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甘露岩寺(Ⅲ)

0624甘露岩寺写真1


孫権に想いを馳せる

 霊岩禅師は十年以上の歳月をかけて山河を越える旅をした。あちこち縁(ゆかり)のある地で托鉢し、辛酸を舐め尽くした。元王朝20年(1291)に伽藍が完成した。殿閣は高々と壮大で、軒の組物は空に舞う。甘露泉の上に石亭を建て、亭中に湧泉がある。亭の柱には巨龍の彫刻が巻きついて、水中から出没しているように見える。100人以上の僧を集め、寺田は50頃(約300ha)に及び、県令は「甘露寺」なる寺号を与えた。「甘露寺」の名はこれより四方に伝わり、香火が絶えることはない。

 長江沿岸に位置する北固山は「三国山」とも呼ばれている。それは英雄豪気の充ち満ちた山でもある。孫権と劉備の姻戚に係わる逸話があるため、西暦1100年ころから無数の文人墨客が北固山に登り、景に即して情を表した。豪放な胸懐(想い)は激烈にして、のどかな山河を壮麗な詩篇に描いている。

   何処に神州(中原)を望めるのか 
   満眼の風光は北固楼に注ぎ  千古の興亡多少の事  
   悠々として(長江)上流の水は尽きることなく流れおち
   若き数万の兵士は(山に)腰掛けて東南の戦を中断しているが
   未だ(戦は)已むことがない
   曹操と劉備を天敵として生をうけた孫仲媒(孫権)のように 

 西暦1205年、南宋の大詩人、辛棄疾は北固山に登り、中原の懐かしさに千古絶唱を残したのである。【訳注:上の詩は金に攻められ長江以南に追いやられた宋人の心境を呉の孫権に重ね合わせたもの】


三明市IMG_1814 ←現在の甘露寺は1960年代の火災で焼失後に再建されたもので、福建省文物保護単位を解除されたが、2009年に三明市の「重点寺院」となった。世界ジオパーク・世界遺産「福建丹霞」の一郭を占める。

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2013コンフェデ(Ⅳ)

西伊戦三度


 コンフェデもついにベスト4の戦いを迎えた。伯剌西爾対宇柳具は前半だけみて床についた。西班牙対伊太利亜も同じようにしようと思っていたのだが、駄目だね・・・西伊戦は血が騒ぐ。PK戦の終わりまでしっかり見届けましたよ。
 前半はユーロのグループリーグ初戦を思わせる攻防だった。3バックの伊太利亜を西班牙は攻めあぐね、伊太利亜はカウンターから早いタイミングで西班牙両サイドの裏を突き、何度も好機を演出した。バロテッリが居れば、1~2点前半で奪えただろう。伯剌西爾ディフェンスはバロテッリを削りに削った。ダビド・ルイスの削り方がいちばん酷く、あそこまでやるかな、と思うほどだった。薬物疑惑さえ感じさせる形相でバロテッリを倒し続け、ついにはルイス本人が鼻血まで出したんじゃなかったっけ?
 ラモスとピケの2バックにジラルディーニョ1枚では対抗できない。が、それでも、伊太利亜は西班牙の封じ方を実践してみせた。こうすれば西班牙が機能しなくなるという方程式を示した点、非常に意義深い試合であった。以下のような諸点が浮き彫りになった。

 1)3バックの前に4ボランチを配する陣形で集中守備を実践すれば、西班牙からボールを奪える。
 2)西班牙は縦のドリブルに弱い
 3)西班牙に攻めさせると、守備ラインを高く保持するので、とくに両サイドへのロング・フィードが有効に機能する。
 4)ゴール前のヘディングの競り合いでは優位に立てる。

 ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグでの独逸勢のアプローチに加え、伊太利亜代表のフォーメーションを参考にすれば、いっかな西班牙とて常勝ではなくなるだろう。


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拓本トレーニング

0621蟇股02 ←蟇股


摩尼寺、長谷寺、そしてブータンへ

 みなさん、梅雨は好きですか?
 6月21日(金)、3年ゼミの活動も11回目となりました。本日は摩尼寺の調査を再開する予定でしたが、梅雨入り以降3週間近く降らなかった雨が、思い出したかのように降りはじめ、ここ3日間雨続きの空模様でして、調査は延期となりました。あ、ちなみに私は、先日購入したお気に入りの和傘を愛用しているため、梅雨は好きです。
 この日は組物の拓本をとる練習をゼミ室でおこないました。建築意匠の拓本とりは摩尼寺や長谷寺だけでなく、夏のブータンでも行う予定です。いきなり現場で拓本をとるのも不安なので、今回室内で予備練習できたのは幸運でした。
 どういうわけか、修復建築スタジオには「間斗束上の実肘木」と「蟇股」の実物があります。なんでも屋根が崩落していた廃寺の仏堂で腐朽していない部材を確保したものだそうです。拓本には濡れた炭を使う「湿拓」と鉛筆などを使う「乾拓」があり、軒瓦紋様などは前者、建築図柄には後者を採用するそうです。前日、白帯さんの指示に従い、和紙、4Bの鉛筆、メンディングテープを買いそろえておきました。部材に和紙を貼り付け、その上から濃いめの鉛筆でこすって絵様や部材の形を浮き彫りにしていきます。これが意外と難しく、蟇股では中央の法輪(輪宝)の部分の凹凸が激しいため、なかなかエッジが浮き出てきません。うまくこすらないと見栄えが悪くなってしまいます。


0621実肘木02 0621実肘木01 ←実肘木


 先生は研究所時代からもっぱら4Bの鉛筆を使ってきたそうですが、今回は乾拓用の炭も使ってみました。この炭は争乱のトルコに出国された会長さんから寄贈されたものです。ネットで調べてみたところ、「油煙と木蝋を調合した墨」と説明してあります。炭にしても鉛筆にしても、部材の面全体を撒布するのはあまり効果的ではありません。模様のあるエッジ部分を集中して柔らかく摩擦することで綺麗に文様を写し取れます。また、細かい部分は鉛筆を使ったほうがよさそうです。実際の調査では、鉛筆と炭を併用することになりそうです。


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第11回「めざせ、ブータン!」其弐

衣食班の活動


 6月20日(木)。ぼくたちの「衣食」班は、先週制作したエマダツィと赤米に関するパワーポイントの発表をしました。自分たちの中ではいい感じに仕上がったと思っていたんですが、、いざみんなの前で発表すると反省点が数多く見つかり、先生からたくさんアドバイスをいただきました。赤米のところは「よく調べている」と誉められたのですが、発表時間がやや長すぎるのと、日本各地でブームになっている「古代米」について触れるよう指示がありました。エマダツィは日本風のレシピを中心に紹介したのは大きな間違いでした。もちろんブータンのエマダツィのレシピを紹介しないといけないし、ブータンにおける食材の仕入れについても述べなければなりません。
 ぼくたちの発表後、他の班が先週チェックしたDVD『もののけ姫はこうして生まれた』の関係部分を全員でみました。解説は2年のK先輩です。はっきりブータンとの関係が示されたのは「蝦夷の衣装」で、ブータンの子供たちの衣服をモデルにしています。ブータンの子供たちの画像が映しだれました。この点は「衣食」を担当するぼくたちが発表することになるので、照葉樹林文化とあわせて「もののけ姫」の理解も深めていく必要があると思いました。
 ここまで全員で発表をしたり聞いたりして、その後、班に分かれて活動しました。ぼくたちは、先生のアドバイスの録音を聞きながら、分担してそれぞれ調べ物に徹しました。今は資料集めに専念し、おって集約の作業に入ろうと考えています。まだブータンの衣服については資料集めが進んでいないので、次回から取り組もうと思っています。最後は自分たちだけでなくみんなが納得してくれるような発表が出来るようにがんばります。(経営学科1年K.Y)


0620ブータン衣装02子供 0620ブータン衣装01蝦夷
↑ブータンの子供の衣服をモデルに蝦夷の服装を考えている


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第11回「めざせ、ブータン!」其壱

Traditional Bhutanese Houses

 またまたブータン民家に関する新資料がみつかった。なんでも研究室OBのホカノさんという先輩が届けてくださったらしい。その資料は千葉工業大学建築都市環境学科ブータン伝統住居実測調査団が調査した報告書である。タイトルには『Traditional Bhutanese Houses』という英文が用いられている。第Ⅰ巻~第Ⅲ巻の3分冊で、第Ⅰ巻にはブータンの民家や城(ゾン)を実測した寸法などが細かく記されており、参考にしていきたいものもいくつかあった。計測には「目指せブータン」の現場班が実習しているトータルステーションも使われている。そして報告書を閲覧しながら、ブータンの民家にはチベット的な遊牧民の要素と東南アジア的な高床式住居の要素が融合していることを先生にご教示いただいた。たしかにブータンの民家では、一階部分は家畜の飼育に使われていて二階部分から上が人の生活スペースになっている。東南アジアの高床住居によく似ているが、その一方で外側を囲む分厚い壁や細部意匠はチベット建築の亜型のように感じられた。そういうことを頭において模型制作に励んでいきたいと考えている。第Ⅱ巻には3Dレーザースキャナーを使った立体画像があり、民家の周辺地形などを詳しく表現している。第Ⅲ巻にはブータンの伝統住居をどのように保全活用するかについての提案があった。
 模型制作にあたって特に注目したのは第Ⅰ巻に含まれる窓の寸法とその位置である。これまでの資料には窓の詳しい寸法や位置は記されていることが少なく、模型作りにおいての不安要素の一つであった。窓に関してはこの資料を活用していきたいと考えている。そして今回、ブータンの民家の壁にはいくつか穴があいていることにも気づいた。この穴は民家を建てる際に足場となる木材を差し込んで上へ上へと作っていった痕跡であることが分かった。これも忠実に再現していきたいと思っている。

 プロジェクト研究発表会まであまり時間が無くなってきたことを実感している。今後のスケジュールは以下の通りで進めていきたいと考えている。

  6月27日 製図完了
  7月 4日 材料購入、模型と解説パネル制作開始
  7月18日 模型、パネル完成予定。

 大まかにはこういった予定で進めていきたいと考えている。あまり時間が残っていないので、授業以外でも時間のあるときには模型製作を進めていきたいと考えている。(環境学科1年I.T)


千葉工大報告書

甘露岩寺(Ⅱ)

0618甘露岩寺写真02


重源の訪れた寺??

 甘露岩寺は南宋紹興16年(1146)に創建され、850年以上の歴史がある。岩窟の高さは80m以上で、上部の幅30m以上、下部の幅10m以上を測り、逆三角形の形状を呈している。いにしえ人はこの地理上の弱点を建築上の利点に変え、「一本の柱を地に挿し、瓦を葺かない」独特の建築構法を採用した。すなわち、1本の巨大な柱を地に挿し四層の楼閣を支え、屋根に瓦を用いない。全ての建物は木質で、分上殿、蜃楼閣、観音閣、南安閣の四部分から構成されている。日本人が言う「挿肘木(さしひじき)」のT形肘木を通肘木として連結し、釘を用いず、工芸艶やかで、天工(大自然のなせる技)を巧みに奪い、彫刻彩色は見事、独特の風格を備え、中国建築史上の一大傑作として国内外に名を馳せている。考証によれば、12世紀に日本の名僧、重源法師が3度福建省を訪れて調査した際、甘露岩寺の建築工芸を学習して帰国し、世にも名高い奈良東大仏殿【訳注:あきらかに東大寺大仏殿の誤り】を再建した。大仏殿が大量に使用するT形斗拱(挿肘木)は、まさに甘露岩寺のスタイルを採用したのであり、それを賞賛して「大仏様」と呼ぶようになった。1950年代、甘露岩寺は省級文物保護単位に列せられた【訳注:1960年代の火災による焼失の後は三明市重点寺院】。


甘露岩寺 配置図 ←甘露寺 屋根伏図


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2013コンフェデ(Ⅲ)

日墨戦評


 日墨戦の直前にBSで墨伯戦の録画を流していた。墨西哥は伊太利亜戦の出来がよくなかったが、伯剌西爾相手に試合を支配している。ボール・ポゼッションではるかに伯剌西爾を上回っているのだ。伯剌西爾はとりわけ右サイドのジョバニ・ドス・サントスに苦しみぬいた(この選手はいずれバルセロナに戻るだろう)。ただ、今回のコンフェデではネイマールが神がかっている。かれの1得点1アシストで伯剌西爾は劣勢を覆し、墨西哥を倒してしまった。ネイマールの活躍がなければ、五輪決勝の再現を招いたかもしれない。そう思うほど墨西哥は強かった。
 日本は五輪の返り討ちにあう、という不安がよぎった。
 はたして悪夢は現実となった。墨西哥はこぢんまりした西班牙のようなチームだ。伯剌西爾や伊太利亜だから退けることができただけのことで、日本にはまだ墨西哥を下す力がない。墨西哥に勝つ力もなければ、2-0とリードした伊太利亜と引き分ける力もない。それが現実なんだ。

 それにしても、ザッケローニ監督の采配には頭を傾げてしまう。先発から吉田を外した点は評価するけれども、両サイドバックが気になった。内田の疲労が激しいというが、長友の膝も爆弾を抱えている。最初から酒井高徳を使っておけば、長友の負傷退場を回避できたように思えてならない。
 本田も不調だった。動けないし、ボールがとまらない。先発させるべきでなかった。先発させるにしても、途中交代させるべきだった。なにより、リードされてから守備要因を2人も投じてフォーメーションを3-4-3に変える采配に目を覆った。ザックが動くたびに失点する。いまやそういうジンクスさえ生まれつつある。リードされているのだから、点を取るための交替をすべきであって、当然のことながら乾や中村憲剛の早期投入が必要だった。


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尾崎家住宅 春の一般公開

0621尾崎家公開 オモヤ正面


 6月16日(日)、湯梨浜町尾崎家住宅の一般公開がおこなわれました。尾崎家は、ASALABが2006年度に調査し、2007年に報告書を刊行しています。その後、2011年に県の保護文化財に指定され、今年5月に国重要文化財に申請されたばかりです。尾崎家にとって一般公開ははじめての経験であり、ASALABからも4名の学生が支援に向かいました。現地では倉吉の会長さんと合流したとき、すでに湯梨浜町のスタッフの方が準備されていたため、自分たちもすぐにその手伝いをしました。
 私たちの仕事は、来場者の誘導です。重要文化財になることが決まった尾崎家ですが、居住者の生活スペースに視線が及ばないようにするガード係と言ってもよいかもしれません。一通りの仕事を尾崎家の御主人から教わったあと、ついに公開の時間になりました。入口の門から、続々とお客さまが入って来られます。オモヤの前庭はまたたくまに満杯となりました。これだけのお客さまを一度に屋内に入れるのは難しいので、見学は15人ずつ制限をして、時間を区切って入場者を入れ替えていきました。


0621尾崎家公開 玄関


 昼食休憩後、近くの公民館でおこなわれた県教委Mさんの講演を聞きました。尾崎家の歴史と建造物について理解が深まりました。その後、再びスタッフとして会場の誘導係を務めました。午前と変わらず客足が止むことなく、一般公開は無事に終了しました。尾崎家の方も来場者の多さにとても喜んでおられました。
 今回の一般公開は湯梨浜町民むけのものでしたが、秋には県内外にむけての公開が控えています。そのときの講演は教授が担当されるそうです。公開後の片付けをひとしきり終え、尾崎家の向かいにある安楽寺に立ち寄りました。幸運にも、本堂の中までみせていただきました。秋の教授の講演では、ぜひ安楽寺のことにも触れていただきたいと思った次第です。(ケント)


0621尾崎家公開 玄関2

憧れのバッキー

0615スチール02


 雨中のインパルス操作実習を終え、わたしとホカノは一路新大阪をめざした。新大阪で新幹線に乗れば、その日のうちに東京に戻れるということで急がなきゃなんない。しかし、いきなり河原の「道の駅」に立ち寄ることにしましてね。野菜が買いたかったんです。そこで、飲料を補給しようとしていると、トイレから引き上げてきたヤツがいう。
 
  「なんか、板みたいなギターをおじさんがホールで弾いてますよ・・・」

 板みたいなギターぁ・・・たしかにムード音楽が流れていて、それは、ハワイアン・スティールギターの音色だった。結構上手い。あわててロビーに入ってみると、白髪の老人がご覧の通り、スティールギターを奏でている。音楽はハワイアンというよりも、マヒナスターズか石原裕次郎のムード歌謡ポップスだった。
 曲の合間に、またわるい癖がでた。弾き手に近づいて質問・・・

  「お上手ですね、すいません、チューニング教えていただけますか?
   オープンG??」
  「いや、いやっ、Am。2本並べてるギターの内側がオープンAm、
   外側がオープンAm7、つまりC6だね」

 こりゃ本物だ。Am7とC6が同じ音の構成だって分かる人、少ないですからね。音の並び方はちがうんだけどね。Am7はラドミソ、C6はドミソラ。


0615スチール01
↑ペダルはついてないね。

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ホカノさん来鳥講義(Ⅱ)

0615ジャイアン講座02


動け、インパルス!

 9月のブータン調査で使用するハンディ・トータルステーションを唯一使った経験のあるホカノさんが5月に続き来鳥され、指導を受けた。まず、トータルステーション一式を構成する機材を列挙しておく。

 1)側距儀「Inpulse 200LR」 2)側角儀「Mapstar」 3)PDA(pocketPC)
 4)データ収集ソフト「A-LaeserCE」 5)Tribrach(標準台)
 5)Tribrachアダプター  6)三脚

 長谷寺ではさっぱり動かなかった器材の不調に先月の二の舞となることが危惧された。本番の15日は当初、熊野神社遺跡と摩尼寺境内でベンチマークのトラバース測量を試行する予定だったが、先輩が東京から梅雨を運んできたのか、珍しく雨が降り、学内で試行錯誤を繰り返した結果、インパルスとタブレットPCの連動に成功した。操作手順を整理しておく。

 ①ハンディ・トータルステーション一式を組立て設置。このときに「Mapstar」とPDAを繋いでおく。
 ②PDAの中に入っているソフト「A-LaeserCE」を起動させ、設定を行う。メイン・ウィンドウには[新規現場作成]、[現場を開く]、[観測・計算]などのアイコンが表示される。【※現場で測量を初めておこなう場合、新規現場作成の手順となる】
 ③[新規現場作成]を選択する。[現場名]に任意の名称を打ち込みOKを押す(座標系は[9]のままでよい)
 ④次にメイン・ウィンドウに戻り、[現場を開く]を選択する。表示されたリストの中に先ほど作成した[現場名]があるので、それを選択する。
 ⑤[観測・計算]を選択する。PDA画面左上段にプルダウンメニューがあり、その中から[座標入力]を選び、表示画面を変更する。ここで、基準点をGPS測位した座標系を入力。「点名」は任意の名称、X座標に基準点(KT)の経度、Y座標に基準点の緯度を入力して登録を押す。
 ⑥PDA画面左上段のプルダウンメニューから[レーザー測定器+GPS]を選択すると、画面が切り替わる。画面に基準のポイントがマークされており、基準点の横に点名を入力する。それから、基準点をクリックする。ここで点名の後に001と入力する必要がある。そうしないと、測点が画面に表示されない。
 ⑦次に「Inpulse 200LR」(右側画面手前のボタン)と「Mapstar」(右下のボタン)の電源を入れる。このときPDAより先に電源を入れてはいけない。
 ⑧「Mapstar」は内臓の磁針尺があり、これをビープ音に従い回転させ校正する。左上のボタンを押し、画面中央に四角形のマークがあたるようにすると、ビープ音が小刻みに鳴る。これで設定完了。


0615ジャイアン講座01



 

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2013コンフェデ(Ⅱ)

日伊戦慨嘆

 2-0でリードしているチームが引き分け以内で終われない。プロのチームのやることではないし、プロの監督のやることでもない。
 最悪のケースでさえ、3-3で終わるべき試合だった。
 3-3の局面で、伊太利亜は「ドローで御の字、勝てばラッキー」という思惑で試合を進めていた。日本はちがった。どうしても勝ちきりたいという意志がありありとみえた。自分たちが世界に通用することを誇示しようという気持ちが強すぎて、転んでしまった。伊太利亜に勝つことよりも、グループリーグ突破の可能性を残すことの方が重要だったはずだ。日本も伊太利亜と同じく、「ドローで御の字、勝てばラッキー」という考え方で十分だったのではないか。残る1試合、日本が墨西哥に大勝し、伊太利亜が伯剌西爾に敗北すればベスト4に勝ち上がれる。3-3の局面で、過剰なまでに攻撃に意を注ぐのではなく、守備要員を自陣に4~5名以上残しておくぐらいのバランス感覚が必要だっただろうと私は思う。
 前田と内田を下げて、ハーフナーと酒井を入れた。酒井のアーリークロスをハーフナーにあわせろという戦術的な指示だとBSのアナウンサーは解説し、私もそうだろうと推察した。しかし、酒井は一度もハーフナーにクロスをあげなかった。他の選手もハーフナーめがけてのパワープレーを最後までやらなかった。選手交替して同じサッカーをするなら、交替などしない方がいい。内田の方が酒井より守備力は上であり、4点めを防げたかもしれない。選手交替が3-3から3-4への戦況悪化をもたらした遠因の一つである。


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倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(Ⅱ)

bannduke.jpg   長谷寺柱の樹種



長谷寺本堂柱材の調査


 6月14日(金)。倉吉市打吹山にある長谷寺で柱の実測と樹種鑑定用のチップの採取をしました。前回は長谷寺の概要説明だけでしたが、今回から調査が始まります。また、2期生のホカノ先輩がハンディ・トータルステーションの操作指導にかけつけてくださいました。3年生は12時頃から1人1本、A01~A05の柱のスケッチと採寸を担当しました。分担は以下のとおりです。

  A01:セツ  A02:フジイ  A03:タク庵
  A04:ユート   A05:ケント

 柱を実測するのは初めての経験ということもあり、まずは練習ということで、建物背面のA01~A05の5本を選びましたが、講義後合流された教授は、懸造前方側の継ぎ目のある長い柱を選んで欲しかったと言われました。継いだ上下の柱の年代を測定することで、創建年代と移築年代が分かるからということです。今回実測した柱とチップ採取材をリンクさせるべきだったとも言われました。スケッチは最終的にCADで仕上げるのでわかりやすく描く必要がありました。今回先発隊が3年生のみだったため、高さ測定器をスタッフと間違えてしまい、最初はコンベックスを使って高さを測っていました。しかし、柱にうまく引っかからず、採寸に骨を折っていました。
 一方、ホカノ先輩の方も、ハンディ・トータルステーションがうまく動かず、タブレットPCに測定値があらわれません。ブータン調査にハンディ・トータルステーションが必要なので、うまく動くようになって欲しいと祈りながら、実測を続けていきました。


0614長谷寺01材種05 DSC02645.jpg 


 合流された先生と白帯さんが高さ測定器を持ってきてくださったので、それ以降の実測で使ってみると、とても簡単に高さを出すことができました。その後、すべての柱の直径の計測と樹種鑑定用のチップ採取に移行しました。樹種鑑定については、某工務店の社長さんがおいでになったので、肉視で鑑定していただきました。それによると大半がスギ材で、ほかにクリ、シイ、マツ、モミなどが含まれているようです。スギの場合、年輪年代測定が可能になる可能性があり、他の材は放射性炭素年代測定の対象になります。今回はD03(スギ?)、D04(スギ?)、E01(モミ?)、E02(クリ?)、E05(クリ?)の5材でチップを採取しました。この5点について、肉視ではなく、マイクロ顕微鏡による樹種鑑定を依頼するそうです。


0614長谷寺01材種03 0614長谷寺01材種04

0614長谷寺01屋根裏01
↑本堂屋根裏にも面皮材が少なくない。科学的年代測定向きの材が多いかも?


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第10回「めざせ、ブータン!」其肆

0613熊野02石仏01


羅漢仏データベースにむけて(1)

 6月13日(木) ぼくは熊野神社遺跡での実習のうち、石仏調査についてレポートします。今回は地図の中で赤く囲まれている4つの地点の石仏を調べました。まず写真撮影です。正面、側面、裏面、斜め上からの全景の4枚を撮影します。その後、折れ尺とコンベックスを併用して石仏の寸法を測りました。計測箇所は、全高、幅、奥行、仏像のみの高さ、肘部分の幅、膝部分の幅・奥行です。簡単なようですが、慣れないうちは難しく感じました。それでも、休憩をはさみながら、4か所調べました。最初に調査したA01の石仏にはコケがついていました。苔は石を劣化させるため取り除かなければならないらしいです。また、石仏が台石などに乗せられている場合、その台石も調べなくてはなりません。今回調査した中で、B01とB02の石仏は石を積み上げてできた窟の中にあったので、計測できない部分もありました。


A01圧縮 6/13熊野神社遺跡



 熊野神社遺跡の石仏はいわゆる十六羅漢です。羅漢は「阿羅漢アラハン」の略で、サンスクリット語の「アルハット」を語源としています。日本語に訳すと、「悟りをひらいた人」という意味。釈迦の弟子でとくに優れた16人を「十六羅漢」といいます。『大阿羅漢難提多所説(法注記)』によると、以下の16名が阿羅漢の称号をもつ高僧とされます。

  1.賓度羅跋囉惰闍 (ビンドラバラダージャ Pindolabharadrāja)
  2.迦諾迦伐蹉 (カナカバッサ Kanakavatsa)
  3.迦諾迦跋釐堕闍 (カナカバリダジャ Kanakabharadrāja)
  4.蘇頻陀 (スビンダ Subinda)
  5.諾距羅 (ナコラ Nakula)
  6.跋陀羅 (バダラ Bhadra)
  7.迦哩迦 (カリカ Kālika)
  8.伐闍羅弗多羅 (バジャラブタラ Vajraputra)
  9.戎博迦 (ジュバカ Jīvaka)
  10.半託迦 (ハンタカ Panthaka)
  11.囉怙羅 (ラゴラ Rāhula) = 釈迦の実子
  12.那伽犀那 (ナガセナ Nāgasena)
  13.因掲陀 (インガダ Ańgaja)
  14.伐那婆斯 (バナバス Vanavāsin)
  15.阿氏多 (アジタ Ajita) = 弥勒菩薩
  16.注荼半諾迦 (チュダハンタカ Cūdapanthaka)


B01:2圧縮 B01圧縮
↑B01


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第10回「めざせ、ブータン!」其参

0613熊野01測量02 


熊野神社遺跡での測量実習(1)

 6月13日(木)。雲一つない青空の下、先週に引き続きブータン調査に参加する1年生4名は学外でのフィールドワークをおこないました。今回はキャンパスから離れ、白帯先輩と会長さん同行の下、佐治町の熊野神社遺跡での実習です。せっかく修験道の遺跡までやってきたということで、測量だけでなく、石仏のデータを採集することにもなり、2班に分かれて活動しました。わたしは測量班の実習についてお話します。
 わたしたちは初めに、小鳥居のある平場(加工段)で三脚を設置しました。前回、三脚立に手こずってたわけですが、山中で地面がデコボコという条件下だったためまた時間がかかると予想されましたが、地面が柔らかかったため、三脚がすんなり土中にくい込み、すぐに設置を終えました。地面すれすれに残っている木株に釘を打ち込んで、その点を基準点にしました。次に水平調整ですが、前回教わった「左手親指の法則」を二人ともマスターし、こちらもすんなり作業を終えることができました。


0613熊野01測量01 測量01写真


 しかし、このあと困難の連続でした。会長さんのお話では通常、真北と真南そして真北から90度の三点に杭を打って最初に基準点を決めるのですが、今回使ったトータルステーション(TS)には北を特定する機能がついていなかったため、近くの三重石塔を方位上の仮の0°としました。しかし、この方法だと測定をしても正確なデータを採るのは難しいとのことでした。(ブータンでの測量は別のTSをもっていくそうです)。
 次に、私たちは狭い範囲に4基並ぶ三重石塔の位置を測量していたのですが、遅れて合流された教授からは、いきなり「そんなん意味ない。巻尺で計ったほうがまし」と一喝される始末。TSを使うのは、もっと広い範囲の測量のためだということです。地形の屈曲点や結節点を探し出して座標を求めるようにしないといけないということです。それまでの作業が間違っていたことに気づきました。それから教授は、平場のエッジ部分や階段部分にミラーを立て、測点の見本を示されました。このほか、レベルブックや画板などを忘れたため作業が効率的に進まず、準備不足に気づかされ、とても反省しました。

0613測量位置 ←測点


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2013コンフェデ(Ⅰ)

日伯戦雑感

 ジャイアンを新大阪まで送って帰宅し、ブログを書こうとしたがソファで眠りに落ちた。午前4時起床。録画予約のTVは自動的にBSに切り替わり、コンフェデ開幕戦の映像が映し出された。
 歓迎会3次会の味蔵で、日伯戦の予想を聞いた。今のASALABでこの質問に答えられるのはユート(元カメムシ野郎)だけ。かれは1-3と答えた。わたしは最近の伯剌西爾のゲームをみていないが、昨秋の0-4の敗北が非常に印象深くあり、1-3では済まないだろうと思っていた。仏蘭西が0-3の負けなんだから、日本なら0-4か0-5になっても全く不思議ではない。
 日本は前半の中盤に10分以上ボールを支配する時間帯があった。ひょっとしたら1-1に追いつくかもしれない、否、倫敦五輪決勝の墨西哥のように伯剌西爾を打ち負かすか・・・そう思えるほど、前半の伯剌西爾の出来はよくなかった。監督がメネゼスからフェリペに変わって、さらに強くなっているだろうと期待していたのだが、実況アナウンサーによれば、フェリペ監督と今のセレソンに国民は冷たい視線を浴びせているという。前半のプレーをみる限り、さもありなん・・・個の力は認めるけれども、コレクティブな連動性はまったく感じない。こんなチームじゃ西班牙には歯が立たんでしょう。
 ハーフタイムにフェリペは激昂して選手を鼓舞したのではないか。後半のセレソンにはチームとしての連動性が芽生えていた。日本と何がちがうのかって、まぁみての通り、ボール受けてからの判断が速いし、寄せも速い。日本人が球をうけて「さぁどうしようか」と考えているあいだに伯剌西爾人がプレスをかけ、あっさりボールを奪ってしまう。結果、0-3で終わったわけだが、これぐらいの実力差は当然あるでしょ。これぐらい実力差があるチームに対して真っ向勝負を挑んだら、こうなる・・・というか、0-3で済んで良かったね。そもそもコンフェデやワールドカップで「優勝する」と公言するからには、伯剌西爾だの西班牙だの伊太利だの独逸などに勝たなければならないわけです。勝てないことはないとも思うけれど、真っ向勝負で勝てるほど世の中は甘くない。とても残念なことだが、強豪に勝ちたいなら、南亜W杯のような4-1-4-1とか、あるいは3-4-2-1のような布陣を敷くしかないのではありませんか? 少なくとも2ストッパーのカバーとしてアンカーが必要であり、その大役をこなせそうな選手は闘莉王しかいないように思える。


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第10回「めざせ、ブータン!」其弐

「もののけ姫」はこうして生まれた


 6月12日(木)、今回私たちの班は、以前見た宮崎駿の『もののけ姫』とブータンの関連性についてを探るべく、『「もののけ姫」はこうして生まれた』と言うDVDをチェックした。約130分×3本のDVDを3人で分担して、ブータンと関連していそうな部分を抜き出していったのだが、これがまた地道な作業だった。しかし、その中で有益な情報をみつけることができた。たとえば、アシタカの故郷である蝦夷(えみし)の村の娘の衣装が、ブータンの子供の衣服をモデルにしたということ、そして「シシ神の森」は、中尾佐助の照葉樹林文化論に影響を受けて構想されたということだ。蝦夷の村に多くの懸造建築が描かれている点にも注目したい。
 どうも宮崎駿監督は、中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書、1966)がお気に入りで、森を描くのであれば照葉樹林がベストだと判断したようだ。
 照葉樹林文化論とは、日本の生活基盤をなす主な要素がブータンを含む「アッサム-雲南」地域から伝播してきたのではないかという学説だが、宮崎監督は「もののけ姫」を制作するにあたり、かなりの要素を詰め込んだと見える。確かに今「もののけ姫」を見直すと、関連するところは多いと私も思う。

 以下、DVDの映像時間を示す。(環境学科2年K.N)

【第1巻】 照葉樹林 08′31″~08′31″ 74′56″~77′00″ 
      中尾佐助 69′30″~74′56″
      衣 服  11′00″~11′30″ 12′10″~12′39″ 19′47″~20′20″  
        〔ブータン関係〕69′30″~74′56″
      棚 田  66′04″~67′00″ 68′36″
      蝦夷の村 11′45″ 97′38″~101′00″(森林とも関係)
        〔タタラ場〕12′00″~12′10″


【第2巻】 背景に照葉樹林 37'45"~38'57"  70'04"~70'29"
      アシタカ衣服のアップ 17'48"~19'48"  83'58"~85'01"
      エボシの部下の衣服 19'19"~19'48  90'30"~90'51"
      赤と白の衣服 80'40"~80'56"  107'57"~109'41"
      画面右上の背景に棚田 28'30"~30'54"


もののけ姫はこうして

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第10回「めざせ、ブータン!」其壱

 6月13日(木)。今回の活動は5班に分かれての活動となりました。じつは先週、発表会での分担が以下のように決められ、その班編成が基本になっています。

  1.イントロ~ブータンの自然と歴史【尾上、劉】
  2.中尾佐助と照葉樹林文化【棚部、永田】
  3.西岡京治とブータンの農業支援【福本、川上】
  4.ブータンの衣・食【稲本、小椋、春日井】
  5.洞穴僧院と懸造 -日本とブータンの比較-【川添、平尾】
  6.熊野神社遺跡での実習成果【角川、永田、川上、棚部】
  7.模型・パネル展示「ブータンの民家」【井口、岡田】


ブータン・日本国交20周年記念本

 私たちの班は、ブータンの英語文献から発表の参考となる「自然」・「地理」・「歴史」に係わる資料を探しました。共同発表者の中国留学生Lさんは、持ち前の語学力を活かしてすらすらと英語の文章を読み進めていました。一方で私はと言いますと・・・、パソコンの翻訳機を頼りに悪戦苦闘(笑)。写真を見ながら、文章を想像していくことしかできませんでした。そうなんです、私は英語はあまり得意ではありません。
 本日読み進めた英語文献は、①『Invoking HAPPINESS(幸福を祈願して)』 ②『20 years of BHUTAN-JAPAN DIPLOMATIC RELATIONS(ブータン・日本の国交20周年)』 という2冊の本です。①は主にブータンの祭りがメインとなっていました。踊っている祭りの風景や踊りの際に使用される仮面の写真がたくさん掲載されています。また、それぞれのダンスの種類や内容について、仮面の写真にしたがって説明がなされており、分かりやすかったです。

 一方、②は文字通り1986年から2006年までの国交20周年の記録誌で、英語と日本語の併記になっています。とても読みやすい本です。発表会では中尾佐助と西岡京治が重要な役割を果たしますが、もちろんかれらの業績も含まれています。
 本日の活動で10回目を迎えました。気づけばこのプロジェクト研究も発表まで残すところ5回です。長いようで短く、終わりが近づいているかと思うと何だか寂しい気持ちになってきました(笑)。これからはいよいよ発表にむけて、まとめの段階に入っていきます。今までのフィールドワークやDVD鑑賞で学んできたことを充分に発表に活かすことができるように、しっかりしたパワーポイントを作ります。私とL君の班は、発表会でトップバッターを務めることになっており、期待に応えるべく頑張ります!! (経営学科2年O.K)


happiness.jpg     国交 国交02西岡     
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甘露岩寺(Ⅰ)

 大学院ゼミで福建省泰寧県の甘露寺に関する文献の講読をしています。昨年の8月31日~9月5日に視察した世界遺産「福建丹霞」に含まれる岩窟寺院でして、日本語の文献は非常に少ないですが、中文で寺の沿革をまとめた『百度百科』掲載「甘露岩寺」の和訳を進めているので、少しずつその成果を紹介していきます。
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右鼓左鐘、廟(妙)在其中

 甘露岩寺は福建省泰寧県内に位置し、泰寧風景名勝区の金湖西岸、長灘人形山の西側にあって、南宋紹興16年(1146)に創建され、850年あまりの歴史がある。「一本の柱を地面に突き刺し、瓦を葺かない」独特の建築構法を採用し、国内外で名声を得ている岩窟寺院の一つである。1950年代に省級文物保護単位に列せられた。
 甘露岩寺は(略)泰寧でもっとも有名な岩窟寺院である。寺院は赤い巨石の岩陰に隠れ、左側の石は赤い岩石で頗る大きな鐘を象り、右側の石は天下無比の巨大な太鼓のようにみえる。このように甘露寺は鐘石と鼓石の間にあるので、「右鼓左鐘、廟(妙)はその中に在り」と表現された。この描写は地理的な位置を形容している。鐘鼓石の前に3本の古い松があり、「迎客松」と呼ばれている。山門の前の石碑には、宋代の進士、鄒恕が甘露岩寺を賛えた詩が記されている。

   高欄は半ば空中のごとく、雲山の第(てい)幾重に重なる。
   瀑流は千丈をうねり、鶴は五株の松に宿る。
   暁の鐘に禅房は黒(くら)く、霜林に木葉は紅(くれない)
   懸岩より回首して望むに、過ぐる前峰に思いを帰す。

 この詩は甘露岩寺の建築的特色と周囲の秋景色を賛美したものである。


0612福建調査資料1


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摩尼寺建造物の調査(Ⅰ)

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境内屋根伏図の作成など

 6月7日(金)。3年ゼミ活動の一環として、摩尼寺境内建造物の調査が始まりました。今回の主要な目的は、境内屋根伏図の作成ですが、学生全員で配置図に取り組んでも意味はないので、当初は以下のように役割分担を決めました。

  ①屋根伏図: セツ、フジイ
  ②写真撮影: ユウト、タク庵
  ③仁王門の平面実測: ケント


DSC02065.jpg 仁王門(隠岐焼火神社より移築)

 
 これまで摩尼山を訪れるときはいつも「奥の院」をめざし、山道を登って遺跡で活動してきましたが、今回の調査地は山麓に近い現在の境内です。私たちは初めて石段を登って境内をめざしました。山道よりは楽だろうと思っていたのですが、石段を登りきるまでにへとへとになっていました。ケント君は仁王門に一人残り、他のメンバーは摩尼寺境内に到着しさっそく屋根伏図を描き始めました。昨年度後期のP4で摩尼寺門前活性化計画に係わる茶屋等の実測調査を経験していましたが、屋根伏図を担当した匠1号がCゼミの配属となり、今回の調査で屋根伏図作成の経験者はいません。ですから、わたしもセツさんも初めての経験だったので、どうやって描いていけばいいのかよく分からず、右往左往しました。しかし、S先生からアドバイスを受けながら、私とセツさんは二手に分かれて作業を始めました。今回はメジャーで正確な値を測っていくのではなく、歩測で屋根伏図を作成することを木邸としています。私たちは一歩を約50㎝とし、建物の外周を歩いて測っていきました。建物全体の形状は予め用意してきたグーグル・アースの写真をみたり、ユート君やタク庵君が撮影した写真も参考にしました。この作業は、9月に予定されているブータン調査でも行うことになっています。


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第9回「めざせ、ブータン!」其参

0606パロ民家01


ノスタルジア・ブータン

 宮脇壇(みやわき・まゆみ)という有名な建築家が著した『ノスタルジア・ブータン』(建築知識・1999)を情報メディアセンターから借りてきた。ブータン民家の土壁は厚さが60㎝以上あることが分かった。四方を厚く、高い土壁で囲むことにより1階の家畜などを冬の極寒から守ることができる。そして2階ではカマドで火を焚き、そのぬくもりが下階の家畜にも伝わるようになっている。屋階の吹きさらし部分(3階)は木造のみで土壁がないため寒いが、この階は主に干し草や薪の乾燥に使われる。壁のない構造が最適であり、干し草をこの階に積むことにより下階への断熱効果も生まれることなどが分かった。
 ブータン民家の屋根は幅20cm×長さ150㎝×厚さ3cmの松材を重ねて葺く。12°ほどのゆったりした勾配の屋根であり、その上に石を置く。石は屋根葺き板を固定する役割があり、ブータン民家では屋根に釘を使っていないことに驚いた。模型では屋根の勾配は可能な限り実物と同じ傾斜に仕上げたいと思っている。屋根の上には実際に石を置き、より実物に近いものにしたい。


0606パロ民家03板葺き屋根02 0606パロ民家03板葺き屋根01


 ブータンの民家には設計図らしきものは存在せず、家を建てるときは、建主が建築材料をすべて調達する。大工仕事はゾー・ポンと呼ばれる棟梁に依頼して、ゾー・ポンの頭の中にある設計図に沿って住まいが建てられていく。これが伝統的な建築スタイルである。伝統的な建物の寸法はゾー・ポンの身体寸法によって決められていて、ゾー・ポンの体型によって柱の間隔などが違ってくる。つまり、ブータンの伝統的な民家は標準的なサイズがあるわけではなく、生身の人間を目盛として作られてきたのである。模型作りにおいて実物のサイズは模型のサイズに大きく関わってくるので、これからも情報収集に努めたい。(環境学科1年/模型制作班I.T)


0606パロ民家02


測量実習(1)

 6月6日(木)。とても気持ちの良い天気の中、学内ビオトープ周辺で測量訓練を受けました。白帯さんと倉吉の会長さんの指導の下、9月にブータンに行く予定のある1年生4名で実習に取り組みました。
 ブータンには小型のハンディ・トータルステーションをもっていくそうですが、今回は大型のトータルステーションで基礎を学びました。トータルステーションは「光波測距器」ともいい、高い精度で座標を読み取ることができます。白帯先輩のお話では、100万円ぐらいする機械だということで、機器に触るのも緊張してしまいました。 


0606測量03 測量1


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第9回「めざせ、ブータン!」其弐

0606試食01


由緒正しい赤米の炊飯

 6月6日(木)。ブータンの食文化を味わおうという目的で、わたしたちはブータン料理の試作をした。ここではブータンの主食である赤米の炊飯について説明する。
 ブータンの主食は米である。西岡京治さんの農業支援の影響で日本の白米が栽培されるようになっているるが、昔から栽培されている赤米をブータン人はとくに好んでいるそうだ。今回試作に用いる赤米は、先生が昨年9月のブータン訪問で直接農民の方から買われた由緒正しいブータン産赤米である。近年、弥生時代~古代の遺跡整備の一環として古代米としての「赤米」が各地で販売されるようになっているが、ラオスやブータンでは今も赤米が庶民の主食として生き続けている。赤米というだけあって、米のまわりに赤い薄皮があり、本当に赤いから驚く。
 ネットで赤米の炊き方を調べると、粒が硬いため炊く前日から水につけておくと食べやすいとのことだったので、炊飯の準備は前日から始まった。これは同学年のKさんが担当した。まず、赤米をしっかり洗った。昨年のお米ということで、米にはごみや黄色い粉がついており、5~6回水を替えた。


赤米と白米の混合00圧縮 赤米のみ


 今回は赤米3合のみのもの(↑右)と、食べやすさを考慮した赤米2合と白米2合をあわせた混合米(↑左)の2種類の米を炊いた。ブータンの伝統的な炊き方は、たっぷりのお湯で米を煮こんで、もうすぐ完成というときに、余りのお湯を捨て、もう少し火にかけて余分な水分を飛ばして出来あがりというものらしい。今回は出来立てのエマ・ダツィとともに食べたいと思ったため、少し多めに水を入れ、電気炊飯器で両方炊いた。


炊けた赤米00圧縮 赤米akamai圧縮



 炊いている途中、炊飯器からはプツプツとはじけるような音が聞こえ、赤米への期待感が膨らんだ。やっと炊き上がり、炊飯器を開けると桜色のご飯が湯気を立てている。炊き立てのご飯を少し味見してみると、粘り気が無く、パサパサとした食感だが、とても美味しかった。赤米と赤米・白米混合米を比べると、わたしは赤米のみの方が好みだった。どちらも心配していた硬さもなく食べやすかったのは、前日から水に漬けておいたからだと思う。


0606試食03
↑一つの皿に赤米と混合米を盛り分けている。

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第9回「めざせ、ブータン!」其壱

0606試食07洛陽風


激辛エマ・ダッツィ(3)

 6月6日(木)。ついにブータン料理再現の本番を迎えました。前日、一部の学生が赤米を水に浸けたり、エマ・ダッツィの具材を買いに行ったりと準備に奔走した模様です。また、調理器具は一部を他の研究室から拝借しました。当日の調理担当は以下のとおり。

  ①エマ・ダッツィ【ブータン風激辛】 稲本・尾上
  ②エマ・ダッツィ【中国洛陽風激辛】 平尾・劉(↑上の写真)
  ③エマ・ダッツィ【日本風まろやかな辛さで】 小椋・春日井
  ④赤米炊飯2種 川添・福本

エマダツィ、プロ研

 私が担当したのは①のブータン風のエマ・ダッツィーです。前回試食していただいた先生から、玉葱を少なめにして水分をおさえ、チーズを多くして「焼きドリア」のようにして欲しいという要望が予め伝えられており、みなその指示に従いました。ブータン風激辛のレシピを示します。

 ①本場ブータン激辛エマ・ダッツィー
  【材料】 ジャガイモ(3~4個) ピーマン(3~4個) 玉葱(4分の1)  
        ブータン赤ピーマン(10個)  とろけるチーズ(6枚)
        水(150cc) 塩コショウ(少々)

  【手順】 ①材料を全て切り、野菜、唐辛子を炒めます(↓)。
        ②水を注ぎ、水が満遍なくひろがったら、チーズをいれ、塩コショウで味付け。
        ③チーズがとけて水気がなくなったら完成。


0606試食08ブータン風


 前回試作したとき、チーズは2枚半ほどで唐辛子も2個ほどしか入れなかったためか、あまり辛くはありませんでした。今回は唐辛子を増やしました。やはりブータンの唐辛子は辛かったです。唐辛子は炒めると匂いがきつくなるため、みな咳き込んで、涙が出るほどです。しかし、チーズを入れると強烈な匂いと辛味が緩和されました。中国の洛陽からやってきた留学生Lくんは、洛陽の唐辛子のほうがブータンよりも辛いと自信満々でしたが、洛陽の唐辛子は薬味の「鷹の爪」サイズであるのに対して、ブータンのサイズは甘長唐辛子ぐらいあって、辛さの程度はその面積に比例していたと思います。
 ですから、やはりいちばん辛かったのは、①本場ブータンのエマ・ダッツィです。ただし、赤米にのせて食べるとカレーライスのような趣きもあり、男子学生や先生は結構食べていました。日本人の口にあうのは③の日本風エマ・ダッツィに決まっています。先生は「居酒屋に出せる」と絶賛しておられました。そのレシピについては、1年生Kくんにバトンタッチ。(経営学科2年I.F)


0606試食11 0606試食06
↑(左)「赤飯とあわせると結構いけるよ、これ」 (↑右)韓国通いしているアッシー先生は全く辛さが気にならないご様子。

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平成25年度鳥取環境大学特別研究費に採択!

 表記のとおり、学内特別研究費に申請していた研究課題が採択されました。概要を以下にまとめます。

  研究課題: 近世木造建造物の科学的年代測定に関する基礎的研究

  研究期間: 平成25年度
  助成額:   792,000円

  研究の背景:  文化財としての建造物はおもに「歴史的価値」と「芸術的価値」によって評価され、前者の場合、当初の建築年代がとくに重要な位置を占める。仮に芸術的価値が低いと判断される場合でも、年代が古ければ文化財指定される可能性は高い。2013年1月1日現在、重要文化財建造物(国宝含む)は2391件4490棟を数えるが、元和年間(1615-24)以前の建造物はすべて国指定の対象となっている。建築年代の判定にとって最も信頼性のある史料は「棟札」だが、棟札等の文字史料を残さない場合も少なくなく、多くは「様式」編年に頼らざるをえない状況に甘んじている。社寺建築の場合、絵様・彫刻等様式の時代的変遷が顕著であり、建築年代の推定が比較的容易であるけれども、装飾性の乏しい民家・町家の様式変遷は曖昧であり、年代の確定に困難を極めている。編年が確立されているかにみえる社寺建築の場合でも、編年の信頼性が著しく高いかといえば疑問符がつくであろう。このような状況を背景にして、近年、木造建造物の年代比定に科学的年代測定の手法を導入しようという動きが芽生えつつある[中尾2009、2011]。
 木造建築部材の科学的年代測定には、①年輪年代測定、②放射性炭素年代測定のどちらか、もしくは両方が適用されるが、二つの手法には一長一短がある。年輪年代測定は縄文時代から近代に至るまで誤差の少ない測定が期待されるものの、対象となる材種はスギとヒノキに限られ、また木材に200年以上の年輪が残存していることが必要条件とされる。一方、放射性炭素年代測定は14Cの半減期(5730年)を利用した有機物の年代測定法であるため誤差が大きく、旧石器~新石器時代の考古学的年代判定に多用されてはいるが、歴史考古学には不向きであるとされてきた。ところが、2000年に発見された出雲大社境内遺跡大型本殿跡の礎板の14C年代(西暦1215-40年)と棟持柱根の年輪年代(西暦1227年)がほぼ一致をみたことで一気に信頼感が高まった。この背景には、加速器質量分析(AMS)法とウイグルマッチ法(樹輪の暦年較正による年代補正)の開発と進展がある。こうした成果をうけて、近年、中尾がウイグルマッチ法による中近世木造建築部材の放射性炭素年代測定を試み、一定の成果をあげている。しかしながら、これまでの研究は重要文化財などの指定建造物の測定にやや偏向しており、未指定・未登録の近世建造物についての測定データは著しく少ない。申請者はこれまで摩尼寺「奥の院」遺跡出土の炭化物木彫仏のAMS法年代測定、島根県出雲市平田町「本石橋家」(本家)のウィグルマッチングと「石橋酒造」(分家)のAMS法年代測定に取り組んできたが、これらの研究をさらに深めるべく以下の研究を構想している。


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マニーさん修行記(Ⅲ)

 報告書『聖なる巌(いわお)-窟(いわや)の建築化をめぐる比較研究-』が環境大学ホームページのTUESレポートで広報されました。以下のサイトをご参照ください。

 ・学内から
  http://tkserv.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/20130605/

 ・学外から
  http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/20130605/

 研究機関等への報告書送付もほぼ同時に終わりました。ようやく2012年度が終わったか・・・というと、終わってないんだな・・・平田がまだなんです。やっかいなことになってきました。予想だにせぬ展開をいかに軌道修正するか。前半期の大きな課題になりそうです。


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玉葱

 週末の午後、門ベルが鳴った。家内は電話にでている。面倒だが、自ら対応するしかない。カーテンをちらりとあけて門前を覗くと、初老の男性がニコリと笑って頭を下げた。その隣に赤いバイクがみえたので郵便配達だろうと思った。アマゾンか楽天か書留か。ノースリーブの下着のまま慌てて表にでる。
 初老の男性はニコっと笑って、どこか誇らしげにみえた。

  「あっ、ニシモト(仮名)です。いつも、お世話になってます。
   玉葱がとれたんで、もってきました。食べてみてください。」
  
 驚いた。その人物は3軒東側に居を構えるニシモトさんのご主人だったのである。ビニール袋の中には大玉葱が30個ばかり入っている。

  「えっ、これ、どこで作られたんですか?」
  「あっ、この近くの畑でちょっと・・・」
  「凄いですね、こんなに大きな玉葱・・・」

 わたしは下着のまま門前にでたことを恥じ、お詫びした。ニシモトさんは「いえ、いえ」と明るい顔を崩さない。
 近所にお住まいの方であるとはいえ、わたしとかれはほとんど面識がない。ひょっとすると、話をするのは初めてかもしれない。娘が小学校から高校まで同級生だった。小学校のころはとくに仲が良かったが、ニシモトさんの娘さんはマーチングバンドの練習で忙しくなり、漫画描きを愛好する娘たちのグループとはやや距離を置くようになった。家内同士はとても仲良しだった。が、数年前、ニシモトさんの奥さんは癌で亡くなられた。家内が脳動静脈奇形で倒れた3年後のことである。
 ご主人は有名都市銀行にお勤めで、相当なやり手だという噂も聞いていたが、何年か前に定年退職された。晩年の生き甲斐を探されていたのだろう。それが畑仕事であり、玉葱の大収穫となって実を結んだんだと勝手に想像している。

 新玉は美味しい。毎日スライスし冷水に浸している。オニオンスライスを作り置きしておけば、どんなサラダにもあう。カレーやモツ煮込みにもたっぷり玉葱を放り込んだ。味噌汁の具にもした。それでもまだ、15個ばかり残っている。エマ・ダツィ用に大学に2個ほどもって帰るか。


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日豪戦評

 ホームで老化したオーストラリアと戦うことが大騒ぎになる。世の中がこんなに盛り上がっている理由がよく分からない。わたしはブルガリア戦をみていない。しかしながら、本田と長友という2枚看板を欠き、うまく機能するはずのない3-4-3システムで臨んだ試合なのだから、さほど深刻にとらえる必要もなく、うがった見方をするならば、オーストラリア戦にむけてのカモフラージュだったのかもしれない。
 ただ、今回の場合、「この試合は危ない」という予感が試合前からあったのは確かだ。キックオフ後まもなく「危ない」という予感がさらに増幅していった。頼みの2枚看板に切れがなく、岡崎もまた疲弊している。オーストラリアは引いてブロックを形成し、日本にボールをもたせる戦法。日本が前がかりになって、最終ラインが押し上げてきた裏を2列目が突くという作戦が何度か試され、日本は肝を冷やした。
 後半になって、日本のポゼッションはさらに高まった。しかし、点にならない。こういう展開では、後半30分以降にカウンターで失点し敗北の憂き目をみるケースがしばしばある。パリでの日仏戦がそうだったでしょう。攻め続けて点を取れない場合、勝利の女神はアウェイチームにしばしば微笑む。そのことをザッケローニも分かっていた。だから、残り15分を切って栗原を投入したのだ。その采配は裏目にでた。


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6月4日に

0601窓際のバジルとミント


ハーブと芋虫

 先々週倉吉を訪問した際、町の苗木屋さんでハーブの苗を10株買いました。教授に指示されるとおり買うには買いましたが、何がなんだかよく分かりませんで・・・しかし、ブログを遡ると、倉吉での苗買いは2年前から始まったようです。いま研究室には、バジル4株とミント等6株が鉢植えされています。バジルは同じ種類が4株ですが、他はすべて違う種類を1株ずつ選びました。

  ①薄荷ハーブ「ペパーミント」
  ②コントラストハーブ「赤花クリーピングタイム」
  ③フレッシュハーブ「グレープフルーツハーブ」
  ④フルーティーハーブ「レモンマリーゴールド」
  ⑤甘い香りのハーブ「キャラウェー」
  ⑥猫の好きなフルーティーハーブ「キャットミント」


0601バジルとミント2 0601ミント1


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第8回「めざせ、ブータン!」其参

 もののけ姫


「もののけ姫」と照葉樹林文化論

 照葉樹林文化論が考古学者などから批判を浴びているなかで、ジブリの宮崎駿は照葉樹林文化論に影響をうけ、「もののけ姫」の舞台として日本古来の神聖な森を再現してみせた。坂谷神社の叢林を訪問した際、一部の学生は「もののけ姫」のシシガミの森と似ているという感想を述べたほどである。
 こういういきさつがあるため、今回、劇場版「もののけ姫」(VHS)を視ることになった。なぜVHSかというと、アマゾンの中古品の価格がなんと1円で、郵送料込381円という安価だったから、それを取り寄せたのだ。アナログの画面は十分綺麗だった。
 私は中国からの留学生であり、初めて「もののけ姫」をみた。壮大な自然や人間の心理が豊かに描写されている。神聖な照葉樹林「シシ神の森」に住む大きな猪や狼は自然や精霊のシンボルであり、それと対置する「人間の環境」として製鉄工場(タタラ)が描かれていた。
 このアニメは「自然保護」を訴えることを一つの目的として制作されたものだと教授に教えられた。人と森の生物たちの対立する描写が多い。イギリスで始まった産業革命から科学技術の発達が進んでいく中で、森林伐採や資源の乱開発が著しく進行し、私たち人類が自然とどのように共生すべきかを考えさせられる映画であり、人類はこの問題と向き合わなければならないことを警告しているようにも感じさせられた。

 私はサンという少女が人間の青年に心を許していく心理の変化が面白いと思った。少女は森の中で狼に育てられ、自然を破壊する人間たちを憎んでいる。そういう野性の少女が人間の青年と関わっていくことで、その青年に少しずつ心を許していく姿は、自然が人間に少しだけ歩み寄った状態を意味するのかもしれない。言い換えるならば、自然と人間の共生の萌芽を示唆しているようにも思われる。最後のシーンで首を獲られたデイダラボッチが荒れ狂い、なにもかも破壊し尽くしてしまう姿は、大地震や火山の噴火などの強烈な自然災害を彷彿とさせた。人間が自然を苛めるから人間はその報いを受けるということであり、ディダラボッチ(シシ神)に首を返すことによって、災害(人間に対する処罰)は終焉する。台風一過の後、「いちからまたやりなおしだ」とささやくエボシ御前の発言は、まるで大震災後の被災地の人びとをみているようだった。
 物語が終わって、「その後」のことが気になった。サンとアシタカは交流を続けたのだろうか。シシガミの森とタタラ場は共生できるように再生されたのだろうか。ここでもまた東日本大震災の「その後」が頭を掠めた。(経営学科1年L.W)


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第8回「めざせ、ブータン!」其弐

0531プロ研ブータン民家模型1 0531プロ研ブータン民家模型3


ブータン民家の模型制作(1)

 5月30日は全員がブータンに関するDVDを鑑賞し、その後、以下の班に分かれて活動した。

  1班(2年女子5名): エマ・ダツィの試作
  2班(1年男子2名): ブータン民家模型の制作開始
  3班(その他7名) : 「もののけ姫」鑑賞   

 まず、ブータンDVDについての感想を述べる。このDVDは30分程度のものであった。冒頭5分ほどで「もののけ姫」で印象深い照葉樹林が画面にあらわれたが、後の25分ほどの映像ではハゲ山が多く、森の映像があまりなかった。教授によると、植生分布図では「照葉樹林帯」になっているが、ブータンや中国雲南地方を訪れても、実際には照葉樹林と呼べるような植生をみることがないという。これには二つの可能性がある。原生林が枯渇してしまったか、ケッペンの植生図が気温や海抜高度などから導かれた机上の理論的産物であり、もとより実態と一致していないかのどちらかで、教授の見方はどうちらかというと、後者の意見に近いようだ。坂谷神社の訪問資料には、多くの考古学者が照葉樹林文化論を批判していると書いてあった。考古学者ばかりでなく、進化論で有名な今西錦司(中尾佐助の先輩筋にあたる)は、晩年に「照葉樹林帯など存在しないから、照葉樹林文化などでっちあげにすぎない」という強烈な批判を展開したと教授から教えられた。
 DVD映像の中で、ブータンの都市部では車通りが多く、歩道も人であふれている。車道では信号機ではなく、人が交通整理をおこなっていた。民家は比較的密集していて、その周辺には広大な棚田が何層にも展開していた。今まで見た棚田とは比べものにならないほどの規模の棚田であった。


0531プロ研ブータン民家模型2


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第8回「めざせ、ブータン!」其壱

0530エマダツィ02赤唐辛子01


激辛エマ・ダツィ (2)

 5月30日(木)。今回のプロジェクト研究で私たち1班(2年女子5名)はブータンの代表的家庭料理エマ・ダツィを試作した。エマ・ダツィはトウガラシとチーズを煮込んだ料理で、今回はさらにジャガイモ、タマネギも混ぜ込んだ。前回、ブータンの赤唐辛子があまりにも辛いことを知ったので、今回はブータン・トウガラシを使ったエマ・ダツィと日本の食材を使ったエマ・ダツィもどきの2種類の料理を作ることにした。
 まず、必要な材料をそろえる。ジャガイモ、チーズ、鷹の爪、シシトウをジャスコで買った。鷹の爪とシシトウで、ブータンの赤唐辛子の代用にし、日本とブータンの辛さの違いを比較するのである。ブータンのヤク牛チーズについては、前回レンジでチンしたところカキモチ状態になってしまった。その後、先生が自宅で水着けしたり煮沸したりしたそうだが、硬化しすぎたチーズは元に戻らなかった。仕方がないので、日本製の市販チーズを使うことにしたのである。
 いざ、コロポックルへ。


0530エマダツィ01食材


 まず最初に作ったのは日本風のエマ・ダツィ。ジャガイモ1/2個、タマネギ1/2個、シシトウ5個を薄く切る。鷹の爪5個は細かく切る。フライパンに油をひきスライスしたジャガイモ、タマネギを軽く炒め、シシトウと鷹の爪を入れてさらに炒める。とうぜん塩こしょうもする。水を少しずつフライパンに注いで煮込んでいく。最後の仕上げにチーズを入れる。とろけるチーズ2枚半を使用。溶けていくチーズがとてもおいしそうにみえる。これで日本風のエマ・ダツィが完成。見た目はよい。いざ味見をすると、結構辛かった。が、我慢できないほどではない。チーズがよい感じに溶けていて、グラタンのようだという意見が出た。グループ全員の意見をまとめると、「おいしい」という結果になった。


0530エマダツィ03日本風01 0530エマダツィ03日本風02
↑和風エマ・ダツィ


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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