はてなキーワード: 社会運動家とは
本当に疑問なんだけど、なぜ一部リベラル(?)、左翼(?)は日本の衰退に大喜びできるんだろう?
衰退するような施策(例:原発再稼働反対→電気代高騰&円安による物価高騰)を訴えているから、それがかなって嬉しいんでしょうけど、そのままだと左翼の支持層である弱者がますます辛いことになるような気がするんだけど。
今の日本は、1970年代〜1980年代に、社会運動家が本当の弱者のために政治運動を進めた結果、高齢者や持病がある人、障害者などの弱者であってもそこそこ住みやすい国になってると思うけど、これから企業や国民の足を引っ張って税収下げたりしたら、それすらも維持できなくなると思わないのかな。
彼らがよく言う消費税廃止なんてしたら、健康保険制度の自己負担割合が5割とかになって、高額医療費制度も月30万(現行は概ね月10万)までとかになって、弱者は死ね…とまでは行かないが、破産しろってのが当たり前になりそうな気がするんですが。
こんなニュースがあった。
盗撮から選手守る「衣装」…体操選手は自ら開発、バレーや卓球には赤外線吸収する新素材
https://news.yahoo.co.jp/articles/1845e8f09a37eff80519865d18e4da75f5f2fef5
(以下引用)
スポーツで女子選手が性的な意図を持って撮影される被害が後を絶たない中、トップ選手の間で、盗撮されにくい仕様のユニホームや衣装が広がってきた。
7月に開幕するパリ五輪では、バレーボール女子の日本代表チームが着用する。肌の露出を抑えた衣装を自ら提案、
開発した体操選手は「誰もが安心して演技できる環境を整えることが必要だ」と訴える。
(引用終わり)
以前、Yahooニュースで甲子園のチアリーダーの衣服が盗撮防止のために半ズボン着用を余儀なくされている話を見た。
コメント欄ではひたすら性犯罪者のバッシングばかりで、そもそも盗撮されにくい環境(衣服、座席位置など)を作れないのか?という意見は
見つけることができなかった。
また別の話では、能登の被災地で迷惑YouTuberが男性向け自慰用グッズを配布をしたことがあった。
私は叩かれるだろうと思いつつ、そのニュースのコメント欄に「性被害防止のための環境整備型のアプローチとみれば強ち間違いでもない」と書いた。
で、案の定ヒステリックに否定されるばかりだった。曰く、「被災地で性犯罪をする男が悪い」「まともな男は理性がある」と。
確か子どもを持つ親からのコメントが多い印象だった。そりゃあロリコンだとか関係なく、性犯罪をする人間が悪なのは当たり前の話である。
問題はいかにして犯罪者予備軍が犯罪を起こしうる条件を見つけ、潰すかという話をしたんだが。
冒頭記事のように、盗撮されにくい衣服の開発は地道な活動だが、環境整備型のアプローチとして確実に
性被害の削減に寄与する活動だろう。やっと達成に漕ぎつけそうな日本版DBSの導入もそうだ。
個人的には、AVや雑誌等を含むメディアで、マニアが発散できるコンテンツを提供することも犯罪抑止に含まれると思っているが、
今の日本では一般人(子どもを持つ親、表現規制派)のコンセンサスを得られない。
これはロリコンである私のポジショントークになるが、そもそも現代日本では若い女子(男子)中高生に興奮するのを糾弾する風潮が強すぎる。
彼女(彼)たちの性的魅力を楽しむことを禁忌とし、抑圧すればするほど盗撮を含む未成年への性加害は巧妙化し、地下化する。
性被害者は減らない。更に世間の親はヒステリックになり厳罰化の声が叫ばれる→性加害が巧妙化する・・・といったループとなる。
例えば未成年の身体(例えば新体操の女子中学生)の身体美を記録することに背徳感があり、
それで盗撮マニア側が余計に犯罪行為にエネルギーを注ぐ構図はないだろうか?
私は違法行為をしないロリコンだが、そういう背徳感で興奮している部分が無いかと言われたら嘘になる。
ロリコン趣味が認められて、そうした欲求を満たすコンテンツが公然と流通されるべきだと言いたい訳ではない。
少なくとも、何か事件の度に加害者の性的嗜好をバッシングしたり、厳罰化を訴えるだけでは性被害の予防・発見に寄与しない。
それは本邦で何十年もジャニーズ氏の性加害問題が無視、放置されてきたことから明らかだ。
バストが強調された二次元イラスト広告に文句をつけたり、オリンピック対策で出版物の表現規制を進めたこと、
更にそうした声が大きい団体を取り上げてきたことは、長年の性加害に対して何の抑止にもならなかった。
細かな表現規制を問題視してきたフェミニストや社会運動家が、その事実をどう総括しているのか不思議でならない。
表現規制問題を矮小化する訳では無いが、それよりも日本版DBSを推進する行政の実務者にはもっとスポットライトが当たるべきだし、
性犯罪を予防する製品を開発する企業はもっと支援されるような世論を作るようにしないといけない。
そうした方向に社会運動のリソースを割くほうが、たとえ一時のバズであっても悲しむ青少年を減らせることに繋がるじゃないか。
何十年もロリコンバッシングより先にやることがあったんだよ。本当は。
【余談】
1.大多数の人間(子どもの親、社会運動家を含む)は悪者を叩きたいだけで、被害者を減らす地道な活動に興味がある訳じゃないのかもしれない。
性犯罪予防に限らず、EBPMのような活動は今後も厳しいだろうという悲観があります。
2.私はジャニー氏が死去した2019年に性加害の事実を知り、憤りを覚えてはてな匿名ダイアリーに投稿しました。
当時は「今更ジャニー氏の趣味を知ったの?」と冷笑するコメントがつきました。BBC報道による外圧の後、日本社会の空気は一変しましたが
https://anond.hatelabo.jp/20230403180139
#inked 刺青フリーモデル #Tattooedmodel #Inkedmodel タトゥーは積極的にみせていく主義派。歌人。(ママ マスター。やらなくてもできる子。
むしろ刺青を誇ってるアウトローじゃん。 なんでリベラルだと思ったんだよ。釣りにしてもいい加減にしろよ
https://twitter.com/kawai_kanyu/status/1642718374965968896
カワイ韓愈/카와이 한유/卡哇伊韩愈
@kawai_kanyu
坂本龍一を「パヨク」呼ばわりしてるのが、毎日金に苦しんでウーバー配達員している底辺アカウントだった。ホームをのぞいたらずいぶん経済的苦労が多いようだ。
おまえ自分で自分の首締めてて楽しそうだな。そういうのをみると、ほんと「ざまあwww今日も配達のお駄賃稼ぎがんばれやwww」と思う
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https://twitter.com/kawai_kanyu/status/1642734627403239426
馬鹿が引用してきやがったすぐブロックしたバーカ、誰がこんな奴救うかよそういうのは「こんなクズでも救わなきゃ」と考える心の優しい社会運動家に任せる。私の大事な時間、こんなバカを救うため誰が使うかよもったいない。
https://twitter.com/kawai_kanyu/status/1642732758056448001
おまえらのような底辺日の丸バカ底辺ネトウヨが現実世界でのたうちまわってる姿は大好物だ。どんどん苦しめばいい。おまえがシンパシーを持っている思考思想がお前の実生活をどんどん追い詰めているのだ。もう楽しくてしょうがない。どんぶり飯三杯食べられる(食事制限されてるのに
>また、「男女の能力は体力・妊娠機能を除けばすべて一緒」というのはフェミニズムの考えに則った思想ですが、いざ女子の成績が上がってきたら「女子のほうが優秀だ」は理屈として通りません。
>「男子生徒の学力不足は教育の段階で男子生徒が不利益や差別を受けているから」と考えるのが元来のフェミニズムのはずです。
ひとっことも言ってねえ~~~~~~!!!
「入試の点数ではA<Bなのに、Aが受かってBが落ちるのはおかしい」「それが何件も何年も続いて起きている」「AとBの違いは性別という属性によるものでしかない」じゃん
別に属性の優秀さを競ってる訳じゃなくて、個人個人の優秀さが性別という属性だけで貶められているのを批判してるだけなんだが
「男は実力不足でもあとから伸びるから合格!!!」とかを社会(男性優位)の側がやってるから非難されてるんだよなあ~~~~~~~~~
そして元来のフェミニズムって「女性解放思想・それに基づく社会運動」だからそれ全然関係ないんだよな~~~~~
男性の話したいならマスキュリズム・メンズリブじゃろうがい!!
男性が差別されてると思うなら男性が動け!!!フェミニストは女性解放思想に基づく社会運動家!!!!
(逆に今のフェミニズムの方が「男女関係なく性差別を撤廃しよう」という考えの人が多いんじゃないか?)
SDGsのジェンダー平等の項目見ると、女性がどれだけ教育でも差別されてきたか理解できると思うよ
https://anond.hatelabo.jp/20210201211448
一枚の切り取り画像をみなで寄ってたかって論評していて、誰も引用元の本を読んでいないようなので、前後を引いてみよう。
古市 上野さんは、社会学者であると同時にジェンダー研究者でもありますが、その2つの間で葛藤はないんですか。
古市 社会学者というのは、それが社会科学である以上、中立的に物事を見るっていう視点が必要だと思うんです。一方でジェンダー研究者としての上野さんは、「社会はこうなるべきだ」という社会運動家の意識も入っているんじゃないですか。
古市 でも、経験的な現実にもとづいて何かを研究結果として導き出すわけじゃないですか。そういう行為と、ある方向に社会を誘導する行為は衝突しないんですか。
上野 正しい戦略を立てるには、自分が戦うべき対象を正確に理解しないと間違ったことをやるのよ。おまけに効率も悪くなる。
私はね、『家父長制と資本制』という本を書いた時に、それがつくづくわかりました。家父長制も資本制も、私が嫌いな二つの敵。それを分析したら、どこが弱点なのかがはっきり理解できた。
社会学者(科学・公平・中立)とジェンダー研究者(社会運動家・嫌い・誘導)は、上野の中では相反も矛盾もしておらず、葛藤はないのである。それは社会学の定義に起因するものだろう。
上野 そもそも社会学というものは、自己言及的な学問。つまり、自分の言説そのものが現実の一部を構成していくという言説活動ですから、そこは戦略的に考えますよ。これはどういうことかというと、社会を外部から「客観的」に観察することはできない、なぜなら誰しも社会の一員であり、社会の内側から見える範囲を照らしていくことしかできない。しかも照らすことによって、社会自体が変わってしまうこともある、というものです。
だから、社会学的に何かを調査・分析する、ということは、社会に対し自分が超然として観察者の立場に立つのではなく(そんなことはできない)、自分は社会の一員であり、自分がどうやって社会を見ているのか、ということを自問自答しながら進んでいくものなのです。
この自問自答から全力で逃走しているのが、「社会学」をヒステリックに叩く人々の実態なのではと私は考えています。なぜ逃げるのかといえば、自分はこう思う、と表明すると、時に間違えることもあるかもしれないし、バカにされたりもするかもしれません。そういったリスクから逃げているのです。
「社会学」叩きをする人々は、やたら人の意見表明を「お気持ち」と、まるで無意味であるかのように攻撃します。それは、実は碌な意見もない自身の空虚を糊塗するために、人を攻撃しているのです。それが誤りであることを指摘した学問こそ、フェミニズムでした。「個人的なことは政治的なこと」という。
だからそういった人々は、「客観的」とか「科学的」といった概念に逃げ込みます。個人的なことは問題ではない、客観的・科学的でなければならないのだ! ですが、社会科学や人文学では、先の図のように、「客観的」というのは成り立たないのです。自分が何者であるかを問い直し続けないといけません。
社会学という学問についての前提が違うから、議論が成り立っていないように思える。
※引用元は古市憲寿『古市くん、社科学を学び直しなさい!!』(2016) pp.73-74 p.76
最近の社会学バッシングにおいて「査読がないこと」に並んで使われがちな「社会学者の上野千鶴子が『自分に不利なエビデンスはもちろん隠す。それを悪いと思ったことはありません』と発言した」というエピソードについて。
※その件についてのTogetterまとめ
https://togetter.com/li/1214735
Twitterで検索したところ、2018年4月2日にこのエピソードが話題になったようだ。(元ツイートは現在アカウントが凍結されているらしく、現在閲覧することができないため、元ツイートに最初に言及したと思われる閲覧可能なツイートのリンクを以下に示す)
https://twitter.com/rionaoki/status/980726397747408896?s=19
まとめの中で貼られている画像は何度か引用されているらしく、高村氏のツイート以前にもこのツイートで引用されている。(https://twitter.com/silver_fishes/status/980840049842401280?s=19) ※おそらくだが、元ツイートに貼られていた画像だと思われる
では本題に入る。
この引用箇所をもって、「上野氏が『不利なエビデンスは隠す。それを悪いと思ったことはありません』と発言した」と言えるのか、検証する。
画像で示されている箇所をまとめるとこうだ。
上野氏:パフォーマンスレベルの話としては当然。ただし研究者としては自分達の議論の弱点について正しく理解し、それに目を瞑ることがあってはいけない。そのことについて、小熊さんには「社会運動家としては正しい選択だ」と評価された。
ここで重要なのはパフォーマンスレベルにおいて、つまり社会運動の中で示すデータと、研究者として理解しておくべきデータは異なるということである。
社会運動は他者に対する啓蒙、啓発を目的に行われるものである。あるイシューについて無関心な他者に理論を説き、自分の陣営へと引き込むこと、そして同じ考えを持つ人々で連帯して社会を変革(もしくは維持)させていくことが社会運動の目的であり、それ以外ではありえない。
この「社会運動」の他者への啓蒙において、戦略として(不利な)データ、つまり議論の“弱点”を示さないこともある、と上野氏は述べているのである。
例として、反表現規制運動という社会運動について考えてみる。「あらゆる表現への規制は不当であり、反対すべきものである。」といった立場を啓蒙しようとする場合はどうか。(文脈上、その主張を仮定せざるをえないため論点先取になってしまうが、J・S・ミルの「自由論」における議論を元にしていることを了解いただきたい。)
この立場には「誹謗中傷やヘイトスピーチは表現の自由によって擁護されるべきものなのか」という疑問が生じうる“弱点”がある。そしてこの弱点について反表現規制陣営はこう説明するだろう。「我々は誹謗中傷やヘイトスピーチを推奨しているわけではない。それらは法によってではなく、人々のモラルによって抑制されるべきものである。」しかしそれでも疑問が生じうる。「表現に法による制限を全くかけない場合、誹謗中傷やヘイトスピーチが(法によっては)放置されているというデメリットは果たして“人々のモラル”だけで解決するものなのか、表現の自由が“完全に”行使されているというメリットと釣り合うものなのだろうか」
ここに「あらゆる表現に対する規制は不当である」とする立場の決定的な弱点がある。「もし自分や家族が些細なきっかけで不当な誹謗中傷に晒されたとしても、法によって罰することが出来なかったとしたら…」「人々のモラルによって解決されるべきものとは言うものの、誹謗中傷によって村八分になってしまえば誰にも助けてもらえずじまいなのではないか…」啓蒙された人がこのような不安を抱く可能性は大いにあり、そうなればその啓蒙は失敗に終わってしまう。
このような“弱点”を伝えるよりも、表現規制の恐ろしさや自由な発言が出来なくなることへの危機感を説くほうが「(啓蒙によって連帯を形成するという)社会運動の目的を達成するための戦略」としては当然だ、と上野氏は語ったのであり、小熊氏もそれを「社会運動家としては正しい選択だ」と評価したわけだ。
ただし研究者としては別だ、とも上野氏は語っている。先述のような議論の“弱点”は研究者として知っておくべきで、それに自覚的であらねばならないというのは、研究者の矜恃としてごく真っ当なものであるように思える。ここに批判を加えるのは難しいように感じるが、どうだろうか。
さて、上野氏は「『不利なエビデンスは隠す』と発言した」と言えるのだろうか。
たしかに、研究者として自身の議論の弱点を知っておきながら、社会運動においてはその弱点を示さない、というのは不誠実な行為に思われるかもしれない。しかし、社会運動の中で議論の弱点をそのまま晒すということはすなわち社会運動の失敗を意味するのであり、そうならないためにも積極的にメリットを伝えるほうが効果的だ、ということは先述した通りである。
そもそも、研究のレベルにおいては“不利なエビデンス”も網羅し把握すべきである、ということは上野氏自身が語っていることであり、ここに誤解があるように思われる。もし研究において“不利なエビデンス”を意図的に無視することがあったなら、上野氏はそれを許さないだろう。しかしパフォーマンスレベルにおいては当然のことだと語ったのであり、この前後を混同した誤読によってこのエピソードが「社会学はエビデンスをないがしろにしている」という社会学批判に利用されているのだと推測する。
以上から、この記事の結論としては「上野氏は不利なエビデンスも研究者としては把握すべきだが、社会運動においてはそれを示さなくても許容されるうるものと語った」とする。
この文章はTwitter上の久我雅大氏 @4wk2wk0 のツイート
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329951527230816258
夫婦別姓に反対の方、
反対のその理由を教えて下さい。
https://twitter.com/StudioBiSHOP/status/1329967345914114048
に対する再反応
https://twitter.com/4wk2wk0/status/1329980375389544448
(ブログ、noteその他長文を書ける場所を他に持っていないので、ここをお借りします。)
御用とお急ぎでない方はお付き合いを。
まず前提として、
「組織だって統制と互助の行き届いた集団と、バラバラの個人主義者の集まりが集団戦をやったら、前者がほぼ間違いなく勝つ」
という考えがあります。
野球のように正面から戦う場合だけでなく、企業の生存競争とか、一族郎党とかの生き残りでも同じです。
オオカミと同じように、人間も集団で狩りをして生存競争をする生物なんです。
これは婚姻関係を肉親関係ととらえて、血族の規模を拡張して生存能力を高めようとする考え方です。
今でも伝統的な結婚式では「〇〇家 □□家 結婚式」と表題がかかげられます。
べつに天皇家や(安倍元首相の)岸一族や鳩山一族に限りません。
ちょっとした旧家では今でも結婚を機に両家の交流をつなぎ、コネや情報を融通しあって血族の存続をはかる営みが普通に行われています。
縁戚の子供を預かって面倒を見たり、分家の秀才の進学費用を融通したりと、大家族にはそれなりの長所があるんです。
自分の実家でも、妻方の姪が進学した時に下宿代わりに長く居候をしていた時期がありました。
年の近い叔父が自分の就職相談に乗ってくれたこともありました。
もちろん、大家族のもとで不遇をかこった人の存在は否定しません。
ですが、その人たちのルサンチマン(うらみ)の声と、家族制解体の声ばかりが最近は強すぎます。
「人間関係のしがらみや支配はうっとうしい、だから婚姻は両性の合意だけで成立としよう」
というのは魅力的です。
最新の人権思想とポリティカル・コレクトネスにも相性がいいので普及しやすいのは分かります。
ですがね。
そうやってトレンドに乗りやすい人たちがバリバリと旧来の家制度を解体していく、そのいっぽうで、名家、旧家(いわゆる上級国民)はコッソリと血縁集団の枠組みを維持して、自分たちの資産(カネ、コネ、権力、総合して生存能力)を温存・成長させて行くように自分には見えます。
本来なら、カネとコネと社会を渡る知恵、総じて資本と呼びますが、そういう資本に恵まれない人たちこそ、血縁と閨閥で団結しなければならないはずなんです。
自分には、夫婦別姓というのは、そこに象徴的なクサビを入れる行為に見えます。
とおっしゃるかもしれませんが、それでは嫁入り先、あるいは婿入り先の親族との互助関係についてはどうですか?
一段、薄くなったような感じがしませんか?
ですが、目先の自由さにとらわれてバラバラの弱い個人として生存を余儀なくされたら、資本に恵まれない人はますます悪条件で生きていくことになってしまいます。
目先の自由につられたワナ、については、自分のような古い人間には苦い経験があります。
(目撃経験ですが)
「組織に縛られる生き方なんてダサいぜ!」という主張が雑誌や映画に載りまくって、少なからずの(流行に乗せられやすい)人たちが正社員登用の努力をしないで、時間配分もワークスタイルも自由なアルバイトの掛け持ちを選択しました。
いっぽう、そこそこ良いレベルの四年制大学にいた自分の周囲は、そんなブームには目もくれず就職活動に没頭して大手から中堅レベルの企業に「所属」していきました。
結果はあきらか。いまでは非正規雇用の中高年たちが大問題になっています。
社会運動家たちや最近のネット世代は「新しい時代は自由人の連帯が大事」といって、血縁によらない互助組織やサロンを模索する人もいますが、自分は疑っています。
理由としては、
ここはやはり、大家族制のように最初は子供として所属して、長じて貢献を果たし、やがては家父長制の長または重鎮として判断をふるう。という育成システムのある「家制度」の方が、長い歴史の陶冶を受けている分だけ、一日の長があると自分は考えます。
というわけで、
「夫婦別姓の容認」というのは、ささいな制度の変更に見えて、その方向性の先には
VS
の二極分化が待っているように見えるのです。
……こんな感じです。
いかがでしょう?
https://anond.hatelabo.jp/20200907220331
上記の日記を書いた増田です。仕事から帰ってきたら何件も反応があったんで返信を兼ねて少し追記したい。
私が新・国民民主党を支持する理由がちょっと弱かったんでその辺の補足をふくめて。
新•国民民主党は、主要政党の中で一番中間層に目を向けているから支持。
他の政党は、各種圧力団体等の既得権益層や、社会運動家や高齢者といったコアな支持層の方を向きすぎている。
穏健保守。日本の伝統や文化は大事にしてほしいけど、靖国参拝とかの復古的な風潮はいらない。
そんなことよりも社会の変化に対応して必要な変化を適切に取り入れていってほしい。
今の時代なら、お役所や教育といった公的セクターもIT化をどんどん進めて当然だと思うけど、今の政府は遅れているどころか世界的に見ても低レベル。そこに不満を感じる。
現役サラリーマン層の社会保障の負担軽減は必須。なんで毎月給料の1/3近くが社会保障関連費で天引きされるんだよ。
自衛のための戦力や日米同盟は必要だけど、右派が言うような核武装や敵基地攻撃能力はやりすぎ。中国・韓国に日本非難の口実与えるだけ。
原発即時全廃は拙速。天候依存の太陽光や風力、中東の原油依存の火力に頼り切って本当にいいの?
長期的にみて、安定供給できる電力の代替手段が見つかれば廃止進めても問題ないと思うけども。
そんな立ち位置なんで、今の自民党政権自体はそれなりに評価。ただ点数をつけるなら決して高評価にはならない。
自分の中ではよくて40点くらいの点数だろうか。だけど野党を評価すると20点とかそれくらいになっちゃうんで、仕方なく自民に投票している。現状そんな感じ。
少し古い話だが鳩山政権の時に、沖縄の基地移転問題で何の準備もなくちゃぶ台返しした挙句、
昔の自民と同じように辺野古移転という結論に至ったお粗末さとか、理念先行で空回りする傾向が信用できない。
あとは、日本の左派系知識人が反知性主義に近いのが嫌い。立憲がこの前擁立していたおしどりマコとか、なんで科学的根拠に基づかない主張する候補をもちあげるんだよ。
他には無駄に対決姿勢が強いところとか。旧民主党政権のときの長妻議員とか、厚労省の官僚と対立してろくに改革できなかったり、
最近だと石垣議員のように、政敵になら何を言ってもいいというような独善性とか。そういうところが普通に嫌いです。
ネオリベとは割と思想的に近いとは思ってる。ただ、競争的な環境は必要だと思ってるけど、なんでも競争させればいいってもんじゃないという考え。
大学に競争的資金制度を持ち込んだ結果が日本の大学の国際競争力の低下や教職員の待遇悪化につながってるのが悪い例だよね?
あと、現政権はネオリベ寄りといわれながらぶっちゃけ見掛け倒しだと思ってる。
電通やパソナ、リクルートといった特定業者に利益誘導するのは自由競争の精神に反するし、政府が企業の統合に介入する産業政策はぶっちゃけセンスがない。
ルネサスとかジャパンディスプレイとか明らかに失敗だよね?最近も日産とホンダの統合構想とか、マジで思考が終わってる。
国会質疑で対決型の野党と違う視点を持ち込めるのは、多様性の観点で大事。
選挙で1回議席増やして、衆議院で20議席、参議院で10議席とれば議員立法提出できたはず。
そこまで行けば個別法案で自民と連立与党の公明党の判断が分かれるときにキャスティングボートを握れる。
ていうかそもそも1回の選挙で政権取ろうって考えが私には理解できない。
かつての民主党や、もっと前の細川連立政権が勢いで政権取って失敗してるじゃん。
彼らの教訓は、外交・安全保障や経済・社会保障といった基本的な国家観が一致していないと政権は持たないという事。
政党が掲げる大義が、「自民党政権を打破して腐敗をただす」だけなら同じ過ちを三度繰り返してしまう。
新しく実現したい具体的なビジョンを掲げるのは絶対に必要なんだよ。
今の政府に不満があって政権交代の必要性を感じるなら、時間はかかっても地方選挙・国政選挙を繰り返し、
理念の一致する仲間の数を増やして地道に党勢拡大するしかないと思う。
左派を支持しない理由と同じで、反知性主義的なにおいを感じるから。
世界中の研究機関が血眼になってコロナウィルスの研究進めてもなかなか成果が出ないのに、イソジンでコロナが解決したら苦労はせんのだよ。
コロナ対策の候補が見つかれば、ちゃんと手順を踏んで治験を進めてエビデンスが得られてから認可っていうような正攻法で進めてほしい。
山本党首が目立ちたがりで、考えるよりも行動した方が早いってタイプに見えて、維新同様、反知性主義的なにおいを感じるから。
国会での葬式パフォーマンスとか、そういう左派特有の政敵に何してもいいって考えが嫌い。
山尾議員はヤバいスキャンダルを重ねすぎ。ガソリン代疑惑とW不倫の2つが重なるとさすがに人格を疑う。地元の支持者が離れた対策かわからないけど、れいわの山本党首に近づいたり、復古主義的な保守系に近づいたりと節操がない。
前原議員も外国人献金問題とかあってあまり擁護はできないけれど、民主党政権時に国交相としてJAL再建で成果上げてるのがポイント。
他の民主党議員、例えば長妻議員が厚労省改革で成果を上げられなかったのとは対照的。
他にも京セラの稲森氏を後ろ盾にしていたりとか、民主系議員には珍しく財界とコネを作ってたりと実務能力の高さを感じる点が割と評価できる。
もっとも永田偽メールに踊らされたり、小池知事に担ぎ上げられたりといった政局面での弱さが目立つので、実務に徹してもらいたいと思っている。
個人の政治的嗜好で支持政党を判断すると、風見鶏議員が離党した後の新・国民民主党は自分の方向性と見事に一致してるんで、今の自民と違って『積極的に』支持ができるんですわ。
後1週間もすれば、新・国民民主党の体制が発表されると思うんで、私のような穏健保守派の現役サラリーマンの皆さんも注目してみてはどうでしょう?
・自分の観測範囲ではそもそも「フェミニストを自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない
・むしろフェミニストは一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方
・またフェミニストを自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?
・フェミニストの中で明示的に「一人一派」理論を採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である
フェミは多様なものよ。一人一派、それ以上あるかもしれない。それらがぶつかり合うことはあっても、正統と異端という考えは全くない。(p186上野)(上野千鶴子×田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください! 』、2020年刊)
フェミニズムは一人一派、まさにそのとおり。/小倉:フェミニズムは一人一派だから、考え方が対立して当然なのだ。/フェミニズムとは一人一派と書かれているので(上野 千鶴子,小倉 千加子 ザ・フェミニズム (ちくま文庫)、2002年刊 感想)
フェミニズムは一人一派だ、というのは(多分)田中美津の言葉だけれども、別にフェミニズムでなくたって人間は基本的に一人一派である。(私は愛されたい、私はピンクが大好き、それゆえ私はフェミニストになれない(のか?) )
上野 千鶴子氏など著名なフェミニストが「フェミニズムは一人一派」と言い続けているのに、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」と嘘をついてアンチフェミを批判するあなたは、無知なのか歴史修正主義者なのか、どっちなんでしょうか?
そしてこういった汚れた輩から、高潔なフェミニズムを守るために、一人一派は役立ちます。
(追記)
あなたは理解力が著しく欠けているので、質問は義務教育を終えてから。まずは学校の勉強に専念しましょう。
第二に、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」のはすべて事実です。
これらは全部あなたの観測範囲にもとづく主観です。これが証拠になるのは、小学校までです。客観的な事実なしに主張するなら、フェミニストを名乗ることで他に多大な迷惑を及ぼしていることを自覚なさい。
第一に、上野氏ほかの主張は彼女ら自身の説・主張であって、フェミニスト全体の総意ではありません。
総意なんて存在しないものを議論する価値がありません。上野氏は活動家でもあるという事実(後述)から目を背けて、自分の正当性に固執するあなたの姿は醜い。
自分の耐え難い苦しみがこれまでのフェミニズムに相いれないときに、自分の苦しみを優先して個人が社会活動として訴えることを認めるのが、本来の「一人一派」で、あくまで最後の手段です。それを、自分の気に入らないことすべてに安易に使うから、フェミニズム全体の信用が失われ、アンチフェミニストが指摘するときの便利な道具になってしまったのです。
あなたには無理ですが、あなた以外が「一人一派」の一般性を理解できるよう、フェミニストによる「一人一派」をいくつか引用しておきます。
第二に、小倉さんが言うように、フェミニズムは「一人一派」。だって「わたしがわたしであること」がフェミニズムなんだもの、人の数だけあってあたりまえ。ある人はこういうが、別の人はああいう。批判されても、ああそういう人もいるわね、でもわたしは違うって思っていればいい。(略)
何はともあれ、矢はとっくに放たれている。小倉さんとわたしの「一人一派」に、読者のあなたにもうひとりの「一派」を付け加えてもらえれば、この本の目的は達せられたことになる。
トランスジェンダーとフェミニズム ツイッターの惨状に対して研究者ができること 堀あきこ (2019.2.4)
一方、フェミニズムは、フェミニズム内で意見の対立を抱え続けるものでもあります。(略)
この対立は、しばしば「フェミニズムは一人一派」という言葉で例えられます。なぜ、統一しようとしないのでしょうか。
Where We Are Right Now :多義的に進化するフェミニズムの現在地 清水晶子 (Harper's Bazaar 2017年6月号掲載)
でも、そもそもフェミニズムって何だっけと考えると、これが意外にわかりにくい。「フェミニズムをひと言で定義してください」と言われたら、専門の研究者やアクティヴィストでも一瞬たじろぐだろう。
女性も男性と同等の権利と尊厳を持つと考える人はすべてフェミニストだ、という言い方がある。出発点として、これは間違いではない。
同時に、「フェミは一人一派」という言い方もあって、これもある意味では正しい。実際、フェミニストの間で「それってフェミニズムとしておかしくない?」「いやそれはありでしょ」という議論が交わされることは、珍しくない。
大学に行かずにフェミニズムを学ぶ方法 小松原織香 2019.11.2
フェミニズムは一人一派と呼ばれ、それぞれが「私のフェミニズム」を語ることで成り立っている。それがどんなに間違っていると他人に言われても、「私のフェミニズム」は誰にも否定されるものではない。それが大前提だということはおさえておきたい。
プラスαの読書大特集(第2弾)新書だけで学び直す一般教養15講+α 著者不明
論座 (通号 86) 2002.7 pp.188 - 236
204 ページ
フェミニズムは一人一派というひともいるくらい多岐にわたっているし、その内容もきわめて多様である。だから、どんな考え方がフェミニズムなのかという根本はともかく、一口にフェミニズムといっても実にいろいろな考え方があるという
ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか? 髙崎順子 ハフィントンポスト 2020.2.7
上野 千鶴子 NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。古市憲寿との対談にて、「ジェンダー研究はフェミニズムのツールです」と自身の研究は運動に利用するためと答えて、小熊英二に「活動家としては正しい」と言われている。堀茂樹は上野が自身の運動に不都合なことは隠すと答えていることで、上野を「救いがたいレベル」と評し、小熊と古市も批判し、研究者且つ社会運動家である事は許されるが、「研究者として社会運動家のように行動するのは詐欺」と批判している。