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飛んでイスタンブール(Ⅰ)

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トロイ遺跡

 カッパドキアからパムッカレ、エフェソス、トロイを経てイスタンブールまでやってきました。毎日の移動距離が尋常ではなく、ホテルにチェックインして夕食を終えるとただ眠るだけ。翌朝5時半までに起床して6時半には出発という行程の繰り返しだったので、ブログアップはできませんでした。とりあえず、昨日(27日)の成果だけかいつまんで記しておきます。
 イスタンブールはエーゲ海と黒海をつなぐボスポラス海峡でメガロポリスが2分されてます。旧名コンスタンチノープル。人口2700万人だって。渋滞がひどいのね。こちらは暖かいですよ。昼間の気温が15℃ぐらいあります。アナトリア高地のカッパドキア(標高1500m)とはずいぶんちがう。山陰と鹿児島ぐらいの違いがあると思ってください。
 シュリーマンの発掘でお馴染みのトロイ遺跡を昨日はみてきました。「トロイの木馬」のトロイです。若い人はコンピュータウィルスの名前だと思っているかもしれないな。トロイはホメロスの『イーリアス』の舞台となった町だが、木馬の記載は『イーリアス』ではなく、『オデュセイア』にでてくる。神話では奇襲作戦の道具であり、1975年に観光客用のシンボルとして、遺跡公園の前に巨大な木馬の模型が造られた。こういう玩具を歓迎する客層が多い一方で、毛嫌いする向きももちろん少なからずいる。木馬が実在したのかさえ分からないが、オーストリアのシュヘルマイヤーとトルコのアクルガルは、地震と海の神ポセイドンへの捧げものとして木馬が造られたと考えている。一方、英国のマイケル・ウッドは城壁破壊用の巨大な「槌」として木馬が造られたという新説を発表し、結構支持を集めているようだ。


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↑木馬模型 ↓遺跡には猫が多い
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メリークリスマス!

 今日は24日なのか、25日なのかよく分からないのですが、ともかくメリー・クリスマス!
 日本に長靴を3つおいて来ましたよ。

 カッパドキアの洞窟ホテルで朝食を待っています。いま、朝の8時半。時差は7時間のはずです。カッパドキアは気球が有名なようで、宿泊者の多くは早朝から気球乗りに出かけていきました。気温は零下なんだけどね。お値段は2万円もするし、外は零下の小雨で、高所恐怖症の私はもちろん遠慮しました。
 トルコの12月は山陰のようです。曇時々雨か雪。積雪はほぼないですが、気温は-3℃~5℃なので、鳥取よりも少し寒いみたい。ツアーとしてみればオフシーズンなわけですが、日本人旅行客はとても多い。とくに女性が目立ちます。
 朝食後、世界遺産カッパドキアの洞穴僧院・洞穴住居群の視察にでかけます。では、ブレクファーストへ。


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↑ 洞窟ホテルのベランダにでると、プール越しにウチヒサルの横穴住居群がみえる

北から来た蘭の花

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 今年もまた北から来たのさんより蘭の花が届きました。毎年、ありがとうございます。2期生といえば、ホカノもニシガキもミヤモトもお歳暮を送ってこなくなったし、今年はあれだけ盛大な忘年会を開いてやったのに、恒例の誕生日プレゼントもない。これでいいのよ、バカヤロー、みなさん、来年以降もまったくお気遣いなくお願い申し上げます。いいんだ、俺には会長からもらったお歳暮(チキンラーメン)があるからね・・・
 
 スロージョギングするにはなかなか厳しい季節になってきましたよね。スロージョギングのもう一つの目的は野辺の花を摘むことなんです。野辺の花を摘んで仏壇に供え線香を立てる。これだけ寒くなると、野辺の花も消えてしまい、庭に咲いているカキツバタとナンテンの実を飾るぐらしかできなくなっている。その点でも、来たのさんからいただいた蘭の花はありがたい。素晴らしい。麗しい。でも、本当に来年からはお気遣いなくお願いします。

 じつはさきほど飛行機に乗ったばかりです。カタール航空のフライトで、いまドーハを目指してる。ドーハ経由のアンカラ往きです。トルコで年末まで過ごしてきます。
 飛行機は校正に最適の空間ですね。海外で仕事が進むんだから。本を書きたきゃ、国外脱走に限る。


第12回「ツリーハウスに挑戦!」

捲土重来へむけて

 後期のプロジェクト研究も残すところ3回となり、やっと自分に2回目のブログが回ってきました。摩尼山でのフィールドワークも前々回終わり、自分が楽しみにしていた”ツリーハウスに挑戦!!”、最後は自分の代わりにイッポが加わり仕上げる形になってしまいました。。。自分はイッポの活躍をブログで見ていました。。。情けない限りです。と言っても、パワーポイントにまとめ、発表するのは自分なわけで、今回の発表会の構成案が発表されました。


   ツリーハウスに挑戦! -続・修験道トレッキング-

  1.プロジェクトの目的と概要
   1-1 摩尼山と摩尼寺「奥の院」遺跡(中田)
   1-2 前期の活動成果と後期の目標(中村)

  2.巨巌現る-摩尼寺「奥の院」遺跡の環境整備
   2-1 巨巌周辺の環境整備(江上・金山)
   2-2 伐採木のリサイクル(Ⅰ)-キノコの原木栽培(山中・石田)
   2-3 伐採木のリサイクル(Ⅱ)-ツリーハウスに挑戦(小林・中田・吉田)

  3.摩尼山を中核とする「景勝地トライアングル」構想
   3-1 「山のジオパーク」と「景勝地トライアングル」(藤井・岡田)
   3-2 登山路と日本海遊歩道の現状(大西・金山)
   3-3 伐採木のリサイクル(Ⅲ)-サインボードの制作と設置(佐々木・中村)
   3-4 ルートマップの作成 -景勝地間トレイルから山陰海岸ジオトレイルへ(吉田・石田)

  4.摩尼寺門前活性化計画
   4-1 門前の現状と空間再生マスタープラン(岡田・山家)
   4-2 施設計画(山家・藤井・小林・中田)
   (1)中継基地としての「終着駅」構想
       -情報センターとユーティリティ・スペース
   (2)摩尼蕎麦と精進弁当
   (3)市街地・砂丘からの交通アクセス


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煮汁リサイクル

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 連夜の鍋なんです。昨夜はイッポくんがもってきたチャンコ風味でした。水曜夜はプロ研前日の打ち合わせと称して、大勢の学生が集まります。2年生リーダーのカメムシ野郎くん(?)は「(このあと)部活だ、部活だ」と騒ぎつつ、とうとう最後まで席を離れませんでした。じつは、ミーティングの夜、上級生(と先生)は食材を下級生に譲るので、まもなくお腹がすいてきます。結果、残り汁に命をかける先生がまた大根を煮込みはじめるのです。蕪のようにまるっこい大根で、「続き」の一番下の写真で白帯くんがもってます。これが夜食になるのです。照り焼き風ミンチボール、糸蒟蒻とともに、やわらかく煮つけられた大根がやさしい味でとてもおいしかったですね。
 普通はここで終わるのですが、この日はちがった。仕上げの餅シャブを1袋たいらげても、まだ煮汁が余っている。第3弾は、チキンラーメンです。その日の午後、倉吉財閥の会長さんが差し入れてくださったもらい物のチキンラーメンが5袋あって、まず2袋いれてみようということになりました。大成功。柚子の汁をかけると、「東南アジアの味になる」と先生はご満悦。あまりに美味しいので、さらに2袋追加し、湯を足しました。


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ハッピイ・サーティナイト!

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 連夜の鍋である。一昨夜は餃子鍋だった。私の場合、鍋に残った煮汁のリサイクルに命をかけている。
 冷蔵庫のなかに大根があった。道の駅で仕入れてきた1本90円の、キングギドラのような三股の大根。これの皮をむいて輪切りにし、煮汁にどっぷりつけて煮込んだ。とくに味付けはしないが(水と酒とスキヤキのタレを少々まぜこんだ)、鷹の爪1本をハサミで細かく輪切りにしてアクセントにする。
 しばらく校正の仕事に没頭。ようやく初校500頁を終え、再校のステップに移っている。まだまだいろんな問題があって、頭がいたい。大根は1時間ばかり煮込んで、火をとめる。このプロセスは重要だ。いったん冷やすことで、煮汁が大根にしみ込む。数時間後、鍋の水が半分になり、真っ白だった大根は煮汁の色に同化した。
 これに照り焼きミンチボールを2袋放り込み、太めの糸蒟蒻をちらしてできあがり。女学生たちは言う。「ひさしぶりに人間らしいものを食べた」と。大根と煮汁が溶け合って、自然な甘みが口のなかにひろがる。夜食として、これ以上、体にやさしい料理もないだろう。


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 今夜はカレー鍋。ロールキャベツのカレー風鍋といったほうがよいか。出汁は手羽中。タマネギを丸ごといれたかったが、大きすぎたので半分にした。大成功。
 この夜タクヲが30回めの誕生日を迎えた。18歳で本学に入学し、22歳で卒業、26歳から嘱託で戻り、27歳で修士課程に進学して3年が過ぎようとしている。まもなく環境大学での生活もフィナーレを迎える。
 我が家も30周年の歳だった。二人が結婚した1982年にタクヲは生をうけたんだな。どういうわけか、シュープリーズのバウムクーヘンがあり、深夜、ささやかな誕生日祝いをした。お茶はアールグレイと鉄観音。

 ところで、驚いたことに、白帯はカレー鍋をつまみながら、桑の実酒をぐびぐび飲んだ。ビールも焼酎も日本酒もいっさい口にしない男が和製カシスソーダに惚れ込んで、「これっ、アルコールないでしょ」とありえない戯言に自ら溺れつつ、ついにストレートをお代わりする始末。結果はごらんの通りです。野郎がこうなったって、おもしろくもなんともない。三股だろうが、二股だろうが、内股だろうが、内司馬だろうが、なんにも反応しないだろう。


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サテンドール(ⅩⅤ)

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 笛とリュート

 北鎌倉の明月院から山手に向かう途中に「笛」というカフェがあった。西部劇にでてくるログキャビンのような建物で、窓越しに楽器が透けてみえる。入らない手はない。
 はたして屋内には世界の笛がいっぱい飾ってあった。笛だけでなく、弦楽器も何種類か壁面に吊されている。バンドリア、月琴、バラライカ、そして嘆きのギタレレ・・・マスターが若いころ世界各地を旅してまわって集めたんだろうな。奥のカウンターに常連客のおじさん2名がいて、結構ラフな口調で話したてている。マスターは結構迷惑してるんではないか。女性の旅客がおそるおそる入ってくる。あの雰囲気では、入るにはいれないな。やはり旅人にはくつろいでもらいたい。口コミで「良い店だったね」とひろめて欲しいところだろうに。

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 何かBGMがかっかていたが、よく覚えていない。棚に並べられているCDに目がとまり、ざっとジャケットを眺めて8弦リュートの作品に神経が反応した。マスターに頼んでCDを流してもらった。これが良いのね。ジャケットのタイトルをみる。

   THE SOUND OF THE NEW TUNING 8-COURSE LUTE

 てっきり西洋人のギタリストだと思ったのだが、奏者は岡沢道彦という日本人で、邦題は「新調弦8コース・リュートの響き」だって。英語と日本語で、ずいぶん印象が変わるもんだね。ライナーノーツを抜粋引用させていただきます。

   このCDで私が演奏する8コース・リュートはバロック・リュートでもルネサンス・
  リュートでもありません。というのは、このリュートの調弦が今までに先例を見ない
  独特なものだからです。
   1990年頃、私ははバッハの無伴奏ヴァイオリンや無伴奏チェロの作品を演奏するの
  に適した8コース・リュートの合理的な調弦法に思い当たりました。その後、バッハ
  の作品に加えてヴィヴァルディ、クープラン、パーセル、ハイドン、モーツァルトの
  ような大作曲家の作品のいくつかをもこの楽器のために編曲することができました。
   このリュートの各弦の音の並びは(略)ソラレファラドミソです。私はこの新調弦
  法を「オカザワ・チューニング」と命名したいと思います。(略)使用楽器は2002年、
  山下暁彦作8コース・リュートです。

 最近、このCDを車でずっと聴いている。チェンバロのようなギターの音色がして、気持ちを落ち着かせてくれる。クラシックという音楽分野もいいもんだなぁ。この私が、そんなふうに想うのは珍しいことだ。


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不丹 的 淺村先生

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 香港から書籍小包が届いた。封筒の裏をみると、「新假日編輯部」と書いてある。
 今年一年をざっと振りかえることにしよう。持続的な観点からみるならば、摩尼寺「奥の院」遺跡の巨巌をめぐる活動が最も意義深く心身に刻みこまれているが、短期間の活動としては圧倒的にブータンの想い出が鮮烈な記憶のなかにあって、その映像は薄れてゆく気配をみせていない。ブータンは何もかも素晴らしかった。またあの国に行って、なにがしらかの研究活動をしたいという意を日々強くしている。加えて、香港のモデルさんが衝撃的だった。彼女と記者とカメラマンに囲まれながら農家の居間で談笑したこと、タクツァン僧院の頂で再開し、年甲斐もなく大はしゃぎして記念撮影したことなどが忘れられない。
 そのモデルさんを使った雑誌の特集号が届いたのだ。厳密にいうと、

    『新假日(New Holidays)』2012年11月5日号【通巻687号】

であり、70~98ページの大特集「ブータン(不丹)」に圧倒される。内容も多岐にわたり、われらがモデルさんは、当然のことながら主役級の扱いで紙面の各所に登場している。
 不肖、この私も、2ヶ所に出してもらっている。一つめは80頁(↓)。「雷龍の彼岸()」でとりあげた民家の居間で、みんながバター茶を飲みながら雑談している風景だ。通訳のウータンさんもはっきり映っている。

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 次に最後のほうの97頁(↓)。この写真はタクツォン僧院での記念撮影時のものだが、どういうわけか、ブータンの城塞を解説するページに掲載してあり、以下のコメントが吹き出しに書いてある。

   我研究蔵式建築十多年、一般不丹的都比較小巧的骰、造工也雖同西蔵比較;
   但Punakha城堡卻例外、由外形至瓦当雕飾很講究、拍得住拉薩寺廟。
                                 (大学講師 淺村先生)

 ちょっと訳してみましょう

   私はチベット式建築を十数年研究しています。一般的にブータンの建築はみな
   かなり小ぶりな躯体をしています。造作についてもチベットと比較すると(小振り
   で質素ですが)プナカ城塞だけは例外で、外観から軒瓦装飾に至るまでこだわって
   ラサの寺院をしっかり写しとっています。(大学教師 浅村先生)




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第11回「ツリーハウスに挑戦!」

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 鳥取は先週大雪に見舞われ、登山は実質上不可能な状態になっている。12月14日(木)は晴天ではあったが、積雪がかなり残っている状態なので、学内で活動した。まずは教授の講義から。最近おこなわれた二つの講演をミックスしたものであり、題目と構成は以下のとおり。

   摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査と環境整備
  -摩尼山を中核とする景勝地トライアングル構想とともに-


    0.自己紹介
    1.摩尼山の歴史
    2.摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査(2010)   
    3.摩尼寺「奥の院」遺跡の環境考古学的研究(2011)
    4.巨巌現る
    5.摩尼山を中核とする「景勝地トライアングル」構想
    6.世界自然遺産「福建丹霞」を訪ねて
    7.中国自然歩道の課題 - 「福建丹霞」にまなぶ
    8.BRDレポート

 僕は先生の講義を聞いて「景勝地トライアングル」を活性化させるためにはまず、トライアングルの中心にあり中継地としての重要な意味がある摩尼山の門前の活性化を行うべきであると感じた。講義終了後、門前活性化班(2年5名)とルートマップ作成班(1年+ケントで3班に細分)に分かれてミーティングした。


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薬膳料理の忘年会 -さとに医食同源

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 12月12日(水)。山に登れなくなる前にツリーハウスも竣工?し、一段落したところで忘年会が催されました。1年生は先週ダウラでミニ忘年会をおこなっており、この忘年会は2年以上の建築系学生と教員を対象とするものです。教授は重要な会議が終わってからの出席だったので、私たちはひと足早く忘年会の会場へ。会場は匠1号が一年前期にP1で活動していた里仁の古民家O邸です。ここは古民家の改修によって「医食同源」という薬膳料理レストラン兼料理教室となる予定でして、なんでも新年1月からの開店をめざしており、オープン前にもかかわらず、最高の薬膳料理をご馳走になりました。O邸はとても立派な近代和風住宅で、私はついつい立ち止まって見とれてしまいました。庭には少し雪が積もっており、風情がある建物だなぁとつくづく感じました。家に入ると、Oさんが奥座敷までご案内くださいました。身体障害者や高齢者でも坐り易い低めの椅子と長テーブルが並べられており、テーブルの上には重箱と鍋が置いてあります。机は8人席と4人席の二つに分けられていて、4人席には先生方とタクオさんと白帯さん、8人席には2年生全員とおぎんさん、そして 遅れてきた教授用に誕生日席ををひとつ開けて座りました。


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↑1年半前の「医食同源」プロジェクトを解説する匠1号と白帯さん。↓畳座敷にあう椅子とテーブル
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リプトンをトレモロしよう

水戸 の The 薬

 山陰が大雪だった先週末、私はひどい腰痛に悩まされていた。どうやら「校正」に原因があるようで、食卓に坐りこんで仕事をした後、立つ瞬間に激痛が走る。そのまま動けなくなって、どうにもこうにもならない。いったん立ち上がれば楽になり、俯せに寝そべっているとほとんど痛みはない。坐って立つ。この動作で言葉にならないほどの激痛が体を襲うのである。もちろん医者には行った。The 薬 で痛みを抑えるしかないということになって、クリニックのトイレで水戸黄門に手をまわすのだが、手が届かない。一定以上体を回転させると、痛みで体が動かなくなる。患者に頼んでなんとかかんとか挿入し終えた瞬間、心配してくれた若い看護婦さんが扉をあけて入ってきそうになったので、慌てて体をねじり水戸を隠した、あっ痛てて・・・
 そういう体に鞭打って期日前投票に行ってきた。投票日は奈良にいないんだから、事前投票するしかないのである。小選挙区と比例代表区で異なる政党に投票した。今回、そのような投票行動をとる有権者は少なくないだろう。どの政党に入れるのか、散々悩んでしまい、たた「反民主」だとか「反自民」だとか「反公明」だとか「反共産」というようなポリシーだけはもっているから、それ以外の政党ならまぁどこでもいいや、という考えかたで投票してしまうんだな。これは「アンチ巨人」的な行動パターンと言えるかもしれない。
 それにしても、最近「リプトンをトレモロしよう」というCMが耳障りではありませんか。

   トレモロしよう。トレモロしよう。
   リプトンをトレモロしよう、双六で。

 あんなに滑舌の悪い人もなかなかいないよねぇ。「前進か、後退か」もいまひとつだが、「リプトンをトレモロしよう」はないだろう。ソファに腰掛けてギター弾いてるだけで腰に響くのに、トレモロの練習なんかした日にゃぁ発狂しちまうぜだ。


腰痛のギタレレ

  さて、ギターは辛かろうてことで、救世主のギタレレが届きましたよ。配偶者はそんなに機嫌わるくありません。なにせ真央ちゃんのチャンピオン復活記念だからね。ギタレレの裏板に「(優勝記念の日付などを)マジックで書いときんさいな」とまで言われちまいました。


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今年最後の摩尼山(Ⅱ)

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石段の清掃

 ツリーハウス最終工程とともに石段の環境整備を継続した。「奥の院」に到着後ただちに石段上部に残る切り株と土をすべて取り除くべく作業にとりかかった。切り株の根は深く周囲に張り巡らされていて苦戦した。土もかなり石段の上に覆いかぶさっている。集中して作業していると時間はあっという間に過ぎてしまい下山することになった。しかし、まだ取り除けなかったところもあり、もう少し作業したいと感じている。また、機会があれば上がって活動したいと思っているが、この大雪では叶わないかもしれない。


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今年最後の摩尼山(Ⅰ)

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ツリーハウス竣工!?

 鳥取でも今週からいよいよ雪が降り始めた。きっと年内の摩尼寺「奥の院」遺跡での活動は今回が最後であろう。だからこそ節目の週末に、前回の活動で完成まであと一歩したツリーハウスを仕上げたかった。
 その日の天気予報は晴れ。ところが大学を出発してから雨が降ってきた。茶屋に着き、車中で天候のタイミングを見計らって、11時過ぎに「奥の院」へ歩き出したが、雨が白い雪に結晶していく。風も吹く寒さのため、防寒着を1枚加えたほどだ。幸い前回のプロ研で「奥の院」の荷物をほとんど下ろしてあったため、自分のザック以外の持ち物といえば、メジャー・鋸・ペンチといった小物だけだった。先日の先生の話では、道の状態が非常に悪く、その箇所を徹底的に写真撮影したらしい。最近の鳥取は1週間のうちの半分は雨が降っている印象が強く、空はほとんど地味な灰色で気分が暗くなる。そんな天候では、山道が徐々に崩れていくのも納得がいく。とにかく足場が悪く、石が無造作に置かれ迂闊に歩くことができないのだ。
 11時40分頃、「奥の院」に到着。やはり最後の登りで一気に汗をかくからだろうか、全身に蒸し暑さを感じ、上着を2枚脱いで水分補給した。個人的にこの蒸し暑さは、真夏に脱水症状で貧血を起こすより好きではない。僕は、割と汗かきで服のなかに熱を溜めやすい体質だから、冬になると毎年苦労する。寒い時期に体を動かすのは、正直とても苦手なのだ。ここまでは不満だらけだが、作業開始と同じようにして日差しが顔を出した。暖かいとまではいかないものの気分は上向きだ。何となくだが、空気が澄んでいる気さえした。ツリーハウスの制作に関していうと、昼食時間が近いこともあり、仮止めしてあった両サイドの破風を新しい竹に付け替える作業と、それと同じサイズのものを5セット切っただけで終わった。


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 昼食は前回のブログで紹介した、お薦めのマルタイラーメンだ。体中を一瞬でぽかぽかにしてくれる効果は絶大で、僕のやる気を増幅させた。午後は切った竹をばんせんで組み合わせ、頑丈にすることから始まった。屋根の右と左では50㎝ほど長さの違いから、見た目は少し不格好である。上に棟の役割をする竹を置くため、組み合わせた竹は上に15㎝ずらし千木状になるようにした。これをどうやって上にのっけるかで苦労した。屋根で一番高い中央部には手が届かず、縛ることができない。メンバーのなかで一番軽いであろう白帯さんでも、床の竹がきしむ嫌な音がしたほどだ。これでは背格好が似ている中田君、ケント君、僕の体重では絶対に床が抜ける。結局両端をきつく結ぶことしか出来なかったが、ここまで終わるとようやく屋根といっても恥ずかしくないレベルの作品ができあがった。この時点で15時半、下山予定時刻の17時まであと1時間半しかない。ここから急ピッチで作業を進め、棟の部分に長さ350㎝の竹を一番上に取り付けた。さらに屋根の側面に補強用にもう2本竹を加えた。16時50分、ギリギリだったが何とかツリーハウスを一応完成させた。これでOKかどうかは分からないが、達成感はあった。


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第10回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅲ)

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ツリーハウス班の活動

 こんばんは。ブログ2周目の順番が回ってきました。6日(木)は天気が雪の予報だったのでトレッキングが危ぶまれましたが、門前からの情報によると「登山に支障なし」ということだったので、いつものように「奥の院」で活動しました。今回も2年生は先発でツリーハウス建設の作業に着手、1年生と先生方は後発で4限からの作業でした。前日が雨だったこともあり、足元がいつも以上に不安定で、今までのトレッキングの中で一番怖かったように感じました。作業中も雪が降ったり止んだりで、登ったときに温まっていた体もすぐに冷えてしまいました。

 今回の2年生の作業は前回の続きで屋根をかける作業をしました。週末に男子が何人か登って作業をしてくれていたので、今回は屋根の形を整え、破風や千木状の屋根覆いを被せる最終工程に移行しました。屋根は、前回と同様に「引っ掛け垂木」を棟にかけていきました。男子が屋根をかける作業で女子は屋根葺き材(引っ掛け垂木)を探して枝葉を落とす作業をしました。女子2人で棟木に引っかかるように股のある木を探していましたが、遺跡周辺の木は股のない気が多くて探すのも大変でした。また、寒さで手足が悴んでなかなか思うように作業が進みませんでした。2年生みんなで協力して作業したので、屋根をかけることができ、妻側に破風がついたことで先週より「家」らしくなったのではないかと思います。
 しかし、山頂に上がっていた教授が「奥の院」に下りてきて、頭を抱えています。教授の指示と学生の作業に大きなずれがあったからです。とくに以下の2点に問題があるようです。

 1)破風が片側しかついていない。
 2)草屋根の上に垂木状の千木をのせるように指示していたにも係わらず、
   屋根の上に筋交がのってしまった。

 これについては、有志が後日修正することになりました。


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第10回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅱ)

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サインボード班の活動

 「奥の院」から山頂まで: 「奥の院」から山頂までの班の活動として、前回設置したサインボードの手直しを少しした。木曜日まで雨やが降り、風が吹いたので設置したボードが落ちていないか心配だったが、大丈夫であった。とりあえず頂上まで上り、頂上に設置したものから直した。頂上のものは傾いていたので近くに落ちていた木で竹をさらに打ち込んだ。さらに木を切って、サインボードの支えとして使用した(↓)。だが、そこで教授が登頂してきて指摘された。この看板位置では、「奥の院」側から登る人には目に付くが、反対側から登ってくる人には目につかないので、山頂から「奥の院」に下りていく人が増えないだろうとのことだ。この点は、後日、有志が修正することになった。また、頂上より1つ下と2つ下のポイントでは、支えとなる竹がグラグラして安定していない点を修復しようとしたが、前回の設置の際に苦労したように、木が曲がっていたりして修復には時間がかかった。そのために下山の時間が来てしまい、すべての手直しができなかった。これらについても、後日修正したい。(中島、石田、中村が担当)


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第10回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅰ)

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環境整備班の活動

 12月6日()の活動では、1年は3班(1班に各3名)に分かれて活動した。摩尼寺門前から「奥の院」までのサインボード班、「奥の院」から山頂までのサインボード班、「奥の院」の環境整備班の3班だ。
 今回、私は久しぶりに環境整備班として石段の清掃を手伝うことになりました。石段下部は以前から見えるようにはなっていたのですが、まだ切り株が残っており、石段上部にはまだ土が被っていたので、それらを取り除く作業に取り組みました。石段は濡れていて、とても滑りやすく、気を配りながら作業をおこないました。はじめは竹箒ではきながら「土器が出てきて手柄を上げられたらいいなぁ」と思いながら、土を除いていきました。一回滑って死ぬかと思いました。木の根が多いところは切り株を抜かないときれいにすることができないので、その作業から始めました。まず株まわりの土を除いてから、出てきた樹根を鋸で切っていくという方法で作業を進めました。しかし、石段上部にある横溝は、石段下部にあるものより幅が広く深かったため、樹根も予想以上に張り巡らされており、今回ねらいを定めた切り株は取り除くことができませんでした。ちなみに、このとき自分だけ軍手をしていないことに気がつきました。
 切り株を除くことはできませんでしたが、土自体はかなりの量を取りさり、溝が掘られ始めた部分を露出させることができました。この日はとても寒く、雪もちらついていましたが、途中で出てきた石のかけらを独断で「打製石器」と思いこみモチベーションを高めたため、なかなか効率よく作業を進めることができたと思います。今回で他の班は山でのフィールドワークを終えるそうですが、環境整備班だけはまだ粘ります。次こそは石段上部にある切り株と土もすべて除きたいと思います。残念ですが、土器はみつかりませんでした。(環境学科インドアーズO)



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紅葉と初雪の交錯

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祝グランプリ優勝!


 浅田真央さんのグランプリ・ファイナル優勝、4年ぶりだって、嬉しいね。
 嬉しくって、今夜は眠れないや。がんばって校正するぜ。
 日本国民みんな幸福です。こんな目出度いことはないから、正月より誕生日よりクリスマスより早く自分を誉めてプレゼントしちまいましょう。
 ギタレレ、注文しちゃった・・・うっしっし
 外は雪嵐のようですが、今宵ばかりは一族同門みな興奮狂喜しておりますので、「歯ブラシ事変」のごとき嵐は絶対吹きません。楽器買うなら、今しかない。怒らないでね、オネゲスト。
 真央ちゃん、ありがとう!!



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↑鳥取の初雪(12月4日@池田家墓所) 上の写真は初雪直前(同日)の紅葉。今回のコスチュームはショートが紅葉で、フリーが初雪って感じでしたね。五輪にとっておきたいような衣装とプログラムでした。


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明るく元気に行きましょう

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 『笑点』大切りの前座は実力者ばかりだ。売れている旬の芸人を呼んで視聴率を狙うのではなく、浅草演芸館などの寄席で力を蓄えている玄人好みの新人やベテランを抜擢する。視聴者は着実に質の高い笑いに接することができる。こういう点でも『笑点』は長年重要な役割を果たしてきた。
 一月ほど前だろうか、「ぴろき」という中年ちょんまげピン芸人の毒舌自虐ネタにあんぐり笑い、目を奪われた。気になったのは風貌以上に彼のもっていたギタレレである。ハーフサイズのギターとも言えるし、6弦のウクレレとも言える。ナイロン弦のミニギターはとても良い音がした。楽器店でギタレレを手にしたこともあるが、正直なところ、あまり手触りがよくないし、音がよろしくなかった。しかし、値段さえ張り込めば、良いものが手に入るだろう。実際に役立つだろうと思うのである。加齢に伴い、高音が出にくくなっている。かつてスタレビの名曲を原曲キーで唱えた私が、今は2音ばかり下げないと高音に届かない。ウクレレ及びギタレレの場合、ギターのカポ5状態なので、キーCの曲はキーFに変換される。これでスタレビの曲も歌えるし、女性歌手の曲だって歌いこなせるだろう。じつは、別にもう一つ買いたい弦楽器があるのだが、加えてギタレレまで買おうという野心をもっていることが明るみに出れば、また「歯ブラシ事変」のような嵐が吹きすさぶかもしれない。
 でも欲しいな、ギタレレ・・・明るく元気に行きましょう!




トニー谷 → まきしんじ → 堺すすむ の系列でしょうかね。

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黄葉

04海軍04


 東京駅前で信号待ちするタクシーの対面に黒塗りの車が列をなし、赤いサイレンを鳴らして行く手を遮った。運転手に「VIPでしょうね、首相かもしれんな」と呟いてしばらくすると、本当に野田総理が車から下りて新しい駅舎の中に消えていった。噂どおり、オーラもなんにもない平凡な見栄えの方で、まだオレの方がマシかなと思ったり、似たようなレベルかなと考え直したり・・・少なくとも、他の有名政治家とはちがって、どこかに愛人を囲い込んで脂ぎっているような人物にはみえなかった。
 私は首相を馬鹿にしているのではない。これまで何度も述べてきたように、家康のようにしぶとい政治家ではないか、と畏れを抱いているほどだ。野田は阿部よりも、橋本よりも、石原よりもシワい男のような気がしてならない。
 「都知事選はどうですか」とタクシーの運転手に問うた。「自民・維新・公明・みんなが推薦している猪瀬で決まりでしょう」と彼は言う。話題を石原に転じた。

  「あれは、いかん。都知事だからまだ良かったんで、総理になんかなったら、中韓と戦争する
   前に国交断絶になっちまう。総理大臣てのは、どこの国とも仲良くしてもらわなきゃ困る
   からね。国民はきっと見る目あると思うよ」


04海軍03


 阿部は野田を「好き」だと告白しながらも、労組や日教組が背後にいるから民主とは連立できない、倒さなければならないと声高に宣言する。石原は公明の平和主義を批判する。こういう発言からみると、阿部は石原と組むのか。石原と組んで衆議院で過半数を超えたとしても、参議院は相変わらずねじれたままだが。
 阿部-石原のラインが日本政治の中核を担うとする。おそらく靖国参拝から始まるのだろう。そうなれば、中韓が騒ぎ出す。小さな騒ぎではなく、大騒ぎとなるにちがいない。


04海軍01


 1時間後、わたしは銀杏並木の神社参道にいた。海洋自衛隊の若い兵士たちが制服に身を包み、列をなして鳥居をくぐり回廊を超えて本殿に入っていった。おかしな本殿だ。切妻造の本体の両妻側に小庇をつけている。入母屋というほどでは決してない。おかしな切妻だ。これぐらいの神社なら造替に手間はかからないだろう。A級とA級以外を分祀する施設に改修するのは決して難しくないはずだ。


04海軍02


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竣工まで、もうイッポ

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 12月2日、摩尼寺「奥の院」ツリーハウスの全貌が見えてきた。6月14日のLablog 2G(プロ研活動9回目)に、ツリーハウスに関する最初の記述があり、制作に要した年月は半年といったところだ。僕は前期「修験道トレッキング」のメンバーだが、後期になっても先生のゼミ室で毎週鍋を御馳走になるなど、大変お世話になっている。そんなこともあり、今回は日曜日の活動に参加させてもらった。
 この日の活動の目的は、ツリーハウスの制作と「奥の院」テントの撤収である。二つのテントのうち一つを解体し、作業用の道具や荷物を出来るだけ下ろす必要がある。そういう季節になってしまったのだ。当日は、白帯さん、ナカダ君、ケント君、僕の4人で摩尼山へ上がった。11時頃「奥の院」へ到着するまで、久しぶりのトレッキングルートを大いに楽しんだ。前日に雨が降ったせいで、道は泥でぬかるみ、歩きにくい。また、紅葉した後の落ち葉が散乱していて足元が見えない。一本橋の丸太もコケが生えているため、多少危険だ。そんななかで一番強く感じたのは、周囲の静けさだった。夏に来た時、鳥のさえずり、カエルの鳴き声、近くを流れる小川の音など実に賑やかだったことを思い出したが、肌寒い12月においては当然なことだろう。季節は違えど「奥の院」への最後の道は、いつ登ってもきついと感じる。最近だらしない生活が続き体力が落ちたせいもあるが、泥のぬかるみはやはり厄介だ。ここに岩のように段差があれば多少安全に登れるが、今の状態では斜面に対して常に足が斜め方向に傾いているため、ふくらはぎが痛いと感じる。下りも同じで、足の踏ん張りがきかず尻餅をつく格好で滑ってしまう可能性もあるだろう。


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紅葉

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 伊豆の高校で出前講義を終え控え室に戻ると、他校の先生方がすでに帰り仕度を始めていた。小田原、甲府、静岡から来られた3先生で、いずれも女性である。甲府の先生に「山梨県出身の学生2名が身近にいる」ことを伝え、イッポの父上(探検家)の名前を出したのだが、「知りません」とのこと。そのあと名刺をみなおすと、静岡の先生はイッポが昨年所属していたT大学海洋学部の教授だった。
 高校生は自分の県に居たくないんですね、という話題で、全員一笑。私はふうふう息をあげて、ペットボトルのお茶を飲んでいた。疲れていることを喝破されたのだろう、

  「今夜は●●温泉ででも、ごゆっくりされんるんですか?」

とだれかに問われ、即座に「いや神奈川に移動して、明日は鎌倉です」と答えると、みんな目をまるくして

  「わぁぁぁ、紅葉が綺麗ですよぉ・・・」

と羨ましいご様子。べつに紅葉が目的ではないのだが、あれっそうですか、という顔をしてみせた。そしてまもなく3先生はタクシーで帰途につき、少し遅れて私一人川沿いの道を歩いて伊豆長岡駅に向かった。


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 鎌倉の紅葉はたしかに見事だったが、人の多さに辟易した。田舎者の本性まるだしである。若いころ修学院離宮を訪れた際、いちどめは人が少なく、その静寂に心打たれたが、二度目は人の多さに魘された。今回の鎌倉は後者のパターンである。また、紅葉の質もちがう。落葉広葉樹の色づく自然の紅葉に慣れ親しんでいる者にとってみれば、鎌倉禅林を彩るモミジの紅とイチョウの黄は白粉(おしろい)に塗られた化粧のようで、夜のライトアップに似つかわしいと思った。夜の蝶~~
 交通手段も失敗した。いつものように安価なレンタカーを乗り回して、できるだけたくさんの景勝地を訪れようとしたのだが、渋滞で車は動かないし、駐車場は1時間600円もする。九州や四国で威力を発揮するレンタカーが機能不全に陥った。北鎌倉駅まで電車で来て荷物をコインロッカーに預け、ただ歩き回れば良かった。それが体にもよいし、鎌倉の正しい訪れ方なのだと思う。


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第9回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅱ)

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サインボード設置班の活動

 11月29日、3人×3班に分かれ、サインボード(長さ120cmの皮付き板に5mmの孔を2箇所あけている)の設置作業を行いました。道沿いの樹に板を貼り付けるのですが、樹幹を傷めないように、上側は孔にハリガネ通して幹に巻きつけ、下側は乾燥した丸竹の基礎で支持するものです。合計14枚のサインボードを予定の設置場所に取り付けました。


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 ①門前を担当した班:  門前から「奥の院」に至る山道の最初の4箇所にサインボードを設置しました。この4枚のうち一番初めに設置した門前入口のサインボードは設置する場所が門脇の特殊な地形にあり、サインボードそのものが不正系なため、設置に骨を折りました。竹をのこぎりで適当な長さに切り取り、そして斜めになっている樹幹へ設置するため竹を2つ横に重ねて組みあげ、サインボードを立てかけました。ハリガネを巻き付ける作業も苦戦してしまい、この最初の1枚に時間をかなりとられてしまいました。しかし、2枚目からは作業に慣れてきて、作業がスムーズに進むようになりました。


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第9回「ツリーハウスに挑戦!」(Ⅰ)

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ツリーハウス制作班の活動

 みなさんこんにちは、ブログ当番も2回目ですね。それでは張り切って更新していきたいと思います。11月29日(木)のプロジェクト研究は曇り空の下で始まりました。今回はツリーハウス制作班、サインボード班に分かれての作業です。キノコ原木栽培班と環境整備班はサインボードの取り付け作業の補助にまわりました。2年だけのツリーハウス班は13時30分に摩尼山に向かいます。2年は6人なのですが、一人は書道を習っていて字を書くのが上手なため、サインボード班に引き抜かれ後発隊になったので、今回は5人での先発です。

 先週の活動で、ツリーハウスの床を平行にする作業とツリーハウスの屋根を作るための棟木の設置を行ないました。今回は屋根の母屋桁と軒桁を設置し、垂木をかける下ごしらえをします。最初に軒桁をわたすための柱を立てます。柱の固定には四つの太い丸太を使って固定し四隅に配置していこうと思ったのですが、地面が斜めだったことや、丸太に隙間ができてしまい柱が安定せず、とても苦労しました。結局柱を立てることを諦め、周りの樹に直接軒桁をかけることになりました。幸いツリーハウスの周りには樹が多く、高さは床から96cm(3尺2寸)にしてハリガネで仮止めしました。


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静岡県立伊豆中央高等学校出前講義

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 伊豆中央高等学校から出前講義の依頼があり、11月30日午後、1時間ばかりスピーチしてきました。新幹線の三島駅から伊豆箱根鉄道に乗り換え、伊豆半島のほぼ中央にある「伊豆長岡」駅下車。そこから徒歩20分の位置にある高校で、じつはあやうく遅刻するところでしたが、なんとか滑り込みセーフでした。聴講生徒は30名ぐらいで、印象では女子生徒が多かったですね。
 演題と構成を以下に示します。


        太陽の宮殿
   -推定「卑弥呼の館」をめぐって-


  1.自己紹介 -建築考古学と私
  2.研究室活動(Ⅰ)
     -摩尼寺「奥の院」遺跡(2010~2012)   
  3.研究室活動(Ⅱ)
     -青谷上寺地遺跡(2007~2009)
  4.魏志倭人伝と建築表現   
  5.纒向(まきむく)遺跡と邪馬台国論争
  6.推定「卑弥呼の宮殿」-纒向遺跡大型建物群の復元

 というわけで、久しぶりに纒向関係の講演になりました。


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 出前講義と云えば、かつて出雲高校で出雲大社関係の話を2年連続滑ってしまった苦い想い出がありますが、今回の内容は2010年オープンキャンパスでのミニ講義に基づいていて、なんとかいけるのではないか、という予想はしておりました。まぁ、なんとかかんとかいけたんじゃないか、という感触です。
 あとで二人の女子高生と話をしたんですが、邪馬台国そのものよりも、発掘調査や摩尼山での活動(巨巌現る)に興味をもってくれたようです。伊豆から入学してくれる学生が一人でもあらわれんことを願っております。


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↑ どこにいってもありますね、こういうの・・・富士山も鎌倉も韮山反射炉もみんな世界遺産申請なんだ。

斐川平野の築地松(Ⅴ)

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 今回の出雲調査はプロ研2年生の2名を迎えました。2月の「まちなみシンポジウム」以来ご無沙汰だった匠と、初参加のケントです。目的は、築地松を伴う民家の調査です。わたしは事前に2つのお宅へのアポを取りつけ、実測調査の依頼をしました。以前、築地松案内人としてご自宅の築地松と民家を見せていただいたことのあるIさんと、茅葺き民家と築地松を所有しておられるTさんです。以下、その記録を書きます。

I邸の実測&ヒアリング

 灘分町の東側、宍道湖に近い位置にあります。茅葺きではないですが、広大な屋敷地と立派な築地松を有しています。元々茅葺きであったものが、50年前に鉄板で茅を覆い、その10年後に瓦葺きに改修するとともに2階を増築したのだそうです。そのまた10年後には納屋を建て替えて廊下でオモヤと繋いだ。もとは農家ですが、建物の特徴として「大黒柱がない」「仏間がない」「どこかの古い材料を持ってきて建てられている可能性がある」とのことで、この周辺の民家もおなじようなことが言えるようです。タクヲさんの研究されている木綿街道の本石橋邸について、農家を曳き家して新町に建てたのではないか、という推定をしていますが、大黒柱のない農家の事例をみてみると本石橋邸の推定も説明がつくのかもしれません(年代的な矛盾はありますが)。

 8代目だというIさんは「築地松案内人」というボランティアをされており、築地松への関心が高い方です。後継者がいないことを気にしておられました。築地松維持のための費用は、陰手刈に10~15万円(4年に1回)と、松くい虫予防の樹幹注入が60万円程度(4年に1回)だそうです。このうち県と市からの助成金は上限に達しても10.5万円ほど。家を継いだとしても築地松を手放そうとする後継者が多くなるのも無理からぬところでしょう。

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(↑)当初間取りを残す縁側と表座敷
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(↑)ゆうに10mを越えるI邸の築地松(ケントの持っているスタッフが5mです)


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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