沈黙-サイレンス-(2)
5月8日(水)、13講義室でマーティン・スコセッシ監督(原作:遠藤周作)の映画『沈黙-サイレンス-』(2016)をゼミ生に視てもらった。速攻で感想文を書いてくれたので、二篇を紹介する。
--
死ねばパライソに行ける
隠れキリシタンの人たちがどれほど過酷な環境にいたのかが分かった。見つかったら殺されるという状況下でも信仰を続け、拷問中でさえも神を信じ神に救いを求めている姿が印象的だった。とくにトモギ村のモキチは4日も拷問に耐え、死ぬときも聖歌を歌っていたのでとても強い信仰心だなと思った。私はとくに決まった宗教に属しているわけではないので、そこまで強く信じられるのはすごいことだと思った。私なら、踏絵を踏めと言われたら踏むし、唾を吐けと言われたら吐いてしまうと思う。しかし俳優さんたちの演技がすばらしいので、私は神様を信じていないが自身もキリスト教徒になった気分で、隠れ切支丹が踏絵を踏むときに少し心苦しくなった。
また、ロドリゴが出会った少女モニカの言葉が印象に残っている。ロドリゴと数名の切支丹が捕まり、ロドリゴが「平気なのか?我々も死ぬことになるのだぞ?」と訊ねた後、モニカが発した「ジュアン様の話では、死ねばパライソ(天国)に行けると。いいことでは?」という科白だ。この科白を聞いて、「確かに」と思ってしまった。また、このように語ったときのモニカがとても純粋無垢な顔をしていて、キリスト教の教えを信じて疑わないという印象を受けた。
最初はキリスト教の映画でどうして「沈黙」という題名なのだろうと思っていた。隠れ切支丹の人たちが尋問に対して沈黙することを指しているのかなと予測していたが、話が進むにつれて、教徒の祈りに対する神の「沈黙」であると分かって納得した。神は救ってくれるという想いと神の沈黙の間でロドリゴの心が揺れている描写がリアルで引き込まれた。(デミグラス)
【コメント】 死ぬと天国に行ける、キリストの居る世界で生きられる、と信じているから、死が怖くないのでしょうね。仏教も似ています。人間に生まれ変わってまた苦行を背負うよりも、ブッダの超越的世界に生まれ変われれば、煩悩のない幸福な世界がある。それを信じているならば、死を肯定的に捉えることができるでしょう。