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風に吹かれて-第7次ブータン調査(11)

phallusイスナ橋の横01 イスナ橋横


金剛蒐集(3)-ゾンドラカの隣

 最後はこれしかありませんね。南無クンレー金剛仏! 


phallusゾンドラカ隣01
↑神鳥ガルーダとセットになった一対のファルス。
phallusゾンドラカ隣02ガルーダ01
↑同じ家屋の別の壁に描かれたガルーダ。地獄の象徴たる蛇をくわえる。ガルーダもファルスも 辟邪である。家の内外の境界にあたる壁面で魔物を跳ね返す。


金剛蒐集(4)-イスナ橋の袂

phallusイスナ橋の横02 
↑転法輪とセットになった一対のファルス。

 釈迦が説法することを「転法輪」という。ここにいう「輪」とは戦車の車輪のことであり、武器の一種とみなされる。仏法を武器として煩悩を打ち砕くのである。初説法の地サールナートは鹿の住む静かな林であることから、転法輪と鹿を複合的に描く。サルナートの漢名を「鹿野苑」とする所以である。
 転法輪の場合、ファルスやガルーダのような辟邪ではなく、仏法そのものの象徴であるが、車を武器とみなすならば、金剛杵の爪やロンダルの剣と同等のシンボルと考えることもできよう。 【完】


0830転法輪0001 0830転法輪0002



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風に吹かれて-第7次ブータン調査(10)

0901 タイ観光10 ジムトンプソン07 ジム・トンプソン邸での記念撮影


ジム・トンプソン邸

9月1日(土)。帰国前日の移動日です。朝8:00にパロ空港を出発して、お昼にバンコク空港に着きました。日本へ帰る飛行機は深夜23:30発なので、余裕を見ても9時間ばかり観光できます。普段はタクシーを使って空港から市街地へ行くそうですが、今回はモノレールのような電車BTSを利用してみることにしました。タイの切符はコインのような形をしています。1時間ほどで市街地につきました。交通渋滞はありませんが、今回は4人だったのでタクシーでも料金は変わらなくて楽だったかもしれません。


0901 タイ観光01 ラーメン


 市街地に到着したら、まずは腹ごなしです。駅の近くの食堂でタイのヌードルを食べました。キシメンのような平たい麺で、ナンプラー風味のスープに好みで唐辛子などの香辛料を加えます。よく冷えたビールとぴったりのラーメンです。


0901 タイ観光03 ジムトンプソン02  0901タイ観光02 ジムトンプソン01


 おなかが満たされ、私たちが向かったのは、ジム・トンプソン邸です。ここは、アメリカ生まれの実業家で、タイのシルク王、ジム・トンプソンの暮らした家です。タイの伝統的な6軒の民家を合体・調整して作られており、トンプソンが集めた骨董美術品・家具が各所に設えられています。愛嬌たっぷりのガイドさんに、日本語で解説をしてもらいながら見学しました。
 庭は綺麗に手入れされていて、睡蓮が咲いていたり、鯉やピラニアもいました。建物や庭を見学した後は、併設しているカフェで休憩をしました。以前先生は奥様と来られたそうで、懐かしそうにされていました。休憩した後は、各々買い物をしました。私は母にスカーフを買いました。


0901 タイ観光05 ジムトンプソン04  0901 タイ観光06 ジムトンプソン05



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風に吹かれて-第7次ブータン調査(9)

0831ケンパT家01仏間02仏壇01阿弥陀02歓喜01 阿弥陀歓喜仏(ケンパT)


阿弥陀への五体投地

 8月31日(金)。今枝先生ご夫妻のお見送りをうけてホテルを出発し、まずはティンプー市内にあるDSB BOOKSという本屋さんを訪ねました。先生が3年前に購入されたものの、行方不明になってしまったカルマ・プンツォ(Kharma Phuntsho)さんの大著『ブータンの歴史(History of Bhutan)』を買うためです。最近ハードカバーだけでなく、ペーパーバック版も発売されており、少し軽くなったペーパーバックを手に入れました。軽くなったとはいえ、厚さ5cmばかりあり、中は英語がびっしりと詰まっていて、なかなか読み応えがありそうです。英語が得意なtaskさんでも読破するには骨が折れるだろうと思いました。私は『ゾンカ語と環境学の基礎本(Foundation Book on Dzongkha and Environmental Studies)』を買いました。ゾンカ語と英語で書かれた写真満載の図鑑です。身近な単語からゾンカ語の勉強をしようと思います。


0831 ケンパ村01ツェリン家01外観 0831 ケンパ村ツェリン家01階段


 午前はパロ地区シャリ谷ケンパ村のT家を調査しました。外観からとても大きな家に思えましたが、実際は4世帯が住んでいる縦長平面をしていて、ブータンの伝統的な田字型四間取りではありません。この家のご主人(80代)によると、200年前に建てられた家を改修しながら住んでいるそうです。屋根裏に上がる階段の框(ささら桁)が手すりと一体になっていることからも古い起源をもつ建物だと推定されます。
 仏間はチェスム・ヨッカ(Chosum yokha)と呼ばれています。この家の人は阿弥陀仏を崇拝しています。仏壇の中央に阿弥陀仏(tshe pag me)、その向かって左には釈迦と千手観音(chen re zig)、右にはグルリンポチェ(guru rinpoche)、阿弥陀如来の手前にはシャブドゥン(zhabdrung)を祀っています。左壁にはタンカを吊り下げていましたが、右壁は普段は何も吊るさず、祭事の際に飾るそうです。タンカには笛を吹いている神様が描かれています。ガイドのウタムさんはこれを「天使」だと仰っていましたが、本屋で買った図鑑を調べてみると、ヒンドゥー教の神様のクリシュナ(ja jin)のようです。他のタンカには、阿弥陀仏が歓喜仏として描かれていました(いちばん上の写真)。
 仏像やタンカ以上に驚かされたのが、仏間中央に残る五体投地の痕跡です。膝、肘、手首の部分の床板がおおきくえぐられており、頭の前にあたる部分にはソロバン状に小石を並べています。この小石で投地の回数を記録していくわけです。


0831ケンパT家01仏間01五体投地01縦 0831ケンパT家01仏間02仏壇01阿弥陀01


初穂飾チャ

 控えの間右側の壁には壁画があります。描かれているのは千手観音(chen re zig)、文殊菩薩(jam pel yang)とチャナドジ(chanadorji)です。チャナドジはサンスクリット語ではバジョラパーニ(vajrapani)と呼ばれており、元々はボン教の悪魔だったのですが、調伏されて今は国の守護神になっています。
 控えの間と仏間の境に、初穂の飾りチャ(tsa)が飾られていました。ウタムさんによると、自然の恵みに感謝して、稲が収穫されたが食べる前に初穂でチャを作り、神仏にお供えするそうです。これは仏教的な慣習ではなく、おそらくボン教と係わりがあるだろうと先生はおっしゃっていました。チャナドジの壁画や、チャが供えられているところからボン教の影響を感じられて、良かったです。


0831ケンパT家01仏間04初穂01 0831ケンパT家01仏間04初穂02縦sam



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風に吹かれて-第7次ブータン調査(8)

0830T家02サンプル01


屋根裏で年輪サンプル採取

 シャリ村T家は仏壇まわりがとりわけ古風であり、一部の壁画は退色がひどく、その周辺の床板や手すりなどの材は著しく磨耗していたりして、建築年代の古さをおおいにアピールしています。しかしながら、その年代は不明としか言いようがないので、屋根裏にあがって放射性炭素年代測定の年輪サンプルを採取することになりました。最も重要なのは材の選別です。梁・桁・束・柱などの主要材はいずれも新しくみえ、年輪幅が長く年輪数が少ないため、水平材のカイモノとして転用されている古材の一部を調査対象に選びました。
 
 B④最上段カイモノ: バレーさんが担当。正方形に近い角材で総年輪数84。3点でチップを採取した。


0830T家02サンプル03 0830T家02サンプル02ラベルsam


 B④上段めのカイモノ: サキオ君が担当。板状の材だが総年輪数145を確認。3点でチップを採取した。


0830T家02サンプル05 0830T家02サンプル04ラベルsam


 私は年輪サンプルの採取を見るのが初めてで、80~100年輪ほどの部材断面の芯の中央から10年おきにマチ針を黙々と刺していく熱心な学生の姿にすっかり見入ってしまい、ただただ感心するばかりです。年輪の幅は1㎜あるかないかで、これをひたすら数えては部分的に木片チップを採取するのですから、気が遠くなる作業です。この苦労が、期待する年代を示すことを祈るばかり。補足資料として版築壁内から有機物サンプルも採取しました。
 ちなみに、昨年もハ地区マチェナ村のG家屋根裏で転用材と思われる小屋束のサンプルを採取し、帰国後AMS法による測定をおこなったところ、以下の結果を得た。

  G家遺物No.B⑤ 小屋束 外から1(~2or3)年輪
    1641-1667 cal AD (信頼限界75.9%)
    1782-1797 cal AD (同19.5%)

 すなわち、G家小屋束の最外年輪は17世紀中頃~後半および18世紀後半~末をさしており、前者の可能性が高いことになる。このたび調査したT家の木材は肉視だけで比較すると G家以上に古い可能性があり、帰国後の測定が楽しみです。


0830ツェリン家04屋根裏01年輪年代01


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風に吹かれて-第7次ブータン調査(7)

0830T家01仏間01仏壇01 0830ツェリン家01外観01


ヤプユムの曼荼羅

 8月30日(木)。1泊した民宿のパロ地区シャリ谷シャリ村のT家がこの日の調査対象です。それにしても昨夜は辛かった。20匹はいたであろうモスキートの群れが、一晩中耳元を舞っては、布団からはみ出した手足を刺してくるんだから、とても眠れたものじゃありません。「ブータンは厳格な仏教国だから蚊を叩いて殺してはいけない」という出発前の教授の訓戒を遵守した学生たちは偉い! 私は我慢できなかった。ただ、後でウタムさんに聞いたところ、手で蚊を叩くのはダメだが、蚊取り線香で部屋から追い出すのは許されているとか。そういえば、ホテルの部屋にはアースマットの類が備えつけになっていました。


0830T家01仏間03右横壁01千手観音01 0830T家01仏間02奥右壁02鬼sam


 さて、29日のレポートにもあったように、T家は木造入母屋造三階建で、1階を物置(元は家畜小屋と思われる)、2階を作業場兼使用人部屋、3階を居室としています。3階の居室部分に居間と仏間があり、版築壁の仏間を核として左右正面に木造の客間が取付きます。とりわけ仏間はとても立派な造りをしています。正面中央に三ツ並びの扉を設けた間口4.3m×奥行5.3mの大規模な仏間には、内陣柱が2本独立して建っており、祭壇壁面は版築壁を穿って仏龕を2穴設け、中央の大きな仏龕に釈迦(SANGAY:いちばん上の写真)を1体、右隣の小さな仏龕には千手観音(CHENRIGJI ↑)を2体祀っています。


0830T家01仏間03右横壁02ファルス01 0830T家01仏間02奥右壁01 右手前隅のファルス


 幅80㎝ある仏間の版築壁には、内外両面にびっしり仏画が描かれており、これまで見てきた民家仏間のなかでひときわ仏堂に近い古風な姿を示しています。とくに廊下側外面の壁画はくすんでいて、長い年月を経ているように見えます。教授は、昨晩この仏間を見られた瞬間、「あっ、ここ2012年に来たことがある」と記憶をよみがえらせるぐらい印象的な仏間です。
 内側の壁画の廊下側は千仏画(ニンマ派やドゥク派の僧侶の曼荼羅も有り)ですが、仏壇側には鬼の形相をした歓喜仏(ヤプユム)が描かれています。歓喜仏はチベット仏教に特有なもので、男女2体が合体している状況を表現していますが、穏やかな顔をしたヤプユムと激しい形相のヤプユムの両方があり、ツェリン家の場合は後者であり、調伏されたボン教(あるいはバラモン教)の「鬼」に由来するのではと想像したくなります。ウタムさんによると、神界で行われる性的行為は悟りの境地を表現していると考えられており、、歓喜仏ヤプユムはそれを図像化したものだそうです。ただし、あくまでイメージであり実際に僧侶がそのような行為に及ぶわけではないとのことでした。


0830T家01仏間03左横壁01ヤプユム01
↑↓ヤプユムの壁画(左側壁奥側)
0830T家01仏間03左横壁01ヤプユム05  0830T家01仏間03左横壁01ヤプユム04sam


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紅葉の摩尼山トレック-「賽の河原」石積塔づくり(1)

賽の河原パワポ(超ラフ)web01


 国登録記念物「摩尼山」鷲ヶ峰の立岩(たていわ)に近接する平場周辺を「賽の河原」と呼んでいます。幼くしてこの世を去った子どもたちが親を偲んで小石を積み上げ供養塔をつくるのですが、鬼がやってきて塔を壊そうとします。地蔵菩薩がその鬼たちを追い祓い、巨大な賽の神(陽物=ファルス)が辺土を浄化します。18世紀末の『因幡志』には石を積み上げた小塔が立岩周辺に散在する様が描かれています。明治期になると、地蔵堂や鐘楼が建設されますが、それらも今は基壇を残すのみになっています(大きなファルスは今も祀られています)。このたび登録記念物「摩尼山」の歴史性と景観を回復させるプロジェクト【*1】の一環として、鷲ヶ峰に石積みの小塔をつくり「賽の河原」の原風景を再現することを目的としたトレック大会を開催します。ご家族・友人等とお誘いあわせの上、ふるってご参加ください。 定員は30名です。 

 日時: 2018年11月10日(土)
   10:00 門脇茶屋前集合    
   10:30 トレッキング開始          
     「奥の院」に至る古参道を登りながら、摩尼川源流の川端で小石を集め
      トレック。「奥の院」遺跡で小休憩の後、立岩をめざします。      
   11:30 鷲ヶ峰で小石を積み、ケルン状の供養塔づくり   
   12:00  弁当ランチタイム【*2】  
   12:40 摩尼寺境内にむけて下山      
   13:30 門脇茶屋前で解散

 参加者に特典あり!
 日本最大の登録記念物「摩尼山」の新刊パンフレット(B5版8頁)を無料配布します

 主催:登録記念物「摩尼山」活用整備委員会  
 共催:摩尼寺・摩尼寺保存会 
 後援:鳥取県教育委員会(予定)・鳥取市教育委員会(予定)
 事務局(問合せ/申込先):公立鳥取環境大学保存修復スタジオ 
  e-mail: [email protected] Fax 0857-38-6775  ℡(代表)0857-38-6700
                         *できるだけメールかファックスでお問い合わせください
  
【*1】 このイベントは2018年度公立鳥取環境大学学内特別研究費助成「登録記念物『摩尼山』の景観整備に関する基礎的研究-賽の河原と地蔵堂の復元を中心に-」によるものです。研究プロジェクトの概要は以下のサイトを参照してください。
  http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1824.html
【*2】 昼食弁当は各自ご持参いただいて結構ですが、地域振興のためできるだけ門前茶屋の精進弁当(お茶・田楽付き税込1,080円)をお買い上げいただければ幸いです。ご注文については、事務局で承りますが、門脇茶屋に直接ご連絡いただいても結構です。  (門脇茶屋℡)0857-24-6630


賽の河原パワポ(超ラフ)web02


【連載情報】
紅葉の摩尼山トレック-「賽の河原」石積み塔づくり(4)
紅葉の摩尼山トレック-「賽の河原」石積み塔づくり(3)
紅葉の摩尼山トレック-「賽の河原」石積み塔づくり(2)
紅葉の摩尼山トレック-「賽の河原」石積み塔づくり(1)

雲のかなたへ-白い金色の浄土(1)

web0916阿東村03交通事故03 阿東村


雪山の麓で

 帰国して六日経ち、黄昏の散歩道を周回した。3週間ぶりのことである。少し足をのばせば畦に彼岸花の咲く季節になっている。初秋の空気は気持ちよく、ようやく人並みの体調に戻りつつあることを体感した。
 ただでさえ中国のフィールドワークはきついのに、関空水没の影響でスケジュールは乱れまくり、日々のストレスは東レパンパシ決勝の大坂なおみレベルまで溜まり続け、ある日限界値に達した。
 9月16日(日)、阿東というチベット族の山村でわたし(たち)は交通事故に遭った。その日の夜、ただちに大学の関係者に報告したし、帰国後あちこちで話もした。原因はいずれ別に詳述するが、だれも怪我したわけではない。いまは面倒くさいので、ある外国人研究者に送信した下手な英文を転載しておく。

 One day in the Tibetan farm village, we stopped our car on the road. A truck of the Tibetan
farmer which stopped in front of our car went back suddenly. As cornstalks more than 3 meters
in height were piled up on the carrier, the Tibetan driver could not watch the rear and could not
hear the sound of the horn. The truck just hit our car and destroyed its bonnet, but as cornstalk
bunches became the cushion, the front window was not broken. I sat in the seat next to our
driver, but there was no injury miraculously.
 On the mountain path of the way home, there were traffic jams more than two hours by
the rockfall. So It was a terrible day, but Mainri Snow Mountains(Min gling gangs ri) which
hid in the heavy clouds appeared when I came back to the town. It seems to be three months
since the holy mountain for Tibetan people having exposed the whole view last really.
We succeeded in praying the holy mountains of a sunset and the morning glow from a distance,
which made us feel that trouble was rewarded and we were very lucky and happy.


web0916阿東村02プゾナヨン寺01 阿東村プゾナヨン寺


 後半のパラグラフに注目いただきたい。関空水没によって行程をぐしゃぐしゃにされた我々は、阿東で交通事故に遭い、その帰途、落石の山道で二時間以上の渋滞に悩まされた。艱難辛苦の途を歩み金沙江を越えて旧チベット領カム地方までやってきた意義ははたしてあったのか否か。関空の水没はこの地に「行くな、行ってもろくなことはない」という自然界からの警鐘であったのだろうと思いたくなるほど忸怩とした時間を過ごしていた。
 そんな事情が夕刻に一変する。調査団は徳欽の飛来寺に近く、屋上から梅里雪山(海抜6740m)の全貌を遠望できるホテルに陣取っている。日本側の4名は早めにホテルに帰り、2階レストランで手淹れの雲南珈琲に舌鼓を打っていた。とても美味しい珈琲なのに、「メニューにない飲物だから代金は要らない」と言われ、とても驚いた。ちょっとした吉兆ではないか。そこに、事故処理で阿東に残っていた中国側の2名が戻ってきた。さらなる朗報がもたらされる。二人はにこやかに我々に告げた。

  「梅里雪山がみえるよ!」


web0916阿東村02プゾナヨン寺02 同上


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能海寛生誕150周年記念国際シンポジウム(予報2)

雲南に消えたチベット仏教求法僧 - 能海寛の風景と思想 -

 今年は明治150年にあたる年ですが、島根県浜田市に生まれたチベット仏教求法僧、能海寛(のうみ・ゆたか)の生誕150周年でもあります。浜田市や東洋大学で記念事業がおこなわれていますが、ASALABも4月から『世界に於ける仏教徒』(明治26年)の口語訳に取り組んでおり、他のイベントとは異なる視点の国際シンポジウムの開催を準備してきました。このたび平成30年度公立鳥取環境大学学長裁量経費特別助成の申請が採択されましたので、ここに正式のお知らせをいたします(LABLOGでは秘かな広報を一度しております)。
 というわけで、能海寛を追悼し、その業績を現代的視点から再検討する国際シンポジウムを開催します。能海の主著『世界に於ける仏教徒』(明治26年)の口語訳の成果を披露するだけでなく、何大勇教授(雲南民族大学雲南省民族研究所)にも雲南・四川における能海の活動についてご報告いただきます。また、昨年の「ブッダが説いたこと」講演に引き続き、チベット学の世界的権威、今枝由郎先生にご来鳥いただき、総括的な講評をしていただく予定です。以下に概要を示します。

 日時: 12月1日(土)13時~17時
 会場: 公立鳥取環境大学 学生センター多目的ホール
 主催: 公立鳥取環境大学  
 共催: 能海寛研究会

イベント名称: 能海寛生誕150周年記念国際シンポジウム 
 主題: 雲南に消えたチベット仏教求法僧 - 能海寛の風景と思想 -
 次第: 12:30 開場
 13:00 開会の辞
    趣旨説明 眞田 廣幸
 13:10 第一部 能海寛の風景
  1.基調報告 岡崎 秀紀(能海寛研究会会長)30分
    「山陰から世界へ-能海寛と河口慧海の時代-」      
  2.招聘講演 何 大勇(中国 雲南民族大学教授)60分
     「チベットをめざして-能海寛の歩いた四川と雲南-」

 14:40 <ティーブレイク&スライドショー>

 15:00 第二部 能海寛の思想
  3.浅川 滋男+研究室(公立鳥取環境大学)60分
    「能海寛を読む-世界に於ける仏教徒-」
  4.講評と質疑 60分
    [講評] 今枝 由郎(京大こころの未来研究センター特任教授)
   
 17:00 閉会の辞 


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風に吹かれて-第7次ブータン調査(6)

0829ロベサ村03チョデン家03外観01 0829ロベサ村02チョデン家03ルゥ01 ルー


スージャと米粉パン

 8月29日(水)。2日間お世話になったロベサ・ホテルを離れ、少し谷側に下ってロベサ村の民家調査をしようということになりました。目的の集落付近に着いて車から下りると、壁に見事なファルスが描かれた土産物屋を発見。ひやかしてみることにしました。チメラカン以来、すっかり滑稽なファルスにはまっていたため、土産物を買いあさってしまいました。また、この店の横では職人がタンカ(掛軸仏画)を描いており、そのタンカを実際に売っていましたが、値段を聞いておののきました。
 ロベサ村で調査したのはC家です。この日はご主人が腹痛で通院中のため、乳飲み子を抱えた若いお嫁さんとお姑さんの二人でもてなしてくださいました。ブータンでの接客はスージャ(バター茶)3杯が基本です。2回おかわりしなければならないのです。同じ南インドでも、熱い低地で茶摘するスリランカや南インドでは砂糖をたっぷりいれた淹れた甘いチャイを何杯も飲み、チベットなどの遊牧民は低地に塩分とカルシウムを補給するため紅茶にミルクとバターと塩をたっぷり混ぜたバター茶を頻繁に飲むそうです。チェデン家では、米粉を焼いたカリカリのパンをあわせていただきました。


0829ロベサ村02チョデン家01バター茶01 0829ロベサ村02チョデン家01バターチャ02


 私とガキオさんはバター茶が苦手でした。私は3杯飲み終えたところで、少し気持ち悪くなってしまいました。バター茶が不味いと二人でぶつぶつ言っていましたが、そういう態度が教授は気に入らなかったようです。「舌が保守的だ」と批判されます。バター茶は日本人にとっての味噌汁のような遊牧民のソウルフードであり、そういう食文化を理解しないフィールドワーカーを軽蔑しておられたののかもしれません。たとえ不味くでも、調査中にもてなしていただいて「不味い、不味い」と繰り返す私たちのことを呆れておられたようです。二度と連れてくるのをやめよう、と思われたとしたら大失態ですね・・・


0829ロベサ村02チョデン家02仏間01 0829ロベサ村02チョデン家02仏間03


仏間とアムチュキム祭

 C家仏間は内陣(仏壇の間)と外陣(控えの間)からなる本格的なものです。祭壇は釈迦を中心とし、その上に左から文殊菩薩(JAMPELYANG)、グルリンポチェ(GURU RINPOCHE)、ドゥクパ・クンレー(DOUKPA KUENLEY)の像が並びます。両脇には、ジェケンポ(JE KHENPO)や国王などの写真やトルマ供え飾りが置かれ、壁にも写真や仏画が貼られています。非常に立派な仏壇なのですが、肝心のボン教系護法尊は祀られていませんでした(ファルスは片隅にありましたが)。
 ロベサ村の護法尊はチメラカンに祀られていた魔女アムチュキム(AUM CHUKIM)です。AUMは年長の女性を意味します。元々はこの村を支配していたポン教の神であり、ドゥクパ・クンレーに調伏されて村の守り神となったのです。村の正式な祭りは先日訪れたチメラカンで行われますが、魔女から浄化されたアムチュキムの祭りは別の場所で2月15日ころに行われるそうです。


0829ロベサ村02チョデン家02仏間04
↑外陣 ↓仏壇脇のファルスと内陣の全景
0829ロベサ村01チョデン家01ファルス01 0829ロベサ村02チョデン家02仏間02



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風に吹かれて-第7次ブータン調査(5)

0828リンチェンガン村01ファルス01


金剛蒐集(1)-リンチェンガン村

 チメラカン周辺はファルスの表現は多種多彩。まずは、インド人起源の村から。

0828リンチェンガン村01ファルス02

0828リンチェンガン村01ファルス03 0828リンチェンガン村01ファルス03sam

0828リンチェンガン村01ファルス04

0828リンチェンガン村01ファルス05扉ノブ01
↑ドアノブまでファルス。ホテルも化粧室のドアがこうなっていました。


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風に吹かれて-第7次ブータン調査(4)


0828リンチェンガン村ドゥンチム家01


リンチェンガン-インド職人がつくった村

 8月28日(火)午後、レストラン(BOBEE RESTAURANT)で昼食を済ませ、ガイドのウタムさんの勧めで、ワンデュ・ポダン(WANGDUE PHODRANG)谷に位置するリンチェンガン(RINCHENGANG)村に向かいました。リンチェンガン村は、谷の対岸に位置するワンデュ・ポダン城(1638年建築)を建設するため、16世紀にインドより移住してきた人たちが作った村ですが、今はブータン人が住んでいます。ただし、ときどきインド人の顔に似た村人にも出会いました。
 ブータンの建国が17世紀なので、建国前16世紀の土着信仰が民家の内部にみられるかもしれない!とASALAB一向の胸が高鳴ります。また、ブータン政府はこのリンチェンガン村を集落保存地区(日本でいう伝統的建造物群)にする計画にあるとのことです。16世紀で伝建クラスの村となると、行政職員である私自身も興味津々です。


0828リンチェンガン村02風景02 0828リンチェンガン村02風景01


 到着すると山腹にへばりつくように木造三階建ての古民家がひしめき合って建っており、たしかにこれは圧巻です。これら民家の合間を縫うように石段や露地が絡みあっており、これまで移動中に車窓から眺めた山腹の村落とは少し印象が異なります。また、教授よりブータンの古民家のほとんどは、版築壁と木部の複合で田の字型平面をとるとうかがっていましたが、リンチェンガン村の古民家は日干し煉瓦壁と木部で構築されており、L字型平面の間取りを多く確認できました。やはり16世紀のインド移民の影響なのか、地形の影響なのは定かではありませんが、一般的なブータン村落にみられない特徴を備えるのは間違いなく、民家の保存度も高いので、なるほど保存地区としては相応しいでしょう。


0828リンチェンガン村04D家仏間01 0828リンチェンガン村01ドゥンチム家仏間02 


 さて、民家の仏間調査については、ウタムさんを通して候補を絞っていったのですが、平日の昼間で外出している人が多く、扉は施錠されていて、なかなか対象が定まりません。何軒か回ったなかで、ようやくDさんさんのお宅に入ることができました。ブータンの民家は1階を家畜小屋とし、2階又は3階に居室を構えます。屋上を物置とて使用することから、束を立ち上げて屋根を架けるので、全体的にものすごく背が高い印象を受けます。D家は木造切妻三階建(一部二階建)で二階に居室を設け、今は寝間として使っている部屋の一部に仏壇を設けていました。仏壇は高さ900㎜の祭壇の中央に木製三ツ窓の仏龕を配し、そのまわりをぐるりとタンカ(仏画)が囲むというシンプルな構成になっています。
 仏龕の中には本尊サンゲ(釈迦)を中央に、左に千手観音(CHENRIGJI)、右に釈迦(SANGAY)を配し、中央の釈迦の前にシャブドゥン(ZHABDRUNG:高僧ガワン・ナムゲル)を据えています。仏龕のまわりを囲むタンカは、左下から時計回りにグルリンポチェ(GURURINPOCHE)、左上:千手観音)、中央左:釈迦、中央:金剛薩埵(VAJRAPANI)、中央右:シャブドゥン、右上:文殊菩薩(JAMPELYANG)、右下:千手観音という配列でした。残念ながら、私たちが望むボン教悪霊から変化した「護法尊」は祀られておりません。


0828リンチェンガン村02民家のルゥ01 外壁に埋め込まれたルゥ


地霊を封じ込めるルー

 しかしながら、まったく成果がなかったわけではありません。このリンチェンガン村には、いたるところに小型で飾り気のないブータン式チョルテン(ストゥーパ)があり、なかには建物の外壁をくりぬいてまでチョルテンを祀るものもありました。じつはこの小型のチョルテンはルー(Lu)と呼ばれており、仏舎利を祀る一般的なストゥーパとは異なり、地下世界を支配するボン教の地霊を封じ込めるキャップのような役割を果たしています。その点、チメラカンの黒いチョルテンの役割と似ていますね。ルーは原則として世帯もしくはリネージごとに一基存在し、よく見ると玄関近くや軒下など屋内外の境界領域に築かれています。悪霊が侵入してくると予想される場所に設置されていました。


0828リンチェンガン村02ルー01 路肩に立つルー


 梯子の編年についても教えられました。木階のうち最も古いのが下のものです。梯子と手すりを一木で刳り貫く形式であり(↓)、時代が下るにしたがって手すりが梯子から離れて構造的に独立していくようです。弥生の板船が構造船に変わっていくようなものですね。


0828リンチェンガン村03ふるい梯子02
↑↓古い梯子
0828リンチェンガン村03ふるい梯子01




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風に吹かれて-第7次ブータン調査(3)

0828叢林003瞑想場01 0828叢林002僧侶01


ナギ・リンチェン瞑想洞穴

 8月28日(火)、ブータンに来て2日目です。朝9:00頃ホテルを出発し、交差する川の中洲に建つプナカ城の門前でいったん下りて記念撮影をしてから、ソナガサ(SONAGASA)村へ向かいました。訪れたのは、14世紀にバングラデシュからやってきた来た僧ナギ・リンチェン(NAG GI RINCHEN)の瞑想洞穴ドゥブカン(DRUBHANG)です。ボン教の悪霊がナギの瞑想による調伏で護法尊(英語ガーディアン・デイティ)に浄化された神が祀られているとのことで、期待が高まります。
 はじめにいまこの修行場を管理する住職さんをポラロイドで撮影し、村やお寺の名前を教えていただきました(↑右)。この写真をプレゼントするととても喜んでいただけました。岩陰にはツァーツァが沢山ありました。ツァーツァは遺灰を混ぜて108個(煩悩の数)作るそうです。日本の奈良時代に作られていた百万塔と似て、ツァーツァの裏側の中心に経典が挿し込まれています。先生がおっしゃっており、仏教の伝播の足跡をたどっているようで、物事を関連付けることは面白いと思いました。


0828ナギ01ドゥブカン01ツァーツァ01 0828叢林003瞑想場03外陣02


 住職さんの話を聞くと、この場所の守護神はもともと悪霊だったことがわかりました。かつてナギの母親が悪霊を捕まえて、その姿の内側にある魂を体から追い出し、代わりに母親の魂を入れたそうです。母親の魂がどこにいってしまったのか分からなくなったので、僧が瞑想すると、巨岩の中にあることが分かりました。その巨岩を割ると母親の魂があり、溢れんばかりのパワーが出たという伝承が残っています(この巨岩がある場所へはのちほど行きました)。


0828叢林003瞑想場04調伏02 0828叢林003瞑想場04調伏03縦


ギュンダッブとツォメン

 ナギにより調伏されて悪霊から護法尊になったのが、ギュンダッブ(GYENDRAB)というプナカ谷の守り神です。今回の調査では、ギュンダッブの像の写真を撮らせてもらうことができました。「仏像さえ撮影しなければいい」ということで、洞穴の縁に祀られているギュンダッブは守り神でありながらも、仏像ほど重要視されていないことがよく分かります。第7次調査中、護法尊が偶像化しているのを見れたのは1日目(27日)のチメラカンとここだけでしたが、前者は撮影が許可されなかったので、ここでの撮影データは大変貴重なものです(一昨年のハ地区Z家の赤鬼ジョーと青鬼チュンドゥに比肩すべき)。第5次調査(2016)ではチュンドゥ・ラカンに近いハ地区のZ家民家仏間で赤鬼ジョーと青鬼チュンドゥを確認して以来の成果です。ドゥブカンの仏壇中央には十一面観音菩薩(チャットンチェントン)、向かって左と右手前にはナギの像が祀られていました。仏壇の横には比較的大きめのチベット式チョルテン(ストゥーパ)を構え、洞穴のいちばん奥にギュンダッブが祀られていました。水の守護神ツォメン(TSOMEM)もギュンダッブの脇侍として併祀されています。洞穴のなかにチョルテンがあることはブータンでは珍しいですが、インドの石窟寺院でも最初期のものは仏像ではなく、塔が内部にあるそうです。


0828叢林003瞑想場02内部01 0828叢林003瞑想場05チョルテン01縦
↑内陣に露出する崖の岩とチョルテン ↓記念写真
0828叢林003瞑想場06記念撮影01



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風に吹かれて-第7次ブータン調査(2)

0827チメラカン09 0727チメラカン02看板sam


チメラカンの魔女

 8月27日(月)午後。プナカ到着後、チメラカンを訪れました。チメラカンは、中世チベットの高僧ドゥクパ・クンレーがチョルテンを建てたという由緒のある僧院です。今回のフィールドワークでは最も重要な対象の一つです。駐車場で車からおり、長く緩やかに上昇する参道を歩きます。この日は大阪からの飛行機の移動疲れが露骨に出ており、わずかな傾斜でさえきつく感じました。先生もへとへとです。山門近くに大きなマニ車があります。皆、ウタムさんにならい時計回りに車をまわしてチメラカン境内へと入りました。境内に入るなり、スピーカーで拡声された読経が爆音で聞こえてきます。とても不思議な雰囲気でした。


0727チメラカン01マニ車01 0727チメラカン03本堂01側面01


 チメラカンは2013年の第2次調査で訪問しており、白帯先輩を中心にインパルス測量実習がおこなわれました。境内の手前側に大きな菩提樹があり(↓右)、その奥に本堂、その脇に小さなブータン式チョルテン(↓左)があります。菩提樹はスリランカから持ち込まれたものです。釈迦が悟りを開いたブッダガヤの菩提樹は消滅しましたが、初期の苗をスリランカが入手し、スリランカが育てた菩提樹をインドに逆輸出したり、ブータンに寄贈したりしているようです。ドゥクパ・クンレーが金剛=ファルスにより調伏した谷筋の魔女の心臓部分の上に黒壁のチョルテンが建てられたと伝承されています。ブータンにおける色彩は、白が「善」、黒が「悪」と認識されており、悪霊の調伏と関わる仏教施設はすべて壁を黒く塗っています。


0827チメラカン10 0827チメラカン02


アムチョキムの偶像

 本堂仏壇の中心には本尊たる釈迦像を中心に、グルリンポチェやシャブドゥンなど仏教側の偶像が多数配置されていますが、その一方で、仏壇前側の左右のコーナーには、魔女アンチョキムの像(右)とファルス(左)を祀っています。アムチョキムはボン教の女神でしたが、仏教側からみれば「魔女」であり、僧侶クンレーの金剛によって調伏され、谷の護法尊になりました。驚いたことに、貴婦人のような姿をしておりました。本堂内は写真が撮れないのでおみせできないのが残念です。さらに仏壇右側の棚にはチャナドルジを祀っています。チャナドルヂも元はボン教の「悪魔」でしたが、調伏され善なる神に変貌したものです。


0827チメラカン13
↑本堂略平面(禁転載) 


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風に吹かれて-第7次ブータン調査(1)

0827ルンダル01 0827ルンダル02 


風になびくルンダル

 8月27日(月)。朝8時、ブータンのパロ国際空港に到着しました。今年のメンバーは、教授のほか研究室OBのガキオさん、バレーさんと私(院生)の4名です。第7次調査の初日でもあり、幸先の良いスタートを切りたかったのですが、いくら待ってもガイドのウタムさんが空港にあらわれません。空港で待機中のタクシー運転手などにウタムさんのことを聞いてみますが、知っている人はいないので、教授がパソコンメールの履歴から電話番号を調べコールしてもらうと、どうやら自家用車が壊れてしまい、タクシーで空港に向かっている途中であることが分かりました。私たちが空港で立ち往生していると、しばらくしてツアー・ドライバーのラッチさんが声をかけてきましたが、ウタムさんと契約しているにも拘わらず、ウタムさんの電話番号も名前も知らないのには驚きました。どうもピンチヒッターのような気がします。ラッチさんの車に乗り、首都ティンプーをめざします。


0827 タクツォガン01 0827タクツォガン03


 途中でパロ川沿いに建つタクツォガン寺(↑)の対岸で停車し写真撮影をして、さらに前方に進もうとすると連絡があり、ウタムさんの車はすでに行き過ぎているというので、パロ方向に戻り落ち合いました。タグツォガン寺は、2013年に調査済みですが、新参加のメンバーにとっては、毎回、最初の訪問地になります。それだけ風景の素晴らしいスポットです。
 その後、全員でラッチさんの車に乗り、ティンプー市との境にあたるパロ川の合流地点で鉄橋の上から3つのストゥーパを眺めました。これも恒例の行事です。洪水のおきやすい地点では、仏教関係の施設を設けて「悪霊」の浄化に努めるわけですが、鉄橋の対岸にあたる川の三叉路の岸辺には、向かって左からネパール式・チベット式・ブータン式のチョルテンが並んでいます(↓)。
 写真を撮影した路肩には白い経典旗ルンダルが立ち並んでいます。ウタムさんが説明を始めました。ルンダルとは「風の旗」を意味しています。旗には経文のほかにルンパ(風の馬)が描かれています(一番上の写真の右サムネイル)。谷筋は風が強く、絶え間ない風になびくルンパが人間の体から「悪い霊魂」を外に吹き出し、「良い霊魂」を体内に取りこんで、気持ちを浄化してくれるのです。こういう川の合流点を風の吹くパワースポットだと認識しているから、ブータン人はロンダルを立てルンバを祀るのです。
 一番上の写真(左)がルンダルです。ルンダルの頂部はねずみ返しのような輪を貫いて剣が虚空を切り裂いています。悪霊に対する武具であり、金剛杵の爪に似ていますね。剣も爪も魔女や悪霊と戦う武器なのです。


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↑(左)3つのチョルテンうちネパール式(左)、チベット式(ひとつおいて右端)。(右)木陰でみえなかったブータン式チョルテンを別アングルから撮影


旬の松茸三昧

 次はまた恒例の松茸買いです。昨年は9月中旬の訪問で、松茸のシーズンが終わりに近く、値段が高騰している割には小ぶりなものが多かったのですが、今年はまさに旬の時季であり、サイズが大きく質のよいものがそろっています。素人目には、サイズが大きすぎるのがやや気になりましたが、先生が2000円(1600ヌル)ほど買われました。


0827松茸売り03 0827松茸売り01




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雲南民族大学との交流(2)

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セブ島をめぐる攻防

 わたしだけが関空水没の被害に遭ったわけではなく、同僚の先生方も海外出張の最盛期のようです。同世代の男性教員からのメールは以下のとおり。

  私はセブ島で気楽にやっていますが、関空を出た翌日に台風襲来、こちらではネットで
  見ていますが、こんなことは伊勢湾・室戸台風以来ではないでしょうか。帰りが14日の
  予定で、どこの空港に着くのやらです・・・・
 
 本日、関空国際線の第2滑走路が一部再開し、第1滑走路も1週間以内に再開だそうですから、14日帰国なら無事大阪に帰還できるかもしれませんね。とすれば、我々の18日名古屋帰国だって、大阪に変更できる可能性もあるような気もします。無理しないほうがいいだろうか・・・名古屋もそう悪いポジションではないからね。
 上の教員のメールに対して、同世代の女性教員からレスポンスがありました。

  我が娘はセブ島から4日の朝、関空に到着、そのまま脱出ならず、ニュースのように
  高速艇で翌日の夜神戸空港に着いたそうです。高速艇を待つ行列に10時間並んだ
  ようです。それでも、まだ半数はその時点で脱出できてないようだったそうですよ。
  船の列に並べという指示は、友人がLINEで逐一教えてくれたのだそうです。
  北海道の地震被害が大きすぎて、比較にもならないように感じますが。

 これは最悪のケースですね。3日に出国した人と4日に帰国した人では天地の差もあったということです。最後の一行が真実をついている。関空被害の後始末が大変すぎて、北海道の地震被害が身に染みてこないというのが実感です。


昆明講演、18日に実現へ

 雲南民族大学民族研究所での講演会は、上海に移動する18日の午前に日程変更しておこなわれることになりました。上のチラシの日付の部分に貼紙したようです。いや、申し訳ない。

云南民族大学一流学科国际课堂公开讲座
演題: 不丹的悬崖寺和冥想洞穴的调查研究
     (ブータンの崖寺と瞑想洞穴に関する調査研究)

主讲人: 日本公立鸟取环境大学大学院教授 浅川滋男博士
翻译: 云南省民族研究所教授 何大勇博士
日期:2018年9月18日(火)09:30-10:45
地点:民族博物馆一楼报告厅
主办:云南省民族研究所、民族文化学院

 朝9時半からの講演にお客さんが来るでしょうか。学生を動員するのかな? 申し訳ない。

雲南民族大学との交流

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関空水没に揺れる昆明講演

 昨日の続きです。西北雲南調査の当初の予定では、帰国前日(16日)、何さんが在職する雲南民族大学雲南省民族研究所で講演することが決まっていて、すでにチラシ(↑)まで完成しています。しかし、関空壊滅のため日程が1日圧縮された。要するに、札幌における日本代表対チリ代表と同じ流れなのです。旅程を1日削った皺寄せは昆明の滞在時間で調整するしかない。さもなければ、西北雲南での5日間の調査時間を確保できないのです。
 予定されていた演題は「ブータンの崖寺と瞑想洞穴に関する調査研究」です。中国とブータンは国交がありません。チベット仏教と中国共産党の衝突はここにまで及んでいる。しかし不思議なことに、ブータンでは多くの中国人旅行者に出会いました。団体客がやってきて王宮まわりでドローン撮影しまくり、その余波でわたしたちまでドローンが使えなくなったし、2012年にはキチュラカンで共産党幹部の娘とおぼしきロンドン在住の中国女性と話をしました。
 しかし国交はない。ですから、あくまで何さんによると、中国人はブータンのことをほとんど知らないのだそうです。ならばとて、講演頑張らねばと思っていました。いま微妙な状況になってきています。昆明から上海に移動する18日午前にスケジュール変更してなんとかできないか、現地で検討中です。

 中国語の講演概要を掲載しておきます。


云南民族大学一流学科国际课堂公开讲座

不丹的悬崖寺和冥想洞穴的调查研究
(ブータンの崖寺と瞑想洞穴に関する調査研究)

主讲人: 日本公立鸟取环境大学大学院教授 浅川滋男博士
翻译: 云南省民族研究所教授 何大勇博士

浅川滋男博士(1956--)毕业于日本京都大学,获得工学博士学位,取得木造建築士资格。经过奈良国立文化財研究所、京都大学大学院人間環境学研究科、現在担任公立鸟取环境大学大学院教授、中村元纪念馆东洋思想文化研究所研究员等。曾在北京语言学院、同济大学、中国社会科学院考古研究所留学和访学,研究领域在民族建筑学、建筑考古学、亚洲建筑史、居住环境保护等方面。是日本建筑考古学的领军人物之一。代表著作有《住的民族建筑学:江南汉族与华南少数民族的住居论》(1994)、《离岛建筑》(2000)、《出云大社的建筑考古学》(2010)、《作为文化景观的水上村落论:世界自然遗产下龙湾的地理信息与居住动态的分析》(2010)、《建筑考古学的实证和复原研究》(2013)等。
不丹王国(Kingdom of Bhutan)位于我国和印度之间喜马拉雅山脉东段南坡的内陆国,未与我国建交。国内关于不丹的人类学成果不多见,浅川先生将通过对不丹的悬崖寺和冥想洞穴的民族建筑学调研,展示多年的调查成果与心得。欢迎广大师生光临!

日期:2018年9月16日(日)14:30-16:00
地点:民族博物馆一楼报告厅
主办:云南省民族研究所、民族文化学院

西北雲南(旧チベット領カム地方)の密教系仏教遺産に関わる調査

旧友とカム地方を探検

 昨年はアムド(青海省)から青蔵鉄道に乗ってチベットの首都ラサに至り、さらにソンツェンガンポの故郷ツェタンで吐蕃王陵などを見学しましたが、今年は春(正月)から雲南経由でのチベット入りを夢見て、雲南在住の知人に連絡をとっていました。その人は羅さんという運転手です。かつて1993~94年ころ西北雲南チベット・ビルマ語族の住居集落を調査していた際、受入機関の雲南省社会科学院(何耀華院長)で運転手をしていた方で、ずいぶんお世話になりました。フィールドでは、研究者よりはるかに役に立つ。日常知のレベルが非情に高い人で、日本から参加した女子研究者も「素敵」と顔を赤らめていたりしましてね。羅さんとは以前からメールでやりとりしていまして、「雲南に来い、来い」とうるさかったのですが、尖閣以後の政治状況の悪化で二の足を踏んでおりました。ミャンマー訪問の際、2013年末にいちどニアミスしたのですが、我が社長は旅の疫病神でして、霧で昆明に降りれなかった。
 しかし、昨年あたりから日中関係も好転の兆しをみせ始めています。さらにまた西北雲南の境域が以前はチベット領カム地方であったことの重要性を再認識するに至り、雲南からチベットをめざすルートの踏査を構想するようになったのです。ブータンの国教であるチベット仏教ドゥク派の信仰を最初に布教したパジョ・ドゥゴム・シクポはカム地方の出身なのです。
 ただし、現在のチベット(西蔵)自治区内に入るには国内ビザが必要であるため、初年度は無茶するのを控え、まずは西北雲南の北端までで折り返すことにしました。もう一人重要な人物がいます。何耀華元院長の息子の何大勇さんです。何さんは90年代の我々の調査に同行された後、日本に留学し、総合研究大学院大学で博士号をとって、いまは雲南民族大学の教授として活躍しています。おまけにどうした縁なのか、能海寛研究会と交流があり、今は中国における能海と河口慧海の研究者としても知られているのます。いままさに『能海寛遺稿』を漢訳しようとしているようですが、これについてわたしはちょっと意見があるので、昆明で話しあおうとも思っています。それはさておき、能海最期の地は西北雲南であり、このたびの調査にも同行していただくことになりました。
 そのスケジュールは以下のとおりでありました。

9月09日(日)関空16:55→昆明24:45 MU748(出国→上海で入国)
9月17日(月)昆明07:30→関空15:40 MU747(上海で出国→帰国)


新潟から昆明へ

 台風から二日経って、岡山空港からの代替渡航願望は無残にも打ち砕かれました。旅行社が中国東方航空公司と交渉して、なんとかキャンセル料も上積み料もなしで勝ち取ったフライトは「12日新潟空港発」でした。わたしも会長も真剣に調査の中止を検討しました。参加する2名の学生のうち1名の女子学生は卒論を能海で書くことが決まっているため雲南調査に参加することになったのですが、彼女の負担を和らげるのはどうしたらよいのか、心を痛めました。結局、4人で行きます。スケジュールを書き残しておきましょう。

9月11日(火)東京へむけて出発
9月12日(水)東京→新潟 MU296便  新潟14:00発/上海浦東15:55着
       MU9716便 上海浦東17:45発/昆明22:30着
9月13日(木)昆明→大理 大理古城と洱海
9月14日(金)大理→香格里(シャングリラ) ゲルク派総本山ソンツェリン寺(帰化寺)
9月15日(土)香格里→徳欽(ジョル) チベット族民家仏間の調査  
9月16日(日)徳欽 飛来寺参観、チベット族民家調査。  
9月17日(月)阿東 梅里雪山、屏風岩の撮影。
        MU5940便 シャングリラ15:55発/昆明16:55着
9月18日(火)午前: 雲南民族大学等
        午後: MU5438便 昆明15:20発/上海浦東20:15着
9月19日(水)MU529便  上海浦東09:30発/名古屋12:35着

関空沈没

0905珈琲樹被災01 0905珈琲樹被災02sam縦


鉢、砕ける

 凄まじい風でした。昨日(4日)の午前11時前後にはモスバーガーにいてナンと菜摘みでブランチしていたのですが、昼下がりから台風21号の渦潮に巻き込まれました。おそるおそるポーチの扉をあけると、我が家の珈琲樹№3が鉢ごと倒れて、鉢が割れ、土が散乱している。丈の高い№1と№2はポーチの柱に縛り付けていたので辛うじて被害なく、種から発芽させた№4と№5はポーチの壁際で風を避けている。屋外とポーチの境においた低い№3だけが被災した。こんな経験は初めてです。今年は猛暑で鉢植えのブルーべリー、キーウィ、紫陽花を枯らしたが、台風で自慢の珈琲樹までやられるとは予想だにしておりませなんだ。
 日が変わり、台風一過の快晴。さっそくホームセンターに足を運び、大きな木製の鉢と玉石と腐葉土を買い込んで(ついでに見つからないように小さな金魚も二尾)、珈琲樹の鉢植えを復原した。アナステローシスではなく、新材を多用しての発展的再生であります。再生を祝うかのように、敷地縁に水仙のような黄花が咲き乱れた。この黄花、どんな季節でも湿気さえあれば咲くのだろうか。


0905珈琲樹被災04復元01 0905珈琲樹被災05破片sam


岡山から飛翔せよ

 さて、問題は関空です。情報が錯綜しました。大阪の旅行社に問い合わせても事情がまったく読めないのに、昆明の知人は10日まで関空は復旧しないから早く東京か名古屋のチケットに買い換えろ、とメールしてきました。わたしたちは9日(日)夕方のMU便(中国東方航空)で上海経由昆明に向かうことになっているのですが、MUのHPを覗いてみると、岡山→上海の便でOKがでました。でも、契約できない。契約した瞬間、関空→上海の便はキャンセル扱いになってキャンセル料を没収されるからです。そんでまた大阪の旅行社に確認すると、少なくとも12日までは空港が再開しないという噂が流れているらしく、たしかに岡山空港発着で往復ともスケジュールにおおきなズレは生じないことがわかり、チケット差し替えオファーをしてくれたのですが、今日明日は関空に孤立した人たちの送迎を最優先するとのことで、明後日にならないと差し替えの可否が分からないという蟻地獄に陥ってしまいました。
 あした詳細を報告しますが、ブータンにいるときから、雲南調査の出発前に何か起きるような気がしていたのね。それがまさか台風による関空の破壊だと思わなかった。想いが強いだけ障壁も高くなるということでしょう。ルーに祈ろう。


0905珈琲樹被災03黄花01 0905珈琲樹被災06全景01sam
 

Tonight I am Single

0830ゾンドラカ寺(ティンプ)03縦01 ゾンドラカ寺再訪(0830)


 紅の豚じゃありませんよ。
 これが我らのガイドです。まっ、わたしと同類の男ですね。欲深いし、目立ちたがりだ・・・
 今回はいきなり空港での迎えにあらわれなかった。大遅刻して反省しているかと思いきやそうでもなくて、プナカのロベサ・ホテルではバレーさんの横にぴったり寄り添って嬉しそうに鼻の下をのばしている。昨年のきびたろうは相手にしなかったのに、ちょっと可愛らしい女の子だと態度が豹変するわけです。このあたりもわたしと同類か・・・それにしても、このTシャツ、まいりますね。

  今夜はシングル(独り身)だよ

 タイのお客さんが20枚ぐらいもってきて大勢に配ったというから、帰りのバンコクの発奮街露店で訊ねまわったのですが、ついにみつからなかった。いまネットで検索したところ、アメリカの通販会社Spreadshirtでヒットしたので、恥ずかしながら注文しました。残念ながらアマゾンなど国内の通販にはないようです。
 ウタムさんが着ているタイ製品?は海賊版じゃないでしょうか。


0828ロベサ村(プナカ)01ポー02圧縮
↑壁は住まいにおける内外の境界です。屋外には魑魅魍魎が跋扈している。チベット世界の場合、大地は魔女が支配し、谷奥に魔女が潜んでいると信じられています。その辟邪となるのが金剛ポーです。鬼瓦のようなものですね。鬼瓦よりウタムの頭というべきか?

エドウィン・アーノルド詩-世界に於ける仏教徒(2)

0826関空01 0826関空02


 昨朝、無事ブータンより帰国しました。実り多い調査であり、ティンプ-では今枝先生ご夫妻に素晴らしい夕食会を開いていただきました。そうした成果については、参加した3名がおいおいブログで公開してくれるはずです。そうそう、今回も関空に内蔵助があらわれました。別れ際、バレーさんと握手したのでヒヤヒヤしましたよ。病が怖い・・・

 驚いたことに、今夕、秋田にいるTaskから能海寛『世界に於ける仏教徒』第5章「歴史上の仏教」の口語訳が届きました。「歴史上の仏教」という章題に対して、あまりにも内容は薄っぺらです。仏教はキリスト教とちがって戦争とは無縁の宗教であることを説きたいわけですが、ご存知のように、古代から日本においても宗教戦争はいくらもありました。しかし、それは仏教を信じる者ではなく、嫌々仏門に入った武勇の輩がやったことで、仏教と戦争は本質的にはまったく無縁だと能海は説きます。今を生きる我々は宗教と戦争が表裏一体の現象であることを知っています。自分の信じる神仏こそが真の神格であり、他の宗教は邪教であり認められないという暗黙の意識を背景にして戦争がおこる。そういう事実に能海は気づいていない。仏教だけは他の宗教とはちがうと能海は強調するのですが、そういう考え方が戦争の種になっていることがまったく分かっていないのです。なにより能海が聖域視するチベットや南アジアにおいて宗派間の戦争は断続的に続いてきましたし、チベットと中国共産党の衝突にしても、ブディズムとマオイズムという二つの宗教の戦いだとみることができるでしょう。
 下は例外的におもしろい部分です。仏説無量寿経の内容を能海が英国の詩人に教えた。その経文にインスパイアされて、エドウィン・アーノルドが英語の詩を書いた。誤訳かもしれませんが、どうぞ読んでみてください。


0827プナカ01ろべさ001 HOTEL LOBESA


五悪五痛五焼-『仏説無量寿経』巻下之二

 従来の経歴に照らして仏教を考えるとき、仏教は東洋諸国の平和の中心となって、人心を柔和で大人しく、温厚で誠実な良き人格にし、ただ人類だけでなく、生きとし生けるものを保護してくれます。東洋の食べ物についてみても、菜食中心で、残忍に切り刻む肉食を改めたように、ブッダ至上の大慈悲の仏法を説き、それに従って東洋順良の風格を養成してきました。欧米におけるキリスト教のように、戦争とともに発達した流血的・殺伐的仏教(宗教の間違い?)に代わって、現在の欧米の大戦国に入り込み、ブッダの慈悲を普及させようとするなら、いっそう宗教や過去の経歴に照らして事をなすべきなのです。『大無量寿経』曰く、「仏のめぐり歩きなさる場所は都や大集落(丘聚)になるという恩恵を授かり、天下は和順(穏やか)、日月は清明、時に風雨あるけれども、災害はおこりません。国は豊かで民の気持ちは安らか、武器を用いることもなく、徳を敬い、仁(思いやり)を生じさせ、礼儀正しく謙虚な態度を務めて身につけさせます」と。仏曰く、「私があなたたち天下の民を愛し憐れむ気持ちは、父母の子を(P.32)思うより強いものです。今日、私はこの世間で仏となり、五悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒)を鎮め、五痛(五悪を犯すことで受ける刑罰)を消し去り、五焼(五悪を犯して受ける地獄の罰)を残らず絶やし、善をもって悪を攻め、生死の苦しみを除き、五徳(敬・愛・和・譲・施)を獲得し、至上の安らぎに昇らせましょう」と。私は以前、この経文を英訳して、かのイギリスの大詩人エドウィン・アーノルド氏に示したことがあります。エドウィン氏は私に一篇の詩を書いてくださいました。

  Peace beginning to be,
  Deep as the sleep of the sea,
  When the strs*1 their faces plass*2
  In the blue tranquility,
  Hearts of men upon earth,
  From the first to the second birth,
  To rest as the wild warters rest
  With colours of Heaven on tneir*3 breast

  眠る海のように深い
  平穏が訪れようとしている
  青い海の静けさに星が映るとき
  この世に生きる人びとの心は 
  生まれてから死んでいくまで
  荒海が凪いでいくように安らぐ
  人びとの吐息の上にある天国の色とともに

*1 strs: stars の略語か脱字でしょう
*2 plass: place もしくは plaza の中世英語?
*3 tneir: their の誤植でしょう

0827プナカ01ろべさ002
HOTEL LOBESA with Po
プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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