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最後のプロ研-お寿司と魚食のフードスケープ(7)

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左:鯖のナレズシ 右:作業風景


塩鯖・へしこ鰯、パンガシウスと中華ハムのナレズシ

 初めに、米を炊く。教授が家から持参された3合では足りないので、さらに4合炊いた。サバとイワシを漬ける米4合はモチ米とウルチ米を1:1、パンガシウスとマカオの中華ハムを漬ける米はさらに赤米を混ぜている。今回、前日から塩漬けしたのはパンガシウスのみ。他は塩味がすでに効いている。


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パンガシウス・塩鯖・へしこ鰯・中華ハム


 次に漬ける材料。塩サバ、へしこイワシ、パンガシウスは水で洗い、キッチンペーパーで水気を十分ふき取る。マカオの中華ハムは、半分を電子レンジで温め、残る半分はそのまま。温める際に水を少し足した。加熱時間は2分間。炊きあがった米は、大体50~60℃を目安に冷ます。料理酒とみりんをまず加え、さらに山椒の実、柑橘皮(徳島スダチ)と果汁、生姜千切り、唐辛子(種抜き)輪切り、さらに塩麹を加え、よく混ぜる。洗って水分を取った塩サバ、へしこイワシ、パンガシウスの表面に塩麹を塗り込む。


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左:中華ハムとパンガシウスの米飯 右:塩鯖とへしこ鰯の米飯


 タッパにラップを敷き、底が見えなくなるくらいの量の米飯を薄く敷く。その上にそれぞれ漬ける魚肉を並べる。魚肉を包むように、米飯を被せる。中華ハムは、加熱したものと加熱してないものを分けたので、ラップで仕切った。米飯を被せ終わると、ラップで包み、さらにタッパの上麺をラップで包み密閉する。その上に重石をしてナレズシを漬ける工程は終了。


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左:中華ハム(上が生・下が過熱済み) 右:ラップで仕切って漬ける


 私が今回担当したのは、パンガシウス、中華ハムの下拵えと漬け込みである。具体的におこなった活動は、最初に洗ったパンガシウスの水気を取る工程、ハムを切り落とし半分を電子レンジで加熱する工程を担当した。米が炊けるまでの間に少しだけブータン山椒の実を取る作業を手伝った。あとは魚に塩麹を塗る作業、中華ハムの漬け込み、重石となる水入りペットボトルを上から置く作業も手伝った。


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へしこ鰯のナレズシ


 全体の感想としては、まず、ナレズシを実際に食べられてよかったと思う。前回、タタキを作った際にナレズシの米飯を混ぜたが、それがどのようなものなのか分からなかったため、いい経験をしたと感じた。他の学生はナレズシの味にあまりいい評価をしていなかったが、私はクセがあるもののおいしく感じたし、実際に口にしたことで他のナレズシの味にも興味がわいた。12月に予定されているナレズシの試食会もとても楽しみになった。また、今回の授業でナレズシを漬ける工程を体験したが、「これでナレズシができるのか」という感覚であった。試食後の作業であったため、容易に味の想像はできるのだが、調理工程と味がイメージとしては結びつかない。もちろん長時間漬けるため香りや見た目などが違うのは当たり前だが、そこまで難しい工程がないため、少し拍子抜けした。私たちが漬けたナレズシはどうなっていくのか、成功するのかが気になった。 (1年環境FY)


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Re:1111

カルマツェリンIMG_4762 カルマ・ツェリンさんからの御礼メール(1116)
Dear Mr. Asakawa, Warm greetings from Bhutan. I am happy to inform that I met with Mr. Tak, and I have received a copy of the book with the Japanese translated version of my book It All Starts With A Thought. It was very nice to see it. I hope some Japanese children will find the story interesting and relevant. Through this book I hope to be able to engage children on an important Buddhist concept of impermanence and for them to see beauty in life, with all its imperfections. Once again thank you very much, and I look forward to staying in touch.
Warm regards,  Karma



ありのままに うけいれて

 父の名前は一太郎で、白寿で天命を全うしたのが2008年11月11日。その3年後の2011年11月11日に「111111」というブログをアップした。そのことを昨日(11月11日)突然思い出し、供養しなければいけないと考え、スーパーで赤札の付いた寿司と旬の親ガニを買った。帰宅して、「おじいちゃん、ありがとう」と唱えてから、家内と祝杯をあげ寿司を食べ、最後に蟹汁を啜った。今年は父の17回忌で、11月3日に兵庫の兄の家で法要があったのだが、行けなかった。忙し過ぎたからである。退任記念論集を12月7日の東京講演にまにあわせようと必死で編集していた。いまはまた別の原稿を書いているし、田中淡著作集の書評は大丈夫かというリマインドも頂戴している。遅ればせながら、23日には兄の家に赴き仏壇に参ろうと考えている。それよりなにより、11日が命日だということが重要であり、下宿のささやかな仏壇に掌を合わせた。
 東京講演が日々迫ってきている。土地勘のないところなので、集客に不安があり、あちこちにメールして広報拡散をお願いしているなか、二人の人物が頭に浮かんだ。わたしは7年ばかり、京大大学院人間・環境学研究科で客員助教授をしていたことがある。1990年代後半のことである。そこで2名の修士論文を指導した。二人とも出世している、一人は東海地方の国立大学の教授、もう一人は国総研の主任である。この二人にも連絡しないといけないと思った。連絡先はよく分からないが、あの手この手を使って探り出し、11日~12日に交信が叶った。二人とも講演会に来ると言っているが、無理しないようにお願いした。情報だけは拡散してほしい。
 12日、すなわち本日は、亡き母の誕生日である。大正12年11月12日の生まれ。その件を2012年11月12日、「12-11-12」というタイトルでアップしている。そのときは母は90歳だった。昨夜から煮込み始めたトマトシチューを晩餐にした。我ながら、これが抜群に美味い。淡路島のオニオーンスープをベースにして、半割のタマネギ、皮付のジャガイモと肉を入れて煮込み、シチューのルーを入れて一晩おくだけ。今夜はパスタを添えた。赤ワインとの相性は最高至福。酔っぱらって眠りに落ち、目覚めて深夜にメールチェックすると、ブータンからの便りあり。先日、国際郵便で送った翻訳絵本をようやくカルマ・ツェリンさんに渡すことができたという(↑)。カルマ女史の作品 Just the way it is の書題の訳がよくないことに刊行直後から気付いて悔やんでいた。

  ありのままに うけいれて

にすべきだったとずっと思っている。仏教には一切触れず、仏教の無常観を子供に諭す傑作だと思っている。素晴らしい作家であり、このたびのブータン渡航で彼女の作品をすべて買った。来年からはサンデー毎日なので、じっくり読むことができるだろう。どんな生活になるか、今から楽しみだ。

《関係》サイト
ブータンの絵本『アシ・ツォメン みずうみのマーメイド』刊行!
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2814.html
ブータン民話絵本の解題
(3) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2773.html



Messenger_creation_60114955-27B0-4C8C-AC35-7992C126D61D.jpeg Dear Mr. Asakawa, Thank you for your very kind words. It is most encouraging and inspires me to work harder and write more books for young children. Mr Tak and I were both busy and could only meet up a few days ago. Please find attached a photo of me with the book, which i forgot to attach yeaterday. I have also attached photo with Mr Tak and his friend, with my new book Lhamo's Melody. If you know anyone coming from Bhutan to Japan, please let me know. I would like to send you something. Also, I hope that one day in the near future we will have the opportunity to meet. Please do let me know when you have any plans to come to Bhutan again. Warm regards, Karma


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Some Heritages of Bon or non-Buddhism behind Buddhism(3)

4. Bemji: the Hidden Village of the Bon people

(1) Descendants of Khri Srong lde brtsan
 According to the lore, in the latter half of the 8th century, the Buddhist king Khri Srong lde brtsan, who maximized the territory of Tibet, had three sons. The king sought the people's devotion to Buddhism to make it the state religion, turning the tide from the coexistence of Buddhism and Bön. The king's two sons followed suit, but only the youngest son could not abandon the Bon belief. So the king ordered, “You will not survive in Lhasa. You must flee far away.” It is Bemji the youngest prince fell away and settled in. At December 26th 2022, on having arrived at Bemji village, a villager told us, “Tomorrow we will have a festival, so today we re-erect the Bon flag”. We observed the process and ceremony of putting up the cotton-capped flag, which is completely different from the Buddhist flag. From the high ground where the flag is erected, one can see the mountain where Muktsen, the guardian deity of the watershed, lives. Between the hill and the landowner residence, there is a square with a Bong flag and a stone chair on which the nymphs flew down from Mt.Muktseon can sit. This place is also used as a stage for dance performances.

(2) Gyeongkhang of Nagtsan
 There still remain caste system and the Nagtsan, the former feudal lord's mansion, in Bemji village. Nagtsan is also a guesthouse, and in September 2023, we slept in a room on the third floor to conduct investigation. A matrilineal extended family are living here, and relatives from the neighborhood often gather for memorial services and meals. The central room on the third floor is a magnificent Buddhist-style Hall, and the grandmother over 90 years old, spends many hours every day here reciting sutras.
 In Bemji village, Gyeongkhang, located behind the Buddhist hall, occupies an even more important position than the Buddhist hall. There, Muktsen as the guardian deity of the watershed, is worshipped. Muktsen is an intangible divine spirit and has no idol. The object in which a deity resides is hidden in the chest. However, a life-size statue of Khatap as the god of valor and Muktseon's bodyguard, stands in the far left corner, glaring at the visitor, giving the dark room a terrifyingly powerful atmosphere. It has an aura of transcendence that surpasses that of Gyongkhang at Kubun Temple.
 When we stayed at Nagtsan, a niece of the female owner came to help prepare meals. She was going to immigrate to the U.S. soon, and hoping that her visa application would go smoothly, the family invited three Buddhist monks to perform a prayer in Gyeongkhang. It is important to note that the Bon people's deity in Gyeongkhang is Muktsen, which is not a Bon deity, but the guardian deity of the watershed. In other words, Muktsen is the folk spirit of the Kvaerne's IV period.
 If the tradition that the people of Bemji village are descended from the Bon people of the Tibetan dynastic period is correct, their beliefs may be inherited from the Kvaerne's I period. In other words, there is a possibility of continuity between the Kvaerne I period (primitive Bon) and the Kvaerne IV period (folk Bon) as non-Buddhist beliefs. In addition, the fact that the priests who worship non-Buddhist Muktsen are Buddhist monks gives the impression of a fusion of Buddhism and Bon/non-Buddhism, or the “Tibetanization of Buddhism” [Imaeda 2010].
 According to the man-owner of Nagtsang, the villagers revere Muktsen as the god of the Bon religion. Muktsen is regarded as an indispensable spirit that brings benefits to daily life and keeps evil away. On the other hand, Buddhism is a philosophical knowledge and practice that is important to the monks and other talented people who continue their training to enlightenment, but not necessarily important to the villagers.
 Note that at the Dzongdrakha Temple in Paro, which we always visit on the last day of our investigation, we found a Bon flag mixed in with numerous Buddhist flags. In addition, a Gyeongkhang at the back of the main hall was dedicated to the basin deity, with a statue of the warrior god Katap in front of it. We were able to confirm the Bemji-like aspect in the Buddhist temple.


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Kesuke Honda exhibition match in Thimphu, Bhutan

ハッピィ、盂蘭盆会!

 本田圭佑選手がパロFCと契約し、ブータンの地で復活したニュースは日本でも報道されました。この3年のブータン調査でお世話になっている佛子園ブータン事務所長の中島さん(郡家町生まれ)と旅行社「ブータンネクスト」の社長ピラさんも大のサッカー通で、地元のシニアチームで活躍されています。下のように、中島さんは、本田のデビュー戦をyoutubeにアップされました。1.6万回も再生していますね。
 当初は13日の1試合のみの契約だと聞きましたが、8日の試合(対チランFC)との後半からボランチとして出場し、勝利に貢献した模様です。要するに、試合に出たいんでしょうね。ちなみに、ブータンではイングランド・プレミアリーグなどが地上波で放送されており、シティ、リバプール、アーセナルのどこが好きか、などと訊かれます。答えは一つ、ブライトンさ。
 三苫、伊東、富安、久保あたりがオリンピックに出ていたら、スペインにも勝てていたかもしれない。純U23のチームは大健闘であり、日本団体球技の最高成績を残したけど、優勝スペインの壁は厚かった。あそこを突破するには、やはりオーバーエイジが必要でしたね。





《参考サイト》本田圭佑が約2年8カ月ぶり復帰! ブータンデビュー、リーグ戦急きょ出場し勝利に貢献
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe5682c53e079c810cc675336a4d64852ff1c903 

琵琶湖竹生島の水神と魚食の旅(3)

0518大橋三輪神社本殿01 0518大橋三輪神社会館01
(左)大橋三輪神社本殿覆屋 (右)大橋自治会館でのヒアリング                          


大橋三輪神社「泥鰌ナレズシ」起源譚

 栗東市大橋の三輪神社では、毎年9月23日に「泥鰌のナレズシ」を漬け始める。そして、翌年の5月1日の口開け式で封を開け、5月3日の奉納祭で振舞われる。この5月3日の大祭には150~200人ほど人が集まるということで、一地域の行事とはいえ、想像以上に賑やかな祭礼である。
 大橋集落では昔、天変地異が起ると、白羽の矢が立った家の若い娘を、神の遣いである白巳(白いヘビ)に生贄として差し出したという伝承がある。その生贄に代わるものとして作り始めたのが、この泥鰌ナレズシだという。その始まりは天平(奈良時代)に遡るということで、驚いた。伝承ではあろうけれども、8世紀という年代はすでにナレズシの文献記載(平城宮荷札木簡等)があり、不自然な感覚ではない。元栗東大橋自治会長のOSさんは、「人間の生贄なんてことは無かったと思いますけど」と仰った。たしかに、人間を生贄にするという習慣や大蛇のよう な白蛇をイメージするのは難しく、真実ではないとは思うけれども、私は保育園児の頃から現在まで、祖父母の家で多くの日本昔話を読んできたが、人間を生贄に差し出す神話等もいくつかあった。また、海外でも人間を生贄にしたという伝説は多くあり、大昔は本当に人身御供がおこなわれていたのだろう。 かりに生贄の話が真実だったとしたら、三輪神社の泥鰌ナレズシは、人の命を救っ たとてもありがたい食べ物だと思った。
 一方、ナレズシを漬ける当番はくじ引きで決まるが、当番以外の人が作った際に災難があり、それは罰が当たったのだという話も聞いた。本当に罰あたりなのか偶々なのかは分からないが、伝統はなるべく守るべきだと個人的には思った。当番がくじ引きというのは、人身御供がおこなわれていた時代の、誰が選ばれるかわからない状況を再現しているのかもしれない。


0518大橋三輪神社人身御供01 人身御供の伝承(『大橋区誌』1997より)


泥鰌ナレズシの作り方

 次に、泥鰌ナレズシの作り方を聞いた。三輪神社で作られる泥鰌ナレズシはレシピもかなり特徴的である。まず、①桶に炊飯器で炊いたご飯を入れる。以前は竈で朝4時に炊いていた。そこに、②フードプロセッサーで粉々にして乾燥させた蓼を水に浸して団子状にまとめ、米にまぶす。蓼は昔は各家で栽培していたが、現在は境内横の借地を専用の畑にして作られている。蓼には毒消しの意味もある。③蓼と米をよく混ぜ合わせたらその上に塩をかませた泥鰌と鯰を敷く。鯰はいま頭を取るが、依然は取らずに腹と背を開いて麹米を詰めた状態で漬けていた。その上に再び蓼入りの米を敷き、泥鰌→鯰→泥鰌→鯰というように層にしていく。桶の上部まで敷き詰めたのち、ナマズの上に樽の形に丸めた蓼の茎を置き、藁編みの蓋を落としてから、桶の蓋をして重石を置く。重石ははじめ2つ置くが、最後の方は1つにする。④9月23日の漬け始め、10月から翌年4月まで月1回蓋を開けて点検する。確認するのは上澄み液の具合で、少なければカビが生えてしまい、多すぎてもよくないので調整する。このとき塩水を加える。そのため、塩味が強くなる。


0518大橋三輪神社蓼02 0518三輪神社資料01
(左)蓼畑 (右)大橋三輪神社の泥鰌ナレズシ[栗東歴史民俗博物館『企画展 まつり・祭り・祭礼』2001『より]


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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