fc2ブログ

2013年度研究実績報告(Ⅱ)

平成25年度鳥取環境大学学内特別研究

1.研究課題名:

   近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究

2.研究年度: 平成25年度 
3.成果概要:

 文化財としての建造物はおもに「歴史的価値」と「芸術的価値」によって評価され、前者の場合、当初の建築年代がとくに重要な位置を占める。建築年代の判定にとって最も信頼性のある史料は「棟札」だが、「棟札」等の文字史料を残さない場合も少なくなく、多くは「様式」編年に頼ってきた。しかし、民家・町家の様式変遷は曖昧であり、年代の確定に困難を極めている。編年が確立されているかにみえる社寺建築の場合でも、編年の信頼性が著しく高いかといえば疑問符がつくであろう。このような状況を背景にして、近年、木造建造物の年代比定に科学的年代測定の手法を導入しようという動きが芽生えつつある。木造建築部材の科学的年代測定には、①年輪年代測定、②放射性炭素年代測定が適用されるが、「近世」の時間幅において建築部材の大半はクリ・ケヤキ・マツなどの広葉樹が多く、従来の年輪年代学の適用は難しい。このため放射性炭素年代測定に頼らざるをえないのだが、申請者は放射性炭素年代測定になお絶対的な信頼をもっていない。
 そこでまず棟札等により文化十年(1813)の造替が判明している鳥取市の聖神社拝殿(県指定文化財)の桔木の放射性炭素年代(ウィグルマッチ)サンプルを採取し、業者に年代測定を依頼したところ、樹皮直下の最終形成年輪(=伐採年)は西暦1793~1822年を示した。この年代幅は文化十年を含んでおり、放射性炭素年代測定の信頼性はある程度確認されたと考えている。
 このことを踏まえて、倉吉市の長谷寺本堂(県指定文化財・年代未詳)のサンプル採取・分析に着手した。長谷寺本堂の柱や大引等から5つのサンプルを採取し、炭素14年代を測定した結果、以下の2柱で室町中期(14世紀後半~15世紀前半)の年代が得られた。
  ①D05柱上端(カヤ属・最終形成年輪未確認・AMS法)
    1401(95.4%)1439AD
  ②E05柱上端(ケヤキ79年輪・最終形成年輪未確認・ウィグルマッチ)
    1351(95.4%)1399AD
 この2材は床上柱であり、樹皮直下の最終形成年輪を残していないが、木取りの常識からして最終形成年輪の外側に100以上の年輪があったとは考えられないので、おそらく15世紀前半、遅くとも15世紀末までの伐採材と推定される。長谷寺本堂内陣の厨子は室町後期(16世紀)の作とされる重要文化財であり、本堂が厨子に先行して造営された可能性が高まってきた。


続きを読む

瞑想修行 @ 光澤寺

0425光沢寺10夜景


ヴィパッサナーとサティ

 4月25日(金)、計14名で八頭町の池中山光澤寺に訪れた。まずはじめにご住職から寺院について説明を受けた。光澤寺では宗派など関係なく訪問者を迎え入れる。光澤寺を訪れる方は9割ほどが若い20~30代の女性であり、心の拠り所として仏教の修行をされるという。ご本尊の阿弥陀如来立像が前かがみになっている。だれにでもすぐ手を差し伸べ救済する姿勢をあらわしている。その後、ヴィパッサナーとサティという修行をした。ヴィパッサナーとは「よく観る」「物事をあるがままに見る」という意味で、上座部仏教の観行瞑想をさし、世界中に普及している。この瞑想の実践者の代表例はスティーブ・ジョブズだとご住職は説明された。物事をあるがままに観察するヴィパッサナー瞑想に対して、集中力を育てる瞑想をサマタ(止観)といい、あらゆる仏教でこの二つの瞑想が双修される。サマタ瞑想の一つにサティがある。対象に価値判断を加えることなく、中立的な立場で注意を払うことを意味し、あらゆる事柄に注意を向けて、中立的によく「観察」し「気づく」ことを目的とした瞑想修行である。


0425光沢寺07瞑想01


 瞑想は本来ゆっくりとした動作で2時間ほど行うが、今回はさわりだけ体験した。自分の呼吸に注目し、意識を集中させることによって、心を「無」の状態にし、心への負担を軽減することができる。瞑想を行うと集中力を高めることができる。瞑想前は悩みがあっても、体験をするうちに心の整理ができる方が多いと聞いた。
 瞑想はよい体験になった。普段できない体験ができて非常に有意義であった。私はこれまであまり集中することができなかったが、自分自身を見つめ直す機会を設けることは大切だと思う。瞑想の上級篇や写経・読経なども学べる機械があれば嬉しい。(環境学科3年S.T)


0425光沢寺07瞑想03 0425光沢寺07瞑想02


呼吸する私

 4月25日(金)。4年生・院生合同ゼミに新3年生を帯同して「光澤寺」&「宿坊光澤寺」を再訪しました。今回の目的は瞑想修行です。まずご住職の仏法講話をお聞きしました。仏教のルーツや大乗仏教・上座部仏教・チベット仏教についてお話されました。私が一番印象に残ったのは「縁」という言葉です。今回この体験をさせていただいたのも「縁」がなければ出来なかったことですし、結局は何事も「縁」で導かれているのだと思いました。
 私たちは瞑想修行が初めてなので、入門編の瞑想に取り組みました。私は今まで瞑想と坐禅の違いを知りませんでした。瞑想は釈迦が悟りを開いたときのスタイルをモデルにしているそうで、心を安らげ穏やかにすることを目的としています。坐禅よりも瞑想の方が楽であり、ちょっとしたトレーニング感覚で入っていけます。出来きます。座り方に規則はありません。長い時間瞑想を続けるには自分が一番楽な姿勢で行うのがよく、そうすることで自分の世界に入り込みやすくなるそうです。今回は座布団より前に足を出し崩して坐り、印を組んだ掌を膝の上に目を閉じました。


0425光沢寺09記念撮影


続きを読む

第2回「オリジナリtea -ハーブの茶法-」

0424茶室01開墾07 0424茶室01開墾06


 4月24日(木)。大学の裏山にある「廃材でつくる茶室」の奥にハーブを育てるために畑を作る。今回はその畑を作る場所を確保するために茶室裏の灌木を伐採した。
 3人1組に分かれ、のこぎりや鎌を使って最初は細い灌木を中心に伐っていった。伐り始めた時は枝と枝が絡まってうまく倒せなかったり、伐った木を置く場所がなかったりで、みんな苦労していた。しかし、徐々に細い灌木が減っていった。伐採木の枝打ちや裁断をしつつひとまとめに置くことができるようになった。細い灌木をある程度伐り終わったら、次は太めの灌木伐採に着手した。
 大きい樹を伐るときは周囲に人がいないこと確認しないといけない。実際伐採木が女子学生に倒れていきそうになった。先生に注意された。伐採木のなかで椎茸の原木栽培に使えそうなシイなどは約1メートルの長さに切り分け、日当たりのいいところに立てかけて乾燥させた。3週間ばかりでタネ駒植え付けができるという。


0424茶室01開墾08


 4限目が終わるころには大きい灌木もある程度伐り終わった。最初は群れをなす灌木のために暗かった場所が、とても日当たりがよくなり、畑を作るのに適した場所になった。
 ぼくは経営学部だから普段授業でフィールドワークをやらないので、とても疲れました。それに、のこぎりを使って樹を伐るのは今までにあまり体験したことがなかったので、最初は一つの樹を伐り倒すのにとても苦労しました。しかし、のこぎりを使うのにも慣れると、樹を切るのも速くなりました。最初は樹がたくさんあり、森の奥に進むのも苦労するぐらいでしたが、徐々に灌木が減っていき、最後は空が見えるようになりました。自分たちで伐採したことに達成感を感じました。(経営学科2年O.Y)


0424茶室01開墾09 0424茶室01開墾10
↑日の当たる広場になった森
0424茶室01開墾08ピース01
↑おなじみの構造実験テストピース(廃材)。今回はどう使うでしょうか?

続きを読む

摩尼寺庫裏で棟札発見の報道

140426日本海新聞01圧縮 140426日本海新聞


 ガラケーの記録を確認すると、4月17日に日本海新聞から電話があって取材を受けている。無住になった摩尼寺庫裏で棟札が発見されたという報せに驚きを隠せなかった。この1月末から摩尼寺住職の兼務となった大雲院の田尻ご住職が発見されたという。それが26日になってようやく記事になった。
 上の画像(右)をクリックしていただければ全文が読める。棟札は庫裏の中央付近の柱に固定されており、文政六年(1823)の再建を記している。昨年私どもが発見した本堂の棟札が安政七年(1860)であり、本堂より37年古い上棟であることが分かる。今年度末に財産台帳を精査したところ、庫裏の建築年代は天保年間(1830-1844)となっており、本堂より古いと予想していたが、棟札の記載が正しいとすれば、さらに建築年代が遡ることになる。
 じつは、水曜日(23日)のゼミで摩尼寺を訪れた際、学生諸君に対して「今年度前期の後半は摩尼寺庫裏」の調査を演習とすることを宣言したばかりであり、さらに金曜日(25日)の光澤寺での瞑想修行と宿坊視察の後には「摩尼寺の庫裏を調査し宿坊として再生させる計画を練ろう」と提案したところであった。
 新聞報道によると、田尻ご住職は「庫裏をきちんと修復して参拝者や観光客の休憩所として利用してもらい、摩尼寺を観光の名所として復興したい」という意志を示されているようだ。ASALABの思惑と整合すればよいと願っている。


2013摩尼庫裏01 2013摩尼庫裏04
↑庫裏(2013撮影、今はもっと傷んでいる) 【右】本堂と庫裏をつなぐ渡廊下
2013摩尼庫裏03 2013摩尼庫裏05
↑庫裏向拝虹梁絵様

続・チビシイタケ 80枚!

0423摩尼山05たけのこ01


原木、移動・・・

 4月23日(水)、居住環境実習・演習Ⅱの「文化遺産・歴史的環境保全グループ」の3年生7名とASALAB4年生・院生の計13名で摩尼山を訪れた。天気は快晴、春の陽気で気温も程よく、トレッキング日和だった。

 今回の主な目的・・・
  ・山道中に設置されているサインボード(案内板)の修復
  ・同じく山道中の倒木の伐採(シイタケ栽培の原木に利用するため)

 山道では二手に分かれて上記の作業を行った。
 サインボード班は、針金をもって修復にあたった。サインボードはシイの伐採木をリサイクルしたもので、山中の樹々に直接巻きつけられていた。縄が切れて地面に落下したサインボードを針金で樹幹に巻きなおす作業だったが、樹の成長に負担をかけない工夫として針金に少しゆとりを持たせた。
 倒木伐採班は、ノコギリを使って倒木を1m弱程の長さに切り出した。裁断した倒木は、乾燥させるために道の端へ並べた。私はサインボードの修繕班だったが、ノコギリを引く作業はなかなかの重労働だったようだ。


0423摩尼山04奥の院 0423摩尼山02立て岩02縦


 それらの作業が終わり、シイタケ原木栽培している摩尼寺「奥の院」遺跡Ⅱ区で小休憩となった。その時、教授の提言で原木の置き場所の移動をおこなうことになった。シイタケを無断で持ち去る人への対策だそうなので、移動先は伏せておくことにする。移動前にシイタケを収穫したが、小さいものがほとんどだった。ちなみに教授はいつの間にか道中でタケノコも収穫していた。
 山頂でも小休憩をはさみ、摩尼寺方面へ下山した。「奥の院」など各要所では、教授から遺跡の歴史やあらましについての簡単な説明があった。こうして今回の摩尼山のトレッキングの一連が終了した。

【今回の成果】
 ・5つのサインボード修繕、倒木の伐採完了、シイタケ原木の移動完了
 ・シイタケ 80個、タケノコ 2本


0423摩尼山06原木栽培 0423摩尼山06原木栽培00


続きを読む

チビシイタケ 80枚 !

DSC04080.jpg ←道を塞ぐ倒木


新3年生と摩尼山へ

 4月23日(水)。3年・4年・院生合同で摩尼山で活動しました。私は、今年初めて摩尼山に登りましたが、今まで以上にきつくて、運動不足だなぁと感じました。この日の主な活動は、サインボードの修理、登山路の倒木処理(シイタケ栽培原への加工)、「奥の院」遺跡での原木の移動などでした。私は、まず倒木の切断班で活動しました。今年はゼミのメンバーが多く、作業もスムーズに進みました。のこぎりが少し壊れるなどのハプニングもありましたが、10本くらいの原木を確保し、渓流沿いの斜面に横たえて乾燥させました。こんど摩尼山に来る際には大学に原木を持ち帰ることになるでしょう。サインボード修理のグループは、2年前に縄で設置したサインボードが樹から落ちていたので、針金をまきつけて固定しなおしていきました。


DSC04074.jpg


 やや遅れてサインボード修復班が倒木切断現場に合流し、みんなで「奥の院」遺跡まで登って行きました。4年生は今までにも何度か登っていましたが、3年生は1年次の環境学フィールド演習以来のことのようで、先生から摩尼山での活動や遺跡について説明をうけながら、山を歩きました。遺跡に着いておやつで休憩。激辛の柿ピーに悲鳴の声も・・・その後、シイタケを収穫。小指の先ほどのキノコが多く、数もあまり多くないと思っていましたが、これが80個もあるので驚きました。


DSC04085.jpg


続きを読む

書評『建築考古学の実証と復元研究』(2)-2

考古学との距離

 書評の読後感想を述べると、「相当な批判」というほどの批判ではないよね。「なんだ、この程度か」というのが偽らざる心境です。黒田さんは自分のことを復元の「アマチュア」だと謙遜されている。当方からみれば、「神社建築史、とくに中世の専門家」というイメージが強いので、なにゆえ古墳時代以前の世界に踏み入ってこられたのか、理解に苦しむところがある。文献研究に徹していれば尊敬されるものを、なにを好きこのんで、こんな(汚れた?)業界に入ってきてしまったのか。いつかどこかで、そういう雑談をしたこともあった。黒田さんに限らず、工学部建築学科で教育をうけた建築史研究者は、できるなら、テーマを平安時代以降に設定したほうがよいと思う。時代が古くなればなるほど、考古学の影響が強くなり、やっかいな足枷になるんだから。 
 黒田さんは「奈文研に在籍した研究者」と「それ以外の研究者」を分けて論じている。たしかに発掘調査や遺構解釈の経験を積むことなく、建築考古学的な研究に取り組むのは無謀です。スケール(音階)やコード(和音)の基礎を学ぶことなくアドリブに挑もうとしているようなものだからね。泥沼に入る覚悟がないならば、この世界から距離をおいたほうが賢明でしょう。発掘調査をまともにやったこともない研究者が「遺構に即した解釈」を力説しても説得力ありません。
 ただ一言付け加えておくと、私は「奈文研に在籍した研究者」という枠組で括りきれる人材では決してない。研究所の内部でも異端であり、他の所員とはちがう世界に目を向けていた。同僚たちは基本的に日本建築史をベースにして律令時代の都城史・建築史に取り組んでいるのであって、古墳時代以前に興味をもっている研究者はほとんどいない。対して、わたしの建築考古学の主たる関心は縄文・弥生時代であった。縄文・弥生で救われ、縄文・弥生に(考古学の)限界をみたってところかな?

民族芸術としての復元建物

 ところで、書評では突然「不恰好」という言葉がでてくる。これには驚いた。どうして黒田さんはこの言葉を持ち出したのか。ひょっとすると、黒田さんは極楽寺ヒビキや纏向等の復元案を不恰好だと評されたことがあって、トラウマになっているのではないか。そんな邪推をしたりしていたのだが、自分の本を読み返してみると、たしかに「不恰好」という表現を使っていた。てっきり忘れてしまっていたのである。そういえば、纏向の大型建物の入母屋造屋根のデザインを検討する際にできるだけ見栄えをよくする(不恰好にならない)ように構法や寸法の調整をした。それを記録にとどめたのである。
 これと関連するかどうか分からないが、私が「先史」時代の建築に興味を抱いたのは、もともと民族建築を専攻していたことが根っこにある。世界の民族建築はおしなべて「不恰好」ではない。多くは、ため息がでるほどの美を蓄えている。日本だってその例に漏れないでしょう。社寺などはいうに及ばす、今に残る中近世の民家(日本の民族建築)は、民衆の知恵が醸成した「建築家なしの建築」として民族芸術の粋(すい)を集めたものである。縄文、弥生、古墳時代の建築にしても相応の美を備えていたにちがいない。ヴィトルヴィウスの指摘を待つまでもなく、建築とは用・強・美の三拍子揃って初めて成り立つものであるから、美について検討するのは当然のことであろう。ところが、(わたしの作品を含めて)復元建物には不恰好なものがたしかに多い。復元に携わる者として、これは乗り越えなければならない大きな壁だと思っている。『建築考古学の実証と復元研究』では言及していないけれども、2002年の第27回遺跡環境整備会議(一戸)で発言して以来、このことをずっと自分に問いかけてきた[浅川2003]。復元建物を「芸術」のレベルに押し上げるにはどうすればよいのか、と。


続きを読む

書評『建築考古学の実証と復元研究』(2)-1

雑誌は何処?

 報告書2冊と紀要が出そろったので、研究所に届けに行った。紀要論文②の共著者Sくんと室長が迎えてくれた。Sくんは手に抜刷をもっている。『建築史学』の最新号に書いた関口欣也著作集の書評であった。しばらくして、今度は室長が言う。

  「アサカワさんの本も書評にでてましたね」

 目が点になった。はぁ~?

  「知らないよ、しらない。そもそも、なんで『建築史学』届いてないの?」
  「届いてるはずですよ。あんまり大学に行ってないんじゃないですか?」
  「(ドキッ)いや・・・行ってますよ」
  「ヨーロッパで遊んでたんでしょ?」
  「(冷汗)えっ、まぁそうだけど・・・いつ出たの、この雑誌?」
  「4月初めです」
  「まぁいいや、読まなくてもいいわ、書評なんぞ、どうでもいい」
  「いや、読んだほうがいいと思いますよ(ニタニタ)」
  「・・・・」

 いつものことながら、『建築史学』の最新号は演習室か教員室のどこかに放置されているにちがいない。だけどね、本の書評を書いたんなら、作者に「書きます」とか「書きました」とかいう連絡があってもよいように思うのですが、何の音沙汰もないばかりに書評掲載誌を研究室という名のゴミ箱に廃棄?してしまったじゃありませんか、とほほ・・・

書評『建築考古学の実証と復元研究』

 とりあえず、書評はコピーしてもらいました。図書情報を示します。

   黒田龍二(2014)書評
   「浅川滋男著『建築考古学の実証と復元研究』」
   『建築史学』第62号:p.134-146、建築史学会、2014年3月31日



 

続きを読む

プロレスラーの知恵袋

プロレスのテーマと即興

 21世紀に入るまで、私は無類のプロレス好きだった。酒席でプロレスの話題になると忘我の状態に陥り、いつも以上に饒舌になったものだが、周囲から「あんなもん八百長だ」と馬鹿にされたことが何度もある。分かってませんねぇ。あれは八百長というよりも、エンターテイメントなんだな。少しニュアンスがちがう。英語では fixed(game)が八百長にあたるであろうが、プロレスの場合は booked という言葉がよく使われる。直訳すれば「(勝敗が)予約された」ということだが、砕いて言うなら「シナリオがある」ということなんだと思う。ミッキー・ローク主演の『ザ・レスラー』で控え室にいるレスラーたちの打ち合わせ風景が何度もでてくる。対戦するレスラーが簡単なシナリオを共有して試合に臨むわけだ。村松友視流にいうと、それはジャズの「テーマ」に似ている。ジャズメンは短いテーマと簡単な約束事を決めるだけで、あとは自由に即興演奏を繰り広げる。腕が達者なミュージシャンなら、ほんのわずかな約束事だけで思いっきりスィングしちまうが、下手くそはすべりまくりでどないもならない。プロレスでも、達者なレスラー同士が戦えば猛烈にスィングしてどっちが勝つのか分からなくなってハラハラするが、下手くそだと、乗りのないまま勝敗が決して、ハイお終い。

世界最強のプロレスラー

 プロレスにおいて「だれが最強か」などという疑問は意味がない。「だれが最強にみえるように演技しているか」が重要なのであり、その点、アントニオ猪木は突出した才能の持ち主であった。我われは booked という前提を受け入れつつ、プロレスの試合を楽しみ、選手の演技力とレスリング力を見極めるべきなのだ。しかししかし、ガチで戦ったら、いったい誰が強いのか、という疑問を捨てきれずにいるプロレスファンも少なくないだろう。業界用語でいうところの「セメント」あるいは「シュート」なら、どのレスラーが強いのか。プロレスにおけるセメントやシュートは「総合格闘技」ではない。セメントマッチは基本的にサブミッション(関節技)に終始する。まれに投げ技(スープレックス)も入るが、滅多に決まらないだろう。総合格闘技はこれらに加えて打撃が重要な位置を占める。とくにパンチの威力は強烈だ。一発イイのをもらったら、即オワル。キックはどうか。K1のレベルはやばいが、UWFのレベルなら許容の範囲だろう。
 となれば、セメント・マッチとは旧UWFのレスリングそのものではないか、と反論されるかもしれない。これがちがうんだな。UWFもインターもリングスもすべて booked であって、真剣勝負ではなかった。だからこそ、これを真剣勝負でやったらどうなるのか、という謎解きをしたくなるのである。ある深夜、そういう質問を「ヤフー知恵袋」のなかに多数発見し、興奮して眠れなくなった。テーズ対ゴッチ、ハットン対ホッヂ、サンマルチノ対モラレス、ゴーディエンコ対ボック、猪木対ロビンソン、マードック対藤波、長州対藤原、前田対坂口・・・こういう組み合わせをセメントでやるとどうなるのか。わくわくするでしょ!?
 知恵袋のBA(ベストアンサー)に選定される人たちは素晴らしい回答をしている。並みのプロレス評論家ではかなわないほどの知識と情報を有しており、説得力ある結論を導いているのだ。ここに敬意を表します。



↑カール・ゴッチ初来日。吉村道明、渋いね。

続きを読む

『鳥取環境大学紀要』第12号 刊行!

 『鳥取環境大学紀要」第12号が刊行されました。昨年に続きASALAB関係の論文が2本掲載されています。いずれも、摩尼山・摩尼寺を「山のジオパーク」と位置づけて活動していた2012年度の成果です。昨年度は境内建造物の調査に終始し、今年度もその継続調査に携わりますが、同時に発掘調査報告以後の論考をまとめた報告書を刊行する予定です。
 それに先駆け、以下の2論文を鳥取ロータリークラブ卓話とあわせて仮製本し、関係者に配布する予定です。抜き刷りを入手希望の方はご連絡ください。

 ①中島俊博・浅川滋男(2014)
   「山のジオパークにむけて-摩尼山を中核とする景勝地トライアングルの構想-」
    『鳥取環境大学紀要』第12号:p119-136

 ②鈴木智大・中島俊博・浅川滋男(2014)
   「甘露寺と福建省の古刹」『鳥取環境大学紀要』第12号:p137-156


 図書情報
  書名: 『鳥取環境大学紀要』第12号(156p.)
  発行日: 2014年3月31日
  発行者: 鳥取環境大学情報メディアセンター運営委員会
  印刷所: 勝美印刷株式会社

拝啓、ドンベエさん

04163年初ゼミ03茶室03山ツツジ01


山ツツジ

 茶室のある裏山の照葉樹林にぽつんぽつんと咲く山ツツジを発見しました(↑)。昔から山ツツジがとても好きでしてね、好みのタイプを問われると「山ツツジのような」と答えていたころがあります。あんまり綺麗なので、森の奥まで這入って一枝切り取ってこようかとも思ったのですが、山ツツジは山にあるから美しいのであって、花瓶につきさして部屋に飾っても山でみるときほどの感動がないことを思い出しました。


餌付けされた教師

 演習室に戻ると、別の華が一輪(↓)。彼女は7期生で、隣のE研にいた卒業生です。指導教員に面会にきていたところを拉致して記念撮影した次第。きっかわさん(別名ドンベエさん)の同級生です。卒業研究展の直前、ゼミ室でくつろいでいたところに彼女があらわれたので、お菓子を二つあげたんです。すると、しばらくして、彼女はお返しをもってきた。女子学生からお菓子をもらうなんて滅多にないことなんで喜んでたら、あとで指導教員のE先生に笑われました。Fさんが言ってましたよ、「A先生は餌付けしましたから大丈夫です」って。
 卒業研究展では、卒業作品の教員投票がおこなわれるんですが、要するに、わたしはお菓子二つで買収されてしまったわけでありまして、じつは、たしかに、恥ずかしいけれども、彼女の作品に一票投じた記憶があります。男の先生なんてちょろいもんだと思われたでしょう。お菓子二つで転がせるんだからね。あれからもう3年経ったんだ。


04163年初ゼミ02フジタ01
↑扉の影に映る謎の人物はだれでしょう。春休みは1ヶ月間インドを放浪。お土産のチャイ茶葉を頂戴しました。抗生物質が切れた後半からひどい下痢に悩まされ、インドはコリゴリだそうであります。もう少し相手をしたかったんですが、夕方は1年生のチュータ(担任)会があり、7名を引き連れて南海飯店に出陣。


続きを読む

茶室の衣替え

04163年初ゼミ03茶室02 04163年初ゼミ03茶室01

 
 3年ゼミに先立つ16日(水)の昼下がり、4年生と院生を引き連れて「廃材でつくる茶室」へ。シイタケは駄目でした。先回の採取から2週間経過し、もっとたくさん出ているだろうと期待したのですが、ホダギの裏側で笠をひろげている2枚のみまともで、陽光を浴びた残りの13枚はホダギについたまま半乾燥状態になっている。
 ごらんのとおり(↑)、一冬越した茶室のブルーシートをめくって折りたたみ、茶室は本来の外観を取り戻しました。雨漏りはまったくなく、カビの生えているところもありません。屋根・壁の防水処理は完璧だったということです。これもまたプロジェクト研究1&3「オリジナリtea」のための下準備です。ちなみに、今回は茶室周辺でハーブの栽培地を確保する予定であり、そのためには灌木伐採して「畑地」をつくる必要がある。そのさい伐採されたシイ等の木材を使って再びシイタケの種駒植え付けをしようと思っています。シイを原木にする場合、シイタケが実るのは3~5年と言います。したがって、1年おきに種駒植え付けしておかないと、5年もすればシイタケは採れなくなってしまうのです。持続可能なシイタケ栽培をめざしま~す(陳腐な表現だね)。【続】


04163年初ゼミ04キノコ02 04163年初ゼミ04キノコ01
↑今回収穫したシイタケ 
20140420シイタケ00310000
↑一丁ア~リ。椎茸とヒジキと油揚げの煮物。美味しいよ。

第1回「オリジナリtea -ハーブの茶法-」

0417記念撮影01 0417記念撮影02


P1&P3スタート

 17日(木)。今年度のプロジェクト研究1&3が始動しました。1年生9名、2年生8名の大所帯です。ガイダンスはなかなか楽しい雰囲気でしたよ。昨日のハーブ記事は、今日のための前振りだったのね。シラバスを抜粋して転載しておきます。

 <テーマ>

    オリジナリtea -ハーブの茶法-

 <概要>  インドの伝承医学「アーユルヴェーダ」で“比類なきもの”と賞賛されるトゥルシーとはホーリー・バジル(聖なるバジル)のことです。つまり、ハーブの王様、バジルの一種。これをお茶にしたトゥルシー・ティーを飲むとさまざまな薬効があり、古代インドでは「医者要らず」とも呼ばれてきました。本プロ研では、バジル、ミントなどのハーブを自ら栽培し、オリジナリティの高いハーブティーを創作し、その茶会を開催します。栽培の場所は大学の裏山。発表会(茶会)は裏山に建つ「廃材でつくる茶室」でおこないます。

       人生は、お茶の(時間の)ためにある

 <到達目標>
 1.ハーブティーとなる薬草・香草の種類と薬効を学ぶ。
 2.山陰地方の野草茶(はま茶)の製法を学ぶ。
 3.自らハーブを栽培し、自らハーブティーを創作する。
 4.ハーブティーの茶会を開く(発表会)


04163年初ゼミ01 


3年・4年の初顔合わせ

 16日(水)には3年生ゼミ(P5)もスタートし、4年生・院生との初顔合わせしました。新3年生は公立大学の1期生であり、いったい何名がASALABを選択してくれるか不安でしたが、結果は6名(男5女1)でした。ところが、この日、他ゼミを選択しながら、水曜日の居住環境実習・演習ⅡのASALAB指名者(男)が1名あらわれ、水曜日の3年ゼミは事実上7名が参加することになりました。結果、ASALABの学年配分は、

   1年:9名  2年:8名  3年:7名  4年:5名  院生:1名

となります。公立化後の学生増がひしひしと実感される今日このごろ。有り難いことだね。


04163年初ゼミ001

ホーリーバジルと世界一まずいお菓子について

0416ハーブ01 0416ハーブ02


猫のハーブティー

 気がつけば4月も中旬で鉢植えの季節です。この週末に20株ばかり植えました。例年よりもハーブに力を入れています。「茴香」に執心していたのは医食同源プロジェクトのころだから2011年か。今年はハーブというよりもハーブティーが目当てでして、その理由はいずれまもなく明らかになるでしょう。
 上の写真はみなハーブ・ティーになるであろう香草です。じつはまだ良く分かっていないですが、左から右に向かって以下の苗種が並んでいます。

  1.コモンマロー   2.ムスクマロー  3.キャットニップ
  4.ピソップパープル   5.キャットミント  
  6.レモングラス     7.イングリッシュ・ミント

 3と5には「猫」の名前がついてますね。ハーブにおける猫の記号とはなんぞや??

 このほか、スィートバジル2株とミツバ1株も植えました。おそらく皆さん知らないでしょうが、バジルもミントティーになるのね。


0228宮崎英国式庭園03


ホーリーバジルのトゥルシー・ティー

 今年の2月末日。宮崎シーガイヤのなかにある英国式庭園に付設されたティールームでお茶したんです。そこで「トゥルシー・ティー」なるハーブティーを知りました。インドの伝承医学「アーユルヴェーダ」で“比類なきもの”と賞賛されるトゥルシーとはホーリー・バジル(聖なるバジル)のこと。スィートバジルのような白い花ではなく、赤い花を咲かせるようです。


0228宮崎英国式庭園01イエ01


続きを読む

生誕一周年

0416さつき03 0416さつき 0416さつき02


 デブの一周忌から3週間過ぎて、今度はサツキの1歳の誕生日を迎えました。五月生まれだから「サツキ」と命名したんですが、じつは4月17日生まれであることがあとで分かったの。でも、初対面が5月だから「サツキ」のままでいいや。字画占いも大吉ですしね・・・と言いつつ、サツキとかサッチャンとかサチコ?と呼んでもあまり振り向いてくれないな。ニャア、ニャンコ、チビなどの愛称でよく呼んでいます。
 親バカだと笑われるでしょうが、頭良いんですよ、この猫。ドアを開けることができるんだから。ドアノブに飛びついて引き下ろし、着地した瞬間に開き戸を押す。少し前まで、外側から内側に押し込むことしかできなかったけど、最近、その逆ができるようになりましてね。ドアノブにジャンプして着地した瞬間に開き戸を引き寄せるテクニックまで身につけてしまった。畏れ入ります。おまけに運動神経が尋常ではない。ジャンプ2回で天井近くの食器棚の天板まで飛び上がるの。前任者のデブとはえらい違いだ。デブは動きが鈍く、ときに気配を完全に消してしまう猫だった。

 可愛いですよ。強面のオヤジを怖がることなく、指をなめたり噛んだりしてくれます。この噛み方が絶妙でしてね。浜田(DT)のツッコミのように、痛いようで痛くない微妙な快感があるんだ。気持ちいいから、やめないでね。


0416さつき05
↑お茶の時間(バニラ・ルイボスティー)  
0416さつき04
↑バースデイ・イブに白魚の刺身をよく食べました。
0416どうだん001 0416どうだん002
↑(左)赤いサツキ (右)どうだんつつじ(満天星
 

シャン高原の青い海(Ⅵ)

04 ワイン畑 02 ワインレストラン


ワイナリーでブランチ

 12月27日。5日目はカローからインレー湖東に移動し、カック遺跡を視察し、その後タウンジーの町に移動した。カック遺跡へ移動する道中、タウンジー郊外でワイナリーをたまたま発見し、そこでブランチをとることになった。ワイン工場にレストランが付属していて試飲もできるし、周辺の葡萄畑を見学できる。赤、白、ロゼを試飲し、ロゼを選択した。町のスーパーでならもう少し安くボトルを買えるのだろうが、素晴らしい環境に包まれながら、テイスト用の大型グラスで飲むワインの味は格別で、ついつい財布の紐が緩んでしまう。
 レストランでは広く設けられたバルコニーデッキからワイン畑のパノラマを望める。とてつもなく開放的で気持ちが良い。これぞリゾートという感じである。昼に近づくと、外国人客が続々押し寄せてきた。食後、ワイン畑を見学(私は諸事情により行けていませんが・・・)。


03 ワイン畑 01 ワインレストラン
↑ワイナリー  ↓カック遺跡
05 カック遺跡 06 カック遺跡


続きを読む

シャン高原の青い海(Ⅴ)

09 まちなみ 04 パラウン民族


 12月26日。ミャンマーの4日目はシャン高原(カロー地方)をトレッキングした後、シュエウーミン洞窟寺院(カロー)を視察した。

シャン高原トレッキング

 車で山裾まで移動し、いざトレッキング開始。・・・がしかし、どうも腹の調子が悪い。私だけではなく、教授もだ。これは昨日食した何かにあたったのではないかと…だが生ものは極力避けてきたし、不衛生な食器にやられたか…と原因を模索しているなか、ガイドさんが「タマリンド・ジュースかもしれませんね」と一言。もともとタマリンド・ジュースには整腸作用・便秘解消の効用があるという。それも相まって、タマリンド自体が1~3月に収穫されるもので、使われたものが古かったのではないかと結論に至った。正露丸と抗菌剤(抗生物質)を飲む。それで腹の変調も納まってきたが・・・ 


01 藁葺き民家 100みかん畑
  

 天気は快晴、山道を歩く。山間部に散在する民家の屋根は鉄板葺きが多くなっている。だが、辺境であるからだろうか、茅葺きの民家もちらほらと点在する。床は低い高床式。揚げ床と言ったほうがよいかもしれない。教授によれば、「高床」は床下での活動が可能だが、「揚げ床」はそれだけのスペースがない場合に使われる用語だという。
 山裾から約1時間半かけて中腹に位置する、パラウン族の集落、ペイン・レイ・ピン村に到着。パラウン族はミカンを多く栽培しており、道中にもミカン畑が多く見られた。腹の変調に悩んでいた教授はついに耐えきれず、ミカン農家の厠を拝借された。


06 織物 05 ペインレイピン村


 ペイン・レイ・ピン村に住むウィーラタ・ドーウーさん家を訪問。老夫婦・息子・娘の4人家族で、現在は娘さんを除く3人で暮らしている。写真をみると、娘さんはたいそう美人であり、会えなかったのは残念である。おばあさんは織物を編んでいた。いわゆるイザリ機である。もっとも原始的な機織りの技法である。イザリ機で編まれたストールやショルダーポーチ等の販売もしており、もちろんお土産として購入。おまけに畑で採れたみかんをいただいた。
 ここではポラロイドカメラが大活躍。ウィーラタ・ドーウーさん家だけではなく、近所の方々も集まって、それぞれに撮影した写真を差し上げた。皆さん、みたこともないインスタント・カメラに驚喜し、その場で写真をさしあげると、たいそう喜んでおられてよかった。


08 ポラロイド② 07 ポラロイド
↑ポラロイドに驚喜する村人たち


続きを読む

シャン高原の青い海(Ⅳ)

02 鉄道 01 life circle bridge


 放ったらかしになっていた昨年末のミャンマー紀行文を再開します。教授は講義が始まり忙しいので、同行者として代筆します。


植民地時代の近代化遺産

 12月25日のクリスマス。三日目はインレー湖からシャン州の南部に位置する町ピンダヤに移動し、ピンダヤ洞窟を視察した。インレー湖からピンダヤまでは車で約2時間半。道中には広大な田園風景、また、英国植民地時代に建設された鉄道が現在でも使われている。Life Circle Bridgeと呼ばれる鉄橋が山あいから姿をあらわした。代表的な植民地時代の近代化遺産である。希少価値のある土木遺産であろうと感じた。聞くところによると、ヤンゴンからシュエニャウンまでを結ぶ鉄道が走っており、ここからヤンゴンに鉄道で戻ろうとすると丸1日かかるという。そういう旅もまた良いのかもしれない。
 ピンダヤに到着し、ピンダヤ湖に面するレストランで昼食。欧州人もちらほら居り、観光客向けのレストランであり湖畔に面した開放的な空間で気持ちが良い。昼食後、デザート代わりにタマリンドのジュースを飲む。少し甘酸っぱく、どす茶色い見た目とは違って、舌触りが軽く飲みやすくおいしい。がしかし、この後このジュースのおかけで体に異変が・・・


06 ピンダヤ洞窟寺院 参道 05 ピンダヤ洞窟寺院 参道


ピンダヤ洞窟寺院

 ピンダヤ洞窟は町の中心からやや離れた丘陵の丘の中腹に位置する。そのため参道口から数百段ある階段を昇らないといけない。これがまた勾配がきつく、とにかくバテた。ガイドさんは疲れる様子もなく、スタスタと上がっていく。「しんどくないですか?」と聞けば「余裕です」との回答。おそるべし、ミャンマー人。
 全部で3つの洞窟で構成されるピンダヤ洞窟は、天然の洞窟であり所狭しと仏像がならべられその数は8094体となり、石膏の上に金箔を貼った仏像やチーク材などでつくられた仏像など様々である。
寄進者に関しても様々で諸外国からの寄進も目立つ。現在も増え続けているため、仏像の数はそれ以上であろう。洞窟入口にはパゴダが建ち、パゴダに向かって屈んで拝む参拝者が何人もいる。


08 ピンダヤ洞窟寺院 仏像① 07 ピンダヤ洞窟寺院 パゴダと仏像


続きを読む

光澤寺を訪ねて

0411光沢寺10 140411光澤寺本堂


「やずブータン村」構想

 前回のブログで「職活動頑張ります」宣言をしてから約2ヶ月…ようやく某ハウスメーカーの内定をいただくことができました。春休み中ずっと就活して疲れましたが、報われて安堵しています。先生もおっしゃっていましたが、ぼくが内定を頂けるということは、建設業界の景気が上向いているのではないでしょうか。みんなが内定をもらったらお祝いをするそうなので、楽しみにしています。

 4月11日(金)。4年生・院生合同ゼミで八頭町南の浄土真宗本願寺派「光澤寺」&「宿坊光澤寺」(こうたくじ)を訪れました。先生が面談されたブータンのお客さま2名がお泊まりになったお寺です。既報のとおり、昨年10月に「第1回やずブータン祭り」を開催し、今まさに「やずブータン村」を構想中ということで、さっそくゼミ活動の視察地となりました。どのような思いを抱き、どんな活動をされているのか興味津々で現地に向かいました。前日になって突然の申し出であるにも拘わらず、快く御案内いただきましたご住職さまに深く感謝申し上げます。


0411光沢寺04 0411光沢寺05


 鐘楼門をくぐると本堂が目に飛び込んできました。どうやら近代和風建築のようです。外観はごく普通の仏堂なのですが、中に入ると、天井がとても高く、3方に壁がないので、とても明るく開放的であることに驚きます。これは珍しいことです。摩尼寺の本堂がそうですが、一般に本堂の内部は暗くて、照明や懐中電灯がないと実測調査できないものです。光澤寺では外部とさほど変わらぬほどの明度が確保されており、なんとも爽やかな気持ちになるのです。当日は快晴であったため、とても清々しく座禅瞑想をするのにこれ以上の場所はないと感じました。
 本堂の椅子に腰掛け、ご住職の説明をお聞きしました。ご住職はまだブータンに行かれたことがないそうですが、18年前に海外青年協力隊でブータンに行かれた親戚からブータンのことを聞かれ、「ブータン村」の構想を抱き始めたそうです。この情報に接したJICAブータン事務所長の女性も出国前日に光澤寺で1泊されたとか。


0411光沢寺01 


続きを読む

サテンドール(ⅩⅩ)

20140409はちどり001 20140409はちどり003メニュー


はちどりtable

 倉吉から帰ってジョージア・オン・マイ・マインド。ぐったり疲れてしまい、眠りこけて目覚めると深夜。車は吉野家へ向かった。「牛すき鍋御膳」じゃありません。初めて「牛チゲ鍋御膳」を注文したの。これ、美味しい。非常に上質のキムチ鍋です。ほんと、美味しい。あまりに美味しいので、レジで女性店員にその旨伝えると、彼女はとても喜び、店長に「美味しいって言われてますよ」と声をかけた。すると、店長がレジまでやってきて深々と頭を下げてくれた。牛丼屋さんで、こういう光景めったにないよね。値段は580円から590円にアップしているが、この値上げは消費税対応以外のなにものでもありませんね。すき家の「牛皿おろしポン酢定食」の爆上げが如何に異常が分かるでしょう。


20140409はちどり002


 翌9日の昼、学科会議があるのも忘れて「はちどりtable」のフォー定食を食べていた。ある筋からのご推薦でこの店を訪ねたのだが、正直、オヤジ向けの店ではないね。小綺麗な内装に東南アジア風のエスニック料理。音楽はフォーク系です。渋いフォークではなく、軽いフォーク。「生活の柄」のカバーが流れていたが、か弱い女性ボーカルに男性コーラスが絡んでくるのだけど、正直なところ、あまり体が受け付けなかった。山之口獏と高田渡の作品がこんなふうになるんだ。音だけで解釈すると、こうも軽くなるのか。悲しいね。
 この音楽が店のコンセプトをよくあらわしてます。女の子たちのためのエスニック料理の店です。(わたすのような)オヤジは不要。草に埋もれて眠るかもしれないヒトには似合いません。


20140409はちどり11580001


続きを読む

桜咲く倉吉(Ⅱ)

140408 花見08 0408倉吉03スムージー01


くだものや

 法華寺畑遺跡から市街地に戻り、町並みを散策しました。ぼくの修士研究の課題は科学的年代測定ですが、4年生の多くは倉吉を卒論のテーマに選ぶことでしょう。これからこの町が学生の戦場となるのです。町家と町並み、駐車場、看板建築などをじろじろ見てまわりました。倉吉に来るたびに町家の修復・改修が進んでおり、何かしらの変化を感じます。久しぶりにオークランドに入って骨董品や古家具をみました。値段が高すぎて、とても手がでません。
 オークランドの対面は撤去された町家のオモヤ部分を前庭にしたお店ができています。鳥取県産の果実を使ったスムージーが楽しめる店「くだものや」です。メニューはイチゴ、梨グリーン、フルーツトマトの3種です(どれも550円)。対面にみえるオークランドの屋根にみとれていると、またしても先生から謎かけ質問が・・・まぁ、スムージーができるまで時間つぶしにはわるくはありませんが・・・

 【質問】正面の町家の棟にのせられている石の名前は何というでしょうか?
   A かまちいし   B きまちいし   C くまちいし
   D けまちいし   E こまちいし


0408倉吉03スムージー02 


 回答者無言・・・二択に絞るようお願いしました。すると、先生はAとBを残しました。不安ながら、ぼくは「きまちいし」と答えました。どうやら正解のようです。社長によると、「来待(きまち)とは宍道町にある地名で、そこで産出される凝灰質砂岩を来待石というのだそうです」。柔らかい凝灰岩で、これを棟にのせることがステータスシンボルであり、また火事の際はひんやりとした石の上を歩いて消火活動をしたらしいです。さらに会長によると、「倉吉の赤瓦は来待石の粉末を粘土に混ぜて焼いた石州瓦の特殊なもの」とのこと。
 ところで、前庭の椅子に腰掛けていて、この空間がなにか懐かしいものに思えてきます。あれだ、あれ、竹蔵さん(7期生)の卒業制作「彼方への扉」にでてくる鯛焼屋さんがこういう空間構成をしてました。腰掛けの配置された前庭があって、その奥に鯛焼屋がある。考えれば、よく似てますね。こうしてみると、「あかり舎 cafe」(↓右)とか「くだものや」は報告書『はるかなまち、その未来』の遺伝子が芽生えたものかもしれません(買いかぶりかな?)。


140408 花見06 0408倉吉06あかりや01
↑棟にのった来待石と石州瓦


続きを読む

桜咲く倉吉(Ⅰ)

140408 花見01


打吹公園さくら祭り

 4月8日(火)。大学で会長と打ち合わせする予定でしたが、打吹公園の桜が満開との情報を受け、予定を変更して先生ともども倉吉を訪ねました。いちばんの目的は市教委文化財課に挨拶することですが、到着時間が昼休憩だったもので、まず最初に公園を散歩することになりました。
 天気は快晴、絶好の花見日和です。平日にもかかわらず家族連れやカップルで賑わっていました。打吹公園は「さくら名所100選」と「日本都市公園100選」に選定されている名勝です。いままさに桜祭りの最中で屋台も多く出展しています。ぼくは屋台が大好きなので、とても気持ちが高ぶりました。ところが、年金等の支払いによって懐が寒くなっており、何も買うことができません。いまは我慢するだけです・・・そろそろ親に預けている伝家の宝刀(お年玉通帳)を抜くことになるかも??なんてことを考えながら弁当を食べる場所を探しました。すると、市役所の制服をきた若い女性が2名ベンチに腰掛けていて昼ご飯を食べておられます。最初は遠慮していたのですが、ほかに坐るところもなかったので、先着のお二人に少し詰めていただいて腰掛けました。桜に囲まれながらいただくコンビニ弁当は一味違います。


0408倉吉01公園01


トイレからのまちづくり

 ぼくは子供のころにしか花見をした経験がありません。当時は桜を見てもなんとも思いませんでした。歳月を経て満開になった桜を見ると、素直に綺麗だと思いますし、なにより心が落ち着きました。食後、近くのカフェから買ってきた珈琲と抹茶でまったりした時間を過ごしました。それから打吹公園を散歩しました。公園内はどこもかしこも桜だらけ。桜の根元を見ると周りにロープや竹垣が設置され、桜の寿命を延ばす工夫がなされていました。
 倉吉は「トイレの町」でもあります。「まちづくりは快適なトイレから」を合言葉に昭和60年から現在までに20ヶ所以上のトイレを整備してきているようです。打吹公園のトイレも周辺の景観にマッチした外観の建築物として、昭和62年度に日本トイレ協会から「グッドトイレ10賞」を受賞しています。打吹公園散策後、いよいよ文化財課に挨拶です。じつは会長の後任で課長を務められていたMさん(考古学)が退職され、このたび建築士のHさんが課長に就任されたのです。「重伝建」や「歴史まちづくり法(歴まち)」への取り組みを重視する人事であろうと推察されます。歴まちを主題とする県環境学術研究費助成研究の2年目のテーマは町並みであり、早めに挨拶しておくべきと先生は判断されたようです。また、先日刊行した報告書『「長谷寺要用書記」翻刻 付録:長谷寺本堂建築部材の放射性炭素年代測定』(ASALAB報告書第27集)をスタッフのみなさん全員にお配りしました。長谷寺についても、引き続き研究を深めていく予定です。
 いつまでも春休み気分に浸っているのではなく、学生も気持ちを引き締めて倉吉と歴まちの研究に着手しなければいけないと思いました。


0408倉吉01公園02


続きを読む

めざせ、メラク - サクティン(Ⅰ)

0407タシゾルジ01 0407タシゾルジ02


ブータンからの訪問者

 ブータンからのお客さまが2名来学されている。副学長がブータンの幸福度指標に係わる研究をされており、そのカウンターパートからの招聘者である。偶然ホワイエですれ違い、名刺交換と簡単な挨拶をした。その後、ご年配のタシさんが研究室におみえになった。名刺には Chief Veterinary Officer とある。訳しにくいね、この英語。 Veterinary は「家畜」「獣医」のことであり、Officer は「官吏」「役人」。農林省に属する「家畜官」というか、「獣医担当官」とでもいうか、そういう役職の方らしい。
 ずいぶん熱心なお誘いをうけた。今年の夏は東ブータンに行く予定だと述べると、ブンタンからタシガンに向かうのが良いと言われる。ブンタンには洞穴僧院が多くあり、タシガンの高地メラクサクティンではヤクの遊牧民を調査することができるという。タシさんはもともとヤク遊牧民の専門家なんだそうだ。なんか、凄い話だね。遊牧民にはとてもとても興味がある。東ブータンは低地が拡がっており、気候は東南アジア的で西ブータンのような高地山岳寺院は少ないのではないかと危惧していたが、ヤクを放牧する高地なら申し分ない。遊牧民たちはみな仏教徒で、寺院も多いとのこと。8月は雨期で天気が心配だが、高地に雨は少ないというのも朗報だ。
 ひとつ気がかりなのは、ウータンさんのこと。我らがガイドをさしおいて、べつの方のお招きにあずかるというのは気が引ける。でも、話し合い次第でなんとかなるだろう。今夏は少し長めの滞在になるかもしれないね。

 翌日、花見がてら倉吉にでかけた。知人(ってだれだか分かるでしょうね)にこの話をすると、興味津々。ハイランドのヤク遊牧民だからね、わたし自身、チベットを1992年に訪問しているが、ヤクの遊牧民はみていない。
 一夜めぐり、さきほどメールが入った。面談のお礼と東ブータンへのお誘いが記してある。そして、八頭町の宿坊「光澤寺」に泊まられ、礼拝に参加されたことがいちばんの想い出になったという。サイトを開いてみると、光澤寺は昨年10月に「第1回 やずブータン村まつり」を開催されており、また現在、「やずブータン村」を構想中のようです。詳しくは、サイトをご覧ください。
 一度行ってみようと思います。


タシimg029 ←大切なメモです


「鳥取ロータリークラブ週報」第2231号

 2月6日の鳥取ロータリークラブ卓話「摩尼山を中核とする景勝地トライアングルの構想」 については、ロータリー卓話()()()として講演記録をアップしていますが、それを掲載した週報が春休み中に送付されてきました。正式な図書情報は以下のとおりです。

   著  者: 浅川 滋男
   論文題目: <2月6日分卓話>摩尼山を中核とする景勝地トライアングルの構想
   掲載媒体: 『鳥取ロータリークラブ週報』第2231号:p.4-8
   発  行: 鳥取ロータリークラブ雑誌・会報委員会
   年月日 : 2014年2月20日(第3050回例会)

 この講演の直後、摩尼寺に200万円の寄進(賽銭)がなされたり、最近のキノコ採りの際には地元の方から門前活性化の近未来構想についての打診があったそうです。まもなく『鳥取環境大学紀要』で詳細な内容を記す論文も刊行されますので、本パンフのコピーとあわせて関係者に配布の予定です。
 ルートマップや反復的な講演の影響もあり、現在、すこしずつ参拝客や登山客が増えているようですが、今回の講演録をきっかけにもっと多くの方に足を運んでもらえると嬉しいです。
 下のサムネイルをクリックすると、週報のテキストを読むことができます。ご笑覧いただければ幸いです。(セツ)


140206ロータリー卓話(4)  140206ロータリー卓話(5)  140206ロータリー卓話(6)  140206ロータリー卓話(7)  140206ロータリー卓話(8)
↑(左から)p.4 p.5 p.6 p.7 p.8

牛丼業界をめぐる経営学的考察

すき家の危機

 逆風吹き荒れる「すき家」ですが、鳥取ではよく利用しています。大学の近辺には夜遅くまで営業している食堂がないし、なにより時間の足りない生活を送っているので「早い、安い、美味い」の牛丼業界はとてもありがたい存在です。したがって、昼は「たかや」、夜は「すき家」というローテができあがるわけです。
 牛丼好きの皆様は(タクオがそうでしたが)、牛丼は吉野屋の方がはるかに美味いと言います。しかし、わたしはすき家を愛用しています。が、牛丼は注文しない。ほとんど毎回「牛皿おろしポン酢定食」を食べます。肉料理ながらカロリーが低く、さっぱりした味が体にあうのね。漬物と味噌汁もついている。このほかカレー、納豆定食、サケ定食などをいただきますが、牛丼はまず注文しない。

 昨年末に状況激変。娘が「牛すき鍋御膳」を食べたいと言い出した。奈良の吉野屋に行って、甘辛いすき焼き風鍋に舌鼓を打ちました。一人前580円ですが、家ですき焼きやれば、もっと高くつく。その翌日、鳥取に移動し、またも吉野屋で「牛すき鍋御膳」を注文。さらに週末にもういちど「牛すき鍋御膳」を食べに行った。週3ですよ。当然のことながら、すき家から足が遠のく。
 その後、新年2月になってすき家に「牛すき鍋定食」を発見。これ、不味かったね。その後「牛ちり鍋定食」に替えたのですが、これなら「牛皿おろしポン酢定食」の方がいい。同系列の味付けに加え、「牛ちり鍋定食」580円に対して、「牛皿おろしポン酢定食」440円だったからね。

 4月3日、新年度最初のすき家でいつもの「牛皿おろしポン酢定食」を注文。レジで驚いた。570円だって。ひどいね。牛丼単体を280円から270円に値下げしたとことばかりアピールして、裏では他メニューの値上げをどが~んとやってる。こらもう駄目です。すき家の牛丼は食べません。他のメニューも500円コインで納まらないなら注文しません。こんなんなら、大戸屋に行きます。大戸屋は少し遠いけど、ヘルシーで美味しいし、800円前後で済むからね。
 すき家は危ない。企業自体の存続を問われるでしょう。(A)


新学期初ミーティング

 就職活動に奔走し、またたくまに過ぎた春休みを名残惜しく感じながら、新学期がスタートしました。久しぶりに顔を合わせた学科のメンバーとの会話は、もっぱら就職活動についてばかりで、みんな本気モードになっているように思いました。4年生となる今年は卒業論文を含め、ゼミ中心の大学生活になって行きます。3日にガイダンスがあり、その直後、最初のゼミ・ミーティングがありました。まずは成績表のチェックから。ASALABのメンバーは優秀なため、みんなパーフェクトでした。少し危なかった私も、何とか卒業できそう(??)です。


続きを読む

焼きシイタケをめぐる動物学的考察

2014040214490000シイタケ


縮緬の如き幼虫の群れ

 摩尼山から下りて大学に戻り、ひとり裏山の茶室へ向かった。こちらのシイタケの状態もみておきたかったからだ。昨年秋の状況を説明すると、摩尼山の原木で200枚近い収穫があったのに対して、茶室での収穫は20枚程度にとどまった。ところが、ご覧のとおり、茶室の原木は笠だらけ。これがまた大きいのね。直径20㎝前後のものが多くて、今回だけで33枚も採れた。種駒植え付けは摩尼山がおもに2012年前期のスダジイS05・S06だが、茶室は2012年後期のスダジイS03・S12・S23で、この半年の時間差に従って開笠がずれているのかもしれんさい。つまり菌の植え付けから1年半の後にキノコができるのかも。摩尼山は半乾燥のこぶりな笠ばかりだったが、茶室はおおぶりで湿っぽく、これからまだ何回か収穫できるだろう。


2014040214500000シイタケ


 その夜、社長と二人で「たけちゃん」へ。もちろんシイタケ大量持ち込みです。まずは茶室で採れた大ぶりのシイタケを網においた。しばらくして、社長の目が点になった。

   「センセ、小さなイモムシが襞からでてきましたよ・・」

 予想されたことではある。湿気を含むシイタケには蛾が大量に卵を産み落としており、その数は数十に及ぶ。昨年秋、摩尼山の初収穫で100枚以上を大学に持ち帰り、室内乾燥させていたところ、わたしが不在のうちに「腐臭がする」ということで観察すると、「ウジ虫が湧いている」と白帯が判断し、わたしに無断で大量に廃棄してしまった。
 あとで門脇茶屋喫茶部に確認すると、「それは蛾の幼虫」であり、「天日干しすれば居なくなる」というアドバイスを受けた。このたび焼肉屋の鉄網の上で、その幼虫を視た。チリメンジャコをイメージしてください。あの大きさのイモムシがシイタケの笠の襞からもにょもにょも出てくるわけです。youtubeにアップすれば、結構アクセスを集めるだろうと思われるほど衝撃的な映像でした。


2014040214570000シイタケ ←すべて新しい携帯で撮影



続きを読む

花見を兼ねてキノコ狩り(Ⅱ)

0402 シイタケ作業風景  0402 シイタケオモテ面


 「奥の院」の原木には、期待どおり、椎茸が笠の華を咲かせていました。荒らされていないことに、ホッと一息。先生と社長さんは表側(日向)、ぼくと白帯さんは裏側(日陰)の採取を担当しました。採れたシイタケは石の上に並べます。表側は66枚、全体的に小ぶりで(φ4~5cm)、最大のものは直径10cmでした。裏面は42枚とやや少なかったものの、比較的大きめで(φ6~7cm)、直径11cmクラスのものが4~5枚ありました。また、乾燥が進んでいます。「半乾燥」って感じでした。先生曰く、秋の収穫時よりは少なく、こぶりだそうです。とはいうものの、あわせて110枚ものシイタケが収穫できました。
 ちなみに、今回採取した原木は2012年の春に植え付けしたスダジイ05・06の2本です(巨巌正面の大木)。喫茶部奉納分、弥生町奉納分を現場で仕分けしました。今回収穫したシイタケは半乾燥状態で、陽光を浴びすぎている可能性があります。また、ちょっと目立ちすぎのきらいもあるので、先生はゼミ生総動員による原木移動を考えておられるようですが、ぼくと白帯さんは無反応に徹しました。スダジイは重いですからね。とりあえず、新3年生を迎えてから検討しましょう。継続審議とします。


0402 4人の登山者


 その後、山頂の立岩を目指して歩いていると、上方から熊除けの鈴が聞こえてきました。4人組の登山グループです。すれ違う際、先生が恐るおそるシイタケの話題を切り出すや否や「頂戴、頂戴!」。大阪のおばちゃんだけでなく、鳥取のおばちゃんもモノスゴ強気ですね。困った顔した先生、「どれぐらい欲しいんですか?」と訊ねると、「晩ご飯に使うぐらい」とのこと。シイタケの入った袋をリュックから取り出すと、向こうもポケットから小さなビニール袋を取り出して、嗚呼なんて準備のよいことでしょう。少し遅かったら、シイタケ全滅だったりして・・・

 山頂に至り、立岩に上りました。晴れ渡ると立岩から大山が見渡せるという「都市伝説」はいまだ確認されない状態です。晴天ではあるのですが、空気に靄がかかっている。ひょっとしたら、PM2.5なのかもしれませんね。山頂にも休憩している女性の登山客がおられました。周辺の山の名前をよく知っている方でした。しっかりと休憩・給水した後、いよいよ下山です。息を整えることはできましたが、私は下山中ずっと足が嗤ってました。運動不足を痛感・・・


0402 立岩から見る  0402 立岩を見る


続きを読む

花見を兼ねてキノコ狩り(Ⅰ)

0402 門前桜  0402 門前桜2


 4月2日(水)、鳥取でも桜が満開、空は快晴。いざ摩尼山へ。門前の桜も見事に咲き誇っています。3月末に喫茶部のおじさんから電話あり。奥の院のシイタケを狙っている輩がちらほらあらわれているとの情報あるも、この日まで採取はのびのびになっておりました。門前に着くと、たちまちおじさんとおばんさんが車に寄ってきて、「いま何にか上がんさったで」。おまけに、その登山者にシイタケの話をしていたというのですから、えらい迷惑な話だ。


0402 一本丸太橋  0402 山道の川


 あせりました。先に上がらないと、シイタケを全部盗られちゃうんじゃないか、と。幸運なことに、先行の数名は境内から山頂経由で奥の院(さらに久松山)に向かうとのこと。我々はもちろんいつもの山道(=近道)で奥の院への途を急ぐことにしました。
 登り始めたのは良いですが、春休み中だれきった生活をおくっていたため、足取りが重い。一本丸太橋や板橋など見慣れた風景を懐かしむ一方、昨年秋の豪雪で消え失せた3本橋が復活していたり、上流の残雪から流れる水が溢れていたり、倒木がや落石のあるところもあったりするので、少し新鮮でした。ただし、今冬の雪は少なかったので、例年ほど登山路は荒れていませんでした。


0402 三本丸太橋  0402 道中の落石
↑(左)復活した三本丸太橋 (右)落石注意!?


続きを読む

トニー・マクマナス

 消費税アップ前の駆け込みで、携帯、変えました。よーやく俺もスマホ人種・・・ではござんせん。再びガラケーです。セット料金を2段階下げました。もう電話かけませんから。メールだけにします。
 同日、笛木優子の(中古)写真集が届き・・・ニタニタ(グフフ)・・・若いころの田中裕子に似てるね。これから出番増えるわ、このひと。韓流主婦の気持ちが少し理解できたかもね??

 年度が改まり、初めての「たかや」へ。おろし蕎麦が800円から850円に値上がりしてた。がっくりくるねぇ。高速代もガソリン代も高くなって、おまけに日課のように食べているおろし蕎麦まで値上がりか。そういえば、(エイプリルフールだったのかもしれないけれど)某ロータリークラブからお誘いがありました。まことに有り難いことですが、月会費●万円だそうでして、そんなん払ったら下宿生活が破綻する。丁重にお断りしました。地方公立大学教員の給与たるや、侘びしいものでありますよ、ホンマの話・・・

 さて、また「たかや」でよい音楽に出会いました。トニー・マクマナスはカナダ在住のアコギスト。本職はスコティッシュとケルトですが、BGMとして使われていた『ミステリアス・バンダリー』は、バッハ、サティ、クープランなどの古典をアコギ用に編曲したものです。上手いね。元々クラシック・ギター演ってたんじゃないかな。あわせて、 高橋悠治『フーガの[電子]技法』も注文(中古品ばかり)。
 中欧紀行が影響しているのかもしれないね。




長谷寺報告書 第一弾、刊行!

『長谷寺要用書記』翻刻 表紙 『長谷寺要用書記』翻刻 裏面

 エイプリルフールのお知らせです。
 新年度早々『「長谷寺要用書記」翻刻 付録:長谷寺本堂建築部材の放射性炭素年代測定』(ASALAB報告書第27集)が刊行されました。倉吉は古代から近代までさまざまな歴史遺産が広域的に分布し、それらを連携しあうことで歴史的風致(良好な歴史的環境)を向上させる可能性を秘めています。平成25年度より3年間、鳥取県環境学術研究費(課題番号B1301)の助成をうけ、「歴史まちづくり法」にむけての総合調査を進めています。本書は初年度おこなった打吹山長谷寺にかかわる調査研究の成果の一部を公開したものです。縁起書にあたる『長谷寺要用書記』前半部分の翻刻を軸にしつつ、付録として長谷寺本堂建築部材の放射性炭素年代測定の成果と考察を収録しています。今後さらに研究を深めていく予定です。(白帯)

 以下に図書情報を掲載します。

  書 名: 『長谷寺要用書記』翻刻 付録:長谷寺本堂建築部材の放射性炭素年代測定
  編 集: 浅川 滋男・原島 修
  発 行: 鳥取環境大学浅川研究室
  印刷所: 株式会社 矢谷印刷所
  発行日: 平成26年3月26日(デブの命日)
  総頁数: 56ページ

 目次は「続き」をご参照ください。また、報告書ご入用の方はご連絡ください。


続きを読む

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
03 | 2014/04 | 05
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR