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2025-08-04

バカ「すべき規制投機目的不動産取得の抑止であって主体国籍関係ない。 」

国民民主参政外国人不動産取得規制に前向き 法案への態度は「リトマス紙」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20250803-XPES357HHVIUDM4ABJXJGZT5QU/

coper

すべき規制投機目的不動産取得の抑止であって主体国籍関係ない。

的外れ外国人外資憎悪 産経新聞 国民民主参政不動産

2025/08/04

  

1.現実を見よう

外国人による不動産取得の制限について

2025年時点の主な国・地域制度を整理しました。

  

ニュージーランド

永住者のみ「通常居住者」として既存住宅を購入可能

社会住宅投資物件への外国人購入は禁止オーストラリアシンガポール人には例外措置あり。

購入には海外投資庁の承認必須

  

カナダ

最新の2024〜2025年にかけて居住者に対する不動産取得制限が強化。

住民以外への課税や購入禁止法案が州・連邦複数検討中

 

スイス

外国居住者スイス居住かつ居住許可がない者)は不動産購入に行政許可必要

許可なしでは登記不可で無効となる。

 

サウジアラビア

外国人が購入可能物件指定地域内に限定

   

トルコ

州や都市ごとの占有割合制限10%以内)あり。

軍事国境地帯など一部地域外国人購入禁止

  

ベトナム

中国と同様に土地国有で、

外国人住宅短期リース(最大50年)で取得のみ可能

  

タイ

外国人土地所有不可。

コンドミニアムなら建物限定して所有可、土地は最長90年のリースまたは法人設立による間接所有

   

オーストリア

EUEFTA市民権保有者、または居住許可EU法人を通じて購入可。

  

ハンガリー

EU市民許可制。

  

ポーランド

アパート許可不要だが、土地付き住宅国境地帯購入には許可必要

  

シンガポール

コンドミニアム購入には許可不要

独立住宅(戸建て)・土地付き住宅購入には政府特別許可必要

加えて、追加購入印紙税(ABSD)も課され、国籍居住歴により税率が異なる 。

  

 

2.アメリカでは?

アメリカでは州ごとに外国人による農地インフラ所在地などの購入制限が強まっており、

2024年以降、複数州で中国ロシアなど特定国民を対象にした禁止法が成立 。

 

連邦レベルでは、「Real Estate Reciprocity Act」が提案され、

外国政府と対等な扱い(=その国で米国人購入不可なら、米国も同様に制限として、

50 %課税を通じた制約を提案中 。

  

   

3.日本で爆発的に不動産購入しまくって問題になっている中国では?

土地所有禁止

外国人居住実績 ・自己居住目的 ・1物件限定物件購入が許される。  

賃貸事業目的での所有は不可能

    

相互主義で言えば中国人の不動産取得は大幅に制限するのが合理的であり

強力な制限をしても中国文句を言えない。

    

   

4.バカ向けのまとめ 

投資過熱防止だけではなく

国家安全保障領土保全

農地資源保護

文化社会宗教的要因

配慮されて世界中の国で外国人外資による不動産購入が制限されているよ!

 

これが外国人憎悪なら世界中外国人憎悪ってことだね!

それともはてブに多い中高年バカ左翼的には

世界では普通のことでも日本人がやるのはヘイトジャップは劣等民族から!」ってことかな?

      

      

5.まともな人向けのまとめ

外国人による不動産規制を掛けるのは世界的に当然のことで

日本のノーガード振りの方こそが異様であり、早急な規制制限が求められます

   

的外れなのはcoper君と彼に☆をつけたはてブ高齢うすらリベラル左翼の皆さんの方であって

彼らの構成成分は以下の二つです

  

A

時事に疎く社会の関心や世論に暗く、

前世紀の暗記型ポリコレによって”いい人”の構えを作る以外には

社会議論に参加するプロトコルを持たない低能善人

  

B   

日本社会積極的敵意を持っていて

これを破壊するために悪意を持って問題すっとぼけている昭和左翼

  

  

確実にBもいますが大半はAです。

彼等はどんな短い新聞記事でも読み通せず物事の背景などから見合わせることも出来ず

「善人っぽいこと」 「よいこっぽいこと」をコメントに書くことだけに全精力を割いたゾンビです。

 

社会について考えを持っているふり・意見のあるふりをやめて

今日ご飯のこととか家族や友人や仕事のことだけ考えて善良に暮らせばいいのにねっていつも思います

頭が悪いんだからキャパを越えたことに関するものを読む必要ないでしょう。読めないんだから

2025-04-05

アメリカ人トランプ関税を悪く言う人間はいない

Bugman Hegel

@FedPoasting

In 2011, my papa was laid off from a Whirlpool manufacturing plant, the kind that had for so long made America great. In the wake of the financial crisis, the C-suite had decided to offshore operations to Mexico.

The plant they shuttered was a 1.2 million sq ft manufacturing plant, and overnight, 1,000 people lost their jobs. Many of whom had been working there for decades.

My papa was 57 years old when he got laid off. He had worked at that very same plant for over 30 years, and snap just like that, it was all gone.

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2011年、私の父は、長年アメリカを偉大にしてきたワールプール社の製造工場から解雇されました。金融危機を受けて、経営陣はメキシコへの事業移転を決定しました。

閉鎖された工場120万平方フィート製造工場で、一夜にして1,000人が職を失った。その多くは数十年にわたってそこで働いていた人たちだった。

父は57歳のとき解雇されました。父は30年以上同じ工場で働いていたのですが、突然すべてが消えてしまったのです。

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When I was a little girl, from as far back as I could remember, my papa woke up at 3:30 am and drove the 40 minutes to the plant from the rural 1,200-person town every single day. And for 30 years, he worked what were often 10-12 hour shifts with no complaints.

I grew up a Navy brat, so I didn’t get to see my grandparents except for a few months during the summer, but I remember my papa exerting the last drop of his energy so he could spend time with us going to the creek, building us a tree house, riding horses, and playing cowboys and Indians.

Every evening, starting from when I was in grade school, my papa and I would sit in the living room and watch the History Channel, Animal Planet, and Bill O’Reilly and hee-haw together about what the Democrats were doing, as much as an eight-year-old can.

My papa and my nana had been together since they graduated high school; they got married at barely 18 and had my mom less than a year later and my aunt soon after that.

They had a small homestead, owned most of what they had outright, and they were poor, but poor doesn’t have to mean that much when you can work the land.

My nana worked as the local school’s secretary, and my papa had good benefits with his manufacturing job. They only ever went out to eat on special occasions. McDonald’s was a birthday-only type of affair. They had a one-acre garden, a few head of cattle, would can fruits and vegetables at the end of every summer, and freeze chopped okra, blueberries, meat from wild hogs and venison in an old chest freezer in the workshop.

私がまだ子供だった頃、物心いたこから、父は毎日午前 3 時半に起きて、人口 1,200 人の田舎から工場まで 40 分かけて車で通っていました。そして 30 年間、父は不満を言うことなく、10 時間から 12 時間シフト勤務をこなしました。

私は海軍の子供として育ったので、夏の数か月を除いて祖父母に会う機会はありませんでしたが、父が最後の力を振り絞って私たちと一緒に小川に行ったり、ツリーハウスを作ったり、馬に乗ったり、カウボーイやインディアンごっこをしたりして時間を過ごしていたことを覚えています

小学生の頃から、毎晩、私とパパはリビングルームに座って、ヒストリーチャンネルアニマルプラネットビル・オライリーを見て、8歳の子どもができる限り民主党が何をしているのか一緒に大笑いしていました。

私の父と祖母高校卒業して以来ずっと一緒にいました。彼らは18歳になるかならないか結婚し、1年も経たないうちに母が生まれ、その後すぐに叔母が生まれました。

彼らは小さな農場を所有し、所有物のほとんどを完全に所有していましたが、貧しかったです。しかし、土地を耕作できるなら、貧しいということはそれほど大きな意味を持つ必要はありません。

私の祖母地元学校事務員として働いており、父は製造業で良い福利厚生を受けていました。外食するのは特別ときだけで、マクドナルド誕生日しか行かなかったのです。彼らは 1 エーカー菜園と数頭の牛を飼っていて、毎年夏の終わりには果物野菜缶詰にし、作業場の古いチェスト冷凍庫で刻んだオクラブルーベリー、野生のイノシシの肉、鹿肉冷凍していました。

Despite never having been on a plane and seldom ever having been outside of Arkansas, they managed to put both my mom and aunt through college and graduate school without requiring them to incur even a dime of debt. This was the 1990s.

Then at the age of 57, my papa and 1,000 of his coworkers were thrown away like a piece of trash after giving that company decades of their lives. And what were they told to do? What was their consolation prize?

Learn. To. Code.

My papa and nana were born in the 1950s in a place that was quite literally the Wild West just mere decades before their birth.

Growing up, neither of them had running water—they drew water from a well, washed up in a tin tub heated over a fire, and went to the restroom in an outhouse. They were both educated in a one-room schoolhouse and both came from families that relied on their farm’s livestock to feed themselves. People like my grandparents built this nation. They built this nation for their children.

But because the thing they sought to build wasn’t a stock portfolio or real estate portfolio, the preservation of their homes and communities was not something that Wall Street nor Washington saw as having enough value to be anything more than apathetic about blowing up.

飛行機に乗ったことも、アーカンソー州から外に出たことがほとんどなかったにもかかわらず、両親は母と叔母を一銭も借金せずに大学大学院に通わせることができました。1990年代のことでした。

そして、父と1,000人の同僚は、57歳で会社に何十年も捧げた後、ゴミのように捨てられました。そして、彼らに何をするように言われたのでしょうか? 慰めの賞品は何だったのでしょうか?

Learn. To. Code

私のパパとおばあちゃんは、1950年代に生まれましたが、彼らが生まれるほんの数十年前までは、そこはまさに「ワイルドウェスト」でした。

両親ともに水道のない環境で育ったため、井戸から水を汲み、火で沸かしたブリキの桶で体を洗い、離れのトイレで用を足した。二人とも一教室の学校教育を受け、農場家畜に頼って食料を得ていた家庭の出身だ。祖父母のような人々がこの国を築いた。子供たちのためにこの国を築いたのだ。

しかし、彼らが構築しようとしていたのは株式ポートフォリオでも不動産ポートフォリオでもなかったため、彼らの家やコミュニティ保全は、ウォール街ワシントンにとって、破壊することに無関心以上の価値があるとは考えられなかった。

https://x.com/FedPoasting/status/1908020397842509905

2021-11-07

anond:20211107221920

リアルエステート対義語はpersonal estate

不動産は持ち主が死んでもそこに残るけど(個人の)動産は持ち主と一緒に焼かれたりするので

 
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