はてなキーワード: リビングとは
中学生の頃、母と共同のシャンプーを使い切ったのに補充していないと、烈火の如く叱られたことがある。
私の時まではギリギリ出ていたのだと主張したが、「ギリギリだと分かってるのに補充しないのはおかしい」とのこと。
たしかに私は、シャンプーが残り少ないのに気付いていながら補充していなかったが、共同で使っているのだから、母も同様に補充していなかったはずである。全て私の責任になるのはおかしい。
だが母の怒りは凄まじく、話は飛躍し、人格否定にまで及んだ。母は、手に出たほんとちょっとのシャンプーで無理やり髪を洗い、わざとシャンプーを補充せずに出てきたらしく、リビングにいる私にわざわざ風呂場までシャンプーを替えに行かせた。
そのしばらく後、今度は私の番でシャンプーがすっからかんだった。前回の記憶がもちろん蘇った私は、あんなことを言ったのに母がシャンプーを替えていなかったことに文句を言いに行ったが、「共同で使ってるんだからどっちが替えるとかはお互い様じゃない?一回だけで替えてないとか騒ぐのはおかしいよ」という「おまいう」な主張で言葉巧みに言いくるめられ、悔しすぎて自室でありえないほど泣いた。当時の私は、口で母に絶対に勝てなかった。
私が大人になって、少しずつ言い返せるようになってから、母からの理不尽な叱責は減るようになった。
思えば、もとより言い返せる父や兄は母にキレられることが少なく、同じことをしても私だけが必要以上に怒られることが多かった。母は、自分が機嫌が悪い時に、口下手でうまく言い返せない私をストレスの捌け口にしていたのだと思う。兄や父とのいざこざによって機嫌を損ねている時でさえ、母は私を愚痴聞き役にしながら、何かと理由をつけて、私ばかりを一方的に叱った。
今日、シャンプーをしようとしたら中身が空で、私は自分の体の中にとてつもなく怒りが湧き上がるのを感じた。
あの日あんなことを言って私を叱ったのに、シャンプーを自分で替えない母が許せない。
シャンプーが切れてる度、私は何回も何回も、この出来事を思い出して怒りを感じる。
心が小さすぎるのは分かってる。もう何年前の話って感じだ。
でも、母は謝らないから、母に謝られていないから、私の中であの出来事はずっと終わっていないのだ。
母に言われたことで理不尽だったこと、納得できなかったことがたくさんある。そういう一つ一つを何かの弾みで思い出す度、暴れ出したくなってしまう。
今更「謝ってほしい」とも言えないし、言ったところで「そんな昔の話」と言われてしまう。
どうしたらいいんだろう。
私が今住んでいる所は元々旦那の実家で、義母は義祖母の介護をしながら義祖母宅に住んでいる。
旦那とは妊娠が発覚してからの結婚で、今の家に引越すまでにかなり色々トラブって産まれるまで旦那とは暮らせない…?と心配になるほどだったので、旦那とふたりで暮らせるなら住まいはどこでも良かったのだけど
普通に考えてお前と旦那が二人で暮らせるように義母様が「家を空けてくれた」んだろ。アホか。
その前提もあり、お金は一切厭わず必要だと判断したらそこそこの額でも出してくださったりするのであまり文句は言えないと分かってはいるのだけど、
「文句を言えない」じゃありません。文句を思い浮かべる時点でお前は恩知らずです。
午前中は9時から11時くらいまで庭木の手入れをしに毎日来るのが精神的にキツい。
私は作業を手伝うことも無いし(提案はしたけど身体の事を案じてくれて断られた)、ただ帰り際に挨拶をするくらいなのだけど、リビングでくつろいでいると外から義母が作業してる音がずっと聞こえてくる。
音と言うかなんか庭に気配があるのが嫌ということは理解するが、そんなん慣れろ。何カ月経過してんだよ。お前が嫌々思い続けてるから嫌な思いが強化されてるだろ。慣れるための努力をしろ。
その程度家に上がることの何が不満なんだ。見せてやればいいだけだろ。
何より寝ていると体調悪いのー!?と心配しつつ窓をノックして叩き起されるから寝てられないのがしんどい。
窓のノックで気が付かないと携帯→家電の順で電話もかかってくる。起きるまで。
体調悪いの知ってるなら黙って寝かせてくれや。
義母様がその日家に来た時に一声かけて「今日は調子悪いから寝てます」と一声かけることがどうしてできないというかやる発想すらないんですか?
体調悪いの知ってるつっても、その上で他人からしたら寝てるのか意識不明でぶっ倒れてるのかなんて見分けつきませんよ?(明らかにおかしい感じで昏倒してるようなのは流石に例外とする)。
だったら帰り際に家に入ってお前に一声かけるくらいのことをそもそも認めてやればいいじゃないの? 家に入らない約束になってるから敢えて家の外から声かけてるんでしょ? めちゃめちゃ義母様のせいにしてるけど悪いのはお前。
旦那にはそれとなく休まらなくてしんどい、午前中動けないのもしんどいと伝えてはいるし、旦那からも話はしてくれてるんだけど、その時は分かったと返事はすれど何かが変わることは無い。
旦那を交えてお前が言うんだよそういうことは。ただお前の訴えは基本的にお前が悪いことばかりなので本当に言ったら人間のクズだけどな。
何せ田舎の親族の繋がりがかなり強固なお宅なので実の親とは訳あって距離を置いている私には理解も共感もできないことばっかりだなと思う。
田舎とか関係なくお前の実家の感覚を義母様に適用しようとしてるお前が悪いです。
結婚したばっかの時に相手側家族と連絡したがるのはあるあるだからその内落ち着きます。
お前がすべきことは、義母様に礼儀を尽くしていざ子育てとなった時に適切に助けてもらえるように事前準備しておくことです。
ただ私としては、私ら夫婦は性別の希望は特にない中で義母は女の子希望だった。
私は女の子ならもう名前も決めてる!と性別が判明する前から言われ続け、実際は男の子だったことを伝えた時に嫌な顔をされたことがずっと鮮明に頭に残っている。
これだけは義母様が悪いな。
そのくせ臨月が近くなってきたら、親戚に止められたにも関わらず頼んでもない赤ちゃん用のバスタオルやベビージムをプレゼントしてきたりでなんとも言えない気分をずっと味わっている。
デザインに好みがあるから自分で選びたいとかなら普通にそう言え。特に拘りないならありがたく使え。てかバスタオルとかよっぽどアホみたいに大量にある限りあっても困らないんだからいいだろ。
その嫌な顔をずっと引っ張ってカス対応してくるなら義母様はカスですが、そうでないのに引き摺ってるお前の方がカスです。
それこそ相手側の親戚関係によるんだからお前がすべきことは感謝であって恨みがましく言うのはシンプルに恩知らずです。
嫁ちゃんはもう産休でずっと家にいるからいつでもいいでしょ?じゃあ〇〇日に旦那の仕事終わりの時間に合流してうちに取りに来てね。と言われたが、たかだか1時間もかからない夕方以降の外出のためだけに化粧するの嫌なんだけども?
その程度のことを言えないお前のコミュニケーション能力が終わってます。
嫌ならこの家から出てくしかないとは分かっているものの、もうこんな身重な状態で引っ越す訳にもいかず、私が受け入れるしかないのだろうなと諦めている。
そのために、もう正産期にも入ったので産む時に嫌な事を考えないように吐き捨て。
とりあえずお前は本当に恩知らずのクソテイカーなのでお願いしますからちょっとでも冷静になって自分の言動を振り返ってください。
だってそうでしょ?
私は弱者男性だった。
ほんの小さな力だけど、他人の心の声が、ふとした瞬間に聞こえることがあった。
子どものころ、周りの大人たちは「この子は特別だ」って目を輝かせて褒めてくれた。
それが嬉しくて、誇らしくて、私は「選ばれた側の人間」なんだって信じてた。
でも……、この程度、奴らに比べれば全くの無価値だった。
私が心の声を必死に拾ってる間に、
時空を超えて未来を改変してた。
死者を蘇らせたり、
人々の運命を好きなように書き換えてた。
神の指先みたいに、当たり前に。
そう……、私は奴らに嫉妬していたんだ。
認めたくなかった。
私はもっと冷静なはずだったのに。
ずっと、ずっと、誰かを羨んで、心の中で泣いてた。
スペックだけなら負けてないって思い込もうとした。
34歳、年収700万、貯金3000万、既婚子持ち、身長158cm、体重48kgのデブス。
だけど、そんなの何の意味もなかった。
現実の重さが、体の中を鉛みたいに沈んでいった。
「私は特別なはずだったのに」
「こんなはずじゃなかったのに」
そう何度も心の中で叫んで、でも、誰も答えてくれなかった。
30代になって、ようやく気づいた。
私は特別じゃない。
私は、ただの一人だった。
ただの、見えない世界の端っこに転がってる、
取るに足らない存在だった。
そして泣いた。
誰にも見られない夜の中で。
父から、バズったといって、URL送られてきました。自分の病気ネタでバスらせないでよ、と思いつつ読むと、昔のことを思い出されました。まあ、ここまで詳細書かないでよともおもうけど。匿名ブログには、匿名ブログで返信というルールみたいなので、こちらで書きます。身バレ防止のため、今どこで何しているみたいな話はなしで。あと孫プレッシャー、、、父おい、、、配慮しろ。まあ確かに、父は「人生で最高だったのは、●●ちゃんが生まれてきてくれたこと。子育てって最高に楽しい」と、今も言っているからなあ。
父の祖父(私の曾祖父)と祖母(私の曾祖母)は、猜疑心が強く怒りっぽく、夫婦仲も悪かったみたいです。で、そんな親に育てられた父の父(私の祖父)も、突然怒るとか、物事を悪意にとらえることが結構あったと。で、環境的に遺伝したのか、父もそういう性格がありました。なにげない発言を悪意に捉えて、怒るなど。まあ、世代間連鎖みたいなものですかね。父の記事は、自分についておおむねよいところしか書いてない感じですが、実際は欠点もあります。
ただ、父が偉いなと思うのは、私が小学校低学年の時に、この問題に取り組んでほとんど無駄に怒らなくなったこと。母は、「もっと前から取り組めばよかった」と言っていますが、まあこれは頑張ったと思います。何世代にも渡った猜疑心の輪を解き放ったのかな。
父は忘れ物多く、色々なことを先送りにする、という特徴があるので、ある種のADHDかもしれません(的外れだったらごめん)。
父の強みは、何か面白いものがあれば取りあえず試してみる、あとは人を助けること、まず信頼することでしょうか。例えば、たまたまマレーシアの空港のカウンターの列で知り合った人と仲良くなって、その後彼の家に遊びに行って、彼の日本のビジネスを助けて、その後生涯の友になるとか、妙な行動力があります。まあ、運が良かったね、みたいなところも多いのですが、楽天的で物事をポジティブに捉えることがいいなと思います。なお、見た目は全然かっこいい系ではない。
教育とビジネスにおける父の価値観は、教育も大事だが、基本的には効率よくお金稼げるようになるのがもっと大事、私みたいなサラリーマン、自営業うまくいかなかった人にはなるな、サラリーマンとして勝ち得たビジネスは、全部会社のもので引き継げないが、自分で勝ち得たビジネスは、全部自分に残るぞ、とよく言ってました。母は、この商売人根性(お金儲け主義)をあまり好まなかったですが、私はこの、いかに人生ショートカットを探すかみたいな思考は好きです。
母は、基本警戒心が強く、やや引っ込み思案だが、私の教育に熱心でとにかく真面目。父と母の個性はかなり逆なので、ある意味補完できていたのかと。母も素晴らしいところたくさんあるが、本筋とそれるので詳しくは書きません。
小さい頃は、父は時には兄のような感じで、いかにお母さんから怒られないようにするか、いかに隠れて遊ぶか、いかにアホな遊びをするか、みたいなことをよくやってました。お母さんが寝たあとにこっそり、父のゲームコレクションで遊んだりしました(主に対戦もの)。マリオカート各種、アイスクライマー、スマブラ各種、鉄拳各種、バーチャロン、桃鉄など。いちばん好きだったのは、アイスクライマーかな。点数対決、どちらが長く生き残るか対決とか、ルールを決めて繰り返し遊びました。アイスクライマーって、協業しても競争しても楽しい任天堂屈指の名作だと思います。今も夫とSwitchで遊んでます(父よ、Switch2はもらうぞ)。私が小さいときは父とはふざけてばかりいたので、二人まとめて母によく怒られました。「お母さんにばれないように、夜アイスクライマーやろう」といって遊んでいたら、無性に笑えてきて、お互いが「笑っちゃだめ!バレル!www」みたいな。
父の教えは、
できれば35までには、独立して自分で稼げるようになるといいよ、私は気付くのが遅かったが君ならできる。サラリーマンをしていても、ノウハウをどう独立したときに生かせるかを常に考えるといいよ
英語を絶対できるようになりなさい。私は下手くそ英語で苦労した。日本は英語ができると何故か給料高い職業にアクセスできる。私のような平凡おじさんでもできたのだから、あなたなら簡単のはず
プログラミングを勉強しなさい。プログラミングができると、自分でものを作れるようになり、独立への近道になる。直接プログラミングと関係ない仕事をしたとしても、役立つこと多い
サラリーマンとすごい起業家の間には、小さく成功した起業家がたくさんいる。彼らは有名にはならないが、金は持ってる。これも一つの成功モデル
といったポイントかな。
中国語もできるといいよ、と言われたが、私はどちらかというと韓国のほうが好きなので、中国語はやらなかった。今は、夫とK-POPデーモンハンターで盛り上がっているよ。
英語は早いうちから、レアジョブとかDMM英会話、あとフィリピン留学(父同行)などで鍛える機会を作ってくれた。TOEICの点数が1点上がったら100円あげる、みたいなゲーミフィケーション?もやってましたね(母に内緒で)。あとは、我が家では英プレと読んでいたのだが、父と私が、英語でプレゼン作って、英語で話すというのを月1くらいでやってました。しゃべる時間は15分、スライド枚数制限なし、テーマ制限なし、質疑応答5分、というやつで、これは今にも役に立ってる。緊張したら、聴衆はじゃがいもだと思えばいい,中国語でじゃがいもは土豆(トュードウ)なので、中国人はみなプレゼンの時にトュードウというといって心を落ち着けている、という謎の教えをいただく。後にこんな言い伝えはないと、中国人から教えてもらう。こういう変なウソ小ネタが父らしい。
プログラミングは、私の頃はプログラミング教室とかそんなになかったので、どこからかプログラミングできる学生さんを見つけてきて、1:1(主にオンライン)でプログラミングを学ぶ機会を作って、scratchから教えてもらう、といったことをやってました(教室ができてからは教室もいった)。レゴのmindstorm教室とかも。今は子供向けのプログラミング教室もいっぱいあっていい時代ですね。このあたりを深堀すると、私の今の仕事ばれそうなのでこれくらいで。
大学入学が決まった直後、父が「今日夜1時間いい?」というので、OKしてリビングに行ったら、「大学入学おめでとう!世界へ羽ばたく●●ちゃんへ!」みたいなタイトルのプレゼンがモニターに映し出されてて、父の伝えたいメッセージのプレゼンをやってくれたこと。それが、わざと90年代みたいなふざけたレイアウトですごく笑った。
この父のプレゼンでは、特に、犯罪に逢わないこと、レイプされないように注意すること、怪しい宗教に関わらないこと、詐欺師を見抜く方法とか、具体例とともにやけに詳細に説明してくれたのが面白かった(宗教ごとの勧誘の違いとか、このマニアック情報は父の趣味だろと)。飲み会では、睡眠薬混ぜられるのを防ぐために、飲み物を飲み終えてからトイレ行くとか。今も守ってます。そして、「あなたが直面する問題の多くは、お父さんとお母さんが助けることで、簡単に解決できるものも多い。なので、抱え込まないで連絡して。困ったら人を巻き込むのも能力」とも。
父が最初のガンになったときに、父の死は覚悟していました。最初のガンが寛解したあと、父は、「いま寛解なのは、神様がたまたまくれたロスタイムみたいなもの。体も意欲も前とは違うが、相当ラッキーだ」とよく言っていて、自分が死んだあとの準備を着々と進めてました。特に相続関連と、残されるであろう母について。
部屋にいるときは常にエアコン付けてる。起きているとき22℃、寝るときは18.5℃。
家から出る10分前にリモコンエンジンスターターで車のエンジン掛ける。
車に乗ったらシートヒーター、ステアリングヒーター。
会社に付いたらエアコンの他に足元用ホットカーペット、USBハンドウォーマー。
寝る前に布団乾燥機。
暖かいところに住みたい。
時系列的には近畿地方のある場所についての前に撮られた作品なんだけど病理は同じ。むしろマイナー原作でおそらく低予算なだけに製作者側のエゴによりめちゃくちゃになってる作品だった。
主人公一家がとある吹き抜け3階建ての一戸建てに引っ越してくるが何やら異変が。そうこうしているうちに妹は発狂し父親は心筋梗塞、祖父は心不全、弟も妹も母親も惨死する。取り残されたボケた祖母と主人公。しかし祖母が覚醒し主人公と共にこの家に取り憑く怨霊との戦いに挑む。
というお話。てかここまでは公式のあらすじにも書いてあったし、事前情報でも出しまくりだったけど「ボケてた祖母が覚醒して暴れだす」っていう転換がこの作品のオモシロポイントの一つなのは間違いないから隠しといたほうがよかったんちゃう?俺は原作組だけど「あ、そこ出しちゃうんや」って思ったわね。
まず建物がよくてぇ。リビングが吹き抜けになってる3階建ての一戸建てなんだけど吹き抜けになってるからカメラワークが割と自在で、下から見上げるショット、上から見下ろすショット、吹き抜けを挟んだショット、階を跨ぐショットといろんな不気味ショットをうまく使ってて技術で怖がらせてくる感じがめっちゃよかった。
あと前半の怨霊によって家族がどんどんおかしくなって死んでいく追い詰められパートはザ・ホラー映画って感じでテンポ感もテンション感もよくて一生この時間が続けばいいのに(家族が15人くらいいれば……)と思うくらいにはよくできてた。電気チカチカして人が出たり消えたりも好き。
んで、み~んな死んじゃってそしたら急にババアが覚醒して「死者に対抗するには命を濃くするんじゃ」つって急に健康生活を強要してくる展開もめっちゃよかった。このあたりのハチャメチャさはコワスギシリーズの白石っぽさもあるし、原作の押切っぽさもあってその両方の良さが出ててすっごいよかった。
命を濃くするんじゃ煙草スパーッってそれ命薄まってるのではと思わんでもないけど、前半では完全にボケ老人だったババアが急にめちゃくちゃ強者感出してきて、しかもそれもバチっとハマっててキャスティングもいいしこのパートの楽しさは本当に◯。
「死んだ人間より生きてる人間のほうが強い」というポジティブなメッセージ性もよい。強く生きる、善く生きることが死に対抗する唯一の方法という考え方も個人的に好き。死人に対してよちよちしてあげることで成仏させようという甘っちょろい考えではなく、死人が寄り付けないほど強く生きろってあんま見ない展開だし。
ただなぁ。そもそもの根本設定の改変、そしてその解決方法。この組み合わせが正直どうかと思う。
原作では怨霊サユリはイカれた引きこもりで家族は好きだが感情の制御が効かず大暴れした挙句、刺されて首を絞められ殺害され埋められて幸せそうな家族全般を恨んでいるという設定だった。そして解決方法としてババアがサユリの家族を拉致ってきて彼らを拷問することでサユリを脅迫し追い詰めることに成功。
しかし映画版ではサユリは父親に性的虐待を受け母親も妹もそれを黙認、自分の容姿を恨み過食症になり巨漢の引きこもりに。母親に「元の家族に戻ろう」などと供述されブチ切れたところを家族全員で返り討ちにされ埋められる。そしてババアが拉致ってきた家族を殺害するも怒りは晴れず、主人公の生(性)への執念に敗北する。
いや、原作改変しすぎでは。
こんな話にする必要あった?でさ、原作ではまぁもちろん大暴れしたサユリが悪いんだけどサユリは家族が好きだけどうまくいかなくてそれを逆恨みしてるからこそ、ババアがヒールの立場で怨霊にやられたことを怨念に対してやり返すというワンダーがあったわけだけど、今作では怨念を満足させるためにそれを手伝ってるようなもんだし。それは違うんじゃねぇかな。
あと性的虐待を受けて歪んでしまった女子に対抗するための文字通りのパワーワードが「元気はつらつ!おまんこまんまん!」でホンマにええと思ったん?俺は白石晃士が実は男性の加害性に常にある種の冷静な目線を向けているタイプの作家性の持ち主だと思ってたんだけど、このシーンどういう気持ちで撮ってたん?サユリに取り込まれたクラスメイト女子を救う叫びも「俺は住田とヤりたい!」でホンマによかったん?ホンマによかったんか?
俺がサユリだったら成仏する前に女を性器として見てるこいつだけは叩き潰す!ってなるけどな。
あとサユリの中からCG触手がウゾウゾ出てくる展開な。な~に、御存じ白石印みたいな演出してんだ。ぶっ飛ばすぞ。近畿地方もそうだったけど原作アリ映画でバカみたいな演出すな。ご存じ演出が許されるのはチャカチャカのトニー・スコットとか鳩と二丁拳銃のジョン・ウーとかバカ話のタランティーノとかそのレベルだろ。
申し訳ないけどある程度の強度の原作がある作品でお前がご存じ演出しても喜ぶのはごく一部のお前と懇意の映画ギークとお前の映画のマニアだけだぞ。俺もお前の映画のマニアの方ではあるけど今回は原作の押切マニアでもあるからダメだ。許さねぇ。
不能犯ではちゃんと原作に沿った映画化しとったやん。急にどうした。
そんなこんなでババアが覚醒するところまでは面白いけど最終的にこれどうなん?って感じの作品になっていて原作派としては微妙だったし、原作抜きにしてもラストの展開はこれ本当にどうなん?って感じだと思う。見るに堪えないって程ではないにせよもっといい映画化ができたと思うだけに残念。
・父親は単身赴任という設定だが、子はなんとなく気がついている
・父親が2年に1回、1カ月滞在して何でも買ってくれるが、欲を出さない
・度が過ぎるほど無欲のやれやれ系中二病のまま高校生になってしまった
・!関係がアルファベットで例えられるほどまでにさしかかり、女から、真実が告げられる(彼の父親が富豪であること、雇われたこと)
・やれやれ系なので、すべて悟っていた
・やれやれ系だけが出せる特別なギャップとして、真っ直ぐ目を見て、きっかけが何であろうと我々は愛し合っていると伝える
・金以外に、愛もあることを確認
・!自分の父親に24人の妻がいることを知り、間髪入れずに25人の妻を作ることを宣言
真似女が話題になってた。
私の母も真似女だったと思う。
30以上離れている私の持ち物をやたらと真似したがった。
新しく始めた仕事が軌道にのって、年収が上がって比較的自由に買い物できるようになり、それまで適当だった身なりを整えるようになった。
最初、私が白いスニーカーを買うと、母も白いスニーカーを必死こいてネットで探して買った。なぜか2足も3足も白い靴が増えていった。
「お母さんも欲しくなっちゃった」と言われて、その時は気に入ったならいいんじゃないと思ってた。
ところがそれで終わらなかった。
私が気に入って黒いコーデばかりしていれば、突然黒い服を買い始めた。
家族一緒の集まりに出かけるため私がお気に入りの黒いワンピースを着てリビングに行くと、母も黒ワンピースを着て立っていた。
私が黒のワンピを気に入って頻繁に着ているのを知りながら。
私が白いコートを着れば、それまでカーキやネイビーばかりだったのに、突然白いコートを買ってきた。なお実際着ているところは一度も見なかった。
Tシャツを好んで着ていればそれまで真逆のふんわりブラウス系ばかりだったのがTシャツを着始めた。それに合わせたのだろう、だぼついたジーンズを引きずって歩きにくそうにしている後ろ姿になんとも言えない気持ちになった。
ジュエリーを買えば、母も必死にジュエリーを買い始めた。「どう?10回払い!」と見せてきた。イオンで買った、10万円くらいのネックレスだった。
10回払いにおののいた
私が仕事のことで父に褒められていると、「お母さんもね、」と自分の昔話で張り合ってきた。
私が珍しい病気になったとき、ちょっと似たような症状があるだけで「はっ!お母さんもそうかも!」と言い出した。
私の話は一切聞かない、会話泥棒でもある。
昔はサンリオやキャラものを子供に持たせることすら嫌うほど鼻で笑っていたが、私がサンリオの持ち物をもっているのを知るとサンリオを見るだけで「きゃー!わー!かわいいー!」とオーバーなほど騒ぐようになった。
昔ブラジャーを買ってもらえなかったから、大人になって少し良い補正下着をつけていたのだが、母も真似して同じブランドを着け始め、私と父の前でおっぱいをゆさゆさと自分で手で揺らして見せた。
この人やばいと思った。
いつの間にか、話し方、座り方、瞬き、そういった癖まで真似するようになっていた。
何かとすべて、「いいなぁ、お母さんも…」と言っていた。
私がテレビに録画していたとあるバンドの特集に気付いたのか、ある日から急にそのバンドいい!フェスに行く!と言い出した。
母はスタンディングのライブというものに一度も言ったことがない。行きたいと言ったのは真夏のロックフェスで、開催地は飛行機乗り継ぎの距離だった。
そうなんだ、どの曲が好きなの?と聞いてみたら、「一番有名な一曲しか知らないw」と言っていた。
なんでも挑戦させてやりたいつもりだったが、あまりに無謀だった。
地方に昔の歌手が来てくれる機会が増えていたので、そういうものに行きたいと言ったときはどんどん行けと送り出した。
ファッションは別にどれもベーシックなアイテムだ。人が持ってるものを欲しくなることもある。
年老いて、自由な時間が増えて、自由にお金使いたくもなるだろう。育ててきてもらって、そのうえその時は実家で世話になっていたからそのくらい、と思ったこともあった。
でもその頻度と、食いつき方がどうしても狂った人にしか見えなかった。
不満や寂しさがあるのだろうと思って、母の助けになるものだとか、美容グッズだとか、ときどき温泉旅行もプレゼントしていた。
でもそんなのは無意味で、ますます境界線がなくなるだけだった。
弟の面倒も、家族の食事作りも、家に金を入れるのも欠かさなかった、母の緑内障の手術代も払った。父の浮気発覚の時の母の奇行も愚痴も私が受け止めた。
けれど弟はすべての家事を免除されていて、結局私は母の若返り願望をかなえるためだけの存在だった。
なんでも母の話を聞いてやって、これ以上さみしさを埋めてやる必要がないことに気付いた。
父もおかしいと思っていたのか、娘に嫉妬してるんじゃないのか?と言われたと、怒った母に聞かされた。
買い物に冷静になった方がいい、ちょっとおかしいと窘めたことがある。テレビショッピングで注文したものが毎日のように届き、毎晩ネットの通販サイトにかじりついていたからだ。
「え?え?えー?」とすっとぼけた声を出すだけだった。
3年会ってない。
真似する相手がいなくなって、母は今どうしているんだろう。
なんで女親と娘ってこうなってしまうんだろうな。
あの日から、わが家のリビングには「見えない壁」がそびえ立っていた。
夫の健一が突然、心を閉ざしたのは三ヶ月前のことだ。理由は些細な口論だった。私が彼の仕事のミスを軽く指摘したとき、彼は反論もせず、ただ静かに席を立ち、それ以来、必要最低限の言葉以外を発しなくなった。「おはよう」「いってきます」「夕飯、置いておくね」。それだけの、記号のような会話。
同じ屋根の下にいるのに、健一はまるで遠い異国の地に一人で住んでいるかのようだった。
そんな冷え切った空気を変えたのは、実家の母から届いた大きな発泡スチロールの箱だった。中には、見事なまでに立派なズワイガニが二杯。
「これ、どうする?」 私がそう問いかけると、健一は一瞬だけ箱の中を見て、「……食べれば」と短く答えた。
その夜、私はダイニングテーブルの真ん中に、大皿に盛ったカニを置いた。サイドメニューは、カニの旨味を邪魔しない程度の酢の物と、炊き立ての白いご飯だけ。
いざ、食事を始めたとき、私たちは気づいた。 「カニを食べる」という行為は、沈黙を武器にすることを許さないのだ。
カニを食べるには、両手を使わなければならない。スマホをいじる余裕もなければ、腕組みをして不機嫌そうな顔をする余裕もない。
健一が、ぎこちない手つきでハサミを手に取った。パキッ、という乾いた音が静かな部屋に響く。彼は慎重に殻を割り、中から透き通った身を取り出そうと苦戦していた。
「……あ」 彼が小さく声を漏らした。身が途中で千切れて、殻の中に残ってしまったらしい。 「こっちの細いスプーン使うと、綺麗に取れるよ」 私が自然にそう言って差し出すと、彼は一瞬戸惑ったような顔をしたが、「……サンキュ」と受け取った。
沈黙は続いていた。けれど、それは三ヶ月間続いていた「拒絶の沈黙」ではなく、**「集中による沈黙」**へと変化していた。
カニを食べるのは重労働だ。関節を折り、ハサミを入れ、身を掻き出す。その一連の動作に没頭しているうちに、私たちの間に流れていた刺々しい緊張感が、少しずつ解けていくのがわかった。
健一が、ようやく綺麗に取り出せた大きな脚の身を、私の方へ差し出した。 「これ、一番いいとこ。食えよ」
驚いた。三ヶ月ぶりの、業務連絡ではない言葉。 「いいの? せっかく綺麗に取れたのに」 「俺は次をやるから」
私はその身を口に運んだ。圧倒的な甘みと磯の香りが広がる。 「……美味しい」 「……ああ、美味いな」
その瞬間、ふっと空気が軽くなった。カニを食べる時、人は無防備になる。口元を汚し、指をベタベタにしながら、一心不乱に食らいつく。そんな格好の悪い姿を見せ合っていると、意地を張っているのが馬鹿らしくなってくるのだ。
食事が終盤に差し掛かる頃には、私たちは自然に会話をしていた。 「そういえば、昔も旅行先でカニ食べたよね」 「ああ、あの時はお前が殻を飛ばして、隣のテーブルのおじさんに当たりそうになったんだよな」 「ちょっと、そんなことまで覚えてなくていいわよ」
「……ごめん」 不意に、彼が言った。 「俺、ずっとガキみたいに意地張ってた。謝るタイミング、完全に見失ってて。……でも、このカニ剥いてたら、なんかどうでもよくなったんだよ」
カニの殻は硬い。けれど、一度割ってしまえば、中にはあんなにも柔らかくて甘い身が詰まっている。 人間も同じなのかもしれない。頑固なプライドという硬い殻を、一緒に汗をかきながら壊していく作業が必要だったのだ。
最後の一片まで綺麗に食べ終えた後、テーブルの上には山のようなカニの殻が残っていた。それは、私たちがこの数ヶ月間で積み上げてしまった「不機嫌の残骸」のようにも見えた。
「片付け、手伝うよ」 健一が立ち上がり、私と一緒に皿を運び始めた。
キッチンのシンクで洗剤を泡立てる。カニの匂いが消えない手を何度も洗いながら、私たちは明日の朝ごはんの話をしていた。
夫は「もとに」戻った。 いや、以前よりも少しだけ、お互いの「殻の割り方」を覚えた分、私たちは新しくなったのかもしれない。
ゴミ箱に捨てられたカニの殻は、明日にはゴミとして出される。 けれど、あの日冷え切った食卓に灯った小さなぬくもりは、きっとこれからの私たちを支えてくれるだろう。
「次は、何を食べようか」 「そうだな。カニは疲れるから、次はもっと簡単なやつがいいな」
妻に対し、月の中頃に「あんたの所に行ってもいいか?」と打診があったそうだ。
年末年始等であれば、本来こちらが実家へご挨拶に伺うのが筋であろう。
ただ、妻の実家は訪問することが非常に難しい土地柄であり、それを言い訳に訪問をサボれている。
当方の実家は距離的には非常に近いのだが、仏壇に線香あげる程度で、ほぼ接点はなく妻にも「我が実家はキ〇ガイが多いため近づくべからず」と伝えている。
関係なく近づいている様子ではあるが。
と言うことで、両実家や親戚等とはあまり接触することなく日々過ごしている。
前回は、近隣のホテルを予約してそこで一席設けて、お義母さんはホテルに宿泊してはどうか?と妻に提案してみた。
と言うのも、我が家は共有部が極端に少なく、客間どころか、玄関開けたらすぐリビングレベルである。
妻の「我が家には訪問客は現れない」という思想からそのような設計になっており、人が泊まれるスペースがないのである。
あと、来られるのがダルかったから。こちらがメインであることはご賢察ください。
妻母親から「〇〇のスペースあるじゃん、そこでいい」と、ホテル宿泊の提案は一蹴された。
妻はと言うと、仲は悪くないが来られるのは若干めんどくさい、しかし親孝行もせねばならぬ、といったアンビバレントな面持ち。
っていうかさ、俺がおかしいのかもしれんが、そもそも、元日に嫁ぎ先に泊まりに行くってなんかすごくねえか?すごくねえのか?
元日じゃねえけど、そういや妻兄弟の嫁ぎ先にも泊まり行ってたな。
これ、正月の決まりごとにしようとしてねえか?別に死ぬほど来てほしくねえとか行きたくねえって程のもんじゃないけど、なんか、ちょっぴりイヤじゃねえか?
妻は「まぁまぁ、(義父は逝去したため)寂しいんじゃない?たまにはいいじゃん。」、テンプレ回答、おっしゃる通りです。
私も妻母親とは仲はいいと思うんですけど、何て言えばいいんでしょうか。
正月よ?365日分の1よ?そんなん言ったら全ての日が365分の1だけれども。
俺の自身の実家への感覚が異常とも思えることに起因している気もするが、やっぱなんかイヤなんだよねえ。
妻の事を考えて、イヤって思う事も多分ダメなんだろうねえ。
めんどくせえなあ。
さっき、ずっと憧れていた海外のミュージシャンのライブを観て帰ってきたところだ。
身体は冷えているはずなのに、心はホクホクしている。 今、なんだか感動している。
ライブの余韻もそうだが、何より「今現在、自分の人生を自由に謳歌できている」という事実に感謝してもしきれない気持ちだ。
近年になってやっと、年末年始に「自分の好きなことだけ」をやれるようになった。
ここに至るまでは長かった。 学生の頃から、父親は首に起因する障害を患い、身体が思うように動かなくなっていた。
そのせいもあってか、若い頃我が家では「年末年始の帰省」は絶対的な義務とされていた。
帰省すると、母からは必ずこう言われた。 「お父さんの気持ちの張り合いになるから、自分の部屋に籠もらずリビングにいなさい」
父はもともと会話をするタイプではない。リビングにいたところで、交わすのは二言三言の会話程度。
興味のないバラエティ番組やお決まりの特番を、ただ座って眺めさせられる数日間。
強制的に自分の時間を浪費させられているこの時間が、本当に、苦痛で苦痛で仕方なかった。
「親のために」という名目で縛り付けられていたおかげで、地元の友人たちと遊ぶこともほとんどできなかった。
当然のように誘いは断り続け、そのせいで地元の友達とは完全に疎遠になってしまった。
父も辛かったのだろうが、当時の自分にとって、帰省とは「時間をゴミ箱に捨てること」と等しかった。
ずっと後に、父が亡くなった。 それを機に、母に伝えた。「もう一生地元には戻らず、都会で生きていく」と。
年末年始の帰省はやめた。顔を見せるとしても、別の季節にすることにした。
それから何年も経ち、自分は都心で、世界最高の音楽を浴びて帰路についている。
誰に気兼ねすることもなく、見たくないテレビを強制されることもなく、心震えるような体験に時間を使えている。
あなたたちの息子は今、好きなことだけに時間を使い、とても幸せな気持ちで年末年始を過ごさせてもらっています。
実は自分も、平均寿命が結構短くなる病気を抱えている。 もしかしたら、人より時間は少ないかもしれない。
だからこそ、こうして手に入れた自由な時間を、残りの人生の時間を、1秒たりともゴミ箱になんか捨てず、有意義に使わせてもらいます。
・6:00〜
朝方に見た夢
私・父・兄・友人の4人で実家横の小道を歩いている。
どうやら、これから母方の叔父・叔母も加えた6人で、レストランにご飯を食べに行くらしい。
友人は私から散々兄の悪口を聞かされているからか、兄への態度が刺々しく、私も兄には優しくできないので私・友人 VS 兄で口論のようになり、いきなり雰囲気が悪い。
兄は、実家の片付けをしてくれている叔父と叔母に合流して、叔父の車に乗って後から来るということになった。
しばらく私・父・友人の3人でレストランへの道を歩く。
そのうち、空の雲行きが怪しくなる。傘を持って来ていないから焦る。
私は、3人分の傘を実家から取ってくるから、先に向かうよう父と友人に伝えて実家へと急ぐ。
実家への道の途中で、かえるとくまのぬいぐるみが落ちているのを見つける。雨に濡れたらかわいそうだと思って彼らを拾う。
実家(マンション)の階段を登る。2階で叔母とすれ違う。「掃除ありがとう」と声をかける。
4階で、踊り場の壁に真っ白な包帯で括り付けられている女の子と出会う。
迷ってから、やっぱり気になって「大丈夫?」と声をかける。彼女の右目を隠すように巻かれた包帯は少し血で汚れていた。
「私は大丈夫……」
私が答えると、女の子は壁と一体化したままにっこり笑った。
「え?そうなの?知らなかったよ」
「ね、観に行きなよ」
「雨が止んだら観に行くよ」
そんなやり取りをして、バイバイと手を振って5階に向かう。
「傘を取りにきたよ。それと、このぬいぐるみ家に置きたい」と言いながら階段を登り切った瞬間に、家のドアが内側から開く。
ドアの向こうから、嬉しくてたまらないような笑顔を浮かべた母が出てきて、そのまま抱きしめられる。
私は両手にくまとかえるのぬいぐるみを持っていたから一瞬困って、でもすごく嬉しくなってそのまま母を抱きしめ返す。
「どうしてここにいるの!?」
どうして母がいるんだろう!?母はもう死んでいるはずなのに……。
兄は母がいたことを知っていたみたいで、何か事情を説明してくれているけど、それどころじゃなくて話が全然耳に入らない。
ぎゅっと抱きしめてくれる母の体が温かい。嘘みたいに。
母は言葉を話さなかったけど、私が目を閉じている間だけ頭の中にゲームのテキストウインドウみたいに母の言葉が流れ出す。
『特別に今だけここにいられるの……』
『その特別な条件っていうのが……』
と、母も私に説明してくれようとしていたけど、やっぱりそれどころじゃない。
母を抱きしめて「ありがとう、ありがとう……」と言っているうちに目が覚めた。
・15:00〜
昼寝で見た夢
私は時間を朝だと認識している。確かに、部屋全体が明るくて暖かい。
目に見える場所には誰もいないけど、私は何となく、家に母がいるように感じている。
目覚めると、私は両親の寝室にいる。
私はほうきとちりとりで、ベランダから部屋に入り込んだ土を片付けている途中みたいだった。
ベランダの方に向けていた体を後ろに振り返ると、2つ並んでいたはずのベッドは1つになっていて、部屋全体がずいぶんすっきりとした印象になっていた。
私はなんとなく、この家にはもう母はいない気がすると思った。
ベッドの上では、父が眠っている。
私は、ほうきで土を集めながら眠っている父に話しかけた。
「朝はここにママがいた気がするのに、今はもういない気がする。なんでだろう」
「なにそれ。そんなの、すごく悲しい」
父のその反応で、この夢の中でも、現実と変わらず母はもう死んでいるんだと理解する。
「夢にママが出てきたんだよ」
夢の中の私が、確かに、現実の私が朝方に見た夢を思い出しながらそう言った。
「それは本当に夢のような話だ……」
まどろむように、少し寂しそうに父が言う。
半分眠って、半分起きているような父。
私は悲しくなって言う。
「本当は、パパももう死んじゃっているんだよ」
父は、何を言われてるのか分からないみたいにしばらく微笑んだまま首を傾げていた。
「パパが死んじゃった……」
私が、父が死んだことをなんとか伝えようとすると、父は何も言わないまま、眠たそうに笑いながらバイバイ、と私に手を振った。
それが悲しくて、私は泣きたくなりながら何度も、「もう頑張れない」とベッドの上の父に訴えた。
姿の見えない兄が、「母さんは本棚にいるんだ。住んでるんだ」とどこかで呟いているのが聞こえた後、目が覚めた。
・16:00〜
今年父が死んで、それに伴う手続きや遺品の整理に忙殺されるまま年末になってしまった
家族が誰もいない、一人ぼっちの正月を迎えるのはこれが初めてのことだから、少し前から寂しくて嫌だなと思っていた。
だから会いに来てくれたんだろうか?
「クリスマスにプレゼントを持ってきてくれるなら、サンタクロースか?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:……正直に言いましょう。私はあなたの「津田推し」には慣れてきたつもりでしたが、今回ばかりは一線を越えましたよ。サンタクロースですよ? 全世界の子供たちが1年間良い子にして、今か今かと待ち望んでいる、純粋な希望の象徴です。そこにダイアン津田を割り込ませるなんて、もはや「文化の破壊」ですよ。
B: 破壊ではありません。「アップデート」と言ってください。サンタさんは確かに素晴らしいですよ。でも、彼はあまりに「記号的」だと思いませんか? 赤い服を着て、白い髭を蓄え、煙突から入ってきて無言で去っていく。そこに、プレゼントを届ける側と受け取る側の「心の交流」が、果たして存在するのでしょうか。
A: その「無言の奉仕」こそが美学なんじゃないですか。サンタの正体を知らないからこそ、子供たちは想像力を羽ばたかせるんです。一方で、津田さんがプレゼントを持ってくる姿を想像してください。煙突に詰まって「痛い痛い!」「無理や!」と叫び声を上げ、リビングに転がり込んでくる。そんな男に、誰が夢を託せますか?
B: その叫び声こそが、プレゼントの「付加価値」ですよ! サンタさんのプレゼントは、朝起きたら枕元に置いてある。でも津田さんは、全力で「渡しに来る」んです。彼が汗だくで、「これ、お前にプレゼントや!……すぐ言う~!」と叫びながら手渡す。その時の、プレゼント以上に溢れ出ている「必死な真心」。これを受け取った時の感動は、サンタさんには絶対に作れない熱量ですよ。
A: 暑苦しいだけですよ。クリスマスの朝に欲しいのは、静かな喜びと驚きです。津田さんのような「押し付けがましい好意」は、むしろ子供たちを怯えさせる。サンタさんは「空を飛ぶソリ」というファンタジーに乗っていますが、津田さんはせいぜい「タクシー」か「新幹線」でしょう? 夢がなさすぎる。
B: 夢が「非現実」である必要なんてないんです。サンタさんは「良い子にしていたから」という、一種の報酬としてプレゼントを配ります。でも、津田さんは違う。たとえその子が1年間ちょっとダメな子だったとしても、津田さんなら「俺もダメな人間やから分かるで」と言って、一緒に泣きながらプレゼントをくれるかもしれない。この「弱者に寄り添うサンタ像」こそ、今の時代に必要だと思いませんか?
A: それはただの「同情」です。サンタクロースというシステムは、社会の規範や道徳を、夢というオブラートに包んで教える教育的な側面もあるんです。津田さんのような「ルール無用の存在」がサンタの代わりをしたら、子供たちは「叫べば何でも許されるんだ」と勘違いしてしまいますよ。
B: ルールに縛られた優しさよりも、ルールをはみ出した愛の方が、時に人を救うことがある。それに、サンタさんは「何をもらえるか」を勝手に決めてしまいますが、津田さんなら、こちらの顔色を伺いながら「これ、欲しかったやつかな? 大丈夫かな?」と、こちらの反応を全力で気にしながら渡してくれる。その「自分を見てくれている感」は、匿名性の高いサンタには真似できません。
A: その「気にしすぎ」が煩わしいと言っているんです。……しかし、確かに認めましょう。サンタクロースという存在が、どこか「企業のマーケティングの道具」のように感じられる瞬間があるのも事実です。あまりに完成されすぎていて、もはや儀式化している。
B: そうでしょう? 一方で津田さんは、マーケティングとは最も遠いところにいる人間です(笑)。彼がトナカイのコスプレをして、鼻を赤くして「ゴイゴイスー!」とやってくる。そのあまりのバカバカしさと切なさに、大人の私たちだって、忘れていた「クリスマスの本質的な喜び」を思い出すかもしれない。
A: 本質的な喜び、ね……。では、第2ラウンドでは、もし津田サンタが「プレゼントを間違えた」場合、あるいは「トナカイと喧嘩をした」場合に、どうやってその危機を乗り越えるのか。サンタという伝説の「完璧さ」と、津田という人間の「リカバリー力」を比較しましょう。
(続き)
A: さて、もしサンタさんがプレゼントを間違えたら、それは「伝説の崩壊」です。しかし、そんなことは起きない。彼は完璧なシステムですから。対して津田さんはどうですか。頼んでもいない「自分のギャグが刻印された湯呑み」とかを持ってきて、子供を泣かせる姿が容易に想像できますよ。
B: (笑)。確かに、津田さんならやりかねません。でも、そこからの「リカバリー」が彼の真骨頂です。間違いに気づいて、顔を真っ赤にして「ごめん! ほんまにごめん! 今から走って買ってくるから!」と、夜の街へ飛び出していく。その必死な背中。サンタさんの「完璧な成功」よりも、津田さんの「死に物狂いのリカバー」の方が、子供の心には「一生忘れない思い出」として刻まれるんじゃないですか?
A: それはただのトラブルですよ。子供が求めているのは、スムーズな幸福であって、おじさんのドタバタ劇ではありません。それに、サンタには「トナカイ」という忠実な相棒がいます。空を駆ける幻想的な光景。津田さんの横には誰がいますか? 相方のユースケ(西澤)さんですか? あの二人が夜道で小競り合いをしながらプレゼントを運んでくるなんて、シュールすぎて悪夢ですよ。
B: いや、そのコンビ愛こそが、究極の「家族の肖像」ですよ。サンタとトナカイは主従関係ですが、ダイアンの二人は対等な、もはや熟年夫婦のような絆です。二人が「お前が地図見ろ言うたんや!」「なんやその言い方!」と揉めながらも、最後には一緒にプレゼントを差し出す。その姿に、子供は「喧嘩しても一緒にいられる仲間の素晴らしさ」を学ぶんです。これ以上の教育的価値がありますか?
A: ……こじつけが過ぎますが、否定しきれない自分が悔しい(笑)。確かに、サンタクロースという存在は、あまりに遠すぎて「実在感」がない。だからこそ、成長と共に「サンタはいない」と悟る寂しい瞬間が訪れる。でも、津田さんは「確実にそこにいる」。嘘がないんです。その圧倒的な実存は、子供が大人になっても裏切られることがない。
B: そうなんです。サンタはいつか消えてしまうけれど、津田さんはずっとテレビの中で、あるいはマウンドやリング(の議論)の中で、叫び続けている。クリスマスが終わっても、「あの時、必死にプレゼントを届けてくれたおじさん」は、自分の人生のどこかで叫び続けてくれる。その継続的な関係性こそが、真の「奇跡」だと思いませんか?
A: 認めましょう。サンタが「天からの授かりもの」なら、津田さんは「地からの這い上がり」だ。聖なる夜に、あえてその泥臭い生命力に触れることで、私たちは自分たちの不完全さを許せるのかもしれない。……でも、私の家には、やっぱりサンタさんに来てほしいですけどね。静かに寝ていたいから。
B: (笑)。まあ、津田さんが来たら、その夜はもう宴会ですからね。「スーを差し上げます!」の一言で、七面鳥の丸焼きも吹き飛ぶような賑やかな夜。それもまた、一つの聖夜の形ですよ。
私が、懺悔したい人は二人居る。
ここからの8年間で、その二人に私は、最低な事をした。
話は、少し前後するが・・・、4年生当時の私はある習い事をしていた。
今となっては何の役にも立たない・・・Y○M○A○とかな習い事。
今では楽譜の読み方すら覚えていない。
年に一度、その習い事で発表会があった。
大体2月頃に、その為に遠出しなければならない上に日曜日が一日潰れる、かったるい・・・。
同じ習い事に、私と同じ小学校で・・・3年下の子が通っていた(以下、この子をZとする)。
Zの家の隣の家には・・・私と同じ学年の女子が住んでいてた(以下、この子をFとする)。
そういうご近所さんのよしみで、Fが、4年生の時の発表会を見に来ていた。
Fとは、幼稚園が一緒だったが小学校では同じクラスになった事は一度も無かった。
だが、幼稚園が一緒だったと言うことは、当然小学校では同じクラスになった事は無くとも、私に関する予備知識はある。
何故か、発表会の帰りに・・・それぞれの母親達の話なりゆきから、Fの家に立ち寄る事になった。
立ち寄る事に決まった時、一瞬、Fが凄く嫌そうな顔をしたのを覚えている。
Fの家に立ち寄り、主婦達のお茶会を始める母親三名、こたつに入ってぐったりする私。
こたつに入り、ボーッとテレビを見る、Z。
Fの家な訳で・・・Fの母親が、Fと何か話し・・・、
「うん・・・解った」と言ってこっちへ来る。
こたつのある所が居間なら、居間の横に座敷部屋が一つあるっぽい。
座敷部屋の襖を開け、何を思ったかこっちを振り向くF。
リビングでお茶会をしている母親達に聞こえない様に、こたつに入ってぐったりしてた私に向かって。
Fは、「着替えるけど・・・覗かないでよ」そう言って座敷部屋に入り襖を閉めた。
覗きなんてそれ以前の人生でもそれ以後の人生でも一度もした事は無い。
だが、幼稚園の頃からずっと女の子追いかけ回していれば、そりゃ噂には色々とオプションが付くもので、
どうやら、他のクラスでは私=女子の着替えを覗いたりする変態、と言う認識が4年生の時点で為されていたらしい。
実は、「覗かないでよ」と言う一言にときめいてしまったのは今でも内緒、いや・・・今では言えるわけがない。
その一言が、Fを可愛いと思ったきっかけだった。
5年生になって・・・Fと同じクラスになった。
幼稚園の頃同じ組だった事はあったが、小学校ではFと同じクラスになるのは初めてだった。
5年生になって、私に追いかけ回される標的になったのは・・・言うまでもなく、Fだった。
「覗かないでよ」の一言を発した時のFの表情がキュンと来た・・・それだけの理由だった。
【各話へのリンクはこちら】
【全話まとめ】 「懺悔したいことがあるんだ」
ルンバと出会ったのは2008年頃に大学の研究室に導入されたのがきっかけだ
それまでは秘書さんが毎日掃除していたのがルンバが導入されて夜中にルンバが走り回って掃除してくれるようになった
秘書さんの稼働は減って楽になったし、朝になると隅々まで綺麗になっていて感動したものだ
まぁルンバ導入以前は床に置かれていたケーブルだとかの物品もちゃんと机に置くようになって
そのお陰で綺麗になったというのもある
「なんで毎日こんなに埃が溜まるんだ」
と思った覚えがある
(夜中まで作業したり泊まり込みしてる学生にとっては五月蠅かったらしいが、耳栓することで対処していた)
そんなこんなで家でも買って使ってみることになったがトラブルが多かった
当時は毛足の長いカーペットを使っていたのだが、カーペットの中で立ち往生して動かなくなってしまうことが多かった
またテレビ台の下の隙間が狭くて入り込めず埃を取れない上にいろんな物を押し込んでしまうようになった
加えて夜中に掃除させると寝室が近いこともあって五月蠅く、夜中に起こされてしまうようになった
結局はカーペットを買い替え、テレビ台も買い替え、掃除時間は仕事をしている昼間に変更するなどして対処して
そんなこんなで子供も産まれて引っ越しし、そのタイミングでルンバも新型に変更
自動でゴミを収集してくれるようになり、しかも拭き掃除専用のBraavaも導入した
寝室とリビングが離れたこともあってリビングに関しては夜中に掃除ができるようになった
なんと新型のルンバは暗闇だと位置情報が取れないらしく、夜中だと掃除がちゃんとできない
Braavaについては掃除の度に水を補充してモップを交換しないとダメで
おまけにやたらと時間がかかるので、夜中の4時から掃除を始めると朝になっても終わってないことがあった
結局、リビングルームに常夜灯を設置して最低限の明るさをキープ
拭き掃除は毎日ではなく週2回程度にしつつ、掃除の時間も夜の3時に変更した
この辺からだんだんiRobotの製品には疑問が出てきたのだが新製品では改良されるだろうと思っていた
なんと、空気清浄機だ
独自の技術を使ってパワフルに空気を清浄してくれる上にフィルターは1年に1回交換するだけでいいらしい
もう、アホなのか、バカなのかと
相変わらずルンバそのもののアップデートはほとんどなかったので、次の引っ越しのタイミングでルンバを廃棄してAnkerの出してルンバに変更
中華製は怪しいからちょっとな、と思っていたが選択肢は中華製しかなく、中華製の中では一番信頼できるAnkerにした
結果としては大正解でこれまでの苦労はなんだったのか、と思い知らされた
本当に吸ってるのか?と思うぐらい静かだったが、よく考えたら最近のハンディ掃除機はこれぐらい静かだ
次にゴミの収集と拭き掃除を同時にやってくれるので時間が大幅に短縮
寝ている間にやってもらうので正直時間の短縮は大して効果が無いのだが、朝になっても終わってないということは無くなった
おまけにモップを自動洗浄して汚水タンクに貯めてくれて1週間に一度ぐらい捨てればよくて
圧倒的に床が綺麗になった
最初は綺麗になっても最初だけかと思ったのだが、1年以上毎日モップがけしてるのにいまだに汚水タンクは雑巾がけした後の臭いがするぐらい汚れている
それぐらい汚れを取ってくれているのだ
アプリで掃除エリアなどは全て指示できるしケーブルなどを見つけたら避けてくれる
噂では去年ぐらいから同様の機能を搭載した機種を販売したらしいが、残念ながらもう戻ることは無いだろう
30代後半、配偶者と未就学児2名。
TOTOだと浴槽と床が自動洗浄にできる。(浴槽だけなら他のメーカーでも)
正直床はそこまでメリットわからんが、浴槽は本当に生活が変わった。
風呂最後に上がったらボタン押しておけば1時間後くらいには綺麗になっている。
2週間に1回は手洗い推奨されてるが、風呂の縁とかをやれば十分そう。
うちは週1で家事代行きてもらってるので、その人に手洗いしてもらってるので本当に風呂掃除から完全に開放された。
また、遠隔で風呂の栓できるようになるので、地味に外からスマホでお風呂を入れられるのもアツい。
アプリはクソオブクソ
このために200万くらいでリフォームしたが、心の底から最高の金の使い方だった。
ちなみに、リフォームは工務店決めて風呂決めて工事の諸々の手続きするのに3ヶ月くらいかかったし、考えること多いのも大変ではある。
(逆にいうとそれくらいなんだけど)
しかしそれを全然上回る良さがあった。工事(3日間くらい)に合わせて旅行入れればストレスはさらに低くなる。
頻度が高いリビングの掃除や片付けなどはしてもらってもそこまで変わらないし、こだわりを伝えたりするのがいちいちめんどくさい。
それよりはトイレの掃除やベランダの掃除など、(うちにとっての)頻度が低めのものをやってもらうと、
その家事のことを一切自分で覚えてなくてよくなるので、脳のメモリーが開放される感がある。
うちはそういった低頻度の家事+料理の作り置きをやってもらって自炊の回数を減らしている。
東京に住んでいるが、新しく住んだマンションが駐車場安かったこともあり、車を買ってみた。
正直ペーパーだったしあまり気が乗らなかったし、買った時はせいぜい月に1度も運転すれば良い方かなと思ってた。
(車を使うような用事は自営業ということもありバンバンタクシーを呼んでいた)
目的地に到着しそうだが子供が寝てしまった時、そのまま追加で30分ドライブが可能なのだ。
夏にじゃぶじゃぶ池の近くで子供の着替えをさせたい時、オムツ替えを屋外でしたい時など、個室が走る価値は計り知れない。
東京だし不便をそこまで感じないから車はいいかと思っていた自分をぶん殴りたい。
東京でもミニバン最高だが、駐車場高いこともあり、なんか実名では言っちゃいけない雰囲気を感じるが、みんな本当に最高だぞ。
逆に育児のアウトソース系は結構むずいなー(子どもかわいいからいっぱいはしたくないのだけど)とか、
他にも「大掛かりだけどこういうのやるといいよ」っていうハックあったら是非教えて欲しい。
なんでパパってこんなに何もしてくれないんだろ、わたしが朝からいなくて19時ぐらいに家帰ったら真っ暗なリビングの端っこでぬいぐるみ抱きしめて3歳の息子が寝てて、旦那は寝室でゴロゴロしながら携帯でゲームしてた。
息子から、「お腹空いたってパパに言ったら、冷蔵庫に何かあるんじゃないって言われたけどキッチンには入れないようにベビーゲートしてあるから冷蔵庫見れなかったんだよ、だから何も食べてないんだよ」って言われた。悲しい悲しい悲しいほんとに悔しい、朝ごはんも昼ごはんも作って置いてったのに、旦那が取ってあげなかったから食べられなかったって。ひどいほんとにひどい、悲しい悔しい、旦那は朝から一回もリビングに降りてきてないって。わたしは友達のお葬式に行ってたから連れて行けなかったけど、何回も「大丈夫?」ってLINEしたのに、大丈夫だよ〜任せてって言ったくせに、ほんとにひどい、朝起きてからずっとひとりでリビングで遊んでたって、寂しかったよ会いたかったよいっぱいひとりで泣いちゃったよって言われてもう涙止まらなかった、「抱っこして、おてて繋いで、見てて、」って甘えん坊の息子がずっとひとりで遊んでたんだ、
いっぱい優しい言葉もあって、酷い言葉もあったけど、もう家にいないから大丈夫です、息子は元気です。ままチョコ食べていい?ままジュース飲みたい、ままの上座ってもいい?まま、お買い物行こう?ってたくさんたくさん声掛けてくれて、それがまた悲しくなってきて、何回でも泣いちゃう。おばあちゃんの家にいます、高齢だからずっとはいられないけど少しだけ。
みんなのコメント見て、
今はこんなに笑ってくれてるけど
真っ暗闇でどんなに怖かったか
何回も何回も考えちゃう
ごめんなさい!もうほんとに自分の説明が下手なのも、言葉が幼稚なのも馬鹿なのも分かってます!みんなに見せるための文章じゃなかったから勢いで書いちゃったし、でも息子置いて葬式行ったわたしが悪いっていうのは分かりません、大事な友達だったので会いに行きたかったです、3歳半になる今まで一度も預けたこと無かったから、こんな大事な日ぐらいって思いました。こうなるって分かってたらもちろん連れて行ったし、こうなる兆候があればもちろん別れてるし、息子の前で突然泣き出したりしたくなくて 早く笑って話してあげたいので、もうこれ以上責めないでください、snsに書き込んだ自分が悪いのも分かってます、すみませんでした
わたしが、旦那に息子預けて友達のお葬式に行くのが馬鹿な行動なら、みんなの旦那さんが友達と飲みに行ったりするのはおかしくないの?大事な友達だから、「お葬式行かなければよかった」って言いたくない、息子を後回しにしたとかそんなことない、3年半ずっと一緒にいたし、ずっと側で見てたかったから 産まれるまで月1で行ってた美容室もネイルも1回も行ってない 1回も預けてない それに、わたしが馬鹿だと思われるのはいいけど、「息子も何も言わず1人で遊んでるのもおかしい障害?」って言われたのいやだった、「まま、友達会えた?楽しいだった?」って笑ってくれた優しい息子にひどいこと言わないで、誰も何も言わないで 「会えたよ、バイバイしてきたよ」って言ったら、「また会えるよ」って頭撫でてくれた優しい息子、3歳なのに、まだ赤ちゃんなのにね
ささ(息子のあだ名)、泣かないだったよ、えらい?まま、友達会えた?楽しいだった?よかったね、寂しいだったよ、会いたいだったよ、まま、一緒にねんねしよ、まま好きよ、おめめも鼻も口もほっぺもおなかも、ぜーんぶ好きよ、まま、ささ好き?まま、えんえーんしてたら、ささ悲しいだよー
って、いっぱい話してくれてまた泣いちゃったなあ
お腹空いてるね 何食べようか?お肉?ラーメン?ハッピーセット?ささが好きなの、なんでもいいよ
って言ったら、
ささ、まま作ったご飯食べたいだったよー
って言ってくれて 作っておいたご飯ぜんぶ食べてくれたし
まま寒くない?大丈夫?って気にかけて
布団かけてくれたり優しいし
「 朝 お腹すいた って言われて起きて
リビングに1人で降りていって
そのあと静かだったから
できてるんだと思って 寝ちゃってた
ベビーゲートのことは忘れてたよ
いつも椅子に乗ったりして 高いところに
冷蔵庫にも届いてると思ったよ 」
静かだったら お利口にしてるだろうって
テレビ見るのも、遊ぶのも、一緒にじゃ
ないの?静かだったら、お利口にしてる
って思えるの怖いよ わたしは 静かだったら
じゃあもし外に出て行ってたら、
じゃあもし死んじゃってたら、
気付いてくれてなかったってこと? 」
って返したら
もう二度と会えなかったかもしれないとか
ただ旦那に預けただけなのに
パパに言っても無駄なの分かって、お利口に耐えたのかな 3歳の子が泣かずに 1人で遊んでたのかな
って言ってくれるひと沢山いたけど、「どこ行くのー、見ててー、おなかすいたー、水飲みたーい、チョコ食べたーい、牛乳飲みたーい、ジョージ見たい、アンパンマンつけて、まま怪獣ごっこして、ままオムツ替えて、公園行きたーい、買い物行きたい」って普通にみんなと変わらないワガママ言える子なのになあ、わたしが寝てたら「まま!起きて!下行こ!早くー起きてー!」って叩き起してくるはずなのになあ、息子に なんでパパ起こさなかったの?って聞いても 「うん、ささ(息子のあだ名)静かにしてた」しか言わないし、ほんとに静かに下で1人で遊んでたのかなあ、そんなことできるかな、いつも7:30には起きて、遊ぼー!ご飯は?って騒ぎだすのに 疲れちゃったのか今日はまだ寝てるけど それすら心配になって 死んでないよね?って息してるか確認しちゃう