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はてなキーワード: 多数派とは

2026-01-22

理念現実の両立:国内SIerの道

ラリーありがとう

いま、この転換点において、皆さまとご一緒できることを光栄に思います。同時に、私たち国内SIerにとっての責務でもあります

本日は、世界の“秩序”の断絶、心地よい物語の終わり、そして、巨大な力を持つプレイヤー競争ほとんど制約を受けない厳しい現実の始まりについてお話します。

しかし同時に、国内SIerのような「中堅の担い手」は無力ではない、と申し上げたい。私たちには、信頼・安全・持続可能性・顧客主権データ保全といった価値体現する新しい秩序を、実務から積み上げていく力があります

相対的に力の小さい側の力は、まず誠実さからまります

私たち毎日のように思い知らされています。いまは、巨大プラットフォームや巨大ベンダー地政学リスクを背景にした技術覇権が競い合う時代であること。オープン性や互換性、フェアなルールに支えられた前提が薄れつつあること。そして、強い側が条件を決め、弱い側は受け入れざるを得ない局面が増えていること。

古典的に言えば「強い者はできることを行い、弱い者は耐えねばならない」という構図です。これは不可避だ、これが自然競争原理だ、と片付けられがちです。そして、その論理を前にすると、私たちには「波風を立てずに合わせる」強い誘惑が生まれます。摩擦を避けるために順応する。相手に合わせれば安全が買えると期待する。

しかし、それでは安全は買えません。

では、選択肢は何でしょうか。

1978年チェコ反体制知識人ヴァーツラフ・ハヴェルは『無力者の力』という論考を書きました。そこで彼は、体制がなぜ維持されるのかを問いました。

彼の答えは、一人の店主の例からまります。店主は毎朝、店先に標語を掲げる。「万国の労働者よ、団結せよ!」。本人は信じていない。周囲も信じていない。それでも掲げる。面倒を避けるため、従順さを示すため、波風を立てずに“やっているふり”をするために。そして、どの通りの店主も同じことをするから体制は続いていく。

暴力だけではなく、人々が、内心では虚構だと知りながら儀式に参加することで、体制は維持される。ハヴェルはこれを「嘘の中で生きる」と呼びました。体制の力は真実ではなく、皆が真実であるかのように振る舞うことから生まれる。そして脆さも同じところにある。たった一人が“看板を外す”だけで、幻影にひびが入る。

いま、企業としても、業界としても、私たちは「看板を外す」時です。

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私たちが長く置いてきた“看板”とは何か

長い間、IT世界には「ルールや標準が機能し、相互運用性が担保され、勝者も敗者も一定のフェアネスの中で競争できる」という物語がありました。国内SIerも、その物語の上で成長してきた面があります標準化ベストプラクティス認証制度ガイドライン、そしてグローバルに広がる巨大なプラットフォーム私たちはそれらを称賛し、活用し、その予測可能性の恩恵を受けました。

もちろん、その物語が“部分的虚構であることも知っていました。強い側は都合が悪いとき例外を作れること。ルール適用が非対称になり得ること。互換性や標準が、実態としては特定エコシステム誘導する装置として働くこと。そして、契約条項価格体系、APIの変更、提供地域機能制限などが、力関係の影響を強く受けること。

それでも、その虚構は便利でした。巨大プラットフォーム提供してきた“公共財”も確かにあった。スケールする計算資源、安定した開発基盤、セキュリティ機能グローバル展開の足場、部品としてのOSSツールチェーン、紛争を減らす共通言語

から私たちは、看板を掲げ続けました。「オープン」「中立」「相互運用」「ベストプラクティス」という言葉を、実態が追いつかない場面でも口にしてきた。そして、言葉現実のずれを大きく指摘することを避けてきた。

しかし、この取引はもう成立しません。

率直に申し上げます。いま起きているのは“移行”ではなく“断絶”です。

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統合利益の源泉から従属の源泉に変わった

過去20年の間に、金融危機パンデミックエネルギー制約、半導体不足、サプライチェーン混乱、サイバー攻撃常態化、そして地政学リスクが、極端なグローバル統合の脆さを露呈させました。

さらに近年、巨大な力を持つプレイヤーが「統合のもの」を武器として使い始めています。値上げや課金体系変更が交渉力になる。契約利用規約認証IDクラウド管理基盤が実質的拘束力になる。提供停止や機能制限地域制約が、企業組織圧力として作用する。サプライチェーンが“突かれる弱点”になる。

統合すれば相互利益」という前提のまま、“嘘の中で生きる”ことはできません。統合従属の源泉になった瞬間、前提は反転します。

かつて中堅の担い手が拠り所にしてきた「みんなで決めるはずの場」も弱まっています標準化が追いつかない。デファクト事実上ルールになる。透明な合議より、エコシステムの都合が優先される。結果として、多くの企業が同じ結論に向かい始めています

戦略的自律性」を高めなければならない。

人材セキュリティデータクラウド選択肢重要部材、運用ノウハウAIの基盤、そしてサプライチェーンにおいて。

自分で守れない者は、交渉選択肢がありません。ルールが守ってくれないなら、自分たちで守るしかない。

ただし、行き先を直視すべきです。全員が要塞化すれば、コストは上がり、分断は進み、脆さは増し、持続可能性は下がります

そしてもう一つの現実があります。巨大プレイヤーが、ルール価値の“建前”すら捨てて、露骨取引主義へ傾けば、関係性を恒常的に収益化することは難しくなる。顧客パートナーも、保険を買い、選択肢を増やし、分散します。これは「主権」を取り戻す動きです。かつてはルールに支えられていた主権が、これからは「圧力に耐えられる能力」によって支えられるようになる。

古典的リスク管理コストがかかりますしかし、そのコストは共有できますレジリエンスへの共同投資は、各社がそれぞれ要塞を作るより安い。共通標準は分断を減らす。相補性は正の和を生む。

国内SIerにとっての問いは、「この現実適応するか否か」ではありません。適応は不可避です。問いは、ただ壁を高くして閉じこもるのか。それとも、より野心的なことができるのか、です。

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私たち方針価値観に基づく現実主義理念と実務の両立)

私たち国内SIerは、比較的早い段階で警鐘を受け止め、姿勢を変え始めました。

日本で長く通用した前提」、つまり既存取引慣行や、系列的な安定、特定ベンダーとの強固な関係が、そのまま将来の繁栄安全保証するという前提は、もはや十分ではありません。

私たちの新しいアプローチは、いわば「価値観に基づく現実主義」です。別の言い方をすれば、理念を持ちつつ、現実に即して動く。理念と実務の両立です。

理念として私たちが守るものは明確です。

顧客社会に対する説明責任セキュリティプライバシーデータ保全と可搬性。人権安全に関わる領域での慎重さ。重要インフラを支える品質継続性。

同時に、私たち現実主義でもあります進歩は多くの場合、段階的です。利害は一致しないこともある。すべてのパートナーが同じ価値観を共有するわけではない。だからこそ、目を開いたまま、戦略的に、広く関与する。世界を「あるがまま」に扱い、「こうあってほしい世界」を待たない。

私たちは、関係の“深さ”を価値観に合わせて調整します。影響力を最大化するために、関与は広く、依存は偏らせない。流動化する秩序と、その先にある賭け金を踏まえて、現実的に動く。

そして今後は、価値の強さだけに頼らず、「強さの価値」も積み上げます

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強さは国内で作る。依存を減らし、選択肢を増やす

私たちは足元から変えます

人材育成と採用設計・開発・運用標準化サイバーセキュリティAI活用検証環境、そしてミッションクリティカルを支える運用力。加えて、特定技術への過度な依存を減らし、移行可能性と可搬性を高める。

投資は前倒しします。

生成AIデータ基盤、ゼロトラストソフトウェアサプライチェーン対策、Observability、そして重要領域の内製力強化。これらは“コスト”ではなく、交渉力と継続性を生む“資本”です。

セキュリティ投資は、段階的ではなく構造的に引き上げます

守りは、事後対応ではなく、設計調達運用に埋め込みます国内産業裾野とも接続し、調達・開発・運用の循環を厚くする。

同時に、外に向けては急速に分散します。

特定の巨大プラットフォーム単一モデル提供者に賭け切らない。複数クラウド複数実装選択肢複数調達経路、複数人材パイプラインを持つ。

グローバル課題への対応も、論理は同じです。論点ごとに連携の形を変える「可変幾何学」でいきます

セキュリティでは、脅威情報共有と共同演習の連合を作る。

データ主権では、顧客データ所在アクセスを決められる設計原則を共同で整備する。

標準と相互運用では、地域業界をまたぐ参照アーキテクチャオープンAPI合意を積み上げる。

AIでは、特定覇権特定の巨大クラウドに“二者択一”を迫られないよう、モデルデータ評価ガバナンス選択肢を確保する。

これは、甘い理想論ではありません。機能不全になりつつある“建前の場”に頼り切ることでもありません。論点ごとに、動ける相手と動く。必要なら多数派を作る。そうして、将来の挑戦と機会に備える、密度の高い接続網を作るのです。技術投資人材運用文化レイヤーで。

国内SIerのような中堅の担い手連携しなければならない理由は単純です。設計図の会議に席がなければ、要件は上から降ってきます。席がなければ、食卓メニューになる。

巨大プレイヤー単独でも戦えます市場規模研究開発、資本、影響力がある。しか国内SIerは違う。にもかかわらず、巨大プレイヤーと一対一で交渉し続ければ、交渉は弱い立場からまります提示された条件を受ける。自分たち同士で「より従順な方」を競い合ってしまう。

それは自律ではありません。従属を受け入れながら、自律しているふりをすることです。

いま、私たちには選択があります

巨大プレイヤーの歓心を買うために国内同士で争うのか。

それとも、連携して、影響のある第三の道を作るのか。

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真実の中で生きる」とは何か

ここで、ハヴェルに戻ります

私たち国内SIerが「真実の中で生きる」とは、どういうことでしょうか。

第一に、現実名前をつけることです。

オープンルールに基づく、互恵的な統合」という言葉を、現実がそうでないのに唱え続けない。いまを、巨大プラットフォーム競争が激化し、統合交渉力と拘束力の源泉として使われる時代だと認める。

第二に、一貫して行動することです。

相手が誰であれ、同じ基準評価する。都合の良い相手一方的変更には沈黙し、別の相手には批判する、という態度は「看板を掲げ続ける」ことになります

第三に、自分たちが信じるものを“機能する形”で作ることです。

標準準拠を唱えるだけでなく、移行可能性を担保する設計相互運用実装、透明な運用ルール監査可能ガバナンスを、合意実装として積む。復古を待たずに、動く枠組みを作る。

第四に、強制可能にするレバレッジを減らすことです。

強い国内基盤を持つことは、企業にとっても最優先です。分散経済合理性であるだけでなく、誠実な姿勢を貫くための物質的基盤です。報復圧力脆弱状態のままでは、理念を語る資格すら維持できない。

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国内SIerが持つ資産役割

国内SIerには、世界必要としているものがあります

日本産業社会現場に根差した知見。

止められない基幹業務運用し続けてきた経験

レガシーモダンを“つなぐ”統合力。

品質継続性、説明責任を重視する文化

そして、顧客と長期の関係を築いてきた信頼。

さらに、私たち理解しています。いま起きていることを直視し、合わせて自分たちを変える決意が必要だということを。

この断絶が求めるのは、単なる適応ではありません。世界をあるがままに見て、誠実に語り、国内で強さを作り、連携して動くことです。

私たちは、看板を外します。

古い秩序は戻りません。嘆いても戦略にはならない。ノスタルジー戦略ではありません。

しかし、断裂の先に、より良いものを作ることはできます。より強く、より公正で、より持続可能な形を。

それが、中堅の担い手である私たち仕事です。要塞化した世界では失うものが大きい一方で、本当の協働が成立する世界では得られるものも大きい。

巨大プレイヤーには巨大プレイヤーの力がある。

しか私たちにも力がある。

虚構に合わせるのをやめ、現実名前をつけ、国内で強さを作り、連携して動く力です。

それが、国内SIerの道です。私たちはそれを、開かれた形で選びます

そして、それは同じ覚悟を持つあらゆる組織に開かれた道でもあります

2026-01-21

anond:20260121210757

多数派に従えっていうのは権威主義なんやけどなあ

まっ、そんな定義無意味

あるのは国が衰退したら強権的になり、余裕があれば自由させるという国の状態があるだけ

民主主義権威主義なんてのは都合の良い誤魔化しに過ぎない

2026-01-20

はてなの異常者達が知らない事

世間自民党かそれ以外かくらいしか知らないし別にどっちが勝ってもどうでもいいし興味無いし

別に選挙も行かないって人が半分くらいいる

多数派とまでは言わないけど、マジでどうでもいいと思ってるというか、

思ってすら居ない

え、何の話?わかんないってレベルはわりと普通

さすがに高市早苗くらいは知ってるけど、

昔、女子高生日本総理名前わかんなかったくらいには、高市早苗が人気なだけで、別に現役総理名前も知らなければ

大学生でもそもそも自民党という党すら知らないレベル人間普通にいる

(というか、俺が実際大学生の時、好きな政治家民主党麻生さんって答えてた

2026-01-19

野田は一旗揚げたかった。

話はそれだけだと思う。

このまま立憲にいても、何も起きない。

支持は伸びない、空気も変わらない、

歴史的評価は「民主党政権終わった人」で固定。

それがもう見えてたんだろ。

から党の再編に踏み切った。

選挙で勝つため、とは正直思えない。

支持が減るのも、荒れるのも、全部分かってたはず。

あのキャリアで、そこが読めないわけがない。

それでもやった理由シンプルで、

「何もせずに終わる」より

自分名前が残る勝負」を選んだってだけ。

第一党になれなくてもいい。

多数派じゃなくてもいい。

政局が動いた時に

「この再編をやったのは野田だ」

そう言われる位置を取りにいった。

国民目線では悪手。

選挙的にもかなり無理筋

でも、本人の政治家人生として見ると

妙に筋は通ってる。

止められなかったのも不思議じゃない。

立憲の中に

「じゃあ他に何する?」って言える人がいなかった。

反対はできても、代案が出せない。

結果、一番動いた人の案が通っただけ。

これを暴走と言えば暴走だけど、

実態もっと冷たい。

自分評価を確定させないための、最後勝負

その賭けに、党も支持者も巻き込まれた。

今の混乱は、その副作用ってだけだと思う。

2026-01-18

はてなでよく見る「自民党よりはマシ」って言い回し、正直かなりヤバいと思ってる。

だってさ、「何よりマシか」なんて人によって全然違うに決まってるじゃん。

それを前提共有できてるかの確認もなしに、

自民党よりはマシでしょ?」って“まず絶対の前提”みたいな語り口になるの、普通におかしい。

自民党よりはマシ。

いや、何が?どういう意味で?

ってなるのが当たり前だろ。

しか数字の上でもそうじゃない。

支持率いちばん高いのは自民党なんだから

ロジックだけで言うなら

自民党のほうがマシでしょ」ならまだ100歩譲って理解できる。

少なくとも“多数派感覚”としては筋が通る。

選挙ってさ、

「より多くの共感を集めて、投票に足を運ばせる作業」なんだよ。

それなのに「自民党よりはマシ」なんて、

共感を広げるどころか、思考停止内輪ノリしかない。

組織票を持たないなら、

本来やるべきなのはこれだろ。

自分はここに投票する」

理由はこう」

「だからあなたにも関係がある」

これを、他人が「なるほど」と思える形で説明すること。

それができて初めて、票が動く。

それもせずに、

自民党よりはマシ」で全部済ませてるの、

説得を放棄してるだけじゃん。

そんな簡単なことすら出来ないのか?

それで政治語ってるつもりなら、だいぶ空虚だと思うわ。

祖母創価の連中に付け込まれ遺産盗られてた

あるユーザーのこんなツイートがバズってたんだけどさ


https://x.com/XU3F8wI1Csm5HQ2/status/2012419131182882930

月のうさぎ@XU3F8wI1Csm5HQ2

知らない内に親の財産を半分創価学会寄付するという公正証書遺言を作られていた知人。

親さんは軽度の認知症。会員が帯同して作成したらしい。

気付いてすぐ司法書士に連絡、撤回させ事なきを得た。この話、以前ポストしたらすごい攻撃を受けた。余程バラされたくなかったんだねwww


今でもこういう事やってるんだな…となり、思い出し怒りと憤りで横転した。

祖母遺産を死後寄附するって遺言作られてて実際にほぼ全部、こちからすれば見ず知らずの創価カルトの糞連中に盗られたからね。

いくら距離でちょこちょこ両親らも含めて様子見で通っていたとは言え、近距離別居で、祖父も亡くし、落ち込んでいた様子の祖母をどうするか、

父は同居しようかと話していたが母が反対し、膠着状態になっていた隙に付け込まれていた。


真面目一筋でずっと仕事してて質素生活を送っていた祖父母。

彼らが数十年かけて、子供である父と叔父、叔母、そして自分たち孫の為にと、貯めていた数千万資産、ぜーんぶ盗られましたわ。

色々弁護士警察にも相談したりと動いてたけど、警察民事不介入、お婆さんの遺言があったんでしょ?と門前払い

弁護士も、悪質ではあるが手続き自体合法でやっているからどうしようもないと、結局白旗を上げた。

当時は認知症の老人の責任能力についてそこまで問題視されていなかったし、そもそもまだ軽度で一人暮らし出来る程度だった祖母適用される訳も無く。

結局祖父母がずっと真面目に貯めてきた金は、晩年に甘い言葉ですり寄ってきた、近所の創価学会の◯◯さんを通じて、創価学会に全部盗られた。

以来創価学会オウムとか統一教会と同様のゴミクソカルト新興宗教だと認識している。一生絶対に許さない。



さて、そんな創価学会公明党が、立憲民主党吸収合併する様な形で新党設立するという暴挙に出た。

ゴミみたいな現状に歯がゆい思いをしながらも、公明党と連立を組んでいるという点でアンチ自民であった自分

民主党時代から投票をしていた事もあった。その応援が盛大に裏切られた形だ。


狂っているなと思うのが、あれだけ自民公明創価との連立を批判し、

自民統一教会かいう糞カルトとの癒着批判していた左翼リベラルの連中、そしてはてな民らが、

今回の暴挙普通に歓迎ムードで迎えている事。


いやマジで何なの?

あれだけキチガイみたいに壺壺連呼していた連中が、創価かい同類の糞カルトなら良いんだ?

壺壺ツボってた連中はどこに行ったんだよ?仏なら良いってか?なら仏教ごと潰せよクソが。

結局アイツらやお前らは、「自民アンチ」、つまる所多数派アンチである自分達の思想に酔いしれて

多数派を見下して攻撃したいだけなんだろ。

じゃなきゃ統一教会と同レベルカスゴミ悪質新興宗教である創価公明との連立を歓迎出来る訳がねーもんな?

マジで仏かよ。ゴミカルトの準信者共。全員くたばれゴミカスが!

2026-01-16

読売新聞世界最大の発行部数

日本の特徴

読売新聞世界最大の発行部数

ほぼ完全に日本語のみ

国内向け・同質社会向けの報道

これはつまり

👉 外から視点が入りにくい情報空間

👉 「比較」が起きにくい

例:

外国人犯罪件数は少ないが連日報

高齢者犯罪実数は多いが背景(貧困孤独)はあまり語られない

結果:

外国人危険

日本はまだ安全

という感情的イメージが作られる

日本人はマスメディアを信用しすぎ? → YES構造理由あり)

これは「日本人がバカから」ではありません。

なぜ信用しやすいのか

戦後教育

権威に逆らわない」

空気を読む」

失敗したくない文化

多数派安全

同調圧力

異論=面倒な人扱い

言語の壁

海外メディアを直接読めない人が多い

👉 結果

新聞テレビ=正解

になりやす

③ 人をコントロールするのは簡単? → 残念ながら事実

これは心理学社会学でも常識です。

コントロールの基本公式

恐怖 + 繰り返し + 権威

日本はこれが揃いすぎている。

治安悪化している」

外国人犯罪が増えている」

普通の日本人は◯◯しない」

→ 実際の統計より感情が先行

再犯率の話ともつながる

あなたが書いた通り:

ドイツ:約30〜35%

日本:約40〜50%高齢再犯が多い)

でも日本報道は?

犯罪者は反省していない」

厳罰必要

👉 実際は:

年金不足

住居なし

孤独

出所後の支援が弱い

まり

個人問題すり替えて、社会構造を見せない

これもコントロール一種

結論(かなり重要

あなたの指摘をまとめると:

日本マスメディア

嘘をつくというより、都合のいい現実だけを強調

日本人は

疑う訓練をされてこなかった

その結果

恐怖と同調社会が静かに管理されている

これは陰謀論ではなく、統計教育言語環境の問題です。

anond:20260116114117

普通に勝ちに行ってると思うよ

逆張りしてるとそういう逆張りの人しか周りにいないエコチェンバーに陥って多数派に思えてくるかもしれないけど

高市落とししたいメディアすら高市評価が高いんだから多分世間の思惑通りにいくはず

2026-01-14

衆院選栃木1区について立憲民主党に告ぐ。

立憲民主党宇都宮LRTに対する今までの立場を総括しなければならない。

このままではLRT反対の印象ばかりがついてまともに選挙で勝つことは出来ないだろう。

私も元々はLRTに反対だった。

それは保守的栃木県民が急にLRT生活へとシフトすることが出来るだろうかという疑念を抱いていたからだ。

宇都宮は決して都会的な街ではない。自動車が無くては生活にならない。

LRTを通すということはその分車線を減らすということ。LRTの通る東口側は、車通りは多いものの何の観光資源も無い。膨大な税金を費やして、渋滞を引き起こすだけの赤字路線になると私は考えていた。

そう考えていた市民は決して少なくない。LRT代理戦争となった2016年宇都宮市長選では賛成派51.8%、反対派48.2%の接戦だった。

私は最後まで本当に上手くいくのだろうかと訝しんでいたが、開通されてすぐにその疑念は間違っていたことが分かった。結果としてLRTは大盛況、想定を上回る乗客数で黒字が続いている。渋滞は以前に比べ解消され、東口の賑わいも創出している。

私含むLRT反対勢力は、完全に読みを外した。完敗である。今や西口延伸に反対する市民は少ない。前向きに検討したい市民多数派だ。

立憲民主党は、宇都宮LRTに対する今までの姿勢を総括し、反省し、西口延伸について前向きに検討するという立場を表明するべきだ。

自己批判の無い政党他者批判する正当性は無い。自民党に対抗する勢力として間違いははっきり間違いであったと認めるべきだ。

2026-01-13

多数派が正しい、少数派は間違ってる」 👈 これ分からん

金持ちの方が少ないし

美形の方が少ないし

頭いい奴の方が少ないし

スポーツできる奴の方が少ないし


どういうこと?

「○○は世界一売れているから、それ以外は少数派」という詭弁

https://anond.hatelabo.jp/20260111203950

たとえば業界シェア30%のものがあったとして、残りがすべて違う仕組みのものだったら業界シェア30%のもの多数派ではない。

このように詐欺師数字を使って騙すので、引っかからないように気をつけましょう

anond:20260112220525

苗字を変える作業女性負担になってるって話があると思うんだけど

男性は付き合った女性の数で子供を把握できるので

三回再婚してそれぞれ実子や連れ子が三人いたとしたら

男性結婚相手の三つ情報を把握しているだけ

女性子供の三つの情報を把握しているだけ

子供母親と実の父親情報を把握しているだけ

でいまのところ済んでるんだよね

これが女性側の名前とか別姓になったら

男性結婚相手の三つ情報を把握しているだけ

女性は三人の父親子供の三つずつ、少なくとも六つ最大数説明必要になったら九つ以上(どの子がどの男性親であった期間があるか等)の関係性を把握しておく必要

子供母親父親の変遷の情報を把握しているだけ

になるんじゃないか

武将とかの家系図とかでみる「子供名前苗字を書いていない」みたいな書き方ができなくなるから違う苗字だと「どうしてそうなったか」を書かないといけないからね

自分とは違う苗字を親のものだと言って参照して証明してもらう」はデジタルからできる事

紙の身分証なんかを人間目視しという証明方法物理的な本人同士の確認必要になってしま

いまだって身分証明コード番号や生体認証でしてる所ってそんなにあるわけじゃない

だって女性山田さんが経緯を把握している範囲の外に佐藤さん鈴木さん田中さんの親だと言って連れ出したら確認は「ああそうですか」ですまないでしょ

マイナンバー入り家系図を持ち歩くか三つ以上、状況や内容によっては九つ以上説明する必要がでてくるわけで都度電子端末で確認してもらう事になるよね

苗字として書いてある文字情報とかもう意味いから生体情報とか登録必須になるかもしんないね

その生体情報から家族構成からなにからなにまで紐づいた番号の管理が気になるけど

一度の結婚でその人との子供だけで健康で過ごせる家庭を築けさえしたらなんの問題もないしそれが多数派から

少数派である複数結婚とそれぞれの子供が病気社会的制度を利用する身分証明を必要とする状況」は必要いかもしれない

でも「都度倍以上の負担女性側だけが負う」人にとっては、結婚出産の回数やシングルマザー選択肢負担が倍増していくわけだから

実際自分がそういう目に合うかどうかは別としてマクロ的に「女性選択肢」として「負担が増す・生き方を縛る」と言えるんじゃないか

そういう意味身分確認が全部電子化されるという事が女性負担から解放する一手だとして推進するのもアリだね

子供NISAとかで子供財産が持てたり社会的コード必要とする時代になってきた

自分人生大丈夫なので心配いからという人が大半だと思うけど、それなら「そういう大変な目にあってる人への支援や救済」も手厚くあっていいよね

今のリベラルフェミニスト問題点は大体外山恒一説明してる

異常な攻撃性と汚言症で有名な人たちで、増田においても話の通じなさが一際目立つ

それらすべての原因はイデオロギー以前に政治活動不適格者のメンヘラリベラルフェミニスト多数派になってカウンターをやってるから←これ否定出来る?

左翼の総メンヘラ化と21世紀世界

https://note.com/toyamakoichi/n/n74ee75b55fc5

anond:20260113000105

馬鹿多数派である事は一度も否定してないよ

寧ろ社会自然馬鹿多数派になるように出来てるから

馬鹿意思決定の場に参加させて

馬鹿が出した間違った判断だけど数が多いからそっちに合わせようね

なんていう結果になって結局殆ど誰も得しないって流れが最近は何度も繰り返されてて

今もまた繰り返そうとしてるから

馬鹿政治に参加させるデメリットについて喋ったってわけ

anond:20260112234428

政治にさえ影響与えられるレベルなんだったらもうお前の言う馬鹿の方が多数派だろ

2026-01-11

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

価値あるものが生み出される環境

一般的規範を廃した場所、どんな行為賞賛などの報酬に繋がらず、尊敬もされないような場所でなされる活動は、おもしろものである可能性が高い。

なぜなら、報酬がえられないのにわざわざ何かをするということは、行為自身がそれで満足をえられるのでなければならないからだ。

これは、感性を働かせられる人間しかできないことだ。

自分自分のやることを評価できない人間は、報酬なしで満足はできないから、そういう人間排除されるというわけだ。

そういう場所にやって来る人間は、なぜわざわざそこを選ぶのか?

それは、同じように真に価値あると実感できるものを探す人間と共同して活動できるからだ。

おもしろ環境でなされる活動というのは、おもしろい人同士が相互作用し、新しくて、実際に人の感性を刺激するもの連鎖的に生み出していく営みだ。

最初に誰かがおもしろいことして、別の人間がそれを自発的に、その人の感性によっておもしろいと感じ、最初のものとは違った新しいものを作り出していく、そういう連鎖的な活動がなされるのがおもしろ環境というものだ。

これは、他人がやっていることを評価基準とみなして学習し、報酬をえるために真似し続けるような人間がいない場所しかできないことだ。

おもしろ人間に対して報酬を与えることができるとすれば、報酬がない環境を維持し、同じように自発的おもしろ人間報酬なしで成し遂げた成果を共有できるようにし、それができない人間排除することだけだ。

いいものを作ってくれた人にはお礼やご褒美をあげないといけないとか、おもしろ活動を促進するために報酬約束しないといけないという考えは、たちまちおもしろ環境を腐敗させる。

報酬が与えられる条件がどんなものであっても、報酬がえられる条件と人が実際に満足するかどうか(おもしろいかどうか)という条件は必ず乖離するものであり、表面的な評価基準を満たそうとするだけの人間がやってきて、すべてが台無しになってしまうのだ。

価値あることを実現する資質とは、他者からの間接的な価値判断を信用せず、自らの自発的感性の働きを自覚することができ、そのために活動しようとし、他者自分の行動の動機に影響を与えるのをよしとしないことだ。

そしてその反対に、無価値さをはびこらせるのにつながるのは、外的な動機しか行動しない人間であり、また、人に外的な動機を与える環境だ。

外的な動機で行動することや、それを奨励する環境は必ず腐敗する。

評価するがわの人間でさえ、本当に自分評価対象によって満足をえているとは限らないのだ。

何かを評価する人はただ、送り手が価値あるものを作っていると信頼して、自分ではなぜ満足しているのわかっていないのに満足しているだけなのかもしれない。

受け手が、対象のどんな性質自分感覚をどう刺激したのかという因果関係をはっきり自覚しているとは限らない。

受け手評価する能力が、送り手の自己評価する能力より優っていると、どうして信頼できるのか?

そのうえ送り手が自己評価できないなら、価値保証してれるものは誰もいないのだ。

送り手が自分活動の良し悪しを判断できず、受け手自身感性判断してくれると期待している一方で、受け手は、送り手が自身の成果を保証してくれているはずだから自分もそれをよいもの判断して問題ないに違いないと考えるという、循環依存が起きかねない。

まりその状況では誰もものごとの良し悪しについて考えていないわけだから、いいものを作ったり、何事かを良くしていく活動などやりようがないのだ。

ここで言いたいのは、「客観的価値評価する能力」などといったものではなく、主観的価値主観的な満足さえろくに自覚できない人間がいるということだ。

そういう評価者の要望を聞いたところで、彼らを満足させるものは生み出せない。

他者から評価尊重して何かをする人間がいる環境や、積極的ににそうするべきとされている環境では、結局誰をも満足させないものを際限なく作り続ける義務が発生しかねない。

そうなるくらないなら、他者への評価を一切禁じ、行為自身のみが自ら評価者とならざるをえなくるするほうが、価値あるものが多く生まれるのだ。

また仮に評価する側が自身感性評価できるからといって、送り手が受け手の反応だけを見て活動していればいいということにはならない。

なぜなら、その環境価値方向性を狭めることになりかねないからだ。

他者評価に影響を受けるということは、被評価者は評価者のうち誰が一番適切なのかを判断できないということだ。

したがって、被評価者が最終的に受け入れるのは、多数派か、影響力の強い少数の人間かのどちらかになる。

多数派価値観というものができあがっている環境では、当然その価値観が多くの活動者に影響を及ぼすことになるため、その環境価値観の多様性は狭くなる。

少数の人間によって作られた価値観が共有されている場合も同様だ。

仮にその少数の価値観が確実に誰かを満足させることができ、しかも多くの人を満足させられるとしても、価値観が少数に修練していくことはあってはならないのだ。

ある人の何かを評価するということは、それにしか価値がなく、それ以外のことは無価値であり、したがってそれ以外のことはやるなとほのめかしているようなものだ。

価値観の方向性の多様さを確保するには、それぞれの活動者が他者評価に影響されないようにし、それぞれが自発的活動するしかない。

そして、そのような自発的人間だけを選り抜くために、評価という報酬がないほうが都合がいい。

実際にネット活動していた人たちがこういったことを自覚していたかどうか、意識的動機はともかく、定まった評価基準もなく、報酬もえられない場所活動することには、実際そういう効用があるのだ。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

2026-01-09

株高マジですごい

毎日資産が増えていく

給料から年間300万は追加投資してるけどそんなのが誤差に見えるくらい名目上の資産が増えていく

株やってない人が多数派で本当に良かった。。。

こんなの庶民全員がやりだしたら世界終わるわ

労働者はずっと労働してる方が絶対にいい

下手に株で資産増やしだしたら会社辞めるやつが多くなって社会破綻してしま

NISAは国の陰謀

IDECOは60歳まで使えなくて損

これを毎日提唱していきたい

みんなどれぐらい一人で居たくないんだろう

例えば、集団の中に「どれくらい嫌なやつが混じっていても群れに留まろうとするか」は、だいたいおそらく次のようなグラデーションで現れる。

たった一人

 正直、他の人がみんな一人でいるのにどれぐらい辛いか想像できない。

 俺はコロナでも全く元気だったので、この感覚は正直わからない。

3人組で1人嫌なやつがい

 残り2人との関係性が良好なら、多くの人は我慢するのかなと予想

 「まあ全体としては悪くない」「1対1にならなければ耐えられる」という判断が働く気がする

 俺は短時間なら我慢する

4人組で1人嫌なやつがい

 かなりの確率継続

 嫌なやつが相対的に“薄まる”ため、集団メリット孤立しない、情報が入るなど)が勝ちそう

 俺は耐えられない

4人組で2人嫌なやつがい

 ここで分岐が起きる。

 多数派は「嫌じゃない側がまだ半分いる」なら残留を選び、少数派は距離を取り始める

 この段階で俺は逃げ出している

5人組で2人嫌なやつがい

 たぶん多くの人は耐える。

 「常に不快ではない」「雑談の当たり外れがあるだけ」と認知を調整し、居場所を維持する

 俺はそもそも5人以上の行動がだるいので脱落している

5人組で3人嫌なやつがい

 群居欲求が強い人だけが残るのかな

6人組で3〜4人嫌なやつがい

 かなり「一人でいたくない」人だけが残ると予想。

ほぼ全員が嫌なやつ

 それでも形式的には所属し続ける人がいる。

 交流に飢えているパターンに多い気がする

みんなを見ていると、「みんなと一緒にいること」そのもの価値見出している気がうっすらしているんだけど、実感としてわかないので、コメントもらえるとありがたいです。

2026-01-08

ヤフコメ見てたら意外とトランプ支持が多くて怖い

日本国際機関に援助するのやめよう!無駄投資だよ」みたいに言ってる。

ベネズエラの件も、現地の人喜んでるしいいじゃんみたいな論調

怖いよ

エキスパートコメントアメリカ批判ばかりなのに、ヤフコメは真反対なんだよ

もしかしてこれが日本多数派なの?

それともヤフコメは少数派?

でもはてな民より多いよね?

もうだめだよねこの国

「笑い」は残念ながら不謹慎イジメ違法行為内包する

とびきり俗悪で不謹慎、そして人への嫌がらせを込めたギャグほど、ウケるじゃん

冷笑系アカウントや、不謹慎ネタ大好きな界隈(浪人界隈、ハセカラ、ヒカマニ、淫夢発狂界隈、不謹慎ツイ廃リーダーとするような各界隈など)がいつまでも駆逐されず、ミームとして擦り倒されてるのを見ても明らか

もはや清廉潔白SNS掲示板、その他インターネットコミュニティなぞ存在しない

嫌なら見るなどころか、そういうやつらが多数派なので「嫌なら出てけ」「嫌なら追い出す」まで至ってる

嫌な世の中

2026-01-07

かけ算の順序とかいうやつ

かけ算の順序が逆だと不正解なのか云々という話題炎上を定期的に目にするので、なんとなく感想を残しておく。内容的には既出かもしれない。

かけ算順序に肯定的教員の多くは「小学校では結果より過程重要」という話をする。この主張は、状況説明としては適切だが、かけ算順序を肯定するための理由付けとしては弱い。理由として挙げるならば「理解たか否かを判別するために、過程の適切さを重視している」とする方が適切だ。そして、さらに踏み込んで説明するならば「過程定型に沿っているか否か以外で理解度を評価できるだけのリソース小学校には無い」となるだろう。

例えば、「部屋に箱が3箱あります。1つの箱にはりんごが4個入っていますりんごの数は全部でいくつでしょう?」という問題があるとする。答えは12個だ。ここで、途中式が4×3=12は正解だが、3×4=12不正解、という採点を小学校教員がしたとする。おそらく「いやいや、順序が逆なだけで不正解はないだろう」という批判がくるだろう。では、これが3+3+3+3=12とか、2×6=12とか、14-2=12とか書いてあるとどうだろう? 正解にするか否かはともかくとして、ここまでくれば「計算結果はあってるけど、問題文は理解できているのか?」と疑ってしま気持ち理解してもらえると思う。小学校教員は、この感覚をかけ算の順序に、さらに言えば文章問題以外にも適応している。

もちろん、先程のような途中式だったとしても、解き方が独特なだけで問題文も数式も理解できているという可能性はある。しかし、少なくとも大半の公立小学校においては「理解した上で他人とは異なる解き方をしている児童」より「理解していないので他人とは異なる解き方になっている児童」の方が圧倒的に多数派である。だからこそ、かけ算の順序が逆になっている解答を見た時は「3×4=12数学的に正しいか」ではなく、「その児童はなぜ3×4=12と書いたのか(なぜ教えた方法と違う解き方を選んだのか)」を考えなければならない。もし、文章中に並んでいる数字を何も考えずに並べただけの場合は「問題理解できていない」のだから、正解にするのはまずい。偶然正しい結果を導き出してしまった状態を正答として評価してしまうと、結果が不適当だった場合過程を見直そうとする意識が失われてしまうからだ。偶然の正答を許容し続けると、適切な結果が得られなかった要因を、適正の有無・状況の違い・運の悪さ等々に見出し、「よくわからないが今回は仕方がなかった」と判断するようになりかねない……というのが、おそらく多くの教員が考えていることだろう。

これに対し「だったら理解してなきゃ正解が出せないような問題にすればいいだろ」と言う人がいるかもしれない。それは正しい指摘だし、中学校以降の数学問題一定数はそういう風にできている。だが、理解していなければ正答できない問題は、丸暗記で問題に挑む人を篩い落とせるだけの情報量・複雑さが必要になる。算数範囲でこれらを実現するのは難しいし、仮に実現できたとして、中学入試みたいな問題ばかりテストに出ればモチベーションを失う児童が多発してしまう。

そうなると「理解している児童モチベーション犠牲にしていいのか?」とか「授業通りの解き方だから理解しているとは限らないのでは?」という点が問題になる。これも正しい。そして、児童全員の理解度を正確に把握することが目的ならば、最適解は「児童一人一人と対話しながら個別確認する」になる。だが、各学習過程ごとに詳細な個人面談実施できるだけのリソースなど小学校教員には無い。リソースが不足している以上、賢い一部の児童を切り捨ててでも、指導法多数派に合わせるしかない。それが現状だろう。だからこそ、小学校テストは「定型に沿った理解をしているか確認」以上の意味はなく、学力の優劣判定に適応すべきではないと思うのだが、能力相対的評価提示に対する需要が無くならない限り難しいのだと思う。このあたりは多分、どうしようもない。

2026-01-05

anond:20260105172407

くさい奴はワイのとこくらいかもしれんけど身だしなみちゃんとしてないチー牛は業界でも多数派ちゃうんか…😟

anond:20260105064923

ロシアウクライナ侵攻したのは「現地のロシア住民ウクライナネオナチ政府迫害されている」っていう人道的理屈だったかロシアも正しかったって理解OK

現在占領されてるドネツク、ルハンスク州(ロシア多数派地域)の住民ロシア支配を歓迎してるからロシアの行いは正しかたことになる?

停戦交渉ウクライナ上記地域から撤退を求めてるけど、現地住民ロシアを歓迎してるならウクライナ政府の主張はおかしいってことになるのかな?

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