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田中淡著作集書評-第2巻⑥

第二部4 中国造園史における初期的風格と江南庭園遺構

 中国の庭園は明代以降、とりわけ清末~民国時期のものがほとんどであり、日本庭園との差はあまりにも大きい。ときに、日本料理と中華料理の差違に譬えられるほどの懸隔がある。しかしながら、田中さんによると、庭園史の淵源を辿るならば、中国の庭園は現状とは大きく異なり、むしろ日本の自然風景庭園に近い時期すらあったという。だから、本来は歴史学の他分野と同じように、明代以前の庭園の状況については、①文献的研究、②考古学的研究が必要であり、さらに③現存遺構の史料批判が求められる。造園史研究が内外を問わず、様式論的な整備に未熟であるのは、庭園という対象そのものの特性に起因する部分も少なくないが、敢えて中国庭園の初期的な風格(様式)の実体に迫るために有効な方法論を模索する。以上が本論の問題意識と目的である。構成は以下のとおり。

Ⅰ 庭園の原型と風景の伝統 p.416-
Ⅱ 初期の風景庭園
 1 秦漢時代の初期私邸庭園 p.421-
 2 六朝時代の自然風景庭園 p.425-
Ⅲ 明清時代の江南庭園遺構と初期的造園手法
 1 仮山 p.430-
 2 石峰 p.437-
 3 苑池 p.441-
 4 取景 p.443-

 結論をまとめておく。中国庭園の初期的風格には早く失われて今日に伝わらない要素が少なからずある。たとえば、中島と橋を伴う苑池を中心とする配置構成、白砂鋪きの汀岸処理、土を主とする築山(仮山)、点景としての素朴な自然の庭石、遠借を主とする借景の手法、名勝の景観の模倣などである。これらのなかには、平城京宮跡庭園、平城宮東院庭園跡、毛越寺庭園(岩手)などの古代日本の遺跡に比較的よく往古の姿をとどめるものがある。中国の初期庭園と明清代の江南庭園で一つの画期となるのは、おそらく石だけの築山や太湖石などの奇石峰などが主役に躍り出る宋代ころであろう。
 読後感を述べると、結局、中国庭園の通史を読まされたという印象。序論で示した、①文献的研究、②考古学的研究、③庭園遺構の史料批判、の方法のうち②③は不可能であり、①に頼るしかない。その考証は相変わらず凄まじいものだが、この長文についていくのは大変である。
 いったいこの難解な通史を誰が読むのか。論文刊行後、いつものように抜き刷りをいただいた。奈文研平城宮跡発掘調査部の遺構調査室(建築史)と計測修景調査室(庭園史・造園学)のすべてのメンバーに配付された。建築史の研究者は庭園を鑑賞することを好んでもその学術性には不案内であり、庭園史・造園学の研究者は中国に関心がない。あるときほぼ同年代の庭園史研究者とこの論文について語らう機会があった。その庭園史家はあまり肯定的な感想を漏らさなかった。森蘊以来の奈文研庭園史学は測量、発掘、整備に明け暮れてきた。泥まみれの人生である。そうした現場主義を通してこそ、研究者のなかで庭園が肉体化していく。文献だけで何が分かるというのか。実体感はほとんどない。そういう意地のような気概が、その人物の発言に滲みでていた。この「実体感」の問題は田中史学を説く一つの鍵になりうると私も感じており、最後に再論したいと思っている。【第二部書評完】


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田中淡著作集書評-第2巻⑤

第二部1 中国建築・庭園と鳳凰堂 ー天宮飛閣、神仙の苑池

 『平等院大観』 第一巻(一九八八年)に含まれる論考であり、日本建築史の研究者にとって最も馴染み深い一篇と思われる。若くして読んだときにはただただ感服したが、このたび読み返して少し違和感を覚えた。
 まず当然のようにして、平等院鳳凰堂と似た建築構成を示す敦煌莫高窟の浄土変相図を俎上にのせ、両者の差異とともに、中国で実在した浄土伽藍があるか否かを論じる。もちろん、そうした作業が無意味だとまでは言わないけれども、莫高窟の壁画を過大評価してはいけないと思う。その壮麗さからして、莫高窟は浄土変相図の起源地のような錯覚を与えるが、敦煌は西域の僻地にあったからこそ、古い文物・遺構・絵画等を残したのであって、常識的には、最初に仏画を描いたのは長安・洛陽など国家の中心地であった可能性が高いであろう。古代の日本にはその中心地からの影響はあったろうが、莫高窟からの直接的影響は考えにくい。なにより浄土変相図を論じるならば、まず仏画のもとになった経文を解読しなければならない。極端な話、仏教絵画が伝来していなくとも、経文の内容を反映した絵画を描くことはできる。たとえば、いわゆる古代の浄土三曼荼羅は『観無量寿経』もしくは『阿弥陀経』の画像化だが、最古の当麻曼荼羅(当麻寺)のみ中国製の可能性が高いものの、智光曼荼羅(元興寺)と清海曼荼羅(超昇寺)は日本人の画工の手になるものとされる。そこには莫高窟の浄土変に似た建造物群と池が描かれている。
 また、田中さんは空間構成の比較の前提として、浄土伽藍としての平等院鳳凰堂の特徴を、「とりあえず苑池の形態や尾廊を除外して、おおよそ、正殿と左右に拡がる歩廊およびそこから前方に伸びる翼廊によるコ字型平面の建築と、その前面に配される苑池によるもの」(p.344)と理解するが、これなら沢田名垂による「寝殿造」の定義となんら変わらない。さらに、「苑池の形はいずれも方形もしくはそれを基本とする整形であって、曲池をなすものはみられない」(p.348)とする点も気にかかる。後で述べるように、浄土変の場合、曲池か方池かが問題ではなく、池水に楼閣・仏像等が浮かんだ結果として、池が方形にみえるにすぎない。また、尾廊を排除して空間構成を考えるのは、鳳凰堂の本質的理解を妨げることになる。ここで経文に立ち返ろう。『仏説阿弥陀経』に言う。

  極楽国土に七宝の池あり。八功徳水そのなかに充満せり。池の底には
  もっぱら金沙をもって地に布けり。四辺の階道は、金・銀・瑠璃・玻璃を
  合成せり。上に楼閣あり。また金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲・赤珠・碼碯
  をもって、これを厳かに飾る。

 これを建築と苑池の関係に凝縮してみると、八功徳水の充満した七宝池の上に楼閣が建っているということである。その姿を表現したのが敦煌莫崗窟初唐205窟「阿弥陀経変」であり、日本では元興寺の智光曼荼羅である。とりわけ前者の線画をみると(蕭黙『敦煌建築研究』1981)、呆れるほど鳳凰堂とイメージが重なり合う。平等院鳳凰堂は曲池の中島にたつ建造物群だが、先年の発掘調査により護岸を洲浜にした当初の中島がはるかに小さいことが判明した。対岸からみると、鳳凰堂の下に島が隠れてしまうほどであり、結果として、鳳凰堂は池から浮いているようにみえたと想像される。まさに「七宝の池の上に楼閣あり」である。
 もう一つ重要な経典がある。『観無量寿経』に言う。

  もし至心に西方に生まれんと欲する者は、まずまさに一つの丈六の像が
  池水の上にいますを観るべし。

 ここにいう無量寿とは阿弥陀のことである。より厳密にいうと、古代インド仏教やチベット仏教では、アミダは一つではなく、アミダーユス(無量寿)とアミダーバ(無量光)に分けられる。前者を強調したのが平等院であり、後者を強調したのが平泉の無量光院である。無量寿とは「無限の命」を意味する。平等院の場合、神仙世界の不死鳥「鳳凰」が仏教的「無量寿(無限の命)」の表象となり、中堂の棟の両端に二尾の彫刻を飾り、翼楼と尾楼によって鳳凰を平面で表現した。田中説に従うならば、鳳凰堂など浄土伽藍・庭園の特徴は、敦煌莫高窟の唐代壁画に描かれた寺院図よりも古い時代に遡り、「むしろ北魏の仏寺・宮苑と一致する要素が認められ、その天宮・飛閣を多用する建築と苑池を主要な要素とする庭園の形式はむしろ中国古来の神仙思想を背景として好んで採用されたもの」(p.363)である。
 古代インドの仏教思想を復元的に理解しようとする場合、漢語訳の仏典はチベット語訳ほど評価されない。チベット語は文法・語彙などの側面でサンスクリット語等に近似し、サンスクリット原文の直訳とみなされるのに対して、漢語仏典は意訳的な部分が少なくなく、翻訳にあたって道家・道教・神仙の影響が認められるという。いまチベット・ブータン仏教の研究に手を染めている評者の認識としては、仏教はチベット・ブータンの前仏教/非仏教系の土着的信仰を殲滅するのではなく、仏教の内部にとりこんで温存しつつ再生しているのだけれども、中国においても前仏教/非仏教と仏教の関係はこれに類似するものであったろう。無量寿(仏教)を鳳凰(前仏教)で表現するのはこうした動きの一つとみなしうる。
 これと関連して、隋唐時代を中国仏教の全盛期とみる見解(p.348)には賛同できない。中国は仏教国ではない。仏教の隆盛は南北朝時代でピークを迎え、隋唐時代にはその反動として衰退を招く(円仁の還俗を思い出されたい)。隋唐時代にあって全盛をきわめたのはむしろ道教であり、道教の前提として大衆を魅了したのが不老不死の神仙思想である。ただし、平等院の苑池を神仙的自然風景庭園とみなす点には逡巡する。田中さんは、浄土庭園を広義の「寝殿造系庭園」に含めた森蘊の考えを評価し、「苑池の中に中島を置く配置形式が定型化しているのは、古代・中世の中国にあってかつては正統的であったが、後世に廃れた要素であって、それは、古代の神仙世界としての中島が、形を変えて見出したものかもしれない」(三六二頁)と述べる。
 寝殿造庭園における曲池の中島を道教的な蓬莱・瀛洲などの神仙島に見立てる解釈は頷ける。しかし、平等院庭園にそうした神仙島は存在しない。あるのは平等院鳳凰堂の敷地となる島であり、その島の存在意義は楼閣や仏像を池水上に浮かせてみせることであった。平等院の島は『阿弥陀経』や『観無量寿経』の極楽浄土を立体的に表現するための地盤であったとみなすべきであろう。平等院鳳凰堂は、もちろん中国仏教の影響を受けていないわけではないけれども、平安時代中期までに日本にもたらされていた経典や浄土変相図の知識があれば建立しえた建築だと思う。実際、中国に類例と呼ぶべき寺院建築は存在しない。否、一つだけある。雲南省昆明の円通寺だ(pp.362-363)


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田中淡著作集書評-第2巻④

第一部4 中国建築からみた寝殿造の源流

 1981年に京都の山城高校の敷地で、左右ほぼ対称コ字形の平安初期建物跡が発見され、注目を集めた。これを福山敏男氏が「寝殿造の祖形」と評価し、中国「四合院」系住宅との系譜を説いたことはよく知られていよう。寝殿造とは幕末の国学者、沢田名垂が『家屋雑考』で説いた平安貴族の住宅のことで、対称コ字形の殿舎群が前庭苑池と複合する点に特徴がある。ところが、文献から復元される東三条殿などの平安後期貴族住宅はコ字形の対称性が大きく崩れており、平安京右京三条一坊六町(藤原良相邸)や同右京三条二坊十六町(斎宮邸)などの発掘遺構にもコ字形殿舎配置は確認できない。名垂の説く寝殿造とのイメージギャップは小さいものではなかった。その点、平安京右京一条三坊九町(山城高校遺跡)や同右京六条ー坊五町(京都リサーチパーク遺跡)などで平安初期の対称コ字形殿舎群が発見されたことは驚きであり、ついに沢田名垂説が裏付けられたという感想も漏れ聞えたのだが、よく考えてみれば、これらの遺構は正殿に近接する苑池を伴わない。ついでに述べておくと、これらの遺跡において生活関係の遺物はほとんど出土しておらず、遺構の性格を「住宅」と断じてよいか、なお疑問の余地が残る。
 田中淡さんの「中国建築からみた寝殿造の源流」(1987)は福山説を補強すべく執筆依頼された論考である。田中さんは、寝殿造の原形を「三合院」にほかならない、として、また圧倒的な類例を呈示する。しかしながら、評者は寝殿造の原形を三合院に求める思考をやや短絡的だと思っている。三合院との直接的関係を論ずるならば、まず検討すべきは紫宸殿を中心とする内裏の空間構成だと思うからである。皇族の住宅が中国三合院の日本的表現だとするのはよいとして、貴族の住宅はさてどうであったろうか。
 奈良時代貴族住宅の代表例として長屋王邸宅(平城京左京三条二坊一・二・七・八坪)をとりあげてみよう。長屋王邸の中心ブロックでは正殿(寝殿)と東の脇殿(対屋)2棟から構成されるL字形の配置に特色がある。他の貴族住宅においても、対称コ字形を呈する例はない。全体として、東側に重心をおく構成であり、西側はひとつ奥のブロックに西宮(後宮)があって、動線としては中国的な南北軸ではなく、古墳時代的な東西軸の存在を読み取りうる。庭との関係をみると、長屋王邸で苑池遺構はみつかっていないが、南側の左京三条二坊六坪(宮跡庭園)には洲浜と曲池を伴う庭が発見された。この庭は出土した土器1点の年代観により、長屋王存命時より一時期遅れるとみなされているが、わたしは長屋王の庭であった可能性も十分あると考えている。
 宮跡庭園の年代観はさておき、寝殿ブロックから離れたどこかに苑池が存在したはずである。これが九世紀前半の山城高校遺跡や京都リサーチパーク遺跡では対称コ字形(三合院)的殿舎配置に変わるものの、やはり苑池は寝殿ブロックから離れた場所にあったと推定され、京都市埋蔵文化財センターは未掘の敷地隅に庭を想定した復元パースを描いている。これが平安時代後半の摂関期になると、非対称コ字形の殿舎群と前庭曲池が融合し、名垂の説く「寝殿造」と近しい構成になる。殿舎の前方に池があるわけだから、南からのアクセスは不可能になり、東西の動線が強化される。里内裏としての東三条殿の場合、東の中門が正門であり、東対は寝殿的な天皇の空間に包含され、本来東側にあるべき東宮(皇太子の御在所)は西北隅においやられる。こうしてみると、平安後期の寝殿造は南北の軸線ではなく、東西の軸線を重視しており、それは奈良時代貴族住宅の系譜の上に捉えうるものであるかもしれない。
 田中さんの論考は、中国三合院・門闕等の資料集成としては大変価値あるものだが、「寝殿造の源流」と銘打つからには、苑池と複合する殿舎群の古代中国の類例を示していただきたかった。庭を得意とする田中さんだけに残念である。著作集としては、第2巻第2部の庭園諸論でこの課題はクリアされる。


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田中淡著作集書評-第2巻③

第一部3 比例寸法単位「分」の成立 李誠『営造法式』、喩皓『木経』と人体尺度

 中国では、北宋の官式建築マニュアル『営造法式』に係わる研究は過去も現在も盛んである。国際学会に出席すると、『営造法式』と実在の建造物の比較を多くの研究者が発表する。大型のプロジェクトも進行中のようだ。田中さんはそうした『営造法式』の研究動向に警鐘を鳴らす(以下、引用は圧縮要約)pp.117-118

  中国の建築史学会では、近来とみに個別の建築遺構を調査し研究するさい、
  あたかも『営造法式』をバイブルかのように扱い、各遺構の構造形式・寸法
  比例をその記載と対比して、その差異の多寡を指摘して事足れりのような類
  の論文が頻出しており、研究方法じたいがマニエリスムに陥っていることも
  否めない。『営造法式』は決して絶対的な指南書ではなく、あくまでも当時の
  官撰の要覧手引書であることを改めて確認しておく必要があるだろう。 

 こうした定型化した対校研究ではなく、『営造法式』に含まれる部材寸法比例の「材分」制度について考究しようとする研究もあらわれ始めていた。「材分」制度とは何か。すべての官式建築において、材(桁)は八等級に分けられ、各「材」の成の15分の1を「分」という相対寸法単位とする。「材」の等級の変化により、「分」の絶対寸法は変わるが、相対的な寸法比は変わらない。この場合の分は絶対寸法としての分(ブ fen1)とは異なるので、田中さんは相対寸法単位の分(フン fen3)を分と表記する(『営造法式』原文では表記差なし)。当時、中国の若手研究者が分に注目し、諸説萌芽し始めていたが、田中さんは、その多くは思いつきのレベルだとして斥け、自ら暖めていた考えを一気に深めていく。構想は壮大である。

  小論は、建築史学プロパーに限定した考察ではないし、まして『営造法式』
  そのもののみの検討を目標としたものでもない。むしろ建築技術を対象と
  しつつ、文献史料をつうじて中国特有の設計規準の原理が如何にして早く
  醸成されたかという背景について考えることに主眼を置く。

 このスタンスをわたしは歓迎する。論文は以下のような構成からなっている。

  Ⅰ 間架と挙折-中国建築の規模表記と慣用寸法 p.119-
  Ⅱ 李誡『営造法式』の「材分」制度-比例寸法と絶対尺度 p.134- 
  Ⅲ 喩皓『木経』と三「分」-建物三部の比例寸法 p.142-
  Ⅳ 「分」の概念と三分法-品第・功程・人体尺度・度量衡 p.158-
  Ⅴ 終章-八等「材分」制度と標準化の原型 p.170- 

 さて読み始めると、最初の方はついていけるが、まもなく、まるで茫洋たる大海に放り出されたような心理に陥る。考察の範囲が建築をはるかに超えて文化の諸事象に及び、相も変わらぬ膨大な文献考証の世界に紛れ込んで、自分がいまどの方向をむいて歩んでいるのか分からなくなり、途方にくれるのだ。それでも辛抱して読み続けていると微かに光明がみえてくる。
 世の中は上・中・下の三等級によって基本的に区分されている。上・中・下の各級はさらにその内部で上・中・下に分かれるので、人物や農地の評価に用いられるように、合わせて九等級(上之上・中・下、中之上・中・下、下之上・中・下)とするのが社会の常識である。『営造法式』の範とされた喩皓の『木経』では材を三等級に分けるのみだが、李誡編に先行する元祐版『営造法式』では三×三の九等級に細分化する。李誡編の崇寧版『営造法式』ではその九等級を再調整して八等級とした(表9:p.174)。元祐版の「上材之下」が崇寧版の最上級(一等)であり、同「中材之上・中」をそれぞれニ等・三等にあて、「中材之下」のみ四等・五等に二分割し、「下材之上・中・下」をそれぞれ六等・七等・八等にした。これが田中さんによる「材の八等級」の成立仮説である。


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田中淡著作集書評-第2巻②

第一部1・2 『墨子』城守諸篇の築城工程

 『墨子』は、戦国時代にありながら平和主義を唱えた墨翟(墨子)の発言を弟子たちが少しずつまとめた著作である。成立は前三世紀以降。秦始皇帝の諸国統一以前、戦国時代末期の秦で完成した書ではないかと推定されている。『墨子』は難解な書物として知られており、数多の清朝考証学の注釈書が生まれ、それらの集大成として孫詒譲『墨子間詁』十五巻が編纂された。
 『墨子』のうちとくに平和主義と関係深いのは「非攻」の思想である。戦争の悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定するが、防衛のための戦争は辞さない。このため墨家は工学技術と人間観察の両面から守城のための技術を磨き、侵攻された城の防衛に参加して実績をあげた。『墨子』城守諸篇は「非攻」を実践するための技術的マニュアルと言える。『墨子』のなかでは成立年代が最も新しく、いわば『周礼』に対する考工記のような立ち位置にある。『墨子』のなかでも突出して難解な記述が多く、欠落も甚だしい(二十篇のうち十一篇のみ現存)ため、かつては「墨子の哲学とは関係ないから考察の必要はない」とまで評された部分である。
 この結果、城守関係の諸篇は、まとまった研究が皆無にちかく、岑仲勉『墨子城守各篇簡注』(一九四八年)が唯一の例外とされた。これに対して、田中淡さんは「城守諸篇のなかには築城工程の実際にかかわる記述がすくなからず含まれており、建築技術史的にも重要とおもわれる部分があるにもかかわらず、岑氏の労作を含めて、従来この主題について具体的な技術の側面から考察した研究はほとんどみられ」ないことを嘆く。日本人研究者としては、渡辺中の「墨家の兵法技巧書について」(一九五七年)、「墨家の守禦した城邑について」(一九七三年)の両論が例外にあたるものの、再び田中さんによると、「城郭の規模の点を除くと、個々の技術的な要素については、詳しく論及されていない」という。こうした研究の現状を踏まえ、純然たる技術史の立場から、『墨子』城守諸篇の総合的な新しい解釈に挑んだのが、第一部1・2「『墨子』城守諸篇の築城工程」である。
 以上の研究史と問題意識を背景として、圧倒的な文献考証を展開する。正続あわせて以下の六章からなる。


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田中淡著作集書評-第2巻①

著作集2 表紙


田中淡 vs 行基

 ようやくいろんな宿題が片付き、マイコプラズマもほぼ治癒して、第3回退任講演(0113大阪堺「行基の建築考古学」)の準備に専念しようと思ったが・・・叶いません。この春に埋蔵経のように発掘された『田中淡著作集』第2・3巻の書評の締切が1月10日に迫っている。
 日本が世界に誇る中国建築史の大家、故田中淡さん(京都大学人文科学研究所名誉教授(一九四六~二〇一二)の著作集全三巻が二〇二四年二月末に完結刊行された。後でまた改めて述べるけれども、わたしは『田中淡著作集』の書評者として適任ではない、という自覚がある。しかし、編集委員会から依頼があり、熟慮の末、書評を受けることにした。なお、著作集のうち第一巻「中国建築の特質」については、『建築史学』七一号の「新刊紹介」[二〇一八:二九四~二九八頁)に取り上げている。第一巻については、この圧縮原稿の再録とする。第二・三巻は書き下ろしの書評である。

二、第二巻ー中国の建築と庭園

  著者: 田中 淡 (編集担当:高井たかね)
  書名: 田中淡著作集2 中国の建築と庭園
  出版年月: 2023年 2月28日
  出版社: 中央公論美術出版 A5版 616頁 8,800円(税込)

《目次》
第一部 中国建築史の展開
一『墨子』城守諸篇の築城工程
二『墨子』城守諸篇の築城工程(続完)
三 比例寸法単位「分」の成立 李誠『営造法式』、喩皓『木経』と人体尺度
四 中国建築からみた寝殿造の源流
五 中国の高床住居――その源流と展開
六 中国・朝鮮半島の竪穴住居
七『営造法式」自序看詳総釈部分校補訳注(上)(未完)

第二部 天宮飛閣と神仙苑池中国庭園の世界
一 中国建築・庭園と鳳凰堂天宮飛閣、神仙の苑池
二 昆明円通寺の碑文と建築・池苑
三 日本初期の造園書と浄土庭園
  -『作庭記』と古代日本および中国におけるその背景(訳文)
四 中国造園史における初期的風格と江南庭園遺構
五 楼の出現とその背景 古代中国における木造高層建築(訳文)
六 日本における中国庭園
七『園冶』の世界-明末の造園論
八 庭園と壺中天・桃源郷-中国文人のユートピア
九 都市の中の理想郷-明・清時代の庭園
10 鋪地 中国庭園へのアプローチ
11 中国の皇帝の別荘離宮・苑園
12 池中の造花中国庭園にみる遺俗
13 中国造園史研究の現状と課題
原文(第二部三) Early Japanese Horticultural Treatises and Pure Land Buddhist Style: Sakuteiki and Its Background in Ancient Japan and China
原文(第二部五) The Appearance and Background of the LOU: Multi-Storeyed Timberwork Towers in Ancient China


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最後のプロ研-お寿司と魚食のフードスケープ(13)

万年ずし 長野の万年寿司


長野県の万年寿司(県選定無形民俗文化財)

 木曽郡王滝村の万年寿司は、海のない信州の山の中ならではの食材、岩魚を使ったナレズシである。西日本稲作地帯の文化であるナレズシが古くに伝播し定着したものと考えられるが、正月料理・行事食として発達した王滝村独自のすし文化になっている。昔は各家庭でつくられていたが、今はそれを継承する家庭は多くない。また、古くは岩魚を使っていたが、近年は漁獲が少なく、生物保護の観点から養殖のニジマスを使うことが多い。文化伝承活動としては、地域のイベントでスシ漬け体験などしているようだ。
 《レシピ》  岩魚(他の川魚でも可)の内臓をとり、多量の塩で漬け込み、食べる1ヶ月前に塩出し冷ました米飯を詰め、樽の中に重ね並べ重石を置いて発酵させる。
 《提供店》 ネットでは確認できなかった。旭館という旅館で食べたなどのブログがあったが、投稿が古く、現在も食べられるかは不明。(1年環境KI)


河原の鮎で万年寿司の再現に挑む

 《万年寿司を漬けるまで》 万年寿司の材料としては、イワナもしくはニジマスが望ましいが、鳥取では入手し難い。幸いなことに、河原の料亭「ことぶき」より冷凍の落ち鮎を3尾提供されており、この高価な落ち鮎で代用した。プロ研の事前準備として、万年寿司の班は玄米三合を一晩漬けて水を吸収させ炊き、三尾の鮎は塩漬けにした(塩多め)。当日は、プロ研開始前からスタジオに集合し、玄米を水洗いし、粘りを取る。次に水洗いした玄米を容器の底に敷き、鮎のおなかに玄米を詰める。鮎のおなかに玄米を詰めたら最初に敷いていた玄米のうえに鮎三尾をのせ、残った玄米でサンドする。最後に重石をのせ、水抜きを開始したら万年寿司班の活動は終わり。


万年寿司玄米を詰めているところ 万年寿司玄米を詰めた姿 万年寿司玄米でサンドしている様子
左から①鮎の腹に玄米を詰める、②鮎の腹は玄米で一杯、③鮎を玄米でサンドする


 《なれずし料理試食会》 ①鹿鮓のお好み焼き: 鹿肉とパンガシウスの味はあまりしなかった。もう少し多めのほうがおいしいかもしれない。白髪ネギの風味が強くてもったいないと感じた。秘伝のタレがおいしい。生地は山芋とろろベースで水を含んでないため心配だったが、焼き上がりもきれいで生地もしっかりしてておいしかった。
②熊鮓のカナッペ: 前回のよりナレズシ米飯が濃い、辛い。前の柔らかい風味のほうが好み。
③すし炊きもの: 海鮮系はナマズとネギ、海老が入ってる匂いがすこしあり、優しい味わい。ナマズの香りと苦みがする。肉系は猪鮓にタマリンドのような酸味を感じた。フィリピンのスープ(シニガン)みたい。スープもくどくなく私は好き。
④すもじ: ちらし寿司そのもの。上に若桜の鯖鮓をのせる。甘みのつよいナレズシだった。ちらし寿司特有の甘酸っぱい酢の感じはなかった。(1年環境KT)


20241219万年寿司重石01 重石



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最後のプロ研-お寿司と魚食のフードスケープ(12)

ジブリのクリスマス、悲しい色やね

 おいらくの恋をしている爺がいる。マドンナは30歳近く若い女性であり、相手にしてもらえる筈がない。その女性は公立の美術館に勤めていて、いま開催中のジブリ展が異常なほど客を集めていることを喜んでいるという。その爺は、この歳になってジブリを予め全巻視聴し学んでから、美術館の展示をみにいくと広言し、果たしてクリスマスイブの日に美術館を訪れた。

  「どうだった?」
  「素っ気なかったわ。」
  「招待券もらってたんだろ?」
  「招待券じゃなくて、無料入館券。」
  「で、どうなったの?」
  「イブだから夕食を一緒にと思ったんだけど、そんな雰囲気にならなかった・・・」

 クリスマス・イブの日に突然やってきて、夕食もなにもないものだが(別の男性とディナーが予約されていた可能性は当然ある)、流石に淋しそうだった。一方、我が家は黒毛和牛のステーキにローストビーフ、酒はシャンパン。仕上げにお寿司のアラカルトと親ガニの味噌汁でした、がはは・・・続けて、その爺は言う。

  「ハタハタのナレズシ、送るわ」
  「えっ、いいよ、いい。ナレズシはもういい。家族もあまり好まないし・・・」
  「いや、昔はどこにでもあったんだけど、最近はあまり売ってなくて、高いんだよ。」
  「だからいいの。ホントやめて!」

  その半時間後、電話が鳴る。当方の住所を確認する電話だった。あぁぁぁl・・・・12月19日全体試食会の感想が続々届いているので、以下に掲載します。


すもじ(伊藤) すもじ(出雲)+鯖鮓(若桜)


酸味が旨味や塩味をまとめる役割を果たしている

 《すもじ調理の感想》 僕らのグループは、④すもじの調理をした。主に自分が担当したところは、玄米の炊飯、絹サヤやタケノコのこ、人参、椎茸などを煮るための水汲み、必要な調理器具や調味料などのセットなど、同じグループの人たちが円滑に調理を出来るように動いた。調理工程において食材を煮る時間や米を炊く時間など全体的に待ちの時間が長くなり、結果的に工程は複雑でないけれども、どのグループよりも完成が遅くなってしまった。事前に想定できていなかったので調理工程だけでなく、ある程度調理にかかる時間も考えておくべきだったと少し後悔しています。また、完成したすもじの味について、食べやすい味にはなっていましたが、全体的に酸味が薄く今回使用したサバのなれずしも酸味よりも旨味や甘みの方が強く、全体的に酸味がほとんど感じられなかったので、プロジェクト研究で使用したなれずしや飯(いい)を混ぜて酸味を強くしても面白かったのではと思いました。
《他のグループの料理を試食した感想》
 ①熊鮓を使ったお好み焼き: 熊鮓を使っているが、ナレズシにする過程で匂いが消えていて、酸味もお好み焼きにすることでほとんどなくなっていた。後味に柑橘系の風味がし、旨味の方が全体的に際立っていた。酸味があまり感じられなかったのは肉の方に酸味がまだ集中しており、すし炊きもの③のようにスープにあまり溶けていないのが原因なのではないかと思いました。
 ②カナッペ: 生の熊鮓は食感は固いが、味としてはアルコールっぽくなく塩味が強く感じた。その一方、茹でた熊鮓は食感は柔らかいが、アルコール臭が強く酸味も強かった。クリームチーズと酸味の相性がよく、茹でた熊鮓のカナッペと食べると酸味が緩和されて食べやすかった。これまでに食べた他のなれずしよりも酸味やアルコール臭などの風味が強く、熟成期間の長さや食材の違いによるものなのか、どの要因が風味を強くしているのか気になりました。
 ③すし炊きもの: 猪鮓・豚肉の方は酸味が最初に出てくるが、後に残る感じではなく、旨味が強かった。酸味はナレズシから少し出ていたが、猪鮓自体の酸味は猪の肉の方に大部分が残っていた。もう少し火にかける時間を長くするなどして酸味をスープの方に移すことができないのか試してみたいと思いました。鯰鮓・海鮮の方は酸味があまり感じられず、柑橘系の風味(陳皮)が強かった。スープにすると、どちらのナレズシも風味が弱まり、本来の酸味が苦手という人にも食べやすくなるのではないかと思いました。
 全体を通して、これまでに試食してきたナレズシは、酸味や塩味が強かったりして、食べにくいと思うときが何度かありましたが、今回のすし炊きものやお好み焼きではほとんど酸味を感じることが無く、酸味を感じたとしても後味として出てくるので、酸味が旨味や塩味をまとめる役割となっており、とても食べやすかったです。なれずしを多くの人にも食べてもらうためには少し酸味や塩味、アルコール臭が強すぎるので、料理に活用することで酸味や塩味、アルコール臭を旨味と合わせて相乗効果を狙う必要があると思いました。(2年環境IK)


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最後のプロ研-お寿司と魚食のフードスケープ(11)

20241219プロ研03 20241219プロ研11万年ずし01
 

全体試食会
 
 12月19日(木)、これまで数度の試作を経て、この日は正式に班分けし、ナマズやナレズシを活用した5つの伝統料理・創作料理を制作し、試食した。班分けは以下のとおり。 ◎リーダー 〇サブリーダー

 ①ナレズシ香るお好み焼き(1年+脇野)・・・8101西村、8091内藤、7070下平
 ②熊鮓カナッペ(1年)・・・7120古家、8019内田〇、8042木藤
 ③すし炊きもの(2年+出見)・・・7027大久保、7112橋目、8030小椋、8047田中◎、 8152山本
 ④すもじ(2年出雲組)・・・7073角〇、8041神田、7011伊藤、8099林原
 ⑤万年ずし(1年)・・・7040金森、7048吉川◎、8038川本

 ①②は創作料理、③は中国最古の技術書『斉民要術』に記録が残るナレズシの煮物の再現、④は出雲地方のチラシ寿司に若桜の鯖鮓(太田酒造)を絡めたもの、⑤は長野県に残るナレズシの再現。ニジマスが調達できなかったので、河原の料亭「ことぶき」からいただいた冷凍の落鮎を活用。


20241219プロ研05すし炊きもの01 20241219プロ研06すし炊きもの02


薄味のすし炊きもの

 《すし炊きもの試作》 今回は、猪・豚肉を使った「すし炊きもの」と、鯰・海鮮を使った「すし炊きもの」を5人のメンバーで試作しました。まず私は白ネギ(秋田産)をスタジオで洗い、その後メンバーがネギを切っている間に二つの鍋に2Lづつ水を汲み運びました。あとは主にメンバー分の写真を逐一撮り、具材が入った鍋を混ぜたりアクを取ったり、紙コップに21人分の炊きものを配分するなど、十分貢献できたと思います。鍋の具材(ネギ、肉、生姜、紹興酒、卵、魚介、陳皮など)については、おもに他のメンバーがおこなってくれました。もちろん全員が貢献していましたが、特にエガちゃんは率先して活躍してくれていた印象です。焼き工程などがないのでおそらくお好み焼きなどに比べると単純なレシピでしたが、うまく制作できたと思います。強いて言えば、ややあっさり気味だったので、豆板醤や味噌、紹興酒などの調味料をもう少し多めにしてもよかったんじゃないかなと思いました。
 《試食の感想》 まず初めに、1年生が作ってくれた④熊肉のカナッペをいただきました。生肉を使ったものは少し筋が気になりましたが、やはり焼いたものよりもより熊肉の味わいを感じることができました。以前スタジオで熊肉のカナッペを食べていたのでおよそ予想はついていましたが、どちらもややアルコール臭は感じました。それでもクラッカー、クリームチーズと相性が良くて美味しかったです。
 次に私たちが作った③すし炊きものを食べました。すでに述べたように、ややあっさりした出汁だったので、もう少し調味料を多めにすればよかったですが、教授は「薄味がいい」と評価され、全体的にはとても美味しかったです。陳皮(乾燥した蜜柑皮)の爽やかな香りも良い風味を出していました。肉に関しては、普段から食べ慣れているためか、豚肉が一番美味しく感じました。猪は、独特な臭みがあり、クセが強いと思いました。これは苦手な人もいそうな気がします。脂がよくのっていて私は美味しくいただきました。残念ですが、鯰がわたしの椀には入っていなかったので味についてコメントできません。
 次に出雲班の④すもじをいただきました。タケノコも人参もインゲンも噛み応えがあり、今回食べた4品の中では一番美味しかったです。若桜の鯖のなれずしも米と合って非常に美味しくいただきました。以前から入念に準備されていたようなので納得しました。故郷でよく食べるちらし寿司と似たものを感じました。
 最後に一年生が作ってくれた①なれずしのお好み焼きをいただきました。焼き加減が大事なのでどうなるかなと思っていましたが、これもとても美味しかったです。上に白髪ネギが適量のっていました。これもパンチが効いていました。私は熊のナレズシのほうをいただきました。個人的にはもう少しナレズシをのせて、もっと熊肉を感じたかったですが、美味しかったです。
 今年最後の試作・試食であり、今回も有意義な時間を過ごせました。来年の発表会に向け頑張ります。(2年経営TD)


20241219プロ研01カナッペ01 20241219プロ研02カナッペ02 


カナッペは最高の味になった

 《今回の自分の活動》 前回と同じく、カナッペの担当となったので、要領よく進めることができました。クリームチーズと麹飯の配分が前回よりも良かったのか、しっかり混ぜてくれたからか、前回よりも米飯クリームチーズが美味しく仕上がっていてとても良かったです。メンバーも旨い旨い、と評価していて、成功してよかったなと感じました。個人的には過熱した熊鮓の方がカナッペにした時は癖がなく美味しいと感じました。
《味の感想》
①お好み焼き: 上からかけた泡盛浸けの唐辛子と刻みネギの味が濃くて味がわからなかった。
②熊鮓カナッペ: 生クリームの加減が旨くなってる。生の方が歯応えがあって、肉の旨味が濃いと感じた。加熱の方は味が薄くパンチが効いていなかったが、クラッカーにのせた時にクラッカーの味と喧嘩しなかったため、カナッペにした時は個人的には加熱の方が好きだった。
③すし炊きもの: 鯰鮓と海鮮のスープは陳皮の爽やかさでかなり食べやすかった。鯰鮓はホロホロとした食感で、味はなれずしの状態と変わらなかった。なれずしの味が少し苦く感じた。猪鮓と豚肉のスープは、猪鮓の肉が椀になかったため、豚汁のような味だった。やはり陳皮の匂いを感じた
④すもじ: 圧倒的に美味しかった。散らし寿司だと感じた。若桜の鯖ナレズシがとても美味しかった。フワッと風味が広がってくる。焼き鯖の尻尾の焦げたところも味と食感のアクセントになっていて美味しかった。(1年経営UH)



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最後のプロ研-お寿司と魚食のフードスケープ(10)

20241212プロ研01ことぶき01 20241212プロ研01ことぶき02


 12月12日(木)、1・2年合同で河原の料亭「ことぶき」を訪れ、鮎ズシを食した。2ヶ月前から予約注文していたものである。以下は学生レポート。

参勤交代路の御茶屋を訪ねて

 今回、鮎鮓を食べるために「ことぶき」という料亭にお邪魔した。ことぶきがある河原の町は、鳥取城から江戸に参勤交代のために使われた上方往来に沿う最初の休憩集落として発展した。かつて、往来にそって「御茶屋」と呼ばれる高級料亭が軒を連ねていた。大名の休憩地である河原の名物が「鮎づくし」であった。鮎づくしの刺身、天ぷら、煮物、山椒味噌の焼物など数種類の料理を今も提供する料亭が2軒残っている。平城宮荷札木簡に書かれている「年魚」が鮎のことで、中国で鮎と書けばナマズのことである。日本でしか鮎を「あゆ」と読まないのは面白い文化だなと思った。また、千代川流域との鮎の関係として、佐治では新年の歳神様を祀るお祭りがあり、床の間に寿司、スルメ、昆布など縁起の良いものをお供えし、中流域では加えて鮎鮓、佐治など上流域では鯖鮓も供える。
 実際に鮎のナレズシを一尾丸ごと食べてみて、鮎本来の味がしっかりしていて塩気とほんのり酸味があった。授業で自分たちが作った熊肉のナレズシなどと比べると、アルコールっぽい風味がほとんどなくて食べやすかった。焼き魚とは違って食感は硬さを感じた。生姜と一緒に食べると味がガラッと変わってまた違う味を楽しめた。骨もしっかりとってあったので、鮎の身をしっかり味わうことができた。(2年経営KA)

落ち鮎になる前の鮎のナレズシは美味しく、綺麗

 《鮎ズシの作り方》 店主の荒木さんから鮎ズシについてお話をうかがった。河原町では、ナレズシのことを「腐れずし」とも言う。鮎は9月頃に大きくなり、腹が赤くなる。特にオスは、綺麗な赤色になるそうだ。産卵を終えて戻ってきた落ち鮎は、脂が乗っており、ナレズシに向いている。「ことぶき」では、落ち鮎になる手前のものを使用している。今回食べた鮎ズシは、9月20日から塩漬けにし、11月22日に米と麹に漬けたものである。
 鮎ズシの作り方は、まず鮎を井戸水で泳がせて、綺麗に泥吐きする。腹を割り、内臓を出し、洗って腹開きする。容器に入れて塩漬けにし、重石を置く。そして、涼しい場所に置く。2ヶ月後、鮎をボウルに出して、塩出しをする。食べやすいように背骨を抜く。ご飯と麹と混ぜたものを鮎の腹に入れる。容器の中に綺麗に並べる。鮎の上にハラン(バラン)の葉を敷いて、台を作り、重石をのせる。重石は軽いと味が悪くなるため、重いものが良い。漬けて15〜20日で水が上がってくる。臭みが出るため、こまめに取る。
 気温によって異なるが、11月などなるべく寒い日に漬ける。早めに漬ける時は、塩麹を使う。また、塩を抜き過ぎた時も塩麹を使う。時間がある時は、麹を少なめにする。塩加減の調節が難しい。
《試食した感想》 鮎ズシは、噛めば噛むほど味が出て美味しかった。少し酸味があったが、まろやかさもあり食べやすかった。前に授業で試食した鮎ズシは、アルコールの匂いがしたが、これは全くしなかった。魚の食感がしっかりあった。鮎ズシは、ガリとあわせて食べるとさっぱりした味で合っていた。見た目が非常に綺麗。特に魚の腹の赤色が綺麗だった。
《河原の町並みと料亭》 鳥取県では、河原町を中心に鮎の食文化がある。鮎ズシは年末年始に歳神(米の神)を祀る、豊作を願うための奉納品でもある。鮎ズシや昆布、米など縁起がいいものを床の間に飾り、自分たちもそれを食べる。河原は、参勤交代路であった上方往来の最初の休憩所である。ここには、御茶屋がたくさんあった。河原の茶屋では「あゆづくし」が有名である。鮎の刺身、天ぷら、煮物、塩焼きなど数種類の鮎料理である。河原町では、「ことぶき」の他にも、鮎料理を提供する料亭がある。「家老ずし」は以前は寿司屋だったが、今はは居酒屋になっている。「ことぶき」の店主夫婦のお子さんが営業しているそうだ。「菊乃家」は、あゆづくしが全国的に有名な料亭である。「ことぶき」の店主夫婦はこの料亭で働いていて独立したという。この他にも多くの茶屋があった。上方往来の裏側には背戸川が流れる。土蔵が立ち並んでいる。綺麗な水が流れている水路があり、昔はここまで千代川の鮎が上ってきていたそうだ。(2年環境SC)


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無常の茶室

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茶室解体前夜

 12月18日(水)、廃材でつくる茶室「盃彩亭」の撤去工事がおこなわれた。前日、趙雲くんとデミグラスさんに茶室をみせた。二人は「住まいと建築の歴史」講義で、この茶室の建設と修復について学んでいるが、実際に視るのは初めてのことだという。二人は、この建物に接する最後の学生になった。
 目的は翌日の解体にそなえて記録の写真を撮影すること。なにか問題があれば、工務店に知らせなければならない。また、スタジオにある茶棚・茶道具も搬出してもらう必要もあり、そのサイズを知らせるための写真も必要であった。学生2名は素直に茶室に驚いたようだ。


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廃材でつくる茶室、いざ解体!

 翌18日午前9時、裏の駐車場に集合。池田住研の面々はすでに待機中。直ちにクラブハウスに車を移動して裏山の敷地へ。あらかじめ注意事項を少しだけお知らせした。まず、摩尼寺の発掘調査で出土した五輪塔の破片群(茶室裏側に集めてある)には接触しないこと。蹴ったり踏んだりしたら罰当たりになる。次に、茶室の内外には、浅川がアジア諸国から買い集めた仏像・仏具が数か所飾ってあるので、それらはあらかじめ丁寧に取り外してから建物を撤去すること。


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 工事は迅速に進んだ。着手後1時間もせぬうちに屋根は崩された。わたしはいったんそこで現場を離れ、学生2名とともに年越し蕎麦を食べにいった。もちろん蕎麦切り「たかや」である。季節限定のキノコ蕎麦を一杯たいらげた後、「そばがき」を学生と共有した。二人は初めての食体験だが、そばがきを美味しいと言ってくれた。そうして大学に戻ると、廊下で某学部長とすれ違い、ちょっと部屋で話をしようということになった。黄粉が相談に来たらしい。・・・あぁぁ、と憂鬱になったところで、電話が連続して鳴った。まず工務店の社長、次に男子学生。茶室の現場で木部の解体がほぼ終わったので、みてほしいとのこと。急ぎ裏山に上がり、基本方針を決めたが、念のため事務室の職員を呼んで問題がないか確認した。それで行こう、ということになった。


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ノビタのなまず放浪記(4) with ジャイアン

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町屋のどじょっこ

 講演会前夜の12月6日(金)、町屋斎場の近くにある料理屋「どじょっこ」を4名で訪れ、ナマズ、ドジョウ、鯨などに舌鼓を打った。静岡の野生ナマズが仕入れられ、普段提供している養殖ナマズより1000円高く提供されていて、比較してみようということになった。まず野生ナマズの唐揚げが卓に乗る。みな美味いと唸る。一人は「鳥かカエルの骨付き部分に近い」食感だと言った。わたしが、食感が少しパサパサしていて、「舌先で溶ける」特有の喉越しを感じられないと思った。


1206どじょっこ01メニューチラシ01全景01 1206どじょっこ01メニューチラシ03養殖鯰01 1206どじょっこ01メニューチラシ02天然鯰01 1206どじょっこ02ビール01


 その後、鯨のさえずり、ヌタ、万願寺唐辛子、ドジョウの柳川を経由して、最後に養殖ナマズの唐揚げを食べた。野生ナマズより養殖物を上手いと評価したのはわたしだけだった。ナマズ特有のほくほくした柔らかさが食感として際立っていたからだが、他の3名は養殖だけに油身が多いと評した。野生ナマズの唐揚げ2皿と養殖ナマズの唐揚げ1皿でざっと七千円。
 ちょっと高い店だと思った。


1206どじょっこ04鯨さえずり 1206どじょっこ05看板 鯨さえずり


第5回東鯷人カフェ「北関東の鯰料理と保存食に関する検討会」
  
 東京講演の翌日(8日)、埼玉県吉川市を訪れた。わたしは二度目、ノビタは三度目の訪問である。11時半、吉川駅集合。すぐにみな土産物販売のラッピーランドの敷居を跨ぐ。大人気ナマズコーラに加えて、ピンクの鯰ジンジャーエールが新発売になっている。まるでシャンパンのような色合いだ(シャンメリーか?)。みな飛びつくようにジンジャーエールを買った。帰朝後、ゼミ室で学生と試飲したが、たしかにナマズらしいクセを感じる。コーラではかき消されていたクセが露わになっているのだが、それは決して不味いものではない。


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公立鳥取環境大学退任記念講演ツアー(予報14)

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ついに最終回、大阪堺講演を残すのみー行基の建築考古学

 第2回東京大塚講演も無事に終わり、残すは最終回の大阪堺講演を残すのみになりました。
 本日、環境大学の X に広報がアップされました。

https://x.com/kankyo_U/status/1869542138918350913


  日時: 2025年1月13日(月祝) 13:30~16:30
  会場: 土塔町公民館 〒599-8234 大阪府堺市中区土塔町2107
   ☆予約定員制:下のサイトから申込ください
    申込サイト: https://forms.office.com/r/SVukUbTMJD 第3回大阪講演_参加申込フォーム_2次元バーコード【最新】
    主題: 行基の建築考古学  司会:岩永省三
    ⑤近藤康司(堺市文化財課)「土塔十三重の建築復元」
    ⑥浅川滋男「奈良市菅原遺跡円形建物の再検討-行基の供養堂をめぐって」

事務局・問い合わせ先: 公立鳥取環境大学保存修復スタジオ/東鯷人の会
         〒689-1111 鳥取市若葉台北1-1-1 e-mail:[email protected]

 定員100名。すでに7~8割の席が埋まってきていますが、まだまだ予約可能ですので、上の募集フォーム/QRコード等からご応募ください。ご来場をお待ち申し上げます。



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公立鳥取環境大学退任記念講演ツアー(報告3)

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閉会のあいさつ

 私は根っからの田舎者で、東京は不似合いな場所だと自覚しています。それが今年は正月から数えて3回めの上京になります。
 昨年5月、脳梗塞で11日間だけ入院しました。軽度の症状ではありましたが、一時期、杖歩行をしておりました。病院にいて、ときに鬱々とした気持になるので、ある知り合いに電話しました。東京にいる知人です。
 大貫静夫さんという方です。東京大学名誉教授、新石器考古学の大家です。じつは今日の講演会の参加リストに、佐藤宏之さんの名前がありましたが、欠席されたようです。佐藤さんは旧石器、大貫さんは新石器の専門家として、東京大学考古学研究室を牽引されてきた両輪です。わたしがなぜ大貫さんと馴染みがあるのか、と言いますと、北京語言学院の同窓〔1982-83〕だったからです。二人とも中国語の出来がよくなくて、まるまる一年、語言学院で中国語を学びました。
 大貫さんは数年前から難病と闘っておられました。悪性リンパ腫、血液の癌です。入退院を繰り返し、抗がん剤の影響ですでに頭髪はないと聞いていた3~4年前、おそるおそる電話をしてみました。
  「どうしてるんですか?」
  「誰にも会わない、家族以外の誰とも。非常勤の大学にも行ってない。ただ、論文を書いてる。」
  「著作集は出さないの?」
 すると、彼は毅然として答えました。
  「昔のことはいっさい興味ない。どうでもいい。まだ書いていない論文がたくさんある。前だけをみて、新しいモノを書くだけ。」
 返す言葉もありませんでした。それから頻繁に論文抜刷のpdfが送られてきました。大変レベルが高い論考ばかりです。凄まじい勢いに圧倒されました。その一方で、奥様やお嬢さんのことを考えると、もう少し安静にして長生きをしてほしいとも思いましたが、自分自身の残された時間を踏まえての駆け足の活動であったと思います。


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 昨年5月の入院では、「オレのが先にいくかもしれんと思ったよ」と愚痴をこぼすと、「大丈夫だよ」と慰めてくれました。その後、山口の縄文スギについて一度意見交換しました。そして、年末の12月29日、奥様から電話が入りました。昨日(28日)亡くなったという訃報です。葬儀は年明けの1月5日、東京の町屋斎場。私はふだん、人の葬式などには出ない人間です。だいたいは弔電で済ませてしまうのですが、このときは違いました。まずは礼服を新調しました。年末年始を過ごしていた奈良の自宅には、肥えた体にあうスーツがなくなっていたのです。東京には杖をもって行きました。さんざん迷子になりながら、なんとか町屋斎場に辿り着き、奥様が火葬のボタンを押すのを確認して、一同ロビーに集合。奥様のご挨拶に耳を傾けました。横ではお嬢さんが遺影をもっています。
 12月28日の午前まで調子は良かったんだけど、午後から様態が急変し、病室から「ぼく良くないみたい」という電話があって、そのまま帰らぬ人となった。コロナ禍で面会もままならぬまま一人旅だっていった・・・ 
 奥様の淡々とした語り口を聞いていて、わたしは不覚にも、泣いてしまいました。嗚咽を抑えることができなかった。悔しかった。まだまだ大貫さんしか書けない新しい論文のネタはたくさんあったでしょうし、ご家族と一緒に自宅で過ごす年末年始を楽しみにしていたことでしょう。


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公立鳥取環境大学退任記念講演ツアー(報告2)

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東京講演、盛会!

 12月7日(土)、無事東京講演を終えました。が、わたしは今流行のマイコプラズマ型肺炎に感染したようで、講演後の鳥取から咳の症状がひどくなり、安静に努めておりまして、報告が遅れました。講演会の次第を再録します。

◆2024年12月7日(土)13:30~16:30
13:30 趣旨説明(栗原伸治/日大)
13:35 浅川研究室卒業生代表挨拶(谷愛香/自由学園)
13:40 講演1 山田協太(筑波大)
   「コロンボ歴史地区における生活組織の成り立ちとデザイン」
14:55 講演2 浅川滋男(環境大)
   「仏教に潜むボン/非仏教の遺産-ブータンの秘境から」
16:00 休憩
16:05 質疑応答(司会:栗原伸治)
16:30 浅川挨拶 閉会
17:30 懇親会 和来路(わらじ)@茗荷谷


1207東京講演02山田01 1207東京講演02山田02


 時間配分を誤りました。第1スピーカーには申し訳ないが、長すぎたね。先発でこの尺はない。これが影響して、第2スピーカー(私)は終盤の重要部分をはしょることになりました。はしょったのが良くない、とも言われました。質疑など意味はないから、主役は喋り通さなくてどおする? 全ての話を聞きたかったと言われました。反省しきり。
 わたしが言いたかったことをまとめておきます。ボンなどの前仏教/非仏教系の信仰は、新興宗教たる仏教に殲滅されるのではなく、仏教に取り込まれながらも、その本来の姿を際立たせている、ということです。これを神霊と祭場の関係を反映した空間論として語りたかったのですが、舌足らずでした。私の思考は今枝由郎先生の輪廻に関する論考〔Imaeda 2010〕に強く影響されています。とくに、今枝先生の以下の二つの結論には圧倒されました。

 *チベット仏教の歴史とは、チベットという天才が仏教という宗教を通して表現した本来の姿の歴史である。
 *チベットが「仏教化」したのではなく、仏教がチベットで「チベット化」した。

IMAEDA Yoshiro 2010  - The /Bar do thos grol/, or ‘The Tibetan Book of the Dead’: Tibetan Conversion to Buddhism or Tibetanisation of Buddhism?. In: Matthew T. Kapstein and Sam van Schaik (eds), /Esoteric Buddhism at Dunhuang/ Leiden: Brill,pp.143-158.

仏教に潜むボン/非仏教の遺産-ブータンの秘境から-(浅川)
 1.ボンとは何か
 2.ブータンの民話/民俗的世界
 3.崖寺と瞑想洞穴-白(悟り)と黒(調伏)
 4.ユンドゥン・ボンの寺院-クブン寺とセワガン寺
 5.ボン教徒の隠れ里-ベンジ村とジャンビ村
 6.チュンドゥ兄弟-八地区の土地神
 7.ボンの経典と司祭
 8.祭場と偶像化からみた非仏教神霊



1207東京講演03浅川03山田01 1207東京講演03浅川01


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1219ナレズシ料理試食会にむけて(4)

20241211すし炊きもの02 20241211すし炊きものシーフード01 シーフード


鯰鮓のすし炊きもの(2)

 12月11日(水)、鯰鮓のすし炊きものを試作した(2回目)。1回目の試作では、猪鮓のすし炊きものは改善点があるものの食べやすかった。しかし鯰鮓は魚臭さがあり、苦手な人は一定数いるだろうという印象だった。そのため、鯰鮓のすし炊きものをだれでも美味しく食べられる料理にするため、改良を試みた。


20241211すし炊きもの03 20241211すし炊きもの01陳皮01
左:灰汁をとる 右:陳皮投入


 まず、前回からの大きな変化としては、豚肉をシーフード(イカ・エビ)に変えたことと、調味料とナレズシ投入後の茹で時間を短くしたことだ。豚肉をシーフードに変えるというのは教授のアイデアで、鯰には魚介類がマッチするだろうということで、猪鮓には豚肉、鯰鮓にはエビとイカを使うことにした。そして、前回の試作では、何度も味見をしたため茹で時間が長く、そのために鯰鮓の身が崩れてエグみが出た。また、調味料を入れてから長時間煮込むと、陳皮や酒などの香りが飛んでしまうのではと考えた。よって、茹で時間を短縮した。

【材料】
鯰鮓(切り身)、ネギ、シーフード(エビ・イカ)、卵3個
水1ℓ、紹興酒100ml、料理酒100ml、豆鼓醤大さじ1、味噌大さじ1、陳皮、生姜1/3個、出汁醤油大さじ1
【工程】
1)ネギを千切りにする。鯰鮓を一口サイズに切る。
2)水を張り、ネギ、豆鼓醤を入れて加熱する。
3)沸騰したらシーフードを入れ再び沸騰させる。途中灰汁が出てきたら取る。
4)酒、味噌、出汁醤油、生姜、ナレズシを入れ、沸騰させてから陳皮を投入する。
5)陳皮を入れてから1分ほど煮込み、卵を溶いて流し込む。卵が固まれば火を止めて完成。


20241211すし炊きもの04卵01 20241211すし炊きもの05卵02
卵投入


 味の感想としては、まずスープは前回のような魚臭さが無くなりかなり美味しくなった。味の濃さもちょうどよくシーフードも合っている。鯰鮓は、前回はナレズシを試食するときと同じようにかなり細く切ったのだが、今回は大きめに切ってみた。茹で時間が短いことと身が大きいことでナレズシの味が外に出すぎず身の崩れもなかった。鯰を食べるとナレズシの味がするが、茹でる前と比べれば食べやすい。すし炊きものの2回目の試作は、思いの外、良い結果となった。
 これまでの試作を基にして、当日のレシピを以下に記す。

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1219ナレズシ料理試食会にむけて(3)

20241210お好み焼き01 20241210トッピングナレズシ01 トッピングのナレズシ


なれずし香るお好み焼き(2)

 12月10日(火)、先週に引き続き、19日プロ研究試食会に向けて、「お好み焼き」の大改良改善に取り組んだ。
 1度目の試作では、ナレズシを大阪のお好み焼きのように、豚肉を生地の表面にのせて焼いたが、今回は焼き上がった生地の上に白髪ねぎをたっぷり盛りつけた。生地には里芋とパンガシウス(東南アジアの養殖ナマズ)を混ぜた。ソースは、模擬店「東鯷人ナマズ屋」の「天丼弁当」に使用したタレ(教授自家製)をふりかけた。本番ではこのタレを、チジミ風に教授がアレンジする予定だ。今回改善したレシピを以下に記す。

【材料】
生地・・・小麦粉35g、長芋約100g、卵1個、ネギ(白い部分)1本、ナレズシの米飯大さじ2杯、里芋(小さめ)2個、パンガシウス約50g
トッピング・・・ネギ(白い部分)1本、ナレズシ(鹿・ナマズ・鯖)、「ナマズの天丼弁当」のタレ
【工程】
1)ネギを千切りにして、里芋とパンガシウスは小さめに切っておく。ネギの半分は水にさらして辛味を抜いておく。
2)長芋をすりおろし、そこに小麦粉、卵、残り半分のネギを加えてダマができないように混ぜて、最後に里芋とパンガシウスを加える。
3)フライパンに多めの油を引き3)の生地を円形に敷く。
4)裏面に焼き色がついたら裏返す。
5)両面焼きあがったら器に移し、生地の上に辛みを抜いた白髪ねぎを盛り、ナレズシを散らしてたれをかけたら完成。

20241210里芋パンガシウス01 20241210お好み焼き生地02
里芋とパンガシウスをお好み焼きの生地に混ぜる


 前回のお好み焼きからかなり味が向上した。長芋で作ったねっとり食感の生地に、小さく切った里芋が新たな食感とボリュームを加えている。上に盛った白髪ねぎは多少の辛味があったが薬味として効果がありタレともよく合う。さらにお好み焼きに合うようにアレンジされるタレの味が楽しみになった。ナレズシの酸味も良いアクセントとなっていた。
 今回美味しいお好み焼きを作ることができたが、新たな問題点や改善案も出てきたためまとめる。
【改善案】
・生地が緩く、フライパンにくっつきやすいため、ひっくり返すのに苦労した。生地が緩くなるのは里芋とパンガシウスを加えたからだと考える。里芋を一つに減らし、パンガシウスは生地の中ではなく表面にのせるのがよいと思う。
・上に盛る白髪ねぎが多すぎたため量を減らす。
・ナレズシはお好み焼き1つにつき1種類とし、白髪ねぎと共にタレで和えておく。
・ラー油をかけるのもよい。


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1219ナレズシ料理試食会にむけて(2)

20241204すし炊きもの02 20241204すし炊きもの01


鯰鮓と猪鮓のすし炊きもの

 12月4日(水)、『斉民要術』に記された「すし炊きもの」を試作した。メンバーは出見、脇野、荻ノ沢。『斉民要術』の記録に従い、鯰と猪の2種類のナレズシを使ってすし炊きものを作った。材料は水、豆鼓醤、豚のこま切れ、ネギ、ナレズシ、紹興酒、味噌、ちんぴ、生姜、出汁醤油、ごま油、山椒である。
 最初に、豆鼓醤と白髪ネギを水に入れ、沸騰させる。次に豚肉を入れ再び沸騰したらナレズシを入れる。『斉民要術』では、これに卵を落とし完成である。卵を入れる前の段階で味見をしてみたが、鯰鮓のすし炊きものは魚の臭みが強く出ていて、あらだきのようであった。猪鮓のすし炊きものは臭みはないが、少し酸味のある薄い豚汁のような味であった。そこで、現代人の舌にも合うように調整を試みる。


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左:鯰のすし炊きもの 右:猪のすし炊きもの


 鯰鮓、猪鮓の両方に紹興酒、味噌、ちんぴを加えた。しかし、加えた量が少なかったのか、鯰鮓のすし炊きものはまだ魚臭く、猪鮓のすし炊きものは味が薄い。そこで、鯰鮓の魚臭さを消すために、鯰鮓のすし炊きものに紹興酒と生姜を足した。魚臭さは減少したが、癖があり、賛否が分かれると思う。生姜は市販のすりおろし生姜を使ったが、加工されていない生姜を使った方が風味もよく、臭い消しの効果も強くなったかもしれない。さらに、出汁醤油を加えると、一気に味が整い和風の料理のようになった。猪鮓のすし炊きものには、豆鼓醤を足した。癖がないので、味の濃さを調節すれば万人受けするものが作れると感じた。


20241204すし炊きもの04 20241204すし炊きもの03
左:紹興酒 右:ちんぴ


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1219ナレズシ料理試食会にむけて(1)

1203一枚目と二枚目の完成形 1203白ネギと卵小麦粉なれずし


なれずし香るお好み焼き

 12月3日(火)、ナレズシを活用した「お好み焼き」の試作を始めた。秋田から直送されたたくさんの大きな太ネギ、里芋があり、できるだけこちらも利用しようということになった。合計3種類のお好み焼きを試作したので、材料、工程、食べた感想の順にレポートする。

=1作目=
【材料】 鯖ズシ(11月7日漬け) 小麦粉 50g 卵 1個 太ネギ 半分(白い部分
ナマズ鮓の米飯 大さじ2杯
【工程】
1)ネギの白い部分を輪切りにし、小麦粉・卵・鯰飯をまぜて生地を作る。
2)フライパンに生地をのせ丸く整えたあとに鯖鮓を散らせて焼く。
3)裏面が焼けたらひっくり返し完成。
 ふっくらと分厚く焼き上がった。鯖の身は塩味の薄い焼き鯖鮓で、酸味はあったが生で食べるより抑えられる。ナマズ飯が入っ ているためナレズシの風味を感じられ、ソースがなくでも十分に味がした。


1203鯖と生地 1203一枚目鯖を乗せた生地


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ノルブリンカの激励

1207東京魔女01


退任記念東京講演迫る

 12月4日(木)3限、歴史遺産講義を終えて、学生がBRD(授業内レポート)をもって教卓にやってくる。いつも最後まで粘るノルブリンカさんが友人と二人でレポートを提出する際、わたしはあるお願いをした。

   「あのね、お願いがあるんです」
   「えっ、何ですか?」
   「・・・・東京講演、がんばってきてください、って言ってくれませんか」
   「えっ、東京講演、いつでしたっけ?」
   「あさって」
   「そうなんですか・・・ほんと、がんばってきてください!」

   「あれっ、今日は賢げなメガネしてますね?」
   「今日はメイクが薄くて、この大きめのメガネにしたんですよ」
   「えっ、学生でもメイクが薄いとか濃いとかあるの?」
   「ありますよ、早起きできなくて、メイクの時間がとれないとか」
   「マスクすればいいじゃない?」
   「マスクは肌が荒れるんです・・・」

という風に話は弾んだ。彼女の友人は出口に近いところで呆れた顔をしている。わたしは、以来、緑タラ菩薩のご加護の中にいる。ところが・・・・
 ちょうど1週間前の木曜(11月28日)、体に冷たさを感じた。翌日、医者に行って駐車場で問診され、「コロナではなく風邪」だと診断された。服薬の甲斐あり、月曜(2日)にはほぼ回復したが、火曜から仕事を再開すると、また咳がでるようになった。おかげで、パワポづくりは遅々として進まず・・・9月11日のティンプー講演のパワポの増補改訂だが、細かいところまで気を配ると、なかなかの時間を要する。さきほどようやくいったん完成して、データを東京の関係者に送ったところである。


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最後のプロ研-お寿司と魚食のフードスケープ(9)

20241128試食01 20241128試食04 感想をメモする学生


 11月28日(木)、1年生/P2の活動をおこなった。以下は感想レポート。


ワニ(鮫)の郷土料理をめざして

1.全工程+自分の担当工程・感想
 初めに各自でまとめてきた郷土寿司レポートの発表をおこない、年末にむけどのように動いていくかの指標を立てた。次に前回つけたなれずしを取り出し、4:3:3に人を分け、カレー班、へしこ班、クラッカー班に分かれ各自作業を進めていった。
 私はカレー班になった。初めにカレーを半分に分け、飯を入れるカレーをフライパンで炒めるように熱を入れていきスプーン2杯の飯をカレーに加えしっかり混ぜ合わせた。残った片方のカレーは差を把握するために残し、電子レンジで加熱した。両方のカレーが加熱し終わった後は、玄米の固まりを二つ皿の上に盛り、飯カレーと通常のカレーを玄米の上にかけカレー班の仕事は完了。
【カレー班の感想】 簡単で早めに終わってしまったためほかの班に混ざり手伝うべきだったと今では後悔している。しかし皆と協力してできたと思っているためその点は良いポイントだと考えている。
他の班の作業が完了した後、試食に移っていった。
【全体の感想】 カレー班で不適切な発言があり、全体の雰囲気が良くなくなってしまったが、何とか持ち直し全体の作業が完了し、心からホっとしている。どの班も話を円滑に進め手際よく作業をすすめていたと思う。もっとリーダーの私がしっかりするべきだと痛感したため、次からこのようなことが起こらないように努めていきたい。


20241128鯖鮓②01 20241128鯖鮓②02
鯖鮓(2作目)


2.試食の感想
・カレー(ガラムマサラの程よいスパイスを感じておいしかった)
・カレー+飯(ガラムマサラの辛味が飯を加えたことにより風味がろやかになり辛味も抑えられていておいしかった)
・熊肉なま(硬い・すこし塩気を感じるが食べやすくおいしい)
・茹で熊肉(やわらかく感じる・塩気を感じる・熊肉のうまみを感じた)
・塩サバ(アルコール臭→甘酒・塩気が強い)
・へしこ(水分も多く魚臭く私は少し苦手だった。) 
・加熱ハム(アルコール甘酒、塩気がつよい)
・生ハム(食べやすいちょうどよい塩気で癖が少ない)
・パンガシウス(水分が多くむにょむにょしなかなか嚙み切れなかった・甘酒のにおいが強かった)
・クラッカーゆで(めちゃくちゃおいしい!クリームチーズ→(飯とクリームチーズで2:3)熊肉の塩梅が丁度よかった!)
・クラッカー生熊(おいしい!茹でた熊肉より甘酒のにおいして、塩気が強いがそれが逆にクリームチーズの酸味や甘みと合わさっておいしかった)


20241128へしこ鰯鮓02 20241128へしこ鰯鮓01
へしこ鰯鮓


3.年末に向けどのようなことを調べるか
 私は角寿司からワニ(鮫)料理にシフトチェンジをし、広島にあるワニ(鮫)料理について研究したいと考えている。しかし、どうしても遠方のため、雪や交通の便の都合によっては不可能な場合がある。そうなった場合は、ワニ(鮫)の肉を取り寄せ文献に記載されているワニ料理を再現し、食し歴史や起源、由来などをレポートとしてまとめたいと考えている。ワニ肉すら取り寄せが不可能だった場合、文献に少なくても残っている角寿司の再現、歴史や起源、由来をたどりパワーポイント課題に取り組んでいく。(1年環境KT)


20241128試食02 20241128試食03
左上から時計回りに中華ハム(加熱)・中華ハム(生)・パンガシウス




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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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