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摩尼寺建造物の調査(Ⅲ)

鐘楼


鐘楼を実測して

 みなさんこんにちは、ポール、じゃなかった、タク庵です。いつのまにか、ぼくのハンドルネームがたく庵からポールになっていました、いったいなんでポールなんでしょうね?
 7月26日(金)、摩尼寺の調査を再開しました。朝は天気が良かったのに、昼過ぎには曇り空となり、湿度の高いムシムシした天気でのスタートになりました。いつものように、先生と白帯さんは講義のため3時以降の合流となっています。調査の分担は以下の通り。

   ①本堂平面図:セツ、ユーリー  ②山門断面図:ユウト  
   ③仁王門断面図:ケント    ④鐘楼平面図:たく庵

 私たく庵は、これまで白帯先輩とハンディ・トータルステーションの測量を担当してきましたが、はじめて建物の実測に挑むことになりました。鐘楼の平面図作成が私の担当です。
 みんながそれぞれの担当場所で作業を始め、私も平面図を作成し始めました。鐘楼はほかの建物と比べると圧倒的に単純な構成でして、実測は難しくないはずなのですが、初体験のため必要以上に細かく描き始めてしまったことや、途中からにわか雨に襲われたことで、なかなか進みません。

大雨


 そうこうしているうちに先生と白帯先輩が到着。いつものように、軒下でアイスを食べて一休憩し、一人ずつ先生に図面をチェックしていただきました。やはり私の鐘楼は進みが遅いと注意されました。そもそも寸法をとりながら実測図を描くのを描くのが間違いで、まず平面のスケッチをしてから寸法を書き込むよう指示をいただきました。

  「鐘楼の平面図など10分で描ける」

との発言には驚きましたが、でも、よく考えると、基壇の上に柱が4本立っているだけなんですから、そんなに時間がかかるはずもありません。摩尼寺の調査も3回めとなり、すでに実測を終えていて当たり前なのかもしれませんが、3年生の演習は終わりを迎える気配をみせません。


作業風景


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福田家住宅の屋根葺き替え公開

0718 福田家(修理中)外観


 鳥取市紙子谷の重要文化財「福田家住宅」は茅葺き屋根修理の真っ最中です。この度、所有者のご厚意により、修理現場の特別公開が行われました。またとない機会なので、私たちも現場公開に参加しました。
 7月18日(木)。3限に「地域生活文化論」の最終講義がありました。30分のレポートの後、60分の長文レポートがあります。先生から「難しいぞ」と予告されていたのですが・・・私とユートの顔は真っ青のまま講義修了。と同時に会長さんが講義室に入ってこられました。先生と白帯さんは続く4~5限にP1&P3「めざせ、ブータン!」の最終ゼミだったため、現場公開には参加できず、3年生5名がが会長さんの車にのって福田家へと向かいました。福田家は、国道29号線の西、式内社「意上奴神社」へ至る山道に面し、小高い丘を背にした東向きの屋敷構えで、いわゆる広間型三間取りの典型例です。前回の訪問では、中に入ることができなかったので、このような機会がありとてもうれしいです。


0718 茅葺き屋根


 現場公開にあたり、以前、尾崎家公開時の講演を聴いたMさんの案内で、修理を視察しました。工事現場で危険なので、ヘルメットをかぶり見学に臨みました。母屋を囲む素屋根の鉄骨に上がることができ、茅葺き屋根を真横から見ることができました。屋根の上には数名の職人さんがいて葺替え作業を行っていました。
 茅葺き屋根というのは、葺替えまで20年持つだろうとされています。しかし、一部の茅が抜けたり腐ったりすると、5~10年に一度はメンテナンスとしての「サシ茅」が必要となります。「サシ茅」というのは、茅葺屋根の古い部分を取り除いて新しい茅を葺いていくことで、屋根の内側が傷んでしまうのを防ぐ修理のことです。福田家は平成14年に一度葺き替え工事を実施していたので、今回の修理では骨組までは解体せず、「サシ茅」だけしていました。


0718 破風の舟形飾り
↑格子の中にある「矢切飾り」



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「めざせ、ブータン!」満員御礼

0720発表会04


 7月19日。金曜午後は3年生のゼミで調査や視察にでかけるのですが、プロジェクト研究1・3「めざせ、ブータン!」の発表を翌日に控えていたため、先生や白帯さんの動きがとれないこともあり、私たち3年生も1・2年生のサポートをすることになりました。3年の役割分担は次のとおりです。

   ブータン民家模型制作・・・ユート、ケント
   同パネル制作・・・セツ、ユーリー
   熊野神社遺跡四人仏周辺遺構図作成・・・タク庵(別名ポール)
 
 私たち3年女子2名はパネル制作の担当で、1年担当のO君(別名B01)が書いた文章と図面や写真のレイアウトが私たちの主な作業でした。Oくんの文章はわりと早めにできて、チェックを受ける先生にテキストを送信したところまでは良かったのですが、ほぼ同時に最終練習の学生が続々あらわれ、先生は発表指導で動きがとれなくなってしまいました(一部の学生にはオカンムリだったようです)。
 仕方がないので、私たちはブータン民家に関係するブログの文章などをダミーで使ってパネルのレイアウトを進めていきました。発表指導を終えた先生が戻ってきたのは午後6時半ごろでした。いきなり「南海飯店に行こう」と残っているメンバー全員に声をかけられ、13名が南海飯店の円卓を囲みました。大学に戻った先生は、いつものことですが、教授室で爆睡状態に陥ってしまいました。結果、テキストの完成は深夜11時までずれ込みました。


0720発表会01


 ブータン民家の模型については、I君ががんばって制作してきました。ただし、スチレンボードを貼り合わせただけで、やや味気なかったので、屋根に板目の紙をはって木の細い棒を置き、拾ってきた小石を置くことでよりリアルな模型に変わっていきました。最終的には壁にも紙を貼り、白い塗料を塗りつけて、白漆喰を表現したので、とてもよい模型になったと感じています。
 タク庵くんは白帯さんのサポートで、熊野神社遺跡「奥の院」平場のCAD図を悩みながら描いていましたが、二人の成果をみた先生は怒り心頭・・・バカヤロ、コノヤロ、*&%$#・・・というアウトレイジ的罵詈雑言が飛び交い、ついに先生自ら三角スケールを手にとって遺構解釈を示し、断面図のエスキスを描かれました。二人は作業をやり直しました。さらに、発表練習で合格をもらっていない1年生2組にもようやくゴーサインがでて、深夜の作業が終わったのです。


0721「ブータンを目指せ」 模型写真03 0721「ブータンを目指せ」 模型写真04
↑ワンチュク家模型


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第40回全史協中国支部協議大会記念講演を聴いて

 7月12日(金)。13回目のゼミは鳥取シティホテルで開催された第40回全国史跡整備協議会(全史協)中国支部協議大会の基調講演を拝聴しました。講演者は研究所時代の先生の先輩にあたる本中さん(文化庁記念物課)です。超公式的な会議に3年生全員がラフな格好で会場入りしたため、先生からいきなり注意を受けました。とくにユート君のサッカー部ジャージ姿には困った顔をされていました。
 今回の講演は、都市域と過疎地における文化遺産の保存と活用という課題を対比的に述べられました。講演の題目と構成を以下に示します。

   本中 眞「都市域と過疎地における文化遺産の保存・活用」

  Ⅰ 都市の城跡における保存・活用の特質
   1.「遺跡」であるのみならず「生きもの」としての城跡
   2.城跡の石垣における「解体修理」と「遺構保存」の調和
   3.同様の考え方が必要な遺産 -道と庭園
  Ⅱ 過疎地における遺産の保存と活用
   1.文化的景観の観点からの取組
   2.東北大震災の復興事業から

 都市域では「城跡」に大きな矛盾が集中しています。史跡は歴史を物語る物証というにとどまらず、維新後にさまざまな活用がなされてきており、都市の中の「生きもの」として捉える視点が大切であることを強調されました。城跡の周りには城下町があり、城下町からの視覚的景観も重要視されてきました。城跡を中心に街が構成され、城下町の精神的なシンボルにもなっています。また物理的・精神的なシンボルであるが故に、訪問者にも端的に町を理解してもらえる観光振興の場となっています。中心市街地と城跡をどのように結びつけて利用していくかは考えなければなりません。
 「生きもの」としての城跡の存続については大阪城が話題に上がりました。大阪城の跡地には陸軍の施設がはりついていましたが、現在は公園や近代建築が周囲にあります。歴史的な部分をどのように残していくのか、あるいは都市域のなかでどのように利活用し残していくのかということが問題になっています。大阪城跡は、遺跡として歴史的な物証がすべて集積しているような場所であると同時に、近代の長い時間の中でさまざまな要素が付加されてきた両方の性質をもった場所なんです。また。熊本城跡隣接地の「多機能物販施設」も大きく取り上げられました。城跡の保存と活用のあり方は、難しいことではあるけれども、矛盾を解決していくための段階を経た合意形成が大切になります。

0712本中講演01

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熊野神社遺跡「奥の院」懸造遺構の測量(Ⅰ)

130706熊野神社 奥の院調査5 130706熊野神社 奥の院調査1


仮想「パダンパ・シンゲ洞穴僧院跡」

 熊野神社遺跡「奥の院」のいちばん奥に岩陰があり、「四人仏」が祀られています。その前の平場には基壇縁石の遺構が残っており、いわゆる「掛屋」の建物が存在したのはほぼ疑いのないところです。さらに考えるに、仏像案場所が非常に高く、常識的には楼閣の2階部分に相当するので、平場にあったのは高い床をもつ懸造(かけづくり)式の仏堂あるいは礼堂であったと推定されます。この岩陰は、先生が昨年秋に登山されたタクツァン僧院手前のパダンパ・シンゲ洞穴僧院跡を彷彿とさせるものであり、プロジェクト研究の発表を間近に控える中、週末に急遽測量をおこなうことになりました。メンバーはぼくとユート、ケントに加え、1年ながらブータン調査に参加するK君の4名です。ブータン調査の練習を兼ね、ハンディートータルステーション「インパルス」を使って遺構を測量し、CADで作図してみることにしました。

 僕とKくんは測量の基準点をつくる作業から始めました。木杭を地面に打ちこみ、インパルスを設置します。地中には石が堆積しており、杭を打ち込む場所を探すのに苦労しました。ゼミ生2名には平面図、立面図、断面図のスケッチを担当してもらいました。スケッチには寸法を書き込んでいきます。ケントが描き上げた平面図をみると、礎石らしい平らな石がグリッドパターンに配列しています。建物が存在した可能性がさらに高まったと言えるでしょう。この場所を発掘調査したら、大変な成果があがるのではないか、と期待に胸を膨らませた次第です。これから遺構図と復原図の作成に移行します。(白帯)


130706熊野神社 奥の院調査4   130706熊野神社 奥の院調査2
↑(左)「四人仏」前の基壇縁石 (右)遺構図スケッチ

プロジェクト研究1&3の発表会

 プロジェクト研究1&3の発表会が2013年7月20日(土)午前9時~午後3時50分に開催されます。「めざせ、ブータン!」の発表時間と開場は以下のとおりです。ふるってご参加ください。

  日 時: 7月20日(土)11:00 ~ 11:45
  会 場: 13講義室 【本部講義棟1階】
        13講義室前のギャラリーで模型展示

  班 名:  めざせ、ブータン!

  発表構成: 1.序 ~ ブータンの自然と歴史 【尾上、劉】
          2.中尾佐助と照葉樹林文化 【棚部、永田】
          3.西岡京治とブータンの農業支援 【福本、川上】
          4.ブータンの衣・食 【稲本、小椋、春日井】
          5.洞穴僧院と懸造 -日本とブータンの比較- 【川添、平尾】
          6.熊野神社遺跡での調査実習成果 【角川、永田、川上、棚部】

  模型・パネル展示:  ブータンの民家 【井口、岡田】
  13講義室前のギャラリーにて


第13回「めざせ、ブータン」

 7月4日(木)。まず最初に模型制作班、次に石仏調査班が作業の進捗状況を報告し、その後、他の班がパワポの発表練習をしました。
 私はイントロの「ブータンの自然と歴史」を担当している。他のメンバーはブータンの担当部分についてよく調べており、プレゼンテーションにも慣れていると感じました。私は留学生で、まだ日本語での発表に慣れておらず、なかなか上手にしゃべることはできないのですが、発表当日には今よりも上手く発表できるようになりたいと思います。
 また、発表後に指摘を受けた部分は当日中に集成を完了させました。ブータンの自然に関するスライドは図を挿入することでよりわかりやすくなったと思います。ブータンの歴史に関しては、「年表を作成せよ」との指摘に即して、年代ごとの出来事をまとめ、視聴する側が理解しやすいよう配慮しました。ご指摘いただいた箇所の修正(パワーポイントに関して)は問題ないと思うのですが、発表内容にはまだ自信がないので、他のメンバーに意見を聞くことでさらなる修正を加えようと思っています。ブータンについてもう少し調べなおし、指摘を受けた部分以外の改善も行い本番に備えたいです。本番の発表まであまり時間はありませんが、できる範囲でより良い発表につなげていきたいと思います。(経営学科2年L.W)

ジューン・ブライド(Ⅱ)

0629婚礼04


祝祭の宴

 午後2時すぎ、披露宴が始まった。いきなり出番で、新郎側の主賓として生真面目なスピーチをした。新郎の卒業論文と修士論文が社会的にどれほど重要な役割を担ってきたのかを力説しただけの味気ない話題提供だったかもしれない。最後にサプライズとしてゼミ生6名が入場し、新郎新婦に花束を贈呈し、クラッカーを鳴らした。二人の門出を祝う演出になったとすれば嬉しい。本当におめでとうございます!

 総勢80名に及ぶ豪華な披露宴だった。料理も美味しかったが、恵比寿ビールには唸ってしまう。普段は糖質70%オフの発泡酒ばかりだからね。恵比寿を飲むのは年に1~2度のこと。麦とホップの味がする。これがビールだ。
 シャンパンと恵比寿ビールと清酒「千代むすび」にすっかり酔っ払った。ヤンマーとスギボーのマイクをとりあげてべらべらしゃべった記憶があるが、あとはテーブルで眠りに落ちてしまった。


0629婚礼02


 ゼミ生には「米子水鳥公園」に行くよう指示した。わたしが毎年六弦倶楽部の一員として演奏する会場だからではない。エコロジカル・ランドスケープ系の公園施設をみせておきたかったのである。然るに、白帯の感想たるや「鳥がいなかったんですよ」だって・・・あぁぁぁ、建築や造園を学ぼうとする学生が「鳥がいなかった」では済まされないでしょうが・・・生態系と木造建築をどのように複合させているか、しっかり観察して欲しかった(とまで考えていたわけでもないか・・・)。

 午後6時近くなって披露宴はフィナーレを迎えた。酔っ払ったわたしは、なんとかアルコールを抜きたかったので、学生たちを妻木晩田遺跡に誘った。すでに閉門していたが、さっさと公園に入り、洞ノ原の丘陵から弓ヶ浜半島と日本海を一望した。日没間際の霞んだ神話の世界である。こちらは遺跡整備系の自然公園であり、これもまた重要な教材なのだが、まぁ、これ以上お勉強の話をするのは控えましょう。


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ジューン・ブライド(Ⅰ)

0629婚礼01 


プロローグ

 6月29日午前。披露宴にはまだ時間がある。ふと思い立ち、六弦倶楽部の会長チョトロクさんのオフィスをひやかしてみることにした。土曜日にオフィスを開けている保証もないが、行ってみるだけ行ってみよう。カーナビに電話番号を入力して案内に従うと、見慣れた蕎麦屋の駐車場に到着。対面の事務所に「司法書士・行政書士」の文字を発見した。洒落たビルの2階にオフィスがあり、扉をあけると、スタッフの女性が1名いて、会長の不在を知らされた。十分想定範囲のできごとである。わたしは紙と筆ペンをもっていた。それを使って短いメッセージを書き、まもなく書き終えそうになるところに会長が階段を駆け上がってきた。
 4月17日以来、六弦倶楽部のブログがまったく更新されていない。また体調を崩されているのではないか、と心配していた。わたし一人ではなく、山陰ギターオフに参加したメンバー全員の心配でもあった。そのことをお伝えした。春からいろいろあったみたいだが、現状を拝見する限り、お元気そうではある。アコーディオンの練習をされているとのことであり、ぜひ練習会でご披露いただきたい。


0629婚礼102


 ホテルに戻って白帯たちゼミ生を待つ。かれら6名は披露宴のサプライズであり、新郎新婦にみつかっては元も子もないので、到着してもホテルには来ないよう指示した。午後1時前、隣の温野菜しゃぶしゃぶの店にいるという連絡があり、わたしは「礼服」と「黒い靴」を受け取りに行った。「黒い靴」は私のものだが、「礼服」は家内のものである。私の礼服は家内が奈良から米子までもってきた。家内の礼服は鳥取に置いてあり、わたしが持って行くことになっていて、出発当日、大きなバスケットになんやかやごったに放り込み、玄関の目立つところにドガンとおいた。準備万端だったのである。しかし、車の後部座席にバスケットはみあたらない。ただ、ケースに納まったエレガットとギタレレが座席に立てかけられている。


0629婚礼06


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摩尼寺建造物の調査(Ⅱ)

130628摩尼寺調査


万延元年と文久元年の銘

 6月28日(金)。12回目の3年ゼミの活動を報告します。2週間ぶりに摩尼寺の調査を再開しました。前週は雨で調査を断念しましたが、研究室で拓本とりの練習をしました。その経験を活かして、摩尼寺の本堂・庫裏・山門・仁王門の部材の拓本をとること、6月7日の実測の続きの野帳を描き進めること、ハンディ・トータルステーションを使った配置図の測量をすることが今回の目的です。
 先生は講義があるので、3年生は一足先に出発しました。摩尼山に到着し、1時間ばかり図面を描いて、それから拓本をとろうと計画して作業を開始しました。役割分担は以下の通りです。

  ①屋根伏図:セツ、フジイ  ②山門断面図:ユウト
  ③仁王門断面図:ケント   ④ハンディ・トータルステーション:タク庵

 前回と同様、ケントだけは少し離れている仁王門での活動になるため、彼と仁王門で別れましたが、ケントはとても悲しそうな顔をしていました。そんなケントには脇目もふらず、僕たちはケントの健闘を祈りながら本堂を目指し石段を上がって行きました。
 図面をある程度描き進め1時間経過したので、仁王門でケントと合流して拓本をとる作業に移行しました。まずは、仁王門正面の頭貫の拓本をとることにし、向かって右側を干拓用の炭を用いてタク庵、左側を4Bの鉛筆でケントが担当しました。


130628 摩尼寺調査 130628摩尼寺調査
↑本堂廻縁擬宝珠名「万延元年」 ↓本堂廻縁腰組頭抜絵様
130628 摩尼寺調査 130628 摩尼寺調査
↑上右の絵様が万延元年(1860)に対応することを頭に叩きこんでおく必要があります。

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2013コンフェデ(Ⅴ)

 決勝は伯剌西爾が3-0で西班牙に圧勝した。
 ユーロ決勝の立場が反転しているようにもみえた。あのとき独逸を延長で倒した伊太利亜は中2日で疲弊しつくしていた。今回は伊太利亜とのPK戦勝利から中2日の西班牙の足取りが重い。
 西班牙と日本を重ね合わせて画面を視ていた方も多いことだろう。細かいパスを繋いでボールを保持し続けるサッカーが世界の頂点を極めたが、それを打ち砕こうという勢力が台頭し始めている。その現実をまのあたりにしたわけだ。日本はその潮流から落ちこぼれてしまうのか否か。
 伯剌西爾というチームは、決勝のようなリアクション・フットボールをめざしているのだろう。その点、決して「攻撃的」なチームではない。攻撃好きのチームにボールをもたせておいて集中守備で奪い取り、あとは縦に急ぐ。伊太利亜のコンセプトとも似ているが、前線の決定力がちがった。ここしか入らないスポットにボールを納めるのだから、名手カシージャスをしても打つ手がない。
 宇柳具や墨西哥もリアクション系のチームなので、同類のチームを相手にすると、白帯がいうところの「放置プレー」になってしまう。結果、伯剌西爾は思いの外苦戦を強いられる。だから、何度も「良いサッカーではない」と書いた。それが決勝ではこの出来だ。バルサ系のサッカーを基準とすれば、伯剌西爾は「良いサッカー」をしているとは言えないが、バルサを打倒するためのサッカーを磨き上げたチームであるとすれば、あのシステムを理解できる。カカやロナウジーニョが不要であるのも頷ける。前線から猛烈にプレスをかける選手が必要なのだ。
 西班牙や伊太利亜の疲弊ぶりをみるにつけ、伯剌西爾の風土に欧州勢は苦しみそうな気配がある。その点、梅雨と猛暑を知る日本は有利かもしれない。
 もうひとつ気になるチームがある。阿根廷だ。
 来年のW杯はネイマールの大会になるか、メッシの大会になるか。バルサの同僚がしのぎを削るワールドカップになりそうな予感がする。(完)

第12回「めざせ、ブータン」

0628熊野神社遺跡04 0628熊野神社遺跡02縦


熊野神社遺跡石仏調査完了

 6月27日(木)。曇り空の下、私たちは先々週に続いて熊野神社遺跡を訪れました(現場班以外は学内で発表の準備)。今回は2年のO先輩が助っ人で参加され、1年4名、2年1名に大学院の白帯さんも加わり、計6名で石仏調査の完成をめざしました。まず前回調査を経験している私とKさんが調査のやり方を説明した後に、2人ずつの3班に分かれ て、残りの12体の石仏の調査に移行しました。
 私とNさんの班は、C01、C02、D01、D02と番付された4体の担当です。前回は携帯で撮影していたのですが、先生からはちゃんとしたデジカメを使うよう指示があり、今回は研究室のGPS機能搭載デジカメを使わせていただきました。おかげで、画質が格段とよくなり、所在地の位置情報(緯度・経度)も得ることができるようになりました。
 私たちが調べた4体の石仏はすべて仏龕の中に納められています。C01とC02は仏龕の天井と石仏の頭端があたっていて、前回より測りにくいように感じました。しかし、他の班の中には調査する石仏が岩の上にあったものもあり、そちらのほうが大変に思えました。


130627プロ研 熊野石仏調査3


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講演のお知らせ(Ⅰ)

 お知らせというよりも自分のためのメモです。珍しく講演の依頼が重なっておりましてね。

鳥取市民大学「郷土の歴史」講座
  日時: 9月4日(水)13:30~15:00
  会場: 鳥取市文化センター2階大会議室
  演題: 山寺をあるく-摩尼寺と不動院岩屋堂を中心に-(仮)
 
三徳山シンポジウム
  「文化財の保全と活用-三徳山の建造物とその景観-」
  日時: 9月28日(土)13:00~15:30  
  会場: 三朝町総合文化ホール大会議室
   講演 本中「文化財の保全と活用」(仮)
   対談 本中 vs 浅川 (司会 中原) 

「尾崎家住宅」一般公開に伴う講演
  日時: 10月12日(土)14:00~15:00 (公開13:00~16:00)
  演題: 尾崎家住宅と安楽寺

第30回都市緑化とっとりフェア記念フォーラム
 「山陰海岸ジオパークのマネジメント-海と山の景勝地を結ぶ-」
  日時: 11月2日(土)13:00~17:30
  会場: パレットとっとり市民交流ホール
   講演1 浅川「摩尼山を中核とする景勝地トライアングルの構想」
   講演2 糸谷(演題調整中)
   講演3 杉山「山陰海岸ジオパークと文化施設」(仮)
   講演4 平澤「名勝としてのジオパーク」(仮)
   総合討論 (司会 中橋)

倉吉市生涯学習講座
  日時: 11月23日(土)13:30~15:00
  会場: 倉吉交流プラザ視聴覚ホール
  演題: 倉吉の町家と町並み

講演者の略歴等を「続き」に示しています。

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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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