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ガーナ戦評

こんな日本にだれがした

 毎日毎日、アメフト反則問題でテレビもネットもパンクしそうだったが、昨夜の関東学連の記者発表で一息ついた感じですね。かの大学には知り合いが2名いるのですが、直接どうなのかと聞くのもためらわれる状況でした。しかし、2~3日前ついにしびれを切らして野次馬メールを送信したところ、返信がありました。 
 関学の会見には驚いたが、そのころはまだどこか他人事のような感じであったそうです。組織が大きく.、よくテレビに映る本部には2回しか行ったことがないから実感がわかない。しかし、いまはそんなことを言ってられない。各学部で、学部長が現役学生に声明文を出したそうです。教員も、学生の話をしっかり聞くなど、いつも以上に丁寧な対応をし、現状に真摯に向き合っていこうとしている。しっかりした返信に安心しました。
 教員と学生はおそらく問題ない。しかし一部の権力をもっているグループがどうしようもないのでしょう。どの大学、どの組織でも同じですが、権力を握ると人間は変わります。この大学はたしかに悲惨ですが、某内閣に比べれば・・・嘘のつき方を学びたいなら国会をみろ、と教えている今日このごろ。あの内閣にして、あの大学、としか言いようがありません。日本国中、窒息しそうなですね。こんな日本にだれがした・・・

 というわけで、サッカー日本代表のガーナ戦ですが、ため息の連続でしたね。期待はしていました。3バックでボランチに大島を先発させた。今野の不在がなんとも痛いのだけれども、柴崎ではなく、大島を中心とするチームを構想しているという点、わたしは評価しています。でも、前半はぜんぜんダメ。中心にいるべき大島が脇役になって、本田が10番気取りの動きでゲームを仕切っている。弱くなり始めたミランの10番をセードルフがやっていて、「10番気取り」と揶揄されたものですが、今夜の本田がまさにそれだった。私の構想では、本田は2トップ以外にポジションはありません。
 後半、選手を入れ替えて、得点の匂いはやや高まった。大島と柴崎が連動することで躍動感が生まれた。わたしは、大島-南野-中島-井手口の組み合わせがよいと思っています。
 細かいこと言っても仕方ないのですけれども、このままだとハリルを解任した意味がない。ハリルの試合は80%ダメでしたが、たまにアウェーのイラク戦とかホームの豪州戦で快勝があった。あれを再現するためには、プレスの強いMFを前寄りにおいて前線から圧力をかける必要がある。井手口は必要不可欠ではないか、と思うんですね。それに対して、アンカーもしくはリベロの位置の選手はゲームメークのセンスが必要になります。長谷部でいいのか、ここに大島か柴崎を下げるか、難しいところですが、この日のゲーム運びをみる限り、前半よりは後半のほうが良かった。本田と長谷部と宇佐美がいなくてもチームは機能していました。おそらく香川がいなくても機能します。将来を見越して若手選手で構成していくほうが良いのではないですかね。本田・香川・長谷部で負けるより、若手で負けたほうが将来のためになる。
 さて、23人の発表を待ちましょう。

今年も、寅さんの風景(7)

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 5月24日の続編。2年生の感想文をお届けします。

    第44作「寅次郎の告白」(1991) 
    マドンナ(及川泉・聖子) 後藤久美子・吉田日出子  


<映画のあらすじ>

 高校を卒業した泉は、楽器店への就職を希望し、上京する。しかし、父母の離婚や母の水商売が障壁となっていた。そんな泉をみて、満男はどうすることもできず歯がゆい思いでいた。泉が名古屋へ帰ると、母の再婚問題でさらに悩まされ、家出してしまう。それを知って満男は泉のいる鳥取へ向かう。泉はたまたま倉吉で寅さんと再会し、駄菓子屋に一泊した後、砂丘で満男とも合流。寅さんの昔なじみの料亭、新茶屋へ行き、女将を訪ねるが、夫が亡くなり、その夫の浮気に苦しまされたことを寅さんに打ち明ける。女将は昔寅さんを選ばなかった後悔の念を伝え、寅さんに迫るが・・・結局結ばれることなく、次の旅に出る。(環境学科2年AS、一部改訂)


<映画の感想>

人の気持ちに寄り添う大人の寅さん
 満男も大学生になり、寅次郎たちもすっかり年を取っていた。いつものけんかも微笑ましく、どこか寂しいように感じた。泉に恋をする満男を見て、「恋を長続きさせるためには、ほどほどに愛するということを覚えておかなきゃならない。しかし、若すぎる満男にはそれが出来ない」という寅さん。その言葉通り、恋に熱く燃える満男に対して、大人の恋愛をする寅さんが対照的に描かれており、若い青春の恋の甘酸っぱさと、大人の恋愛の深さを対照的に感じた。
 泉は家出し、まるで寅さんを追いかけるかのように鳥取へ向かった。泉が出歩いた倉吉は、昔ながらのお店が並んでおり、どこか懐かしく感じる風景だった。また、豆腐の御遣いを任されるシーンの背景では、人通りの少ない町の裏側で子供たちが川遊びをしていた。私はそれを見て、何の不安も恐れもない、無邪気で純粋な、幼い頃の気持ちを思い起こさせられた。だから、泉と寅さんが出会ったとき、自分の出来事のように嬉しかった。また、泉に対して家出した訳も聞かず、泉が話したくなるまでじっと待つ寅さんが印象的だった。私は、何か悩んでいる人がいたら、その人のためにどうにか解決してあげたいという思いが先走って、つい話を聞きたがってしまう。でも寅さんを通して、相手にとって嬉しいことは、何か解決しようとする以上に、人の気持ちに寄り添うことなのかなと考えさせられた。これから家族や友人との間で、もっと人の気持ちに寄り添ってあげられるよう努力していきたいと思った。(環境学科2年AS)


鳥取らしさ満載-満男と寅さんの「男はつらいよ」
 今回は鳥取が舞台ということで親の顔ほど見た景色がたくさん出てきた。今ではあまり見ない豆腐を買うシーンや、倉吉から鳥取へむかう途中の白兎海岸など鳥取らしいところがたくさんみれた、また、季節外れのしゃんしゃん祭り、倉吉のおばあちゃんが鳥取弁を話すなど、映画の演出として「鳥取らしさ」を感じることができて、それもよかった。主役は寅さんから満男になっていたが、今までのように「男はつらいよ」が出来上がっていた。寅さんは病気ながらも寅さんを演じきっていて面白かった。.(環境学科2年OH)


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今年も、寅さんの風景(6)

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 5月24日(木)は1・2生合同で、鳥取篇「寅次郎の告白」を視ました。ストーリーが掴み難かったという感想もあり、視聴後、前作までのいきさつ-泉ちゃんと満男の高校時代、泉ちゃんの父母の離婚など-を説明しました。まずは1年生の感想から紹介します。今回から「あらすじ」は1作のみとし、感想文を多めに掲載します。


    第44作「寅次郎の告白」(1991) 
    マドンナ(及川泉・聖子) 後藤久美子・吉田日出子  

<映画のあらすじ>
 寅次郎の甥の満男は恋焦がれる泉の東京での就職活動を手伝うもうまくいかず、泉も父と離婚した母に恋人ができたことで派手な喧嘩をし、悩んでしまう。そんな泉は家出して鳥取へ向かったが、そこでたまたま寅さんと出会う。満男も泉を追って鳥取に向かい、鳥取砂丘で三人は再会を果たす。その後三人は、寅さんの友人の聖子が女将を務める河原町の料亭に泊まる。寅さんは久しぶりに再会した聖子が今は未亡人であることを知る。聖子に思いを告白された寅さんは、いつものように身を引く覚悟を固め、女将もそんな寅さんをにこやかに千代川土手の停車場で送り出す。一方、泉は今回の出来事を通して、自分が幸せであるということに気づかされ、母と仲直りする。鳥取に残った寅さんもまた一人旅へ出る。(経営学科1年SDを若干改訂)


<映画の感想>

「寂しさなんて風で飛んでいく」という寅さんが寂しそう
 今回の話は寅さんを演じた渥美清さんが、癌を発症していたころの演技だということでした。確かに以前の作品と比べると、タコ社長との喧嘩に威勢がない気がします。喧嘩がヒートアップすると声だけで二人の動きが映っていないことから、監督は渥美清さんの体を気遣っているのを感じました。途中でしゃんしゃん祭りが映りましたが、90年代の鳥取の街はまだ看板のフォントが古く、ここ20年でかなり変わるものだと思いました。昔の街はとても活気があって良かったです。倉吉での場面では、木造ですりガラスの引き戸の家が連なっているのが印象的でした。鳥取出身の先輩が「子供の頃遊ぶと言ったら山か川だ」と言っていましたが、川で遊ぶ子供を見て本当だと思いました。そして白くて大きな蔵とその蔵に沿っている川も昔ながらで素敵でした。そして、砂丘で二人が再会した場面では、満男が砂丘から転がり落ちていきましたが、本物の砂丘より映画の方が低く感じました。意外と高いのによく体を張って転がったなと思いました。そして寅さんと女将が良い雰囲気になっている時に、中庭の池に満男が落ちて恋が台無しになり、やっぱりこのパターンか、と満男が雰囲気を壊すのを期待してしまいました。二人と寅が別れる場面では寅は「寂しさなんて風で飛んでいく」と言っていましたが、それを言う寅がなんとなく寂しそうできっと二人の前で見栄を張っているんだなと思いました。
 最後あたりで少しだけ若桜鉄道(安部駅)が映っていましたが、若桜も昔ながらの建物がたくさん残った良い場所なのに駅舎と線路だけしか映っていなかったので、少し残念でした。全体を見て、海も綺麗で自然も豊かで街も上品で鳥取はこんなに良いところだったと再発見することが出来ました。(環境学科1年SH)

満男は若いころの寅さんに似ている
 今回の作品は、寅さんの出演シーンが以前よりも少なく、満男がメインになっていた。満男が泉をまっすぐに想う気持ちや、泉が母や就職で上手くいかないことに対するつらさや心細さが前提にあった。寅さんとさくらが腹違いの兄妹であったことに驚いた。寅さんは母親が消えてしまったからこそ、人一倍に家族を大切にし、なにより妹のさくらを大切にしているんだなと思った。満男は、若いころの寅さんのように、好きな人の為には一生懸命に追いかけてしまうところが似ていると思った。今回は、寅さんが座っているシーンが多いと思った。やはり病気のこともあってか、寅さん役の渥美清さんの元気がないような感じがした。タコ社長とのけんかのシーンでは、殴り合うシーンはなかったが、いつもの口げんかのやり取りで、これこそ寅さんだと思った。今回は、寅さんと東京の家族とのシーンが少なかったのが少し寂しい感じがした。鳥取のきれいな水や昔ながらの街並みがきれいで、朝のシーンでは、朝霧が出ていて自然にあふれた鳥取のイメージが伝わった。(経営学科1年ST)



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授時暦の道

山田慶児 授時暦の道02


ワンカルビ

 夕刻より押熊の1カルビで王秀蘭さん(楊鴻勛先生の奥様)を囲む宴席を設けました。出席者は7人+α。中国人の女性が3名含まれています。王さんは1996年と2010年の二度、奈良の我が家を訪問されており、家内や子どものことを気にかけてくださっています。今回、息子は宴席には出ませんでしたが、送迎をしてくれたので、下の写真が撮影できました。
 宴席では、3月に出たばかりの『田中淡著作集』第1巻(中公美術、2018)が話題になりました。文献集めに携わった若手が加わってたものだから、話は盛り上がる一方。王さんも、この情報には目を輝かせられました。よく聞き取れているかどうか不安なのですが、なんでも楊先生の記念館ができるらしく、そこに楊先生の著作・図面・蔵書等以外にも、田中さん等の著作も収めたいとの意向をもっておられるようで、その場合、田中さんの著作集は必要不可欠の文献になるとお考えのようでした。さっそく手配しました。


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 田中さんの描かれた復原図にも話が及び、山田慶児『授時暦の道』(みすず書房、1980)の表紙をスマホで調べてもらったらいちばん上の図像がでてきました。たしか元の天文台の復元パースであり、田中さんが山田教授の助手時代の作品だったはずです。

 そんなこんなで2時間はあっというまに過ぎました。楽しい宴席を紡ぎだした皆様に感謝!!


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ピオーネと月山

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祝杯

 良い酒が2本食卓に並びました。1本はハワイ・ワインのピオーネ。オアフ島で醸造したワインではありません。湯梨浜町羽合のビーチ(砂丘)で栽培されたピオーネという大粒の種無し葡萄を発酵させたロゼです。ロゼながら甘くなくて、すっきりさわやかな味わいです。ローストビーフによくあいました。日本産のワインばかりを扱う倉吉のワイン蔵で買ったものです。ワイン蔵の経営者の方々はナシードル製造を構想されているということでお話を伺った次第です。


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能海寛生誕150周年事業

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記念事業スケジュール

 島根県浜田市出身のチベット仏教求法僧、能海寛(のうみゆたか 1868-1903?)の生誕150周年を記念する事業が7月7日(土)~8日(日)、浜田市で開催されます。日程・会場等の概要を示します。

  日時: 平成30年7月7日(土)~8日(日)
  会場: 浜田市金城町波佐 ときわ会館
  主催: 能海寛研究会  事務局 09046972818 [email protected]
  スケジュール:

 7月7日(土) 能海寛研究会 第24回年次総会 & チベットセミナー
  13:00~14:00 年次総会
  14:00~16:30 会員研究発表

 7月8日(日) 記念式典 & 記念シンポジウム
  11:00~12:00 式典
  13:00~14:00 基調講演(江本嘉伸氏)
  14:00~17:00 パネルディスカッション(岡崎秀紀氏他) 


人間環境実習・演習B中間報告会

 ASALABも学内で発表会を抱えています。3年生の人間環境実習・演習Bの中間報告会で以下を発表します。

   能海寛『世界に於ける仏教徒』-輪読及び現代語訳

     1. 能海寛(1868-1903?)の生涯
     2. 明治26年刊『世界に於ける仏教徒』について
     3. 第一章「宗教の革新」概要
     4. 第二章「新仏教徒」概要

   日時: 5月30日(水)14:40~   会場: 環境大学4409演習室

 『世界に於ける仏教徒』の現代語訳はなかなか難しい仕事であることが分かりました。3年生諸君は大変ですが、ついていけないわけではありません。できるだけ専門用語・仏教用語を使わずに、現代日本語として読みやすい訳をめざしています。それにしても、過激な書ではありませんか。脱亜入欧の文明開花の機運とともに西洋の近代科学が称揚され宗教そのものの存在意義が揺らぐばかりか、王政復古に伴う神仏分離令以来吹きやまぬ廃仏毀釈の嵐をまともに受けて仏教劣勢の極致をなす時代に、能海青年は世界宗教としての新仏教を構想していたのです。ショーペンハウエルなど欧米知識人の心の奥底に潜在する仏教嗜好を紹介しつつ、腐敗したキリスト教にとってかわる新たな宗教として、古い体質の仏教を革新しうるのは日本人しかいない、と断言するのですが・・・・はたして日本の仏教界は他のアジア地域に比べて、さほどに優位な立場にあったといえるでしょうか。3年生の発表にご期待ください。


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第二の人生

中村元記念館東洋思想文化研究所 研究員

 無事、辞令交付を終えました。今年度より中村元記念館東洋思想文化研究所の研究員を兼業することになったのです。
 快晴の中、大山の全景が車窓に映り、第二の人生のスタートを祝福してくれているようにみえて上機嫌になりました。大学に戻ると、新しい名刺が2箱届いている。名刺を刷るのはもうやめよう、と思って私学時代の残りの名刺を使いまわしていたのですが、この2ヶ月あまりの間に考えが少しずつ変わりましてね。還暦を迎える前後、なにやら妙に気分が老けてきて、自ら「引退」を仄めかすようになっていたのですが、考えてみれば退任はまだまだ先のことです。これまでのような研究室活動を継続するのは容易いことではありませんが、周囲に迷惑をかけぬよう晩年にふさわしい研究を進めたいと思うに至り、新しい名刺を刷ることに決めた次第です。
 3年の厄年を終え、平和千点和了の効があったのか、今年はいろいろ新しく懐かしい依頼が届いています。以前のような仕事三昧の生活を送ることはできなくなっていますが、なんとかご期待に添えるよう分相応の活動をしていきたいと思っておりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
 大根島は良いところです!



                 【研究課題】

1.岩窟・岩陰と複合する懸造仏堂
 鳥取県が世界遺産暫定リスト入りをめざして国に申請した「三徳山とその文化的景観」(2006-07)は厳しい評価を受け、断念を余儀なくされた。三仏寺投入堂(国宝・三朝町)を申請の中核に据えたものだが、対象の「顕著な普遍的価値」を証明する必要があるとの批評を受けたので、山陰地方に卓越する「岩窟・岩陰と複合する懸造(かけづくり)仏堂」の起源を解明すべく、2010~12年度科学研究費基盤研究(C)「石窟寺院への憧憬 -岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流に関する比較研究-」を申請し採択された。三仏寺投入堂以外にも、不動院岩屋堂(鳥取県若桜町)、鰐淵寺浮浪滝蔵王堂(島根県出雲市)、焼火神社本殿(島根県)等はすべて岩窟・岩陰と複合する懸造であり、国内では六郷満山等の類例を訪問し資料を集成して懸造仏堂を類型化した。また、鳥取市の摩尼寺「奥の院」遺跡を発掘調査し、岩陰と複合する懸造仏堂の存在を明らかにした。さらに、中国華北・華南・西域、西インドなどで重要な遺構を視察した結果、以下の事柄が明らかになった。
 ①岩窟・岩陰と複合する懸造仏堂は平安中期~鎌倉初期に日本にもたらされる。大分などで磨崖仏が出現する年代とほぼ重なりあう。②石窟・岩窟と木造建築部の関係に注目して類型化すると、山陰の懸造仏堂は華南に類例があり(福建省甘露寺・南宋)、大分の懸造仏堂は華北の石窟寺院の構造と近似する。③東トルキスタン(西域)や西インドなどの石窟寺院では木部がほとんどなく、むしろ周辺の平地寺院の細部意匠を多く取り入れている。こうした特徴は「窟(いわや)の建築化」という枠組で説明できる。崖や巌(いわお)を掘削して窟(いわや)を造り内部に仏像を安置するが、その岩窟に建築的な装飾を加えることで、素朴な窟(いわや)は平地寺院に近似した岩屋に変貌する、ということである。④「窟の建築化」という視点で木部の多い東アジアの石窟寺院・岩窟仏堂も説明可能である。たとえば華北の場合、石窟の内部に木造建築の細部を浮彫で表現しつつ、正面に木造の壁面を立ちあげて全体を木造建築仏堂に近づけようとしている。日本の場合、岩窟そのものを加工し装飾することはないが、懸造仏堂を岩窟の中にすっぽり納めることで窟(いわや)は岩屋となる。
 以上みたように、インド・西域から中国・日本に至るまで石窟寺院・岩窟仏堂のあり方は多様だが、「窟の建築化」という視点でほぼ説明可能だという見通しを得るに至った。今後は紀元前に遡る最古級の石窟寺院を視察し、「窟の建築化」のあり方を見極めたい。




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大山まで泳げ、鯉のむれ

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 河本家で家相図の複写を拝借した後、何年ぶりだろうか、大山町所子を訪れました。最後の訪問はひょっとしたら門脇先生のギター教室だったかもしれません。ともかく重伝建選定(2013)以降はじめてのことです。相変わらず、重文「門脇家住宅」は見事なものですし、近隣に軒を連ねる大型民家=和風住宅のレベルが高いことも認めますが、なにぶん範囲(面積)が狭い。重伝建といえば、町や村をうろうろ歩きまわるのが楽しいのであって、所子の場合、その快楽はほとんど味わえません。重伝建の評価の対象が「町並み」であるとするならば、上方往来の大原や平福のほうに軍配があがる。街環でつくりあげた部分があるとはいえ、重伝建にするなら広範囲に歴史的建造物が分布する集落が優先されるべきだとやはり思いました。所子は重文・県指定・登録文化財の複合で間に合う。


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 重伝建になりたくてもなれない町や村があるのとは対照的に、さして希望もしていないのに、国の役人の一言で重伝建に動く場合もある。自治体側の言い分はいつも同じでして、「住民が主体的に・・・」。嘘八百。

 鯉のぼりが勢いよく群れをなして泳いでいるので、石巻を思い出しました。鯉の群れのむこうに大山がみえる。聖なる霊界に向かって滝登りする出世魚たち。晴れたり曇ったりで風が強い一日でした。視界を反転すると、水田の向こうに民家の屋敷構えが重なってみえる。たしかに美しい。


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今年も、寅さんの風景(5)

第38作(1987)「知床慕情」01 第38作(1987)「知床慕情」02裏


 2年生2回めの感想文です(5月17日)。マドンナ竹下景子の2回目。1回め(口笛を吹く寅次郎)はきらめくような透明感のある可愛らしさに溢れていましたが、今回のりん子役では結構大人っぽくなっている。少々若々しさは失われたものの、相変わらず好感度は高いですね。キャストでは、とにかく三船敏郎の存在感が凄い。桁違いのオーラを発していますが、三船に対抗するだけの風景を寅さんももっている。こういう個性的な俳優が2名、カメラの回らないところではどんな接し方をしていたのでしょうかね。煙草吸いのスナックママ、淡路景子もまた存在感があります。竹下の3回めのマドンナ役でもウィーンのマダムとして淡路は再登場します(寅次郎 心の旅路)。
 ロケ地の知床は2005年に世界自然遺産に登録されました。寅さんは環境省にも先行しています。


    第38作「男はつらいよ 知床慕情」(1987) 
    マドンナ(りん子)  竹下景子  


他人の恋愛にはアドバイスするが、自分の恋となれば別人になる寅さん

<映画のあらすじ>
 とらやのおいちゃんが入院して、寅さんが代わりに店の仕事をするが、すぐに飽きてしまう。おばさんは、そんな寅さんを見て、まじめに働くのがばからしい、店をやめたいと言い出す。それを寅さんが耳にしておおいに反省し、北海道に旅に出る。そこで、頑固な獣医の男(三船敏郎)や、漁師たちやスナックのママ(淡路景子)と出会う。獣医の娘のりん子は、だまって家を出て結婚し父として怒っていた。その間、男やもめの獣医はスナックのママに色々と面倒を見てもらっていた。りん子は結婚に失敗したので、東京から出戻りしてきた。獣医は相変わらず怒りっぱなしだったが、りん子さんはまもなく寅さんやみんなと楽しく暮らし始める。そんな中、寅さんが獣医に対して、スナックのママと付き合え、と冗談交じりに言ったことで、二人の関係は険悪になる。獣医はママに恋をしていたのだ。ところがママは、スナックをやめて新潟に帰ると言いだした。獣医は、寅さんに後押しされて告白する。寅さんが、りん子に結婚の相談に行ったとき、寅さんは、りん子が自分に惚れていると気づき、翌朝知床から姿を消してしまう。

<映画の感想>
 知床の海や山、滝や大きな岩など、大自然がとても雄大で美しかった。また、バーベキューをしていた大草原などは、東京にはないよさがあった。寅さんは、人の恋愛にはアドバイスなどをして、積極的に応援しているように見えたが、自分の恋愛となればまるで別人だと感じた。惚れられているのに気づき、姿を消すのは、惚れた側からすれば切ないと思うが、少しかっこいいとも思った。漁師たちと仲よく話していたりお酒を飲んでいるシーンを見て、初対面の人になじむのがとても上手だと感じた。それは、寅さんが自分をつくったりせず、自然体でいるからなのかと感じた。(経営学部2年MA)



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今年も、寅さんの風景(4)

第27作(1981)「浪花の恋の寅次郎」表 第27作(1981)「浪花の恋の寅次郎」裏



 連休が明けた5月10日(木)は1年生2回目のDVD鑑賞でした。舞台は大阪、芸者シリーズとしては、太地喜和子(ぼたん)の「寅次郎夕焼け小焼け」(1976)と双璧をなす作品でしょうね。松坂慶子の全盛期にみとれます。寅さん、よく辛抱したよ・・・無理ですね、わたしは絶対に。


   第27作「浪花の恋の寅次郎」(1981)
   マドンナ(ふみ)  松坂 慶子


好意に気づいて身を引く寅さん

<映画のあらすじ>
 瀬戸内海で寅さんはふみと出会い、ふみが大阪で暮らしていると知る。寅さんが大阪を訪れたとき、芸者のふみと再会する。ふみに生き別れの弟がいることを知り、会うように勧めたが、会いに行くと弟は病気により突然死していた。悲しみに暮れたふみは寅さんが泊まっている宿を訪れ、泣いて寝た。その翌朝、ふみの好意に気づき、身を引くために寅さんは東京に戻る。寅さんに会いに東京のとらやを訪れたふみは、結婚し対馬に移り住むことを伝えた。その後、寅さんは元気にお寿司屋さんで働くふみに会うため対馬を訪れる。

<映画の感想>
 私の地元が大阪なので、撮影当時の大阪を面白く感じました。新世界やつぼらやなど、現在でも見聞きするものが当時からあり、雰囲気が変わっていないことや、夜景の光の数が現在よりすごく少ないことなど、当時と現在との比較が面白かったです。大阪のイメージは人情が厚い、味が薄いなどというのはいいのですが、なんとなく乱暴な感じや芸者のおばちゃんのはしゃぎ方など、あまりうれしくないイメージがあることが気になりました。好意に気づいて身を引く寅さん というのが分かりやすく映っていたと思います。最後の対馬の段々畑と海の風景に目が惹かれました。(1年経営学科MJ)


家族は信頼しあっているからきつく当たってしまう

<映画のあらすじ>
 寅さんが竜宮城にいるという夢から始まる。そして、現実の世界では、社長の会社の経営がうまくいかなくなった所に寅さんが柴又に帰ってくる。寅さんが夢の中に社長が出てきたことを話したことで社長との仲がこじれてしまう。その後、瀬戸内海に旅に出た寅さんは、墓参りをしていた「ふみ」に出会う。そして、大阪に行ったときに偶然にもまたふみと再会する。ふみは幼いころに両親と弟のひでおと離れ離れになっていた。そのことを知った寅さんは、ふみと共にひでおを探しに行く。しかし、ひでおは1か月前に急死していたことが分かり、ふみは寅さんに迷惑をかけたと思い寅さんの前から姿を消してしまう。そうして柴又に戻った寅さんのところに芸者をやめたふみが突然訪れる。しかし、ふみは対馬に嫁に行くことを告げて、また寅さんはフラれてしまう。

<映画の感想>
 寅さんが家族を大切にする気持ちがよく伝わってきた映画だった。自分の家族だけでなく、ふみの家族のことを気にしたり、人間が生きていく中の不公平さを悔しがったり、人間味が溢れていて感動した。寅さんの家族はお互いを信頼しあっているからこそきつく当たってしまったりもするし、慰めあっていて素敵な家族だと思った。
 瀬戸内海に行ったときには、海や自然が豊かで、人間とは違って自由に泳ぐ魚の姿があったり、対馬の段々畑が印象的だった。大阪にいるときには、天王寺や大阪の下町の賑わう様子や、工場が立ち並んでいて地方とは対照的な景色となっていた。(1年経営学科ST)



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今年も、寅さんの風景(3)

第19作(1977)「寅次郎と殿様」01表 第19作(1977)「寅次郎と殿様」01裏

 
 4月26日(木)の2年生の感想文です。松山には毎年通っていて、伊予まで足をのばそうと思っているのですが、いつも前の晩に深酒してしまい、レンタカーを運転する気力・体力を失う今日このごろでございます。


   第19作「寅次郎と殿様」(1977)
   マドンナ(鞠子)  真野 響子


初めて見る映画なのに、どこか懐かしい

<映画のあらすじ>
 こどもの日に帰ってきた寅さんは、ささいなことをきっかけに再び旅に出ることを決める。四国の伊予大洲の旅館に泊まった寅さんは、お昼に見て少し気になっていた女性と再会する。そこで女性に親切にし、旅館を後にした。次の日ある1人の男性と出会う。その人は殿様の藤堂さんといい、1日お世話になった。その日の晩、お酒で楽しくなった寅さんは殿様からある女性の人探しを頼まれる。承諾した寅さんは東京に帰り、女性を探し、運よく見つけた。その女性は旅館で出会った人、まりこさんだった。殿様の願いをかなえ、殿様はまりこさんと出会うことができた。それから寅さんとまりこさんの交流が深まり、殿様の提案で結婚の話まで出た。前向きに考えていた寅さんだが、まりこさんは他の男性と結婚することを決めたと報告してきた。寅さんは自分との縁談だったとは言わず、まりこさんに知られずに失恋した。

<映画の感想>
 今日初めて「男はつらいよ」シリーズを見ました。寅さんは少し怒りっぽく、自分のことをいじられるとすごく不機嫌になるけれど、律儀で情に厚い性格だとわかって、すごく魅力的だなと思いました。必死になってまりこさんを探す場面は、とくに寅さんの素敵な性格を表しているなと感じました。しかも、運よくまりこさんに出会って驚きました。そんな運の良さも寅さんの魅力の1つのように感じました。最終的に寅さんとの出会いがまりこさんの結婚を後押ししたことになり、切ないけれど、寅さんの生き方はかっこいいと思いました。
 また、映画の中で場面が変わるタイミングで効果的に美しい風景が流れているように感じました。小学生の通学の様子や電車と海の景色は素朴だけれど、すごくきれいだなと思いました。初めて見る映画なのに、どこか懐かしく感じる風景で、映画の内容と同様に穏やかだなと思いました。
 次回はどんな話なのかとすごく楽しみです。寅さんの「それを言っちゃぁおしめえよ」をまた早く聞きたいです。(経営学部2年OR)


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今年も、寅さんの風景(2)

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 訳あって少し遅くなりましたが、寅さんDVD鑑賞の感想文をお届けします。各回の秀作を2~3本掲載します。ただし、同じ人があまり連続しないよう配慮しようとも思っています。まず4月19日(木)1年生の感想文からお届けします。


  第13作「寅次郎恋やつれ」(1974) 
  マドンナ(歌子)  吉永小百合


生きていくうえで一度は考える問いが組み込まれている

<映画のあらすじ>
 寅さんが嫁を連れて帰ってくる夢を見た後に、ひょっこり帰ってくる寅さん。「とらや」のさくらたちは、旅先の温泉津での話を聞き嫁が決まったと先走る。その後嫁(仮)に会いに行くが蒸発したと思っていた夫が帰ってくる。見事に振られた寅さんは、書置きを残してまた旅に出た。たどり着いた先は津和野。そこでかつて恋した相手の歌子と再会する。歌子は去年の秋に夫を亡くし未亡人となっていた。別れの時、寅さんは歌子に何かあったら葛飾まで来るように言う。葛飾に帰ってきた寅さんは、歌子を残して来たことを後悔していた。そこに歌子が現れ津和野から出てきたことを知る。歌子は「とらや」で生活するうちに幸せとは何かを考え始める。そのころ、寅さんは父親と仲違いをしていた歌子のために歌子の父親に会いに行く。その後、「とらや」に歌子の父親が訪ねてきて無事和解。千葉の障害児童介護施設で働くことを迷っていた歌子は、父親との和解をきっかけに決心する。「とらや」で一緒に過ごしたかった寅さんはまたも振られ、旅に出る。

<映画の感想>
 この映画で一番印象に残ったのは、歌子さんが父親と和解するシーンです。寅さんが父親に会いに行ったところでは、何をしているんだと思ってしまいました。ですが、そのあとに父親がとらやに来て、不器用ながらも娘に対する愛情を見せたシーンでは思わず泣きそうになるぐらい感動しました。
 寅さんが歌子さんの幸せについて考えているところは、寅さんの心情とは逆に美しくにぎやかな河川敷の描写が印象的でした。歌子と再会したお店は、調べてみるとまだあるようで、再会のシーンに思いを馳せながら津和野の美しい街並みと自然を見に行ってみたくなりました。
 寅さんとその他の人の掛け合いも面白く、登場人物一人一人の考え方がよくわかりました。生きていくうえで一度は考える問いが、物語の中に組み込まれていて見れば見るほど引き込まれていく作品でした。(経営学部1年 MN)



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2018年楊鴻勛先生建築史国際学術シンポジウム招聘講演(6)

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「上下杭」歴史文化街区

 三坊七巷とともに歴史的市街地の保全地区として近年脚光を集めているのが「上下杭」である。アメフト大学のプー先生が近江にいたころ調査したそうで、お弟子さんのチョーさんが建築学会に論文を書いているとのことだが、未見。
 「上下杭」の杭(ハン)は「三坊七巷」の「巷(ハン)」と同音。ただし、この場合の巷=ハンは南方方言であり、北京語の巷=シャンとちがうので、敢えて意味のとおらない杭を使っているのかもしれない。と思ったら、「杭」は「航」と同音という説があることもいま知った。


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 中亭街から西側に走る上杭と東側に走る下杭の二条の小路によって構成されるので「双杭」の別名もあり、その小路に沿って水路が流れ、清朝期の呉橋が架かる。町並みは近代の会館が点在し、町家は2階が高い。保存修復というよりも、再建の建物が多いのは一目みて分かる。それでも風情は良いのだが、河水からかすかな腐臭が漂っているので、微生物などで浄化したほうがいいだろう。


0430上下杭02本屋カフェ01 0430福州03上下杭01鹿森カフェ


 「鹿森」という書店カフェに入って休憩した。なかなか良い雰囲気。学生たちがたむろして勉学に励んでいるので、客の動きは鈍く、初めは席がなかったが、少々まつと大きなテーブルに案内された。珈琲も美味しい。スタバよりよいね。


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2018年楊鴻勛先生建築史国際学術シンポジウム招聘講演(5)

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「三坊七巷」再訪

 福州の重点文物保護単位「三坊七巷」を訪れたのは2012年9月のことである。大学が公立化した夏休み、会長、タクオ、白帯と私で武夷山に遊び、最後に福州を訪れた。あの時は華林寺から福建博物院を経由して、雨の三坊七巷を訪れ、町並みの中にある星巴克(スターバックス)で休憩した。今回もスタートは華林寺だが、長江以南で最古の木造建築「大殿」(962)には足場がかかり、瓦屋根の葺き替え中だった(↑)。


絵図三坊七巷の



 華林寺から三坊七巷に直行した。今回もまた雨が降っている。大通り(坊)にでると、いきなり懐かしいスタバをみつけたが、入りたいとは思わない。とはいうものの、雨中のぶらぶらも鬱陶しいので、路地(巷)でみつけた日本料理屋にしけ込んだ。カレー味の肉ジャガ、サンマの塩焼き、寿司などを食べた。もちろんこの料理屋も伝統的な都市住宅を改装したものである。おそらく民国時期の近代華風?


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2018年楊鴻勛先生建築史国際学術シンポジウム招聘講演(4)

20180428福建永泰県塞堡_07仁和荘01 20180428福建永泰県塞堡_07仁和荘02 仁和荘


愛荊荘から仁和荘へ

 29日(日)、永寧県で最初に訪れたのが愛荊荘。昨日の写真はすべて愛荊荘である。次が仁和荘。青石寨ともいう。漢語の「青」は「灰色」とか「黒灰色」なので、要注意。以下に写真を貼る。


20180428福建永泰県塞堡_07仁和荘03青石寨01 20180428福建永泰県塞堡_07仁和荘04平面図01

20180428福建永泰県塞堡_07仁和荘05軒01
↑軒
20180428福建永泰県塞堡_07仁和荘06小屋組01
↑小屋組
20180428福建永泰県塞堡_07仁和荘08瓦壁01 20180428福建永泰県塞堡_07仁和荘07図面01sam
↑桶巻瓦で化粧した版築壁



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2018年楊鴻勛先生建築史国際学術シンポジウム招聘講演(3)

20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘01 愛荊荘


 大学HPのTUESレポートでシンポジウムの報告がアップされました。

http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20180506/


客家とは何か

 福建省を代表する、というよりも福建が世界に誇る特異な住宅として、閩南の客家(ハッカ)土楼がよく知られている。閩(びん/ミン)とは福建の古名であり、中原華北の民からみて南方海岸側に雑居する「百越」のなかの「閩越」と呼ばれる民族集団の居地であった。ところが、一口に閩といっても多様であり、閩江以北の閩北と以南の閩南では方言と文化に大きな違いがある。北京語と広東語の差がフランス語とスペイン語よりも遠いものだということを学生時代に教わったが、隣接する閩北と閩南でまったく言語が通じないという状況は、オーストロネシア語の源流地として想定される台湾高砂族の方言差を彷彿とさせる。すなわち、福建に入り込んだ南方古モンゴロイド集団の定住年代は非常に古く、北方漢族に征服されるはるか以前から言語分裂が始まっていて、漢族の文化と言語に被覆されてもなお、その変差を埋めきることができなかったということではなかろうか。


20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘02 20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘03図面01


 一方、客家(ハッカ)とは、最近NHK-BS2の「桃源紀行」でも解説されていたが、元の時代に北方から侵略してくるモンゴルの騎馬民族を怖れ、北寄りにいた人びとが集団で南下し、防御性の強い集合住宅として住まう「土楼」を造営するようになったと考えられている。問題は、その「北寄り」の地がどこか、ということであろう。居住者の家譜などに従うと、その地は中原にあたり、遠い祖先に秦の始皇帝がいたりするのだが、私の記憶がたしかならば、客家語は閩南語と贛語の融合・発展としてとらえるべきとする方言学の説を読んだことがある。贛(ガン)とは江西省の古名である。この説に従うならば、客家の故郷たりうる「北寄り」の地とは長江南岸側の華中-鄱陽平原あたりであり、福建からそう遠くない北側の位置であって、確たる根拠を知らないけれども、何気に納得したくなる場所だと思っている。鄱陽湖周辺にいた楚の国の末裔たちが、モンゴル騎兵におびえて南下し、福建・広東境の山間部に逃げ込んで土楼を築いた。そうした移住者を土着の閩南人や広東人が「客家(よそ者)」と呼んだ・・・なかなか良い推理じゃありませんか?


20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘06猫01 愛荊荘



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 昨年の「飛鳥」に続き、今年もまた馴染みの茶屋が店を畳むという連絡があった。おかしいとは思っていた。大雪でも店を開けるのにこの1~2ヶ月不規則に店を閉めたり、休んだりしていたから。ほかにもいろいろなサインがあったのだけれども、ここでは書けないことも少しはあります。
 連絡の前日、1年生の演習で「浪花の恋の寅次郎」(1981)をみたばかりだった。男は引き際が肝心よぉ~~

 そんな週末があけて、こんどはブログに通りすがりの非公開のコメントが入った。対象の記事は「日御碕の崖」。1975年に放映されたNHK銀河ドラマ「崖」について語ったものである。当時、「崖」の主題歌はいしだあゆみのベストアルバムでしか聴けないと思っていたが、このたびのコメントでは、ユーチューブのサイトが示してある。さっそく貼り付けておこう。





 視聴回数はわずか309回。その一方で、いしだあゆみの「これくしょん」は唯一の中古品が売れて在庫がなくなっている。
 ユーチューブの方は2016/08/14 にアップロードされた「限定公開」となっているが、このまま削除されないことを心の底から祈っている。
 

2018年楊鴻勛先生建築史国際学術シンポジウム招聘講演(2)

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日本の建築考古学-魏志倭人伝と三世紀前後の大型建物

 4月27日(金)に関空を旅立ち、翌28日(土)に福州大学で開催された中国建築史学会主催の楊鴻勛先生記念国際シンポジウムで招聘講演してきました。予報の段階とは、シンポジウムの名称・内容等が変わっていたので、まずは正式な名称等をお知らせしておきます。

   名称: 2018年第二届楊鴻勛建築史学国際学術研討会
   日時: 2018年 4月28日(土) 9:00~19:00
   主催: 中国建築学会建築史学分会(中国建築史学会)
        中国科技史学会建築史専業委員会
   事務局: 福州大学建築学院
   会場: 福州大学明徳庁
   次第: 第1部 建築文化遺産研究と保護の新成果
        第2部 建築考古学の理論と方法(1)
        第3部 建築考古学の理論と方法(2)


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 わたしは第3部で講演しました。その内容は予稿初稿(1)~(6)に連載したとおりです。演題と目次は敢えて中国語で示しておきます。

    日本的建筑考古学-魏志倭人传与三世纪左右的大型房子

     1 回忆杨鸿勋先生
     2 到“邪马台国"的路 
     3 日本海的珍珠-青谷上寺地遗迹
     4  “卑弥呼"的宮室-缠向遗迹
     5  “邸阁"再考-松原田中遗迹
     6 结束語 -黄帝时明堂与弥生时代的昆侖建筑


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↑タイムテーブル(表裏)と論文集表紙

   

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2017年度学内特別研究費実績報告

中国青海省・西蔵自治区におけるチベット仏教僧院の予備的調査研究

 2015年度の本学教育研究特別助成「中国青海省におけるチベット仏教系僧院の予備的調査研究」では、青海省文物考古研究所と交流を図りつつ、西寧~青海湖周辺の主要なチベット仏教ゲルク派の僧院を視察した。2017年度に採択された学内特別研究費助成「中国青海省・西蔵自治区におけるチベット仏教僧院の予備的調査研究」はその続編であり、青海湖から青蔵鉄道等を使って西蔵自治区に移動し、まずはラサでゲルク派と係わるポタラ宮・大昭寺・小昭寺・セラ寺・ノルブリンカ宮などを視察後、南下してツェタンを訪問した。ツェタンはチベット最古の王朝「吐蕃」の初代国王ソンツェンガンポ(581-649)の故郷であり、歴代吐藩王を埋葬する方墳(一辺100~140m)が少なくとも10墓確認されている。さらに周辺にはミンドゥリン寺、サムエ寺、ヨンブラカンなどの仏教僧院に加えて、城壁・城跡が残り、城下町にあたる集落の保全状態も良好であり、今後の有力な調査候補地になるであろう。
 一方、11月には、チベット・ブータン仏教史の第一人者、今枝由朗氏(京大特任教授)を招聘し、「ブッダが説いたこと」を主題とする研究講演会を開催した。この研究会には中村元記念館東洋思想文化研究所の研究員など仏教関係研究者が多数参加し、今後のチベット仏教比較研究ではブータン、チベット、アムドなどに加えて、西北雲南高地が重要な意味をもつことなどを討議した。
 2015年と2017年の予備的調査の結果、青海省(アムド)・チベットのゲルク派とブータンのドゥク派では仏教修行のあり方や伽藍構成、周辺環境の適応が大きく異なることが明らかになった。ブータンでは岩山の絶壁に貼り付くようにして境内を構え、少し奥まった崖の岩陰・洞穴に瞑想修行場を設ける。対して、青海(アムド)・チベットの高原地域では比較的なだらかな平坦地に境内を構え、裏山に瞑想洞穴(修行洞)を設ける場合もあるが、むしろ境内を顕密の二大エリアに区分し、隠された密教側のエリアで「活仏」になるための修行に取り組む。顕密併習を原則とするチベット仏教ではあるけれども、チベット側のゲルク派では顕教、ブータン側のドゥク派では密教の比重が大きい。一方、生態的な適応を考えるならば、上に述べたように、東ブータンに近い西北雲南の高原地域が比較研究のフィールドとして重要な意味をもつであろう。今年度、幸いにして「ブータン仏教の調伏」を主題とする科学研究費(基盤C)が採択されたが、2015~16年度に申請したようなチベット・アムド・ブータンなどのチベット仏教修行場を包括的に把握し、相互比較に取り組む大型申請に再度挑戦したいので、中国側の調査対象地域を拡大するための予備的調査を継続しようと思っている。なお、昨年度の調査成果概要については、研究室のブログに7回連載した。


 青蔵鉄道-吐蕃の道(1) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1602.html
 青蔵鉄道-吐蕃の道(2) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1711.html
 青蔵鉄道-吐蕃の道(3) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1713.html
 青蔵鉄道-吐蕃の道(4) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1712.html
 青蔵鉄道-吐蕃の道(5) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1714.html
 青蔵鉄道-吐蕃の道(6) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1715.html
 青蔵鉄道-吐蕃の道(7) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1719.html

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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