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崖と建築のヒエロファニー 三徳山《日本遺産》フォーラム(報告11)

三徳山登山(1) 三徳山登山(2)


崖の紫宸殿まであと一歩

 当日は小雨が降っていたが、三佛寺の判断で登山が許可されたため、輪袈裟を受け取り、C班の引率補佐として予定時刻よりも少々遅れてではあるが登山を開始した。私自身鳥取県出身であるが、投入堂に登拝するのは初めてである。事前に三徳山は修行の道であるため、木の根や鎖を経由して進むなど、険しい道が続くと聞いていた為、非常に緊張していた。登山を始めると小雨の影響で登山道が湿っていたので、滑らないように一歩一歩集中して進んでいった。しばらく行くと、さっそく木の根を伝ってよじ登る斜路が姿を現した。この道は掴む根っこを間違えると足の置き場がなくなるため、特に慎重に進む必要があった。そこから20分程険しい道を歩いていくと、重要文化財「文殊堂」が姿を現した。しかし、我々C班は後に予定されていたフォーラムに間に合わないと判断されたため、ここで先に進むことを断念し、再び登山道を引き返すこととなった(強引に文殊堂まで上った2年生もいた)。もう少し進めば「崖の紫宸殿」を拝めそうな距離であり、この目で一度投入堂を見てみたかった。結果的に悔しい思いをしたが、修験道の山道を少しでも歩むことができたのは非常に貴重な経験であった。また、次に投入堂登拝に挑戦する機会があった場合、草鞋を履いてみたい。なぜなら今回草鞋を履いていた人の意見を聞くと、「意外にも滑りにくく、一切けがもなかった」と言っていたからだ。いつか、家族や友人を連れリベンジを果たしたいと思う。

前仏教としての鳥葬と輪廻

 以下は、私の分担した講演等の記録と感想である。

 講演②浅川「瞑想・礼拝と他界-日本・中国・ブータンの崖寺」: 日本の場合、特殊な自然物(山、巨岩、崖、大木など)に聖なるものを感じる傾向にあり、これを「ヒエロファニー」という。また神社が古く、仏教は新しいという印象を抱きがちであるが、それらよりも前に自然崇拝をおこなっていた。三沸寺投入堂(平安後期)は蔵王権現の紫宸殿(宮室)であるとみなされ、これに代表される日本の懸造り仏堂は山林寺院において、しばしば岩陰や洞穴と複合して独特の神秘性を醸し出している。また、こうした特殊な仏堂の源流は北魏(5世紀末)創建とされる山西省渾源県の懸空寺である。しかし、懸空寺の場合は岩陰ではなく、崖に水平に突き刺した材の上に建っている。このことから、懸造りの原型としては岩陰・岩窟を利用しない懸空寺のあり方が想定されるが、投入堂のように岩陰・洞穴を敷地としてh類のは福建省泰寧の甘露寺である。一方、ブータンにも岩陰・洞穴複合型の懸造りが非常に多く、寺は崖に立地するため、崖ドラクと言うだけで崖寺ドラク・ゴンパを意味するほどだ。石窟寺院になぞらえるなら、日中の懸造り仏堂はチャイティア窟(礼拝窟)に相当し、ブータンのそれはヴィハーラ(僧坊窟)であり、ブータンの瞑想洞穴の方が日本の懸造り仏堂よりも古いタイプの仏教の在り方を示している。また、そこで最も重要な施設は、瞑想洞穴ドラフであり、僧侶はそこで長期の瞑想修行を行う。僧侶が危険極まりない小さな洞穴で粗食に耐えながら、長期の瞑想をするのは一種の臨死体験と言える。その洞穴はしばしば鳥葬場と近く、天上世界の入口と認識されているため、彼らにとって悟りとは「生死の境を超える」ことだと考えられる。



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崖と建築のヒエロファニー 三徳山《日本遺産》フォーラム(報告10)

三徳山 文殊堂 文殊堂 景色(2)
文殊堂からの眺望景観


文殊堂の絶景

 今回の投入堂登拝では、私はB班で投入堂まで行けなかったが、良い経験になった。三徳山の道はとても険しく危険であったが、自然が豊かで美しく、昔の人が崇拝し修行の地とした理由を理解できた。また、投入堂の登拝には至らなかったが、文殊堂に昇殿することができ、文殊堂からの絶景を堪能した。文殊堂までの道のりは険しく雨で滑り落ちそうにもなったが、登った先の景色を見ると、それまでのつらい道のりも忘れるほどの眺望に感動した。ちょうど紅葉の季節でもあったため、カラフルな山並みはとてもきれいだった。私は今回、自分の登山靴で登拝したが、草鞋を履いた友達が草鞋は岩にフィットして登りやすかったと言っていたので、次は草鞋も体験したい。次こそは投入堂まで行ってみたい。


三徳山登山(3) 文殊堂 鎖坂 文殊堂に上がる鎖坂


自然と向きあう修行のあり方の違い

 三徳山三佛寺で開催されたフォーラムのうち、担当分の要約と感想を以下に記します。
 講演①真田「崖と岩陰と建造-三徳山三佛寺を中心に」: 三徳山は伯耆国に位置する一峰であり、大和の国の役行者が「神仏のゆかりのあるところへ」と投げた蓮の花びらが舞い降りたことから、修験道の行場として開山したと伝承される。三徳山の文殊堂には勝手権現、地蔵堂には子守権現が祀られている。勝手権現は祈雨・止雨の神であり、子守権現は水分神である。大山と三徳山を比べると、大山は広い民間信仰域であり、三徳山は修行の山としての特色が強い。三徳山が修行の場となっているのは、水の神が祀られていることが関係しているのではないかと考えている(教授は懐疑的)。
 講演④陳彥伯「台湾の巌(岩寺)と霊山」: 仏教の伝来以前の中国では、山を神聖な霊山として信仰していた。山は誕生の場であり、死後魂が帰る場所として大切にされてきた。この信仰は、山と川を最も重要とする風水に受け継がれている。しかし、仏教の伝来により霊山は仏教の修行と信仰の場所となり、「巌」と呼ばれる仏寺が形成された。台湾では17世紀以降、中国南部(福建)からの移民によって信仰が伝わり、台湾の山にも「巌」が建てられた。移民は、仏教の信仰を持ちつつも仏教伝来以前からの信仰と原住民の信仰を基に、山を神聖な霊山として位置づけ、仏寺を建てた。しかし、日本統治時代に入ると、仏教が支配的信仰になり「巌」の仏教化が進んだ。そこで、仏教を信仰する僧と山を神聖な場とする原住民で対立が起き、「巌」は仏教系の巌と、仏教伝来以前からの信仰による巌と原住民の信仰に基づく巌に分かれた。
 コメント②小林「密教系霊山と両墓制-三徳山三佛寺・喜見山摩尼寺と宝珠山立石寺」: 墓には、死者を葬る葬地と祖霊を祀る祭地の2つの意味がある。これらは同じ場所で行われるだけでなく、時間の経過に応じて別の場所に移る両墓制がある。両墓制では「埋墓」と「詣墓」に分けられる。近年では両墓制は見られなくなったが、詣墓に代わるものとして福井県おおい町のニソの杜などが挙げられる。


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 《感想》 様々な人の話を聞き、三徳山や崖寺についての理解が深まった。三徳山の詳細、仏教や崖寺の歴史、ブータンで信仰されている宗教などを知ることができた。特に、台湾やブータンと日本の崖寺の比較がおもしろかった。ブータンの崖寺は修行の場であり、日中の崖寺は祀堂であることに納得した。ブータンと日本では、修行の仕方も違うのかなと思った。三徳山は修行の場であるが、三徳山では堂までの道のりが修行の場となっている。また、日本でも写経や瞑想なども修行の一環であるが、修験道や滝行など自然の厳しさを活用した修行のイメージが強い。日本は寺に住み、厳しい自然の中に修行に行くイメージである。一方、ブータンでは厳しい自然(崖)で生活し、瞑想が最も重要な修行だというイメージである。ブータンと日本の違いについてもっと知りたいと思った。(3年B班 デミグラス)


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崖と建築のヒエロファニー 三徳山《日本遺産》フォーラム(報告9)

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 今夜から3年生の三徳山レポートを追加しようということになり、ゼミで活動しましたが、なんだ2年生の方が出来がよいではないか、と感じるところもあり、3年を中心にしつつ2年のレポートで補足します。

投入堂の春と秋

 私は2回目の投入堂登拝ということで、B班の引率として登山に挑みました。 前回登ったのは7月で緑が生い茂っていました(上左の写真)。夏の始まりでとても暑かったですが、友人と二人で投入堂までたどり着くことができました。今回は秋の紅葉が美しく、森も地面も赤や黄色の葉が溢れており、秋を感じる登山ができました。天候は良いとは言えず、時々小雨が降りましたが、登山中止にならず良かったです。2年生の班長のS君は体力があり、生徒をまとめるのが上手く、とても頼りになりました。文殊堂に登るための鎖と足場が雨でぬれていてとても滑 りやすく危険だったので、時間がかかりました。2年生が頑張っている姿を見ながら、3年のDさんと文殊堂からの景色を満喫しました。フォーラムに参加しなければならないということでB班は文殊堂までの登山となってしまいました。上右の写真はA班が撮ったものです。せっかく上ったので投入堂までみんなを連れていきたかったです。(3年B班 山女ラニー)


79FDD7EF-62F5-43A1-AB6E-F7B3841EBBFD.jpg 文殊堂からの景色


わらじでリフレッシュ

 私は今回、初めて三徳山を訪れ、B班として2年生の引率の手伝いを担当した。 三徳山に到着してから念入りな靴のチェックが行われた。靴底が滑りやすいと判断されたため、わらじを履いて登った。平坦な道は少なく、雨が降っていたことで、わらじを履いた足の裏は冷たく水がしみ込んでいた。しかし、わらじを履いていて怪我をすることもなく、いつもと違う靴でとても新鮮な気分だった。登山中はふだん交流する機会がない2年生とも会話し、楽しい雰囲気で登り、あっという間に大きな岩の前まで来た。時間の関係でB班は投入堂まで行くことはできなかったが、久 しぶりに山に登ったことで、美しい紅葉を見て自然を堪能することができた。下山する際も2年生が揃っているか確認し、怪我をしないよう慎重に下山した。自然に囲まれて登山をした後のお昼ご飯は格別に美味しかった。今回、日本一危険な国宝と言われる三徳山の奥の院を経験し、自然の厳しさの中で修行する辛さと美しい景色を見てリフレッシュすることができた。 (3年B班 シーサンパンナ)


三徳山わらじ2 三徳山登山で履いたわらじ


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崖と建築のヒエロファニー 三徳山《日本遺産》フォーラム(報告8)

1125三徳B班01文殊からの眺め02紅葉01


 今夜は投入堂まで達せなかったB班(文殊堂まで)とC班(鎖坂手前まで)の感想文を抜粋してまとめます。やはりどうしても、登拝を叶えたA班と比べて、達成感とまではいきませんが、それなりの感動はあったようです。最初はイヤだった草鞋(わらじ)が驚くほど機能しはじめたことに驚き、普段はまともに口もきかない学生同士が協力しあい、目前の風景に感動する様がよく分かります。

もっと寝坊したかったが、登ってみると素晴らしかった

 私はB班なので最後まで登頂することはできなかった。しかし、文殊堂まえの崖を懸命にのぼり、文殊堂からみた山の紅葉はとても美しく感動した。A班のみんなは、最後まで登って良かったと言っていたので、私も文殊堂までで満足せずに最後まで登頂しきりたいとおもった。紅葉がきれいだったのでまた来年秋に挑戦したい。あのような危ない場所に、どのようにして木材や仏像を運んだのか、現代の技術をもってしても大変そうである。周囲の木材を運んだのでしょうか。三徳山は知ってはいたものの、なかなか登る機会がなかった。当初は、せっかくの土曜日を山登りに使い、朝起きたときはまだ寝て居たいなと愚痴をこぼしてたが、登ってみると素晴らしい体験であったと思う。(B班班長・62SF)


1125三徳B班10鎖坂02


文殊堂からの景色が絶景だった、登った甲斐があった

 投入堂までたどり着くことができず、途中下山することになってしまった。私は鳥取県出身なので三徳山が険しいということは知っていたが、想像以上の険しさだった。悪天候ということもあり、より修行の厳しさを実感することができた。前からあんなところまでどうやって資材を運んでいたのだろうと思っていたが、今回の登山で三徳山の険しさを知り、より疑問に思うようになった。今回は残念ながら文殊堂までしか行くことができなかった。しかし自分では行こうと思わない場所なのでとても貴重な経験となった。文殊堂からの景色も絶景だったので登った甲斐があったなと思った。険しさに途中で諦めそうになったが、同じ班の人からの声掛けや自分でも登らなきゃという意識もあり、時間いっぱい最後まで登ることができてよかったと思う。最初は嫌だったが、実際に訪れると不思議と頑張ろうと思えて少し精神が鍛えられた気がした。また機会があれば、その時はちゃんと投入堂を自分の目で見たい。(77TN)


1125三徳B班01文殊からの眺め01


初めての登山なので文殊堂まででも達成感あり

 私は、今回の投入堂参拝が初めての山登りだった。友人から三徳山は険しく登ることが難しいと聞いていたが、実際登ってみると想像以上の険しさだった。私は普段運動をする機会がめったにないため、前の人に合わせて登ることで精いっぱいだった。私の班のB班は、くさり坂を超えた文珠堂まで登った後下山することになった。文珠堂から辺りを見回すと、紅葉した森と霧をすぐ近くに確認することができた。自分がここまで登って来れたのだという達成感を感じた。投入堂まで行けなかったことはとても残念だが、自分にしては頑張って登ることが出来たと思う。非日常的な貴重な体験をすることができ、とても嬉しく感じた。(78TS)

草鞋と輪袈裟と絶景と

 私は鳥取市出身なのですが、今回の実習・演習で初めて日本遺産に認定されている国立公園三徳山に登りました。三徳山は、テレビや写真で見ていたよりもかなり険しく、雨が降っていたこともありとても寒かったです。私は靴のソールチェックに合格できず、日本遺産の会に代金を払っていただき、わらじで登りました。わらじを履いてすぐは寒くて嫌だと感じていましたが、登り始めると険しい道にはわらじが適しているということを実感し、また人生で二度とない経験をしていると感じ、登山後はわらじを履いて山を登るという貴重な経験ができたことを嬉しく思いました。登山前に入峰修行受付所で全員が輪袈裟を貰い登山を行いました。この輪袈裟を付けていたことで、より実習・演習という感覚ではなく、本当の修行に参加している気持ちで登山をすることができました。私はB班であったため、実際に三佛寺奥院投入堂まで登り、それを見ることはできませんでしたが、途中の文殊堂まで登ることができました。文殊堂は我々の命を守る柵のようなものがないため、視界の隅々まできれいな紅葉と空の景色が広がっていました。今まで氷ノ山や久松山、若葉台の山に登ってきましたが、そのどれとも比べ物にならないほど美しい景色で、感動を得ることができました。道中で最も記憶に残っているものは、文殊堂の近くにある下山道の鎖で直角になっている岩を降りたことです。体力がほとんどなくなっていた中で鎖を全力で握り、身長の関係で足の置き場のない直角の岩を降りたことが人生で最もスリリングな経験であり、今回の登山で最も記憶に残っています。今回の投入堂登拝を通して、次こそは投入堂まで登って、そこからの景色を見たいと思いました。(79TK)


00わらじ03 


あれほど過酷な環境だったからこそ仏教に合っていたのだろう

 三徳山の登山を終えて、自身がこれまで経験しなかったほどの険しさを体感できたと思います。私は、小さい頃からそれなりに登山をしてきたつもりでいましたが、今回の実習を経て自身の認識の狭さを自覚することになりました。今後は、実習を受けるに際し体力形成を怠らないよう意識したいと思います。そして、今回の実習のメインとなる投入堂に関して、自身の班は到達することが叶いませんでした。絶景という話も耳にしていたので残念ではありますが、文殊堂到達時点でかなりの険しい道を通ってきたので、十分新鮮さを味わえたとは思います。特に、文殊堂前の急斜面については、初見でとても驚きました。鎖を使った下山というのもこれまでしたことがなかったので、登山に関して色々と知ることができました。そして、なによりあんな過酷な環境下で建築を行った当時の技術力に驚かざるをえません。あの崖の上に建材を送る手段や、あのような足場で建物をつくった過程は本当に不思議でなりませんが、あのような過酷な環境下だったからこそ、寧ろ仏教の性質に合致していたのだろうと講演の拝聴後に考えていました。自分は体力に自信のあるほうではありませんが、気が向いたら投入堂を直に見てこようと思います。また、今回の実習を機に自然物と人の関わりについても興味がわいたので、自身の地元でも何らかの伝承や山岳信仰が残されていないか文献等で調べてみたいという気持ちにかられました。また、私の家の近くにある長良川は、かなり歴史的価値のあるものだそうなので、地元に住んでいた昔の人々は、山のみならず川も同様に神として崇めてきたのかどうかということについて気になりました。(85CA)


1125三徳B班00おぎ01 山女ラニー(B班引率)


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崖と建築のヒエロファニー 三徳山《日本遺産》フォーラム(報告7)

1125三徳A班01投入02集合写真01


 11月25日(土)に開催した日本遺産《三徳山》フォーラムでは、午前中に40名近い学生が投入堂めざして登山しました。2年生32名を3班(A班・B班・C班)に分け、それぞれに案内人とサポートをつけたのですが、まず雨上がり(時々小雨)状態で足元がわるく、靴底チェックでひっかかり草鞋に履きかえる学生も少なからずあって時間を要しました。3班が時間差をもって登拝を始めたのですが、進行思うにまかせず、先発のA班のみ投入堂到達、2番手のB班は文殊堂まで、最後列のC班は鎖坂の下までとなって、フォーラムにあわせて下山しました。このことを知ったわたしは大変ショックであり、フォーラム中に何度か謝罪しました。今夜は投入堂まで上がったA班の感想をお届けします。なお、今回の登拝にあたっては、入山料・草鞋代の全額を日本遺産の会にご負担いただきまして、ここに記して感謝申し上げます。


厳しい登山に班員の心の距離が縮まった

 私はA班のグループで投入堂までたどり着くことが出来たが、時間がなかったため、急いでの登頂となり、あまり詳しい話を聞くことが出来なかった。登るにあたってその道のりがかなり険しく、ところどころ藁などが地面に敷いてあって、引率の方に話を聞くと、登拝する人が増加してきており、地面が踏み削られることからボランティアで学生や自衛隊の方が補修してくださっていることを知って、あの道に重機などの機械を持ち込むことが出来ないため、人の手によってされていたこと、その労力に感謝しながら登りました。登るまでの最中には自分の力や体感しか頼れるものがないような場所もあり、何度も危ない場所を通るたびに緊張が走りました。自然は人をコミュニティに帰属させる効果を持つことを耳に挟み、登山をしているときにすれ違った人に挨拶や軽い世間話などをしていて、これがその効果なのかと実感しました。また、鐘楼ではA班の班員の一人が代表として鐘を搗いていたのですが、今までの登りに対する疲れも相まってしみじみと音を楽しみました。投入堂の手前には社のような小振りの建物(元結掛堂)があり、そこに住職が自分の髷、髪の毛を納めることを知りました。登る道のりは険しく大変なものでしたが、たどり着いた時の感動はすさまじく、はじめはあまり会話の少なかった班であったが、一気に心の距離が近づいたことを感じました。投入堂がどのようにして建ったのかがわからず、解明してほしいと思いながら下山しました。今回の登拝でははじめに述べたように、あまり詳しい説明を聞くことが出来なかったけれども、フォーラムでの説明で実物を見たことによってより興味を持ち集中して拝聴することが出来、次は夏に草履をはいて登ってみたいと思いました。(A班班長1AR)


1125三徳A班01投入01


修行者はこんな怖い想いを乗り越えて特殊な力を手に入れたのか

 三徳山や周囲の山の紅葉がとても綺麗でした。また、登山道やその側など簡単に見えるところに両手を広げたほどの直径の杉が生えているのを見かけました。信仰や修行の場として、手入れはされているが最低限で、伐採とかはないため、植物の種類が多く自然が守られているなと思いました。歩きやすい道ではなく、岩や入り組んだ根を足場にしたり手を使ったりして進んでいき、自然の険しさを感じました。落ちて死ぬのではないかと怖くて登れなかったため、私が行けたのは鎖坂の前までです。修行者は臨死体験をしていたそうですが、このような経験を繰り返し、乗り越えていたなら、実際に何か特殊な力を手に入れられたのかもしれません。文殊堂を見上げて、材料を持ってきたとしても山の木を使ったとしても、どうやって建てたのか不思議に思いました。投入堂まで行けなくて残念だったので、次は晴れた日に荷物を減らして挑戦したいです。(8IK)

鳥取学で学んでから是非行ってみたいと思っていた

 私たちの班は、投入堂までたどり着くことができた。着くまでの道のりはとても険しくて怖くて何度も引き返したくなったけれど、同
じ班の子たちと励ましあったり、案内してくださったガイドさんに励まされながら、登りきることはできた。登っている途中も、ガイドさんがうまく登れる方法や気を付ける点、お寺の説明などをたくさんしてくださり、たくさんのことを学ぶことができた。実際に投入堂を見た時、迫力があって感動した。本当に崖の上に立っていて、当時の建築技術者の発想の独特さに驚いた。修復作業は、がけ下からレールを敷いて行っているということを聞いた。たどり着くまでと下山はとても大変だったけれど、登ることができてとても達成感があった。鳥取学で習ってから、ぜひ行ってみたいと思っていたので、実際に行くことができてよかった。(10IR)

ずぶ濡れ、泥だらけになった最高の達成感

 私は鳥取市で生まれ育ったが、三徳山の登山は初であった。小雨で、足元も悪い中での演習だった。特に、自分は靴のチェックで草鞋に履き替えさせられての登山で、最初は正直消極的な姿勢で臨んでしまった。しかし、私たちの班は、投入堂まで登ることができた。ここ最近では、最高の達成感であった。手足がずぶ濡れ、泥だらけになりながらであったが、心の底から参加してよかったと感じる瞬間であった。それは恐らく私だけでなく、班員皆が感じていたことだろう。皆最初は文句を言いながらであったが、最後には笑顔でお互いを称えあい、友情も感じることができた。とても良い機会を与えてくださって、感謝の気持ちでいっぱいです。(13ID)


1125三徳A班01投入03紅葉01 1125三徳A班01投入01sam


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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