fc2ブログ

ヤクと野牛の物語(5)-画像処理の方法

「フォトギャラリー」を使った文字消しマニュアル

 11月24日(木)の第7回プロジェクト研究3では『ヤクと野牛の物語』の訳文を英語で書かれた本に書き入れるための編集作業に取り組ました。前期の1年生(P1)は「メディバン」、2年生(P3)は「ギンプ」を使ったそうですが、後期の1年生(P2)は「フォトギャラリー(Windows Live Photo Gallery)」というソフトを使用することになりました。以下、ウィンドウズ8での使い方を示します。 {大竹}

①デスクトップから画像フォルダを開きます。
161127 フォトギャラリー使い方01


②編集したい画像を右クリックします。
161127 フォトギャラリー使い方02


③右クリックから出たメニューから「プログラムから開く(H)」にマウスをもっていき、そこからフォトギャラリーをクリックします。
161127 フォトギャラリー使い方03



続きを読む

落葉-板井原その後(2)

161124板井原⑫ 煙のでない白炭


オーセンティックな山里の味

 集落から炭焼き小屋までひとまわりし、午後一時すぎから、古民家レストラン「火間土」で昼食をいただきました。御年84歳のご主人と奥様の作られた釜焚きご飯と山菜料理。先生の言葉を拝借しますと、なんともオーセンティックな味がします。オコゲのついた釜焚きご飯、なめこ汁、大根の煮物、板井原こうご、山菜の天麩羅など、なにを食べてもおいしく、健康的です。赤波川の水を傍らにおいて、ご飯となめこ汁を何杯もおかわりしました。私はと言えば、ごはんのあまりのおいしさに感激して3杯おかわり、内蔵助は4杯おかわりです。グルテンフリー(デンプンカット)中の先生とケントさんまで、オコゲごはんをがつがつ食されていました。ここのご飯も澱粉の固まりですが、どういうわけか不健康な感じがしません。ともかく美味しい。美味しいの一言です。
 食後は、卒論の指導に移行しました。卒論の締切が刻一刻と迫っており、先生の指導も熱が入ってきています。私は移動中の車内で先生からレクチャーを受けていました。私の卒論と板井原が関係しているからです。その話題をゼミ生の前で話しました。


161124板井原⑬ 161124板井原⑭


自治体選定伝建地区の意義

 板井原は鳥取県選定伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)である点です。文化財保護法の記載に従うならば、まず市町村自治体によって伝建地区を設定し、その中から文化財的価値の高いものを重要伝統的建造物群保存地区は(以下、重伝建地区)に選定するべきです。2016年7月現在、日本全国で43道府県92市町村の112地区が重伝建に選定されていますが、市町村の選定する伝建地区は0件、県指定の伝建地区は板井原が全国唯一です。「猫も杓子も重伝建地区」といった状態であり、1990年代前半までに選定された重伝建が「国宝」レベルであるとするならば、最近の選定例の過半は「市町村指定文化財」のレベルであって、同じ重伝建でもレベル差が大きくなりすぎています。ここは文化財保護法の記載に立ち返り、猫も杓子も重伝建ではなく、ひとまず自治体選定の伝建地区を経由して、重伝建に格上げすべきかどうか、については慎重に審議すべきだというのが先生の考え方です。


1123ケント08上板井原


 なにもなしか重伝建かという二者択一の背景には、予算の問題があります。市町村等自治体の予算は不足しており、国の重伝建にならないと十分な修理・修景がないしえない、と判断されるからでしょうが、この解決方法は二つあると思われます。一つは自治体選定の伝建地区に対しても、重伝建の1/3~1/2の補助金を国が助成するという制度を確立することです。不足する経費を自治体側が工面して修理・修景に尽力すれば、5~10年で成果があらわれるので、その成果を再評価して重伝建に格上げするかどうかを検討すればよいのです。もうひとつは重伝建についても「登録」の制度を導入することです。補助金は重要伝統的建造物群ほど多くはないけれど、登録伝統的建造物群保存地区についても国が設計費などを補助する制度を適用すればいい。他の文化財カテゴリーでは「登録」制度が普及浸透してきているのですから、町並みにもその制度を敷衍することはできるはずです。
 こうしたアイデアはまだアイデアでしかりませんが、板井原だけでなく、倉吉河原町、若桜、上方往来(河原・用瀬・智頭)、そしていまわたしが取り組んでいる立川周辺の歴史的市街地の景観保全にとって有効と思われるのです。それだけ、モデルケースとしての県選定伝建地区「板井原」の意義は大きいものであり、失敗は許されないでしょう。


1123ケント04記念撮影


続きを読む

落葉-板井原その後(1)

161124板井原① 1123ケント01おねえ内股


ストロー化現象

 11月23日(水)。勤労感謝の日に智頭町の県選定伝統的建造物群保存地区「板井原」を4年生以上で訪れました。研究室として最後に板井原を訪問したのは、2012年11月中旬のことです。そのときの記録の題目が「落葉」です。
 板井原は平家の落人集落伝説をもつ山里としてよく知られています。いわゆる秘境の一つですが、昭和42年に開通した板井原トンネルによって智頭町市街地への移動が容易となり、常住地を平地に移して板井原に通われる方が増加し過疎が一気に進行しました。私の脳裏には新幹線開業により大都市への移住が進行し、沿線地域の過疎化をもたらす「ストロー化現象」がよぎりました。


屋根の近代化

 板井原は昭和40年ころまで、養蚕と炭焼きと焼畑と藍染めを主な生業にして暮らしていました。いまはスギの林業が最も重要な産業のように思われます。民家は2階が高い高2階型ですが、これは2階で養蚕をするためです。低地でみられる2階建と比べて、あきらかに2階は高いです。ただし、もとは平屋の茅葺き民家であったとも言われています。養蚕が発展するにつれ、茅葺き民家では屋根裏で作業がしにくいため、茅葺き屋根を高2階に改造していきました。屋根材は木片葺きからトタン葺きに変化し、最近では県・町の補助により雪の落下防止のためのストッパー付の鉄板葺きに代わっています。4年ぶりに再訪され教授もこの変化には驚いておられました。


161124板井原②


炭焼きと水車小屋

 炭焼きはかつて当地域では最大の収入源であり、良質な炭を作っていたが、昭和30年に衰退してしまいました。しかし平成15年(2003年)に智頭町などの助成で窯を復活させたものの、本日見た限り、現在では使用されていないのかもしれません。窯の近くに建てられた水車小屋も、水車に水を引き込む樋がこわれておりこちらも使用されていません。使われていない2つの建物を見て虚しさを感じずにはいられませんでした。


161124板井原③ 161124板井原④
↑(左)集落唯一の茅葺き民家「藤原家住宅」 (右)股木を利用した腕木 ↓水車小屋と炭焼き窯
161124板井原⑥ 161124板井原⑤


続きを読む

鯉に願いを-ネコノミクスの街(11)

1118大鳥01屋根裏01


大鳥屋主屋小屋梁墨書の赤外線撮影

 11月18日(金)は被災地巡礼のためだけに動いていたわけではありません。学生3名は倉吉市鍛冶町2丁目で大鳥屋の最終補足調査に取り組みました。私は大鳥屋小屋梁に残る墨書の赤外線撮影、3年生のうちきびたろうさんは大鳥屋土蔵の小屋組実測、同じく3年生のかっきーさんは残りの2名の補助にあたりました。


161118武田③


 私はつなぎを着て大鳥屋の天井裏へ上がりました。屋根裏は思った以上に暗く、小屋組の間を縫うように移動しなければならないため、足場もよろしくありません。ヘッドライトの明かりを頼りになんとか天井裏を一周してみたところ、たしかに小屋梁などに墨書がいくつか残っています。
 屋根裏での動きにある程度慣れたところでいよいよ赤外線撮影です。撮影するのは以前ケント先輩たちが見つけた小屋梁の墨書です。同行してくれたかっきぃさんには主に調査具の受け渡しを担当してもらいました。撮影はかなり難航しました。周りが暗いため辺りを懐中電灯で照らしても上手く映りませんし、フラッシュ焚いて撮影すると被写体が光を反射しすぎて白っぽい写真になってしまいます。そこでフィルターを何枚か替えるなど、試行錯誤を繰り返し、ようやく良い写真がとれました。調査をうけつぐ後輩たちのために、撮影手順を記しておきます。


161118武田⑥


【暗闇における赤外線カメラの操作マニュアル】
 (1)まず部屋を真っ暗にします。今回は、撮影する墨書の位置にもよりますが、外からの逆光を防ぐため、屋根裏と二階をつなぐ扉をしめ光を遮断しました。
 (2)次に三脚を立て、カメラを被写体に向けて構えます。このとき真っ暗の状態だとカメラは被写体とのフォーカスを合わせてくれません。そのため懐中電灯やヘッドライトなどで被写体を照らし、カメラのフォーカスを合わせましょう。
 (3)フォーカスを合わせ赤外線フィルターをかざしたところで、周りの灯りを全部消します。そうすることで余計な影をつくらずカメラのフラッシュのみで綺麗な写真が撮れます。ここで気を付けなければならないのがフラッシュの方向です。フラッシュを被写体に向けて撮影すると、被写体が光を反射しすぎるため上手く撮影できません。そこで、フラッシュを被写体から意図的にずらすよう上に向けます。フラッシュを焚いた時にフラッシュが被写体に掠るくらいの感触でちょうど良いと思います。こうして光の量を調整します。
 (4)使用した赤外線フィルターはIR90です。研究室にはIR76・80・90の3種類のフィルターがありますが、値が大きくなるにつれて可視光をカットする作用が強くはたらきます。赤外線カメラに備え付けるフラッシュは一般のカメラのフラッシュより光が強いため76・80の値のフィルターだと光を上手く透過できず、白っぽい写真になってしまうのです。一番光を透過するIR90のフィルターがフラッシュを使う撮影に適していると思います。


161118武田④


続きを読む

中部地震被災地行脚(2)-倉吉河原町

1118被災地02倉吉01小倉02土蔵03薔薇


未指定・未登録建造物に支援を!

 倉吉市河原町の旧小倉家住宅・土蔵については、この春から研究室をあげて調査を進めてきたが、事態は深刻である。後期になって2回めの調査をしたのが10月12日(母の命日になった)、その後まもなく10月21日に地震が発生し、土蔵の白壁の一部が崩落し、屋根瓦がずり落ちて、いまはブルーシートで覆われている。五叉路周辺で被災し損傷したのは旧小倉家の土蔵だけだったという。傷みは比較的軽微なものであり、現地から入ってくる情報も「取り壊す様子はない」というものであった。


1118被災地02倉吉01小倉01募金01web


 しかし、現実はちがった。見舞金をもって参上した18日、家人の表情には翳りが垣間見える。気持ちが揺らいでおり、それはこちらにも伝染した。見舞金を受け取ってよいものか、逡巡された。わたしと会長は、これからも支援し続けますので・・・と懇願した。言葉だけではいけない。行動をおこさないと信頼をかちえない。
 見舞金をお渡ししたのは、ひょっとすると、わたしたちが最初であったのかもしれない。近隣に住んでこの土蔵を守りたいと思っている人は少なくないはずだ。しかし、近隣居住者もまた被災者である。他人を支援している場合ではない。その感覚は、おそらく東部・西部の県民にもあって、被災地支援に対する意識が東日本地震や熊本地震に比べて弱いと感じるのは私だけであろうか。


1118被災地02倉吉01小倉02土蔵01 1118被災地02倉吉01小倉02土蔵02縦sam



続きを読む

中部地震被災地行脚(1)-湯梨浜

1118被災地01尾崎01贈呈01web 1118被災地01尾崎00全景web


重要文化財「尾崎家住宅」及び国指定名勝「松甫園」

 11月12日(土)のイベントと15日(火)の講演では冒頭に鳥取県中部地震で被災した歴史的建造物を紹介し、募金等の支援を要請した。わたしたちの手法は単純であり、これまで調査などで関係している建造物の所有者に直接募金を手渡すと宣言し、募金をつのった。その結果、数万円の義捐金が集まったのだが、長く放置しておくわけにはいかない。できるだけ早く被災者にとどけるべきであり、18日(金)の昼に大学を出発し、湯梨浜町から倉吉市をまわることにした。


1118被災地01尾崎02ブルー04長屋02web 1118被災地01尾崎02ブルー04長屋01web


 まずは湯梨浜町の重文「尾崎家住宅」から。いつが最後かわからないが、2~3年ぶりの訪問である。いきなり長屋門のひび割れに目を奪われた(↑)。主屋でご主人と奥様にご挨拶し、被災部分をご案内いただいた。目立つのは土蔵の外壁剥落である。ほかにも、瓦がずり落ちた部分、ガラスが割れた部分、庭の傷みなど、至るところにブルーシートが被せてある。実際にみることはできなかったが、木柄の細い仏間に損傷が多いとも聞いた。


1118被災地01尾崎02ブルー01web 1118被災地01尾崎02ブルー02web


 ここに見舞金を渡す写真を公開すること、恥ずかしいとは思いながらも、いただいた義捐金をたしかに所有者に渡したことの証拠とさせていただく。みなさんからいただいた募金は確実に被災者の手にわたったのです。
 幸いにして、尾崎家住宅はほぼすべての建造物が国指定の重要文化財、庭園は国指定の名勝になっているので、今後確実に補助金により修理がなされる。わたしたちの調査とその成果である報告書が重文指定の礎となったこと、いまさらながら嬉しく誇らしく思う。
 あとは行政に任せます。大変でしょうが、これだけの建造物と庭園なんだから、その価値を高めるような修理・修復がなされんことを祈っております。


1118被災地01尾崎02ブルー03庭02web 1118被災地01尾崎02ブルー03庭01web

続きを読む

グルリンポチェがやってくる(5)

グルリンポチェがやってくる p29 p.29


 だって、グルリンポチェは
 朝やけの光にのってやってくるんですもの。
 グルリンポチェはもうすぐやってくるの。


グルリンポチェがやってくる p30 グルリンポチェがやってくる p31  p.30-31


 ペム・リクジンおじさんはみんなに花をくばって言いました。
 花々でグルリンポチェをおむかえしましょう。
 おじさんは家のあちこちに花をおきました。


グルリンポチェがやってくる p33 p.32


 仏だん、戸ぐち、まどわく、
 そしてカベのすきまにさえ花があります。

 グルリンポチェはいたずら好きで、
 じぶんの好きなところから
 おうちに入ってくることができるんですもの。

 グルリンポチェはかならずやってくるんだから。



続きを読む

グルリンポチェがやってくる(4)

グルリンポチェがやってくる p22 p.22


 いずれ果実になる大きい花や小さな花、かわいらしい花々※12
 そして葉のおおい茎の上に咲いた釣鐘のような、ふうがわりな花もあります。
 村の仏だんでグルリンポチェにささげるために
 赤、むらさき、ピンク、白、きいろの花々を
 おじさんとテンジンはカゴにいれます。
 ふたりはどんな花をもってくるのかな?
 イエシェイちゃんは知りたがりです。


グルリンポチェがやってくる p23 p.23


 いまにわかるわよ、とドルマおばあちゃんは
 思いやりあふれたほほえみで答えます。
 ふたりはみつけた花をぜんぶもってかえってくるわ。
 いつもそうなんだから。
 だって、グルリンポチェが朝やけの光にのってやってくるんですもの。
 グルリンポチェはかならずやってくるの。


グルリンポチェがやってくる p24グルリンポチェがやってくる p25 p.24-25


 ツェワンおばさんとウゲンおばさんは焼菓子ツォグ※13をつくっています。
 ごらん、ごらんなさい。いろんな形のツォグがあるでしょ!
 あつい油のなかでふくれあがった
 ねじれたお菓子もあるわ。



続きを読む

車井戸矢板の年輪サンプル採取

1116車井戸001久松山01 1116車井戸001久松山02井戸01


鳥取城の整備と第40次調査

 11月16日(水)。鳥取城跡第40次発掘調査地で、車井戸の年輪年代測定サンプル採取を行いました。鳥取市では、平成30年代前半の完成を目指し、鳥取城のメインルートにあたる大手登城路の復元整備計画を構想しており、毎年その事前発掘調査をおこなっています。整備計画では、登城路上にある擬宝珠橋、正面玄関にあたる中ノ門、本丸への入口となる太鼓御門を復元(再建)し、石垣や塀を含めて江戸時代末の景観に復元する予定です。擬宝珠橋は、コンクリート造から木造に復元するそうです。鳥取県民としては鳥取城も復元してもらえると、花見の季節に見栄えしてうれしいなと思ますが、ご存じのように、わたしたちの先生は「反復元」の代表格だそうです。


1116車井戸001久松山02井戸03 1116車井戸001久松山02井戸02


 今回サンプルを採取した車井戸は、藩主の飲用等に使われていた城内各所の井戸の中でもとりわけ重要なものでした。当時は地面を掘れば水は湧いていましたが、鉄分が多く混じっているため、飲用水として使える場所は限られていたそうです。そのため、茶道などに使われた御前井と、御用水(藩主飲用等)の車井戸は最重要の井戸であったと言われています。絵図をみると、車井戸には瓦葺きの覆屋が設けられ、その名の通り滑車を備え付けていました。御前井同様、石組井戸枠と発掘前は推定されていましたが、今回の調査の結果、木製の桶が三段重ねされた大型井戸であることが分かりました。また、明治時代になると、陸軍が井戸に直接水道管を挿し、取水している記録が残っています。


1116車井戸003絵図01
↑岡嶋正義が文政12(1829)年に著した『鳥府志』に描く2つの井戸



続きを読む

思い出の摩尼(3)-たくみ21 十一月例会

20161115匠21(摩尼山登録記念)02ブログspecial_01


位牌堂の再興にむけて

 秋田から鳥取に戻った翌日(11月15日)の夕方、つまり「写仏」演習の終了直後に「たくみ21」の11月例会が始まった。自分でもいつパワポを準備したのか、よく覚えていない。ただし、講演のベースは6月14日の中国観音霊場先達合同研修会講演のパワポであり、それにしこしこ手を加えた。
 当日の講演は再び「鳥取中部地震の支援」要請から始めた。聴衆はほとんどが民芸に興味を抱く方々ばかりなので、文化財についても関心が深く、講演会終了後、多額の寄付を頂戴しました。この場を借りて深く御礼申し上げます。


20161115匠21(摩尼山登録記念)02ブログspecial_02


 講話の内容はいつもと同じだが、聴講側が因幡に在住する有識者ばかりであり、今後の摩尼寺の方向性を考える上で有益なコメントをいくつか頂戴した。ここに紹介しておく。

 ①位牌堂の復活/庫裡の活用: ほんの何十年か前まで、因幡の民は宗派を問わず、死者の位牌を3体つくったものだ。一つは檀家の寺、もう一つは家の仏壇におき、さらにもう一つは摩尼寺に納めて祀ってもらった。ああいう風習が復活すれば摩尼寺はおおいに復活するのではないか(Yさん)。たしかに、幕末の 『稲葉佳景 無駄安留記 影印篇 上巻』 (1858) に描かれた「喜見山摩尼寺」の絵をみると、本堂に並列するように「位牌堂」を設けている(↑)。かなり大振りの建物であり、多くの位牌を納めていたものと推定される。こうした建物を復元建設するのは非常に難しいであろうが、いま劣化が問題となっている庫裡の一部を位牌堂として活用できるのではないか、という意見もでた。庫裡の表側は客殿として維持するが、裏側を位牌堂として、さらに大雲院本堂に接続する米村家霊堂(位牌堂)のような小堂を新設できれば言うことはない。


20161115匠21(摩尼山登録記念)02ブログspecial_04


 ②閻魔堂を立岩の脇に戻そう: 昭和45年(1970)年、現在の境内に建設された閻魔堂は、もともと山頂立岩の脇に設置されていた。立岩は神仏の降臨する磐坐であり、その場所はこの世とあの世の境であった。その境で因幡の民は閻魔さまの裁きをうけたのである。その建物が昭和40年代に現在の境内に移されたわけだが、その際、向拝の虹梁・木鼻などは山上建物の古材を再利用している。とはいうものの、いまでは境内の脇役としてひっそりとしたたたずまいをみせるのみであり、おまけに石垣側の地盤が傾いて危険な状態になっている。早晩、どこかに移設せざるをえないのだが、だとすれば、思い切って、本来あるべき立岩の脇に閻魔堂を戻すべきではないのか(複数の意見)。


20161115匠21(摩尼山登録記念)02ブログspecial_05

 ③砂丘と摩尼山をつなぐ重要文化的景観:  「山湯山の梨畑と浜湯山のラッキョウ畑」を重要文化的景観に選定するという構想は素晴らしい。ぜひ実現してほしい。砂丘から摩尼山・摩尼寺へ多くの観光客が流れるだろう(複数の意見)。

 11月12日の摩尼寺イベントについては、地震の影響もあり、成功なのか失敗なのか、よく分からないところもあったが、「たくみ21」はそれをフォローするポスト行事として、わたしにとっては非常に意義深いものになりました。とても勇気づけられ、感謝しています。ともかく、ここでとまるわけにはいかない。もうひとがんばりしますので。


161115 たくみ21② 161115 たくみ21③
恥ずかしながら、6年ぶりのたくみ割烹でした。
161115 たくみ21④ 161115 たくみ21①

写仏

1115 仏像スケッチ⑤


居住環境実習・演習(Ⅱ)その4

 こんにちは。立川町調査担当のゆめみしです。今秋の火曜日は雨に祟られました。町並みスケッチには4回分の演習が割り当てられましたが、晴れたのは1週めのみ。2週めは雨のため大雲院で講演と美術品の鑑賞、3週めは製図に振り替え、4週めは演習室で連続立面図の貼りあわせ、5週めこそはと念じたものの、この日も降水確率が低くなることはなく、大雲院本堂で観音さまをスケッチすることになりました。写仏は演習最初の試みです。


1115 仏像スケッチ③ 

 
 大雲院の西国三十三観音は、文字通り33体ありますが、今年の履修生は16名なので、第1番から約半数を描くことにしました。いわば「連続仏像スケッチ」です。学籍番号順に第一番から第十七番まで描いたのですが、入隅の位置にあって柱の影になる第十番は対象外にしました。
 2年生の多くは、スケッチを描く前にスマートフォンで仏像を撮影していました。本堂もこしの下側がかなり暗くて、細部を観察しにくいからです。予めスマホで撮影し、細部を確認しながら描写していくわけです。スマホのライトもよく活用されていましたし、私が念のため持参した3本の懐中電灯もおおいに重宝されました。


1115 仏像スケッチ②


 学生に与えられた時間は1コマ(一時間半)です。仏像の全景はとても無理なので、描写範囲は顔と手(腕)を含む上半身のみとし、アングル・縮尺は自由としました。みな真剣に描画に集中しており、町並み以上に個性があらわれているように感じました。
 初めての取り組みでしたが、一時間半後の成果を見る限り、完成度は非常に高く、次回に提出される浄書が期待されます。今回の実習をもって、居住環境実習・演習(Ⅰ)の学外スケッチは終了しました。実習演習及びゼミでおこなったスケッチによって私の卒業論文は大きく前進しつつあります。皆様のご協力に深く感謝申し上げます。(ゆめみし)

 以下、優秀作品(A+)です。


1157091 第九番
1157091 第九番 興福寺南円堂 不空羂索観音



続きを読む

続・今年も、奇跡の発見

1013大館03単独大型平屋02全景01 1013大館03単独大型平屋01


大型掘立柱建物と細い柱

 このたびの片貝家ノ下遺跡の試掘トレンチでは、竪穴とは複合しない大型の掘立柱建物も単独でみつかっている。やはり立ち上がった壁の痕跡が確認され、壁付きの柱のような膨らみもみとめられる。さらにまた、シラス埋土のなかに、柱痕跡と思われる空洞もあるし、深掘りしたトレンチには木柱らしき角柱がたちあがった状態で出土している。1辺10㎝ばかりの小さな角柱だが、シラス埋土に残る痕跡のサイズとも一致しているという。
 このほか、水田の畦もみつかっているが、稲の遺存体はまだ確認されていない。


1013大館03単独大型平屋02柱  細い柱 

 
 今年度の後期から、出張後の「証拠品」の持ち帰りに厳しい規制が設けられ、9月の教授会で通達された。「用務地でのコンビニ等で購入されたレシート等(大館市の店名や住所と日付があるもの)」もしくは「自撮り写真(大館市と標識などに書いてあるもの」のどちらかがないと空出張扱いされるので、まぁ大変でした。そもそも、大館市は比内「地鶏」の里ではあるけれども、ガラケーと一眼レフで生活している者に「自撮り」はできない。この顛末については、本家LABLOGをご参照ください。


1013大館03竪穴+平屋のパネルニプロ 161115_秋田さきがけsam 

20161113片貝現説資料01表 20161113片貝現説資料02裏

今年も、奇跡の発見

1013大館02シラス01竪穴02奥のはりだし01 竪穴全景


めざせ、大館市比内町!

 摩尼寺イベントの後始末を終えてから14時間後、つまり13日の早朝7時のフライトで秋田に向かった。奇遇なことに、昨年と同日である。羽田経由で秋田空港に11時着。県埋蔵文化財センターの職員とともに、研究所の後輩ボックス君の出迎えを受けた。ボックス君は伊丹から直接秋田に飛んで、一時間早く空港に着いていた。前日とは打って変わった雨雲の空、車での道中、吹き降りがひどくなっていったが、午後1時に大館市比内町の片貝家ノ下遺跡に到着するころにはいったん雨はやんでいた(その後、小振りになった)。


1013大館02シラス01竪穴01左壁01 竪穴屋根の傾斜


昨年の成果

 ひとまず復習しておきたい。大館市の片貝家ノ下遺跡は、米代川支流の旧引欠川岸に形成された自然堤防上に立地する(標高58m)。昨年発見された10棟のうち3棟は、915年に噴火した十和田火山の火山灰(To-a)が火山泥流となって押し寄せた洪水の堆積物で2m以上埋もれており、住居跡SI03は屋根の形状をとどめていた。黒色化して斜めに傾く屋根痕跡の上下をシラス(川に流れ込んで冷温化した火山灰・噴火物)がパックしたものである。
 この埋没家屋の1棟(SI03)が屋根をほぼ原位置に残した状態で検出された。焼失竪穴住居跡で屋根の構造材が床面に崩落してみつかる例は多々知られているけれども、屋根が当初の勾配を維持しつつ、3次元的に姿をとどめる例は知られていない。全国初の発見である。


1013大館03竪穴+平屋の全景
↑竪穴に付属する平地式建物 ↓平地式建物に残る煙道の痕跡
1013大館02シラス02平屋01煙道01 


 まさに「奇跡の発見」であり、以下のシリーズをLABLOGに連載している。

  ①奇跡の発見 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1132.html
  ②続・奇跡の発見 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1133.html
  ③続々・奇跡の発見 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1180.html
  ④そしてまた、奇跡の発見 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1209.html


1013大館02シラス02平屋02全景
↑竪穴(右)と平地式建物(左) ↓平地式建物の壁の立ち上がり
1013大館02シラス02平屋03壁のたちあがり


続きを読む

思い出の摩尼(2)-吉川さんにコメントを頂戴して

1112イベント03やたい01 1112イベント01asa01


高校放送部以来の晴舞台

 11月12日(土)、待ちにまった「吉川美代子さんと愉しむ講演・朗読会」の日になりました。昨年度の長谷川きよしコンサートでは駐車場案内等の裏方係でしたが、今回のイベントでは表舞台で朗読することになっていたため、とても緊張しました。
 境内ではいくつか屋台も出店し、会場全体はとてもなごやかな雰囲気で、天気は去年のイベントと同様、雲一のない快晴です。良いイベント日和となってくれました。

 今回のイベントは吉川美代子さんによる講演会と民話朗読の二部構成となっています。民話朗読の部では学生の朗読発表もあり、私と石田さんの二人が朗読の大役を担います。私自身、人前で朗読するのは高校の放送部以来で、まさかこのような大舞台で再び朗読する機会にめぐりあえるとは夢にも思っていませんでした。


1112イベント01asa01


 私が朗読するのは小泉八雲の怪談「鳥取の蒲団のはなし」です。明治の鳥取を舞台にした民話(再話)で、両親を亡くして貧しさに苦しみ、家主に虐げられた二人の子どもの霊を描いた作品です。「ブータンの民話朗読」と銘打った朗読会で何故小泉八雲かというと、この怪談の最後のほうに登場する「千手観音堂」が摩尼寺本堂(本尊:千手観音)ではないかという説があるからです。この怪談は昨年4月に「とっとりの幽霊布団」というタイトルで映画化されており、千手観音堂を摩尼寺本堂とみる意見には、八雲の曾孫、小泉凡さん(島根県立短大教授)によっても、あるていど指示されている、というような新聞記事を読んだ記憶があります。しかしながら、私たちの先生は民話解説において、怪談に登場する千手観音堂は、「摩尼寺であってもおかしくはない」が、廃寺の可能性があることを強調されました。

 さて、これまで実際に何話も朗読の練習を重ねてきたのですが、「鳥取の蒲団のはなし」は今まで経験した中で一番難しく感じました。私がこれまで朗読した本は主に人の心情を描いた短編小説が多かったからです。怪談のように、第三者の語り部のような文体を朗読するのは初めてでした。また、文章量も格段と多く、後半になるにつれて顎が疲れていく感覚も覚えます。しかし、読めば読むほど、この話のおもしろさに気づかされました。全体的に淡々と話が進むからこそ、読むたびごとにさまざまな想像力を働かせたくなります。読めば読むほど深い作品であると感じました。と同時に、これまで経験したことのない朗読に新鮮さを覚え、楽しく作品と向き合うことができました。


1112イベント02朗読002tke02 1112イベント02朗読002tke04縦sam



続きを読む

思い出の摩尼(1)-如来堂での朗読を終えて

161112石田感想③ 屋台から会場を望む


鳥取中部地震の被災チャリティと青銅パネル進達式

 11月12日(土)、「吉川美代子さんと愉しむ講演+民話朗読会」が摩尼寺の善光寺如来堂で開催されました。明治45年の国鉄山陰線全通を記念して竣工した如来堂では、八十数年ぶりに阿弥陀如来堂厨子がご開帳され、11月3日に中国観音霊場合同の大法要が営まれたことについては、すでにお知らせしたとおりです。「講演+民話朗読会」はご開帳・大法要にともなう行事であると同時に、「摩尼山」の国登録記念物(名勝地)決定の祝賀イベントでもあります。先週の水曜日、準備のため訪れた際は境内の寒さに震えていましたが、いざ当日になると、空は晴れ、外気も温かく、予想していたよりもはるかに心地よい環境下で会が執り行われました。私個人にとっても一大イベントであるこの日を、晴れやかな気候で迎えることができ、ほっと胸を撫で下ろしました。


鳥取中部地震で被災された皆様に_01 鳥取中部地震で被災された皆様に_02


 とても残念なことですが、チケットの売れ行きは昨年の長谷川きよしさんのコンサートほどではなかったようです。10月21日に発生した鳥取中部地震の影響があったのでしょう。そこで先生は、このイベントに被災した文化財建造物チャリティの性格をもたせることを考えられ、会の最初に募金を募ることから始められました(↑)。さらに、2日ばかり前県教委に届いたという国登録記念物パネルの進達式がサプライズとしておこなわれました(↓)。


161112石田感想②
↑↓ 国登録記念物青銅製パネル進達式
161112石田感想①



続きを読む

ヤクと野牛の物語(4)

ヤクと野牛の物語 p23[著者紹介]



著者について

 リンジン・リンジンは東ブータンのルンツェ県※3クルトエゲンパカップの辺鄙な村にある貧しいはたおり一家に生まれました。リンジンは4歳のときゴムチェ(在家信者)として初期の教育をスタートさせました。1998年になって現代教育に転じ、やがてフィリピン共和国中央ルソン州立大学で農学の学士、オーストラリアのメルボルン大学で大学院の学位をそれぞれ取得しました。
 
 子どものころ、リンジンは物語を聞くのが好きでした。お気に入りの語り手はお母さんです。リンジンは読書家であり、文章を書くのも好きでした。2001年のメルボルンでの冬休みのあいだに「幸運のお守り」や他のブータンの田舎の民話、9つの説話集を著しました。「ヤクと野牛の物語」は子どもむけに書かれたリンジン・リンジンの最初の出版物です。リンジンのお気に入りの民話を子供たちと共有するために公刊したのです。

 リンジン・リンジンは1997年から2013年までブータン国民評議会の講師、研究プログラム主任、プログラム局長と委員を務めてきました。現在、ブータンの首都ティンプーにある王立経営研究所において、キャンベラ大学の正式(フルタイムの)な学生として大学院研究を追究しています。


イラストレーターについて

  テンパ・ラブガはフリーのアーティスト兼イラストレーターで、最近はティンプーの水龍スタジオで働いています。  {大竹}


続きを読む

ヤクと野牛の物語(3)

ヤクと野牛の物語 p16 ヤクと野牛の物語 p17 p.16-17


  ヤク※1がチベットからおいしい塩※2をもちかえるのを

  野牛はまってまって、まちつづけました。

  野牛はまきばにすわってまっていたのです。


ヤクと野牛の物語 p18 ヤクと野牛の物語 p19 p.18-19


  ヤクは塩がほんとうにおいしいことを知り、

  チベットの野山が好きになりました。

  「ここで暮らすつもりです」とヤクは言いました。


ヤクと野牛の物語 p20 ヤクと野牛の物語 p21 p.20-21


  野牛はからだにほとんど毛が生えないまま、

  あたたかい平原でくらしています。

  ちょっとごらんなさいよ。

  野牛はあたまをあげて山をみあげているでしょう。

  野牛はさむい雪山にいまも住んでいる長いふさふさ毛の
 
  ヤクをまっているにちがいありません。 【完】   {宮川}

続きを読む

11月12日に生まれて

 11月11日は「いちたろう」という名の父親の命日で、翌11月12日は亡き母の誕生日である。そして、摩尼山登録記念物決定祝賀のイベントは11月12日に催された。母は生誕の日まで生き延びてくれるものと信じていた。父が命日に迎えにきて、その翌日天に召していくのだろうと思いこんでいたのだが、その一月前に旅立ってしまった。一月たって、葬儀に参列した一部の兄弟姉妹が摩尼寺に集結した。再会したのはよいが、まず兄が脱落。歩けないと言って麓の茶屋に座り込んでしまったのである。上の姉だけはきっちり会場まであがってきて、すべてのスケジュールにつきあってくれたが、残りの3名は、遅刻しているにも係わらず、イベントそっちのけで、奥の院から立岩をめざしたのであった。ちょっとしたばちあたりだから、山で迷子になるんじゃないかと心配(期待?)したが、この日に生まれた母親が天上から帝釈天降臨の岩崖を見張り続けてくれたのかもしれない。偶然ながら、兄嫁の誕生日も母と同じ11月12日なので、このあたりの運気はもっているのだろう。立岩から境内まで無事下りてきて、休憩時間に如来像を拝み、すぐさま麓の兄を助けに戻っていった。

 連日の曇天・雨天とは打って代わり、11月12日は今秋一番の晴天だった。秋晴れとはほんにこのことである。吉川さんが晴れ女なのか、それともまた母の守護なのか。正直なところ、イベントに不安な要素を抱えていたのだが、曇り空とともに杞憂は一掃された。イベントは盛会であり、困ったことはなにもなかった。吉川さんの朗読はいうまでもなく、二人の学生の朗読も素晴らしかった。最後に武田くんは吉川さんの指導まで受けていた。羨ましい限りである。
 12日の夜は家内と二人で蹴球酒場へ。驚いたことに、マスターの誕生日もまた11月12日だというので、アイルランドの黒ビールを馳走し、3人で誕生祝いの祝杯をあげた。

 93歳の誕生日、おめでとう!


1012吉川02web
11月12日 イベント終了後の記念撮影

吉川美代子さんと愉しむ講演・朗読会(予報8)

朗読リハーサル


リハーサル初回

 11月9日(水)。ゼミの時間を利用して、12日に摩尼寺で行われる講演会の準備をしました。3年女子は大学に残り、配布資料や貼り紙の作成。私を含めた3年男子と4年生数人は摩尼寺の会場(善光寺如来堂)に出向き、音響・照明機材の搬入や朗読のリハーサルをしました。機材の搬入では、スピーカーやスクリーンなどの配置など多少悩みはしましたが、特に時間をかけることなく、比較的スムーズに作業を進めることができました。朗読のリハーサルについては、高校時代放送部県代表であった武田さんと、「炎たつ湖」翻訳プロ研のリーダーだった石田さんが本番に近い状態で朗読されましたが、その表現力の豊かさと技術にただただ感心しました。当日はフリーアナウンサーの吉川美代子さんによる講演もおこなわれるので一層楽しみになりました。


冊子用注意事項_01 注意事項(必読)


 ところで、この日は予想以上に冷え込んでおり、終始震えていたので、当日来られる予定の方は暖かい格好でいらしてください。マネージャーからの連絡によれば、吉川さんも大変な寒がりらしく、暖房器具を用意する必要がありそうです。(OK牧場)


CIMG9244リハーサル (2)

ルート29

161104 摩尼寺法要web 


Go for Broke !

 昨日4年生がレポートした摩尼寺での大法要の記事はとても興味深いものであった。奈良に帰らずに参列すればよかった。週末を過ごし、鳥取に打って返す際、中国縦貫道を途中下車して兄の家に立ち寄った。葬儀後の後始末があるからだ。しかし、もう少しだけ早めに家をでていたら、今週に限っては訪問を回避していただろう。山崎-佐用間の高速が工事のため通行止めになっていたからである。通行止めは深夜10時から早朝6時まで。その夜、どんなに急いでも10時までに山崎インターを越えることはできなかった。いったん兄の家で休み、良い道を探してもらおうとしたのだが、山崎から佐用に至る山道は複雑で時間がかかり、播但道経由の道も走った経験がないので不安を抱えていた。戸倉峠越えしかないな。時間はかかるが、かって知ったる山道さ。心配はそれほどしていなかった。


161104 摩尼寺法要doc  161104 文化財被害状況 日本海1104 


 山崎にたどりついたのは、深夜12時前。インターを下りて国道29号線を北上した。そこでまもなく、パトカーに捕まったのだ。22キロオーバーだそうである。制限時速50キロのところを72キロで走っていたのだと、車内の電光掲示が示している。高速道路の速度感覚がまだ体に残っている余韻中のできごとであり、運転手本人からすれば、むしろスピードを落としつつあるという認識だったので、スピード違反と言われてもピンと来ない。しかも、あたりは真っ暗。車影はまれにみえるだけ。
 いつもは冷静な家内まであきれ果てていた。わたしもこういう性分なので、普段なら、もう少し抵抗する。署名を拒否してもいい。でも、やめた。翌日の仕事量が多すぎる。ここで時間を浪費すれば一日の仕事をつぶしかねない。早く床に就きたい。


日本海1008 日本海1108


 寝覚めは良くない。良いはずもなかろう。肩こりがひどいので膏薬をはり、外にでた。ペースノートまで歩いて行って、いつもの朝食を。日本海新聞に12日のイベント案内を発見した。小さな扱いだが、「潮流」の訂正記事をようやく確認して安堵した(↑)。食後、そのまま歩いて近所の銀行に行き、罰金をそそくさと振り込んだ。良くないことは始末して早く忘れるに限る。
 帰宅すると、知らない番号から電話がかかってきた。警官がいきなり謝罪する。すいません、昨夜の書類、書き間違えました・・・これに似た事件が先月もあった(もっとひどかった)。紀要をめぐるできごとである。警官にメッセージをさしあげた。

   市民から愛されるケーサツになりなよ、$%&=)(‘+””!~¥|{}>?¥



マサ斉藤は偉大なレスラーですね。

中国観音霊場開創35周年記念合同大法要@摩尼寺

161103 法要中top


階段行道

 11月3日(木)の文化の日、喜見山(摩尼山)摩尼寺の善光寺如来堂で中国観音霊場開創35周年記念合同大法要が執り行われました。中国観音霊場37ヶ所 (33ヶ所+特別霊場4ヵ所)では、この季節になると年次で会場を持ちまわり合同法要を営みます。今年は35年目の節目で、特別霊場摩尼寺の善光寺如来堂での85年ぶりの御本尊御開帳に合わせる形で順番がまわってきました。これだけでも大変めでたい事ですが、さらに今年は摩尼山が国の登録記念物 (名勝地関係)に定められた年でもあり、ちょっとした運命を感じますね。
 さて私は、密教系密壇を卒論の主題としている関係上、法会・仏像・法具の写真と動画を撮影するため駅からの8時始発便の送迎バスに乗って摩尼山に向かいました。摩尼寺門前に到着後、ただちに石階を駆け上りました。まだ早い時間だというのに多くの参拝客の参集しており、この日の重要さをうかがえました。境内に到着後、まずは住職より撮影許可をいただいている旨を伝え、本堂と如来堂で撮影しました。このとき如来堂の御本尊を撮ってもいいのかどうか悩み、結局取らずじまいで境内の様子の撮影に向かったのですが、これが杞憂だったことを後に知ります。撮影を終えたころには境内の方にも多くの人が集まっており、賑やかになっていました。しばらく境内をうろうろしていると、階段行道が始まり、中国地方各地から集まった僧侶・尼僧が列をなして階段を上ってきました。


161103 osahumi  階段行道

161103 茶屋前  161103 境内A 茶屋前、境内の様子


慰霊法要

 階段行道が過ぎるのを見届けた後、しばらくすると、どこからともなくお経の声が・・・開始時間を失念しており、「お砂踏み」法要が始まってしまいました。急いでの如来堂に入ると、圧巻の一言。手前にはところ狭しと参列者が並び、奥には中国観音霊場から集結した僧侶・尼僧がズラリ。お経も大人数によるハーモニーが大迫力の一言です。お経自体は般若心経をスラスラ読める程度(暗記しているわけではない)なのですが、慰霊法要に入る前置は聞き取ることができました。そこでは今年4月の熊本地震、及び10月の鳥取地震の鎮魂を願うと述べており、冒頭に記したとおり、めでたいことがあった年である同時に、苦難の続くと年でもあることを思いおこしました。
 経読が一通り済んで、先達表彰を挟み、一度休憩に入った途端、85年ぶりの御開帳とあって、「待ってました」とばかりに参列者が写真を撮り始め、とくに制限はなかったのかと安堵しました。ここで法要終了後の密檀の写真も撮っていたのですが、ふと覗きみると、僧侶たちもスマホ片手に御本尊を撮影しており、少し心が和みました。


20161107本尊001縦 161103 先達表彰  161103 御本尊大人気 
左から本尊、先達表彰、本尊参拝


  -休憩-

161103 屋台 161103 募金 161103 本堂内から



続きを読む

ルート66

1106珈琲樹02スパシ02 1106珈琲樹02スパシ01縦sam


テセウスの舟、あるいはウナギ屋秘伝のタレ

 上のプラントは、珈琲と入れ替わるように、玄関に追い出されたスパシフィラムです。庭にだそうか、と提案すると、家内はヤな顔をする。思い出のグリーングラスなの。新婚直後に向島か槇島の公団住宅でリビングに飾った二つの観葉植物の一つだから。一つはベンジャミン(小さなガジュマル)で、すいぶん前に枯れてしまった。スパシフィラムは繁殖力が異常に強く、またたくまに鉢中を根っこが埋め尽くす。土はどこに行ってしまったのか。鉢の中は根っこがとぐろを巻いてしまうので、頻繁に株分けすることになるわけですが、我が家のスパシフィラムは30年前から今に至るまで同じ濃紺の鉢に納まって室内を飾り続けてきた。
 ここでプルタルコス英雄伝の「テセウスの舟」に思いを馳せる。ご存じ、同一性に係わる命題として哲学者の間で議論の対象になってきた神話的題材である。クヌット・アイナー・ラールセン(1994)はこれを「火災で初重を焼いた法隆寺金堂」と重ね合わせて考察した。
    
   はたしてこれはテセウスの舟なのだろうか。でないとすれば、それはいつ潰えたのか?
   はたしてこれは法隆寺金堂なのだろうか。でないとすれば、それはいつ潰えたのか?

 このまえ、歴史遺産保全論でその講義をしたばかりなんだけど、おもしろい感想を書いた女子学生がいた。「テセウスの舟」の話を聴いていて、「創業以来継ぎ足してきたというウナギ屋秘伝のタレを思い起こした」というものです。生物の細胞が6年間で入れ替わる話を指摘した学生が昨年は数名いたが、ことしは鰻重秘伝のタレときたか。いや、勉強になるね。教えて、教えられる。

 なんのことはない、昨日わたしは、珈琲の樹に居場所を奪われたスパシフィラムをみて、「これもテセウスの舟だ」と思ったというだけのことなんです。
 AはA’に変容したのか、それとも、AはBに変化してしまったのか?

 



 どういうわけか、ビデオに「堺でございます」の録画が1回だけ残っていて、再生してみると、ゲストは陣内孝則、ギター当番は渡辺香津美。わたしは渡辺香津美というギタリストがあまり好きではありません。この人のギターを聴いて感動したことがない。とくに伴奏にむいていないのは「堺でございます」をみてりゃ、だれでも分かる。伴奏が歌の邪魔をする典型的な演奏家ですね。うまいとこ見せたいのかもしれないけど、結果として、前に出すぎて歌を台無しにしてしまう。歌手にとって生命線となる「間」を埋めてしまう天才というか、あそこまで歌い手とずれるのは自分の演奏にだけ集中してるからなんじゃないかな。「堺でございます」では野口五郎が息苦しくなって、途中で歌を放り出したことがありました。歌伴では、どうみても長谷川きよしに軍配が上がる(長谷川さんも時に音が多すぎるけど)。
 しかし、この日の「ルート66」は良かった。陣内の歌いっぷりはもろにリズム&ブルースで、ナット・キング・コールのオリジナル「ルート66」に近いものでした。こういうロックぽいアップテンポの曲のほうが渡辺香津美は活きるのかもしれない。一方、上は娘さんとダイアナ・クラールのデュオですが、とても同じ曲だとは思えないね。



こちらの方がオリジナルに近い。

麝香猫糞珈琲豆

1106珈琲樹05 1106珈琲樹01縦sam


 クリスマスツリーじゃありませんよ。クリスマスに無縁な爺ですから・・・あっ、いや今年はそうでもないかもしれないな・・・でも、これはクリスマスツリーではない。珈琲ツリーです。ずいぶん大きくなりました。鉢植えの珈琲が2本あるのが分かるでしょうか?
 純喫茶ペパーミントから1本めの苗をいただいたのが3年前、2本揃ったのが2年前で、そのころの写真は こちら を参照。その後、今年になって急成長を遂げ「珈琲の蕾」「珈琲の花」のシリーズを連載したのはユーロ2016で睡眠不足に陥っていた6月のことです。
 3年目の方はとにかく大きくなった。すでにわたしの身長を超え、全高180㎝と言いたいところですが、鉢の高さを引くと150㎝か。それにしてもでかく、珈琲の実は間違いなく100粒以上ついている。本日、屋内に入れたんです。これから暖房ばんばん効かせて温室状態にするので、なんとか赤い実に熟してほしいな。


1106珈琲樹03豆実01


 そういえば、バリで遊んだ娘たちが珈琲豆をたくさん買い込んできた。おかげで、たぶん二十年ぶりぐらいにミルを買うことになったのです。豆のなかにコピ・ルアクが含まれていた。ご存じの方も多いでしょうが、ジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆のことで、独特の匂いがする。そもそも、麝香(じゃこう)とはジャコウジカの腹部の香嚢を切り取ったもので、それ自体は耐え難いほどの異臭がするが、これを乾燥させて薄めるとえもいわれぬ香料に変わるらしい。ジャコウジカもジャコウネコもみたことはないが、ジャコウネコの糞に残った珈琲豆をミルで砕いて飲んだら、酸っぱい味がした。


1106珈琲樹05麝香

鯉に願いを-ネコノミクスの街(10)

1103天野web03


地震に強かった長屋群

 11月2日(水)、ASALAB8名が立川で寒さに震えスケッチを描いていたころ、倉吉の河原町・鍛冶町では、大鳥屋と旧小倉家住宅・土蔵の実査がおこなわれていました。年度末の登録文化財申請にむけて、文化庁の担当官に下見していただく機会でして、2日にまにあうよう3年生は実測図(平面図)・棟札翻刻などを仕上げ、1日までに送信を終えていました。2日、会長から実査が無事終わったとの報せがあり、安堵しています。

 3日は奈良にいたのですが、お昼のNHKニュースに会長が2度も映りました。作業服姿で歩いています。一緒に澱粉カットしたほうがよいかもね? 相前後して、マッド氏から写真付きのレポートが届きました。抜粋引用します。

  旧小倉家の様子は先月末、工務店の社長にみてもらいました。一部修復に○万円位かかるだろう
  と言っておられましたが、(略)それと相前後してブルーシートを出入りの業者に頼んで掛けられ
  ました。道路側からは確認できませんでしたが、道路反対側に瓦がズリ落ちていたようです。(略)


1103天野web04


 一方、小川家のほうは煙突に亀裂が入り危険な状態になっており、庭園内の茶室の瓦はガタガタに崩れ、燈籠はほとんど倒れた、とのことです。煙突を撤去するか修復するか、で意見が分かれているらしい。ところが、5軒長屋は瓦がいたんだ様子もなく、ガラス戸のガラス一枚割れていないというから、どちらがレッドカードの危険家屋なのか分からない。貧相な構造のようにみえる長屋群が地震に強かった理由を科学的に考察してみる必要がありそうです。

被災した文化遺産のためのチャリティへ

 12日のイベントに係わる2日のミーティングでは上の情報をうけて倉吉の問題も話し合いました。イベントでは、報告書『倉吉の歴史まちづくり』(Ⅰ)(Ⅱ)などを会場で販売し(実際は寄付に対する寄贈)、その売り上げ金を河原町の旧小倉家土蔵の復旧に寄付することに決めました。また、湯梨浜の重文「尾崎家住宅」の被害も相当のようですが、こちらも報告書『尾崎家住宅-建造物調査報告書-』を販売し、その売り上げを尾崎家に寄付する予定です。前提として多くの聴衆にご来場いただく必要がありますが、なにより地震の影響で客足がにぶっている。すでに二つの大地震を頂戴してますから。震度6弱に続く吉川大地震・・・余震を懸念してますが、我々のホームグラウンドですからね。


1103天野web02 1103天野web
@ビニールハウス


公民館便り28年11月_01  161027 文化財の被害状況
↑(左)河原町公民館便89号 (右)文化財の被災状況

立川~樗溪の町並み調査(7)

161102立川立面図③ 続・吉村家住宅


温かい紅茶で心も温まる

 11月2日(水)。4年生2名に率いられ、3年生は立川で、前々週に続き、連続立面スケッチをしてきました。今年、幾度目になるか分からない立川での調査ですが、3年以上はこの日で一区切りとなりそうです(まだ2年生の実習が1回分残っています)。11月に入って、つるべ落としが身に染みます。震える手を押さえながらの作業となりました。


161102立川立面図② 
↑ひたすらスケッチ ↓束の間のピース
161102立川立面図①


 山の手通りについては、前回残した数棟の建物を描ききりました。登録文化財「吉村家住宅」も中途半端に終わっていたので、今回完成させました。このほか、裏側の通りでは、広徳禅寺の土塀とその周辺に連続町家を描き、さらに登録文化財「岩田家住宅」の立面もスケッチしました。広徳寺の塀は、1枚の方眼紙に収まらないほど立派なものでした。複数の建物が割り振られたり、装飾の細かい建物であったりして骨を折りましたが、なんとか終わらせることができました。


161102 立面図スケッチ範囲Webサイズ 161102 立面図スケッチ範囲Documentサイズ


 今回、うれしい応援がありました! 
 楠城屋醤油店からあたたかい紅茶の差し入れがあったのです。自分たちの調査研究は、協力していただく多くの方がいるからこそ続けてこられているのだと改めて感じました。(だっしょ)


161102立川立面図④ 

吉川美代子さんと愉しむ講演・朗読会(予報7)

20161102朝日(摩尼寺)如来開帳web 20161102朝日(摩尼寺)如来開帳 朝日1102


善光寺阿弥陀如来、ついに御開帳!

 新聞記事が2社まとめてでました。これがうまいこと役割分担してくれてます。朝日は善光寺如来堂の阿弥陀如来ご開帳、毎日は登録記念物の官報告示とイベントをそれぞれ報道しており、まさに相互補完的。さっそく、チケットの問い合わせがありました。2社とももっと早く記事にしたかったそうですが、なにぶん中部の震災でてんやわんやになっています。ほとんど毎日、中部に通っているそうです。そんななか、こんなに大きな記事にしていただき、感謝にたえません。


20161102毎日(摩尼山)web 20161102毎日(摩尼山) 毎日1102


 今日は文化の日。摩尼寺では、中国観音霊場開創35周年記念合同大法要が営まれます。研究室からは、密壇法具で卒論作成中のキム3号が参加し、デジカメとムービーで撮影することになりました。法具の使い方を学ぶよい機会になるでしょう。成果を期待しています。ともかく皆さん、善光寺式の阿弥陀さんを拝観しておいたほうがいいですよ。住職でさえ初めてみたっていうんだからね。わたしは9日に参拝する予定です。


摩尼寺大法要チラシ表 摩尼寺大法要チラシウラ クリックすると、画像が拡大します


 チケット販売は、ドリームプロジェクが仕切っております
 以下にお問い合わせされるか、プレイガイドでチケットを購入してください。

  ドリームプロジェクト(竹内): TEL 0857-21-8455  FAX 0857-29-7600
  プレイガイド: 摩尼寺 門脇茶屋 源平茶屋 とりぎん文化会館 鳥取市民会館

 ネットからは以下のWEB用フォーム(↓)、チラシのQRコードからも簡単に予約できます。

   http://prt.nu/4/mani



2016mani9_01doc.jpg 2016mani9_02doc.jpg クリックすると拡大します

科研の達成感

 科研が書けん状態をようやく脱しました。毎年のことではありますが、タフな仕事です。今回は京都のYさん、東京のKさん、そして我らがケントにずいぶん助けられました。
 しかし、最後の詰めの段階になってケントは挙動不審に陥った。演習室にパソコン2台おいたまま、姿を眩してしまったのです。なんど電話しても繋がらない。スタジオ、コピー室にもいない。車で眠っているのか、と探しに行くも、からっぽ。まだ作業は完全に終わったわけでもないのだけれど、ちょっとした中抜きに飲みに出ようとした週末のことです。広島がホームで一敗地に塗れた夜さ。新装開店なった綺愛羅から何度も招待があり、「二人なら」と思ってヤツを探すのですが、どこにもいない。「今宵は控えます」と電話口で答えたところ、

  「トイレじゃないですかね?」

との啓示あり。その直後、ドアを叩く音がした。

  「すいません、トイレにいました。」

 探し始めてから一時間近く経って、ようやくヤツは戻ってきたのです。理由を問えば、便器に腰掛けての長電話。つまり、用を足していたところに電話がかかってきた。そのまま受話器をとって一時間、だそうです。受話器をもっていたのは、聖なる右手か、不浄の左手か。ウォシュレットのついていない本学のトイレで、どうやってメド拭きしたのか、よくわからない。
 相手は年上の女御なんだって。ケント、おまえもか。ポールのこと、あんなに馬鹿にしていたのに。翌日から丸二日、ヤツは消えてしまった。おかげで、詰めの作業を一人でやり通しました。達成感はある。
 きっとケントも達成感があったのでしょう。昨日もゼミのあと、さっさと帰っていきました。


続きを読む

グルリンポチェがやってくる(3)

グルリンポチェがやってくる p14 p.14


 ソナムおばあちゃんはかべのすきまをきれいにしています。
 どうしてかべのすきまをおそうじするの?
 イェシェイちゃんはそのわけを知りたいのです。


グルリンポチェがやってくる p15 p.15


 グルリンポチェはどんなところからでも
 おうち※9に入ってくるの。
 だって、グルリンポチェはいたずらずきでしょ?


グルリンポチェがやってくる p16 グルリンポチェがやってくる p17 p.16-17


 だから、すみずみまでホコリをとらなきゃいけないし、
 床ならどこでもはかなきゃいけないの。


続きを読む

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
10 | 2016/11 | 12
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR