はてなキーワード: Sho-Comiとは
先日、各少女雑誌の2024年10〜12月の発行部数が公表された(日本雑誌協会のデータより)。
・ベツコミ(9000部)
・Lala DX(8750部)
となった。ついにSho-Comiとベツコミが10000部を割ってしまった。
・cheese!(12333部)
・別冊フレンド(15667部)
となっている。
・ちゃお(92500部)
・Lala(47600部)
・花とゆめ(39250部)
・別冊マーガレット(36000部)
・なかよし(24125部)
となっている。
素人目線だが、Sho-ComiとベツコミとLalaDXとマーガレットとcheeseと別冊フレンドの6誌は衰退気味の少女雑誌界隈の中でも結構危険では無いだろうか?数年以内に休刊しそうな予感がする。
他雑誌も同様に、久々にアニメ化作品が出る別マとりぼん、まだ知名度はあるちゃおやLalaや花とゆめ、有名作品を抱えてるなかよしといった雑誌も、遠く無い将来に無くなってしまいそうな予感がする。
>本来、女性向け漫画業界が目指すべきは男性も女性向け漫画雑誌を、りぼんをなかよしをSho-Comiを買ってくれる時代だったはずだよ
ぽんのみち、とか男しか読んでないだろ
よかったな
これは単なる愚痴、でも女性作家として直視しないといけないコト。
「【推しの子】のエンディングが」とか別にどうでも良くて、少なくない数の女性作家は【推しの子】の連載開始へ対して衝撃を受けたのは間違いがないんだ。
多くの女性向け漫画読者は理解している。【推しの子】のフォーマットは少女漫画のもの。かっこいい男の子が困っている女の子を助け、その身を心を傷付けながらも敵役をやっつけてくれる。
儚く闇があるキャラクター性も前段の幼児時代のエピソードが関係しているというのは、読者へ既に読ませているので作家と読者間で共通認識が取れていて序盤のストーリー作りの構成的にも無駄がない。
企画段階で非常によく練られた本当に本当に素晴らしい……少女漫画ジャンル作品だ。
そして【推しの子】はその魅せる巧みさから男女問わずの漫画ファンの中で一気に話題となり、編集部の非常に強力なバックアップによってメディアミックス展開を行なった。
赤坂アカ先生は既に実績ある作家だと言うことを加味しても編集部のメディアミックス展開の速度は迅速であったと評価せざるを得なくて、業界に身を置かせている作家という立場から同性の作家仲間や作家知人、作家師弟に至るまで当時は本当に驚愕をしていたことを思い出す。
アニメ化に至るとその反響は多くの少女漫画関係者が無視できない規模にまで膨れ上がってしまった。
「少女漫画じゃん」「少女漫画だよこれ」「今の時代に少女漫画がココまで行くの?」
思わず多くの少女漫画関係者から漏れ出た声だ。TwitterやPixivだけでなくYoutubeやTikTokなどのショート動画で若い子たちが【推しの子】に参加をしている様子を見て震え上がってしまった。
みんなコレを口に出したら絶望してしまうのでSNSですら言えない。今の私たち少女漫画関係者には【推しの子】を企画する力が作家にも編集部にも無いんだ。
約20年前の少女漫画、いや正確に言えば女性向け漫画業界では出版不況が現実味を帯びてきていて、どうにかして女性向け漫画を繋ぎ止めなければならないという問題があった。
そのときに一定の成果を示したのが小学館の少女コミック編集部で、これは当時「性コミ(しょうコミ)」と揶揄されるほどの過激路線を突き進むという解決策だったんだ。
いやその以前から集英社りぼん編集部が「ママレード・ボーイ」や「こどものおもちゃ」「ご近所物語」あたりで、あけすけな描写をするようになったという傾向があったけれど、流れを確定してしまったのは少女コミック編集部であることはほぼ間違いないと思う。
もちろん、この流れへ異を唱えるようにプラトニックな作品を推す声は作家・読者・編集者に少なからずあったのだけれど、少女コミックへの爆発的な反応は商業誌として無視できるわけもなく、各出版社はここから少女漫画というかBLも含んだ女性向け漫画業界は過激化のチキンレースをはじめてしまったんだ。
少年漫画がお得意の友情・努力・勝利・冒険活劇・暴力へ対して、少女漫画に影響を受けて繊細な恋愛描写を当たり前の様に取り入れはじめていた中で、少女漫画は(編集部から過激描写依頼があったにせよ)何ら工夫せずにこれまで通りの恋愛に過激描写を加えるという手法を取った。
少年漫画にも対抗できる篠原千絵先生や武内直子先生、CLAMP先生、松本夏実先生、種村有菜先生などなど多くの大作家を生み出したはずの少女漫画業界は、その多くは過激なエロを混ぜることしかできなくなり、そして過激なエロを混ぜなければ売れなくなってしまったんだ。
更に起きたことは、女性漫画読者が少年漫画(男性向け漫画)へ移行するという事態。
当たり前の話なんだ、少年漫画の方が設定のバリエーションが圧倒的に多い。過激なエロは無くも無いが当時は実際のところセックスまで至ることなんてごくごくわずか。
「ラブひな」や「いちご100%」でラッキースケベしてる程度であって、そのとき少女漫画はセックスするなんて普通の表現でレイプだの何だのが飛び交うような状況だったんだ。
「いやそんなのおかしい私はプラトニックで行くんだ」と編集部を説得して連載開始した作家は結局売れなくて短期連載で終了してしまい「やはり過激なエロがなければダメなんだ」と作家と編集部双方が部数を見て泣く泣く確信をしてしまっていた。
そのとき少年漫画では「テニスの王子様」「BLEACH」「魔人探偵 脳噛ネウロ」「武装錬金」「うえきの法則」「探偵学園Q」「エア・ギア」「おおきく振りかぶって」「あひるの空」「さよなら絶望先生」「D-LIVE!」「焼きたて!!ジャパン」などなど挙げればキリがない!
こういう少年漫画へ女性読者が黄色い声をあげるのが当たり前になってしまった。このエントリを読んでいる人の中にも心当たりあるよね?少女漫画読まなくなったでしょ?当たり前じゃん!パッとあげた中でどれだけのジャンルがあると思ってんの?たった一部分しかあげてないのにこのバリエーションは当時の少女漫画にあった?無いよね?
少女漫画でも探せば出てくるよ?でも当時のあなた達がオタク友達と会話した中でその探し出してやっと見つかる作品の話題は出てきたんですか?と言いたい!こっちだって作家になるほどオタクやってんだわ、当時の会話の9割は少年漫画だったじゃん!
更に何が起きたと思う?本当に悲しいんだけど女性の新人作家の多くが少年漫画誌に行っちゃったんだよ。
これも当たり前の結果、だって彼女たちが、今の若い女性作家が憧れたのは少女漫画じゃなくて少年漫画なんだもん。恋愛と過激エロを何の工夫もなくやってる少女漫画じゃなくて、あの手この手で様々なジャンルと表現を読ませてくれる少年漫画に憧れたんだもん。
そして私たちが少女漫画で得たかった若者社会を巻き込む爆発的なヒットした少女漫画である【推しの子】の連載雑誌は週刊ヤングジャンプなんだよ……男性向け漫画雑誌なんだよ……。
【推しの子】は少女漫画じゃん、少女漫画なのに連載雑誌はりぼんでもなかよしでもSho-Comiでもなくヤングジャンプじゃん……。
過激エロに振った女性向け漫画業界の怠慢の結果、私たち女性向け漫画業界は【推しの子】を生む企画力を失っているんだよ。
女性も男性向け漫画雑誌を読む時代とかそういう問題じゃなく、女性向け漫画業界の怠慢が女性も男性向け漫画雑誌を読む時代を後押ししたのが問題なんだ。
本来、女性向け漫画業界が目指すべきは男性も女性向け漫画雑誌を、りぼんをなかよしをSho-Comiを買ってくれる時代だったはずだよ。
すべての女性作家に言いたい、少女漫画もBLコミックもオトナ女子向けも関係ない!
【推しの子】レベルのものを女性向け漫画業界として企画できる力を失っていることを声を出して認めよう。声を出し認めて女性向け漫画雑誌をどうにか再起させないといけないって更に大きな声で言おう!
「少女漫画」というジャンルの話ではなく、誌名の「少女コミック」である
現在は「Sho-Comi」と名を改めているので、少女コミック時代に絞る
2000年代には「過激な少女漫画」の代表的存在となりネット上では「性コミ」の蔑称で呼ばれ、一部地域で有害図書指定、議員やネットやPTAからの抗議を経て名を変えた
少女漫画といえば月刊誌が多いが、少コミは週刊時代も長く、隔週に落ち着き、Sho-Comiも隔週
黎明期には男性作家もちらほらおり、掲載誌を彷徨う漫画『サイボーグ009』が掲載されたこともある
ギムナジウムを舞台に、自殺した少年トーマを巡り犠牲と信仰について描く文学的な作品。
やや難しい内容のため連載時は人気がなく打ち切りスレスレだったが、今では少女漫画界を代表する名作の一つとして語られている。
日本でギムナジウムもの描いてる人は大体萩尾望都を通ってるだろう。
時を経てから読んだ者にはピンとこないが、実は少女誌連載作品である。
特に少女向け用に作風を変えた感じはないが、女子小学生が主人公(一応)なのは著者なりに少女を意識したのかもしれない。
美への執着と母娘の確執は女性向け作品で繰り返し描かれるテーマだ。
人種差別、同性愛、父子相姦、児童への性暴力などのシリアスな描写が少女漫画界に大きな衝撃を与えた。
当時は朝チュン程度でも過激扱いだったため、連載を編集に反対されたという。
他作品をまず成功させ発言力を得てからようやく連載を許され、連載開始まで6年かかった。
凄惨な展開の数々は少女たちにトラウマを与え、二次創作で幸せにする的な発想のフォロワー作品も生まれた。
スポ根枠である同著者の『真コール!』の方と迷うところだが、実写化しているこちらで。
5人のシスコンなイケメン兄貴に溺愛されつつも同級生男子とラブコメするイケメンパラダイスな作品で、この手の作品でありがちな「実は兄たちとは血縁がない」展開が発生しなかったところが評価できる。
少女漫画界全体としては、外国が舞台で白人への憧憬→現代日本の学園もの、と定番が移り変わったが、本作は中華風の異世界がメイン舞台である。
現代日本から転移した少女が神獣を召喚して国を救う巫女となり、召喚に必要な七人の戦士たちを集めるため国中を冒険するというファンタジーで、「少女には受けないのでは」と編集が渋ったりもしたが、ヒット作となった。
少女の手足が棒のように華奢に描かれる作品が多い中で、むちむちとしてエロティックで、アニメは大きなお兄さんからも人気が出た。
「非処女になったら巫女の資格を失う」ため敵のイケメンがレイプしようと狙ってくるなど、未遂で終わるがエロ描写が多かった。
古代ヒッタイト帝国(現トルコ)に生贄として召喚された現代日本の少女が、武人・政治家としての才覚を発揮し皇帝と共にオリエントの覇権を掴むに至る大河ロマン。
史実エピソードを拾い上げながらニッチなロケーションを描き勉強にもなる作品だが、この時期には性コミ化が進んでおり、むやみなセックスシーンも多い。男が意味もなく全裸になるのは女性向け故か。
現代でリア充だった主人公は、元の世界に帰ることを渇望し、だがヒッタイトにも大切な人ができてしまい、どうすべきか葛藤する。最近の異世界ものではこの手の葛藤は珍しいぐらいだ。
物語の中に性的展開もある前述の作品群と違い、エロこそが主題の作品であり性コミの代表的存在。
惜しげもなく少女の乳首が出てきて俺様イケメンとのエッチな展開が多発、また敵イケメンに愛のないガチの強姦をされる展開もあった。
物議を醸す問題作だがヒット作でもあり、エロは著者は嫌々だったが編集主導とのことで、少コミは急激に性コミ化が進んでいく。現代人が読むとそこまでエロくもないが…。
アニメ版では一切エロがなく、主人公も存在せずイケメンたちが切磋琢磨しながらバンドに励む作品になっている。
宮坂香帆『「彼」first love』(2002-2004)
性コミ化が進んでいく中で、「一見地味女子だが眼鏡を外すと美少女」という古典的設定ながらピュアラブを貫きヒット作となった。
斬新な設定や凝ったストーリーなわけではないのだが、堅実・丁寧に描写を積み重ね、少女漫画らしい少女漫画である。
庶民JKが上級国民生徒の世話係になりセクハラも甘受させられる話で、エロシーンのために物語が捻り出されるようなエロエロ作品。
相手役が合意なく下半身まさぐってきたりだいぶカスで、逆らうと退学なので主人公は逆らえない。上級国民による性的搾取を許すな!
前作『レンアイ至上主義』と合わせ性コミの代表的存在の一人である著者だが、後の作品は清純化が進んでいる。
青木琴美『僕の初恋をキミに捧ぐ』(2005-2008)
青木琴美は『僕は妹に恋をする』ではエロエロだったが、本作では一転して「難病を抱えながらも純愛」というピュアラブストーリーを描いた。
邦画でよくありそうな題材なだけに映画化、ドラマ化を果たした。
エロエロからピュアラブへの回帰を果たした本作が、少女コミックとSho-Comiをまたぐ連載となったのは象徴的だった。
他
これらはメディアミックスもしているが、渡瀬悠宇作品ではやはり『ふしぎ遊戯』が飛び抜けているだろう。
・闇のパープル・アイ
闇のパープルアイはドラマ化やOVA化しているので、そういう意味では天河より上と思う人もいるかもしれない。
少年漫画や青年漫画のイメージの強い著者が、特にガラッと少女向けに変えることなく「掲載誌が少女漫画誌なだけ」というのは『洗礼』があるのでこっちはいいかな?
セクシー山田さん事件の余波か、小学館女性向け漫画編集者がコミティア逃亡
https://twitter.com/mo_ri_be/status/1761607806011248712
コミティアの出張編集部、小学館の女性向け編集部だけ欠席になってますね…
他は編集部によっては持ち込み待ちの列が出来てたりと、賑わってます。
https://twitter.com/nmisaki/status/1761609485033025548
コミティア。持ち込みを受け付ける出張編集部で、小学館の少女マンガ誌3ブース(ちゃお、Sho-Comi/Cheese!/ベツコミ、フラコミlike!)は、「編集部都合により出展キャンセル」の告知で、ブースはガラ空き。ご時世的に…ということでしょうか。
小学生だってマスターベーションをするからです。男子だけでなく、女子も。
https://news.yahoo.co.jp/articles/73d6ccaddc8cda67aa8b6c9ddb8c28493c7e0a92
炎上しているこの件、「なぜ小学生が読む雑誌に性的な漫画を載せる必要があるんだ」「子供に性的コンテンツなど必要無い」「子供に性的要素を見せるな」
と一部の大人たちが吹き上がっているが
簡単な話で、「小学生もマスターベーションをするから」であり、小学生男子は少年誌に載るようなパンチラやおっぱいの直接的なエロ描写で自慰行為をしますが、小学生女子は「直接的ではないけれどエッチを想起させる雰囲気や関係性」から妄想してマスターベーションするんです。
(そもそも溺愛ロワイヤルは新潮社ではなく小学館のちゃおだし、出張再掲載されたものだし、溺愛ロワイヤルに限らず八神千歳先生の漫画はエッチな雰囲気を醸し出す事に定評があっても直接的な性描写に突入するような漫画は描かない)
もう一度言います。
(※物心付いたばかりの幼少期の無意識的な自慰行為の問題もありますが、その頃の自慰と思春期の小中学生の自慰は別物であるという考えが一般的です。本記事においては小中以降の意識的な自慰行為について言及しています)
(自慰行為を「セルフプレジャー」という言い回しを推奨する教育者もいますが、それこそ臭いものに蓋をするようで個人的には嫌なので本稿ではマスターベーション・自慰と表記します)
今回に限らずこういう性的表現問題で炎上する際に、毎回必ず「小学生もマスターベーションをする」という事実を黙殺、蔑ろにした状態で議論を進められる事にずっと違和感があります。(くどいですが溺愛ロワイヤルはそこまで直接的なエロを描く漫画じゃないです。が、性描写に踏み込む少女漫画は数多くあるので一般論として話を進めます。)
小学生の立場で考えたらそんな事言及されたくは無いだろうし私も言いたくありませんけど、でもそれで子供が声をあげられない事を良いことに「子供から性的なものを想起させる程度の描写といえども徹底排除させろ!」という人たちには鼻白む思いを何度もしてきたのであえて言及します。
こう言うと、「そういうのが見たければこっそり青年誌を読むだろう」「だから子供が読む物に性的なものなど必要ない」と言う人もいます(ていうかいました)
ゾーニングの問題もありますが、あえてそれは置いといても異論があります。
私は小学生の時にAVをこっそり見る機会がありました(仁義もあるので見た時の方法・状況については伏せます)
性的な欲求からではなく、単なる「大人はどういう物を見るのだろう」という好奇心や興味からです。
実写の男女がセックスで交わる映像を見て、率直に思ったのは「気持ち悪い」でした。
大人がセックスする事は、それこそ漫画の知識などで知っていましたが実際にやっている所を映像を観た時は、こんなものを観ることで「エロい」と思える事が理解できませんでした。
だからといって全般的な性嫌悪になるかと思えばそうはなりませんでした。
やはり性的なものが絡む世界には興味がありましたし、たまに載るちゃおやりぼんの「少しエッチな空気の漫画」にムラムラし、小学生が考えうるレベルの「その先の更にエッチな事」を想像してマスターベーションをしていました。そして背伸びしてSho-Comiに手を出したりします。
でもそれ以上の年齢層の女性誌や青年誌をこっそり立ち読みしても「なんか違う」「ここまでのものは求めてない」という気分になり実用に向きませんでした。
(Sho-Comiは建前上は中高生向け雑誌という事になってますが、小学生も読者層のターゲットに加えていることは暗黙の了解となっています。Sho-Comiによる小学生からを対象とした投稿漫画コンクールもあるぐらいですから)
小学生にとってはちゃおや、行ってもSho-Comiレベルが一番身の丈にあっていて、それ以上の性表現は逆に性的に感じなくなるんです。
ただそれは年齢相応の話であって、年月を重ねる毎に性的に感じるレンジも広くなっていきます。成人した今では普通にAVやエロ漫画を見てマスターベーションをするようになりました。
漫画の性表現についてはコンプライアンスの問題がついて回りますし、今回炎上した溺愛ロワイヤルもコンプライアンスをキリキリに縛れば当然不適切なものにあたるのでしょう。
でも漫画は道徳の教科書じゃないんだから時には不道徳なものだってあるでしょう。
ハラスメント的な問題も当然もあるでしょう。子供に変な思想を植え付けられるという心配もあるのでしょう。
でも子供の事をそこまで馬鹿だと思っていないなら、そういう時は親や大人は子供と適切な対話でもって対応してほしいですし、決して否定や叱責、あるいは世間を扇動させて作品や描写の排除に向かわせる事だけはどうか止めて頂きたいんです。
私は性教育における「はどめ規定」は無くなってほしいし、小学生の内から適切な性教育を受けるべきだと思うし、ジェンダーや性交をタブー視しない包括的性教育を行ってほしいと思ってます。
その上で、ちょっと危うい不道徳さが残る性表現をも排除する社会にもなってほしくありません。
私は小学生の頃からマスターベーションをしてきた身として、小学生にもマスターベーションの自由はあると思うし、大人が頭ごなしに否定してほしく有りません。
そして小学生ともなると、何も見たり聞いたり一切参照せずマスターベーションする事は流石にできなくなる事も知識として理解してほしいです。
私は小学生の身の丈に合った性表現の漫画、いうなれば「小学生が読めるエロい漫画」は必要だと思うのです
ジェンダーやコンプライアンス、ハラスメントの問題、描き方の問題など多くの事が積み重なってくると思いますが、そこを乗り越えてでも「小学生が読めるエロい漫画」はあったっていいと思います。
私の、あまり明るくはない小中学生時代はマスターベーションをする事でだいぶ救われた過去があるので、性的な描写を含む漫画を子供から取り上げる事は、私のようにマスターベーションが救済になっている子に対してマスターベーションを取り上げるようにも思えて、気分が悪くなります。ましてや「検品」だなんて・・・・、この親は育成ゲーム的な感覚で子供を育てているのかと少なからず怒りもあります。
私の親は誇れるような親ではありませんでしたが、私のマスターベーション事情に関しては深く追求せずにいてくれた事は有りがたく思っています(何度かしてる最中に部屋に入られそうになり、テンパった姿を目撃されているので何をしているのか親も大体はわかっていたんだと思います。)
長くなりましたし、思いついたまま書いたので非常に取り留めのない文章になりましたが、今回の溺愛ロワイヤルの炎上の件で一度思っている事を吐き出したい感情にかられたので書きました。
乱筆乱文でごめんなさい。
90年代後半から2000年代前半まで、少女コミック(雑誌名)にエロ漫画ブームが来た。直接の原因は新條まゆの快感フレーズがバカ売れしたことだろう。エロを見たい小学生〜中学生女子が手っ取り早く買える雑誌だったので(少女漫画の中では)結構売れた。
だが2005年頃から純愛漫画ブームが来て、エロ漫画は一旦消えた。
純愛漫画にシフトできた漫画家もいたが、雑なエロで売れていた漫画家は消えるか別雑誌に行った。
純愛漫画ブームが来る前、2000年代には「子供向けに過激エロやってんじゃねえ」と批判されるようになり、やがてエロがメインコンテンツの少女向け漫画は「ティーンズラブ(TL)」として隔離されるようになった。
そういえばTLも少女漫画とは別扱いだな。レディコミとTLが別扱いなのはエロがメインかどうかなのか。
ちなみに「少女コミック」は現在Sho-Comiと改名したらしい。
少女コミック、70年代は萩尾望都や竹宮惠子も載ってたし、あだち充の「陽あたり良好!」も少女コミックに連載していた。昔は普通だったんだな。
元の記事はまあまあ賛同できる内容。普通にいい記事だと思うので読むこと推奨。
元記事は少女マンガ系統のレーベルが恋愛ものばかりしかかけないイメージ(作家や読者らの)が固まっていることを憂いている話なのだが
なぜかこのブコメでは女性が抑圧されるという話に持っていきたいらしい
”バトルやファンタジーの要素が強い作品は「そういうのは少女漫画雑誌ではちょっと…」と拒絶され追い出されてしまう。”
というのに関しても、そんな作品をマーガレットやLaLaや花とゆめ、なんだったらこの編集者のSho-Comiに持ち込んでも連載中の作品との毛色があまりにも違うようであればよそをお勧めされるだろう。無言の圧力と言っているが雑誌を読む層とのギャップがあると売れないってだけの話。伝統的な商品を売っている店に対してカジュアルな商品の営業をしたら失敗したみたいなことだと思う。
というかファンタジーやバトル要素ならまずはGファンタジーやガンガン系列、ヤングエースUPあたりかに持ち込もうと思うのが普通だろう。こういうとこからもこのブコメ書いてる人は多分漫画を普段から読まないんだろうってことが透けて見える。
とは言っているが、作法云々ではなく結局は少女漫画は恋愛ものに縛られる必要はないという結構大事な話のはず。謎のマウント取りに昇華するのはさすがに酷い。
個人的には男も女も読む作品がふえてきたのだから、特に読者の多い作品に関しては少年向け・少女向けというラベル付けの意味がないのではと思う
小学館発行の少女漫画雑誌「少女コミック」。現在は「Sho-Comi」という名前になったらしい。
「トーマの心臓」や「風と木の詩」などが連載していた雑誌と言えばピンと来る人も多いかもしれない。
鬼滅の刃の大ヒットについてその「Sho-Comi」の編集長からこういう意見があった。
https://alu.jp/article/kOyx6lll8bfy1UsFImfL
ーー『鬼滅の刃』が、小学生から大人まで幅広い層から人気を得た理由が分かった気がします。
女の子からもすごく人気ですしね。きっと、今年一番読まれている少女マンガといえば『鬼滅の刃』ですし、部数やピュアな読者数で定義すればジャンプが一番の女性読者を抱えたマンガ誌かもしれません。
少女マンガって、恋愛マンガが多いと思われがちですが、本当はもっと広いんですよ。私は、女の子が読めば、どこで連載されていようとも「少女マンガ」だと思っています。
この言葉に、とても驚いた。
間違ってはいないと思う。今現在最も少女の心を魅了し読まれている漫画が「少女漫画」で無くて一体何なのだろう。
驚いたのは、この言葉が少女漫画雑誌の編集長を務める人の口から出てきた事である。どんな想いだったのだろう。
「週刊少年ジャンプで連載している漫画のどこが少女漫画だ?言ってみろ」と思う人も居るかもしれない。『鬼滅の刃』は、何故「少女漫画」と呼ばれるのか。
少年漫画雑誌を読む女性は古くから居た。女性ファンが多い古の少年漫画と言えば「キャプテン翼」や「聖闘士星矢」「キャッツアイ」等が有名かもしれない。
そのもっと昔、それこそ水島新司先生の「ドカベン」や手塚治虫先生の「バンパイヤ」の頃には少年漫画を好む熱心な女性読者が大勢居た。半世紀以上の歴史がある。
少年漫画を読んだ女性達は、「自分達もこういう漫画が描きたい」と少年漫画雑誌に自分の作品を持ち込んだ。あの高橋留美子先生もその一人だ。
「好きな漫画・描きたい漫画が少年漫画だったから」以外にも男性向け漫画雑誌に作品を持ち込む女性が多い理由は他にもある。
全ての雑誌がそうであるとは言わないけれど、最近の少女漫画雑誌は「恋愛物」以外を描く事が許されない傾向にあるのだ。
現実での恋愛を題材にした作品以外、バトルやファンタジーの要素が強い作品は「そういうのは少女漫画雑誌ではちょっと…」と拒絶され追い出されてしまう。
それは少女漫画ではない、そういうのが描きたいなら少年誌なり青年誌なりに行けという事らしい。女性は、創作という界隈でも無言の圧力に縛られ、抑圧されている。
『鬼滅の刃』の作者・吾峠呼世晴先生は学生時代にジャンプで連載していた大人気漫画「銀魂」を読んでジャンプに自分の作品を持ち込んだらしい。
吾峠先生の性別は今のところ公表されていない。女性ではないかと噂されているが、公式には性別不詳の漫画家さんである。
ジャンプに限らず少年漫画雑誌に自分の作品を持ち込む女性は男性のペンネームを使う事が多い。
高橋留美子先生など一部例外も居るけれど、男性向けの雑誌で連載している女性漫画家の中で男性的・中性的でないペンネームを名乗る方は極少数派だと思う。
少年漫画雑誌という極めて男性社会的な場所で、女性が「自分」を隠さずに堂々と振る舞う事は難しい。男性が多いコミュニティでは、女性は排除される傾向にあるからだ。
これまでアニメ化まで至った人気少年漫画の作者の中には女性も多く居るが、男性名を名乗っているため「女性」とは認識されず殆どが男性漫画家の功績とされてきた。
『鬼滅の刃』の連載が始まった当初、真っ先に「この漫画は面白い!」と『鬼滅の刃』に食い付いたのは、当時のファンアートや感想を見るに女性読者だったらしい。
作品がアニメ化してから社会現象に至るまで作品を盛り上げたのも女性ファンだった。1年ほど前から「鬼滅女子」がTVでも頻繁に取り上げられていた事をよく覚えている。
「りぼん」や「マーガレット」などの少女漫画雑誌、「Seventeen(セブンティーン)」や「anan」など女性向け情報雑誌が『鬼滅の刃』とコラボレーション・特集を行い大きく取り上げられた。
近年社会現象になった少年漫画は他にもあるけれど、『鬼滅の刃』の女性人気はその中でも最大であるらしい。老若を問わず女性の心を強く惹き付ける物が、あの作品にはあった。
『鬼滅の刃』は勿論少年向けのバトル漫画としても読める作品である。全国の男児は『鬼滅の刃』に出てくるキャラや必殺技に今夢中になっているし、男児向けの玩具も売れに売れている。
あの作品が「少女漫画」と呼ばれる理由は、細やかな心理描写や丁寧に掘り下げられたキャラクターの人間関係が少女漫画に馴れ親しんでいる女性達に違和感無く受け入れられた事が大きいだろう。
女性、主に少女を読者層に想定している雑誌の編集長が、「週刊少年ジャンプ」に掲載されていた『鬼滅の刃』を日本で一番読まれている少女漫画と認めた。
これは「少女漫画は最早少女にさえ読まれなくなった」という事ではない。むしろその真逆と言ってもいいと思う。今現在、日本で最も少女に愛される『鬼滅の刃』が「少年漫画」の世界で一番の人気がある。
女性の存在を疎み排除する傾向にある少年漫画という界隈で、少女漫画の作法で描かれた「少女漫画」が頂点を取っている。少女漫画の在り方が、今少しずつ変わり始めているのかもしれない。
【追記】
もし風と木の詩が今の鬼滅の刃くらい人気が出て、男性ファンが沢山付いて男性向けの商品が大量展開されるような事があれば…おっさん漫画と呼んでも良いかもしれない。
そういえば最近だと「名探偵コナン」なんかはある人気キャラが登場してから元から多かった女性ファンが激増して女性向けの作品と言われる事が増えたんだとか。
この手の言説でいつも疑問なんだけど、少年漫画と違って少女漫画では男性作家が男性名のまま連載して受け入れられてるの? ジャンルの排他性をミソジニーだけに求めようとしすぎじゃない?
少女漫画の開祖達が手塚治虫・赤塚不二夫・横山光輝等々偉大な先人の男性漫画家さんなのは有名な話だけど、少女漫画を描く男性というのが極めて稀なケースなので何とも言えない。
あだち充先生や魔夜峰央先生は少女漫画雑誌で連載したけれど…男性が少女漫画を描くと線の太さや内容ですぐ性別が分かると聞いたけど実際の所はどうなのだろう。
立原あゆみ先生や新谷かおる先生など、一見少女漫画を意識している画風の人でも見る人が見ればすぐに男性が描いている絵だと分かるそうな…。
https://note.kishidanami.com/n/n0b2033a6652f
本当に24時間で消えてしまうのは惜しいのでここに。なぜかweb魚拓は撮れなかった。
岸田 奈美
2020/07/27 19:06
Instagramには、24時間で消えるストーリーという機能がある。フォトジェニックじゃない(=映えない)写真を、気軽に投稿できるのが良いそうだ。というわけで、これはフォトジェニックでもエモーショナルでもない、24時間で消えるnoteだ。おもにわたしの醜いモテへの執着や、頭を抱えたくなる恋愛の話に使われる。
彼は、愛すべきバカの友人の紹介で知りあった、愛すべきアホだった。底抜けにアホで、底抜けにお人よしだった。
いつも良いことがあったみたいに微笑んでいて、箸が転がっても楽しそうで、だれかの良いところを褒めることが大好きで、褒められたらわんわん泣いて、飲み会で輪にはいれていない人に一番に声をかけ、信号の点滅する交差点でおばあさんがゆっくり歩いていたら自分の荷物がペシャンコになろうとも放り出して一目散に駆け寄る人だ。たまに大きな犬に見えるときがある。
だけど悲壮感に満ちたおもしろい失敗や事件に巻き込まれてしまう引力はわたし以上で、いつも「なんでこんなことに」と半泣きになりながら、不運に揉まれるアホの彼が書く文章は、ちょっと息を飲んでしまうくらい上手だった。彼はわたしと同じ作家だった。書き残す言葉でだれかの呪いを解ける、尊い人だと思った。
友人として、作家仲間として、アホ同士だいたい4人くらいで仲良くやっていたのだが、思いもよらず彼から「好きだ」と言われた。
あまりにも予想をしていなかった展開なので、わたしは「虫だ」と聞き間違えて、そっか虫がいるんだと黙っていた。わたしがしばらく黙っていたので、考え込んでいるものと思い、彼は律儀にその沈黙を守っていた。実に無駄な3分間を過ごした。
「付き合ってほしいです」
「い、いやです」
「えっ!?」
彼は目を丸くした。目を丸くしたいのは、こちらの方である。だってきみとはずっと良き友人でいたいと思っていたし、こう言っては申し訳ないけど、まったくもってタイプではなかった。
彼は底抜けにアホで、底抜けにお人よしなので、たくさんの人と運命から愛されている。彼が誰かの悪口を言っているのは聞いたことがないし、誰かが彼の悪口を言っているのはもっと聞いたことがなかった。
でも、彼はスマートとはほど遠いのだ。モテないわたしが選り好みして、本当にごめん。醜いことは百も承知で、神戸のド田舎から出てきて、Sho-comi(覇王・愛人)を恋のバイブルにし、最近はツイステッドワンダーランドのリーチ兄弟に夢中なわたしは、スマートな男と付き合ってみたいのだ。
彼を恋愛の目線で言い表すとしたら、なんだろう。童貞が最後に見る夢。失った青春の延長線。交響詩篇エウレカセブンのレントン・サーストン。ボーイ・ミーツ・ガールドリブン。奥田民生になりたいボーイ。近所のタバコ屋に住み着いた大きな野良犬。振り向けばだいたい自動ドアに挟まってる。本当にごめん、ひどすぎる言葉しか出てこない。
これでわたしを嫌ってくれたらいいなと思いつつぜんぶ言ったら、ものすごく神妙な面持ちで「まあ童貞みたいなもんだからね、よくわかったね」と感心していた。感心をするな。
「というかね、信用できないんやわ」
「なにを!?俺の恋心を?」
「君の恋心をだよ。だってわたしたち、二回しか会ってねえのよ」
そう。時期が時期だったので、知りあってからはほとんど、友人たちを交えたリモート飲み会で話していた。直接彼と会ったのは、たった二回。一回目は奇しくも害獣に襲われて怪我をし、二回目は引っ越した家を悲運にも七日間足らずで失っていた。事件が過ぎる。
ともかく二回しか会ってないのだ。マチネの終りの福山雅治でも、もうちょっと会ってた。
つまりこれはひと夏の思い出にすべてを賭けてきた、まごうことなき童貞ドリブンだと思った。詳しくは書かないが、告白の場所もひどかった。いまどきの小学生ですらもうちょっと良い場所を選ぶ。
どこをどう見てもタイプではない童貞に、心を乱されているわけには、いかないのだ。どこかで優しくて素朴でかわいい女の子と一緒になってほしい。
「わかった。俺はいつまでも待つよ。誓うよ」
「なにを?」
「人生を」
「なんて?」
人生を誓われてしまった。誰から頼まれたわけでもないのに、やたらと重いものを後さき考えずに背負い込む、己に十字架を課す、これぞ童貞ドリブンじゃないか。もうやめてくれ。誓わんといてくれ。
それから、何度か彼とご飯を食べたり、お茶をしたりした。書いていて死にたくなるのだけど、目が合うたびに、かわいい、本当にかわいい、すごい、きれい、と初めて動物を見た子どものような表情で褒めてくれた。
わたしは、自分の外見に強烈なコンプレックスがある。もったりとした奥二重、並びの悪い前歯、突き出た上唇、団子を貼りつけたみたいに低い鼻。どこをどうとっても、褒められなかった。取材などで撮ってもらう写真を見るたびに、現実を突きつけられて、悲しくなる。だから、彼のかわいいを信じることができなかった。
あと、人から好きだと言われて付き合ったことがない。いつもわたしは異性を追いかける方だったから、尽くして愛することこそが、自分の価値だと思っていた。
あまりにもわたしが、かわいくないからやめてほしい、と頼むので、彼ははじめてむっとした顔を見せた。
「なみちゃんのかわいさが、なみちゃんに伝わってないのはいやだ」
そして思いついたように、わたしが買ったばかりのライカQというカメラを手にとり、夕暮れの街を歩きはじめた。ぶらぶらと歩いていて、彼はなにも言わずにシャッターを切った。
写真を撮るならもうちょっと、ポーズの指定とか、背景のこととか、考えるもんじゃないのと思ったのだが、そういうのはなかった。
樹木希林と内田裕也の関係性から学ぶこととか、かわいい犬が歩いているのを見るだけで脳汁が出そうになることとか、ブタクサの油炒めはどんな味がするのかとか、そういうアホな話をしていた。いつのまにか彼は、何度もシャッターを切っていた。
カメラを見ながら「うわっ、かわいい」「びっくりするくらいかわいい」「こっちかな」「いや、こっちだな」「まぶたに焼きつけたい」とアホなことをつぶやくので、したたかにどついた後、見せてもらったのがこれだった。
L1030088のコピー
生まれてはじめて、自分のことを、ちょっとかわいいと思った。なんだろう。汗でメイクも落ちてるし、服だって適当なワンピースだし、手はむくむくしている。でもなんか、良かった。
「俺には、なみちゃんがこう見えてる。なみちゃんは心の美しい人だから、誰よりも美しく見えるよ」
発言は相変わらずアホだったし、何度見ても顔はタイプではなかったし、彼はこのあとすぐ自転車にひかれかけていたのだが、ひとつだけわかったことがあった。
写真というのは、レンズが人を映すのではなく、人が人を映すのだ。
ファインダー越しの表情、身体の動き、まわりの風景には、関係性が透けて見える。いい顔をさせられるというのは、いい関係性であるということで、もっと言えば、撮る人の恋や愛みたいな言葉にできない感情も確かに伝わってくる。文章も同じだ。だからわたしたちは作家なのだ。
わたしの凝り固まったコンプレックスが、他人の視点を通して、少しずつ溶かされていくような感覚になった。わたしのことをこんな風に見てくれる人たちがいると思えば、この世界はそれほど悪くない。
告白の返事はしていない。付き合うかどうかもわからない。ただ、写真を撮ってもらうことが増えた。そのかわりエッセイにしていいかとたずねると、決まっていたみたいに快諾してくれた。
今日は「俺と付きあった方が良い48016個の理由」というメッセージが届いて、1から順番に送られてきたけど、ひとつ一分で語ったとしても八百時間かかるのがバカだと思った。
いつかこのバカのことを、好きになる日はくるのだろうか。勝手に誓われた人生を、わたしはどう持て余せばいいんだろうか。とりあえずわたしは、恋よりも、いまはなにかを書きたい。今日もわたしは、恋人がいない。
『BLUE』(ブルー)は、千葉コズエによる日本の漫画。『Sho-Comi』(小学館)にて、2009年19号から[1]2011年19号まで掲載された。単行本は全8巻。
『BLUE』(ブルー)は、山本直樹による日本の短編漫画、および同作を収録した単行本のタイトル。作中の性描写が問題となり、東京都により不健全図書の指定を受け、版元回収となったことで話題になった。
『Blue Gender』(ブルージェンダー)は、1999年10月7日から2000年3月30日まで毎週木曜日25時50分から26時20分にTBSで放送されたテレビアニメ作品。月刊コミックドラゴンにおいて加崎善彦の作画で漫画連載もしていた。
『BLUE SEED』(ブルーシード)は、高田裕三の漫画作品、および1994年放映のテレビアニメ。1992年『コミックガンマ』に連載され、看板作品だった。
『Blue Heaven』(ブルーヘヴン)は、髙橋ツトムの漫画作品。『週刊ヤングジャンプ』(集英社)にて2002年から2003年に連載された。単行本全3巻発売。
『BLUE MOON』(ブルー・ムーン)(英一&英二シリーズ)は、森脇真末味による日本の漫画。読み切りシリーズとして、小学館『プチフラワー』に発表された。「緑茶夢」・「おんなのこ物語」と並ぶ作者の代表作の一つ。
『BLUE DRAGON ラルΩグラド』(ブルードラゴン ラル・グラド)は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)2007年1号から2007年32号まで連載された原作・鷹野常雄、漫画・小畑健によるファンタジー漫画作品。単行本は全4巻が出版されている。
『BLUE DRAGON ST』(ブルードラゴン シークレットトリック)
2006年12月4日から2007年6月6日まで、『月刊少年ジャンプ』にて連載されていた。漫画は柴田亜美。Xbox 360版から4年後という設定であり、ゲーム版のキャラクターも登場する。ギャグが主。掲載誌休刊の際に連載終了。後に単行本化されている。
Vジャンプ2008年7月号から2009年6月号に連載。原作はアニメのシリーズ構成の大和屋暁、漫画は作画監督の大竹紀子。アニメ『天界の七竜』22話と23話の間に当たる物語。後に単行本化されている。
『BLUE DROP』(ブルー ドロップ)は、吉富昭仁の漫画『電撃コミックガオ!』にて連作読み切りとして連載された後、『チャンピオンRED』にて『BLUE DROP 〜天使の僕ら〜』が連載された。『BLUE DROP 〜天使達の戯曲〜』としてテレビアニメ化され、2007年10月から同年12月に放送された。
『BLUE ROSES 〜妖精と青い瞳の戦士たち〜』(ブルー ローゼス ようせいとあおいひとみのせんしたち)は、2010年9月16日に日本一ソフトウェアから発売されたPlayStation Portable用シミュレーションRPG。 漫画版は『電撃「マ)王』にて2010年11月号から2011年8月号まで連載。作画は中村煌。
『ブルーシティー』は、星野之宣による日本のSF漫画作品。星野の「出世作」とも呼ばれる[1]。『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて、1976年2号から同年21号まで連載された。全18話。
『ブルーホール』は、星野之宣によるSF漫画。1991年から1992年まで『ミスターマガジン』(講談社)に連載された。1992年から1993年にかけてKCDX(講談社)から全2巻が刊行され、その後も2度にわたり文庫化された。中国語・フランス語に翻訳されている。 続編にあたる『ブルー・ワールド』は、1995年から1998年まで『月刊アフタヌーン』(講談社)に連載された。1996年から1998年にかけてKCDXから全4巻が刊行され、2001年には文庫化もされた。
『ブルーフレンド』は、えばんふみによる日本の漫画作品。 少女漫画雑誌『りぼん』(集英社)にて連載された百合漫画であり、作者にとって4回目の連載作である。
『ブルーイッシュ』は梅田阿比による日本の漫画。『プリンセスGOLD』(秋田書店刊)2011年1月号から2012年3月号まで不定期連載された。単行本は秋田書店から全2巻。
『ブルートレイン』は、高橋はるまさによる日本の漫画。集英社の漫画雑誌で連載され、電子文庫化を経て、100円ショップダイソーで再文庫化されている。
『ぶるうピーター』は、小山田いくによる日本の漫画作品。1982年から1983年にかけて、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』に掲載された。
『B.B.フィッシュ』(ブルーバタフライフィッシュ)は、きたがわ翔による日本の漫画。 1990年末から約3年にわたり、『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に連載された。
原ちえこ
ヤマダ
ブルーゲイル 伊藤明弘版権物作品集 (大都社、単巻) - アニメ『戦闘メカ ザブングル』の後日譚(ラグを主人公にした作品)の他、『ARIEL』『勇者王ガオガイガー』の外伝・パロディを収録。
斉藤倫
川本コオ
柿崎普美
近未来の海上を舞台に、水素燃料プラントを狙う謎の軍隊と、国連軍空母部隊との、ステルス戦闘機同士の戦いを描いたSF作品。『サイバーコミックス』連載。休刊により未完。
最近だと『Sho-Comi』の15号で「初体験」をテーマにした特集が組まれ、騒動になったようです。
ただし、断っておきますが、私は雑誌の中身は未確認ですので、具体的な性描写についてはわかりません。
http://www.sho-comi.com/2017/07/sho-comi-360.html
少女漫画に関して、私が今思いつく限りでは、『彼氏彼女の事情』や『図書館戦争LOVE&WAR別冊編』ではセックス行為の表現があります。
特に『図書館戦争LOVE&WAR別冊編』の3巻ではかなり具体的な描写がされています。
ベッドで裸で行為に及ぶ男女が描かれ、「痛み」が「快感」に変わることに戸惑う、女性の内面も示されています。
BLも含めれば、女性向け作品におけるセックス描写は無数にあるのではないでしょうか。
追記
『Sho-Comi』は少女漫画の代表例としては不適切だというご指摘を拝見しました。
私は『Sho-Comi』についてはまったく知識がありませんでした。
それ故、何も考えずに、この雑誌を少女漫画の象徴として受け取られかねない形で例示してしまいました。
もし、少女漫画全般について誤解を与える文章だったとすれば、申し訳ありませんでした。
また「少女漫画ですとセックスは当たり前のように描かれます」というのは、私が今まで読んできた作品の中での話です。
具体的には『ベルサイユのばら』『あさきゆめみし』『風と木の詩』『残酷な神が支配する』『彼氏彼女の事情』『図書館戦争LOVE&WAR別冊編』や吉田秋生の諸作品など、私の印象に残っている作品が念頭にありました。
私の少女漫画の読書遍歴は大変狭く、偏ったものだと自覚しています。
その上で私のエントリーをお読みください。