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第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」の記録(4)

一合升のアレンジフラワー

 このビニールハウスの中で昨年の暮れにアレンジフラワーをしました。公民館の落成記念で作った一合升を再利用したのです。公民館台所の上の戸棚に、捨てるに捨てられず残っていたその一合升を容器として、その中に生け花用のスポンジを入れて準備しました。中身の松は早川館長が松の枝を伐ってくださったものを短く切断して利用しました。南天は町内の横田さんが、うちにあるからといって持って来て下さったものを使いました。菊花など一部購入したものもありますが、ほとんどが地域のみなさんから提供されたものでまかなえました。アレンジフラワーを作った人がそれぞれ自分のものとしてもって帰って飾るのではなくて、これを「文化を守る会」の軍資金にしてくれと言って、みなさんが提供して下さいました。欲しい人には買ってもらいました。浅川先生からも500円むしり取って、このアレンジフラワーを買ってもらいました。(

  ○司会 「財布に800円しかなかった」

 途中でガソリンがなくなったらどうしょうと、浅川先生は心配しながら、それでもまあ無事に帰られたようで、良かったのですが・・・要するに作品を自分のモノにしたいとか、儲けようとか、そういうことではないということを申し上げたいのです。
 お金をかけず心豊かに楽しいときを過ごしつつ、少しだけ運営資金を儲けて、その資金を周辺の人に喜んでもらえることに使いたい。これが「河原町の文化を守る会」のメンバーの心意気です。

自分の物としてしまわずに

 儲けたお金は一体どうなるのでしょうか。儲けたお金は、先ほど申しました「地蔵ぜんざい」や「かす汁」や「豚汁」に変わります。こんど、春の地蔵祭にはこれは「地蔵きな粉餅」に化けてしまうのです。「かす汁」についてですが、これも町内の人が、冬の地蔵祭の時に、「今度そこで何だかしなるようだけども、これ天野さん使ってえな」と言って、酒粕を持ってきて下さったものです。それを有効利用しようと、「かす汁」にして無料でふるまったのです。
 それから、先ほど「まんじゅう」をお配りしましたね。「天野さんのところに何だか椅子がようけあるけど、人が来ならへんかえ。ちょっとこれもらい物だけどみなさんでどうぞ」といってもってこられたものです。そういうふうに、自分の物としてしまわずに、みなさんに楽しんでもらうために物を提供したいという、里山に生きているような人がこの地域にはおられる。
 自分の物にもならない、名誉にもならない、一体何が残るのかというと、お金では買えない充足感。来てよかった、参加してよかった、また来たいと、そういう充足感が得られる。それから住民同士の連携。「あの人は今日来とんならんけど、元気にしとんなるだらあか」という気配りができる。「このごろちょっと落ち込んどんなるけ誘ってみてあげようか」「朝市にちょっと手伝ってえなとさそってみようか」と、そういう気配りができる。ぼけ防止にもなる。それから無縁社会がすすみ、孤独死などが大きな問題になっていますけれども、そういう住民同士のネットワークが充実していくことによって、無縁社会になって行くのを防げるようになる。それから、なにか大きな地震や災害があったときに、日ごろ親しくしている方への対応がより早くできるのではないか。そういうプラスの面もどんどん生み出ていると思います。

輝く光齢者

 最後にばか者とは一体何なのかについてお話しします。米子のほうでは「だらずさま」というキャラクターがあるようですが、ここでいう「ばか」と「だらず」とは違うのです。ばか者とは一体何なのか。

   【ばか者】常識にとらわれずに斬新な考えと向上心をもって挑戦し続ける者。

 年をとるということは老化ではなくて成熟である。高齢者はますます輝いて「光齢者」になってく。そういう人がばか者です。物知り顔の常識人ぶって、「どうせ何をしたっていけらあせん、どうせ限界集落だ、もう空き家だらけで猫とおばあさんだけの町になってしまう」と言ってみたところで、現状がどうなるものでもありません。そうではなしに、やれることはまだまだあるはずだ、とチャレンジしていく。チャレンジ精神をもつ事と年齢とは関係ありません。チャレンジ精神のある人たちが「文化を守る会」に集まって来ているのです。



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エドモントンの流し素麺(1)

撫子勝ってトトに敗れる

 仏独戦は事実上の決勝戦というべき好試合でした。そして、この試合を勝ち上がるべきチームはフランスだった。見事なパスワークでドイツを翻弄したのだけど、サッカーというスポーツは、不思議なことに、結果としてドイツが勝ち残るケースがしばしばあります。
 しかししかし、笑点流にいうと、「山田の挨拶と、ドイツのサッカーは、つまらん」。

 というわけで、トトカルチョ負けてしまいました。今年の撫子、わたしはベスト8と予想しておりました。春のアルガルベの成績が9位ですからね。グループリーグの出来も良いとは言えず、そこそこ自信をもっていたのですが、決勝トーナメントに入ってからメンバーが固定し、強いチームに生まれ変わって、昨日はオーストラリアに完勝でした。おそらく8強戦でブラジルに敗れるだろうと踏んでおったのですが、苦手のブラジルが16強戦で豪州に敗れる波乱があり、撫子に追い風が吹いた。
 4年前の世界一メンバーのレギュラーを奪った二人、有吉と宇津木の出来が異常によろしいね。これぐらいの突出した能力を示さないと、レギュラーの座は奪えないちうことでしょう。
 豪州戦については、大野から岩渕に変わったところが勝負だと思ってましたが、そのとおりになりました。大野という選手は前後左右によく動き回り、攻守に貢献するのですが、その後に決定的な仕事ができない。その点、4年前とあまり変わっていない。岩渕はその真逆だからね。決定的な仕事をするなら「バイエルンの岩渕」だと確信しておりました。
 
 カナダ対イングランドもおもしろかった。女子W杯は、開催国にとって8強戦が鬼門のようです。カナダは、そんなに強いわけでもないのに、自ら強豪の一角と錯覚してボールを持ちすぎる傾向がある。その点、イングランドはシンプルでした。4年前のグループリーグでは、撫子もまたイングランドに合わせて放り込み合戦となり、0-2の完敗を喫したのですが、来たる準決勝ではパスサッカーを貫いてほしいものです。そうすれば、延長勝負になるかもしれないけれど、負けない予感がする。鍵を握る選手は、再び岩渕と・・・、延長の場合は澤ではないかな。



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ブータンの民話(10)

ツォンポン・ダワ・ザンポ(その2)

 地下の王様ルー(Lu)はただちに金・銀やあらゆるたぐいの宝石をさしだしました。しかし、ダワはすべての申し出をことわって言いました。

   「もしあなたがなにかくださるというのなら、あなたの右手に
   はめられた指輪をいただきたいものです」

 その指輪には幸せが充ちあふれていたのですが、地下王ルーはしぶしぶ指輪をダワに与えました。ダワがただ一人の娘の生命を救ってくれたからです。
 地上にもどったダワ・ザンポは、動物がみんな元気だったので、とても喜びました。動物たちに餌をやった後、ダワは指輪をためしに使ってみました。広大な湖の中心に浮かぶ島に住宅を建ててほしいと望んだのです。願いをかけるやいなや、ダワは島上の宮殿にいることに気づきました。どんな望みにも奉仕するよう待機した侍従たちに囲まれている美しい宮城です。
 これまで国土中で最も権力と財力をもっていた西部の王様がその瞬間に何者かの脅威を感じました。その何者かが超自然的な力をそなえているように思えたのです。西部の王はしっとを覚えました。そして、島の上にゾン(宮城)が一夜にして建設されたことを不思議に思い、湖のむこうで何がおきたのかをみきわめる有志をつのりました。島への道のりは危険をはらみ、帰ることのできない終わりなき旅路だったので、申し出る者はありません。結局、タントラ【注1】の行(ぎょう)をいくつか修めた一人のゴムチェン【注2】が手をあげました。西部の王はおおいに喜び、気前よくほうびを与えました。
 ゴムチェンはとても長い時間を費やして、なんとか島にたどり着きました。かれはいったん乞食になりすまし、ダワ・ザンポの宮城の門前まで物乞いに行きました。ダワはかなり驚きましたが、訪問者をみて喜び、ここに滞在するよう求めました。ゴムチェンは滞在してまもなく指輪の秘密に気づきました。
 3年のあいだ毎日ゴムチェンはダワ・ザンポにまとわりつくようにして指輪をぬすむ機会をうかがっていました。しかし、ダワ・ザンポは決してその指輪をはずしませんでした。幸運なめぐりあわせがないかぎり、ゴムチェンは(目的をなしとげることに)失敗していたでしょう。

 ダワ・ザンポがお風呂に入り、熱湯で指をやけどしたので、指の腫れが治まるまで指輪をはずしたときのことです。その瞬間、ゴムチェンは指輪をひったくり、湖をわたって西部王の宮城に届けようと思いました。願いを叶える指輪は、たちまちゴムチェンの願いをかなえ、またたくまににゴムチェンは西部の強大な王の面前に立っていました。西部王はふたたび最も権力のある人物となりましたが、魔法の指輪を手にしてその力は以前の何倍にも増しています。ゴムチェンはたいへんな量のほうびをもらい、首相から王になったのです。
 一方、ダワの方は、指輪が奪われた瞬間に島上のゾン(宮城)が消えうせ、3匹の動物以外なにも残っていませんでした。
 猫は、3匹の中でいちばん賢く、他の動物に指示しました。

   「今こそおれたちの感謝の気持ちをこの優しくて情け深い方に
   示すチャンスだ! 指輪をとりもどす方法について考えよう。」

 3匹は一緒に腰かけて長い話し合いをした後、一つの計画に合意しました。泳ぎのうまい犬は、ほかの2匹を運んで湖をわたることに同意しました。西方の王国に辿りついたとき、ただちに3匹は自らの役割を遂行しました。そこで、犬はやぶの後ろにしゃがんで隠れ、観察を続けました。
 猿は王のトウモロコシ畑に入りこみ、すべての作物を台無しにしました。茎をひきぬき穂軸(↓)をつぶしていきました。畑の管理人は損害をみて、ただちにその出来事を王様に報告しました。王は頭の切れる猟師でした。王はすべての家臣を呼び集め、猿を追いかけました。王のゾン(宮城)はこうして空っぽになってしまったので、猫はその中に忍び込み、王室宝物庫ギャルポイ・バンゾイ(gyalpoi bangzoi)の固く施錠されたドアの近くに横たわって、死んだふりをしました。


トウモロコシの穂軸


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大雲院と鳥取東照宮(Ⅹ)

0624大雲院04大師堂


3年生修行中

 6月24日(水)。中間報告会を終え、今期のゼミ活動も後半に差し掛かりました。本日も依然として、大雲院を対象とした実測演習です。私とゆめみし君は大師堂の屋根の高さを測りなおしました。これまでのスケッチでは、お互い屋根の高さが不明確でした。私たちはこれから大師堂立面図の清書に取り掛かるため、より正確な寸法をとりなおす必要があったのです。二人とも、来週の活動までに成果物を提出する予定です。


0624大雲院01棟札02撮影


 一方、くらのすけ・KMR・TAKEの三君は、拓本と棟札の翻刻・採寸・写真撮影をおこないました。拓本については、大雲院本堂の縁束下部にある実肘木と、大雲院向拝両端にある地覆を対象として取り組みました。その後、三人は棟札の翻刻を院生のケントさんとともに行いました。棟札は建物の建立や修理をする度に書かれます。大雲院の場合、霊光院当初の棟札は屋根裏の部材に打ち付けられていたそうですが、他の修理札は本堂1階の脇陣に保管されています。棟札には工事の由緒や携わった人物の名前などが記されています。


0624大雲院01棟札01


 大雲院本堂には7枚の棟札が保存されています。年代順に並べると、享保8年(1723)・明治39年(1907)・昭和5年(1930)・昭和10年(1935)・昭和16年(1941)・昭和37年(1962)・平成元年(1989)となります。霊光院本堂が大雲院本堂となって現在に至るプロセスが克明に記録されている資料として注目されます。3年生は享保8年をのぞく6枚の翻刻としました。来週のゼミまでに、ワードに文字をおこし提出する予定です。
 大雲院本堂・大師堂・土蔵・庫裡の立面図は、最終的につなげてパノラマ状にするそうです。他の図面よりひどく見劣ることのないよう、ゆめみし君と二人して慎重に清書しています。ただ、選ばれるのはどちらか一人の作品であるとのこと。さて、どちらが選ばれることになるやら……。
 ところで、話に聞いたところによると、拓本は想像以上に難しかったようで、力の入れ具合に苦戦したようです。また、棟札の写真撮影の際、先生からご指導を受けたそうです。対象物と平行に撮影すること、迷わずにどんどん撮ること、ブレを抑えるため脇をしめて撮ること。今後の活動の参考にしようと思います。(ソニドリ)


0624大雲院02絵様01高欄01 0624大雲院02絵様01高欄02サムネイル

大雲院と鳥取東照宮(Ⅸ)

大雲院調査風景


大雲院調査・演習再開!

6月19日(金)。4回生・院生ゼミで、倉吉班と大雲院班に分かれました。すでに報告したように、倉吉班は取り壊し予定の茅葺き民家の調査をしましたが、私とテングサはひさびさ大雲院で調査しました(手伝いとして3回生も一人きてくれました)。テングサと3回生は、会長さんに指示されたとおり、大雲院大師堂にある仏像の調査に着手しました。私は大師堂の平面図を実測しました。19日はご住職が留守だったので、自分たち3人でできる範囲のことはしたのですが、平面図はその日のうちには完成はしませんでした。


作業風景 0624大雲院03サンプリング14


 6月24日(水)。こんどは3・4回生&院生の全員で大雲院を再訪しました。3年の中間発表が終わり、調査・演習が本格的に再開したのです。先発隊のうち3回生3名は、高欄縁束実肘木など比較的安全な箇所で絵様拓本採取の実習をしたあと、高所での拓本採取に移行する予定でしたが、脚立が足りなかったので、棟札の調査に変更しました。先発隊の4回生2名はは本堂向拝の虹梁型頭貫の絵様拓本を採りました。いちど失敗して、再びトライし、調子よく進んでいたのですが、調子に乗りすぎて左右両側を刷り取ってしまいました。「なにやってんの、おま~ら」のお叱り頂戴。たしかに、和紙と墨と時間の浪費でした。
 院生のケントさんは本堂平面・断面の測り残し部分を採寸しました。


作業風景② 大雲院調査(拓本)サムネ

 
 そして、3限の授業を終えた後発隊が到着。後発隊の3回生2名は二人の書いた大師堂立面図の屋根高にかなりの差があったので、もういちど寸法を測り直しました。私は後発隊でしたが、大師堂平面図の実測を継続しました。このほか、バス男くんは庫裡の立面図スケッチ、Nobody君は本堂入側柱筋で面皮らしき部分を発見し、ウィグルマッチ年代測定のためのサンプルを採取しました。樹種はスギで、年輪数は100を越えています。
 先生から私が描く野帳は汚い、と言われました。汚くはありますが、なんとかCADで平面図をおこせる状態までは進みました。次回からはきれいな野帳を描こうと思いました。(ココア)


大雲院調査風景(3回生)

バンクーバーの流し素麺(4)

 良いサッカーしてくれましたね。澤がいなくても、あるいは、澤が絶好調でなくても、こういう強いプレスと流れるようなパスサッカーができるんだ。オランダの4-3-3は、男子も女子もウィングが鍵を握っている。その強いウィングを、SHとSBの2名で押さえ込む作戦がみごとに奏効しました。4-4-2というシステムもわるくないね。

 やはりライブは楽しい。最後のGKチョンボには肝を冷やしけど、それもライブの良さでござんしょう。
 次は中3日で豪州か。休養の時間は短いけれど、勝っているチームは触るな、というから、先発を変える必要はないでしょうね。交替選手については、岩淵は必要だが、澤は出さないでよいかもしれない。昨日の試合も、結果として、澤を加えてトリプル・ボランチにした時間帯での失点だから。

 次に撫子が勝ってしまうと、わたしが戸倉峠の流し素麺奢らなきゃいけません。勝ったら奢るよ、嬉しいからね。負けたら、ゴチになります。それがトトカルチョってもんだ。

第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」の記録(3)


鉢屋川で流し雛

 私たち「文化を守る会」がこれまでつくり出したものはいろいろあるのですけれども、昨年のオクトーバーフェスト(秋の地蔵祭)はNHKローカルでも取り上げられまして、一躍有名になったのが「地蔵ぜんざい」。それから「地蔵きな粉餅」「地蔵寿司」「地蔵せんべい(これはずっと前からある)」があります。
 それからもう一つ、「地蔵流し雛」。これは新たな試みとして計画しかけたことなのですが、登録文化財「倉吉市水源地ポンプ室」を最初に調査されたのは浅川先生のようですね。あの辺りから流し雛をして、五叉路手前の鯉のところで引き上げ、子どもたちがすこやかに育つようにお参りするというのがいいのではないかと考えていたのです。ところが、流し雛というのは神道の行事らしいので、これはいかがなものかということで、ちょっとこの辺は考え中です。
 そういえば、最近カナダからの来客がありました。下の写真の左から2番めは高校で英語のアシスタントティーチャーをやっておられるマギーさんです。もうすぐ赤ちゃんが生まれるというので、カナダからご両親が来日されました。旦那さんも一緒にお地蔵さんの前で映した写真です。カナダから来たご両親に鯉を見せたかったのだそうです。「『赤瓦』にも行ったけれどもこっちのほうがだいぶんいいよ」と仰っていました。


カナダ公民館便り70 3月号 pdf_01


しほっつぁんの復活へ

 埋もれているものを発掘してみたいのは、四王寺市(しほっつぁん)の復活です。私が小さいころ河原町の小鴨川の土手で農具市がありました。長谷の観音市のような感じでたくさんの人が農具を買い求めに来ておられたのを覚えています。そういう四王寺市を復活させたい。今日は来ておられませんが、河原町には木嶋さんというすごいアイデアマンがいらっしゃいます。木嶋さんは「農具市と言っても、今の長谷の観音市に農具なんて出ていない。食べもの屋ばっかりで面白くない」と言われます。それで、空き家を利用してフリーマーケットをやってみたらどうだろうかという案を出しておられます。四王寺市の意義について、またその歴史について、眞田会長に河原町で講演してもらいたいという話も木嶋さんとのあいだで出ています。
 それから、磯野長蔵の顕彰。磯野さんは、明治屋の社長の娘婿になった方です。後に明治屋とキリンビールが一緒になってキリンビールを創設するときに係わられたのですが、じつはこの近所の旧三島家のお生まれです。倉吉市で最初の名誉市民になられた方ですのに、町民にさえ余りなじみがない。もっと顕彰しても良いように思います。オクトーバーフェストの際、キリンビール山陰支社に早川公民館長が行かれて、キリンビールに出店していただいた経緯もあります。それから、磯野長蔵ミニ博物館というのを御生家の前の牧さんのお宅をお借りしてやりました。何か新たな顕彰を考えてもいいのではないかと思います。
 次に、もっと知りたい小川家。小川家住宅は県の保護文化財、庭園は県の名勝となりました。昭和の倉吉商店街を網羅した双六の紹介が残っています。その双六の上がりは河原町の小川家なんですね。小川家あっての河原町、河原町あっての小川家となるように、つながりをもっと強くしたいと考えています。


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倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(ⅩⅩⅧ)

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解体される倉吉市街地最古?の古民家

 6月19日(金)。倉吉市福吉の小路に沿って建つ小振りの茅葺民家が月末に解体撤去されるという情報に接し、4年・院生ゼミを利用して緊急の調査に向かった。調査した旧山岡家住宅は市指定文化財「淀屋(牧田家住宅)」の北側に位置している。小路を挟んで隣接する誓願寺が購入し、敷地を駐車場として利用することが決まっている。
 民家の居住者は10年前に引っ越しており、その頃から今まで空き家のままであった。主屋は平屋建て寄棟造平入で、茅葺屋根を鉄板で覆っている。下屋はない(平面側の半間は増設)。平面は2間×3間半ほどの規模で、内部は幅半間の土間と2部屋に間仕切りされている。正面右の仏間のみ竿縁天井とし、土間とその隣室、外装は新材で改装している。床は根腐れのためか1尺ばかり切り落とし、基礎はコンクリートに替えている。
 寄棟の茅葺き民家と言えば、鍛治町・河原町など旧郊外農家の系列を思い起こすが、福吉は町場であり、路地裏に面した長屋(的住宅)の一棟が残ったものではないだろうか。近隣の岩倉町にも何棟かの茅葺き民家が現存するけれども、いずれも大通りに面した平入系であり、後の瓦葺き町家の原型とみなすべきもので、今回調査した旧山岡家とは形式が異なる。


150619 山岡家内部 3 150619 山岡家内部 1


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2015居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その5)

01屋根伏圧縮a


2-4 実測演習の進捗状況

 最後に、実測演習の進捗状況として、これまでの活動で制作した実測図を公開します。私たちは今回、先に紹介された大雲院を舞台に、立面図・配置図・平面図をスケッチし、採寸しました。作図に関してはまだまだ右も左も知らない素人ですが、先輩方や先生のご指導の下、何とか形になりつつあります。
 まずは大雲院の配置図を紹介します。上は木村君の屋根伏スケッチです。本堂の実測は先生と4年生が担当しています。3年生は大師堂、土蔵、鐘楼を担当しています。


02石田01圧縮b02石田02圧縮3


 上2枚は私がスケッチした大師堂の立面図(正面図)です。寺院や神社の場合、立面図に起こすと屋根は建物の半分近くを占めますが、現場では遠近法により屋根が小さくみえます。下のスケッチは私が最初に描いたものですが、屋根が小さすぎました。遠近法によって小さくみえる屋根を実寸に近いスケールで描きなおす必要があったのです。上右は私が描いたスケッチで、現時点での最新の成果物となります。下は浅木君が描いた大師堂の立面図です。私と浅木君の作品では屋根の高さが明らかに違います。まだお互いスケッチの段階であるため、正確な屋根の高さがわからないからこのような差が生まれてしまいます。清書の段階で、正確な屋根高を表現する予定です。


03浅き01圧縮2


 下左は武田君が描いた土蔵の立面図です。上部に「三色ボールペン」と書かれているのが見えますか。先輩方は三色ボールペンを使い分けてわかりやすく建物の寸法を表記していました。私たちもそれに倣うよう散々指摘されたため、忘れないよう彼はメモ書きしています。下右は木村君が描いた土蔵の立面図です。


04武田01土蔵圧縮c 05木村01土蔵


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2015居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その4)

大雲院本堂


2-3 大雲院の建築と仏教美術

 このたび実測演習をおこなったのは鳥取市内立川に境内を構える大雲院です。大雲院では本堂に隣接して大師堂や米村家霊堂があり、周囲に茶室・土蔵・庫裡などを配しています。
 大雲院本堂は平屋建入母屋造桟瓦葺平入で、側面と背面の裳階を増設しています。外観上目をひくのは、正面上部で左右対称4ヶ所に配された花頭窓(かとうまど)ですね。禅宗様のシンボル的な意匠が和様の仏堂を彩っています。


棟札


 大雲院の本堂は霊光院の本堂として建立されたものです。元禄~享保年間(17世紀末~18世紀初)に活躍した米村所平という武士が立川に霊光院を造営しました。米村は、若くして亡くなった息子の供養のため、享保2年(1717)に霊光院の本堂を建立したといわれています。ところが、まもなく火災にあい、4年後の享保6年(1723)に再建されたことを棟札より知ることができます。上左は棟札表裏の写真、上右はその翻刻です。今に残る霊光院の本堂は非常に複雑な平面をしており、棟札にいう享保6年(1723)の造営は本堂の全体ではなく、おそらく主要な一部分であろうと先生は推定されています。いずれにしても、この棟札に対応するところは鳥取市内で「年代が判明している最古の建造物」になるとのことですが、指定や登録などの保全の措置はまったくとられていません。
 さきほど武田くんが述べたとおり、霊光院は大雲院の末寺にあたり、明治維新後の神仏分離令により、大雲院の本堂に変わります。しかし、今でも大雲院には、米村家の霊堂と墓所があり、米村家の祖先を祭っています。


霊光院




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2015居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その3)

pdf鳥取東照宮の建築 大石_01


2-2 鳥取東照宮の建築

 鳥取東照宮はつい最近まで「樗谿(おうちだに)神社」と呼ばれていました。しかし、「樗谿神社」は近代の名称でして、江戸時代には「因幡東照宮」または「鳥取東照宮」と呼ばれていました。
 鳥取東照宮は一般的な神社ではなく、いわゆる「霊廟」です。霊廟とは特定の人物を祀る社殿です。東照宮の場合、東照大権現を祭っています。東照大権現とは、徳川家康の忌み名です。慶安3年に建立され、重要文化財にも指定されています。
 幣拝殿は一体の建物ですが、拝殿は入母屋造、幣殿は切妻造です。屋根はいずれも「こけら葺き」です。こけらとは、ヒノキやスギの薄板のことであり、厚さは2㎜程度です。下は職人さんが葺き替えを行っているところを研究室の先輩たちが見学している写真です。


pdf鳥取東照宮の建築 大石_02


 本殿は入母屋造ひわだ葺きです。ひわだ葺きの詳細は下のようになっています。ひわだ(檜皮)とはヒノキの皮のことで、ひわだ葺は、ひわだを少しずつずらしながら重ねて葺き、竹釘を打って固定するのです。


pdf鳥取東照宮の建築 大石_04 pdf鳥取東照宮の建築 大石_03


 以下は本殿の学生スケッチ作品です。右はASALAB4年のテングサさん、左は先ほど大学裏山での活動を発表したキム3号君のスケッチです。


pdf鳥取東照宮の建築 大石_06 pdf鳥取東照宮の建築 大石_05



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ブータンの民話(10)

6圧縮)雌鶏とサル


メンドリとサル


 ダンボ・ダンボ・ダンボ、ディンボ・ディンボ・ディンボ…

 昔むかし、その昔。サルとメンドリの夫婦が住んでいました。サルは畑でどんな仕事もこなし、メンドリは家事をうけもち、食事の準備をしていました。サルは畑で一所懸命仕事をしなければならないので、いつも疲れていました。サルが帰宅するといつでも家は清潔で、食べ物は炉端にあって暖かく、メンドリは部屋の隅に座ってのんきにいねむりしていました。サルはそのことを悩ましく思っていて、考えました。

  「メンドリが眠っているあいだ、おいらはいつもつらい仕事をしなきゃならない。
  明日は仕事を交替しようってたずねてみよう。」

 翌日、メンドリは畑へ行きました。背中にさっそうとクワをかつぎ、キビキビ歩いて行きました。サルは家を掃除しようとしましたが、やり方がわかりません。料理を作ろうとしましたが、火をおこすことすらできませんでした。
 その日の夕暮れになると、サルは疲れを感じるだけでなく、腹をたてていました。家は片付いていないし、メンドリのための食事も用意できていなかったからです。
 その翌日、サルは考えをあらため、再び畑に出たいと申し出ました。サルはメンドリがどのように仕事をするかを実際にみたかったのです。サルは木陰にかくれ、メンドリを観察しました。メンドリは午前中おおくの時間を費やして土をほじくり、つまみあげ、自分のための食べ物をさがしていました。それからメンドリは家に入り、上手に翼をはためかせ、床を掃除しました。そして、炉の残り火に点火しなおしました。次に、カマドの上にフライパンを置き、それにバターを入れて溶かしました。バターが溶けてあつくなったころ、メンドリは炉の上の梁にのぼって、フライパンめがけて綺麗なしぶきをあげながら卵を産みおとしました。メンドリは床におりて、卵のカラの破片をくちばしで取りのぞき、卵をあざやかな金色に炒めあげました。こうして家は清潔になり、サルのための食事も用意されたのです。メンドリは部屋の隅へ行って仮眠をとりました。
 サルは驚きながらこのすべてを見て、一人ごとを言いました。

  「そうか、なんて簡単なんだ。おいらは明日からずっと家にいて、
  つらい仕事はメンドリにやらせよう!」

 メンドリは今回もまた、畑仕事に行くことを快く引き受けました。メンドリが家を離れるや否や、サルは遊びに出かけてしまいました。サルは一日のかなりの時間を森のまわりで遊んで過ごしました。樹々を飛び移って、好みの果物や木の実をつまみ、とても楽しい時間を過ごしたのです。



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2015居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その2)

東照宮01位置関係02圧縮 東照宮01位置関係02


2-1 鳥取東照宮と大雲院の歴史

 私たちは現在、大雲院を調査・実習の対象にしています。この寺院の歴史を理解する上で避けて通れない鳥取東照宮と摩尼寺との関係を踏まえて説明していきます。現在、摩尼寺は摩尼山の麓に位置し、鳥取東照宮は樗谿公園内に、そして樗谿公園から少し南に下った鳥取市立川町に大雲院の境内があります。それぞれバラバラに位置しており、一見なんの関係性もないようにみえますが、江戸時代に遡ると、大雲院は今とはちがう場所にありました。摩尼寺と鳥取東照宮の位置は現在と変わりません。しかし大雲院は鳥取東照宮に隣接する場所に建てられていました。大雲院は鳥取東照宮を管理する別当寺であり、鳥取東照宮と大雲院は実質的に一体の組織だったのです。また、摩尼寺は大雲院末寺の代表格とされ、大雲院の住職は引退すると摩尼寺の住職となり、生涯を全うします。摩尼寺には当時の大雲院と摩尼寺の住職を務めた僧侶の墓が現在も残っています。


武田スライド改5


 鳥取藩医の小泉友賢(1622-1691)が晩年に完成させた地誌『因幡民談記』(1688)には、樗谿に大雲院と東照宮が描かれています(↑)。鳥取東照宮は鳥取藩内の神社で最高の格式を誇り、それを管理する大雲院もまた鳥取藩内において最も重要な寺院として位置づけられていました。樗谿で鳥取東照宮と大雲院が近接する配置関係は、元禄以前「鳥取城下大絵図」にも描かれています。これを現在の航空写真と比較してみると、大雲院は当初、樗谿公園にあったことが分かります(↓)。


武田スライド改4 鳥取城下(圧縮)



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2015居住環境実習・演習Ⅱ中間報告会(その1)

パワポスクショ1-2

居住環境実習・演習(Ⅱ)中間報告会

    【日時】  2015年6月17日(水)14:40~
    【会場】  教育研究棟1階製図室

  1.大学裏山での活動 -夏野菜の栽培など(木村)
  2.大雲院と鳥取東照宮に係わる活動
   2-1 鳥取東照宮と大雲院の歴史(武田)
   2-2 鳥取東照宮の建築(大石)
   2-3 大雲院の建築と仏教美術(浅木)
   2-4 実測演習の進捗状況(石田) 


1.大学裏山での活動 -夏野菜の栽培など

 これよりASALABの中間発表を始めます。これまで4月には大学裏山で畑作り、5月以降は大雲院での実測演習の活動をしてきました。以下5人で分担して発表します。4月の活動として、まずはキャンパスから出ることはせずに、ウォーミングアップとして学校の裏山にある茶室の菜園で夏野菜の栽培を行いました。ASALABでは廃棄物の利用による建築、家具類の制作をおこなってきました。その代表が裏山で建設した「廃材で作る茶室」です。最近では茶室背面を開墾して菜園を作り、ハーブや野菜を植えています。
 茶室完成後、マスコミに取り上げられたり、オープンキャンパスでの接客の場になったりしました。2012年からは摩尼寺「奥の院」の整備に伴って伐採したスジタイなどを利用したシイタケの原木栽培をおこなっております。2013年後期のプロジェクト研究で大掛かりな修復活動を行いました。下のスライドの左上が修復前、下が修復後の写真です。修理完了後の公開イベントでは大勢の来客が訪れました。


パワポスクショ2-2


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世界遺産にタックル!!!

 今夜のタックルは久びさ痛快だったね。
 おいこら五等兵、汗かきすぎだぞ!
 ちゃんと答えろ。世界遺産にいったいなんの意味があるんだ!?
 世の中の感覚はな、タケシやオオタケが言うとおりなんだよ。世界遺産は多すぎる。これからは危機遺産リストに入ってる不良遺産を削る時代なんだよ~



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第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」の記録(2)

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猫でまちおこし

 すでにあるものの最後は猫です。じつは私は猫が大嫌いなのですが、この猫が数週間前になぜか我が家に突然、迷い込んで来まして、出て行くように促してもまた帰ってくる。しようがないので、保健所と警察に連絡したところ、「保護預かりにしてくれ」ということでしたので、飼うのではなく置いておくことにしたのです。けれども、その後どなたも探して来られません。この猫、家の中では我が物顔に動きまわりますし、私がパソコンを使っていますと膝にのってくるのです。膝にのって、寝ちゃうんですね。何だかだんだんかわいくなってきて、とうとう居ついてしまいました。ちなみに今回のチラシに猫が写っていますが、あの猫は浅川先生が写された小川さんのところの猫らしいですね。小川さんも猫が好きな方で、ひょっとしたらネコトモになれるかもしれない、なぞと考えています。
 以上申し上げたいろいろなものや人を利用・活用して町をよくし、まちおこしをしていこうということ、すでにあるものから何かをつくり出していこうという発想です。


鯉に餌をやって幸せになろう

 繰り返しになりますが、この町にはお地蔵さんがあります。なんとかこのお地蔵さんという財産を生かしたい。まず毎月の地蔵ふれあい市(3月~12月)を思いつきました。ふれあい市は結構だけれども、地蔵祭を春夏秋冬やろうではないか、ということになり秋の地蔵祭、冬の地蔵祭、春の地蔵祭と、順々にやってきました。夏の地蔵祭は、地蔵祭実行委員会を立ち上げて運営しています。ここにいらっしゃる河原町自治公民館長の早川さんが実行委員長ですが、夏以外の地蔵祭は「文化を守る会」が企画・実行しています。
 それからもう一つ、すでにあるものから創出しようという話をします。それは鉢屋川の鯉。「鯉に餌をやって幸せになろう」というチャッチフレーズを考えました。鯉も幸せ、人も幸せ。それで鯉の名所にしようと考えました。じつは100円で鯉の餌を売っているのですが、餌の売り上げを元手にして新たな鯉を購入しています。また、昔から鯉を飼っていてもう飼えなくなった家もありまして、以前、馬田会長さんの所に、まさに里山と言えるような地域の旧家のおばあさんから「うちで昔から飼っている鯉がいるんだけど、河原町さんの川で飼ってもらえないだろうか」という電話がかかって来たらしいのです。馬田さんは打吹公園だんごをお礼に持っていって立派なニシキゴイをもらってこられたとか。そんな話もあったとうかがっています。



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第3回れきまち研究会「まちの里山資本主義」の記録(1)

第3回れきまち研究会 第2部「まちの里山資本主義」

 講演者:  天野博之(河原町の文化を守る会)
 会 場:  天野種苗店ビニールハウス
 日 時:  平成27年3月1日(日)14:00~


 ○司会: それでは、天野博之さんに「まちの里山資本主義」と題するお話をしていただきます。天野さんとは去年(2014)の夏から面識を得まして、最初はこのビニールハウスの外庭でインタビューさせていただきました。まちづくりに対する強い想いを聞かせていただけたのですが、面識を深めるにしたがって、一体この人は何者やと思うようになりました。突然ドイツ語をしゃべり始めたり、司馬遷の『史記』を白文で読んでいるとか、自由律の俳句集団を組織して同人誌を出してるとか、ついに明後日はNHK広島の番組にも出演されるとのこと。謎の大人(たいじん)であります。
 「まち」と「里山」は真反対の概念のようにも思うのですが、その矛盾がどのように融合しているのか、講演をたいへん楽しみにしています。では、よろしくお願いいたします。


河原町の文化を守る会

 ○天野: こんにちは、天野です。「河原町の文化を守る会」(以下「文化を守る会」と略)のメンバーの一人として今日はお話をさせていただきます。この町には、私よりはるかにすぐれた方が綺羅星のごとくいらっしゃるのに、なぜか私が話をすることになってしまいました。よろしくお願いします。
 まず「まちの里山資本主義」との出会いを簡単にお話しさせていただきます。「里山資本主義」という言葉は最近マスコミでいろいろ取り上げられています。私、以前出張先でたまたまこの本(藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義』角川新書・2013)を買い求めました。その後かなり売れたらしく、新書大賞2014年の第1位になり、今も版を重ねているようです。お読みになった方もいらっしゃると思いますが、なぜわが町の動きが里山資本主義になぞらえられるのかと言うことと、「文化を守る会」の動きを重ね合わせてお話させていただきます。
 そもそも、「文化を守る会」というのは一体何なのか。この会は公民館とはまったく別組織の任意団体です。公民館は町内を班に区割りして班ごとに班長や部員を強制的に出して町の活動をしていく組織です。一方、「文化を守る会」はそういうシステムとはまったく違っていて強制的なところはなく、河原町には12の班があるのですが、班によっては一人も会員を出していない班もあれば一世帯で数名参加しておられる班もあります。では一体どういう人が参加しているかと言いますと、河原町を何とかよくしたいという意識の高い人が参加しておられるように私は思います。そして、ついでに言いますと河原町の「バカもの」であると思います。

「バカもの」集合!

 「文化を守る会」ではどんなことをしているのかを次にお話しします。毎月第3日曜日にお地蔵さんの掃除とお詣りをして賽銭を回収します。従来、8月23日の地蔵祭(地蔵盆)を開催していたわけですが、「年に一度だけではつまらん、毎月やろうぜ」という声に河原町の「バカもの」が集まって来たのです。年に一度ではつまらん、とはどういうことかと言いますと、東京の巣鴨にジジババの原宿と言われている「とげ抜き地蔵」があって、毎月縁日をやっているのかどうか知らないのですが、とにかく随分賑わっているらしい。あんなふうにここでも何かやれば人が集まって来るんじゃないかという話が出ました。「文化を守る会」の馬田会長以下数名の人が何かをやろうと声を発したら何人かの人が集まって来て現在に至っています。回収した賽銭はお地蔵さんに関すること、たとえば、お地蔵さんの線香やロウソク、花立てなどの備品だとか、地蔵祭に使う鐘や数珠が壊れた時の修理、祠の修復が必要な場合などに使用しています。つまりお地蔵さんと地蔵祭を維持するのに必要な資金に充てています。
 お地蔵さんの掃除とお詣りの後で「地蔵ふれあい市」を開催しています(以下「ふれあい市」と略。1月と2月はお休み)。主に野菜を販売していますが、野菜の仕入れは会長の馬田さんと今日ここにおられる石井さん、小林さんがしておられます。新鮮野菜が安く購入できるということで、大変評判が良いようです。ふれあい市だけではなく、春(3月)、秋(10月)、冬(12月)にも地蔵祭を、「文化を守る会」が企画・実行しています。
 また、町内の長老のみなさんから河原町の聞き取り調査をしたり、町内のお宅に眠っている古い写真などを集めて町史の編纂をしてみたいという意見も会員から出ています。


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バンクーバーの流し素麺(3)

 今日の流し素麺、じゃなかった、撫子は寅さんでしたね。

 いまごろ後悔と反省の時間を過ごしていることでしょう。カメルーンに「経験」さえあれば惨敗を喫していた可能性が高い。

 後半、鮫島を左SB、宇津木をボランチにポジション・チェンジしたことでリズムがおかしくなった。少なくとも撫子においては、鮫島は左SH、宇津木は左SBに固定しておくほうがいい。気になるのは、監督が4-4-2に固執していること。状況によっては、4-2-3-1、4-3-3もありとしてほしいものです。そのほうが選手の個性を活かせる。

 グループリーグ第3戦は、点差は問題ではなく勝てばいいのだから、ほぼ全員サブで行くべきでしょうね。GKの山根だけはもう一度出場させて経験を積ませるべきでしょうが。決勝トーナメント第1戦が最も重要な試合になる。ここで勝ちきれば、このたびのW杯はいちおう成功だと言えるのではないでしょうかね。
 いまのところ五分五分だね。


ブータンの民話(9)

ツォンポン・ダワ・ザンポ(その1)

 
 ダンボ・ダンボ・ダンボ、ディンボ・ディンボ・ディンボ…

 昔むかし、その昔。3人の息子と暮らす未亡人がいました。息子たちの父親は、裕福な商人でした。しかし、父の死後、その家族は厳しい時間を過ごすことになります。ですから、息子たちが成長したとき、母親はかれらが商人になってほしいと思いました。一家が少なくとも以前の繁栄のいくぶんかは取り戻せるだろうと考えたからです。
 ある日、母親は息子たちを集めて言いました。

  「あなたたちのお父さんは成功を納めた商人です。あなたたちもお父さん
   のようになれると信じています。社会に出て商人になりなさい。」

 息子たちが商売を始めるのを助けるために、母親は自分が貯めてきたものを一人ひとりに与えました。困窮した時期にあっても、母は息子たちのためにこれらの品々をたくわえていたのです。
 母は長男に金貨、次男に銀貨、末っ子には毛織物を三巻わたしました。3人の息子たちはそれぞれが違う方向へ行って自分たちの商売を始めることを決めました。そして、かれらは母親と兄弟に別れを告げ、異なる方向の道を歩いていったのです。
 末っ子のダワ・ザンポはまもなく1匹の猫をいじめている数名の少年たちに出会いました。少年たちは猫をひっぱったりつついたりしていて、猫はよろめき痛々しく鳴いていました。その瞬間、末っ子は猫をとても哀れに思いました。

   「かわいそうに! この弱々しい猫をいじめるのはやめなよ。」

と末っ子は言ったのですが、少年たちは意に介しません。最後に末っ子は毛織物1巻と猫の命を交換しようと提案しました。これに少年たちは同意し、猫を自由にしたのです。末っ子は猫を拾い上げ優しくなでると、その猫はかれの手を軽くなめました。
 同じようにして末っ子は毛織物の二巻めで犬を救い、三巻めで猿を救いました。すでに交換する物はなにもありません。

 末っ子は3匹の動物と一緒にあてもなく旅していたのですが、ある日大きな湖のほとりにたどりつきました。大魚を捕まえてとても興奮している漁師の一群がいました。その魚はまだ生きていて、砂の上でのたうっています。吠えるような狂騒が溢れんばかりに、漁師たちは大魚を切り分け、その肉を全員に分配しようとしています。ダワ・ザンポは大魚を哀れに思い、魚の命を助けてくださいと嘆願しました。漁師たちはとてもおもしろがっています。

  「この魚を逃がすというなら、おまえはいったい俺たちに何をくれるというんだい?」

と言って嘲笑いました。
 ダワ・ザンポがさしだせるものといえば、今着ている服だけです。かれはただちに服を脱ぎ、それを漁師たちに与えました。漁師たちはダワ・ザンポの真剣な気持ちを知ったので、おどおどして魚を手にとり、水に解き放つとともに、ダワの服をもって立ち去りました。大魚はしばらく水面に浮かんでゆっくり体を水になじませた後、泳ぎ去って、まったく見えなくなりました。


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Sugar 06

 痛風の症状も治まってきたので、久しぶりにボクシング・ジムに行こうと決め職場をでたんですが、お腹がへっていてカレーを食べたくなった。鳥取は「カレー王国」などと自画自賛しておりますが、まぁ嘘八百です。ここのカレーが美味いっていう店が思い浮かばないからねぇ。しばしば牛丼屋のカレーでごまかしてたんですが、すきやのカレーなんて豚肉ごろごろいれているから痛風に良くないに決まってます。結局、閉店間際のペースノートでほぼ具のないカレーをいただきました。
 いざジムへ。というところで、新聞をみると、日本対イラク戦が始まろうとしていた。少し休憩したかったので、いったん帰宅し、キックオフから20分ばかり画面を眺めてました。ハリル体制の日本は球離れが速く、ボールを奪ってからシュートまでの時間が短くなった。だらだらボールをまわしたり、キープしなくなったということです。またたくまに2点を奪い、やにわに私は眠りに落ちて、気づくと2時間が過ぎていた。ジムは閉まってしまいました。
 明日こそジムに復帰しよう・・・と決意を固めつつ、朝届いたメールを思い出した。「痛風ははたくさん運動をする人に多いと聞きます」と書いてあったのです。運動するとお腹が減って動物性蛋白をたくさんとってしまうのかな?
 腹筋ぐらいから始めますか。




晴耕雨読(Ⅲ)

居住環境実習・演習(Ⅱ)中間報告会にむけて

 6月10日(水)。今回の3年ゼミでは、来週17日に開催される居住環境実習演習(Ⅱ)中間報告会に向けて、教授と会長・先輩方を交えて発表練習をおこなった。

内 容
 発表の結果、現時点での私たちの発表の出来具合はまだまだ未熟なものだった。全体の指摘として、使用した写真や図の選定の甘さ、内容の掘り下げ具合の浅さや方向性、スライドの構成順序などさまざまな指摘を受けた。各々については、「KMR」は写真の選定の仕方、「TAKE」は内容の表現方法と掘り下げ方、「くらのすけ」はスライドの構成順序、「ゆめみし」は建築の基礎を意識した内容の方向性への転換、「ソニドリ」はスライド内の画像の修正を指摘された。さらには、発表の段取りがスムーズにいかなかった点、発表の指導をしてくださる人への配慮(レジュメの配布)が欠けている点など、発表内容だけではなく発表することの根本的な部分での批評も受けた。今回の指摘を受けて各々写真の撮影と資料の採集、スライドの手直しなどを、今週の金曜日におこなう2回目の中間発表の予行演習までに手掛けることになった。

感 想
 今回の発表演習で、発表者全員キツイ指導を受ける結果となった。このような結果になってしまった原因としては、発表班の打ち合わせ不足や、ゼミの先輩方との情報共有不足など様々の場面での準備不足が招いたものだと感じた。今回の結果をもとに、私たち3年生がより一身となり、先輩や教授との連携もしっかり繋げ、これからのゼミ及び実習に取り組んでいくべきだと感じた。(TAKE)


 居住環境実習・演習(Ⅱ)中間報告会

    【日時】  2015年6月17日(水)14:40~
    【会場】  教育研究棟1階製図室

  1.大学裏山での活動 -夏野菜の栽培など[木村]
  2.大雲院と鳥取東照宮に係わる活動
   2-1 鳥取東照宮と大雲院の歴史[武田]
   2-2 鳥取東照宮の建築[大石]
   2-3 大雲院の建築と仏教美術[浅木]
   2-4 実測演習の進捗状況[石田] 

バンクーバーの流し素麺(2)

 ここ4週間ばかり週末になると体調に異変が生じ、もがき苦しんでおりました。その結果がようやく分かりましてね。痛風でした。尿酸の結晶が足の関節の隙間に入り込んで骨を削っている。これが痛いのなんの・・・・
 2週間前は左足のカカト、この週末は左足の甲(指の付け根や側面)に激痛が走り、てっきりボクシング練習にともなう疲労骨折かなにかだと思いこんでおりました。ボクシングの構えはつねに右足(後足)をつま先だてているのですが、左フックの場合、右足を地べたに下ろし、左足をつま先だてて体を回転させます。この左フック練習で軸足の先端を傷めたのだと思っていました。ギブスをつけたくなかった。車の運転ができなくなるからね。
 わたしの病が痛風であることにホームドクター(内科)はついに気づきませんでした。3週間以上前から異変があり、患部もみせたし尿と血液の検査もしていたのに・・・。仕方がないので、整形外科を訪ねたところ、患部を一見するや否や「痛風です、まちがいありません」。いちおうレントゲンは撮ったのですが、骨に異常なし。それから大量の頓服を服用し、恐るべき痛みは半減したのですが、一昨夜の志戸坂トンネルでは前方の10トントレーラーが横転し、深夜の立ち往生に。なんかわるいことしたかなぁ?
 まぁ事故に巻き込まれなかった分だけ幸運だと思うべきでしょうね。

 翌朝、足の痛みはさらに半減し、撫子の初戦をちょいと視ました。前半は良い出来でしたね。プレスがよく効いていたし、両サイドバックのオーバーラップが効果的だった。ただし、スイスの側からみると、少し撫子をレスぺクトしすぎたのではないでしょうか。前回のチャンピオンではありますが、スイスの実力をもってすれば、十分互角以上のゲームができたはずです。おそらく最近の数試合で後半に息切れし失点を重ねていることを懸念していたのでしょうね。ただ、バンクーバーは涼しいから。最初からもっと仕掛けても体力はもったんじゃないでしょうか。


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バンクーバーの流し素麺(1)

 いよいよ流し素麺、じゃなかった、撫子のバンクーバーが始まりますね。
 さきほどケントとトトカルチョしました。

 ずばり、撫子の予想です。

   ケント: ベスト4
   わたす: ベスト8

 外れたほうが戸倉峠の流し素麺を奢ることになりもうした。

 おい、タクヲ、参加せんか!?


さよなら、ピルロ

 サッカーに対する愛着が薄れゆく今日このごろ、テレビでゲームをみることなどないのだが、このたびのチャンピオンズ・リーグ決勝だけはライブでみようと決めた。
 バルサ対ユーベ。この試合を最後にしてピルロはMLSに移籍することをインタビューで公言している。ユーベもしくはイタリア代表のピルロをみる最後の機会となれば朝までおきていないわけにはいかないだろう。
 バルサ対ユーベとスペイン代表対イタリア代表はイコールではないが、ニアリーイコールではあると言ってよいかもしれない。思い出すのは2012ユーロのグループリーグ初戦だ。イタリアは意表をついて3バックの布陣を敷き、スィーパーのデロッシがスペインの猛攻をくいとめながら、こぼれたボールをピルロが左右に大きなパスを散らしてサイドからスペインを苦しめた。スペインやバルサは両翼のサイドバックをウィングに近い位置まであげてくる。そこにできた裏のスペースをピルロは狙っていた。あのユーロで、両国は2度相まみえ、初戦は1-1で引き分けたが、決勝ではスペインが疲れ切ったイタリアを3-0で圧倒した。
 ところが翌2013年、コンフェデの決勝で、スペインはブラジルに0-3の完敗を喫する。そしてまた、2014ブラジルW杯の開幕戦で、ファンハールのオランダが無敵艦隊を撃沈した。こうしてスペインを破り去る戦術が定着してきたわけだが、その礎となったのが、2012ユーロのイタリア代表、つまりピルロだと今も思っている。
 今回もまたバルサ圧倒的有利の下馬評ながら、ピルロのインタビューを読むと、レアルやバルサを負かすための「企業秘密」があるのだという。それがいったい何なのか知りたかった。
 結果的にいうと、ユーベは1-3で敗れ、その企業秘密は明らかにならなかったのだが・・・



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ブータンの民話(9)

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ヤツガシラ(その2)

 オスはもう一度、大切な荷物(妻の遺体)を担いで長い距離を飛んでいきました。つばさが痛み、体は重くなったので、大平原にある大きな岩の上で休みました。そして、あたりを見回して、この場所が安全かどうか考えました。あれ、ねずみの一家が走り回っています。オスは歌いました。

   平野は広い
   ここは多くの旅人が出会う小径だが、
   危険もたくさんある。
   ねずみたちは私の妻をむさぼり食おうとまちちこがれているよ。
   妻をここにおいておくわけにはいかないな。

 3度目にオスはメスの遺体を運んで大河の岸辺にたどりつきました。土手の大きな丸太の上にとまり、あたりを見渡すと、魚が水中で泳ぎながら「シュッ」という音を出すのが見えたので、歌いました。

   川の流れは速く
   何もかも運びおろしてしまう
   妻の遺体も流してしまうだろうが、
   魚が彼女を食べてしまうね
   妻をここにおいておくわけにはいかない


ヤツガシラimages



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ブータンの民話(8)

4圧縮ヤツガシラ 
 

ヤツガシラ(その1)

 ダンボ・ダンボ・ダンボ、 ディンボ・ディンボ・ディンボ…

 昔むかしその昔、荒れはてた森のある場所で、冬の兆しがあちこちに芽生えていました。葉を落とした木々はもの悲しく立ち、凍った風がざわざわ吹いています。森の他の鳥や獣と同じく、ヤツガシラのつがい(夫婦)は、寒くて獲物の少ない月々にせわしく備えていました。ヤツガシラは巣をより暖かにし、きびしい冬に飢えることがないように、みつけた食物やらなにやらなんでも蓄えはじめまていました。
 オスが飛びまわり、集められるものはなんでも集めているあいだ、夫婦の巣穴にある倉庫の整備をメスがうけもちまちした。ある日、メスがえさを積みあげたさい、前の日にオスが誇らしげにもって帰ってきたエンドウ豆を巣を営んだ石垣の割れ目に落としてしまいました。メスはエンドウを取り戻そうとしましたが、エンドウのある場所は深すぎてみとおせません。メスのクチバシは皮がむけ傷ついていましたが、夕方になっても、エンドウ豆はまだ深い割れ目の中にありました。


ヤツガシラのメス10


 鳥たちが家に帰ってねぐらにつく日暮れどき、オスはその日の収穫物をもって帰ってきました。オスは誇らしげに蓄えをみわたしました。

   「エンドウ豆が一つ足りないぞ、おまえが食べたに違いない。
   この恩知らずのオカチメンコ【注1】」!

 オスはメスを責めました。オスは疲れていて、激しい怒りを抑えにくくなっており、羽を逆立ててメスを叱り、それでは物足りないかのようにクチバシでつついてメスを死なせてしまったのです。オスはまもなく自分のしたことを悔みました。
 オスはそのでき事を信じられず、ながい時間いとおしい妻の死体を眺めていました。「安全で清潔な場所に妻の死体を持っていこう」とオスは決心しました。最後にオスはため息をついて遺体を背中にのせ、ながくて困難な旅路についたのです。長時間の飛行の後、オスは高山に立つ木の梢に止まりました。「ここは、妻にとってよい場所かもしれない」と考えたのですが、ちょうどそのとき数羽のハゲタカが空中を旋回するのがみえたので、オスは歌いました。             

   山は神のふるさと、
   神聖で清らかなところ。
   でも、ハゲタカが空に舞う。
   ここは妻のやすらぐ場所ではない。  【続】

 
ヤツガシラのオズy_001d


【注】

1)訳注: 原文はモリンモ(Moringmo): 女性に対する軽蔑的な表現。グロッサリー参照(p.195)

大雲院と鳥取東照宮(Ⅷ)

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居住環境実習・演習(Ⅱ)中間報告会にむけて

 6月3日(水)。 この日、先生はご住職から提供された古文書・古写真などの撮影に専念されていました。休憩時間を利用して、6月17日に開催される「居住環境実習・演習(Ⅱ)中間報告会」の発表分担を決めました。。先生からはカンペを見ながら話すのは棒読みになってかっこ悪いのでやめるように指示されました。来週水曜日に発表の練習をゼミで行い、先生のOKが出るまで練習をするとのことでした。
 以下に日程・会場・分担を示します。

    【日時】  2015年6月17日(水)14:40~
    【会場】  教育研究棟1階製図室

 ASALABは5名の3年生が、以下の内容を分担して発表する予定です。

  1.大学裏山での活動 -夏野菜の栽培など[木村]
  2.大雲院と鳥取東照宮に係わる活動
   2-1 鳥取東照宮と大雲院の歴史[武田]
   2-2 鳥取東照宮の建築[大石]
   2-3 大雲院の建築と仏教美術[浅木]
   2-4 実測演習の進捗状況[石田] 


0603大雲院05 0603大雲院05サムネイル
↑側柱筋の大斗肘木。実肘木の未成品(左)と片側完成片側未成品(右)。これより内側は完成品を使う。中心軸に対して、完成品・未成品は左右対称に配列される。


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キリストになろうとした魔王信長

信長index


 表記の新刊書籍が献本として送られてきました。図面を2枚提供しています。いずれも本学紀要から転載した図面です。

   岡垣・浅川「仏を超えた信長 -安土城総見寺本堂の復元-」
          『鳥取環境大学紀要』開学10周年記念号(第8号):p.31-51、2010

 懐かしい論文ですね。この論文から、安土城の配置図と総見寺の復元CGが掲載されました。

 本の内容は、あまりよく理解していませんが、アマゾンから転記しておきます。

【内容紹介】   寺社仏閣を焼き払った第六天魔王、織田信長は、なぜキリスト教に寛容だったのか。その理由はクリスチャンになろうとしたのではなく、自らがキリストになろうとしていたのだ。信長の真意を知った武将たちは野望を阻むため、ついには本能寺の変を引き起こした。
【内容(「BOOK」データベースより)】   自ら仏敵、第六天魔王と称した織田信長は、なぜキリシタンの存在を容認したのか!?なぜ安土城は天守閣ではなく、天主閣なのか!?なぜ本能寺で大規模な茶会を開いたのか!?なぜ本能寺の変は起こったのか!?なぜ自決した信長の遺体は消えたのか!?すべての謎を解く鍵は、知られざる「ノブナガ・キリスト教」にあった!!

大雲院と鳥取東照宮(Ⅷ)

150530 大雲院 天井裏1


本堂小屋組の実測・作図

 5月29日(金)。大雲院では境内建造物や仏像の調査、立川周辺(山手)のトレックなど各々が卒論に向けてすこしずつ的を絞った活動が動き出している。
 私は27日に引き続き本堂の断面図実測にあたった。前回は軸部のスケッチにとどまったが、今回はついに屋根裏に上がった。ココアとロンが補助についてくれた。つなぎは3着用意している。しかし、屋根裏に女子を上らせるのも酷なので、ロンさんには軸部の採寸をお願いした。私はつなぎを着て、ココアを連れ天井裏へ上った。


150530 大雲院 天井裏5


 小屋組は和小屋である。構造材はマツ材がほとんどだと思う。これまでに調査した摩尼寺本堂・庫裏・仁王門と同様の和小屋ではあるけれども、桁行方向の貫と斜材の多さが目立つ。中には貫の継手が外れている部分も何ヶ所かあり、桔木は末口の押えが外れているものもあった。鳥取大震災により、本堂が約30cm傾いているらしく、その影響が和小屋にまで及んでいると感じた。


150530 大雲院 天井裏3  150530 大雲院 天井裏2


 断面図作成とはべつに、天井裏に上った際に確認しておきたいことがあった。ご住職のお話では、阿弥陀三尊を本堂中央に安置する際、阿弥陀如来像が大きすぎて内陣に収まりきらなかったという。そのため中央内陣を40cmほど折り上げ格天井としたのだと言われた。四天柱の外側は竿縁天井となっている。
 さらに、本堂の柱筋のズレも奇妙に思っている。四天柱-入側柱-側柱-裳階(もこし)の柱筋すべてがずれているのである。これだけ柱筋の揃わない仏堂もお目にかかったことがない、と仰っています。こうした不自然な平面計画が構造上どのように処理されているのか、注目に値いします。まずは断面図に寸法を入れてCADで浄書し、それでも不明な場合は架構図を作成できたらと考えています。そのためにまずは、断面図を次回の調査で片付けておかなければならないでしょう。(ケント)


150530 大雲院 天井裏6 ←外れた貫の継手

大雲院と鳥取東照宮(Ⅶ)

0529大雲院仏像3


大雲院仏像調査その1

 5月28日(金)、4年以上のゼミ活動として、再び大雲院へ出かけました。この日は天気も良く空気が乾いており、絶好の調査日和でした。ところが、先生は竹の杖をついておられます。足の裏の骨が折れたとかなんとか・・・
 私は会長さんの指導の下、大雲院の西国33観音霊場の仏像の基礎調査を続けました(先週水曜日に開始)。
 仏教は紀元前5世紀から4世紀ころ、ゴータマ・シッダルタが始めた宗教ですが、仏像が作られたのはかなり後のことで、紀元後1世紀の末ころだと言われています。インドから中国へ伝わった仏教が、さらに韓国から日本に入ってくるのは飛鳥時代、6世紀のことですが、もちろんその時仏像も伝来してきました。
 人間と同じように仏像にもグループがあり、組織があり、それぞれの役割があります。そして仏像は見た人にすぐわかるように、それぞれが決まった髪型や服装をしています。仏像が初めて作られたインドでも、中国でも、韓国でも、そして日本でも、どんな時代でもそれは変わりません。だから同じ種類の仏像を見比べてみると、それが作られた国や時代の特徴が分かります。


0529大雲院仏像4 槙尾山施福寺千手観音菩薩


 仏像の種類はとんでもなくたくさんあり、仏像の組織はとても複雑です。今回はわかりやすく大ざっぱに説明します。仏像のグループは4つあります。如来、菩薩、明王、天と呼びます。如来とは「さとり」をひらいた者のことを言います。菩薩とは将来さとりをひらき如来になるために、修行をしているもののことを言います。明王とは如来や菩薩の言うことを聞いてくれない人を救うために、作り出された分身のことを言います。天とはその他のさまざまな神のことを言います。仏像に関しての知識はとても奥が深く、1回では説明し切ることができません。卒論に取り組むプロセスで少しずつ考察を深めていきます。
 大雲院西国霊場33観音の仏像は聖観音・千手観音・十一面観音などに分けることができます。しかし、座り方や立ち方、仏像が手にしている仏具などが製作者によって違うことがままあります。それらを調査・分析しデータベースにして33体の仏像のデータをまとめることが目下の目標とです。この33体それぞれのデータを集めるということが、この調査の骨の折れるところでもあり、また一番面白いところでもあります。


0529大雲院仏像5 深雪山上醍醐寺准邸観音菩薩


 前回の調査では仏像の全長、台座の大きさなど数値データを集めました。今回の調査では、髪・目の形、手の数、恰好などの観察してわかる視覚上のデータを集めました。髪形や座り方、手にしている仏具などにもそれぞれ固有名称があり、まず仏像に関する知識がないとスムーズな調査は望めないと感じたので、次回の調査までに仏像の本を少なくとも一冊読んでおこうと思いました。(テングサ)

0529大雲院仏像2
↑本堂阿弥陀三尊(霊光院)。 大雲院の本尊は千手観音。
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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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