甘露岩寺(Ⅲ)
孫権に想いを馳せる
霊岩禅師は十年以上の歳月をかけて山河を越える旅をした。あちこち縁(ゆかり)のある地で托鉢し、辛酸を舐め尽くした。元王朝20年(1291)に伽藍が完成した。殿閣は高々と壮大で、軒の組物は空に舞う。甘露泉の上に石亭を建て、亭中に湧泉がある。亭の柱には巨龍の彫刻が巻きついて、水中から出没しているように見える。100人以上の僧を集め、寺田は50頃(約300ha)に及び、県令は「甘露寺」なる寺号を与えた。「甘露寺」の名はこれより四方に伝わり、香火が絶えることはない。
長江沿岸に位置する北固山は「三国山」とも呼ばれている。それは英雄豪気の充ち満ちた山でもある。孫権と劉備の姻戚に係わる逸話があるため、西暦1100年ころから無数の文人墨客が北固山に登り、景に即して情を表した。豪放な胸懐(想い)は激烈にして、のどかな山河を壮麗な詩篇に描いている。
何処に神州(中原)を望めるのか
満眼の風光は北固楼に注ぎ 千古の興亡多少の事
悠々として(長江)上流の水は尽きることなく流れおち
若き数万の兵士は(山に)腰掛けて東南の戦を中断しているが
未だ(戦は)已むことがない
曹操と劉備を天敵として生をうけた孫仲媒(孫権)のように
西暦1205年、南宋の大詩人、辛棄疾は北固山に登り、中原の懐かしさに千古絶唱を残したのである。【訳注:上の詩は金に攻められ長江以南に追いやられた宋人の心境を呉の孫権に重ね合わせたもの】
←現在の甘露寺は1960年代の火災で焼失後に再建されたもので、福建省文物保護単位を解除されたが、2009年に三明市の「重点寺院」となった。世界ジオパーク・世界遺産「福建丹霞」の一郭を占める。