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2012EURO(Ⅴ)

独伊決戦


 昨夜は11時あたりから落ち着かなくなくなり、マークローザに跨り弥生町へ。3軒まわってふらふらになり、3時過ぎに帰宅した。テレビを点けて、ソファに横になると、眠りに落ちそうになったが、いざ決戦が始まると勢い覚醒し、またたくまに体内の酒精が抜けていく。
 その前夜の、西班牙対葡萄牙の試合は真逆であった。2時半過ぎまで仕事をし帰宅して、よし試合をみるぞと意気込んでソファに腰掛けたものの、糖質70%オフの発泡酒を飲むとたちまち眠くなり、その眠気を押さえるの苦労した(退屈な試合だったので延長を視るのはやめて床についた)。葡萄牙は前線からのプレスで試合を支配したものの、ゲームを作れる選手がいない。クリスチアノ・ロナウドという選手はたしかに驚異ではあるけれども、結局「使われる選手」でしかなく、ロナウドを使える選手がいない。レアルに戻れば、エジルやシャビ・アロンソがいる。しかし、葡萄牙代表には、それに匹敵する選手は一人もいなかった。それにしても、西班牙も西班牙ではないか。あの程度の葡萄牙と120分闘って勝ちきれないのは重傷だといわざるをえないだろう。
 バランスが悪い。その根源はビジャの欠場にあり、他のCFを試すも機能せず、結局0トップのパスサッカーに終始する。それはゴールのためのパスサッカーではなく、パスのためのパスサッカーに堕しているようにみえる。シャビの交替が印象的だった。シャビを下げてペドロを投入しなければならないほど、今の西班牙は攻撃力を落としているということだろう。

 さて、独逸は伊太利亜の術中にまんまとはまった。左サイドバックのラームにプレッシャーをかけ、独逸の攻撃を右サイドに集中させる。攻撃は、いつでもボアテングの不安定なクロスで幕切れとなり、その瞬間、ボアテングのいないサイドの裏をつく。独逸の右サイドに大きなスペースが生まれ、そこにカッサーノが流れ、あとはご覧のとおり、人類とは思えないガーナ人のアスリートが爆発して、前半だけで2点差とした。この日の伊太利亜は、憎たらしいほど賢さをみせた。(ボアテング以外の選手に対する)オールコート・プレスを仕掛けたのは前半だけで、2点差をつけた後半は「カテナチオ」からの逆襲速攻に戦法を変えた。中3日のコンディションで体力を保持するためにこれ以上の策はなく、鍵をかけられた独逸はなす術を失った。
 世の中のサッカー評論家やファンたちは「カテナチオ」を悪のように吹聴するが、わたしは何度も述べているように、伊太利亜はこの戦法を捨ててはいけない、と固く信じている。前線からプレスをかけて高い位置で攻撃を仕掛ける時間とカテナチオからの逆襲速攻を使いわけることで強くなれる。そう以前に書いたとおりの展開で独逸に激勝したことを心から喜んでいる。
 決勝は、私とオシムの予想どおり、伊太利亜対西班牙となった。西班牙は不調ながらも決勝に上がってきた。実力の奥が深い偉大なチームである。しかしながら、2012EUROは、バロテッリとピルロが蹴球の世界地図を書きかえるべき大会のように思われてならない。

摩尼山巡礼五十人

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環境学フィールド演習C班

 前回の環境学フィールド演習は大雨で講義室での講義となったが、今回は天気もよくC班が摩尼山に登った。掲示板の講義案内をしっかり見ていなかった学生が若干いて、当日山に登るのか、智頭町に行くのかわからず、山に登るには軽装すぎる人も何人か見られた。それでも授業は進むのであって、バスに乗り込み摩尼山へ向けて出発。摩尼山麓に到着するとまずは椎茸原木の説明があった。門脇本家が本格的に作っておられる椎茸原木を生で初めて見させてもらい、樹のサイズから並べ方まで全てがきれいに整っていて、「これぞお手本!」という感じであった。このお手本を参考にプロジェクト研究で作る椎茸原木もきれいに並べていきたい。

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 椎茸原木の話を終え、登山開始。一本橋に行くまでの道でプロジェクト研究中に作った竹竿を各班一本ずつ持ち、登った。一本橋では50人近くの人数になるので、もしかしたら一人や二人落ちるのではと思っていたが、誰一人落下することなく安全に進めた。途中にある推定「山門」跡には、平らな石が何個か敷き詰めてあり、これが礎石などであっただろうと教えられた。貴重な遺跡であるが、山道の、狭いところにあってわかりにくいらしく、誤って?遺跡の上に立っている人が何人かいた。その場所は「門の跡」などなにかしらの表示をすれば、そのようなことは無くなるのではないかとも思った。


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「大出雲展」迫る!

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 というわけで、古事記編纂1300周年・出雲大社大遷宮記念「大出雲展」が近づいてきました。英語に訳すると、The Grand Izumo Exhibition だそうです。チラシが送られてきたので、ここに転載します。すでに何度かお知らせしていますが、

     会   場: 京都国立博物館
     開催期間: 7月28日(土)~9月9日(日)

です。昨年、ヒノッキーを中心に取り組んだ出雲市青木遺跡の古代神社復元模型(1/50)が展示されます。「金輪御造営差図」の原図も公開されます。ぜひとも足をお運びください。
 なお、無料観覧兼を若干頂戴しております。ASALABの卒業生に限り、お分けしますので、ご希望の方はご連絡ください。



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↑クリックすると画像が拡大します。

第10回「修験道トレッキング -山と巨岩の信仰を訪ねて」その2

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自然に溶け合う竹網棚

 6月21日(木)。梅雨に入りこの日も午前中は雨が降っていたので、山には登らず学校で作業だろうと思い、登山用の服ではなく普段着で外に出たら太陽が出ており、地面も若干乾いていた。しかし、前日も午前中も雨が降っていたので山では土がぬかるんでいるので流石に登らないだろうと思ったが、念の為に一応トレッキングシューズを履き飲み物を持っていった。学校に行くと「山に登る」と言われ、今日は大変だなと思ったが、登ってみると心配していたほど地面はぬかるんでおらず、涼しくて登りやすいくらいだった。
 この日は3人でツリーハウス風「竹棚」を制作することになった。大引・根太・床板はすべて伐採した竹で制作済みであり、縄による部材の緊縛がこの日の仕事だった。普段このようなことはしないので、どのようにして竹板を編み上げればよいのか悩んだが、1年生のイッポ君がやり方を教えてくれたので、そのとおりにした。すでに並べてある床板(割竹)を繋げるために、ロープを竹に交差させるように(裁縫でいう波縫い)縛り、交差したところを骨組みに括りつけて固定するという方法だ。


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 私はあまり器用な方ではなく、簡単な作業ではあったが、少々手間取ってしまった。他の2人は順調に作業が進んでいた。但し、材料にした天然の枯竹は、すべてがまっすぐなわけではなく若干曲がっており、隙間なく床板を繋ぐのは不可能だった。なるべくまっすぐに隙間ができにくいようにして骨組みに括りつけた。完全ではないが、大半の竹をひとまず固定することができた。少し離れて全体を眺めてみたら、竹でできたツリーハウス風の棚は山の風景にとても馴染んでおり、いいものができたなと思った。まだ完成したわけではないので、来週山に登れたら、残りを完成させなければならない。次は屋根を作るかもしれない。来週までにどのような屋根にするのか考えておこうと思う。


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2012EURO(Ⅳ)

興奮の英伊戦


 今回のEUROは必ずしも好試合が多いとは云えない。途中からソファで眠ってしまうのは、そのせいであろう。ところが、伊太利亜絡みの試合だけは目がぎんぎらに輝いてしまう。焼酎のロックをあおりながら、画面に目を凝らす。体に酒精が染みわたっているのに、頭脳は覚醒する一方。
 伊太利亜は3バックでなく、4バックを採用した。西班牙、克羅地亜に対しては3バック、愛爾蘭、英格蘭に対しては4バックだった。後二者の攻撃力がそれほどでもなく、1トップであったことが4バック採用の理由であろうが、気になるのはデ・ロッシの適性である。ほんらい中盤を専業とするデ・ロッシではあるけれども、今大会での出来をみると、3バックのセンターを務めるときのほうがよくみえる。あれだけ守備力の高い選手を中盤の左においても、あまり効果がないのではないか。デ・ロッシは3バックの中央を基本として、強豪を相手にするときはスィーパー、さほど攻めてこない相手に対してはワイパーとして機能させる(つまりピルロとのダブル・ボランチにする)のがよいと思う。
 英格蘭戦、カッサーノとデ・ロッシのミスが多く、当たりが悪かった。後半、二人は若い選手と交替させられたが、報道によると、デ・ロッシは「負傷退場」なのだそうだ。独逸戦で、センターバックとして復活してくれるよう祈っている。

 伊太利亜は未成熟だが、今大会で最も面白いサッカーをしている。本来の持ち味である守備力も強く、伊太利亜でなければ英格蘭に得点を許していただろう。英格蘭のジェラード-ルーニーというラインも脅威だが、伊太利亜のブッフォン-ピルロ-バロテッリのセンターラインはさらに強力だ。PK戦はその象徴的な戦いになった。GKにコースを読まれながらもスピードでネットを揺らした先鋒バロテッリ、英GKをあざ笑うように余裕のチップキックを決めてみせた3番手のピルロ。ここで流れが変わり、英のヤングはPKを外し、コールのシュートはブッフォンにキャッチされた。
 ミスの多いバロテッリではあるけれども、「バロテッリが成長することで我々はチャンピオンになれる」というブランデッリ監督の言を私も指示したい。伊太利亜がチャンピオンになるのが本大会なのか、伯剌西爾世界杯以降なのかは分からない。進化したバロテッリの姿を想像するに、ブランデッリ監督の方針は間違っていないだろう。
 早朝3時すぎから3時間ばかりTVを視る。つまらない試合では眠ってしまうが、伊太利亜戦では神経が覚醒する。目が覚めるような試合をあと2試合視れることは幸運だ。率直に言って、成熟度では独逸と西班牙が上まわっているが、私たちの目を画面に釘付けにしているのは、まちがいなく伊太利亜である。
 ピルロの芸術をあと2試合楽しもう。

2012EURO(Ⅲ)

独希戦から西仏戦まで


 午前3時半からのEURO準々決勝を視ようとして、いちおう放送開始時間までは起きているのだが、途中からソファで眠りに落ちる。昼頃目覚めて録画を視るのが、週末の日課になってしまった。独希戦については、戦後、メスト・エジルが語っていたように、独逸が負けるはずはなく、興味は薄かった。かりに独逸が希臘ではなく露西亜と戦っていたならば、勝敗は不透明であり、観戦の意欲はもっと増していただろう。グループリーグ最終戦で希臘が露西亜に勝ったのは何かの間違いであり、間違いではあったけれども、得失点差では露西亜が優っていた。しかしながら、今EUROの規則に従い、当該チームの勝敗で希臘の8強進出が決まった。捷克を4-1で倒した露西亜が復活すれば、独逸と五分に渡りあえただろう。
 独露戦が視られなかったことを、つくづく残念に思う。

 一方、西班牙も、予想どおり、仏蘭西を難なく倒した。仏蘭西は、英格蘭との初戦や烏克蘭との第2戦をみる限り、良いサッカーをしているわけではないが、もう少し強いチームだろうと思っていた。しかし第3戦、瑞典に0-2と大敗した試合をみて、西班牙に勝つ力はまったくないことが明らかになった。そもそも、ブラン監督は戦術を読み違えている。前半、1トップを残して、9名が自陣に引き守備を固めた。この戦法は2010南亜世界杯決勝における独逸の戦い方で(我々を大いに失望させた)、西班牙には通用しない。今2012EUROのグループリーグにおいて、伊太利亜と克羅地亜は前線から厳しいプレスをかけ続け、何度も好機を演出した。伊太利亜、克羅地亜とも西班牙から2点以上を奪える可能性があった試合であり、仏蘭西がなぜこの2国に倣うことをしなかったのか不思議でならない。
 克羅地亜はサイドバックのレギュラー選手をサイドハーフで起用し、その後ろに控えのサイドバックを配することで、前線からのプレスを強め、西班牙のサイド攻撃を封じた。伊太利亜は3バックと前線の2トップが有効に機能した。4バックの西班牙が、しばしば両サイドバックを高い位置にあげて球保持率を高めるため、攻撃時に西班牙の最終ラインは2ストッパーだけになる。この2CBに対して、伊太利亜はカッサーノとバロテッリの二人を貼り付ける。守備陣が球を奪った瞬間、2トップはがら空きになった西班牙の両サイドに開き、ピルロを経由して球はタッチラインぎりぎりで2トップに渡り、サイドアタックの基点になる。
 西班牙は万全の状態ではない。ビジャとプジョルの欠場は、思いの外、総合的な戦力を低下させている。前回のような圧倒的な力を示していない。対戦するチームは畏れることなく前線からプレスをかけ、攻撃を繰り返すべきだ。攻撃こそ最大の防御である。それは、ほかならぬ西班牙の思想だが、西班牙と戦う他国も同じだろう。守備ブロックを作るのではなく、西班牙を攻めることで最大の防御になる。後半の仏蘭西はそういう戦いをしていた。それを前半からやっておけば、もっと面白い試合になっていたはずであり、途中で眠りに落ちることもなかったかもしれない。

第10回「修験道トレッキング -山と巨岩の信仰を訪ねて」その1

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16日(土)のチェーンソーによるスダジイ伐採で巨巌が姿をあらわしたが、21日のプロジェクト研究では岩陰仏堂の近傍に立つツバキ2本を学生が鋸と鉈で伐採した。南側の1本はホコラを納める南側冗談の窟、北側1本は虚空菩薩立像を納める北側上段の窟を隠している。2時間ばかりのあいだに、この2本が消え去り、摩尼寺「奥の院」の巌(いわお)は「いわや(窟=巌)」としてのさらに神々しい姿を露わにした。

巌(いわや)現る

 6月21日(木)。雨が心配されるなか、摩尼山で活動をおこなった。午前まで振っていた雨によって地面がぬかるみ、山径はとても滑りやすくなっている。
 今回は、「椿樹伐採班」「ホダ木並べ班」「ツリーハウス班」「樹種鑑定+竹竿お作り班」に分かれて活動した。私は、椿樹伐採班で活動した。巨岩の前に立つ2本の椿の樹を伐る作業である。最初に取り掛かった椿(S04)は幹の直径が10㎝ばかりで、すぐに切断できた。そのとき自分の鋸のスキルがだいぶあがったなと感じた。次に取り掛かった椿(S01)は、最初の椿よりも太く、直径20㎝近くあり、切断はとても大変でした。最初はの鋸を使っていたのですが、途中から鋸が進まなくなったので、鉈(ナタ)で少しずつ削りながらまた鋸で切るという作業になり、時間をかけて伐採できました。思っていた以上に重労働で、握力がなくなりました。

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 伐った椿は枝落としし(↑↑)、ホダ木並べ班予定地の敷物にしたり、ホダ木のカバーとして今後活用する予定です。二本の椿がなくなっただけで、加工段からの巨巌の眺めはさらに良くなりました。伐採前は、ただ恐竜のような形をした巨巌のようにみえるだけでしたが、伐採後は小さなホコラの納まる位牌窟?(↑)と虚空菩薩立像の鎮座する仏龕(ぶつがん)も下から鮮明にみえるようになり、巨巌全体の神々しさが増しています。(↓)それをみて、とても達成感を感じました。これから活動も終盤になってきます。どうなっていくのか楽しみです。(タラチャン)


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↑↓下(加工段)からみあげると、上段の虚空菩薩と位牌窟?が巌の中心にみえるようになった
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IGWHC通信

出雲市朝山町岩根寺01DSCF6072

 昨年は横浜のKO大学KFCからメールがあり、てっきりサッカー試合の申し込みかと勘違いしましたが、今回はIGWHCなる組織からメールがあり、プロレス団体からの挑戦状かと思いましたよ。


出雲の岩屋

 報告書『摩尼寺「奥の院」遺跡-発掘調査と復元研究-』は結構反響がありまして、各所から御礼の手紙・メール等を頂戴しました。そのなかに全国各地の「岩屋」に関する情報が含まれています。たとえば、某帝国大名誉教授からは信州の事例をご紹介いただきました。一方、出雲からも複数の事例のご紹介をうけました。出雲には、鰐淵寺以外に少なくとも以下の4ヶ所に「岩屋」が存在するようです。

① 松江市宍道町来待の岩屋寺
旧本堂のあった場所は岩窟があり、現在薬師堂が存在、ほかに滝壺のオーバーハングしたところに蔵王堂あり。このあたりは鰐淵寺に酷似しています。また石窟も多数あります。石像物については『来待ストーン研究』9に「岩屋寺石像物調査報告」として報告されおり、寺院の概要もわかります。

② 奥出雲町横田町の岩屋寺
現在廃寺、詳細は不明ですが、蔵王堂の奧に岩屋状の空間があります。岩屋寺関連の記録中に「岩屋寺総鎮守蔵王権現面之尊像者在之、岩堀之秘仏無之」という文字も見えます。また、背後の山にも修験道の道場などがあったように記憶し
ています。

③ 出雲市朝山町の岩根寺
 上下の写真。岩陰に茅葺きの掛屋が建っています。

④ 松江市玉湯町の岩屋寺(廃寺) 
 国指定史跡 岩屋寺横穴墓がありますが、本来これらが岩窟の仏堂として再利用されていたと考えられます(『松江市史 資料編2 考古資料』 岩寺跡横穴墓の解説によると観音像がまつられていたとされます)。

  平田調査のついでに、のんびり出雲の岩屋をまわってみたいものです。


出雲市朝山町岩根寺02DSCF6084

アバウト・トゥ・レイン

 10日前の週末、白帯くんとともに米子に宿泊した。よせばいいのに、深夜の朝日町にくりだしましてね。タクシーをおりた途端、恥ずかしながら(いつものことですが)、もよおしてきた。大の方です。盛り場を歩きまわるのですが、コンビニなどのトイレがありそうな施設はまったくみあたらない。
 仕方ないので、二人は「野みち」という蕎麦屋に入ったんです。白髪の婆が経営する老舗の蕎麦屋でして、婆の口はわるいが、蕎麦は美味い。珍しく白帯くんは、ビールを口にしました。コップ半杯でへなへな気味・・・そこで、どういうわけか、白帯くんと婆のあいだで男性機能に係わる話題が始まりました。わたしゃ、引いてしまった。


ボクとボックとボックスと

 白帯くんの容姿風貌をみていると、鳥取藩池田家代々の藩主を思いおこします。二十歳前後で夭逝するひ弱な藩主ばかりで、権力を握る家老たちが毒殺した可能性が高いでしょう。おそらく子どものころから食べ物に毒物を少しだけ混ぜておいて、成長するにつれ、毒物が体内に蓄積し、死に至る。藩主たちの肖像画をみるとき、わたしはいつもそんな想像をふくらませています。白帯くんには、どことなく、そんなムードがただよっている。いわゆる草食系男子というやつかな?

 米子に向かう途上、白帯くんに訊きました。

   「キャン・ユー・ボック?」
   「イエス・アイ・キャン!」
   「オー・マイ・ガッド! アーユー・ボッキング・ナウ?」
   「ノォォ~! アイム・ナット・ナウ・・・」

 雨が降りそうな空模様になってきて、ニールヤングの「See the sky about to rain」が頭をかけめぐりました。このタイトルを和訳すると、「雨が降りそうな空をみあげて」となります。つまり、「about to~~(動詞)」は「まもなく~~しそうな」という近未来をあらわす助動詞(?)ですね。こんどは、これを使って質問してみました。

   「アー・ユー・アバウト・トゥ・ボック?」
   「ノ~、ノォォ~、アイム・ノット」


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巨巌現る(Ⅱ)

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ホダ木の分類・整理・移動

 恐竜のような姿を露わにし始めた巨巌の下の地面に、伐採された2本のスダジイ(S05・S06)が横たわっている。樹高20mを超える大木は、加工段を南北に二分するように倒れ、岩陰仏堂へ向かう参道を遮断してしまった(↑)。当然、このままにしておくわけにはいかない。2本の倒木は予め裁断することに決めていた。裁断した樹幹はシイタケ栽培のホダ木として再利用する。
 前回の実験的伐採ではホダ木の寸法を3尺(90㎝)として裁断した。今回、寸法は一律ではない。むしろ重量を基準とした。直径の大小に合わせて一人で担げる程度の長さに切ることにしたので、長さ50㎝のものもあれば、90㎝のものもある。そして樹木番号・樹種・伐採日を示したラベルをすべてのほだ木に釘打ちしていく(↑↓)。担当したのは教授と白帯である。この作業、説明だけでは何てことのないように聞こえるかもしれないが、この日、切り分けられたホダ木は100本以上を数える。そのすべてに番付し、モノによっては2人がかりでしか運べないような樹幹を加工段の隅に並べていく。

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 まとわりつくような湿気のなか、その作業は難行苦行を極めた。ホダ木の移動はもちろん、釘打ちしたカードを書き換えるトラブルにもみまわれた。当初、Mさんの教示に従い、樹種を「カシ」だとカードに記していたところ、職人さん二人は自信をもって「これはスダジイだで」とあっさり否定。わりと早い段階で気づいたものの、2度手間となってしまい、肉体的疲弊も重なって教授も白帯も徐々に苦悶の表情が見え始める。結局、スダジイ2本分のホダ木が加工段端に並べられた(↓↓)のは17時過ぎになっていた。
 今後、竹林伐採でできた斜面ににホダ木を並べ、いよいよ椎茸菌を植え付ける作業が待っている(菌植え付けの時期が良くないとの教唆も受けているが)。

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聖なる巌(Ⅲ)

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台風迫る晴天の休日

 天気予報などいい加減なもので、降雨に見舞われつつ摩尼山で活動した16日(土)の翌日(日曜日)はよく晴れた。ごろんごろん寝ているばかりのようで、じつはこの日、重要な決断を迫られていた。居住環境プログラム教員4名が担当する「環境学フィールド演習」が19日(火)に迫っている。私の担当するA班は、晴天ならば摩尼山に登り、雨天ならば湯梨浜→倉吉にコース変更となっていて、その最終決断を日曜日に下さなければならない。
 空は晴れている。梅雨とは思えない快晴の日曜日、天気予報のサイトに目を通すと、火曜日は降水確率70%、おまけに台風4号が日本に接近してきているという。摩尼山を断念するしかない。急ぎ湯梨浜→倉吉方面の関係者に連絡し、段取りを整えた。資料づくりも一からやり直し。結構たいへんな作業になった。
 翌18日(月)、民博の客員研究員として来日されている広西師範大学の廖教授をお迎えした。お昼に天気は曇っていた。まずは砂丘へ。雨が降ってこないうちに行っておいたのは正解で、砂丘から青谷に向かう途上で小雨がぱらつき始めた。青谷の展示館は休館日だったが、館長みずからお越しいただき、展示館の遺物をみて、その後、県の公開収蔵庫をみた。先生はとても熱心だった。いまはむしろ歴史民族学を主テーマにされているが、修士課程まで考古学を専攻されていただけあって、中国の出土遺物に詳しく、とりわけ新の貨泉と銅鏡に興味を示された。そこから夜まで楽しい時間を過ごせたが、なにぶん翌日の天候が気になる。台風は予定よりも早く日本列島に近づきつつあった。だれしも私がイタリア対アイルランド戦をライブで視たと思っているだろうが、そんな余裕はない。翌朝、できるだけ早く起床し、天候を確認して、フィールド演習の遂行が可能か否かを迅速に判断する必要があった。その任務が伊愛戦以上に重かったのである。


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フィールド演習、断念

 19日午前、鳥取では未だ小雨だったが、倉吉から連絡あり、「とても調査できる状態ではない」とのこと。わたしが引率するA班は早々にフィールド演習を断念した。一方、B班(智頭)、C班(若桜鉄道)はフィールドに出ると強気だった。しかし、雨足は強くなるばかりで、まもなく智頭町に土砂崩れ警報、八頭町に大雨洪水警報が発され、A~Cの3班すべてがフィールド演習を中止し、講義に切り替えた。わたしは鳥取米子の公開講座で「聖なる巌」を講演したばかりであり、A班だけに講義してもよいし、他の班も加わっていただいてよいと提言した。その結果、A班とB班はわたしの講義を聴講することになった。およそ100名相手の臨時講義が14:40分から始まる。一般向け公開講座のパワポをそのまま使うことはできないので、削除と追加のスライドを調整し、資料を作成し終わった段階で講義の10分前。資料のコピーは授業開始10分後にようやく届いた。
 学生たちには予め断っておいた。

   「もともと講義は苦手だし、一般むけ講演のパワポを転用した内容だから
   1年生にはおそらく難しいと思います」


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↑懐かしい展示コーナー

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巨巌現る(Ⅰ)

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スダジイの伐採と裁断

 6月16日(土)。山陰も梅雨入りし、どんよりとした曇り空が地上を覆う。数日前から降水確率は60~70%であることを天気予報で何度も確認していたので、この日の作業を延期しようと考えていたのだが、造園業者から「雨でもやります」と軽くいなされ、摩尼寺「奥の院」遺跡の岩陰仏堂正面をふさぐ大木の伐採を敢行した。
 ところが、集合時間の9時半に参道口に到着しても、業者の姿はない。教授によると、業者の頭領Mさんから電話があり、先発して現場に向かうという電話があったという。それを聞いて、ASALABの面々に不安がよぎった。

  「自分たちが着く前に、伐採作業を始めてはいないか」

 岩陰仏堂を覆う樹木の伐採は発掘調査時からの悲願である。もちろん摩尼寺および役員会の許可は得ている。14日(木)には伐採する大木の優先順位を決めており、その情報をもたない造園業者が優先順位を無視して伐採作業を始めるのではないかとの懸念が払拭されないまま山道を急いだ。研究室からの参加者は4名で、鳥取市のSさんも同行された。
 教授はMさんに何度も電話をかけるが、山林内の大半は「圏外」で通じない。はたして現場に到着すると、そこに人影はなかった。現場はいつもと変わらない静寂に包まれている。先に到着しているはずの業者の姿はない。しばらくして、倉吉市のSさんも現場にあらわれた。みな雨のなか大木の伐採を目撃したいのである。その後、ようやく電話がかかってきた。あきらかに道に迷っている。Mさんは一度だけ教授とともに登山しているが、「奥の院」までの山径は迷路のように折れ曲がっている。2年前の発掘調査時には、道中7枚の案内パネルを樹幹につるしておいたが、それは現場埋め戻しとともに片づけてしまった。

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 11時近くになって、ようやく若い二人の職人さんがあらわれた。「なんだ、こんなに近いのか」という不満をぶちまけている。少し遅れて、案内役のMさんがあがってきた。聞くところによると、まず久松山(太閤平)方向に歩んで逆戻りし、奥の院を通り過ぎて、福部のほうに向かったのだという。

  「山をなめんてんじゃないの?」

 教授はMさんに向かってそう言った。集合時間を9時半と決めており、ASALAB側の4名は遅刻することなく9時20分に門前に到着した。ここで行動をともにしていれば、なんの問題も不安も懸念もなく10時には仕事を始めることができたのである。残念なことではあるけれども、フィールドワークの原則を無視した独断的な行動が、雨天の作業をさらに困難なものにしたのは間違いない。

 業者が到着するまでのあいだに、私たちは樹木伐採の段取りを済ませている。伐採候補は予め岩陰仏堂の正面を塞ぐS01~S06の6本と決めていた。とくに優先順位の上位を占めるのは極端に突出する巌(いわお)の先端部を隠すS05とS06である。この2本があるとないで、「奥の院」の景観は一変する。宙に浮く巨岩の先端部はこの2本の大木に支持されているようにもみえるが、両者はあきらかに離れている。つまり宙に浮く巨巌と2本の大木は力学的には無縁であり、樹を伐採することで巨巌の崩壊を促すことはありえない。


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第9回「修験道トレッキング -山と巨岩の信仰を訪ねて」その2

樹種鑑定データシート


 14日(木)、1・2年の女子3名は大学に残り、わたしと4名で摩尼寺「奥の院」樹種鑑定データシートを作成し、さらに椎茸原木栽培の基礎を学びつつ、栽培に必要な道具等をリストアップしました。完成したデータシートを下に掲載しておきます。修験道トレッキングのメンバーがいつでもシートを利用できるように、下に掲載しておきます(画面をクリックすると拡大します。


 樹種鑑定データシート(表) 樹種鑑定データシート(裏)


 また、椎茸原木栽培のために必要な道具等は以下のとおりです。(おぎん)

  ・電気ドリル
  ・原木栽培のための菌
  ・錐
  ・金槌
  ・ヤカン


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↑この巨巌と岩陰仏堂が下から鮮明に眺望できる日が近づいています。

第9回「修験道トレッキング -山と巨岩の信仰を訪ねて」

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椿の堅さ

6月14日(木)。6月8日に梅雨入りの発表が出され、雨が懸念されたが、梅雨入り情報が嘘のような晴天に恵まれ、
摩尼山へ出掛けた。この日は「データシート作成班」の女子3名が大学に残り、残りのメンバーが摩尼山で「木彫仏梱包班」「竹細工班」「環境整備班」「青竹竿作り班」という4班に分かれ、作業をおこなった。
 竹細工班は先週伐採した枯れた竹の処分・処理を担当。使えない竹材は廃棄するが、使えそうな材は250㎝単位に切断して、ツリーハウスっぽい竹棚をつくる。環境整備班は岩陰の真下に立っている椿の樹を伐採する。椿(樹木番号K27)を伐採することで、加工段(平坦面)から岩窟は一望できるようになると同時に、伐採した椿の幹をツリーハウス竹棚の大引や根太に転用しようという発想です。こういう考えをもとにしていますので、竹細工班と環境整備班のメンバーの仕事は協同作業で進みました。
 竹細工班の私ことN.Yと、環境整備班のマックンは体育会系のツートップであり、椿の伐採を受けもつことに。この1本の椿がなかなかの曲者! 長径24cm、短径19cmもあり、今までこのプロ研で環境整備をしてきた経験から言わせてもらうと、椿はいろんな樹のなかで、かなり堅くて切りにくい!

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 鋸と鉈は椿の幹の前ではひ弱な道具でした。弱小装備でしか持ち合わせていないツートップは、希望が見えない中で
一心不乱に、鉈を椿に叩き付け、ときには鋸で芯を削り続けたのですが、竹細工班の面々(とくにタラチャン)は、椿が倒れそうになると、自分たちの仕事はそっちのけで、私たち二人の作業に見とれ、タラチャンは動画を撮影しています・・・1時間ばかりかかって、ようやく椿の樹幹の伐採に成功しました。伐採完了の後の2人の右腕はパンパンになりました。いい筋トレです。木の幹を切断しているときに感じたのですが、このプロ研のおかげでのこぎりの使用スキルが著しく成長していると感じる今日この頃です


ツリーハウス風「竹棚」づくり

 伐採後、攻守ところを換え、自分たちは竹の整理をし、竹細工班の一部は椿の枝落としをしました。残念ながら枝は湾曲しているものが多く、大引や根太に使えそうにはありません。しかし、システム学科のE君は、先生の指示もあり、登山用の杖を1本作りあげました。
 一方、イッポ君と先生、白帯先輩はツリーハウス竹棚を形にし始めました。椿の枝の使用を諦め、大引・根太・床束もすべて丸竹を使って仮組し、イッポ君が得意のロープワークで竹を樹木に結びつけていきました。マックンもスマホで「男結び」の映像をみながら、ロープワークに挑戦しましたが、何度やっても成功しませんでした。

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忘れえぬ秩序(Ⅰ)

 現在、大学院の授業で東アジア都市・建築史および歴史遺産保全に係わる英語論文の和訳、および日本語論文の英訳に取り組んでいます。その最初の成果として、チェン・ユウ准教授(シンガポール国立大学建築学科)が第8回「アジアの建築交流国際シンポジウム」(The 8th ISAIA @北九州)で発表した英語論文の和訳を掲載します。この論文は中国広州の租界地区「沙面」を主題とし、租界都市が近代中国の都市形成に与えた影響を考察したものです。


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  忘れえぬ秩序 -広州沙面における英国租界の建設(1861‐1945)-

要旨:  アヘン戦争(1839-42)後、中国の条約港開港によって清朝貿易における特権を広州は失った。十三行(13の工場)は1856年に取り壊された。1684年の設立以来、十三行は外国人の対中国交易にとって排他的地域であり続けた。沙面は英仏租界を建築する場所として提供され、中国政府によって埋め立てられた。現存するクラウン・ディード(王室所有不動産証書)と1861年から1945年に至るまでの沙面の英国租界における管理システムの分析を通して、この論文は、半植民地的中国租界地の整然とした景観の底流に流れる「忘れえぬ秩序」を検討するものである。英国政府の居留地計画における土地の制御と公的建築における私的な契約が融合されて確固たる地権となっていった。外国租界地における体系的な管理の成就はおそらく中国を刺激し、20世紀初期における広範囲な都市改造をもたらしたであろう。

キーワード: 沙面 英国租界 広州(広東) 土地制御 地権
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1.序論

 第1次アヘン戦争後、多くの外国勢力が清朝と交わした条約を通してさまざまな特権を得たけれども、中国は統治権と管轄権をどうにか保持していた。西欧の影響を受けた景観が条約港で出現し、その後、内陸にひろがってゆく。帝国主義に付随して、それらは近代の標識となり、西洋文明の優越性の象徴となった。一方、伝統的な都市の無秩序な状況が、外国勢力と競う上での中国の弱点として非難の的になっていた。しかしながら、1950年代以来、この仮説には異議が唱えられている。中国学研究者は、西洋のインパクトが重要であるとはいえ、近代中国に影響を与えた唯一の要因ではないことに注目しているのである。清朝後期~中華民国における政治、経済、社会システムの保守的動向は、近代中国史において無視できない何かがあったことを教えてくれる。ポール・コーエンの「中華中心理論」は、あらゆる非西欧社会の歴史をそれ自体の条件の中に見通すことを喚起した。
 上海、廈門、広州、天津、鎮江、漢口、九江、蘇州、杭州、重慶を含む10の条約港は非中国政府の管理下にあり、22の外国租界地および2つの国際居留地が設立されたのは、この半植民地時代であった。20世紀初期、多くの中国都市は、中国における近代都市計画の起源とみなしうる広範囲の都市改造を経験しつつあった。条約港、とりわけ外国租界地や国際居留地を含む港が国家的レベルの活動をリードしていたことは、なにも驚くべき情報ではない。
 広州沙面地区における英国租界の建築に係わる2つの鍵となる側面の調査研究を通して、この論文は、近代中国都市における外国租界地の評価に対して、いくつかの根本的な疑問に答えることを目的とする。外国人は、半植民地時代中国の居留地をどのように計画し管理していたか。外国租界地の整然とした景観の奥底にある秩序は何だったか。外国租界地での到達点は、20世紀初期における中国都市の刷新に貢献したのだろうか。

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2012EURO(Ⅱ)

伊克戦争

 伊太利亜が良いサッカー、おもしろいサッカーをしているという評価が急増している。わたしもそう思う。しかし、結果としてみれば、2試合とも引き分けで、2試合とも先制しながら追いつかれている。
 西班牙戦は引き分けで「手応え十分」という印象をうけたが、克羅地亜戦はあきらかに勝てた試合を引き分けにもちこまれた。プロの勝負なのだから、「おもしろい」だけでは済まされない。勝たなければ、歯医者、じゃなかった敗者になるだけだ。

 伊太利亜のサッカーが楽しいのは、前線からプレスをかけて高い位置でボールを奪取し、人数をかけて攻めるからだが、この戦術を90分続けるのは難しいだろう。じじつ、克羅地亜戦も後半25分あたりから、プレスが弱くなった。残り20分になり、「これからが勝負だ」と呟いた途端、同点にされた。マークをはずしたストッパーを戦犯にして済む問題ではない。かれの献身的な守備がどれほど伊太利亜を救ったことか。

 オールコートプレスをかける時間帯と守備ブロックをつくって攻めさせる時間帯を分けたほうがよいのではないだろうか。後者はイタリアお得意の「カテナチオ」であって、これを全放棄する必要はないと思うのである。このふたつの戦術を使い分けることで、エネルギーが温存され、ここぞというところで点が入るような気がしている。

 伊太利亜は決して楽な状況にあるわけではない。克羅地亜は西班牙と引き分ける力をもっている。愛爾蘭も舐めたものでなく、今の攻撃力からすると、1点差の勝利で落ち着く可能性が高いだろう。つまり、西班牙、伊太利亜、克羅地亜が勝点5で並ぶかもしれない、ということだ。となれば、得失点差および総得点差で順位が決まる。西班牙が克羅地亜を撃破すればよいのだが、他力本願も情けない。
 愛爾蘭には3点差で勝ってほしい。

米子の八幡神社を訪ねて

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 環境大学西部サテライトでの公開講座の後、おぎんさんは山登りをされたようですが、ぼくは米子の八幡神社に行ってきました。というのも、教授の講演で、八幡神社で最近確認された平安時代の木彫神像と摩尼寺奥の院の木彫物の年代が近いのではないかと指摘されていたので、気になったのです。行くには行ったのですが、境内に人影はなく、残念ながら、その木彫神像を見ることができませんでした。

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八幡神社の案内板によると、豊臣秀吉奉納の「翁の面」は、当社で能楽が催された名残りであろうとされる。また、米子城主奉納の「三十六歌仙の絵」、等身大の木製「神馬」もあり、古い「神輿」三基が残っているようです。社殿の建築様式は「室町時代、安土桃山時代の両様式にわたっていることが、本殿の彫刻や蟇股などから推定され、神仏混淆による独特な八幡造りである」とあります。しかし、実際に観察してみると、本殿の様式は「流造(ながれづくり)」であり、その彫刻は江戸時代の終わりごろから明治時代の様式を示しているので、看板の説明とは様式・年代とも異なっていると感じました。いつか平安時代にさかのぼる神仏を見てみたいものです。(白帯)

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↑米子・八幡神社で平安期の木彫神像発見の記事(チャック先輩送信)

日豪戦の審判について

 今夜はわけあって、LABLOGのほうに記事を書いています。今後もおそらく1ヶ月に1度のペースでこれを繰り返すことになるでしょう。
 以下のサイトをご覧ください。

  http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-2957.html




↑この試合で2つのPKをとったのが日豪戦の主審(サウジアラビア)です

修験道トレッキング番外編-玉峰山

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 教授の公開講座の後、私は実家のある安来に帰りました。翌10日(日)、家族と登山しました。最近両親は山歩き&温泉という休日の過ごし方をしており、私が帰省しようとすると、だいたい「その日は〇〇山に登るよ。一緒に行くか?」という誘いを受けます。もちろん朝早く起きてついて行きます(往きの車の中では眠りますが)。天候が崩れなかったら雲南の方の山に登る予定で、そしたら帰りに築地松がある平野を、出雲より手前にもあるのか探すつもりでした。しかし当日の朝、急遽山を変更して向かったのは島根県仁多郡奥出雲町亀嵩(かめだけ)の玉峰山です。
 玉峰山は、玉峰森林公園内にある標高820mの山で、山陰の名山の一つであることや、出雲国風土記で出てくる玉造りの神が宿る信仰の山としても知られているようです。登山道も石がごつごつしている岩山で、森林公園は原生林ではなく、スギやマツなどの針葉樹がほとんどです。また、登山道の途中にはいくつもの滝や巨岩がたくさんありました。巨岩の足元にお地蔵様が2体祀られているものもあり、“これは教授の研究しておられる「聖なる巌」に関係があるかもしれなくて、レポートすることになるかも”と自分ながらに思っていました。しかしながら、記録足らずかもしれません。

玉峰山(たまみねさん)
●山名の由来
 『出雲国風土記』(733年編纂)に「玉峰山郡家東南十里、古老伝夕貴之、山峰在玉上神、古云玉峰」(山の峰に玉作りし社が、あったので玉峰と云う)と記されています。玉作神社は現在「湯野神社」に合祀されています。神話によると、「イザナミノ命」により日本で初めて樹木が植えられた植林発祥の地とされています。
●山の概要
 1)標高
  820.3m 付近では猿隠山(847.2m;能義郡)に次ぐ高い山
 2)水源
  斐伊川水系「亀嵩川」、飯梨川水系「西比田川」
  平成7年8月、林野庁の「水源の森百選」に認定される
 3)岩石粗粒黒雲母花崗岩
  深成岩‐「窓岩」「コウモリ岩」
  (「雄滝」「雌滝」など、浸食により滝ができやすい)
 4)植物
  特徴あるもの(高山性):イワカガミ
 5)動物
  特徴あるもの (森林性):コウモリ(コウモリ岩洞窟に生息)
 6)眺望
  東西‐中国山地:大山・船通山・三瓶山
  北 ‐島根半島、宍道湖

※ 以上の概要については公園内の案内板を参考にしています


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(↑)登山口からすぐ、「雄滝」があります。迫力のある滝です。水はとても冷たく澄んでいました。そのほか「雌滝」「小滝」「糸滝」など、いくつかあるようです。

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2012EURO(Ⅰ)

西伊戦争(1)

 米子駅のキオスクで久しぶりに『NUMBER』誌を買った。EUROの特集が組まれている。オシムの予想見出しは「対抗馬は伊太利亜だ」。じつは、わたしも同じことを考えていた。優勝候補の最右翼は西班牙だが、西班牙を倒しうるのは伊太利亜しかない・・・

 西伊戦争が、いま始まった。

 西班牙は元々伊太利亜を苦手にしている。通算の勝敗で大きく負け越しており、前回のEUROでも辛うじてPK戦を制したにすぎない。2010南亜世界杯後の親善試合では伊太利亜が2-1で勝利を納めている。
 いま伊太利亜が試合を優勢に進めている。

 しばし休憩。観戦に集中します。

 前半終了。
 目の離せない試合だ。球支配率は西班牙が上回っているが、あきらかに伊太利亜のペース。3バック4ボランチの守備陣がじつによく機能している。「脱カテナチオ」なんて、嘘っぱちだ。カテナチオを捨てた伊太利亜は、伊太利亜ではない。他の国々がすべて攻撃的なトータルフットボールに変わっていったとしても、伊太利亜だけは堅守速攻の伝統を捨てないでほしい。伊太利亜の守備的サッカーは、岡田JAPANとか巴拉圭のそれとはレベルがちがう。
 西班牙は、本田がいなくておかしくなった3次予選後半の日本代表のようだ。球はつなげるが、崩せない。伊太利亜の守備陣は集中している。0トップから1トップに変えるだろうか?
 おそらく加納人の若いFWが鍵を握っている。バロテッリがセルヒオ・ラモスをぶっちぎって点をとるか、それとも退場になるか? この悪童をもう少し長い時間、視ていたい。


 後半16分、伊先制。ピルロ→ディナターレ。
 後半19分 シルバ→セスク 同点。


 1-1で試合終了。後半は西班牙のペースだったが、トーレスを投入したところで負の風が吹いた。決勝トーナメントの1点を争う試合でトーレスは使えないであろう。
 伊太利亜の戦いは素晴らしかった。南アW杯準決勝の独逸が西班牙を怖がって「柄にもない」守備ブロックをつくったのとは対照的に、伊太利亜は「カテナチオ」の遺伝子を継承しつつ前線からプレスをかけ、西班牙を攻めた。独逸は伊太利亜の戦法を参考にできるだろうか。独逸対葡萄牙、丹麦対荷蘭はつまらない試合だった。絶好調の日本代表ならこの4チームに勝てないことはない。
 対して、西伊戦争はハイレベルの面白い試合だった。日本はまだまだこの域に達していない。予選リーグからこういうサッカーを視られるのだから、EUROはやめられません。

 オシムとわたしの予測にしたがうならば、決勝は西伊の再戦になる。だれもが再戦を願う試合とみたのではないか。

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聖なる巌(Ⅱ) -米子サテライト講演

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 以前に何度か書いたことがあるはずですが、講演というのは、私たち研究者にとってライブのようなものです。鳥取会場で手応えを感じながらも「尻切れトンボ」に終わったことを悔やみ、スライドを補強して9日(土)の米子講演に臨みました。手応えを感じつつバージョンアップしたのだから、自信は増しているはずです。しかし、それが裏目にでることもある。
 ライブは生き物ですね。ほぼ同じ内容を話したつもりなんですが、手応えがちがった。たとえば、三仏寺投入堂と福建泰寧甘露寺の類似性について述べたとき、鳥取会場ではどよめきがおこり、講演後の打ち上げでも「甘露寺に行きましょうよ」という声が聴衆の側からあがった。米子では、ほとんど反応がありません。打ち上げの席で「甘露寺に行こうかという話があるんですが」と切り出してみたんですが、「行きたい」という積極的な意志表示は感じ取れませんでした。
 自分に奢りがあったからかもしれません。鳥取での「リハーサル」を経て、準備万端だという意識が強すぎたために、空まわりがおきてしまった。西部の方々は摩尼寺にそれほど興味がないだろうという「思い込み」があり、中途半端に圧縮した結果、「奥の院」遺跡の研究成果が不透明になり、さらに結論というべき4「岩窟型仏堂の源流」も時間不足で十分な説明ができなかった。全体として焦点がぼけ、とくに後半に物足りなさが残ったことでしょう。

 いま鳥取会場と米子会場のどちらの講演の録音をおこすのか、で少しく悩んでいます。この講演は「石窟寺院への憧憬-岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流に関する比較研究-」と題する科学研究費助成研究の重要な成果であり、その記録を報告書の巻頭にしようと考えていたからです。よくまとまっているのは鳥取なんですが、4「岩窟型仏堂の源流」にほとんど触れていない。米子会場は全体が拡散気味になってしまった。ずいぶん悩んだんですが、後者を採用して大幅に加筆修正するしかないだろう、と思うに至っています。いずれLABLOG(2G)に連載することになるかもしれません。


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第8回「修験道トレッキング -山と巨岩の信仰を訪ねて」

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メラビアンの法則

 快晴となった6月7日(木)。最近雨が降らないと思って調べてみると、先月29日に小雨が降って以来、ずっと晴れが続いている。その影響もあって、新しく始めた農家の草取りバイトでは、畑の地面が乾ききり地割れが目につくようになった。そんな猛暑の日で、プロジェクト研究は8回目、摩尼山に上がるのは5回目となる。
 いつものように車4台で摩尼山へと向かうが、市内が蒸し暑い気候でも摩尼山に入ると涼しさが増し、心地良い気分になる。奥ノ院へ登ることも皆慣れてきたらしく、快調に足が進み16時頃には作業が開始された。今日は、僕を含めた環境整備班Aが土嚢を使った階段作り、環境整備班Bがシイタケ菌を植えるための樹の伐採、樹種鑑定班は引き続き標本採取、竹林伐採班は斜面の竹の整理がそれぞれの主な活動だった。
 前日の打ち合わせで土嚢作りをやると知った僕は、今日が重労働になるだろうと予想し、作業着の橙のつなぎを着て活動をした。このつなぎは1年前から数回ほど着ているが、その度にレスキュー隊みたいだと言われる。そう言われると、なぜか頑張ろうという前向きな気持ちになって体が軽やかになった気分がするのだ。その場にあった服装がいかに自分の気持ちを高揚させるのかを感じた。そういえば、先週のキャリアデザインのコミュニケーションという授業で人と会話をするとき相手の印象は、言葉(話の内容)7%、話し方38%、ボディランゲージ55%の割合で決まるという「メラビアンの法則」を習った。ボディランゲージというと、相手の態度、姿勢、身振り、表情、そして服装がある。講師の越野さんの言葉だと就職面接などはスーツで行くのが常識ということと同じだそうだ。

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 ふと思い出したことを書いて話を逸らしてしまったが、今回の作業は土嚢袋に土を入れて階段状に置くという、力さえあれば簡単な内容だった。思ったより大変だったのは土入れで、斜面には木の葉や木の根が多くなかなか土が集まらなかった。土嚢と言えば、僕が中学生のとき所属していたハンドボール部でよくゴールを固定するために使っていて、それを運ぶのが僕は大嫌いだった。重いうえに持ちにくいからで、その時の苦い記憶が土嚢袋を見て蘇った。
 さて作業のほうは、順調に2時間ほどで土嚢の階段が完成した。予想通り過酷な作業だったが、目に見える階段という一種の作品ができあがったことで達成感も大きかった。そもそも2週間前に斜面の除草、木の伐採をおこなった際、巨岩への登り口が急斜面で滑りやすく危険という意見から階段を作ったのだが、そのときに比べると、今日の作業終了時の景観は良い意味ですごく変化したと思う。欲を言えば、階段の幅があまり統一されていないことに少し違和感はあるが、人が登るには全然問題ないはずだ。他の活動班も作業に問題はなかったらしく、樹種鑑定班はあと少しで標本採取が終わる程度まで進み、環境整備班Bもシイタケ菌を植える樹木のサンプル採取が無事に終了していた。竹林伐採班はというと、ひたすら竹を伐っていたようで、終始竹を鉈で叩く鋭い音が響いていた。


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↑↓竹竿を使った樹木鑑定班の活動(高木の枝葉採取)
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子猫騒動記(Ⅱ)

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子猫の飼い主、さがしてます!

 ちょっと困っています。
 門脇茶屋喫茶部に子猫をあずけたのが1日(金)の夕方で、翌2日、公開講座を終えた私は心配になって電話をかけてみました。

  「おとなしくしてますから、大丈夫ですよ」

とのお返事をいただき、安堵して、週末の奈良に戻ったのでした。

 それが昨日(木曜日)、プロジェクト研究で摩尼山を訪れると様相が一変している。顔で笑って、心で泣いて・・・という趣きであります。やはり、クロ(ハナ)が馴染まない。子猫は家のなかで元気いっぱいに動きまわっていますが、それをガラスごしに除くクロは警戒して敷居を跨がなくなってしまったというのです。だから、できるだけ早く飼い主を探して欲しいと釘を刺されました。

 その後、「カフェ黒田」にも連絡をとり、演習室で学生有志とも協議しました。なかなか良い知恵が浮かびませんね・・・さきほどの授業でもホワイトボードに「子猫を飼ってくれる人を探しています」とは書いてみたのですが。

 そうだ、良いアイデアが浮かんだぞ??
 「続き」にも目を通してください。


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U23

 ネタ切れなので、久しぶりにサッカーのことを書きましょうか。
 先日の代表戦(対オマーン)はおもしろかったですね。アルハブシというウィガン所属のGKは凄かった。あのGKが居なかったら、5-0か6-0だったとみな思っていることでしょう。それ以上に凄かったのが日本の攻撃陣、とくに左サイドの香川-本田-長友でした。欧州の強豪と十分渡りあえる実力が備わってきましたね。
 ただ、代表に不安がないとは言えない。杞憂で済めば良いのですが、ガンバの不振がやや暗い影を落としている。遠藤と今野の二人は、さらに強いチームを相手にした場合、大丈夫なのでしょうか。実力は申し分ない二人ですが、「運気」の問題がある。私は、昨年まで、U23のオーバーエイジは本田、遠藤、今野の3名が良いと思っていましたが、少なくとも、後二者は使うべきではないと今は思っています。代表先発11人のなかで、この二人だけコンディションを落としているよう感じたのは私だけでしょうか?

 先日のトゥーロン杯で最下位に終わったU23代表(と関塚監督)に対する批判が増しており、とりわけオーバーエイジ3名の選考に注目が集まっていますね。
 前線のタレントはじつに豊富です。香川の出場をマンUが容認する場合、第2列の先発は非常に強力になるでしょう。おそらく、左から宇佐美、香川、清武と並ぶ。トップは宮市か指宿でしょう。控えもなかなかなもので、斉藤、高木、大津がいる。これで8名だから、残念ながら、東と大迫(と永井)は選外に去ります。攻撃陣は強力。本田を招集できれば言うことないけれども、現状でも相当なものです(本田をボランチで使うのもおもしろいアイデアだと思ってるんですがね)。

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虚空のランナー(Ⅱ)

ネコさがしてます


ネコさがし

 週末のスロージョギング。その日は夕食の食材を買うため、レンジャーズのリュックを背負って遊歩道経由で朱雀コープに向かっていた。左京の住宅区から遊歩道に出る直前、垣根の下に貼り紙を発見。

   「ネコをさがしています」

という見出しの下に、「我が家の可愛いネコちゃんです・・・」という文章と2枚の写真がついていた。
 うちのデブにそっくりなの。ドキリとしましてね。うちのデブは、このお宅の飼い猫だったのが、居着いちゃったのか、なんて・・・しかし、探しネコの年齢は「2歳」とある。うちのデブは15歳以上であるのは間違いないので、一安心した次第。
 これをさっそく記事にしようとしたところ、写真がぼけている(↑)。スロージョギングにまともなデジカメもってくわけありませんで、携帯で撮影したんですが、このザマです。翌日、散歩がてらデジカメもって貼り紙のもとにいくと、それがなくなっている。


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 おそらく、愛猫ちゃんがみつかったんでしょう。内田百閒の『ノラや』のような悲劇は訪れなかったと思いたいですね。
 ところで、猫と言えば、最近「黒猫」に凝ってます。猫のことではなく、ケーキ屋さんの名前です。大阪に「シャノワール(chat noir)」というチェーン店がありまして、chat noirとは「黒猫」を意味するそうです。奈良→鳥取の経路にあたる門真にも一店舗あり、前から黒猫の絵が気になっていたのですが、いちど入ってみて驚いた。美味しそうなケーキやお菓子が並んでいるのはもちろんですが、カップ、ランチボックス、タオル、キーホルダーなどのグッズから包装用の紙バックに至るまで黒猫のデザインが徹底されていて、これがカワイイの。
 11時までお店が開いているのですが、深夜になってもお客が絶えません。カップルが多いのね。恥ずかしながら、わたしもずいぶん投資してしまいました。


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未像の大国

松原図書


 北京に建築設計事務所を構えながら、KO大学の教師までされているという松原弘典氏の著書『未像の大国-日本の建築メディアにおける中国認識-』が出版され、著者よりご贈呈いただきました。まことにありがとうございます。また、新著の刊行、おめでとうございます。
 本書は氏の博士学位請求論文を一般向けに刊行したものであり、上に掲載した裏表紙にその概要が記されています。一般書とはいうものの、なかなか内容が難いので、中国に係わってきた建築関係者を選抜してインタビューし、巻末附録として掲載しようと鹿島出版社側がもちかけたようで、その中に私のインタビューも含まれています。こういう場合、たいてい「あいつはヤバイ」ということで外されるんですが、私を選んだ著者の眼力はたいしたものですね・・・だはは。

 インタビューは昨年(2011)11月6日、環境大学4409演習室でおこなわれました。その日は親ガニ水揚げの日でもあり、「あんべ」で食べたカニ丼の味が忘れられません。東京から来られたお客様になによりの接待ができたと思いましたよ。

 このインタビューについては、若干迷いましたが、LABLOGに掲載しています。以下をご参照ください。

  ・中国と私(Ⅰ) http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-2877.html
  ・中国と私(Ⅱ) http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-2878.html
  ・中国と私(Ⅲ) http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-2879.html 
  ・中国と私(Ⅳ) http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-2880.html
  ・中国と私(Ⅴ) http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-2881.html

 本書では305~383ページが「インタビュー 日本建築界で中国をみてきた専門家たち」となっており、十人中九番目にわたしのインタビュー(368~376ページ)が掲載されています(年齢順とのことです)。
 『未像の大国』はA5版426ページの大著ですが、価格は4500円と割安です。近代建築史や建築意匠を専攻される研究者・学生諸君、建築家にはとくにお薦めの書ですね。

聖なる巌(Ⅰ) -鳥取会場講演

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 6月2日(土)、公立鳥取環境大学の第1回公開講座(鳥取県立図書館大研修室)を無事終えました。4~5月を担当した先輩教授から、お客様の数は多くない(昨年度より減っている)とお聞きしていたのですが、蓋をあけると50名もの聴講者がありました。いちばん驚いたのは学長が来場されたことです。やはり演題の影響ではないか・・・と思った次第です。

 演題と構成を示す1枚目のスライドは以下のとおりです。この画像にあわせ、古澤巌学長のお名前がこの日の主題である「巌(いわお)」、すなわち巨岩であることから話し始めました。


鳥取公開講座パワポ表紙

 パワポは、一部岡垣くんの修論バージョンを使いましたが、ほぼニューバージョンに近いもので、制作には時間を要しました。土日は授業準備にあて、月曜日から準備を始めたのですが、写真集めに手間取りました。鳥取県内の事例を核としながらも、県外・国外の類例を多数取り込みたいと考えたため、作業は遅々として進まず、前日にあたる1日(金)に作業の完成がかかっていましたが、昨日レポートしたように「子猫騒動」がもちあがると同時に、一月半ぶりにモミパンチ君があらわれて事務局もチューター(私)も対応に追われ、時間はどんどん過ぎていくばかり。結果、4「岩窟・岩陰型仏堂の源流」のいちばん最後の結論のところが未完成に終わり、尻切れトンボになってしまいました。下のスライドでシャンシャンのお終い・・・情けない限りです。今回は3の摩尼寺「奥の院」遺跡に時間を割きました(おそらく難しい話だったと思います)が、米子会場では3を圧縮し、4の結論を完成形としてお話ししようと思います。
 米子講演の日時、会場を再度お知らせしておきます。ご来場をお待ち申し上げます。

   6月9日(土)10:30~12:00 @鳥取環境大学西部サテライトキャンパス

 
鳥取公開講座パワポ最後-1

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子猫騒動記

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 特別参加の1年環境学部、MKです。タクシーの運転手ではありません。
 今日は、先生を始めASALABの皆さんに大変お世話になり、特別に活動報告を書くことになりました。
 事件は6月1日(金)の朝、雲雀(ひばり)を観察している時におこりました。観察し始めて1時間ほどたった時でした、突然、バケツとジョウロを手にあせった様子の先輩に、

  「Mさん!水くむの手伝って!!」

と言われバケツを渡されました。突然の事だったので驚きましたが、先輩のあまりにあせった様子に、私もバケツを手に水を汲みに走りました。
 水を汲み行ってみると、駐車場で車のボンネットに先輩達が必死に水をかけていました。ボンネットの中からは子猫の声が・・・どうやらボンネットの中に入ってしまったようです。今日はとっても暑く、早く出さないと命に関わる!と駐車場はとても切迫した雰囲気でした。車の持ち主の方が来て、ボンネットを開けてみましたが、上からは出せず、最後は車をジャッキアップして下から引きずり出しました。


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 とりあえず無事に出してあげることができ安心しましたが、次にこの子猫をどうしようという問題が発生しました。一時的に私が預かることになりましたが、次の授業があったので子猫をいつまでも抱いているわけにもいかず、困ったあげく私はK先生のところにケージをかりに行きました。先生は快くゲージをかしてくださいました。その後餌もやって一段落し、私は子猫を遊ばせながら今後のことについて悩んでいました。
 その時、講義に向かう途中のA先生に会いました。先生は相当の猫好きのようで、急いでいるにもかかわらず、子猫を見て「もらってくれるかもしれないところを知ってるよ」と言われ、授業の後に会う約束をしてくださいました。


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第7回「修験道トレッキング -山と巨岩の信仰を訪ねて」

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メガネさがし

 5月31日(木)。4月に始まったプロ研も7回目となり、折り返し地点をむかえた。この日は軽い打ち上げ気分で摩尼山奥ノ院での食事会が行なわれた。
 当日、僕を含めた1年生4人は、食事会の下準備のため3限開始時刻13時にASALAB演習室に集合した。野菜の調理、必要な用具の整理をしていると今日がとても蒸し暑いことに気付く。気温が23度程度ではあったものの、雲一つない晴天で日差しが強かったせいで、少し動いただけで汗が流れるほどだ。
 摩尼山へ登るのは今回で4回目だが、毎回同じ服装で登っている僕にとっては今日が一番暑く過酷であることを肌で感じた。しかも、そろそろ道順を覚え始めていたのでここに何があるか大体把握してしまい、最初のころの冒険心がなくなってしまった。同じ山を毎週登ることが今までになかった僕にとって、これからが試練となる。
 奥ノ院に先頭で到着した僕は水分補給の後、無意識に目線が下へ向いてしまっていた。先生の眼鏡を探していたのである。先週のプロ研の最後に先生の眼鏡が奥ノ院付近でなくなっていることが発覚し、今週は眼鏡を見つけた者に賞金が与えられる。この説明を行きの車で聞かされた僕の反応は、先生からするとリアクションが薄いそうだ。一緒に同伴していたアボ先輩とブレイクD君は目をぎらつかせ、賞金を狙っている雰囲気が感じられたが、僕も「見つからないと思います」と発言しつつ、虎視眈々と賞金を手に入れようと闘志を秘めていた。僕は昔からあまり感情を表に出さない男だが、その裏では大きな野望が潜んでいることがしばしばある。そんな感情が行動となって表れたのだった。

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造園業者さんの力量

 この日の活動は測量班と樹種鑑定班は引き続き作業を、先週まで環境整備を担当していた屈強な男子9名で火起こしや食事会のためのセッティングを行うことになった。また、樹の伐採の見積もりのため業造園者Mさんもいらっしゃった。樹の葉を見ただけで木の名前が答えられるのは、さすが専門家と感心させられる。食事会準備班の僕たちはというと、まず伐り落とされた樹(枯木)を使って台の設置に取り組んだ。実は直前まで学校からBQセットを借りるかどうかで悩んでいた。結局、持ち運びに不便で危険という理由で、その場の材料を使うという結論に至った。「時間がかかるのでは?」という僕の不安をよそに、台はあっという間に作られた。先生はこの方法を前から薦めていたが、全くその通りだ。ある物で何とかするのはアウトドアの基本で、それは釣りをする時に近くの竹を切って竿にし、自分のお弁当のご飯粒を餌にして遊んだ幼少時代の思い出と同じだ。道具を一通り準備しないと魚釣りができないようでは格好悪く情けない、当時の僕にそう言う考えが確かにあったことを思い出した。僕は火起こしが得意だ。これは自信を持って言える。山梨の実家には薪ストーブがあり、冬の時期は朝や夕方に毎日薪を運び、森から焚き付け用に小枝や木を拾ってきた。小学校2年生の時一人で薪ストーブをつけることができるようになって以来火起こしにはまり、焚き火の単純だが奥深い魅力にひかれた。焚き火には、皆が和む不思議な力があるのだと今でも思っている。


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第6回「修験道トレッキング -山と巨岩の信仰を訪ねて」

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伐採予定樹の測量

 5月24日。今週は天気がよく、足元が悪いこともなく順調に山に登れた。摩尼寺「奥の院」遺跡で、各班に分かれて活動を開始。私は測量班で、トータルステーションを使って伐採候補樹木の測量をした。私自身測量の経験がないのでトータルステーションの使い方はまったくわからない。先輩方に教えてもらいながら測量にトライした。まずは、トータルステーションの三脚を固定するのだが、今回三脚を地面に突き刺すのを忘れて設置してしまったため、後々の測量のときにトータルステーションに触らないよう静かに測量をする羽目になった。次回からはしっかり地面に差し込んで固定するのを忘れないようにしようと思った。
 トータルステーションを設置して水平(レベル)をとるのだが、このときに重要なのが「左手親指の法則」である。水平を示す気泡はネジを回す左手親指と同じ方向に動くという基本中の基本である。この基本を覚えて次回からの測量に生かしたいと思った。いざ測量開始。伐採候補樹木の根元にミラーを立て、トータルステーションから光波を飛ばし、その反射時間で距離と角度を測る。ターゲットのミラーが動いてしまうと、誤差が生じるので、ミラーを持つ人はじっとしていなければならない。

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しかし、測量する場所は山中で、足場もしっかりした平地ではなく斜面であったりするので、じっとしておくのが難しかった。先輩と交替しながらトータルステーションの使い方も学んだ。レンズの高さを変えたり向きを変えたりしながら、ミラーにピントを合わせてレーザーを飛ばして、測距測角していく。こちらの操作はじっとしているわけではなく、覗き込んだりピントを合わせたりするので単純なことではあったが、初めての経験で楽しかった。40点すべての樹の位置の測量を終えた頃には、他の班の活動はすでに終わっていた。樹種鑑定班は40本すべての樹の葉と樹皮を採集し終えた。環境整備班は巨岩と加工段のあいだにひろがる斜面の雑草・灌木の伐採・刈り取り作業をしていたのだが、終わってみてみるとその仕事ぶりは見事で大樹を残して斜面はきれいになり、巨岩がはるかに見えやすくなっていた。巨岩は大きく、先生によると、遺跡の西端でみつかった凝灰岩盤と連続するのはまちがいないない、という。昔は今みたいに大きな重機もないなかで、人力だけでここまで大きな遺跡を築いていたことが分かり、感慨深かった。(ブレイクD)

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↑樹種鑑定班の活動 

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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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