2013年度研究実績報告(Ⅱ)
平成25年度鳥取環境大学学内特別研究
1.研究課題名:
近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究
2.研究年度: 平成25年度
3.成果概要:
文化財としての建造物はおもに「歴史的価値」と「芸術的価値」によって評価され、前者の場合、当初の建築年代がとくに重要な位置を占める。建築年代の判定にとって最も信頼性のある史料は「棟札」だが、「棟札」等の文字史料を残さない場合も少なくなく、多くは「様式」編年に頼ってきた。しかし、民家・町家の様式変遷は曖昧であり、年代の確定に困難を極めている。編年が確立されているかにみえる社寺建築の場合でも、編年の信頼性が著しく高いかといえば疑問符がつくであろう。このような状況を背景にして、近年、木造建造物の年代比定に科学的年代測定の手法を導入しようという動きが芽生えつつある。木造建築部材の科学的年代測定には、①年輪年代測定、②放射性炭素年代測定が適用されるが、「近世」の時間幅において建築部材の大半はクリ・ケヤキ・マツなどの広葉樹が多く、従来の年輪年代学の適用は難しい。このため放射性炭素年代測定に頼らざるをえないのだが、申請者は放射性炭素年代測定になお絶対的な信頼をもっていない。
そこでまず棟札等により文化十年(1813)の造替が判明している鳥取市の聖神社拝殿(県指定文化財)の桔木の放射性炭素年代(ウィグルマッチ)サンプルを採取し、業者に年代測定を依頼したところ、樹皮直下の最終形成年輪(=伐採年)は西暦1793~1822年を示した。この年代幅は文化十年を含んでおり、放射性炭素年代測定の信頼性はある程度確認されたと考えている。
このことを踏まえて、倉吉市の長谷寺本堂(県指定文化財・年代未詳)のサンプル採取・分析に着手した。長谷寺本堂の柱や大引等から5つのサンプルを採取し、炭素14年代を測定した結果、以下の2柱で室町中期(14世紀後半~15世紀前半)の年代が得られた。
①D05柱上端(カヤ属・最終形成年輪未確認・AMS法)
1401(95.4%)1439AD
②E05柱上端(ケヤキ79年輪・最終形成年輪未確認・ウィグルマッチ)
1351(95.4%)1399AD
この2材は床上柱であり、樹皮直下の最終形成年輪を残していないが、木取りの常識からして最終形成年輪の外側に100以上の年輪があったとは考えられないので、おそらく15世紀前半、遅くとも15世紀末までの伐採材と推定される。長谷寺本堂内陣の厨子は室町後期(16世紀)の作とされる重要文化財であり、本堂が厨子に先行して造営された可能性が高まってきた。
1.研究課題名:
近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究
2.研究年度: 平成25年度
3.成果概要:
文化財としての建造物はおもに「歴史的価値」と「芸術的価値」によって評価され、前者の場合、当初の建築年代がとくに重要な位置を占める。建築年代の判定にとって最も信頼性のある史料は「棟札」だが、「棟札」等の文字史料を残さない場合も少なくなく、多くは「様式」編年に頼ってきた。しかし、民家・町家の様式変遷は曖昧であり、年代の確定に困難を極めている。編年が確立されているかにみえる社寺建築の場合でも、編年の信頼性が著しく高いかといえば疑問符がつくであろう。このような状況を背景にして、近年、木造建造物の年代比定に科学的年代測定の手法を導入しようという動きが芽生えつつある。木造建築部材の科学的年代測定には、①年輪年代測定、②放射性炭素年代測定が適用されるが、「近世」の時間幅において建築部材の大半はクリ・ケヤキ・マツなどの広葉樹が多く、従来の年輪年代学の適用は難しい。このため放射性炭素年代測定に頼らざるをえないのだが、申請者は放射性炭素年代測定になお絶対的な信頼をもっていない。
そこでまず棟札等により文化十年(1813)の造替が判明している鳥取市の聖神社拝殿(県指定文化財)の桔木の放射性炭素年代(ウィグルマッチ)サンプルを採取し、業者に年代測定を依頼したところ、樹皮直下の最終形成年輪(=伐採年)は西暦1793~1822年を示した。この年代幅は文化十年を含んでおり、放射性炭素年代測定の信頼性はある程度確認されたと考えている。
このことを踏まえて、倉吉市の長谷寺本堂(県指定文化財・年代未詳)のサンプル採取・分析に着手した。長谷寺本堂の柱や大引等から5つのサンプルを採取し、炭素14年代を測定した結果、以下の2柱で室町中期(14世紀後半~15世紀前半)の年代が得られた。
①D05柱上端(カヤ属・最終形成年輪未確認・AMS法)
1401(95.4%)1439AD
②E05柱上端(ケヤキ79年輪・最終形成年輪未確認・ウィグルマッチ)
1351(95.4%)1399AD
この2材は床上柱であり、樹皮直下の最終形成年輪を残していないが、木取りの常識からして最終形成年輪の外側に100以上の年輪があったとは考えられないので、おそらく15世紀前半、遅くとも15世紀末までの伐採材と推定される。長谷寺本堂内陣の厨子は室町後期(16世紀)の作とされる重要文化財であり、本堂が厨子に先行して造営された可能性が高まってきた。