fc2ブログ

仁風閣から五臓圓ビルまで

2013.04.26 仁風閣


ポームでゼミ

 お久しぶりです。2年後期からASALABで活動しているケントです。4月25日のゼミでは、鳥取の近代建築を代表する仁風閣(重要文化財)と五臓圓ビル(登録文化財)を訪ねました。
 仁風閣は明治40年、皇太子殿下(後の大正天皇)の山陰行啓に際し、鳥取藩主池田仲博公爵が扇御殿跡に建てられた御座所です。フレンチルネッサンス様式を基調とした木造二階建の擬洋風建築です。設計者は赤坂離宮などを手掛けた宮廷建築家、片山東熊です。また、この建物は中国地方屈指の明治建築として知られています。建物の中に入ると、各室ともカーペット敷きでカーテンボックスやシャンデリアなどに洋風の室内装飾を施していますが、寝室は畳間でした。大正天皇が和の寝室を求められたのかもしれません。また、各洋室には暖炉を設けており、木造白壁の屋根から複数のマントルピースが飛び出しています。


20130426 仁風閣4


 五臓圓ビルは、智頭街道と二階通りの交差点に位置し、鳥取市の本格的鉄筋コンクリート造建築としては、協立銀行・鳥取市庁舎・鳥取県立図書館に次いで四番目に古く、現存する建物としては最古とされています。昭和6年の建立で、鳥取大地震と鳥取大火に耐え抜いた五臓圓ビルは、平成22年に文化庁の登録有形文化財となりました。1階は薬局、2F部分はカフェ「ポーム」とギャラリーを運営しており、3Fは鳥大のまちなかキャンパスとして利用されていす。五臓圓では、ちょうど振興会の会長さんが来場されており、詳しい説明をしていただきました。ありがとうございました。
 
 五臓圓ビル見学後、待ちにまったポームでのお茶の時間。のんびりお茶してくつろごうと思っていたのですが、なにぶん演習の時間であり、先生から鋭い質問が立て続けに発せられ、短いディスカッションの時間となりました。先生の質問は、鳥取城跡の敷地内にある仁風閣と鳥取西高をテーマに、史跡内における近代建築の存否に関わるものです。


20130426 五臓圓ビル 20130426 五臓圓ビル2
↑(左)五臓圓ビル (右)同左。3階の鉄骨構造補強。


続きを読む

第3回「めざせ、ブータン!」其弐

03坂谷01葉01


もののけ姫の森

 4月25日、私たちは福部町粟谷にある坂谷神社社叢を訪れた。ここに、ブータンとどのような関連があるのか。まずは、坂谷神社社叢の概要を記載する。
 坂谷神社社叢は、立岩山から派生した尾根の南向き斜面に開けた標高約30m~100mに生い茂る社叢林である。社叢林とは、日本において神社に付随して参道や拝所を囲むように設定・維持されている森林のことである。この坂谷神社社叢の特徴は、スダジイ林を主体とする大規模な照葉樹林であることだ。参道となっている石段の両側は、高木層にスダジイが最も多く、シラカシ・ウラジロガシ・タブノキが混じった優れたシイ林であり、さらに石段を登った巨岩が点在する付近には、ケヤキの大木が多く、亜高木層に多いヤブツバキにも、珍しい大型のものが混じるようになる。クリハラン等の南方系のシダ植物も自生しており、分布上貴重な植物が多く確認されている。この社叢は、鳥取県東部のシイ林を主体としたものの中では大規模で、貴重なものであり、県の天然記念物に指定されている。


03坂谷03岩陰02神社 02福本01


坂谷神社と巨岩
 苔がびっしり生えた急な長い石段を登ると、落ち葉が敷き詰められた平地に着いた。石段の両側にはシイ林だったそうだが、私には周りを見る余裕はなく、目の前の石段を登ることに全神経を使った。目に飛び込んできたのは、点在する巨岩だ。少し進むと坂谷神社に着いた。本殿の上に巨岩が左右から重なりあって岩陰がある。自然にできた岩陰である。岩陰にはひっそりと本殿が鎮座していた。私は巨岩が落ちてくるのではないかと不安になり、岩陰に入るのをためらったのだが、教授はあっさりと岩陰に入り、巨岩と坂谷神社の説明を始めた。教授によると、その巨岩は古い磐座(いわくら)信仰の対象であろうとい。磐座は神が宿る巨岩であり、古代人はあらゆる自然物にカミが宿っていたと考える自然物崇拝として、それを恐れ敬った。その後、おそらく江戸時代ごろに巨岩下に神道信仰として神社本殿が作られた、というのが教授の考えである。岩陰はひんやりしており、神が降りてくる神聖な空気を感じることができた。


03坂谷02樹林03叢林


続きを読む

第3回「めざせ、ブータン!」其壱

03坂谷02樹林02石段 01田辺03


坂谷神社社叢を訪ねて-中尾佐助と照葉樹林文化論

 4月25日(木)、私たちは考古学者S会長さん付き添いのもと、鳥取市福部町粟谷に位置する坂谷神社社叢に行きました。社叢とは、かつては神社を囲むようにして必ず存在した森林のことで、「鎮守の杜(もり)」とも呼ばれ、原生林的な植生を残しているものを指すそうです。坂谷神社ではスダジイ林を主体とする照葉樹林が広がっており、長い参道石段の両側や神が宿るといわれている磐座の奥をくぐり抜けた一帯には巨木のスダジイやタブノキが、足元にはヤブツバキの花があたり一面にみられ、何か神聖なものを見た気がしました。現在、照葉樹林はスギ・ヒノキなどの人工林や竹林に置き換えられて大部分が失われており、社寺林として残っているものが大半であるようです。そのため、この坂谷神社社叢は県の天然記念物に指定されています。(先生は坂谷神社の磐座も天然記念物に指定されるべきだとおっしゃっていました。)


03坂谷03岩陰01文字 01田辺01


 そして、今回私たちがここに来た目的は磐座(いわくら)にあるという「謎の線刻」(『因幡志』に神代文字という↑)を見るためでもありますが、一番の目的は照葉樹林文化論について考えるためです。照葉樹林文化論とは、日本の生活基盤をなす主な要素が中国雲南省を中心とする「東亜半月弧」に集中しているとして、共通する文化の要素が共通の起源地から広まったのではないかという中尾佐助、佐々木高明らが唱えた説で、なんと類似した文化の広がる地域(照葉樹林文化圏)の中に、「ブータン!」が含まれているとのことでした。しかし、考古学などからの厳しい批判もあり、先生自身も照葉樹林文化論を批判する論文を書かれたことがあるそうですが、そういう批判にも限界があり、結局のところ未だ議論は続いているそうです。海路も陸路も発達していない太古の昔、交流も薄かったはずの地域に見られる共通点を考えると私には偶然だとは考えにくく、交流のなかったであろう地域が照葉樹林の森によって共通の文化を育んでいたと想像すると、とても神秘的なものを感じました。

 今回の坂谷神社社叢訪問では、私の中でどこか遠い距離にあったブータンという国が照葉樹林文化論を通じて、とても身近に感じることができました。また、国王に土下座をしてまでブータン調査を懇願した中尾佐助さんの紀行文『秘境ブータン』をぜひ一度読んでみたいと思いました。(環境学科1年T.M)


03坂谷03岩陰03抜け穴
↑神社岩陰奥の裂け目を抜けると、↓また巨巌がごろごろあって照葉樹が生い茂る
03坂谷02樹林02上手の巨巌

第2回「めざせ、ブータン!」補遺

01灯明02 01積み石


神仏習合とブータン -熊野神社遺跡に学ぶ

 新入生にもようやくメールアカウントが与えられました。先週の活動については、すでに2年のOさんが報されていますが、私なりのレポートを書きましたのでご笑覧ください。 

 4月18日(木)、私たちは鳥取市佐治町にある熊野神社遺跡を訪ねました。熊野神社遺跡は、日本固有の神道と仏教の信仰が合わさった「神仏習合」の修験道遺跡です。鎌倉・室町時代の豪族佐治氏により、和歌山県熊野三山の神仏を勧請したのが始まりと伝えられています。
 正面の鳥居をくぐったところにある五輪塔は供養塔です。五輪塔としては大きな部類のようです。
 その先にある第一積石塚と第二積石塚には、「朝鮮系積石型古墳」説、奈良の頭塔に似た「仏塔」説など、いくつもの解釈がありますが、詳しいことはまだ分かっていないようです(↑右)。

02神座02 02神座01


 上の写真に示す苔で覆われた巨大な岩は神蔵(座)です。真ん中の割れ目には二つの岩を裂くように小さな岩が楔(くさび)のように挟み込まれており、この割れ目が人為的にできたものであることが考えられます。間近で見て、その大きさに圧倒されました。
 潜りぬけると「生まれ変わる」とされる本殿小鳥居には、プロ研メンバーも何人か挑戦しました。私も何とか通りぬけることができました。本殿にはイザナギ、イザナミ、スサノオが祀られており、本殿裏の板碑にはサンスクリット語(梵語)で阿弥陀などの名が記されています。


03鳥居01


続きを読む

小曽根真&ゲイリー・バートン

02ゲイリーバートン


 Lablogに最も頻出するジャズ・ミュージシャンはゲイリー・ピーコックですが、じつは音楽と関係ない隠語として使わせてもらっているわけでありまして、ほとんどピーコック自身の音楽について触れたことはありません(たしか一度ラルフ・タウナーをバックアップしているyoutubeをアップした記憶があります)。
 同じゲイリーでも、こんどはゲイリー・バートンです。倉吉に来るんだって。それも小曽根真とのデュオです。これは聴いておきたい。小曽根さんは、どうやらチック・コリアの代役のようですが、コリアの代役を務めうる力量があるというだけでレスペクトせざるをえませんね。組み合わせからみて、ちょっと進んだジャズになるでしょうから、そういう音楽はジャズ喫茶よりも、倉吉未来中心のようなコンサートホールの方がたしかにふさわしいかもしれません。

 日時は6月14日(金)18時会場、19時開演。
 金曜日の午後ということは、3年のゼミなんですが、そのテーマは「歴史遺産をめぐるフィールド演習」なので、毎週外に出ています。6月14日のテーマは「倉吉の重要伝統的建造物群保存地区と一連の登録文化財をめぐる視察」で決まりだね。

 上の写真で白帯くんが謎の単行本をもっていますが、これについては、また別にレポートします。



あんなに太ってたコリアが痩せちゃいましたね・・・勇気づけられるな!

岩陰の神殿 -青谷の子守神社

01子安神社04


 いつもお世話になっている鳥取市の歴史家Sさんから青谷にある子守神社の画像が送られてきた。私どもの分類では、B-2c型「岩陰内本殿型」に属するタイプである。類例としては、若桜の岩屋神社、福部の坂谷神社、出雲の韓竈(からかま)神社、中国甘粛省天水の仙人崖などがあげられる。同類の岩陰本殿は、大分県国東半島六郷満山の石立山岩戸寺奥の院でみたことがある。社名は「子安権現」と言った。

 ネットで検索すると、岩窟は町指定天然記念物で、幅約100m、高さ約30mもあるという。岩窟や巨巌を天然記念物に指定する例は珍しい。上の写真をみる限り、たしかに指定をうけるだけの迫力を感じる。摩尼山の「奥の院」や山頂の巨巌、あるいは坂谷神社の巨巌も、天然記念物として十分指定の対象たり得るだろう。

 以下が所在地であり、青谷上寺地遺跡から近いようだ。

  鳥取市青谷町八葉寺921

 神社の愛称を「熊野さん」と言い、佐治の熊野神社遺跡と同様、約470年ほど前、紀州の熊野大社から勧請し本殿を建立したと伝承されている。本殿は「大社造」と記してあるが本当だろうか.
 神社前面は「八葉寺ホタルの里公園」となっており、6月中・下旬頃にはゲンジボタルが乱舞する幻想的な光景が見られるというから、この時期に3年のゼミで訪れるのがよいかもしれない。

 情報をいただいたSさんに深く感謝申し上げます。


01子安神社01

01子安神社02 01子安神社03
 

新規科研費交付申請完了

 無事、内定採択後の正式な科研申請を終えましたので、その内容を公開しておきます。

1.研究題目: チベット系仏教及び上座部仏教の洞穴僧院に関する比較研究
2.種目・課題番号: 基盤研究C 25420677
3.補助事業期間: 2013~2015年度
4.研究費総額: (直接経費)4,000,000円
         (間接経費)1,200,000円
5.研究の目的
 石窟寺院の起源と展開については大乗仏教を対象に研究が蓄積されているが、チベット系仏教の洞穴僧院や上座部仏教の洞窟僧院に関する研究は手つかずの状態にある。瞑想修行を重視するチベット系仏教・上座部仏教において、修行の場としての僧院は塔・仏堂などの礼拝対象から離れた位置にあって独立化しており、しばしば岩陰・洞穴・洞窟などがその役割を果たす。礼拝対象と僧院の分離は、インドの初期石窟寺院のあり様を彷彿とさせるものであり、石窟寺院の全貌を理解するためには、チベット系仏教・上座部仏教の洞穴/洞窟僧院の調査研究を避けて通れない。本研究ではブータンの洞穴僧院とミャンマーの洞窟僧院を主な対象として、分布調査・測量・実測・年代測定などに取り組み、その成果を草創期の石窟寺院遺跡と対照し、また、懸造を伴う日本の岩窟・岩陰型仏堂と比較検討しようとするものである。

6.研究実施計画
 【平成25年度】 ブータンの洞穴僧院に関する調査研究をおこなう。
 1)洞穴僧院の分布調査:パロの一地区を対象として、悉皆的に寺院の所在調査に取り組む。GPS付デジカメで撮影すると、グーグル・アース上で所在位置をプロットできる。寺院に附属する洞穴僧院についてもすべて近接して撮影し、その位置データを地図上に示す。 
 2)洞穴僧院データベース:GPS付デジカメ撮影に伴い、各寺院・洞穴僧院の調査データシートを作成する。 
 3)洞穴僧院を含む寺院の測量:上の悉皆調査から、詳細調査の対象寺院を絞り込む。タクツァン寺、タクツゥガン寺、ゾンドゥラカ寺などが有力な候補。 
 4)「廃寺」の実測調査:一般寺院の内部調査は禁じられているので、廃絶した洞穴僧院を対象にして洞穴形状や木造建築部分を実測調査する。
 5)木造建築部材の年代測定: ブータン寺院の建築年代は「伝承」の域を出ないものであり、正確な年代を知る必要がある。そこで、建築部材のチップを採取し、AMS法放射性炭素年代測定をおこなう。必要なサンプル(チップ)は米粒程度のものでよく、できるだけ辺材に近い年輪の位置でサンプルを採取して持ち帰り、専門業者に委託して測定すれば、誤差50年以内の年代データを得ることができる。さらにウィグルマッチ法を採用すれば、誤差5年以内の年代データを得られる。
 6)ヒアリング: 専門的知識を有し、英語と日本語のできるブータン人の通訳を雇用し、いくつかの寺院でヒアリング調査をおこなう。寺院の歴史、建築年代、修行僧の数と組織、仏堂における儀礼、洞穴僧院における修行などについて、できるかぎり詳細な情報を得る。可能ならば、洞穴僧院で瞑想修行を実践する。7)洞穴僧院の類型化と比較分析: 調査したデータから、洞穴と木造建築の関係に焦点を絞り、洞穴僧院を分類する。そこで導きだされた諸類型を、日本の岩窟・岩陰型仏堂(懸造と複合)の類型と比較する。日本の岩窟・岩陰型仏堂は、華北系と華南系に大別できるが、ブータンの諸類型がそれらと相関するか否かを検証する。


続きを読む

2012年度研究実績報告(Ⅰ)

平成24年度鳥取環境大学特別研究費助成研究

 研究課題名: 摩尼寺「奥の院」遺跡の文化資産保護と環境整備計画
 研究費総額: 950,000円

 研究概要: 摩尼寺「奥の院」遺跡に係わる以下の諸活動をおこなった。
 1)木彫仏の年代測定: 岩陰仏堂に安置されていた木彫仏および新発見の木彫仏を自然乾燥させた後、AMS法放射性炭素年代測定をおこなったところ、15~17世紀の材であることが判明した。2010年に発掘調査した上層遺構に対応する年代で、摩尼寺の本尊「帝釈天」の可能性も否定できない。保存処理の方法についてはなお検討中であり、レプリカの制作には至らなかった。
 2)巨巌周辺の環境整備: 巨巌周辺の雑木・大木を伐採し、草刈り清掃を継続しておこなった結果、遺跡の平場から巨巌や岩陰・岩窟の仏像がみえるようになった。
 3)伐採木のリサイクル: 巨巌周辺で伐採したスダジイ・コナラ・イヌシデ等を裁断してシイタケとナメコの種駒を植え付ける原木として再利用した。来春には収穫する予定。またスダジイを板状に加工して、登山路15ヶ所にサインボードを設置した。遺跡の縁には伐採木でツリーハウスを制作し、内部に案内パネルを設置している。
 4)アジア石窟寺院研究会の主催: 岡村教授(京大人文研)が「山中の仏教寺院-西インドの石窟寺院を中心に-」と題して講演。記録を報告書に掲載している。
 5)摩尼山を中核とする景勝地トライアングルの構想: 久松山・太閤平(国史跡)、鳥取砂丘(山陰海岸国立公園)、坂谷神社(県指定天然記念物)をつなぐ三角形エリアを「景勝地トライアングル」と仮称し、摩尼山を中継点とするミニトレイルを構想した。こういうトレイルエリアを連結していくことで、総長250㎞に及ぶ「山陰海岸ジオトレイル」が実現する。
 6)摩尼寺門前活性化計画: 徐々に参拝客を減らしている摩尼寺の門前を再活性化する計画を、おもに建築・空間的側面から提案した。



続きを読む

池田家墓所を訪ねて

0419池田家墓所02


 こんにちは、2年後期に引き続きASALABの配属になった3年生のユート(旧名「カメムシ野郎」)です。先週からゼミの活動が始まり新しいメンバーと共に頑張っています。
 ゼミは毎週金曜日4・5限ですが、2回目の4月19日は、国史跡「鳥取藩主池田家墓所」を訪れました。池田家墓所は鳥取藩の歴代藩主11人とその夫人、分家にあたる若桜藩・鹿野藩の藩主・重臣の一部を集合埋葬する点で、全国でも珍しい大名墓所です。ところで、「史跡」とは、貝塚・古墳・都城跡・旧宅その他の遺跡で我が国にとって歴史上又は学術上価値の高いもの(文化財保護法第2条第1項第4号)のうち重要なもの(文化財保護法第2条及び第69条)について国または公共団体によって指定されたものをいいます。今回のゼミでは、このように文化財のカテゴリーを学ぶことがひとつの課題とされています。 
 明治維新以降、池田家墓所内の墓や石畳などは荒廃や毀損が進行してきていました。墓所を将来にわたり史跡として望ましい姿で保存され、歴史の親しむ場として整備するために、平成15年度に「史跡鳥取藩主池田家墓所保存整備計画」を策定し、翌16年度より16年計画で整備事業を実施する「平成の大修理」が進められています。
 この平成の大修理では、毀損、崩落した墓碑・玉垣・石畳・石垣・石燈籠などの修理の他、危険木の伐採・地形復元・排水路整備などもおこなっています。


0419池田家墓所03


 池田家墓所は清源寺を菩提寺として、後背地に墓域を形成し、墓域の内部においても回廊や廟所が墓碑の周辺に溢れていました。現在、清源寺はもとより、墓域内の廟所・回廊等の木造建築はほぼ全て消え去り、史跡は石造構造物の集合体と化しています。
 日本の場合、文化財建造物の約90%が木造建築であり、木造建築の保存修復に関しては世界最高レベルと言えるだけの経験と知識を蓄積していますが、石造構造物に対する経験と知識は貧困な状態に置かれたままです。墓碑を囲む玉垣ひとつをとってみても、すべての材を新材に差し替え、古材を廃棄するという傾向がこれまでなかったわけではありません。この場合、玉垣における「材料のオーセンティシティ(真実性)」は全く失われてしまいます。池田家墓所では先生が委員を務めておられることもあり、そういう新材への全面的な差し替えではなく、古材をできるだけ再利用する修復方式がとられていました。古びた玉垣や唐破風をステレンレスなどを使用して補強しており、ステンレスの内側にゴムのパッキンをつけて石材が傷つかないような工夫されています。こういう場合、「古材の再利用(材料のオーセンティシティの維持)」と「構造補強」と「景観的配慮」の3つがバランスよく保たれている必要があると先生は説かれました。このような方法でモニュメントを保存していくことにぼくは賛成します。現状をみる限り、景観的に大きなマイナス要素はみうけられませんし、再利用可能な古材を傷つけることなく「材料のオーセンティシティ」を持続していくことができるからです。言い換えるならば、玉垣や唐門の文化財価値を次世代へ伝達できると思われます。


CIMG0233.jpg
↑↓鉄骨構造補強された池田光仲墓の唐門と玉垣
CIMG0232.jpg


 

続きを読む

「千両」オープン

01千両03


 昨秋に続き、「新老人の会」からお招きをうけ、昼食会に加わらせていただいた。それというのも、今回の会場はさとに田園クリニックだったからだ。わたしたちが実測し再生活用案を提示した古民家は、昨年末の忘年会でも活用させていただいたが、今春より薬膳料亭「千両」として正式にオープンしている。「千両」の二文字を刷り込んだ玄関脇の行灯、長屋門の垂れ幕がまぶしい。
 昼食は弁当形式の和食膳。写真には味噌汁がみえるが、本来は減塩のためにつけないのだそうである。とてもおいしかった。岩谷さんが作っているんだから美味いの当たり前だが、そのおいしい昼定食が薬膳なのだから、こんなに素晴らしいことはない。生まれてきてよかったと思える至福の時間を過ごせた。板井原のカマド飯や千両の薬膳をいただくと、寿命がのびるような気がする。

 オーナーのOさんは相変わらず意気軒昂で、あのエネルギーを少しでも分けてもらいたいと思った。ともかく「よかった、よかった」と言って笑って暮らしていれば良いことがあると教えられた。
 さて、「笑点」でも視て一笑いするか。


01千両05 01千両04

01千両01 01千両02

第2回「めざせ、ブータン!」

01熊野神社07ミツバツイジ02 


ミツバツツジの熊野神社遺跡

 4月18日(木)。私たちは鳥取市佐治町(旧八頭郡佐治村)にある熊野神社遺跡へ行ってきました。この遺跡は神仏集合による中世修験道の典型的信仰のあり方をうかがい知る重要な遺跡として評価され、鳥取指定文化財として保護・保存されています。小高い丘陵に遺跡は立地しており、鳥居から本殿までは140m、奥の院までが400mの距離にあって、約40分の見学の中で保存会の会長・副会長さんに丁寧に説明していただきました。この遺跡にはすでに多くの研究者が招聘されており、複数の学説入り乱れています。保存会の説明の後に浅川教授自ら補足説明をしてくださって、非常に分かりやすかったのですが、いくつかの部分で遺跡の解釈が異なっており、討論されている姿はとても興味深いものでした。


01熊野神社03鳥居01


 今回のフィールドワークの中でとても印象に残ったものが三つあります。まず一つ目は、本殿にある小型鳥居です(↑)。高さ61cm・柱幅64cmという小さな鳥居ですが、中央に膨らみを持っており、そこを潜ると「生まれ変わることができる」という言い伝えがあるということで、私も潜りました。とても小さく幅が狭そうに見えるのですが、潜ってみるはすんなり通りぬけることができました。
 二つ目に、小型鳥居付近に位置していた神武天皇東征伝説と由緒づけられている「神蔵」です(↓)。先生によると、元の字は「神座」で、いわゆる磐座(いわくら)にあたるものだということです。つまり、神霊が降臨しとどまる場所であり、古来崇拝されていたと考えられます。神蔵は岩が大きく2つに分断されていますが、よく見ると、その隙間にくさびのような石が挟まれていました。二つに割れた巨岩が接合しないよう、あえて楔を打って裂け目を人工的につくっているのです。石がくつっくことがないように人工的にはめ込められたそうです。


01熊野神社02神蔵01 01DSC熊野神社0576
↑神蔵(元は神座)
01熊野神社04板碑02梵字 01熊野神社04板碑01
↑本殿跡背面の板碑に残る梵字


続きを読む

ネット通販予約可

 科研出版助成により刊行した『建築考古学の実証と復元研究』(同成社)がアマゾン等のサイトにアップされ「近日発売、予約受付可」となったのは2月下旬のことでしたが、いったん「現在お取り扱いできません」状態に変わり、このたびようやく「通常2~4週間以内に発送します」状態となりました。今度こそ予約可ですね。
 とりあえず、下のサイトをご参照ください。

http://www.amazon.co.jp/%E5%BB%BA%E7%AF%89%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E3%81%A8%E5%BE%A9%E5%85%83%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E6%B5%85%E5%B7%9D-%E6%BB%8B%E7%94%B7/dp/4886216315/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1366394339&sr=8-1&keywords=%E5%BB%BA%E7%AF%89%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E3%81%A8%E5%BE%A9%E5%85%83%E7%A0%94%E7%A9%B6

 六一書房ではすでに「在庫あり」状態になっており、しかも上々の読者コメントを頂戴しております。嬉しいですね。

 ネット通販では送料なし12,600円(税込)のところが多いようですが、研究室にご一報いただければ著者割引可能です。ただし、送料はご負担いただきます。入手ご希望の方ご連絡ください。

TUESレポート 新刊紹介

 環境大学ホームページのTUESレポートに4月17日付で「環境学部環境学科 浅川滋男教授 新刊書のお知らせ」と題する記事がアップされました。新刊書とは、もちろん『建築考古学の実証と復元研究』のことです。
 ぜひとも以下のサイトをご閲覧ください。

 ①学外から
   http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/20130417/

 ②学内から
   http://tkserv.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/20130417/

桜咲く板井原

0412板井原01桜01


 みなさん、こんにちは!
 2年後期に引き続き浅川研究室に配属になりました。昨年のハンドルネームは「匠2号」でしたが、新しい愛称を検討中です。こうしてブログの担当になるのも久しぶりです。では、プロジェクト研究5一発目のブログを張り切って更新していきたいと思います。
 1・2年までのプロジェクト研究(1~4)は多くの先生が課題を示し、学生が興味のある課題をえらび、半年単位での活動してきました。3年になった私たちにとってのプロジェクト研究5はゼミの研究室の選択を意味しています。ということで、これから卒業までの2年間、ASALABのゼミ生として活動していきます。
 4月12日(金)、第1回目のゼミがおこなわれました。前期のテーマは「歴史遺産をめぐるフィールド演習」でして、県伝統的建造物群保存地区「板井原」を訪問しました。初回が板井原になったのは、4月2日に大学を訪問された智頭町地域おこし協力隊のTさんとの交流を進めるためです。Tさんは本学環境政策経営学科のOBで、驚いたことに、おぎんさんと同じサークルに属していた模様です。


0412板井原02神社01集合


 板井原は平家の落人伝説のある山里ですが、近年著しい人口減少が進んでおり、常住するのは2~3世帯、残りの数世帯は智頭から通いで農作業を続けておられます。いわゆる「限界集落」化した状態にあり、伝建制度とともに地域おこし協力隊の活動は今後の板井原の命運を握っていると言っても過言ではないでしょう。
 村歩きは神社から始まりました。いきなり先生が「本殿の様式は?」と質問され、みな狼狽えましたが、ケント君が「流造」と答えて「正解」と言われ安堵するも、さらに突っ込んで「もっと詳しく言うと?」という質問に一同沈黙。

   一間社流造(いっけんしゃながれづくり)

が正解でした。そこで、先生は本殿の年代を推定されました。虹梁の絵様彫刻をみつめられ、「どんなに古くても文化文政以降」と述べられ、Tさんがパンフレットを確認すると、明治4年の造替となっていて「幕末~明治初期」という年代観と一致しました。
 板井原神社から集落を望むと、遅咲きの桜の向こうに茅葺き屋根の藤原家住宅(町指定文化財)がみえます(一番上の写真)。しかも、その茅葺き民家は屋根葺き替えの真っ最中でした。聞くところによると、サシガヤではなく全面的な葺き替えで、職人さんは岡山の人たちでした。


0412板井原03地蔵 ←六体地蔵


続きを読む

裏山でのシイタケ原木栽培

130406シイタケ5


 4月初めの週末、大学裏山にたつ「廃材でつくる茶室」の周辺に横積みしていたシイタケ原木を本伏せした。昨年の春季・秋季のプロジェクト研究で摩尼寺「奥の院」遺跡の伐採木をもっておりてきて種駒の植え付けをしていたものです。3月末に「奥の院」でおこなったでの本伏せと同じ作業を裏山でもしたということだ。作業日はあいにくの雨。13時頃、ゼミ室に白帯さん、ユウト、ケント、僕の4人が集まり、さっそく裏山の茶室へ。
 原木を並べる際のポイントは二つある。雨が当たることと直射日光を避けることだ。茶室周りの適当な場所に原木を並べ、最後に遮光ネットを被せ作業終了。わずか10分足らずの仕事だった。小雨が降っていたので、すぐにゼミ室へ引き返した。去年の春から取り組んでいるシイタケ栽培にどんな成果が表れるのか、非常に楽しみにしている。(イッポ)

130406シイタケ11

130406シイタケ4

『建築考古学の実証と復元研究』刊行!

 マニラ滞在中、大学に『建築考古学の実証と復元研究』が1冊だけ届いたことをお知らせしました(3月7日)。スポンサーである学術振興会に3月10日までに1冊送付しなければならなかったからです。先行して1冊製本したものだと思ってください。
 改めて整理しておきますと、本書は2012年度学術振興会科学研究費研究成果公開促進出版助成費によって刊行したものです。書名と構成は以下のとおりです。

 書名: 建築考古学の実証と復元研究

    序 -建築考古学への途
   第1章 倭人伝の建築世界
   第2章 竪穴住居の空間と構造
   第3章 歴史時代の建築考古学
   第4章 建築考古学と史跡整備
   第5章 スコットランドの寒い夏 -結にかえて

 図書情報は以下のとおりです。

  大型本(B5判): 521ページ
  出版社: 同成社  発行日: 2013/3/15
  ISBN-10: 4886216315   ISBN-13: 978-4886216311
  価格: 12,600円(税込)

 アマゾンのサイトは こちら です。サイトを開くと、「現在お取り扱いできなません」状態になっていますが、まもなく購入可能になるでしょう。
 価格は12,600円と高額ですが、研究室にご連絡いただければ、著者割引(税込1万円ちょうど/送料別)で頒布させていただきます。目次の詳細を「続き」に掲載しておきますので。


建築考古学01表紙01 建築考古学01表紙02




続きを読む

第1回「めざせ、ブータン!」

 プロジェクト研究1&3が始動しました。
 今回のタイトルは「めざせ、ブータン!」です。プロジェクトへの参加人数は、1年・2年とも7名の計14名ですが、驚いたことに、女子が過半の8名を占めます。13年この大学で働いていますが、女子の人数が男子を上回るプロ研は初めてじゃないかな。
 下に授業概要を示しますが、スケジュールの前期・中期・後期については、梅雨のこともあり、フィールドワークを前期に押し上げてしまおうと思っています。来週はいきなり佐治の熊野神社遺跡を訪問する予定です。

授業概要

 ブータンという国に興味はありませんか。ブータンを訪れると、不思議な「懐かしさ」に心を動かされます。その国土は「江戸時代の日本のような風景」としばしば形容されます。現代日本が失った日本らしい風景に驚きを覚えるのです。ただ、ブータンの文化はもっと複雑でして、衣食住には北方の遊牧民文化と南方の稲作民文化が複合しており、日常生活全てにチベット仏教(ラマ教)の規律が染み渡っています。ここで「ブータンまで調査に行く」と仮定しましょう。調査対象はおもにムラ(民家集落)と山岳寺院(洞穴僧院)です。その調査を夏休みにおこなうとなれば、この前期にいったい何をすべきでしょうか。本プロジェクト研究では、旧佐治村(鳥取市佐治町)の山間地域を「仮想ブータン」とみなし、フィールドワークの方法とブータン研究の基礎を学ぼうとするものです。

  前期: ブータンの自然と文化に関する文献研究
       格安航空チケット入手方法の検討/現地旅行社との通信連絡
  中期: 熊野神社遺跡(中世山岳仏教遺跡)をはじめとする佐治の文化遺産の調査
       (おもに測量実習)。民家など木造建築の調査方法の学習。 
  後期: 資料の整理・分析と発表会準備

【以上でプロ研は終わりですが、夏休みには実際にブータンでの調査を予定しています。但し、予定は
未定なので、必ずしも実現するとは限りませんし、このプロ研配属学生が調査への参加を義務づけられるわけでもありません。参加不参加は学生の自由です。】


01記念撮影
(前列)1年生 (中列)2年生 (後列)3年生以上

2013環境学フィールド演習

 ついに新年度の講義が始まりまして、昨日、「環境学フィールド演習」のオリエンテーションを終えました。環境学部環境学科を構成する「自然環境保全」「環境マネジメント」「循環型社会形成」「居住環境」の4つのプログラムが3回ずつフィールド演習を担当します。私の所属する居住環境プログラムは、以下の内容です。学生はA・B・Cの3組に分かれ、ローテーションで以下の3つのプログラムをすべて体験します。3組の学籍番号を示しておきます。

  A組:1137001~1137050  B組:1137051~1137100 C組:1137101~1137151
  
1.活動日時とローテーション
 火曜日(6月25日、7月2日、7月9日)4~6限に実施。
  6月25日: A組=プログラム① B組=プログラム② C組=プログラム③
  7月2日:  A組=プログラム③ B組=プログラム① C組=プログラム②
  7月9日:  A組=プログラム② B組=プログラム③ C組=プログラム①
 
2.活動内容
 3班に分かれるが、プログラム①については天候にあわせてa・bのうち1つを選択する。どちらを行うかは掲示板で告知するので当日までに確認すること。

 プログラム①a(晴天の場合): 摩尼山の遺跡と文化的景観[担当 浅川]
  摩尼寺「奥の院」遺跡を中心に摩尼山をトレッキング。
   【行程】大学→(バス)→摩尼寺門前(茶屋と椎茸原木栽培)→(以下トレッキング)→
       摩尼寺「奥の院」遺跡で実習 →摩尼山頂・立岩{山陰海岸・砂丘・湖山池などを眺望}
       →摩尼寺本堂→仁王門・門前→(バス)→大学
 プログラム①b(雨天の場合): 人間工学と居住空間に関する学内演習[担当 遠藤]
  居住環境の整備に際して重要な人の知覚や心理といったヒューマンファクターを体験的に学ぶ。
  悪天候の場合のみ行うので、場所は学内のみとする。筆記用具、フィールドノート、あれば
  コンベックス(メジャー)を持参すること。

 プログラム②: 木造家屋の地震被害と耐震要素実験[担当 中治]
  大学近郊に所在する重要文化財「福田家住宅」等の伝統的木造建築を視察し、木造の構法に
  ついて説明する(小雨決行)。次に大地震による木造建築の損傷や被害について東日本大震災
  の映像事例を講義した後、木造耐震要素実験を見学する。

 プログラム③: 若桜鉄道と八頭・若桜の地域おこし[担当 張]
  若桜鉄道に伴う八頭町と若桜町の地域おこしを視察する。
   【行程】大学15講義室・イントロダクション→(バス)郡家駅前・きらめきプラザ八頭
      (かかしマップによる郡家駅周辺探索)→(バス)福本白兎神社→(バス)若桜鉄道隼駅
       →(汽車)若桜駅→ 町歩き・蔵通り・カリヤ通りと清流の町並み→若桜駅→(バス)大学


続きを読む

猫の寝言(Ⅰ)

ひとりぼっちの家カフェ

 4限に新入生ガイダンスがあるというので、昼過ぎに動き始めた。蕎麦切り「たかや」を狙っていて、12時代だと混んでいるだろうから、1時をまわって家をでた。店について1時半。あらッ、店じまいの看板が立てかけてある。よく売れたんだな・・・どこで昼を食べるか悩みながら、なんとなく郡家方面に車を走らせた。そこで、カフェ黒田を思い起こした。猫がまだ頭から消えていないのだ。
 カフェに着くと、女将さんは玄関前の草むしりをしていた。「誰が来たのだろう」という顔して、私だと分かり驚いている。この家カフェを一人で訪ねたことはないからだ。

  「じつは、猫が亡くなってしまいましてね・・・」

と告げると、彼女の顔が曇った。自らの経験を思いだしたにちがいない。
 カレーをいただきながら、猫のいない家族の心境を聞いてもらった。火葬で白骨になったころよりも、今のほうがデブに対する想いが増している。食事したりお茶したりしているとき、テーブルの下に猫の気配を感じてしまうし、外出して家に戻ると皆「猫がいない」と悲しがる。猫を亡くしたことのある先輩たちは、そういう気持ちがいたいほど分かるようだ。


新入生ガイダンス

 ガイダンスに出席し、6名の担当学生を演習室に連れて帰った。学生たちの自己紹介から始めると、いきなり最初の女子学生が

  「猫を飼ってます。先生、元気ないですね・・・」

と切り出し、次の女子学生は「亀を飼っている」、その次の男子学生は「犬を飼っている」と述べた。ペットのことを話して欲しいなんてひと言も言っていないが、そんなふうに自己紹介が進んでいった。


2013ガイダンスCIMG2327


続きを読む

『鳥取環境大学紀要』第11号など

公立大学1年目の大学紀要

 公立化初年度の紀要が刊行されました。表紙から教員のスケッチが消えてしまい、シンプルすぎるほどシンプルな表紙になってしまいました。良い伝統は継承すればいいのに、どうしても旧大学のスタイルを変えてしまいたいのかなぁ・・・
 さて、昨年度も研究室関係の「報告」を2篇投稿し、無事審査をパスして掲載されました。いずれも、2011年12月17日開催「山林寺院シンポジウム」の講演記録に、2012年前期の鳥取環境大学公開講座「聖なる巌」講演の内容を加味したもので、掲載論文は以下のとおりです。

 ①箱崎和久・中島俊博・浅川滋男
   「山林寺院の研究動向 -建築史学の立場から-」
   『鳥取環境大学紀要』第11号:pp.69-84、2013年3月8日

 ②眞田廣幸・清水拓生・檜尾 恵・浅川滋男
   「クチャの千仏洞を訪ねて -中国最古の石窟寺院-」
   『鳥取環境大学紀要』第11号:pp.85-98、2013年3月8日


The 9th ISAIA と領土問題

 じつは昨年、韓国光州で日中韓建築学会による第9回「アジアの建築交流シンポジウム」(The 9th ISAIA、2012年10月)が開催され、ASALABも2本の論文を投稿しました。ところが、国際会議の日程は竹島騒動から尖閣列島に至る領土問題が続発した時期にあたり、ずいぶん悩みましたが、学生の身の危険等を鑑み、渡韓を控えることにしました。他大学でも同じ反応があり、日本人の投稿した30題の論文で発表辞退となった模様です。
 日本建築学会の担当者によると、不参加者にも予稿集等の資料を郵送すると韓国建築学会は現場で確約したそうですが、資料は今に至るまで届いておりません。会場に足を運ばなかったとはいえ、私どもは高額の参加費を振り込んでいます。日本建築学会を通して韓国建築学会事務局に資料送付を何度も依頼したのですが、韓国側は約束を果たしていないのです。ちなみに、今回の予稿集は冊子形式ではなく、USBに全発表論文のデータをpdf形式で収録したものです。私どもは日本建築学会にお願いして、USBデータをCDRにコピーしたいただきました。領土問題はこうした研究領域にまで波紋をひろげているということです。


続きを読む

科研採択内定

 科研の採択はエイプリルフールの悪戯ではありませんでした。正式の「内定」通知がありましたよ。まだ「内定」だから詳しくは書けないけれども、メモ書き程度に記しておきます。

 1.研究種目審査区分: 基盤研究C
 2.領域または細目:  5804
 3.研究課題名:

    チベット系仏教及び上座部仏教の洞穴僧院に関する比較研究

 4.研究課題番号: 25420677
 5.研究年度: 平成25~27年度
 6.交付予定額: 平成25年度 1,800,000円(間接経費540,000円)
            平成26年度 1,200,000円(間接経費360,000円)
            平成27年度 1,000,000円(間接経費300,000円)

 準備段階では、研究課題名に副題「ブータンとミャンマーを中心に」をつけるか外すかずいぶん悩んでたんですが、結局外したんです。というわけで、今年はブータンの洞穴僧院、来年はミャンマーの洞窟僧院の調査をすることになりそうです。「ブータンにつれていって」という人が学内外とも多いのですが、はたして本気かな?
  
 これから予算計画など書き直して、再び苦手な電子申請に挑みます。20日過ぎが学内締切らしいので、ポカしないように早めに仕上げますよ。再申請の後、研究の概要等を報告しますので。


続きを読む

「奥の院」遺跡のシイタケ原木栽培

130329シイタケ6


 2012年のプロジェクト研究1~4で、伐採木を再利用してシイタケの種駒を植え付け、その原木を仮伏せしていた。先月完成したルートマップを摩尼寺と門前茶屋に届けた際、喫茶部で珈琲をいただき、原木の縦並べの時期を訊ねた。もうそろそろ本伏せしないといけないと教えられて、ぼくとユウトとケントの3名が山に登り作業してきた。通常4月下旬から梅雨前には仮伏せを終了し、本伏せへ移行するようで、梅雨に原木を寝かせたままにしておくと高温多湿で害菌の侵入を許してしまう。
 摩尼山は豪雪の影響で冬の間は「奥の院」まで上がることができない。久々「奥の院」を目指し歩き始めた。向かう途中、サインボードが健在で安心した。「奥の院」に到着し、まず目についたのはたツリーハウスだった。屋根の生い茂っていた葉は枯れて、その中に設置していたパネルは雨風に打たれ所定の位置から無くなってしまっていた。


130329シイタケ2


 さっそくシイタケ原木の本伏せに取り掛かった。各原木にむらなく雨風が当たるようにすることが大切で、直射日光が当たらないように工夫する必要もある。「奥の院」には丁度、樹木が生い茂っている平坦地がツリーハウスの隣にあるので、そこを伏せ込み場所とした。竹で原木を掛ける土台を組み、交互に原木を配していった。日光の影響が心配だったので枝葉で全体を覆っておいた。原木を運ぶ際にふと断面を見てみるとシイタケの菌糸が浸透し始めていた。うまくいっている証拠で、これなら来年にはシイタケを収穫できるだろう。(白帯)


130329シイタケ3
↑原木を本伏せ(合掌伏せ) ↓枝葉で全体を覆った
130329シイタケ4

春一番

 「限界集落アンソロポロジー」というプロジェクト研究をやっていたのは2008年度後期のことだ。ハヤシという男子学生とハヤシバラという女子学生のことをよく覚えている。二人は同じバンドのメンバーだった。ASALABでハヤシと言えばナオキだが、こちらのハヤシは他学科の学生で、名をマサキという。マサキは大阪の大学に通う双子の兄のことを「歩くセイショクキ」だと言った。ハヤシは鳥人ラーメンでバイトしており、自らそのラーメンを日に2杯食べていたから、いつも大蒜の匂いをふりまいていた。
 限界集落アンソロポロジーのフィールドは板井原だった。ハヤシの紹介で、地域おこし協力隊の若者からメールが入った。昨年秋、2年ぶりに「火間土」で会食をしたときの記事を読んだのだという。
 その若者が早くも大学にあらわれた。3月31日に入村したばかりだという。あの会食の日、Iターン者の入村で集落は湧いていた。その人物は3月末で村を去り、入れ替わりで若者が村入りしたのだという。入村3日めにして私を訪ねてきた。どうやら心細いところがあるらしい。分かった、協力する。ゼミ生を連れていくから、そのときにまた会おうと約束した。というわけで、3年生の新歓コンパは板井原になるかもしれない。


2013.jpg

エイプリルフール

 全通した鳥取自動車道を通って大学に帰ってきた。大原からアワクランドまでの間も高架上を走ることになって、大原のファミマで休憩できなくなった。加西パークから大学まで休まずに一気通貫か・・・しんどいな。智頭の河原土手の桜並木も気になったのだが、自動車道が通ってからもう何年もみていない。
 加西パーキングに福袋がおいてあった。鳥取道全通の祝いかと思いきや、そうではなく、中国縦貫道開通30周年なんだそうだ。風月堂の3000円福袋は5000円相当で、おまけに月に一度の2割引きの日にあたり、福袋も2400円で買えるというのだが、それでも食指は動かなかった。売れ残っていた、という表現がふさわしく、そういうものに当たりはまずないだろう。
 30年前の自分は何をしていたのか。25~26歳。結婚して中国に渡ったころだな。17年前はどうだろう。うちにデブ猫があらわれて少しずつ餌付けされていたころ、おれは何をしていたのか。39歳前後、西暦1995~96年。平城宮の復元事業にげんなりしながら、御所野や常呂にせっせと通っていたな、そう言えば・・・

 久々に朗報あり。「平成25年度科学研究費補助金審査結果のご連絡」という題目のメールで、クリックするのもためらわれた。あまり良い運気に支配されていない日々が続いていたので、落選も十分ありうる。恐るおそるメールを開いたところ、「採択」の二文字を発見。昨年度、研究費については、ちょっとした躓きがあり、今年度も予断を許さぬと警戒していた。いつものとおり、ひとりぼっちで申請したささやかな基盤研究なのだが、私のように世のためにならぬ研究ばかりしている地方大学の教員にとって、新規科研をクリアしたのは大きい。この正月以来、盗難事件に悩まされ、出版助成による『建築考古学の実証と復元研究』の刊行が遅延し、この先どうなるのかと不安になって、これは神仏にすがるしかないと、遅まきながら摩尼寺に初詣に行って御御籤をひいたところ「末吉」とでた。昨年も「末吉」だった。年末に運気は上昇していたのにまた振り出しかい、とがっくりきて・・・奈良に戻ると、デブ猫が亡くなった。家族一同意気消沈したが、猫を失った分だけなにか新しいエネルギーを感じないでもなかった。デブのおかげで一つの山を乗りこえたのかもしれない。
 いや、待てよ・・・メールの着信は4月1日だぞ。エイプリルフールじゃないか。だれか、おれを欺してるんじゃないだろな?


続きを読む

天国への階段(ⅩⅦ)

03マニラ楽器01


ラウド購入

 畦をほぼ水平に歩いて、棚田の端まで行った。そこから水路づたいに石段を下りていくまで私がジュンジュンに先行していたのだが、中腹まで下りて休憩所に戻ることになり、あっさり立場が逆転した。上りは苦しい。すでに1万歩以上(おそらく1万5千歩近く)歩いている。疲れた体に鞭打って石段を登ったが、元いた休憩所は遠かった。這いつくばうようにして休憩所に辿り着き、ゼロコークを飲む。すでに夕方5時半になろうとしていた。そこからサドルまで戻らないといけない。下りで1時間以上かかった道のりである。すでに体はへたりきっている。おそらく1時間半ばかりの登山になるだろう。休んではいられない。夕闇が迫っている。コークを飲み干すや二人は重い足取りで動き始めた。しかし、体がついていかない。ジュンジュンは元気になっている。いや、ちがう。ジュンジュンは行きも帰りもほぼ同じ体調なのだろう。私の動きが極端に鈍ってしまったのだ。あれは2009年だったか、研究室のメンバーで大山登山をした際、一人遅れてふらふらになってしまい、すれ違う高齢の登山者から「靴に鉛でも入っとるだかいや」と嘲笑われたが、今回はそれ以上の重みに苦しんだ。その重みとは自重である。下りは楽で上りは苦しいわけは、それでほとんど説明可能ではないか。


バタ棚田縦アングル 02バタ01記念撮影04


 足は動かなかった。百歩続けて歩むことができない。少しずつ少しずつ上っては休み、水を飲む。その水もまもなくなくなった。時計の針が7時をまわろうとするころ、ようやく石段の下に辿り着いた。まだ412段もある。ジュンジュンはさっさと上に行ってしまった。十段ずつ数えながら歩を進めた。這うようにして段を上がることもあった。百段までがいちばんつらく、二百段を過ぎると「なんとかなる」という気持ちを抱くようになった。そして、三百段、四百段と歩を進め、7時15分過ぎにサドルに辿り着いた。
 あたりは暗くなっている。店は1軒だけ開いていて、バナナとゆで卵とゲータレードを買って貪りたべた。あとはよく覚えていない。ジュンジュンの車のなかで眠りに落ちたまま、ホテルに着いた。

 あの夜、バタッ村に泊まるべきだったと今にして思う。ホテル(コテージ)もホームステイ(民宿)もいっぱいあった。値段も高くはない。欧米人の多くは村に2~3日滞在して、のんびりと村や棚田や山や滝をみてまわる(↓)。棚田に囲まれてお茶を飲み、本を読む。そういう生活を送るべきだった。これから世界遺産「コルディレラの棚田」を訪問する方はバンガーン村を訪問して後、バタッ村で2~3泊し、その後、ハパオ村などを経由してボントックに北上しバギオで1泊されるのがよいでしょう。


02バタ村05本村04ホームステイ外人01 02バタ村04棚田01縦02



続きを読む

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
03 | 2013/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR