切支丹灯籠を訪ねて(4)-東昌寺
灯籠が掘り出された場所(本堂前)
鹿野町酒津の東昌寺
17日は気高町酒津まで足をのばし、東昌寺の切支丹灯籠を調査した。切支丹灯籠は本堂の南東の一角に他の石造美術と集合して祀られている。ご住職によると、灯籠は現本堂建立の大正期以前よりあり、地下から発掘されたものである。東昌寺は、明治に宝木の大龍院の第3代住職が開いた修行場であり、江戸時代中頃に漁師が海から拾ってきた観音石像を祀ったのが起源とされる。当寺は禅宗(曹洞宗)だが、切支丹灯籠をお守りしている。地下から掘り出されたことで、地霊=土地神として意識されているからだ。キリスト教徒の参拝はほぼないという。
灯籠の基壇は横465㎜×330㎜×高さ135㎜、台座は横300㎜×縦230㎜であり、基壇からのチリは70㎜。灯籠下端は横230㎜×190㎜であり、基礎からのチリは30㎜。灯籠の竿は上部が横220㎜×縦185㎜であり、中台との境目にあるくびれは横幅180㎜。竿の下部にある龕は基礎から120㎜に下端があり、下部の横幅125㎜、上部の横幅115㎜を測る。中の像は裾幅70、頭は横幅30㎜、長さ52㎜であった。中台中央は横300㎜×縦180㎜、上部は横200㎜×縦193㎜であり、高さは220㎜であった。中台の上面には火袋との取り組みを良くするためのホゾ穴があり、横60㎜×縦50㎜を測る。
東昌寺でコピーをいただいた竹内慎治「酒ノ津の切支丹灯籠」によると、灯籠の中に刻まれる像はアーチ型イエス像とされる。また、灯籠の近くには地蔵堂があり、5~6体の地蔵石像が祀られている。このうち等身大の地蔵様は「子安地蔵」と呼ばれ、右手にかわいい子供を抱いており、マリア地蔵としてキリシタンの信仰の対象となっていたと考えられる。
切支丹灯籠と子安地蔵の資料
調査を通じて、宗教的立場が違うと異教のシンボルに対する扱いも変わることを知った。一行寺(浄土宗)や聖神社(神道)は切支丹灯籠を邪教の礼拝物として厄介者扱いしているが、東昌寺(曹洞宗)では地下より発掘された一種の奇瑞として信仰の一部に汲みこんでいる。ここでも禅宗がキリスト教に寛容な姿勢を示しているのだが、それが宗派によるものか、近代という時代相によるものかは、なお不明なところがある。(デミグラス)
《連載情報》 切支丹灯籠を訪ねて
(1)興禅寺 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2844.html
(2)観音院 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2856.html
(3)一行寺と旧松田重雄邸 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2878.html
(4)東昌寺 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2879.html
(5)松田家スクラップ・観音院茶室再考 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2891.html