はてなキーワード: あの手この手とは
ネットでは私立に公金を費やすのがおかしいと散々議論されてるけど、まず、みんな前提がばらばらだと思うんだ。
私立って地域と学校によって役割が違いすぎるんだよ。みんな、なんとなく自分の地元や子供の学区をイメージして語るけど、それだってたったの2例だけ。2例じゃ全国の私立は語れない。
ハイレベルが通う超進学校から、ほぼほぼ専門学校な特殊なカリキュラム、勉強できない子の地域の受け皿など、ばらばらなんです。通う世帯の所得層もばらばら。
そもそも人口が増えた時代に公立がまかない切れない部分のバッファとして機能したのが私立なので、子供の数が減ったからって今更じゃあさよならって出来ないのが国の辛いところね。
そんな歴史的背景からも、今の受験生の実情としても、国は私立を見捨てられない。首都圏が顕著で、子供たちは私立を優先的に選んでしまうから。
で、当たり前のように「授業料が同じく無償ならみんな私立に行ってしまう」という説が叫ばれるけど、実はこれってすごく残酷な表現ですよね。本当はお金じゃないのに。なにを学びたいかが大切で、教育の質が大切なのに。高校選択は、お金じゃなくて、なにを学びたいかで選ぶのが本当のはずなのに。
「授業料が同じく無償ならみんな私立に行ってしまう」は、言い換えると、「公立には学びたいものがない」ってことなんですよ。みんな、そうは言わずともこれを言っている。公立に教育の質は見込めないって、事実上そういう話をしている。
東京も大阪も無償化が始まって私立に人が流れた。みんな、公立にはそんなに魅力がないと感じている。
なぜそうなったかというと、公立は公立を全うしてきて、私立は競争に晒されてきたから。
公立は公務員だから、入学者数が少なくても食いっぱぐれない。校長も教頭もヒラの教員も、どうせ数年で異動するからわざわざ波風立てて教育改革とか踏み出さない。
私立は民間企業に近いから、入学者数が少ないと収入がなくなる。なので、どうすれば生徒を獲得できるかあの手この手を考えて、カリキュラムも施設設備も広報も、工夫と検討をやってきたし、それが当たり前になってる。
もちろん、そうじゃない公立もそうじゃない私立もあるけどね。あくまで業界全体の動向の話。
公立がだめで私立がいいってことでもなくて。そうなるべくしてなっていて、これは教育業界の構造の問題。
だから次第に、公立に教育的な魅力はあまりなくて、私立にはそれがあるけど、でも私立は学費が高いから行けない、って整理になってきた。学費の差が公私の均衡を保っていたとも言える。
もちろん授業料以外の必要経費も発生するから、完全に同じ条件ではないけど。でも、毎月の家庭の出費はかなり近いところまでいく。
そうなると子供たちは私立に偏る。それは当然で、私立の方が競争で勝とうとあの手この手をやってきたから。そっちの方が魅力的なのは当たり前。
私立と公立の授業料の支援金額に差がありすぎって声もあるけど、これは実は間違い。公立は、そもそも学校を維持するためのお金が税金から出ている。私立も私学助成金っていう国の助成金があるけど、その助成金だけで経営できているところは聞いたことがない。生徒を集めて授業料をもらって、私学助成金ももらって、そうして初めて収支が成り立つのが普通。でも公立は、その全てが税金から出ている。授業料の支援金額の差は、学校そのものを維持する経費からすると些細なもので、いち学校あたりにあてられる公金の総額は無償化が始まったとて圧倒的に公立が多い。
つまり。国としては、教育的な魅力が私立に劣り、そして私立より金のかかる公立を、今から抜本的に立て直すことは、放棄していくだろう。
かつて小泉純一郎が郵政民営化をやった際に民間の方が競争原理が働くと主張したけど、そんなようなことが高校現場で加速していく。事実上の高校教育民営化が進む。だから、すでに高校進学率99%なのに義務教育とはならない。民営じゃないともう成り立たないから。
教員の労働環境も改善しなくちゃならない。人権意識は高まってきて、トイレも更衣室も空調も照明もバリアフリーも施設が全部ちゃんとしていないといけない。定員割れが目に見えている過疎った地方の公立に、数億円単位の金を投入しなくちゃならない。
それなら、私立にも授業料無償化をする方が安くつく。残念ながら、こちらに経済的合理性がある。
今回の政策は、中長期的な公立統廃合を見込んでいると思うけど、そういうことは絶対に言わないだろう。
私立に金を流すくらいなら公立を立て直せってみんな言うけど、もう実は手遅れなんです。名を捨てて実を取るターンに入ってる。
公立立て直しをやるならやるで、もっともっと税金は上がる。それを国民が納得するのか、って話。
じゃあ私立に子供が偏ると、なにが起きるか。公立に人が集まらなくなり、統廃合が進む。国は節約できるけど、地方に公的な学校がないという事態がどんどん増えてくる。
私立は経営のための判断しかしないから、過疎地域へのフォローはボランティアみたいなもの。やめてしまえばそこで終わり。学校がないと、当然、人は住まなくなる。
人が住まなくなると行政サービスも要らなくなっていく。短期的には見捨てられた過疎地域、長期的には地方都市への合理的な集約。そういう流れに向かっていくと思う。
次の展開として、国は通学保障に金を配るだろう。遠い私立にも行けるようにするために、電車やバスの定期に補助を出す。また私立に金を配るのかと批判が殺到するけど、過疎地域の公立を維持するより圧倒的に安くつく。
私立は私立で、公立がリングから降りたので、今度は私立同士で少なくなっていく子供たちを奪い合うことになる。
生徒募集に苦心する私立は、特待生待遇という餌をまいて授業料が安くなるからうちに来てね、っていうことをずっとやってきた。でも、そもそも授業料が無償化なので、それもできなくなる。純粋な教育的魅力の戦いになる。
国が公立を事実上見捨てたことに目をつぶれば、教育の質バトルっていう、本質の問題に向かっていく。
でも負けた私立が潰れても構わない。民営だから、国は責任は取らない。義務教育じゃないから、高校がなくても最悪構わない。でも当然あった方がいい。だから生き残る公算が高くて金が安く済む民営の私立を援護する。今のところ公立より良いサービスを提供できるし、いざとなったら切れるから。
タイトル通りの話だが、決して自分が頭が良いですと言いたいわけじゃない。
と言ってもアンチはいくらでも沸いてくるんだろうけど。どうでもいいや、もう。
好きな(と言うのも憚られるけれど、いったん)グループの周年ベストアルバムが発売された。
と言っても、ここ最近ずっとモチベーションが低下の一途を辿っていて。いつもなら発表されたと同時にほとんど脳死で三形態予約、フラゲ日には勝手に届く、その後なんか気が向いたら包装解いて視聴する、が常だったのに、今回は予約すらせず、発売されてからもしばらく手すら付けなかった。なんなら購入する気も起こらないほどだった。
それでもと重い腰を上げて購入に至ったのはひとえに、自担のソロ曲が収録されているからだ。それだけが購入の理由で、本当にそれだけしかない。
自担はグループ内においてかなり歌割りが少なく、デビューしてからそれは長らく継続している状態だ。私はいわゆるデビュー後の永遠新規オタクだが、好きになった頃から今現在、いやデビュー前を除いて遡っても歌割りが多い!となれた試しはほとんどない。強いて言えばユニット曲ぐらい。かなしい。
ここら辺の話も相当に根深いのだけれど、本題でないから今回はいったん置いておくとして。まあそういう状態なものだから、どうしてもソロ曲が収録されているとあってはさすがに聴きたかった。YouTubeで一部公開されたのを視聴した時、MVも曲も本当に良かったから、これと好きなメンバーくらいは見たいというその一心で、MVが収録されている1枚だけ購入することにした。
購入してから1週間くらいは、何度も何度も自担の曲を見て聴いていた。だって好きだから。
自分の好きなひとが、歌割りやカット割りを一切気にすることなく、外野の心ない言葉を気にすることなく、余すことなく堪能できる。ノーストレスで見られる、そんなしあわせをかみしめていた。やっぱり自担好きだな、他の好きなメンバーの曲も良いな。そうやって久しくなかった、ただ純粋な気持ちでアルバムを楽しんでいた。
だけど、それも長くは続かなかった。
少し視聴のペースが落ち着いてきて、車でも聴きたいからやっぱり通常盤も購入しようかな、と思い始めていた頃。
YouTubeの公式チャンネルにて、唯一にして最大の目当てであったソロ曲が、フルバージョンで、公開された。
その時の衝撃と言えばもう、とても形容しがたい。いくらなんでも早すぎる、いやアルバム買った意味。そういう感情も多分に沸いてきたけれど、何よりも何よりも頭を占めたのは、「好きな曲」が「それぞれのオタクによる再生回数争い」の道具になってしまったことだった。
令和になり、推し活なんて言葉が日常茶飯事的に使われるようになった昨今。企業側にもオタクの購買意欲はとっくに知れ渡っており、あの手この手でオタ活と経済を結びつけようと躍起になる世の中。
SNSの普及により、オタクは「ある一点において」めちゃくちゃ賢くなってしまった、と個人的には思っている。
一点というのはつまり、「CDや円盤を購入する、SNSで話題になる、動画を再生する」などといった行為が、いわゆる〝推し〟にどう還元されるかをある程度知ってしまっているということだ。
数字は良くも悪くも強い。何を進めるにも、何を決定するにも、数字というのはある種絶対的なソースであり力だ。数字があるから起用する、数字を持っているからBETする。当然だし、仮にも社会人として短くない年数を過ごしてきた自分としても、数字を無視して全てを通すなんてことはとてもじゃないができない。百聞は一見にしかず、まさに大きな数字の前にも言えることだ。
YouTubeに公開されたことで、案の定オタクたちは頑張った。自分の好きな人の再生回数が低いなんてあってはならない、脚光を浴びせたい、そのほか様々な意思により、オタクたちがどのようにすれば再生数にカウントされているのかを喚起するポストが瞬く間に散見された。私はそれを眺めていた。
「回す」。日本語というのは不思議なもので、一言でたくさんの意味を持つ。この一言もそうだ、この話の中で言えば「再生して数字を増やす」。私の視界に収まる決して少ないとは思えない人数が、この言葉を呟いていた。みんなで回そうね。無邪気な子どものような口ぶりで。
公開日がズレているのももちろんだし、MVでも客演があったりとそれぞれ条件が違う中で比べることなんて絶対に出来ないのに、何を争っているんだろう。
その瞬間、「ああ、私が好きなものは、好きだったものは、ただの競う道具に変貌してしまったんだな」と。そう思ってしまった。
結局オタクの中で争ってオタクが頑張って再生回数を伸ばして、「オタク以外の人にも見て貰うため」なんていうお綺麗な言葉はしかし、実際再生回数のどれだけに当てはまるのだろう。そこから好きになってファンクラブに入って?ファンが増えていって、国民的アイドルに?ピンとこない、シンプルに何がゴールなんだろうこの争い。
考えれば考えるほど、空しさが広がっていく。
間違いじゃない。決して。あれを口にしていたうちのどれほどかなんてのは分からないが、本当に心から「好きな人を応援したい」という思いで「回して」いた人もきっとたくさんいるだろう。
なんなら、数字で証明することがスタンダードになった昨今、私の考えの方が間違い、というか古いんだろう。そこも理解している。
それを認めた上で、それでも私は、エンタメにおいてあまりそれを感じたくないというのが嘘偽りない本音だった。だってエンタメだ。娯楽だ。人ひとりの人生がかかった、超巨大なエンターテインメントコンテンツ。この場においてのアイドル。
それらに対して、基本的に「楽しみ」しか求めていない。圧倒的、面白い、格好良い、可愛い、美しい、眩しい。なんでもいい、とにかくそういう、普通に生きているだけでは得られない栄養というか、そういったものが見たくてアイドルを見ている。私の場合。
「好き」だから見ていたいし、「好き」だから買う。そこに「○○を応援したいから!」なんて殊勝な心がけなんて微塵もない、徹頭徹尾私の勝手だ。だって娯楽だから。
ただ好きだから聴いてる、見てる、現場に行ってる。シンプルにそれだけだ。
それだけでいいはずだろうと、老害よろしく懐古している。今もずっと。
自担の曲も、好きなメンバーの曲も、それぞれ本当に良い曲だ。それは今でも思ってる。
だけど、購入して見て、聴いた時の気持ちにはきっともう二度と帰らない。
じゃあ見なければ良いなんて人は言うけど、逆に問いたい、それって誰が出来てるの?
ここを見てる時点で、みんな同じ穴の狢だよ。
そう言っても無駄なんだろうけどね。SNSで議論をしようとする全ての人は私と解釈違い。
何度でも繰り返す。徹頭徹尾私の勝手だ。私の意見だ。アルバムを購入した、一消費者で名義的にはファンを名乗って良い立場の。
好きなものをどんどん嫌いになっていく。それを望む人なんているのだろうか。
勝手に嫌いになってるだけじゃん、そう思うだろう、そりゃそうだよ、勝手に好きになってるんだから。
でも。こんな人はファンじゃない、なんて、そんなもんはアイドル側しか下せないんだよ。
人に刃を向けるときは、全部自分の思いであり全部自分の勝手だと、承知してからやってほしい。
推しのことを思って、なんていうなら、こんな汚いところに手を突っ込む時に推しの名前を使うな。
これは推し活をする全てのオタクに対して思っていること。自戒でもあるけれど。
ただの呪詛だし、ただの泣き言だし、ただの弱音で、ただの悲鳴だ。
それでも、私にとっては計り知れない絶望だった。
これは単なる愚痴、でも女性作家として直視しないといけないコト。
「【推しの子】のエンディングが」とか別にどうでも良くて、少なくない数の女性作家は【推しの子】の連載開始へ対して衝撃を受けたのは間違いがないんだ。
多くの女性向け漫画読者は理解している。【推しの子】のフォーマットは少女漫画のもの。かっこいい男の子が困っている女の子を助け、その身を心を傷付けながらも敵役をやっつけてくれる。
儚く闇があるキャラクター性も前段の幼児時代のエピソードが関係しているというのは、読者へ既に読ませているので作家と読者間で共通認識が取れていて序盤のストーリー作りの構成的にも無駄がない。
企画段階で非常によく練られた本当に本当に素晴らしい……少女漫画ジャンル作品だ。
そして【推しの子】はその魅せる巧みさから男女問わずの漫画ファンの中で一気に話題となり、編集部の非常に強力なバックアップによってメディアミックス展開を行なった。
赤坂アカ先生は既に実績ある作家だと言うことを加味しても編集部のメディアミックス展開の速度は迅速であったと評価せざるを得なくて、業界に身を置かせている作家という立場から同性の作家仲間や作家知人、作家師弟に至るまで当時は本当に驚愕をしていたことを思い出す。
アニメ化に至るとその反響は多くの少女漫画関係者が無視できない規模にまで膨れ上がってしまった。
「少女漫画じゃん」「少女漫画だよこれ」「今の時代に少女漫画がココまで行くの?」
思わず多くの少女漫画関係者から漏れ出た声だ。TwitterやPixivだけでなくYoutubeやTikTokなどのショート動画で若い子たちが【推しの子】に参加をしている様子を見て震え上がってしまった。
みんなコレを口に出したら絶望してしまうのでSNSですら言えない。今の私たち少女漫画関係者には【推しの子】を企画する力が作家にも編集部にも無いんだ。
約20年前の少女漫画、いや正確に言えば女性向け漫画業界では出版不況が現実味を帯びてきていて、どうにかして女性向け漫画を繋ぎ止めなければならないという問題があった。
そのときに一定の成果を示したのが小学館の少女コミック編集部で、これは当時「性コミ(しょうコミ)」と揶揄されるほどの過激路線を突き進むという解決策だったんだ。
いやその以前から集英社りぼん編集部が「ママレード・ボーイ」や「こどものおもちゃ」「ご近所物語」あたりで、あけすけな描写をするようになったという傾向があったけれど、流れを確定してしまったのは少女コミック編集部であることはほぼ間違いないと思う。
もちろん、この流れへ異を唱えるようにプラトニックな作品を推す声は作家・読者・編集者に少なからずあったのだけれど、少女コミックへの爆発的な反応は商業誌として無視できるわけもなく、各出版社はここから少女漫画というかBLも含んだ女性向け漫画業界は過激化のチキンレースをはじめてしまったんだ。
少年漫画がお得意の友情・努力・勝利・冒険活劇・暴力へ対して、少女漫画に影響を受けて繊細な恋愛描写を当たり前の様に取り入れはじめていた中で、少女漫画は(編集部から過激描写依頼があったにせよ)何ら工夫せずにこれまで通りの恋愛に過激描写を加えるという手法を取った。
少年漫画にも対抗できる篠原千絵先生や武内直子先生、CLAMP先生、松本夏実先生、種村有菜先生などなど多くの大作家を生み出したはずの少女漫画業界は、その多くは過激なエロを混ぜることしかできなくなり、そして過激なエロを混ぜなければ売れなくなってしまったんだ。
更に起きたことは、女性漫画読者が少年漫画(男性向け漫画)へ移行するという事態。
当たり前の話なんだ、少年漫画の方が設定のバリエーションが圧倒的に多い。過激なエロは無くも無いが当時は実際のところセックスまで至ることなんてごくごくわずか。
「ラブひな」や「いちご100%」でラッキースケベしてる程度であって、そのとき少女漫画はセックスするなんて普通の表現でレイプだの何だのが飛び交うような状況だったんだ。
「いやそんなのおかしい私はプラトニックで行くんだ」と編集部を説得して連載開始した作家は結局売れなくて短期連載で終了してしまい「やはり過激なエロがなければダメなんだ」と作家と編集部双方が部数を見て泣く泣く確信をしてしまっていた。
そのとき少年漫画では「テニスの王子様」「BLEACH」「魔人探偵 脳噛ネウロ」「武装錬金」「うえきの法則」「探偵学園Q」「エア・ギア」「おおきく振りかぶって」「あひるの空」「さよなら絶望先生」「D-LIVE!」「焼きたて!!ジャパン」などなど挙げればキリがない!
こういう少年漫画へ女性読者が黄色い声をあげるのが当たり前になってしまった。このエントリを読んでいる人の中にも心当たりあるよね?少女漫画読まなくなったでしょ?当たり前じゃん!パッとあげた中でどれだけのジャンルがあると思ってんの?たった一部分しかあげてないのにこのバリエーションは当時の少女漫画にあった?無いよね?
少女漫画でも探せば出てくるよ?でも当時のあなた達がオタク友達と会話した中でその探し出してやっと見つかる作品の話題は出てきたんですか?と言いたい!こっちだって作家になるほどオタクやってんだわ、当時の会話の9割は少年漫画だったじゃん!
更に何が起きたと思う?本当に悲しいんだけど女性の新人作家の多くが少年漫画誌に行っちゃったんだよ。
これも当たり前の結果、だって彼女たちが、今の若い女性作家が憧れたのは少女漫画じゃなくて少年漫画なんだもん。恋愛と過激エロを何の工夫もなくやってる少女漫画じゃなくて、あの手この手で様々なジャンルと表現を読ませてくれる少年漫画に憧れたんだもん。
そして私たちが少女漫画で得たかった若者社会を巻き込む爆発的なヒットした少女漫画である【推しの子】の連載雑誌は週刊ヤングジャンプなんだよ……男性向け漫画雑誌なんだよ……。
【推しの子】は少女漫画じゃん、少女漫画なのに連載雑誌はりぼんでもなかよしでもSho-Comiでもなくヤングジャンプじゃん……。
過激エロに振った女性向け漫画業界の怠慢の結果、私たち女性向け漫画業界は【推しの子】を生む企画力を失っているんだよ。
女性も男性向け漫画雑誌を読む時代とかそういう問題じゃなく、女性向け漫画業界の怠慢が女性も男性向け漫画雑誌を読む時代を後押ししたのが問題なんだ。
本来、女性向け漫画業界が目指すべきは男性も女性向け漫画雑誌を、りぼんをなかよしをSho-Comiを買ってくれる時代だったはずだよ。
すべての女性作家に言いたい、少女漫画もBLコミックもオトナ女子向けも関係ない!
【推しの子】レベルのものを女性向け漫画業界として企画できる力を失っていることを声を出して認めよう。声を出し認めて女性向け漫画雑誌をどうにか再起させないといけないって更に大きな声で言おう!
「金持ちの親がレイプ魔の息子を無罪にするために脅しかけるパターン」とか
「脅し」のイメージ強いんだよね
これは先人どもが悪いから恨むならそっち恨んでもろて
他にも
性被害にあった女性をあの手この手で言いくるめる。言いくるめられた女性はもう2度と示談を信じないよ。
示談を成り立たなくしたのはそいつらだよなあ。女のせいにしてもらっちゃ困るね。
その中でも「示談したからノーカン!!つまり女があることないこといってたクソでした!!」論法は最悪なんだよね。性被害を訴えたら示談するよう言いくるめられて、なかったことにされてってのを繰り返してきてさあ。
もう誰も信じないよね。そんなこと。
いろいろ設定に無理があるなと
主人公は夫と幼稚園の娘の3人暮らし、しかし夫の元カノが現れた その元カノは娘と同じ名前で夫は元カノの名前を娘につけたことになる しかも後生大事につけてた祖父からの形見のリングとやらはその元カノとのものだった!元カノは保育士をしているが学生時代の交際相手(夫)の子の中絶で子供が産めなくなり、主人公から娘と夫を奪おうとして…?ここまではいい
しかしその夫は優柔不断で夢見がちボーイだっただけであり、元カノとは縁を切ると主人公に宣言、離婚を回避 その後はあの手この手で娘を奪おうとしてくる夫の元カノのサスペンスパニックホラー?的な展開
ここで元カノの過去に迫る小話がいろいろ入ってくる 元カノは不倫の末に捨てられた母を持ち、母のようにはならない・普通の幸せを手に入れると心に誓う元カノ それにうってつけの相手が主人公の夫
しかし元カノが中絶したのは夫との間ではなく、その時に不倫していた大学の教授だかとの間の子だった疑惑が!
で今読んでる展開 主人公に当てての元カノからのメッセージ 「夫さんは諦めた、◯◯ちゃん(娘)だけもらいます」。
仮に本当に元彼(主人公夫)との子の中絶からの不妊なら、元彼に中絶の責任とってもらい幸せな妻と母の場所で生きていきたい、それは分からんでもない
でも中絶自体が別の男との不倫の結果?なのにしれっと平凡な同級生の男(のちに主人公の夫)と付き合って責任とらせて?そこまでならストーリーとしては割とありがちだけど、そこから年を経て偶然出会ったそのボンクラ男と娘に執着???なんで???
犯人の行動動機がいまいち筋が通らないというか、、物語の中ではめちゃくちゃ執念深く計画立ててあれこれやってるのに、肝心の動機が無差別の当たり屋みたいに筋違いで、気持ち悪い。。
まあ、最終的にはこの元カノ、普通の幸せな女なりたかった可哀想な女、みたいなオチをつける感じだろうか。。
というか主人公側で話を組み立てる目線で見ると、昔の話であろうと夫が他の女孕ませて子供作れなくした、だと読者は無条件に主人公サイドで読めなくなるんだよね、元カノ可哀想、ボンクラ夫最低、となる
それを主人公家族はめでたしめでたし、で締めるために出てきた他の男との不倫の末の妊娠設定なんだろうけど
まあ、ちぐはぐだなと
とにかく口が悪い。いつも冷たく突き放してくるくせに、たまにちらりと見せる笑顔がやけに優しかったりする。やれ「うるさい」「近寄るな」「気持ち悪い」と、小学生レベルの悪口を浴びせてくるのに、困ったときは僕を頼ってくるところがある。本人は絶対認めないけど。
僕は高校二年生で、咲は中学三年生。ここ数年、彼女は反抗期だとばかり思っていた。けれどある日、教室で友人と会話をしているときに「お前んとこの妹って兄貴大好きだよな」と言われて仰天した。
「いやいや、そんなわけないだろ。咲が俺を好きなわけない。毎日『うっざ』とか『近寄らないで』しか言わないし」
しかし友人曰く「ちょっとした態度に、兄貴好き感が出まくってる」とのこと。具体例を聞いてみると、「お前が弁当忘れたってとき、妹さんが夕飯のおかずを詰めなおして届けてくれてた」「風邪引いたときはあの手この手で世話してくれてたじゃん」といった具合。そう言われれば、確かに咲は文句を言いつつも何かと世話を焼いてくれている気がする。
友人に言われて改めて振り返ってみると、やたらと僕の健康管理をしてくれている節もある。
「…ほんとに? あれってただの口うるさい小姑みたいなやつじゃないの?」
家に帰ると、咲が珍しくリビングでテレビを観ていた。僕が「ただいまー」と声をかけても、彼女はそっぽを向きながら「おかえり」。でも一瞬、口元がちょっとだけゆるんだのを見逃さなかった。
「……。」
言い方の冷たさとは裏腹に、心なしか隣の座席をぽんぽんと空けているような気がした。いつもなら「近くに座んないで。あっち行って」という文句が飛んでくるのだが、今日は違う。
僕は彼女のそばに腰かける。咲は一瞬だけ腰を浮かせたけれど、そのまま何も言わずに座っている。おまけにリモコンをぐいっと僕のほうへ押しやるではないか。
「え、チャンネル替えていいの?」
「別にあんたの見たい番組があるなら勝手にしたら。…つまんないのに変えたら出てくけど」
そんな不機嫌そうな顔で言われても、ちょっとだけ嬉しい。何しろ咲が自分から兄にリモコンを渡すなんて今までほとんどなかったからだ。
それから少しして母が晩ご飯を呼びにきたので、僕らはダイニングに移動した。咲は何食わぬ顔をしながら皿を運んでくれる。僕が手伝うと言っても「邪魔だからやめて」なんて言われる。
まあ、文句を言われながらでも、自分のぶんまで気遣ってくれる妹ってそうそういないのかもしれない。今まではあまり気にしていなかったが、友人にツンデレだと指摘されてから、彼女の行動の一つひとつが気になってしかたがない。
ツンの奥にある優しさ
晩ご飯が終わって、自室で宿題をしていると、ノックの音がする。
戸を開けると、そこには咲が立っていた。ふだんはたいてい「ちょっとどいて」とか「うるさい」くらいしか言わないのに、今は何やら不安そうな顔をしている。
「あのさ…」
珍しく言葉を濁す咲。僕が「何?」と返すと、彼女は少し言いにくそうに口を開く。
「あんた、明日テストでしょ? 国語の詩の暗唱テストだとか言ってたじゃん…」
「そうだけど」
「読んで聞かせてよ。変な読み方してたら指摘してあげるから」
妹に勉強を手伝ってもらう日が来るなんて想像したこともなかった。とはいえ、好意を素直に受け取るのも気恥ずかしい。
「……ありがとう」
「べ、別に。暇だっただけだし。あんたの頭の悪さを見ておくのもたまにはいいかなって」
さっそくツンデレっぷりを発揮してくる。だけど、そう言いながらもうちょっと中に入ってくれたらいいのに、部屋の戸口で距離を取るのは彼女なりの照れなのだろう。
僕は机に広げたプリントを手にとり、ゆっくりと詩を読み始めた。途中で噛んだり抑揚がおかしかったりすると「そこ違う」「テンポ乱れてる」と細かく指摘される。結局、三回ほど通して読んだあたりで、咲は満足そうにうなずいた。
「まあまあ、悪くないんじゃない? こんなんで合格できるかは知らないけど」
「礼を言われるようなことはしてないし」
そう言ってふいっと踵を返す彼女だったが、ドアを閉める寸前、聞き取れるかどうかの音量で「頑張ってね」とつぶやいたのが聞こえた。自分でもびっくりするくらい、胸が温かくなった。
いつのまにかお世話されている
翌朝、僕が食卓につくと、咲はもう制服姿で座っていた。早起きなのは毎度のことで、姉御肌っぽいところもある。
母がキッチンで朝食を用意している間、咲はスマホをいじりながら、ちらりと僕の方を見てくる。何か言いたそうだが、口を開かない。
「…あのな」
「ん?」
「あ、持った持った。昨日カバンに入れたし」
そう答えると、咲は「ふーん」とそっけなくスマホ画面に視線を戻した。けれど、その耳はほんのり赤い。そこまで気にしてくれるのなら、もう少し素直になってもいいのに、と思うけれど、これがツンデレというものなんだろう。
食事を終えて家を出ようとすると、玄関で咲がそわそわしている。僕が「どうした?」と聞くと、彼女は軽くかぶりを振るだけ。
「別に。あんたのテスト、うまくいけばいいね、って言おうと思ったわけじゃないし」
「……サンキュ」
普段の咲なら「は? 意味わかんないんですけど」くらい言ってくる場面だ。こういう細かい変化にも気づけるようになったのは、やっぱりあの友人の言葉のおかげだろう。
バレるな、咲の“お兄ちゃん好き”
放課後、部活を終えて靴箱へ向かうと、下駄箱に小さなメモのようなものが差し込まれていた。開いてみると、見慣れた字でこう書かれていた。
「ママからの伝言。今日は夕飯いらないんだって。あんた部活終わるの遅いから、買い食いでもして帰れば? 私は先に家に帰ってる。うざいから連絡しないでね」
雑な言葉遣いに反して、微妙にハートの描き込みが見えるのは気のせいではないだろう。雑な中にもかわいらしさがにじみ出ているというか、“うざいから連絡しないで”という一文がむしろ「連絡してほしい」と言ってるようにも思える。
このメモを見つめながら、僕は「なんだかんだで気にしてくれてるんだよな」と実感した。そういえば、以前に一度、僕が部活終わりに塾へ直行して家に帰れない日があった。そのとき、咲は「……気まぐれだから」とか言ってお弁当を作ってくれたらしい。直接は受け取れず、母に「お兄ちゃんに渡しておいて!」と言づけたらしいが。
マジでまた始まったのかよ、立花。SNSでのあの手この手のコントロール、ほんと懲りないね。選挙に立候補する話題からの流れって、これもうテンプレだな。
んで、今回は「しばき隊」ってワードで荒らし散らかしてる感じ?やり口が毎回分かりやすくて逆にすごいわ。
でもさ、前回の兵庫選挙の前半戦、みんなガン無視してたよな?今回は絶対スルーすんなよ!見て見ぬふりしてるとまた好き放題されるぞ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/758fd425d0fe921ec8e7f0ea7fe18c73d1f0853a
この記事を読んで思うことは起こるべくして起こったなということ。
毎年毎年9割越えの合格率で多数の看護師を生み出してはいるがそれ以上に退職がでている状況。
つい数年前まではどうぞ辞めたければ辞めていいよ。という感じだったのに今では辞めないで!!!と強く引き留めている。もうその引き留め方には強引なものもあり半ば脅しのようなものまである。
なぜこんな状況になってしまったのか?
まずはやはり診療報酬改定があるだろう。いくら診察しても無駄。儲かるのは個人病院だけ。だから賃上げなんて無理。まじで無理。
一般企業とちがい経営者は実質院長となる。院長は医師としても外来に入っていることもあり経営にさく時間なんて無に等しい。だから無用なコンサルなんか入れがち。無用なコンサルは人件費削減しか叫ばないので皺寄せがくるのはその下の人数の多い医療職ということになる。
世間の人々はコロナで頑張ってくれた医療者に感謝!といっていたが病院は本当に本当にありがとうコロナ!の祝杯だった。
本来つぶれていたはずの田舎の総合病院は大きく黒字となりうはうはだった。これは世間一般が想像する以上のインパクトだった。
本来の企業であれば内部留保に回したいところであったが医療業界は違った。
いりもしない医療機器を買いまくったり外観に投資したりと使いまくった。まぁここは後々くる返還要求などを恐れていたのかもしれないが。。。
コロナ禍もすぎてしまえば潰れるべき病院は潰れるしかなくなった。ここにきて初めてあぁ。もう潰れるかも。と自覚した経営者=院長は痛感した。
焦りに焦って無理やりにでも病床を埋めようとあの手この手で入院させようとするがそんなことは焼け石に水だ。そしたらどうするか?
1番多い看護師の人数を減らせばいいんじゃね?とにかく配置基準を下回らないギリギリの人数で回せばよくね?人減らせなかったら大赤字だからボーナス減らせば良くね?ってなる
そしたら何が起こる?
看護師は一生勉強する職業だがここには現場で教わることが大半を占めている。意外にも自分で本を買って勉強してます!って人は少数派であったりする。
今まで継承されていたことが大量離職によってぶつっとキレてしまった。これはコロナ禍以降顕著に現れた。
大量離職というのは毎年毎年起こってはいたがその比にならないくらいの離職がここ2〜3年で起こっている。
離職したら新しい人を入れたらいいと経営陣は思っていたがそれもうまく集まらない。とにかく人がこない。
総合病院で資金もそれなりあり病床ももっている病院は福利厚生を整えバケツに空いた穴の補修に資金を注ぎ込んだ。なんとか穴を突貫工事ではあるが塞げたが地方の病院はそれができず人材流出に歯止めがかからず病床の休床(ベッドの数を一時的に減らして入院させなくする)や病棟の閉鎖を迫られた。
赤字は埋まらず人も出ていき経験のない看護師しか残っておらず医療事故のリスクが格段に跳ね上がってきている。
ヤフーニュースの記事の病院がどんな状況かはわからない。しかし、全国の病院は上であげた問題を孕んでおり安全な医療から乖離してきているということを世間にはわかっていてほしい。
ボーナスが出ないという記事も最近目にしたし減額されているのはもうそこかしこで起こっている。賃上げムードなのに賃下げされるところもでてきていると聞く。
私はいち医療者として賞与が減るのは医療業界に限ったことではないししょうがないと思うし政府に赤字を補填してもらうべきとも思っていない。
2019年に厚生労働省が統合リストをお漏らしし病院は大反対したがもう早く統合していく他ないと思う。悪あがきして医療事故を起こす環境にし人の命を奪ってしまうより健全な病院運営のためはやく身を切る覚悟がいるのではないだろうか。
https://x.com/kokorone99/status/1864152725996621912
#万引き自慢 が何やら話題で少し見たのですが、万引きがダサいっていう人たちは未成年の時に一滴もお酒を飲んだこともなく点字ブロックに普段から全く居座らないそれは素晴らしい生き方をしているのでしょうね
万引きを推奨するわけではないですが、アウトローな事をしてるのとしていないのでは傷みという部分の理解も変わってきますよ
それが良いか悪いかは人それぞれだけど、普通に生きてたら触れ合えない人たちとも触れ合ってきた経験から少なくとも私の中ではそういう人の方が
「人間」としてまともです
別に未成年の時に酒を飲まない、点字ブロックに居座らないなんて素晴らしくもなんともない当たり前のことなんだけどな。未成年飲酒の割合は年々下がっているし、点字ブロックに居座るとか意識するまでもなく普通の生き方でする機会はない。アウトローには分からないかもしれないけど。
アウトローはその素晴らしい生き方をすることはできないから「俺たちのほうがまともなんだ!」と金切り声を上げているにすぎない。
アウトローはあの手この手で素晴らしい生き方をしている人たちをこちらに引きずり出そうとしてくるから絶対に耳を貸しては行けないし関わってはいけない。「お前たちこれぐらいやっているよな!な!」とない常識を捏造してくる。素晴らしい生き方をしている皆様においてはアウトロー達のことは「これ言っちゃいけない」を理解できないし自制できない存在として切り捨てておくべきである。
自分で言っているように、既存の著作権システムは変化していく可能性があるものなので、変える必要性があるとなれば変えればいいよね
反生成AIの立場に立ってくれない事を、不満に思っているだけでしょう
将来的に非合法になるかもしれない、では何もできないよ
合法な行為を、非合法扱いしていたら、それは訂正されて当然だよね
あと、普通の利用者は、公式含む、絵師たちの絵がないと好きなキャラを生成できないことを知っているし、絵師がAIを使う方が有効的に使えることも分かってるんだ
そんな中で、イラストレーターいらねえって人達は、概ね絵師を煽ったり嫌がらせができればなんでもいい人達で、そのために生成AIを利用しているだけなんだよね
現時点で非合法な、誹謗中傷と著作権侵害に明け暮れている、過激な反AIさんたちを止められる?無理でしょ
同じことだよ
気が強くて、他人に負けるのが許せない女。
わたしはその女の標的になっていた。
自分で言うのもあれだがわたしはサークル内でおっとり美人枠だった。
それが彼女には目障りだったんだろう。
よく容姿に関して嫌味を言われた。
・女子だけの場で、敵を作りたくないので「メイクで色々誤魔化してるよー」と言ったら、わざわざ男性陣に「あいつはすっぴんがやばい」と言いふらされた
・たまたま言わざるを得ない状況になったので「初めて眉毛サロンに行った」と言ったら、次の日別の子から「眉毛サロンに『通ってる』って聞いたけどそうなの?」と言われた
・「(こっちをじっと見て)なんか可愛くなったね。……今度メイク教えてもらおーっと♪」とわざわざみんなの前で言う
小さいことかもしれないが、彼女の性格的に明らかに悪意で言っており、何度も続いたのでさすがにイラついていた。
でもわたしは特に何もしなかった。反論することも、周りの人に言うことも、何もなかった。
たぶん、何もしないのが一番自分の立場が守られるだろうと思ったから。
攻撃的で、顔がキツくて、そばかすを隠すために厚化粧で、他人に粘着する女と、
穏やかで、美人扱いされる容姿で、肌が真っ白で、他人を悪く言わない女。
でも、ずっとあの女のことは腹立たしくて嫌いだった。
その後卒業してわたしは大手企業に就職した。良い出会いにも恵まれて、数年目で結婚した。
一方彼女はまだ学生だった。メンタルを病み、休学しながら学生を続けていた。
その間も会わざるを得ない機会が何度かあり、身の上を根掘り葉掘り聞かれ、高身長で容姿の良い旦那のことやロマンチックなプロポーズのエピソードを羨ましがられた。
そしてやっぱり、嫌味は健在だった。
人を薄っぺらい肩書きで勝ち組だ負け組だなんて分けるのは傲慢だと思う。
でも客観的な情報を並べたときに、明らかにあの女に勝っている。
それなのに、やっぱり、あの手この手でちょっかいかけてくるあの女にまともに取り合ってしまい、腹を立てている自分がいる。
いつか、あの女に反撃したい。
あの女なんかよりずっと上なんだと周りに思ってもらいたい。
そんなことを思ってしまう。
また近いうちに顔を合わせる機会があると思う。
そのとき、どうしようか。