木綿街道のこと(ⅩⅩⅩⅥ)
9月下旬までの夏季休暇も中盤、しかしまだまだ暑い日が続いています。木綿街道の町並み調査も終盤に差し掛かり、先日、夏期恒例(?)泊まり込み調査をおこないました。
小路あれこれ
今回の調査の主な目的のひとつは、小路です。小路は、木綿で栄えた平田のまちで運搬路の役割を担っていました。今でも生活に欠かせない空間となっています。新町に3本、片原町に2本、宮ノ町に2本、その他にも小路は残っています。このうち、調査したものは新町の3本、片原町の2本、宮ノ町の1本です。前回の調査までに片原町の小路の調査と実測は終えていたので今回は新町・宮ノ町あわせて4本です。
今回の調査には、研究室のメンバーに加え、縁ある後輩有志が手伝いに来てくれて、人数が多かったこともあり、普段ではできないくらいの実測成果をあげることができました。
これからの課題は、その小路が昔、何と呼ばれていたか?です。調査しながら行き交う方や住民の方に聞いてみみたところ、複数の名前があがりました。宮ノ町の小路にいたっては3通りの呼び方をいろんな方に伺いました。もう少し詰めて調べる必要がありそうです。
この3日ばかりの間に、私は3本の小路の実測図を描きましたが、そのなかでもとくに宮ノ町の小路は雰囲気というか、生活感があるなあと思いました。何人かでウロウロ活動していると、「なにしちょうかね?」「一体何事だ?」などと声をかけられ、関心を持たれることが多かったからです。奥行の長い小路だからかもしれませんが、ほかの小路に比べて印象的でした。空き家も少なかったですね。家の中からラジオやテレビ、人の話し声が絶えず聞こえてきます。そして、注意も受けました。一部、駐車場ともなっている空き地が、小路沿いのお宅の土地ではなく、少し離れたところのお宅の私有地だということで、挨拶をしてからにしなさい、というアドバイスをいただいたのです。そこの調査はほぼ終わりかけでしたが、調査道具の運ぶのを他のメンバーに任せ、まだ挨拶していなかったお宅も含め、挨拶に回りました。木綿街道の町並み調査の一環で、自分の卒業研究としてもやっていることだということを説明しました。また、近所のおじいさんが「あんたたち、工事すうのかね??」と聞いてこられたので、きちんとお話して了解もいただきました。「そぎゃんことだったらがんばーなさい」と言ってもらえました(出雲弁で、そのようなことなら頑張りなさいね、という意味です)。
改めて平田の方々の温かさを感じました。そのほかのお宅でも話を聞いてくれたり、応援してくれたり、あそこの○○さんがよく知っている、などという情報をくださったりもしました。調査中、振興会の方に出くわし、突如、知らない小路にご案内いただきました。橋を渡った向こうにも、運搬路として使われた小路が残っている、ということなんです。私はその小路は初めて知りました。その小路について、その方は「小豆屋(アズキヤ)小路」とおっしゃっていました。小路の通りの中に大きな米蔵があり、「小豆屋」という屋号のお店だったということです。また、その小路の出たところ(車の通る道路)のまわりの家の玄関先などに階段があり、「カケダシの跡ではないかか、また、石垣などもあったので、その道路は元々、川だった」ということも教えていただきました。町割図などにも関係してくることですね。昔はこうだった、というお話を聞いたり、調査で判ることについてとてもおもしろい!と改めて思いました。そして、この場所は道路拡幅による撤去対象の建物群付近でもあるので、また風景が変わる可能性もあります。現状を伝えることも大切だと感じました。
さて、小路の調査ですが、時間が足りなくなりそうだったので、最後の一本は野帳をひとつ減らし、写真をコピーしたものに実測数値を書き込むことにしました。調査時間の短縮は成功し、予定通りでめいっぱい調査ができました。この調査成果を生かし、今後は図面整理に論文に・・地道に頑張っていきたいと思います。