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スティール・ギター・マジック

 タラレバ2名が連休にハワイで遊び、アロハシャツとハワイアンCDを土産に買って帰ってきました。土産と言っても、わたし名義の(家族)カードを使えと指示したものですから、自分で買ったのと同じなんですが、まぁありがたく頂戴しておきましょう。
 ハワイアンなどというジャンルに小生が興味あるのか、と問われれば・・・はい、おおいにあります。十年ばかり前ハワイアン・スラッキーギターの練習をしていた時期があり、恥ずかしながら、フィジー民謡「イサ・レイ」とハワイ民謡「ミノアカ」を人前で披露したこともあるのね。結構やっかいな変則チューニングで思いのほか苦労した記憶があります(簡単に弾ける曲など一つもありません)。
 そんな過去もあり、スラックのCDを所望したのですが、なんど説明しても分かってくれなくて・・・あぁもういいから、スティールギターのハワイアン買ってきて、と言い放って、話を納めたのです。結果、以下のアルバムがいま手元にある。


Steel Guitar Magic Steel Guitar Magic


 ジャケットにみるように、超有名なハワイアン16曲を聴かせてくれます。一言でいうならば、イージーリスニングの極致です。心身ともに癒される。ただし、中国道や鳥取道で聴き続けると眠りに落ちてしまいそう。いちいち解説するのは面倒なので、アマゾンの英語紹介文を訳しておきます。

  ハワイアン・スティール・ギターのレジェンド、ビリー・ヒュー・レンとバーニ・イサクス Jr
  がウクレレとギターのレジェンド、ベニー・カラマ、ランディ・オネス、ハーブ・オオタ、
  ソニー・カマヘレ、キング・カマヘレとチームを組んで世界的に有名な(ハワイアンの)
  古典を演奏します。

 そう、ハーブ・オオタさんの名前がちゃんとクレジットにでている。今年で83歳かな。がんばらなきゃね、われわれも。



↑そうか、クラシック・ギター(ガットギター)でスラックするのもわるくないね~

続・ハ地区の進撃(5)-第6次ブータン調査

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廃墟がレストランに

 9月10日(日)。早朝、ブータンのパロ国際空港に到着し、ガイドのウタムさんとドライバーのリパさんに導かれつつ調査地となるハ地区に向かう・・・ことなく、まずは松茸の買い出しのため、首都ティンプ-方向に車を走らせました。昨年は松茸の爆買いをして、毎晩食べていたそうで、今年もあの夢をもう一度というわけです。
 途中、パロ地区シャバ村で車は急停車しました。昨年、壁土内の有機物サンプルを採取したシャヴァ村の建物跡(廃墟)に屋根が架かっていたのです(↓)。昨年採取した有機物サンプルの放射性炭素年代測定(AMS)に取り組んだところ、14~15世紀という古い年代がでました。この成果は内蔵助先輩の卒論で詳述されています。国家形成期以前のブータンと言えば、遊牧社会のなかに点々とチベット系仏教の僧院が存在した程度で、楼閣式の民家が存在したとは思われません。とすれば、シャバ村の版築壁廃墟は僧院か宮城のどちらかではなかったか、と推定されます。


0910廃墟01 廃墟に屋根がのる


 そうした廃墟に新しい屋根が架けられ、窓枠にも新しい建具が押し込まれています。聞けば、レストランになるのだそうです。日本ではあり得ない活用形態ですが、数百年前に築造された建物跡がなお再活用可能であるほど頑丈だという点には驚きを禁じえませんでした。その後、車はタントン・ゲルポの吊橋伝承で有名なタグツォガン僧院(↓)を経由して、松茸売り場にたどり着いたのですが、松茸の旬の季節が過ぎていて、人影もまばら・・・松茸は売ってはいましたが、量は少なく値段は高い先生はなんとか150ヌル(約2300円)分だけ買われました。


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チェレラ峠を越えて

 そこから反転して、車は一路ハ地区をめざしました。景色は綺麗で車窓にみとれていましたが、関空-バンコク-パロの長旅にみな疲れており、眠りに落ちてしまいました。2時間ばかり経って目覚めると、チェレラ峠です。標高は3988m。14日に登山する予定のパジョディン寺よりも高い場所にあります。チベット系仏教では峠は2つの領域の境界となる聖域であり、しばしば祭場となりますが、日常的にダルシン(経典旗)やマニダル(五色旗)が棚引いています。車からおりて、雲の中に身をおくと寒さが身に沁みましたが、おかげで目は覚めました。チャイをのむとホッとします(↓)。


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↑↓チェレラ峠
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トラ、トラ、トラ-半島有事に備えよ(4)

 いや、目出度い。エイバル戦でメッシが4点決めたぞ。メッシ上手い、メッシうまい、メッシ美味いぞ。ネイマール、じゃなかった、プーチンでもなかった・・・越後屋はあっさり仕置された。バカボンの元ちゃんからも祝電が届いている。

  今頃閻魔様のお捌き中か。わたしゃ天国、おまえは地獄。

 それにしても、口にしたことすべてが現実になっていく。まるでデスノートじゃないか。次は痩せすぎの蟷螂だな。南無阿弥陀仏・・・



↑アンコールに応えて、あの素晴らしいゴスペルをもう一度!

続・ハ地区の進撃(4)

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 台風18号が西日本を襲撃する直前、間隙を縫って16日(日)夕刻に帰国しました。
 14日のパジョディン登山、それはもう苛酷でしたよ。登山口の標高2,650m、本堂が3,650m、奥の院の冥想洞穴あたりが3,800m以上。たんなる登山じゃないからね。ひと山登り、延々と縦走して、また山を登る。水平方向の距離でもたぶん12km以上ある。登りで5時間以上、下山も3時間近く。おそらく数万歩あるいたでしょう。学生たちは高橋尚子のようにスタスタ上っていきましたが、わたしゃなんども心が折れそうになった。ひっきりなしに休憩して、圧縮酸素を吸入し、水を飲む。立とうとすると、立ち眩みがする。これから先の人生で肉体的にこれほどしんどいことはもうないだろうって思って歩いてました。
 よく本堂まで辿り着いたと思います。有森さんじゃないけれど、自分を誉めてやりたい(笑)。ところが、辿り着いたらいつも雨降り、でもなかったんだけど、だれも居ないの~~まぁ、このあたりのことは学生のレポートに譲りますが・・・
 帰国して2~3日めが疲れのピークなのね。今まさにそうなんですが、さきほどからスタレビ35周年記念コンサートをBSでやっていて (鳥取で視た30周年コンサートは3.11の年だったんだな。あれから5年か)、いま森高千里が「渡良瀬橋」を唱っています。いいな、これ、癒される。



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アラックづくり

 15日(土)はパロからバンコクへの移動日でしたが、ティンプーの民俗遺産博物館を訪問しました。ブータン焼酎アラックの造り方を見学するためです。蒸留器のない時代にどうやって蒸留酒を造ったのか、よおく分かりました。
 訪問時(午前9時半)、カマドの上に鉄製のおおきなカメが置いてありました。材料は裸麦ではなく、小麦でした。カメ底に醪のような材料がすでにおさまっていて、さらに追加されていきます(↑)。醪のようにみえますが、甘くはないそうです。


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 カメ底に堆積した状態が↑右、この小麦の粒の上に四脚金具を置きます(↑左)。↓はその四脚に小さめの金タライをのせたところです。このタライに蒸留酒が溜まっていきます。


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 大きな金タライでカメ全体に蓋をし、その大金タライに冷水を注ぎます。これが冷却装置です。そして、カマドに着火します(↓右)。もう原理はおわかりでしょう。鍋底の小麦汁(醪?)を加熱するとアルコールが蒸発し、蓋(大金タライ)に蒸気が付着し冷却されてカメ内部の小金タライに蒸留酒の露がポトリポトリと落ちて溜まっていくわけです。

 
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続・ハ地区の進撃(3)

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中間報告

 前半のハ地区での調査を終えました。かのキンレイ、門前の出迎えに来てくれなかったので、おかしいなぁと思っていたのですが、ごらんのとおりにシェフに転向しておりました。これまで14ヶ月もパロで料理の修業をしてきたんだそうです。結果、3泊4日キンレイがつくった料理を食べ続けたのであります。美味しかった!


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 昨年と同じく、ジャンカネ冥想洞穴跡とドゥブジ・ラカンを経由してティンプーに戻ってきました。明日は恐怖のパジョディン登山です。パジョディンは国教ドゥク派発祥の霊山で、境内は標高3700mの高地にあります。ブータン人が上るだけで4時間かかるそうです。ましてや日本人をや・・・日本人旅客の登山成功率は50%とのこと。わたしは決心したんです。
 もし登頂に成功した場合、わたしはブータンから卒業してしまおう。来年からチベットに転向です。でも、未到に終わった場合、また挑戦しなければならない。
 嗚呼、こんな雑文書いている場合ではありません。はよ寝ないとね。


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↑みんな綺麗だね。
↓今年も民家調査につきあってくれました。いいのかね、こんな格好で。
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続・ハ地区の進撃(2)

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内蔵助見参

 9月9日(土)、午後3時ころ関空着。学生組はすでに到着していたが、べつのところに待機していたので電話してタイ航空カウンターの前まで来てもらった。まもなく学生4人があらわれた・・・えっ、学生4人??
 すっかり風景に馴染んでいるが、一名は大阪に就職した内蔵助ではないか。卒業式以来の再会によろこんだ。ブータンの業務は昨年までの内蔵助から4年のダッショに受け継がれており、頻繁に連絡をとっていたようだ。なんとこの日は12時ころから関空に来ていたそうだ。
 チェックインなどの手続きを済ませ、サンマルクで短い内蔵助歓迎会を開催した。飛行機は5時半発、バンコクには9時ころ(現地時間ー2時間)着陸し、そこからトランジットのため数時間空港で待機、翌10日の早朝4時半の飛行機でブータンへ。アッサムのグアハチを経由して、パロ空港に8時(現地時間ー3時間)に到着し、ガイドのウタムさんと再開した。これから先は学生に任せます。


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↑バンコク空港で一息。トムヤンクン・ヌードル

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↑パロ空港着陸

続・ハ地区の進撃(1)

似顔絵

 先月晦日にチベット踏査から帰国して、まる十日何をしていたのか? へばっていたのです。結果、紀行文には着手すらできず、松原田中の論文には手を染めたんですがたいして進まず、木舞さんには大変ご迷惑をかけております。いまようやく2014年度の成果が脳裏の片隅から復活再生し始めています。ここでまた麻雀に喩えるならば、牌牌を睨んで並びを変えている状態です。思いのほか難物ですが、ちゃんと和了(ホーラ)してみせますよ。木舞さん、少々お待ちください。
 
 一方、青蔵高原のほうは手強いんですが、やっかいなラサ・ツェタンは会長に押しつけまして、わたしは青蔵鉄道までのイントロダクションを担当していたのですが、第6次ブータン調査の準備のため進捗はかばかしくありません。せめてものお詫びに、成都で同卓になったO先輩(元建設業)のスケッチを掲載しておきます。Oさんはガイドの案内などまったく無視して自分の居場所を定めすぐにスケッチを始めるのですが、これが上手なんです。上手いし速い。フィールドワーカーの鏡だ。
 経由地の成都でツアー最後の晩餐会場となったのは、かの有名な陳麻婆豆腐レストラン。高地で禁酒を強いられてきたメンバーも標高500mに舞い降りてようやく酒が解禁になり、大盛り上がりでした。かくいう小生も、調子にのって、寅さんの啖呵バイを連発。「それをいっちゃぁお終いよ」の連呼からアンコールに応え、

   四谷、赤坂、麹町、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水
   いきなねぇちゃん、連れ小便、白く咲いたは百合の花・・・

などのバイを連発しているうちに先輩はひそひそとスケッチを進めていたのです。その完成作品がこれ(↓)。


oさんスケッチ クリックすると拡大します。


 今夕からブータンに向かいます。旅程は以下のとおり。

 9月9日(土) 関空17:35→(TG623)→バンコク 21:25
 9月10日(日) バンコク 04:30 → パロ 08:25 → ハ地区
          民家集落の下見
 9月11日(月) ハ地区 仏間を中心として民家の調査
 9月12日(火) ハ地区 同上 ハ(民宿)
 9月13日(水) ハ地区 ジャンカネ瞑想洞穴、ドゥブジゾンの調査
 9月14日(木) ティンプー市 パジョディン寺登山(3700m)
 9月15日(金) ティンプー → パロ
           農家で裸麦の蒸留酒アラックの製造法を調査
           キチュラカン見学   パロ 16:05 → バンコク 22:00
 9月16日(土) バンコク 08:25→(TG622)→関空 15:55

 昨年に引き続きハ地区での調査にしたのは、なによりビンボーだからですが、もちろんキンレイとの再会が楽しみではあります。おい吉田、聴診器忘れてないよね? (ケーシー)
 

熱いサウジの戦い-草臥れた日本代表

極道の女たち

 麻雀ゲームは取り上げられてしまいましたが、ユーチューブのプロ麻雀観戦は異常におもしろい。恥ずかしながら、最近は女流極道の対決に目を奪われております。美人が多いのね。モデル、女優、レースクィーンなどと兼業している雀女が多数を占め、その映像はとても華やかです。が、情報を集めると、いずれ劣らぬ訳ありな方々ばかり・・・寅さんのマドンナにはテキヤの女房はいたけれども、雀荘でバイトしながら麻雀プロとして生きるマドンナはいなかったな。今なら脚本が一本書けそうだ。
 女流麻雀のプロテストでは容姿が重視されるようです。画面映りがよくなきゃいけないし、雀女たちは厚化粧しドレスアップしなければいけない。日本プロ麻雀連盟の森山会長も、これからの女流麻雀は「見栄えです」と答えています。ただ、残念ながら、実力のほうはプロ雀士のトップレベルには及ばない。やはり男が強いんだな。女子の場合、ざっとみた感じでは「鳴き」が多く、その点、素人麻雀に近くて親近感があるのですが、プロらしい味わいが雀士ほどではない。それでも鼻の下をのばしてみてしまう自分に呆れております。

攻め合わない戦術

 そんな映像を眺めながら昨夜も夕寝に落ちまして、目覚めたら午前3時を過ぎていた。この夜はウズベキスタン(H)対韓国(A)、サウジアラビア(H)対日本(A)の試合が連続であり、もちろん録画予約していたんですが、テレビを点けると、サウジ-日本戦の後半に入っていた。すでに本田の姿はなく、右ウィングに浅野、CFに岡崎、左ウィングに原口、そしてトップ下のようなインナーハーフとして待望の柴崎がグラウンドに立っている。残念ながら、躍動しているとは言えないようだが・・・
 このほかのメンツはオーストラリア戦と同じであり、ハリルホジッチ監督は、長谷部・香川・大迫を抜いたベストメンバーでサウジ戦に勝つ気満々で臨んだでしょう。しかし、ボールはサウジに転がる。高温多湿に苦しみ草臥れた日本のディフェンス陣はラインを押し上げることができず、中盤との間にできた大きなバイタル・スペースをサウジにつかれまくった。一方、日本が攻め込むと、サウジは5バック+4MFが自陣に戻り、完全にスペースを消してしまって、日本の堅守速攻はまったく機能しない。こういう場合、どうすべきなのであろうか。日本はラインを高く維持できないのだから、サウジにならって5バック+4MFを自陣に戻して守ればよいのではありませんかね。こうなると攻守入れ替わっても過密状態になって、どっちも攻めきれない。両者攻めにいかない状態に持ち込むのだ。だって熱いでしょ。とくに後半の戦いは、アウェーでのイラク戦の録画をみているようだった。同じ戦いをしても勝ち目はない。自軍に密集して体力をセーブすればよかったのでないか。そうすれば引き分けで終わった可能性が高いであろう。なまじ攻め込むから逆襲をくらい、19番にニアをぶち抜かれてしまったんだ。


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祝ロシアW杯出場!

ハリルに委ねるべきか

 無事チベットから帰国しました。詳細は別稿にてお知らせしますが、高山病に苦しめられながらも、研究上の新しい光明を見いだしたと思っています。とくに吐蕃建国の祖、ソンツェンガンポの故郷ツェタンでの収穫が大きかった。
 帰国は8月晦日午後。当然のことながら、日本対オーストラリアの試合経過が気になっていて、途中まで0-0との情報を得ていたんですが、帰宅した8時半すぎにTVを点けると、1-0でリードしている。画面を一望するに、本田と香川の姿がフィールドにみえない。両ウィングが乾と浅野で、トップ下らしき人材はいない。
 まもなく、スローインをめぐってハリルホジッチ監督が審判に対して激昂する場面を迎え、その後、井手口が横向きのドリブルから強烈なミドルを叩き込んだ。これで試合は事実上決まり、日本は6回連続のW杯出場を決めた。おめでとうございます。
 それから録画を二度見直した。システムは4-3-3。トップ下を置かない3人ボランチ(アンカー+左右のインナーハーフ)でボールを奪取し素速く攻撃に転じる布陣である。トップ下不要のシステムであるが故、香川も本田も必要ない。左右の前線(ウィング)には、左なら乾・原口、右なら浅野・久保がいて、ここでも香川・本田は補欠の二番手でしかない。攻撃的なインナーハーフでこのベテラン二人を使う手もあるけれども、今回は山口・井手口がその役を務めた。守備力と運動量の両面であきらかに香川・本田を上回る。攻撃的センスを重視するなら柴崎もいるし、今回は代表を外れたが、アウェーのUAE戦で大活躍した今野や、CFもしくはトップ下とCBをこなせるセレッソの山村もW杯本戦ではメンバーに加えるべき人材と思っている。いちど山村をアンカーの位置で試してみてほしい。ときに大迫とポジションを入れ替えるならば、相手チームは困惑するだろう。
 いずれにしても4-3-3の場合、本田・香川の居場所はすでになくなっている(4-2-3-1ならばトップ下は存在するが南野・清武らのライバルがいる)。そのことに気づいているファンは少なくなく、本田・香川を使い続けるハリルホジッチ監督の選手起用や不可解な選手交替に疑問を投げかける意見はネット上でひろく拡散していた。それが今回の勝利で手のひらを返すようにハリル礼賛の嵐となり、ハリル本人も一部マスコミの批判を揶揄しながら「続投」を宣言する結果となった。


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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