はてなキーワード: 聖戦とは
2026年3月16日の辺野古沖抗議船転覆事故から1ヶ月以上が経過した現在も、ヘリ基地反対協議会(安次富浩氏ら)は遺族に対し、直接的な対面謝罪・手紙・弔電を一切行っていません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a8e1ce17609471c2b5cac0a6f5b279117d0b58c8
記事によると、共同代表の仲村善幸氏と事務局長の東恩納琢磨氏に記者が「なぜ遺族に謝罪しないのか」と直接聞いたところ、両氏とも口を揃えて「弁護士に聞いてください」と回答しただけでした。4月3日頃に弁護士を通じて「遺族の意向を確認中ですのでお待ちください」と学校側に連絡した記録はありますが、対面謝罪や手紙・弔電などの具体的なアクションは確認されていません。
この「謝れない」姿勢は、単なる個人の冷たさではなく、構造的な問題です。
共同代表制・構成団体連合という分散型組織のため、誰が最終責任者かわかりません。共産党(北部地区委員会が構成団体)、日本基督教団社会派、労働組合、辺野古基金などが緩やかに連携し、責任をたらい回しにできます。結果、「団体として謝罪した」「政府の責任だ」と主張することで、個別・具体的な謝罪を回避します。
「平和」「反基地」「民意の抵抗」という強い大義が、違法占拠(テント村・海上カヌー)や違法運航(無登録船・無保険)を正当化します。謝罪をすれば「自分たちの活動に非がある」と認めることになり、運動の正当性が揺らぐため、心理的・組織的に極めてハードルが高い。
最も深刻な要因は、運動の継続自体が利権を生み出す分散型ネットワークです。
・辺野古基金の資金循環 2015年に設立された辺野古基金は、2026年3月末時点で寄付総額約8億5,492万円(124,939件)を集め、ほぼ全額を反対運動の支援・運営費に充てています。主な寄付元は教職員組合(日教組・全教)や自治労などからの組織的寄付です。
・修学旅行・平和学習からの収入 年間約2,000校に上る沖縄平和学習で、抗議船使用料(「協力金」「カンパ」名目で1人あたり数千円)、民泊プログラム料、ガイド料が発生します。同志社国際高校の事故時も、船員3人に対して各5,000円(計15,000円)が支払われていました。
・激励ツアーなどの商業的活動 富士国際旅行社などが「辺野古・高江激励訪問ツアー」(8〜9万円/人)を定期的に企画・販売し、ヘリ基地反対協議会が現地ガイド役を務めています。これらの参加費もネットワーク内に還流します。
・宗教献金の役割 日本基督教団社会派では、信徒献金や牧師謝儀が抗議船購入・運用資金に間接的に使われるケースが確認されています。
一つの団体が「やめよう」と言い出せば、全体の資金源が失われ、ネットワークが崩壊する可能性があります。このことが、主体的な意思表明・反省・方針転換を実質的に不可能にしています。
安次富浩氏ら協議会メンバーは事故直後の記者会見で私服のまま出席し、腕組みをして仏頂面で臨むなど、責任回避的な態度が目立ちました。小池晃共産党書記局長も会見で「平和の問題を一生懸命勉強して沖縄まで来られた方が…命を落とされるのは絶対あってはならない」と述べ、事故を「平和教育の犠牲」として位置づけ、政府責任論を強調しました。
戦前は軍部・政府が「聖戦」「神風」「大本営発表」で失敗を認めず、内部批判を「非国民」として排除しました。現在も「平和」という大義名分のもと、事故原因の自己検証や活動の見直しが極めて困難になっています。明確な指揮系統がない分散型ネットワークは、外部からの是正圧力(海上保安庁捜査・文科省通知)を受けつつも、内部自浄が機能しない「集団無責任体制」を生み出しています。
基地反対団体の「謝れない構造」は、集団無責任体制+大義名分+相互依存ネットワークと資金還流が複合的に絡み合った結果です。
これは戦前の総動員体制の「誰も最終責任を取らない」病理を現代版です。トップが存在しない様々な団体が、思想と利権で結びついているため、「大義に逆らう」主体的な反省や方針転換をすることは、実質的に不可能な状態です。
はい、戦時中(特に昭和10年代後半~1945年頃)に「国家神道」という具体的な用語が使われていたのは、ごく一部の限られた場面だけでした。一般的・日常的に広く流通していた言葉ではなかった、というのが正確な理解です。
gendai.media
「国家神道」という言葉は、帝国議会での一部議員の発言(例:1908年・1911年の小田貫一議員の発言)や、神道学者・内務省・陸軍省関係者の専門的な議論、軍部や学術文書の中で散発的に見られる程度でした。
しかし、一般国民向けの新聞・雑誌・教科書・プロパガンダ、学校教育、日常会話ではほとんど登場しませんでした。代わりに使われていたのは「神道」「神社神道」「国家の祭祀」「皇道」「国体」「惟神の道」などの表現です。
軍国主義が強まる中で、神社参拝・遥拝・戦勝祈願・八紘一宇・聖戦などの実践やイデオロギーは確かに国家的に推進され、国民生活に深く浸透しました(教育勅語の読み上げ、神社への強制的な寄付や参拝、靖国神社の位置づけなど)。
しかし、それらを一括りにして「国家神道」と呼ぶ用語自体は、依然として専門家・官僚・軍部内の限定的な文脈でしか使われていませんでした。
一般大衆やメディアでは「神ながらの道」「天皇の道」「国体精神」といった言葉が主流で、「国家神道」というカテゴリー名はほとんど普及していませんでした。
なぜ「ごく一部」だったのか当時の公式スタンスは「神社神道は宗教ではない」(国家の祭祀・道徳教育・愛国心養成のための非宗教的施設)というものでした。これを「宗教の一形態」として「国家神道」と名付けてしまうと、憲法上の信教の自由と矛盾する恐れがあったため、用語として避けられていた側面があります。
GHQの神道指令(1945年12月)で、初めて「国家神道(State Shinto)」が明確に定義・命名され、戦後の歴史叙述で一気に広まったのです。それ以前は、実態(国家管理の神社体系+天皇中心のイデオロギー)はあっても、統一的なラベルとして定着していなかった。
まとめ実態(国家が神社を管理・利用し、天皇崇拝を国民統合のツールにした体系) → 戦前から戦時中まで強く存在し、特に戦時中は軍事動員に活用されました。
「国家神道」という用語 → 戦前・戦時中はごく一部の専門的・官僚的な文脈でしか使われず、国民一般には馴染みの薄い言葉でした。
つまり、あなたの理解「戦時中に使われていたのはごく一部だけ」は、用語の使用頻度・普及度という点では正しいです。ただし、実態としての「国家神道的な仕組みや思想」は戦時中にかなり強力に機能していた、という区別が大事です。戦後のGHQがこの用語を導入して「軍国主義の源泉」として批判的に総称したことで、今日のイメージが形成された部分が大きいと言えます。
朝日新聞や日本基督教団(特に社会派)の戦後的な立場は、戦前の「皇道推進派・戦争協力派」から「日本断罪派・反権力派」への大きな鞍替え(方向転換)を象徴する事例として、保守層を中心に長年批判されています。「悪を糾弾する立場」を維持しながら、対象を替えているという構造があります。
◦ 朝日新聞:戦争報道で積極的に国策を支持。「大東亜共栄圏」「聖戦」などのスローガンを連呼し、軍部・政府のプロパガンダに協力。
◦ 日本基督教団:1941年に国家神道的な圧力の下で合同し、戦争協力の姿勢を取った。多くの牧師が「皇道キリスト教」を掲げ、戦争を「神の摂理」と位置づける神学を展開。
◦ 朝日新聞:戦争責任を深く反省する立場に転換。以降、「反戦・平和」「反権力」を一貫した editorial line とし、保守政権や自衛隊、安保政策を強く批判するようになった。
◦ 日本基督教団:1946年の「戦争責任告白」で戦時中の協力を公式に悔い改め、社会派が主流に。戦後は「構造的罪」「反権力・平和運動」を神学の中心に据え、反基地・反安保運動に深く関与するようになった(金井創牧師の活動もこの延長線上)。
天皇制・軍国主義・国家神道を「正義」と位置づけ、それに反対する勢力(共産主義者、リベラル、キリスト教の一部)を「国賊」「悪」と糾弾。
今度は「天皇制・軍国主義・国家権力・米軍基地」を「構造的悪」と位置づけ、それに反対しない勢力や現実路線を「加害者側」「右翼」と糾弾。
「常に自分たちが悪を糾弾する側に立つ」**という姿勢は変わっていないが、糾弾の対象が180度変わったのです。
• 生存戦略としての転換:敗戦後、戦争責任を追及される中で「自分たちは実は抵抗していた/被害者だった」というナラティブを構築する必要があった。
• 新しい正義の獲得:戦前の国家主義が崩壊した後、「反戦・平和・人権」という新しい「絶対的正義」を掲げることで、道徳的優位性を維持。
• 連続性:戦前も戦後も「権力に対する批判的立場」を自認しているため、自己矛盾を感じにくい。
この構造は、現在の沖縄の反基地運動や平和学習報道にそのまま投影されています。
• 朝日新聞や沖縄タイムスは、反基地運動を「平和の闘い」「県民の総意」として肯定的に報道し、反対する意見を「右翼の攻撃」「誹謗中傷」と一括りにする傾向が強い。
• 日本基督教団社会派は、金井牧師のように「イエスは辺野古の現場にいる」と聖書を反基地運動に直接当てはめ、信仰と政治を一体化させる。
• 結果として、「悪を糾弾する側」に留まり続けることで、運動の正当性を維持しつつ、異論を封じ込める空気を作り出しています。
これは戦前の「非国民」レッテルと構造的に似ており、多様な意見を排除し、社会的分断を固定化する弊害を生んでいます。
朝日新聞や日本基督教団社会派の事例と同様に、戦前は国家主義・戦争協力に積極的だったのに、戦後になって「反戦・平和・反権力」を強く主張するようになったメディアは他にもいくつかあります。以下に、主なものを挙げます。
• 戦前・戦中: 朝日と並ぶ大手紙として、軍部・政府の国策を積極的に支持。「大東亜共栄圏」「聖戦」を連呼し、戦争報道で大きな役割を果たした。
• 戦後: 急速に反戦・平和主義に転換。憲法9条擁護や自衛隊批判を強く打ち出し、左派寄りの論調が目立つようになった。
• 特徴: 朝日ほど極端ではないが、「戦争責任の反省」を前面に出し、戦後の「平和主義メディア」としての立場を確立。保守層からは「日和見的な鞍替え」と批判されることが多い。
• 戦前・戦中: 正力松太郎(戦後読売新聞社主)が軍部と密接に関わり、戦争協力報道を積極的に展開。プロパガンダ色が強かった。
• 戦後: 比較的早く「中道保守」路線に転換。ただし、戦前からの軍部とのつながりが長く批判された。
• 特徴: 他の大手紙に比べて転換の度合いは穏やかで、現在は比較的バランスを取った報道姿勢とされるが、戦前の軍部協力の過去は保守層からも時折指摘される。
• 戦前: 中日新聞(当時の新愛知新聞など)は軍国主義報道に協力。
• 戦後: 特に左派寄りの論調が強く、反基地・反安保・護憲を強く主張するようになった。
• 特徴: 現在も沖縄の基地問題では反基地寄りの報道が目立つ紙の一つ。
• 戦前・戦中: 国営放送として軍部・政府の完全なプロパガンダ機関だった。「ラジオ体操」「国民精神総動員」などの戦争協力番組を大量に制作。
• 戦後: GHQの指導の下で「民主主義放送」に転換。以降、「平和主義」「反戦」を強く打ち出す報道姿勢が定着。特に国際報道や国内の社会問題では左派寄りと見なされる傾向が強い。
• 特徴: 公共放送という性格上、「中立」を掲げつつ、実際の報道バランスが左に寄っているとの批判が保守層から根強い。
• 戦後: 全国紙や地方紙に配信する記事で、反戦・平和・リベラル寄りのトーンが強いと指摘される。
• 特徴: 地元紙(特に沖縄タイムス・琉球新報)の報道傾向にも影響を与えている可能性が高い。
• 戦前: 国家権力(天皇制・軍部)と一体化し、戦争を積極的に支持・宣伝。
• 戦後: GHQの占領政策や「民主化」の波の中で、急速に「反戦・平和・反権力」の立場に鞍替え。
「戦争に協力したのは仕方なかった」「本当は内心反対だった」「今こそ真の平和を追求する」というナラティブを構築。
戦前は「反国家勢力」を悪と糾弾し、戦後は「国家権力・米軍・保守政権」を悪と糾弾する形に切り替わった。
この鞍替えは、「常に自分たちが正義の側に立つ」という姿勢の維持が背景にあり、結果として「現実の多角的な検証」が疎かになる弊害を生んでいます。
沖縄の地元紙(琉球新報・沖縄タイムス)が反基地運動を強く支持し、事故の本質(平和学習の政治性、安全軽視、外部勢力の関与)を十分に検証しない姿勢は、この戦後メディアの鞍替えパターンと重なります。「平和」という新しい正義の名の下に、運動の既得権益化や言論の硬直化を許している点が特に似ています。
歴史的に見ると、このような大規模な方向転換は、自己反省が不十分なまま新しいイデオロギーに乗っかることで起きやすく、長期的に社会の分断や現実認識の遅れを招きやすいという教訓があります。
地政学的な文脈で見るという前提ではありますが、朝鮮半島を舞台にした「大陸勢力 vs 海洋勢力」の衝突という構図は歴史の中で形を変えて繰り返されています。
朝鮮戦争を「第3次日清戦争」と捉える考え方は、歴史ファンの間でも一種のメタファーとして語られることがありますが、正確には「役者が入れ替わり、規模がグローバル化したアップグレード版」と言えるかもしれません。
いくつかのポイントで、その共通点と決定的な違いを整理してみましょう。
朝鮮半島は、大陸(中国・ロシア)にとっては「海への出口」であり、海洋勢力(日本・アメリカ)にとっては「大陸への足がかり」です。この「半島というチョークポイント」を巡る争いという点では、まさに日清戦争と同じ構造です。
※日本は直接参戦していませんが、米軍の「後方兵站基地」として事実上、海洋勢力側の不可欠なパーツでした。
一方で、朝鮮戦争には「日清戦争」という枠組みには収まりきらない20世紀特有の複雑さがあります。
日清戦争は「帝国主義的な利権と影響力」の奪い合いでしたが、朝鮮戦争は「共産主義 vs 自由主義」という、世界を二分するイデオロギーの衝突でした。単なる国の領土問題ではなく、「どちらのシステムが世界を支配するか」という聖戦の側面があったのです。
主役はあくまでアメリカです。もしこれを無理やり名付けるなら、「米中戦争の朝鮮代理戦争」の方が実態に近いかもしれません。
日清戦争当時は、朝鮮(李氏朝鮮)の意向は二の次で、大国が勝手に戦っている側面が強かったです。しかし、朝鮮戦争は北と南がそれぞれの正義を掲げて激突した「内戦」からスタートしています。ここに外部勢力が「介入」したという形です。
| 項目 | 日清戦争 (1894) | 朝鮮戦争 (1950) |
|---|---|---|
| 大陸側主役 | 清(中国) | 中国(義勇軍)・ソ連 |
| 海洋側主役 | 日本 | アメリカ(国連軍) |
| 日本の役割 | 当事者(プレイヤー) | 後方基地(サポーター) |
| 主な争点 | 朝鮮への宗主権・権益 | イデオロギー・冷戦の主導権 |
地政学の文脈では「朝鮮半島の支配権を巡る大陸と海洋の衝突」という歴史のテンプレートになぞらえられる朝鮮戦争は「第3次」に見えます。
ただ、日本が「戦う主体」から「アメリカの盾であり工場」へと変化したこと、そして核兵器の影がちらつく冷戦構造であったことを踏まえると、「日清戦争の皮を被った、実質的な第3次世界大戦の局地戦」と呼ぶのが、より現代的な解釈かもしれません。
Twitter見てると毎日毎日、男女の殴り合いでタイムラインが地獄だよな。
で、必ず出てくるのが「あいつらは真のフェミニストじゃない」「フェミニズムは本来、男女平等を目指す素晴らしい思想なんだ」っていう、お花畑な擁護。
アンフェくんもアンフェくんで、「ツイフェミは嫌いだけど、本物のフェミニズムは尊重する」とか物分かりのいいフリしちゃってさ。
フェミニズムの母、メアリ・ウルストンクラフトの頃からしてそう。
彼女たちが信じていたのは、「今の社会は男性本位の抑圧だらけのクソ。その抑圧さえ消えれば、女性は本来の(男性以上の)知性と道徳を手に入れて神の王国が実現する」っていう極端なユートピア思想。
要するに、最初から「自分たちは抑圧された被害者であり、本来はもっと優れた存在である」っていう強烈なルサンチマンと選民思想がセットになってるんだよね。
「母権制が原始の姿だった」とかいう、今じゃ否定されてるバッハオーフェンのトンデモ説をエンゲルスが補強して、「女性は本来強かった(のに男が奪った)」っていう物語を完成させた。
「女は本来すごいんだ!」っていうツイフェミのあの全能感、あれは昨日今日始まったもんじゃなくて、200年前からの伝統芸能なんだよ。
第1波フェミニズムが「参政権」を勝ち取ったのは有名だけど、その過程で彼女たちが何をしたか知ってる?
「無学な黒人に権利を与えるくらいなら、知性ある白人女性に先に寄こせ」って有色人種を徹底的に切り捨てたんだよ。
フェミニズムは最初から「知性や能力がある(と自認する)女性」のための運動であって、そこに該当しない人間(黒人、障害者、そして弱者男性)を差別し、排除するのはお家芸なんだわ。
大正時代の日本でも、フェミニストが「劣等な男は結婚させない(断種)」って運動してたし、現代の教祖様である上野千鶴子だって、弱者男性に向かって「平和に滅びていけ。間違っても子ども作るな」って言い切ってる。
「ツイフェミは平等とか言いながら、金持ちのイケメンばっかり求めるダブスタだ!」って怒ってるアンフェくん、君もピュアすぎる。
研究でも明らかになってるけど、フェミニストを自称する女性ほど、実際には性差別的な振る舞いをする「超強力な男性」に魅力を感じるっていうデータがある。
口では「平等」って言いながら、本能では「リッチで天才な自分専用の騎士」を求めてる。
これ、矛盾でもなんでもない。彼女たちにとっての「解放」とは、「男と同じ義務を負うこと」じゃなくて、「自分たちを抑圧する社会構造を壊して、自分たちが美味しい思いをすること」だから。
義務や責任の話になった途端にフェミニズムが沈黙するのは、歴史的に見ても「当たり前」のことなんだわ。
いや、彼女たちが求めてるのは「男にとって都合のいい性の排除」であって、自分たちのファンタジー(BLとか)は別腹なんだよ。
つまり、「何が正しいポルノかを決める権利を、男の手から奪い取る」のが目的なの。
ツイフェミがBLを愛でながら萌え絵を燃やすのは、彼女たちの思想からすれば1ミリも矛盾してない「正しい聖戦」なんだよね。
アンフェくんが「真のフェミニスト」として夢見てる「理知的で、男とも対等に義務を分かち合い、弱者にも優しい聖女」なんて、歴史のどこを探しても存在しない。
これこそがフェミニズムの正体。
アサクリの新作トレーラーが出て、日本の風景におかしな点が見つかる。正方形の畳、季節感のバグった植物、逆さの家紋。
この素朴な不満が、海外の「反ポリコレ(DEI)」の文脈と、日本の「歴史修正への警戒」という奇妙な交差点で陰謀論に火を噴いた。
騒動が単なる「描写ミス」から「組織的陰謀」へと昇華されたのは、一人の学者の名前が登場してからだ。
彼の書いた弥助の伝記が、一部で「推測が多すぎる」「創作を事実として広めている」と叩かれ始めた。
「UBIが変な描写をするのは、ロックリーの嘘を信じているからだ」
実際には、UBIが公式に「ロックリーの説をベースにした」なんて一言も言っていない。でも、ネットの陰謀論者たちは、UBIのポッドキャストに彼が出ていたとか、過去のインタビューの断片を繋ぎ合わせて、「答え合わせ」を完了させてしまった。
「UBIはロックリーに洗脳されている。これは日本文化への侵略だ」
こうして、陰謀論が盛り上がった。
「アサクリが悪いから批判する」んじゃなくて、「アサクリを叩くために、悪いところを執念深く探す」モードへの移行だ。
「過去作は正確だったのに!」(→実際は過去作もツッコミどころ満載だった)
「現地人じゃない主人公はおかしい!」(→過去作にもいたよね?)
「ステルスゲームなのに黒人は目立ちすぎる!」(→過去作にも重装備キャラはいたし、そもそもゲーム性の問題だろ)
客観的な反論はすべて「ポリコレ信者の擁護」として切り捨てられた。
そんな中、UBIが実際に「関ケ原の旗」を無断使用するなどの本物のポカをやらかす。
これが「やっぱりUBIは悪魔だ」という確証バイアスに100点満点の正解を与えてしまい陰謀論がますます盛り上がる。
批判の主役は、もはやゲームではなくロックリー本人とWikipediaの編集履歴に移っていった。
「彼は何年もかけてWikipediaを改竄し、世界に嘘を広めた日本への工作員だ」
話の規模はどんどん膨らみ、もはや一企業の新作ゲームの是非なんてどうでもよくなっていた。
海外の極右クラスのアンチポリコレ勢と合流し、英語と日本語が入り混じったエコーチェンバーの中で、怒りは純化されていく。
途中で「そこまで言うのは言い過ぎじゃない?」と指摘しても、「今はそんな細かい論点の話をしてるんじゃない!」「お前は売国奴か?」とゴールポストが光速で移動していく。
気づけば、純粋に「アサクリを遊びたい」と思っていた層は沈黙し、残ったのは「日本の名誉を守るために悪の企業を倒す」という物語に酔いしれた人たちだけになった。
これ、どこかで見たことあるなと思ったら、典型的な陰謀論のハマり方なんだよね。
敵(ロックリー/UBI/ポリコレ)を設定し、すべての事象をそこに結びつける。
それは、ネットの「正義感」が、いかに簡単に「娯楽としての叩き」に変質し、個人や企業を悪魔化していくかという陰謀論のお手本だった。
https://digital.asahi.com/articles/ASV354QQDV35UHBI030M.html
スペインのサンチェス首相が4日、イラン情勢について行ったテレビ演説の日本語訳の全文は次の通り。(スペイン政府が発表した英語訳をもとに翻訳)
◇
中東で高まる危機に関するスペイン政府の立場と、私たちが実施している措置についてお知らせする。
ご存じの通り、先週土曜日(2月28日)、米国とイスラエルがイランを攻撃し、これに対しイランは地域内の9カ国と、欧州国家のキプロスにある英国基地を無差別に爆撃して応酬した。
何よりもまず、イラン政権による違法な攻撃を受けた諸国に対し、スペイン国民の連帯の意を表明したい。
その後も敵対行為は継続し、むしろ激化しており、住宅、学校、病院で数百名の死者を出している。さらに国際的な株式市場の暴落、航空網とホルムズ海峡の混乱を引き起こした。この海峡はつい最近まで世界のガス、石油の総量の20%が通過していた。
今後何が起こるかは、誰にもわからない。最初の攻撃を仕掛けた者たちの目的すら不明確だ。
しかし、(最初の攻撃を仕掛けた)推進者たちが言うように、これは長期化する可能性のある戦争であり、多くの犠牲者が出るかもしれない。経済面でも世界規模で深刻な影響を及ぼす可能性があることに備えなければならない。
スペイン政府のこの状況に対する立場は、明確かつ一貫している。ウクライナでも(パレスチナ自治区)ガザでも私たちが維持してきた立場と同じだ。
第一に、私たち全員を守る、特に最も脆弱(ぜいじゃく)な存在である民間人を守る国際法の違反を許さない。
第二に、紛争と爆弾だけで世界の問題を解決できると考えることに反対する。
要するに、スペイン政府の立場は「戦争反対」という言葉に集約される。
23年前、別の米国政権が私たちを中東戦争に巻き込んだ。当時、サダム・フセインの大量破壊兵器を排除し、民主主義をもたらし、世界の安全を保証するための戦いと名目上は説明された。しかし現実には、振り返ってみると逆効果をもたらした。それはベルリンの壁崩壊以来、私たちの大陸が経験した最大の不安定化の波を引き起こしたのだ。
イラク戦争はジハーディスト(聖戦主義者)のテロの急増、東地中海における深刻な移民危機、エネルギー価格の全般的な上昇、ひいては生活必需品の価格や生活費の上昇を引き起こした。
これが当時の欧州人への「アゾレス・トリオ」(編集注:2003年3月にポルトガル領アゾレス諸島でイラク開戦をめぐり会談したブッシュ米大統領、ブレア英首相、スペインのアスナール首相の3人)による贈り物だった。より不安定な世界と、より劣悪な生活だ。
確かにイラン戦争がイラク戦争と同様の結果をもたらすかは、現時点で判断するのは早すぎる。イランの恐るべきアヤトラ(宗教指導者)政権の崩壊につながるのか、それとも地域の安定化をもたらすのか。
しかし確かなのは、そこからより公正な国際秩序が生まれることも、賃金の上昇や公共サービスの改善、環境の健全化がもたらされることもないということだ。
現時点で予見できるのは、経済の不確実性の増大と石油、ガス価格の高騰だ。
だからこそスペインはこの災厄に反対する。政府の役割は人々の生活を向上させ、問題の解決策を提供することであり、生活を悪化させることではないと理解しているからだ。
その使命を果たせない指導者たちが、自らの失敗を隠すために戦争を利用し、さらにいつも通りの少数の者たちの懐を肥やすことは、絶対に許されない。世界が病院の建設を止め、ミサイルを生産するとき、利益を得るのは彼らだけだ。
こうした状況下で、(スペインの)進歩的な連立政権は他の紛争や国際危機と同様の対応を取る。
まず第一に、中東にいるスペイン人を支援し、彼らが望むならば祖国へ帰還する手助けをする。外務省と軍は昼夜を問わず避難作戦を調整中だ。
同地域の空域が安全でないこと、空港網が攻撃で深刻な打撃を受けていることから、作戦が極めて困難であることは明らかだ。だが同胞のみなさんは確信していい。私たちはみなさんを守り、必ず祖国へ連れ帰る。
第二に、スペイン政府は、この紛争が経済に影響をもたらす可能性に備え、家庭、労働者、企業、自営業者を支援するためのシナリオと、可能な措置を検討している。
我が国の経済の活力と、政府の財政政策の責任ある取り組みのおかげで、スペインは現在、この危機に対処するために必要な資源を持っている。
私たちには能力があり、政治的意志もある。パンデミック、エネルギー危機、そして最近の関税危機のときと同様に、関係者と手を携えて対応する。
第三に、平和と国際法の順守を推進する国々とは、これまで通り協力する。必要な外交的・物的資源をもって支援する。
私たちは欧州の同盟国と協調し効果的な対応を図る。ウクライナとパレスチナという、決して忘れてはならない二つの地域において、公正で永続的な和平を実現するため、引き続き取り組んでいく。
最後に、政府はこの戦争の停戦と外交的解決を引き続き要求する。
スペインは欧州連合(EU)とNATO(北大西洋条約機構)、そして国際社会の一員だ。この危機は私たち欧州人、ひいてはスペイン国民にも影響を及ぼす。
だからこそ米国、イラン、イスラエルに対し、手遅れになる前に停止するよう、最大限の責任ある対応を要求しなければならない。
何度も言ってきたが、改めて繰り返す。
違法行為に対して別の違法行為で応じることはできない。それは人類の大惨事につながるからだ。
20世紀の第1次世界大戦が始まる前の1914年8月(編集注:第1次大戦は1914年7月に開戦)、当時のドイツ首相が「第1次大戦はどう始まったのか」と問われた。彼は肩をすくめてこう答えたという。「私も知りたいものだ」と。
大きな戦争は往々にして、制御不能になった連鎖反応、誤算、技術的失敗、予期せぬ出来事によって勃発する。
だからこそ私たちは歴史から学ぶべきだ。何百万人もの運命を、ロシアンルーレットのように賭けてはならない。
この紛争に関わる国々は、直ちに敵対行為を停止し、対話と外交の道を選ぶべきだ。
そして私たちのような他の者は、一貫した行動を取り、ウクライナ、ガザ、ベネズエラ、グリーンランドについて語る時と同じ価値観を、今こそ守らねばならない。
問題は私たちがアヤトラ(イランの宗教指導者)を支持するか否かではない。(宗教指導者を)誰も支持しない。スペイン国民はもちろん、スペイン政府も決して支持しない。
問題は、私たちが国際法の側に立つか否か、つまり平和の側に立つか否かだ。
スペイン社会は常にイラクのサダム・フセイン独裁政権を非難してきたが、それはイラク戦争への支持を意味しなかった。なぜならそれは違法であり、不正義であり、解決を掲げた問題のほとんどに真の解決をもたらさなかったからだ。
同様に私たちは、特に女性を含む市民を抑圧し卑劣に殺害するイラン体制を非難する。
このような私たちを、考えが甘いと非難する者もいるだろうが、考えが甘いのは暴力こそが解決策だと考えることだ。考えが甘いのは、民主主義や国家間の尊重が廃虚から生まれると信じることだ。あるいは無分別で卑屈な追従こそが、指導力だと考えることだ。
私たちの立場は決して考えが甘いのではなく、むしろ一貫していると考えている。
私たちは、世界の害となる行為や、私たちの価値観や利益に反する行為に、単なる報復への恐れから加担することはない。
なぜなら私たちは自国の経済的、制度的、そして道徳的な強さに絶対的な自信を持っているからだ。そしてこのような時こそ、スペイン人であることをかつてないほど誇りに思う。
私たちは困難を認識している。しかし、未来は決まっているわけではないことも知っている。
多くの者が当然のこととして受け止めている暴力の連鎖は、完全に回避可能であり、人類はアヤトラ(宗教指導者)の原理主義も戦争の惨禍も乗り越えられるのだ。
この希望を私たちだけが抱いていると言う者もいるだろうが、それもまた真実ではない。
国連憲章と共に立つ。
国際法と共に立つ。
戦争と不確実性ではなく、より多くの平和と繁栄をもたらす未来を求めている欧州、北米、中東の数百万の市民と共に立つ。
どうもありがとうございました。
自衛と抑止において実力組織を保持することは極めて重要です。私は抑止論を否定する立場には立ち得ません。現下の安全保障環境の下、それが責任ある安全保障政策を遂行する上での現実です。
同時に、その国において比類ない力を有する実力組織が民主的統制を超えて暴走することがあれば、民主主義は一瞬にして崩壊し得る脆弱なものです。一方、文民たる政治家が判断を誤り、戦争に突き進んでいくことがないわけでもありません。文民統制、適切な政軍関係の必要性と重要性はいくら強調してもし過ぎることはありません。政府、議会、実力組織、メディアすべてがこれを常に認識しなければならないのです。
斎藤隆夫議員は反軍演説において、世界の歴史は戦争の歴史である、正義が勝つのではなく強者が弱者を征服するのが戦争であると論じ、これを無視して聖戦の美名に隠れて国家百年の大計を誤ることがあってはならないとして、リアリズムに基づく政策の重要性を主張し、衆議院から除名されました。
翌年の衆議院防空法委員会において、陸軍省は、空襲の際に市民が避難することは、戦争継続意思の破綻になると述べ、これを否定しました。
どちらも遠い過去の出来事ではありますが、議会の責務の放棄、精神主義の横行や人命・人権軽視の恐ろしさを伝えて余りあるものがあります。歴史に正面から向き合うことなくして、明るい未来は拓けません。歴史に学ぶ重要性は、我が国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に置かれている今こそ、再認識されなければなりません。
戦争の記憶を持っている人々の数が年々少なくなり、記憶の風化が危ぶまれている今だからこそ、若い世代も含め、国民一人一人が先の大戦や平和のありようについて能動的に考え、将来に生かしていくことで、平和国家としての礎が一層強化されていくものと信じます。
私は、国民の皆様とともに、先の大戦の様々な教訓を踏まえ、二度とあのような惨禍を繰り返すことのないよう、能う限りの努力をしてまいります。
1.◯◯がxxという理由で炎上した、けしからん【行為へのフォーカス】
2.◯◯は△△ということもしていたらしい、人として最低だ【人格否定の始まり】
3.◯◯のファンが□□みたいなことをした、□□も人として最低だ【連帯責任での攻撃の始まり】(外集団均一化バイアス)
4.++ということもあったが、◯◯が原因に違いない【陰謀論者の始まり】(因果の逆転・相関の混同)
5.◯◯がファンに愛されている、やはり頭がおかしいか、洗脳されているか、水増しされている、なぜならこのデータを見てほしい【陰謀論者の完成】(認知の歪み・確証バイアス)
6.XX界隈の者だけど、◯◯のファンに攻撃されている【陰謀論者の被害妄想】(反転攻勢による自己正当化)
7.◯◯の仲間や、スタッフも同罪であり、もっと叩かれなければならない【陰謀論者の聖戦化】
陰謀論者にならない人
1.行為を安易に叩かない、炎上に与しない → まともな人に留まる
2.人格を否定しない → 「詰みを憎んで人を憎まず」に留まる
3.ファンや界隈を攻撃しない → 人と集団を切り分けられる人に留まる
4.全ての陰謀に関連付けない → 因果関係は大事にできる人に留まる
5.都合のいい分析をしない → 冷静な分析はできる人に留まる
スターウォーズ 〜6
スパイダーマン〜3
フック
ターミネーター 〜2
ランボー 〜2
トイストーリー 〜2
パイレーツ 〜3
エヴァ 破
桐島
ゴジラ-1.0
まどマギ叛逆
トラペジウム
BROTHER
鳥
迷ったけど上ほどではない
ゴッドファーザー 〜2
MIB 〜3
リリィ・シュシュのすべて
バグダッドカフェ
ミーンストリート
日本で一番悪い奴ら
十九歳の地図
ライ麦畑の反逆児
ハッチング
キッズリターン
8本に1本くらいは相当面白かったのか
伊達に名作を狙い撃ちしてないな
わかる。自分も増田と同じように感じていて、周りに聞いたり、共産党の出演している番組を見たりもしたんだけど、結局のところ党名にまとわりつく「独裁」とか「暴力革命」とかの誤解がいまだに強くあるように思う(ここのコメントでもちらほらある)。
自分は今回は共産党に入れようと思ってるけど(前回はチームみらいに入れた)、
市田忠義っていう、元日本共産党副委員長の講演の要約を見つけたから貼っておくね。
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■党名について
「名前を変えた方がいい」と言う方は、おそらく「共産党」と聞くと「怖い」「暴力革命の党」、あるいは「旧ソ連」を思い浮かべるのだと思います。
また、「自由も民主主義もない今の中国」を思い浮かべる人もいるでしょう。
いくら「そういう国とは違う」と説明しても、親戚のように思われてしまう。
最近亡くなりましたが、私の母は明治36年(1903年)生まれで、小林多喜二*と同い年でした。
母は私にこう言いました。
「忠義、どんな悪いことをしてもいいけど、
『アカ』にだけはなるな」と。
私は母を責める気にはなりません。
母の世代は生まれた時から、学校教育で「『アカ』といえば国賊、非国民」と教えられてきたのです。
ですから、「こういう名前だと誤解する人がいるから、変えたらどうか」と言われるわけです。
しかし、もし党名を変えたら、その誤解は本当に解けるでしょうか。
おそらく、「今は〇〇党だけど、昔は共産党だった」「元共産党が……」という攻撃が必ず起きます。
私たちは正面から、「共産党」という党名に込められた意味を粘り強く説明し、誤解を乗り越えていく道を選びたいと思います。
「共産」という言葉の語源は、ラテン語の「コモリス(共同)」、英語の「コミュニティ」です。
つまり「共産主義」とは、国民同士が争うのではなく、みんなで力を合わせ、共同してよりよい社会をつくっていこうという考え方です。
会場の「コミュニティセンター」も言い換えれば「共産センター」。
「共産」の語源は、みんなが集い、助け合い、共に生きるという理念にあります。
■誇りある党名の由来
「日本共産党」という名前には、侵略戦争に命がけで反対し、主権在民を訴えて闘った先輩たちの、不屈のたたかいの歴史が刻まれています。
戦時中、「戦争反対」と言えば命を落とす時代に、「国民こそ主人公」「女性にも参政権を」と主張した唯一の党が日本共産党でした。
他の党はすべて、「聖戦」と称されたあの戦争に協力・加担しました。
1941年、太平洋戦争の前夜、すべての政党が解散して「大政翼賛会」に合流し、「天皇の政治を支えます」と誓ったのです。
残念ながら、自民党の前身である政友会も、民政党も、社会党の前身である社会大衆党も、すべて侵略戦争に賛成しました。
だから戦後、恥ずかしくて同じ名前では登場できなかったのです。
自民党の党員用教科書『日本の政党』には、こう書かれています。
「日本共産党だけがあの戦争に反対した。したがって、この党はどの党よりも道徳的権威をもっている。」
自民党の人たちでさえ、歴史の真実をねじ曲げることはできなかったのです。
戦後、日本共産党は「アメリカの言いなり」「大企業優先」の政治を改め、国民一人ひとりが主人公の社会をめざして、誰にはばかることなく意見を述べてきました。
しかし、私が初当選したとき、「共産党」と書いて投票した人は820万人いました。
■結びに
「共産党」という名前には、戦争に反対し、人間の自由と尊厳を守ってきた誇りが込められています。
私たちはこれからもこの名前を掲げ、誤解や偏見を正面から乗り越えながら、共に未来を築く道を歩み続けます。
「人間が人間らしく生きられる社会」を信じて、権力に屈することなく書き続けた多喜二。
https://zenn.dev/ryo369/articles/d02561ddaacc62
このあたりを読んで、2026年はコードレビュー「しいや派」と「すんな派」に分かれる年になるんじゃないかと思った。
※「しいや」は「〜したほうがいいよ」ではなく「〜しなさい」のニュアンス
ここでタイトルにジハード(聖戦)と書いたのは、この対立が単なる手法論ではなく価値観の相違だからだ。
しかも、どちらもそれなりに正しい。
しいや派「レビューしないのは無責任だ!AI エージェントは禁止だ!」
すんな派「全部読むのは非現実的だ!AIエージェント使えないとか今の時代にありえない!」
スレ主の観察によると、2000年代は男女カプが「空気」的存在だったのに対し、2010年代にはたまに人気カプが出現し、2020年代には男女カプ同士で争うほど人気が上昇しています。ただし複数の参加者が指摘するように、2000年代にもアスカガ(ガンダムSEED)、ロイアイ(ハガレン)、沖神(銀魂)など人気カプは存在していました。
男女カプはBLに比べてオフライン同人誌を出す人が少なく、オンライン専門の活動が多い傾向があります。理由として家族バレを避けたいなどが挙げられています。参加者の一人は「BLに好意的な女性は全体の2割程度」というアンケート結果を紹介し、同人活動の場ではBLが目立つものの、女性全体ではマイノリティであることを指摘しています。
90年代末から様々な作品で男女カプの二次創作が存在していたことが語られています。るろ剣の剣薫、ゲーム系ではFE聖戦、FF4、スレイヤーズ、ぷよぷよなど。特にゲーム系はシステム的にカップリングが組みやすかったり、原作の描写があっさりで二次創作の余地があったことが人気の要因とされています。
薬屋、フリーレン、SPY×FAMILYなどメジャー作品で男女カプが盛り上がるようになったことが大きな変化として挙げられています。公式カプはジャンルの最盛期後も残りやすい傾向があるようです。
全体として、男女カプは昔から一定の需要があったものの、SNSの普及により可視化され、ライト層の参入で裾野が広がったという結論に至っています。
国民諸君、誠に多くの同志諸君と共に、帝国自民党の新たなる聖戦の幕開けを迎えたのであります。謹んで感謝申し上げる次第であります。
まず、これまで誠に、衆参共に少数与党という困難極まる戦況の中、忍耐に忍耐を重ね、野党諸氏とも真摯に対峙され、苦闘を続けられ、また、昨年の総裁選挙の折に強く主張しておられた防災庁の設置、地方創生に大いなる活路を開いて下さった石破総裁閣下に、心より敬意と感謝を捧げるものであります。
私は今、喜びというよりも、真にこれより先が総力戦であると心得ております。諸君と共に挙国一致、力を結集して為すべきことが山積しております。
多くの政策、それも迅速果敢に実行せねばならぬ課題が山ほどございます。そして、諸君と共に、自民党を一層気概に満ちた党に鍛え上げる。多くの国民の不安を希望に変える、その為の奮闘もまた必要であります。
故に全員が奉公の精神で働いていただきます。滅私奉公、不眠不休で働いていただきます。
欲しがりません勝つまではの精神で、働いて働いて働き抜いて参る所存であります。
諸君におかれましても、お国の為、また自民党再建の為、それぞれの持ち場において全力を尽くされますよう、心より御願い申し上げます。
そして、これより私は謙虚に職責を全うして参りますので、諸賢の御指導御鞭撻を賜りますよう、伏してお願い申し上げます。誠にありがとうございました。