はてなキーワード: 職業とは
女が婚活やアプリで対面しただけの男に断られて「あたしと同程度の男のくせに!」と切れ散らかしたり、自分の属性を結婚対象にしない知らない一般人のおっさんのアカウントを探し出して、無数の批判糾弾が集まり、まとめ記事や動画を量産する炎上騒動は皆無なのに男だと無数にある
恋愛や結婚やそれに付随する身だしなみや人間関係を潤滑に保つ作業を放棄する→当然婚活やアプリで女に断られる→その経験を元に微調整したり第三者にアドバイスを求めて次の女に対面して経験値を積む作業を怠る
一番悲惨なのは、44歳の婚活女性が自分に会いに来た男を婚活ノートに身長・職業・年齢を併記してリスト化したら、低身長男性(無論全員正社員)ばかりになり、婚活してもおばさんにしか会えないのを晒されたと低身長男性が激怒して「ブスノート」呼ばわりして燃やした件
基本的に女性と接点がなく女性に視界に入れてもらえないので「次の機会がない」彼らは、対面したりアプローチした女に「交際を受け入れる」という選択肢しか許さないので、女性は一度このような人種と関わってしまったら何らかの損害を受けることになる
結果、「愚かな女から人権や教育や雇用や職種を制限して男にあてがい産む機械にしろ」と女全般に憎悪を向ける
「恋愛や結婚やそれに付随する身だしなみや人間関係を潤滑に保つ作業を放棄する」同様の女はいくらでもいるだろうけど、男のように結婚に執着せず、当然断った相手を攻撃する経験もなく、こどおば処女のままひっそりと人生を終える
しかし彼らは女と違い、求愛した相手はもちろん、アプリやお見合いで対面しただけの相手に対象外扱いされて断られる事すら許さない
なのでただアプリで会っただけの相手に「お前と釣り合った相手だから妥協しろ!」と攻撃するのはもちろんのこと、当時無名のたぬかなの30人同接配信の人権発言や、見ず知らずの般人のアカウントの「婚活女性です!身長170cm以上男性希望です!」という文字列を探し出して無数の批判糾弾をぶつけ、まとめ記事や動画を量産する
性別逆だと、せいぜい石原慎太郎レベルの大物が「ババアは不要、タヒね」とメディアで発言してやっと燃える程度
彼らの求める世界は水なんとかワールドのように女にアプローチしたら断られず女が従順に自分の言いなりになる世界なので、結婚しても上手くいくはずがないのである
職業にするでも同人活動するでもなく、中学生がノートの端に書くような脳内オリキャラと脳内設定だけを持ち続け、
美がインフレしたせいか今ってセックスの値段が安くなってる。時代は純愛。
ルッキズムがうんぬん言ってるけど、みんな基本は最低ラインだったり自分のこだわりラインを超えれば終わりで、ルッキズムに極端にこだわる層は一部。男でも女でもセックス!沼らせ!モテモテ!とか言っている精神的童貞や精神的処女が、マウントとりたいがために大きな声をあげている。若いやつに多い。まあしょうがない。そのあたりは顔整いなどと言われてdisられている。
年収なんかも別に一定ラインまでは大事だが、最重要ポイントではない。年収とルッキズムや清潔感や職業や学歴っていうのは基本的にはレベルのこと。とくに生活レベル。ここのレベル感が合わないといろいろと厳しくなる。
あと昔は恋愛は「女が男を評価する」という時代だったけど、今は男も女を "恋愛的に" 評価している。外見だけじゃなくて。やれればいいだけの男と恋愛したい男(やれればいいだけの男も「いい女」を見つけると恋愛したい男カテゴリに入る)は違う。そのへんがわかっていない下品な女性は、男から「ヤること」すら、お断りされる。下品な女性は顔の美醜に関わらず声が大きく、過激なことを言う。おそらく愛着障害である。
女がいい男と「ヤることすらできない」時代が到来してきている。いい男のセフレや二番目や不倫相手でもいいのに「ごめん俺彼女いるから」とか「今仕事忙しくて」とか「ゲームの方が優先」とか断るわけだ。
そういう「いい男」が市場にいない。いい男っていうのは単に浮気しないわけではない。別に浮気や不倫できるけど、めんどくせーし彼女や奥さんのことを愛しているからしないわけだ。いい男の彼女や奥さんがそれぐらい愛せる存在だからだ。
つまりいい男といい女は単独では存在できない。セットである。「いい男がいない」というのは「自分はいい女ではない」という自己紹介だし、「いい女がいない」というのも「自分はいい男ではない」という自己紹介だ。
で、そういう「いい男」「いい女」っていうのは上位層しかいない。あとは準いい男・準いい女などの光る原石と、クズかゴミしかいない。
だから婚活や恋愛はちょっと足突っ込んでみるようなもんではない。
みんなリアルに魂や人生を賭けている。ハードモードだということを理解した上で突撃しなければならない。
自分の全性格やどうしようもない部分も含めた生活習慣から始まり、生き方・考え方・ダメな部分・うまくいってないところ・今後の人生設計、そういうのを提示し合うのが恋愛だし婚活だ。
俺は契約結婚とかそっち側はわからないが、もし恋愛結婚(多少妥協するにしてもだ)したい人は、わりと人生の中で大きく賭けないといけないと思う。生半可な気持ちでやれば生半可な結果が返ってくるだけだ。
超上位層はもう神格化されたような存在が熾烈な争いをしているわけ。もうみんな疲弊している。
外見はもう外見だけじゃなくて生活レベルも所作も語彙も知性も地位も若さも部屋の綺麗さも生活習慣も運動習慣も全部入る。正直ドン引きだわ。
こういうのは、モーニングルーティン!成長成長!なんて言っているちょっと頭おかしいサイボーグみたいな現代に適応したやつらに多いのではないか。わりと自己中(無論全員ではないし学ぶべき点は非常に多い)
モテようとしている奴らはこのへんを必死に学習して「うおおおおお俺モテるぜええええ」などとやっている。クズだがかなり努力家だ。そういう奴が総取りしている。
だがそのあたりの、属性だけは持っている「いい男風」「いい女風」みたいなやつが「女神」や「真実の愛」を求めてずっとさまよって「彼女できない(作ろうと思えばいつでもできる)」「彼氏できない(作ろうと思えばいつでもできる)」みたいなアホなこと言ってんの。こいつらは、顔もいいし外見もきらびやかで金もあって地位もあり親も太かったりするが、キモい。愛を知らないロボットみたいな奴だ。そういう奴らが漁場を食い荒らしていると思ってほしい。
暇つぶしにな。いいか、暇つぶしだ。マッチングアプリなど暇つぶしだ。「なんかいいね来た」「まあ暇だから会うか」「がっついてるなこの人。余裕なさすぎじゃん。あーあー、そういうことする?」そういう感じ。
暇つぶしにセックスするか。暇つぶしに恋愛でもするか。飽きた。なんだこいつ。まあ他にもいるからな。うーん、こいつもか。だめだな。うーん。
こういう感じだ。魅力度はSランクなのに精神的童貞・精神的処女みたいな。心を全部明け渡そうとしない。そこまで相手を信頼しない。自分を渡さない。命を賭けない。賭けるに値する相手と遭遇できない。
あとはまあ、今までの復讐みたいなとこもあるかもしれない。手痛い裏切りからの「いつか見返してやるからな!」の復讐心が、他の人々の地獄を新たに作り出している。魔王みたいな奴らだ。
下層の住民たちはそういう偽神たちの暇つぶしに翻弄されているわけだ。そういうのに耐えられない人々は推しなどを自分の人生にコラボさせて心の安寧をはかる。「彼女+推し」「彼氏+推し」みたいに。悪いわけではない。
婚活地獄に陥っている人はいま挙げた超上位層や上位層のカモにされたり、「カモにもされない」という点で地獄に陥っているのではないか。
「偽神からいい具合にカモにされたいのに、全然餌としても見られないから、もうそんなにカモられなくてもえぇ!神じゃなくてえぇから、生活レベル条件だけ妥協しようとしたら全然相手にされねぇ!それはそうとなんだこのゴミクズたちは。邪魔なんだけど。ウザい!ハッ、まさか、これが自分の実力だとぉーーーーー?!こんなことが現実であるはずがない!!婚活辞めます!!!」みたいなのが婚活地獄の女性だ。たいへんだよ、本当に。
自分の地位!安寧!この世のすべてを手に入れることができるワンピースはないのかと思っている。モブのくせに。しかもタダで。
まあ俺は恋愛とかよくしらんけど、本気で全力で魂削って必死でやっている奴らがしのぎを削っている戦場で、経験も浅いくせにナメてる奴が「こんにちは〜」って呑気に入ったら普通に撃ち殺されるのは当然だと思わないか。
おそらくスマホからだと読みにくい。PCで読みやすいように改行などしたし文が長く複雑だから、スマホからだと怪文書のように見えるかもしれない。
功利主義という言葉がある。どんな主義かというと、「全人類の幸福を全て足し合わせた総量が最大になるように判断/行動していこう」という主義である。その主義を支持する人は一定数いる。
それに似た考えで、私は「全人類の労働の総量が最小になるように判断/行動していこう」という主義を持っている。驚いたことに、どんなに調べてもその主義には名前がついていないのだ。誰でも思いつきそうな考えなのに、誰も命名していないのだ(私の調べ方が悪かっただけかもしれないので、名前を知っている方がいたら教えて欲しい)。これを「怠け主義」と名付ける。
怠け主義を意識することがいかに重要か、例え話を通じて説明しよう。
例えば、小さな小さな島国があるとしよう。その島国には、労働力人口が100人いる。100人は、水汲み、漁、狩猟、農耕、調理、林業、埋葬、建築、製造、修理、流通、あらゆる「それがないと生きていけない労働」をこなしていて、おかげで生活が成り立っている。労働時間は一日あたり4時間程度。貨幣制度はあってもなくてもよい。
やがて、彼らは日々に退屈し、エンタメを欲する……音楽家、噺家、大道芸人が現れた。エンタメ需要は高まり、やがてエンタメだけで食っていける人が続出する。楽器職人、イベンター、広告代理、音楽教師も現れた。手の込んだ服の生産や、手の込んだ料理をする人も現れた。←なくても死にはしない職業という意味で、エンタメに含める。人々からのエンタメ需要はどんどん高まっていったために、職業も多様化した……気づくと労働力人口100人のうち、50人がエンタメに依存する職業になっていた。人々は、なぜか疲れを覚えていた。なぜかはわからないが、自分の労働量が倍に増えた気がするのだ。彼らは一日あたり8時間働いていた。
岡目八目である。神目線から見ると「そんなの、本来100人でやってたはずの ”死なないための労働” を、今は50人がやることになってるのだから、労働力は倍くらいになるだろう」と思うかもしれない。でも、島民目線から見ると、「エンタメのために金を払う行為が、自分の労働量を増やすことに繋がっている」というのは、気づかないのではないだろうか。その2つは一見繋がっていないように見える。
現実世界も、この例え話と同じである。娯楽を消費することが自分の労働時間を増やす事に繋がっているとは誰も思っていない。
そう思っているので、皆が「趣味で消費すること」を「経済が回る」と呼称し、ポジティブなイメージを付与しようとしていることには違和感がある。
よく「人々が○○を消費しなくなると、所得が減るし、働き口が減る」と言われるが、冷静に考えて、減った所得というのは減った支出に等しいのでメリットとデメリットが釣り合っているし、働き口が減ったなら、それまで毎日8時間かけてやっていた仕事を6時間にすれば働き口が33%増えるだろう。
趣味での消費なんてしなければしないほど労働時間が減って安らかな生活に近づくに決まっているじゃないか。←これが本記事のメインの主張である。
現代、労働時間が長すぎて精神や体を壊す人間がたくさん観測される。私の友人知人にもたくさんいる。贅沢している場合ではない。皆、消費をするのを(=この世に発生する労働を増やすのを)やめてくれ。
具体的にはどのように行動していけば労働総和を減らしていけるのか、それはこの記事への反応があったら詳しく追記したいけど、とりあえず一つだけ挙げておこうと思う。
・よく、課金に多額を費やす人は正気を疑われ、狂人かのように扱われる風潮がある。
例えば旅行に毎年40万使う人と課金に毎年40万使う人を比べると、一般的には後者の方が疎ましい人に思えるのかもしれないけど、怠け主義的に考えると前者の方が疎ましい人に思える。後者の方が、その趣味を消費することによって世の中に追加で発生する労働が少ないと思われるためである。
私の趣味は古い名作をデジタルで鑑賞することだ。過去の人が作った本や映画のデジタルコピーをしまくるだけで無限に未来の人類の欲求を満たせるなら、それが一番楽じゃないか。
今って技術戦争だの経済戦争だの言って「エリート万歳!高度人材確保だ!」って感じだけどさ、実際社会を回してる地味職(医療とか物流とか)の扱い、冷たすぎじゃね?これ、単なる格差じゃなくて、もはや「賃金差別」って言うべきレベル。
で、怖いのはこの状況を隠そうとして、「お前ら努力してないからだろw」みたいなヘイトスピーチ的な話がガンガン流れてるってこと。正直、見ててしんどいわ。
医療、教育、物流、建設、農業とか、要は社会の骨組み担当の職業が軽く見られがち。けど、これらが回ってないと、俺たちの生活なんて一瞬で詰むわけ。
でも現状はどう?待遇低いし、労働環境キツいし、誰がやりたがるの?って感じ。具体的に見てみると:
• サプライチェーン支える超重要ポジだけど、低賃金で過酷労働おつ。
• 生活必需品を安定供給してくれるけど、雇用不安定で働く人バテバテ。
3. 建設業
• 街作りも災害復旧もお任せだけど、若手不足で技能継承がピンチ。
4. 農業
• 食料安全保障の要だけど、収入不安定すぎて後継者いないっす。
これらの仕事、重要性はガチなのに「いや単純労働だしw」ってナメられがち。さらに、「低収入のやつは社会インフラにタダ乗りしてる」みたいなデマが広まってて、正直ブチギレ案件。
1. 人材不足
• 若い人が「やりたくねー」って感じで誰も来ない。
2. サービス低下
• 人が足りなくて仕事のクオリティ下がる、地域サービスも維持できん。
3. 地域への影響
この問題を解決するには、金持ちや大企業にもっと税金払ってもらうしかないっしょ。でも、それやろうとすると「海外に逃げられるぞw」みたいなこと言うやつがいるんだよな。
でも、OECDの調査とか見るとさ、富裕層ってそんな簡単に海外行かないのよ。理由は:
• 日本の社会インフラ(教育・医療)がクオリティ高すぎて離れたくない。
むしろ、税金ちゃんと使って社会安定させる方が、金持ちにもメリットあるって話。
多国籍企業にもちゃんと課税する流れは、最近ちょっと進んできた。たとえば、国際法人税率を最低15%にしようって動きとか。これのおかげで:
• 税率の競争を抑えられる。
でもまだ課題はある。タックスヘイブン対策とか、デジタル企業の課税方式をどうするかとかね。
日本って資源ないし、人口減ってるし、もう技術重視で産業改革するしかない。でも、それが「エリートだけ得する」とか言われて、話が進まないのが現状。
• 富が増えて再分配の元が増える。
こういう良い循環が生まれるから、社会全体の底上げになるんだよね。
解決策としてはこんな感じ:
社会インフラ職の待遇改善とか産業改革とか、めっちゃ難しいけど大事な話。表面的な対応じゃなくて、ちゃんとした改革を進めないと、社会全体がヤバい方向に行っちゃうよねって話。
関係者に見つかってしまうかもしれないが、どうしてもここで吐き出させてくれ。
自分の婚活が始まったのは三年ほど前だ。そのときはまだ32歳で、仕事も今のものとは違っていた。当時は外資系のIT企業に勤務しており、それなりに年収も高かった。
当然のように申し込みが殺到すると思っていたが、実際にはまったくそんなことはなかった。自分は体重が110キログラムを超えており、とても「婚活強者」とは言えない状態だったのだ。それでも、たまに会ってくれる人はいたが、3回までにお断りされるか、続いたとしても結局うまくいかないまま終わってしまった。
やがて外資系ITでリストラが流行し、自分もその波に巻き込まれてクビになった。当然ながら婚活は中断。退職パッケージも満足に出ず、少々心残りがあったが、退職から1ヶ月以内に自分を雇ってくれるベンチャー企業が見つかったのは幸いだった。この新しい仕事はフルリモート勤務が可能で、その流れで地元に戻ることになった。
新しい職に就いて3ヶ月が経ち、仕事が軌道に乗り出した頃、婚活を再開した。ちょうど給与欄が新しい条件になる時期で、そこに記載された金額は地域でトップクラスの年収だった。「退職金や株式付与があったし、当然だよな」と思いつつ再開したわけだ。
しかし地元には地元の問題がある。圧倒的に女性の数が少ないのだ。それでも、東京でやっていたときよりは、年収マジックのおかげか会ってくれる人が増えた。
そして出会ったのがA子だった。
A子は背が高くない童顔の美人で、自分の好みに合っていた。音楽という共通の趣味の話題も盛り上がり、順調に交際が進み、仮交際、真剣交際へと進展していった。今思えば、この時点で多少の違和感はあったのだが、正常性バイアスとは本当に恐ろしいものだ。
真剣交際に進んだにもかかわらず、相手との距離が縮まった感じがしない。LINEの頻度は上がらず、相手の相談所から「もっと距離を詰めたほうが良い」と手を繋いだりするよう促されても、相手から感じる距離感はそれとは真逆で、とてもそんな行動には出られなかった。
そんな中、なぜかその状態で婚約OKという形になり、地元で一番高いビルの最上階でプロポーズを行い、見事成功した。30万円ほどするダイヤモンドの指輪も渡し、これからの生活に胸を躍らせていた。
しかし次にA子に会ったとき、衝撃的な発言が飛び出した。「結婚の段取りを進めるのを待ってほしい」さらに「仲良くなるまで1~2年はかかる」とのこと。
結婚に向けて次に進もうとしていた自分にとって、その言葉は衝撃的だった。よく考えればこれも大いに違和感が残る発言だが、そのときの自分はまたもや正常性バイアスに覆われ、「時間が必要なのだろう」と納得してしまった。結局、「ゆっくり進めていきましょう」ということで落ち着いた。
その後、何度か会っているうちに「A子の仲人が痺れを切らしているから、その人も交えてこれからのことを話そう」と連絡が来た。
そもそも、もう結婚相談所との契約は終了しているにもかかわらず、こうして干渉してくるのは極めて不自然だ。しかし当時の自分は「ずいぶん手厚いサポートをしてくれる相談所だな」程度にしか思わず、またもや正常性バイアスに陥っていた。
そのときは大まかな結婚までのスケジュールを決め、最近結婚したというB氏がオススメする挙式プランナーを紹介してもらった。
その後、なぜか予定が合わなくなり、会う機会が減っていった。A子は忙しい職業だし、そんなものだろうと思い込んでいた。
ところが、そうこうしているうちに自分が病にかかってしまう。泌尿器科で「軽い精巣上体炎」と診断され、放っておけば入院が必要なくらい痛みが増す病気だという。前立腺検査ではおじさんに肛門から触診され、悶絶するほどの辛さだった。幸い軽度で薬で快方に向かっているが、当時は痛みがあり、挙式プランナーとの打ち合わせにはダボダボのスウェットで行くしかなかった。
打ち合わせ後、カフェで会話し、次の予定を決めて解散。しかしその夜、A子から電話がかかってくる。なんだか腑に落ちない様子だったが、クリスマスが近いので予定を立てようと提案したことが彼女には気に障ったようだった。
その後のLINEで、A子は予定を変更すると言い、服装をきちんと整えてほしいと言ってきた。自分はまだ精巣上体炎が完治していないのでスウェットでもいいかと尋ねると、急に身だしなみに厳しく言うようになり、精巣上体炎の現状を伝えてもいつもなら心配してくれるはずのA子が、急にそっけなくなってしまった。文字通り人が変わってしまったかのようだった。
結局、柔らかめのパンツで落ち着かせ、その状態でモールに出かけた。何をするか具体的には聞かされていなかったが、美容院に行かせたいのだろうと何となく察していた。
美容院では2時間ほどかけてツーブロックにしてもらい、「似合ってるねー」と皆に褒められ、まあこれはこれで悪くないかと思った。
いよいよお互いの本音を語る段階だ。デパート内のカフェで話し合ったところ、飛び出したのはとんでもない話だった。
まず、「太っているのが受け入れられない」「気になる仕草がある」とのこと。これは通常、お見合いから2回目のデートまでの段階で断る理由であり、なぜそれで婚約まで進んだのか不可解だった。
次に「漢字が書けないのが受け入れられない」と言われた。自分は漢字を覚えるのが苦手で、そこが気になるらしい。
さらには「自虐ネタ」や「仕草」が自信がないように見えるとの指摘。全く身に覚えがなく困惑した。
A子はB氏に「泣きながら電話」したそうだ。つまり、自分との結婚が嫌だったということなのだろう。
最後には「B氏の心理カウンセリングを受けよう」とA子が提案してきた。
その後、B氏について調べてみると、怪しい事実が次々と出るわ出るわ、まるで徳川埋蔵金のようだった。「開運商法」と「資格商法」を掛け合わせたような怪しげなビジネスを展開しており、結婚相談所自体も実績がまったくない。A子がどのような経緯でこの結婚相談所に流入したのか不明だが、その商法にハマり、その流れで結婚相談所に入会したと考えざるを得ない。
ここから推測できることは、A子はB氏の強い影響下にあり、B氏は自分の年収欄の数字を見て目をくらまし、A子を使って自分と結婚させようと画策した。さらには自分をビジネスに巻き込み、カモにしようとしたのだろう。A子はB氏に言いなりになっているが、自分の気持ちとの間で板挟みになり、「泣きながら電話」した末に人が変わったかのような態度を見せたのだと思われる。
正直、A子はB氏のカモになっている可能性が高く、いくら搾取されているのかもわからない。しかも自分もその毒牙にかかる可能性がある。そんな状況で結婚を進めることは、もはや不可能だと判断した。
失ったものは成婚料金、婚約指輪、ダイヤの費用だ。しかしながら、心で受けたダメージはおそらくそれ以上で、自覚がないだけかもしれない。もう婚活は無理かもしれないが、それは時間が経ってみないとわからない。
自分は来週末、三陸で宿を取った。冬の海を見ながら散歩でもしようと思う。
痛むキンタマを抱えて、ね。
保険会社なんて全部そうだろ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/758fd425d0fe921ec8e7f0ea7fe18c73d1f0853a
この記事を読んで思うことは起こるべくして起こったなということ。
毎年毎年9割越えの合格率で多数の看護師を生み出してはいるがそれ以上に退職がでている状況。
つい数年前まではどうぞ辞めたければ辞めていいよ。という感じだったのに今では辞めないで!!!と強く引き留めている。もうその引き留め方には強引なものもあり半ば脅しのようなものまである。
なぜこんな状況になってしまったのか?
まずはやはり診療報酬改定があるだろう。いくら診察しても無駄。儲かるのは個人病院だけ。だから賃上げなんて無理。まじで無理。
一般企業とちがい経営者は実質院長となる。院長は医師としても外来に入っていることもあり経営にさく時間なんて無に等しい。だから無用なコンサルなんか入れがち。無用なコンサルは人件費削減しか叫ばないので皺寄せがくるのはその下の人数の多い医療職ということになる。
世間の人々はコロナで頑張ってくれた医療者に感謝!といっていたが病院は本当に本当にありがとうコロナ!の祝杯だった。
本来つぶれていたはずの田舎の総合病院は大きく黒字となりうはうはだった。これは世間一般が想像する以上のインパクトだった。
本来の企業であれば内部留保に回したいところであったが医療業界は違った。
いりもしない医療機器を買いまくったり外観に投資したりと使いまくった。まぁここは後々くる返還要求などを恐れていたのかもしれないが。。。
コロナ禍もすぎてしまえば潰れるべき病院は潰れるしかなくなった。ここにきて初めてあぁ。もう潰れるかも。と自覚した経営者=院長は痛感した。
焦りに焦って無理やりにでも病床を埋めようとあの手この手で入院させようとするがそんなことは焼け石に水だ。そしたらどうするか?
1番多い看護師の人数を減らせばいいんじゃね?とにかく配置基準を下回らないギリギリの人数で回せばよくね?人減らせなかったら大赤字だからボーナス減らせば良くね?ってなる
そしたら何が起こる?
看護師は一生勉強する職業だがここには現場で教わることが大半を占めている。意外にも自分で本を買って勉強してます!って人は少数派であったりする。
今まで継承されていたことが大量離職によってぶつっとキレてしまった。これはコロナ禍以降顕著に現れた。
大量離職というのは毎年毎年起こってはいたがその比にならないくらいの離職がここ2〜3年で起こっている。
離職したら新しい人を入れたらいいと経営陣は思っていたがそれもうまく集まらない。とにかく人がこない。
総合病院で資金もそれなりあり病床ももっている病院は福利厚生を整えバケツに空いた穴の補修に資金を注ぎ込んだ。なんとか穴を突貫工事ではあるが塞げたが地方の病院はそれができず人材流出に歯止めがかからず病床の休床(ベッドの数を一時的に減らして入院させなくする)や病棟の閉鎖を迫られた。
赤字は埋まらず人も出ていき経験のない看護師しか残っておらず医療事故のリスクが格段に跳ね上がってきている。
ヤフーニュースの記事の病院がどんな状況かはわからない。しかし、全国の病院は上であげた問題を孕んでおり安全な医療から乖離してきているということを世間にはわかっていてほしい。
ボーナスが出ないという記事も最近目にしたし減額されているのはもうそこかしこで起こっている。賃上げムードなのに賃下げされるところもでてきていると聞く。
私はいち医療者として賞与が減るのは医療業界に限ったことではないししょうがないと思うし政府に赤字を補填してもらうべきとも思っていない。
2019年に厚生労働省が統合リストをお漏らしし病院は大反対したがもう早く統合していく他ないと思う。悪あがきして医療事故を起こす環境にし人の命を奪ってしまうより健全な病院運営のためはやく身を切る覚悟がいるのではないだろうか。
直球で日本人が被害に遭っているし、未成年の子が何人も凶悪な被害に遭っているというのに
不自然なまでにスルーするし、それを指摘されると「日本の男ガー!!!」と必死になり異様なまでに言い訳するのって、本当に不思議
あと職業柄、外国人コミュニティも幾つか知ってるけど、彼らの間ですらクルド人やべーって言われるぐらい問題になっているにの関わらず
何故かフェミは「在日外国人問題ダー!!!」と、全体のせいにして「クルド人」という属性から必死で目を逸らさせようとしている始末
・難民として保護を受けつつ違法就労しているスキームがクルド人コミュニティで行われている
・日本に「受け入れられる」のでは無く日本が「悲惨な境遇(笑)にある我々に合わせろ!」という姿勢
があるからなんだよ
日本人の事なんか何とも思ってなくて、いざとなれば自国に逃げ帰るか、他所行けば良いと思っているから
韓国男がヤバい件についてもスルーするし、フェミを齧った女性は外国人のイケメン(笑)には何されても良い、という願望でもあるのかしら?
例えば、自閉症のほかに重度の知的障害を伴う場合、強度行動障害があったりしたら、
施設には入れない、入れても不幸なことに繋がるかもしれないので、小さな頃から訓練するのが良識ある親なので
共感を持って、詳細に具体的に理解し、心を育てる
1.強度行動障害の理解
筆者は自閉症児の親であり小児科医でもある。息子の育児と教育は困難を極めたが、二次的、三次的な障害をできるだけつけないで育てることができた。自閉症児のパニック、問題行動、こだわり、コミュニケーション障害、学習の困難さなどは、認知機能の障害(悟りにくさ・理解しにくさ・判断力のなさ・要領の飲み込みの悪さ)による生半可な理解によって生じていると確信している。不適切なまちがった育児と教育の結果、諸問題は大人になるにつれて深刻化し、強度行動障害へと発展し、家庭生活や地域社会での生活を極めて困難にし、両親も本人も不幸になっていく予後。家族や支援者たちを悩ましている生活態度と問題行動には、強い欲求、拘束への抵抗、自由への要求、反抗、拒否、恐怖、混乱、怒り、失望、悔しさ、嫉妬、強い興味、愛されたい思い、望郷、プライド、淋しさなど、様々な感情・思い・心からの叫びが読み取れる。
2.トモニ療育センターの自閉症児の育児と教育、および強度行動障害への取り組み
適切な家庭療育が自閉症児を救う。母親が「知識ある愛をもって行き届いて」自閉症児を理解して適切に導いていく時、強度行動障害予備軍も好ましく育っている。
適切に向き合うためには、実態を把握のための個別セッション(検査と課題学習)は欠かせない。詳細な問診票によって過去と現在を知った上で、筆者自身が自閉症児を詳細に深く観察することからトモニの療育が始まる。トモニでは月3回の自閉症関係の勉強会と、ファクシミリやメールによる家庭生活記録やレポートから療育の状況を読みとり、問題行動やパニックなどにもきめ細かな指導をしている。個別課題学習を中心において、具体的に7つの項目に取り組んでいる。「失敗は成功の元」と励まし、指示に従ってやり遂げる力をつけ、self-esteem(自尊感情)を高め、幸せに生き抜く心を育てている。
具体的目標(できるだけの自立をめざして)
基礎学習と家庭科技術と職業技術の3種を同時進行で獲得させていく
コミュニケーション力をつける
読み書き計算の基礎学習と同時進行で家庭科技術(料理)を課題とし、同時に職業技術(ビーズ暖簾作り、ボールペンの組み立て、箱づくり、折り紙など)に取り組めば、幼児から青年まで長期にわたって一貫した指導が継続できる。
3.トモニの指導に沿った強度行動障害への対応事例
(1) 社会福祉法人みくに園での取り組み
家族や施設職員を対象に自閉症セミナーを毎月1回日曜日に定期的に1年間開催した。その後、毎月1回出かけ自閉症と行動障害を示す利用者ほぼ全員(26名)に個別セッション(テストと課題学習)を実施し、同時に参加者(支援員・看護師)に詳細に解説した。「本当はこんな人だったのか!」と感動的な理解の深まりがたびたびあり、利用者への見方が一変した。それまでの不適切な支援を反省した支援員の向き合い方には適切さが増した。一方で療育室を設け、定期的に療育専門のA支援員が課題学習やクロスステッチ刺繍やビーズ暖簾の大作に取り組んだ。言葉のない自閉症者の拠り所となり代弁者となって、self-esteemを高め、心の痛みを感じながら、対等に話し相手となり、孤独感を解消し、生活を満たしている。その中で、強度行動障害は短期日に見事に改善され、素直で純粋な活き活きとした幸せと信頼の表情を見せてくれ、愛しい存在となってきている。諦めていた家族もその変化を喜び、協力的になってきてはいるが、帰宅するたびに状態像は悪化している場合が多い。
4.まとめ
大人になっている自閉症や強度行動障害の人たちの行動改善は可能である。
そのためには施設職員全体のレベルアップ、すなわち、自閉症や問題行動への理解と信頼関係の深まりが必要である。支援員と利用者の間に信頼関係が育ち、人間らしい生活が少しずつできるようになってきても、施設職員の警戒心や恐怖心は消え去ってはいない。行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服薬させられ、その上に自分の意思で開けることのできない居室に隔離されている。行動障害が軽減されたとしても、皆無になったとは言えない。支援員不足によって、やむを得ず夜間には鍵を掛けられているが、果たして支援者を信頼することができるのだろうか。障害福祉施設での身体拘束状態は、夜間の支援員の増員によって、解決できる問題である。
支援員の質の向上の機会と待遇改善と支援員の増員を心から切望する。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/jiritsu-report-DB/db/20/134/report/report08.html
anond:20241208104126 anond:20241208170711 anond:20241208171227
これさあ、映画のタイトルこそ『どうすればよかったか?』となっているけれど、
実際にはこの監督の中で結論は出ているよね?「早期に受診させればよかった」でしょう?そう決めてかかっているよね?
「間違っていたのは、両親の説得に25年かかったということ」
ただ両親は医者かつ研究者であり、合理的判断ができるはずだったのに、その二人に話が通じないとなるとどうすればよかったのか。無理矢理入院させれば良かったという人もいますが、それがうまくいくとは到底思えません。彼らが認めない入院を病院が認めるとは思えないし、入院させることができたとしても両親が連れ帰ってくる。そして僕が無理矢理病院に連れていこうとしても、姉は赤信号で車を降りるし、身体を縛ったりしたらトラウマにもなりかねない。どう考えても両親を説得する以外の方法はなかったと思いますが、どうすれば説得できたかはいまだにわかりません。
結局、両親に問題があったという事で済ませている。
たとえ両親が望んで入院させたとしても、病院で拘束されて人権侵害を受け、家にいるよりももっと酷い目に遭ったかもしれないなどとは考えていないようだ。
発達障害なんかでもそうだけど、この手の話題になるととにかく子供の障害を認めない親が悪い、早期に受診させていれば解決した筈だ、と決めつけられて
社会からの偏見や医療制度自体の問題は置き去りにされてしまう。それが悔しい。
それに加えて、両親は自分たちで何とかしなければと思ったんじゃないかなとも考えていて。通院歴があると姉の国家資格が通らなくなるとか、研究者としての道が閉ざされることもきっと心配していたと思うんです。
これは正しいよね。精神科の通院歴があると就きたい職業に就けなかったり、保険に入れなかったり。今は多少改善されたようだけど昔はもっと酷かった。
それは社会制度の問題なのに、この監督はそこに深く切り込もうとせずに両親が悪いで済ませている。
世間の偏見の目も強いよ。親族に精神疾患の人間がいるとそれだけで結婚出来なかったり。
しかも「統合失調症」と呼ばれるようになったのも2002年からなので、それ以前は罹ったら人生終了を想起させるような「精神分裂病」と呼ばれていた。そういう医療側の態度も、受診を忌避する患者を生んでいただろう。この人のお姉さんが発症したのは1992年から9年前らしいから、その時は間違いなく「精神分裂病」。この記事にはその事実が出て来ない。
https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=58
日本精神神経学会は2002年8月、1937年から使われてきた「精神分裂病」という病名を「統合失調症」に変更することに決めた。それに伴い、厚生労働省は精神保健福祉法に関わる公的文書や診療報酬のレセプト病名に「統合失調症」を使用することを認め、同年8月に各都道府県・政令都市にその旨を通知した。現在、メディアや出版業界など多くの領域で、精神分裂病を統合失調症に変更する作業が進められている。
最近、性暴力とその表現に関する話題が次々 Xのタイムラインに流れてきて、この仕様ってなんなの、と思う。思うけれど、その一方で男女(と一旦は括らせてほしい)の性暴力への解像度の差にガックリきてしまい、あまりにもがっかりしたので筆を取る。
わたしは若い女で、比較的フェミニズムに関心がある方だと思う。そして漫画などを好むオタクだし、エロ表現の良さも分かる。
以前、似たような境遇の女の子の友達がいた。ある日、彼女が落ち込んでいたので話を聞くと、どうやら地下鉄で男の人に付き纏われたらしい。彼女は座っていて、向こうは側に立っていた。初めの方は不躾な視線に耐えていたけれどとうとう我慢できず、電車が停車した際に立ち上がって一度外に出、車両を変えようとしたところ着いてきたという。これには慌て、駅の中を逃げまどって何本か電車を見送った後にようやく再び乗車することができた。
しかし、まだ不幸は続く。電車から降りて逃げている途中、気に入りの帽子を落としてしまった。一応は落とし物センターに問い合わせたけれど、万が一帽子が戻ってきても複雑だ、と彼女はこぼす。お気に入りの帽子なのに、これからはそれを見るたびに男の人に追いかけられた嫌な記憶を思い起こすことになるからだ。
この話を聞いたときに、わたしもすごく嫌な気持ちになった。この件は決して事件として表面に浮かぶことなく、ただ個人のなかの嫌な記憶としてのみ残り続ける。帽子を落としたのは彼女の不注意だったかもしれないが、それほどに焦り怖い思いをしたということでもある。お気に入りの帽子で外に出かけるときでさえ常に警戒していなければいけないだなんて、そしてそれが特定の性別に多く降りかかるだなんて、どれほど生きづらい世界なのだろう。
話は変わる。新聞社の事件事故の欄を見ていると、盗撮や痴漢、路上抱きつきなどの性加害事件のあまりの多さに愕然とする。そしてその裏には事件化されなかっただけの事案がたくさんあるし、そして事件化することのできない(例えば先ほどの友達の話のような)嫌がらせはもっと多いのだろう、と想像してしまう。少なくともわたしはそういう場面に出くわしたり話を聞いたりしたことがそれなりにあったので、そんな世界の見え方を想像もしない人を大量にタイムラインで見かけて言葉を失ってしまった。
そして、この身体ひいては性にまつわる体験の差(つまり女の方が性被害にあいやすいこと)がエロ表現の扱いについての分かり合えなさに繋がっているんだろうな、と。そう邪推してしまう。
そもそも、表現というのは社会の情勢や価値観や規範と全く切り離して考えることのできないものだろう。わたしは、〈社会、そしてそこで生きる個人〉と〈個人によって生み出される表現〉とは相互に影響を与え合うものだと思う。例えば表現は社会で生きる人間によって生み出される以上、そこでの価値観の影響を受けるし、反対に、表現が社会や個人に影響を与えたりとある価値観を強めたりすることもあるはずだ。つまり、表現は社会の外側にはいられない。なぜなら社会の中で生み出され社会の中で受容されるものなのだから。そしてだからこそ表現は社会にとって大きな意味を持ったり、大きな役割を担ったりする。
フェミニストは二次元と三次元の区別がつかない。あるいは、自他境界が曖昧すぎてただの絵に自己を投影している。エロ表現を忌避するのは過度な潔癖であり、お気持ちでしかない。こういう批判がある。フェミニストの中ではもはやエロ絵を燃やすことが目的化されている。そうしてコンテンツの邪魔をする。こうも言われている。じゃあエロ表現は悪なのか。それともエロ表現を悪とすることが悪なのか。
ポルノグラフィ(エロ絵や漫画、アダルトビデオなどをまとめてこう呼んでみる)は現実の性犯罪を助長させるのか、反対に妄想の中で欲望を満たすことで抑止に繋がっているのか。この議論は散々されてきたことと思うが、そうではないやり方でエロ表現が問題視されていることの妥当性を示したいと思う。
ここで重要となるのが、先ほど述べた、表現は社会の外側には出られない事実である。つまり、エロ表現がどの程度実際の性犯罪者を加害へと駆り立てたのかは分からない、分からないのだけれど、少なくとも今が、性犯罪や性加害が女性にとって身近な脅威である社会、なことに間違いはない。つまり、そのように性加害が蔓延している、その上法律や公権力による抑止力にもあまり期待できないと感じている人が相当数いる社会で、性加害描写を含むエロをエンタメとして手軽に発信し、楽しむのは一体どうなの、ということである。ここで注意したいのは、エロ表現を楽しむのが一概にダメだ、悪だということではないことだ。序盤に性暴力にしぼった書き出しをしてしまい、例えば倫理的に性暴力をエロコンテンツに含むべきではないなどという意見も当然あるだろうからややこしくなったと反省しているが、一応わたしの意見を述べておくと現実の被害者がいない限りは、そして実際の事件を下敷きにするなどしていなければ、性暴力をエロの表現のひとつとして楽しむことも認められるべきだと思う。ただし、そのためには実際の性暴力が人々にとって遠い脅威となり、表現としての性暴力は受容できるけれど現実では絶対にしていけない行為だ、という認識が強く世間に浸透していなければいけないと思う。つまり、表現は社会に影響を与えたり与えられたりする以上、行為Aを美化したり単純な快として描くことで人々を脅かすようなチャレンジングな表現は、その表現が発表された程度では揺るがされない強固な価値観、すなわち行為Aは絶対いけないよね、という価値観が広まった社会でしか受けつけられないのだと思う。
また、そういうチャレンジングな表現で社会の価値観を問うたり挑発したりすることも表現の役割ではあるのだけれど、その場合はそれによって生じる反発、批判を受け止める責任が表現者にはあるし、少なくともそのようなチャレンジングな表現だと理解して発信する必要があると思う。が、現状のエロ表現の現状、例えば痴漢や無理やり、分からせなどという言葉が単なるエロいものとして使われたり、ヒロインへのセクハラが当たり前のように行われたりするような現状は、これらが現実では特定の人々にとって脅威となる危うい表現であることを自覚した上で発信を行なってきたものとはとても思えないし、そしてこれがチャレンジングな表現とみなされるほど、残念ながら社会の価値観は醸成されていない。
ちなみに。こういう話では必ず、殺人も現実では大罪なのだから公にして良い表現として認められなくなるじゃないか、などという意見が出てくる。これもわたしの理屈で言えば、殺人がごく身近になった社会では殺人の表現の扱いには当然慎重になることと思うので、今現在殺人をエンタメとして気安く受容できているというのはそれだけ殺人が身近な存在ではなくかつ殺人が絶対にいけないことだという考えが一般に共有されている社会だからなのではないか、と考える。(もっと言うと殺人表現をエンタメ化していると言っても多くは人を殺すことを話のメインとして肯定的に描いているわけではないだろうから、エロをメインに描き性暴力などについてもその罪をなあなあにしがちなエロ表現とは単純には比較できないのだけれど。例えば、快楽殺人者の目線で人を刺すときの感覚の快感、その殺し方の手法などを詳細に描く作品があったらそれなりに物議を醸しそうなものと思うし)
同じように、戦闘シーンを快として描く表現は暴力が基本的に日常の外にある社会だからこそ許容されるし、ヤのつく職業の社会を描くことも、ヤの根絶が共通認識で目指されてきた社会だから可能なのではないか。
つまり、エロ表現を自由に描くためには、絶対に性暴力、性加害はいけないと人々が共通に認識し、実際の事件に対しても反発をしていかないといけないのだ。よく、表現の自由戦士と呼ばれる人たちは表現と現実とを切り離して考えろ、と言うが、先に言った通り表現は現実社会の外には出られないのであり、そうである以上表現と社会とは全く無関係、無影響だと無理筋な主張をするのではなく、現実では絶対にいけない、だがゾーニングを行った上で表現としては受容することができる、とそのような形で〈表現と現実社会の区別〉をつけるべきではないか。
恐らく、フェミニストでエロ表現に苦言を呈している人たちはまず性加害が絶えない社会を嘆き、その中でエロ表現を無責任に(ゾーニングが不十分、あるいはそこで表現されていることが現実においては加害にあたるという自覚がないなどして)発信することを批判してきた。一方で、エロ表現を好む人からしてみれば、恐らく当人たちはそのような犯罪を実際に犯したわけではないのであり、つまり何も悪いことをしていないにも関わらず理不尽に絡まれ、規制されそうになっている、と感じることだろう。ここに、現実社会の性被害への解像度の差からくる認識のズレが発生し、多くは不毛な論争になってしまっていると感じる。このズレを認識することが、現実にある性加害へNOをつきつけそしてマニアたちがエロ表現を楽しめるような成熟した社会にするための第一歩なのではないか。
補足:Xではエロ表現の話題が男女論に持ち込まれること、また表現規制うんぬんはフェミニズムの文脈が強いことから男女論のようにして書いてしまったが、もちろん男女問わず性加害を行うやつもいるし被害に遭う人もいるし、そしてそれら全てにNOを突きつける社会になってほしいとわたしは思う。ただ男女で比較すると女性の方が残念ながらそういう目にあうリスクが高いのであり、その解像度の差がエロ表現に対する見え方の違いに繋がっているのでは、と思い、今回はこのように男女論のように見える形で文章を書いてしまった。これが新たな男女の対立を呼ぶということは決してわたしの本意ではないと、述べておきたい。
22歳だとまだまだ選び放題だよね。
でも何年か付き合って見極めて結婚したいとか、
結婚後2年ぐらいは子ども作らないで夫婦の時間を楽しみたい、とか考え出すと、
何年も付き合って駄目で別れた場合またイチからスタートだ、とか
意外と時間は少ないことに気付く。
早めに考えて動くのは、賢い方法だと思うよ。
ただ、いろんな男性と付き合って、見る目磨くor分相応を学ぶor期待しすぎない見極めを学んでから、結婚相手を決めたほうが良いかなと思う。
あと、相手と相手の親と親族の知的レベル、学歴、職業、財産レベルに自分のそれらと大きな差が無いと、結婚後も楽だよ。
上昇婚て揶揄されるけど、夫が知的レベル、学歴、財産が上だと手のひらで転がしてもらえるからそれはそれで楽でもある。
良い結果になりますように。
もし増田の本心が「25歳で婚活したくない」なら、それまでに出て行く準備をした方がいい。そうでもないっぽいけど。
婚活する場合でも、一人で生きられる自立心と稼ぎはあった方がいいよ。
家・車・子供など全てに金かかるから、2人とも稼げるに越したことはないんよ。円満なら尚更。
上手く行かなくなっても、金のこと気にせず離婚できるし。
目安は贅沢しないなら地方だと300万、東京だと500万くらいかな。
別に未開の地でもないし、特殊な職業じゃなければ地方都市でも余裕で生きていける。
恋愛感情については、これまで親しくした友人や好きだった人の美点を並べて、
似た感じの人と付き合えば自然に湧くと思うよ。一目惚れだけが恋愛の全てじゃない。
経済的なメリットや外見だけを見て決めるって方法もあると思うけど、
ちなみにオタクとか地味とかは、男性側にとって欠点にはならない。