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らっきょう畑をつきぬけて(2)

1028らっきょう05作業婦人01 1028らっきょう04サム


農作業する白い花

 10月28日(水)、秋晴れですが、若干雲と風があり、昨日の雨のせいか、少し肌寒い天気でした。10月も下旬を迎え、山の紅葉も少しずつ色づいてきました。3年ゼミで11月7日(土)に開催される巡礼トレッキング大会の下見をしました。トレックの前半は大雲院から摩尼寺の巡礼ですが、コースの終盤にはラッキョウ畑をつきぬけて砂丘をめざします。


1028らっきょう03撮影02 1028らっきょう03撮影01 先発隊


 すでに先生が報告されていますとおり、従来とは違う新たなルートをあるくことになりそうで、その順路を一通り確認しました。前回(9月30日(水)のゼミ)で4年生数名・3年生全員で、摩尼寺門前から砂丘会館までトレッキングコースを歩きました。その際、ラッキョウ畑を通りましたが、あまり花が咲いておらず苗だけがぽつりと広がる眺めが続いておりました。しかし、今回みに来てみると、紫色の花を咲かせたきれいなラッキョウ畑がひろがっていました。なにより遠景が美しく、山や海と溶け合う風情にうっとりしてしまいます。

20151028 紫色の花を咲かすラッキョウ畑  
↑10月28日のらっきょう畑  ↓1ヶ月前
20151028 ゼミで通った際(0930)のラッキョウ畑


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ねずみのおばさん(3)


Aunty Mouse [p16] Aunty Mouse [p17] p16-17


 はたして、ま夜中のこと、少女はかるくかみを
 ひっぱられたり、ねじられたりしたので、起きてしまいました。
 しかし、ネズミのおばさんに言われたことを思いだし、
 目をしっかり閉じたままにして、また少しずつ眠りにおちていきました。

 タシ・ドマが朝めざめると、
 頭がへんにおもく感じます。
 かみにゆびを通したところ、
 目がまるくなってしまいました。


Aunty Mouse [p18] Aunty Mouse [p19] p18-19


 少女のあんだかみの房(ふさ)*1
 すべてに 宝石や高価な石がじゅずつなぎになっていたのです。
 タシ・ドマはゆめをみているのではないかと
 なんども頭をさわり、たしかめました。

 朝ごはんのあと、ねずみのおばさんはランチクロスを返してくれましたが、
 なにかおもいものをくるんでいました。

   「羊たちのもとに帰ってからでないと
   この包みをあけてはいけませんよ。
   さあ、羊たちがまいごにならないうちに、
   はやくおかえりなさい!」

 ねずみのおばさんにおしえられたとおり、
 タシ・ドマが目をとじると、とつぜん
 つよい風にふかれた気もちになって、
 気がつくと、ねずみの巣穴にちかい地上にふたたび戻っていました。


Aunty Mouse [p20] Aunty Mouse [p21] p20-21


 ランチクロスの包みをしっかりはなさないようにして、
 少女は羊たちがのどかに草をはむところにかけていきました。
 少女が包みをあけると、そこには
 さらに高価な宝石がいっぱいつまっていました。

 タシ・ドマはうれしくなって、これだけのすばらしい贈り物をしてくれた
 ねずみのおばさんに感謝(かんしゃ)しました。
 これまでだれもこんなに親切にしてくれたことがなかったんです。  【井戸垣】


【注】 
 *1(p.18) 原文は、Every strand of her hair was strung with・・・
ここにいうstrandは巻いて編んだおさげ髪のことである。そのおさげ(房)のすべてに宝石が巻きついていたものであろう。したがって、原文挿図のような髪型ではなく、下のような髪型と思われる。

151022 Aunty Mouse ブータン 髪型
↑東ブータンのゲルク派女性
0919青海湖05ストランド01
↑中国青海湖周辺のチベット族遊牧民の女性(ゲルク派)


このシリーズは以下のサイトで連載しています。

 1年「ねずみのおばさん」
表紙・裏表紙 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1090.html
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1094.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1113.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1114.html
(4)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1122.html
(5)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html


 2年「心のなかの部屋」
表紙 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1090.html
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1102.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1118.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1119.html

ねずみのおばさん(2)

Aunty Mouse [p10] Aunty Mouse [p11] p10-11


 とつぜん強い風にふかれた気がして、
 タシ・ドマは小さなひみつの家にいることに気づきました。

 ねずみのおばさんはせわしくカマドで料理をしていました。
 「せっかくここにいるんだから、わたしと夕ごはんを食べたらどう?
 なにか食べたいものはある?」とねずみのおばさんはたずねました。
 ずいぶん時間がながれ、もう夕ごはんのじかんなんだ!
 ということにタシ・ドマはおどろきました。
 少女はおべんとうが山のしゃめんをころがりおちていくのを追いかけたので、
 おなかがすいていました。「あなたが食べているものなら
 なんでもいただくわ」とタシ・ドマは言いました。


Aunty Mouse [p12] Aunty Mouse [p13] p12-13


 ねずみのおばさんはうなづいて、食事をもりつけはじめました。
 タシ・ドマは自分の目をうたがいました。
 ネズミのおばさんがとてもぜいたくなディナーを
 すばやくならべていたからです。

 いっしょにごちそうを食べたあと、ねずみのおばさんは言いました。
  「家に帰るにはもうおそすぎるから、
  今夜はここにとまっていきなさいよ。」
  「あらまあ、それはいけないわ。羊がまいごになってしまうでしょう?」
  タシ・ドマは心配そうに答えました。
  「心配しないで、羊は自分のせわをするでしょう。
  どんな床(とこ)をつくりましょうか?」とネズミのおばさんはたずねました。


Aunty Mouse [p14] Aunty Mouse [p15] p14-15


  「わたしはどこでもねむれるわ。」
 タシ・ドマはもうねむかったのであくびをしました。
 おどろいたことに、ねずみのおばさんはぶあついマットレス、
 あたたかい毛布、やわらかいまくらを用意してくれました。
 タシ・ドマはこんなきもちのよいベッドでねむったことはありません!

  「さあおやすみなさい。ただね、少しだけ言っておきたいことがあるの。
  夜中になにかがあなたのかみの毛を引っぱるように感じるでしょう。
  でも、気にしてはいけないわ。
  なにがあっても目を開けてはいけないのよ。」

 タシ・ドマはこのおかしなおねがいにとまどいました。
 そして、そのことに思いをめぐらせながら、ねむりにおちました。  【山岡】


151022 Aumty Mouse ブータン カマド
↑ブータンのかまど(ブータンタンタン)
    http://blog.goo.ne.jp/ying_yang/e/e5c6869722f8847b3c41b285669ef400


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らっきょう畑をつきぬけて(1)

1025らっきょう畑01マニ山01 摩尼山を仰ぐ


マラソンよりもトレッキングで!

 コンサートの翌日(25日)、空港までデザイナーを見送りにいった帰り道に、こっそり??ラッキョウ畑を覗いてきました。いい感じで花が咲いてます。おりしも、鳥取砂丘らっきょう花マラソン大会の当日であり、最終ランナーがゴールインした直後でありました。マラソンもわるくはないでしょうが、記録や勝敗が目的化しないわけはないですから、花畑の魅力をより楽しめるのはトレックですよね。じっさい、お散歩デートするカップルが何組かいました。カメラマンもあちこちに陣どってましたね。

 というわけで、11月7日(土)の巡礼トレッキング大会が近づいてきました。上の写真の中央やや奥に聳えているのが摩尼山です。あそこの中腹(門前)からここまで下りてくるわけです。下り道ばかりだから、楽なコースですよ。


1025らっきょう畑02アップ01 1025らっきょう畑05白い花


 この日、農道を車で走り回り、最適のコースを探し当てました。トレック担当のヤマショ(別名Nobody)は、この事実をまだ知りません。現在、トレックの参加予定者は30名あまりです。40名限定としていますが、まだ10名は受け入れますので、ふるってご応募ください。


イラストマップ(最終)圧縮01  最終サムmani_flyer_ura4_FIX_01 

 
 トレックの詳細は「続き」に詳しく掲載しています。↑右のチラシをクリックすれば、申し込み用紙があらわれます。面倒くさいかたは、 

   【WEB申し込み専用フォーム】  http://prt.nu/0/mani

が圧倒的に便利です。  



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満席御礼、摩尼寺紅葉コンサート2015

1024会場03記念撮影01


煩悩を滅する108枚のチケット

 コンサート、終わりました。4ヶ月準備をして、2時間半のコンサートは刹那ではあります。しかし、そこに無限の時間を感じた方も少なくなかったでしょう。それだけ長谷川きよしさんのパフォーマンスは素晴らしかった。音響も極上でした。木造にふさわしい柔らかくて優しい音がしました。
 有料来場者は108名。108の煩悩を滅するため、除夜鐘を108回衝き、参道石段を108段駆け上がる。そして、108枚のチケットが巷間に流布したのです。その108枚めの当日券を買ったのは東京在住のデザイナーでした。コンサートのチラシ、ポスター、チケットをデザインした人です。会場を設営していた前日午後、「明日、会議なくなったから行きま~す」の一言でやってきちまった。ほかに東京の方が少なくとも1名おられましたし、高速を飛ばしてやってきた北九州市の女性2名にも驚きました。「新潟の××で~す」と長谷川さんに声をかける女性までいたそうです。新潟からだと、新幹線で東京、羽田から鳥取空港でしょうか・・・旅費だけでも大変ですね。でも、いらした甲斐はあったでしょう。それだけの価値があるパフォーマンスでした。

 アンコール終了後、見知らぬ男性が近寄ってきて握手を求められました。

   「長谷川きよしを鳥取に呼んでくれて、ほんとうに・・・ありがとう!」


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 この日弾き語りされた楽曲のラインナップは以下のとおりです。著作権使用料の請求がきっちり来ておりま~す(笑)。

   1.虹の彼方に
   2.歩きつづけて
   3.別れのサンバ
   4.涙
   5.君の友だち
   6.心震える時
   7.走って空をごらん
   8.黒いオルフェ
   9.灰色の瞳
   10.11.12 .組曲『ふるいみらい』より「わし」「よろこび」「こんちゅう」
   13.黒の舟唄
   14愛の讃歌
   15.ダニーボーイ

 さて、科研申請の真っ最中です。草臥れ果てたわたしは、久々「科研が書けん」状態に陥ってしまった。えらいことだ。ブログなんてやってる場合じゃない。写真だけ掲載しておきます。演奏中の写真は厳禁でして、おもにトークセッションの写真です。御免!


1024会場01
↑開演直前 ↓以下、トークセッション
1024トークセッション01

1024トークセッション05

1024トークセッション07

1024トークセッション09
↑セッション終了、休憩時間はじまり。

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遊牧の彼岸-アムド高原の青い海(Ⅴ)

0919青海湖10ロンダ01 ロンダとタルチョ 


ロンダの祈り

 甲乙寺から南山方面の山道を走る。10分程度で青海湖が見渡せる高所までたどり着いた。青海湖はひろすぎて全景を一望とまではいかないが、俯瞰的に地理をとらえることができる。単純な自然の風景も十分素晴らしい。しかし、車窓に映る遊牧の風景にまた魅せられた。
 さらに車を走らせ、峠に向かう。峠では多くの車が駐車していた。ながぁいタルチョが空中に重なりあって舞い上がり、いったい何があるのかと胸騒ぎした。そのときガイドのチーさんが「活仏が来ている」と言った。活仏(生き仏)はちょうど車に乗り込むところで、わたしたちが下車するのと入れ違いで車は走り去っていった。
 活仏は消えたが、赤い袈裟を身に纏う僧侶はまだ何人も峠に残っていた。すでに述べたように、峠は聖なる「境界」であり、僧院が造営される訳ではないが、タルチョなどで華やかに彩られ、プージャ(祈りの儀式)がおこなわれる。


151019 青海 峠の尾根に沿うタルチョ  151019 青海 峠の僧侶


 わたしたちは尾根まで上り、青海湖を見下しろた。やはり絶景である。運転手のリーさん、ガイドのチーさんも私たちのあとに続く。リーさんは赤い箱を手にもっている。箱から紙束のようなものを取り出し、私たちに手渡した。手のひらにも満たない、正方形状の小さなマンダラがプリントされた紙である。これをロンダという(いちばん上の写真)。そういえば、歌姫の峠でも、タルチョのまわりに同じものが散乱していたことを思い出す。 リーさんも、チーさんも、ロンダを風に向かって放り投げた。否、天に向かって、投げ、そして、叫ぶ。

   アッチェラ~、 アッチェラー!

 アッチェラーは「順調に」という願いの詞である。中国風に表現するならば「万事如意」か。峠という、この世とあの世の境界で、天に祈りをささげるのだ。じつは、峠に来る前、車代の延長料金をめぐって、ガイド側と旅客側に不穏な空気が流れて始めていた。あれだけの旅費を支払って、まだ追加料金を要求するのか。そういう不満を日本側は露わにしていたのだ。そうした軋轢をふり祓うためにも、ロンダの祈りが必要になっていたのかもしれない。


151019 青海 アッチェラー アッチェラ~


ヤクと羊の遊牧民

 峠からの下りでは、何ヶ所停車して、遊牧の風景を撮影した。ブータンでは牛との混血種ばかりで、純血のヤクは一頭しか拝めなかった。ところが、青海省にはヤクがごろごろいる。青海湖民俗博物館では野生のヤクの剥製が展示してあった。放牧されたヤクは野生種かそれに近いものであろう。黒いヤクだけではない。白や銀のヤクもいる。羊はその何倍いるだろうか。
 ヤクはどう猛な動物ではない。至近距離から撮影できる。糞もいっぱい落ちているが、それはしばらくすれば燃料に変わる。うまいこと循環ができている。


0919青海湖11ヤク03 0919青海湖11ヤク04
↑ヤクと羊の群れ  ↓チベット族遊牧民テントの内部
151019 青海 遊牧民のテント訪問 151019 青海 峠 遊牧民テント



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遊牧の彼岸-アムド高原の青い海(Ⅳ)

151019 青海 高原から青海湖を望む  0919青海湖00湟魚01


消えた冠雪

 青海湖(チンハイフー)は中国最大の内陸塩水湖である。周回は300キロ以上に及ぶ。周辺を南山などの山嶺に囲まれた陥没湖で、湟水の源流である。「中華人民共和国国家級風景名勝区」に選定され、湖畔には「中国最美的湖」の看板が目立つ。湖に生息する湟魚(↑右)は国の天然記念物として保護の対象になっている。湖の周囲には、、チベット族、土族などの遊牧民・半農藩牧民、回族(イスラム)、漢族など多数の民族が雑居する。


151019 青海 クルーザー  151019 青海 観光施設 案内看板
↑埠頭 ↓中国魚雷発射試験基地
0919青海湖01魚雷発射基地01


 9月19日(土)、この日もまた梅干しのおかゆで体を覚醒させ、車で埠頭へと出発した。湖から離れたターミナルでいったん車をおりて切符を買い、そこから電気自動車で埠頭まで移動した。わたしたちは何も知らされていなかったが、船に乗るという。乗船時間はわずか20分。穏やかなな波の心地よい振動だと先生は楽しそうだが、わたしはその振動に「酔い」しれた。約8km離れた対岸の半島から埠頭までバスで戻る。青い空、青い湖水、遠くの山並み、そしてあちこちに羊の群れがみえる。
 船からの近景はただただ青い海だが、一ヶ所とても気になる施設から水面から立ち上がっている。それは「中国魚雷発射試験基地」である。毛沢東時代(60年代?)の遺産らしい。すでに実験場ではなくなっているというから撤去してしまえばいいものを、こうして保存展示している意味はなんなのだろうか?


0919青海湖00水草と雪山01 151019 青海 雪のかぶる山々 冠雪


 対岸のずっと向こうにみえる山の頂は冠雪していた。じつに美しい景色である。ただし、午後になると、雪は消えてしまった。あの白い頂は、霜か、それに近いほど薄い積雪であって、気温上昇とともに融けてしまったのだろう。
 対岸から埠頭に戻り、青海湖民俗博物館に入る。多彩な民俗衣装や湟魚、雪豹などの剥製にも驚かされたが、なにより目を引きつけられたのは宝石の類であった。チベットは宝石の宝庫である。トルコ石などの宝石類に加え、ヤク牛の骨をアクセサリーに多用する。それが安いのでバンバン買った。先生はいったい何名の女性にプレゼントするのか、と思うほど買われていた。そういえば、今回来られなかった会長のお土産に石でできた、孫の手を買った。きっと「股の手」に使うぜ、などいうジョークを飛ばしながら・・・
 昼はちゃんとしたレストランではなく、博物館向かいの土産物店で中国のカップメンをいただいた。ブータンで楽しんだトムヤンクン・ヌードルと比較したかったのだ。トムヤンクンのほうが美味しいが、中国の激辛麺も悪くはない。これを白帯さんのお土産にすることにした。


0919青海湖03博物館01
↑青海湖民俗博物館 ↓激辛方便麺
0919青海湖04ラーメン



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摩尼山の三十三観音石仏(2)

151024_0932_press.jpg 151024_0932_001_01.jpg

  
 ついにコンサートの当日になりました。先生は結構憂鬱な顔をされています。天ぷらを調理中のシェフの心境だそうです。わたしにはなんのことやらわかりません。上は日本海新聞10月16日の記事です。だれも気づかぬまま時は過ぎ、ようやく昨日(23日)、倉吉の会長さんが探し出したようです。


石仏に刻み込まれた寄進者と年紀

壱番から十壱番全景


 10月21日(水)、わたしとテングサくんは、境内準備グループから別れ、今日は摩尼寺でコンサートの下見がありましたが、境内から立岩の道中にある西国三十三観音石仏の再調査をしました。石仏背面側の写真撮影と台座に彫り込まれてい文字の調査です。
 結果として言えることは、先生のおっしゃった通りでして、台座と光背(石仏の裏側)にしっかりと文字が書かれていました。前回の調査は大失敗だったのです。文字をみると、石仏の寄進者は大谷岐山、鳥飼壽昌、木谷勘七と判読不能の4種類に分かれました。それらの文字は台座の左側面に刻まれており、台座をずらさないときちんと確認ができませんでした。また、光背の裏側が削られていて読めないものもありました。


壱番光背裏 壱番土台左側面 一番「鳥飼壽昌」



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摩尼寺紅葉コンサート2015にむけて(11)

151023毎日web01 151023毎日doc01


 昨日は読売新聞、今日は毎日新聞(↑)でコンサート開催の報道がありました。明日(24日)、いよいよコンサートです。
 21日(水)の活動について昨日は3年生がレポートしましたが、今日は摩尼寺庫裡の卒論に取り組んでいる4年生の立場から報告させていただきます。


ボード01
↑↓文字シートと登録文化財認定証の検討
銅版 サムネ(新谷)


境内景観の継承と改善

 昨日も述べたように、サインボードは招き屋根の銅版葺、薬医門風となっています。材料は壁板がスギ、絵馬掛けの横桟がヒノキ、柱がクリです。柱にクリを用いたのは耐水性に優れるからです。絵馬掛けの横桟と壁板のあいだには隙間があり、水切りの役割を果たします。案内板の構造はこうして完成しましたが、まだ文字プリントシートができていません。みんなで、フォント・サイズ・色などを検討しましたが、最終的には先生と宮本さんが決定されるそうです。ちなみに、A4サイズの青銅プレートは重みが5キロもあるそうで、手にするとずしりと重さを感じました。


ボード03


 下は絵馬掛けのいちばん上に書く「絵馬に願いを託して」のフォント比較です。どうやらいちばん上のフォントになりそうです。このサインボードは、ただ案内板としての意味があるだけではなく、境内景観の整備とも関係している。いま山本君は登録記念物(名勝)に係わる構成資産の研究に取り組んでいますが、大きな絵馬掛けが小振りのサインボードに変わったことで、本堂前の風景が向上したことはいちばん大きな成果かもしれません。


2015082308絵馬18460a4
↑before(8月下旬) ↓after
案内板 全景(新谷)  


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摩尼寺紅葉コンサート2015にむけて(10)

yomiuri1022press.jpg yomiuri1022.jpg 読売10月22日


掲示ボード原寸検査とコンサート会場下見

 長谷川きよしさんのソロコンサートが3日後に迫り、21日(水)のゼミは全員が境内で準備に臨みました。境内本堂斜め前には、登録有形文化財認定証の掲示サインボードが立ち上がっていました。昨年まで本学に在籍した社長さんの設計で、施工は加藤家住宅以来お世話になっている池田住研さんです。


ブログ1枚目CIMG4767 原寸検査


 すでに報じられているように、絵馬掛けを撤去して、このボードを立てているのですが、ボードの背面に絵馬掛けを継承しています。構造は2本柱から4本柱の薬医門風になりましたが、全体のスケールを押さえているので、本堂前の風景がさっぱりしました。4本柱にした結果、構造は安定し、屋根は招き屋根となって、登録証の保護に効果を発揮します。
 この日は、まだ案内シートがは貼り付けてありませんでした。先生と業者さんで、どの色、どのフォントを採用するか、原寸で検討
され、木曜日に専門業者さんがシートを貼り付けるそうです。
 コンサート当日の13時から、サインボードの除幕式をおこないます。


ブログ3枚目CIMG4788 除幕式会場


 その後、コンサート会場になる善光寺如来堂の下見をし、業者・住職代理とともに会場設営の構想を固めました。プロのミュージシャンの要求は厳しいので、対応が大変だと思いました。
 摩尼寺の有形文化財登録を記念して行われる今回のライブですが、ASALABが7年間取り組んできた摩尼寺が多くの人に知ってもらえると思うと、ゼミの一員である私個人としても非常に嬉しく思います。お話を聞いていると、チケットの売れ具合は満席に近い状態で、県内からはもちろんのことですが、県外では兵庫や岡山、遠いところでは北九州市からこられるお客様もいるとのことで、長谷川きよしさんのコアな人気がうかがえます。今回のライブにおける確かな手ごたえが学生である私なりにも感じられました。ライブまで残り2日になりました。ゼミ生一同気を抜かず全力で準備・サポートし、すべてのお客様に満足の行くライブになるよう尽力していく所存です。(笑上戸20)


ブログ2枚目CIMG4804 善光寺如来堂


 前売りチケットはあと10枚ばかりになりました。前売りは明日までです。

   【WEB申込専用フォーム】 http://prt.nu/0/mani
   【ドリームプロジェクト】 ℡0857-21-8455   Fax.0857-29-7600
   【事務局】  Fax.0857-38-6775  e-mail: [email protected]


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倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(ⅩⅩⅥ)

151018作業風景  


河原町の町並み緑化(1)

 18日の倉吉調査には、もう一つ目的があった。河原町の町並み緑化の実験が始まったのだ。社地区での調査を終え、河原町のAさんを訪問した。すでにAさんの活動は開始されていた。16日のメールを抜粋転載させていただきます。

  (略)腰痛に一番良く効く日にち薬のおかげで、懸案の緑化作業に取り掛かることが
  できました。本日の作業はI邸の緑化植物をプランターに植えて壁面下に設置まで。
  設置に際して壁面周辺に草が沢山生えており、(略)粒状除草剤を散布しました。
  プランターの個数は7台です。 (略)ツタの仲間の初雪カズラを植えました。(略)


初雪かずら0002


 このように河原町I邸のコンクリートブロック塀を緑化によって修景する実験に着手されたので、私たちもそのお手伝いをさせていただいた。「初雪カズラ」(↑)という蔓性植物をプランターに植え、それが育つことで塀が緑で覆い尽くされる。今回は塀の前にはびこる枯草や邪魔な枝などを片付けた。雑草は除草剤によって後々枯れていくとのことであり、また、成長の具合によっては、プランターから土へじかに植え替える可能性もあるとのことだった。
 植物が十分に成長して緑化が完成するには長い時間がかかるとも話しておられたので、焦らず気長に取り組んでいく必要がある。(きい)

151018緑化
↑作業前 ↓作業後
151018緑化②

倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(ⅩⅩⅧ)

151018法華寺畑遺跡


伯耆国庁跡周辺の遺跡と地形

 10月18日(日)。史跡「伯耆国庁跡」を中心とした現地の地形を把握するため倉吉市の社地区を訪れた。他の四年生二人にも写真撮影などを手伝ってもらいながら、伯耆国庁跡周辺の農地や久米ヶ原丘陵の大谷集落などを巡った。
 国庁跡の東側に位置している国史跡「法華寺畑遺跡」を基点として活動を開始した。法華寺畑遺跡は現在、史跡を囲む柵列と溝が復元されており、150m四方に区切られた敷地がすぐに視認できる。実物大復元されている西門から中へ入り、遺跡の北側半分に連続している三棟の建物跡、北西隅以外の各隅に位置する建物跡を確認した。
 この法華寺畑遺跡は8世紀~10世紀代に存続し、その間に3時期の変遷を辿っている。最も栄えていたのは2期であるとされ、当初は役所として利用されていたものが、後に国分尼寺になったと推定されている。


151018法華寺畑遺跡内部
↑↓法華寺畑遺跡の内側
151018法華寺畑遺跡内部②


 法華寺畑遺跡の南側には伯耆国分寺跡がある。今回の目的は国庁跡周辺の地形把握だったため、国分寺跡は軽く写真撮影するにとどめた。金堂や講堂などの基壇が復元されており、法華寺畑遺跡と合わせて「伯耆国分寺・法華寺畑遺跡歴史公園」となっている。普通、僧寺と尼寺が接近して建てられることはない。しかし伯耆国の場合、法華寺畑遺跡と国分寺跡の位置関係から分かるように非常に近い場所に建っており、伯耆国の特徴の一つでもあるという。


151018伯耆国分寺


 その後、国庁裏神社を経由して国庁跡の位置まで移動した。国庁跡の看板から西の方向へ歩き、大山東麓由来の丘陵地にある農地を観察した。推定される国府域を地図に記したものを用意していたのだが、実際に歩いてみると思っていたより距離があることに気づいた。伯耆国府は方6町だという考えが定説であり、今回歩いたルートは中村保『因幡・伯耆の町と街道』(富士書店、1997)という文献を参考にしたものである。前回の社地区訪問では行かなかった場所にも足を伸ばせたので、国庁跡周辺の地形と農地の把握が捗った。
 農地では、古代条里の痕跡らしきものも探しながら歩いてみたのだが、私の勉強不足で確信の持てるものが発見できなかった。次回は痕跡を自分で発見できるようにする必要がある。


151018国庁跡
↑伯耆国庁跡 ↓国庁跡周辺の農地


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心のなかの部屋(1)

Room in Your Heart [p1(トビラ)] トビラ p.1


    心のなかの部屋

       ブータンの民話

  テキスト(創話):  クンサン・チョデン
  イラスト:      ペマ・ツェリン


Room in Your Heart [p2] Room in Your Heart [p3] p.2-3


  首都ティンプーの東、トンサの西にそびえる
  高い山のあるところで
  おばあさんが小さな家に住んでいました。

  灰色のネコ、
  黄色いイヌ、そして
  茶色いまだらもようのメンドリが
  イロリを分かちあって
  いっしょにくらしています。


Room in Your Heart [p4] Room in Your Heart [p5] p.4-5


  ある日の夕ぐれ、太陽がしずむにつれて
  かげは大きくなり、
  ゆうげがカマドの上でコトコト
  にたってきたころ、
  おだやかな声がとつぜん耳にとどきました。

    夜もふけてきた。
    ネィポ ション マ?*1
    (私の居場所*2はありませんか?)


Room in Your Heart [p6] Room in Your Heart [p7] p.6-7


    赤いけさをきたみすぼらしいお坊さんが
    戸口に立っていました。


Room in Your Heart [p8] Room in Your Heart [p9] p.8-9


   おばあさんはお坊さんをよろこんでむかえいれ、
   仏だんにちかいかみざに
   すわってもらいました。

   おばあさんがカマドにのせたポットをかきまぜ、
   食事をだそうとしたそのとき、
   お坊さんがせっかちな声をあげました。

     この手紙を、おくれないように、
     トンサまでとどけなければなりません。        
     でも、ふくらはぎがパンパンです。
     つかれているので、すこし休まなければ・・・
     わたしの居場所はありませんか?


ブータン 地図


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遊牧の彼岸-アムド高原の青い海(Ⅳ)

02草原03旗02全景 02草原02歌手01


タルチョの歌姫

 西寧から同仁を経由して夏河までやってきた。これから青海湖まで移動する。その道のりは昨日までの逆行であった。日程表には7時間の移動と書いてあるが、たぶん8~9時間を要するだろうとのこと。偏見なきようご理解いただきたいので、敢えて述べておくと、高速道路は結構整備されているし、今も建設中である。ブータンの山道とは比較にならない舗装道路の連続で、「酔い」に悩む自分にとってはありがたかった(車が小さいのが玉にキズ)。
 西寧までの道はいちど通ったはずだが、新しい発見がいくつもあった。往路では雨模様で夕暮れでもあり、視界が不明瞭だったが、復路は真昼の移動である。


02草原01植物01 ←薄紫の高山植物(クリック!)


 まず山越えがあり、標高3,000m付近にあるタルチョを訪れた。峠は「境界」としての聖域であり、そこに宗教的演出を加えているのだ。タルチョは円錐形テントの架構に五色旗を取り付けたものである。青・白・赤・緑・黄はそれぞれ天・風・火・水・地を象徴する。ブータンにも五色旗はあるが、円錐形架構を組むことはない(少なくとも見ていない)。樹木の枝や橋の架構などを利用して旗をかける。ダルシン(経典旗)とはまた少し違うものであり、マニ旗ともいう。タルチョの向こうに人影がみえた。遠くの棚の上に女性が立っている。どうやら、その人は歌手であり、プロモーションビデオの撮影をしているようだった。その向こうに広大な草原のパノラマが展開する。絶景哉、絶景かな・・・
 ガイドはこの峠の標高を3,100mぐらいだと言った。肌寒さとともに、草原の高山植物(↑)が海抜高度を訴えている。


03車窓の羊と畑01


水と草を逐う羊たち

 さらに進んで同仁に近づくにつれ、羊が目立つようになる。車窓の点景というよよりも、車窓に迫る勢いで羊たちは群れをなし、道路に上がってくる。その下には川がある。大草原を切り裂く川が放牧地の鍵を握ることはすでにシリーズの()で述べたとおりである。
 そうした水と草を逐う羊たちの群れを通り過ぎていくと、なだらかな大草原に遊牧民のテントがあらわれた。恥ずかしい話だが、「遊牧民」は現存しないと思い込んでいた。1930年代に遊牧民はいたかもしれないが、いま存在するのは定住化した「半農半牧民」であり、かれらは雑穀を栽培しながら羊を放牧しているという固定観念に縛られていたのである。


03車窓の羊と畑02水流



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遊牧の彼岸-アムド高原の青い海(Ⅲ)

01ラブラン寺03 01ラブラン寺01


ラプラン寺-修行洞遠望

 9月18日(金)。夏河のラプラン(拉卜楞)寺は、青海省では西寧のタール寺とならぶチベット仏教の大寺院である。境内の前に門前町(土産物街)が形成され、さらにその外側に夏河の街に近接して観光センターと大駐車場がある。駐車場から境内まで歩いて20分ばかりかかる。門前で結構待たされた。顕教のエリアのみだが、参観は団体に組み入れられ、案内役の僧が同伴する。しかも、バトンタッチ制で僧は交代する。
 その門前広場から密教エリアの向こうの山腹に多くの修行洞建物がみえた。30棟以上はあるだろう。これが近そうで、なかなか遠いのである。案内僧がようやくあらわれ、医薬学院-文殊佛殿-喜金剛学院-大金瓦殿-聞思学院の順に見学した。チベット医学・薬学を15年ばかり学ぶ医薬学院、文殊菩薩を本尊とする文殊佛殿、本尊の金剛菩薩を中心に両脇に緑と白の多羅菩薩を祀る喜金剛学院などである。


150918 ラプラン寺 喜金剛学院 
↑喜金剛学院 ↓Bocshレーザー距離計
01ラブラン寺04レーザー距離


 顕教のエリアを一通りみて解散となった。多くの仏殿が軒を連ねるなかで、最も目をひいたのが山腹に建つおびただしい数の修行洞建物である。建物にはブータンと同様、白い壁に赤い帯(仏教施設の象徴?)を確認できる。それらの近くまで近づきたかったのだが、境内奥は密教エリアとなり、立ち入りは禁じられた。ここで、出国前に購入した高性能レーザー距離計を取り出した。計測限界は250m。修行洞めがけてレーザー光線を飛ばしてみたが、届くはずもなく・・・(仕方ないので近くの施設との距離を測ってみた↓)。無理をすれば、顕教の側から山道を通ってアクセスできそうではあったが、夏河から青海湖までは車で7時間以上かかる。修行洞の観察は次回の楽しみにとっておくことにした。


150918 ラプラン寺 山腹の白壁建物 3
↑↓修行洞
150918 ラプラン寺 山腹の白壁建物 2  



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摩尼山の三十三観音石仏(1)

20151015圧縮石仏019373be


石仏と六角堂の調査

 10月11日(日)。ケント先輩をリーダーにして、テングサ、人鳥男爵と私の計4名は摩尼寺境内から立岩までのルート上にある石仏群と六角堂の調査を行いました。境内から立岩までのルート上の石仏は2011年度のプロ研でいちど調査されており、今回の調査でも当時作られたデータベースを下敷きにさせていただきました。日曜日は天気予報が曇りとなっており、雨が降るかもしれないという不安がありました。以前作成された石仏データベースの記載順に確認していったのですが、データベースを作成した当時とは石仏の場所が異なっていたものが数体あり、四苦八苦しました。さらに、雨に降られてしまい、早めの昼食をとって様子を伺うことにしました。昼食後数十分で雨が止んできたので調査を再開しました。

 調査再開後数十分で如来堂裏にある石仏の調査は終了しました。このあと山道を登りつつ道中の石仏と六角堂の調査を行いました。西国三十三観音像の設置場所は道中に2ヶ所、立岩付近の1ヶ所の合計3ヶ所にありました。


151011 石仏調査2 151011 石仏調査1


 摩尼山の西国三十三観音石仏については、郷土の民俗学者、田中新次郎さんの『因幡の魔尼寺』(鳥取県民俗研究会、1958:p.59)に記載されているものです。当該部分を引用してみましょう。

  次の四点は鳥取市元魚町大谷文治郎所有に係わる「廃寺ノ尊像ナルヲ明治二十九年五月遷座ス」とあります。つまり、大谷家が石仏等を寄進していた寺が廃絶してしまい、それを摩尼山に移設したということです。内訳は、

   一、地蔵菩薩        六体  丈一尺六寸
   一、奥の院弘法大師     木像  一尺厨子入
   一、奥の院 虚空蔵菩薩  石立像 丈三尺
   一、同    不動明王 同上(奥ノ院、通路三ヶ所)
   一、西国三十三ヶ観世音菩薩  三十三体
    以上四十

とあります。今回調査した西国三十三観音石仏は明治29年5月に遷座されたものであると考えられます。なお、元の資料は摩尼寺宝物帳であり、信ぴょう性は高いと思われます。しかし、仏像や台座を調べてみましたが、それを裏付ける文字は彫られていませんでした(下写真)。表には台座に西国三十三カ所の寺名と番号が、裏には光背に番号が彫られていました。先生は、裏側に大谷岐山などの町人名(寄進者)と年紀が書いてあったと言われます。たしかに、背面の写真を取り忘れた石仏が多く、調査の方法に不備がありました。参考までに述べておくと、「奥の院」の虚空蔵菩薩立像の裏には文化6年(1809)の年紀が彫られており、大谷家からの寄進であることも分かっています。三十三観音石仏の年代もこれと近い可能性が高いでしょう。


151011 西国三十三観音像23体目  151011 西国三十三観音像23体目 裏



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遊牧の彼岸-アムド高原の青い海(Ⅱ)

150817 同仁-夏河 タンカ地形 丹霞地形


 9月17日(木)。同仁の朝は肌寒い。朝食のお粥にのせた梅干が寝起きの体に喝を入れてくれる。朝食後、さっそく夏河に向かって出発した。大草原の南下が始まる。昨日から車窓に映る風景はみて、先生は懐かしげでした。いわゆる「カルストもどき」の丹霞(たんか)地形が広範囲にみられるからだ(↑)。石灰岩ではなく砂利岩の隆起地形。福建や湖南などでは世界自然遺産・世界ジオパークに登録されていますが、青海省のそれは未登録だそうです。


150817 ロンウォ寺 大経堂  150817 ロンウォ寺 大経堂 裏


ロンウォ寺

 ホテル出発から10分ほどで隆务(ロンウォ)大寺に到着した(↑↓)。入口の門には「国家級旅遊景区」との表記がある。ロンウォ寺はもともとニンマ派であったが、1400年頃に文殊菩薩の生まれ変わりとされるツァンカパによりゲルク派に改宗した。ツァンカパはゲルク派の創始者である。
 門をくぐり馬頭明王殿に足を運んだ。本尊は金剛菩薩。馬頭明王殿の奥には大経殿が建つ。正面からみて、大経殿は白壁の建物かに思われたが、建物背面あたりは黄色く塗り替えられている。建物内部では奥の仏壇の位置にあたる。仏を祀る場所を壁面の色を変えることで表現しているのであろう。さらに奥へと進んでいったが、途中で僧侶に止められた。ここから先は「活仏」の住まいであり、俗人の立ち入りは禁じているという。密教のエリアということだ。

  馬頭金剛-大経堂-?-千佛釈迦牟尼殿-夏日倉霊塔殿-吉祥天母殿-聞思学院弁経院


0917longwo02.jpg 0917longwo01看板01


ゴマル寺

 ゴマル(郭麻日)寺は門の外側に巨大なチベット式ストゥーパがあって、よせばいいのに上まで上った(のぼらされた)。わたしがいうところの頭塔型の五重塔である(↓)。各階プラットフォームの水きりは結構勾配がきつく、もちろん手すりもないので、高所恐怖症の身にはつらかった。


150817 ゴマル寺 ストゥーパ  150817 ゴマル寺 ストゥーパを登る


センゲマンゴ下寺

 センゲマンゴ寺は上下2寺に分かれている。中国語で下寺(↓)は「下吾屯寺」という。境内に人気がなく、仏堂が開いていない。寺のほとんどの僧はタール寺の大法要に出向いてしまったのだろうか。しばらくして、一人の少年僧が日本語で話しかけてきた。仏堂を開けてほしいとお願いしたところ、鍵を持ってきて開けてくれた。内部の撮影を交渉したら、驚いたことに、了承が出た。大经堂と文殊菩薩堂を見学し、千手観音堂に向かった。本尊の千手観音を中心に、十数体の仏像が壁に沿ってコの字に並ぶ。その仏像一つひとつが洞穴を模した穴の中に鎮座している。洞穴の内部で僧が瞑想し、悟りを開こうと修行を積んでいる姿が表現さえているのだ。


0917センゲマンゴ01


 案内してくれた若い僧は片言ながら日本語を話し、聞き取ることができた。「こちらになります、どうぞ」と境内を案内してくれた。どこで日本語を学んだのかを聞くと、日本のアニメを観て覚えたという。「進撃の巨人」や「ワンピース」のファンなのだ。中国でも日本のアニメが放送されており、科白は日本語のままだが、字幕で中国語が表示される。それを聞いて日本語を学ぶというのだから、改めてサブカルチュアの威力に驚かされた。

 いったん市街地に戻り、軽い昼食をとって、午後からは吾屯上寺を訪問した。


0917センゲマンゴ03 0917センゲマンゴ02

0917センゲマンゴ04
(上)左から2番めが日本語を操る少年僧 (下)千手観音
0917センゲマンゴ05

0917センゲマンゴ06ikibotoke
↑活仏の「像」です。左上の写真が本物の僧であり、活仏像は精巧なレプリカというよりも、整形されたCGのようなものか?


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とんまなプージャ

仏壇前の飾りトンマ02up01


 出家したブータンの稚児僧は小学校レベルの教育としてトルマづくりを学ぶ。トルマはしばしばトンマときこえる。上の写真のまるい団扇のような飾りがトンマ、じゃなかった、トルマである。材料は米粉、砂糖、バター。つまりお菓子のようなものなのだが、プージャ(お祈りの儀式)が終われば食べるのかどうか・・・うる覚えだ・・・ちなみに下の方にみえる蝋燭はバター油ランプである。

 このページの写真はティンプー在住のガイドの自宅である。「無事帰国しました」メールの返信メールに添付されていた。本文を抜粋して訳しておく(ウタムさん、ごめん)。

    定例の家内プージャ(お祈りの儀式)でとても急しいんだ。みなさんに感謝しています。
   みなさんからいただいたチップのおかげで助かりました。プージャの費用をチップでほぼ
   まかなえたんです。プージャは明日まで続いて終わります。

 まっ、わたし(たち)も偶には人のためになることをしていたりするわけです。それはさておき、トルマは調査した寺院でほとんど必ず飾られていましたが、なにぶん本堂の内部は撮影禁止なので、よい写真を撮影できなかった。仏像にしても、タンカ(仏画)にしても、トルマにしても、民家の仏間で撮るしかない。良い資料を送ってくれました。
 察するに、家の定例行事としてのプージャが頻繁にあるのでしょうね。出費がかさみ、家計を圧迫しているわけだ。いつもは羽振りのいいウタムさんが夜遊びにもでず、「お金がない」とこぼしていたからねぇ。金欠はNobodyだけじゃなかったんだ。


仏壇前の飾りトンマ01横01 仏壇前の飾りトンマ02圧縮doc

五郎 丸餅

 3日前、近くのイオンで沖縄物産展をやっていて、芋羊羹を買った。紫芋2本と薩摩芋3本が斑に並ぶ5本セットである。ふと横に目をやると、「五郎餅」という名の商品が並べてあって、とっさに意見した。

   -「五郎丸餅」って名前にしたら大ブレイクするんじゃない?

 五郎丸が眼鏡をかけたような屋台の男は、にこっと笑い、

   =そやね!! 帰ったら、上のもんに言うときますわ。

と答えた。わたしは考え直した。著作権というか商標権か、なんだかよく分からないが、きっと法律上の問題がある。そうしたややこしい問題をクリアするための方便に思いをめぐらせたのだ。

   -「五郎 丸餅」ってすればいいんだ!

 五郎丸が眼鏡をかけたような男はさらに笑って頷く。さもありなんでしょ。いまや五郎丸の活躍は浅田真央の復活を凌ぐほどの注目を集めているんだから。


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第4回れきまち研究会のお知らせ

 2015年度鳥取県環境学術特別研究費の助成による「倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査-歴史まちづくり法よる広域的景観保全計画にむけて―」の一環として、第4回れきまち研究会「アジア諸国の住居・集落研究と景観の保全」を下記の日程等で開催します。メンバーをみていただければ一目瞭然、研究室のOB・関係者が大集合します。おまけに、主題は「民族建築」。楽しみですね。
 クローズドの円卓会議ですが、傍聴ご希望の場合はご連絡ください。


  第4回れきまち研究会「アジア諸国の住居・集落研究と景観の保全」

 アジア各地でフィールドワークを展開する若手の研究者を招聘し、住居・集落研究の動向および景観の保全のあり方について討議する。国際的な視点からみて、山陰地方の倉吉や石見銀山大森の保全等に何が必要かを討議する。
 
   日時: 平成27年11月8日(土)11時00分~13時30分
   会場: カフェ黒田(八頭町郡家360−1)
   討論参加者:
    浅川 滋男・吉田 健人(公立鳥取環境大学)
    栗原 伸司(日本大学生物資源科学部准教授)
    山田 協太(京都大学地域研究統合情報センター特任助教)
    清水 拓生(大田市教育委員会教育部石見銀山課建造物係技師)
    宮本 正崇(mts一級建築士事務所代表)
    大給 友樹(和歌山県文化財センター技師)
  

ねずみのおばさん(1)

151008 Aunty Mouse p1トビラ トビラ(p1)

      ねずみのおばさん

        ブータンの伝統的な民話

    テキスト(再話): クンサン・チョデン
    イラスト: ペマ・ツェリン

151008 Aunty ouse p2 151008 Aunty Mouse p3 p2-3


 むかしむかし、タシ・ドマというまずしい少女が
ブンタンの村でくらしていました。
 少女は両親のいない子でした。お父さんもお母さんもなくなっていて、
ひとりきりで生活していたのです。
 まいにち少女は、村びとのため羊かいの仕事をしていました。
少女は羊たちを山腹(さんぷく)の放牧地につれていき、草を食べさせました。
 少女が羊たちを家につれて帰る夕べになると、
村びとは少女に夕ご飯のもてなしをしたものです。  【野間】


151008 Aunty Mouse p4 151008 Aunty Mousep5 p4-5


 羊が牧草をはんでいるあいだ、タシ・ドマはおおきな岩にすわり、
羊の毛をつむいでいました。
 少女は長いより糸をつむぎながら、紡錘車(ぼうすいしゃ:糸つむぎの道具)

   下へ 下へ 下へ

とさがっていくのをみるのが好きでした。
 お昼になると、少女は泉のほとりにある、
苔(こけ)でおおわれた土手にこしかけ、弁当を食べたものです。
 毎日少女はおなじ物を食べていました。ソバ粉のパンケーキ、
ケプタン(Keptang)です。
 ある日、少女がランチクロスからケプタンをとりだそうとしたとき、
とつぜん・・・


ブンタン(ジャッカル)の位置_01
↑ブータン王国の地図(ブータン旅行専門・ドラゴンツアーズ)
   www.dragontours.jp/about_geography.html
↓紡錘車
プロジェクト研究 ブータン 紡錘車



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上方往来・用瀬宿の町並み(1)

0928用瀬02表通り03


宿場町用瀬

 10月7日(水)、昨日の先輩のレポートの続きです。4限からゼミ生全員で上方往来用瀬宿の町並みを視察しました。来週より2年生の居住環境実習・演習Ⅰで用瀬の町並みをスケッチし、連続立面図を作成する授業が始まるので、そのための建物番付をおこなうことが今回の調査の目的です。なお、先生とケントさんはすでに一度ずつ下見されていました。
 到着後、表通りと裏通りを歩きました。表通りは江戸時代の参勤交代であった「上方往来」です(近畿方面からは「因幡街道」と呼ばれました)。用瀬はかつて本陣が置かれ、大名一行の宿泊地とされたのです。本陣クラスの大型町家は今でも2棟残っています。先生からは、建物2階部分の高さによって、建築年代を見分けることができると教えられました。新しくなるにつれて2階は高くなるということです。実際、大型町家の2階は非常に低く、江戸時代に遡る可能性を感じました。


0928用瀬02表通り01


 裏通りは水路(背戸川)に沿って蔵が軒を連ねています。用瀬の背戸川は河原や倉吉の鉢屋川・玉川などに比べて幅が広く、流れが急です。このため採寸が難しく、今年度は例年と異なり、最初に表通りの町家を描くことにしたそうです。
 町並みをほぼ一周し、ある特徴に気づきました。若桜宿の裏通りの町並みは妻入、河原宿は平入が圧倒的でしたが、用瀬町の場合、表も裏も両者が混在しているのです。ちなみに、妻入の建物は、「うなぎの寝床」敷地の場合、平入の建物と比べて屋根の高さを低くおさえることができ、コストが低く済むそうです。また、一通り歩いた後は、2年生の実習で描く建物の確認及び写真撮影を行いました。

0928用瀬02表通り02


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大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅣ)

 1007大雲院調査2 面皮の残る四天柱


大雲院でのサンプル採取

 10月7日(水)。天気が非常によく、気持ちの良いフィールドワークができました。今秋のゼミも先発隊4人と残りの後発隊に分かれました。先発隊は大雲院で後期初の調査をおこない、その後後発隊と合流し用瀬へ移動するという変則的なスケジュールでした。それというのも、某新聞社から大雲院取材の依頼があったからです。炭素14年代のサンプル採取が中断しており、課題のままだったので、その調査風景を撮影していただこうと考え、吉田・山本・三島・大石で緊急の調査隊を組織した次第です。
 私たちが大雲院に到着すると、会長さんがすでにいらっしゃいました。若い記者さんは大雲院の仏教美術品に圧倒され、ご住職と会長の説明をなかなか消化しきれないようです。わたしたちは、面皮の残る四天柱の根っこのほうでサンプル採取に集中していましたが、記者さんは建造物の調査までカバーしきれないといった感じでした。


151010圧縮01大雲院本堂内陣入側柱(面取角柱)サンプル採取箇所


 この柱での年輪サンプル採取は、じつは3度目です。前期の調査により、大雲院の前身たる霊光院本堂の棟札を翻刻し、享保六年(1721)の建立であることが判明しました。しかし、同時におこなった絵様・蟇股の編年研究により、近世~近代における本堂の建て替えは頻繁であり、むしろ18世紀後期以降の部材が多いのではないか、と推定するに至りました。そこで、科学的年代測定により、一部の部材年代を把握しようとして、面皮を残す柱からサンプルを採取したのです。一度めの調査では年輪数100以上と認識していましたが、サンプルの送付後、業者から連絡があり、本材は髄を含む心持材であり、残存年輪は65~70に修正すべきだと指摘されました。その後、夏休み期間中にケントさんが単独で1サンプル採取されたのですが、旧サンプルとの相互関係が不明瞭であり、また、3サンプルの年輪差が55年しかないことが判明したため、残存年輪をできるだけ活用すべく、3度目のサンプル採取をおこなったのです。
 年輪を数える手法は、これまでと同じで、実際に年輪を数えて5年輪ごとにマチ針を刺していきます。調査の結果、柱の年輪数は68年輪であることが確定しました。髄の位置では年輪幅が広すぎるので、髄に近接し年輪幅の短いサンプルを取り、既存のサンプル採取位置との関係もきっちり押さえました。調査後、記者さんからインタビューを受けたのですが、頭の中は美術品のことで、建造物まで手がまわらないという感じでした。いちおう私たちの調査風景を撮影していただいたのですが、報道がなされるか否か、と言えば、難しいような気がします。貴重な体験にはなりました。


1007大雲院調査3 1007大雲院調査4



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遊牧の彼岸-アムド高原の青い海(Ⅰ)

0916黄河源流01 黄河源流域


黄土高原とアムド大草原
 
 中国にいるとおかしくなる。腹を下しているわけでもないのに、午前だけで5回も厠に通うからだ。それは、胆嚢のない御前が中国の油を消化しきれないからだろうと勘ぐる貴方は間違っています。ケントがこういう症状に悩まされたのだ。唐辛子とラードの油質に日本人の消化系器官が適応しきれないのであろうか。 
 細かいことを言えばきりがない。4年ぶりの中国は変わったようで相変わらずのところである。日本からの旅客は確実に減少している。今の中国ではリピーターが増えるわけはない。しかし・・・すべてチャラです。笑って許しましょう。青海湖をみたから全部帳消し。峠から青海湖を眺め、言葉を失った。青海省に行って本当に良かった。


0916東関清真大寺01 東関清真寺(モスク)


 アムド(東北チベット=おもに青海省)はチベットもしくはヒマラヤを介してブータンと真反対の位置にある。風土は根幹から異なっている。ブータンはベンガル湾のモンスーンを受け入れて雨季と乾季の明瞭な東南アジア的気候であり、生態系も多様である。一方、アムドは乾燥冷涼の高地大草原で、もちろん草花に覆われているのだが、ところどころに露出している地層断面をみると、黄土高原との親近性を強く感じさせる。黄土高原が標高2500~3000mまで平行移動し地表に薄い緑の膜を張った茫茫たる無限大の彼岸である。
 青海省は新疆ウイグル自治区とともに「羌」の故郷である。羌とは羊を飼う遊牧民のこと。中原の文明と敵対した西方の騎馬遊牧民のようで、じつは中原文明の成立に大きく貢献している。中国最初の統一国家「秦」の兵馬俑の軍人たちこそまさにに「羌」の一群だと言う人もいる。最終日に参観した青海省博物館で最も驚いたのは、黄河中流全域に特有な仰韶(ヤンシャオ)文化が甘粛省を超え、青海省の西寧近辺まで及んでいることであった。紀元前5千年代から中原と青海省には文化的な交流ないし同一性が存在したということである。
 鍵を握るの黄河であろう。西寧から同仁に至る途中、黄河の源流域と交錯した。河岸におびただしい数の羊がいる。遊牧民はただ草原を移動しているのではない。古典に「水と草を逐う」と記されているとおり、草原と川(水流)のあるところを巡りめぐっているのだ。ここでもまた「流域」という地理的概念が文化的同一性の背景として厳然とある。


0916蓮華生大師(パドマサンバヴァ)タンカ01 0916蓮華生大師(パドマサンバヴァ)タンカ
↑蓮華生大師(パドマサンバヴァ)@青海チベット文化博物院 ↓白馬寺 
0916白馬寺01
 

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初級英語で読むブータンの絵本(1)

 また、プロ研が始まりました。前期に訳しはじめたクンサン・チョデン女史の Folktale of Bhutan はすでに訳本があることが分かったので、後期は夏休みにブータンで買い込んできた多くの絵本のうち再びクンサン・チョデン女史の絵本2作を翻訳することにしました。以下、授業概要です。

 <概要> 夏休みにブータンで2冊の絵本を手にいれました。著者はクンサン・チョデンという女性で、有名な民話をわかりやすく書き直しています(文字数は少なく、イラストは大きく綺麗)。1年生は『ねずみのおばさん(Aunty Mouse)』、2年生は『心のなかの部屋(Room in Your Heart)』を読みます。ブータンの公用語はゾンカ語と英語であり、これらの絵本は小学生が英語を学ぶための教材です。この絵本を日本の小学生が読むためのテキストに翻訳します。発表会では訳本を配布し、内容をパワーポイントでプレゼンします。
 なお、授業の折り返しにあたる11月には「秋のブータン食祭り」と題して、ほかほかの赤米、激辛エマダツィ(チーズを絡めた唐辛子の炒め物)、蕎麦粉パスタなどをみんなで試食し、ブータン文化の理解とコミュニケーションの向上を図ります。 食材の大半はブータンで買いそろえてきたものです。お楽しみに!

 <到達目標> 
 1. 短い英文の昔話を題材に、初級英語の基礎を再確認する。
 2. 読みやすい訳文を考え、日本語表現力を高める。
 3. 絵本の画像スキャン、切り張り、編集などのスキルを身につける。
 4. 集団でコミュニケートし、わかりやすいストーリーを描きあげ、日本語の
    絵本に仕上げる。
 5. 絵本を通して、ブータンの環境と文化の理解につとめる。
 6. 全員協力して、翻訳した民話のストーリーを発表する。

【図書情報】
1. 『ねずみのおばさん』 Aunty Mouse
 著者: クンサン・チョデン Kunzang Choden
 挿図: ペマ・ツェリン Pema Tshering
 出版: Raj Press
 初版: Young Zubaan(2011)
 ISBN: 978-81-89884-94-9


Aunty Mouse
↑表紙 ↓裏表紙
Aunty Mouse [p34(裏表紙)]圧縮

【裏表紙の訳】
 貧しく身よりのない少女タシ・ドマは、ネズミの巣穴(すあな)にころげおち、穴に棲むすてきなねずみのおばさんの力をえて、おもいもよらぬ宝物を手にします。ところが、甘やかされたお金もちのいじわる娘が同じ経験をしようとするのですが、娘へのおくりものはま反対のものなんです!
 ブータンのゆかいな民話が、国を代表する作家クンサン・チョデンによって語りなおされ、芸術家でボランティア芸術スタジオ(VAST)の創設者ペマ・ツェリンによって描かれます。


2. 『心のなかの部屋』 Room in Your Heart
 著者: クンサン・チョデン Kunzang Choden
 挿図: ペマ・ツェリン Pema Tshering
 出版: Raj Pres
 初版: Young Zubaan(2011)
 ISBN: 978-81-89884-95-5 

Room in Your Heart
↑表紙 ↓裏表紙
Room in Your Heart [p34(裏表紙)] 

【裏表紙の訳】
 「ネイポ・ション・ナ(私の居場所はありますか)。」
 さすらいの僧侶は丘に住むおばあさんにたずねます。
 客人がぞくぞくとやってくるたびに
 この問いかけがなんどもくりかえされました。
 しんせつなおばあさんは喜んでひとりずつ中にいれていきます。
 どうすればおばあさんのちっちゃなおうちに
 みんなをおさめることができるのでしょうか。

 ブータンを代表する作家のひとり、クンサン・チョデンがあらわした
 このすてきなお話は、心のひろさとおおらかさについての
 たいせつな教えをふくんでいます。

 ブータンの風景と人びとを、ボランティア芸術家スタジオティンプー
 の創始者、ペマ・ツェリンが水彩画で活き活きと描きだします。


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摩尼山~砂丘ミニトレイル(Ⅷ)

150930 オアシス広場から砂丘会館


「愛の小径」をつきぬけて

 9月30日(水)、後発隊は摩尼寺門前から鳥取砂丘会館まで歩きました。メンバーは3年生とココアさんと私です。今回は巡礼トレッキング大会でいちばんの懸案事項となっている湯山集落~ラッキョウ畑の中間にある「愛の小径」を実際に歩いてみました。
 まず摩尼寺門前から林道へ入ったのですが、林道に入る少し前の道から道の片側がコンクリートになっていました。林道へ入ってみると草が繁茂しており、草をかき分けて進んでいきました。この辺りは草刈りを行った方がいいかもしれません。


150930 愛の小径


 いつもの林道を歩いて湯山に下り、そこから10分くらいでラッキョウ畑には辿りつけるのですが、懸案の風景については「教育的によろしくない」など、全員がこのコースはやめておいた方がいいという意見で一致しました。少し遠回りになりますが、前回歩いた旧道を選択するしかないかもしれません。


150930 ラッキョウ畑


 その後ラッキョウ畑に着きましたが、前回とは異なり、ラッキョウが等間隔に植えられており、数本のラッキョウはつぼみになっていました。ラッキョウの花が咲き誇るのは10月下旬~11月上旬なので、11月7日に行われるトレッキング大会での見どころになるのは間違いないでしょう。

 ラッキョウ畑を今後の楽しみにしつつ、鳥取砂丘オアシス広場から鳥取砂丘会館を歩きました。砂丘会館までの道は歩道と自転車道が一本道として整備されておりとても歩きやすかったのですが、雑草が道の両脇から繁茂しており視界が少し悪いことが問題になると思いました。(Nobody)


オアシス広場から砂丘会館

摩尼山~砂丘ミニトレイル(Ⅶ)

まにCIMG0466


摩尼山一周

 9月30日(水)、後期の第1回ゼミは摩尼山周辺でのトレックとなりました。10月24日の紅葉コンサート、11月7日の巡礼トレッキングを控え、ゼミ全体の気分を高揚させることを先生が考えられてことと思われます。前期と同じく、3限に授業のある者とない者がいりので、先発隊・後発隊に分かれました。以下の班分けです。

 【先発隊】門前~奥の院~立岩~摩尼寺境内(吉田、三島、山本、大石)
 【後発隊】門前~湯山~らっきょう畑~オアシス広場~砂丘会館
       (高後、浅木、石田、木村、武田)
 
 先発隊のトレック終了後、山本・大石は後発隊に合流、吉田・三島は先生や住職とともに文化庁主任文化財調査官との協議をおこなわれました。


まにCIMG4449


 活動の流れ: 茶屋の脇を通り抜け、「奥の院」へと続く小道をゆっくりとした足取りで進んでいきました。途中、小さな洞穴を発見しました。懐中電灯で中を確認すると、かなり奥まで続いていることが判明しました。冒険気分で入ろうとしましたが、底なし沼のような土壌であり、突入を断念しました。 「奥の院」で他の登山客に遭遇しました。登山客は二人組で如来堂の裏手にある道から立岩を経由してここまで来たようです。「奥の院」のシイタケはまったく成長していません。というよりも、泥棒対策で日陰に移したことでホダギが腐朽してしまったようです。ちなみに、いつもは大量に秋期の収穫がなされた大学裏山の「茶室」周辺でもシイタケはできていません。今夏の長雨が影響したのかもしれません。
 シダ植物が両脇で生い茂る道を通り、立岩まで辿り着きました。境内に下りる道には西国三十三石仏や六角堂があり、あとで協議の結果を聞いたところ、それらが重要な研究課題になったとのことで、ちゃんと調査しておけば良かったと悔やんだ次第です。

 感 想: ブータンに行く前、登山の練習で吉田さんや山本さん、武田くんと一緒に「奥の院」「立岩」まで登りました。その際は、測量器具など重装備で臨んだためとても大変でした。今回は重い機材を持つ必要がなかったため比較的負担が少なく済みました。登山用の靴や衣類を着用しており、楽しく登山することができました。ただ、砂丘会館付近まで来ると疲れが出始めました。毎回、ゼミのフィールド活動では体力を使い果たしてしまっています。何とか最後まで全力で取り組むことができるようにしたいものです。


maniCIMG4469.jpg

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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