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第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」のお知らせ(4)

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 河原町の天野さんから、「自治公民館便り」70号が送信されてきました。69号からはや一月。2月も終わります。じつは本日、報告書類の原稿等一切の締切日でして、学生諸君はよく対応してくれているんですが、倉吉の大物がねぇ・・・

 第3回れきまち研究会も明日(3月1日)に迫りました。

    第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」

 日時:  平成25年3月1日(日)午後1時~
 会場:  天野苗木店ビニールハウス
        〒682-0924 鳥取県倉吉市河原町1801
 次第:
  13:00 主旨説明
  13:10~13:50 第Ⅰ部 倉吉の歴史的風致に係わる調査研究の成果報告
                     【鳥取環境大学保存修復スタジオ】
    ①山家拓臣(卒業制作)「打吹玉川 -白壁小路の宿-」
    ②岡田知佳(卒業論文)「鍛冶町・河原町の町並み保全にむけて」
    ③藤井祐里(卒業論文)「地蔵盆を未来へ伝えるために」         =休憩=

  14:00~15:00 第Ⅱ部 まちの里山資本主義

    話題提供: 天野 博之(河原町の文化を守る会)
    鼎  談: 天野 博之
          浅川 滋男(鳥取環境大学)
          宗元 英敏(池中山光澤寺住職)

 天野さんのご尽力により、チラシは河原町と鍛冶町1丁目の全戸に配布された模様です。本日は明倫公民館に会議机2、折りたたみ椅子30、スクリーンを借りに行かれているはずでして、会長もサポートされるそうです。当方は、3年と白帯が報告書編集作業で忙殺されますから、4年有志を派遣するかな?

 そうそう、国会中継などで延期されていたNHK広島制作「ぶっつけ本番口コミ旅」の放送日が3月3日に確定した模様です。余程大きなニュースが無い限り放送されるだろうとのこと。
  
 下にもう一度チラシを掲載しておきます。右の小さな画面をクリックすると画面が拡大して詳細を読むことができます。


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「思い出の摩尼」トークセッションの記録(5)


門前町への脱皮

 浜田 摩尼山には本当にすばらしい場所、風景、文化がたくさんあるのですが、人が来ないことには魅力に気づいてもらえません。まずは人が集まる工夫をしないといけない。何かできることがあるでしょうか。
 浅川 景勝地トライアングルの中継点に摩尼寺と摩尼山門前があるわけですが、残念ながら、トレッキング客などが休憩し滞留できるところがほとんどありません。それが現状です。しかも、市街地や砂丘に近いにもかかわらず、公共交通手段がない。トライアングルの中心にありながら、中継点として機能していない。これについて、建築的な解決法を考えたことがあるので、紹介させていただきます。門前のお茶屋さん2軒は精進料理の老舗で、その料理の質が高いことはだれもが認めることでしょう。ただ、山歩きする人にとっては、その格式が敷居を高くしてしまっています。お値段も安いとは言えません。いまたいそう人気があるトレッキングの愛好者をどのようにしてつかまえるか、なんですね。
 まず空間的に門前をみると、ほとんどがお茶屋さんの駐車場です。喫茶店が1軒ありますが常連客以外はあまり入っていない。この閉鎖的な空間構成のために人が気楽に休めて滞留できる場所がなくなっています。
 わたしたちは今の茶屋1階駐車場を「道の駅」のような施設に変えようと提案しています。その施設にはトイレ・給水施設を配備し、自動販売機と休憩テーブルも置きます。可能ならば、カフェや蕎麦屋さんなんかも経営したい。少なくとも、土産物販売、野菜市などをおこなえるオープンスペースを確保します。もちろん山歩きに係わる情報センターでもあり、各種パンフやルートマップなども提供します。こうした多目的施設を設けることで、参拝者・登山客の動線が大きく変わります。いまは参道に行って帰るだけの直線的な動線ですが、「道の駅」のようなオープン施設を導入することで、動線がぐらぐら揺れ動く。人が滞留したり休憩する時間が長くなって、お店の品物が売れやすくなる。そういう考え方です。
 あとは茶屋の前に雁木(がんぎ)を通したい。日本海側の豪雪地帯ではアーケードように雁木を通して雪よけ、雨よけとする地域がかなりあります。雁木をつくるとなかなか見栄えも良くなります。雁木をつけると鉄骨構造の建物も和風建築っぽくみえます。結果、門前町風の風情が増していくのです。ここで、ちょっと結論めいたことを言うと、こうして今の茶屋をいろいろ変えていこうという発想も必要なんですが、さきほど会場の方が発言されたように、新しい客層を見込んだ新規の店舗も欲しいと思うんです。地元の山菜やキノコを取り入れたハンバーガーとか、清流コーヒーとか、若者向けのアクセサリを中心とする雑貨店なんかに新規参入してもらえないものでしょうか。そうすることで、「門前の茶屋」は「門前町」へ脱皮していくはずです。伊勢のお陰横丁には届きませんが、ミニ門前町に成長すれば、トライアングルの中継点として有効に機能し始めるだろうと思う次第です。
 棚橋 温泉なんてどうですか。
 浅川 温泉はボーリング代が高くつくでしょ。摩尼川の渓流に温泉が湧いいていたりすると、風情があって良いんですが。そうだ、渓流の野鳥はマニアに受けるかもしれません。
 浜田 これからたくさんの人に摩尼山を訪問していただくためには、門前活性化に向けての取り組みを真剣に考えていかなければなりませんね。そのスタート地点に今立っているのかなという気がしてきました。

わたしたちに何ができるか

 浜田 まだまだ話が尽きないのですけれども、そろそろよい時間になってきました。今日のトークセッションでは摩尼寺境内の建造物に始まりまして、「奥の院」の調査のこと、摩尼山の壮大な文化遺産と自然遺産、景勝地トライアングルと門前活性化の構想をお話しいただきました。この山をどう保全しつつ活用していくのか、とくに活用、楽しみ方の視点でいろいろとアイデアをいただきました。文化遺産を守り、伝えていくためには、その価値をどうやって多くの人と共有していくのかが大事なわけですが、その価値に気づいていただくためには、まずはここに来ていただいて、自分たち自身で山とお寺の魅力を感じることが重要です。その方法の一つが、今日、浅川先生からお伺いした景勝地トライアングルではないかなと思うわけです。まだまだたくさんのことをお伺いしたいと思いますけれども、最後に、浅川先生、今日のセッションをまとめて一言お願いいたします。


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「思い出の摩尼」トークセッションの記録(4)


景勝地トライアングル

 浜田 それでは、これから摩尼山のことをどうすればいいのかとイメージできるようなお話を聞きたいと思います。浅川先生にお伺いしたいのですが、今日、午前中にトレッキングがおこなわれました。これはまさに、この信仰の山、摩尼山の全体を知る格好の取り組みのように思えますけれども、たしか以前、先生に摩尼山を中核とする景勝地トライアングルの構想をお聞きしたことがありますが、これは一体どんなお考えなのでしょうか。
 浅川 摩尼山の周辺には景勝地が集中しています。鳥取砂丘(山陰海岸国立公園)と樗谿・久松山・太閤ヶ平(国史跡)が突出した大観光地ですね。それから、あまり皆さんご存じないかもしれませんが、福部の坂谷神社は叢林が県指定天然記念物になっています。坂谷神社の立地する立岩山は巨巌(磐座)が露出しています。その岩陰に小さな本殿を構えています。その周辺の叢林(照葉樹林)は見事なものです。学生を連れていくと、みな「もののけの森」だと言って驚嘆する。それぐらい鬱蒼とした神秘的な森があるのです。鳥取砂丘、樗谿・久松山・太閤ヶ平、立岩山坂谷神社で構成される3角形のエリアをわたしは「景勝地トライアングル」と命名しました。摩尼山は3つの景勝地のほぼ中心に位置する。3点をつなぐトレイル(遊歩道)で言えば、中継点にあたります。
 午前の第Ⅰ部トレッキングはとても人気がありました。じつに54名の応募があり、この天候にもかかわらず43名の参加がありました。トレック愛好者は着実に増えています。健康増進にもよいし、歴史や自然を肌で学ぶことができます。先ほど宗元さんがおっしゃった「心の置きどころ」とも関係しているのかもしれませんね。日常から離れ自然にいやされたいのです。いま紹介した3つの景勝地エリアを摩尼山を経由してトレイル(遊歩道)でつなぐのです。山歩きで景観域全体の活性化を図ろうと見越しての構想です。
 樗谿・久松山・太閤ヶ平から摩尼山までは中国自然歩道がすでに整備されています。摩尼山から坂谷神社までも歩いていけます。問題は、摩尼山と砂丘の連絡路がないことなんですね。ここに遊歩道を通したい。山頂立岩から下りていくのでもいいですし、景色のよい展望台あたりからラッキョウ畑めざして歩いていくのでもいい。摩尼山と砂丘をつなぐミニトレイルを通したいと願っています。
 浜田 本当におもしろそうな構想ですね。摩尼山だけではなくて広い範囲を対象に、いろんなものを見て歩くことで、さらに鳥取の歴史に対する理解も深まってくるのではないかなと思う次第です。
 棚橋 私、結構山が好きで、久松山とか大山とか、いろんな山に登ってきました。東京でも高尾山に登ったりしています。このあいだも浅川先生と一緒に摩尼山に登らせていただいたんです。立岩からの眺めがすごく綺麗だったのですが、今日も皆さん行かれたのですかね。少し灌木を伐採すると、もっと眺めがよくなるのではないか、なんて思いました。久松山からは海が一望できるのですよね。鳥取の城下町も見える。摩尼山の眺望も、そんなふうになればいいのに、と思うのです。それから、先ほど先生が言われたように、摩尼山から砂丘まで歩く道ができれば本当にいいですね。いまは若い女性も山歩きが好きな方がすごく多いので、いい観光地になるのではないでしょうか。
 浜田 今のお話を聞いて、まずはできることから行動を起こすことが大事だと感じました。浅川先生、たとえばこの構想にあるルートで地図やパンフレットみたいな資料はすでにあるのでしょうか。
 浅川 学生がルートマップを作ってくれまして、版を重ねています。これまでは無料で配布してきたのですが、在庫僅少で増し刷り代金を確保するためにも、今日は有料(100円)にさせていただきました。あまり売れなかったですが、私どももたんなる奉仕活動をしているわけではなくて、活動費が必要なのです。ご理解いただければ幸いです。学生たちは山道の距離を巻尺で測ったんですよ。自治体か国交省が知りませんが、公費で制作したサインボードが山道に立っています。しかし、残念ながら、距離が滅茶苦茶でして、これをなんとか修正しないといけないと思い、巻尺で正確に距離を測り、廃材でサインボードを作って、ルートマップも自主制作しました。「奥の院」は上がるのが難しくはありませんが、道に迷いやすいもので、こうしたサインボードやルートマップが山歩きする皆さんの大きな手助けになると思います。


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「思い出の摩尼」トークセッションの記録(3)


庫裡の文化財価値と課題

 宮本 今年の4月、摩尼寺庫裏の棟札発見の報道がありました。棟札に記された年代は文政6年(1823)で、本堂の安政7年(1860)をさかのぼり、山門より内側の境内では最も古い建造物であることが明らかになりました。また、県内最古の庫裏である可能性も高まってきています。そして、さきほど田尻住職が述べられたように、安楽律院系の庫裡としては全国的にみて希有の遺構かもしれません。しかしながら、屋根や床の傷みが激しくなっておりまして、早急に修復する必要性があります。この建物については、「登録」ではなく、「指定」にすべきという意見が強いようです。
 浜田 ありがとうございました。鳥取市内に、近世から近代にかけて、こんなにすばらしい建造物があったことを改めて知ることができました。今日お越しの皆様ももっと掘り下げた話を聞きたいでしょうが、建造物については、また改めて別の機会にしっかりとお話を聞いてみたいと思います。
 摩尼寺の建造物、とくに本堂・山門・鐘楼などは、有形文化財として国に登録される運びです。また、指定候補になるような建物もあるということを今知ったわけですが、今後、わたしたちはこれらの建造物をしっかりと保全しながら、一方でその魅力をたくさんの方に知ってもらわなければなりません。そのためには「活用」が重要になってまいります。調査に携わった立場から、この境内をこんなふうに活用するとおもしろいなという意見がありましたら、御紹介いただけませんか。
 宮本 やはり一番の問題は庫裏だと思います。山門より内側の境内では最古の建造物であり、安楽律からみれば全国的に重要です。その一方で、傷みが激しくなっていますので、早急に修復が必要です。その再生・活用については、八頭町(旧八東町)の光澤寺さんが「宿坊」経営を始められています。庫裡を宿坊としてお客を集められているのです。私も行ったことがあるのですけれども、結構評判を博しています。

光澤寺の「宿坊」経営に学ぶ

 浜田 寺院による「宿坊」経営ですか。とてもおもしろそうな話ですね。
  浅川 ご住職の宗元さんが会場にいらっしゃるはずです。
 浜田 そうですか。差し支えなければ、光澤寺のご住職さんに「宿坊」経営についてお話を聞かせていただけませんでしょうか。
 宗元(光澤寺住職) こんにちは。突然ですが、八頭町で宿坊を2年半前からやっている光澤寺の宗元と申します。最近は若桜鉄道の観光ガイドということで、少し新聞でも取り上げていただいています。興味があって、こちらの会に参加させていただきました。山陰地方では過疎と高齢化が著しく進んでいます。町や村には空き家が増え、無住の寺院も増える一方です。皆さん大丈夫だろうと思っているかもしれませんが、あと10年ぐらいしたら郡部のお寺はほとんど無住になってしまうでしょう。そういう心づもりで今日の話を聞いていただきたいし、私も聞いているのですが、私が3年前に故郷に帰ったときはもうお寺もやっていけないなという状態でした。摩尼山ほど有名でもないし、誰も来ないし、檀家さんさえお参りに来ないお寺でした。だから「宿坊」というわけではないですが、なんとかはオープンな存在にしていこうということで、一人でも多くお寺に来てもらいたいという願いから宿坊を始めたところ、全国から意外とたくさんのお客さまが来られます。
 いま心の問題というか、「心を整える」ことが、とりわけ東北大震災以降、日本人にとって重要な意味をもつようになってきています。最大のテーマは「心の置き場所」なんです。だから、瞑想体験とか寺院が非常にブームを迎えているのだと思います。



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「思い出の摩尼」トークセッションの記録(2)


登録有形文化財とは何か

 浜田  それでは早速、本題のほうに入っていきたいと思います。2014年7月にこの摩尼寺境内の建造物が、国の登録有形文化財に答申されました。今日は最初に、摩尼寺境内の建造物についてお話を伺いたいと思います。ここにお集まりの皆さんの中には、登録有形文化財って何だろうと思われる方もいらっしゃると思いますので、最初に、浅川先生、登録有形文化財のことについて簡単に御説明をお願いします。
  浅川 7月に登録文化財答申がなされたときの新聞報道では「登録文化財に指定する」という見出しが踊っていました。この用語の使い方は完全に間違っています。「登録文化財になる」とか「登録文化財に登録される」というのが正しい表現なんです。「登録」というのは、登録原簿に掲載されること、リストアップされることですね。世界遺産も「登録」ですよね。世界遺産リストに掲載されるのであって、「指定」されるのではありません。
 「指定」とはどういう制度かというと、すぐれたものを探し出して、国や自治体が税金を投入して、維持管理・保全修復などをやるわけです。税金を投入するからには、指定の対象は完全に個人の所有物ではなくなりますので、規制が非常に強くなるわけですね。勝手に現状変更してはいけない。補助金を頂戴する代わりに規制が強くなるわけです。
 登録は指定とは違います。一種の顕彰制度です。表彰制度と言ったほうが分かりやすいでしょうか。文化財の所有者に対して「立派な文化財ですよ」というお墨付きをさしあげる。税金はほぼ投入されません。補助金はないと思ってください。その代わり規制は緩い。建物の外観を保全すれば内部はかなり自由に改修できます。
 登録文化財は阪神大震災を契機に生まれました。阪神大震災でおびただしい数の歴史的建造物が崩壊したのですが、行政的にそれらを救える手段がなかった。未指定建造物は壊れたまま元に戻せなかった。そこで、翌年(1996)に文化財保護法が改訂され、登録の制度が建造物の分野で先駆的に取り入れられたのです。多くの建物を「登録」しておけば、地震とか戦争とかの有事の際に被害にあった場合、税金を投入して救済できる。非常時にあっては、補助の対象になる。それは、被害にあった建物が国の登録有形文化財だからです。
 登録の基準は「築後50年を経過している建造物」で、①「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、②「造形の規範となっているもの」、③「再現することが容易でないもの」とされています。これは名目的な基準でして、実際には所有者・管理者が保存したいという意欲をもっているかどうかが肝心なんです。保護意識の高い物件は登録という制度に嵌りやすい。
  浜田 ありがとうございました。


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「思い出の摩尼」トークセッションの記録(1)

摩尼寺本堂・鐘楼・山門 登録文化財答申記念
「思い出の摩尼」トークセッション  
  摩尼山の文化遺産-登録文化財から登録記念物へ-
2014年11月29日 @摩尼寺善光寺如来堂


ごあいさつ -安楽律の道場

 田尻住職  こんにちは。この行事をやると聞いたとき、一番心配したのが天候と気温です。それだけが気がかりでした。今日、小雨程度で何とかトレッキングもできたようですね。気温もこの時期にしたら結構高い。本当にありがたい天気になってくれたと思います。
 このイベントは、摩尼寺始まって以来の行事になります。本当に浅川先生の長期にわたる御尽力のたまもので、今年、登録文化財に本堂等が登録されました。その御苦労の集大成が今日のこの行事ではないかと思っています。
 ちょうど昨年6月ごろから、摩尼寺の前住職が脳梗塞で倒れられました。3度目の脳梗塞でした。2度目までは1週間で退院されて、後遺症もなく無事復帰されていたのですけれども、3度目は目覚めもスムーズにいかないという状況にありました。山寺の住職にとっては一番大切な足首が十分に回復できないという後遺症にも悩まされていました。
 そういう状況の中で、急遽6月ごろから比叡山安楽律のほうで会合を迎えてきましたけれども、私は山門派になるのですね。天台宗山門派大雲院の住職をしております。摩尼寺は、言い伝えでは秀吉に焼き討ちに遭って灰燼に帰したということになっております。その摩尼寺を復興するのが大雲院の2代目栄春、3代目廣海、そして4代観海、5代観洞です。大雲院の住職を隠居してから、摩尼寺の再建を住職が交代でやってきました。2代~、4代の墓は源平茶屋さんの裏にあります。安楽律に改宗したのは5代目観洞和尚のときです。というのが、ちょうどその時代は、山門の僧侶が横暴になって堕落してきた風潮があり、古代の戒律を復興しようという活動が芽生えた時代だったのです。もう1回きちっと修行をしなければいけないという意識のもとに「安楽律」騒動が起こった。そういう時代に、修行の場として、摩尼寺を安楽律の道場にしようということになったのです。それ以来、摩尼寺はずっと今日まで安楽律です。
 江戸時代、本当に修行する僧が多かった。明治維新を迎えて、庶民によって、この摩尼山に皆さん方の御先祖の霊が宿るという信仰が芽生えた。そういう聖地として、摩尼山は再度見直されてきました。
 明治末に山陰本線が敷かれるころには、鳥取砂丘と摩尼寺を大々的に宣伝するというポスターなんかもつくられたようです。戦後20年後ぐらいまではまだお参りが多くあった。ところが高度成長時代を迎え、だんだんとお参りがなくなってきました。そういう中で、前住の紫田住職は一生懸命頑張ってこられました。この善光寺如来堂の復興をやり遂げられました。それが最大の功績です。と同時に、何とか摩尼寺の本堂や庫裏を守ってきた。その一方で、浅川先生が6年前から調査に入られて、いろいろと御努力なされて、今日を迎えたということです。
 摩尼寺は鳥取市民の財産と言うべき文化財ですが、余りにも皆さん方から忘れ去られてしまいました。それをもう一度しっかりと皆さん方に思い出していただきたいという、一つの起爆剤として今日の催しが計画された。それにこれだけ多くの皆さんにお越しいただきまして、本当にありがたく思っております。浅川先生、どうもありがとうございます。皆さん方もよくお越しいただきました。皆さん方の温かい御支援・御協力を引き続きお願いしたいと思います。それに、庫裏のほうは昭和18年の震災以来、修復ままならぬまま今日に至っています。何とか雨漏りだけは抑えました。これからまた復興をしていかんといけない。ひょっとすると、全国での安楽律院形式を残す唯一の庫裏になるかもしれません。それくらい貴重な庫裏です。これをぜひとも調査・修復したい。浅川先生、また御協力いただきますようお願い申し上げます。
 本当に今日はありがとうございました。(拍手)


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2014年度実績報告(1)

 まずは鳥取県環境学術研究費助成研究(環境部門B1301)から報告します。3年継続事業の2年目の活動について報告します。

研究課題名

  倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査
    -「歴史まちづくり法」よる広域的景観保全計画にむけて―


研究実施状況

 18世紀の倉吉陣屋絵図に含まれる「歴史的市街地」の範囲で土地利用の変化を把握しつつ、2014年度の調査対象地を鍛治町・河原町に絞った。鍛冶町・河原町の有形遺産(町並み・建造物・水路等)と無形遺産(地蔵盆等祭礼)の調査を併行して積み重ねた。この調査は自治会、河原町の文化を守る会、IJU大学、NPO法人めいりんNEXT100等の支援を受けたものであり、それらの組織および行政との交流を図るため、12月20日、鍛治町の大鳥屋(空家をIJU大学として活用中)において、第2回れきまち研究会「地蔵盆を未来へ」を開催した。第Ⅰ部は本助成研究の中間報告、第Ⅱ部は津山市の歴まち担当官の講演、第Ⅲ部は上記関係者数名によるパネル・ディスカッションをおこなった。
 一方、広島の竹原(歴まち・重伝建)、徳島の脇町(重伝建)、京都の上賀茂(同)、沖縄の渡名喜島(同)、群馬の桐生(同)など日本各地の先駆例の視察を続けた。
 長谷寺の研究も初年度から継続し、『長谷寺要用書記』後半を翻刻して建築史関係部分を年表化するとともに、本堂に残る巻斗の実測と科学的年代測定をおこなった。
 現在、2013~14年度の活動報告書を編集中である。3月1日には第3回歴まち研究会「まちの里山資本主義」を河原町天野種苗店ビニールハウスで開催し、今年度取り組んだ活動の最終成果を学生3名が報告する。


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第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」のお知らせ(3)

鼎 談

 今週の寅さんは奮闘篇で、マドンナの榊原るみが津軽出身の田舎娘を演じました。ラーメン一杯80円、東京~青森の乗車券が3000円だったころのお話です。その後、「限界集落株式会社」第4話へ。モチキビが野菜直販店の大ヒット商品になるという展開です。モチキビは中国で食べました。たぶん中原か西域だったな。日本で食べたことはありません。
 来週が最終回って、ちょっと展開が速すぎないか。モチキビが売れて、村に賑わいと安息の日々がしばらく続く。そういう時間をもう少し長目にとってほしいものです。これでは細腕繁盛記の圧縮版になってしまう?・

 さて、第3回れきまち研究会ですが、チラシを早く配布しないといけないという焦りから、鼎談のメンバーを「交渉中」としていましたが、昨日、光澤寺に電話し、ご住職に出陣を依頼しました。聞けば、里山資本主義の新書本は読んでおられるそうです。光澤寺さんの場合、「寺」という資産を最大限に活用して宿坊を経営されているわけですから、これも一種の里山資本主義ですよね。
 結果、鼎談のメンバーは以下の3人に決まりました。天野さんに半時間ほど話題提供いただいた後、鼎談は40分間ぐらいになるんじゃないかと思います。

   第3回れきまち研究会【鼎談】
     天野 博之(河原町の文化を守る会)
     浅川 滋男(鳥取環境大学)
     宗元 英敏(池中山光澤寺住職)

 わたしがいちばん知恵のない人間のような気がします。「限界集落株式会社」の話でもするかな。


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↑鼎談のメンバーを組み込んだチラシです。右の画面をクリックしてください。

Sugar 02

 申請書もシラバスも片づかないのに、1時間半トレーニングした。
 金曜の夜のジムは会員でごったがえしている。わたしは一人異質な存在だ。ださいジャージ、腹のでた体型、白い髭をたくわえた老人の風貌・・・なにより鏡がおそろしい。自分がまるみえだ。
 今夜で3回め。これまでは女性コーチと女性の会員に指導してもらった。ジャブ&ストレートのワンツーまでの基本の反復である。若い女性会員など、わたしを小馬鹿にしている感がある。下手糞な爺だと見下しているのだろうな、きっと。

 会員が多いので、コーチを独占することはできない。ひとりシャドーボクシングを始めた。ジャブとストレートを鏡にむかってゆっくりくりだす。しばらくして、店長が男性のコーチを呼び、わたしを指導するよう命じた。51歳の男性だった。自分より年上をジムで指導するのは久しぶりだと言われた。
 やさしいコーチだが、わたしのフォームは良くないそうだ。ジャブ、ストレートの基本を何度もなんどもくりかえす。パンチの打ち方、膝と腰の曲げ方、ガードを下げないで元の位置に戻す方法などをしつこいほど注意された。語り口は穏やかだが、誉められることはほとんどなかった。
 へとへとになりながら、鏡の前のシャドーボクシングで、コーチの手のひらにパンチを打ち続ける。しらぬまに、背面のリングサイドに女性会員が続々集まってきた。店長(女性)までもがそこにいる。
 なんだ、人を肴にだべってんのか。どうせ、オレは下手くそだ。ほっといてくれ・・・と僻みながら鏡をみる。3分間の練習時間が終わってへとへとになり、苦虫をかみつぶして振り向くと、ちょっとした拍手が巻き起こった。「すごい」「綺麗なフォームだ」とみなが言う。んなわけないだろ。ボクシング始めて3回目の爺がまともなパンチを打てるはずはない。男性コーチも特段誉めてくれるわけではない。
 しかし、若い女子たちは、どうやら感嘆の声をあげているようだった。これがおかしなもので、自分では上手いワンツーが打てるようになったとは思えないのである。とくに難しいのは、右ストレートのときの右足と腰の回転だ。良いときは右足と腰の回転でパンチが自動的にでるが、駄目なときは体が前のめりになって手打ちになってしまう。疲れると手打ちばかりになる。だから、背面の女性陣に誉められてもピンと来ないのである。


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第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」のお知らせ(2)

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山のあなたの肩先に

 第3回れきまち研究会のチラシができあがりました。作成者は講演する天野さんご自身です。すいません。主催であるわが保存修復スタジオから人影が消えてしまい、講演者に雑務をお願いするというはしたないことをしでかしました。
 スタジオの主たるわたしは、ようやく科研の書類送信を終えたんですが、シラバス、研究申請2本、教員自己評価などなどを激しく催促されながら、卒業研究展をみにいく顔をして(実際Nobodyと白帯を連れてったんですが)、そのままSugarへ。Sugarっていったい何なのかな? ひょっとして、シュガー・レイ・レナード??

 第3回れきまち研究会の次第は昨日のブログとともに、【↑右】のサムネイル画像をクリックしていただければ詳細が分かります。お問い合わせは、[email protected] もしくは 0857-38-6775 まで。
 ビニールハウスでのアバンギャルドなひとときを、お楽しみに。


   Über den Bergen, weit zu wandern     山のあなたの 空遠く   
   Sagen die Leute,  wohnt das Glück.     「幸」住むと 人のいふ


第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」のお知らせ(1)

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ビニールハウスで研究会

 昨夜はSugarでトレーニング後、シャワーも浴びず、演習室に戻って学生のパネル制作に朝までつきあって、明け方帰宅したんです。学生たちはそれからまだしばらく粘って、早朝展示会場でパネルの設営をした模様です。
 展覧会が始まり、演習室から4年生の影が消えました。ひとり採点の作業を続け、さきほど入力をほぼ終えたところですが、小腹すいたので、ケントの机の上においてあるカップ麺に手がのびてしまった。こういうことすると、ヤツは切れるという噂を聞いてますんで、お賽銭しといたんですが、気づいてくれるだろうか。

 さてさて、年度末は長いようで短く、短いようで長い。まだいろんなことがあります。まずは第3回れきまち研究会のお知らせです。前回のテーマは「地蔵盆を未来へ」でしたが、今回は「まちの里山資本主義」を主題にします。前半はゼミ生の卒業研究による今年度活動の最終報告、後半は天野博之さん(河原町の文化を守る会)が「まちの里山資本主義」について実体験に基づいて話題提供されます。じつは、いま講演者にチラシづくりをお願いしているところでして、完成次第ブログにアップします。以下、概要です。


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  第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」

 日時:  平成25年3月1日(日)午後1時~
 会場:  天野苗木店ビニールハウス
        〒682-0924 鳥取県倉吉市河原町1801
 次第:
  13:00 主旨説明
  13:10~13:50 第Ⅰ部 倉吉の歴史的風致に係わる調査研究の成果報告
                     【鳥取環境大学保存修復スタジオ】
    ①山家拓臣(卒業制作)「打吹玉川 -白壁小路の宿-」
    ②岡田知佳(卒業論文)「鍛冶町・河原町の町並み保全にむけて」
    ③藤井祐里(卒業論文)「地蔵盆を未来へ伝えるために」         =休憩=

  14:00~15:00 第Ⅱ部 まちの里山資本主義

    話題提供: 天野博之(河原町の文化を守る会)
    鼎   談: (出演者交渉中)


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↑地域猫でまちづくり?

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Sugar 01

 白帯の修士研究発表はぎりぎり及第点でしたが、しまりのない質疑応答でした。先生方が質問する音声は聞いているようだが、その意味を脳が理解していない。ニヤニヤダラダラ、おかしな応答を繰り返した。
 前回もそうだが、本人は客席の反応をほとんど感じていない。そしてまた、今日も巨大なパフェをぺろりとたいらげた。

 18日、つまり明日から「最後の卒業研究展」です。

   日程: 2月18日(水)~2月22日(日)
   会場: とりぎん文化会館フリースペース

 17日夕刻、そのレセプション・パーティがありました。例年通りのささやかな催しでしたが、わたしは「感慨深い」という短いスピーチをしたあと、これからボクシング・ジムに通うことを全員に宣言したんです。
 そして、本当にそのままボクシング・ジムに行きました。奈良で買ってもらったジャージを身に纏い、フットサル・シューズを履いた。軽くストレッチするも、体は曲がらない。異常に硬くなっている。
 それから、女性インストラクターによる指導が始まった。素手のまま基本の構え、ジャブとストレートの打ち方を学び実践する。左の軸足は安定させ、右足はかかとを浮かせたままにして、膝を折る。ストレートはその右足が内股になるよう回転させながら打つ。しばらくして、グローブをつけた。いいパンチとそうでないパンチは手応えが違う。
 パンチを放ってすぐに拳をガードにもどす・・・ことができなかった。なんども注意された。左手は目の下、右手は頬の前におく。最後はサンドバッグを相手にした。3分が長い。なんどもなんどもワンツーを打った。

 目標は単純。痩せること、腹をひっこめること、血圧を下げることである。
 今日は1時間で肩凝りが取れた。夜の誘惑がなければ、明日も行こうと思う。


15218卒業研究展1

学長の探し方

 携帯を下宿に置き忘れて奈良に帰り、数日ぶりに下宿で手にした。着信はもとより少ない。少ないなかに広島の知人の名前があった。音信不通の同業者である。
 広島出身のゼミ生を3名抱えているものだから、その話かと思ったりした。電話したが、でない。その5分後、当該の人物から電話があって「試験中だからまたあとで」と息を殺している。あらま、うちの学生が大学院入試でも受けているのかしら、と案じて研究室にあがると、全学生が顔を並べて卒業研究展のパネルを作成していた。

 半時間ばかりして、その人物から電話がまたあった。おかしな話さ。

   「学長の探し方、教えてください」

というのである。そんなの知らないよ。しばらくして、候補者の名前が2名でた。T0とH0である。全共闘世代の二人は反骨精神の塊のようで、じつは権力欲の塊であることを今やだれもが知っている。この二人に絞るならH0がいい。間違いない。

   「でも、若い時分、お江戸でだいぶオイタされてるみたいでして・・・」

 みんな似たようなもんだろ・・・じゃぁ、T0にするか? ありゃ神保ないぜ。

   「そうなんですよ、鰰ふってたみたいですし・・・、わたしも好きじゃない」



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スター誕生

 帝京対東芝は、東芝が途中で勝利を確信したのか、気を抜いたようで、後半はまたしても帝京がトップリーグを攻め込んだ。東芝はもっと横綱相撲しないとね。最後はタッチにボールを蹴りだしてお仕舞いって、学生チャンピオンに対して失礼でしょ。みたくない光景でした。

 その後しばらくして、カーリングの日本選手権決勝が始まった。全然オーラが違うし、体格もちがった。開始前から勝敗のみえたゲームでした。吉田が常呂に帰るしかなかったわけだ・・・それにしても、両方のスキップはミスが多かったね。二人ともオリンピック経験者なのに、何度も空振りしてくれました。いつものことではあるけれども、あれでは国際トーナメントに勝てませんやね。

 そういう落胆を補って余りある光明がきらめいた試合でした。カーリング界に新しいスターが誕生しましたね。噂には聞いていたが、ここまでの選手とは。3月に世界選手権デビューするわけですが、ミュアヘッドやオットーも驚きそうな逸材だ。いまはサードだけど、巷間で囁かれているように、将来の日本代表スキップ最有力候補の一人でしょう。



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純情篇-限界集落

 ハッピ・バレンタイン!
 女房からチョコもらいました。要らない、と言ったの。無駄に血糖値があがり、肥満がさらにまし、高血圧や糖尿を導く。チョコは要らんから、トレーニング・ウェアを買ってほしいと頼みました。駐車場サッカーも山登りもやらなくなり、スロージョギングは寒くて面倒で(30分だけ走ったけど)、わたしはついにあるスポーツに手を染めることにしたんです。だから、トレーニング・ウェアが要るんだ・・・

 さてさて、純情篇のマドンナは若尾文子でした。このレベルになると、寅さんだろうとだれだろうと手が届きませんよね。だって、バロックの美だから。雲の上の殿上人だ。黒川紀章以外は届かない。バロックの美なんだから。
 途中でチャンネルを変えたんだ。BS1でカーリングの日本選手権をやっていたからね。寅さんは録画で視ました。吉田ちなみが北銀を退社し、LS北見に移籍してサードを務めている。サードが吉田で、スキップが本橋。あんまり上手だとは思えなかったな。明日、北銀との決勝です。北銀は苫米地、吉田が辞めた後、近江谷(T青森)と吉村(札幌国際大)を補強している。
 わたしの理解している限りの情報を書いてみます。小野寺と吉田は常呂中学校時代、バンクーバー五輪代表のチーム青森を破っている。LS北見のメンバーは本橋がT青森、他の3名が常呂中のメンバーのようです。北銀は、ご存じのように、小笠原(小野寺)と船山(林)がチーム青森、吉村は常呂高校で小野寺のチームメイト。要するに、上から下まで常呂出身で、世代闘争やっているようなものだ。中部電力の藤沢も常呂出身で小野寺・吉田と同年の生まれだが、中高・所属チームが異なっており、チーム再編の波の外にいるのかも。個人的な偏見ですが、わたしは藤沢さんと船山さんを組ませるべきだと考えてます。


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2014年度研究申請

 ある研究申請を終えました。いまごろ書く研究申請は来年度のものだと思うでしょ。
 それが今年度のものなんですよ。残された時間は一月半しかない。その間に予算を執行しなければならない、という、おかしな研究申請です。
 研究課題名は「安楽律院系仏教美術と建造物の調査研究」としました。
 なんのことやらわからんでしょう。わからんでいいのです。だって落ちるかもしれないもんね。
 結果は1週間後にお知らせします。




大学院修士研究報告会のお知らせ

 学部の公聴会を終え、今度は大学院修士研究の研究発表会です。ご存じ白帯くんの最終報告であります。これまで2度の中間報告では、胃痛で倒れ、棒読みで滑り、質疑で嗤われるなど、艱難辛苦の人生を歩んできました。指導教員として、ここまでサポートせねばならぬか、とあきれ果てたことも数知れず。
 しかししかし、ここだけの話なんですが、日日是修行の成果が芽生えてきております。最近なかなか好調なんです。良いデータにも恵まれています。すでに概要も書き終えています。ひょっとしたら、最後はやってくれるのではないか、と密かに期待しているところなんですが・・・
 今年度から修士研究と1年次中間発表が同日開催(13:00~16:05)となりました。日時・会場等は以下のとおりです。


   発表者: 中島俊博(大学院環境デザイン領域)
   演 題:  科学的年代測定による中近世社寺の建築年代に関する基礎的研究
   日 時:  平成26年2月17日(火)15:00~15:30
   会 場:  鳥取環境大学14講義室


 長谷寺、八幡神社などの年代測定でもたらされた最新の情報がついにベールをぬぎます。
 多数のご来場をお待ち申し上げます(ただし、学内の研究会ですので、質疑への参加はご遠慮ください)。

アルハンブラ

 今日は祝日らしい。なんの祝日だ?
 3年生に集合をかけていた。今日は祝日だからたぶん集まらないだろう、と「たかや」で大盛りのもりをたくり、遅刻して演習室に顔をだすと、3年生は全員揃っていた。
 後期の成果を受け取っていない。課題の割り振りをした。すでにしているが、再度調整した。

 4年生は一人もいない。白帯は隣の部屋に隠れていた。
 
 白帯に海外旅行を薦めた。ここで出かけないと、二度と海外旅行なんてできないぞ、と問うたが、「無理だ」という顔をして、相手にしない。5泊6日で77,000円のイタリアツアーの資料もみせた。気がついたら、ゴミ箱に捨てられていた。
 
 わたしゃスペインです。アルハンブラでギターを聴くんだ。ギター買うかもね。NBoxより高かったりして・・・


キアラ

 公聴会を終えてくたくたです。
 いちばんの難関は松原田中遺跡。準備は当日午前にまで及びました。準備を終えた他の学生たちが、深夜続々帰宅するなか、何名かが研究室に残って、フォローを続けました。わたしは早朝5時前に帰宅したの。雪が本降りで、道路は滑るし、家の駐車場は積雪ありで、踏んだり蹴ったり。それでも、この時間に帰宅できたのは幸運なほうだったみたいです。いちばん大変だったのは社長でしょうね。なんでも社長より先に本人が帰宅しようとしたらしい。
 ここまでフォローする必要もないとも思うのですが、県東部の考古学・文化財関係者をお招きしていたもので、低レベルのプレゼンはできません。半年間以上お世話になった方々が揃う前で転ぶわけにはいかない。結果、フォロー係の苦闘が続いたわけです。

 最後の公聴会にASALAB伝統の建築考古学が復活したことに感慨を覚えていました。復活したのは学生のおかげです。だから、その学生には感謝しています。これまでチャック、エアポート、ガードなどがこの分野に挑んで、瞠目すべき成果をあげてきました。ただ、建築考古学に傾斜しすぎるとブレーキがかかる。だれがブレーキをかけるかと言えば、ほかならぬわたしです。「復元」という仕事に染まりすぎてはいけない、という抑止の力が自ずと働き始めるのです。
 建築考古学の対極にあるのは、民家・町並み・文化的景観の調査研究でした。こちらの担い手は、タクオ・社長のほかは女子学生だったですね。みな良い仕事をしてくれました。今回もセッさんが倉吉の町並み研究に取り組んでくれて、発表の先陣を切った。重鎮たちは、午前に発表するセッさんとユートの発表を聴いてくれました。ほんとうにありがとうございます。


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明日は公聴会

 明日は公聴会です。鳥取環境大学建築・環境デザイン学科最後の公聴会。わたしが抱えている4年生は5名です。うち4名は最終練習をクリアしました。1名がとんでもない状態です。間に合うか、ギブアップか!?
 まぁ、こういう状況は慣れてるっちゃぁ・・・慣れてます。白帯の修士研究中間発表は、いつでもスサまじかったですかんね。その白帯がいまサポートにまわっている。サポートにまわったときの白帯は頼りになります。日給1000円で研究室に残ってくれないか、と真剣に懇願したりして・・・

 その白帯、最後に大魚を釣り上げましてね。
 今日もまた科学的年代の成果が飛び込んできましたよ。某寺院前身建物の巻斗の年代は13(~14)世紀でした。予想していたとおりの年代です。国英神社の梵鐘も微笑んでいるでしょう。
 その前がまた凄かったんです。
 某神社の蟇股は12(~13)世紀、同じく神像は10(~12)世紀、狛犬は16(~17)世紀を示しておりました。昨年度、放射性炭素年代測定は空振りが多かった。今年度は救われましたよ。これから頼るのは古巣の年輪年代測定と炭素14だけにします。いくらお金がかかっても、年度内にきちんと成果を出してくれるのが有り難い。
 パレオさんに感謝!




フットボールとしてのラグビー

 チャンネルをまわすと、帝京大対NECの試合をしていた。帝京は大学選手権六連覇中、NECは社会人トップリーグの10位である。帝京はNECを押し続けた。「圧倒」というほどではない。NECは帝京の攻撃を押し返す力を十分もっていた。
 違いはスクラム・ハーフである。2012年に「奈良のオールブラックス」を終了間際に葬りさった1年生のスクラムハーフが4年になって主将を務めていたのだ。これは手強い。ハーフの力量差は歴然としていた。

 もうひとつ鍵を握るのは天候である。雨でグラウンドは重馬場になっていた。キックのボールが止まったり、変な動きをする。この日はキックで勝負が決まるだろう、と予感していた。キックの配給者は、スクラムハーフとスタンドオフである。この点においても、あの忍者のようなハーフがチームを制御する帝京が有利にみえた。はたして、終了5分前にスクラムハーフはノールック・パスでNECディフェンスの裏を切り裂き、決定的なトライをもたらした。

 雨の日にラグビーはフットボールになるのね。ラグビーはハンドパスのスポーツだと言われるが、重馬場でのキックは試合を決定づける。イングランドは湿っぽい国だからね。田圃のようなグラウンドを走ることとフットボールの成立は深く関係しているのだろうと思った次第である。

望郷-限界集落

 チャンネルをまわすと、昼下がりのBS171で「フーテンの寅さん」望郷篇をやっていた。じっくりのんびり鑑賞してしまいました。暇なわけではないの。体がまだだるいのです。ジョギングにでなければ脳梗塞で死ぬのではないか、という杞憂を抱きながら、だるさが気力にまさる。映画やiPadに長時間依存してしまいます。
 望郷篇は寅さんの第五作で、調べてみると、昭和45年(1970)8月の作品。デコイチの哀愁は桁はずれですね。そして、妹のさくらが若くて綺麗だ。賠償さんの全盛期かも。マドンナがなかなか出てこないので、初期の寅さんはさくらがマドンナ役を兼ねてたんかと錯覚するほどでした。しかししかし、後半になって真打登場。浦安のマドンナ長山藍子さん。長いポニーテールにカッターシャツ、長目のミニスカート。こういう清楚ないでたちにこそエロチシズムの極意があるのねん。垂涎の的とはこのことだ。
 寅さんは、いつものように、マドンナにふられます。マドンナかっぱらっていくのは井川比佐志。こちらも若くて精悍です。
 その後、筋書きを与えられているように、夜の「限界集落株式会社」へ。

 主人公の娘、大内美穂(松岡茉優)の育ての親が、ばあちゃんの長山藍子。その夫で、亡くなったじいちゃんが井川比佐志なんです。望郷篇から45年を経て、二人ともまだ生きていて、夫婦を演じている。凄いことですね。
 野菜の規格外品をグラム売りで販売するのは、どこでもやっているんだろうか。身近に似たようなものはないかなぁ。



人ごとではない自分がいたりするわけです・・・ 

ぶっつけ本番口コミ旅

 河原町のドクトル天野が出演する番組の詳細が判明しました。

 NHK広島制作「ぶっつけ本番口コミ旅」です。

  【前編】 2月10日(火)午前11時30分~
  【後編】 2月17日(火)午前11時30分~

 前編は、なんと、公聴会でセッツァンが発表しているあたりの時間ですね。録画するしかありません。

 ところで、おそらく3月初旬に第3回「れきまち研究会」を河原町のビニールハウスで開催することになりました。学生3名(岡田・藤井・山家)の発表を前座にして、天野さんに「まちの里山資本主義」と題するミニ講演(話題提供)していただき、意見交換しようと思います。
 正式な広報はいずれまた。

【放送日変更のお知らせ】
 「放送日に国会中継があるので一週遅れの24日の放送になる」との連絡がNHK広島からあったそうです。ご関心をおもちの方は、事前の放送予定等をチャンネルで確認し、録画予約されるのが間違いないと思います。
 なお、ドクトルは文学青年であったらしく、以下のサイトをご紹介くださいました。

https://dl.dropboxusercontent.com/u/35587749/web/kyaraboku/kyaraboku201501.pdf

 自由律俳句を楽しまれているようです。

2015卒業研究公聴会のお知らせ

 卒業研究公聴会のタイムテーブルが正式に確定しました。公聴会の開始時間と開場は以下のとおりです。

  日時 : 2/10(火) 10:30~
  会場 : 学生センター2F 多目的ホール (6212・6213室)
  発表時間 :15分(発表12分、質疑3分)+交代(論文:1分、制作:2分)

 ASALABは以下の5名が発表します。環境デザイン学科~建築・環境デザイン学科最後の公聴会です。みなさまのお越しをお待ち申し上げております。


 11:34~  1116002  岡田知佳 (論文) 
  倉吉市鍛冶町・河原町の町並み景観に関する基礎的考察
    -建築的・空間的課題と保全計画の展望-

 11:50~  1116011  中田優人 (論文) 
  松原田中遺跡で出土した地中梁と布掘堀形の分析
     -古墳時代前期の大型高床倉庫に関する復元研究-

 13:00~  1116016  藤井祐里(論文)
   「地蔵盆」を未来へ伝えるために
      -空洞化する歴史的市街地の無形遺産に係わる事例研究-

 13:16~  1116021  吉田健人(論文)
   フィールドワークに基づくブータン洞穴僧院の基礎的考察

 15:45~  1116018  山家拓臣(制作) 
   打吹玉川 -白壁小路の宿-  Utsubuki-Tamagawa Side street Inn


立川稲荷神社

150121立川稲荷01


 米子八幡神社拝殿は棟札と様式から寛政11年(1799)の再建であることがほぼ確認されています。管見の限り、「県内最古の拝殿」ではないか、と思っているのですが、いんやちがう、とお思いの方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんか。
 たぶん二番目に古いのが文化2年(1805)棟札写しの残る大神山神社奥宮本社拝殿(重要文化財)、その次が文化10年(1813)の棟札を残していたのに今はない聖神社幣拝殿(県指定文化財)であろうと思っておりました。ところが、昨年、摩尼寺本堂・鐘楼・山門とともに登録文化財に答申された立川稲荷神社の拝殿に寛保元年(1741)の棟札が残されていることを知りまして、会長最終講義の日(1月21日)の後、4人(先生、会長、ノバディ、僕)は立川稲荷神社を訪ねました。
 立川稲荷神社は稲荷神社(祭神:保食神)と北野神社(祭神:菅原道真)の二つの神社が合祀している因幡地方唯一の神社です。もともと稲荷神社は立川村の産土神でしたが、第3代鳥取藩主池田吉泰の産土神が江戸の築地稲荷であったことから、立川村の稲荷大明神を祭祀し、神殿の造営をしました(岡島正義『鳥府志』江戸後期)。その後宝暦3年(1753)に第5代池田重寛が社殿を造替したとされています(『因伯大年表』大正6年)。
 合祀以前の北野神社は、稲荷神社の隣(北側)に鎮座し、竹嶋天神を祀り、旧藩主池田公の崇敬された神社です。寛永9年(1632)鳥取と岡山がお国替えとなり、初代鳥取藩主池田光仲が備前国児島郡竹嶋山の綱敷天神を修験者林榮法印に銀80枚を遣わし移遷させ、寺号を「竹嶋山松雲寺」社号を「竹嶋天神天満宮」とし、90石の寺領を与え社殿を創建しました(池田仲博宛「参詣願御願書」明治32年)。寛保元年(1714)に第4代藩主池田宗泰が因伯両国から寄附を募り社殿を建立します(「寄附願諸言」明治39年)。


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 二つの神社が合併した背景には、大正の時代に入り、稲荷神社は敷地が狭く急な石段を上る不便さと、北野神社(竹嶋天神)は広い敷地をもつものの荒廃が進んでいたことから、両神社を大正6年(1917)に合併の流れとなりました(本殿説明板)。その際、旧北野神社敷地を整備し、大正10年(1921)に新本殿を建て南にあった稲荷神社をこの地に移し、現在に至ります。拝殿は、寛保元年(1714)の北野神社(旧竹嶋天神)の社殿を一度解体し、本殿部分を取り除き、再度組み立て新しい拝殿としているようです。そのためか、向拝の繋虹梁、本体の組物や高欄は18世紀に遡っておかしくない様式を示していますが、軸部の背は高く、向拝正面の虹梁型頭貫の絵様なども新しくなっています。拝殿は近代社寺建築であり、寛保の材は一部にしか使われていないということですね。
 一方、米子八幡神社拝殿は、昭和40~41年の日野川大改修にともなう造替で位置を遷し、基礎をRCにして、板蔀をガラス窓に替え、内部に畳を張っていますが、全体としては寛政の姿をよくとどめています。こちらは紛れもない近世社寺建築であり、再び管見の限りでは「県内最古の拝殿」の座にあるものと思われます。(白帯)。


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↑上:18世紀の様式を示す向拝繋虹梁、下:朱色の高欄

豪州アジア杯(6)

 アギーレが解任された。
 結果ベスト8では異議申し立てもできない。
 ベスト4なら・・・同じだね。
 準優勝なら・・・豪州を破って韓国に負けたたことになる。
 やはり解任だ。

 優勝していたら・・・
 開催国と韓国を連戦で倒した監督を協会は切っただろうか?


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近世布掘建物

0129近世布掘03


 29日の最終講義後、寒さに震えつつ、遺跡見学へ。
 どうです、見事な布掘でしょう。弥生時代終末期・・・ではありませんで、江戸時代、それも幕末に近い時期と推定されています。6尺1間の棟門だと思います。角材地中梁に角柱をホゾさししています。
 2本の柱だけで棟木をうける構造を礎石建で成立させるのは困難であり、幕末にあっても掘立柱にして構造を安定させていたわけです。そもそも布掘とは何か、と言えば、1)地中梁によって柱の不同沈下を防ぎ、2)布堀掘形内部の土壌改良により柱筋の地盤を強固にする、ことを目的としています。布掘はいわゆる地業でもあるわけです。
 体調芳しくなく、寒さに震えておりましたので、十分ばかりで現場を跡にし、ダウラにしけこみキームンを啜りました。じつはまだ治らないの・・・


0129近世布掘02

0129近世布掘01

天才ギタリスト

 チャンネルをまわすと、「天才ギタリスト」デビュー30周年の番組をやっていた。短いパンツを穿いた50歳ぐらいのスタジオ・ミュージシャンがライブで主役になっている。
 姿勢を一見して、「天才ギタリスト」でないことはすぐに分かった。

 松たかこの旦那さんなんだね。女優は男だから、こういう人が相手でよいのかもしれません。
 それにしても、この人いつから「天才ギタリスト」なんだ?

 スタレビのあたりから馬脚をあらわし始めた。
 根本が「ギター上手いけど、歌は下手だ」っていうんだ(本心じゃない)。
 「木蓮の涙」アコースティック・バージョンで、佐橋がリードをとる。
 不要ですね、こんなリード。
 スタレビでギター競うなら「ふたり」だよね。根本の方が上手い、あきらかに。
 そのあとチャーがでてきた。なんで呼ぶのかな。力量差歴然。
 呼んでいい人といけない人がいる。


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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