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『遙かな町へ』仏語版映画

 科研は書けんし、ネタもない夜です。

 11月10日に『遙かな町へ』のフランス語版映画が上映されます。国際まんが博は、ちっとも盛り上がっていないそうですが、わたしは関与できるとしたら、この映画をみることだけだろうと前から思っていました。
 11月10日か・・・土曜日。難しいかもしれないな。歯ブラシ騒動が沈静化していれば、鳥取にはいないでしょうね。鳥取シネマでこの映画をみている私がいるとすれば、離婚の危機だわ・・・だはは。


はるかな町へ仏語映画11月10日R0013770

紫蘇の実(Ⅲ)

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 ろくでもない週末だった。
 アルコール抜きのバーベQを途中退席して高速を走り帰宅したところ、紫蘇の実を醤油漬けしているボウルはすでに作業台になく、蓋付き硝子瓶に移し冷蔵庫に保管してあった。綺麗好きで几帳面な息子は漬物の類をこういうふうに整理するのだが、紫蘇の実醤油までも漬物だと判断したらしく、瓶の中には実があるだけで、肝心要の醤油を捨ててしまっているではないか。神経に激震が走った。出汁醤油・濃口醤油・酒・味醂に紫蘇の風味が滲みこみ、日本らしい繊細な風味の調味料「紫蘇の実醤油」ができあがっていたはずなのに、その出汁はキチンシンクの排水口から下水道に流れ失せたのである。残された実はパサパサで味も素っ気もない。急ぎ出汁醤油・味醂・酒を加え、最後にオリーブオイルも混ぜ込んだ。が、風味の復元は不可能だろう。
 大事な中指の爪を飛ばしながら創作した「紫蘇の実醤油」のあっけない幕切れである。

 日曜日、JAで仕入れた柿を特養にもって行く準備を進めていると、連れ合いがふてくされている。私が間違えて彼女の歯ブラシを使ったことに怒り、部屋を動こうとしない。「歯ブラシなんか二人で一つあれば十分だよねぇ」なんてラブラブだった30年前の新婚時代が懐かしい。だんだんこちらも腹が立ってきて、当該の歯ブラシをゴミ箱に捨て、外出している息子と娘に「歯ブラシ5本買ってきて」とメールした。「この程度のことで特養に行かないなら、俺はお前のために二度と飯を作らん。なんなら離婚だ。この家を出て子ども2人と3人で2LDKにでも住めばいいだろう。ただし、慰謝料も財産分与も一切なし」などと毒づいて、蝶野正洋仕様のスェットスーツを身に纏い、柿をリュックに背負って走り始めた。スロージョギングは体にとても良いけれど、山登りほど精神を安らげてくれない。片道40分で特養に至り居室を訪ねると、母はぐうぐう眠っていた。柿をベッドにおいてUターン。できるだけ平静な気持ちを取り戻そうと、いつものように、復路を走りながら野辺の花を摘み、帰宅後、摘花を仏壇に供えた。往復で約13000歩。よい運動にはなったが、未だ涅槃の境地に達していない。『笑点』に笑い、一風呂を浴びて自分の分だけオカズを作り、あっさりたいらげた。敵は寝室でぐうぐう眠っている。女という動物は、ほんによく眠る。


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↑ 上下ともシャノワールです(うちのデブをのぞいて)


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秋も、茶室でバーベQ

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 大きなホダ木をもって摩尼山を下りた25日からまる24時間後、プロ研1&3「ツリーハウスに挑戦!」のメンバーでバーベキューをしたので報告します。
 会場は大学裏山に建つ「廃材でつくる茶室」周辺です。クラブハウス裏側の山を少し入ったところに茶室はあります。トイレに行くのも一苦労でしたが、自然に囲まれてなかなかいい場所でしたね。私は授業の 都合で手伝いができませんでしたが、行ってみると野菜がたくさん切ってあり、バーベキューの準備が整っていました。なんと!! お肉に野菜、焼きマシュマロ、じゃがバター、ホイル焼き・・・いっぱいみんなで食べました! 
 準備をしてくださったみなさんありがとうございました。おかげで美味しく楽しくいただくことができました。


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 途中、火が消えそうになったり、お肉を地面に落としてしまったりと、いろいろハプニングもありましたが、それを含めみんながわいわい楽しめたと思います。お酒に酔っている先輩もいましたが・・・
 一番のポイントはいろんな人と話ができたこと!! 話しやすい雰囲気でとても良かったです。プロジェクト研究の授業はまだ3回ですから、あまり話したことのない人もいたのですが、このバーベキューでたくさん話せました。方言の話や兄弟の話から恋の話まで!?!? 幅広く楽しいお話がたくさんできましたよ。名前もみなさん覚えられたのではないのかな・・・みんな優しい人ばかりで、本当にうれしく思います♪
 このバーベキューを通してみなさんとたくさんのお話ができ、仲良くなれて、とても楽しかったです。これからこのメンバーで力をあわせて一緒に頑張っていきましょうね!!
 このプロジェクト研究の中でも、私たち一年生はシイタケ栽培に挑戦することになっています。どうやったら、おいしいシイタケが作れるようになるのか自分たちで考えて工夫しながら、しっかり頑張っていきたいと思います。毎週の山登りは天気とにらめっこしながらなので大変なこともありますが、楽しいこともたくさん!! 自然がいっぱいなので、歩くたびに発見することもあります。これからもみんなで協力して頑張っていきたいです。そして、またみんなで打ち上げ!?バーベキューしましょうね。楽しみにしています。(環境学科1年S.M)


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第4回「ツリーハウスに挑戦!」

IMG_1635ツリー4回目


巨巌現る(Ⅴ)

 はじめまして。2年後期からは専門科目(建築・環境デザイン)の教授のプロ研の選択で、ツリーハウスに興味があったのでこのプロ研に決めました。私は初めて屋外でのプロ研になり、正直こんなに大変だと思っていませんでした。今まで山に登ったことがなかったのでトレッキングは辛いですが、毎週元気に登っています。25日(木)は後期プロ研で3回目のトレッキングでした。だんだん体が慣れてきたのか、以前より山登りが楽になったように感じました。
 2年生は3限の授業がなかったため、午後1時門前集合。先発隊として、目的の摩尼寺「奥の院」遺跡に造園業者の方と登り始め、1年生と先生方は4限終了後、大学を出発、遺跡での合流は午後3時半ころとなりました。今回の主な作業は、業者さんが切り倒した巨巌正面のシイ(S03)にラベルを貼り、椎茸の原木栽培が出来る材と、径が太くて原木としては使えずベンチとして使ったり時間をかけて土に返したりする材に分けることです。


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 私たちは登り終えてから少し休憩をしてS03の伐採を補助しました。業者の方がチェーンソーを使って伐り倒すのを下の平場で見ていたのですが、根元のほうに前後に切れ目を入れただけでメキメキと音を立てて倒れ始めるまであっという間でした。樹を伐採するシーンは滅多に見ることができないので、伐り倒される状況を見ていて、すこし儚い気持ちになり感動しました。しかし、岩窟の前にあった大きな樹が消え失せ、巨巌遺跡が良く見えるようになりました。
 その後、倒された樹の長さを測って裁断し、ベンチ用と椎茸栽培用に分け、ラベル貼りをしました。短く切り分けられたといっても水分を含んでいるため、丸太は結構重く、移動させるのは大変でした・・・まもなく1年生と先生が合流し、全員揃って作業を続けました。まず、先生の指示で巨巌正面のS10(シイ)も業者さんに伐採してもらうことになりました。これも案外あっさりと伐り倒されました。一方、一年生は径の細いK37(イヌシデ)とS21(樹種不明)を鋸で伐ります。この伐採係が2名で、残りの5名は遺跡の平場と斜面の草刈りです。鋸で伐採した2本の樹も椎茸栽培用に90cmくらいに切り分け、ラベルを貼りました。下山時には、雨天日のプロ研でも椎茸栽培の種駒植え付けができるように、原木を一人一本持っておりました。近々筋肉痛になりそうです・・・また、今回は登って道を初めて下りたのですが、遺跡直後の難関な急傾斜の道を下ったとき、滑って落ちそうになったのですが、無事今回も皆揃ってトレッキングできたのでよかったです。それぞれが積極的に作業に取り組めたので、予定の時間内で今回の作業を終えることができたと思います。

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↑↓ (上)S03伐採後。弘法大師厨子が視界に納まる  (下)S03伐採前
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鳥取県環境学術研究振興事業(平成23年度研究終了分)研究成果調査

 平成21年2月に施行された「鳥取県環境学術研究振興事業の学術研究に係る評価実施要綱」及び「鳥取県環境学術研究振興事業の学術研究に係る評価実施要領」に基づき、
  (1)研究実施の毎年度 :「研究計画評価」
  (2)研究終了の翌年度 :「研究成果評価」
  (3)研究終了の翌々年度:「普及・活用評価」
がおこなわれます。過日は平成22年度研究に係わる(3)のレポートを公開しましたが、今夜は平成23年度研究に係わる(2)のレポートを公開します。

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 研究課題 : 摩尼寺「奥の院」遺跡の環境考古学的研究

○研究成果
 鳥取県の世界遺産申請は頓挫している。この閉塞的状況を打開するため、2009年度鳥取県環境学術研究費助成研究「文化的景観の解釈と応用による地域保全手法の検討」によって国際シンポジウム「大山・隠岐・三徳山-山岳信仰と文化的景観-」を開催した。そこでの結論は、三徳山だけでなく、対象範囲を大山・隠岐国立公園や山陰各地の密教系諸山にひろげ、とりわけ「奥の院」の考古学的研究と国内外の比較研究を進めるべきというものであった。シンポジウムの成果は、2010年度科学研究費補助金基盤研究C「石窟寺院への憧憬―岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流に関する比較研究―」に継承され、摩尼寺「奥の院」遺跡(鳥取市覚寺)の発掘調査に取り組んだ。県内外を問わず、密教寺院の「奥の院」に考古学的なメスが入れられることはほとんどなく、摩尼寺における発掘調査は意義深いものであるが、初年度の調査で十分な成果が得られたとは言えない。その問題点を克服するため、本研究により、国際シンポジウム報告書(↓①)の編集・刊行と摩尼寺「奥の院」出土遺物の自然科学的分析を併行して進め、以下の報告書を刊行した。

 ①鳥取環境大学建築・環境デザイン学科&鳥取県教育委員会歴史遺産室(編)
   『大山・隠岐・三徳山 -山岳信仰と文化的景観-』2011年9月 
 ②浅川滋男(編)『摩尼寺「奥の院」遺跡 -発掘調査と復元研究-』2012年3月

 報告書②は2010年度の発掘調査(科研費)と2011年度の環境考古学的分析(県環境学術研究費)の成果を総合したものである。2011年度の成果としてとくに重要な点を列記する。
 1)「奥の院」平場の整地層は分厚く、自然堆積層は地表面下2.5m前後まで下がる。
 2)花粉分析の結果、上層期「奥の院」にマツ属が多く植えられていたことがあきらかになり、『因幡民談記』所載絵図との一致をみた。垣・柵などの人工物ではなく、針葉樹植栽を周辺原生林(広葉樹林)との結界としていた可能性がある。
 3)発掘調査では土器編年によって下層を平安後期、上層を室町後期~江戸前期と推定していたが、2011年度の放射性炭素年代測定により、上記年代観が裏付けられた。年代的にみた場合、摩尼寺縁起にいう円仁創建伝承や秀吉の焼き討ちは全て虚偽記載の可能性が生まれたが、下層の土器は8~10世紀のものが出土しており、三仏寺投入堂よりも古い点には注目せざるをえないだろう。
 4)下層整地土に含まれる大量の凝灰岩片は、地下で発見された平らな凝灰岩盤と同じ「変質凝灰岩」であり、岩陰仏堂周辺の「デイサイト凝灰岩」とは異なる。したがって岩陰の掘削年代は不明だが、そこに安置された木彫仏が平安時代末期の様式を示すとの見方が専門家(仏教美術史)より示された。
 このほか、12月17日には「山林寺院の原像を求めて-栃本廃寺と摩尼寺奥の院遺跡-」シンポジウムを重要文化財「仁風閣」で開催した。山陰海岸ジオパークの一部をなす摩尼山は「山のジオパーク」として意義があり、今後は山陰海岸国立公園への編入をめざすとともに、「奥の院」を史跡、摩尼山を名勝に指定する必要があるなどの討議が交わされた。



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摩尼山をめぐる二つのイベント

「新老人の会」鳥取支部 東部ブランチ


 「新老人の会」という組織から講演のご依頼がありました。摩尼寺「奥の院」遺跡の報告書にいたく関心を抱かれた模様です。会員以外の一般来聴歓迎だそうです。ぜひお誘い合わせの上ご参加ください。


        「新老人の会」鳥取支部 東部ブランチ
          -鳥取環境大学 市民交流会-

 1.日 時: 平成24年11月18日(日)10:00~14:00

 2.会 場: 高砂屋
        鳥取市大工町1番地 ℡0857-29-9024

 3.次 第: 
    10:00-10:05 開会挨拶 「新老人の会」鳥取支部
                      世話人代表 入江 伸二
    10:05-11:05 講 演  山陰海岸ジオパークのエリア・マネジメント
                     鳥取環境大学建築・環境デザイン学科長 中橋 文夫
    11:05-11:15 休 憩  
    11:15-12:15 講 演  摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査
           -摩尼山を中核とする景勝地トライアングル構想とともに-
                    鳥取環境大学環境学科教授 浅川 滋男
    12:15-13:15 昼 食
    13:15-14:00 意見交換

  参加費: 1,000円(昼食代含む)

  連絡先: 「新老人の会」鳥取支部事務局(担当 松本)
        〒683-0852 米子市河崎580 医療法人真誠会内
          ℡0859-29-0099 Fax0859-24-2249


山陰海岸ジオパーク国際学術会議「湯村会議」

 兵庫県等が主催する表記の国際シンポジウムが、11月23日(金)~24日(土)に開催されます。会場は新温泉町夢ホール[兵庫県美方郡新温泉町湯990-8]です。ASALABは、午後からのポスターセッションのみ参加します。ポスター論文のテーマは「山のジオパークにむけて-摩尼山と摩尼寺『奥の院』遺跡-」です。テキストを「続き」に掲載しておきます。詳細は以下のチラシをクリックしてご確認ください。


01湯村会議01チラシ表 01湯村会議02チラシ裏


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紫蘇の実(Ⅱ)

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 紫蘇の実はまだまだ山ほどある。とりあえず佃煮かな。胡麻油で実を炒めて砂糖と醤油と出汁で甘辛煮にすれば佃煮になるはずだ。と信じて調理を進めるのだが、どうにも良い味になってくれない。このままだと誰も口にしないだろうという被害妄想に襲われ、レンコンとヒジキを炒めて、紫蘇の佃煮に絡めた。酒と味醂もたっぷり使ってぐつぐつ煮込む。味見する。シンプルに「レンコンとヒジキの煮浸し」にしておけば良かった。そうすれば、一瞬にして食卓から消えただろうに、現実には紫蘇の実が邪魔して食欲をそいでいる。上の写真では旨そうにみえるけれど、それは器のせいです。

 日が変わり、患者に吐露した。

  「おまえのおばあちゃん(娘のひいおばあちゃん)がさ、紫蘇の実使って
   ピーマンを炒めていたよね、あれは美味しかっただろ?」
  「うん、あれ、大好物だったの。年季の入った味だったでしょ?」


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 頷くしかなかった。先週、患者は脳動静脈奇形閉塞確認のカテーテル検査のため、吹田の病院に3日間入院した。最初のガンマナイフが2005年だから、あしかけ8年の歳月が流れている。その間、わたしは一家のウィークエンド・シェフとしてそれなりに腕をあげたつもりだ、だはは・・・そこそこ美味しく健康的な家庭料理を作れるようになってきたという少々の自負が芽生えている。これも年季さ。日本政府が世界無形遺産に申請している「日本食」に値するのは高級割烹料理ではなく、一般家庭のお総菜だというのが私の意見であり、自らその担い手になりつつあるなんて愚かしいことを結構真面目に考えもしていたが、しかし、紫蘇の実の活かし方が分からない。
 こういうときはネットでレシピを探すしかないね。早速ヒットしましたよ、「紫蘇の実のレシピ 509品」だって。んぅぅん・・・どれもこれもイマイチだねぇ・・・結局、私が選んだのは「紫蘇の実醤油」。わさび菜の醤油漬のようなものかな。否、ニンニク醤油の応用とみたほうがよいかもしれない。半時間水に晒してアクを抜き、乾いた紫蘇の実を出汁醤油に浸して重石をのせるだけ。このレシピだとちょっと芸がないので、酒・味醂・出汁醤油・濃口醤油に紫蘇の実をつけた。ついでに、「蕪の甘酢漬」と「蕪菜と大根皮の浅漬け」もまとめて作る(↑↓)。


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↑(上2枚)左下:紫蘇の美、左上:蕪甘酢着(これがいちばん評価が高い)、右:蕪菜と大根皮の浅漬


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紫蘇の実

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 先週末、久しぶりに河原の道の駅を訪れた。JAいなばの野菜市は閉店直前、品薄になっていたが、買いたいものは山ほどある。根菜類、むかご、枝豆、たんぽ柿、西条、菊菜、雨滝の豆腐など、次々とバスケットに放り込む。そんななかで、一袋だけ残っていた商品に目を引かれた。紫蘇の実である。100円。腕のよい板前ならきっと上手に使うだろう。咄嗟に質問した。「これはどんな風に調理するんですか」と。
 レジの奥様は答える。「そうですねぇ、佃煮にしたり、漬物に混ぜたり・・・かき揚げにも使いますよ。ちょっとえぐみもありますから、さっと湯通しして使うほうがいいかもしれません」
 なんだかよく分からないけれども、一袋100円だから、気楽にバスケットに追加した。

 翌日、特養の母親に西条とたんぽ柿をもっていった。彼女は半世紀を河原で過ごした人である。「河原の柿だ」というと、ほんに嬉しそうな顔になる。柿と無花果に目がない。そういえば、母は漬物に紫蘇の実を使っていた。柚の皮と紫蘇の実が薬味としてアクセントになることを思い出し、紫蘇の実は浅漬けにどれくらい混ぜるのか、湯通しをしたほうがよいのかどうか、訊ねた。

  「掌に一握り、湯通しなんぞせんで、そのまんま混ぜたらええけな」

 帰宅して早速浅漬けを試す。すでに何度か紹介してきたが、私は「大根の皮の浅漬け」に自信をもっている。風呂吹きを煮る残りの皮と刻み大根菜に塩を軽くふり、昆布茶と【持田醤油特製】浅漬けの素をふりかけ、さらに鷹の爪と柑橘類の皮でめりはりをつける。これに蓋をしてまる1日重石をのせれば、頗る上品で歯ごたえのある漬け物ができあがる。今回それに、思い切って紫蘇の実を放り込むことにした。掌に一握り混ぜ込んだ。翌朝味見するが、紫蘇の味は全く立っていない。遅ればせながら、もう一握り混ぜ込む。


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2012年度卒業研究中間発表会のお知らせ

 今年度の鳥取環境大学建築・環境デザイン学科卒業研究(論文・制作)の中間発表会が10月31日(水)15:00より開催されます。会場は13講義室と14講義室の2室に分かれておりますが、ASALABの卒業予定者2名は13講義室での発表ですので、ご注意ください。
 以下、発表時間と卒論題目を掲載します。ご来場をお待ちしております。


10月31日(水)@13講義室

 16:31- 1096015 中島俊博(論文)
      山のジオパークにむけて
       -摩尼山を中核とする景勝地トライアングルの構想-
      Toward the Geopark of the mountains
       -Strategy of the scenic spots triangle around Mt.Mani-


 16:44- 1096014 仲佐 望(論文)
      雲州平田「木綿街道」の町並み調査と保全計画
       -伝統的建造物群と文化的景観の制度的融合をめざして-
      Townscape investigation and conservation plan of Hirata
      "Cotton Streets", Izumo district
       -For the systematic fusion of the traditional buildings
       and the cultural landscape-



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*打倒右派、走資派! 糾弾党幹部汚職和腐敗!!


第3回「ツリーハウスに挑戦!」

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樗谿から摩尼山へ

 お久しぶりです、昨年度後期「猫プロ」に所属していたFです。プロ研4は専門科目でして先生の元に戻ってきました。先週の摩尼山登頂に続いて今週は樗谿(おうちだに)から摩尼山を目指してトレックしてきました。先週の登頂で筋肉痛になったので、今回の2時間半に及ぶ山登りが少し心配でした・・・
 18日(木)午後3時、メンバー全員元気にそろって樗谿を出発しました。前日に雨が降ったので歩くのに支障があるかと思いましたが、問題なかったです。私は今回初めて知りましたが、 樗谿は蛍の乱舞で有名みたいです。来年、蛍の季節になったら見に行きたいと思います。まず樗谿から太閤ヶ平を目指しました。太閤ヶ平(たいこうがなる)は羽柴秀吉による第二次鳥取城攻撃の際に造営された陣城です。ここに向かうまでの道は先週登った摩尼山の登山路とは違い、きれいに舗装されていました。私たち以外にもたくさんの人がウォーキングしていました。メンバーのみんな、人とすれ違うたびに挨拶をしていて気持ちよく登ることができたと思います。今回のトレッキングの目的は山道に点々とあるサインボードを観察することと、眺望ポイントや休憩小屋の分布や現状を知ることです。先週に引き続きGPS付デジカメが大活躍です。太閤ヶ平に着くまでのサインボードに書かれている距離は正確であったと思いました。


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 太閤ヶ平に到着し、小休憩(↑)をはさんでから最終目的地の摩尼山までの道は先週の道と同じような舗装のない山道で、滑りやすく少々危険でしたが、みんな順調に歩いて進んでいきました。道がわかりづらい状態で、サインボードを手がかりにするのですが、頼みのサインボードは、先生が話していた通り、目的地までの距離が正確ではありませんでした。残りの距離が減ったと思えば、その直後に増えたりして、歩き疲れていた私にとっては酷なものでした。私たちが今後改善していかなければならない課題だと確信しました。また、摩尼山に着くまでに眺望ポイントもたくさんあったので、ルートマップ作成のときにしっかり書き込めるようにすることも課題だと思いました。それと、先生が山の所々にある休憩施設などで2年生(建築・環境デザイン専攻)に向けた木造構法の問題を出題されたのですが、あまりにも私たちは答えることができなかったので、それも2年生にとっては新たな課題になるなぁと思いました。
 来週、私たち2年生が先に摩尼寺「奥の院」遺跡に上がるので、仮サインボードを所々につけながら登っていきたいと思います。そして造園業者さんに来てもらって岩陰正面に残っている大木を伐採してもらうので、切った木に番号をつけて椎茸栽培に使いやすい長さに裁断します。来週も大変な作業が待っていますが、みんなで力を合わせて頑張っていきたいと思います。(建築・環境デザイン学科2年F.Y)
 

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左)古い道標では「摩尼山まで1.9km」 右)100m先にある新しい道標では「摩尼山まで2.5km」。どちらが正しいのでしょうか?


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H22年度鳥取県環境学術研究振興事業に係る普及・活用調査

 平成21年2月に施行された「鳥取県環境学術研究振興事業の学術研究に係る評価実施要綱」及び「鳥取県環境学術研究振興事業の学術研究に係る評価実施要領」に基づき、このたび、平成22年度に終了した研究課題に対し、「普及・活用調査」が実施されることとなりました。
 この調査は、上記要綱及び要領の定めにより、
  (1)研究実施の毎年度 :「研究計画評価」
  (2)研究終了の翌年度 :「研究成果評価」
  (3)研究終了の翌々年度:「普及・活用評価」
を、研究実施者による自己評価、県の行政施策関係課による担当課評価、外部評価者による外部評価の3段階方式で行うものです。平成22年度助成研究の場合、上記(3)にあたるものであり、ここに提出書類の内容を公開しておきます。


○研究成果の活用状況

 ・2011年10月: 報告書『はるかなまち、その未来』刊行。印刷部数300のうち、150冊を県内関係者、130冊を県外研究機関・研究者に配布。『遙かな町へ』の作者、谷口ジローには鳥取市教育委員会を通じて1冊贈呈した。【http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-2729.html 参照】
 ・2012年元旦: 読売新聞鳥取版連載「王国元年-国際マンガサミットを前に」(1)で、おぎんちゃんがインタビューに答え、本研究の内容を紹介。【http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-2825.html 参照】
 ・2012年5月: 鳥取県主催「国際まんが博」のイベント企画を請け負っている株式会社トレードマーク鳥取の岸浩之プロデューサーより依頼があり、上記報告書のほか、倉吉の町並みを背景に使う『遙かな町へ』風景データベース、久松山周辺を背景に使う『魔法の山』風景データベース、『父の暦』と『遙かな町へ』を素材とした卒業論文「谷口ジローの風景」(松本朋子、2008)などを提供。
 ・本研究の一部として学生が取り組んだ魚町M家住宅の再生修景案(看板建築を町家の外観に復し、内部をカフェに改修)については、2011年5月、実測図・設計図などすべてのデータを所有者のM氏に提供。その後、地元の設計事務所により実施設計に移行し、2012年6月に魚町現地で改修・修理に着工、同年8月に竣工した。研究室の原案とは若干異なるものの、アイデアの多くを吸収した町家再生のカフェ「あかり舎」が誕生した。【http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-123.html 参照】


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木綿街道のこと(ⅩⅩⅩⅧ)

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ウイグルマッチングのためのサンプル採取

 先日の修士研究発表会から10日後、後期になって初めて木綿街道を訪れた。本石橋家・旧石橋酒造の建築部材を放射性炭素年代測定にかけるための試料サンプルを採取するためだ。そのサンプル採取で若干問題が発生し、1週間後に再び平田を訪れることになった。恥ずかしながら、風邪をこじらせてしまったこともあって、報告が遅れてしまいました。
 今回試みる放射性炭素年代測定は、単純なAMS法によるサンプル2点に加えて、3点のサンプルを「ウイグルマッチング」を用いて測定する。出雲大社宮司を顧問とする「公益財団法人いづも財団」の助成事業に、木綿街道振興会が申請したところ採択され、ここに実施できることになったのである。ウイグルマッチングとは、同じ材から年代間隔のはっきりした3点以上の炭素測定値を、暦年較正曲線に照合させて推定年代の誤差を小さくする方法で、その誤差は±1~2年の範囲に収まるという。仮に17世紀後半以前の年代が示された場合、本石橋家建築年代の重要な根拠の一つとなるのは間違いない。それゆえ、サンプル採取に際しては、どの部材を選ぶかが最初の重要な課題となった。
 本石橋家オモヤの建築的特質としてとくに重要な点は以下のとおり。

  ①農家型四間取(整形田字)の各柱に、補強材を抱き合わせて鎹で固定した「双子柱」が用いられる(↓)
  ②双子柱の一方が、胴差辺りで継がれている(↓)
  ③軸組と切妻妻入の小屋組が一致していない

 これらのことから、前身建物として農家があり、整形田字平面はそのままに上部構造を妻入町家型に増改築したプロセスを想定している。今回、サンプルは農家型四間取中央の柱2本と、双子柱のうち1本の計3本から採取した。ウイグルマッチングには、前者2本のいずれかを測定する予定(現在検討中)。じつは、この柱をめぐって、サンプル採取の1週間後、再び片道3時間半の日帰り平田往来を敢行することになったのである・・・

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サテンドール(ⅩⅣ)

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常乃家(2)

 島根県庁近くの松江市殿町にあるジャズ喫茶です。以前サテンドール()で取りあげられましたが、このたび平田出張の夜に5名で調査!してきました。漫画『美味しんぼ』で取り上げられた振興会のKさんも一緒です。この土蔵は旅館「蓬莱荘」附属のものです。蓬莱荘は「常乃家(つねのや)」として昭和元年に創業しました。戦後に名前を「蓬莱荘」と改めています。現在の「蓬莱荘」は、平成18年にオーナーが代わり、新たなスタートを切ったばかりです。「庭園料亭 蓬莱吉日庵」、ジャズ喫茶「常乃家」、「そば処 一色庵」の複合飲食店から構成されています。
 さて、土蔵を改装したJazz&Bar「常乃家」ですが、わたしはとても居心地のよい空間だと思いました。5名で行ったので、カウンターの席ではなく、2階の座敷に上がらせていただきました。階段部分と2階の縁はコの字形の吹抜けになっていて良い感じなのですが、2階座敷もロフト風で天井が高すぎず低すぎず、これがまた良い感じだと思いました。間接照明もムードがあります。テーブルも蝋燭で良い雰囲気なのですが、メニューが読みづらいという憾みはありました。たしかKさんのスマホでさっと明るくなりましたが、少なくとも私や白帯くんのガラケーではこうはいきません。スマホはナビも使えるようですし、こういったところでも役に立つのですね。わたしには使いこなせそうにもありませんが・・・


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ハチ激取れ

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 この夏は異常に熱く、水撒きがおいつかなくて、プランター作物の出来はいま一つ。庭仕事の大敵はなにより蚊だが、今夏は蜂も多かった。昨年7月6日、私自身、庭で足長蜂に刺された。どうやらまた巣ができているようで、これは息子が退治してくれた。足長蜂より怖いのはスズメバチだ。被害にはまだあっていないけれども、スズメバチも庭先に飛来してくる。
 スズメバチの恐怖は十分知っている。子どものころ、教師だった母が遠足でスズメバチに刺され、いったい誰なのか分からないほど顔が変形したまま3日間仕事を休んだ。そして、今春、六弦倶楽部のチョトロク会長が大山の別荘でスズメバチに足を刺され、大学病院で治療を受けるという報にも接したばかり。摩尼山にもスズメバチはたくさんいる。学生たちには、いつも指示している。

  「スズメバチが寄ってきたら、石になれ!」

 息を潜めて動くな、ということである。ヒトが二酸化炭素を排出する生物ではなく、石だと判断すれば、蜂は遠のいてゆく。この問題は、思いの外、深刻である。スズメバチに刺された場合、ヒトは30分以内に死に至る場合があるというのだ。マムシもいる。だから、山での活動は、絶対に長袖・長ズボンにしなさい、と口を酸っぱくして学生に諭すのだが、言うことを聞かない輩はいつどこにでもおります。幸い、先週の登山ではみな長袖・長ズボンだった。前期の学生より統率がとれている。
 家の庭も舐めてはいけない。まちがいなく、スズメバチはやってきている。庭いじりする私以上に、洗濯物を(片手で)干す家内のことが心配になり、ある日決意した。「ハチ激取れ」を取り寄せよう。
 「ハチ激取れ」なるフマキラー社の商品は、ほかならぬチョトロク代表のサイトで知った。大山の別荘でスズメバチと格闘する代表が、この商品を使って大量のスズメバチを捕獲した経緯を知り、わたしも使う決心を固めたのである。アマゾンで取り寄せた。ホームセンターより100円ばかり安い。

 仕掛けは簡単。コップの中に誘因剤を注ぎ込み、二穴のあいた蓋をしてカバーで覆い、木の枝に吊すだけ。履歴を確認すると、9月8日に注文し、翌9日に届いている。ブータンに向けて出国したのが9日で、その翌日あたりに娘が1カップ吊したようだ。14日に帰国しカップをみたが、1匹も取れていなかった。気候がやや冷え込んでいて、庭仕事をしても飛来する蜂はほとんどいない。2週間ばかり鳥取で暮らし、9月末に帰宅して驚いた。十匹以上のスズメバチがカップの中にいて、液に沈んだものはすでに命なく、上にいる2~3匹は粘着性の液から抜け出ようとしてもがいている。恐るべき効果を目の当たりにし、2カップめを別の樹の枝に吊した(1箱に2カップ入っている)。そして、また2週間後に帰宅し様子をみると、1個めのカップはすでに誘因剤が蒸発し、カップは20匹以上の死蜂でぱんぱんになっていた。2個めのカップにはまだ誘因剤が少しばかり残っていて、死に絶えた下層の蜂ともがく上層の蜂に分かれている。2カップで30~40匹のスズメバチが激取れしたのだ。さっそくアマゾンで追加の1セットを注文し、新しい2カップを別の樹の枝に吊した。 


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↑9月末


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めだかづく日々

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 時は流れ、すでに1週間前のことになってしまった。8日の昼、平田の本石橋家でウィグルマッチングのサンプル採取を無事終え、酒石橋に戻って出前の割子を軽くたいらげた。割子3枚では物足りない。交流館(旧長崎屋)で熱いタヌキ蕎麦を啜り、そこで、メダカを発見。レジの対面に水槽があり、メダカを売っていたのだ。4尾250円というので、1000円払った。値段どおりなら16尾だが、「サービスしときます」とのこと。問題は移送だ。鳥取経由で奈良の家の水槽まで持ち帰らなければならない。
 8月下旬の朱雀左京の夏祭りで掬った金魚はすでに1尾だけになっている。福建、ブータンと出張を繰り返すたびに数を減らしていったのだ。背びれに白い黴(かび)が生え、次々に金魚が死んでいく。息子はペットショップから殺菌液を買ってきていた。娘も心を痛め、黴の生えた金魚を個別の小さなボウルに遷して殺菌液を注ぎ込み治療を試みたが、十数尾の金魚が息絶えた。一つの原因は溜め池の水だっただろうと、今にして反省している。金魚のために水替えをしなければいけないと毎日のように溜め池まで水汲みに行き、水槽の水を換えていた。溜め池の水にはプランクトンや藻がたくさん含まれている一方で、同時に雑菌も繁殖している。その雑菌に金魚は抗しきれなかったのではないか。結果として、我が家の水槽にはただ1尾の金魚が残るのみ。この水槽にメダカを遷したい。長崎屋で瞬時にそう思い、千円札を渡した。帰鳥は翌日の9日(火)になる。火曜日は休館日なのだが、午前9時にメダカを用意しておいてくださるとのこと。ありがたい。


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 9日朝、少し早く目がさめたので、平田の街を歩いて芸術写真を狙った。船川の水面が朝陽に反射して妖艶な輝きをみせており、おもな撮影対象となった。が、今年の水草の繁殖は異常であり、水面を覆い尽くそうとしている。その様子をもちろんレンズに捉え、いったん宿舎に帰ってペットボトルを用意した。水面と水中の水草をペットボトルに詰め込んだのだ。水中の水草にはヘドロが堆積していた。あとで洗浄するしかない。
 9時になって交流館に行くと、スタッフのみなさんは本石橋家の清掃をしていた。一人が交流館をあけてくださった。中に入ると、「鳥取環境大学 浅川様」と大書きした紙を貼り付けた小さな蓋付きバケツがおいてあった。なかみはもちろんメダカだ。いや、メダカのほかに、モロコ(?)・フナ・チンカー(ハゼの一種)の稚魚と小エビが含まれている。「酸素の出る石」がバケツに放り込まれており、餌まで頂戴した。
 ここまでしてもらったのだから大丈夫だろうとも思ったのだが、鳥取を経由して、奈良に辿りつくまで3日ある。できれば、宅配で送りたい。鰐淵寺の発掘調査現場を視察後、近くのホームセンターに寄ってみたのだが、「生態」の宅配は2年ばかり前からなくなったそうだ。鳥取まで持ち帰るしかない。犠牲になったのは白帯くんだが、諸般の都合上、ここに詳細を書くことはできない。


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第2回「ツリーハウスに挑戦!」

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今日まで そして明日から

 お久しぶりです、匠です。
 2011年度P1(1年前期)「医食同源」に配属され、今回のP4(2年前期)「ツリーハウス」で舞い戻ってまいりました。先々週のオリエンテーションを終え、先週はさっそく摩尼山に登ってきました。自分としては春休み以来の摩尼山です。ただ、近頃は運動を全くしてなくて、デスクワークばかりなので体力面が心配ですが・・・
 登り始める前に門脇茶屋喫茶部のメダカさんにあいさつし、そのあと各自自販機で飲料を買い摩尼山までのトレッキングスタートです。
 まず、はじめに門脇本家の椎茸原木栽培地を見学しました。まだ、椎茸は出ていなかったですが、ちょこちょこと小さいきのこが木皮から出ていました。野生のキノコなのかもしれません。自分たちも前期に伐り残しておいた広葉樹を採し種駒を植えつけるので行くたびに観察し、学んでいこうと思います。山道に入り、前日の雨の影響を感じながら歩いていきます。蜘蛛の巣が多く、道沿いの草は生え放題、トレッキングのしやすさを考えるのであれば、足元(石敷・石段やウッドデッキなど)はもちろんですが、除草についても考える必要があるのではないかと感じました。そして、山道に点々とあるサインボード(↓↓)。先生が各所で止まって問題点を説明してくれました。入口に近いほど新しくしっかりとしていますが、奥に行くにつれて看板が落ちていたり、距離がおかしかったり。これからの活動内容を目に見えて実感できました。


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 また、お決まりの丸太橋(↑)ですが、今回は誰も落ちることなくすみました。対岸で先生が安心したように見ていました。自分も無事にわたり「今回はみんな大丈夫でしたね」と言うと、「ホカノは落ちた」と笑いながら話してくれました。コケも生えていて本当に滑りそうで危ないので、なにか代用案を考えるべきかもしれません。まもなく、小川に架かる丸太橋もあらわれました。春季に地元の方々が架けたそうです。橋をわたってしばらく歩き、奥の院に入るための山門があった可能性のある場所で止まりました。その前から平たい石が多くなり、絵図に描かれている門の柱を立てる礎石であろう?という現在の研究室の見解を垣間見れました。作業場である奥の院では、写真でしか見ていなかった枯で作ったツリーハウスがお迎えしてくれました。テントも二張立ててあり、ここでのこれからの作業が楽しみになってきます。みんな水分補給して一休みしたあと、奥の院での前期の活動内容をお話しいただきました。

  ・巨巌の岩肌が出るように樹木を間引き伐採し除草したこと
  ・廃材の竹を使ったツリーハウスを作ったこと、
  ・伐採木を裁断したしいたけの原木栽培
  ・岩陰木彫仏の放射性炭素年代測定のこと


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 前期での生徒の活躍を聞いていて改めてこのプロジェクト研究をより良いものにしようと感じました。 後期の活動内容は以下のとおりです。

  ・岩陰正面に残る樹木の間引き伐採と除草・清掃
  ・新たに伐採する広葉樹を利用した椎茸の原木栽培(秋季の種駒植え付け)
  ・枯竹などの廃材を使ってのツリーハウス風店棚つくり
  ・岩陰から岩窟仏堂に登る石段の清掃整備(業者に頼む可能性有り)
  ・摩尼山周辺のトレッキング路を誘導するサインボード制作
  ・トレッキングルートマップの作成

 ざっと、このような感じだと思います。


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出雲の岩屋(Ⅱ)

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浮浪山鰐淵寺

 鰐淵寺はこれまで何度もブログに登場していますが、発掘調査中という情報を得ていたので再訪することになりました(私とおぎんちゃんは初めての参拝です)。智春上人が浮浪の滝のほとりで修行をしている時に誤って滝壺に落としてしまった仏器を、日本海の鰐がその鰓に引っ掛けて奉げたことから「浮浪山鰐淵寺」と称するようになったという寺伝はあまりにも有名でしょう。起源が奈良時代以前に遡るかどうかは不明ですが、平安時代末期には修験道の霊地として広く知られており、室町時代には出雲大社を支配するほど栄えたといいます。
 今回は根本堂には向かわず、いきなり浮浪滝を目指しました。途中の平場に発掘調査現場があり、江戸時代の建物跡を実測中でした。教授と担当者の方がなにやら話されておりました。発掘現場を横目に長い石段を登ります。石段が終わると山道になり、最後のカーブをまわると、滝と蔵王堂が視界にあらわれます。このあたりの参詣路の演出は三仏寺投入堂とよく似ています。滝口に入る直前にアズマヤ(休憩小屋)があり、そこから滝に至るカーブにはウッドデッキを設けていました。摩尼寺「奥の院」の岩陰仏堂をぬける危険な道にはこういうウッドデッキをつければよいと思いました。


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 浮浪滝は修験者の守護神”蔵王権現”の聖地とされ、滝の裏に岩窟を掘って壁と縁で塞ぎ蔵王堂を形成しています。弁慶もこの滝に打たれて修行したと伝えられ、神秘的な雰囲気に包まれています。今回は残念ながら滝の落水が枯れていました。武夷山の水簾洞に続き、またしても枯滝に残念でした。


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↑伐採した木材は土に返る。伐採木は必ずしもリサイクルする必要はなく、土に返す方法を考えてやるべきでしょう。



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出雲の岩屋(Ⅰ)

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 昨日述べたように、今回、私と教授は出雲地方の岩屋堂を巡りました。天候は薄曇りの青空で、写真撮影には絶好です。まる二日かけて、出雲市朝山町の岩根寺、松江市宍道町来待の岩屋寺、奥出雲町横田町の岩屋寺、松江市玉湯町の岩屋寺(廃寺)、そして鰐淵寺の発掘現場を視察しました。今夜は8日に訪れた3寺を紹介します。


神朝山 岩根寺

 出雲市朝山町の岩根寺本堂は、高さ10m以上の断崖を抉ったおおきな岩陰の中に建っています。岩肌は荒く凸凹していて、人為的に掘削したことが分かります。創建は不明ですが、かつては塩冶町の天応山神門寺派に属する寺で、出雲巡礼五番の札所でした。しかし、明治初期の廃仏毀釈運動の折、檀家も財産も奪われて廃寺となり、本尊である十一面観音菩薩は神門寺に移されました。本堂も明治5年に取り壊されましたが、信徒の強い願いにより、明治22年に茅葺きの仏堂を再建されました。本堂の隣には磨崖六地蔵が並んでいます。地蔵信仰の盛んな江戸時代に彫られたものです。護摩を焚いた跡なのか、周辺の岩肌が黒ずんでいます。断崖の上までのびる凌霄花は、夏の磨崖に赤い花を咲かせ、まるで仏の供華のようにみえるそうです。

 
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岩屋寺跡横穴石室群

 玉湯町の岩屋寺跡は昭和23年12月に国指定史跡になっています。ただし、岩屋ではなく、横穴石室が評価されての史跡指定です。古墳までは竹林がつづきます。彼岸花も綺麗でした。古墳時代の墓制のひとつで2つの横穴が、凝灰質砂岩(来待石)の岩盤に掘りこまれています。両横穴と、天井を家形に加工し、屋根と壁の境界を浮き彫りにするなど、丁寧な造りになっています。特に右の横穴は、二室からなる珍しい例のようです。副葬品は全く知られていませんが、古墳時代の終末期の7世紀に造られたと推定されています。


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斐川平野の築地松(Ⅳ)

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GPS付デジカメによる築地松の分布調査

 7日(日)のオープンキャンパス終了後、研究室メンバー4名で平田に向かいました。今回は、教授と白帯くんが出雲地方の岩屋堂の調査、私とタクヲさんが平田の町家と築地松の調査という役割分担です。平田の調査については、放射性炭素年代測定のサンプル採取を最重要課題としていましたが、どうやらサンプルに若干の問題があったようで、先に築地松について報告します。
 9日(火)午後、平田から斐川にかけてひろがる平野の築地松を見てまわりました。築地松は広範囲に点在する集落(散居集落)の屋敷林なので、分布図を作成するのが困難です。これを克服するためにGPS付デジカメを3台持ち込みました。一つのポイントで3人が120°ずつ風景を撮影します。非常に効率よく作業が進みます。撮影したデータをパソコンに移し、対応のソフトで開けばグーグルマップ上で撮影位置を示してくれるというスグレモノであり、広い範囲での分布図を作成できます。
 私は今回、勉強不足を痛感しました。平野をみているときに、教授への説明がろくにできなかったからです。タクヲさんが教授に話しておられましたが、自分の卒業研究テーマなのに説明もできないなんて恥ずかしいと思いました。過去の報告書や築地松の情報誌などもっと読み、もっと勉強します。

 この日、平野をまわり、改めて数棟の茅葺き民家が築地松の内側に残っていることを確認しました。時間があるようなら、立面くらいは実測したいね、という話になりました。よって今回は、玄関までお邪魔して表札の確認だけして帰りました。

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↑↓ 茅葺きの民家。茅葺き民家と築地松がセットで残っているものはほとんどなくなっています。この写真も松の屋敷林ではないようですが、松でない屋敷林のほうが古式であるようです。
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秋のオープンキャンパスも大盛況!

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 10月7日(日)、今年度3回めにして最後のオープンキャンパスが開催されました。研究室公開のテーマは、夏と同じ「環境と文化」ですが、撒餌がちがう。夏はかき氷に圧倒的な人気があり、2日(実働5時間)で21名の来室者を集めましたが、今回のコピーは以下のとおりであります。

     日本一おいしいバームクーヘン
           サービス中
      高級ジャスミン茶とともに・・・

  
 要するに、シュープリーズのバウムクーヘンと福州の高級ジャスミン茶をセットでお出ししたわけです。で、結果を申し上げますとですね、2時間半で17名の来室者がありました。夏よりふえちまったぜ。

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 記憶が曖昧ですが、福岡、愛媛、兵庫、島根のほかは鳥取の方でして、今回は家族連れの2年生が70%を占めました。学生さんは皆おとなしい。親御さんはよくお話しになります。

  「そんなん、わたしがやりたいわ、あんた、ここにしぃ」
  (関西弁で読んでください)

なんちう調子であります。で、もう一つ結果を申し上げますと、シュープリーズのバウムクーヘンは一片も残らなかった。私と白帯とタクヲとおぎんちゃんの口には、ついに入らなかったのです。


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第10回鳥取県建築系教育関係者交流会

 10月6日(土)、とりぎん文化会館第2会議室で表記の会議が開催されました。鳥取、倉吉、米子の持ち回りで3サイクルし、4サイクルめのトップバッターとして4たび環境大学が事務局を務めましたが、おそらくこれが最後の幹事役になるのではないか、と想像しております。
 本会は建築系高等教育機関の教育・研究に係わるカリキュラムを主題にしています。わたしは新しい公立大学法人鳥取環境大学のカリキュラムを10分ばかりレポートしました。演題と目次は以下のとおりです。

  公立鳥取環境大学環境学部のカリキュラム
    -居住環境プログラムを中心に-

   1.公立化に伴うカリキュラム改編の前提
      -建築・環境デザイン学科の終焉
   2.環境学部(理系)と経営学部(文系)
   3.環境学部環境学科-4つのプログラム
     ・自然環境保全プログラム    ・環境マネジメントプログラム
     ・循環型社会形成プログラム  ・居住環境プログラム
   4.資格をめぐる問題
     ・理科系教員(中高理科)教職課程
     ・2級建築士受験資格の問題
   5.公立化1年目の科目運営状況
      -前期の「環境学フィールド演習」
   6.おわりに-「建築」との距離感


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琉球の嵐(Ⅱ)

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琉球ガラス吹き体験

 4日目に琉球ガラス吹きを体験しました。1人2000円程度でガラスコップを作る体験ができます。職人の方が熱したガラスを運んできてくださり、型にはめ、吹きます(↑)。そのあと、コップの口を整える作業をします。吹いてカタチを作り再び熱したガラスを棒の上で転がしながら(左手)、トングのような道具でコップの口を整えます(右手)。これがなかなか難しい作業で、ぐにゃりとしたまま固まるとそのカタチになります。それでも味はありますね。完成物は後日郵送されてきます。柄や色を選べましたが、それぞれ形が同じものには絶対にならないので、届いてからのお楽しみです。


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ひめゆりの塔&平和祈念資料館

 米軍の沖縄上陸作戦がはじまった1945年3月、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒、合計220人が南風原(はえばる)の沖縄陸軍病院に配属され、5月下旬まで日本軍負傷兵の看護、水汲み、飯上げ、死体埋葬などをしていました。戦前の学園での生活から、沖縄海軍病院へ配属、その後の歴史などが、写真・映像・模型・当時の作文なども展示されています。
 「ひめゆり」とは、上にも述べている両校が併置されるようになり、校友会誌の名前「おとひめ」(沖縄県立第一高等女学校)と「白百合」(沖縄師範学校女子部)が由来となっています。もとは漢字表記で「姫百合」でしたが、戦後「ひめゆり」というひらがな表記となりました。


台風18号襲来

 帰鳥予定の最終日、台風17号が沖縄に接近、私たちの滞在していた那覇を直撃しました。飛行機の欠航が決まり、もう一泊滞在しなければならない事態になったため、ドミトリーの宿を探しました。ちょうど昼前頃に、台風の目が那覇に入ったので移動、そこで待機するしかありません。
 台風で自動扉や窓のサッシからも雨が浸水してくるのでタオルなどで防ぎました。また、コンビニ以外のすべての店が休業、バス・モノレール・タクシーなども停止、樹々は折れ、道路標識は曲がり、町のあちこちで停電し、信号も機能を停止しました。台風が上陸すると、沖縄の会社は休みになるそうです。滞在していたホテルの近くでも大型トラックが横転する(↓)など危険きわまりない状態でした。しかし地元の人は対応が早く、車道の樹々の回収も早くて、すぐに通行可能な状態に恢復されました。翌朝、洗車や開店準備をしている人がたくさん見受けられました。
 旅行の最終日、良い体験とは言い難いですが、貴重な体験にはなったと思います。


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琉球の嵐(Ⅰ)

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 お久しぶりです、おぎんです。
 私は、夏休みも終わろうとする9月最終週、大学の友人と沖縄を旅してきました。学生最後の夏休みに仲間たちとの思い出作りができたと同時に、「平和」について考える良い機会となりました。
 移動手段はレンタカーです。ほとんどの日程は晴天に恵まれましたが、最終日に台風が那覇に上陸し、飛行機は欠航、モノレールは運休・・・最後は大変でしたが、紀行文を残しておきます。

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夕焼け空と海

 初日は早朝に鳥取を出発、夕方に那覇入りしました。移動の疲れを癒すべく温泉&スパの施設「ちゅらーゆ」へ。そこで夕焼け空の美しさに感激しました。
 2日目午前はシュノーケル体験。長袖長ズボンのウエットスーツ、フィン(ひれ)、マスク(シュノーケル+ゴーグル)を着用して臨みました。透明な海の中を泳ぐ色とりどりの魚たちを間近で見たことなんてなかったので、とても感動しました。シュノーケルは初めての経験です。洞窟の近くにしか生息しないという青い魚(↓左)が印象的でした。ほかにもナマコ、シャコ貝(↓右)、ヒトデ、岩・砂保護色の小カニ(名前を忘れました)などを観察できました。この日は波が高く、真栄田岬のシュノーケル・シーカヤック・ダイビングスポットで有名な「青の洞窟」には残念ながら行けませんでした。いつかまた行きたいです。

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第1回「ツリーハウスに挑戦!」

 2012年度後期のプロジェクト研究2&4(1・2年の演習)が動き始めました。前期P1&P3「修験道トレッキング」の続編に、1年生7名、2年生6名が参加することになり、喜んでいます。
 1回めは、いつものとおり、13講義室でオリエンテーション。自己紹介やら写真撮影やらで終わりです。来週からはさっそく摩尼山に登ります。雪が降るまでの2ヶ月半が勝負です。
 前期以上の成果をめざしましょう。

 「続き」にシラバスを転載しておきます。


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アジア石窟寺院研究会の報告

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 9月30日(日)。既報のとおり、カフェ黒田の座敷で「アジア石窟寺院研究会」が開催されました。講演者は京都大学人文学研究所の岡村秀典教授で、演題は「山中の仏教寺院-西インドの石窟寺院を中心に-」です。
 この日、台風18号が西日本を直撃。この会に出席を予定していたおぎんちゃんは、沖縄から帰ってこれないし、岡村教授が乗車予定だった「スーパーはくと」が動かなくなるなど大変でした。講演会のあとに予定されていた佐治町熊野神社遺跡のポストツアーも中止になり、残念でした。

 岡村教授の講演は、雲岡石窟寺院から始まり、玄奘三蔵の旅のように、いつのまにかインド石窟寺院の話に移行していきました。日本の最前線の研究は、こういうレベルにあるのだと、聴衆は感心しきり。お疲れのところ、本当にありがとうございました。
 講演の前半でとくに印象に残ったのはバーミヤンの年代です。これまで、バーミヤンが雲岡の源流だと考えられていたのですが、イスラム教徒によって破壊された大仏の木材をC14年代を測ると、雲岡のほうが古いことが判明し、もろくも通説が崩れ去ったそうです。
 最初期の石窟寺院の展開については、ブータン紀行の()で浅川教授が述べられているように、洞穴僧院での修行が始まりだったと推定されます。そこにストゥーパが入ってきて、僧院と礼拝場が複合化していくわけですが、草創期の仏教寺院においては、教理を実践する僧院と、在俗信者の礼拝するストゥーパは離れた場所に置かれていたそうです。やがて僧院とストォーパが複合し「寺院」となっていきます。初期のころは主ストゥーパの周囲に小ストゥーパを奉献したり、既存のストゥーパを建て増しすることが多かったようです。仏像が誕生すると、それを礼拝する祠堂がストゥーパの周囲に建て並べられ、やがて礼拝の対象はストゥーパから仏像に移っていったと考えられます。とても分かり易い説明でした。


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木綿街道のこと(ⅩⅩⅩⅦ)

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2012年度 大学院2年次中間報告発表会

 9月27日(木)、今年度での修了にむけた「大学院2年次中間報告発表会」を無事終えました。いやいや、無事と言っては教授に叱られます・・・時間オーバー、またやってしまいました。前日の準備でも「長い、くどい」と評され、スライド8枚削除し、発表原稿も大幅に短縮したんですが、なぜか前日よりも発表時間が長くなってしまって・・・。緊張からでしょうか? やはり、大勢の教授陣の前で話すのは大変です。
 研究題目は以下の通りです。構成は発表で使ったスライドを示します。

 題目:『「塗り家造」町家の建築年代に関する基礎的考察 -雲州平田のケーススタディ-』

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 昨年の中間発表では、農学系のある教授から「町並み調査報告の色彩が強く、題目が曖昧であり、研究の要素がやや希薄である」との厳しい評価を頂戴しました。今回は思い切って、石橋両家(本石橋家・旧石橋酒造)の「建築年代」に焦点を絞り、建築様式と古町割復元から当初建築の年代を考察しました。発表では不完全燃焼に終わりましたので、ここで少し触れておきましょう。
 現状では、本石橋家は登録文化財、旧石橋酒造は未指定となっており、あまり高い評価を受けているとは言えません。しかし、様式・文書・絵図・地籍図などの分析により、本石橋家は17紀後半、旧石橋酒造は18世紀中期まで遡る可能性が高いと考えています。今後、この推定年代を裏付けるため、ウィグルマッチング法による古材の放射性炭素年代測定をおこなう予定です。建築年代が想定の範囲に収まるならば、本石橋家は重要文化財クラス、旧石橋酒造は県指定文化財クラスの価値があることになるでしょう。

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雷龍の彼岸(Ⅸ)-ブータン仏教紀行

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タイガーズ・ネスト

 山の頂というか峠というか、いちばん高いところまで上がってきたものの、体はすでにへなへなになっている。が、谷の向こうのタクツォン僧院を眼前にして、神経は覚醒していった。
 ここからいったん谷底まで石段を下りていく。ウータンさんは相変わらず足が速い。一方、私はと言えば、下り坂であるにも拘わらず、足取りはさらに遅々として進まない。シャッターを押す回数が極端に多くなっているのだ。ネパールでヒマラヤを遠望したときがそうだった。風景に魅入られ、同じアングルで何度もシャッターを切る。山(の風景)に憑かれてしまったとしか言い様がない。そうした自分の行動に呆れながら、その行動を自制する力は一向に働かなかった。

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 そうこうしていると、谷底から一人の女性が石段を上がってきた。前日、タクツォガン寺対岸の道路ですれ違い、軽い挨拶を交わした経緯があり、再会を喜んだ(のは私だけかもしれない)。記念撮影をお願いし、彼女は快く承諾した。奇しくも、二人のカメラはカシオのEXILIMであることが判明。 双方のガイドさんに写真を撮ってもらった。ここに記念撮影を掲載すること自体、おそらく問題がある(削除依頼のコメントがあれば従います)。
 でもね、やはり日本の女性は素晴らしい。香港のモデルさんにはない知的で洗練されたオーラが感じられますね。驚いたことに、東京からの弾丸ツアーで、ブータン入国から出国までわずか3日の強硬日程。しかしながら、見事な健脚ぶりで、疲れ切った55歳とは対照的にみえる。ここで私は、意識を変えた。急がなきゃ。だって、この人は中腹のカフェで昼食をとる。急げばそこでまた会えるかもしれない。急ごう、いそご! 


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utam☆☆☆☆☆

 石段を下りきった谷底には橋がかかっている。滝の水が唸りをあげて落ちてきて、その飛沫で橋は靄がかっていた。滝の脇に3番目の洞穴僧院を発見した。「ライオン・ケイヴ」と呼ばれている縦長の僧院。そこから、反転して少々石段を上り、ついにタクツォンの境内に踏み入った。残念ながら、ここでカメラは没収。タクツォンに限らず、どの寺院でも没収なのだが、写真データのないところは記録が書きにくいね。


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雷龍の彼岸(Ⅷ)-ブータン仏教紀行

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洞穴僧院

 山麓の平場から少し上がると、真言(マニ)を刻む巨岩があり、その先の渓流の合流点に3棟の堂宇が軒を連ねる。五色旗たなびくその場所が「聖域」の結界にあたるのだろう。  
 私の足取りは重い。ガイドのウータンさんはどんどん前に進んでいく。進んでは停まり、私を待つ。家内と二人で散歩するときの反対の立場に置かれてしまった。水が飲みたくなって、モンベルの水筒から鉄観音の冷茶を吸い込む。ウータンさんに水筒を差し出すも、かれは固辞した。それにしても、リュックが重すぎる。いろんな調査用具を放り込んだことを後悔し、申し訳ないが、手ぶらのウータンさんに預けることにした。あとでチップをはずむしかない。しばらく歩くと、水飲み場があり、かれは掌で水をすくって飲んだ。
 そうこうしているうちに、巨大な巌山が視界にあらわれた。山頂付近に2~3棟の建物が確認できる(↑)。タクツォンではない。小さな洞穴を利用した僧院だ。僧が暮らし、洞穴で瞑想する施設であり、私は「洞穴僧院」と名付けている。9月30日のアジア石窟寺院研究会では最後に洞穴僧院を話題に取り上げ、仏教寺院の起源は洞穴僧院だという認識で、私と岡村教授の意見はほぼ一致した。仏教の草創期、僧は岩陰・洞穴・洞窟などで瞑想修行に励んでいた。初め建物はなかっただろうが、後に風雨を避ける簡素な庇状の小建築を洞穴や岩陰と複合して設けるようになる。この場合、小建築が懸造(かけづくり)になるだろう。その後、まずストゥーパが洞穴に入り込んでくる。その後、ストゥーパは仏像に取って代わられる。自然の洞穴はこのような変遷のなかで、人工的な岩窟(石窟)となり、徐々に建築化していく。
 ブータンの洞穴僧院は、自然の洞穴をブータン式の懸造が塞いでいる。建築年代は新しいだろうが、仏教寺院古式の姿を残すものとして理解できるはずだ。


19マニ巨巌 19水車か


 イタリア人のカップルとしばらく一緒に歩いた。かれらは日本通だった。昨年、日本に2週間滞在して、ずいぶん日本が好きになったらしい。女性は腕に「葉隠」という漢字をタットゥーしている。日本のお茶に目がないと彼女はいう。抹茶もいいが、いちばん気に入ったのは玄米茶だとか。二人はブータン・ツアーの料金に不満を述べた。日本2週間より、ブータン1週間のほうが高いとこぼしている。今年も日本に行くか、ブータンにするかで散々悩んだ結果、こうして「虎の巣」に登っている。また別の機会に書くことになるだろうが、ブータンを旅する人びとは皆お金持ちだ(私のような研究費ツアーの貧乏学者は例外である)。


22伊太利亜人01 23カフェ01
 

 なんとかかんとか中腹の平場にでた。マニ車の向こうにタクツォン僧院がみえる。ここではインドの一行と仲良くなった。ブータンの国境に近い北インドから来ていて、一人の女性は手に中国製の魔法瓶をもっている。タクツォン僧院に魔法瓶を届けるのだという。外国客というよりも、「地元の人」のような感覚のある人たちである。マニ車の平場から少し上がるとカフェがあり、外国客は立ち寄ってブレイクするのだが、インド人はそのまま山を登っていった。カフェのお値段は高いらしい。


23カフェ03遙拝全景
↑ カフェからタクツォン僧院を遙拝



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雷龍の彼岸(Ⅶ)-ブータン仏教紀行

13散居村01


カントリーロード

 9月13日。ついにタイガーズ・ネスト(タクツォン僧院)に挑む日を迎えた。ブータンはまだ雨季の末期にあり、天候は不順で、昨夜も一晩中雨が降った。しかし、土地の人は予言する。夜に雨が降れば、翌日は晴れるものさ、と。果たして、バンガロー式ホテルの部屋に朝日がさしこみ、窓外の広大な景色が飛び込んでくる。思わずベランダに出て写真を撮った(↑)。
 わたしがパロで2夜泊まったホテルは丘陵上にあり、盆地の水田と集落を一望に見渡せる。前日訪れた民家は集村のなかにあったが、目の前の集落はあきらかに散居村だ。水田のなかに点々と民家がある。出雲平野の築地松が思い起こされる。


14朝食01


 さて、まずは朝食。いわゆるコンチネンタル式のブレクファストだが、これにキャベツの炒め物がつく。前日の朝に続き、鉄観音の茶葉と梅干をレストランに持ち込む。福建泰寧の老城で仕入れた1袋(7グラム)20元の鉄観音である。ポットに白湯を用意してもらい、茶葉の入ったカップに湯を注ぐ。とても良い味がする。何杯もお代わりできる。ガイドのウータンさんも鉄観音を気に入ったようだ。しかし、梅干には顔をしかめる。酸っぱい。酸っぱすぎる、というのだ。外国を旅する日本人にとって、梅干はありがたい。時差ぼけや疲労の回復に効力がある。福建で白帯は梅干に狂喜したが、それが蜂蜜漬であることに不満な顔をしてみせた。酸っぱい梅干が大好きなのだと彼は言う。今回の梅干は本来の味がする。
 鉄観音は道中でも役に立っている。モンベルの水筒にミネラルウォーターを移して茶葉を放り込んでおけば、味わい深い冷茶が自ずとできあがる。水が少なくなったらまた足せばいい。2日間は十分茶の味がする。


15田舎道02赤米
↑ 赤米と白米の田の境がよく分かる


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第10回「鳥取県内建築系教育関係者交流会」のお知らせ

 鳥取県内建築系教育関係者の第10回交流会が10月6日(土)、とりぎん文化会館で開催されます。今年度は何年かぶりに学生アイデアコンペが開催され、その公開審査や表彰式が前後に組まれていますが、交流会そのものの日程は以下のとおりです。テーマは各教育機関のカリキュラムですが、とくに新任教員の方の自己紹介を中軸に据えております。


10月6日(土)16:00~

 16:00 交流会Ⅰ部(@とりぎん文化会館第2会議室)
   0.挨拶
    中橋 文夫(鳥取環境大学建築・環境デザイン学科長)
   1.公立鳥取環境大学環境学部のカリキュラム
      -居住環境プログラムを中心に
    浅川 滋男(鳥取環境大学環境学部環境学科)
   2.各機関教員の科目分担と研究内容発表
    浅井 秀子(鳥取大学大学院社会基盤工学専攻)
    玉井 孝幸(米子工業高等専門学校建築学科)
    倉恒 俊一(鳥取短期大学生活学科住居・デザイン専攻)
    杉山 眞魚(鳥取環境大学建築・環境デザイン学科)
   3.討議
 17:45 Ⅰ部閉会

 18:00 交流会Ⅱ部(@とりぎん文化会館1階グリーンハウス)
    懇親会 参加費一般5,000 円  学生1,000 円
 
 20:30 閉会



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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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