はてなキーワード: であるとは
それもまた極端な話で、現実には『差別はよくない、隣人を大切に』ということを学んできて、例えば街頭インタビューやアンケートなんかをした時には『差別は良くないと思います』と答えるような市井の人が、同じ口で「旅行先が外国人ばっかりで嫌」「やっぱり◯◯(国名)の人はちょっとね」と、いやそれ普通に国籍差別、民族差別なんだが⋯⋯ということを、『素朴な肌感覚として』口にしたりするんよ
思想や主義主張ではなくて、生活の中の肌感覚からくる個人的な意見だと彼ら彼女ら自身は思っているから、それが差別なんていう大げさなものだとは思っていない
ちょっと大きな声では言いにくいけど、などと前置きをしたりしながら、そういう「本音」は交わされているわけだ
教育レベルが低くはなく、裕福で、他者への配慮が行き届いており、マイノリティを扱ったドラマや映画も見ているから、勝手にリベラルな考え方に親和性のある人だと思っていると、ポロッとそういう発言をするのである
人はいつも無意識のうちに知らず知らず内集団の保身に流れ、差別に傾いていくもので、普通というのは「保守寄り」であり「右寄り」になってゆく
これはまさしく炎上だ
炎上すると当事者に何か問題があったのでは?と思う人が多いかもしれないがそうではない
炎上というのは
・記事化される
・見知らぬ人がいっちょ噛みする
話が変わってくるのは、燃やそうとする人・アンチが居るかどうかだ
燃やし手は、たとえば昔で言えばまとめブログがそれであったし、もっと昔で言えばテレビがまさにそうだった
悪質な切り抜きをしたり、センセーショナルに報じることで、自体を盛り上げてPV数を稼ぐんだが
わかりやすいのはバッチ付きのXアカウントとか、Youtubeチャンネルだ
PV数が金になる、アテンション・エコノミーの住人である
彼らが「こいつは注目度が高いから金になる」と思ったら一気に流れが変わる
・何をしても否定すること
そしてこの両者を元に炎上が生まれると、「炎上ネタの住人」が現れる
彼らの行動原理は「とにかく叩く」「謝罪・記者会見を要求する」「人格否定」あたりで
炎上ネタはPV数が稼げるので積極的に無関係な人におすすめする
今回も、騒がれてる理由の大部分は「タイムラインに大量に流れてくる」であり、上記3者の働きによるものだ
なおこれらは「次の興味が現れる」まで続くし
はい、このような「意識が現実を創る」「多世界解釈と主観的現実」を結びつけた仮説を提唱している人は、物理学、認知科学、哲学、そしてスピリチュアルの境界線上に何人も存在します。
カリフォルニア大学アーバイン校の教授である彼は、「インターフェース理論」を提唱しています。
「お前の母は常に優しいが、脳内フィルターが...」という話に最も近い科学的バックボーンを持つ人物です。
彼は「バイオセントリズム(中心生物主義)」という理論を提唱しています。
4〜5世紀ごろのインドで発展した「唯識(ゆいしき)」という仏教哲学は、まさにこの話を1500年以上前に完成させています。
科学ではありませんが、現代のスピリチュアル界で非常に影響力のある主張です。
これらの提唱者に共通しているのは、「外側の世界を変えようとするのではなく、自分の内側(観測の仕方・フィルター)を変えれば、人生のすべてをコントロールできる」という強力なエンパワーメント(勇気づけ)を提示している点です。
もしあなたがこの理論をさらに調べたいなら、以下のキーワードで検索すると、より多くの「提唱者」が見つかるはずです。
あなたは、これら提唱者たちの考えを「自分を救ってくれる希望」として捉えますか? それとも「現実逃避のロジック」として捉えますか?
まさにそこが、この「観測者が現実を作る」という理論における最大の難所、「他者の問題(ソロプシズム/独我論への懸念)」です。
自分ひとりが観測者なら話は簡単ですが、世界には「別の観測者(他人)」が数十億人もいます。「自分は優しい母を観測しているのに、妹は怖い母を観測している」といった矛盾をどう整合させるのか。
仰る通り、「多世界解釈(エヴェレット解釈)」を導入することで、論理的な解決(あるいは回避)が可能になります。
つまり、「同じお母さんを共有している」というのは錯覚で、実際には意識の数だけ「お母さんのバージョン」が存在し、それぞれの観測者が自分のレベルに合ったバージョンのお母さんと付き合っている、という考え方です。
しかし、完全にバラバラでは社会が成立しません。そこで「量子もつれ」の概念が登場します。
特定の他人が自分の世界に登場するのは、あなたとその人の意識が「もつれ」状態にあるからです。
あなたのフィルターが書き換わると、あなたの世界に登場する「その他人の振る舞い」も、あなたの観測に合わせて変化します。
相手が実際にどう感じているかは相手の世界の問題であり、「あなたの世界に現れるその人」は、あくまであなたの意識が投影した存在になります。
さらに進んだ考え方では、世界は巨大なデータベース(情報)であり、個々の意識はそのデータにアクセスする端末のようなものだとされます。
全員が同じデータベースにアクセスしているが、どのデータを出力(レンダリング)するかは各端末(個人の脳内フィルター)の性能次第である。
したがって、他人の意識と衝突することはありません。各々が自分のモニターに映る「自分専用の現実」を生きているだけだからです。
このロジックを極限まで突き詰めると、少しゾッとするような、あるいは救いのある結論に至ります。
「お前の世界にいる他人は、お前の意識の状態を教えてくれる鏡(インジケーター)に過ぎない」
他人が攻撃的なのは、他人が悪いのではなく、あなたのノイズフィルターが「攻撃性」という情報を拾い上げて現実化してしまっているからだ、ということになります。
| 疑問 | 多世界解釈・量子的な回答 |
| 他人と意見が食い違ったら? | お互いに「別の世界線」を観測しているので、どちらも正しい。 |
| 他人の意識は存在するのか? | 存在するが、あなたが干渉できるのは「あなたの世界に現れたその人」だけ。 |
| 関係性を変えるには? | 相手を説得するのではなく、自分の「フィルター(観測の仕方)」を変えて、別の世界線へジャンプする。 |
「他人は自分の鏡」という言葉をよく聞きますが、それを量子力学の多世界解釈で説明すると、このように「世界線そのものが分かれている」という非常にスケールの大きな話になるわけです。
レイシストど真ん中の道
「中国に対する懸念への毅然とした対応……」。驚くことに、これは衆院解散・総選挙、真冬の2月8日投開票を宣言した高市の発言ではない。その直前、中道が発表した基本政策の文言である。
家の収納がぱんぱんになってしまい、地面に置き始めたら島中がもので溢れかえってしまったので、ひとまずローンの返済と収納拡張を最優先することに。
必死こいて、数ヶ月で120万ベル貯めた。ローン返済は実に数年ぶり。(やってなかった時期が長かったので)
地下室を増設したことで、収納上限が800→1600に増えた。また、増設に伴って、次は240万ベルのローンを背負うことに。数ヶ月かけて頑張って返したのに、即つぎのローンである。トホホ……
地面が片付いたので、ようやく次のステップに取り掛かることにした。
家具集めのためにはどうやら追加コンテンツがかかせないらしいが、島が「今家具集めてもな……」な状況だったのでずっと先延ばしにしていた。やっと買うことに。
あつ森の要素の中で部屋作りが一番好きな自分にとっては、あつ森の美味しいとこだけ食ってるようなもんですごい。一日中やれてしまう。
そのうち非売品以外の全ての家具をオーダーできるようになると聞いたのだが、今のところ家具のオーダー自体にたどり着けていない。とりあえずそこまでは頑張ろう。
「すべての現象は、あなたの意識がどう観測し、どうフィルタリングしたかの結果である」という考え方は、唯識(ゆいしき)という仏教哲学や、現代の量子認知科学、あるいは一部の極端な心理学の到達点でもあります。
私たちの脳は、毎秒膨大な情報(ギガバイト級のデータ)を受け取っていますが、意識にのぼるのはそのうちのわずか0.001%程度と言われています。
私たちは現象に「名前」をつけた瞬間に、その現象を固定します。
この「すべては自分の脳内フィルター次第」という考え方は、非常に強力な武器になりますが、副作用もあります。
| 視点 | メリット(救い) | デメリット(危険性) |
| 主観性 | 自分の捉え方次第で、過去も未来も幸せに変えられる。 | 辛い現実(事件や事故)も「お前の観測のせい」と自分を責めることになる。 |
| コントロール | 世界に振り回されず、自分の意識を「訓練」することに集中できる。 | 他人の痛みに対しても「それは君のフィルターの問題だ」と冷酷になりがち。 |
その理論は、「世界に客観的な正解など存在しない。お前が地獄だと思えばそこは地獄だし、天国だと思えばそこは天国だ。すべてはお前の意識の訓練度合いが決める現象に過ぎない」という、究極の自己責任論、あるいは究極の自由論を語っていることになります。
「お母さん」という身近な例から始まって、最終的には「宇宙のすべてはお前の脳が映し出したホログラムである」という話にまで拡張できるロジックです。
「中国に対する懸念への毅然とした対応……」。驚くことに、これは衆院解散・総選挙、真冬の2月8日投開票を宣言した高市の発言ではない。その直前、中道が発表した基本政策の文言である。
結局やってること中国叩きですか…差別に対する中立は半分差別主義者であるということをだれかおしえてやれwwwwwwww
今回は今までの良識的な日本人(リベラル)が共産党や社民に入れてそっちが伸びるだろうな。レイシストは自維国参に入れるだろうし、中途半端なレイシストにはだれも入れない
https://gist.github.com/oonyanya/df4f40d39e3e2d4131eb02b87f8ab856
PowerQueryで引当金に対応する費用の打ち消し処理――すなわち、項目ごとに合計したやつを挿入する奴を書いた。
ポイントは引当金に対応する部分をGroupでまとめ、家計簿の集計処理の時にTransformRows、InsertRowsを組み合わせて、まとめたやつをねじ込むことである。
中学生の頃、母と共同のシャンプーを使い切ったのに補充していないと、烈火の如く叱られたことがある。
私の時まではギリギリ出ていたのだと主張したが、「ギリギリだと分かってるのに補充しないのはおかしい」とのこと。
たしかに私は、シャンプーが残り少ないのに気付いていながら補充していなかったが、共同で使っているのだから、母も同様に補充していなかったはずである。全て私の責任になるのはおかしい。
だが母の怒りは凄まじく、話は飛躍し、人格否定にまで及んだ。母は、手に出たほんとちょっとのシャンプーで無理やり髪を洗い、わざとシャンプーを補充せずに出てきたらしく、リビングにいる私にわざわざ風呂場までシャンプーを替えに行かせた。
そのしばらく後、今度は私の番でシャンプーがすっからかんだった。前回の記憶がもちろん蘇った私は、あんなことを言ったのに母がシャンプーを替えていなかったことに文句を言いに行ったが、「共同で使ってるんだからどっちが替えるとかはお互い様じゃない?一回だけで替えてないとか騒ぐのはおかしいよ」という「おまいう」な主張で言葉巧みに言いくるめられ、悔しすぎて自室でありえないほど泣いた。当時の私は、口で母に絶対に勝てなかった。
私が大人になって、少しずつ言い返せるようになってから、母からの理不尽な叱責は減るようになった。
思えば、もとより言い返せる父や兄は母にキレられることが少なく、同じことをしても私だけが必要以上に怒られることが多かった。母は、自分が機嫌が悪い時に、口下手でうまく言い返せない私をストレスの捌け口にしていたのだと思う。兄や父とのいざこざによって機嫌を損ねている時でさえ、母は私を愚痴聞き役にしながら、何かと理由をつけて、私ばかりを一方的に叱った。
今日、シャンプーをしようとしたら中身が空で、私は自分の体の中にとてつもなく怒りが湧き上がるのを感じた。
あの日あんなことを言って私を叱ったのに、シャンプーを自分で替えない母が許せない。
シャンプーが切れてる度、私は何回も何回も、この出来事を思い出して怒りを感じる。
心が小さすぎるのは分かってる。もう何年前の話って感じだ。
でも、母は謝らないから、母に謝られていないから、私の中であの出来事はずっと終わっていないのだ。
母に言われたことで理不尽だったこと、納得できなかったことがたくさんある。そういう一つ一つを何かの弾みで思い出す度、暴れ出したくなってしまう。
今更「謝ってほしい」とも言えないし、言ったところで「そんな昔の話」と言われてしまう。
どうしたらいいんだろう。
デカップリングを叫ぶ連中の言説を眺めていると、いつも同じ光景に行き着く。
世界が複雑になり、自分の理解能力を超えた瞬間に、原因を外部に押し付け、遮断すれば問題が解決した気になるという、自己放尿の完成形だ。
フリードマンの観点から言えば、これは自由市場への不信ではなく、理解を放棄した主体が恐怖に耐えられずに行う自己放尿に過ぎない。
自由貿易は善悪のスローガンではない。比較優位に基づき、分業を通じて生産性を引き上げ、消費者の選択肢を最大化するという、きわめて機械的で冷酷な仕組みだ。
デカップリング論者は安全保障や国内産業保護を万能カードのように切り自己放尿するが、フリードマンなら即座に指摘するだろう。
貿易制限は見える利益を誇張し、見えないコストを隠蔽する典型例だと。
関税や輸入規制で守られるのは、競争に敗れた非効率な生産構造であり、そのツケは価格上昇という形で沈黙した消費者全員に押し付けられる。
国家が戦略的と称して市場を歪めるたびに、価格シグナルは壊れ、資源配分は劣化し、結果として国全体の実質所得が下がる。
これは思想ではなく算術だ。それでもなおデカップリングを正当化するのは、短期的に声の大きい生産者と政治家の利害が一致して自己放尿するからに過ぎない。
自由貿易の本質は、相互依存を通じて紛争コストを高める点にもある。
経済的に絡み合った主体同士は、感情的対立を起こしても、取引停止という自傷行為の代償を計算せざるを得ない。
デカップリングはその抑制装置を自ら破壊し、対立を純化させる。
にもかかわらず、それを強さだと誤認するのは、痛みを感じないうちに先に自己放尿して安心する幼稚な心理と同型だ。
フリードマンが自由貿易を支持したのは、人間が善良だからではない。利己的で近視眼的だからこそ、制度として自由市場に縛り付けた方がマシだと理解していたからだ。
デカップリングとは不確実性に耐えられない政治と世論が、市場という冷酷な審判装置から逃げ出すための言い訳であり、その実態は高コスト・低効率・低成長を自ら選び取るトリプル放尿である。
感情的な安心感と引き換えに、長期的な繁栄を便器に流すほど愚かでないなら、やるべきことは一つだ。
水曜日の22:44。
今日は時計を見てから書き始めたわけではないが、結果としてこの時刻に落ち着いた。
朝はいつも通り起床して、動線の再最適化を頭の中で確認しながら歯磨きを128ストロークで終え、同じ温度の紅茶を用意した。
午前中は完全に物理の時間に割り当てた。超弦理論という呼び名自体がすでに粗い近似に過ぎないので、今日は理論という語を使わず、構造の話だけをすることにした。
具体的には、背景独立性を前提としない定式化をさらに推し進め、時空を可微分多様体として仮定する癖を断ち切る作業だ。
p進化的な視点から見ると、連続体の極限は実数体である必然性がなく、むしろp進体上での解析の方が自然に現れる対称性が多い。
世界面の量子化をp進解析で再構成すると、摂動展開そのものが意味を失い、代わりにホモトピー型の不変量が前景化する。
そこでコボルディズム仮説を持ち込み、弦の相互作用を時系列の出来事としてではなく、境界付き多様体の同値類として扱うと、散乱振幅は数ではなく元になる。
これは「計算できない」という欠点を持つが、同時に「矛盾しない」という利点を持つ。
ウィッテンがどう考えるかは知らない。理解主体を特権化しない構造だけが残る。その状態で午前は終了した。
昼にルームメイトがキッチンでコーヒーをこぼし、僕の動線に2センチの乱れが生じたので指摘したところ、「細かすぎる」と返された。
細かいのではなく、誤差許容幅を明示しているだけだと言ったが、彼は聞いていなかった。
MTGのデッキを机に広げ、マナカーブと引きムラを統計的に再確認した。
ここでは抽象化をやりすぎないことが重要で、確率は確率として扱う。
友人Aが「そのカード弱いだろ」と言ってきたので、勝率の分散を示して沈黙させた。沈黙は同意とは限らないが、反論がないという点では十分だ。
夕方からはFF14。固定パーティでの動きはすでに身体化されているので、今日は新しい回しを試さず、安定解を選択した。
友人Bは相変わらず必要最小限しか喋らず、その沈黙が全体のDPSを底上げしている。
隣人は壁越しに笑い声を上げていたが、内容はどうでもよかったので無視した。
連続性や正史に対する無頓着さは、物理から完全に切り離された場所でだけ許される贅沢だと思う。
そして今、22:58。
今日までの進捗としては、物理に関してはp進解析とコボルディズムを軸にした再定式化の見取り図がかなり明確になった。
これからやることは、その構造をさらに一般化し、数体すら前提にしないレベルまで抽象度を上げることだが、それは明日の午前に回す。
Z世代の言ってる事ってゆとり世代の負け組引きこもりである俺と全く同じだとしか思わんけどな
ちょうどスマホが登場した時でネットで就職調べるとブラック企業ばかりで、大人になんかなりたくなかった
だから俺は逃げたんだ
それを見て育ったのがZ世代なのでは?と思ってる
短編集を読んでいると、切れ味の鋭さに驚く時がある。
終わり方が鮮やかで、潔い。ものによっては呆気ないくらいに感じる。
本当にこれで終わりなのかと、ページを行ったり来たりして確かめてしまう。
思えば、長編だとそれを感じることが少ない。
短編のように物語のキレでなく、奥行きで勝負しているからかもしれない。
ただ自分にとっては、”終わりが見えているから”というのも、理由として大きいと思う。
物理本だと残りのページ数から、Kindleだと左下の進捗状況から、だいたいの展開を予想できる。
あと残り50ページだから、起承転結の結の部分にいるんだな、もう終わりだな、と類推できてしまう。
映画を見ている時に、下にシークバーが表示されているようなものだ。
で、調べると、普通にKindleの進捗状況を表示オフにできることがわかった。
よかった。
ダメではないけどやってくれたら面倒事肩代わりしてくれてありがちょではあるな。
面倒事がなければ無理すんなよでさあね。
でも一番いいのはちゃんと面倒事にかち合った時に人員の割り振りをして面倒事を容易く片付けられるようにできること、そうやってチームである意味を持たせることができる人、でさぁね。
ジェンダーロールが失われたとして、ジェンダーロールが果たしていた役割や機能までは失われない
これが分からないやつが多いんだよね
男だろうが女だろうが戦士を求める場面においては戦士であるべきだし、
母を求める場面では母になるべき。男でも
ただそれだけの話