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2016居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その2)

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1-2 旧小倉家住宅の主屋と土蔵

 旧小倉家住宅は、空家になってから数年が経つ。所有者によれば、昭和7年の建築だそうだ。西側の路傍には、東地蔵が接している。現在は空家だが、四季の地蔵祭などでは活用されている。かつては地蔵盆をとりしきった家柄であり、地蔵盆関係の資料を今でも所蔵しているそうだ。昨年度の卒業生がスケッチした立面図に、三色ボールペンで寸法を書き込んでいく予定である。


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 4月27日、初めて主屋の内部を見学させていただいた。玄関を開けるとすぐに、前土間の上部に丈が80㎝ほどの指物が渡され、大引・根太天井が組まれている。この指物は、強烈なステータスシンボルである。2階にあがると、いきなり小さな洋間がある。戦前の流行だったのかもしれない。それ以外の部屋は床や棚を備える書院造の座敷である。



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 旧小倉家土蔵は2階建てで、いわゆる中2階形式である。オダレと呼ばれる庇が道路側についている。小倉家の場合、オモヤの裏側に二戸前の土蔵を一棟配しており、手前の白い土蔵が取り壊しの対象となった。これを駐車場にしてしまうと、東地蔵の背面はすかすかになってしまう。
 土蔵の小屋組は、和小屋と登り梁を併用したものだが、ベニヤ板が壁や小壁に貼られていて、和小屋の姿がみえていない。所有者からのヒアリングによると、昭和7年(1932)のオモヤ再建の後に建てた蔵だとおっしゃっていたが、先生は見学された瞬間に「古い」という反応を示された。その理由が次の3点である。
 まずなにより、2階部分が低い建物は古いという傾向がはっきり認められる。つぎに小屋組だが、昭和7年以降なら木造トラス(洋小屋)を使うのが一般的だが、この土蔵では古い和小屋と登り梁を併用している。さらに、大梁などの部材の劣化・摩耗が著しく進んでいる。こうした理由から、土蔵は幕末から明治にまで遡るものと考えられる。したがって、昭和7年以降の再建というのは、古材を残しての修理、または、再建の可能性が高いと思われる。

  河原町・鍛冶町の歴史的風致の核となる五叉路界隈の景観を後世に伝え、地蔵盆の舞台となる環境を維持するためにも、旧小倉家住宅を保全しなければならない。住民と協議の結果、旧小倉家住宅を国の登録有形文化財にするよう自治会の代表が倉吉市教育委員会に嘆願書を提出した。わたしたちは登録文化財申請のための資料をそろえるために努力していきたいと考えている。(OK)


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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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