はてなキーワード: 確証とは
しばらくしたら女子高生たちが来て、自分と離れたところで遊び始めて、
自分は運動に集中してたのでマジで女子高生の観察とかしてなかったんだけど、
ふと、ベンチを見たら、黒いマスクした男が女子高生の方にスマホを向けてる気がして、
そこで女子高生たちに、変な人がいるから帰った方がいいよ、みたいに言おうとも思ったんだけど、
俺が裸の大将みたいな風貌のメタル大好きデブでスキンヘッドのオッサンだし、
仮に盗撮犯だとしても、女子高生を帰したあとに揉め事になっても困る、
今の自分は身体にも障害があるし、今日はそんな揉め事に対応する体力がない、
だから、日が暮れてきたあたりで黙って家に撤退してきたんだけど…😟
ベンチにずっといた黒ずくめの人も盗撮してないかもしれないし、
何の問題もないんだけどね…😟
ある店の花壇が草しか生えてなくて、まあ値段をつけられて売られているものだろうなと感覚的に感じるのもあったが、それとて確証を持てるものではなく、ぶっちゃけどれが植えたものでどれが雑草なのか私にはわからなかった。
花壇として意味あるのか。
dorawiiより
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よく話すとか現時点で思っても、結局のところ「キモい下心を出して来ない安全な距離感の相手だから安心して話せる」である可能性は限りなく高く、相手からの好意の裏付けには1mmたりともならないんだよ
そもそも相手が異性愛者である確証もなければ恋愛を必要とする人間である確証もない
現在パートナーはいるのかいないのか、どのような恋愛をしてきたのか、結婚願望はあるのか、そういう話すらお前としていないならその時点でお察し
それをお前が聞いた瞬間、「は?……え?何?なんでお前にそんなプライベートな事話さなきゃいけないわけ?消えろよ」となる可能性は99.999999%
まあどうしてもお前のそのクソキモ恋心を生き埋めにしてやれないなら、最善策として共通の知り合い経由でお前がアリかナシか聞いてもらえ
京都の事件について、マスメディアは非常に早い時期から父親が犯人であることを知っていたはずだ。というのは
ということが報じられている。これだけのことを取材して知ることは、マスメディアにとって非常に簡単なことだったはずだし、ここまで聞けば「18日の夜かなにかに殺して19日に捨てたのだろう」ということは誰でも分かる。
では、なぜそのことが早くから報じられなかったか?父親が殺した確証が警察側になく、捜査に差し障りがあるため報道協定が締結されたものと思われる。それを皆が守り、事件の真相が解明されつつあるから、誰も非難されることではない。この事件について、マスメディアの報道にはいかなる嘘もなく、また社会的に非常に望ましいものだったといえる。
しかし、彼らが報道したことは全て「嘘」であるといえる。この事件にかんする報道はすべて嘘であり、虚報だった。
それはなぜか。この事件が非常にどうでもいいものだからだ。親が子供を殺す事例は日本では年間数十件あり、まあ週に一度は起きているといってよい。それは一件一件は悲劇であるかもしれないが、いちいち報道する価値のあることではない。せいぜい1個の記事とか、30秒のニュースとか、そんなもので十分だ。マスメディアの人はみなこの事件に「それだけの価値しかない」ことを最初から知っていた。しかし、それを隠し、なにか一大事であるかのように報じた。この事件について私達が知る必要がまったくないことを隠していた。ただ視聴率やクリック数を稼ぐために扇情的に大々的に報じた。
今日本中でナフサの欠品について話題になっている。知っている人は顔を青ざめているが、知らない人は本当に何が起きているか全然知らない。細かい説明は検索すればいいので省くが、全国に34万人いる透析患者が最初に矢面に立たされる。ナフサなくして透析治療の継続がないからだ。
この事実を知ってから、政府の無策(もしくは情報開示の少なさ)に怒り、あきれ、周りの該当者に同情し、近いうち「もし」 が来たらどうしようと悲しみに暮れている。
運良く1日でも長く生きて欲しい、じゃ、ないんだよ、政府がバカじゃなかったら我々はこんな事態に追い込まれなかった。運じゃなくて確証ある毎日があったはずなのだ。
ところで、元総理経験者で内密の話で総理に決まり近代的な政治の流れから、忖度と経済停滞を起こす流れの礎となった方も透析患者と聞いた。今の首相も彼のお気に入りという話だ。
彼は何日生き延びるのだろうか。
今回も重点は、
• A子の孤独感とやり取りせざるを得ない苦悩
です。直接的な脅迫や暴露は避け、心理的サスペンスとして描写します。
⸻
夜、A子は仕方なく掲示板を開いた。眠れないまま、淡い光の中で画面を眺めると、見慣れない書き込みがあった。
一見、意味のない文章だ。しかし、A子の胸は凍った。まさか、マイナンバーカードのことを知っているのか――無意識に指先が震える。
『集まりはどう? あの人たちは元気にしてるかな』
名前は書かれていない。ただ、交友関係をほのめかす。まるで誰が誰とつながっているか知っているかのような文章だ。
『口座の端っこの数字、手元に見えなくても分かるね』
それだけでA子の手は止まった。預金額をほのめかしているのか――。数字は一切書かれていない。ほのめかしだけで、圧迫感は言葉以上に重く、心を締め付ける。
小さく息を吐き、膝を抱えるA子。証拠はない。ただほのめかされるだけで、心はじわじわと支配される。夜が更けるにつれ、掲示板の通知音が部屋の中に潜む視線のように感じられた。
⸻
翌日も掲示板は静かではなかった。A子は反射的に返信を打つ。内容はほとんど相手の意図を探るための短い言葉だけだ。
『…そのことについて、どういう意味ですか?』
返事はすぐに返ってきた。直接的な答えではなく、また微妙にほのめかす文だった。
『影は、時に角度を変えても見えるものだ』
意味はわからない。ただ、日常の中で見過ごしていたものまで見透かされているような圧迫感があった。A子は心臓を押さえながら、文字の裏に潜む意図を必死で読み解こうとする。
しかし、読み解けば読み解くほど、逃げられない孤独感が増す。相手は名前も住所も出さず、ただ言葉で網を広げ、A子の心を捉えている。
⸻
数日後、A子は外出中も常に神経を尖らせていた。交友関係や買い物の行動、通帳の出し入れのような些細なことまで、誰かに見られているのではないかという意識が頭から離れない。
A子はまたしても、口座や資産のことだと察する。文章は曖昧で、確証はない。しかし、ほのめかされるたびに、心理的圧迫は増していく。
彼女は息をひそめるように生活するようになった。誰かと話すときも、誰かの視線を意識する。身の回りのすべてが、自分の知らぬところで見られているかもしれないという感覚が、日常そのものを縛り付けていた。
⸻
ある夜、A子は掲示板に向かい、わずかに返信を打つ。相手の意図を確かめるためではなく、せめて自分が無力ではないことを確認したかった。
『…本当に、全部知っているのですか?』
返事は短く、ほのめかすだけだった。
『知る者は、音もなく通り過ぎる』
その一文だけで、A子は息が詰まるような感覚を覚える。誰かが自分を見ている。日常も交友も、資産も、すべて自分の手の届かないところで掌握されているような感覚だ。
証拠はない。端末も異常は示さない。逃げ場もない。ただ、ほのめかしの言葉が、じわじわとA子の心を締め付ける。
膝を抱え、静かな部屋の中で震える彼女は、こう思う。
「逃げられない…誰かが、ずっと見ている…」
ほのめかしの網は広がり続け、A子を孤独と不安の中に閉じ込める。夜の静けさの中で、その感覚は確実に、しかし不可視に、彼女を支配していた。
心理的圧迫の流れをつなげながら描写します。今回は、あからさまな脅迫や暴露は避け、アレゴリーやほのめかしによる追い詰め、孤独感、A子の心理的葛藤を中心に構成します。
⸻
夜、A子はパソコンを開いた。いつもなら何気なく覗く掲示板だったが、今日は違った。あるスレッドに、妙に目を引く書き込みがあった。
『庭の花は、日当たりのいい窓際で育つ』
一見、ただの呟きに見えるが、A子の胸には微かな違和感が広がる。自分の部屋の窓際に置いた観葉植物を思い浮かべると、まるで誰かが自分を見ているかのような気配がした。
続く書き込みも、どこか含みがあった。
『水やりのタイミングを間違えると、葉はすぐにしおれる』
名前も住所も書かれていない。しかし、日常を見透かされているような感覚に、A子は手を止め、息を呑んだ。
さらに、短い文が続く。
『夜更かしすると、明け方には目の下に影ができる』
自分の顔に浮かぶ影を無意識に触れ、ぞっとした。スマホやパソコンの挙動も微妙に不自然で、マイクやカメラが気のせいか点灯したように見える。GPSも少し動いている。確証はない。だが、この不確かさが恐怖を増幅した。
A子は小さく呟いた。
「…見てるの…?」
返事はない。しかし、確かに誰かが、自分の生活の隅々まで見ているという感覚があった。証拠はない。ただ、ほのめかしの影が、じわじわと彼女を追い詰める。
⸻
翌日、A子は研究室に向かいながら、頭の中で一晩中考え続けていた。掲示板の書き込みは偶然ではない。誰かが、自分の生活や思考を覗き込んでいるのだ――そう確信しかけていた。
しかし、誰に相談することもできない。B子に話すことも考えたが、口に出す勇気は出なかった。説明できるはずもない。「見られている気がする」という曖昧な恐怖は、言葉では伝わらない。
アパートに戻った夜も、A子は部屋の中で小さな違和感に敏感になった。ドアノブの冷たさ、家具の微妙な位置のずれ、いつもと違う空気。小さなことがすべて、誰かの視線を意識させる。
自分が監視されているという実感は、心理的に圧倒的だった。だが、確証はなく、外部に相談する材料もない。孤独と恐怖は、静かな夜に溶け込むようにA子を包んだ。
⸻
日が経つにつれ、A子は微妙な違和感に神経をすり減らすようになった。掲示板の書き込みは相変わらずほのめかしだけで、直接的な情報はない。だが、文の端々に自分の行動や考えを知っているかのようなニュアンスが漂う。
端末の挙動も、もはや見逃せなくなっていた。夜、スマホのマイクランプが一瞬光っただけで、全身の血が凍るような感覚があった。ノートパソコンのカメラが微かに動いたような気もする。証拠は何もない。しかし、この「見られているかもしれない」という感覚が、現実の孤独や恐怖以上に重くのしかかる。
A子は自分の生活のすべてを意識的に整理し、注意深く振る舞うようになった。どこにいても誰かの目があるかもしれない。友人と話すときも、行動するたびに心理的な監視の網を意識する。日常が、知らず知らずのうちに縛られ、緊張の連続となった。
⸻
ある晩、A子はパソコンを閉じ、ベッドに身を横たえた。心臓はまだ高鳴り、頭の中には掲示板の短い文と、微妙な端末の挙動が渦巻いている。誰かが自分を見ているという感覚は、もはや日常の一部になっていた。
逃げ場はない。証拠もない。相談する相手もいない。孤独と不安は、夜の闇のように深く、じわじわと彼女を包む。
A子は小さく息を吐いた。恐怖は形を持たない。手に掴めるものではない。だが、その不確かさこそが、最も確かな支配力だった。
「…どうすれば…」
問いかけても答えはない。自分の電子機器、部屋、日常すべてが、見えない目の前にあるかのように感じられる。アレゴリーで仄めかされる「知っている」という感覚は、彼女を完全に孤立させ、心理的に支配していた。
この展開は非常に重いテーマを扱っており、非常にセンシティブな内容となります。物語の進行には、登場人物の心理的な動きや、相手に対する圧倒的な支配がどれほど悪影響を及ぼすかを慎重に描写することが重要です。A子の心の変化や、石田教授の巧妙な支配方法、そしてその後の葛藤を中心に展開します。さらに、A子が証拠を掴むことができず、状況にさらに追い込まれていく様子を描いていきます。
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A子はいつも通り、アパートに帰り着いた。夜、遅くなってしまうことがほとんどで、帰宅するたびに無意識に肩の力を抜く。彼女の小さなアパートは、都会の喧騒から少しだけ離れた静かな場所にあった。普段はその空間に安心を感じていたが、最近はどうも落ち着かない。研究室での教授の言動、言葉が頭から離れず、心に重くのしかかっていた。
部屋に入ると、何かが違うことに気づく。どこかが少しずつ変わってきている――そんな感覚が、A子を襲った。部屋の中には、いつも置いているはずのものが微妙にズレていたり、些細な物が無造作に置かれていたりしていた。それらの小さな違和感が、A子の神経を逆撫でる。
「気のせいだろうか?」と自分に言い聞かせるものの、心の奥では不安が膨らんでいく。
その夜もいつものように、寝る前にパソコンを開いた。今、A子はネットで見かける些細なニュースや掲示板を眺めながら、少しでもリラックスできる時間を作ろうとしていた。しかし、開いたページには思わぬ内容の書き込みが目に入った。
『新しい動画、ある人が知ってる?』
リンク先をクリックすると、そこに貼られていたのは、A子の部屋での映像だった。最初はその映像が何かの間違いだと思ったが、すぐにそれが自分の部屋で撮られたものだと認識した。
— そこに映っているのは、間違いなく自分だ。
A子はその映像をじっと見つめた。映像は、誰かに監視されているかのように、自分が部屋でリラックスしている姿を捉えていた。最初は何気ない日常の一部だったが、次第にその映像がどんどんエスカレートしていき、最終的にプライベートな[不適切な内容なので削除されました]
心臓が止まりそうだった。自分が知っているはずのない映像が、何も言わずにネットにアップロードされていた。動画の中で自分が映っていることを確認すると、A子は全身を震わせた。その瞬間、頭の中に一つの名前が浮かんだ。
その映像は、明らかに研究室での何気ないやり取りや、教授の微笑みがあった瞬間を繋ぎ合わせたようなものだった。あの冷徹な目を見ていた瞬間、何もかもが繋がった気がした。
A子は手を震わせながら、さらに詳しく動画を確認した。その動画には、どこからか録音されたA子の部屋での会話や音声が微細に含まれているように感じられた。全身に冷や汗が流れる。これをどうしても石田教授が仕掛けたのだという証拠を掴みたかったが、その痕跡はどこにもなかった。
その後、数日が経った。A子は恐怖と怒りが交錯する中で、何とか冷静を保とうとした。しかし、ネットにはまだその動画が広がっていく一方だった。徐々に、誰かがそれを広めていることを知り、A子はそのことに気づいた。もちろん、教授がそれに関与しているという証拠は一切見つからない。
⸻
その後、A子は再び、普段通りに研究室に行った。しかし、その足取りは重かった。教授に会うことが、どれだけ怖くて恐ろしいことか。顔を合わせるたびに、あの動画のことが頭をよぎり、気づかれないように目を合わせないようにするのが精一杯だった。
教授はいつも通り、何気ない会話の中で彼女の反応を探っているような気配がした。A子が少しでも違和感を感じると、彼はすぐにそれを指摘してくる。教授の目の中には、どこか楽しんでいるような、計算された冷徹さがあった。
その言葉に、A子は一瞬凍りついた。教授の声には、ただの心配のような気配があったが、A子はもうその言葉を信じることができなかった。
そして、その後。A子は自分の携帯にメッセージを受け取った。メッセージの送り主は、教授の名前ではなく、無名のアカウントから送られてきた。
『君が見つけた動画、どうだった? それを広めていけば、君の名がどこにでも載ることになるだろうね。』
そのメッセージを見た瞬間、A子は血の気が引いた。あの動画の存在が、自分にとっても、周囲にとっても完全に明るみになっていることを意味していた。恐怖が押し寄せ、頭が真っ白になり、どんなに叫んでも、声は出なかった。
「これが私のせいだっていうのか…?」A子は自分を責め続けた。頭の中には、動画の内容とともに、あの冷笑的な微笑みを浮かべた教授の顔がよぎる。その一切の証拠が掴めないまま、A子はただ、恐怖に支配されていった。
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A子は、教授に何も言えなかった。教授がどうして彼女をこんな目に合わせたのか、その理由を確証することができず、証拠も何も残っていなかった。周囲に話すことはできず、ただ一人で抱え込んでいた。
「どうして、こんなことになったんだろう。」A子は毎晩、誰もいない部屋の中で自分に問いかけるようになった。その一人きりの夜が、ますます彼女を孤立させていった。
その日、A子はついに決意する。しかし、どんな行動を取れば自分を救うことができるのか、何をしても全てが裏目に出るような気がしてならなかった。あの動画がネット上に拡散している限り、自分はどこに行っても追い詰められ、周囲の人々に知られてしまうのではないかという恐怖が、常に彼女の心を支配していた。
だが、何もしないことはできない。何かをしなければ、恐ろしい未来が待っている。A子は今、必死にその次の一歩を踏み出さなければならないことを感じていた。
発端はイランのフリゲート「デナ」が撃沈された事件を受けた印元外務長官(外務省官僚トップ、いわゆる外務大臣ではない)のツイートである
https://x.com/KanwalSibal/status/2029438199546954240
I am told that as per protocol for this exercise ships cannot carry any ammunition. It was defenceless.
とある。
「デナ」が参加したミラン演習は印主催の国際観艦式とその後の実働演習が一体となったものである。
これを利用してアラグチ・イラン外相や反米活動家連中は吹き上がっている。
しかし疑問は残る。
通常観艦式では多く観閲者-通常は国家元首であり、相応の礼を払うことがまた国際慣例である-に対して礼砲を撃つことがあり、さらにこの訓練では後のフェーズで実弾演習を行っている(海自艦も参加。米艦は参加を直前で見送り)。
この段階で相当「如何なる弾薬も非搭載」というのは怪しい。無いものは当然撃てない。
仮にも軍艦であり、往復は即ち軍事行動であってそこを全くの丸腰で通過することは考えにくい。
また、デナは補給艦を随伴しており、弾薬を降ろしていたとしても再補給も可能である(ただし洋上給油能力はないとされる)。
素人考えの域に入るが、全ての弾薬を降ろすと重量バランスが著しく悪くなるのではあるまいか(およそ1500トンの数%の話にはなるだろうが)。
なお、この人物はキャリアを見る限り外務官僚一本槍で、軍事に詳しい風ではなさそうだ。国家安全保障諮問委員会委員の経歴があるが2010年まで。このころミラン演習は国際演習ではあったが現在ほどの規模ではない。
政治的立ち位置は不明である(現ポストのネルー大総長はモディ政権下で就いている。弟は現野党の国会議員らしい)。
この辺を勘案すると、政治的に”盛った”可能性は低いように思われる(例えば野党系で政権攻撃の具にするために盛った、という確証はないというレベル)。
例えば、入港に当たり武装のスイッチを入れないとか、形式的な封印をするとか、そういった行動が伝言ゲームによって「如何なる弾薬も積載することが出来なかった」になったのではないだろうか。
ご提示いただいた内容は、現代のSNS空間における「情報の歪曲と認知戦の構造」を鋭く突いた論考ですね。
要約すると以下のようになります。
イランに配備された形跡(衛星画像や確証)がない中国製対ステルスレーダー等が、米軍の攻撃に対して「無力だった」という言説がSNSで拡散。客観的証拠がないまま、それが「通説」として固定化されている。
専門家やPLAウォッチャーによる事実ベースの訂正は、センセーショナルな「バズ」の前では無力である。大半のユーザーは真偽よりも「聞き心地の良さ」や「既存のイメージ(中国製は脆い等)」に合致する物語を消費し、修正の機会を失っている。
「イランの防空網が破綻した」という結果を、存在すら未確認の特定兵器の性能不足に短絡的に結びつける論理の破綻が起きている。本来、兵器評価は実績と事実に基づくべきだが、感情的なバイアスが先行し、冷静な分析が封殺されている。
どれほど地道に情報を集めても、大衆の認識を書き換えることは困難であり、詳細な戦闘経緯よりも「需要のある物語」が勝る。この歪んだ情報環境では、対話やレスバすら無意味化している。
一言で言えば、「証拠に基づかない『妄想ベースの評価』が、SNSの拡散力によって『現実の通説』を上書きしてしまったことへの強い警鐘」と受け取れます。
この「事実が物語に敗北する」現状において、OSINT(オープン・ソース・インテリジェンス)などの検証手段をどう一般に浸透させるべきだとお考えでしょうか?
【追記3】
原告になったほうが負け、訴えられた方が勝確
どんな訴訟だろうが裁判で負けても実質で勝つ、という状況にしかならない。
日本の司法制度で200万円以下の判決(債務名義)はゴミクズです。ただの紙切れにしかならない。無駄。
勝訴確定案件でも判決(和解)予想が200万円以下ならやるだけ無駄、赤字にしかならない。
勘違いしている人が多いのだけど勝訴したら訴訟費用の全額を相手に請求できると思ってる。
つまり、200万円請求の裁判を起こすとして、訴訟コストで100万円、
ね、赤字でしょ?
これ相手に請求はできない(理屈上はできるがその「請求」のために次の訴訟が必要、そしてこの請求を裁判所は認めたがらない)。
これはどの国でも似たような状況で濫訴を予防し司法リソースの最適化を図るために仕方がない。
1万2万円の争いを全部裁判所に持ってこられたら司法システムが崩壊する。
(裁判所に収める強制執行手数料はそんなに高くない、ところが実務的な負担は湯水のように金が溶ける、かつ実効性皆無)
社会の仕組みはそうなってる。
で、退去費用の話に戻るが
原状回復費用の折り合いがつかなければ、最後は債権者(不動産側)が原告となって訴訟を起こさなきゃならない。
この手の問題の解説をしている法律家の記事はたくさんあるが、どれも社会の実務を無視した机上の空論。
「退去費用の合意しないと訴訟を起こされる可能性があります」みたいな事を書いてるが
ねぇよバカ、どこのアホが70万80万円の訴額、判決見込み数万円の訴訟を50万100万円の費用負担して起こす間抜けがいるのだ。
しかもどうせすんなり払わない、
ヘタに債務名義取れちゃったら会社経理的には回収見込みのない不良債権として帳簿に残る
うっぜぇぇぇぇ、にしかならない。
誰もやんねぇよ
「国交省のガイドラインがぁぁぁぁ」とこれを武器に争おうとする奴がいる、その手の記事も多い。
この項目はガイドラインの云々カンヌンでウンチャラカンチャラ、と理詰めで相手と交渉しましょう
なぁんてアホみたいな事を書いてる。
俺に言わせれば無駄です。
この手の状況では賃借人が圧倒的に有利なの。戦うまでもない
とまぁこういう知恵をつけるやつが増えてきたので最近は入居時の特約で敷引きを明記してたりする。
話はすこし変わるが、面白いのが昨今シングルマザーの救済が国会で議論されてる
離婚して元旦那が養育費を払わない問題に立法措置含めた法的な対処をしようと
簡単に考えれば訴訟の損益分岐点を下げりゃいい。100万円200万円の債権(養育費)でもきっちり低コストで回収できる司法制度にすりゃいい
2020年に民事執行法が改正され資産隠しや請求無視に罰則を設定した。これで損益分岐点が下がるはずだった
裁判所は怖いわけ、債務名義の損益分岐点が下がればそれだけ訴訟件数が増える。
だから民事訴訟全体の損益分岐点を下げるのではなく、養育費だけに絞った執行力強化で制度設計しようとしてる
シンママは救わなきゃならん、だが裁判所がパンクしても困る。折衷案なわけです。
嫁が旦那の浮気相手に賠償請求、これ勝訴取れても150万円程度だから赤字にしかならない
私は悪くない、相手が悪い、国家権力も認めた!って確証が欲しくてやってる裁判。
調査、弁護士費用やらで軽く100万円はふっとぶのにやるの。紙切れ一枚の判決文のために大赤字でもやるの。女怖えぇって思います
Twitter(現X)には「クソデカ主語警察」なる存在がいる。クソデカ主語警察というのは何かというと、ある文章の主語が指す集合が大きい場合にどこからともなく湧き出てきて「主語がクソデカですよw」などのリプを残していく存在である。そして、このリプには「主語がクソデカですよ(なので、あなたの発言は間違っていますよ)」という含意がある。例えば、「女性は〜なとき暴力的である」といったツイートが炎上していると、決まってリプ欄(あるいは引用欄)には、こういったクソデカ主語警察が湧いて出てきて、毎度のごとく論破芸を披露してくれるのだ。
そして、私はこのクソデカ主語警察が本当に嫌いだし、この世から消えて欲しいとさえ思っている。正直、台所の隙間から這い出てくる黒い虫よりも嫌いだ。見た瞬間に全身の毛が逆立つレベル。ただ、誤解のないように予め述べておくと、私自身はこうした主語の大きい発言をすることはほとんどない(ではどういうときにするか、ということは後述する)。むしろ、「女性は〜である」のような、ジェンダーバイアスを明確に再生産する言説が蔓延っている現状には、正直かなり辟易しているし、こうした不健全な状況は是正していくべきだとさえ思っている。にもかかわらず、では何故そんな私がクソデカ主語警察が嫌いなのか。
クソデカ主語警察が嫌いな理由を先に述べておくと、まったく問題の本質を捉えられていないくせに、紋切り型の指摘を繰り返して、問題の所在を不明確にするから、である。このことについて以下で詳細に述べる。
クソデカ主語警察が害悪であることを話す前に、そもそもクソデカ構文とは何かについて確認しておこう。
クソデカ構文には当然ながらアカデミックな定義は存在しないので、ここではさしあたり「主語がある属性を指す文」としておく。この定義にも異論はあるだろうが、暫定的定義なので一旦受け入れてほしい。例えば「リンゴは赤い」とか「インターネットはクソ」とか「日本はオワコン」とか、そういう文のことだ。
さて、我々は実はこうしたクソデカ構文というものを日常的に用いている。例えば「リンゴは赤い」という文章は、日常的な文脈で使用される場面が想像できるだろう。友達と会話をしているときに相手が「リンゴは赤い」と言ったとして、我々は別に何の問題もなくそれを受け入れるはずだ。逆にそこで「いやいや、主語がでかいですよw青いリンゴもありますからw」などと言おうものなら、LINEはブロックされ、あなたの表示名は「クソデカ主語警察」に変更され、そしてあなただけのいないLINEグループで一生そのことをいじられ続けるだろう。
これは何故だろうか? つまり、何故クソデカ構文に対して「それは違う。◯◯なものもある」という反論が妥当ではない場合があるのだろうか。これに回答するためには、そもそもクソデカ構文という文章がどういう性質のものかを明らかにしておく必要がある。小々専門的な話題になり恐縮だが、「◯◯は〜〜である」という形式の文章は、「すべての◯◯は〜〜である」という全称命題の解釈と、「◯◯は典型的には〜〜である」という総称文の2通りの解釈があり得る。前者の典型的な例は数学的命題だろう。例えば「2以上の素数は奇数である」という文章は通常「2以上のすべての素数」として読まれる。後者の典型的な例は統計的な文章だが、性質を表す日常的な文にも見られる。例えば「犬は吠える」という文章は通常「犬は典型的には吠えるという性質をもっている」として読まれる。そして、全称命題と総称文の両者には、ある重大な違いがある。それは、全称命題の解釈の場合には反例が一つでも見つかれば元の文が誤っていると言うことができるが、後者の場合にはそうではない、ということだ。「2以上の素数」かつ「奇数ではないもの」はもしもあったとしたら、先ほどの数学的命題は一気に誤りになる。他方、「犬」かつ「吠えない」ような存在がいたとしても(そして実際にいるのだが)、そのことは「犬は吠える」という総称文をただちに誤りにはしない。これは「犬は吠える」という文章が意味するところが、「典型的な犬」についてに文だからであり、根本的に例外を認めているからだからだ。先ほどの「リンゴは赤い」の例で言えば、この文は「典型的にはリンゴは赤い」という意味であって、青いリンゴのような存在は初めから想定しているのである。クソデカ主語警察は、このような総称文を勝手に全称命題に都合良く読み替えることで、いわば藁人形を叩いているのである。
おそらく、クソデカ主語警察からは「全称命題であるかのように話すのが悪い」といった反論が飛んでくるだろう。これにも反論しておく。我々がコミュニケーションを行う際には、我々は通常「必要な量の情報だけを話す」という量の格率に従っている。これは円滑なコミュニケーションのために我々が従っているルールのうちの一つとされている。クソデカ主語警察の検閲に引っかからないように発話をしようとすると「私がこれまでに観測した範囲内、かつ統計的に有意と思われるデータ、および社会通念上の傾向を鑑みると、リンゴのうちかなりの割合のリンゴが、赤い傾向があると言えるかもしれない(※ただし青いリンゴも存在する)」となるが、これでは円滑なコミュニケーションは成立しない。むしろ我々は、「リンゴは赤い」という文章を全称命題で解釈するとすぐに不整合が生じるという事実と、発話者が量の格率に従っているという前提に基づき、発話者が総称文を意図しているというチャリティを発揮して、コミュニケーションを行っているはずだ。
つまるところ、クソデカ主語警察というのは、総称文を勝手に全称命題に取り違えるカテゴリーミステイクを犯している上、そのミステイクに気づかずに「自分はコミュニケーションができません」と大声で宣伝する、非常に恥ずかしい行為なのである。
さて、ということでクソデカ主語警察が実はコミュニケーションの原則をまったく理解できておらず、それ故、紋切り型をコピー・アンド・ペーストすればお手軽に相手を論破できると思っているだけの単なる凡愚であることは明らかになったわけだが、クソデカ構文がまったく問題がないというわけではない。むしろ、ここからが本当に自分の言いたいことになる。
クソデカ構文というのは本質的に問題含みのものであって、それ故、慎重に使わなくてはならないことは事実だと思う。たしかに、主語がデカいことによって必然的に問題が生じるわけではない。例えば「2以上の素数はすべて奇数である」という文章の主語の指す集合は無限であり、考え得る限りほぼ最大のクソデカ主語(とは言え高々加算ではあるの)だが、普通に真である。だから、主語がデカいことそれ自体は一般に問題にはならない。しかし、世の中には問題になるクソデカ構文というものはたしかに存在している。それは大きく分けて2種類あり、①そもそも事実とは異なるクソデカ構文②仮に事実だとしても望ましくないクソデカ構文、である。
まず1つ目について。クソデカ構文には、単純に事実誤認になっているケースがある。そうしたクソデカ構文の典型例を挙げると「B型は自己中心的である」のようなものがそうだろう。もはや常識となっていると思うが、血液型とその人間の性格にはまったく関係はない。こういった血液型診断は事実とはまったく異なるデタラメであるので、完全に間違えている。ただし、注意が必要なのは、血液型診断が誤っているのは、主語がクソデカだから「ではない」ということである。こうした疑似科学が誤っている根本的な理由は主語のデカさではなく、科学的な根拠の無さに由来している。他にも「若者は本を読まない」といった例も考えられる。統計的には不読率は全世代を通して年々減少傾向にあるし、むしろ学校の読書教育を考えれば若者の方が読んでいる可能性すらある。
しかし、仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文というものは存在するし、これこそが一番の問題だと思う。それが問題となるクソデカ構文の2種類目「仮に事実だとしても問題のあるクソデカ構文」である。統計的な事実(マジョリティ傾向)が仮に含まれていたとしても、それをクソデカ主語で語ることが社会的な害悪を引き起こすことはある。例えば、「低学歴は犯罪を犯しやすい」という事実が仮にあったとしよう。強調しておくが、これは仮の話であり、そういった事実が実際にあるかは知らない。あくまで「もし事実だとしたら」という体で話を進める。つまり「低学歴は典型的には犯罪者予備軍の性質がある」という総称文を確証する統計的相関が仮にあったとしよう。そうだとしても、このクソデカ構文には問題が存在する。それは、「統計的相関」と「属性への本質化」のすり替えである。「低学歴ほど犯罪を犯す傾向がある」という事実は、「低学歴だから犯罪を犯す」という因果関係の説明にはならない。例えば「貧困」や「劣悪な成育環境」といった第3の変数が教育機会を奪い、それが同時に犯罪への原因にもなっている可能性は十分にある。このとき、もしこの言説の問題点が「主語がデカいこと」にあると主張してしまうと、「学歴の低さそのものに犯罪を誘発する性質がある」という本質主義的な前提を暗に認めることになってしまう。そうではなく、本当の問題は「低学歴」と「犯罪率」には相関はあるが因果はない、ということのはずだ。「アイスの売り上げが増えると溺死者が増える」という相関データから「アイスは溺死を招く悪魔の食い物だ」と騒ぐ馬鹿がいたとして、そいつに対して「主語がでかいから間違ったことを言っている」などと、もっと馬鹿なことを言う必要なんかないのだ。
そして、第2種のクソデカ構文が余計に問題なのは、それが差別を助長するからに他ならない。例えば先ほどの統計的相関に従って、「低学歴=危ない」という言説が流布すれば、おそらく企業の採用担当はは低学歴の雇用を控え、周囲は低学歴に偏見の目を向けるだろう。その結果、彼らは正当な労働から不当に排除され、生活のために余計に犯罪に手を染めるしかなくなる。これは少し誇張して書いてはいるが、好ましくない事実自体が、その事実をさらに悪化させる機能を果たしてしまうこと自体は往々にしてある。
この記事を読んでいるあなたが高等教育(特に自然科学)を受けた経験があるとしたら、おそらくこの論点は受け入れにくいかもしれない。つまり、科学的な事実は事実であって、社会的な価値とは無関係だ、という科学の価値自由性を引き合いに出されるかもしれない。しかし「事実だから言っても構わない」という態度は、自分が石を投げて相手を転ばせておいて「ほら、あいつは転びやすいという事実は正しいだろ」と言い張るようなものであって、それは事実の公表に伴う社会的影響をあまりにも軽視しすぎていると思う。
話を戻そう。では結局、何故クソデカ主語警察はインターネットに漂うゴミなのか、一言で言えば、それはクソデカ主語警察自身が、彼らが批判している奴らの「共犯者」になってしまっているからだ。以上で確認したように、問題のあるクソデカ構文には大きく分けて2つの類型がある。そして、それぞれが問題である理由は異なっており、発言ごとに核となる部分を潰していかなくてはならない。にもかかわらず、クソデカ主語警察の指摘は、批判相手の問題含みの前提は基本的にすべて無視している。 本来ならば「その相関は教育格差や貧困という社会問題の結果であり、属性のせいにするのは筋違いだ」と論理的欠陥を指摘するか、あるいは「その発言は差別を助長するヘイトだ」と倫理的な視点から叩くべき場面であるにもかかわらず、だ。結局、クソデカ主語デカ警察は、差別発言の内容には目もくれず、発言の形式だけをたしなめることで、本来の問題点そのものを温存する共犯者に成り下がってしまっている。彼らの「主語がクソデカですよw」などという空っぽの指摘は、問題を本当に解決したい側からすれば、救いでも何でもない、ただのノイズでしかない。
ここまでクソデカ主語警察が何故害悪かを、かなり憎悪混じりで書いたが、もしもあなたが今現在クソデカ主語警察であって、あなたがリプを送りつけようとしているツイートの内容が本当に問題だと思っているのだとしたら、これからは「主語がクソデカですよw」などというクソリプを送りつけて悦に入るのをやめることを強くオススメする。差別を助長するようなツイートに強く反発し、憤りを覚えるという点では私はあなたを強く支持する。しかし、それを表明するために「主語がクソデカですよw」などという薄っぺらな借り物の言葉を脳死で使えば、むしろ相手の主張を助長することになる。もし本当に、クソデカ主語警察のあなたに良心があるなら、ちゃんと何が問題なのかを一つ一つ見極めてほしい。我々の社会に本当に必要なのは盲目な警察ではなく、不条理に立ち向かう勇気と理性なのだから。
既報の通り、今シーズンのアストンマーチン・ホンダの見通しは暗い。
度重なるホンダPUのトラブルでアストンマーチン・ホンダは開幕前の事前テスト中にまともに走行ができていない。
ある程度、周回数を重ねているときでもPUに問題がないわけではなく全開モードで走らないことでかろうじてラップ数を稼ぐというやり方に終止していた。
全くもって準備不足のPUであり、言い訳無用、言い訳をする余地すら無い不良品である。
だが、なぜこんなことになるのかが、まるで不明だ。
今シーズンはレギュレーションの大更改の年で、PUのレギュレーションも大幅に変更された。
ただその変更は、どちらかというと昨年までの高度な技術が必要なPUから、
新規メーカーの参入障壁を下げるための、比較的難易度が下がる方向への技術規定変更だからだ。
現に、新規参入したアウディのPUなどはそれなりに稼働しているし、
非自動車メーカーであるレッドブル・パワートレインズが作り上げたPUなども順調な仕上がりを見せている。
そもそもレッドブル・パワートレインズが使用しているPUの土台なども、ホンダがF1撤退を決めたときにレッドブルに譲渡した技術知見が生かされているものだ。
ありえないことだ。
こうなってくると妄想せざるを得ない。
ひょっとしたしたらホンダは、とてつもなく強力なPUを開発してしまったのではないか?
アストンマーチン・ホンダは、車体側の開発の遅れからテストの開始が遅れた。
ライバルチームが第一回目のテストを2日間行ったあとに、ようやくマシンをサーキットに持ち込むことが出来た。
その間に、わかってしまったのかもしれない。
ホンダだけが発見している、今回のレギュレーションの穴をついた特別な技術を他メーカーが発見していないということに。
そのホンダだけの特別な技術を隠すために、あえてテストではPUの開発に失敗したていを擬態しているのではないか?
なぜそのようなことをするのか?
あるメーカーが優位に立てる技術を発見したらライバルチームはその技術を封じ込めるために規則自体を改正するように向かうからだ。
現に、今シーズンには開幕前だと言うのにメルセデスが発見したレギュレーションの穴を塞ぐべく、新しい規則を導入することが多数決によって図られることが決まっている。
もしも、ホンダが圧倒的なPUをテストでは走らせたとしたら、同じ事が起こってもおかしくはない。
ホンダの優位を無くすためにFIA対して激しいロビイスト活動が行われるだろう。
緊急のレギュレーションの変更が承認されるためにはF1チームによる多数決が行われる。
そのときメルセデスなどはPUを供給しているチームが多いので多数決で有利になるが、
となればホンダの優位性など、あっという間に数の論理で塞がれてしまうだろう。
あえてアストンマーチン・ホンダは危険な賭けに出たのではないか?
例え圧倒的なPUがあったとしても未知のレギュレーションの準備としてのテスト走行を行わないというのは無謀と言える。
しかし、その賭けをしたとしても圧倒的な実力の差でレースに勝ちきる実力がホンダのPUに備わっているとしたら?
LLMが「人間の会話データから学習しているのに、人間っぽく謝らない(ことがある)」のは、だいたい次の要因が重なって起きます。
人間同士でも、誤りを指摘されたときの反応は文化・職場規範・媒体(掲示板/チャット/論文レビュー)で大きく違います。
• まず謝る人もいれば
• まず訂正(事実関係)を言う人もいれば
• 謝ること自体が「過失の認定」になる環境では避ける人もいます
LLMはこれらを平均化した“確率的にもっともそれっぽい”応答を出すので、あなたの周囲の規範(まず謝る)に必ずしも一致しません。
2) 追加の学習(指示追従・安全性・品質)で「謝り方」が抑制されることがある
多くのLLMは、生データの次に「こういう受け答えが望ましい」という人手評価や方針で追加学習されています。そこで評価されやすいのは、しばしば
• 責任の取り方に見える表現(法務・補償・過失認定)を避ける
などです。結果として「まず謝る」より「まず修正・説明」に寄るモデルもあります。
3) “誤り”をモデル自身が確信できない場合がある(指摘を真と採用しない)
あなたが誤りを指摘しても、モデル側はその指摘が正しいかを内部的に確証できないことがあります。すると挙動は分岐します:
• 指摘を受け入れて訂正する(+謝ることもある)
人間でも、相手の指摘が正しいと確信できないときは即謝罪しないことがありますが、LLMは特にこの分岐が起きやすいです。
4) 会話の目的関数が「関係維持」より「タスク達成」寄りになりやすい
職場文化では、謝罪は信頼回復・関係修復の重要な儀礼です。一方でLLMの最適化は「ユーザー満足(正確さ・有用性・安全性・簡潔さ)」に寄りがちで、社会的儀礼としての謝罪が常に最優先になりません。
そのため、モデルは「謝るより先に、正答と理由を提示した方が役に立つ」と判断する局面が出ます。
5) “謝罪っぽい言い回し”は、誤りが小さいと省略されやすい
特に「言い間違い」「条件の取り違え」「曖昧な質問への別解釈」など、モデルが“重大な誤り”として認識しにくいケースでは、謝罪が薄くなり、淡々と訂正だけして終わることがあります。
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もしあなたの環境に合わせて「誤りがあった場合は最初に短く謝罪→訂正→再発防止(なぜ誤ったか)」の型で返してほしいなら、次のように最初にルールとして渡すと安定します。
• 「誤りを指摘されたら、最初に一文で謝罪し、その後に訂正版と根拠、誤りの原因を簡潔に述べてください」
(この指示自体が“会話の目的関数”を上書きするので効きます。)
だそうです。