はてなキーワード: 慈善とは
カークの核心的な主張「無料給食を全員に」という政策は、問題を根本的に解決していない。
アメリカの子供たちは飢えて死ぬような状況にはなく、「飢餓に苦しむ子供を一人でも見せてほしい。実際には存在しない」という趣旨の発言を繰り返しています。
実際の危機は肥満にある。アメリカの子供の約半数が過体重または肥満である(CDCのデータに基づくおおよその数字)。
政府が無料で給食を提供しても、栄養バランスの悪い食事や運動不足、スクリーンタイムの増加といった根本原因は解決しない。
子供の食事は親の責任であり、政府が肩代わりすべきではない。家族の責任を弱め、依存を助長するだけだと指摘。
解決策としては、政府の拡大ではなく、民間の慈善活動、教会、地域コミュニティ、親の自立を重視すべきだと主張しています。
データの背景
肥満率:子供・青少年の過体重+肥満の割合は、年齢層によって異なりますが、35〜50%前後と高水準にあります。加工食品、糖分の多い飲料、運動不足が主な要因です。
食料不安(food insecurity):一方で、USDAなどのデータでは、数百万人の子供が「食料不安」の状態にあるとされています。ただし、これは「十分な栄養のある食事が常に得られない」という意味で、昔のような極度の飢餓(餓死レベル)とは異なります。
注目すべき点として、食料不安と肥満が同時に存在する「肥満の paradox(逆説)」がアメリカでは指摘されています。安価でカロリーの高い加工食品が手に入りやすい環境が、栄養不足と肥満の両方を生んでいる可能性があります。
彼にとって「全員に無料給食」という政策は、善意の名の下に政府の規模を拡大し、親の役割を弱める典型的な例だと見なしています。彼の主張は、単なる「冷たい」意見ではなく、「本当の問題は何か?」を正面から指摘するものとして、彼の支持者には支持されています。一方で、貧困層の子供への支援を重視する人々からは厳しく批判されることも多いトピックです。
結論から言うと、福音派は一つの教派(宗派)ではなく、横断的な「運動」です。教派(Baptist、Pentecostal、Methodist、Presbyterianなど)の壁を超えて「これを大事にする人たち」の集まりと考えるとわかりやすいです。
歴史家デイビッド・ベビントン(David Bebbington)が提唱した「ベビントン四角形(Quadrilateral)」が、世界的に最も広く使われている定義です。この4つが重視されているかどうかで福音派かどうかを判断します。
個人がイエス・キリストを信じて「新生(born again)」する体験を非常に重視する。 「一度信じれば終わり」ではなく、「人生が根本的に変わる回心体験」が大事。
聖書を信仰と生活の最高権威とする。 ※ここがポイント:解釈の細部は違っていても、「聖書を軽く見ない」「聖書を生活の指針とする」という態度が共通していればOK。
福音を積極的に伝える(伝道)だけでなく、社会活動や慈善にも熱心。 → ここが「熱心さ・活発さ」の部分です。
それでも上記の4つの優先順位・態度を強く持っている人を福音派と呼ぶ。これが「教派を跨ぐ」理由です。
・ある人はカルヴァン主義(予定説)、別の人はアルミニウス主義(自由意志重視)でも、両方とも「聖書を大事にし、回心を重視し、十字架を救いの中心とし、積極的に伝道する」なら福音派。
・ ペンテコステ派(聖霊の賜物・異言を重視)も、福音派の多くに含まれますが、福音派全体のサブセットのような位置づけです。
「イエス・キリストの十字架による贖罪」と「個人の回心・新生」が最優先。 これが「福音(良い知らせ)」の本質だと全員が強く信じているため、他の細かい教理の違いは「二次的」とみなされやすい。
特に米国では「リベラル神学」「世俗主義」「進歩的文化(LGBT権利、 abortionなど)」を「福音の敵」と見なすことで結束が強まる。 「聖書を軽んじる勢力」に対しては、解釈の違いを越えて協力する傾向があります。
ビリー・グラハムのような著名伝道者、NAE(全米福音派協会)、ローザンヌ会議などの国際ネットワークが、教派を超えたつながりを維持しています。 「伝道活動」や「社会変革のためのアクティビズム」という実践面で協力しやすい。
・福音派内部でも「聖書無誤論」の度合い、女性牧師の可否、終末論などで激しく対立します。
・近年は政治的右傾化(特に米国トランプ支持)で、さらに「文化戦争型福音派」と「伝統的福音派」の分裂が深まっています。
福音派とは、教派の壁を越えた「姿勢・優先順位の運動」です。 聖書の細かい解釈が違っていても、回心・聖書中心・十字架中心・活動主義という4つの熱心さとスタンスを共有していれば福音派と呼ばれます。
だからこそ教派を跨いで存在でき、共通の「福音の核心」と「外部の脅威」意識で団結しやすいのです。ただし、それは「完全な一致」ではなく「ゆるやかな連帯」であり、内部分裂の種も常に抱えています。
「全財産の半分以上を寄付します」なんて、意識が高すぎて酸素が薄くなりそうな宣言をバフェットとゲイツがぶち上げたのが2010年。あれから十数年経って、ふと「で、結局どうなったの?」と斜め上から眺めてみると、なんというか、非常にもんやりとした苦笑いが止まらなくなる。
結論から言えば、The Giving Pledge(ギビング・プレッジ)は、世界一豪華な「言ったもん勝ち」の同好会にすぎない。
まず、この誓約には一切の法的拘束力がない。ここがミソだ。「半分寄付します」とサインしたところで、誰かが進捗を監査するわけでもなければ、達成できなかったときに違約金が発生するわけでもない。ただの「紳士協定」なのだ。しかも、その寄付の定義もガバガバである。自分の名前を冠したファミリー財団に資金を移すだけでも、帳簿上は「寄付完了」として扱われる。つまり、右のポケットから左のポケットに金を移しただけで、世間からは「なんて慈悲深い聖人なんだ」と喝采を浴びることができる。このシステムを考えた奴は、正直、金融の天才というよりは広報の天才だろう。
さらに皮肉なのは、彼らが「寄付する」と宣言した後の資産推移だ。バフェットもゲイツも、宣言時より現在の資産の方が圧倒的に増えている。皮肉な話だが、彼らがどれだけ気前よく「善行」に励んでも、資本主義という名の自動増殖マシンがそれを上回るスピードで富を吐き出し続けているのだ。結局、彼らは「半分出す」と言いながら、実際には「増えすぎた余剰分をちょっと削って、節税と名声を同時にゲットしている」だけにしか見えない。
そもそも、バフェットのような「賢い投資家」が、なぜこんな実効性の薄い仕組みに執着するのか。それは、これが究極の「免罪符」だからだろう。格差社会の象徴としてギロチン台にかけられる前に、「私たちは死ぬときには手放しますから」というポーズを見せておく。それだけで、現在の独占的な富の蓄積に対する批判を魔法のようにかわすことができる。
実効性がない、と切り捨てるのは簡単だ。しかし、彼らが本当に「きちんとしていない」のは、寄付の金額ではなく、その「仕組みの不透明さ」に対してだろう。慈善活動という名のパワーゲームに、私たちはただ「すごいですね」と拍手することを強要されている。
結局のところ、The Giving Pledgeは、超富裕層が自分たちの良心をなだめるための、世界で最も高価なセルフメンタルケアに過ぎないのではないか。
今日もまた、シアトルやオマハの豪華な書斎で、「あー、今日も良いことした」と呟きながら、彼らは減ることのない資産残高を眺めているに違いない。なんとも、乾いた笑いしか出てこない話である。
以上は
Rakuten
Copilot
ChatGPT
Gemini
プロンプト思いつくのも含めて五分足らずでこれだけ出されると
なんというか、「善意の可視化」ってここまで洗練されると、ほとんど芸術作品だなと思う。ザ・ギビング・プレッジ。億万長者たちが「資産の大半を寄付します」と誓う、あの取り組み。名前だけ聞くと、倫理の教科書の最終章みたいな響きがあるし、実際に登場人物も絵に描いたような成功者ばかりで、いかにも人類の進歩っぽい空気が漂っている。
ただ、少しだけ中身を覗いてみると、あれ、これ思ってたのと違うな、という感触がじわじわ来る。まず、この誓い、法的拘束力がない。つまり「やります」と言っているだけで、やらなくても特にペナルティはない。いやまあ、道義的責任とか評判とかはあるんだろうけど、それって言ってしまえば各自のセルフマネジメントの問題であって、仕組みとして担保されているわけではない。
しかも「資産の大半を寄付する」というのも、いつやるのかは基本的に自由。生前に配るのか、死後に回すのか、あるいは財団に積んでおいてゆっくり配分するのか。そのあたりの裁量が広すぎて、「誓った」という事実以上の具体性があまり見えてこない。極端な話、本人が亡くなった後にどう処理されるかなんて、外からは検証しづらい。
さらに言うと、寄付の行き先もかなり自由だ。自分の設立した財団に入れて、そこから自分の関心のある分野に配る、という形が多い。もちろんそれ自体は悪いことではないし、公共性のある活動も多いのだけど、「社会に還元する」というよりは「自分の価値観で資源配分を続ける」という側面も否定できない。税制との絡みも考えると、純粋な自己犠牲というより、かなり合理的な選択でもある。
こう書くと、じゃあ全部偽善なのかというと、さすがにそこまで単純でもない。実際に巨額の資金が慈善活動に流れているのは事実だし、その恩恵を受けている人も確実にいる。ただ、そのインパクトが「誓い」というフォーマットにどれだけ依存しているのか、という点になると、ちょっと怪しい。もともと寄付する人はするし、しない人はしない、という身も蓋もない現実が透けて見える。
結局のところ、この取り組みの一番の成果は、寄付そのものよりも「寄付することがかっこいい」という物語を富裕層のあいだに広めたことなんじゃないか、という気がする。社会的ステータスとしてのフィランソロピー。その演出としては非常によくできているし、メディア的にも扱いやすい。でも、制度としての実効性を問われると、途端にふわっとする。
なんとなく、「いい話」であること自体が目的化している感じがある。批判すると野暮っぽく見えるし、称賛すると少し乗せられている気もする。その微妙な居心地の悪さを含めて、現代的な取り組みだな、と思ってしまうあたり、こちらもだいぶ冷笑的になっているのかもしれない。
最近ふと思い立って The Giving Pledge を調べてみたんだけど、まあ、なんというか「やっぱりそういう感じか」という感想しか出てこなかった。バフェットだのゲイツだの、世界の富豪が「財産の半分以上を寄付します」と宣言する、あの有名なやつ。宣言文は立派だし、写真も豪華だし、英語も妙にポエティックで、読んでいると「人類の未来が明るく見える」みたいな気分になれなくもない。が、実際のところはどうなのかといえば、まあ、うん、察してほしい。
まず、あれ、法的拘束力ゼロなんですよね。ゼロ。0%。「やります!」と言ってるだけで、やらなくても誰も困らないし、怒られない。はてな匿名ダイアリーでよく見る「やるって言っただけで偉いと思ってるタイプの人」みたいな話が、世界規模で展開されているだけというか。もちろん、実際に寄付している人もいるんだけど、全体として見ると「宣言したけど特に進捗なし」の人が普通にいる。いや、別にいいんだけどさ。金持ちの人生だし。
しかも、寄付するといっても、だいたい自分の財団に寄付するんですよね。財団って便利で、税金は減るし、資産は自分の影響下に残るし、運用益は増えるし、なんなら子孫に仕事も作れる。これを「慈善」と呼ぶのは、まあ、言葉の使い方としては間違ってないんだけど、なんというか、庶民が想像する「困ってる人に直接お金が届く」みたいなイメージとはだいぶ違う。寄付というより、資産管理の一環というか、節税の上位互換というか。
で、バフェットやゲイツが悪いかといえば、別にそういう話でもない。彼らは彼らで、資本主義のゲームを極めた結果として、こういう形の「善行」を選んでいるだけだと思う。むしろ、何もせずに豪邸でワイン飲んでるだけの富豪よりは、多少なりとも社会に還元しようとしている分、まだマシなのかもしれない。ただ、The Giving Pledge を「世界を変える壮大なプロジェクト」みたいに扱うのは、ちょっと違うよね、という話。
結局のところ、あれは「金持ちが自分のイメージを良くするための宣言」であり、「資産をうまく処理するための仕組み」であり、「なんとなく良いことをしている気分になれるイベント」なんだと思う。別にそれが悪いわけじゃない。人間なんて、誰だって自分のために生きてるし、善意と打算はいつだって混ざっている。ただ、あれを見て「世界は金持ちの善意で救われる!」みたいな気分になるのは、ちょっと純粋すぎる。
まとめるなら、「金持ちが金持ちらしい方法で善行っぽいことをしているだけで、別に世界はそんなに変わらない」という、身も蓋もない結論になる。けれど、そういう冷めた視点を持っておくのも、現代を生きる上では大事なんじゃないかと思う。期待しすぎると疲れるしね。
大金持ちになりたい
好きなあの人と結ばれたい
〇〇になりたい
願えば願うほどどんどんと遠のいていく夢、願望、そういうのあるじゃない?
でもさ。
叶ったとしても、、、満たされないんだ。
何十年もずっと、〇〇をして〇〇をやれば〇〇になれるはずだ、
って、ほとんど叶うわけもない白昼夢のようなことを追い続けて人生を無駄にして生きたような人間だ。
若い頃は、それでも絶対にその夢を叶えてやるんだ、と思ってたし
もう若くはないな、と思い始めた頃も、夢はあきらめるから夢で終わるんだ、みたいなことを考え続けていた。
でも、ある日、気づくんだ。
町中で、ショーウィンドウに映る、妙に若作りした、オッサンが歩いているのに気づいて、一瞬キモチワル、って感じて、それが自分だってことに。
もちろん自分だって気づいた瞬間に、その気持ち悪いオッサンはいなくなるんだよ。
すると、いつもの男前ではないけど、感じは悪くないし、中年にしては、体型も保っているし、若々しさがある自分が映ってるんだ。
でもさ、真実は違うよね。
本当のことは一瞬感じたキモチワル、に凝縮されている。
なんでかって?
とにかく生物というものの基本は生きる、ということに対して必死であることなんだ。
実は、そこに全フリされている、その他のことなんてどうでもいいことなんだよ。
ただ、それは隠された真実なんだ。
ただ生きているだけでは気付けない真実なんだ。
それをね、君にはわかっていてもらいたい。
僕はね、本当に運が良かった。
自分のこと、キモチワルな自分に目を逸らしながら生きてきた負け犬が、ある日、大幸運に恵まれて、夢が叶ってしまった。
そりゃ、狂喜乱舞したよ。
見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!
見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!
見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!
見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!見たか!!
俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!
俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!
俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!俺が正しかった!!
お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!
お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!
お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!お前たちは間違っていた!!
後悔しろ!!後悔しろ!!後悔しろ!!後悔しろ!!後悔しろ!!後悔しろ!!後悔しろ!!後悔しろ!!後悔しろ!!
どうだ!!どうだ!!どうだ!!どうだ!!どうだ!!!!!!!!!!
おれはやったぞ!!!!!ついにやったぞ!!!!!!ゆめをかなえたぞ!!!!!!!すべてをやりとげたんだ!!!!!!!!
もともとキチガイみたいな人間だったけど、あのときの前後はホンモノのキチガイだったと思う。
そして、とてつもなく満たされた。
夢がかなったことの副賞みたいなもんも最高だった。
金とか、若い恋人とか、家とか、車とか、周囲からの称賛、それまで無視してきたくせに俺におもねって媚を売りに来る奴らを足蹴にすること、逆にそれまで俺に親切にしてくれてた人に恩返しをすること、旅に出てのんびり過ごすこと、日銭を稼ぐためにあくせくしないこと、やりたくないことをしないこと、いつまでだって夜ふかししてもいいし、どんだけ早起きしてもいい、朝起きてリビングから眺めるタワマンの上階から眺める朝日に感動すること、思い立ったら北海道に昼ご飯を食べに行くことだって出来るし、コンビニで買ってきたカップヌードルで一日を過ごすことも出来る、意味もなく最高スペックにしたMacも買ったし、その価値がよくわからない値段だけがバグってるモニターも買った、服を買うだけなのにソファに座らされてコーヒーを出される変なところにも通ったりした、すべてが最高だったし、すべてに満たされた。
夢を叶える。そのために人は生きているんだ。
完全な満足、足るを知ること、あとはそのことの余生を楽しむ。
そんな人生を送るはずだったのに。
もう完全に満たされたはずだったんだ。
本当に、本当に、満足したはずなんだ。
でもな。
これはすごく残酷な事実なんだけど、人間は、決して満たされることはない。
叶わぬ夢が叶っても、お金があっても、若い恋人が居ても、それで満たされることなんて無いんだ。
ある日気づく。
バカみたいに広いベットルームでむくりと起き上がって、リビングで馬鹿みたいに高いコーヒーを作る機械で飲む濃いコーヒーを飲みながら、満たされていない自分に気づくんだ。
信じられない気持ちになる。
え?
と思う。
ショーウィンドウに映る妙に若作りしたキモチノワルイおっさんに気づいたときと同じだ。
え?
と思う。
不満を感じている自分がいる。
え?
と思う。
まさか、
と。
ああ、なるほど、な。
とも思う。
俺は不思議で仕方がなかったんだ。
ビル・ゲイツっていう人がいるんだけど、ずっと世界で一番資産を持っている人をやってた人だ。
ああいう人が、なんでいつまでも働くことを辞めないのか意味がわからなかった。
あきらかに人生のアガリを迎えているのになんでアガリをしないのか?
マイクロソフトっていう小さな会社を世界一の企業にしてWindowsをデファクトスタンダードにして支配的立場を手に入れた。
もうやることなんてないはずなんだ。
あとは余生を楽しめばいいのに、なんでいつまでも引退しないんだ?って不思議だった。
でもわかったような気がした。
満たされないんだよ。
だから、やめれないんだ。
あれもなんとか自分を満たそうと思ってるんだと思う。
効率的なんだよ。
なんかな、人のために仕事をするってことをすると効率的に「満たす」ことが出来るんだ。
俺もタワマンの最上階から今の小さな家に引っ越してから、毎日家の周りを掃除するようになった。
そうするとな、自分のためにやるよりもずっと効率的に「満たす」ことが出来る。
だからな、やるんだよ、そういうことを。
でもな。
ⅰ 序
人となれば当に十人十色ということで
これからお伝えすることは正解ではないです
以下のプロファイルを読んだ上で
あくまでこの人の体験・考えなんだということでご理解/了承ください。
■名前
Y.S.
■年齢
32
■住所
東京某所
■世帯
■趣味
■通院/薬
処方された薬を医師の指示通りに飲んでいる
大きな柱として[長く安定して働きたい]
そのために
1.通いやすさ(DtoD 〜60min or 60〜90min & 一部在宅可)
2.配慮事項(以下参照)の実現
3.自分の強み(以下参照)を発揮出来るか
______以下必須要項ではないがあったら嬉しい
■困りごと
①悩み事や不安感を他人に相談しづらく、自分の中に溜め込んでしまい体調や勤怠に影響が出やすい
②ワーキングメモリが弱く、複数タスクの優先順位つけに苦手意識がある
①毎朝通所時に上司役にチャットで【本日の体調】【本日の予定】を報告
→発信の機会をルール付けることによって相談へのハードルを下げる
また、体調のモニタリングは日々の生活記録をつけることで自己管理を行っている
②スケジュールはGoogleカレンダーで一元管理
今週のタスクはwindows付箋アプリで常に目にはいるところに表示、完了したものには◎つける
■求めたい配慮
①毎朝チャットのルーティンは入社後も継続したい(確認・リアクションは必須でない)
現在は生活記録をもとに月1で振り返り面談をして体調の安定具合を上司役に共有しているが、こちらも継続したい
------------------------------------------------
ⅱ 序2
まだイントロですが、多分。
誤解する部分が多いかな〜と思うので
一応読んでください。
従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。(障害者雇用促進法43条第1項)
民間企業の法定雇用率は2.5%です。従業員を40人以上雇用している事業主は、障害者を1人以上雇用しなければなりません。
出典:事業主の方へ|厚生労働省 https://share.google/2K8Prr3oDxGRPRHnL
特例子会社は例外ですが、ほとんどの企業は義務として障害者を雇います。また、法定雇用率は年々上昇しており、特に大企業は積極的に雇用します。でも、ぶっちゃけイヤイヤです。
そうすると企業は何を思うか?
ただ、精神の人も雇ってよね!という国の働きかけと、表面的にも多様性を重視する企業が増えてきた結果、精神障害者の積極雇用の波がいま来ています。
ここまで読んできてお察しだとは思いますが、100%違います。
確かに入社後は自分が求める配慮が得られるので一般雇用よりも楽できます。
しかし、そのために就活をする、これは一般枠より断然大変です。
なぜか?
入社してもすぐ休む、辞めてしまう人材は要らないし、ましてや何をしでかすか分からない障害者はリスクでしか無いためです。
ネガティブなサプライズ要素は人事はめちゃくちゃ嫌います。きっちり行動が予測出来る障害者が真に求められます。
そこで必ず用意しなければならないのが、
そしてこれらを探すための施設が就労移行支援事業所だと、私は考えています。
就労移行支援(しゅうろういこうしえん)とは、障害者総合支援法を根拠とする民間の障害者への職業訓練制度であり、一般企業への就労を希望し、知識・能力の向上、実習、職場探し等を通じ、適性に合った職場への就労等が見込まれる65歳未満の者を対象とする[1]。利用者は一般企業への就労を希望する者、技術を習得し、在宅で就労・起業を希望する障害者でである。(中略)利用者ごとに標準期間(24ヵ月)内での利用である。
就労に際して知識・能力の向上や就労を想定したシミュレーションの場としても有用ではあるんですが、なにより専門知識を持った支援員の存在が大事だと考えます。
自分ひとりでの自己理解というのは大変な苦痛が伴います。ましてや精神障害者は過去のトラウマ経験等から思い出すのも恐ろしい、となるでしょう。
ただ、障害者雇用の就職活動をする上で自己理解は必要不可欠です。自分のことも分からない人に対して配慮もへったくれも無いからです。
また、障害者雇用枠は増えつつあるとは言え、選択肢としては当然一般枠と比べればわずか。都心から離れれば尚更です。慎重に進めないとそもそも応募出来る企業が無いという詰みパターンもあります。
ので、就活開始のタイミングは支援員と一緒に見計らってください。決して衝動的にやらないでください。
厳しいことを言っているのは承知ですが、これが障害者雇用の現実です。
ⅰ 序
人となれば当に十人十色ということで
これからお伝えすることは正解ではないです
以下のプロファイルを読んだ上で
あくまでこの人の体験・考えなんだということでご理解/了承ください。
■名前
Y.S.
■年齢
32
■住所
東京某所
■世帯
■趣味
■通院/薬
処方された薬を医師の指示通りに飲んでいる
大きな柱として[長く安定して働きたい]
そのために
1.通いやすさ(DtoD 〜60min or 60〜90min & 一部在宅可)
2.配慮事項(以下参照)の実現
3.自分の強み(以下参照)を発揮出来るか
______以下必須要項ではないがあったら嬉しい
■困りごと
①悩み事や不安感を他人に相談しづらく、自分の中に溜め込んでしまい体調や勤怠に影響が出やすい
②ワーキングメモリが弱く、複数タスクの優先順位つけに苦手意識がある
①毎朝通所時に上司役にチャットで【本日の体調】【本日の予定】を報告
→発信の機会をルール付けることによって相談へのハードルを下げる
また、体調のモニタリングは日々の生活記録をつけることで自己管理を行っている
②スケジュールはGoogleカレンダーで一元管理
今週のタスクはwindows付箋アプリで常に目にはいるところに表示、完了したものには◎つける
■求めたい配慮
①毎朝チャットのルーティンは入社後も継続したい(確認・リアクションは必須でない)
現在は生活記録をもとに月1で振り返り面談をして体調の安定具合を上司役に共有しているが、こちらも継続したい
------------------------------------------------
ⅱ 序2
まだイントロですが、多分。
誤解する部分が多いかな〜と思うので
一応読んでください。
従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。(障害者雇用促進法43条第1項)
民間企業の法定雇用率は2.5%です。従業員を40人以上雇用している事業主は、障害者を1人以上雇用しなければなりません。
出典:事業主の方へ|厚生労働省 https://share.google/2K8Prr3oDxGRPRHnL
特例子会社は例外ですが、ほとんどの企業は義務として障害者を雇います。また、法定雇用率は年々上昇しており、特に大企業は積極的に雇用します。でも、ぶっちゃけイヤイヤです。
そうすると企業は何を思うか?
ただ、精神の人も雇ってよね!という国の働きかけと、表面的にも多様性を重視する企業が増えてきた結果、精神障害者の積極雇用の波がいま来ています。
ここまで読んできてお察しだとは思いますが、100%違います。
確かに入社後は自分が求める配慮が得られるので一般雇用よりも楽できます。
しかし、そのために就活をする、これは一般枠より断然大変です。
なぜか?
入社してもすぐ休む、辞めてしまう人材は要らないし、ましてや何をしでかすか分からない障害者はリスクでしか無いためです。
ネガティブなサプライズ要素は人事はめちゃくちゃ嫌います。きっちり行動が予測出来る障害者が真に求められます。
そこで必ず用意しなければならないのが、
そしてこれらを探すための施設が就労移行支援事業所だと、私は考えています。
就労移行支援(しゅうろういこうしえん)とは、障害者総合支援法を根拠とする民間の障害者への職業訓練制度であり、一般企業への就労を希望し、知識・能力の向上、実習、職場探し等を通じ、適性に合った職場への就労等が見込まれる65歳未満の者を対象とする[1]。利用者は一般企業への就労を希望する者、技術を習得し、在宅で就労・起業を希望する障害者でである。(中略)利用者ごとに標準期間(24ヵ月)内での利用である。
就労に際して知識・能力の向上や就労を想定したシミュレーションの場としても有用ではあるんですが、なにより専門知識を持った支援員の存在が大事だと考えます。
自分ひとりでの自己理解というのは大変な苦痛が伴います。ましてや精神障害者は過去のトラウマ経験等から思い出すのも恐ろしい、となるでしょう。
ただ、障害者雇用の就職活動をする上で自己理解は必要不可欠です。自分のことも分からない人に対して配慮もへったくれも無いからです。
また、障害者雇用枠は増えつつあるとは言え、選択肢としては当然一般枠と比べればわずか。都心から離れれば尚更です。慎重に進めないとそもそも応募出来る企業が無いという詰みパターンもあります。
ので、就活開始のタイミングは支援員と一緒に見計らってください。決して衝動的にやらないでください。
厳しいことを言っているのは承知ですが、これが障害者雇用の現実です。
ⅰ 序
人となれば当に十人十色ということで
これからお伝えすることは正解ではないです
以下のプロファイルを読んだ上で
あくまでこの人の体験・考えなんだということでご理解/了承ください。
■名前
Y.S.
■年齢
32
■住所
東京某所
■世帯
■趣味
■通院/薬
処方された薬を医師の指示通りに飲んでいる
大きな柱として[長く安定して働きたい]
そのために
1.通いやすさ(DtoD 〜60min or 60〜90min & 一部在宅可)
2.配慮事項(以下参照)の実現
3.自分の強み(以下参照)を発揮出来るか
______以下必須要項ではないがあったら嬉しい
■困りごと
①悩み事や不安感を他人に相談しづらく、自分の中に溜め込んでしまい体調や勤怠に影響が出やすい
②ワーキングメモリが弱く、複数タスクの優先順位つけに苦手意識がある
①毎朝通所時に上司役にチャットで【本日の体調】【本日の予定】を報告
→発信の機会をルール付けることによって相談へのハードルを下げる
また、体調のモニタリングは日々の生活記録をつけることで自己管理を行っている
②スケジュールはGoogleカレンダーで一元管理
今週のタスクはwindows付箋アプリで常に目にはいるところに表示、完了したものには◎つける
■求めたい配慮
①毎朝チャットのルーティンは入社後も継続したい(確認・リアクションは必須でない)
現在は生活記録をもとに月1で振り返り面談をして体調の安定具合を上司役に共有しているが、こちらも継続したい
------------------------------------------------
ⅱ 序2
まだイントロですが、多分。
誤解する部分が多いかな〜と思うので
一応読んでください。
従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。(障害者雇用促進法43条第1項)
民間企業の法定雇用率は2.5%です。従業員を40人以上雇用している事業主は、障害者を1人以上雇用しなければなりません。
出典:事業主の方へ|厚生労働省 https://share.google/2K8Prr3oDxGRPRHnL
特例子会社は例外ですが、ほとんどの企業は義務として障害者を雇います。また、法定雇用率は年々上昇しており、特に大企業は積極的に雇用します。でも、ぶっちゃけイヤイヤです。
そうすると企業は何を思うか?
ただ、精神の人も雇ってよね!という国の働きかけと、表面的にも多様性を重視する企業が増えてきた結果、精神障害者の積極雇用の波がいま来ています。
ここまで読んできてお察しだとは思いますが、100%違います。
確かに入社後は自分が求める配慮が得られるので一般雇用よりも楽できます。
しかし、そのために就活をする、これは一般枠より断然大変です。
なぜか?
入社してもすぐ休む、辞めてしまう人材は要らないし、ましてや何をしでかすか分からない障害者はリスクでしか無いためです。
ネガティブなサプライズ要素は人事はめちゃくちゃ嫌います。きっちり行動が予測出来る障害者が真に求められます。
そこで必ず用意しなければならないのが、
そしてこれらを探すための施設が就労移行支援事業所だと、私は考えています。
就労移行支援(しゅうろういこうしえん)とは、障害者総合支援法を根拠とする民間の障害者への職業訓練制度であり、一般企業への就労を希望し、知識・能力の向上、実習、職場探し等を通じ、適性に合った職場への就労等が見込まれる65歳未満の者を対象とする[1]。利用者は一般企業への就労を希望する者、技術を習得し、在宅で就労・起業を希望する障害者でである。(中略)利用者ごとに標準期間(24ヵ月)内での利用である。
就労に際して知識・能力の向上や就労を想定したシミュレーションの場としても有用ではあるんですが、なにより専門知識を持った支援員の存在が大事だと考えます。
自分ひとりでの自己理解というのは大変な苦痛が伴います。ましてや精神障害者は過去のトラウマ経験等から思い出すのも恐ろしい、となるでしょう。
ただ、障害者雇用の就職活動をする上で自己理解は必要不可欠です。自分のことも分からない人に対して配慮もへったくれも無いからです。
また、障害者雇用枠は増えつつあるとは言え、選択肢としては当然一般枠と比べればわずか。都心から離れれば尚更です。慎重に進めないとそもそも応募出来る企業が無いという詰みパターンもあります。
ので、就活開始のタイミングは支援員と一緒に見計らってください。決して衝動的にやらないでください。
厳しいことを言っているのは承知ですが、これが障害者雇用の現実です。
確かに、冷徹なパワー・ポリティクス(権力政治)を論じているはずの文脈で、急に「人権」や「正義」といった道徳的な言葉が出てくると、「結局は理想論(お花畑)に逃げるのか」と冷めた視点になるのは極めて健全な反応だと思います。
しかし、著者の千葉氏がこの地点を目指すのは、単なる道徳心からではなく、むしろ「平和を永続させるための冷徹なコスト計算」に基づいています。なぜ現実主義の先に「正義」が必要なのか、その論理を整理します。
純粋な現実主義(リアリズム)が目指すのは「勢力均衡」ですが、これは「互いに銃を突きつけ合って動けない状態」に過ぎません。
コスト: 常に軍備を増強し続けなければならず、国家の資源を際限なく消費します。
平和学の泰斗ヨハン・ガルトゥングの影響もあり、本書では「飢餓、貧困、抑圧(人権侵害)」を、未来の戦争の「燃料」として捉えます。
論理: 人々が不当に扱われ、人権が無視されている社会(=不正義な状態)は、内部から崩壊するか、テロや革命、あるいは他国への攻撃的なナショナリズムを生み出します。
結論: 「正義と人権」を保障することは、慈善事業ではなく、「戦争の火種をあらかじめ除去する防衛策」であるという考え方です。
本書における「正義と人権」は、お花畑に咲く花ではなく、社会を安定させるための「インフラ(基盤)」として扱われています。
積極的平和: 争う理由そのものがない状態(地雷を撤去し、耕した農地)。
「正義」とは、感情的な満足のためではなく、他国や他者が「現状を破壊してまで暴発する動機」を奪うための、極めて戦略的なツールなのです。
つまり、著者の主張は「みんなが優しくなれば平和になる」という情緒的な話ではなく、「正義や人権を無視したシステムは、必ずどこかで破綻して戦争を引き起こす。だから現実的に考えて、これらを組み込むしかない」という、一種のシステム設計論に近いものです。
この「正義を戦略として使う」という考え方、納得感はありますか? それとも、やはり国際社会の現実(弱肉強食)を無視した詭弁に聞こえるでしょうか。
ビル・ゲイツが、ついに口を開いた。
ロシア人女性二人との不倫を認め、エプスタインとの関係について「後悔している」と語った――そう報じられている。だが、この「告白」をそのまま美談として飲み込むほど、世界はもうナイーブではない。
まず押さえておくべきは、タイミングだ。
アメリカ司法省などから公開されたエプスタイン関連文書の中で、ゲイツの名は、きわめて生々しい文脈で登場した。「ロシアの少女」「性病を隠そうとした」といった文言が、下書きメールという形で残されていたと報じられている。世間が騒ぎ、メディアが騒ぎ、財団内部ですら説明を求める声が高まった。その一連の「包囲網」が出来上がってから、ようやくゲイツは「二人のロシア人女性との不倫」を認めたのである。
彼は、いちばん核心にある疑惑――未成年、人身売買、ドラッグ、STI隠し――そうしたエプスタイン的な“闇の領域”は徹底的に否定する。一方で、「既婚者としての不倫」という、まだ社会が消化可能なレベルの罪は認めてみせる。
つまり、ゲイツは「自分がコントロールできる範囲の悪徳」だけをテーブルに載せ、「ここまでは悪かった、しかしその先は虚偽だ」と線を引いたのだ。
この構図は、80年代から何度も繰り返されてきた「エスタブリッシュメントの危機管理マニュアル」と寸分違わない。
情報が一気に流出し、逃げ場がなくなったとき、彼らは「一部を認める」ことで、残りの部分を守ろうとする。
一度も自発的に真実を語らなかった人間が、包囲された瞬間だけ「正直」になる。それを正直と呼ぶのか、計算と呼ぶのか。答えは明らかだ。
さらに興味深いのは、この「告白」の場が、世界に向けた公開謝罪会見ではなく、まず財団職員向けのタウンホールであったことだ。ゲイツにとって最大のリスクは、世論以上に、自らのフィランソロピー帝国の正当性が内部から崩れることだろう。だからこそ、最初に守りに行ったのは「世界の貧困を救う」イメージの中枢だった。
彼は、グローバル・エリートの典型として、生身の倫理よりも、ブランドとしての倫理を守る道を選んだのである。
ここで問うべきは、「ビル・ゲイツが悪いかどうか」などという安っぽい道徳談義ではない。
問うべきは、「なぜ彼ほどの知性を持つ人間が、よりによってエプスタインの周辺に出入りし、いまになって『あれは愚かだった、1分1秒後悔している』などと平然と言えるのか」という構造のほうだ。
それは、世界のトップに立つ人間たちの頭の中にある「二重帳簿」を露骨に示している。
表の帳簿には、慈善、テクノロジー、イノベーション、ワクチン、教育支援といった美辞麗句がびっしりと並ぶ。
裏の帳簿には、影響力のネットワーク、権力者同士の密談、そして時に性とカネを媒介にした“取引”が書き込まれる。
エプスタインは、その裏帳簿のハブだった。そこに何度も足を運んだという事実だけで、本来なら「アウト」なのだ。にもかかわらず、ゲイツは「知らなかった」「距離を置くべきだった」と、あたかもビジネス上の失敗でも振り返るような軽さで自分を総括している。
この種の「後悔しています」という台詞ほど、国際政治と巨大資本の世界で軽く使われる言葉はない。
後悔しているのは、「バレたこと」「文書に残ったこと」「司法文書として公開されたこと」だ。
バレない不倫、バレない密会、バレない取引であれば、彼らは今も涼しい顔で続けていただろう。
今回、ゲイツは「不倫を認めた」という一点で、「正直だ」「勇気がある」という評価すら受けている。だが、これは話を逆さまに見ている。
本当に正直であろうとするなら、エプスタインとの関係が問題視される前に、自ら時系列と関係性を明らかにしているはずだ。
司法文書が公開され、メディアが騒ぎ、元妻までがコメントを求められ、財団内部がざわついてから、ようやく最低限のカードを切る――それは「追い詰められた者の選択」であって、「自発的な真実の告白」ではない。
世界はいま、「テクノロジーと慈善」の仮面をかぶったビル・ゲイツという人物を、もう一度冷静に見直す局面に来ている。
彼個人の性癖や不倫歴など、本来はどうでもいい。問題は、巨額のカネと政策、医療、教育、メディアまでを巻き込んだ影響力を持つ人物が、その裏側でどのような人脈と価値観に浸ってきたのかということだ。
そして、追い詰められたとき、その人物が選ぶのは「全てをさらけ出すこと」ではなく、「切り捨て可能な罪だけを認めて、残りを守る」という冷徹な打算である――その現実を、我々は今回、ありありと見せつけられている。
だが、彼が本当に認めたのは、自分の過ちではない。
まず問いを再定義します。「構造的に脱落」とは何を意味するのか?
重要なのは機会は結果ではないということ。もし機会が開かれているなら、結果の差は制度的不正とは直結しない。
しかし、もし
などが下位10%を固定化しているなら、制度を変えよと言うかもしれない。
ただしそれは「再分配を増やす」という意味ではなく、バリアを除去せよということ。
ここがあなたの問いの鋭さです。
仮に
✔ 裁量なし
✔ 透明
つまり「制度を変える」が、自由を壊す方向ではなく、自由を保ったまま安全網を組み込む方向であればいいのです。
違いは優先順位。
あなたは言いました
集権的再分配 → 権力集中 → 自由縮小 → 成長停滞 → 貧困固定
静学ではなく動学で考えます。
もし私がこの枠組みで答えるなら、こう整理します。
脱落が能力・偶然・市場過程から来る →最低保障をルールとして制度化。
それでも尊厳が傷つくなら →自発的倫理の空間を拡張。国家は最終手段。
もし国家が
私はこうまとめます。
✔ ルールは不可欠
✔ 倫理も不可欠
倫理を裁量でなく、制度として埋め込む。これはトーラーにも、フリードマンにも架橋可能です。
もし尊厳を守るために自由を削る制度が導入され、その結果、将来世代の尊厳がより大きく損なわれる可能性があるなら、それでも現在の結果を優先しますか?
彼の最大の恐れ
これは重要な指摘です。申命記17章は王の権力を厳しく制限します。
なぜか?権力は必ず肥大化するからです。つまり権力の所在を問う姿勢は極めてトーラー的です。
フリードマンは言う
アヴォット2:2「政府を祈れ。なければ人は互いを生きたまま飲み込む。」
ここで重要なのは国家絶対主義でもない。無政府的市場信仰でもない。むしろ「制限された権力」と「道徳的義務」を同時に要求します。
しかしタルムードの洞察はもう一段深い。ババ・メツィア30bの文脈では、「律法通りにしか裁かなかった」とは、法が正しくても、社会的帰結が破壊的だったという意味です。
「リフニーム・ミシュラット・ハディン(法の文字を越えて)」という概念があります。
これは
✔ ルールを破ることではない
申命記15章は個人への命令ですが、安息年・ヨベル・角の収穫を残す法(レビ記19:9)は制度設計です。
つまり:
両輪です。しかも重要なのは、これらは裁量ではなく「義務」です。
ここがポイントです。「感情的再分配」ではなく義務化された倫理制度を持ちます。
これは実はフリードマンの負の所得税に近い。つまり完全な対立ではない。
を両立させます。ハラハーには常に「ピクアフ・ネフェシュ(命の救済)」という超法規的原理があります。
命が関わるとき、ほとんどの戒律は停止される。これは極端な裁量です。しかし限定的・緊急的です。
あなたが整理した通り、核心はこれです。
自由は目的ではなく、神との契約的責任の前提条件です。ここに最終的な哲学的差異があります。
違いは優先順位。
ここであなたに問いたい。もし完全に安定したルールがあり。予測可能で自由も守られている。しかし社会の下位10%が構造的に脱落する。そのとき、あなたは制度を変えますか?それとも自発的倫理に委ねますか? ここが本当の決断点です。