最近の社会学バッシングにおいて「査読がないこと」に並んで使われがちな「社会学者の上野千鶴子が『自分に不利なエビデンスはもちろん隠す。それを悪いと思ったことはありません』と発言した」というエピソードについて。
※その件についてのTogetterまとめ
https://togetter.com/li/1214735
Twitterで検索したところ、2018年4月2日にこのエピソードが話題になったようだ。(元ツイートは現在アカウントが凍結されているらしく、現在閲覧することができないため、元ツイートに最初に言及したと思われる閲覧可能なツイートのリンクを以下に示す)
https://twitter.com/rionaoki/status/980726397747408896?s=19
まとめの中で貼られている画像は何度か引用されているらしく、高村氏のツイート以前にもこのツイートで引用されている。(https://twitter.com/silver_fishes/status/980840049842401280?s=19) ※おそらくだが、元ツイートに貼られていた画像だと思われる
では本題に入る。
この引用箇所をもって、「上野氏が『不利なエビデンスは隠す。それを悪いと思ったことはありません』と発言した」と言えるのか、検証する。
画像で示されている箇所をまとめるとこうだ。
上野氏:パフォーマンスレベルの話としては当然。ただし研究者としては自分達の議論の弱点について正しく理解し、それに目を瞑ることがあってはいけない。そのことについて、小熊さんには「社会運動家としては正しい選択だ」と評価された。
ここで重要なのはパフォーマンスレベルにおいて、つまり社会運動の中で示すデータと、研究者として理解しておくべきデータは異なるということである。
社会運動は他者に対する啓蒙、啓発を目的に行われるものである。あるイシューについて無関心な他者に理論を説き、自分の陣営へと引き込むこと、そして同じ考えを持つ人々で連帯して社会を変革(もしくは維持)させていくことが社会運動の目的であり、それ以外ではありえない。
この「社会運動」の他者への啓蒙において、戦略として(不利な)データ、つまり議論の“弱点”を示さないこともある、と上野氏は述べているのである。
例として、反表現規制運動という社会運動について考えてみる。「あらゆる表現への規制は不当であり、反対すべきものである。」といった立場を啓蒙しようとする場合はどうか。(文脈上、その主張を仮定せざるをえないため論点先取になってしまうが、J・S・ミルの「自由論」における議論を元にしていることを了解いただきたい。)
この立場には「誹謗中傷やヘイトスピーチは表現の自由によって擁護されるべきものなのか」という疑問が生じうる“弱点”がある。そしてこの弱点について反表現規制陣営はこう説明するだろう。「我々は誹謗中傷やヘイトスピーチを推奨しているわけではない。それらは法によってではなく、人々のモラルによって抑制されるべきものである。」しかしそれでも疑問が生じうる。「表現に法による制限を全くかけない場合、誹謗中傷やヘイトスピーチが(法によっては)放置されているというデメリットは果たして“人々のモラル”だけで解決するものなのか、表現の自由が“完全に”行使されているというメリットと釣り合うものなのだろうか」
ここに「あらゆる表現に対する規制は不当である」とする立場の決定的な弱点がある。「もし自分や家族が些細なきっかけで不当な誹謗中傷に晒されたとしても、法によって罰することが出来なかったとしたら…」「人々のモラルによって解決されるべきものとは言うものの、誹謗中傷によって村八分になってしまえば誰にも助けてもらえずじまいなのではないか…」啓蒙された人がこのような不安を抱く可能性は大いにあり、そうなればその啓蒙は失敗に終わってしまう。
このような“弱点”を伝えるよりも、表現規制の恐ろしさや自由な発言が出来なくなることへの危機感を説くほうが「(啓蒙によって連帯を形成するという)社会運動の目的を達成するための戦略」としては当然だ、と上野氏は語ったのであり、小熊氏もそれを「社会運動家としては正しい選択だ」と評価したわけだ。
ただし研究者としては別だ、とも上野氏は語っている。先述のような議論の“弱点”は研究者として知っておくべきで、それに自覚的であらねばならないというのは、研究者の矜恃としてごく真っ当なものであるように思える。ここに批判を加えるのは難しいように感じるが、どうだろうか。
さて、上野氏は「『不利なエビデンスは隠す』と発言した」と言えるのだろうか。
たしかに、研究者として自身の議論の弱点を知っておきながら、社会運動においてはその弱点を示さない、というのは不誠実な行為に思われるかもしれない。しかし、社会運動の中で議論の弱点をそのまま晒すということはすなわち社会運動の失敗を意味するのであり、そうならないためにも積極的にメリットを伝えるほうが効果的だ、ということは先述した通りである。
そもそも、研究のレベルにおいては“不利なエビデンス”も網羅し把握すべきである、ということは上野氏自身が語っていることであり、ここに誤解があるように思われる。もし研究において“不利なエビデンス”を意図的に無視することがあったなら、上野氏はそれを許さないだろう。しかしパフォーマンスレベルにおいては当然のことだと語ったのであり、この前後を混同した誤読によってこのエピソードが「社会学はエビデンスをないがしろにしている」という社会学批判に利用されているのだと推測する。
以上から、この記事の結論としては「上野氏は不利なエビデンスも研究者としては把握すべきだが、社会運動においてはそれを示さなくても許容されるうるものと語った」とする。
今の社会学叩きは社会運動だから不利なデータを隠すんだよ、もちろん。
つまり対等なんだな
🙅「...ポチっ!アンタまたそんなキチャナイの拾ってきて!ナイナイしてきなさいっ!」 ココデスンナヤー
いや、上野は研究者なのにパフォーマンスレベルで不利なデータ出さなかったら 研究者がエビデンス隠してるだけじゃん 「今は活動家だからセーフ」という言い訳が通ったら 任意の研...
不利なデータを示して社会運動が成功するといいですね
反論になってないんだが 社会運動家としての評価と研究者としての評価は別なんだから 前者のロジックで後者としての振る舞いを正当化することはできないでしょ
上野氏は前者と後者の振る舞いを厳格に区別してて、批判側はそれらを混同してるからナンセンスな批判になっているという趣旨の記事に研究者と社会活動家としての振る舞いを混同し...
個人の中で同時に区別できないことを 区別してるって言い張ってるだけだから 意味不明ですよねって言ってるんだが
戦術として、つまり啓蒙の手段として本人の中で区別されているというのは書いてあるとおりで、フェミニズムに限らずあらゆる社会運動は目的のために同様の戦術を利用しているわけ...
本人の中で区別するんじゃなくて 研究者と活動家が別れればいいだけだろ あるいは研究者をやめてから活動家になるでもいい 研究者倫理を批判されたら今は活動家ですが許されたら あ...
言論の発表媒体で区別すればいいじゃん。
研究者倫理と活動家としての振る舞いを厳格に区別してるのに 社会運動の目的のために弱点を示さないこと=研究者倫理に悖る になるわけないだろ そもそも上野氏が研究したマルクス主...
「私は厳格に区別してます」と宣言することは厳格に区別できてるとは言いません
言葉以外でどつやってそれを示すんだよ 研究者は活動家になってはならないなんて法律でも作るのか?
研究者以外の目に触れるようなところで発言してるときは全部活動家として発言してると思ってればいいよ。
誤認スレスレの行為をしないと成功しない社会運動なんかやめてしまえ 二枚舌とばれた時点で、大勢の賛同者が運動に共感できなくなって離れていくリスクを考えろ
でも、本質的に人間にとっては同じだよね
違うと言ってるのが上野じゃん
弁護士兼裁判官みたいなものだね 裁判官としては重要なはずの証拠も弁護士の立場で不利だと思ったら隠さなきゃいけないんだろうな
最近、刑事映画ってやらんのか? 逮捕されたときに黙秘権の説明は受けるだろ あなたは自分に不利な証言を拒否する権利があります。 そうさするのは警察の仕事であり 被告人はそれに...
自分に不利な証拠は隠して良いんだよ なんのために他の学者とかがいるとおもってんだ。 他のやつが、この嘘つきめって証拠を出す それが社会常識
このロジックを採用すれば 原子力学者が原発推進のために事故の可能性隠すのも 経済学者が緊縮財政維持のためにデメリット隠すのも 歴史学者が政治運動のために事実を隠すのも 全部...
理屈ではそうなんだけど、社会学者やそのお仲間に理屈は通用しないからね。 彼ら、森友とか隠してるの出せって、政権にずっと言ってるし(政権は社会学者のようにしてるだけなのに...
ほらほらこんなの見つけてきたよ!燃やそう燃やそう!をすごく感じるのに無駄に着飾った文章なのがヤダ
民衆はバカだから細かいことまで考える必要無し 我々インテリに従えばよいと言ってるようにしか見えないな
社会運動のためとか言ってるけど自分の目的のために事実を語らないなら詐欺師以外の何なのかね? そちらの方が興味があるよ
この増田も 「だから戦略的には動きますよ。私は経験科学の研究者だから嘘はつかないけど本当のことも言わないことがある」を隠してる。この部分を直接取り上げたらその後の正当化...
全然ダメ。一般人が研究者の言葉に耳を傾けるのは研究にもとづく理論的背景があるのだろうと信頼しているからなので。 その説得力の根拠が、博士号であり、大学などの研究機関に所...
というか、彼らの言うことを信じてない自分たちはいいんだけど、 彼らの言うことを信じてしまった人たちが怒らないのはなんでかっていう。 もし自分が信じてた学者が「嘘ついてたよ...
自分に都合がよければ、という悪意の自覚があればまだマシで、 公正で健全な社会をつくるためには少々の嘘、詭弁、不誠実さはゆるされる、と正義感で本心から信じているからタチが...
あながち間違っているとは言えないけども、えらい大学のえらい先生が賛同・推進している社会運動だからという箔付けとしてその人が扱われているのなら許容されがたい擁護だろう。 ...
https://anond.hatelabo.jp/20210201211448 一枚の切り取り画像をみなで寄ってたかって論評していて、誰も引用元の本を読んでいないようなので、前後を引いてみよう。 古市 上野さんは、社会...