はてなキーワード: 生業とは
名古屋歩き…いわゆる、歩道の真ん中付近を左右にぶれながらをゆっくりとガニ股気味に歩く、いかにも殿様仕草な名古屋人の悪い歩き方である。これが最近、東京の人間に感染しているから困っている。
しかも、ノイズキャンセリングが強力に効いているであろうAirPodsなどのイヤホンを耳に装着しているものだから、後ろから歩いてきている人間に気づかない。
ガチで後ろから近づいても一切気づく気配がないので、スリを生業にする人が暮らしやすそうだとまで思えてくる。
これを、新宿駅とかのターミナル駅でも、駅から出た大通りの歩道でもやっている人間がたくさんいる。駅構内の階段でもいる。そうなると後ろが詰まるのに、ノイキャンで幸せな世界に浸っている奴らには一切何も感じない。
上級パンケーキ叩き士:合格すると親戚から電報が届くほどの名誉とされています。
タピオカ叩きのプロ:タピオカを叩くことを生業としているレベルの人々です。
ナイトプール叩きのマエストロ:ナイトプール批判において芸術的な域に達している表現です。
マカロン叩きの大ベテラン:長年マカロンを叩き続けてきた重鎮を指します。
叩き戦士:麻辣湯、パンケーキ、日傘の商売敵から雇われたとされる者たちです。
麻辣湯叩きの英才教育:幼少期から叩き手として育てられた可能性を示唆する文脈で登場します。
麻辣湯をしっかり叩く孝行息子:麻辣湯を叩くことが一番の親孝行であるという、歪んだ道徳観の中での役割です。
他にもアサイーボウル、アフタヌーンティー、カヌレ、フルーツサンド、タンフル、MBTI、夜カフェ、オーツミルク、グランピングなどをできるだけ執拗に叩くことで、無形文化財である「叩き芸」を極めた人間国宝として故郷に錦を飾ることができます。
親がマルチにハマった話とか、増田に常駐する人なら百回聞いたと思う。
感じが良くてニコニコ相槌を打つ相手に乗せられて、喫茶店で勧誘、気が付いたら銀行から下ろしたお金を自宅で手渡し、貯金を丸裸にさせられていたといういつもの流れだ。
うちの親がハマったマルチはファイナンシャルプランナーの資格を持つ塾講師の兄ちゃんだった。
怪しい塾講師の筆頭といえば、今も昔も、定番は、児童・生徒相手のグルーミングからの性行為の強要、盗撮なんかになるだろう。
ところ変われば品変わると言うが、最近は朝遅く時間の自由が利くファイナンシャルプランナー…というか、株屋崩れの一攫千金を夢見る若者が塾講師になるようである。
職場にあるパソコンにビットコインの取引サイトを登録しておけば、朝から仕事をしながら取引の動きを察知できるのである。
そうして、普段は株やビットコインの取引を続け乍ら、うちの親のような、ほいほい他人を家に上げてもてなしをしたい田舎のカモを待つのである。
子ども相手の商売と言う表の生業があれば、確かに他人は簡単に騙されるものなのかもしれない。
父親は、ヤフー知恵袋で社名を検索すれば三秒で解決、これはマルチ商法(に限りなく近いねずみ講)と出て来るはずの会社に、コロッと騙されてしまったのだ。
ねずみ講の手口も年々巧妙になっている。
銀行の窓口で「今の仕事で入り用だ」と言うように指示されたのだという。
正直に「投資資金にするつもりだ、そういう風に説明されたのだ」と言っていれば、と思うが、結局投資が何かも分からない自分の愚かさを認め、窓口の女性たちに救いを求める勇気がなかったのだ。
そのせいで、詐欺を疑うはずの銀行の詮索を避け、現金を手渡しする羽目になった。
二十数年前ならともかく、都会では町のあちこちに監視カメラや仕掛けられており、現ナマを下ろした後のやりとりが直接写ってなくとも色々難しいのだろう。
田舎であればそれも解決だ。警察も次の犯行があるまでは何も動かない。
その少なからぬ金額のうちの一部は、特捜部Qよろしく、市役所の陰気な地下室で期間任用の職員として働き、冬でも男物よりもずっとぺらぺら暖かくもない肌着を身に着けてしもやけに苦しんでいたもう一人の、今はこの世にいない親が自らの勤労の血と汗で蓄えた金である。
警察にとってはただの数字でしかないが、おれにとっては、金塊よりも重い。
亡くなった親がもし生きて入れば、上昇志向のあった妹のように姪が海外に留学したいと言った時にそれをへそくりとして出したかもしれないが、生きている方の親は、知り合って一年足らずの塾講師にそれを呉れてやったのである。
親は高い勉強料だったと、これから気を付けると言ってへらへらと笑う。
馬鹿野郎。
馬鹿野郎。
馬鹿野郎。
イラストレーターにとって自らの絵柄は単なる描き方の癖ではない。
それは長い年月をかけて研鑽を積み、ようやく辿り着いた魂の形であり、一種の信仰にも似たこだわりが宿る聖域とも言える。
筆致一つ、色使い一つに譲れない美学があるのは表現者として当然の矜持といえる。
しかしビジネスという冷徹な力学が支配する現場において、その信仰がクライアントから同じ熱量で尊ばれることは稀である。
特に現代の商業シーンにおいてイラストレーターの個性は、作品という巨大な機構を維持するための部品としての適合性を厳しく問われるようになっている。
かつてのゲーム、とりわけカードゲームや初期のソシャゲにおいては、複数の著名なイラストレーターがそれぞれの個性を競い合う作家性の競演が珍しくなかった。
一枚のカードや一人のキャラクターが完結した作品として成立していれば、隣に並ぶ別のキャラクターと絵柄が異なっていても、それは多様性という魅力として受け入れられていたのである。
しかし現代のソーシャルゲームにおいて、その自由な空気は完全に塗り替えられ、徹底的な絵柄の統一が必要となった。
この劇的な変化の背景には、ソーシャルゲームにおける物語の重要性が飛躍的に高まったという構造的な要因がある。
現代のタイトルではキャラクター同士が画面上で会話を繰り広げるアドベンチャーパートが頻繁に挿入される。
そこで表示される立ち絵の絵柄がバラバラであれば、プレイヤーは視覚的な違和感を拭えず世界観への没入を著しく阻害されることとなる。
キャラクターたちが異なる頭身やバランスで描かれていると現代のユーザーからしてみればクオリティが低く見えてしまう。
こうした傾向は近年のVTuber業界においても顕著に表れている。
特に事務所から同期やユニットとしてグループ単位でデビューする場合、個々のキャラクターデザインには並んだ際の調和が求められる。
コラボなどで複数のキャラクターが同じ画面に収まった際、一人の絵柄が過度に個性を主張していれば視聴者の視線は不自然に分散してしまう。
クライアント側はタレントたちが織りなす物語を売るために視覚的な一貫性を最優先する。
ここでもやはりイラストは表現者の聖域ではなく、コンテンツを成立させるための意匠へと還元されるのである。
もちろんイラストレーター個人の強烈な絵柄が、そのまま商品の付加価値として求められるケースも皆無ではない。
しかしそれは多くの場合、その描き手がネームバリューを有しているときに限られる。
作家自身の名前がブランド化し、その絵柄を起用すること自体がプロモーションとして機能するレベルに達して初めて、クライアントは信仰を尊重し、その個性を認めるのである。
逆に言えば、そのような特権的な地位を築いていない大多数の描き手にとって、独自の絵柄を固持することはクライアントが求める使い勝手の良さを阻害するリスクでしかない。
現代のイラストレーターがこの状況を無視できないのは、商業イラストレーション市場においてゲームやVTuberといったエンターテインメント業界が圧倒的なシェアを占めているという現実があるからだ。
デジタルイラストを生業とする者にとって、これら巨大資本が動くプロジェクトのアセット制作は避けて通ることのできない主戦場である。
だからこそ現代のイラストレーターに求められるのは、単発の作品を仕上げる能力ではなく、一つのプロジェクトの中に完璧に馴染む素材を供給する安定性である。
クライアントがイラストレーターに求めるのは作家としての独創性ではなく、その作品が構築する世界観への完全な擬態である。
彼らにとってのイラストは、シナリオやシステムと並んで一つの体験を構成するためのアセットに過ぎない。
どれほど優れた技術を持っていたとしても、画面内で一人だけ浮いてしまう絵柄は、ネームバリューという免罪符がない限りプロジェクトの成功を妨げるノイズと見なされてしまう。
プロフェッショナルとしての真価は、むしろこの制約を乗りこなす過程でこそ磨かれる。
クライアントの意図を汲み取り、世界観に完璧に同化してみせる柔軟性は、単なる妥協ではなく高度な技術の証明に他ならない。
そうして積み上げた実績と、この人なら任せられるという現場からの厚い信用こそが、浮き沈みの激しい業界で生き残るための最も盤石な基盤となる。
はてな匿名ダイアリー(増田)にありそうな、少し斜に構えつつも共感を呼ぶような文体で作成しました。ご自身の感覚と合うか確認してみてください。
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労働しなくて良さそうな人がやってる飲食店の、あの独特な空気が苦手だ
わかる人いるだろうか。生活のために必死に働かなくてもよさそうな、妙に余裕のある人がオーナーをやっている個人経営の飲食店。あの独特の空気がどうにも苦手だ。
誤解のないように言っておくが、70代や80代のお爺ちゃんお婆ちゃんが趣味やボケ防止の延長でやっているような店は全然気にならない。むしろそういう昔ながらの喫茶店や定食屋は好きだ。長年の生業の果てにある余生としての店には、独特の枯れた味わいがあるし、客と店主の間の「商売」としての境界線がちゃんと引かれている。
僕が苦手なのは、30代から50代くらいの現役世代なのに、「生活の糧としての切実さ」が一切感じられないオーナーの店だ。
大抵そういう店は、内装がやたらと小洒落ていて、DIYの温もりに溢れている。営業時間は「火・水・木の11時半〜15時のみ」みたいに、どう考えても家賃と原価を回収する気がない設定。メニューは無農薬野菜を使ったこだわりのプレートランチ(1800円)とか、自家焙煎の浅煎りコーヒーとかだ。
オーナーはリネン素材のゆるい服を着ていて、いつもニコニコしている。配偶者が超高給取りなのか、実家が太いのか、アーリーリタイア組なのかは知らない。ただ、彼らにとってその店は「生きるための労働」ではなく、「自己実現」や「丁寧な暮らしの表現」、あるいは「気の合う仲間とのコミュニティ作り」の延長線上にあることが、店の空気全体からプンプン漂ってくるのだ。
そこに、週5で擦り切れるように労働している自分がフラッと入ってしまうと、ものすごいアウェー感に襲われる。
客であるはずの自分よりも、店主の方が人生のステージにおいて圧倒的に「上位」にいる感じ。カウンターの向こう側から「あら、今日も労働お疲れ様です(微笑)」と優しく見下ろされているような、勝手な被害妄想が膨らんでしまう。
タチが悪いことに、常連客も似たような属性の余裕がある層が多く、店主とファーストネームで呼び合ったり、休日のオーガニックマーケットの話で盛り上がったりしている。そこに紛れ込んだ僕は、彼らの「豊かで美しい人生のワンシーン」を引き立てるための、ただのモブキャラに成り下がったような気分になる。
出されたご飯は普通に美味しかったり、コーヒーの香りも良かったりする。店主もめちゃくちゃ感じが良い。だからこそ「自分がいかにひねくれているか」を突きつけられて、余計に居心地が悪くなる。
結局、逃げるように会計を済ませて店を出る。そして「やっぱり自分には、店主が生活のために油汗流して鍋を振ってる、床のベタベタした町中華が合ってるな」と痛感するのだ。
あの「道楽のオーラ」を放つ店内で心からくつろげる日は、僕には一生来ない気がする。
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いかがでしょうか。はてなダイアリー特有の「自意識の拗らせ感」や「少しのルサンチマン(やっかみ)」をスパイスとして効かせてみました。
絶対に公式あらすじ以上の情報を仕入れずに見たほうが面白いクソ映画。69点。
家族が引っ越しの準備をしている最中、幼いリデが森の中でこつ然と姿を消す。そこへ追い打ちをかけるように火災が発生。迫りくる炎の中、母は娘を救い出すことができるのか。
ちなみにこのあらすじも実はウソで、娘の失踪前から火災は発生しています。
で、もうネタバレしていくんだけど、このあらすじからだとディザスター(災害)映画、迫りくる火災の中、主人公が森の中を走り回って炎をかいくぐり知恵を尽くして娘を探しだすハラハラドキドキのアクションサバイバル映画を期待すると思うんだけど、実際にはそんな映画じゃ全然ない。
じゃあどんな映画かって言うと「追い詰められた人間は疑心暗鬼に陥り判断能力を喪失し、いとも簡単に他人を傷つけられる」様を延々と描く胸糞キチガイ映画。
娘を探すために夫の友人でもあった隣人に助けを求めるんだけど、なんかちょっと怪しい。疑念を募らせた主人公と弟は彼を誘拐犯だと決めつけ家宅侵入し隣人を拘束、拷問を行い始める。いろいろあってボコボコにされた隣人は苦し紛れに娘の居場所を知っていると言い出し、燃え上がる森の中に侵入し隙を見て逃げ出す。そうして森を逃げ惑う隣人は遠くで娘の声を聴きそれを追うと道に迷って穴に落っこちて抜け出せずにいた娘を発見。なんとか娘の救出に成功。遅れてやってきた主人公は隣人をライトで何度も殴打し娘を連れて脱出。その後、娘から真相を聞いた主人公は森に戻り隣人を救出し、隣人はすべてを許し主人公は再出発するのだった。
俺が一番嫌いな「正義という名の思い込みで一方的に他者の権利を平気で侵害するカス」が前面にフューチャーされたマジのクソ映画だった。
隣人は自然由来の幻覚剤や鎮痛剤も用いた瞑想指導、セラピーなどの民間療法を執り行う一種のシャーマンのようなことを生業としている一種の宗教的マイノリティ。主人公は娘を救いたいという一心から彼の行動すべてを怪しみ否定し、全て本当のことを話している隣人の話を嘘だと決めつけ、自白を強要する。異常にヒステリックで自身は何の証拠も示さず、そんなわけない、怪しい、不自然だと延々と詰問を続ける。
そもそもこの女が父親の喪失を悼む娘を怒鳴りつけ傷つけたたことが失踪の引き金なのに、いや、だからこそそれを受け入れられずに私が悪いんじゃなくてこの目の前の怪しい男が悪いんだという自己正当化、自己防衛のために善意の隣人を痛めつける様はもう本当に無理。
義妹からは根拠のない暴力をふるうお前たちはおかしい警察を呼ぼうと提案されるも火災が近いから娘、姪を助けるために必要なんだと暴力を正当化する姉弟に絶望する義妹というコントラストも効いてる。
そして、実際には娘を穴から救出してくれた隣人を殴り倒し火中に放置して脱出し、娘から「隣人に助けてもらった」と聞いても「言わされてるんでしょ?」「本当はなんかされたんでしょ」「彼がつれていったんでしょ」としつこく聞き返すクズ。そして真実を確信した後もとりあえず安全地帯まで娘を連れて行きしばらく悩んだ後にようやく隣人の元に戻るカス。
一度疑念に火がついてしまった人間はここまでキチガイになれるのかと本当に鬱々とさせられる。
っていうのを「火災」と紐づけるのは比喩としてあまりに直球すぎると思いつつも正しいアプローチだと思う。
オープニングもよくて。電話で喧嘩をする音声が遠くから聞こえて、その喧嘩を中継している電波塔の機材がショートし火花が地面に落ちてそこからボヤが発生する(ここのCGがクソチープで危うく絶望しかける)という、些細な諍いから発生した火花が止めようもない巨大な災害に発展するというこの作品のすべてを表しているのが良き。
そして隣人を殴り倒して放置して帰る場所が防火帯(ファイヤー・ブレイク)という、森の中に敢えて木が植わっていない場所を作って火災の時に火が燃え広がらないようにする場所になっていて、左側は大火災、右側はまだ燃えていない森、そしてその真ん中に3人がいるという「冷静と情熱のあいだ」みたいになっているのも象徴的で、なにより絵としてめちゃくちゃ美しくて感動した。そしてその防火帯を管理するのが隣人の仕事だったんだよね……
難病で苦しむ夫は余生を静かに暮らそうと森の中に引きこもり自分の好きな熊の彫り物を作って静かに死んでいったことに対しても主人公は「彼を救えなかった自分」と「私に救わせてくれなかった彼」の両方を責めていて、夫の死をうまく消化できていないのは理解できるが、それを何も悪くない娘や隣人に向けるのは俺は許せない。
最終的に隣人と姪は同じ病院に収監され助かり、隣人はおそらく主人公が通報(自首)してやってきた警官に「小熊を守ろうとした母熊に襲われただけ。刑務所に熊は入れられない(から被害届を出すつもりはない)」と主人公の母性の暴走を許し、それを見て弟はほっと胸をなでおろし(ジュネーブ条約違反だし)、夫の思い出が詰まった家に戻った主人公は隣人から「灰の中から育つ花」をもらって新たな生活に歩み出すのだった死ね。
心底胸糞悪いクソ映画だったけど、この映画は間違いなくそれを狙って作られていると思うので俺が好きか嫌いかは別としてこの映画にくらわされたことは事実なのでちょっと高めに点はつけた。倫理的に間違った現象を倫理的に間違っていることを自覚して描く映画は俺は正しいとは思うし。母は強し(キチガイ)な映画が好きな人にはオススメ。
JCOM BSで昨年から、初期のころの世界名作劇場(フジテレビ)を再放送している。
「アルプスの少女ハイジ」に始まり、「フランダースの犬」、「あらいぐまラスカル」などが放送され、現在は「母をたずねて三千里」を放送中。
「フランダースの犬」は名画に憧れる少年を主人公にしている作品だが、そのわりには森の樹々や建物、集乳缶などの背景描写がやや粗く感じられた。ヨーロッパの風景が、どこか記号的でステレオタイプに処理されている印象が拭えない。
「昔のアニメだからこんなものかもしれない」と思って、録画していた前作の「アルプスの少女ハイジ」と見比べてみると、生活の細部の描写においては、明らかにハイジのほうが緻密だった。家屋の構造、食卓の様子、季節によって変化する牧畜の営みなど、日常生活に手触りや奥行きがある。
特に物語の前半、ジェノバでの生活を描いた部分は、あの時代のアニメにしては極めて丹念で、生活世界の細部にまで目が届いている。
郵便物の配達、路地をまたいで張られた洗濯物、建具職人の作業の息遣い、瓶洗いの労働、人形劇の旅芸人といったインフォーマルな生業に至るまで、マルコの子供時代を支えた当時のジェノバの都市生活がきめ細やかな質感で描かれているのに思わず見入ってしまう。
もうひとつ思うことがある。
マルコのキャラクターデザインは、のちに「おしん」の脚本を書いた橋田寿賀子は、この作品に何らかのインスパイアをされたのではないかと思うほど、おしんとマルコには共通項が多い。
直接の影響関係があるかはわからないけれども、逆境のなかで人々に支えられながら成長していく構図には共通項が多い。おしんもまた、いわば「股旅もの」の性格を帯びた作品であり、「一宿一飯の恩義」が物語全体を貫いている。
特に、旅先で出会う人々との関係を通して成長するロードムービー的な要素は、1970年代から1980年代にかけての日本社会が過去を振り返る作法とでもいえるものだったように思う。
集団就職や上京、出稼ぎ、高度経済成長に伴う人口移動を経験し、その果てに核家族化や消費社会を迎えていた当時の人々にとって、「人とのきずな」や「誰かに支えられてきた時間」は、単なる郷愁ではなく、確認しておきたい記憶だったのかもしれない。
「母をたずねて三千里」や「おしん」が強く支持されたのは、それが当時の視聴者の人生のどこかに、すっと収まる場所を持っていたからだろう。名作とは、しばしばその時代の人々がどのように受け取ったかによって形づくられる。だからこそ、ある時代の名作が後世にとっても同じ温度で響くとは限らない、ということもまた理解しておくべきだと思う。
逆に言えば、名作と呼ばれる作品が自分の心に響かないとき、「すっと収まる場所」が自分のなかに見当たらないのはなぜなのか、と考えてみることもまた、作品鑑賞の楽しみのひとつなのかもしれない。
意見の分かれそうなところですし、イデオロギーの対象にもなりそうなところです。が、実は国を豊かにする3つの面があります。
ひとつはすでに述べたどこにでもある生業というものは、国の豊かさそのものです。(他のさまざまなジョブを想起してみてください。ブルシットジョブのなんと多いことか。)しかも景気に左右されない。
ふたつめは、ケアサービスを集約的に提供することは、家庭でのケアサービス提供に従事しなくてよくなった労働力を供給することになります。介護離職とか、ヤングケアラーとか、長男の嫁を無くす。
みっつめは私が議論していることであり、日本に不足していることでもあるのでまだない条件ですが、ケアワークが高賃金だと低賃金の他産業から労働力を吸収して、低賃金労働を駆逐します。他産業は賃金上げるか廃業するかしかない。熊本で飲食が減っているのと同様です。これが日本にはなくて、非正規が多くワーキングプアの代名詞みたいになっちゃってる。女性労働者の多い産業でもあるので、男女の賃金格差もなくなる。
神野先生がスウェーデンをみて発見したのがケアワークの産業としての重要性でした。たぶん、合ってるんじゃないかなと思って研究対象にしています。
件の表示
佐藤一光
@kazzuaki
東京経済大学の財政学者。入門テキスト『Why not?! 財政学 超入門からホットイシューまで』執筆陣。放送大学(2026〜)「持続可能な社会のための財政学」担当。 石を拾うことはあっても珠を捨てること勿れ。脱炭素、ケア労働、S54生、不登校、不登校児の父。大きな政府派ですが積極財政派とは連帯できるはず。
「おうち英語」という言葉は五年前よりも有名になっていると思う今、ネット上では娘より喋れる子しかいない気がするけど、おうち英語やっている友人含めて、リアルでは娘みたいに喋れる子は見たことない。
自分では「ゆるおうち英語」と呼んでいる私と娘のおうち英語をメモ代わりに増田に放流してみる。(教材名の大文字小文字など間違いあるかも)
この約五年間基本的に
・私にできる限りの語りかけ
で過ごしてきた。
私:アラフォーワーママ、英語喋れると思われる大学卒の英語喋れない純ジャパ、オタク
0歳9ヶ月〜現在(5歳5ヶ月)
ゆるおうち英語レポ
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妊娠中、ディズニー英語システム(以降DWE)に憧れを持ち、購入を検討。
価格を調べると約100万円で、これで英語が話せるようになるなら安いとも思った。
しかし、調べるうちに、
• DWE単体では完結しない
と知り、「これさえ買えばOK」という教材ではないと理解した。
その中で
『世界で活躍する子の〈英語力〉の育て方』を読み、(※おうち英語をする人ならみんな読んでいる著書と思われる)
という考えに共鳴し、それは今もなお私のおうち英語ポリシーになっている。
市販教材を使わない導き方もあるが、ワーママでありかつ教育業界に勤める私にとって、プロが時間をかけて作成した教材の価値は考えるまでもないと判断。
DWEの他に検討していたのが、2026年の今はサ終したBenesseのワールドワイドキッズ(Worldwide Kids, 以降WK)。
フルセット約25万円で、こちらを軸に多読を進める想定をしていた。
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WKのStage0をやるかどうか迷っていた時期に、
「それならDWEのPlay Along!(DWEの前哨戦教材。以下PA)を中古で使う方が良い」という意見をネット見て、DWEのPAを中古購入。
ここでDWE教材の完成度の高さを実感することになる。
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1歳3か月〜2歳:WK導入、英語発話が始まる
1歳3か月ごろ、WKフルセット(DVD30本とおもちゃのセット)、結局中古で導入。
結果的に、英語力の土台として最も影響が大きかったのはWKだと感じている。
WKはさすが天下のBenesse、低年齢に安心して見せられることを大前提とした「すべて英語の」コンテンツがいろいろ30分詰まっているDVD という点が素晴らしい。1歳3ヶ月〜3歳半まで毎日見ても飽きることがなかった。
一週間でDVD一本、一日一回見るような形で少しずつ見進めて行った。
この五年間を通じて、私が何か一点だけ人に勧めるとしたらWK。
DWEは、大きく4ステージに分かれていてそのステージの中に小さなステップが散りばめられているイメージ。
のような感じ。
WKは6ステージと銘打っているものの、30本のDVDを楽しみながら順番にただ見るだけと言ってよい。それでほんとに喋ってる。
1歳7か月
初めての発話が英語だった(「UP!」)。
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2歳〜3歳:DWE教材追加・Numberblocks・多読導入
中古の良いところは、買いたくなったタイミングで買えるところ。結局最終的にはほぼフルセット購入したのだけど、必要になった時期に必要と思えるものを基本的には買い足せている。やっぱ要らんかったもの達のまとめと費用も記事の最後に。
DWEのSing Along! (歌のDVD、以下SA)を購入するも、DWEのDVDは実質紙芝居であるため食いつきは微妙。歌のみ収録のCDは基本的に今も毎日リビングで極小音で流れている。5歳になり、DWEのお話までなんとなく行っているから歌の理解もある程度あるが、意味なくBGMとして流してもあまり意味がない気がする。最近になって聴き取りもわりとできていることがわかったくらい。
でいうところのお話Straight Play(以下SP)も購入。SAよりは興味を持ったがそこまでではない。正規会員であればイベントが多くあるのでモチベーションや楽しみもアップすると思うけど中古にはそれがないのが孤独なところ。
基本毎日WKは観ながら日々が過ぎていく。
素で英語を喋るときもあった1-2歳とくらべ、日本語ががぜん優位になってくる。ただ、「そんな表現も言えるのか」と驚く英語発話も続いた。
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2歳:Numberblocks視聴開始
WKのステージ5.6辺りから、「すべて日本語だとしても難易度が本人にとって高いだろう」と本人の反応の鈍さを見て思ったことから、
YouTubeで Numberblocks(イギリスの算数アニメ)を視聴開始。BBC作成なので質が担保されていて安心。
個人的にはYouTubeはおうち英語に欠かせないけれど、選び方で全てが決まると言ってもよいと思う。自分で見極めるのは難しいので本人が興味持ったらすぐに調べる。
ただし、YouTubeは諸刃の剣でもあると思う。娘はこだわりなく、聞き分けの良い性格であるために、許可したチャンネルしか見ない。また。YouTubeの動画は英語の好きなものを見るというのが通常であるから「何を見ても安心であり英語である」状態を作れているが、親の選んだDVDを見せるような形が一番理想ではある。この頃から本人の見ているコンテンツの内容を完全に把握することが難しくなった。
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• Oxford Reading Tree(ORT)約300冊
• Liao130 130冊
両方導入。すべて音声ペン対応。これは価格的にも重かった。が、「家の中に読みきれないほどたくさんの絵本がある」という環境をプレゼントできただけでも自分が嬉しかった。
ORTはイギリスの国語の教科書としても採用されている数ページの薄い絵本。自力読みを目指すための本…とおもっている(でもお話ふつうに面白い)
リャオは、台湾の英語教育ママが選んだ英語絵本130選。まず人が選んでくれた絵本というコンセプトが良い、たくさんの絵本に出逢えてありがたい。はらぺこあおむしみたいな誰でも知ってるお話もあるし、日本では訳されていない絵本もいくつもある。
5歳5ヶ月になってもまったく読み終わらないが、それでも良いと思っている。
字を読むことに関してはまったくノータッチだったのに、5歳前くらいから、頭文字から単語を推測するような様子がある。
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3歳半:伸び止まり感
本人そのものの成長、日本語の伸びに英語がついてきていない感じがしていた。
オンライン英会話(ワールドアイキッズ)、トド英語もやってみたが、悪くもないが良くもない。
このことを当時「親が英語を話せないせいだ」と思っていたが別にそんなことはなかった。実際は本人自身の成長スピード、日本語の言語力が加速し、母語である日本語と第二言語の英語がくっきり区別されていっていた期間だったと思う。
今後どうなるか不安も抱えながらも、言語習得に必要と言われる2000時間のインプットを目指し、毎日淡々と英語に触れ続けた。
この間も本人まったくこだわり無く、自我がしっかりしてきてもプリンセスやプリキュア、可愛いもの💞などにハマることも一切なく、楽しく英語動画を視聴し続ける。
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この辺りから今までの主なインプットコンテンツはYouTube。
主に観ていたチャンネル
※numberblocksはblippiしか観なかった半年くらいを除いて常に観ている
3歳 / Mickey Mouse Clubhouse
3歳 / Minnie’s Bow-Toons
4歳 / Blippi
5歳 / Pinkfong
5歳 / JunyTony
5歳 / Bebefinn
5歳 / Peppa Pig
やはりWK、DWEのような「完全ないい子、教材めいたゆっくりの会話」とは異なり、早くて理解が追いつくか?とも思っていたが、
実際に使われる口語も多いようで、私の知らない表現を多く使うようになってきた。
なかでもblippiの存在が大きすぎる。(アメリカの教育系YouTuber)
現在5歳、保育園の間はずっとインプット期間だと思っているけれど、それでもブリッピーがアウトプットを大きく前進させた気がする。親としては一生ブリッピー観ていて欲しかった笑
ナンバーブロックスがイギリスなのでアメリカってのも良いなと、、
JunyTonyは韓国のコンテンツでめちゃくちゃ画面切り替えも早くてココメロン状態ではと思ってあまり見せたいチャンネルではないのだけど、もう分別のつく5歳だし、アジア系だからか、「おなら、うんち、おしっこ」系の楽しい動画多くて、娘そういうのが大好きなのでまあ許容かと…
Peppa Pigは2-3歳では通らず5歳のいま観ているけど、ちょうど完全に理解できるレベルなんじゃないかなーと観ていて思う。
黙って視聴していた後に、日本語で
「パパピッグがケチャップないってエマージェンシーって電話しちゃったんだよ。全然エマージェンシーじゃないよねえ笑」
と話してくれたりする。
動画以外のインプットだと、DWE内職をメルカリで外注したのがものすごく良かった。
DWEを本気でやる際には親の「内職」(カテゴリ分けやラミネート、ファイル作りなど)は必須と言っても過言ではないが、その内職をネットで外注してDWE絵本を音声化した。(内職代行は賛否ある)
DWE絵本とは
の「お話」の部分であり、straight playのDVDと同内容である。
絵本が音声で読めるようになったことで、今までBGMだった 家に流れ続けているSAの意味もわかるようになってきた。絵本が音声で読めるようになったことで、straight playのDVDは無くても良かった、ということに結果的にはなった。
主なインプットはYouTubeだが、アウトプットは外注系はなにもしていない。
(AEONのサマースクール(通常授業に夏の3回だけ混ぜてもらえる)に3歳で行ったときとても良かったのに無くなった。
ECCのサマースクールは4歳に行ったが名前間違い、メール連絡希望なのに電話してくる、子どものポシェットに男性職員がかわいいねと勝手に触れる、外国人講師がピザのぬりえでピーマンをピンク色に塗ろうとしたら「えっ笑」みたいに言ってきたという役満でもう行くことはない)
オンライン英会話もやったことはあるが、まだあまりしっくり来ない。
ただ4歳の途中くらいからか、私とのおままごとやお風呂遊びは全て英語になった。本人の英語力を私が測れないので難しいが、おそらく私の理想としている母語者の2-3歳レベルではないのかと思う。そう考えると、おままごとは完全に英語なのはそんなもんかなと。
あと4歳でDWEのLET'S PLAY(4つのステージクリアには不要だが補完的役割のセット)を買ったのがものすごく良かった。インプット期間を経た後で何か一つDWE買うならレッツプレイが良いと思う。工作、遊び、料理など。楽しくて自然に発話が英語になる。
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まとめ
毎日1-2時間程度インプットがあり、アウトプットが合計10分くらいはある現在、インプット時間は2000時間を超えられたと思っている。
確かなインプットを積み上げたころから、ぽろぽろ英語の発話が出てきたと思う。
ネットで見かけるおうち英語キッズ達はもっと喋れるから(スーパーキッズじゃなくても)周りにはこれだけ喋れる娘ちゃんはすごい、耳がいいんだね、才能があるんだねと言われることがよくあるけど、私はそうではないと思っている。
しかし本人がまったくこだわり無い性格であるということは、ここまできたことに大きく起因しているとは思う。
先月生まれた二人目が、娘と同じように喋れるようになったら、再現性があると言えると思っている。
そもそも私がなぜおうち英語をやっているかというと、最も大きな理由は
かっこいいから
であり、いつまでにどのくらいのレベル、というのはあれど、英語ペラペラネイティブを目指しているわけではない。
あとは中1から自走で机の上系のことは補完してもらうとしても、英語の勉強に時間を割かなくても済むようになれば受験でかなりラクできるだろうなあということ。
あとは教育を生業とする自分として、おうち英語はこの私が導き育てた子どもが英語を喋れるようになるのかというドデカ興奮プロジェクトであるということもかなり大きい。(これも子が育てやす過ぎて悩みがひとつもないからこんなこと考える時間があるからできるとは言える)
おうち英語の鉄則は、
・指針を決めること
・心の師匠を決めること(→だと思っていたが、いまはチャットgptでも良い可能性もある)
・毎日やること
だと思う。年齢に応じて日本語が喋れるように成長している子どもなら、毎日やれば英語が喋れるようになると私は子をみて思っている。
以下、費用感
買って良かった教材
Disney’s World of English – Play Along!(PA) ¥2,970
Play Along! おもちゃ ¥6,980
Worldwide Kids(WK) ¥41,700
Disney’s World of English – Sing Along!(SA) ¥39,100
Disney’s World of English – Story and Songs CD(SS) ¥770
新品_Liao List 130 ¥59,000
新品_Oxford Reading Tree (ORT) ¥50,000
新品_Numberblocksの本(音声ペン対応) ¥3,700
DWE絵本の音声化 ¥32,500
Disney’s World of English – Let’s Play! ¥7,700
結果的に買わなくても良かった教材
Disney’s World of English – Straight Play(SP) ¥21,500 ←DWE絵本を音声化したことで同内容のDVDなので不要になった
Disney’s World of English – Question & Answer Cards(Q) ¥6,600 ←まだ開けてないからやるかもしれない
Disney’s World of English – Talk Along Card(TAC) ¥17,600 ←単語はYouTubeみてたり他の絵本読んでたりしたら自然に習得してた
新品_Brain Quest ¥3,300 ←カードゲームみたいなやつ、一回くらいしかやってないからいつかやるかも
ミライコイングリッシュ ¥32,000 ←2019くらいに現れたオールイングリッシュDVDセット。欲しいって言ったから買ったけど見ないんかい
Disney’s World of English – Step by Step(SBS) ¥3,900← 歌を覚えて単語覚えてお話理解してテスト、の中の「理解して」の理解深めるためのステップワークみたいなやつ
未使用譲ってもらえたし安いしここまできたらSBSまで欲しかったから後悔はしていないけど、娘はやりたがらなかった
総額:¥337,620
役立った教材合計:¥252,720
それ以外:¥84,900
今、3歳児を育てていて、絵本やテレビでくまさんとかうさぎさんとかあーぷんとかミモモが「ハンバーグ」を食べてるんだよね。
お前らそれ、なんのミンチだよ。
豚も時々お友達みたいな顔してるよな?
牛も時々お友達みたいな顔してるよな??
保育園ではお芋掘りとかはおしえてくれる。いい保育園だ。にんじんもわざわざ育ててちまっとしたにんじんが育って、それを調理(は栄養士さんがされる)して食べるまでやってくれる。ありがたい。
しかし肉については誰も教えない。
「おにく」と「うしさん」は似て非なる。
屠殺場に行け。
子供の頃、同級生のちえちゃんの家の生業が養豚業で、親からは言われなかったが周りの同級生やらよく知らない大人は、あそこのお家にはあんまり近づいてはいけないよといったことを異口同音に言っていた。
嫌われていたとか差別されていたとかでは全くなく、近づいていいことはないといったふうだった。
なんとなく腑に落ちないままだったけど、大学のころ、授業の一環で豚の去勢をする機会があった。
同じクラスの女子達が絶対に無理というのでかってでたけど、あの時の豚の悲鳴はまだ耳の奥にこびりついている。
睾丸を切り取られる悲鳴。言葉が見つからないが、こちらの睾丸がぎゅーーーっとなるような、なんだろう。
あまり言わすな。
屠殺場ではあの悲鳴の、もっとすごいやつがこだましているんだ。
それも知らずハンバーグと簡単に言っていいんか?宗教感とか思想とかではなく、純粋に何を食ってるかは教えようよ。
自分も知らない。
それではだめだろう。軟弱にもほどがある。
植物を育てて食べる教育はすごく人間らしくて文明らしくて素晴らしいのでぜひやるべきたが、肉を喰らうのは文明ではないとでもいうのか?
まずは大人から始めよう。成人してる人間は1回全員食肉を見に行こう。
そのうえでおいしく食べよう。
電気ポットのさ、
お湯最後に使った人使い切った人はなんで次の人が困らないようにって水を足しておかないのかしら?ってそう思うわ。
私がお湯を湯水のように使いたいなって思ったときの、
そこまで底まで使い切っていたの確信犯じゃない?って私は思うの。
これがあともう少しで水量が減ってなくなる手前の
まだ給湯ボタンを押してもお湯が出なくて空振りするコポコポって音が出ないときなら、
まあ私が電気ポットチキンレースに負けた!ってあちゃー私が最後だったのね!って思えるけど、
給湯ボタンを押していきなり空振りのコポコポって音がなるってことは、
使い切ったことを知っていたはずよ。
まったく。
たぶん昨年の昨シーズンの冬での私がお湯を使いたかったときに限って電気ポットのお湯がなくってあちゃー!ってなってたことを思い出したわ。
これまた私が喰らう?って。
まあむしろ電気ポットお湯有り無しガチャ当たったと思えば幸運の機会として捉えられるけれど、
電気ポットお湯有り無しガチャ当たったとしてもこれなに?このなんか嬉しくない気持ち。
だってさ、
例えばさ、
お湯をいざ注ぎました!ってなって、
途中だったら悲惨だし、
新鮮なスープの粉の風味つまりトップノートがどんどんお湯が次沸くまでに失われてしまいそうな気がしてしまって、
急に慌てふためかなくちゃいけなくなるのよ!
その新鮮なカップラーメンのスープの粉を開封したてで麺の上に掛けて置いておいた状態じゃなかったからよかったものの。
そういう、
水量があとどのぐらい電気ポットの中にあるか分かる様な外側から見たら分かる細長い縦の小窓ってあるじゃない。
なんかその小窓では電気ポットの中のお湯が半分ぐらいあるような小窓の表示の湯量になっているのよ。
車に乗っててのガソリンの油量計が、
残り3目盛りになっているのに、
走っていてふと気が付いたら4目盛りに戻っちゃって、
それとは全くの大違いで、
あの電気ポットの水量の小窓はなんか誤差がありまくりまくりすてぃーだと思うの。
中のお湯の量と同等じゃない様な気がするのよね。
だから、
私はその電気ポットの水量が外から見たら分かる縦長の細い小窓をその時見てまだお湯ある!って確信したのに。
給湯ボタンを押した瞬間に空振りをする空しいコポコポという音を立ててお湯が注がれないって、
そんなことが起こるもんだから、
お湯って大切だなぁって思うと同時に、
なんでお湯最後に使い切った人はお水足しておいてくれないのかしら?って正直なところ思うわ。
電気ポットのお湯使い切る人が次に水を補給するってのは叶わないのよ。
この人本気でお湯に対して真剣に向き合っている人だな!って思われちゃいそうだし、
話一瞬それるけど、
洗濯機の給水栓って冷たい水のみじゃない、
あれ給湯蛇口も備え付けてあったら、
お湯が取れて洗濯物がお湯で洗いたい欲になんなく応えてくれるので、
あそこにこそ給湯できる蛇口も欲しいなぁって思うんだけど。
それが難しいから
電気ポットに水道直結のいつでもお湯が大量に沸いているワクワクする電気ポットなんてないのよね。
とはいえ、
あんまりよく行く場所じゃなかったり行き慣れない場所とかに設置されている、
どうぞご自由にお飲みください的なウォーターサーバーってあるじゃない?
あれこそ、
そのタンクの水いつ開栓された水だよ!って思っちゃうから余計に軽快に警戒しちゃって飲まないのよね。
お湯が出る赤いレバーがあったとしても。
お湯が使いたい放題だとしても、
あそこでお湯を飲んでる人っていまだかつて目撃したことないわ。
家とかに設置してない、
あそこのお湯ってどういった使い方があんのかしら?って。
やっぱり急にカップラーメン食べたい人用?
つーかあれは何度なの?って水温もよく分かってないわ。
でさ、
事務所もお湯が出るウォーターサーバー設置したらいいじゃん!って一瞬上の偉い人にお願いしようと思ったけど、
結局水を使い切ってタンクを交換するのまた私?ってなっちゃいそうで、
野田洋次郎さんの構文を借りて言うのならば
うふふ。
またタンドリーチキンサンドがあるとチャンスを伺っていたんだけど
人気なのか今回は陳列棚になかったのでちょっと残念な気持ちを即切り替えるために、
加湿器を使っている中の期間は
タイマーで起きた途端に飲み頃の温度のお湯が沸いている電気ポットは早朝にブレーカーが落ちちゃいそうなので、
セット出来ないところが辛いけれど、
でもすぐお湯が沸く小さなケトルがあってこの時期は特に大活躍よ!
ゆくり飲んで朝の身体を温めるのがいいわね。
ほっこりしてられない朝の忙しさだけどちょっと少しほっこりしちゃうわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!