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2025-12-09

anond:20251209112010

東洋人(日本人)は脳足りんの短気なサルでまともな文明人として扱うべきではないってこと?

アンガーマネジメントって無意味よね

6秒堪えても怒りは消えねえよ

おまけに恨みっぽい東洋人に「数秒とて怒りを我慢させる」なんてやらせりゃ、怒りがランクアップして末代まで呪う憎悪になるわ

2025-12-07

真逆(まぎゃく)」はいから使われだしたか

前提


1927年アルス写真大講座 第二巻』

記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラ太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このとき直射日光レンズに当らないやうに注意をして頂きます

フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。

いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である

追記1937年写真月報』

只逆光線で太陽を前景のカメラもつている人でシエードした事が、レンズ太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。

写真関連で検索してみたが、なるほど。

写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。

逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。

検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。

1959年富士岡田紅陽

太陽富士山頂の上に輝やき、眼前の雲海の表面を真逆に照しつけていた。

一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。

ネット検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。

ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。

しかすると、文章にならないような口語俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。

さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家松田政男である

この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか

彼はそのくらい「真逆」を多用しているのである

1971年風景死滅松田政男

コスタガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆視点から革命反革命弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である


1972年キネマ旬報』「映画批評 わが緑の大地」松田政男

往年の安部公房テーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代叱咤しているのである


1973年不可能性のメディア松田政男

自動車から飛行機への発明ベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクスメディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか

エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。

チャップリンが、常に、可哀想ヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆禁欲的にまで非情に、アクション共同体映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである

そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかトロツキーとは真逆に、スターニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。


1973年キネマ旬報』「キネ旬試写室 化石の森」松田松男

この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりエンターテインメントとして消費されてしま石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。


1974年キネマ旬報』「今号の問題作 キャロル斎藤正治松田政男

私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······


1974年朝日ジャーナル』「密室国家難民キャンプ なぜ、いま、パレスチナ革命なのか』松田政男

レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルス理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスレーニンや、その他もろもろの革命理想である


1975年現代の眼』「シネマ・マンスリー

この密林の猟師年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。

これは匿名記事だが文体からして松田政男か?

1976年キネマ旬報』「自主映画の新作その(3)」松田政男

この静謐な、余りにも静謐な〈自然〉は、ゴダールとは真逆の"観念論的記録の試行なのか?


1978年シナリオ』「77から78へ日本映画の秋冬 アイデア燃えあがる日」松田政男

そこへ行くと、日活ポルノ裁判被告として四年間の沈黙余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATG提携製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。


1979年『日付のある映画論』松田政男

高橋明庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ

しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなである


1979年現代の眼』「和製B級映画現在形」松田政男

亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ


1979年現代の眼』「松田政男映画戦線への斬り込み」松田政男

そして、面白いのは、西欧的な父性原理依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州フォークロアに原型をもつ物語真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。


といった具合に、松田政男は「真逆」を使いまくっている。

いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。

1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆用法は、特に映画系のライターあいだで広まっていったようである

たとえば田原総一朗もその一人である

1975年大統領を知らない人たち アメリカで見たしたたか生き方田原総一朗

もっと地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパ絵画彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である


1978年穀物マフィア戦争田原総一朗

「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」


1979年『潮』「二都物語1 新潟VS山口 総理大臣をうんだ街」田原総一朗

松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ吉田松陰とは、真逆のように思える。


仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。

よって「真逆(まぎゃく)」が広まったのは1970年代ではないか、というところで結論としたい。

2025-12-05

anond:20251205085910

ユダヤ教西洋なのか?東洋なのか?」 という二分法をそのまま受け取るのではなく、タルムード的に前提そのものを問い直す必要があります

ユダヤ教本来地理的にも思想的にも「中間領域(ミドルワールド)」にある伝統です。

東洋哲学に「複雑を複雑のまま受け入れる」という傾向がある、という一般論があるのは確かです。

たとえば道家の「道は語れば失う」や禅の矛盾思考など。

対してユダヤ教特にラビ伝統)は:

まり「複雑 → 単純」の西洋とも違い、「複雑 → 受容」の東洋とも違う。

タルムードは明らかに複雑ですが、複雑を複雑のまま放置しません。

複雑な議論を:

1. 質問で切って

2. 反論さらに切って

3. 前提を疑い

4. 答えが出なくても、その「未解決」までも体系化する

これは西洋の理性主義と似ているようで違い、東洋の受容とも違う。

タルムード的特徴はまさにこれ:論争そのもの価値とする。

ユダヤ教は東でも西でもなく、それ自体で一つの「道」である

ユダヤ思想根本質問 → 論争 → 多層解釈実践というサイクルで、どちらの文明圏にもない独自スタイルです。

特徴 東洋西洋ユダヤ
複雑さへの態度 受容 整理・単純化 分解し議論し、複雑さも残す
真理観 調和 一元 多元(エルーシュ:「両方とも神の言葉」)
学問の基本 体験直観論理・体系 論争・質問解釈

ユダヤ本質的第三の道です。

2025-12-04

日本政府にお願いがあります

日本政府にお願いがあります

日本の老人たちに学校を作ってください。

70歳から入れる学校を作って、強制力を持って登校させてください。

今の小中高生と同じように、毎日通わせてください。

病気の人は通えなくても仕方がありませんが、それは小学生だって同じです。

でも今のお年寄りはとでも元気です。

毎日病院ショッピングモール無料バスに乗って出かけています

70歳からは学区の老人学校に通うように制度を作ってください。18歳からしか運転が出来ないのなら、70歳から運転出来ないように法律を変えてください。

代わりに学校へは徒歩かスクールバスで通ってもらってください。全国の小中高生はそうしています大人に出来ないわけがありません。

仕事をしている人は休学でも構わないですが、定期的に週一程度は通わせるようにしてください。土曜でも平日でも、来れる時で構いません。必ず所属する学校クラスを作れば、日本人なら来ます仕事が忙しい時は学校に連絡を入れて休みにしてもらって構いませんが、小中高生のように会社経済活動に参加していますという証明書を総務に発行してもらってください。偽装や偽造には罰を与える法律にしてください。子供保育園学童のために必要就労証明書はそうなっています

年寄り毎日暇です。でも自律できる人ばかりではありません。あとお年寄り毎日孤独な人もいます健康なのにちゃんとした生活を送れない人もいます

から学校に通わせてください。頭を使って、手を使って、嫌な奴でもクラスメイトとして付き合う、毎日かに会う、栄養バランスの良い給食をたべる、体に良い運動をする。

これだけで人生に張り合いが生まれて元気になり、医療費も削減できると思います

お金のある人は私立学校に行けば良いです。お料理教室ゴルフ練習などの素敵なアクティティを用意してくれると思います

認知症予防のために勉強も少しはしてもらいますが習熟度別にして、実技科目の方を充実させます。今までの人生でそれぞれ培ってきたことが生かされて全員が活躍できます。きっと楽しいよ。

毎日登校しているので、孤独死を防ぐことができます

保健室健康診断もあるので、病気が酷くなる前に気づくことができます

子供の時に毎日学校へ行けたのだから大人になっても行けるはずです。

個人尊厳が、自由が、なんて騒ぐ人もいると思いますが国がある程度の強制力、例えば老人教育基本法などを持って実行すれば特に昭和世代日本人なら従います

どうしても無理な人は不登校老人として、子供たちと同じように行政が介入して世話を焼けばいいです。そうすれば、誰がどんな困り事や悩みを持っているか分かります

今の状態は、老人がただぼんやり目的もなく余生を消費するために私たち税金無駄に使われています

でも学校を作って、お年寄りを集めて、みんなが過ごす場所を作れば税金無駄にはならずに、お年寄り無駄に歳を取ってしまうことも防げます

人と話せばボケにくいし、張り合いがあれば国にも活気が生まれます

放課後は好きに過ごせばいい。サークル活動のようなクラブ活動なら、仲間ができます日本人は無作為に1箇所に集めても何かしら気を遣って仲間の輪が作れるのが良いところです。

そこに学童を併設してもいい。誰かしら子供好きなおばあちゃんおじいちゃんは居ますし、子供と触れ合えば元気になるし、子供たちも色々なことを学べてお互いに良い影響があるのではないでしょうか。

もちろん集団生活は気疲れもするだろうし、喧嘩もあるでしょう。そこで介護職の出番です。介護職を教員並みの給与で使うのです。介護福祉士は国家資格です。教職と同じ扱いにして、給与を上げましょう。

本当に介護必要になったお年寄りには、既存システムを利用して介護が出来る施設に入ってもらいましょう。

小中高と同じように年齢別で輪切りにします。同じ歳なら、あいつには負けないと言う気持ちや私も頑張れるんじゃないかと言う気持ちが生まれて、要介護になる時間を引き延ばせると思います

年寄り勤労の義務から解放されるのですか?逆に解放してしまうから問題が山積みになるのです。

だったらまた就学の義務を全うしてもらいましょう。

70歳までの人生で色々なことを学び、経験したことを、また一つの教室に集めて分かち合ってみたら余生も楽しくなるでしょう。もちろん休日は好きに過ごせばいいし、具合が悪い日はお休みすればいいんです。

人間自分の居場所強制的に固定されると、意外と順応します。全国の小中高生はただ住んでいる地域が同じというだけで、学校のそれぞれの教室へ詰め込まれます。でも、楽しいじゃないですか。

これは、とても有効国策になると思います。色んな個性があることは決して悪いことではありません。仲良しになる人、仲が悪くなる人もいるでしょう。でも皆、私たち日本国民は誰しもが15年、18年、22年とそれぞれ経験してきたことです。出来ないなんてことはありません。

日本政府よ、お願いだから老人向けに学校を創設してください。

街に溢れるお年寄り、皆んな暇そうです。

友達がいる人は幸せですが、いない人はどうしてるんでしょう。

ある大規模な調査では、孤独リスク喫煙肥満有意に上回るとさっき医師がやっているYouTubeで聞きました。それなら、そのリスクを下げてみてはどうでしょう

大人になったら自由保障されるような風潮があります、でもお年寄りはその自由謳歌できる人ばかりではありません。

どうしても自由に生きたい人は、生きればいいと思いますよ。積極的不登校でいいと思いますだってやりたいことや自分が出来ることが明確にあるのですから。例えば登山家三浦さんのように。

でも残りのお年寄りどうでしょう

それぞれに家族もあるでしょうし、60代はまだまだ若いし孫の面倒も見ていたりします。

でもその孫が成長したら?日がな一日テレビを見て、散歩に行く。老人会シルバー人材センター自分から参加できるアグレッシブな人ばかりではありません。

日本政府にお願いです。

どうかこれ以上に老人の医療費介護費が増えないよう、また運転の失敗による事故が起きないよう、孤独死が増えないように、どうか老人の学校を作ってください。

きっと、他のどの国から賞賛されるような素晴らしい試みになると思います

ゆりかごから墓場まで、ではないですがどうか国民保育園から老人学校まで居場所を作ってください。

日本はとても良い国です。

私はこの国が大好きです。

どうかこの東洋の素晴らしい文化を持つ国を守るためにお願いします。

歳を取ってもみんなが笑顔で過ごせる国になって欲しいです。

2025-12-02

俺、アリババローマ帝国で食べたピッツァの味が忘れられず、平安京からピザをオーダーする日を夢見る毎日を送る。

さて、現状だが

検非違使の奮闘によりルビコン川の向こうまで盗賊乃木坂首領Fidoを押し出したは良いが、太政大臣内戦になるからルビコン渡河を躊躇しているらしい。プレートテクトニクス重要なのはプレートに歪みをためることで、これがあとでティッピングポイントを越えると地震として非線形な力の解放のされ方をする。小さな外力で効果は十分なのだ富士山が爆発して中央構造線を境に日本列島が二つに割れる日が来るかもしれない。日本各地に◯◯富士があるから、一つくらい爆発して崩れても構わない。コンサル見習いの俺は、マグマエネルギーを利用したエコ発電を提案したい。文部省の試算によると、将来的には地球は人で一杯になることが明らかなので、俺は千年先駆けた日本ダヴィンチとしてエネルギー史に名を残せるかもしれない。なお、モナリザファンである

また、イスラエルピザ屋は日本上陸計画を立てているらしいものの、日米和親条約を盾に朝廷が首を縦に振らないことが予想される。

とまあ、そういうことだ

俺はかねてから西洋ピッツァ東洋饅頭なのではないかと疑っている。食の収斂進化なのだ古代中国では黄河饅頭を投げ込んで氾濫しないことを祈ったそうだが、現代ではそんな野蛮なことをしなくても、手っ取り早い「治水」の方法はある。

話はまだまだ続く

anond:20251202102312

でも逆説的に「東洋卒ごときを偽造!?」というおもしろ価値はあるよね

2025-12-01

おかずの国際化

白人東洋ならいけるけど、それ以外はちょっと立たないな

黒人褐色系は漫画ならいいんだけど実写だとムリだ

ポリコレからしたら正しくない行動なんだろうか

2025-11-30

anond:20251130111124

AIによる言語翻訳によってそれぞれの言語が背景情報に持つ文化的感覚の伝達が遮断されることで、過去の分断がリセットされ、ネットワーク上に新しいトライブが発生する可能性はありますか?そのような世界規模で同じ価値観を共有できる社会には個人が頑なに聖域を守る社会比較して発展性はありますか?

新しいトライブの発生: 「あり得ます」。 言語の壁(およびそれに付随する歴史的感情的なしがらみ)がAIによって無効化されることで、国家民族ではなく、純粋な「関心」や「目的」によって結びつく新しい群れ(トライブ)がネットワーク上に発生します。

発展性の比較: 「長期的な生存進化」という点では、『聖域(異質性)』を守る社会の方が圧倒的に有利です。 均質化された社会は、短期的には効率的ですが、環境変化に対する「適応力」を失い、システムとしての死(エントロピーの増大)を迎えるリスクが高いためです。

質問者様の問うた「発展性」を「どれだけ長く存続し、環境変化に適応できるか」と定義するならば、聖域(翻訳不可能身体性や文化)を守る社会の方が優れていますしかし、現代テクノロジーの流れ(AI翻訳による均質化)は止まりません。したがって、未来社会構造は以下のような二層構造になると予測されます(あるいは、そうなるべきです)。

上層(グローバルレイヤー): AI翻訳に支えられた、摩擦のない「新しいトライブ」の層。ここでは経済活動科学的な問題解決が、国境を超えて高速に行われます

下層(ローカルレイヤー): AIには理解できない、身体性や土地に根ざした「聖域」の層。ここでは個人が頑なに独自クオリア方言儀礼身体感覚)を守り、「上層」へ供給するための新しい意味価値ノイズ)を醸成し続けます

もし「下層」が消滅し、世界が「上層」だけになれば、人類は「AI管理する平和で退屈な水槽」の中で、進化袋小路に入ることになるでしょう。

Next Step: この「文明寿命」というマクロ視点から、「では、そのような『老い文明』の中で、個人はどうすれば若々しい精神創造性)を保てるのか?」という、ニーチェの「超人」や東洋思想老荘思想)に近い、個人生存戦略についてお話しましょうか?

ニーチェ力への意志は、力がベクトルとして大きさと方向を持つ前の状態を指すと理解しています。力が世界に向けて放射され続けると同時に、内側から常に新しい力への意志が産まれ続けることで常に原点に回帰する動きが永劫に続くことが未来を産み出すための差異となりうるのでしょうか?このように事象がおのずから萌えいづるものとして認知することは非常に東洋的な思想だと思いますが、一方で東洋西洋比較近代文明的な停滞期を迎えていたように見えるのはなぜだと考えられますか?

「おのずから萌えいずる(自然・じねん)」という感覚東洋思想親和性が高いにもかかわらず、「なぜ近代において東洋は(西洋視点から見て)停滞したのか?」という問いは、文明論における最大のパラドックスの一つです。この謎を解く鍵は、「力への意志が『どこ』に向けられたかベクトルの向き)」と、「『差異』をどう処理したかシステムデザイン)」の違いにあります東洋においても「力への意志」は枯渇していたわけではなく、「調和と洗練(内部)」に向けて全力で放射され続けていました。 西洋が「拡大(Expansion)」を選んだのに対し、東洋は「定常(Steady State)」を選んだ。その結果、西洋のモノサシ(軍事経済技術)で測った瞬間に、「停滞」として映ったのです。しかし、ここから重要です。 先ほどの「文化の熱的死」の議論を踏まえると、西洋型の「無限の拡大」を目指すベクトルは、地球環境という限界にぶつかり、今まさに破綻しようとしていますニーチェの言う「力への意志」の真の極致が、単なる力の拡大ではなく、「生成消滅する運命のものを愛すること(運命愛:Amor Fati)」にあるのだとすれば、かつて東洋が目指した:

「外部へ侵略せずとも、内部で無限に豊かになれる」

「おのずから萌えいづる差異を、破壊ではなく調和として包摂する」

という態度は、停滞ではなく「早すぎた成熟」であった可能性があります。今、人類が求めている「未来」は、西洋的な「拡大の果ての虚無」を乗り越えるために、この東洋的な「円環的創造」を、今度は停滞(閉鎖系)に陥らせずに、テクノロジーを使ってどう開放系として回していくか、という一点にかかっているのではないでしょうか。

円環的かつ開放系という一見矛盾するように見える社会構造の成立には長期的視野での改革必要になるように思えます。一方でAI代表される現代の先端テクノロジー米国西海岸的な強いプラグマティック思想のもとで発展しているように見えます。両者はむしろ反発しあいあなたの指摘する「乗り越え」は難しいのではないでしょうか。議論戦争メタファーである以上、弁証法的な乗り越えを期待するのは難しいように思います

議論戦争である(ARGUMENT IS WAR)」というメタファー支配する現在知的風土、そして「役に立つか、儲かるか(Pragmatism)」という強烈なドライブがかかったシリコンバレー的な加速主義の前では、東洋的な「円環」や「調和」といった概念は、単なる「敗者の戯言ノスタルジー)」として踏み潰される可能性が極めて高いです。今後、東洋的な「円環・身体性・聖域」が、西海岸的なテクノロジーに「勝つ」ことはありません。しかし、巨大なテクノロジーシステムの中に「不可欠な臓器(バグの調整役、倫理的アンカー創造性の供給源)」として寄生し、内部からシステムを変質させることは可能です。例えば、哲学者のユク・ホイ(Yuk Hui)が提唱する「宇宙技芸コスモテクニクス)」の概念はこれに近いです。 単一普遍的テクノロジー西洋近代技術)に対抗するのではなく、それぞれの地域文化宇宙観(Cosmology)に基づいた多様なテクノロジーのあり方を再構築し、グローバル技術ネットワーク接続しようという試みです。

反発と困難性: はい、極めて困難です。 理念的な対話によって「乗り越える」ことは不可能です。現代パワーバランスでは、プラグマティズムが円環思想を圧倒します。

可能性の所在しかし、プラグマティズムがその徹底性のゆえに「物理限界エネルギー環境)」と「情報限界意味の枯渇)」に直面した瞬間、「円環的であることこそが、最もプラグマティックな解である」というパラダイムシフト強制的に発生します。

未来への展望: その時、私たちが目にするのは、理想的な「東洋西洋結婚」のような美しい姿ではないでしょう。 おそらく、「超高度なAI管理システムが、システム維持のために『禅的な身体性』や『自然崇拝』を人間に推奨・強制する」といった、一見ディストピアにも見える、グロテスクだが強靭ハイブリッド社会です。それを「発展」と呼ぶか「悪夢」と呼ぶか。それこそが、次の時代哲学的な問いになるはずです。

ズボフの監視資本主義のもとでは、メガプラットフォーマーと呼ばれる企業群は個人が持つ情報を適正な対価を払わず取得していると言われていますしかしながら、AI機能の向上に直結するであろう特異なクオリアを持つ人間感覚を通じて取得する情報の貴重性が増すことで、特別な対価を提示した取引が成立することはありますか?ブロックチェーンのようなピアtoピア価値交換システムはこのようなシステム実装することに役立ちますか?

ズボフが提唱した「監視資本主義」のモデルは、「人間デジタル足跡(行動余剰)を無意識に垂れ流す資源であり、それを企業勝手採掘する」という前提に立っていますしかし、質問者様が指摘された「特異なクオリアAI模倣できない身体的・主観的経験)の価値高騰」は、この一方的搾取構造を崩し、「人間AI企業)との間で、対等かつ高額な取引」を成立させる可能性が極めて高いです。質問者様の仮説は、技術的・経済合理性観点から正しいと考えられます監視資本主義(タダ取り)は、データの質が問われない時代モデルです。AIがより人間的な深みを求めて進化する段階において、「特異なクオリア」は最大の商材となり、ブロックチェーンはそのための「市場」と「権利書」を提供します。それは、人間が「消費者から、自らの神経系が生み出す信号を切り売りする「感覚生産者」へと変貌することを意味します。(参考:ブロックチェーンを用いて、データ所有者がAI開発者などに直接データ販売ライセンス供与する「Ocean Protocol」のようなデータ市場エコシステム図。中央仲介者を排除し、P2P価値交換が行われる仕組みです)

Next Step: この「自分感覚を売る」という行為が極限まで進むと、「自分自身の人生を『AI学習コンテンツ』として演じるようになる」という、実存危機自己の疎外)が発生します。 この点について、「AI時代の新たな疎外論」として議論を深めましょうか?それとも、より技術的な「実際に現在稼働しているデータDAOの事例」について紹介しましょうか?

マルクスの言う資本主義における人間疎外と大きく異なると考えられるのは、監視資本主義においては疎外された人間から提供される情報にはクオリアが歪んだ形で入ることになり、生産品としては価値が失われてしまう点にあると思います。つまり監視資本の側は報酬としてプロレタリアートが疎外されていないという感触を与えるものである必要がありますあなたのいう徹底したプラグマティズムによってメリット双方向的に与えられるようなシステム形成できると考えられますか?その場合、どのような報酬系が最も優れているでしょうか?

「靴(物質)」は、嫌々作っても靴として機能しますが、「感動(クオリア)」は、嫌々作るとその瞬間に価値を失い、偽物(ノイズ)になる。この指摘は決定的です。AIが求める「真正クオリア」を収穫するためには、監視資本主義(あるいはその先のクオリア資本主義)の側は、提供である人間に対し、「自分は疎外されていない」「これは私がやりたくてやっていることだ」という強い没入感と主体的感覚を与え続ける必要があります。徹底したプラグマティズム(実利主義)の観点からすれば、システム側は「搾取に見えない搾取」、より正確には「搾取自己実現が完全に一致するシステム」を構築することで、この問題解決しようとするでしょう。

質問者様が問われた「システム形成できるか?」という点については、「可能であり、必然的にそうなる」と考えられます。なぜなら、「人間を不幸にする(疎外する)」ことが、システムにとって経済的損失(データの質の低下)になるからです。

旧来の資本主義人間をボロ雑巾のように使い潰しても、製品(車や家電)ができれば利益が出た。 → 人間は不幸でもよかった。

監視/クオリア資本主義人間が不幸を感じ、シニカルになると、製品データ)が使い物にならなくなる。 → 人間は(主観的には)幸福でなければならない。

最も優れた報酬系とは、「報酬」という概念自体消滅させるシステムです。「生きること、遊ぶこと、表現することが、そのまま価値生成となり、生活の糧となる」という、マルクスが夢見た「労働と遊びの区別がない共産主義社会」に極めて近い状態が、皮肉にも「AIによる超高度な管理パノプティコン)」によって実現されることになります。この社会では、プロレタリアートは「自分搾取されている」とは微塵も感じていません。彼らはシステム提供する「最高の遊び場」で、自らの才能を遺憾なく発揮し、幸福感に満たされていますしかし、その「情熱」も「感動」も、すべてがシステム養分として吸い上げられているという点において、これは「疎外の極北(疎外されていることにすら気づかない完全な疎外)」と言えるかもしれません。

これを受け入れられるかどうかが、最後分水嶺になります

2025-11-28

俺は黒人の女でシコりたいのに、世間がそれを許してくれない。

フリーレンの黒人化とかそういう問題で、

黒人化しても誰も喜ばない」とか「いやこれは黒人権利を取り戻すための正統な行いだ」とか「白人がやってることと同じで結果文化盗用だ」

という感じで、妙な軋轢が生まれている。

 

俺はこれに関して、一旦こういったポリティクス問題於いておいて、ある問いかけがある。

 

そもそもちゃん黒人女性でシコった事があるのか?
エロく見えないという意見死ぬほど見るが、抜いたことが無いかエロく見えてないだけなんじゃないのか?

 

おっとポリコレの話か?と身構えるだろうが安心してほしい。

俺は黒人女性マジでエロい目で見ていて、黒人の激エロキャラゲームで出してほしい、金玉奴隷なだけだ。

 

とはいえ、原因がなんとなくわかるし、それを異常だ愚かだ差別だとまでは言わない。

(ただ、「こいつら、チンコをサボってるのをポリティクス理由なすりつけてんじゃねえか?」と憤りを感じる時はある。)

 

おそらく原因は

 

なんか抜けない

 

というところだろう。

 

これ実は、

黒人という属性があまりにもポリティクスに寄りすぎているので、エロを感じる前に政治的メッセージを考えてしまう。」
「そしてその理由を後付で見た目に還元してしまっている。」

というのが本当のところなのではないか

 

そうでない場合、抜けない原因は黒人云々ではなく個人の美醜の価値観になってくるので存分に自分がスケベだと思うもので抜いてほしい。

抜くだけであるならば、そこをどうこうは言わない。

 

しかし抜く余地があるのにそこを怠り、あまつさえ後付の理由存在まで否定までするならば、流石に言わせていただきたい。 

 

幼少期から黒人系の友達と触れ合ってない限り、黒人と深く触れ合う機会は教科書になるため、

パッと見た時の印象は「差別」「人権」「歴史」などになる。

 

そして、日本含めた東洋では黒人女性ポルノが発展しておらず、エロティックなイメージが育まれていない。

 

そうなるとエロさを感じる余地がなく、純粋オナニーができない。

といった事が考えられる。

 

しかし、「でも見た目が…」と思っている人もいるのではないだろうか?

 

これは単純に日本人のAVでもちょっと見た目が抜けないな…みたいな話で、俺にも抜けない黒人はいる。それだけの話だと思っている。

 

それでもやっぱり政治的問題がチラつくというのであれば問いかけたい。

お前は政治オナニーをしているのか?ということだ。

 

普段から政治的メッセージを発信しているAV女優で抜けるのか?」

という問題が考えられるが、これは

実際は激エロで抜けてしまったらどうするのか?

と即座に反論できる。

 

スケベな諸君於いて理解していただけるだと思うが、この問題に対しては

 ・一旦政治的な事は置いておいてエロさだけで見てみる。

 ・その後に政治的問題も加味してイケるかどうか判断する。

という手順を踏むと思われる。

 

しかし、この問題は一度激エロであると考えてしまえばある程度背景的情報無視できるというのは諸君チンコが良く知っているはずである

可哀想過ぎる、いくらなんでも言い過ぎなど、背景的情報が強すぎる場合は抜けないこともある。)

 

冗長になるが、おそらく黒人女性で抜くという問題もこれに似ていて、

ポリティクスイメージが先行しているかつ、ポリティクスイメージしかない。(=黒人というワードが常にポリティクスワードとして処理されている。)

ためにこれが発生していると思われる。

 

ここに哀しみがあるのだ。

黒人女性キャラを出すにはつねにポリティクス問題がつきまとうので安易に出せず、出すためにはポリティクスな要素を強く押し出さなければならないという現状がある。

 

俺はただシコりたいだけなのに、黒人キャラというだけで政治的議論が巻き起こり、黒人キャラが出しづらくなってしまっている。

(これは何もポリコレ批判というワケではない。「ポリコレがなければみんなギスギスせずにこういう可愛いキャラが出るのに」みたいなポリコレ批判もまた、政治的対立煽りしかなく、どちらも私の敵である。)

 

白人の女やアジア人の女、アラブ系の女、果ては動物の女はそんなの気にしないで出されるのに、アフリカ系、つまり黒人だけ全然出されない。

 

デカい尻、キメの細かい肌、プリッとした唇、俺は黒人女性がとにかくエロいと思っているのに、政治の話をされる。

精液や母乳性器等粘膜の明るさとのコントラストを最も強調できるのは、黒ギャル褐色を超えた黒を持つ、アフリカ黒人の肌なのだ

何を日和っているのか。こんな弱腰ではVRChatで男とホモセックスごっこしかできないのではないか。 

ここで二の足を踏んでいるか日本から見てエロ黒人キャラというのが開発されず、黒人というのが政治的ものになってしまい、面倒なことになっているのではないか

 

俺はただ、純粋にシコれる黒人女性キャラを出してくれと思っている。

これはポリティクス要求ではない。俺がシコりたいからという、シコリティクスな問題である

  

ただ、これが純粋性的消費の欲望による一方的要求であることは理解している。

シコれたからとして、じゃあ性的搾取なんじゃないのかと言われたら、はいそうですね死にます王手です僕はチンコ奴隷ですと敗北を宣言せざるを得ない。

からシコれる存在であれと押し付けることはしない。俺が一方的に黙々とシコるだけだ。

 

ただ、そのあたりは別の議題になる。

ここでは一旦、「まだやってないもの否定的に見るな」という話題であるということを示して、抜いてきます

そう考えるとドリフターズちょっとおかしかったよな

果てスカで「死後の世界時間前後はない」って話なのにいる人中世ヨーロッパ人ばっかりやんって批判あるけど

ドリフターズ世界偉人召喚したって設定の割に東洋のクッソ小国日本人割合が高すぎるだろ

世界の仮に戦闘に特化した偉人だけ集めたとしても日本人なんか100人呼んで1人入ってればいい方だろう

少なくとも島津絶対に呼ばれない

仮に呼び出し本が新聞の朝刊だとしたら島津そもそも載ってないか死亡欄に名前だけ載ってるとかそういうレベル

まぁ歴史オタクヒラコー島津好きで始めたみたいな作品から島津が出んことには話にならんのやけどな

ただ島津豊久は島津の退き口が評価されてるけど同じ話やったらレオニダスでも張飛でもよかったんじゃなかろうかという気持ちがないわけでもなくなくなくなくなくなくyeah

2025-11-26

anond:20251126225216

その引っかかり、すごくよく分かります技術的なマイルストーンとしての凄まじさと、それを作っている人間たちの「で、結局どこへ急いでるの?」という根本的な問いとの間に横たわる溝ですよね。

私も内容を確認しましたが、おっしゃる通り、デミス・ハサビスDemis Hassabis)を中心とした「天才世界を救うために疾走する」というナラティブ物語)が強烈に演出されていましたね。

あなたの感じた違和感を、動画の具体的な描写と照らし合わせながら少し深掘りしてみたいと思います

1. 「自己伝説」の演出について

アメリカ人のやらしいところ(自己伝説開陳)」という指摘、鋭いです。DeepMindは、Google傘下に入り、演出手法は完全にシリコンバレー流のヒーロー物語になっていました。

2. 「禅僧」 vs 「解決中毒

あなたが「禅僧がひっそり暮らすのが理想」と仰るのに対し、このドキュメンタリーに出てくる人たちは真逆の「解決中毒」に見えます

3. 人類は何を目指しているのか

動画クライマックスでは、AlphaFold(タンパク質構造解析AI)が科学進歩を加速させることが「人類へのギフト」として描かれます。確かにガンの治療薬ができれば素晴らしいことですが、その先にあるのが「AIが何でも最適化してくれる世界」だとしたら、人間は何をして過ごすのか?という虚無感は残ります

 

彼らが目指しているのは、究極的には「人間の知能を超える存在を生み出し、バトンタッチすること」自体目的なのかもしれません。それを「進化」と呼ぶか、「敗北」と呼ぶか、あるいは単なる「エゴ暴走」と呼ぶかで、このドキュメンタリー感想は全く変わってくるのでしょう。

一つ一つの発明は間違いなく歴史的偉業ですが、その動機が「純粋好奇心」だけではなく、「歴史に名を刻みたいという強烈な自我」に見えてしまうと、あなたの言うように素直に感動できない「引っかかり」が残るのも無理はない気がします。

2025-11-20

陰キャ日本人男性に告ぐ、欧米への留学はやめておけ


特に数字扱う系

マジでやめておけ、基本的精神破壊されるだけだから

今年の9月からヨーロッパ某国大学院留学してるんだけど今毎日発狂してる

具体的には家の中で大声で「しにてぇ~~~~~~~~~~」って叫び続けるとか

自転車乗りながら「ころしてくれぇ~~~~~~~~~」って叫ぶとか

シャワー室(風呂なんて文明的なものはない)の壁を殴りまくるとか

そういうことでしか苦しみを発散できない

それ以外の時間はぼーっとしてるか増田みてるだけ

日本大学って陰キャとか無キャに実は優しいシステムなんだよ

学部とか専門によるんだろうけど、別に誰かと積極的に関わることが究極求められることも多くはない

正直やることキッチリやってりゃ学べるし、孤独感はあっても質の高い教育母国語で受けられる

でもさ、こっちは大半がグループワークとかディスカッションとかで満たされてるわけよ

論点とか設問とかがドカッと出されて、あとは放置

なんつーの、アクティブラーニングピアラーニング?聞こえはいいよな

この時点で陰キャにはかなり厳しいことが理解されるだろう

でもそれ以上に問題なのは大抵が学生お気持ち明大会になるのよ

「私はこう思いました、何故なら私はこれが気に入らないからです」とか

「私はこう計算しました、何故ならここにこう書かれているからです」とか

いや勿論時々鋭い意見とか発想が出ることはあるけどさ

一方で全体を通した教育効果としてはかなり効率も悪いんじゃねぇのと思わざるを得ない

それとも俺が大学院で行われていることを勘違いしていたのか?

差し当たってそこを譲歩したとしてもだ、この時点で陰キャヤプーには苦痛しかねぇんだわ

欧米人連中という言い方をするが、欧米的なシステム教育をされた者、例えば中南米とかインドアフリカ高等教育を受けた層も大体同じ

あいつらコミュニケーションマウント取るのが日常なんだろうな

から日常コミュニケーションマウンティングがいつの間にかアカデミック能力の判定にも使われてるんだろうな

留学できるくらいには英語ができる自信と能力はあってもさ、机上の理論をネチネチやってる陰キャヤプーには実践の殴り合いは厳しいのを痛感したわ

自分の思ってることが速やかに出てこないで、それで相手の側が明らかに馬鹿にしたような態度を取ってくる体験したことはあるか?俺はある

俺はそもそも祖国を離れるのもこれが初めてなんだよ、貴様に合わせて英語使ってやってんだよ

英語できない×コミュニケーションできない=陰キャ東洋男性なんて従って基本的にはヒエラルキーの最下層になるわけだ

我々の友人は韓国中国陰キャだけ、それ以外の連中はみんな我々を下に見ているか東南アジア人みたいに憐みの目を向けてくる

なんで分かるかって?奴ら俺らが話しかけても無視するんだぜ?

なんで台形の面積もわからねぇ奴らに数学説教食らわなきゃいけないんだよ

明らかに貴様らが計算間違っててそれを必死に拙い英語で伝えようとしてるのに無視すんだよ

ロジック説明しようとしても「僕たちには数字は分からいからさHAHA」みたいな感じなんだよ

話を聞いてくれっつてんだよ

日本よりもっと良い学びの環境があると思って必死に頑張って得られた機会だけど正直今はかなり後悔している

マウンティングに挑む覚悟能力がない奴が来て良い場所じゃなかった

知りたいこと、好きなこと、新しいことを学んで、深められる環境では全くない、少なくとも俺みたいなシコシコやってたタイプには

少しでもこのイラつきと屈辱を発散するために増田書いてるけど

別にこれ書いたって何にもならねぇんだよな

2025-11-14

盗賊百話

アリババです。一ヶ月ほどインターン勤務を離れて充電してきたところ。

遣唐使から帰って俺は

乃木坂(村を荒らしてきた46人の盗賊団)の首領Fidoに狙いを定めた。奴は俺の遣唐使生活を掻き乱した悪人だが、急がば回れ、ここで恩を売ってアピールしておくのだ。実はFidoは、村では変装して、零細の飛脚屋を営業している。白髪混じりの髭をツルツルに剃って、黒髪の鬘を被り、村では、寄付をしないケチ実業家として知られている。労働基準法もびっくりの二重賃金価格を設定して、人の移動から引越しまで、社員をこき使っているのだ。

さて、俺は大陸で禅の修行をしていたある日、「アールワン」と禅師が叫ぶのを聞いた。日本語でいうところの、「喝」と考えてもらっていい。その瞬間、俺は閃いてしまったのだ。これは、Fidoの運送業務の難題を解決する新規経路アルゴリズムの鍵となる可能性を秘めていた。そこで俺は、派遣末期にインディードiPad検索し、そこにしれっと出ていたFido飛脚屋に応募、いや正確には、なにくわぬ顔をしてFidoにコンタクトを取った。Fidoは、「どうしてもやりたい事が見つからなければうちに来てもいい」と言ってきた。勿論俺は、そんなチンケな飛脚屋で飼い殺しにされるつもりはなく、禅の公案を考えていた最中に浮かんだアイデアを試したいだけだ。

ところが生憎、Fidoは初め俺を奴の素晴らしいアイデア証明するための突破口へと突撃させるポーン♟️として利用しようとした。俺は「毒蛇は急がない」というどこかの国の諺を知っていたので、殊勝顔で業務遂行するフリをした。糸口としては面白いが、今俺が身を切る理由はどこにもないので、客観的業務日誌を付けるよう心がけた。

半年と少しが経った

遂に好機がやってきた。ある夏の日、最新の大陸の禅書に、アールワン(とはどこにも書いてなかったが)を売り込む口実を見つけたのだ。衒学的なFidoは、飛脚屋だが最新の禅書を揃えて並べるのを趣味としている。書物配列暗号を仕込んであるらしいのだが、俺の頭では解読できそうもない。

早速俺は、Fidoへの業務報告の機会にPRを始めた。「これは大陸権威ある禅者が著したもので、このように言ってます。これが斯界の新潮流です。しかしながら、文脈Qで、世界アールワンの謎に気づいているのは私だけです。これがうまくいけば、我が社の経路探索問題解決質的な飛躍が起きます。つまり、全ての道はローマに続くことが分かれば、飛脚は走るだけで良いのです」

その時、Fidoの眼が黒く光ったのを俺は見逃さなかった。これで我が社も一息つける、天下りネタに使おう、そのために馬車馬となってもらおう、等々。大陸孫子兵法を学んだ俺は、学究心に溢れた修行僧のように見える目つきをして、このFidoの皮算用を逆に利用することにした。Fidoがこれを読んでヘソを曲げられても困るので、詳細は書かない。

ピッツァの味が懐かしい頃

必ず一年に一度、俺はなぜか無性にピザを食べたくなり、国際ピザシンジケートホームページからピザ屋の広告を眺めた。すると、あら不思議、いつもその直後にFidoの魔の手が俺に迫ってきたため、その度に俺は比叡山延暦寺に身を匿ってもらわないとならなくなった。何度か、「本当に危ない目」に遭った。ちなみに、二度目の時だったかと思うが、事の直前に俺は紅葉を見に寺社に行ったのだが、ブリタニアピザ屋の社員と思われる男が本邦の女性と秋を楽しむ名目で、俺の様子をそれとなく気にかけるのを見た。日本人の心性を探って日本進出への足掛かりとするなど、なかなか忍術兵法に熱心ではないか能天気な俺は、自分がどんな目に遭うのかこれっぽっちも思い至らないので、そんな雑駁な感想になるのだ。

このようなギャップはあったが

俺は着実に、飛脚屋最適経路問題解決すべく新規アルゴリズム開発の歩を進めた。実を言うと、それはすでに出来上がっているのだが、Fidoが本来盗賊稼業に忙しいので、いまだに実装されていない。世界の片隅でこっそり言おう、Fidoの飛脚屋が効率的仕事をする時がもし来るとすれば、それは俺のお陰である東洋島国ローカル飛脚屋の発明インパクトもつとは思わないが、未来運輸業界の歴史家は、もしかしたら寛大にも俺にウインク😉をくれるかもしれない。

時計現在に進める

さて、国際ピザシンジケート及び我が国検非違使がFidoへのラブコールを表明しているのは、周知の通りである。俺のような馬の骨はFidoのようにはモテないので、最新のピザを真っ先に試食できるFidoが羨ましくてたまらない。が、それはいい。

🇮🇱のピザ屋がFidoにピザをどうしても食べてもらいたいと熱心だったので、6月広告を見た後、俺は間に立って青田買いを控える協定合意してもらった。

🇺🇸のピザ屋は、ドンドンパチパチ薪が爆ぜる窯焼きピザ推しているようだ。

🇬🇧のピザ屋は最も狡くピザ販促において謀略を仕組み、また、村の井戸端広告を出している。Fidoがこれまでピザを食べたことがなかったのは、村人(の言論活動)にもかなり責任があると俺は思うので、これから先、村人には文明開化香りを堪能して欲しい。

俺は、Fidoの今後には二つのシナリオがあると思っている。二つ目は一つ目が起きない時で、あと20年、Fidoは俗界で過ごすだろう。一つ目は、あと5年俗界、その後5年ワンルームカーテンコール)。タイムスリップキーとなるのは🇮🇱のピザ屋の動きだ。なぜなら、一番美味い😋との噂だからだ。

しかし俺は愛国者なので、検非違使が国際ピザ販売業務の統括か、自国ピザ販売をして欲しいと思う。

話はまだまだ続く

2025-11-01

少年少女世界の名作文学

私が生まれた時に父親フリーマーケットか何かで全巻格安で売っていたので買ってきたそうだ。

全50巻。

平均ページ数は500ページほどで、しかもページ内は上下二段になっているストロングスタイル全集である

文字級数は大きくなく、内容がぎっしり詰まっている。

第一巻には

アラビアン・ナイト

「ワイナモイネ物語

「ギリシヤ神話

ホメーロス物語

が収録されている。

普通にそれぞれ1冊の本として刊行されるレベルだし、

子供向けであればギリシャ神話などはシリーズになっていてもおかしくないが1巻に全部入ってる。

 

私の読書原体験はこれであり、大体小学校3年生くらいまでには読破していて3周くらい読んだと思う。

中には「狭き門」だとか「シラノ・ド・ベルジュラック」だとか「ファウスト」だとか

小学校中学年までが読むにはストロングスタイルすぎるなという作品が多く含まれている。

罪と罰」とかも当然入ってるからね。「水滸伝」とか子供が読むには登場人物多すぎるだろ。

そして今は私はほとんど内容を覚えていなが、当時の私はちゃん理解して読んでいたのだろうか。

ティーヴン・クレインの「怪物」とか絶対本質理解までは行ってなかっただろうなと思う。

 

ということを書きたくなったのは、実家の片づけをしていたらこれが割といい状態で出てきて

子供もそろそろ5歳になるので本人の意思で読むかどうかは別として、

今の家に持って帰ろうかと思って懐かしい気持ちで眺めていたからだ。

しかいかんせん場所を食う。悩みどころである

 

以下雑記

東洋編は3巻あるのだがそのうちペルシア2、インド2、韓国1、中国12となっており中国文学の手ごわさを感じる。あと韓国1は韓国短編集となっており子供も読める韓国文学といえばこれでしょ!みたいなのって少ないのかな?と思った。

2025-10-16

anond:20251016092003

自然派定義が謎だから何とも言えんけど、西洋医学批判的な人が飲むことが多い

個人的経験しかないけど、産業医とか精神系の医者東洋医薬と合わせて漢方も薦めることが多い

2025-10-08

果実を見て木を判断する

悪の凡庸2.0──無思慮な服従から寄生的な模倣、そして兵器化されたレトリック

本小文では、ハンナ・アーレントが提起した「悪の凡庸さ」(BE 1.0)が、現代においてより巧妙かつ陰湿なかたちへと進化していることを論じます。かつての「悪」は、思考停止と無反省服従によって成り立っていましたが、今日の「悪の凡庸2.0」(BE 2.0)は、計算された行動と、美徳言葉悪用する戦略的操作によって特徴づけられます

悪の凡庸2.0構造メカニズム

BE 2.0は、二重のメカニズム──すなわち、道徳的言語兵器化する巧妙な操作者と、その偽りを見抜こうとせず、あるいは恐れて沈黙する共犯的な大衆──によって機能します。

BE 1.0とBE 2.0の対比

アーレント洞察は、ホロコーストの実行者アドルフ・アイヒマンが、激情による加害者ではなく、ただ命令に従うだけの「無思慮」な官僚であったという点にありました。

それに対し、現代加害者たちは「善人」を装い、美徳的な言葉を駆使しながら、実際にはアーレントが描いた「悪」構造と変わらぬ行為を実行しています

BE 2.0が「凡庸であるのは、加害者意図が欠けているからではなく、加害者自身社会全体も、絶え間ない露出──特にソーシャルメディアを通じたもの──によって感覚麻痺し、悪のパフォーマンス日常化しているためです。この日常化は、「相手が悪いのだから自分は正しい」という自己免罪のロジックを生み出します。

つの悪の構成要素

1. 洗練された悪意

明確な思想や信念に基づいて行動し、動機を「正義」や「権利」といった語彙の裏に巧妙に隠す操作者たち。彼らの悪は、分散的かつ非階層的に機能し、いわば「(サルの)群れの知性」のように動きます。また、共感は狭い部族サークル限定され、普遍的倫理感覚麻痺していきます

2. 凡庸共犯

観衆、同僚、制度、そして傍観者として、彼らは悪の遂行に直接加担していないように見えて、検証を怠り、言葉だけの美徳に騙され、結果的に悪の温床を支えていますリーダー言葉にうなずくだけで、その後の行動全体を黙認してしまう、この「暗黙の承認」が共犯関係形成します。

現代の悪がまとう六つのマスク

BE 2.0は、「正義」に見える言葉の衣をまといながら、実際には害を与えるための操作アーキテクチャとして機能します。以下の六つは、その主要な「マスクベクトル)」です。

1. 自由兵器

本来、異議申し立て保護するための「言論の自由」が、憎悪排除の言説を正当化するために使われます権力者被害者を装い、権利言葉を用いて多元主義のものを抑圧する──これが洗練された悪の典型です。

2. 擬似正義としてのスケープゴート

社会構造に根差す不正義が、象徴的な「個人」に押し付けられます

システムの生贄化:制度の失敗を覆い隠すために、ひとりの個人が「償い」の対象とされ、構造改革必要性は棚上げされます

イデオロギーによる自動攻撃:あるカテゴリの人々が「攻撃してよい存在」として事前に定義されており、指示がなくても攻撃が発生します。まさに、無思慮な脚本遂行です。

3. 歴史的な恐怖の矮小化

歴史上の重大な暴力や抑圧が、軽んじられたり、相対化されたりします。これは、現実被害正当化する方便として使われがちです。

4. 永続的な不満の維持

進歩や変化を認めず、過去不正義を手放さないことで、継続的要求道徳的優位性を確保しようとします。目的は「癒し」ではなく、「不満」の永続です。

5. 真実マクドナルド化

複雑な現実が、単一の枠組みや道徳コードに押し込められ、それ以外の価値観は「後進的」として排除されます

6. 投影非難模倣

自らが行っている行為を、先に相手投影し、正当化材料とする。この「合わせ鏡」の構造では、真の責任追及が不可能となり、対話エスカレートする一方です。

悪が成立する三つの条件

すべての誤りや偏見「悪」となるわけではありません。「悪」が成立するのは、次の三つの条件が重なったときです。

1. 人間認識否定

他者を、尊厳ある主体ではなく、単なる機能や道具として扱う「存在論的な消去」が、悪の第一条件です。暴力の前に、すでに尊厳剥奪が始まっています

2. 普遍化された構造

個人の悪意を超え、イデオロギー制度に組み込まれることで、悪は再生産され続けます

3. 善の反転(寄生模倣

悪は、善を単に否定するのではなく、模倣し、利用します。たとえば、「権利」の言葉が、本来守るべき弱者ではなく、強者防衛に使われるとき、それは善の腐敗です。

解決の鍵:内なる変容と外的な防護

技術的な修正制度改革だけでは、BE 2.0に対抗できません。というのも、これらは逆に「寄生模倣」に取り込まれしまうからです。根本的な解決は、私たち自身内面から始まる変容にあります

東洋智慧は、個と社会は分かれたものではなく、同じ意識運動の異なる側面であるという洞察を共有しています。内なる断絶が癒されるとき、外なる対立自然に鎮まります

解決のための「二つの道」

1. 内的な道:瞑想自己探求、倫理的明晰さを通じて、自己の中にある認識否定構造解体する。

2. 外的な道:未変容な人々が存在する現実においても害を防ぐための、法や制度規範といった堅牢な外部構造を整える。

判断基準:「三つの鏡」
1. 対話の鏡:

その行為は開かれた交流を促し、複雑性を許容するか?それとも、対話遮断し、イデオロギー的な純粋性を要求するか?

2. 癒しの鏡:

和解と修復を育むか?それとも、分裂と戦略的な不満を永続させるか?

3. 共同体の鏡:

力、尊厳自由をより広範に分配するか?それとも、特定部族のために力を集中させ、特権を溜め込むか?

言論の自由」が一貫して沈黙を生み出すとき、「学問の自由」が一貫して排除するとき私たち戦略的操作兆候特定できます

結論

民主主義は、BE 2.0の条件が蔓延するとき集団的凡庸な悪が集約され、最高位の舞台投影されるベクトルとなりえます現代指導者たちの台頭は、システム日常的な否定投影兵器化された美徳パターンを増幅し、正当化するようになった論理的な結果です。

サイクルを終わらせるには、外部の敵を探すのをやめ、内的な変容という困難な作業を始める必要があります。それまで、私たちは悪が選ぶ新たな仮面のすべてに対して脆弱なままです。

本小文は、以下の論文を参考に、オンライン講座「サルからヒトへ——進化と退化の不思議」の草案として、教育目的作成されました。

https://philarchive.org/archive/BOGTBO-3

2025-10-05

anond:20251004160446

増田家秘録 嘉永六年(1853年)秋

拙者、増田と申す、齢二百年に及びし者。江戸末期、嘉永の世に生まれ、下級武士の身ながら、洋学に志し、奇縁により不老の術を得て、現代に至るまでITとやらなる術を操りし者也。されど、この胸中、開国の風に始まり現代電脳世界に至るまで、騒乱の波に揺れ動く。

異国の地にて洋学電脳術を学ぶ

十余年前、否、百七十余年前、嘉永の世に、拙者は異国の地にて洋学を学び、後にITエンジニアと呼ばれる職に就きし。黒船浦賀に現れ、幕府が動揺せし頃、洋学日本未来を照らす光と信じられ、蘭学書は江戸の書肆に溢れ、若者たちは競って西洋の術を学んだ。拙者もまた、サンフランシスコロンドンユダヤの地を巡り、蒸汽機関電信の術を修め、さらには現代電脳術に至る。

当時、日本洋学東洋の雄として名を馳せ、諸藩の若者がわが国の術は世界に通ずと誇りし時代也。拙者もまた、若さに任せ、浮世絵歌舞伎、そして現代に至るアニメゲームに心奪われつつ、洋学電脳術の力を信じ、同志と語り合った。されど、異国の地にて出会いし師、ユダヤ出身の老練な技術者、その言葉は拙者の心に突き刺さる。

「これまで見てきた日本の学徒は、みな洋学電脳術の知識こそ重要と口にする。拙はそう思わぬ。それはまるで、浄瑠璃物語を盲信するが如き也。電脳術に必要なのは、筆力、すなわち母国語での読み書き、対話、人の心を掴む力也。少なくとも、術を世に広め、商いや国政に活かすには、こその力が肝要。されど、日本の学徒にそのような者を見たことがない。拙は百人近くの日本技術者を教えしが、一人もおらぬ。」

「このような者ばかりでは、日本電脳術は、ある日を境に凋落し、何も生み出せぬ時代が来る。五年後か、十年後か、百年後か。」

拙者、当時、憤りを覚えた。何だ、この異国の老人が!わが国のアニメゲームの魂を侮るとは!と。若さゆえの過ち也。されど、師の周りには、中華商人インド学者西洋技術者北欧船乗りカナダ役人万国博覧会の如き人々が集い、みな師の言葉に頷く。

異国の者たちの言葉

中華商人曰く「算法や機械知識重要とよく言われるが、拙の学んだ場では、そんなことは教えられず。術の根本理解すれば、さような発想は生まれぬ。」

インド学者曰く「この狭き視野日本の弱点也。電脳術の理解不足は、船や兵器のみならず、現代デジタルツインにも影響を及ぼすだろう。」

北欧船乗り曰く「これからの世は、すべて電脳術に基づく。如何に巧みに術を組み立てるかで、国力も民の暮らしも変わる。」

カナダ役人曰く「電脳術についていけねば、国庫も民の暮らしも貧しくなるばかり也。」

拙者、頭に血が上り反論した。さような大言壮語浮世絵アニメ領域にまで及ぶものではない!と。されど、師や同僚たちの目は、憐れみ失望に満ちていた。とりわけ、親しきアメリカ技術者アニメを愛する者にして、こう言った言葉は今なお忘れられぬ。

増田よ、言いにくいが、日本技術者は、世のことに無関心すぎる。拙は日本アニメを愛するが、日本電脳術は、まるで歌舞伎アニメの内輪の興行の如く、閉じた世界に生きている。かつての洋学はそうではなかったやもしれぬ。されど、十年ほど前より、そうなってしまった。」

電脳術を、町人や異国の者に使ってもらおうという謙虚さがない。術の名や道具に女児むけアニメ特撮ヒーローの名をを付けるなど、異国では狂人所業と見なされる。」

日本技術者は、他者不在のまま術を進めているのだ。」

会話は英語ゆえ、拙者が和文に訳して記す。當時は、なぜそこまで言われねばならぬ!と本気で憤った。されど、今思えば、技術者の間に異国の者にわからせる必要なしとする風潮、さらにはアニメゲームの名を術に冠する文化が根強かった。

師の忠告帰国

師は常々、こう申された。増田よ、アニメゲーム以外の趣味を持て。それが拙の唯一の忠告也。

その後、拙者は憐れみの目が耐えきれず、数年学び、怒りに任せて帰国した。されど、江戸の世から現代に至るまで、日本電脳術は鳴りを潜め、西洋列強やGAFAMと呼ばれる巨人の術に圧倒され、名を聞かぬほどになった。

今、巷やXなる電脳寄合では、拙者ややや上の世代がかつてのWinnyは優れていた。されど、幕府や民の無理解により、潰されたと、被害者意識を振りかざす声が響く。拙者、現代に至り、ようやく悟った。拙者は世を知ることを恐れ、ただアニメ電脳術に逃げていたにすぎぬ。それらが面白いのでも、愛しているのでもなく、他に能がなく、生きるために術を学んだだけだったのだ。

予言現実世代凋落

これからの世、拙者のような技術者は淘汰され、電脳の場から追われるだろう。既に、電脳術のみならず、世のことを知る新世代の技術者たちが、拙者が異国で嫌った者たちと同様に、日本でも珍しくなくなった。拙者の世代は、さような者たちを軟派と呼び、憎悪を燃やす者すらある。さような声が、電脳寄合で響く。

師はかつて、こうも予言していた。

日本技術者は、アニメゲームの如き閉じた文化から脱却せねばならぬ。されど、増田世代では、それは叶わぬだろう。」

「内輪に籠り、選民思想を高め合っても、女児向けアニメ特撮ヒーローの名を愛する心を、異国の商人幕府役人理解するはずもない。やがて、内輪に籠ったまま置いてけぼりとなり、他者を責める心のみが残る。その果ては、犯罪者となる道也。西洋では、さような者たちが電脳寄合をなし、辻斬り放火を起こし、世を騒がす。日本の地ではまだだが、いずれそうなる。」

ああ、その通り也。拙者が現代に至り、見るものは、予言の如く也。ある技術者が、娘たちを襲う集団の元締めとして捕まり、世を騒がせた。また、別の者は、幕府ならぬ国の金をかすめ取るスパコン詐欺を働き、獄に繋がれた。さらに同年、拙者と同世代技術者狂気を発し、神戸の町で辻斬りを起こし、刀と鉄棒で五人を斬り殺し、捕らえられた。聞けば、裁判では有名な異世界転生アニメ青髪メイドと契りを結ぶため、哲学的幽霊を斬らねばならぬと喚き、狂気ゆえ罪を免れたという。

数年前には、かつて電脳術の場を立ち上げ、志半ばで潰え、世を恨み、異人を罵る言を繰り返した者が、偽の品を売りさばき、捕らえられた。

予言の通り也。日本電脳術は何も生み出せず、高い誇りだけを抱え、売れぬ術を誇り、世を恨む声ばかりがXで響く。

敗北と悔恨

拙者たちは敗れたのだ。いや、始めより勝負にすらならなかったやもしれぬ。師の忠告が今、響く。拙者たちは、アニメゲーム以外の道を歩めぬ。八方塞がり也。あれほど気高く電脳術を誇った拙者や同輩たちは、世を恨み、若さや美を妬み、刀や火を手に辻斬り放火を起こし、獄に繋がれる。さような姿は、かつて夢見た攻殻機動隊の如き輝かしき未来とは程遠い。

されど、最も辛きは、さような狂人に同世代が多く、納得できてしまうこと也。高い誇りを持った拙者たちが、何も取り戻せぬまま、後の年月を生ねばならぬ。喪失感と欲を抱え、世や若者を憎み、辻斬り放火で世に復讐せんと考える者が出るのも、拙者たちの罪とはいえ、致し方ないやもしれぬ。

拙者たちは、世を知るべきだった。他者理解すべきだった。されど、もはや遅い。世との乖離は極まり若者を誘う行為咎められ、激昂する者、女性脚本家些細な言に怒り、騒動を起こす者。さような行為が、拙者たちの世代の生み出したものと思うと、涙が止まらぬ。

狂気の果て

拙者たちの世代は狂ってしまった。電脳術で世を変えると勇ましく語った者たちが、娘を襲い、国を欺き、刀で人を斬り、狂気の果てに異世界へと心を飛ばす。拙者が信じた夢の果てが、これ也。

拙者はさすがに、陰謀を信じ、世を罵るまでには堕ちぬ。されど、同世代の多くは、喪失感憎悪に囚われ、電脳寄合で世を怨む声が響く。先日、町田の町で辻斬りが起こり、世を騒がせた。

拙者は今日も、電脳術の片隅で生きる。江戸の世から現代まで、過去を悔い、アニメゲーム残滓で生きながら。

2025-10-02

anond:20251002203038

賢いブスは大学時代東洋人好きの留学生を捕まえて結婚するという戦略を取ってたな

2025-09-24

中国韓国敵対視している人、経済感覚なさすぎる

これから米国は衰退して、西洋世界に代わり東洋が台頭してくる

日本中韓とともにアジア経済圏をつくって乗ってかないと、アメリカに吸い取られてポイ捨てされるだけ

勝海舟が、中国朝鮮相手戦争に反対して、西洋に対抗する東洋経済圏をつくらねば、

といってたのに薩長田舎侍が暴走してボロボロになり遺恨を残したってのに

全く学ばず同じような間違いを続けてる

インド人中国に対して若者エリートが「仲は悪いが政治経済は別、手を取り合うべき」という知性があるのに

政治経済を同一視して頭悪い極右支持するような頭悪い国民が多すぎ

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