第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」の記録(4)
一合升のアレンジフラワー
このビニールハウスの中で昨年の暮れにアレンジフラワーをしました。公民館の落成記念で作った一合升を再利用したのです。公民館台所の上の戸棚に、捨てるに捨てられず残っていたその一合升を容器として、その中に生け花用のスポンジを入れて準備しました。中身の松は早川館長が松の枝を伐ってくださったものを短く切断して利用しました。南天は町内の横田さんが、うちにあるからといって持って来て下さったものを使いました。菊花など一部購入したものもありますが、ほとんどが地域のみなさんから提供されたものでまかなえました。アレンジフラワーを作った人がそれぞれ自分のものとしてもって帰って飾るのではなくて、これを「文化を守る会」の軍資金にしてくれと言って、みなさんが提供して下さいました。欲しい人には買ってもらいました。浅川先生からも500円むしり取って、このアレンジフラワーを買ってもらいました。(
○司会 「財布に800円しかなかった」
途中でガソリンがなくなったらどうしょうと、浅川先生は心配しながら、それでもまあ無事に帰られたようで、良かったのですが・・・要するに作品を自分のモノにしたいとか、儲けようとか、そういうことではないということを申し上げたいのです。
お金をかけず心豊かに楽しいときを過ごしつつ、少しだけ運営資金を儲けて、その資金を周辺の人に喜んでもらえることに使いたい。これが「河原町の文化を守る会」のメンバーの心意気です。
自分の物としてしまわずに
儲けたお金は一体どうなるのでしょうか。儲けたお金は、先ほど申しました「地蔵ぜんざい」や「かす汁」や「豚汁」に変わります。こんど、春の地蔵祭にはこれは「地蔵きな粉餅」に化けてしまうのです。「かす汁」についてですが、これも町内の人が、冬の地蔵祭の時に、「今度そこで何だかしなるようだけども、これ天野さん使ってえな」と言って、酒粕を持ってきて下さったものです。それを有効利用しようと、「かす汁」にして無料でふるまったのです。
それから、先ほど「まんじゅう」をお配りしましたね。「天野さんのところに何だか椅子がようけあるけど、人が来ならへんかえ。ちょっとこれもらい物だけどみなさんでどうぞ」といってもってこられたものです。そういうふうに、自分の物としてしまわずに、みなさんに楽しんでもらうために物を提供したいという、里山に生きているような人がこの地域にはおられる。
自分の物にもならない、名誉にもならない、一体何が残るのかというと、お金では買えない充足感。来てよかった、参加してよかった、また来たいと、そういう充足感が得られる。それから住民同士の連携。「あの人は今日来とんならんけど、元気にしとんなるだらあか」という気配りができる。「このごろちょっと落ち込んどんなるけ誘ってみてあげようか」「朝市にちょっと手伝ってえなとさそってみようか」と、そういう気配りができる。ぼけ防止にもなる。それから無縁社会がすすみ、孤独死などが大きな問題になっていますけれども、そういう住民同士のネットワークが充実していくことによって、無縁社会になって行くのを防げるようになる。それから、なにか大きな地震や災害があったときに、日ごろ親しくしている方への対応がより早くできるのではないか。そういうプラスの面もどんどん生み出ていると思います。
輝く光齢者
最後にばか者とは一体何なのかについてお話しします。米子のほうでは「だらずさま」というキャラクターがあるようですが、ここでいう「ばか」と「だらず」とは違うのです。ばか者とは一体何なのか。
【ばか者】常識にとらわれずに斬新な考えと向上心をもって挑戦し続ける者。
年をとるということは老化ではなくて成熟である。高齢者はますます輝いて「光齢者」になってく。そういう人がばか者です。物知り顔の常識人ぶって、「どうせ何をしたっていけらあせん、どうせ限界集落だ、もう空き家だらけで猫とおばあさんだけの町になってしまう」と言ってみたところで、現状がどうなるものでもありません。そうではなしに、やれることはまだまだあるはずだ、とチャレンジしていく。チャレンジ精神をもつ事と年齢とは関係ありません。チャレンジ精神のある人たちが「文化を守る会」に集まって来ているのです。
このビニールハウスの中で昨年の暮れにアレンジフラワーをしました。公民館の落成記念で作った一合升を再利用したのです。公民館台所の上の戸棚に、捨てるに捨てられず残っていたその一合升を容器として、その中に生け花用のスポンジを入れて準備しました。中身の松は早川館長が松の枝を伐ってくださったものを短く切断して利用しました。南天は町内の横田さんが、うちにあるからといって持って来て下さったものを使いました。菊花など一部購入したものもありますが、ほとんどが地域のみなさんから提供されたものでまかなえました。アレンジフラワーを作った人がそれぞれ自分のものとしてもって帰って飾るのではなくて、これを「文化を守る会」の軍資金にしてくれと言って、みなさんが提供して下さいました。欲しい人には買ってもらいました。浅川先生からも500円むしり取って、このアレンジフラワーを買ってもらいました。(
○司会 「財布に800円しかなかった」
途中でガソリンがなくなったらどうしょうと、浅川先生は心配しながら、それでもまあ無事に帰られたようで、良かったのですが・・・要するに作品を自分のモノにしたいとか、儲けようとか、そういうことではないということを申し上げたいのです。
お金をかけず心豊かに楽しいときを過ごしつつ、少しだけ運営資金を儲けて、その資金を周辺の人に喜んでもらえることに使いたい。これが「河原町の文化を守る会」のメンバーの心意気です。
自分の物としてしまわずに
儲けたお金は一体どうなるのでしょうか。儲けたお金は、先ほど申しました「地蔵ぜんざい」や「かす汁」や「豚汁」に変わります。こんど、春の地蔵祭にはこれは「地蔵きな粉餅」に化けてしまうのです。「かす汁」についてですが、これも町内の人が、冬の地蔵祭の時に、「今度そこで何だかしなるようだけども、これ天野さん使ってえな」と言って、酒粕を持ってきて下さったものです。それを有効利用しようと、「かす汁」にして無料でふるまったのです。
それから、先ほど「まんじゅう」をお配りしましたね。「天野さんのところに何だか椅子がようけあるけど、人が来ならへんかえ。ちょっとこれもらい物だけどみなさんでどうぞ」といってもってこられたものです。そういうふうに、自分の物としてしまわずに、みなさんに楽しんでもらうために物を提供したいという、里山に生きているような人がこの地域にはおられる。
自分の物にもならない、名誉にもならない、一体何が残るのかというと、お金では買えない充足感。来てよかった、参加してよかった、また来たいと、そういう充足感が得られる。それから住民同士の連携。「あの人は今日来とんならんけど、元気にしとんなるだらあか」という気配りができる。「このごろちょっと落ち込んどんなるけ誘ってみてあげようか」「朝市にちょっと手伝ってえなとさそってみようか」と、そういう気配りができる。ぼけ防止にもなる。それから無縁社会がすすみ、孤独死などが大きな問題になっていますけれども、そういう住民同士のネットワークが充実していくことによって、無縁社会になって行くのを防げるようになる。それから、なにか大きな地震や災害があったときに、日ごろ親しくしている方への対応がより早くできるのではないか。そういうプラスの面もどんどん生み出ていると思います。
輝く光齢者
最後にばか者とは一体何なのかについてお話しします。米子のほうでは「だらずさま」というキャラクターがあるようですが、ここでいう「ばか」と「だらず」とは違うのです。ばか者とは一体何なのか。
【ばか者】常識にとらわれずに斬新な考えと向上心をもって挑戦し続ける者。
年をとるということは老化ではなくて成熟である。高齢者はますます輝いて「光齢者」になってく。そういう人がばか者です。物知り顔の常識人ぶって、「どうせ何をしたっていけらあせん、どうせ限界集落だ、もう空き家だらけで猫とおばあさんだけの町になってしまう」と言ってみたところで、現状がどうなるものでもありません。そうではなしに、やれることはまだまだあるはずだ、とチャレンジしていく。チャレンジ精神をもつ事と年齢とは関係ありません。チャレンジ精神のある人たちが「文化を守る会」に集まって来ているのです。