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空き家探索(8)-上方往来河原宿その7

221118 T01家(空撮配置図1 221118 T01家(屋根伏図1


河原宿T01家 第3次調査

 11月18日(金)、6名で鳥取市河原宿の第3次調査(補足的な視察)をおこないました。今回は、滋賀県より一級建築士のゼミOBをお招きして、再生構想案を考察しました。こうした視察と議論のなかで、構想の是非や課題が見え始めてきました。そのときの議論をまとめます。

 西蔵: 西蔵は、書庫兼アトリエとします。
 土蔵は、仮想の施主が所持する数多くの書籍類の保管に適しています。書籍保管のため、本棚を設置します。蔵の内観に合わせ、木造の本棚としますが、木材だけでの棚だと蔵書の重さへの耐久に不安があるため、スティールでの補強を一部で行ってはどうか、との意見も出ました。これについては、必要ないという意見もありました。もちろん書庫だけでは意味がないので、本棚に囲まれたスペースは書斎(アトリエ)として、作業机、コピー機、Wi-Fiなどの機器を設置します。空調についても考えなければいけません。
 西蔵は桁行規模が4間に切り縮められているので、当初はワインセラーとして酒類の貯蔵庫にすることも考えていましたが、再訪して体感するに、思いのほか広さがありました。アトリエ兼書庫の面積として十分です。そこで、南蔵をカフェ兼ギャラリーとし、西蔵にアトリエ兼書庫としての機能を想定しました。なにぶん書籍の量が多いので、1階・2階とも書庫としての用途が重要ですが、スペースが空くなら、酒類の貯蔵場所にもなるでしょう。
 蔵には照明機器が設置してありますが、電線からの供給はされていません。独立して使用できるよう、配線の接続が必要です。
主屋のツノヤ増設の際に切り取られたと思われる南面の妻壁は、トタン張りで劣化しており、スギ材などを用いて、補修・整備を行う必要があります。


221118 T01家(西蔵妻壁  220518 T01家(西蔵妻壁2
↑西蔵 妻壁

20221118 T01家(西蔵古民具01 20221118 T01家(西蔵古民具02
↑西蔵に残る古民具


 南蔵:南蔵はカフェ兼ギャラリーとします。
 当初は桁行7間の南蔵に書庫兼アトリエの機能を与えようと考えていましたが、前述のように、西蔵をその方向で改修するため、南蔵は近接するハナレ(亭閣)とともに、一般に公開可能なカフェ兼ギャラリーにしようと考えています。南蔵一階にはカウンター・キッチンを設置します。キッチンの上側を吹き抜けとすることで、湯気・臭気・煙を2階妻壁の小窓(2か所)から逃がし換気します。また、吹き抜けから天井の小屋組みを見られるようにもなります。内側の広いスペースには、テーブル、カウンター、椅子を並べます。また、この蔵の片側も書庫としての機能をもたせます。書物だけでなく、施主が長くコレクションしてきたレコード、CD、カセットテープ類も収納し、プレーヤ等で音楽を聴けるようにします。
 この蔵はもとは箪笥蔵だったと思われます。主として2階に収蔵されている箪笥はデザインや形状が様々で、日本古来の美学をよく表現しています。これらのタンスを桁行方向窓際の棚の上下に配置すれば、ちょっとした箪笥博物館の様相を呈します。空いたスペースには、味噌蔵などに放置されている古民具を洗浄して展示するのもよいかもしれません。こうした古箪笥や民具のギャラリーとして2階は機能させますが、その空間は多目的であり、カフェになったり、ライブをしたり、研究会を開催できるようにしようと思います。なお、2階にある押入は2段ベッドに改装します。ゼミ生やOBなど研究室の関係者がいつでも宿泊できるようにする予定です。
 1階のカフェでは、シンプルの茶菓のセットを提供します。メニューは簡単にするのが好ましく、飲物は珈琲、チャイ、中国茶、庭のハーブティなどを施主は想定しておられます。これと寒天仕立てのフルーツゼリー等のセットにしたいとのこと。料理についても単純にして、精進ボルシチ、精進フォー、精進蕎麦(摩尼蕎麦)などに限ります。
 西蔵同様、電線とつながっておらず電気の供給がされていないため配線の設置が必要です。また、キッチン、トイレの設置に伴い換気設備・上下水道の設備が必要です。


221118 T01家(南蔵内部、タンス  221118 T01家(南蔵押し入れ
南蔵に残るタンス、押し入れ


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浜湯山辣韮ドリーム(3)

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ラッキョウ花、乱れて、六分咲き

 11月8日(火)午後、晴れ。研究室メンバー3名で開花した福部町湯山砂丘らっきょう畑の撮影に出かけました。すでに11月3~4日の開花状況を教授が撮影されていますが、そのときは3分咲き程度、このたびは6分咲きというところでしょうか。
 畑に着いてできる限りひろい範囲に目をやりました。いずれの畑地もまだ満開の花とはいかず、咲き始めから蕾をつけていない畑もありました。事前に農家さんから聞いた話では、「普段より開花が遅い」そうです。毎年10月末に咲き始めていたことを考えると、今年は1週間程度遅れています。また、植え付けの時期は、らっきょう畑の所有者によって微妙にずれているので、開花状況の違う農地がパッチワークのように織りなされています。いざ写真を撮ろうと、カメラを持ってみたのですが、迫力ある景観をうまく伝えられるよう撮影するのは難しく、枚数ばかりが増えていきました。しかしながら、そうした活動の中で、らっきょう畑が見せる景観の多様さに気づきました。らっきょう畑の背景には、日本海の海岸線や鯨島、葉落葉した木々、摩尼山などがあり、アングルや視点を変えるごとに印象も遷ろいます。


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 空撮では、地上から絶対に捉えることのできない視点からの写真を撮影できました。俯瞰してみるらっきょう畑は、巨大な絨毯が敷いてあるかの如く、規則的な縦縞の畦の連続を確認できました。ただし、空撮では花のアピール力は弱くなるようです。畑のなかには青いネットに囲われた部分があり、付近の農家さんに訊ねると、今年から青ネット内で無農薬農法に挑戦しており、経過を見ているとのことでした。ボランティアしていた8月までには知らなかった情報でして、卒業研究に役立つと思います。なお、いま農家の方々が取り組んでいるのは主に雑草抜きのようです。
 今回の撮影でも、未だ満開の畑地がない状況でした。教授は以前、もっと発色が良かったと言われていましたので、少し日を置いて、来週あたりもういちど撮影しに来ようと思います。(コバコー)


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↑空撮2枚 ↓(左2枚)撮影風景 (右1枚)無農薬栽培区画
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龍岩寺ごちゃまぜBOX(3)

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『旬刊 政経レポート』1506号で広報!

 先週末、チラシ兼パンフ(4頁)が納品され、広報活動をぼちぼち進めています。今回は岩美町を中心に動いております。先月から大谷の自治会関係者と面談・連絡を重ねており、まずは町報へ仮チラシ520枚を折り込み配付しました。520とは、大谷地区1~5区の世帯数であり、その大半が龍岩寺の檀家です。地元の関係者によりますと、この広報で十分定員は確保できるので、メディアでの広報を控えるようにとの指示を受けました。文化の日以降、岩美・浜坂方面に何度か足を運び、町役場・むらなかキャンパス・岩美西小学校等に顔を出して挨拶するとともに、龍岩寺でももちろん打ち合わせしました。今のところ、大学・招聘関係、寺関係、ネット申し込みをあわせて55名に達しており、残るは20席程度になっています。参加ご希望の方は、早めにメールか電話でご連絡ください。

 上に述べたように、新聞等での広報・告知は控えておりますが、今回のイベントも山陰政経研究所の『旬刊 政経レポート』に掲載されました。この冊子は地味に(失礼!)効果があります。強力すぎないところが、今回のイベントによくあっています。ありがたいことです。


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速水健二氏(社会福祉法人佛子園理事・B's 行善寺代表) 講演概要

 色んなものを縦割りにして安全性を高めていく方法は、少子高齢化の波により運営が難しくなってきました。そもそもリスクというものは一人きりになっても無くなるものではありません。リスク管理重視ではなく、今こそ自分の地域にいる人たちを信じ、互いに関わり合うことができる地域を目指しませんか?
 支える、支えられるといった関係ではなく、障害ある人も無い人も、こどもも高齢者も、病気の人も元気な人も、日本人も外国人も、いろんな人が集まって健康を目指していく。そんな「ごちゃまぜ」の場所ができることで、そこに人が集まり、語らい、変わっていく人や町の様子を、佛子園やJOCA の事例をもとにお伝えできればと思います。

 11月12日(土)13時より、NHK-Eテレの番組「こころの時代」で佛子園の活動が紹介されます(再放送)。講演会当日の理解を深めるためにも、ぜひご視聴をお願いする次第です。
https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/schedule/


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エスニック料理のフードスケープ(8)

ブータン蕎麦 試作


ブータン蕎麦のきつね味-精進の苦悩(2)

 今週もまた精進ソバづくりで試行錯誤を繰り返しました。ともかく鰹節、さば節、炒り粉などの魚介系の出汁は使えません。今回は、先生が前日から下拵えしてきた出汁3種を活用しました。次ページの写真に示したボトルに入っており、左から、乾燥椎茸、乾燥昆布、切干大根+乾燥椎茸です。この3種を組み合わせて煮沸させると同時に、昆布と椎茸は千切にし、切干大根は水切りをしてトッピングにすることになりました。1回めの調合を記録しておきます。

《材料》
・昆布出汁(紙コップ1杯) ・椎茸+切干大根出汁(紙コップ1杯) ・椎茸出汁(紙コップ1/4)
・みりん、酒少々 ・ブータン蕎麦(乾麺) ・すだち、シイタケ、昆布、切り干し大根
《レシピ》
①上記三種の出汁を鍋に入れて加熱する。②酒とみりん、醤油、塩などで出汁の味を調整。
③別の鍋に水を入れ、沸騰湯にブータン蕎麦乾麺を入れて、10分以上湯がく。
④シイタケ、昆布を千切りにしておく。 ⑤茹で上がった蕎麦麺を冷水で締めておく。
⑥椀をそば湯で暖めながら、出汁をゆるく沸騰させ、麺をそば湯鍋に戻して暖めなおす。
⑦麺と出汁が暖まったら椀に盛る。スダチ、シイタケ、昆布、切干大根をトッピング。


汁


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浜湯山辣韮ドリーム(2)

1103湯山砂丘のラッキョウ畑と摩尼山 摩尼山と浜湯山のラッキョウ畑


WSに大谷の影を追う日々

 11月3日(木)、文化の日。いつものように目覚めてテレビを点ける。いつものようにメジャーリーグの生放送が画面にあらわれると思いきや、強張った顔をしたアナウンサーが早口でニュースをまくし立てている。どのチャンネルに変えても同じ。北朝鮮がまた例の飛翔体を連続で打ち上げたのにJアラートがなんとかかんとか・・・ん~困ったものだ。困ったものだが、何ができるわけでもない。米韓軍事演習に対するリベンジであるようだが、ロシアが背後で糸を引いてないことを願う。
 しばらく待つと、画面はメジャーリーグに戻った。ワールドシリーズに私たちは大谷翔平の幻影を追っている。昨年までメジャーのポストシーズンを視ることなどなかったが、今年は春から秋まで大谷選手の活躍に熱中しすぎてしまい、慣習の法則というやつか、大谷選手の出番がなくなってなおメジャー中継から抜け出せないでいる。はたして大谷は、投手として、あるいは打者としてポストシーズン、とくにワールドシリーズに通用するのか、という視点がどうしても消えない。もちろん通用する。仮にヤンキースに大谷がいたら、アストロズにスィープされることはなかっただろうし、パドレスに大谷がいたら、フィリーズを倒してワールドシリーズに進出していたかもしれない。


1103湯山砂丘のラッキョウ畑upup2


 ただ、ワールドシリーズを戦う強豪チームでは、ピッチャー兼DHというスタイルは難しいかな、とも思う。理由は簡単。強豪チームには、強力なDHが存在するからだ。アストロズならアルバレス、フィリーズならハーパー。いっかな大谷と雖も、打力でこの二人を控えに押しやる力があるとは言えない。とくにハーパーの活躍は驚異的だ。ジャッジの比ではない。オーラを拡散するその姿は、まさに大谷翔平を彷彿とさせる。一方、投手としての大谷はワールドシリーズにどうしても必要な人材だと思う。ストレート主体のバーランダーが打ち込まれ、球威が少々劣る変化球投手のダルビッシュも打ち砕かれた現実を鑑みるに、変化球主体でありながら、160キロの速球(4シーム&2シーム)を投げる大谷は短期決戦の勝利におおいに貢献するだろう。間違いない。


サッカー言論界の山本太郎

 メジャーもあと2~3試合で終わる。スポーツメディアの中心はサッカーのカタールW杯に移行しつつあるようだ。ネット上では、レオ・ザ・フットボールという元吉本芸人のチャンネルが注目を集めている。森保監督や田嶋会長に対する辛辣な批判を容赦なく繰り返すので、まともなサッカーフリークから熱烈な支持を集める一方で、森保派や元代表選手らからはバッシングの対象になっている。彼は、プロとしてのキャリアはないけれども、サッカーに対する造詣は深く、間違ったことを言っていない。正しい指摘を早口で語る。サッカー言論界における山本太郎のような存在として露出度を高めているが、その分だけ非難の的になりやすく、メンタルが心配になる。


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エスニック料理のフードスケープ(7)

1102エマダツィ完成01


エマ・ダッツィ復活

 10月27日(木)に1年生がブータン精進料理「蕎麦皮餃子ヒュンテ」「プタ-蕎麦パスタ」を試作し、とくにプタの味が薄いとのことだったので、ブータンの国民食である「エマダツィ」を付け合わせにしてはどうか、と提案がありました。エマはゾンカ語(ブータンの公用語)でトウガラシを意味し、ダツィとはチーズのことです(ブータンではヤク牛のチーズが一般的)。エマダツィの調理法はいくつもありますが、今回は過去のゼミ生が翻訳した料理本Autentic Bhutanese Cookbookのレシピに従うことにしました。11月2日(水)、滅私さんと私はエマダツィの試作に取り掛かりました。材料や手順は全て料理本の通りにし、できる限り再現しました。ほぼ1年ぶりにエマ・ダッツィが復活したことになります。


1102エマダツィ材料


《材料》↑
・トウガラシ6個(今回は鷹の爪で代用)  ・スライスチーズ3枚
・タマネギ1個  ・トマト1個  ・マーガリン大さじ2杯 
《レシピ》
 ①鷹の爪を縦に半分に切り、タマネギとトマトをそれぞれスライスする。②タマネギと鷹の爪を鍋に移し、1カップの水で3分間茹でる。③マーガリンを加え、3分間煮込む。④スライスチーズを加え、さらに3分間加熱する。⑤トマトを入れ、塩を適量振りかける。⑥トマトに火が通り、柔らかくなったら完成。
 *この時、ホットプレートを常に強火にしていたためか具材に早く火が通りました。


1102エマダツィ具材を切る


精進の戒律と五葷の部分的許容

 ブータン現地のトウガラシは日本の甘長唐辛子ほどの大きさ、もちろん辛さも強いです。そんな唐辛子は日本には存在しないので、恰好を再現するためにピーマンの半切か甘長唐辛子を入れるとよいと、とアドバイスされました。イベント当日は、ピーマン等を入れて見た目を再現しつつ鷹の爪で辛味を出していきたいです。また、精進料理は肉や魚だけでなく、五葷(ごくん)を使えないという基本が知られています。「五葷」とは、ニンニク・ニラ・ネギ・ラッキョウ・ノビル・タマネギなどの匂いが強いネギの仲間の野菜をさし、精が付く一方で、欲情や怒りの心をおこすとして禁じられています。また、動物が生み出す卵や乳製品も禁じられています。こうした戒律は、欧米におけるヴィガン料理と通じるものですが、同時に欧米ではライトベジタリアンの考えがあり、乳製品やタマネギなどを許容する場合もあります。



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2022年度卒業論文(3)ー中間報告

文化的景観としてのラッキョウ畑―福部砂丘の土地利用変化から
Scallion fields as cultural landscape -From the view of land use change in Fukube sand dunes

 鳥取砂丘のラッキョウ畑群は鳥取市福部町湯山一帯の砂丘の砂地を育成環境としている。山陰海岸国立公園の特別保護地区の中にある耕作地であり、鳥取県有数の農業特産地として重要であるだけでなく、景観資源としても注目される。とりわけ、10月末~11月初には紫色のラッキョウの花が咲き乱れ、耕作地は広大な「ラベンダーの絨毯」のようになる。その壮麗な風景/景観を鑑賞しようと、短期間の間に大勢の観光客が耕作地を訪れる。本研究は湯山のラッキョウ畑でボランティア活動を続けることにより、ラッキョウ栽培をできるだけ農家の側から捉えつつ、文化財保護法に規定する「文化的景観」もしくは「名勝」としての指定の可能性を探ろうとするものである。


鳥取砂丘の変化1948年 鳥取砂丘1948


1.鳥取砂丘とラッキョウ畑の歴史
 砂丘から耕作地へ 砂丘は耕作に不向きな土地とみなされてきた。鳥取砂丘の場合、明治29年(1897)から陸軍歩兵第四十連隊の演習地となり、昭和20年(1945)の大戦終了後までほとんど放置されていた。戦後、砂丘での植林事業が本格化する。現鳥取大学乾燥地研究センター北側など一部のエリアを残した砂丘のほとんどが植林された。また、食糧不足のため、国は食料の増産を緊急課題とし、砂丘の農地利用開拓が全国的に展開する。
 鳥取砂丘は元々岩戸海岸から白兎海岸まで延々と連続する海岸の砂地であったが、福部砂丘はラッキョウ畑へ、浜坂砂丘は現在の自然保護地区としての「鳥取砂丘」となり、湖山砂丘は鳥取空港へと変化した。
 砂丘を自然のままに 砂丘周辺の植林が進む一方、民藝活動家の吉田璋也や鳥取大学の生駒義博らは砂丘の自然資源としての価値を見出し、砂丘を自然のまま残すよう国や自治体に働きかけた。その結果、昭和30年(1955)に鳥取砂丘の中心部30haが国の天然記念物に指定された。山陰海岸国定公園の指定も受け、砂丘の一部は自然保護の方向が定まった。昭和38年(1963)には国定公園から国立公園に昇格し、保護区域は146haまで拡大した。
 福部砂丘のラッキョウ畑  『福部村誌』(1981)によると、鳥取県福部村(現福部町)でラッキョウが栽培され始めたのは、江戸時代に遡る。当時は、主に自家消費用に細々と栽培されていたものと思われる。戦前に砂丘の農地開拓が福部村周辺に及ぶと、大正6年(1917)に佐々木勘蔵・浜本四方蔵らによって15haの砂丘畑の開墾に成功した。砂丘ラッキョウは病害虫が少なく、無灌水でも艶のある小粒ラッキョウが出来、植付後から収穫期まで防砂効果を高く発揮したため、砂丘畑向きの作物として注目された。大正初年ころ、砂丘畑におけるラッキョウ栽培が有効であると認識され、かなり本格的に栽培されていたと推察される。また、浜本の提唱によりラッキョウを中心とする産業組合が設立され、大正元年に開業していた国鉄山陰本線の鉄道貨車を使って京阪神市場に根つきラッキョウを出荷していた。しかし、当時は輸送技術や芽止め技術が確立しておらず、腐敗・変質・発芽などから有利な販売に至らなかった。また、ラッキョウは日光によって赤紫に変色するため、長期販売に向かない。そこで、塩漬けや瓶詰め等の加工ラッキョウの方向性で販売が始まり、根付いたとされる。
 戦後の栽培地拡大 昭和28年(1953)、食糧不足改善へ向けて海岸砂地地帯農業振興臨時特別措置法が制定され、砂地でのラッキョウの有利性が認められ栽培地は一気に拡大した。今ではスプリンクラーなどが完備されているが、以前は人力で河川・湖から水を確保しており、農作業の過酷さから「福部へ嫁がせるのは嫁殺し」と言われたという。このような苦境を乗りこえたのは鳥取大学乾燥地研究センターの支援があったからである。こうして、砂丘ラッキョウというブランドが生まれたといえる。


鳥取砂丘の変化1961年 鳥取砂丘1961


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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