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引っ越し大作戦(4)

ルートイン01


ブックオフ奈良

 2月6日(木)で鳥取のブックオフ通いも終わり、8日(土)には奈良のブックオフに足を運んだ。奈良に帰る予定はなかったのに、幸運にもたまたま1泊することになった。鳥取から持ち込む本のスペースを確保するためには、奈良の本を処分するしかなく、その作業に着手しなければならないと感じていたからだ。鳥取の場合、文庫本やCDを売るたびに書類を手書きさせられるが、奈良ではすべてタブレット処理で時間がかからない。段ボール6箱、43点の査定額は4,500円だった。鳥取より安い、という印象。少し休んで、午後4時から、わたしたち夫婦は折り返しで加東市社をめざした。

長兄

 1月13日の大阪堺講演を終えた後のどたばた疲弊の結末が「石」で終わったことはすでに述べた。一つ隠していたことがある。1月15日(水)、神戸に住む長兄を失っていたのである。わたしは6人兄弟の末っ子にあたる。上から男、女、男、女、男、男(私)。上の4人は異母兄弟である。父が満州出兵~シベリア抑留の際、上の4人は神戸から河原町曳田(ひけた)の蔵元「八上姫」に疎開していた。父が帰還する1週間前に4人の母親が鳥取で亡くなった。わたしの母は後妻である。母は二人の息子を曳田で産み、わたしが一歳半のとき一家で大字河原に引っ越した。
 長兄とわたしは19歳も離れている。葬儀には行きたかったが、体が悲鳴を上げていた。弔電の打電は告別式当日の朝まで遅れて式に間に合わず自宅転送、哀悼文も定型になった。葬儀は17日。その3日後の朝、わたしは「石」で市立病院に緊急搬送される。これが、この一年のオチなんだ、と笑うしかなかった。

六歳年上の兄

 長兄葬儀の知らせをショートメール(SM)でくれたのは六歳年上の兄の奥さん(義姉)である。兵庫県加東市在住。兄は腎臓透析に週3~4回通う患者であり、さらに昨秋から別の部位で調子が悪く、ずっと東播磨の病院に入院していた。だから、兄も長兄の葬儀に行けなかった。代わって、義姉が参列した。昨年11月23日(土)、父の13回忌に香を焚いた後、わたしと家内と息子の3人で、東播磨の病院まで見舞いに行った。喜んでくれたが、いつもの生気はなく、「あぶない」という予感が秘かに芽生えた。2月5日(水)、また義姉からSMがあった。兄が大きな手術を受けたという。肉体的にも精神的にもダメージの大きな手術だったが、「気持ちを切り替えて、リハビリに励むようお伝えください」と返信した。養生すれば、家に帰り、晩年の日常を取り戻すことができるかもしれない。
 その24時間後、電話が鳴り、兄がなくなったことを告げられた。2月6日午後8時18分、心筋梗塞による旅立ちである。義姉は泣いている。わたしもすごく動揺して、徳島と秋田の友人に電話した。この二人もわたしや兄と同じ病を抱えていたからだ。
 7日(金)午後、雪の鳥取を離れ、加東市に向かって車を走らせた。恥ずかしながら、高速上の車中でベソをかいていた。遺体に会うのが怖くなっていたのだ。遺体をみれば、やはり泣いてしまうのではないか。午後4時、兄の家に着いた。休憩した安富パーキングのあたりまで雪が降っていたが、加西を過ぎると雪は消え、滝野社はうっすら晴れていた。仏壇のある畳座敷に兄は横たわっていた。13年前の父の遺体と同じ場所である。目を閉じて普通の表情をしている。泣くことはなかった。同席してくれた近親者のおかげで、湿っぽい雰囲気にはならなかったのだ。
 悲しい出来事ではある。しかし、家内は遺体をみる前からある想いを口にしていた。「こちらの世界で生きるより、あっちに行った方が楽だよ」というお告げがあったんじゃないかしら、と。たしかにそうかもしれない。これだけの病を抱えて生き続けるのは辛過ぎる。前日の手術は一生を左右する大きな出来事であった。


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最後のプロ研-お寿司と魚食のフードスケープ(7)

20241114鯖ナレズシ01 20241114全体01
左:鯖のナレズシ 右:作業風景


塩鯖・へしこ鰯、パンガシウスと中華ハムのナレズシ

 初めに、米を炊く。教授が家から持参された3合では足りないので、さらに4合炊いた。サバとイワシを漬ける米4合はモチ米とウルチ米を1:1、パンガシウスとマカオの中華ハムを漬ける米はさらに赤米を混ぜている。今回、前日から塩漬けしたのはパンガシウスのみ。他は塩味がすでに効いている。


20241114ナレズシ材料01 20241114火腿01
パンガシウス・塩鯖・へしこ鰯・中華ハム


 次に漬ける材料。塩サバ、へしこイワシ、パンガシウスは水で洗い、キッチンペーパーで水気を十分ふき取る。マカオの中華ハムは、半分を電子レンジで温め、残る半分はそのまま。温める際に水を少し足した。加熱時間は2分間。炊きあがった米は、大体50~60℃を目安に冷ます。料理酒とみりんをまず加え、さらに山椒の実、柑橘皮(徳島スダチ)と果汁、生姜千切り、唐辛子(種抜き)輪切り、さらに塩麹を加え、よく混ぜる。洗って水分を取った塩サバ、へしこイワシ、パンガシウスの表面に塩麹を塗り込む。


20241114米飯(パンガシウス・火腿)01 20241114米飯(鯖・へしこ)01
左:中華ハムとパンガシウスの米飯 右:塩鯖とへしこ鰯の米飯


 タッパにラップを敷き、底が見えなくなるくらいの量の米飯を薄く敷く。その上にそれぞれ漬ける魚肉を並べる。魚肉を包むように、米飯を被せる。中華ハムは、加熱したものと加熱してないものを分けたので、ラップで仕切った。米飯を被せ終わると、ラップで包み、さらにタッパの上麺をラップで包み密閉する。その上に重石をしてナレズシを漬ける工程は終了。


20241114火腿ナレズシ01 20241114火腿ナレズシ02
左:中華ハム(上が生・下が過熱済み) 右:ラップで仕切って漬ける


 私が今回担当したのは、パンガシウス、中華ハムの下拵えと漬け込みである。具体的におこなった活動は、最初に洗ったパンガシウスの水気を取る工程、ハムを切り落とし半分を電子レンジで加熱する工程を担当した。米が炊けるまでの間に少しだけブータン山椒の実を取る作業を手伝った。あとは魚に塩麹を塗る作業、中華ハムの漬け込み、重石となる水入りペットボトルを上から置く作業も手伝った。


20241114へしこナレズシ01 20241114鯖ナレズシ02
へしこ鰯のナレズシ


 全体の感想としては、まず、ナレズシを実際に食べられてよかったと思う。前回、タタキを作った際にナレズシの米飯を混ぜたが、それがどのようなものなのか分からなかったため、いい経験をしたと感じた。他の学生はナレズシの味にあまりいい評価をしていなかったが、私はクセがあるもののおいしく感じたし、実際に口にしたことで他のナレズシの味にも興味がわいた。12月に予定されているナレズシの試食会もとても楽しみになった。また、今回の授業でナレズシを漬ける工程を体験したが、「これでナレズシができるのか」という感覚であった。試食後の作業であったため、容易に味の想像はできるのだが、調理工程と味がイメージとしては結びつかない。もちろん長時間漬けるため香りや見た目などが違うのは当たり前だが、そこまで難しい工程がないため、少し拍子抜けした。私たちが漬けたナレズシはどうなっていくのか、成功するのかが気になった。 (1年環境FY)


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Re:1111

カルマツェリンIMG_4762 カルマ・ツェリンさんからの御礼メール(1116)
Dear Mr. Asakawa, Warm greetings from Bhutan. I am happy to inform that I met with Mr. Tak, and I have received a copy of the book with the Japanese translated version of my book It All Starts With A Thought. It was very nice to see it. I hope some Japanese children will find the story interesting and relevant. Through this book I hope to be able to engage children on an important Buddhist concept of impermanence and for them to see beauty in life, with all its imperfections. Once again thank you very much, and I look forward to staying in touch.
Warm regards,  Karma



ありのままに うけいれて

 父の名前は一太郎で、白寿で天命を全うしたのが2008年11月11日。その3年後の2011年11月11日に「111111」というブログをアップした。そのことを昨日(11月11日)突然思い出し、供養しなければいけないと考え、スーパーで赤札の付いた寿司と旬の親ガニを買った。帰宅して、「おじいちゃん、ありがとう」と唱えてから、家内と祝杯をあげ寿司を食べ、最後に蟹汁を啜った。今年は父の17回忌で、11月3日に兵庫の兄の家で法要があったのだが、行けなかった。忙し過ぎたからである。退任記念論集を12月7日の東京講演にまにあわせようと必死で編集していた。いまはまた別の原稿を書いているし、田中淡著作集の書評は大丈夫かというリマインドも頂戴している。遅ればせながら、23日には兄の家に赴き仏壇に参ろうと考えている。それよりなにより、11日が命日だということが重要であり、下宿のささやかな仏壇に掌を合わせた。
 東京講演が日々迫ってきている。土地勘のないところなので、集客に不安があり、あちこちにメールして広報拡散をお願いしているなか、二人の人物が頭に浮かんだ。わたしは7年ばかり、京大大学院人間・環境学研究科で客員助教授をしていたことがある。1990年代後半のことである。そこで2名の修士論文を指導した。二人とも出世している、一人は東海地方の国立大学の教授、もう一人は国総研の主任である。この二人にも連絡しないといけないと思った。連絡先はよく分からないが、あの手この手を使って探り出し、11日~12日に交信が叶った。二人とも講演会に来ると言っているが、無理しないようにお願いした。情報だけは拡散してほしい。
 12日、すなわち本日は、亡き母の誕生日である。大正12年11月12日の生まれ。その件を2012年11月12日、「12-11-12」というタイトルでアップしている。そのときは母は90歳だった。昨夜から煮込み始めたトマトシチューを晩餐にした。我ながら、これが抜群に美味い。淡路島のオニオーンスープをベースにして、半割のタマネギ、皮付のジャガイモと肉を入れて煮込み、シチューのルーを入れて一晩おくだけ。今夜はパスタを添えた。赤ワインとの相性は最高至福。酔っぱらって眠りに落ち、目覚めて深夜にメールチェックすると、ブータンからの便りあり。先日、国際郵便で送った翻訳絵本をようやくカルマ・ツェリンさんに渡すことができたという(↑)。カルマ女史の作品 Just the way it is の書題の訳がよくないことに刊行直後から気付いて悔やんでいた。

  ありのままに うけいれて

にすべきだったとずっと思っている。仏教には一切触れず、仏教の無常観を子供に諭す傑作だと思っている。素晴らしい作家であり、このたびのブータン渡航で彼女の作品をすべて買った。来年からはサンデー毎日なので、じっくり読むことができるだろう。どんな生活になるか、今から楽しみだ。

《関係》サイト
ブータンの絵本『アシ・ツォメン みずうみのマーメイド』刊行!
http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2814.html
ブータン民話絵本の解題
(3) http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2773.html



Messenger_creation_60114955-27B0-4C8C-AC35-7992C126D61D.jpeg Dear Mr. Asakawa, Thank you for your very kind words. It is most encouraging and inspires me to work harder and write more books for young children. Mr Tak and I were both busy and could only meet up a few days ago. Please find attached a photo of me with the book, which i forgot to attach yeaterday. I have also attached photo with Mr Tak and his friend, with my new book Lhamo's Melody. If you know anyone coming from Bhutan to Japan, please let me know. I would like to send you something. Also, I hope that one day in the near future we will have the opportunity to meet. Please do let me know when you have any plans to come to Bhutan again. Warm regards, Karma


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Some Heritages of Bon or non-Buddhism behind Buddhism(3)

4. Bemji: the Hidden Village of the Bon people

(1) Descendants of Khri Srong lde brtsan
 According to the lore, in the latter half of the 8th century, the Buddhist king Khri Srong lde brtsan, who maximized the territory of Tibet, had three sons. The king sought the people's devotion to Buddhism to make it the state religion, turning the tide from the coexistence of Buddhism and Bön. The king's two sons followed suit, but only the youngest son could not abandon the Bon belief. So the king ordered, “You will not survive in Lhasa. You must flee far away.” It is Bemji the youngest prince fell away and settled in. At December 26th 2022, on having arrived at Bemji village, a villager told us, “Tomorrow we will have a festival, so today we re-erect the Bon flag”. We observed the process and ceremony of putting up the cotton-capped flag, which is completely different from the Buddhist flag. From the high ground where the flag is erected, one can see the mountain where Muktsen, the guardian deity of the watershed, lives. Between the hill and the landowner residence, there is a square with a Bong flag and a stone chair on which the nymphs flew down from Mt.Muktseon can sit. This place is also used as a stage for dance performances.

(2) Gyeongkhang of Nagtsan
 There still remain caste system and the Nagtsan, the former feudal lord's mansion, in Bemji village. Nagtsan is also a guesthouse, and in September 2023, we slept in a room on the third floor to conduct investigation. A matrilineal extended family are living here, and relatives from the neighborhood often gather for memorial services and meals. The central room on the third floor is a magnificent Buddhist-style Hall, and the grandmother over 90 years old, spends many hours every day here reciting sutras.
 In Bemji village, Gyeongkhang, located behind the Buddhist hall, occupies an even more important position than the Buddhist hall. There, Muktsen as the guardian deity of the watershed, is worshipped. Muktsen is an intangible divine spirit and has no idol. The object in which a deity resides is hidden in the chest. However, a life-size statue of Khatap as the god of valor and Muktseon's bodyguard, stands in the far left corner, glaring at the visitor, giving the dark room a terrifyingly powerful atmosphere. It has an aura of transcendence that surpasses that of Gyongkhang at Kubun Temple.
 When we stayed at Nagtsan, a niece of the female owner came to help prepare meals. She was going to immigrate to the U.S. soon, and hoping that her visa application would go smoothly, the family invited three Buddhist monks to perform a prayer in Gyeongkhang. It is important to note that the Bon people's deity in Gyeongkhang is Muktsen, which is not a Bon deity, but the guardian deity of the watershed. In other words, Muktsen is the folk spirit of the Kvaerne's IV period.
 If the tradition that the people of Bemji village are descended from the Bon people of the Tibetan dynastic period is correct, their beliefs may be inherited from the Kvaerne's I period. In other words, there is a possibility of continuity between the Kvaerne I period (primitive Bon) and the Kvaerne IV period (folk Bon) as non-Buddhist beliefs. In addition, the fact that the priests who worship non-Buddhist Muktsen are Buddhist monks gives the impression of a fusion of Buddhism and Bon/non-Buddhism, or the “Tibetanization of Buddhism” [Imaeda 2010].
 According to the man-owner of Nagtsang, the villagers revere Muktsen as the god of the Bon religion. Muktsen is regarded as an indispensable spirit that brings benefits to daily life and keeps evil away. On the other hand, Buddhism is a philosophical knowledge and practice that is important to the monks and other talented people who continue their training to enlightenment, but not necessarily important to the villagers.
 Note that at the Dzongdrakha Temple in Paro, which we always visit on the last day of our investigation, we found a Bon flag mixed in with numerous Buddhist flags. In addition, a Gyeongkhang at the back of the main hall was dedicated to the basin deity, with a statue of the warrior god Katap in front of it. We were able to confirm the Bemji-like aspect in the Buddhist temple.


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Kesuke Honda exhibition match in Thimphu, Bhutan

ハッピィ、盂蘭盆会!

 本田圭佑選手がパロFCと契約し、ブータンの地で復活したニュースは日本でも報道されました。この3年のブータン調査でお世話になっている佛子園ブータン事務所長の中島さん(郡家町生まれ)と旅行社「ブータンネクスト」の社長ピラさんも大のサッカー通で、地元のシニアチームで活躍されています。下のように、中島さんは、本田のデビュー戦をyoutubeにアップされました。1.6万回も再生していますね。
 当初は13日の1試合のみの契約だと聞きましたが、8日の試合(対チランFC)との後半からボランチとして出場し、勝利に貢献した模様です。要するに、試合に出たいんでしょうね。ちなみに、ブータンではイングランド・プレミアリーグなどが地上波で放送されており、シティ、リバプール、アーセナルのどこが好きか、などと訊かれます。答えは一つ、ブライトンさ。
 三苫、伊東、富安、久保あたりがオリンピックに出ていたら、スペインにも勝てていたかもしれない。純U23のチームは大健闘であり、日本団体球技の最高成績を残したけど、優勝スペインの壁は厚かった。あそこを突破するには、やはりオーバーエイジが必要でしたね。





《参考サイト》本田圭佑が約2年8カ月ぶり復帰! ブータンデビュー、リーグ戦急きょ出場し勝利に貢献
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe5682c53e079c810cc675336a4d64852ff1c903 
プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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