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イベリア・イスラム紀行(Ⅰ)

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 エイプリルフールにこの記事を書こうとして、ほったらかしになったまま、4月も晦日を迎えましたね。
 私、卒業式翌日深夜には関西空港におりまして、ドーハ経由でスペインを旅してまいりました。変な男と道連れになりましてね。細くなった寅さんのような人でした。じつは、イスラム系の広島人で、愛称はアルさん。本名は Al-hatani と書くらしい。
 御歳60歳になって会社を退職したばかり。退職金は雀の涙ですが、どうやら貸家をしているらしく、そのおかげであちこち世界を旅しておられるのだそうです。
 ドーハもマドリッドも雨でしたが、コンスエグラの白い風車を経て、コルドバに至るころには晴れ間がひろがってきました。コルドバのメスキータ、グラナダのアルハンブラは世界建築史の視点から評価しても突出した存在ですが、これについてはいずれまた(語る機会があるだろうか?)。


ドンキほー手圧縮CIMG7648


 上の写真はコンスエグラに近いベンタ・デル・キホーテという古い旅籠で昼食をとった後の記念写真です。どうですか、シュガー効果は凄まじいもので、わたしはドン・キホーテ並みの体形を獲得した次第です。撮影はアルさんです。手ぶれがひどいのね。

 さて、シュガーですが、すでにジム通いは30回を超えました。ジャブ&ストレートの反復を脱して、ようやく左フックの練習に移行。右ストレートが右足(後足)のつま先を軸にして体を左回転させるのに対して、左フックは左足(前足)のつま先を軸にして体を右回転させるのであります。ジャブ、ストレート、左フックの順にパンチをスムーズに出すのはなかなか難しい。精進しますよ。
 

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↑ベンタ・デル・キホーテの中庭

阿修羅追悼

 ブルー・コメッツのベーシスト江藤勲とプロレスラーの阿修羅原の物故をペースノートで知った。前者は一時期黛ジュンの夫であった方のようだが、淡い記憶しか残っていない。阿修羅原のことはよく覚えている。90年代前半、龍原砲の活躍は凄まじいものだった。が、映像としていちばん記憶に残っているのは、原が国際プロレスのジュニアヘビー級のエースとして新日の同級王者、藤波辰美と対戦した試合だ。こちらは龍原対決だね・・・
 原は引き締まった体形をしていて、とても俊敏な動きをした。藤波と比較して遜色のない存在感を誇示していた。勝負ははじめから決まっていたのだろうが(もちろん藤波の勝ち)、ラガーマンでもここまでやれるのだというオーラをみせた一戦だった。よく覚えているのは、藤波を背骨折り式のバックブリーカーで担ぎあげ、そのままバックドロップ式にマットに叩きつけた技である。

 新日本プロレスがプロレスのブームを呼び覚ましつつある。恥ずかしながら、深夜の放送を録画しているのだが、スピード感溢れる技の連続にもいまひとつなじめない、醒めた自分がいる。
 レスラーたちはみなロックンローラーのような風貌と装束をしている。カッコいいのかもしれないが、どこにも「男の凄み」を感じられない。賭博に溺れた原のような男がさ、「そこが渡世人のつれぇところよ・・・」と呟いては消えていく昭和のプロレスをもう一度・・・





2014年度実績報告(3)

研究種目: 平成26年度鳥取環境大学特別研究費助成研究
代表者 :   浅川 滋男
研究題目: 摩尼寺境内建造物の総合調査
      -登録文化財・登録記念物にむけての基礎的研究-


【研究概要】

 摩尼寺(鳥取市覚寺)境内に含まれる本堂・仁王門・山門・鐘楼・庫裡・三祖堂・閻魔堂・善光寺如来堂を対象に実測・写真撮影・調書取りをおこない、また境内全域の建物配置をトータルステーションで測量し屋根伏図を作成した。
 2013年度後半から調査を進めていた本堂・山門・鐘楼については、2014年春に文化庁に対して登録文化財申請をおこない、6月に文部科学大臣に答申がなされ、新年1月に官報告示がなされた。本堂は安永7年(1860/棟札)、山門・鐘楼は明治中期(財産台帳)の建築である。いま問題となっているのは、傷みの激しい庫裡である。文政六年(1823)の棟札を残す境内最古の建造物であり、県内最古の庫裡である可能性もある。現在、市教委文化財課と保存対策を協議中であり、「登録」よりも「指定」で対応しようという方向で検討中である。
 文科相に対する答申の報を受け、2014年より門前の住民を主体とする「摩尼寺保存会」を組織し、2014年11月29日に本堂・山門・庫裡の登録文化財答申を祝う摩尼寺紅葉トークセッション&境内コンサート2014「思い出の摩尼」(摩尼寺保存会主催)を開催した。トークセッションでは、3棟の登録文化財認定を受けて、今後は庫裡の文化財指定および摩尼寺「奥の院」遺跡の登録記念物へむけて活動を移行していく方向性を確認した。


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ブータンのおはなし『メンバ・ツォ -炎たつ湖-』刊行!

炎立つ湖02表紙 炎立つ湖01表紙



 昨年後期のP2&P4「初級英語で読むブータンの絵本」で作成した翻訳資料をもとに学内内部資料として表記の絵本を刊行しました。 
 本書の構成は以下のとおりです。

   1.メンバツォ -炎たつ湖
      コラム1 「用語解説」
      コラム2 吉田「フィールドワークにもとづくブータン洞穴僧院の基礎的考察」
               (『卒業研究成果集』2015:p.34-35)
   2.メトの大冒険
      後記

 原著の図書情報は こちら を参照してください。訳本の図書情報は以下のとおりです。

   書 名: メンバツォ -炎たつ湖
   編集・発行: 鳥取環境大学保存修復スタジオ
   印刷所: 株式会社 矢谷印刷所
   発行日: 平成27年3月20日
   総頁数: 76ページ

 これで年度末に汗を流した3冊の報告書と1冊の絵本がでそろいました。どういうわけか、ケントが奈良に来ており、昨夜は社長を呼んで刊行祝賀会を催した次第です。いろいろ情報交換が進みましてね。デモネスはデパ地下にいて、切ない想いを内に秘めながら、性も懲りずにつぶやいている。円を切り線を断ち、新しい世界のデモネスとなっていくのでしょう。馬場は抜かれたのです。

ブータンの民話(2)

まえがき(その1)

 ブータンの伝統では、物語や神話、伝説は教えられるものではありません。それらは熟知され(ブムタンカ語の shigai )、人口に膾炙しています(ゾンカ語の tangshi )。私にとって、こういう普及と熟知のコンセプトには大きな意味がありました。物語の語り聞きは継続的なプロセス(熟知)であり、物語を普及させるために生きいきとして、力強いものでなければならないことを意味しています。それゆえ物語は、物語を伝え広める人たちの心の中だけでなく、物語を聞く人たちの心の中においても、生きいきとして継続的です。こういう口承は、ある世代から次の世代に伝わるものですが、世代間をつなぐ継続的な生きた糸なのです。【SS】
 タン・ウゲン・チョリンで過ごした幼少期の9年間はとても短いものでした-とりわけ両親と過ごした時間は。封建領主(藩主)の義務はけっして単純ではなく、領民を支配することの複雑さと繊細さのなかで生き抜くためには、一定の貢献や犠牲が必要でした。わけても重要なことは皆を満足させ、村に調和をもたらすことです。この仕事は私の両親の時間を奪っていきました。私はいろんな面で村の多くの友達より少し良い生活を送っていたのかもしれません。しかし、私は確実に両親と過ごす貴重な時間を奪われていました。両親の不慮の死によって、その状態はさらに悪化しました。私は一日のうちごく限られた時間しか両親と一緒にいることができなくて、残りの時間は一人ぼっちで過ごさなければなりませんでした。だから、私は村の他の子供たちがするのと同じことをしました。空想ゆたかで想像に満ちたゲーム【訳注:物語の語り聞き】です。結局、私は村のすべての子供たちとごく普通の絆でつながれていたのですが、その絆とは物語、伝説、神話への強い愛だったのです。【YZ】
 いま物語の語り聞きの集まりを懐かしく思い出します。夕陽の下、大人と子供たちがウゲンチョリン地主家の西門の畑にくつろいで円座になり、語り手の一つひとつの言葉を夢中になって聞いている様子が目に浮かびます。また、ラワン【銅製のランプ皿】の光がきらめくなか、木炭の入った火鉢を囲んで座り、物語を聞いた夕べもありました。きらめく灯が光と影のしじまをつくると、物語のイマジネーションは生きいきとして真実になります。私たちの想像力と空想に限界はありません。同じ物語を何度もなんども聞くことができましたが、まるで初めて聞いたかのように夢中になったものです。物語は深く私たちの人生に踏み込んでいるので、よい語り手なら聞き手のあらゆる感情を呼び起こすことができました。悲劇には沈黙の涙、滑稽なエピソードには笑みがこぼれ、不正には怒り、そして英雄の勝利には成就の喜びを覚えました。幼い子供たちが横になり、大人の膝を枕にして心地よい眠りに落ちることもありました。つまり、この集まりは誰でも仲間になることができ、楽しく、そして意義深いものでした。残念ながら、そのとき私はまだ集まりの重要さに気づいていませんでした。【YH】

報告書『思い出の摩尼』刊行!

報告書 表紙  報告書 裏表紙


 この報告書は、2012年度鳥取環境大学特別研究費「摩尼寺奥の院遺跡の文化資産保  護と環境整備計画」及び2014年度鳥取環境大学特別研究費「摩尼寺境内建造物の総合調査-登録文化財・登録記念物にむけて-」の成果をまとめたものです。摩尼山・摩尼寺の報告書としては、『摩尼寺「奥の院」遺跡』(2012)、『聖なる巌』(2013)に続く3冊目になります。おもに鳥取環境大学紀要に掲載した一連の論文を転載したものですが、「付録1」として昨年秋に開催した「摩尼寺紅葉コンサート2014」トークセッションの記録を掲載しています。わたしは付録1の紙面レイアウトを担当しました。報告書の編集は2月以降の約1ヶ月間でした。長いようで短く、なかなか苦戦しましたが、わたしなりに努力したつもりです。

 以下、図書情報です。

  書   名: 思い出の摩尼 -建造物の調査と景勝地トライアングルの構想-
  編   集: 浅川滋男
  発   行: 鳥取環境大学保存修復スタジオ  
  印   刷: 株式会社勝美印刷
  発 行 日: 平成27年3月31日
  総 頁 数: 83p.

 目次は「続き」に掲載します。入手希望の方はご一報ください。(ココア)


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晴耕雨読(Ⅱ)

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シシ肉と原木栽培シイタケの調理実験


 こんにちは。このたびの記事は、ASALAB新3年生の「くらのすけ」が担当させていただきます。
 4月22日(水)。今年度2回目の3年ゼミは裏山の茶室付近にある畑で先日に引き続き夏野菜の苗植えをしました。茶室までの道のりは起伏が大きく、相変わらず険しかったです。畑に目をやると、1週間経過しただけでちょっと雑草が生えていました。足りなかった「花と野菜の土」はケント先輩が買い足してくださっていて、それを菜園に撒いて畝をつくり、仮植えしていた苗を等間隔になるように植え直しました。これから夏場を迎え、どんどん暑くなります。畑の面積も拡大し、作物の管理は大変ですが、元気に育ってほしいので、水やりなど定期的に欠かさずやっていきます。


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 その後、原木から収穫したシイタケの調理実験に移行しました。この日は1年にチューター会(第2回)も併行しておこなわれ、タンポポ珈琲の減量(つまりタンポポ)の採取を終えた1年生も調理実験に合流。1年、3年、4年、院生に加え、隣の研究室から美女2名も飛び入り参加して、先生はご機嫌なご様子・・・


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摩尼山~砂丘ミニトレイル(Ⅱ)

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林道を下り往く

 4月17日(金)。いよいよP7の活動が始まりました。4年生と大学院生、先生の計8人でトレッキングに出かけました。天気も良く空気がからっと乾いていたため、絶好のトレッキング日和でした。ただ、前日の雨で地面がぬかるんでいたところもあり、足元に注意しながらトレッキングを楽しみました。
 まず摩尼山麓にある立派なお墓の説明から今回のトレッキングがスタートしました。江戸時代、大雲院のご住職が引退すると摩尼寺の住職となり、没後摩尼山の麓にお墓が作られた、とのことです。この墓地を出発点として、先日先生が車で走破された林道を湯山集落まで下っていきます。林道はほとんどがアスファルト舗装されていましたが、一部に舗装されていないところもありました。トレッキングが始まってしばらくは土がむき出しの林道を上がっていきました。道のわきに倒木が連続し、その周辺には背の高い潅木が生い茂り、林道はまったく整備・清掃されていません。先生は、この秋に鳥取市街地から摩尼山を経由して砂丘に至るトレッキング大会を構想中のようですが、それまでにこの林道が整備されんことを願うばかりです。


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 土でぬかるんだ坂道も一区切りつき、下りに差し掛かるとまもなく舗装された林道があらわれ、歩きやすくなりましたが、倒木などは相変わらずです。この道中では海側に素晴らしい眺めを見ることができます。鯨島を含む日本海の景観を一望できるのです。そうして日本海を眺めながら道を下っていくと、湯山の集落が視野に納まり、同時に山肌の緩傾斜地に梨畑がひろがります。ちょうど袋かけ前の交配をおこなう満開の季節で、白い花が桜のように咲き乱れています。梨園の周囲を折れ曲がって山道はくだり、いろんなアングルから梨園の表情を観察することができました。


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↑↓梨園の風景
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ごあいさつ

大森の町並み ←大森


 ご無沙汰しております。ASALAB第1期卒業生の清水拓生(タクヲ)です。
 今回はご報告があり、LABLOGの場をお借りして、このような投稿をさせていただきました。
 私ごとではありますが、今年度4月より大田市職員に正式に採用され、石見銀山課配属の文化財技師として勤務することになりましたのでお知らせします。
 このブログでの最後の投稿は、遡ること2年前。「退職のご挨拶」にて、大学職員の退職並びに大学院修了の報告をしていましたが、その後の2年間は島根県庁に勤務し、このたび世界遺産と2つの重伝建地区を有する島根県大田市で、それらに関わる仕事を得た次第です。
 採用の情報を得たのが昨年末。そこから、ある人物との雌雄を決する対決を経て、内定通知をいただいたのが2月下旬ということで、2015年にはいってから慌ただしい日々を過ごしておりました。今、こうして大田市の職員として文化財行政に携わることができるのも、公募の情報を提供いただいた教授、会長のお陰と思っております。また、転職に際しては、前職場の方々にもご理解をいただきました、この場をもって、厚く御礼申し上げます。
 新しい職場でもより一層の情熱をもって望む所存ですので、今後とも変わらぬご指導、お付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。お近くにお越しの際は、ぜひ大田市へもお立ち寄りください。
 それでは、短い挨拶で恐縮ではありますが、転職のご報告とさせていただきます。(タクヲ)


温泉津の町並み ←温泉津

ブータンの民話(1)

 4月16日(木)、15年めのプロ研(1&3)が始まりました。1年生8名、2年生9名の大所帯です。以下、シラバスを抜粋転載しておきます。

<テーマ>  初級英語で読むブータンの民話
<概要>  昨年後期のP2&P4ではブータン昔話の絵本「炎立つ湖」の翻訳に取り組みました。ブータンの小学生が読むやさしい英文の翻訳です。今回は昨年と同じ著者クンザン・チョデンKunzan Chodenが著した『ブータンの民話 Folktales of Bhutan』を少しずつ和訳しようと思います。この書物には40話の短い民話が納められています。1話の長さは3~4ページ。全訳などまったく考えていません。学生に大きな負担のかからないレベルで翻訳を進め、発表会では翻訳文に注釈をつけてパワーポイントでプレゼンします。

<到達目標>
1. 短い英文の昔話(民話)を題材に、初級英語の基礎を再確認する。
2. 小学校高学年でも読めるような、読みやすい訳文を考え、日本語表現力を高める。
3. 訳本の画像スキャン、切り張り、編集などのスキルを身につける。
4. 一つの民話を集団で輪読して訳し、わかりやすいストーリーを描きあげることで、コミュニケーション能力を高める。
5. 昔話(民話)を通して、ブータンの環境と文化の理解につとめる。
6. 全員協力して、翻訳した昔話のストーリーを発表する。

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晴耕雨読(Ⅰ)

0412茶室の畑01開墾前01 0412茶室の畑024年生02茶室01


「茶室」菜園の拡張と仮植え

 4月15日(水)。今年度最初の3年ゼミは裏山の「茶室」背面にある菜園で活動しました。昨年のP1&P3「ハーブの茶法」の舞台となった小さな畑です。今春はハーブではなく、夏野菜を植えることになり、前日、先生とケントさんが苗類を買いそろえておいてくださいました。農具をもって菜園へ行ってみると、冬野菜の大根と水菜が黄色い花を咲かせており、小松菜も間引き菜のような大きさに育っていました。なんでも、正月明けに先輩たちが収穫しようとした際は雪で跡形もなくなっていたそうです。大根、水菜、小松菜の葉っぱ根ごと引っこ抜き、あとで事務員の方や学生が美味しくいただきました。


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 昨日までに買い込んだ苗はとても多く、畑を拡張することになりました。まずは斜面の開墾です。残っていたミニ切り株を取り除く作業をしたんですが、これが大変でした。照葉樹の根っこはじつに強靱で、横にも縦にも張りめぐらされています。周りの土を細い根っこごとほじくり返し、のこぎりの歯を入れるスペースをつくって太めのを切断し、そして最後は面倒くさいので手で強引に引っこ抜きました。切り株を除いた後は、穴を埋めて「野菜と花の土」を追加し、肥料をまきました。そして土を混ぜ、畝を作ったのですが、11袋の土では全然足らなくて、この日は苗を仮植えすることで作業を終えました。


0412茶室の畑03開墾01土入れ 0412茶室の畑024年生
↑(左)土入れ (右)4年生はブルーシートを畳んで、カマドやシイタケ原木の整備をした。


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満員御礼! 米子八幡神社講演会

150412 八幡講演 式典01  150412 八幡講演 社務所01


統一地方選の日に

 4月12日(日)、米子八幡神社の春季例大祭にともなう講演会「米子八幡神社の棟札と拝殿・蟇股の年代」が開催されました。統一地方選当日の行事であり、客足が心配されましたが、ごらんのとおりの満席状態でした。
 この日、神社では午前から平成28年遷宮にあたっての「仮遷宮工事安全祈願祭」をしており、わたしたちが昼過ぎに到着したころ祭礼はクライマックスを迎えつつありました。講演会の会場は拝殿です。拝殿が式典で使用されていたため、準備ができるようになるまでのあいだ式典をただただ見とれていました。


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神饌所にもスクリーン

 統一地方選の当日でもあり、講演会の来場者はまったく予想ができませんでした。前日、新聞報道があり、客足がのびることも予想されたので、前夜、わたしはひとりで資料の増し刷りをしておりました。祭礼の参加者は20名程度でしたが、終わりに近づくにつれ人の数は増えていきます。講演の記帳者は43名でしたが、神社・氏子などの関係者、研究室関係者も含めると50人を超える人数となりました。拝殿に収容できるのは30人前後です。予め拝殿に隣接する神饌所(結婚式場)にもプロジェクターとスクリーンが設置してあり、また、音声は境内の屋外にも流れるようにしてありました。拝殿に入りきらなかった方々にも講演の内容が視聴できるように工夫していただいていたのです。おかげで、拝殿はもちろん社務所も埋まるくらいの満席とあいなった次第です。


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報告書『近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究』刊行!

ブログ用報告書表紙 ブログ用報告書裏表紙

 2013年度鳥取環境大学特別研究費「近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究」(代表者・浅川)を下準備にして、2014年度に鳥取県環境学術研究費(地域部門)に採択された「近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究」(代表者・宮本)の成果がはやくも実を結びました。 
 わたし自身は調査にほとんど関与していませんが、2月から3月にかけて報告書編集に尽力しました。報告書作成の期間は短いようで長く、長いようで短かったです。いうまでもなく、白帯さんの修士論文が中心となって成立した報告書です。白帯さん、本当にお疲れ様でした。この一年、ともに行動させていただきましたが、白帯さんに何度助けられたことか、両手両足の指の数では足りません(笑?)。
 まずは図書情報から。

   書   名: 近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究
           【ASALAB報告書第29集】
   編   集: 浅川滋男・原島 修
   発   行: 鳥取環境大学保存修復スタジオ  
           ℡&FAX 0857-38-6775             
   印   刷: 株式会社 矢谷印刷所
   発 行 日: 平成27年3月31日
   総 頁 数: 130p.

 入手希望の方はご連絡ください。


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報告書『倉吉の歴史まちづくり』刊行!

kurayosi-hyousi.jpg kurayosi-urabyousi.jpg ←表紙と裏表紙。クリックすると拡大します。


 2013年度から3年計画で調査研究を続けている鳥取県環境学術研究費(環境部門B1301)「倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査-歴史まちづくり法による広域的景観保全計画にむけて-」の2冊めの報告書が刊行されました。1冊目は昨年度末に刊行した『「長谷寺要用書記」翻刻』(ASALAB報告書第27集)です。
 2冊めの報告書『倉吉の歴史まちづくり』(ASALAB報告書第28集)は、本文第1~5章が2013年度におこなった倉吉市制60周年記念事業などの講演記録、口絵・付録が2014年度卒業研究・修士研究の成果概要となっています。私自身、2月には編集作業に携わりました。いちばん驚いたのは会長さんの第2章の原稿が3月1日の第3回れきまち研究会に提出されたことです。会長担当のバス男くんが風邪をこじらせて倒れてしまったので、私がピンチヒッターで紙面レイアウトをさせていただきました。それも今では懐かしい?思い出です。
 以下に図書情報と構成を示します。

   書 名: 倉吉の歴史まちづくり
   編 集: 浅川 滋男
   発 行: 鳥取環境大学保存修復スタジオ
   印刷所: 株式会社 矢谷印刷所
   発行日: 平成27年3月31日
   総頁数: 99ページ

 目次は「続き」に掲載します。入手希望の方はご一報ください。(キー)


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米子八幡神社春季例大祭にともなう講演会のお知らせ(3)

150411日本海(八幡神社広報) ←クリックすると画像が拡大します


講演会は明日です

 表記講演会が明日(12日)に迫ったので、リマインド記事を公開しようとしたところ会長からメールがあり、新聞記事になっていることを知りました(↑)。
 主催者にはなんの断りも取材もない記事です。会場提供者が独断で取材に応じ、記事にしてしまうとはね・・・12日は、幸か不幸か、統一地方選挙でして、さほど客足も見込めないだろうと思っていました。会場も狭いですし、もともと氏子さんと本学公開講座常連さん(西部地域)ぐらいにしか案内を出していなかったのですが、こういう新聞記事がでると、ひょっとするとひょっとしますね。さきほどケントに電話し、配布資料を追加するよう指示したところです。

 記事中の誤りを一つ指摘しておきます。記事では「木を切り出した年代が平安時代までさかのぼることが確認された」と書いてありますが、年輪サンプルのいちばん外側(最外資料)の年代が平安時代であっただけで、伐採年代は鎌倉時代まで下る可能性は十分あります。情報を流した側も取材した側もこういう重要な点に気づいていない。そんな状態で記事にする必要はないんです。ひっそりと学術研究の報告をしたかっただけなんですが、いきなり攪乱され、あまり愉快ではありませんけど、やるべきことはもちろんきちんとやります。
 以下、リマインドです。

   講演会「米子八幡神社の棟札と拝殿・蟇股の年代」

 日 時: 2015年 4月12日(日)春季例大祭後の午後2時~4時
 会 場: 米子八幡神社 拝殿 
       〒689-3535 米子市東八幡276  
          ℡0859-27-0339 Fax.0859-27-0339
 講 演:  1.原島 修(地域史研究家)
         「棟札からみた八幡神社の造替」
        2.浅川 滋男(鳥取環境大学教授)
         「科学的年代測定と様式-八幡神社拝殿蟇股を中心に-」 
        3.コメント 眞田 廣幸(倉吉文化財協会会長・鳥取環境大学非常勤講師)

 お問い合わせは八幡神社(℡0859-27-0339)、もしくは鳥取環境大学保存修復スタジオ(e-mail: [email protected])までお願いします。


20150412八幡神社講演会01チラシ_02圧縮 20150412八幡神社講演会01チラシ_01
↑右の画像をクリックすると拡大します

摩尼山~砂丘ミニトレイル(Ⅰ)

0404摩尼山01門前のソメイヨシノ01


シイタケの明暗

 4月4日(土)、おおいに活動した。午前中は大雲院で協議。この宝物をいかに調査研究するか、あるいはまた摩尼寺とどのように結びつけるか、しばらくの課題になりそうである。
 ダウラで昼食をとり、ひとり摩尼山へ(会長には逃げられた)。前日、大学裏山の茶室周辺で栽培しているシイタケを収穫した。その数、百数十枚。ただし、実りが過ぎていて、半渇きになっている。しかし、N先生も、E先生も、学部マダムたちも、ロンさんの友人(女子学生)も、みな喜んでシイタケを持ち帰ってくれた。ただ、分けてほしいと泣きついてきたT0だけは相変わらずの無礼千万。「サルノコシカケ」と言いおった。結局わたしの分は1枚も残らなかった。


0404摩尼山02奥の院02椿01 0404摩尼山02奥の院01全景01

 
 「奥の院」でもさぞかし多くのシイタケが収穫できるだろうと期待したのだが、はたしてその数は20枚ばかりにすぎなかった。シイタケ泥棒からホダギをかくまうため、森のなかに栽培地を移したことが裏目に出たようだ。陽光が少なく湿度が高いので、ホダギが腐り始めている。難しいものですね。また今年も種駒を植え付けるか、どうしよう?
 シイタケはさておき、「奥の院」の心地よさと言ったら言葉ではあらわせないほどだ。雨上がりの春の日差しのなかでベンチに腰掛けると動けなくなる。雪解けの季節だからまだ雑草も生えていないし、ツバキは満開の季節を迎えている。やはり境内よりも「奥の院」だねぇ。こんな良い場所を知っていることを自慢にしたいが、秘密にもしておきたい。


0404摩尼山03小泉友賢の墓02 0404摩尼山03小泉友賢の墓01
↑小泉友賢の墓

0404摩尼山04林道から望む日本海02 0404摩尼山04林道から望む日本海01
↑林道から望む日本海と鯨島



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考古学で現代を見る

考古学で現代を見る

 エイプリルフールの夜、鳥取を引き上げてきた社長にイスパニアのお土産を手渡した。ピカソ美術館で手に入れたカフェ「クアトロ・ガッツ(4匹の猫)」のポスターである。クアトロ・ガッツは青年時代のピカソが足繁く通ったカフェだが、130年以上前に閉店した。今のお店は、1980年代にクアトロ・ガッツを再現したものである。
 ピカソ美術館でピカソの絵を堪能して思うに、この大芸術家の作品は、時代に即して作風を大きく変えているけれども、どの時代の作品であれ、見る者に勇気を与えてくれる。生きる力を絵画から吸収できる。たまたま催されていた特別展「ダリとピカソ」もみた。ダリは病気ですね。精神の均衡をあきらかに失っている。そこが良いのかもしれないが、少なくとも、作品をみた私は憂鬱になり、三半規管と神経のバランスを失いそうになった。
 対して、ピカソの絵にはポジティブな力がある。未来に向かって歩んでいこうというエネルギーを感じるだけでなく、見る者の気持ちが前向きになる。どんな媒体であれ、こういう作品を残したいものだ。社長にもそういう建築設計をしてもらいたい。

 帰国後、年度末報告書の大量のゲラを始末させながら、『考古学で現代を見る』を少しずつ読み進めている。出国前にお贈りいただいたのだが、いろいろ考えたあげく、スーツケースにはいれないことにした。私の場合、旅先でなくしてしまう危険性が十分すぎるほどあるからだ。
 本書は書き下ろしではなくて、さまざまな媒体に書かれた随想のオムニバスだが、どの小篇を読んでも作者の感覚の鋭さと知識の深さに圧倒される。こうした大きなスケールで「考古学」という学問領域を語れる人材は作者以外にいないであろう。とても読みやすい本であり、考古学・文化財関係者にとどまらず、多くの方に読んでいただきたい。

 あくまで個人的な感覚でしかないのだが、20世紀終盤の「文化」が21世紀の「環境」に入れ替わる時代にわたしたちは生きていて、わたし個人は「環境」大学に所属しているが、今でも「文化」もしくは「文化財」の研究者であることにややとまどいを覚え始めている。最近どういうわけか、「文化」は右翼的で、「環境」は左翼的だと考えることがある。どちらに対しても愛着や興味はもちろんあるのだけれども、正直なところ、辟易としている自分もいる。このことについては、いずれ稿を改めて書く機会があるかもしれないし、ないかもしれない。わたしの駄文などどうでもよくて、『考古学で現代を見る』を一読すれば、少なくとも文化財の抱える社会的・国際的課題が十分見通せるだろう。
 作者による次の一作を心から期待して已まない。

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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