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喪中のご挨拶

本年10月12日に母たみ子が93歳にて他界し、喪中のため、
年頭のご挨拶を差し控えさせていただきます。
寒さ厳しき折から皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

平成二十八年大晦日


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ヴィンセント




 発端はビージーズの「ハウ・ディープ・イズ・ヨア・ラブ?」でした(↑)。めずらしくトミー・エマニュエルがソロではなく、デュオのリードギターを担当していて、もちろんごらんのとおり上手いのですが、気になったのはボサノバ風のリズムを刻んでいるおじいさんの方。ジョン・ノウルズ(1942-)はチェット・アトキンスからC.G.P(Certified Guitar Player)の称号を与えられた腕利きギタリストの一人のようです。C.G.Pとは、つまり、ギタリスト免許皆伝ということでしょうね。

 チェットの演奏にはクラシック・ギターの技法が垣間見えますが、ノウルズもどうやらその系列でして、下の演奏を聞いてみてください。




 
 元の演奏はチェットですが、これをクラシック・ギタリストが何人もカバーしている。上の画像の右に並ぶ多くの関連動画で「ヴィンセント」を聴き比べてみてください。
 ずいぶん長いことまともな楽譜をみてギターを弾いていない、つまり、ここ数年ほとんど自分のアレンジで弾いてきましたが、「ヴィンセント」に接し、ギター譜を取り寄せて練習してみようか、という欲が湧いてきています。
 下はチェットとドン・マクリーンの共演です。中年になったマクリーンの声が素晴らしい。チェットのギターに負けてませんね。なんかとても懐かしくなって、ドン・マクリーン(とギルバート・オサリヴァン)のベスト盤(もちろん中古)を注文してしまいました。
 楽譜も探してみます。


男はつらいよ-ハ地区の進撃(13)

衝撃の科学的年代測定結果

 今夏の第5次ブータン調査で採取したサンプルの放射性炭素年代測定結果が届きました。今年もまた衝撃的な結果を含んでいます。以下に測定結果を2σ暦年代範囲で記します。

試料No.1 ツァルイ寺本堂脇建物跡(廃墟)中間室 壁土内の有機物サンプル
  1670-1707 cal AD (15.9%)、1719-1779 cal AD (28.1%)、
  1799-1820 cal AD (10.8%)、1821-1826 cal AD (0.8%)、
  1832-1887 cal AD (22.5%)、1914-1943 cal AD (17.0%)、
  1952-1953 cal AD (0.3%)
   →17世紀後半~20世紀中頃

試料No.2 ツァルイ寺本堂脇建物跡(廃墟)後室  壁土内の有機物サンプル
  1958-1958 cal AD (9.2%)、1989-1991 cal AD (77.5%)、
  1991-1991 cal AD (8.8%)
   →20世紀中頃~後半

試料No.3 シャヴァ村建物跡(廃墟) 壁土内の有機物サンプルA
  1420-1460 cal AD (95.4%)
   →15世紀前半~中頃

試料No.4 シャヴァ村建物跡(廃墟) 壁土内の有機物サンプルB
  1490-1603 cal AD (75.3%)、1612-1644 cal AD (20.1%)
   →15世紀末~17世紀中頃

試料No.5 ③ツァルイ寺本堂柱材最外年輪サンプル 
  1494-1602 cal AD (74.2%)、1616-1645 cal AD (21.2%)
   →15世紀末~17世紀中頃



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真田アントラーズ

 日曜の夜は落ち着きませんでしたね。
 午後4時ころからそわそわしてしまい、患者を誘ってモスをひやかし時間を紛らす。澱粉カットはどうしたのかって?
 「モスの菜摘(なつみ)」をご存じありませんか? パンやナンなどの巻粉物はいっさいなし。キャベツの千切りのなかに肉物が納まっている。

 BSを受信できない方は少々焦ったでしょう。クラブW杯と真田丸が表裏でしたから。BSが受信できるなら問題はありません。午後6時から「早丸」、7時から鹿島対レアルをみればいい。まぁ、一方を録画すれば済むことだね。この場合の真田丸は「録丸」と言うそうです。
 真田丸にはお世話になりました。一昨年の軍師官兵衛にも嵌ってましたが、真田丸はそれ以上だったかもしれない。年間平均視聴率(関東)を比較すると、官兵衛が15.8%に対して、真田丸は16.6%であったと報じられています。ネット上の騒ぎ方などを振り返ると、もう少し差があって然るべきとも思うのですが、関ヶ原以降、役者が小粒になり(とくに大阪城五人衆)、大坂方の魅力が十分発揮されず、視聴率も伸び悩んだような気がします(最終回は14.7%)。
 最終回についても、なるほど・・・とは思うのですが、すでに3度見返してみて、最後の神社のシーンは要らない、とか、本多正信(近藤正臣)とか佐久間象山にエピローグを預けるべきだったのか、とか、いろいろ考えますね。愛着があったからこそ消化不良だったのかもしれません。

 鹿島も、真田・毛利に劣らぬ見事な戦いぶりでした。恥ずかしながら、0-1の膠着状態で「本丸」が気になり始め、チャンネルを変えてしまったんです。鹿角の兜をかぶり、赤い陣羽織を身にまとう信繁の雄姿にアントラーズが重なって映る。20分ばかり画面にみとれながらも、チャンネルを戻すとゲームは1-1になっていて、仰天。後半以降は浮気心をおこさず、試合を凝視し続けました。
 夏の陣では大野修理が千成り瓢箪の馬印を城にもちかえるところで戦の流れを変えてしまいましたが、クラブW杯決勝ではラモスにレッドが出そうで出ないところで潮目が変わった。わたしはラモス問題以前、鹿島が小笠原を下げたところで良い流れを断ち切ってしまったように思っています。普通の試合なら、ルーティーンの交代策でよいけれども、相手がレアルではそうもいかない。55歳になった佐助のように、ベテランの小笠原には精魂尽きるまで踏ん張って、レアルの心臓、クロースとモドリッチを潰してほしかった。
 鹿島は昨年のレスターだよね。サッカーは組織で強くなる。こうしたチームを代表のベースにすべきでしょう。11人中5~6人はアントラーズでいい。いつもモデルに思うのは、ベッケンバウアー時代のバイエルンです。当時の西ドイツ代表は、マイヤー、ベッケンバウアー、シュヴァルツェンベック、へーネス、ミュラー、ブライトナー(後にレアル)がバイエルンだった。対抗馬のオランダはアヤックスとフェイエノールトの連合軍で、両国ともべらぼうに強かったという印象があります。

 真っ赤な鹿角軍団は、結局、表裏とも敗れてしまいました。負けるが勝ちさ。それを学んだ年でもあります。

壁の花(植物)

ニオイアラセイトウ(匂いアラセイトウ)02 ニオイアラセイトウ(匂いアラセイトウ)01


 ウォール・フラワー(wallflower) は ニオイアラセイトウという和名をもつアブラナ科の多年草でもあります。この場合、「ダンスパーティなどで相手をしてくれる男性がいなくて壁際の椅子に腰かけている女性」とはなんの関係もありません。詳細は以下のとおり

ニオイアラセイトウ(匂いアラセイトウ)
植物界 Plantae
被子植物門 Magnoliophyta
双子葉植物綱 Magnoliopsida
ビワモドキ亜綱 Dilleniidae
フウチョウソウ目 Capparales
アブラナ科 Brassicaceae
アラセイトウ属 Matthiola
学名:Erysimum cheiri
別名:チェイランサス、ウォール・フラワー(wallflower)
花期:春
誕生花:5月6日
花言葉:逆境に打ち勝つ
出典:http://blogs.yahoo.co.jp/s4gurei/31227341.html


ウマ・エラマ

 個人的に「孤独な女」というイメージと重なるのはブータン高地に咲き乱れる黄色い花です(↓)。どんな草でも食べそうな牛やヤクなどの家畜がぜったいに食べない草です。人間も食べない。毒はないらしい。匂いが原因ではないか、とガイドのウタムさんは言っていました。ゾンカ語の呼称はウマ・エラマ(Uma Elama)、学名はSenecio Loetus Edgeworth とのことです。


2016壁の花01メラク01 2016壁の花01メラク03sam 
↑↓東ブータン・メラク高地(標高3400~3700m、2014)
2016壁の花01メラク02 2016壁の花01メラク04sam

壁の花(歌詞)

 歌詞にもあたってみました。
 ウォールフラワー(Wallflower)という言葉がすべてですね。「壁の花」とは「ダンスパーティなどで相手をしてくれる男性がいなくて壁際の椅子に腰かけている女性」のことです。
 映画の一シーンが目に浮かんでくるようでしょう?


   壁の花

 壁によりかかったお嬢さん、
 ぼくと踊りませんか?
 ぼくも悲しくて、ひとりぼっちなんだ。
 壁によりかかったお嬢さん、
 ぼくと踊りませんか?
 君に恋してしまいそう。

 君と同じさ、
 ここで何をしているのか分からない。
 君と同じさ、
 なにがおきているのか分からない。

 壁によりかかったお嬢さん、
 ぼくと踊りませんか?
 夜はたちまち過ぎていくよ。

 煙い靄のなかに立つ君をみていると、
 ちかいうちに君はぼくのものになるって分かるんだ。
 ぼくだけのものに。

 壁によりかかったお嬢さん、
 ぼくに賭けてみませんか?
 君の家まで車で送らせてよ。


壁の花

 蹴球酒場でBGMに60~70年代のポップスが流れてきた。声が低く皺枯れていて、男性歌手だと思い込んでいた。イーグルスの「デスペラード」、カーペンターズの「スーパースター」からギルバート・オサリヴァンの「アローン・アゲイン」と進んで心地よくなり、思わすマスターに「これっ、ロッド・スチュアート?」と訊ねたのだが、主人はキョトンとしている。

   「ダイアナ・クラールですよ・・・」

 老いたものです。ダイアナ・フリークのわたすがダイアナ・クラールの声と音楽を認知できなくなっている・・・手渡されたジャケットをみつめ、最近(2015)の作品であることが分かり、さっそくガラケーに wall flower とメモしてPCアドレスに送信した。
 帰宅後、アマゾンで作品を検索すると、日本語版ジャケット『ウォールフラワー』にはじつに114件ものカスタマーレビューが入っている。ついに『ルック・オブ・ラブ』『ライブ・イン・パリ』を凌ぐ作品に仕上がったのか。曲目リストをみると、60~70年代の大ヒットがずらりと並び、しかも、その締めがニール・ヤングの「孤独の旅路」となっていて、そりゃもう即買い、爆買いだぁ・・・とはいかなかったのね。邦版は高いので、USAから中古版をとり寄せることにした(まだ届いていない)。

 問題はアルバムタイトルの「ウォールフラワー」という曲です。これが驚いたことに、ディランの作品なんだ。まったく知らなかったので、少し調べてみました(英語版ウィキペディアの要約)。

  「ウォールフラワー(Wallflower)」はボブ・ディランが1971年11月に作詞作曲し録音した歌だが、ディラン自身の録音は20年後の『海賊版シリーズ』vol.1-3(1961-91)の一部として初めてリリースされた。同じ1971年録音の別テイクは2013年に『海賊版シリーズ』vol.10「もうひとつの自画像(1969-71)」でリリースされた。1972年10月、この歌はダグ・サームによって録音され、ディランはバック・コーラスで参加している。ダグのデビュー作『ダグ・サーム&バンド』に収録され、1973年にリリースされた。以来、多くのアーティストにカバーされている。

 どこか聞き覚えのある曲のように感じるのは、デビッド・ブロムバーグの『ニューヨークのおたずね者』(1974)に収録されていたからかもしれない。否、ムッシュの「どうにかなるさ」に似ているからかな。あるいはまた、勝手な妄想ではあるけれども、曲調としてはトム・ウェイツに似合うような気がしている(カバーしているかどうかは不明)。
 ダイアナのアルバムはまだ届いていないが、もちろんユーチューブで「ウォールフラワー」を聴くことができる(↓)。シンプルなカントリー風のワルツですね。歌詞の意味が分からなくても、なぜかジーンとくる。ディランの隠れた名曲だ。 【続】



グルリンポチェがやってくる(8)-文字・行間のサイズなど

 12月15日(木)の活動では、予め各メンバーがGIMPで画像の英語文字を消して和訳文を入力したものを一人ずつスクリーンに表示し先生にチェックしていただきました。その後、若干の修正を施してプリントした資料に修正点を記入していただきました。入力してきた文字のサイズや行間が各メンバーで異なっていたので、以下のように統一します。

   前書: 文字 90px 行間40px
   本文: 文字120px 行間80px

 以上を原則としますが、注意点が2つあります。

   ①原著のレイアウトに敬意を払い、もとのテキストの位置等を尊重する。
   ②その場合、多少文字サイズや行間、行数を変えてもよい。

 先週の1年演習でも指摘されていたとおり、著者とその作品に対するレスペクトを訳文でもレイアウトでも決して忘れないように、となんども強調されました。今後は、指示に従って修正を施し、仮製本したものを12月22日(木)の授業時に提出します。(中西)



蛍で忘年会

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 12月14日(水)のゼミ終了後、忘年会を開催しました。
 14人で居酒屋「ほたる」にお邪魔しました。2時間飲み放題で一杯目はビール4、カシス類5、ホッピー1、ウーロン茶4で乾杯しました。ホッピーを頼んでいる人を人生で初めて見ました。料理は、お造り・豆腐サラダ・おでん・串・豚平焼き・フライドポテト・ねぎと豚の炒め物・小エビのから揚げ・焼きそば・女子にはアイスが出てきました。ブログ用の写真を選んでいるときに気付いたのですが、誰も料理の写真を撮っていなかったです。


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 ぱでぃさんとかっきーさんはFNS歌謡祭が始まってからテレビに向かって体育座りで見ていました。とくにぱでぃさんはEXILE一族を熱心にみて応援していました。内蔵助先輩の金髪写真(3年前期)をみせてもらって3年生一同に衝撃が走りました。笑上戸の鬢鬢先輩はお酒が入ると最高です。きびたろうさんは酔ったときに「カクカクじわじわする」らしいです。新しい表現が誕生しました。彼女は家が近いので帰りは徒歩だったのですが、ふらふらだったので連絡をいれて迎えに来てもらいました。他の学生は、帰りはタクシーで割り勘でもして帰れ、という命が出たのですが、かっきーさんがOK牧場君に裏切られて駅から歩いて帰ったらしいです。(ドンマイ!)私は、ぱでぃさんのお母様に下宿まで送ってもらいました。感謝です。

 来週で今年最後のゼミ活動なのでビシバシ指導をされると言われ怯えています。3年としての活動ももうすぐ終わりなのでラストスパート頑張りたいです。(みひろ)


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天台宗山陰教区教学布教研修会講演の報告

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摩尼山・摩尼寺に係わる新規目標

 表記の講演を無事に終えました。6月の中国三十三観音霊場先達合同研修会とは異なり、天台宗古刹の住職を務める方ばかりの集まりであり、まさに釈迦に説法・・・危ない橋を渡ったのか、渡れなかったのか。
 内容は上(↑右)に示すとおりでして、先達研修会やたくみ21例会の内容とほぼ同じだが、鳥取中部地震の問題をやや長めにして最後に付け足した。
 わたしのあとに話された駒沢大学総長さんのお話が専門的でじつに3時間に及ぶ講義であったのに対して、わたしの発表は学生向けの内容であり、あれで良かったのかどうか、少々反省している。
 講演後、見上所長を始め、多くの参加者から声をかけていただき、とても嬉しく思った。都合で懇親会を欠席せざるをえなかったこと、残念であり、この場を借りてお詫びもうしあげます。


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 さて、このたびの講演で、「摩尼山・摩尼寺に係わる新規目標」を公開した。まず、庫裡の耐震構造補強をすすめ、その保全活用のあり方として 「位牌堂」の機能を庫裡に埋め込めないか、検討する。次に地盤沈下で建物が傾き危険な状態になっている閻魔堂を立岩脇の原位置に移設できるように工夫する。これは、信仰上の問題に加えて、摩尼山巡回トレイルの充実とも直結している。さらに、重要文化的景観「山湯山の梨園と浜湯山のラッキョウ畑」の実現をめざす。これにより、砂丘(山陰海岸)と摩尼山の一体化がなされる。そしてまた、門前の新規店舗を誘致するよう働きかける。
 みんな夢のような話かもしれませんが、「日本最大の登録記念物」にしたって少し前までは夢でしかなかったわけですから、壮大な構想をもっておくにこしたことはないと思って、Go For Broke ! 
 あたって砕けろ!! 


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縄文-建築考古学、再び(5)

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定住開始期の屋根材をどう考えるか

 群馬のからっ風は冷たい。上左の写真には寒さが映っているでしょう? 西鹿田中島遺跡の整備は順調に進んでいる。こんなに風が冷たいと、順調に進んでいようといまいとどうでもよくなるね。早く屋内に戻りたい。
 そういえば、出張先では地名のわかる証拠を写しこんだ地鶏写真が必要なのであった。前にも述べたように、ガラケー&一眼レフでは地鶏不可能なので、今回は舎弟に撮影をお願いした。上右の写真をクリックしてください。わたしは群馬県みどり市に所在する国指定史跡「西鹿田中島遺跡」の整備現場をちゃんと訪問しております。この問題について、少し考えなおしたんだけど、GPSデジカメが有効に機能するんじゃないでしょうかね。緯度・経度情報が写真に付加されるわけだから、地名を写しこむ必要がなくなる。マカオにもっていって試してみよっ。


1210西鹿田01住居地01 住居建設予定地


 整備委員会は12月10日(土)に岩宿博物館で開催された。その2日前に2棟めの復元住居が試作されている(小生不参加)。必要な鹿なめし革の枚数を把握するための実験的復元であり、規模は1/2とされた。その結果、やはり原寸の場合、鹿革は100頭分必要であることが判明した。これについては、結構風当たりが強かった。問答を再現しておきましょう。

  問: いくらなんでも1棟100頭の鹿っていうのは多すぎるんじゃないですか?
  答: 博物館の庭に展示してあるグラヴェト文化(ウクライナ↓)の後期旧石器時代住居
   はマンモス100頭分の獣骨を使っているんですよ。旧石器時代というのは狩猟社会なん
   だから、毎日のように鹿を捕って食べていたにちがいない。狩猟を最も重要な生業として
   いる場合、100頭分の革や骨をためおくのは難しいことではないはずです。
 
 この問題について、地元の委員から「現在でも毎年100頭以上の鹿が捕獲されるので、それだけの革を提供することはできる」という心強い助言を頂戴した。


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ウクライナ・グラヴェト文化(約2万年前)の住居復元レプリカ@岩宿博物館


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グレッチ




 舎弟に連れられ桐生仲町をうろついていて、どうにも蕎麦をたくりたくなり、椿茶屋なる店の暖簾をくぐった。店構えはたしかに数寄屋風だが、飾りつけられた品々やポスター類で埋め尽くされた内装はオールド・グッド・アメリカン一色。なかなかセンスが良く、ここに麗しきマダムのひとりでも居れば、店は毎夜常連で賑うであろうと思われた。
 しかし、厨房からあらわれたのは70代のジェントルマンであり、しかも、その人物はオーナーではなく、雇用者であるという。内装はデザイナー等の指導をうけたわけではなく、2歳年上のオーナーが自らてがけたと聞いて驚いた。
 もり蕎麦を注文する。白髪のおじさんは、待ってましたとばかりに厨房に消えていった。なかなか戻ってこない。インテリアのなかにギターを2台発見。1台はカウンターのむこう側に立てかけてあり、もう1台は飾り物の一部として表側の壁に吊るしてあった。淡い茶色のグレッチである。高いんだろうなぁ。蕎麦を待ちかねて弦に触れると、EADGBEの調弦がぴたりとあっている。
 弾いてみたい、という衝動にかられた。が、もちろん弦に触るにとどめて席に戻る。まもなく蕎麦がカウンターに届いた。蕎麦を啜りながら、おそるおそるグレッチのことを訊いてみた。そのグレッチはオーナーのものだそうである。オーナーは近所に数軒のお店をもっており、今はべつの店にでているが、しばらくすれば戻ってくるだろうとのこと。





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ヤクと野牛の物語(6)-文字・行間のサイズなど

 12月8日(木)。まず訳しのこしていた裏表紙の最後のパラグラフを全員で訳しました。これについては、以下のサイトに訳文を掲載しています。

   ヤクと野牛の物語(4)

 1年生は結局、フォトギャラリーで画像の英語文字を消し、パワーポイントで和訳のテキストを入力しました。その成果を一人ずつパワポの画像をスクリーンに映して先生にコメントしてもらい、その後、プリントした資料に問題点を校正書きしていただきました。
 文字と行間のサイズについては、以下のように決めました。

   本 文: 文字16ポイント 行間(固定値)27ポイント
   裏表紙: 文字10ポイント 行間(固定値)16ポイント

 これを原則としますが、さらに、

  ① 英語テキストのレイアウトを尊重すること
  ② 重要なイラストを和訳文字で切らないこと

に注意するよう指示がありました。和訳の文章だけでなく、レイアウトやイラストに対しても、原著者とその作品に対するレスぺクトを忘れてはいけない、とのことです。(田邊)

天台宗山陰教区教学布教研修会講演のお知らせ

摩尼山、日本最大の登録記念物へ

 師走を迎えましたが、まだひとつ講演会を残しております。今回もチャリティに尽力する予定です。

  日 時: 12月13日(火)
  会 場: ホテルモナーク鳥取 
  次 第:  教養講座 14:00~15:30
   講師 浅川 滋男(公立鳥取環境大学環境学部教授)
   演題 「摩尼山、日本最大の登録記念物へ」
         教学講座 16:00~17:30 
   講師 池田 魯參(駒沢大学総長)
   演題 「天台四教儀」(仮題)

担当事務局: 鰐淵寺 [email protected]

そしてまた、サロマ湖の牡蠣

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 常呂(ところ)から送られてきたサロマ湖の牡蠣ですよ。うぅぅ~ん・・・ロコソラーレの匂いがする。
 なんど食べても美味しいですね。美味しいの一言に尽きる。
 ことし、わたすは、ひょっとすると、常呂に凱旋する機会があるやもしれないの。いま新3年ゼミ投票の真っ最中でして(一次投票を終えたところ)、相変わらず人気は高くありませんが、何人か部屋にきてくれた学生はいます。それがぜんぶ女子なんで、わたしをめぐる世界も変わりつつある。そのなかに1名北見出身者がおりまして、以下のような会話を交わしたのです。

   「子どものころ、常呂遺跡の森でよく遊んでましたぁ~」
   「えっ、あれっ、おれが(復元)やったんよ・・・」
   「えっ、そうなんですか!」

 ことしは喪中です。つまり賀状で牡蠣のお礼ができないので、常呂の送り主に電話で感謝の気持ちを伝えました。ついでに、もちろん、上の話題も提供しておきました。驚いてましたね。常呂遺跡の森の担当者だった人ですからね。


1203サロマ03


 さて、<世界>建築史を主題とするぶっ飛んだ内容の本が企画されており、拙宅にも依頼が舞いこんできました。受けるか否か。しばし考え、やはり「(へヴィメタ系には)ついてけないから断ろう」といったん決めたのですが、まてよっ・・・優秀な二人の旧助教がいるではありませんか。二人ともいまは京師の旧帝大に所属し、一人は東洋、もう一人は西洋を専攻している。<世界>建築史なる分野にこれ以上ぴったりの組み合わせはない、と嬉しくなって編者に二人を推薦したところ、「おまえも名前だけは残せ」という指令が戻ってきました。
 というわけで、この週末、娘が学生時バイトしてた京都駅グランヴィアのレストランで1回めの打ち合わせをしてきました。本気で動きだすのは、五輪会場と同じく、クリスマスのころからです。
 いや、なかなか楽しかった。こうなったからには、いいものを紡ぎださないとね。


1203猫01縦01 珈琲樹と五月

グルリンポチェがやってくる(7)

グルリンポチェがやってくる p44 p.44


 いちばんはじめにかがやく朝やけのひとすじの光が
 山のいただきからひろがって


グルリンポチェがやってくる p45 p.45


 あけはなしたマドから家のなかに入りこみ、
 仏だんをあかるくてらしたとき、
 イェシェイちゃんはワクワクむねをはずませます。


グルリンポチェがやってくる p46 グルリンポチェがやってくる p47 p.46-47


 グルリンポチェがやってくる。
 少女はしあわせそうにさけびます。

 そう、そうなのよ。
 しずかにドルマおばあちゃんは言いました。
 グルはかならずやってくるの。
 イェシェイちゃんはお祈りの合掌(がっしょう)をし、
 ドルマおばあちゃんは法要の水さしに入った水をふりまきます※17

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グルリンポチェがやってくる(6)

グルリンポチェがやってくる p36 p.36


 ラモおばさんは牛をかっていない人みんなに
 ミルクの入ったオケをくばりながら言いました。
 せいいっぱいがんばってくれたのね、
 ありがとう、牛のおばあちゃん。
 ほらみんな、ほんの少しだけれども、お供えのミルクがあるわよ。


グルリンポチェがやってくる p37 p.37


 だって、きょうはグルリンポチェがかならずやってくるんですもの。
 グルはもうすぐ朝やけの光にのってやってくるの。


グルリンポチェがやってくる p38 p.38


 イェシェイちゃんは家じゅう走りまわり、
 これも、それも、なにもかも、ドルマおばあちゃんにわたします。
 おばあちゃんはそれらの品もので、仏だん※15に供えるお皿をみたしていきます。
 
 ドルマおばあちゃんは注意ぶかく
 じぶんが知っているあらゆる食べもののお供えをお皿につみあげていきます。
 畑でとれたてのゆでたイモ、


グルリンポチェがやってくる p39 p.39


 まだ実っていないオオムギの穂、
 サヤつきのみどり豆、
 焼き菓子ツォグはたくさんつみ上げ、
 さいごにタマネギの葉をうまく結びあわせて
 弓の形にしたものをのせます。


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大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅦ)

161128 kakemini


 11月28日(月)。大雲院で久しぶりに仏教美術品の調査をしました。基本的には補足調査としての位置づけです。具体的には、懸仏の詳細な写真撮影、密檀・護摩壇まわりの仏具(一部)の撮り直し、棟札の赤外線撮影や不動明王厨司翻刻の精査等です。11月も終わりに近づきグッと冷えこんだこの日、出迎えの住職さんも衣服を着こんでおり、本格的な冬の訪れを実感しました。

懸仏の精査

 細かい紋様の記録、像高や光背高などの採寸に取り組みました。写真も揃いだし、フォトスキャンでのモデル作成が視野に入るのですが、長いこと鴨居上に掛けっぱなしで、貴重品であるため、おいそれと触れないことが災いとなり、ホコリまでも写ってしまいました。いちど慎重かつ丁寧に掃除して撮影すべきかもしれません。


161128 keisoku  161128 雲紋様&魚々子


密檀・護摩壇法具の再撮影

 これまでの調査で撮影計測した仏具をデータベースに入れていたのですが、単純に写りが悪かったり、撮影日の都合で個別での撮影できていなかったものがあったため、改めて撮影しなおしました。データ入力の際に最も困ったのは、仏具の形状の違いによる計測箇所の違いだったので、今回はシンプルに最も長い(太い、厚い)部分を起点として特徴的な場所を別枠記入という形にしました。また、棟札の撮影の方で赤外線カメラを使用するとのこととだったので、一緒に経典の赤外線撮影をしました。残念なことに浮かびあがった文字はありませんでしたが、一部の文字は住職が覚えておられたので大まかな内容は記録することができました。また、今回計測したものの中に制作年代を示す銘が発見されたのは嬉しい収穫です。


161128 ハチ  161128 浮かばぬ文字


棟札赤外線撮影

 かつて赤外線jカメラ試写の際に棟札の一部の撮影はしましたが、今回は棟札全体を赤外線カメラで撮影しました。不確かであった墨書の痕跡が鮮明に浮かび上がり、翻刻に確信がもてるようになりました。(キム3号)


 161128 棟札写真A  161128 棟札写真B

平成27年度終了鳥取県環境学術研究振興事業の成果評価

 研究課題名 : 倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査
            -「歴史まちづくり法」による広域的景観保全計画にむけて―
 研究期間: 平成25~27年度
 学校・学部学科・職・研究者 : 公立鳥取環境大学・環境学部・環境学科・教授・浅川滋男


研究成果

 初年度は長谷寺の建造物、2年度は河原町・鍛治町2丁目の町並みと地蔵盆、3年度は小鴨川外周域にひろがる伯耆国庁跡などの史跡群と周辺農村の文化的景観についておもに調査してきた。そのなかでもとくに力を注いだのが、河原町・鍛治町2丁目の町並み保全と歴史的風致に係わる調査研究である。本研究の主題である「歴史的風致」とは、歴史まちづくり法によって「建造物・町並みなどの有形文化財と祭礼・年中行事などの無形文化財が融合したまちの風情」と定義されている。河原町・鍛治町2丁目では両町の境にあたる五叉路の辻(余白)に地蔵が安置され、歴史的建造物群に囲まれたスペースで毎年4回の地蔵祭が開催されている。まさに「有形と無形の文化財が融合した」場所として注目に値しよう。
 本研究では、こうした地蔵祭の舞台となる五叉路を中心とした河原町・鍛冶町2丁目の町並みの調査を継続して進めるとともに、現地の施設を会場として「れきまち研究会」を5回開催した。それらの成果として2冊の報告書(『倉吉の歴史まちづくり』Ⅰ・Ⅱ)を刊行している。そのなかで最も重要な構想は「打吹鉢屋川重要伝統的建造物保存地区」の新規選定である。「打吹玉川地区」の付属としてではなく、独立した新規の重伝建地区が必要だという考えかたをそこで提案している。打吹玉川地区が旧内濠(玉川)に沿う旧陣屋町の中心部であるのに対して、打吹鉢屋川地区は八橋往来の西端にあたる町外れであり、外濠(鉢屋川)の恵みに育まれた半農半商的エリアである。町はずれであるが故、江戸時代以来の茅葺き屋根を継承する民家や小振りの長屋群も少なくない。これらの小規模住宅は現在、存続の危機に瀕しており、重伝建選定で救うのが最も望ましいと考えられる。倉吉市教育委員会文化財課も、2015年12月21日の第2回れきまち研究会で「重伝建地区を推薦します」と大勢の地域住民の前で宣言し、その後、同年4月には住民対象の説明会を開催した。また、2014年度より始動した中心市街地活性化計画でも旧市街地に重伝建地区を増やすことを提言しており、わたしたちの構想と行政の思惑が一致したと喜んでいた。


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平成26年度鳥取県環境学術研究振興事業に係る普及・活用調査

 研究課題名 :  近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究
 研究期間:  平成26年度
 学校名・学部学科名・職名・研究者名 : 公立鳥取環境大学・環境情報学部・建築・環境デザイン学科
      非常勤職員・宮本正崇 (代筆 浅川滋男)

研究成果の活用状況と今後の課題・展開等

 これまで建築年代が不透明であった中近世の木造建造物を対象にして、科学的年代測定の手法から創建・再建等の年代を解き明かそうとする研究である。ここにいう科学的年代測定とは、①(年輪幅による)年輪年代測定法と②放射性炭素年代測定法が従来よく知られてきた。しかし、両者には一長一短があり、その欠点を補うものとして最近、③酸素同位対比年輪年代測定法が普及し始めている。しかしながら、③についてもメディア等で報道されている「輪数50以上、樹種不問、短期安価」などの好条件は今のところ将来の理想的状況を示すものでしかなく、現実とは乖離している。とりわけ山陰地方のような雨雪の多い日本海側では、根雪の水分が土壌に浸透し年輪の組成に大きく影響するため、東海・近畿のデータに基づいて構築された標準変動グラフの適用が難しく、年代が特定できないサンプル分析があいついだ(2014年)。さらにまた、インパクト・ドライバーにドリルを装着した年輪サンプル採取方法は対象物に大きな孔をあけるので、美術品などの文化財の年代測定に不向きであることも明らかになった。
 一方、従来は誤差が大きいということで歴史考古学・建築史学の対象には不向きであるとされてきた②放射性炭素年代測定法は軽微な破壊分析であり、近年、加速器質量分析法(AMS)やウイグルマッチ法(樹輪暦年較正)の開発・発展により著しく精度を高めている。研究助成採択の2014年度においても、倉吉市の長谷寺本堂では柱材2点(1401-1439calAD、1351-13999calAD)と転用巻斗(1287-1331calAD)、米子市の八幡神社では幣拝殿境の蟇股(1036-1080calAD)など特筆すべき成果がもたらされた。米子八幡神社の蟇股については、宇治上神社本殿(京都)に次ぐ日本で2番目に古い刳抜蟇股の可能性が浮上した。さらに八幡神社の神像類については、立膝女神像のAMS測定年代では、立膝女神像2点の年代が862-973 cal AD、860-973 cal ADという驚くべき年代を示した。この結果をうけて、米子市は八幡神社の神像を市の文化財に指定した(2015年12月)。


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校歌斉唱

校歌斉唱_01


CD制作

 葬儀の席で、母が昭和30年代前半までに「八上中学校校歌」を作曲していたことを教えられ、初七日では姉の友人からFAX送信されてきた楽譜のコピーを頂戴した。それからというもの一途に取り組みましたよ。単純な曲ですが、コードの割付やベースラインの変化を考え始めると、なかなか綺麗に納まらない。与えられた楽譜のキーはFでしたが、いろいろ考えたあげく、いったん全弦一音下げにして(つまりキーGのスタイルで)アレンジした。ローポジションで弾けるようになった段階でいちど録音してみたのだが、一音下げにしてしている分だけ弦の張りが弱く、音が立って聞こえない。結果、1オクターブ上げたハイポジションでのバージョンも不可欠であることを知った。


1122校歌02web 1122校歌02doc


 正式?な録音に臨んだのは11月22日(火)夜のことである。録音器材といっても、普通のICレコーダとステレオマイクのみ。いつものことながら、ケントに協力を依頼した。ただし、この夜は鬢鬢20も研究室のデスクトップをいじっていたので、二人に歌をうたってもらった。二人とも勘が良く、3回ばかりの練習で歌えるようになった。ちなみに鬢鬢くんのおじいさま(82)は八上中の卒業生だというから因縁がないとは言えない。結果、イケメン2名にボーカルを委ねた歌伴バージョン(key:F)とインストバージョン(key:G)の両方を録音した。記憶は定かではないのだが、インストは2回のテイク、歌入りは3回のテイクでクリアした。みな忙しいので、こんな雑用に時間を浪費してはいけない。細かいミスがないわけではないけれども、それはそれで臨場感を反映していて味がある、ということにしておこう。
 それにしても、ケントの貢献度は絶大ですね。録音・歌唱に加えて、CDの表紙までデザインしてくれた。校歌のFAXをうまいこと利用して、歌詞が読めるようになっている。ここまでしてくれる学生は、今後でてこないかもしれませんね。感謝感激! ありがとう。


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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