空き家探索(3)-上方往来河原宿その2
土蔵をめぐる思考
4月27日(水)後半。苗を買った道の駅でお茶した後、河原宿の上方往来沿いにある空き家T01家の視察に行きました。今回は突然の訪問でしたので、内部には入れませんでしたが、街道や小路などから屋敷の周辺をみてまわりました。空き家は道幅の狭い上方往来に東面しています。建物背面には背戸川という細い水路がありました。先生が子どものころは鮎が遡上してきたそうです。民家の敷地内には土蔵が2棟建っています。背面側の1棟は背戸川、角地の1棟は背戸川と小路の両方に面しています。
河原(かわはら)という集落は、文字通り、千代川の「河原」に因んだ地名です。藩政時代の上方往来は参勤交代の休憩所、すなわち「茶屋」であり、当時の地名は「御茶屋」であったといいます。視察した空き家T01の向かいには「新茶屋」という鮎の割烹料理店(こちらも空き家)があります。この新茶屋こそ、鳥取でロケされた撮影された「寅次郎の告白」(1991)の舞台になった場所だそうです。
背戸川沿いには、土蔵が数多く軒を連ねていました。トタン張り壁の土蔵もありました。板が雨などで痛むのを防ぐためにトタンが張られており、トタンの下には土蔵本来の板壁があるとのことでした。街道沿いの町並みでは、町家等の年代判定の基礎として、建物の高さ低さの問題を教えていただきました。基本的に低い建物が古い、高くなればなるほど新しい、という基準です。かつて鍜冶屋であった背の低い町家があり、もとは茅葺き建物であった可能性が高いと教わりました。先生のご実家も茅葺を瓦葺きに改修したそうです。こうした基準に立つと、旧地主住宅である空き家T01の主屋ももとは茅葺きであった可能性が高いようです。
先生のご実家の裏側にまわると、石橋や洗い場が残っていました。つい数年前までは背戸川へおりる裏木戸もあったそうですが、撤去されているのをみて先生は残念そうでした。背戸川自体、とても趣きのある水路ですが、そこにかかる石や洗い場によってさらに昔ながらの生活の雰囲気が強く醸し出されていると感じました。
上方往来の東西に相対する二軒の空き家と新茶屋2軒の再生構想を先生は私案としてもっておられます。T01は上方往来歴史館、新茶屋は寅さん記念館として再生整備するのが最善ではあるけれども、コンバージョンの実現は難しい点も多々あります。しかしながら、2棟の土蔵だけなら再生活用も可能かもしれません。1棟は小路にも背戸川にも面しているため小路側の壁に入口をつくり、1階はカフェ、2階をギャラリーとして再生します。もう1棟の土蔵は、住居兼アトリエとして使用します。土蔵の再生活用は卒業論文の主題にすることもできます。古民家再生に興味があったので、この民家の整備についても考えたいです。
次にこの空き家で行う演習は、建物の実測とドローン撮影になりそうです。すでに3年以上の学生には『民家の見方 調べ方』が配布済であり、この方法を研究室用に応用して分担し実測・採寸します。3年生はもちろん4年生以上も実測・採寸は初めての体験ですが、しっかりスキルを身に着けるよう学びたいと思います。(カキフライ)