重要文化財「河本家住宅」の幕末家相図をめぐる基礎的考察Basic study on the illustrated divination map of the late Edo period owned by Important cultural property "the Kawamoto Residence"
SASAKI Kana
河本家住宅は鳥取県琴浦町(旧赤碕町)に所在する江戸時代の古民家である。鳥取県は昭和49年3月にオモヤとキャクマを県の有形保護文化財に指定した。その後、昭和53年のオモヤ屋根葺き替えの際、貞享五年(1688)の棟札がみつかった。17世紀にさかのぼる民家の棟札は全国的にも珍しいものである。平成15年度になって、浅川研究室が屋敷内の土蔵群を視察した結果、それらの付属建物も高い文化財価値を有することが判明したため、町は平成16年度事業として研究室に建造物の総合的な調査を委託した。その成果が『河本家住宅-建造物調査報告書-』(2005)であり、2010年には敷地に建つ十数棟の建造物が国の重要文化財に指定された。
1.河本家の家相図 家相図とは、住宅などの建造物の敷地平面図に一定の方位観を記した絵図をさす。河本家では、2006年10月に土蔵から一枚の紙本彩色の家相図が発見された。絵図を納める紙袋表紙の記載によると、嘉永七年(1854)9月の制作である。畳二畳(227.5×142.5㎝)ほどもある家相図には、河本家の屋敷全体の建物配置、建物内の間取り、庭の植栽等まで精密に描写されている。保存状態としては、乾燥した糊の接着部分が弱って剥がれている箇所も少なくないが、彩色は良好に残っている。河本家は原本を土蔵に保管しつつ、家相図の複写版を土間中央柱間に額入りで展示している。
発見後十年以上経過するが、家相図の調査研究は全く進んでいない。家相図は特殊な(呪術的)方位観による未来計画図の場合がしばしばあり、一般的な指図とは違って、平面復元の根拠とは必ずしもならないからである。しかしながら、研究室のメンバーが本年2月と5月に河本家を訪問し、土間に展示されている複写版を下見調査したところ、復元資料としての価値もあることがみえてきたので、5月訪問時に複写版を借り受け、複写版を複写し、研究の基礎資料とした。その後、8月4日に6名で詳細調査をおこなった。絵図については、複写版に映っていない縁まわりを含めた全景の撮影をめざしたが、規模や傷み具合を考慮して断念した。代わって絵図部分を重ね撮りし、フォトスキャンによるオルソ写真によって全景を再現する予定である。
2.平面の異同と復原 幕末家相図と現状の平面・配置の異同を確認したところ、家相図は嘉永七年当時の状況を反映している可能性が高いことが分かった。家相図が現状と大きく異なる部分は以下の3ヶ所である。
【ハナレ】 南側四畳の東半を土間とし、竈をおいていた。奥の八畳座敷は六畳であった。現状は三座敷の続き間で第二の客間のようにみえるが、幕末はある程度独立した世帯が生活していた可能性が高い。
【オモヤ広間】 式台から入る前側の玄関は十畳で、四枚障子を挟んで奥側の広間も現在は十畳だが家相図は十五畳半となっている。奥側の新装ダイニング境の四枚障子は後付けであり、当初はダイニングも広間の一部であって、土間側に突き出た部分も含めた凸凹形が幕末の十五畳半であったと推定される。
【オモヤ納戸】 最も複雑に変化し、矛盾が露呈しているので、今後細かく検討していきたい。
3.家相図の方位観 河本家の家相図には二つの方位観が描かれている。一つはオモヤ広間のイロリ近くを中心とする24方位(A)、もう一つは裏庭に中心点をおく8方位(B)である。Aは十干・十二支・八卦の複合型で直径二畳ほどの範囲に正八角形を描き24字によって細かい方位を示す。それぞれの文字は方位に対応するだけでなく、運気の成長/衰退の序列的な意味を担っている。一方、Bは八卦のみの方位観である。屋内を中心点とするAは建物内部の間取り、戸口(開口部)・カマド等の位置を規定するのに対して、裏庭のBは土蔵・雑舎等の配置に影響していると考えられる。この風水的配置の問題もこれから細かに検討していきたい。紙袋の中には家相図から剥がれた貼紙が数点残っており、それがどこに貼り付けられていたかも残された課題の一つである。(参考文献省略)
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