚という名の土産物店(町家活用)で夫婦箸を買ったりしてぶらぶらした。午後3時ころ、ホテルenの別館sakuraにチェックインした。このホテルについては、次回まとめて記す。
 夕食も蕎麦屋を予約していた。7年前に開業した「右衛門五郎」という割烹居酒屋風の蕎麦屋であり、ホテルからやや離れた円山川対岸の山麓にあるということで、料亭のマイクロバスで送迎してくれるという。飲食を制限されている今から思えば、古き良き時代の送迎スタイルであり、頬が緩む。


1218右衛門01玄関01 1218右衛門01玄関02庭sam


そばの店「右衛門五郎」
兵庫県朝来市山東町迫間字右衛門五郎825-1
 新型木造建築(別荘風) 民芸本格系 椅子座+小上げ+個室
 創業:2013年 営業11:00~15:00 18:00~23:00(月曜定休) ★3.8

 右衛門五郎という店名は、なにやら由緒がありそうな匂いをふりまいているが、上にみるとおり、地名をそのまま取ったものである。戦国時代には武家屋敷があったのかもしれない。山腹の傾斜地に建つ店舗は7年前の創業時の新築であり、夕暮れの闇に隠れて全貌を把握しえなかったが、山荘または別荘の趣がある。内部は「伊とう」以上に木造の小屋組を強調しており、あたかも民家の梁組をおもわせるが、すべて新材の古色塗りである。新材とはいえ、新設の蕎麦屋にかくも古式の梁材等を使いたがるところをみると、古民家「終活」にともなう解体部材の転用/売却に一筋の光明を見出せるような気持ちにもなった。


1218右衛門02小屋組01 1218右衛門03小上げ02地酒棚02ノエルsam


 料亭の規模を有する割烹居酒屋兼そば屋であり、座席は椅子座、イロリ椅子坐、小あげ座、個室に分かれている。師走18日の夜、通常ならば忘年会等で満席でもおかしくない時期だが、個室に1~2組の予約客がいて奥のほうから声は聞こえたけれども、フロアに客はいなかった。わたしたちの貸し切りであり、イロリ椅子坐でセットをいただいた。夕食のセットは3,300円からだが、予約が必要。わたしももちろん予約をいれた。多少高くなってもかまわないから、煮魚をいれてほしい、と注文したところ、釜炊きご飯とともに、香住産のカレイの煮つけが出て、そのあとに定番のヤマメの塩焼きまで卓に並び、腹が膨らんだ。


1218右衛門03小上げ02新蕎麦 1218右衛門03小上げ01

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中国道蕎麦競べ(16)-伊とう

1218伊とう01外観01 1218伊とう01外観01sam


 昨年12月18日(金)~19日(土)、三度目の但馬入りをした。週明けからの初雪が結構な大雪になったものの、週末の鳥取では雪融けの兆しがあり、予定どおり車を西に走らせた。但馬に入り、新温泉町から豊岡までは根雪が多く残り、屋根の上にはいまだ数十センチの積雪があった。さらに南へ向かう。目的地は朝来市和田山町の竹田。「日本のマチュピチュ」だの、「天空の城」などで過剰な評価を得ている国史跡「竹田城跡」の山下、JR竹田駅の近くに登録文化財「旧木村酒造場」を再生活用したホテルenがある。ここに宿泊すると同時に、但馬から丹波にかけて、3軒の蕎麦屋を梯子することが旅の目的である。これは調査研究です。

そば処「伊とう」
兵庫県朝来市和田山町竹田517-1 https://www.sobadokoro-ito.jp/
 新型木造建築(市街地型) 民芸キッチュ系 椅子座+小上げ
 創業:2014年 営業11:00~16:00(水曜・第3火曜定休) ★3.5


1218伊とう01外観04内部03木造扇風機01 1218伊とう01外観04内部05こあげ


 昼下がりに竹田に着いてただちに蕎麦屋をめざす。14時で午後の部は終わりだと聞いていたので少々焦った。旧木村酒造場の北半分はホテルen、南半分は観光案内所(情報館 天空の城)になっている。案内所に酒造場の旧裏門が残っていて、そこを抜けるとJR播但線の踏切があり、踏切をわたったところにある広場と小路の接する角地に「伊とう」の新しい店舗が建っている。町家の改造ではなく、新築と思われるが、店内に入って椅子座の天井をみあげると、大きな梁が露出してみえる。また、奥に広めの小あげ座を設けており、この畳座敷と梁によって、店内は和の匂いを発しているのだと思う。どうして蕎麦屋はかくも木造の建築部材や和風の内装に拘るのであろうか。蕎麦屋と同類の麺類店であるうどん屋はどうなのか。丸亀製麺のようなチェーン店でも木造に拘っているのかどうか、少々気になるところである。


1218伊とう01外観04内部01 1218伊とう01外観04内部02


 店は確実に新しい。六年前の創業時に新築したものだという。おもしろいことに、近隣の食堂・ホテル・土産物屋の開業は6~8年前に集中している。竹田城跡が「天空の城」として脚光を浴びた時期にこうした商業系施設が続々と開店したのである。ASALABはそのころ私学最終学年(ケントの世代)が4年生だったころで、たしかに彼らは早朝の竹田城に遠征していました。
 当時から、JR竹田駅周辺には竹田城跡の「門前町」が再形成され始めたと言えるかもしれません。
 長い移動の後で腹が減っており、二人の食事であったが、雲海そば(温)、梅だしつけそば(冷)、もりそば大盛(冷)の3品を注文した。低カロリーの蕎麦ならば、これぐらい軽いものである。まずは付だし(ゴマ豆腐)から食事は始まった。ゴマ豆腐には「精進」の匂いがする。この店は精進に特化しているわけではないけれども、やはり蕎麦には精進が似合うように思った。


1218伊とう02料理01付だし01 1218伊とう02料理01付だし02sam

1218伊とう01外観04内部04玄関の金魚01 玄関の金魚と除菌スプレー



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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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