摩尼山、日本最大の登録記念物(名勝地)へ
先週は摩尼山ウィークであった。まず14日(火)に中国三十三観音霊場先達合同研修会で「摩尼山の文化遺産-登録文化財から登録記念物へ-」と題する講演をした。すでにして「摩尼山」を登録記念物にする気満々のスピーチである。少数ながら記者さんも来場しており、フライング気味だと言われても仕方ないか。
その夜、NHKから電話があった。大山寺の史跡指定と摩尼山の記念物(名勝地)登録について意義を語って欲しいという依頼である。そのとき初めて大山寺の史跡指定を知った。なんたることか、摩尼山と同じ17日(金)夕方の報道解禁である。摩尼山が大山寺の噛ませ犬になりかねない危惧を即座に感じたが、メディア側は「大山寺と摩尼山の両方の意義」を強調し、そのコメンテーターとして県教委が私を推薦したとのことであり、インタビューを受けることにした。最近の大山寺の発掘調査について詳しいわけではないが、楊鴻勛先生を招聘した2010年2月27日のシンポジウム「大山・隠岐・三徳山」の経験があり、その内容は翌年刊行した報告書『大山・隠岐・三徳山 ―山岳信仰と文化的景観-』(2011)に網羅している。シンポジウムから6年経って、三徳山は大山・隠岐国立公園に編入され、鰐淵寺と大山寺は国の史跡となって、さらに摩尼山が国の登録記念物になる。筋書きはすべてこの報告書のなかにあるのだから、自信をもって大山寺のことも話せばよいと心に決めた。
翌15日、午後2時から市役所記者クラブで事前レクをした。資料は前日講演のパワポ出力である。ただ、一ヶ所修正を施した。それまで私は、日本最大の登録記念物(名勝地)は近江八景だとばかり思っていたのだが、レク直前の昼休みに、心配になって調べなおしてみたところ、以下のように、摩尼山の方が大きいことが分かったのである(近江八景の面積はネット上に記載されているが、石垣市役所には電話して確かめた)。
【摩尼山】約367,000㎡(111,000坪、36.7ヘクタール)
【近江八景】堅田落雁1,798㎡ 三井晩鐘235,7455㎡
【沖縄石垣市の御神崎(うがんざき)】164,299㎡(うち海域109,176㎡)
こうした数字の大小を喜んで受け入れる記者もいれば、そうでない記者もいる。NHKは後者の方であった。14日夕刻から研究室でカメラがまわった。焦点は「大山寺の史跡指定と摩尼山の名勝地登録の意義」である。単独の意義というよりも、両方あわせてみた場合の意義を話して欲しいと依頼され、それに応えたつもりではいる。
1)2006~2007年の世界遺産暫定リスト入り申請で「三徳山」がカテゴリーⅡというきわめて低い評価を受け、鳥取県は意気消沈していたが、「大山・隠岐・三徳山」シンポジウムで、鰐淵寺、大山寺、三徳山、摩尼山らが連携するシリアルな関係を保ち、山陰の密教系霊山の文化財価値や文化的景観を強調すべきと述べた。いままさに山陰の霊山は群として復権を遂げようとしている。摩尼山もその仲間入りができたことが嬉しい。
2)「山陰海岸ジオパーク≒山陰海岸国立公園」の思い違いが行政にも市民にも蔓延している。しかし、ジオパークは海岸線の後背地にあたる内陸山間地域をひろく含んでいる。これらの内陸側にも保護すべき多くの文化遺産や景観地がある。摩尼山の名勝地登録はその先駆けとして評価できる。このたびの名勝地範囲は摩尼山の南半だが、北半の山麓域には山湯山の梨園がひろがり、浜湯山のラッキョウ畑(砂丘)につらなっている。梨とラッキョウほど鳥取県の生業を象徴する栽培植物はないであろう。それらがまとまって集中分布していることを評価し、将来的には「山湯山の梨園と浜湯山のラッキョウ畑」として重要文化的景観の選定をめざすべきではないか。
報道解禁の17日夕刻、市教委から電話が入り、文化審議会で「摩尼山」が無事答申されたとの報告を受けた。まもなく、NHKのインタビューも夕方のニュースで無事放送されたようだが、私は奈良に向かって移動中であった。帰宅後しばらくして、倉吉のマッド・アマノ氏から「テレビ拝見しました。録画しました」とのメールが届いた。翌18日は学生が朝刊を買いあさり、そのスキャンデータを添付資料で送信してくれたので、一通り目を通すことができた。摩尼山の扱いは大山寺と互しているというほどではないが、決して噛ませ犬に堕しているわけでもなく、ほどよいバランスが取れていて安堵した次第である。
中国三十三観音霊場先達会講演の報告でもお知らせしたように、今年は摩尼寺の善光寺阿弥陀如来像の開帳大法要があり、阿弥陀像の公開にあわせて、吉川美代子さんの講演・朗読会をおこなうことが決定している。吉川さんの講演・朗読会は、じつは登録記念物(名勝地)「摩尼山」の答申祝賀として企画し始めたものである。たんなる楽しいイベントを超えた有意義な会にしたいと思っている。
その夜、NHKから電話があった。大山寺の史跡指定と摩尼山の記念物(名勝地)登録について意義を語って欲しいという依頼である。そのとき初めて大山寺の史跡指定を知った。なんたることか、摩尼山と同じ17日(金)夕方の報道解禁である。摩尼山が大山寺の噛ませ犬になりかねない危惧を即座に感じたが、メディア側は「大山寺と摩尼山の両方の意義」を強調し、そのコメンテーターとして県教委が私を推薦したとのことであり、インタビューを受けることにした。最近の大山寺の発掘調査について詳しいわけではないが、楊鴻勛先生を招聘した2010年2月27日のシンポジウム「大山・隠岐・三徳山」の経験があり、その内容は翌年刊行した報告書『大山・隠岐・三徳山 ―山岳信仰と文化的景観-』(2011)に網羅している。シンポジウムから6年経って、三徳山は大山・隠岐国立公園に編入され、鰐淵寺と大山寺は国の史跡となって、さらに摩尼山が国の登録記念物になる。筋書きはすべてこの報告書のなかにあるのだから、自信をもって大山寺のことも話せばよいと心に決めた。
翌15日、午後2時から市役所記者クラブで事前レクをした。資料は前日講演のパワポ出力である。ただ、一ヶ所修正を施した。それまで私は、日本最大の登録記念物(名勝地)は近江八景だとばかり思っていたのだが、レク直前の昼休みに、心配になって調べなおしてみたところ、以下のように、摩尼山の方が大きいことが分かったのである(近江八景の面積はネット上に記載されているが、石垣市役所には電話して確かめた)。
【摩尼山】約367,000㎡(111,000坪、36.7ヘクタール)
【近江八景】堅田落雁1,798㎡ 三井晩鐘235,7455㎡
【沖縄石垣市の御神崎(うがんざき)】164,299㎡(うち海域109,176㎡)
こうした数字の大小を喜んで受け入れる記者もいれば、そうでない記者もいる。NHKは後者の方であった。14日夕刻から研究室でカメラがまわった。焦点は「大山寺の史跡指定と摩尼山の名勝地登録の意義」である。単独の意義というよりも、両方あわせてみた場合の意義を話して欲しいと依頼され、それに応えたつもりではいる。
1)2006~2007年の世界遺産暫定リスト入り申請で「三徳山」がカテゴリーⅡというきわめて低い評価を受け、鳥取県は意気消沈していたが、「大山・隠岐・三徳山」シンポジウムで、鰐淵寺、大山寺、三徳山、摩尼山らが連携するシリアルな関係を保ち、山陰の密教系霊山の文化財価値や文化的景観を強調すべきと述べた。いままさに山陰の霊山は群として復権を遂げようとしている。摩尼山もその仲間入りができたことが嬉しい。
2)「山陰海岸ジオパーク≒山陰海岸国立公園」の思い違いが行政にも市民にも蔓延している。しかし、ジオパークは海岸線の後背地にあたる内陸山間地域をひろく含んでいる。これらの内陸側にも保護すべき多くの文化遺産や景観地がある。摩尼山の名勝地登録はその先駆けとして評価できる。このたびの名勝地範囲は摩尼山の南半だが、北半の山麓域には山湯山の梨園がひろがり、浜湯山のラッキョウ畑(砂丘)につらなっている。梨とラッキョウほど鳥取県の生業を象徴する栽培植物はないであろう。それらがまとまって集中分布していることを評価し、将来的には「山湯山の梨園と浜湯山のラッキョウ畑」として重要文化的景観の選定をめざすべきではないか。
報道解禁の17日夕刻、市教委から電話が入り、文化審議会で「摩尼山」が無事答申されたとの報告を受けた。まもなく、NHKのインタビューも夕方のニュースで無事放送されたようだが、私は奈良に向かって移動中であった。帰宅後しばらくして、倉吉のマッド・アマノ氏から「テレビ拝見しました。録画しました」とのメールが届いた。翌18日は学生が朝刊を買いあさり、そのスキャンデータを添付資料で送信してくれたので、一通り目を通すことができた。摩尼山の扱いは大山寺と互しているというほどではないが、決して噛ませ犬に堕しているわけでもなく、ほどよいバランスが取れていて安堵した次第である。
中国三十三観音霊場先達会講演の報告でもお知らせしたように、今年は摩尼寺の善光寺阿弥陀如来像の開帳大法要があり、阿弥陀像の公開にあわせて、吉川美代子さんの講演・朗読会をおこなうことが決定している。吉川さんの講演・朗読会は、じつは登録記念物(名勝地)「摩尼山」の答申祝賀として企画し始めたものである。たんなる楽しいイベントを超えた有意義な会にしたいと思っている。
【活動年表】
2009年 摩尼寺「奥の院」遺跡の発見、地形測量
2010年 摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査(科研費による)
2011年 鳥取県環境学術研究費「摩尼寺奥の院遺跡の環境考古学的研究」により
発掘調査データの整理、遺物・土壌等の環境考古学的分析
9月末に『大山・隠岐・三徳山-山岳信仰と文化的景観-』(2011)を刊行
年度末に科研成果報告書『摩尼寺「奥の院」遺跡』(2012)を刊行。
2012年 学内特別研究費「摩尼寺奥の院遺跡の文化資産保護と環境整備計画」により、
遺跡の環境整備、登山路の整備、ルートマップの作成などに取り組む。
年度末に論文集『聖なる巌-窟の建築化に関する比較研究-』(2013)を刊行。
2013年 山麓境内建造物のうち本堂・山門・鐘楼の調査に着手。
2014年 学内特別研究費「摩尼寺境内建造物の総合調査」により、
上記3棟に加え、閻魔堂・三祖堂・善光寺如来堂・庫裡の調査。
年末、本堂・山門・鐘楼が国登録有形文化財となる。
年度末に報告書『思い出の摩尼』(2015)を刊行。
2015年 摩尼山の石仏調査、庫裡の詳細調査など。
2016年 国登録記念物(名勝地)「摩尼山」答申。
評価文案は こちら を参照。
*新聞報道(2016年6月18日)
日本海新聞(1面) (23面)
山陰中央新報(18面)
毎日新聞(24面)
読売新聞(27面)
2009年 摩尼寺「奥の院」遺跡の発見、地形測量
2010年 摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査(科研費による)
2011年 鳥取県環境学術研究費「摩尼寺奥の院遺跡の環境考古学的研究」により
発掘調査データの整理、遺物・土壌等の環境考古学的分析
9月末に『大山・隠岐・三徳山-山岳信仰と文化的景観-』(2011)を刊行
年度末に科研成果報告書『摩尼寺「奥の院」遺跡』(2012)を刊行。
2012年 学内特別研究費「摩尼寺奥の院遺跡の文化資産保護と環境整備計画」により、
遺跡の環境整備、登山路の整備、ルートマップの作成などに取り組む。
年度末に論文集『聖なる巌-窟の建築化に関する比較研究-』(2013)を刊行。
2013年 山麓境内建造物のうち本堂・山門・鐘楼の調査に着手。
2014年 学内特別研究費「摩尼寺境内建造物の総合調査」により、
上記3棟に加え、閻魔堂・三祖堂・善光寺如来堂・庫裡の調査。
年末、本堂・山門・鐘楼が国登録有形文化財となる。
年度末に報告書『思い出の摩尼』(2015)を刊行。
2015年 摩尼山の石仏調査、庫裡の詳細調査など。
2016年 国登録記念物(名勝地)「摩尼山」答申。
評価文案は こちら を参照。
*新聞報道(2016年6月18日)
日本海新聞(1面) (23面)
山陰中央新報(18面)
毎日新聞(24面)
読売新聞(27面)