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中国というブラックホール(Ⅱ)

ヤンゴン空港の7時間

 MU2032便のゲートはいつまで待っても開かない。都合7時間カフェに居座り続けた。やることは結構ある。インレー湖で撮影したばかりの写真を使って賀状を試作したり、査読論文を読んだり、Nboxをぶつけてベソをかいている娘に指示をだしたり、ブログを書いたり、ラオルオにメールを入れるのももちろん忘れていない。最後のメールはヤンゴン19:35(中国21:05)に送信している。

  飛機8:50離陸。非常対不起!

 実際はボーディングが9時前までずれこみ、離陸は9時半を過ぎた。昆明着は中国24:00になるだろうから、ラオルオとの再会は事実上断念せざるをえなくなった。MU2032の機上で私と社長は翌29日の対策を検討し続けた。帰国のMU747便(昆明~上海~関空)は早朝07:40発。上海までは国内便なので、1時間前までに空港に着けばいい。とすれば、錦江大酒店の6時のリムジンに乗ればまにあう。4~5時間の睡眠時間を確保できるのだから、空港待機ではなく、ホテルに移動して体を休めるべきだと考えていた。


霧に消えた再会

 中国時間の23:30ころになって、「着陸のため機体を下降させます」というアナウンスがあった。たしかに重力の変化を感じたし、窓外下方に街の灯りを確認した。ところが、しばらくして機体の下降はとまり、窓外は暗闇に包まれた。再びアナウンスがあり、聞き耳を立てていたところ、アテンダントと中国人乗客のあいだで小競り合いが起き始めた。
 大霧のため昆明の空港に着陸できないので、シーサンパンナに着陸するという通告に席は騒然とし、「降りるんなら成都にしろ!」という罵声が聞こえた。10分ばかりして着陸地を成都に変更するというアナウンスがあり、客席の一部から拍手がおこった。大変なことになった。成都まで飛ぶガソリンがあるなら、昆明の上空を旋回し続けてくれるほうがありがたい。霧が晴れた一瞬を狙って着陸するのだ。成都に行けば地獄が待っている。私たちのeチケットは「昆明発07:40(上海経由)関空着15:40」のフライトであり、出発地が成都に変わることで、その代替チケットの要求が難しくなるだろう。近くにいるアテンダントにその旨伝えると、彼女は諭すように優しく返答した。

  「その問題は了解しています。空港で地上勤務の者が対応しますので安心してください」

 こんな科白は嘘に決まっている。芝居だ。騙されてはいけませんよ、みなさん。空港ではだれも待っていないし、何もしてくれない。2年前のウルムチでひどい目にあい、今回の成都でも同じだった。地上に降りても、乗客を誘導したり、指示を与えたりするMUの職員は一人もいない。乗客は互いに情報を交換しながら空港内を彷徨い歩き、バス乗り場で3台のバスに分乗させられた。皆どこにいくのかわからない。10分ばかりで、バスは空港に近い翔宇賓館というホテルに到着し、航空券と引き換えに部屋の鍵を渡された。相変わらずなんの指示もない。


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中国というブラックホール(Ⅰ)

 昨夕帰国しましたが、無事に、というわけではありません。あやうく「ウルムチの悪夢」の再現で、帰国が1~2日遅れるところでした。帰国は予定日におさまりましたが、内容はウルムチより質がわるいので、たぶん始末書もどきの書類を提出することになるでしょう。DeNAトラベル(旧スカイゲート社)の格安航空券を使う場合、中国経由の便は避けたほうがよいと思います。リスクが高すぎる。


朋友ラオルオ

 昆明に羅(ルオ)さんという老朋友(古い友人)がいる。学者ではない。90年代に我が西北雲南調査隊の運転手を務めた恩人である。当時の調査隊のメンバーはみな30代で、羅さんは40代前半だった。ふつう歳上の男性に対しては、「……先生」という尊称で名前を呼ぶ。この場合の「先生」は「さん(Mr.)」という意味だが、格式ばってよそよそしいので、われわれは敬愛の念をこめて老羅(ラオルオ)と呼ぶことにした。会わなくなって20年近い歳月が流れているが、雲南省社科院を退職した数年前から頻繁にメールが届くようになった。「遊びに来い」というお誘いである。「家族を連れて雲南に来ないか、また大理や麗江で一緒に遊ぼう」と言ってくださるのはありがたいのだが、なかなか時間がとれない。今回値段に負けて中国経由のスカイゲート便を選択したが、経由地が北京ではなく、雲南(昆明)であったことが少なからず私を後押しした。雲南は中華のなかの別格の地であることは確かだ。昆明でラオルオにあえるかもしれない。そう期待して、出国の3週間ばかり前にメールを入れた。ところが、返事がない。
 ラオルオからメールが届いたのは、昆明を離れヤンゴンに移動した深夜のことだった。

  浅川您好!我很久没上网了。也许是是心灵感印吧,今天打开网络看到您的留言!
  说明我俩有缘不是吗?哈哈 (ずいぶん長い間ネットをみなかった。たぶん心霊
  が感じ取ったのだろう、夜にネットを開いてみると、おまえからのメールが届い
  ている。二人の縁を証明するような出来事だな、ハハハ)

 さっそく返信し、それから数度メールをやりとりした結果、28日の夕方5時、ラオルオ自ら空港まで迎えに来てくれて、その後、かれの自宅で夕食をいただくことになった。社長はこの報せに喜んだ。はじめての海外旅行を体験する彼は、中国人の不遜な態度や応対に驚き、げんなりしていたのである。わたしだって不快な気持ちに変わりはないが、中国がこういう社会だという現実に慣れてしまっている。


地獄の良き日

 中国は強烈なコネ社会であり、知己があれば熱烈歓迎、なければ人間として扱ってくれない。あの殺伐とした大衆社会を外国人が生き抜くのは並大抵のことではない。悩みのタネだった昆明の旅程が、ラオルオのおかげで楽園に変わるだろう。初期のイーグルスに「Good Day in Hell」というハードロック系の名曲がある。帰国時の昆明はまさに「地獄のよき日」になるはずだ。
 

  

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シャン高原の青い海(Ⅲ)

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たこ焼きの起源をさぐる

 12月24日のクリスマス・イブ。ガイドの女性は「クリスマスは25日でしょ?」と言って、イブを軽視している。「24日の夜をカップルで過ごすんですよ」と説いてはみたものの、もとより仏教心の篤いミャンマーでクリスマスなどほとんど意味はないのである。
 二日目のインレー湖。前日と同じコースで船は進み、ファウンド―ウー・パヤーが視界におさまるあたりで西南に蛇行する水路に折れ曲がった。そこから20分ばかり川を下り、インデイン・パゴダ群に到着。2年前にも訪れたモニュメントである。あのころ付け替え中だった村の橋は新装されている。そこで、たこ焼きに出会った。じつはネギ焼きで、タコは入っていない。それにしても、このたこ焼き鉄板は日本と同じであり、いったいどちらが古いのか。この種の粉食は中国起源の可能性が高いから、一方は日本、一方は東南アジアに伝播したのか。なんだ、それじゃ、高床建築の拡散と同じ経路じゃないですか、ナンダさん(ガイドの名前)。


1224インレー湖003インテイン01 1224インレー湖003インテイン03

 インデインには1054基の仏塔が林立している。それらはすべて信者の寄進であって、年代は不明ながら、17~18世紀のものだろうと推定されている。2年前に訪れたときには、修復されていないパゴダが多く、遺跡化している分だけわくわくしたが、わずか2年の間に修復が進み、煉瓦積の仏塔跡の群れは金色と銀色のパゴダに変身していた。この場合、パゴダに対する介入は「修復」と呼びうるものではなく、修繕とか補修というべきレベルのものであって、いわゆるオーセンティシティ(真正性)の観点からみれば、ネガティヴな結果をもたらしていないわけではない。インレー湖とその周辺の文化資産群が、そう遠くない将来、世界遺産に登録されるのは疑いないところであろうけれども、こうした修繕はイコモスの審査にあたって減点の対象になりかねない点、いくぶん心配になった。


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寄進としての修復

 しかし、この修繕もまた寄進なのである。だれの塔というわけでもないが、遺跡化した塔跡を金色のパゴダに戻すことが仏への奉納であり、すでに多くのミャンマー人に加えて、タイ、シンガポール、スイス、アメリカなどの信者が修繕代金を提供している。小さな塔なら修繕費は15万円、大きな塔ならその何倍かになるが、いずれにしても、たいした額ではない。この寄進による修繕の話は2年前にも聞いていて、学生たちのセルフビルドでトライできないものか、と当時から考えていた。ミャンマー人職人の仕事を観察してみたが、崩れた部分に煉瓦を積み上げ、セメントで固めて漆喰を塗り金箔を貼るだけ。「廃材でつくる茶室」の修復をやってのけた環境大学の学生なら、この程度の工程は難なくこなせるだろう。
 そこで、社長に提案した。

  「来年のプロ研(1&3)でインデイン・パゴダの修復をやろうか?」
  「えっ、修復の図面を描かせるんですか?」
  「いや、毎週木曜日はここにきて作業するんだよ(笑)」
  「・・・・」

1224インレー湖003インテイン14修復 1224インレー湖003インテイン15日本
↑(左)修復中のパゴダ (右)日本人の寄進銘
1224インレー湖003インテイン12全景
↑パゴダ群の全景

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シャン高原の青い海(Ⅱ)

1223インレー湖001


水上得度の祝宴

 12月23日(月)、早朝5時起床。ヤンゴンはネット環境が良好だったので、ブログを3本完成させた。おかげで、極端な睡眠不足状態だったが、ヘイホーへ移動する国内便は朝7時半のフライトなので、6時半には空港に着いていなければならない。予定通りの時間に空港に着き、チェックイン・カウンターに行った途端、ガイドの顔が曇った。わたしたちが乗る予定の便名がどこにも掲示されていない。早朝の便は霧のため欠航、わたしたちの便は11時発に変更されている。ホテルに戻ろうと提案したが、渋滞の厳しくなる時間なので却って危険だと諭され、待合室でのウェイティングとなった。くたびれた身体は自ずと長椅子に横倒しになって、そのまま眠りに落ちた。
 午前8時45分着予定のフライトは12時半にヘイホー空港に着陸した。今回の出張は科学研究費「チベット系仏教及び上座部仏教の洞穴僧院に関する比較研究」によるもので、出張の題目は「インレー湖畔の仏教遺産と少数民族文化に関する調査」と銘打っている。いきなりインレー湖の滞在時間を半日削られたショックが小さいとは言えないが、気を取り直すしかありません。


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 車で1時間西行し、ニャウンシュエの船着き場でボートに乗った。中国製のモーターを積んだ板船は葦原に囲まれた河道で徐々にスピードをあげてゆく。船はまもなく東西12km、南北22kmの長大な湖面に乗り入れていった。足こぎ船で漁をする漁民たち、水際を飛来する水鳥たちの群れ、疾走するモーター船などに見とれ、2台のカメラのシャッターを代わる代わる押し続けた。いまは乾季で雨の心配はなく、船を切って走る風もほのかに温かく、心地よい。一時間ばかりして、船はファンド―ウー・パヤーに到着した。パヤー(寺)に近い湖岸に20隻ばかりの船が参集し、人々は歌舞音曲に酔いしれている。葬儀にしては陽気すぎると不思議に思い、ガイドに訊ねると、「得度の儀式です」という。
 ミャンマーでは、男子が10歳ぐらいになると、短期間仏門に出家させるならわしがある。その門出を祝う儀式は一家のステータスとプライドをかけた通過儀礼であり、寺に多額の寄進をし、大勢の賓客を招いて盛大な宴会を開くのである。インレーの場合、それが湖上でおこなわれるところに圧倒的な風土が発露している。


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金色の五体仏

 その様子を対岸の水上レストランでしばらく眺めていた。騒ぎがおさまるころを見計らってパヤーにわたり参拝した。本尊は5体の仏だが、それはすでに仏の体をなしていない。金色の石が須弥壇の上に鎮座して、それは黄金に輝く奇瑞石のようにみえる。日本の漁民たちは、漁の網にかかった奇形の石だとか、漂着した特殊な流木などを、村に幸福をもたらす吉祥のシンボルだとみなして、神社の境内になどに祀っている。それと似たような物体のように仏像はみえるのだが、それは元の仏像の上に礼拝者が緊迫を貼り重ねた産物である。その金箔もまた寄進であり、信者に幸福をもたらすとされる。


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シャン高原の青い海(Ⅰ)

1222 シュエダゴン・パヤー03 シュエダゴン・パヤー


防空識別圏を突破せよ!

 Wikipediaのような大事典の編纂に係る講習会に出席していて、後ろの方の座席で講話を聞いていた。前の列に、どういうわけか小泉純一郎が腰かけている。かれは講師の説明がいちいち気に食わないらしく、わたしの方を振り向き、「えっ、おかしいいだろ、それは」とか「そんなことしたら、記載項目が減っちまうぞ」とか話しかけてくる。講師は小泉の私語に不快感を露わにしている。困ったなぁ、どうしよう・・・・そんな夢うつつのなかで目が覚めた。隣のベッドでは社長が目をあけて仰向けになっている。中国時間の22日午前9時半(日本の10時半)。
 雲南の省都、昆明の老舗ホテル「錦江大酒店」にチェックインしたのは、22日の午前3時(21日の27時というべきか)だから、6時間の睡眠をとったことになる。21日夕刻に関空を飛び立ったMU便(中国東方航空公司)はいったん上海に着陸。そこで入国手続きを済ませ、3時間後、再び同じMU便に乗って昆明にむかった。
 目的地はミャンマーの首都ヤンゴンである。スカイゲート社の格安航空券を調べると、中国経由便の乗り継ぎが最安値を示していた。本心をうちあけるならば、中華の地に降り立ちたくはない。バンコク経由でヤンゴン入りしたかった。しかし、中国経由にも利点がないわけではない。値段が安いのはもちろんだが、中国の新しい防空識別圏内で撃墜される恐れがないでしょう。こういう冗談が洒落で済まないところに、中国や北朝鮮の現実がある。

 関空のブックショップで、今回もまた『社長 島耕作』を2冊買った。うち15巻は中国が尖閣に軍艦を送り込んでくる状況が主題になっていて、いかにすれば難事をクリアできるかというシミレーションをリアルに描いている。その漫画を中国の防空識別圏で読み続けた。16巻は社長編の最終巻である。島耕作は64歳になってもまだ石田純一みたいにモテモテ状態。フィリピン駐在時代の秘書ローラとインドネシアで再開してロマンスが再燃・・・これから会長として家電業界の再編に取り組むという。


1222 シュエダゴン・パヤー04 1222 シュエダゴン・パヤー01


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第12回「わびさび-茶室の心と技」その2

1219衣川01DSC_0403圧縮


メリークリスマス!

 
 早いもので、イブになってしまいましたね。
 19日の女子の活動を報告します。この日は茶室の小天井の竹あみをしました。90×65cmのサイズのものです。廃材の割竹(木舞竹)をのこぎりで切断し、竹を編みました。制作の方法は以前と同じです。ところどころ編み方は忘れていたものの、1時間ほどで完成しました。
 また、発表会当日の献立を考えてみました。焼き芋(じゃがいも+サツマイモ)とお餅入りゼンザイです。

 ハルナさんとマユコさんは、茶室で障子紙の貼り直しをしました。窓枠に紙を貼っていただけだったので、竹桟にも貼るよう先生から指示があったのです。また、行燈に転用していた傘立の廃棄物もスタジオに持ち帰りました。急いで紙を貼り、行燈を再生させないといけません。

 ユーかさんが制作していた彫物はほぼ完成のようです。問題は、これをどのようにして炉の背面にはめ込むか、です。女子に残された大きな課題になってしまいました。
 新年からは、発表会の準備に取り掛かります。

   1.パネルを1枚作成
   2.パネルデータそpdf化して学内webに掲載
   3.広報チラシを作成

などの作業を分担して進めます。
 それでは、楽しいクリスマスと良いお年をお迎えください。(経営学科1年カナコ)

1219茶室00障子修正001

第12回「わびさび-茶室の心と技-」

1219茶室00炉隙間02 1219茶室00炉隙間01
 

ノエルな茶室


 12月19日(木)、世間はクリスマスの雰囲気に染まりつつあるノエルな今日この頃。前日は雨、翌日は暴風雪警報で終日休校の間隙をぬった木曜午後、一瞬小雨が降ったものの、空は晴れて茶室まで意気揚々とたどり着く私たち。振り返ってみても、今まで作業ができない天候はいちども無く、きっと晴れ男と晴れ女がそろっているのだろう(と思わずにはいられない)。

 順調に進む作業も床ノ間と炉のまわりの細部を残すのみ。炉を囲む板の配列はとても複雑だが、社長さんの指導をうけながら細かく板を切って隙間に敷き詰めていきました。板を数センチ切るのに使えるのがのこぎりだけなので、作業は大変でした。そんな細やかな仕事の末、綺麗な外観を取り戻した。また、炉の上の竪板3枚を支える凸凹の横木は割竹でかくして、元の外観に近づけました。女子たちが制作中の彫物は炉の背面に収まります。その余白を埋める割竹を30㎝の長さに切りそろえる作業もしておきました。


1219茶室00竹桟01 ←前日との違いは「竹」です


 この日も金物が大活躍。畳と壁の間にも凸凹の横木が埋めてあります。それをL字金物でとめました。床ノ間小天井をとめる胴縁にも凸凹横木を採用し、それはI字金物でとめました。
 手のあいたメンバーは道具類の撤収とブルーシートの調整をしました。こうして、今年最後のプロ研2&4の作業は幕を閉じ、私たちも一緒に社長さんの一級建築士合格を祝いました。
 大規模な作業を終えたので一安心、一安心。と感じられるような細かい作業でした。無事に年を越してね、と思いながら。(経営学科2年H.F)


1219茶室00畳枠01 1219茶室00正面階段
↑(左)畳と壁のあいだの隙間を埋める  (右)正面階段の整備

今年最後の茶室スクランブル

1219茶室01炉05 茶室 図面


転ばし根太の基礎

 12/18(水)。最近は天候が良い日はめったになく、日が暮れるのも非常に早くなっているため先々週から茶室の修復作業にぼくたち3年生のゼミ生も加わらせてもらっている。図面上での建築では学ぶことはできないことも実際の施工現場にいるようでとても勉強になる。とはいうものの、ここまで複雑になると、一定レベルの図面が必要になる。先生からの指令により、前週末に社長さんが現状図を実測し、迅速にCAD図まで作成してくださっていて、その図に基づいて修復作業を進めることになった(↑右)。
 作業終了後にカニ汁があるとかないとか情報が錯綜するなか、張り切って茶室に向け出発したが、本日も問題が多発することになることを私たちはまだ知る由もなかった。
 最初の問題は体育館の駐車場に着いたところで起こった。なんと本日のメイン作業である床の間の修復に使用する金物を研究室に忘れたのだ。私たちも気づいて確認すれば良かったのだが、「準備した本人が忘れるはずがない」という思い込みがこの結果を招いてしまった。これからは、そんなこと確認する必要もないだろうと言われるようなことも鬱陶しがられるくらいに確認しようと決心した。


1219茶室01炉01←before


 茶室に到着して炉の上部の竪板壁の下桟を差し替えようとして、今度は奥にある板3枚を固定しようとした時、こんどはインパクト・ドライバーを持ってきていないことに気づいた。これには教授もご立腹の様子だった。木工室に行っていた白帯さんにインパクトを持ってきてもらおうと電話をかけるが繋がらず、私は急いで茶室を飛び出しインパクトを取りにスタジオまで走った。インパクトを持って戻り作業を再開した。床の間の周辺は狭くインパクトを使ってビスを打つのにとても苦労した。やっと取り付けたかと思ったら金具の位置が違ったりビスを打つ箇所が違ったりと苦労したがなんとか形になって良かった。


1219茶室01炉02←腐った竹桟の差し替え


 続いて炉を設置する作業へと移っていきました。前回のブログでも説明されましたが、茶室には本来小さな炉も切ってあり、大小2つの炉が並ぶことになる。この納まりはじつにやっかいで、社長さんのアイデアによってベニヤ板をはめこうとするも、それを支える基礎がない。先生のアイデアは「転ばし根太」だった。まず地面に砂利を敷いて高さを平均化し、廃棄された皮付き丸太を横にして2本おいた。これが床の根太になる。ただし、床レベルと丸太の間には隙間があったので、デコボコ材の端材をカイモノにして高さを調整し、床を張った。
 この日の作業はここで終わったが、まだ床板の釘打ちはしていない。床柱のまわりの隙間にはまだ不整形の隙間が残っているので、翌日の1・2年生の作業に委ねることになったのである。一方、床ノ間の上に小天井がないことが分かった。この天井は再び1・2年の女子に竹編みしてもらうことになりそうである。
 あともう少し。翌日の完成を期待し、帰途についた。(ユート)


1219茶室01炉04
↑転ばし根太とカイモノ

続・祝一級建築士合格!

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蕎麦をすする猫

白帯: 最近、お歳暮減ってきましたよね。ヤキ入れたらどうですか?
顧問: みんな薄給だからね。ありがたいかぎりです。タクオとオカガキは奈良に送ってくれたよ。
白帯: いったい何を?
顧問: オカガキはブルマン。
ケント: ブルマー?
顧問: 阿保、ブルーマウンテンや。最高級の珈琲です。雑味のない洗練した味がするの。
    アイさんが選んでくれたんじゃないかな。
社長: アイコさんが?
顧問: 阿呆、アイさん、旧姓イマジョーさん。
白帯: ぼくら珈琲飲めませんからね。味は分かりません。
顧問: フミエさん、珈琲好きじゃないか?
白帯: そういえば、ブータンで珈琲ばっかり飲んでましたね。


1220奥出雲蕎麦02


顧問: 海釣りデート以後、どうなってんの?
白帯: あれっ、なんでそんなこと知ってんですか?(汗)
顧問: ポールが自慢げに吹聴してたじゃないか。ポールとベッチとフミエと白帯で海釣りに行ったん
    だって、オータ先生の前で広報してたでしょうが。
白帯: ダシにされたんです、あれは・・・
社長: うちの社長(M設計事務所)から何か届きましたか。
顧問: いつもの蒲鉾。美味しいよね。タクヲは奥出雲の蕎麦だったんだけど、これまた美味しくてね、
    猫がつるつる食べるんだ。驚いたわ。

ルパン再興

会長: 一級の資格をとって、これからどうするつもり?
社長: まずは資格登録ですね。
会長: 設計事務所立ち上げるの?
社長: 資格取得後の実務が3年必要なんで、すぐに独立はできません。
顧問: 魯班営造学社(アトリエ・ドゥ・ルパン)復興しますか。


1220奥出雲蕎麦03


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祝一級建築士合格!

1219ビール乾杯01



 12月19日(木)、今年度の一級建築士合格発表があり、われらが社長さんが2年越しの夢を実現されました。ASALAB出身者では初の合格です。ついては、18日夜に「味暦あんべ」で合格イブの祝賀会が開催されました。以下、座談会形式で祝賀の様子をお伝えします。(白帯)


あんべで祝賀会

会長: 一級建築士合格おめでとう!
社長: えっ、発表は明日(19日)ですから。今日は18日ですよ。
会長: だってブログアップは20日でしょ?
社長: ですから、18日の段階で合格不合格は分かってないんです・・・
顧問: まさか落ちてないでしょうね?
社長: いや、最近、ちょっと不安で、眠れないんです。
顧問: 眠れないときは眠らないのよ。
白帯: カニ丼美味しいですね。去年は「学部生には10年早い」ということではねられましたが、
    大学院にあがると、たまには良いこともあるもんですね!
顧問: はぁ、たまにはぁ?・・・ほかに良いこと、ないのね??
白帯: (汗)・・・


20131218 あんべ


会長: 白帯くんは顧問に叱られたいんでしょ。いわゆる、どM?
白帯: いえっ、そういうこともないです。ところで、タクヲさんも一級受験したんですよね。
顧問: ・・・・・
白帯: ですから、受験してお・・・
顧問: カノは2級どうなったの?
社長: 毎年受験してます。
顧問: 大学院時代も受験してたけど、ったく準備しないからね。
社長: 今も同じですよ。
白帯: また落ちたんですか、タクヲさんもお・・・
会長: カガキ君も2級受験したんでしょ?
顧問: 合格ですよ。2級は落ちるほうが珍しいのね。NK学院に通って落ちるのはよっぽどだわ。
社長: オカガキ君のレベルなら、通わなくても行けたでしょうね。
顧問: 通ったほうが確実だけど、オカガキがホカノと同じ高額クラスだと聞いて、驚いた
    というか、ちょっと落胆したね。もっと安上がりで受かるはずだよ、あいつの実力なら。
白帯: NK学院に通わなくても通るなら、来年ぼくも受けようかな?
顧問: ホカノより上だと思ってんの?
社長: ホカノさんの方がちょっと上じゃないかな(笑)


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酸素同位体比年輪年代測定講演会のお知らせ(Ⅲ)

2014年1月8日講演チラシ圧縮


チラシが完成しました!

 先週末、ようやく1月8日講演会のチラシが刷り上がり、関係機関への送付をほぼ終えました。上は正式なチラシの圧縮バージョンですが、下の画像をクリックしていただければ拡大されますので、そちらをご利用いただければ幸いです。
 お問い合わせ・参加申し込み先はチラシの一番下に示してあります。もちろん、LABLOGにコメントもしくは拍手コメントしていただいて構いません。みなさまのご来場をお待ち申し上げます。


 講演会概要

  1.日時 2014年1月8日(水)13:30~15:30
  2.会場 鳥取環境大学 第13講義室
  3.話題提供 中塚 武教授(総合地球環境学研究所・名古屋大学併任)
  4.演題

            新しい年輪年代測定法の誕生
   -酸素同位体比を使ってあらゆる木材の年代を1年単位でピタリと決める-



2014年1月8日講演チラシ ←クリックすると拡大します


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常呂のみなさん、おめでとうございます!!

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連合軍の快進撃

 今年もまた常呂から「サロマ湖の牡蠣」が送られてきました。大学にもって行けと家内は言うのですが、なにぶん牡蠣の足は速いので、学生が食中毒になっても大変だから、家族3人で食べちまおう。
 常呂といえば、カーリングですね。小笠原(旧姓小野寺)さん、舟山(旧姓林)さんが復帰して、日本代表は五輪最終予選で、見事ソチ・オリンピックの出場を決めてくれました。「愛しのマリリン」を書いたのが2006年2月ですから、およそ8年ぶりに小野寺・林のプレーをみせてもらったわけですが、チーム青森はすでに休部状態で、林・小野寺の二人は北海道銀行、マリリンは袂を分かって常呂に帰り、地元チームで国内予選に臨み、敗れてしまいました。しかし、小笠原さんと舟山さんは常呂出身ですからね(若い方の小野寺さんも)。
 わたしゃ、ドイツ戦からテレビにかじりついてました。ドイツ、チェコに完勝した後、中国に連敗して、あまりムードのよくない状態で2位決定戦に臨んだわけです。前半は重苦しい雰囲気でしたね。とくにスキップは中国戦の深い傷が癒えていない。ビデオを見なおしてみるとよく分かるのですが、その窮状を救ったのは、若い小野寺さんのダブル・テイクアウトでした。彼女にはパワーがあるし、オーラがある。22歳にして、すでに五輪選手としての風格を漂わせています。
 驚いたことに、リードの苫米地さんは岩手県二戸市出身で、旦那さんが一戸の病院に勤務している。北海道銀行=日本女子代表が「常呂+御所野」の連合軍に思えてならなかった。してみれば、御所野の世界遺産登録も夢ではないかもしれない・・・否、常呂と御所野の2遺跡で世界遺産にしよう、だはは・・・とにもかくにも、

  カーリング女子日本代表のオリンピック出場、おめでとうございま~す!

 こうなると、牡蠣も美味いわね。安い白ワインまで高級になる。極上の味だぁ!!


1208牡蠣と猫03


 猫は、上のようなポーズで鍋を狙います。魚介類とか竹輪やごぼ天の入った煮物などに加えて、ケーキやパンが大好物で、ビニール袋は噛みちぎるわ、ドーナツの箱は破くわ、やりたい放題です。煮物系の鍋には蓋をします。猫は蓋をあけて竹輪を狙う。だから、蓋に重しをのせる。重しにはタジン鍋の蓋を使っていたのですが、目覚めると、その蓋が床に落ちて真っ二つ(じつは四つ)に割れている。煮物の中身はもちろん減っています。ほんと、手に負えないペットだわ。日々「こらぁ!」の嬌声がたえません。
 ところが、猫は牡蠣に反応しなかった。先代のデブは牡蠣が好物でいくらでも食べましたが、この猫は牡蠣を口にしないのであります。ケーキやパンやドーナツを好んでます。生まれたときから人間に可愛がられてきているので、ヒトを怖れるということがない。叱っても怒っても効果がない。だれかに似てるな・・・
 まぁいいや。ついでにもひとつ。だれも気づいてないから、自分でお祝いします。

  Lablog 2G の 500記事 アップ、ばんざ~い!!
 

1208猫爪を切る01
↑ 爪を切る( こちら も参照)

第11回「わびさび-茶室の心と技-」その2

1212彫り物02龍


龍と兎の彫物

もくもくと彫る彫る彫る・・・・
相方ユーカは兎を彫る彫る・・・・
私ハブは龍を彫る彫る・・・

ある程度形になったところでハブの私物墨汁を塗る。
すると彫った部分は薄く、彫らなかった部分は濃く残る!
彫っただけではわからなかった影の部分が墨の濃淡で浮き出てくる

あとは、気になった部分だけをまた彫る彫る・・・・
今回は墨汁を乾かさないといけなかったので作業終了!


1212彫り物01ウサギ


その後茶室へ・・・・
何やってんのかなーってのぞいてみたら小さな匠たちがもくもくと作業!
ガールズは火の番、じゃがいもを焼いてた
ここはまるで江戸時代!すげー!
じゃがいもはホクホクおいしかった
茶室の中は障子紙も変えて、畳も変えて、きれいになってた
知らない間にこんなに変わってたんだなぁ・・・

来週はいよいよ彫り物のはめ込み!
兎よ龍よ、どうか茶室を雨風雪からお守りください。(環境学科2年ハブ)


1212茶室04炉02 1212彫り物03カマド
↑(左)彫物は床の間の景観をどう変えるだろうか? (右)また芋焼き

第11回「わびさび-茶室の心と技-」その1

1212茶室02障子03背面全景 ←活動終了後


茶室の内装整備

 12月12日(木)。鳥取は零下の冬を迎えています。先生によると、前夜の予報では「暴雪警報がでており、午前中は休講だと思った」そうですが、どっこい空は晴れ、また今週も大学の裏山で建築工事に携わりました。前日、研究室の先輩たちが屋根・壁の作業を仕上げてくださっていたので、いよいよ畳敷きなど最後の仕事を残すのみです。
 まず修復スタジオから新しい?中古畳を現場に運びこみました。古畳の寸法は192×96㎝でして、それと同じサイズの畳です。いったんベンチに畳を仮置きし、茶室内にたまりにたまった諸々の物品を分別しながら外に出していきます。ブルーシートを森にひろげて、大工道具や木材の端材をその上にひろげていきます。薪として使える端材は茶室表側の露台に収納しました。すべての物品を外に出し、床下地の上に新聞紙を敷きます。そして畳2枚を茶室に納めました。靴を脱いでの作業は足が冷えて大変でした。しかし、茶室の内装は畳を敷くことで劇的に変化しました。いかにも日本の空間というべき世界がそこにひろがっています。


1212茶室02障子03背面 1212茶室02障子01修理前


 畳を入れて後、表側の障子紙を貼り替え、背面側はだぶついていた簾壁をつり上げました。和の空間がどんどん締まっていきます。
 ぼくとHくん(別名「俊輔」)は、茶室背面の露台に物置だなとなる架構を作りました。これは前日、先生と3年生が構想されたものです。ここで活躍したのがL字金物でした。背面の棟持柱から水平材を長押(長押)上に渡すと、茶室敷居上部の横材に突き当たります。この二つの水平材の接合にL字金物を用いたのです。その後、周辺の椎の木の枝を選別して、棟持柱の内側にわたす梁とし、構造材に釘打ちしてとめました。この椎の木は非常に強い材でして、茶室の屋根裏にのせた廃材(将来使用する予定)をのせてもビクともしません。これまで露台に山積みされていた鉄板・波形ビニール板・板材などはすべてこの屋根裏スペースに収納することができました。ただ、資材が一方に偏って竹簀天井を一部変形させてしまったので、次回にでも修正したいですね。


1212茶室03背面棚03 1212茶室03背面棚02完成
↑背面露台上の棚。右は建築材料を収納した状態。


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2013忘年会(Ⅱ)

1211忘年会01


W杯グループリーグ大予想
 
 今年の忘年会の会場は「たけちゃん」です。いつもは焼肉ですが、今回は要予約のチゲ鍋(ホルモン鍋)をいただきました。野菜や肉などたくさんあり、とても美味しかったです。鍋が終わって、今度は炭火の焼肉もでてきました。お腹いっぱいです。茶室の椎茸も炭火で焼いて、先生以外のみんなが食べました。ニシガキさんのビールから始まり、Sさん持ち込みの濁り酒、ブータンの焼酎などをみんなグビグビ飲んでいます。わたしはお酒の中でも日本酒や焼酎が苦手なので、あまり飲めませんでしたが、楽しい時間を過ごせました。
 そうそう、半年後に迫ってきたブラジルワールドカップの予選リーグのトトカルチョがおこなわれました。予想順位は、以下のとおりです(発言順)。

  白帯さん: 2位通過 (当たった場合の賞金2万円)
  ユート君: 2位通過 (同上2万円)
  ポール君: 1位通過 (当たった場合の賞金4万円)
  藤井さん: 3位脱落 (当たった場合の賞金8万円)
  セツ(私):2位通過 (同上2万円)
  ケント君: 2位通過 (同上2万円)
  社長さん: 4位脱落 (当たった場合の賞金8万円)
  先  生: 1通通過 (当たった場合の賞金4万円)  


1211忘年会02


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2013忘年会(Ⅰ)

1211吉田01


続・茶室スクランブル

 12月11日。翌日にP2&P4を控えた水曜日、今週唯一雨雪の予報マークがない一日であることから、先週に続く茶室スクランブルとなりました。主な作業は外壁トタンを張り、床の間の上にあたる庇屋根の防水、妻庇重ね板葺き軒先部分のビス打ち、茶室内部の炉の設置などでした。
 小雨がぱらつくなか、まず、ブルーシートを前半分に被せて素屋根をつくりました。茶室本体は屋根・壁の防水処理により木材が乾燥してきており、ブルーシートで覆う必要もなくなっていますが、茶室周辺の作業スペースを確保するという点でブルーシートは有効に機能します。前半分をシートで覆ったところで、晴れ間がみえてきたので、後半分のシートかけはやめました。


1211妻庇01 1211吉田02壁

 ブルーシートのおかげで、妻庇重ね板葺きのビス打ちはスムーズに進みました。これはわたしと白帯さんの担当です。床の間側庇の重ね板葺きについては、ビニール波板で覆うかどうか、先生は迷われていたようです。ビニール波板を全体に被せると防水は完璧だが、デザイン上は無粋になります。結果、炉と床の間の上だけ長さ75㎝の波板3枚で覆うことになりました。これで炉と床の間に雨水が落ちる危険性はなくなりました。また、平側の長い重ね板葺きの景観も維持されています。
 反対側の壁はほぼ木目模様の鉄板で覆われていましたが、窓枠の周辺に横板が露出しており、これに鉄板の端材を貼り付けて、完全な木目模様のトタン壁(真壁)になりました。壁用のトタンはトタン専用のハサミを使っても非常に切りにくく、また、山になっている部分の幅が短いのでビス打ちも難しいそうです。調べてみると、床の間側前方の露台の壁板の腐朽が目立ち、背面にも似たような部分があったので、同じく木目模様のトタンの端材を打ち付けていきました。この壁処理で、茶室の外観はずいぶん綺麗にみえます。


1211床の間の上02 1211床の間の上01
↑床の間上部の庇屋根

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松原田中遺跡の報道に関する修正

 なんでこうなのかなぁ。新聞記者は話した内容をきちんと文章にしてくれませんね。
 松原田中遺跡について、わたしの発言をおおきくとりあげた記事がでていますが、とくに最後のところがいけません。

   一方、同遺跡では50メートルの至近距離内に5棟の高床式倉庫がある
   ことから、浅川教授は「東南アジアの稲作民族が稲魂(いなだま)
   祭祀をした集中式倉庫群が伝わった可能性がある」としている。【略】
   集中式高床倉庫群は、国内では奄美大島(鹿児島県)と対馬(長崎県)
   でみつかっているだけ

 これを「松原田中遺跡の現地公開」のブログ記事と比較してみましょう。

   集中式高床倉庫群は西南中国から東南アジアの稲作民族にひろく分布しており、
   一般的には主屋群の火災に際して稲倉群を隔離する機能に由来すると考えられるが、
   フィリピン・ルソン島北部のイフガオ族は集中式倉庫群を石垣で囲み、門前に稲神
   を祀っており、稲作に係わる祭祀とも関連する場合がある。【略】ちなみに日本で
   集中式高床倉庫群を残すのは、奄美大島のボレグラ(群倉)と対馬のコヤ(小屋)群
   である。

 以下の2点に誤解があります。

1)わたしは東南アジアの祭祀が「伝わった」とは一言も述べておりません。フィリピンのイフガオ族などは倉庫群を石垣で囲み、その入口に稲神を祀っている。そういう稲作祭祀をやっているところもある、と指摘しているだけです。

2)「集中式高床倉庫群は、国内では奄美大島(鹿児島県)と対馬(長崎県)でみつかっているだけ」という表現の場合、遺跡としての集中式高床倉庫群が「みつかっている」と受け取られかねません。現存する建築として「集中式高床倉庫群を残す」のは奄美と対馬だけだとわたしは述べています。


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番宣2題

 年末年始の特別番組に二つ関与しましたので、かるく番宣させていただきます。あまり内容に触れてはいけないみたいでして、番組名と放送時間だけお知らせしておきます。


ザ!世界仰天ニュース

   放送局: 日本テレビ
   番組名: ザ!世界仰天ニュース(4時間スペシャル)
   放送日時:2013年12月18日(水)19:00~22:54 
     【監修した映像は22:06~22:22頃流れるそうです】


ナゾ解き卑弥呼・邪馬台国

   放送局: 朝日放送 
   番組名: ナゾ解き卑弥呼・邪馬台国
   放送日時:2014年1月4日(土)19時~(1時間) 


朝焼けに輝く纒向の大型建物群
↑マキムクCG不滅哉!?

酸素同位体比年輪年代測定講演会のお知らせ(Ⅱ)

img013酸素講演圧縮ゲラ ←まだゲラです


 地球研・中塚教授の講演まで1ヶ月を切りました。チラシがまもなく刷り上がりますが、待ってられないので、最終ゲラのデータ↑を先にアップしておきます。

 講演会概要

  1.日時 2014年1月8日(水)13:30~15:30
  2.会場 鳥取環境大学 第13講義室
  3.話題提供 中塚 武教授(総合地球環境学研究所・名古屋大学併任)
  4.演題

            新しい年輪年代測定法の誕生
   -酸素同位体比を使ってあらゆる木材の年代を1年単位でピタリと決める-


 中塚先生は日帰りで京都に戻られますが、講演後の時間を利用して、ささやかな情報交換会を開催する予定です。考古学・建築史・美術史等の関係者必聴の講演会です。
 みなさまのご来場をお待ち申し上げます。


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第10回「わび・さび-茶室の心と技-」その2

1205aハブの龍複合01


彫物師たちの活動

 12月5日の女子の活動をお知らせします。まずは職人グループから。
 1年のユーカさんはひたすら彫刻刀を握って板を彫り、わたしは窓をどうするのか、考え、悩み、動いた。と言うのも先週、教職介護研修によりプロ研に参加できてなかったため、現在窓班の製作しているものの完成イメージがまったく把握できていなかった。しかもリーダーであるハブも介護体験で今週は欠席。先生にも、茶室にも、みんなにも置いていかれそうな焦燥感と不安にさいなまれた。
 焦りを感じるというのも、茶室の工事は終盤を迎え、あと2週間でブルーシートをかけて年を越す予定である。それにあわせて、窓のほうも完成させなければいけない。時間がないのである。工房と現場との距離感、食い違いもあり、情報共有が上手くできていなかったのが大きな問題である。これはおおいに反省すべき点。不安がってばかりではいけないので、ユーカさんとハブが話し合っていた内容を聞き、どう作業を進めていくのか、何が必要なのか考えた。
 いま二人が作業を進めているのは彫り物である。彫り物を障子に組み合わせようとしている。彫り物は、月の中の兎と龍の絵であり、それぞれ個性あふれる作品となっている。廃材の板は虫食い穴あり、趣のある模様(しみ)があり、なかなか味がある。彫り続けると腕にくるそうで、一人黙々と作業していた。お疲れ様。
 私はじっとしていられず、障子を作るのに必要な紙をどうしようか考えた。牛乳パックを使って紙漉で紙作りも考えたが、漉く網がなく、出来そうで出来ないという状況…作ってみたい気持ちはあったが悔しい…。(以後、余裕があれば手を出したい)


1205a来週福井作業予定図 1205a窓完成予定図
 

紙屋さん巡り

 考えてるだけでは仕方がない!ということで、私は原付にまたがり、大学を飛び出した。自分の知っている紙屋さんをあたって余っている、不要になった紙を譲ってもらえないだろうかと考えたためである。駅前の紙店は2軒あると知っていた。しかし、こんなお願いが通じるのだろうかと、どきどき緊張しながら走った。
 1軒目は、和紙から、様々な文房具などが並ぶ紙店で日頃からお世話になっていた。鳥取環境大学でのプロジェクト研究で13年前に先輩方が造った廃材でできた茶室を復活させようと活動していること、材料は0円がルールであること、障子に使えるような紙をゆずってもらえないか、茶室の写真を見せながら説明した。残念ながら、余っているものはなく、すべて商品として並んでおり、余っていると言えば段ボールぐらいとのこと。「そりゃそうだよな」と思いつつ「お騒がせしました」と店を出た。
 2軒目は、主に通販で和紙を取り扱っている紙店で、入ったことはなく、入っていいのか少し不安になった。恐るおそる事務所をのぞいた。すると男性従業員の方が一人おられてどうぞと中に入れてくださった。先程と同様、自分たちの活動の話と譲っていただける紙がないかとお尋ねした。
 すると、「寸法は?」と聞き返され、あわててメモを見て答えると「ちょっと待ってね」と事務所に一人残された。一瞬何が起きたのか分からなかった。すると倉庫から障子紙のロール1本を「こんなんだったらどうぞ使ってください」と持ってきてくださった。突然の訪問でお邪魔してしまったにも係わらず、快く譲ってくださった。年代もので、しみがあるかもしれないのでとのことだったが、協力していただけたお気持ちが本当に嬉しかった。障子が完成したら、写真を撮ってお見せしにいきたいし、ぜひ茶室にも来ていただけたらと思った。ご厚意に感謝し、さらにがんばらねばと思った。
 次回の作業は、二人の彫刻職人たちは彫り物、福井は障子の枠組み作りである。流れとしては、枠組みができて、障子紙を貼り、彫った板をはめ込むことになる。彫り物を完成させること、障子の枠組みをいかにセンスよく作ることができるかが重要である。先生が窓班にすべて任せてくださっている分、しっかり動かなければ完成しない!!
 一人ひとりががんばって作り上げていきたい。(ハルナ)


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第10回「わびさび-茶室の心と技-」その1

1205茶室22妻庇01全景01


材料枯渇にともなうアイデアの数々

 12月5日(木)、冬の寒さが強くなり、いつ雪が積もってもおかしくない季節になった。なんとかこの週で茶室外装の修復を完成させ、ブルーシートを被せなくとも、雪や雨風をしのげるようにしてしまいたい。
 今回の活動は、①妻庇重ね板葺き班、②外壁補強班、③大屋根トタン葺き班、④ハイサイドライト制作班に分かれて活動した。
 妻庇の重ね葺きは前回の続きとなるが、すでに材料が底をついている。インテリア工房に残る板材を掻き集めてきたものの、170㎝の長さを確保できる材が1~2枚足りない状態で、長さが確保されていてもひび割れがあったり、板が薄かったりして、屋根の葺き方に工夫が必要だった。結果として言うと、ひび割れなどの欠陥を有する材は庇屋根の両端(ケラバ)に集中させ、その部分のみビニール波板で被覆して防水処理した。また、工房に大量にあまっている細長いデコボコ材は目地板として活用した。細い材ではあるが、茶室の正面デザインに変化を与えている(↓)。


1205茶室22妻庇02目地01


 ぼくは同級生のK君とともに、壁の補強の仕事に携わった(↓)。前日から上級生がステンドグラス側の横板壁に木目模様の鉄板を貼り始めていて、最下段のみ完成していたが、ぼくたちは中段から上の横板壁に鉄板を打ち付けていった。柱間に落とし込まれた横板壁の寸法にあわせて壁模様の鉄板を切りそろえ、ビスで留めていったのだ。これで、板の隙間から風が入りにくくなるし、水分にによる板壁の腐朽を防ぐこともできる。横83cm×縦68cmを1枚、横81cm×縦68cmを2枚壁に打ち付けた。壁トタンを切る作業は力が要る。ビス留めは、壁からビスの先端が付きでないように注意しなければならず、少々苦労した。


1205茶室21壁トタン01


 大屋根(床の間側)のトタンは前日に3年生の先輩が長さ150cmと長さ140cmの2種類に切り分けてくださっていた。本当はすべて150㎝の長さにしたかったのだが、ここでも材料はすでに尽きていたのだ。幸い大屋根の下地板長さは137㎝なので、短い方の140㎝でも覆い尽くすことができる(↓)。ただ、見栄えを考慮し、長い150㎝の鉄板を正面側から葺き重ね、背面側に短い140㎝のトタンをまわした。茶室の前方からみても、トタンの長さの違いは分からない。先輩方の準備のおかげで鉄板葺きはスムーズに終わり、最後にリサイクルした棟覆いをつけて大屋根は完成した。


1205茶室20大屋根01 1205茶室20大屋根02
↑床の間側大屋根トタン葺き。長い材と短い材の違いはあまり目立たない。


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茶室スクランブル

1204茶室11お歳暮 ←ニシガキさんのお歳暮です!


 まず2期生のニシガキさんに御礼申し上げます。スーパードライ・プレミアムを大量にお贈りいただきまして、さっそく先生はぐびぐび飲んでおられるようです(ケントも??)。先日のおでん200袋に続き、ビール3箱。ぼくたちも卒業後は見倣いたいものです!

 さて、今年は例年より早く寒気が押し寄せ、最近では雪や霰が降ったり霜がおりたり、外での作業も厳しいものになってきました。そもそも12月の山陰に晴れ間はほぼありません。週1回プロジェクト研究2&4をおこなう木曜日は、奇跡的に毎回晴れてきましたが、このさき活動を継続できる保証はありません。
 そこで、水曜日の3年ゼミも茶室修復のスクランブル体制をとることになりました。12月4日(水)は13時に研究室に集合したのですが、あいにく雨が降っており、天候の回復を期待しつつ、先に実測図面のチェックをうけました。天気予報によると、夕方にむけて降水確率は下がっていくはずなんですが、、、


1204茶室01壁トタン001 1204茶室02壁波板001


 雨はなかなか降りやみません。半ば諦めかけていた15時過ぎ、ようやく雨が上がり、一同茶室に移動。一時間しか作業をできませんが、翌5日(木)の予報は晴れなので、1・2年生の活動を順調に進めるための準備に取り組みました。以下が作業成果です。

 1)床の間側大屋根に葺くトタンを150㎝と140㎝に切りそろえる
 2)ステンドグラス側の腰壁に板目模様のトタン貼り(最下段のみ)
 3)床の間・棚の背面にできている棚部分をビニール波板の壁で隠す(断熱層を確保)
 4)簀子天井2枚を梁の上にのせる

 5時近くになって講義を終えた会長さんがヤッケ姿であらわれた。竈の試し焚きに使うサツマイモの差し入れをいただいたばかりか、翌週「たけちゃん」での忘年会を提案されるなど、さすが会長様ふとっぱらと感じ入った。11日の忘年会が今から楽しみだ。(白帯)


1204茶室03簀子天井001

落葉のチビキノコ(Ⅱ)

1203チビキノコ004巨巌


摩尼山大捜査線

 まぁいい。奥の院まであがった目的の半分は昼弁当を食べることだから。Sマートのおにぎり弁当をひろげ、カップラーメンに湯を注いだ。食事していると、周辺でざわざわ音がし始めた。禽獣なら危ない。スリランカの鐘を鳴らし続ける。しかし、ざわざわの響きは已むことなく、人の跫音に変わっていった。まもなく、剃髪した若い僧らしき人物があらわれた。その人物は奥の院で休みもせず、岩陰仏堂から山頂をめざしたが、石段の遺構を上がろうとしたので、「そこは危険です。外回りであがって」とアドバイスした。かれは山頂に至る道を知らなかったのだ。
 食後、ホダギ背面のシイタケを収穫。今回はφ1㎝のものまで収穫した。置いておいても盗られるだけだからね。そして、予防線をはることにした。結果的に振り返るならば、「シイタケ大収穫!」を何度もブログで公開したことが仇となったのだ。ブログをみて奥の院に上がり、シイタケをむしって帰ったヤツがいる。こいつを捕まえてやろう。安堂ロイドのようにテレポーテートして、このサドル野郎をデリートしてやる。
 表側全滅という状態ではあったけれども、背面側で25枚ばかりシイタケを収穫した。贈り物として、なんとか体をなすかな。帰ろうとして、うろうろしていると、平場で野苺を発見。レッドベリーのデザート、美味しいな。山に上がると良いことがある。

 下山後、マダムとマスターは思い出したように語る。

  「昨日の人以外にも、何人か奥の院に上がったでぇ」
  「今日も若い僧のような人物が上がってきたよ」
  
 やはり、犯人は動物ではなく、人間だ。残念なことである。
 ここで宣言しておく。今度こそ「最後の摩尼山」にしようと思っていたが、そういうわけにもいかないみたいだね。われわれはチームを組んで非常線を張る。盗りたいなら来ればいい。おまえをビデオが狙っているぞ。
 縛につけ、サドル野郎!
 

1203チビキノコ003
 

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落葉のチビキノコ(Ⅰ)

1203チビキノコ100


シイタケ泥棒、このサドル野郎!

 12月2日が誕生日の人物に摩尼山朝採れシイタケを捧げようと企んでいて、それを実践したのは翌3日のことだった。門前に着くと、いつものように、喫茶部のマスターとマダムが声をかけてくる。

  「センセェ、昨日登ればよかったのになぁ。センセェの同業者っちう人が
   米子からきて奥の院まで登ったでぇ」
  「米子の同業者? 65歳くらい??」
  「うぅぅん、82歳だって。センセェの奥さんが佐治の人だって知っとんさった」
  
 82歳の同業者。米子と言えば、六弦倶楽部の会長か某建築史家ぐらいしか知人は居ない。二人とも60代だ。正直、思い当たる人がいない。

  「一人で登ったの、82歳の男性が?」
  「そうよ、山道でシカの親子連れをみたって言っとんさった」
  「うちの学生、来てないよね?」
  「金曜日のあとは来とんさらんよぉ」


1203チビキノコ101


 当惑しながら「奥の院」をめざす。一人で山を歩くとき、スリランカで手に入れた仏具の鐘をカンカン鳴らす。シカは凶暴ではないが、イノシシのでかいのとクマには適わんからね。
 門前から25分で遺跡に着き、さっそくホダギに目をやって仰天した。表側に1枚のシイタケもみえないのだ。こんなはずはない。絶対にありえない。2週間前に収穫した際、φ1㎝程度の超チビキノコをたくさん残しておいた。あのキノコたちはφ8㎝前後に成長していなければならない。ほかにもチビキノコがいくつか芽を出しているはずだが、まったく見当たらない。ところが背面にまわると、小ぶりのシイタケが、多くはないが、点々と笠をひろげていた。門前に電話する。

   「シイタケ盗られたみたい。昨日山に上がった人はドロボーさんにみえなかった?」
   「みえんかったねぇ、ビニール袋ももってなかったし・・・」
   「リュックは?」
   「そう言えば、小さいリュックを肩にかけとんさったかなぁ」
   「小さいリュックに十分入るよ」
   「シカじゃないだろうかなぁ?」
   「・・・・」

 はたしてシイタケ泥棒はシカ(あるいはイノシシ)か人か。ホダギの正面側だけキノコが消え失せ、背面には点々と残っている。表側に蹄の跡はない。
 人だ。人間がわたしの大事なシイタケを盗んだのだ。【続】


1203チビキノコ001 1203チビキノコ002

松原田中遺跡の現地公開

1127松原田中遺跡01


地中梁を伴う布掘り掘立柱建物の文化史的意義

 11月26日(水)夕刻、鳥取県教育文化財団からメールが入った。湖山池南岸の水田地帯に位置する松原田中遺跡(4区)で、地中梁らしき木材を伴う布掘掘立柱建物跡が発見され、その地中梁は断面が20㎝×13㎝、長さ7m以上の角材だという。現場の工期終了が3週間後に迫っており、あいているのは27日(水)午後しかないことが判明し、翌日白帯を連れて現場に飛んだ。
 とてもおもしろい遺跡である。布掘状の2本の溝の中に角材が1本ずつ傾いて横たわっている(↑)。角材は正方形に近い長方形断面を呈しているが、中間部分に弱い抉れを2ヶ所に確認できる。さらにおもしろいことに、その南側にもほとんど平行する溝状遺構があり、溝の北肩近くに縦長長方形の角材が横たわっていた。奇妙なことにその縦使いの長方形断面材は枕木の中央ではなく片側に寄っている(一番下の2枚の写真)。一方、正方形断面に近い方の2本の角材はいずれも傾いている(↓)。どうやら、地中梁(長い礎板)上に建っていた建物を解体する際に地中梁が抜き取り穴の内部で動いた可能性があるようだ。


1127松原田中遺跡01e 1127松原田中遺跡01c

 
 縦使いの地中梁はトレンチ内部で1本しかでていないので、建物規模は不明だが、平行2列に地中梁を確認した建物跡は梁間2.6m×桁行7.6mであり、抉れの位置に柱が立っていたとすれば、梁間1間×桁行3間の平面に復元できる。さらに3m未満の梁間寸法、地中梁を伴う布掘りにより高床建築であったと推定され、とりわけ2.6mという梁間寸法は高床倉庫の可能性を強く示唆している。もう1棟の建物(縦使いの地中梁をもつ掘立柱建物)も同様の高床倉庫であるとすれば、この一帯は1間×3間の大型高床倉庫が軒を連ねる集中式高床倉庫群の一部であった可能性が高いであろう。


1127松原田中遺跡01a 1127松原田中遺跡01d


 集中式高床倉庫群は西南中国から東南アジアの稲作民族にひろく分布しており、一般的には主屋群の火災に際して稲倉群を隔離する機能に由来すると考えられるが、フィリピン・ルソン島北部のイフガオ族は集中式倉庫群を石垣で囲み、門前に稲神を祀っており、稲作に係わる祭祀とも関連する場合がある。また、中国貴州トン族の場合、1間×2間、1間×3間などの高床倉庫は柱間ごとに部屋を分け、1世帯に1室を割り当てる。この場合、隣接する倉庫室の所有者は血縁関係があるのが一般的である。ちなみに日本で集中式高床倉庫群を残すのは、奄美大島のボレグラ(群倉)と対馬のコヤ(小屋)群である。


1127松原田中遺跡02 1127松原田中遺跡02a

 
現地公開は6日(金)午前まで

 松原田中遺跡では「地中梁」取上げまでの期間、出土状況を公開しています(「続き」参照)。


松原4区地図  田中松原遺跡(日本海新聞13年12月04日掲載)

↑(左)現場へのアクセス (右)日本海新聞2013年12月4日

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そしてまた、スリランカの獅子

杉田画伯のシーギリア復元図

 今回示したシーギリア・ロックの復元図(↓)もグーグルの画像検索でみつけていたんですが、研究者たるもの出典を押さえないといけませんからね【笑(自嘲気味)】。少々時間がかかってしまいました。
 画像検索で発見した図は伊東照司『スリランカ仏教美術入門』(雄山閣、1993)の図3「岩山シーギリヤの復元図」(p.32)でしたが、キャプションに記されているとおり、杉本哲郎『印度古代壁画の研究』(立命館出版部、1943)の「シーギリヤロックの西側面図」(p.68)を転載したものです。この側面図は「獅子像の想像」と「宮城の想像」を点線で示しており、なんとも風格のある構図になっていますね。狛犬のようなライオンだから、親近感がもてるのかもしれません。これまでみたシーギリヤ・ライオンの復元図としては、最高レベルの一作と評価できるでしょうが、如何せん、スケールがぶっとんでいる。あの巨大な岩山を凌ぐ高さの獅子像を制作するのは至難、というレベルを超えて不可能だと言わざるを得ません。
 ただ、獅子の顔(のデザイン)は使えそうな気がします。威厳のある横顔だ。リトル・トッパーズのイラストがおそらく全体の構成としてはいちばん上手く復元されているですが、獅子の顔が人間に似ている。その顔を杉田画伯の獅子頭とさしかえれば、凄くよい復元案になると個人的には思っています。ただ、杉田画伯の描く獅子頭の出典がわたしにはよく分からない。5世紀末という時代にふさわしい獅子であるのか否か、残念ながら判断できない次第です。
 5世紀スリランカの獅子像があきらかでない限り、獅子の顔はどうにでもなる。百人の研究者が居れば、百通りの顔ができかねないわけですが、わたしの考えは、前にも述べたとおり、シーギリヤ・レディのなまめかしい写実性を鑑みるならば、獅子頭もさほどデフォルメがきついものではないだろうと推定しています。
 あぁ、さっきの長電話でちょっと疲れた。スリランカの獅子の話は、このあたりで終わりにしましょう・・・


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倉吉打吹山麓の歴史的風致に関する総合調査(Ⅷ)

1129 長谷寺01


巨巌、現る?!

 11月29日(金)、他のメンバーが摩尼寺で最後の?補足調査をしているなか、私とセツは倉吉の長谷寺で補足調査をおこなった。前回の長谷寺調査は8月下旬。図面をおこしてみると、いくつか寸法の測り漏れがある。勤労感謝の日に教授の講演会が倉吉であったので、その前にささっと補足調査して終わらせるつもりだったのだが、提案した自分が出発前に突然腹痛に襲われるアクシデントが発生し、調査を断念した。今回は、前日からしっかりと体調管理を整えて臨んだ。


1129 長谷寺08 


 長谷寺に到着し、車を降りると肌寒さを感じた。石段をのぼって、景観の変化に気づいた。
 本堂と寺務所のある山手の少し高い位置に、巨巌がある。8月には草木で覆われていたが、今は、草取りと灌木伐採が進んでおり、巨巌まで上がるしっかりした路もできている。住職に訊ねると、教授からの指示で会長さんが動き、本堂背面の除草・清掃を業者に依頼したのだそうだ。長谷寺はこの巨巌を御神体とした可能性もあり、摩尼寺「奥の院」や三徳山冠巌との共通性を感じさせる。むき出しになった巨巌は、本堂から見ると以前よりも一段と迫力が増している。
 本堂屋根もは箱棟(越屋根)がついている。本堂に掛かる絵馬をお焚きあげで燃やすとき、煙が天井裏にこもってしまわないよう、頂部に煙抜きの越屋根を設けたのだという。側面に開口がある。いわば煙突のようなものだが、瓦葺きに変わるまでの茅葺きの時代はどうだったのだろうか。


1129 長谷寺03  1129 長谷寺07



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摩尼寺建造物の調査(Ⅸ)

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こんどこそ、今年最後の?摩尼寺調査

 11月29日(金)。今週の水曜日は特別講義があり、ゼミ活動ができなかったため、金曜に補講として摩尼寺と長谷寺で補足調査をおこないました。長谷寺の活動は明日報告します。

 摩尼寺組は9時から調査を開始。この日はとても寒く、途中雪がちらつくこともありました。私とユート君は山門の補足調査、社長さんが本堂断面図の続き、そのサポートを白帯さんとポール君が担当しました。私たちは図面チェックの際に指摘されていた礎盤、扉板、三斗組の問題点をクリアするために、細部のスケッチと採寸をおこないました。礎盤をもう一度測り直しましたところ、やはりCADで表現していた形状と少し異なっています。三斗組は前後左右対称なはずですが、私が描いていた図は対称になっておらず、今回は梯子に登り実測しました。以前は梯子を使わず、コンベックスを伸ばして採寸していたため、誤差が生じたものと思われます。先生が「本堂・山門とも大斗・巻斗の両方に特殊な皿斗をつけており、細部の寸法が欲しい」と仰っていたのですが、今回はきちんとした寸法が測れたと思います。


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 本堂では社長さんが本体部分の断面実測を続け、学生2名は向拝上の細部の実測採寸を担当したのですが、ゼミメンバーは高所恐怖症の人が多く、「怖い、こわい」とこぼしながらも、高い脚立を使って獅子鼻や三斗組の実測を頑張っていました。
 実測後、シイタケ採りに「奥の院」まで登る予定だったのですが、雨が降りだしたため断念しました。今回の補足調査で測り残しがない?と思うので、そろそろきちんと図面を完成させようと思います。(フジイ)


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第9回「わびさび-茶室の心と技-」その2

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竈の移設新装

 11月28日(木)。女子は窓チーム(2名)と竈チーム(3名)の2班に分かれ、作業をはじめました。
 竈の材料は、茶室周辺にあった瓦 丸石 レンガ、土管です。先週述べていますが、4期生の先輩(チャックさん)が茶室背面に制作した竈を移設・新装するものです。まず竈の壁を固めるための赤土つくりからはじまりました。実験棟の裏側にブルーシートで覆われているこんもりした部分があり、そこに構造実験に用いるスサ(藁)混じりの壁土が放置してあるのです。この赤土をセメントの代わりに使います。ハブさんの指示により、その赤土をススキと混ぜて、セメントの完成です。正直ススキを入れる意味が分かりませんでしたが、コロッケで例えるとパン粉の役割を果たすと解釈しました。【教師註:壁土にはすでに藁が混ざっているので、ススキは不要。藁やススキは土中で発酵し、土に粘りけを与える。発酵には1~2ヶ月の養生が必要】
 そして茶室へ向かい、竈の基礎作りです。以下、作業工程を示します。
  
  1)シャベルで大きな穴をほります。
  2) 穴の内側に瓦を並べ、その中に丸石を入れて行きます。
  3) 土が触れて湿らないように、レンガを底に敷きます。
  4) 石で小さな空洞を作ります。
  5) 薪をくべる焚き口は大きめにつくるので、穴全体は手鏡の形になります。
    こうして通風をよくすると、火がよく燃えるそうです。
  6) 瓦と丸石に赤土をつけてくっつけます。
  7) 最後に土管を上から被せて完成です。


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 ここまで作るのに、いろんな悩みがありました。赤土はほんとにくっつくのか、どうやって石を並べるか、そもそも竈なんてどうやったら作れるのか・・・知識も少ししかない私たちにとって大変な作業でした。しかしハブさんや先生の助けを借りてようやくできた竈です。来週から着火するので、うまくいくことを願うばかりです。

 窓チームはまだ考えが固まっていないので、説明できる限りのアイディアを紹介します。彼女たちは障子を作ろうしています。30×30㎝と20×55㎝の開口部が茶室の床の間側にあります。30×30㎝の窓は板材で小さな正方形を何個か作り、ひとつずつデザインを施し彫っていきます。それをすべて組み合わせて、障子をつくるという考えです。20×55㎝の方は絵を描いて浮き彫りし、障子のように飾るという考えだと聞きました。
 しかし、それをするには時間もかかるし、高度な技が必要です。ステンドグラスも無理そうですし、私的に少しピンチです。来週からハルナさんも来るので、みんなで考えをまとめて作業に入りたいと思います。(経営学科2年I.M)


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プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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