はてなキーワード: 幽玄とは
原始神道では、神が宿る対象は特定の巨木や山などに限られていたのは増田の言う通り。
しかし平安時代初期(8世紀~)から中世にかけて神仏習合が進むにつれて、森羅万象に神が宿るという思想に変わっていった。
特にこの時代の神道は密教の山岳信仰と密接に結びついていて、山中のあらゆるものに神が宿ると考えられるという思想が、現在まで続く概念の起源となる。
その後は伊勢神道(9世紀~)が「森羅万象に神は宿る」という思想を広め、
江戸時代の吉川神道の開祖である吉川惟足(1616~1695)が明確に「神は幽玄にして森羅万象に充満し、一草一木もこれ神ならずということなし」と表明した。
お疲れ様です
昨日子ども連れて「くるみ割り人形」を観に行ったの。好きなんだよ、クリスマスの「くるみ割り人形」。色とりどりのチャイコフスキーの名曲に合わせて、エレガントからキュート&セクシーまで幅広い衣装とゴージャズな舞台装置、それにロビーを埋め尽くすバレエ少女の数々!みんなが幸せに暮らしているんだな〜この世は素晴らしいぜああ生の喜び!って錯覚できるじゃん。劇場の外はGAZAとか温暖化とか汚職とか炊出しとかデフレとかポイ捨てとかパワハラとか首切りとか胸痛むことばかりなのに、「くるみ割り人形」を見に行けば何も考えずに心を踊らせる体験に浸れるから、好きなんだよ。
でも、今まで特定のバレエ団のくるみしか見てこなかったから、噂には聞いてたけどこんなに解釈と演出と振り付けが違うなんて思ってもいなかった。出産前に観ていたバレエ団のくるみは、ねずみも子役も子供がやってるハートフル系でヨタヨタ踊りも「ん〜かわいい!」ってなるやつ。話もほぼ絵本通りのベーシックな、ドイツの貴族のクリパで魔術師風味のおじさんがアグリーなくるみ割り人形くれるけどウェルカムな少女クララはいい子だねってことで小さくなって夢の国にレッツゴー。最後は目覚めて、夢を見ていたの…わたし?トウシューズ抱きしめエンド。安心安全安定のくるみ。
今回初めて観に行ったバレエ団のくるみ、メッセージ性が強すぎ。こども向けだったから踊りにナレーションで解説が入るんだけど、クリパの主催者が少女クララになってるし、そもそもクリパじゃなくて大戦後に行方知れずと成り果てた一族友人が身を寄せ合って慰め合うための慰労会なんだって。戦争で死んだ知人空似の顔人形を両手に持って大広間で踊る人々。それもうパーティの面影消えて葬式の亜種じゃん。お菓子の国で出会う、チョコレートのスペインの踊り、お茶の中国の踊りも、完成された素晴らしい音楽をバレエの幅広さを感じさせるキュッとしたキャラクターダンスで見せてくれる最高の場面なのに、随所に挟まる「この踊りはクララの心の強さを表しています」のナレーション。表してないから!そのコサックダンスは人の心とか表さないから!強いて言うなら大麦糖の美味しさを表してるから!ドロッセルマイヤーおじさんが子どもたちにねだられて出す機械仕掛けの人形の踊り、これも息を呑むような幽玄な踊りなのに、「あっ!これは行方不明になったトレバー!こんなところにいたのね」とかナレーションがついちゃう。戦争で行方不明になった友人が機械仕掛けの人形になって帰ってきたら嬉しいどころかホラーじゃん。極めつけはネズミの王様対くるみ割り人形のたたかいの踊りに被さるクララの心情代弁風ナレーション「戦争はやめて!」。その直後にくるみ割り人形サイドを名指しして会場の子供の声出しを煽る「みんなもクララを応援して!がんばれーがんばれー!」って何?戦争やめさせたいならワンサイド応援させんなや。世相反映しすぎ!非戦のメッセージが強すぎ!調べたらリーマン・ショックのあとからこの演出やってて東日本大震災で死者追悼風味が増したらしいけど、暗い世相を夢のバレエに何で反映したのさ。最後に、逃げるように会場を後にする友人知人と今生の別れをキメるクララ、馬車に乗って立ち去るドロッセルマイヤーおじさんにすがりつくも振りほどかれ門は閉まり瀕死の白鳥みたいに泣き崩れるクララ。S席買って、絵本と紙芝居であらすじ確認して、楽しみにしてきた我が子、全体の悲壮さにポカンとしちゃってたよ。なんでこの演出で10年続いてるの?これ好評なの?終幕で舞台にどーんと出てくるメッセージボード「wish happiness for all people everywhere.」、分かるよウクライナやガザの事考えたら貴族のクリパ観に来てる場合じゃないって思っちゃうよね。キリスト教の博愛精神でより恵まれない人に愛の手を差し出すべきって日だよねクリスマスは。でもこっちは2万払って家族連れて遠くまで夢見に来てるんだよ、非戦は他所でやってくれ!せめてパンフとWEBに独自解釈書いてからチケット売り出してくれ!
これ本当は団員の中にもこの演出どうなの?クリスマスに商業的にやるには偏りすぎてない?って思ってる人がいるでしょ、でもそれ表立って言えない雰囲気なんでしょ。コールドの振りが揃ってないなーとか上手い人はいても脇役やってるぞ?とかカーテンコールそんな回数求められてないのにまた幕開いたぞ?とか、きっとこのバレエ団は自浄作用も客観視してくれる存在もいないんだなと思うと、期待外れだった怒りと閉鎖的な組織の成果物見せられた胸糞悪さでダッシュで劇場を出ました。ていうか、私が観たのは一体何だったの?
誰か、来年のクリスマスに子供を安心して連れていける、夢のようなショーを知ってたら教えてください。もしくは他バレエ団のくるみの様子を教えてください。
??? キャプテン・マッスル、悪魔王子、日下部丈一郎、宮沢鬼一郎
S 幽玄全開放キー坊、舐めプ無し殺人技・気功・仕込み刃全開メカ尊鷹、GKドラゴン
S- イスラム兵
A 大観、春草、武山、観山、トダー、ガルシア28号、ハゲ鬼龍、夢二
Aー 鬼熊、ファントム・ジョー、おとん、鬼龍と戦ったテロリストたち、ジェット、バルカン・ボビー、ノーヘアモンキー・ボス、ゴリラ
B+ スヌーカ、ビッグ・ピッグ、ガルシア、風のミノル、ゴア博士、御子神、ハイド、ジーキル、パク、バッキー、シャノン、ゴーレム、ヤクザ空手、ビッグ・ハンド、鯱山、一撃絶命鉄宝流空手最高指導者木村大観十段、薔薇丸
B 朝昇、スマイル・ジョー、龍継ぐ鬼龍、万次、黒ちゃん、王さん、右近、有働、マーフィー、ノーマル龍星、アイアン木場、陳ジィ、由美子おばちゃん、魔物のロドマ、ダンプ松木、ギャルアッド
Bー 左門、チコ、闇猿、ヨッちゃん、鉄山、ゴードン・クランシー、ブル・マツダ、オーエン、姫次、オニ平、幻舟、新吾、金田、レムコ・ヤーコブ
C 和香ちゃん、ゴメス、ダーティ・ホワイト、アニマル、淫売の息子、エンゾウ、暴殺拳の人
D マネモブ兵士、ドラゴン・インプリンティング清丸、ヤクザ・チャカ、佐渡、加納
E 人差し指のゲン、総合不良三人組、ヤクザ・ドス、マネモブ格闘家、ヤクザ・ステゴロ、裸男
F マネモブ、道元、リキちゃん、優希ちゃん、その他非戦闘キャラ
某匿名掲示板のタフ専用板でマネモブ達が議論を超えた議論を重ねた上でのランキングなんだ
おじさんの弱体化に一番戸惑っているのは俺なんだよね
ちょっと前の話なんだけど、ひょんなことから思い出しちゃったので書く。
文字数の関係でジャニーズって書いたけどジャニーズとソニーです。
発端はジャニーズ側だった。2020年にジャニーズ事務所から「SixTones」というアイドルグループがデビューした。(結成は2015年)
勘のいい人はお気づきだと思うが、ポピュラー音楽好きの人からすればストーンズといえば来年結成60周年になるイギリス出身のロックバンド「The RollingStones(ローリングストーンズ)」を指すのだ。
名前はよく知らなくてもローリングストーンズの代名詞ともいえるアイコニックなベロのロゴは見覚えある人も多いはず。
イギリス、いや世界でもっとも有名な現役のロックバンドと言っても過言ではないだろう。
今までであれば「『ストーンズ』というミュージシャンと言えば?」という問いをすれば回答のおそらく100%に限りなく近い値としてローリングストーンズが挙げられていたと思われるが、
今の日本の若者にとってはストーンズと言えばジャニーズアイドルであり、
結成からメジャーデビューを経てTwitterにて検索をかけるとロックバンドを覆い被さるようにジャニーズアイドルについてのツイートが大量に表示されるようになったのだ。
「ストーンズと言えばローリングストーンズだろ、ジャニーズとか(笑)」と老害ムーブをかける昔のロックファンがみられる一方、
「SixTonesに絡んでくるおじさんキモすぎ(笑)」なムーブをかますジャニヲタたちとのちょっとした分断が見られるようになった。
この頃は欧米のポップスやロックなどを日本に落とし込むをテーマにしているジャニーズでローリングストーンズを知らないわけがないのだから、
ちょっと避けた方がよかった気が、とは言えストーンってありふれた名前だし、とか、まあ決まっちゃったものはしょうがないけどもうちょっと配慮できたんじゃない?くらいの認識でいた。
ストーンズのメジャーファーストアルバムの発売が決まった。そのプロモーションでリリース元のソニーミュージック公式が使用したハッシュタグが
#ストーンズってそっちじゃない
だったのだ。
https://twitter.com/SonyMusic_JPN/status/1337215528092528642
そうなると、当たり前のようにローリングストーンズのファンは「ストーンズってこれでしょ?」とローリングストーンズの写真を冗談で載せたり、さらには「ありえないだろ」とキレるファンも続出。
一方そういったツイートにジャニーズファンは「ストーンズ(アイドル)のハッシュタグを汚さないで!」「アンチやめて」「アンチがツイートしても宣伝になってるだけだから(笑)」のようなツイートで反応。
プロモーション映像を見る限り「メンバーのふりをした石膏(ストーン)が話をしている=ストーンズってそっちじゃない」ということらしいのだけれど、
プロモ担当は100%Twitterでエゴサをしているため絶対にこの分断について把握をしている。
Twitterのプロモーションはつぶやかれたもの勝ちだ。そのためにわざと相手を怒らせる釣りプロモーションをやっているようにしか思えなかった。
上記の通り、自分はあくまで後出しストーンズ(というかメンバーではないジャニーズやソニーなど関係者)なんだから多少の謙虚さは持ち合わせてろと思っていた立場だったので、
当時、自分もそのような旨を(煽るような表現を使わずに)ハッシュタグをつけてツイートしたのだけれど、
すぐにジャニーズファンにRTされ、上記のような文句を言われてしまった。
正直アニメジャンルで同じようなことが起きていたらちょっとした炎上が起きていたと思う。ちょっと前に呪術廻戦で「高専」を検索避けしろとか言われてたあれとかね。
「『幽玄なる白い世界』略して『幽白』なるアニメが大流行して、幽遊白書ファンがキレてるのに公式が『#幽白はそっちじゃない』を推奨」とかしだしたらブチキレるよね?
もちろん「幽白」と「ストーンズ」の言葉の固有性は大きく異なるのだけど、ポップ音楽で「ストーンズ」といえば前述している通り絶対的に「ローリングストーンズ」なんだよね......。
(とはいえそれで文句言ってたら名付け文化みたいなものが萎縮してしまうので名前被ってる問題は見逃せるレベルだったのだけれど、ハッシュタグで煽るのはアウトだよね?という意見)
しかも、何よりSixTonesはもともと「シックストーンズ」と読んでいたグループだったらしい。
実は結成後に海外に同名の「The Six Tones」というバンドの存在に気づいたために「SixTonesと書いてストーンズと読む」方式にしたと言うのだ。
https://twitter.com/paulmochiyan/status/1362765279965503492
The Six Tonesに関しては私も知らないのだけれど、日本人でThe Six Tonesを知っているのであれば全員がThe Rolling Stonesのことを知っていると断言できる。
音楽関係者がストーンズという大物バンドの存在を気にしない訳がないだろう。なぜストーンズに関して配慮しなかったんだろうな.......(以下永遠に同じような文句が続く)
まあ正直しょうもないし、どちらのファンもアニヲタたちが持っているような同人文化をルーツに持つSNSや検索に対する共通認識やルールみたいなものがあまりない印象なので、ずっと続くんだろうな。
二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。
和食さとでは刺身と天ぷらといくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。
店を出て先の地図の記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれ、セメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。
次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形の区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民に迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。
その区画の境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪(つきのわ)だという。
この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。
その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的な怪談の舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。
やがて参道が果て、二つ目の鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からはわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方から微かにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったから幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。
正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。
東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめでもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。
ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路を下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々とホテルへと向かう。
しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意は限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路や建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所の存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かに「トイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンのライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。
風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。
翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。
日の光の下では龍王神社はありふれた田舎の神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。
(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)
はてな女子は基本的に無謬である。少なくとも、彼女らは無謬であることを前提にはてブ投稿を行う。
無謬であるとはどういうことか、それは誤りを犯さないということである。つまりはてな女子は誤りを犯さない。
そこには神のような権能が漂っている。
彼女らの言葉はすなわち神託と同義である。無謬なる神の言葉を託され、それをはてブ投稿に託すのである。つまり彼女らは天使と呼ばれるに相応しい存在である。
彼女らの口からは黄金の言葉が流れ、彼女らの指先は幽玄なる言の葉を紡ぎ出す。
利休役が海老蔵だったので、歌舞伎という「粋」のプロから見た侘び寂びとはどういうものに感じられたかは非常に興味深い。
他にも日本人の感性や美意識を特徴づける幽玄だとかそういったものが色々あるはずなのだが、あまり注目されていないことは今後問題として大きくなっていくのではないか。
日本人のこころの所在がわからず、ふわっとしたままでいる現状。それが続いた先に、日本が卓越した魅力を持つと感じ、愛着を持つ気持ち――即ち、愛国心は養われないだろう。
最近、ネトウヨの言う所の「愛国心」が跋扈してし、「愛国心」が論争の話題となってしまい距離をおいて構えるが吉と考える人も増えているといってよいだろう。
ある国を愛すにはその国の人が愛着を持つ感性や美意識に共感する必要がある。
昔は西原理恵子さん、ファミ通世代なら桜玉吉さんぐらいしかその手の人はいなかったような気がするが、今ではあのkadokawaとかが専門サイトを公開するなどだ。
数年前にダーリンは外国人ってのが出てきてから、そういうのが多くなってきたような気がする。
テルマエロマエのヤマザキマリさんも、テルマエを書く前は、イタリア人の旦那の家族を描いたエッセイ漫画を描いてたくらいだ。
挙句の果てには外国人のオーサイェークストロムさんが、日本での生活を描いたエッセイ漫画を描いているまでになった。
オタリーマンや猫のぽんた。挙句の果てには心療内科物までござれという状況だ。
私はそれまでは、特にエッセイ漫画についてこれといった思いはなかった。
むしろ、作者たちの生活を見るといった点で、気軽に読めるという事で楽しめてもいた。
しかし、こうもエッセイ漫画が乱立してきて、何だか白ける感じになってきた。
私が見たいのはその作者たちが、どんな創造の世界を見せてくれるかという事を考え始めてきた。
エッセイはあくまで現実がネタだ。西原さんはその現実体験がぶっ飛んでいるから、もうそのスタンスで行くとこまで行ってくださいといった感じですし、玉吉さんは鬱を経験し、それを幽玄漫玉日記に出てくるような絵柄で創造の世界を見せてくれた。ヤマザキマリさんは、旦那の研究を基にテルマエロマエの考証などでこれもまた創造の世界だ。
以上の3人は別格として、後発のエッセイ漫画は、どうもビジネスライクで描いているようにしか思えないのです。
特にそれで「自分はオタクです」という作者に対しては、どうもモヤモヤした気分になります。
オタクにも色々タイプがありますが、基本的には現実が大嫌いなのが多数派なのですよ。
そんな中で自分はこんな面白い体験&幸せな体験をしました!というのを見せ付けられても「はぁ左様ですか」としか言いようがありません。
まるでFacebookでどうでもよい投稿を見せ付けられたかのような、軽いめまいをしてしまいます。
特に外国人作家がエッセイ漫画描くのは、何だか手堅い「投資対象」一般層に対するビジネスの臭いしか感じないのです。
もっとこう「ラヴィアン」みたいに、ワンピっぽいのでもいいから勝負に出たら「外国人作家も侮りがたし」ってなるのかもしれませんけどね。
・以下の7つのおすすめ漫画ランキングに登場しなかった漫画を選びました。
おすすめの漫画ベスト100をランキング形式で紹介する - しっきーのブログ
http://skky17.hatenablog.com/entry/2014/03/09/214250
ランキング形式で、オススメの漫画ベスト100を紹介する - はてなで語る
イッキ読み出来る!今まで紹介した おすすめの漫画ベスト100 をランキング形式で紹介してみる - だから漫画はやめられない
http://mangacomic.hateblo.jp/entry/manga-best100-1
おすすめの漫画ベスト100をランキング形式で紹介する - 必需品ブログ
http://hitujyuhin.hateblo.jp/entry/2014/12/13/152803
おすすめ漫画ベスト100冊をランキング形式で紹介する | @raf00
http://ikdhkr.hatenablog.com/entry/2015/01/28/120500
おすすめの漫画をランキング100位まで紹介 - きりんの自由研究
http://giraffyk1.hatenablog.com/entry/recommend-manga-ranking-100
・もし「漏れてないよ!ちゃんと選んでるよ!」って漫画があったらごめんなさい。
・もちろん、他にも面白い漫画は山のようにありますが「その作品について、ある程度の熱量でもって語れるかどうか」を最低基準として選んでいます。
・50選にしなかったのは、①くくりが思いつかなかった②これ以上夜更かしすると明日の仕事に差し障るため
・そもそも面白い漫画が多すぎる。100や200に絞れるわけがない。
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バットマン・キリングジョーク - アラン・ムーア/ブライアン・ボランド
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