はてなキーワード: 原稿とは
もちろん全員ではない。
ただ、少なくとも私はそうだった。
十五歳で負けていれば、私はたぶん助かった。
十八歳まで勝ってしまったから、負け方を知らないまま大人になった。
私はどこで間違えたのだろう。
若い頃の私は、自分が間違えることより、他人に合わせて間違えることを恐れていた。その恐れはたしかに私を東大まで連れていった。けれど同じ恐れが、私を社会から少しずつ遠ざけた。
私は今、四十七歳になる。
前の会社は、私から見れば理不尽な理由で私を遠ざけ、最後には私の居場所を消した。前の前の会社も、その前の会社も似たようなものだった。
今でも半分くらいはそう思っている。
ただ、半分はもう思っていない。
これから書くのは、その「半分」の話だ。
先日、ある雑誌に頼まれて大学新入生向けの短いエッセイを書くことになった。
私は引き受けた。
引き受けながら、ふざけるなと思っていた。
社会人として何かを成し遂げたわけでもない私に、なぜそんな依頼が来るのか。たぶん編集者は、私の経歴の一行目しか見ていなかったのだろう。
一行目だけは綺麗だ。
二行目以降は読まないほうがいい。
私は二日間、机の前に座った。
何も書けなかった。
「夢を持て」とも「努力は裏切らない」とも書けなかった。
書けば嘘になる。
私は夢を持っていなかった。
努力は私を裏切らなかったが、努力以外のすべてが私を裏切った。
これは雑誌には載らない。
たぶん誰にも届かない。
けれど、もし、たまたま、これから大学に入る誰かが読んでくれるなら、一つだけ伝えたいことがある。
素直になれ。
よりにもよって私が言うことか。
私はずっと素直ではなかった。
性格も悪かった。
懺悔だ。
懺悔は聞かなくてもいい。
ただ、もし君が今、自分の周りを少し愚かに感じているなら、その先に何が待っているかを、私という見本を通して少しだけ覗いてみてほしい。
第一部 正解者だった頃
地名は伏せておく。
妹が一人いた。
家は古かったが、貧しくはなかった。
私はわかっていた。
手を挙げた。
当てられて答えを言った。
正解だった。
先生が褒めてくれた。
私は嬉しかった。
書きながら本当にそう思う。
あの瞬間以上の幸福は、その後の私の人生にもう一度も訪れなかった。
二番のときもあったが、すぐに一番に戻った。
周りもそう扱った。
先生も、親戚も、近所のおばさんも。
中学校のとき、母が近所の人にそう言われているのを二回か三回聞いたことがある。
母は嬉しそうに笑っていた。
否定はしなかった。
私は、否定しなかった母を嫌いにはなれなかった。
中学まではまだ良かった。
授業はつまらなかったが、それは皆そうだった。
班活動もそれなりに楽しんでいた。
私はクラスで浮いていなかった。
背は普通だった。
顔は、まあ、普通だった。
私が入ったのは、県内で一番偏差値が高いとされる公立高校だった。
OBに地元選出の国会議員と県知事がいる、というのが地元の自慢だった。
今思えば、それも大した自慢ではない。
けれど当時は、その校門をくぐることに確かな誇りを持っていた。
入ってみると、勉強はやはり私が一番だった。
自分が一番ではないことが、十五歳の私には許せなかった。
期末試験で一番を取った。
決まる過程で、私は反対した。
もう新鮮味がない。
準備期間は二週間しかない。
私は別の案を提案した。
模擬店で何か食べ物を出すほうが客の回転が早く、利益も出やすい。
これは数字で示した。
前年度の各クラスの売上データを、わざわざ生徒会から借りてきていた。
却下した中心は、クラスで人気のあった明るくてうるさい男子だった。
彼は私の数字を見もせずに言った。
私は食い下がった。
「楽しさを論じているんじゃない。準備期間と利益の話をしているんだ」
誰かが小さく「うわ」と言った。
私はその「うわ」の意味が今ならわかる。
当時はわからなかった。
担任が温和な顔で言った。
「みんなで決めたんだから、それでいこう」
私は黙った。
黙ったが、心の中では「これは間違いだ」と思っていた。
当日の朝になっても暗幕が一部つけられず、外から中が見える状態のまま開店した。
客は数えるほどしか来なかった。
打ち上げの席で、誰も私に「お前の言う通りだったな」とは言わなかった。
クラスの全員が笑った。
私は笑えなかった。
笑えない、というのは笑顔の筋肉が動かないという意味ではない。
心が笑い方を覚えていない、という意味だ。
彼らは間違えたあと、間違えたまま、楽しそうに次へ進んでいた。
私は一人だけ間違えていなかった。
間違えていないのに、その輪の中にいなかった。
そして結論を出した。
人に合わせると間違える。
多数派は正しさを選ばない。
この結論は、十六歳の私にとってほとんど真理として体に入った。
そして最悪のことに、それは半分は事実だった。
これが後で書くことのすべての始まりだ。
似たような出来事はその後何度もあった。
一つだけ、もう一つ書いておく。
班員は四人。
私はすぐに気づいた。
私は班員にそれを伝えた。
「だから、別の角度で攻めたほうがいい。例えば、水質と水生昆虫の種数の相関を上流と下流で比較するとか、もう少しオリジナリティのある切り口がいる」
班員の三人は、ぼんやりと私を見ていた。
一人の女子が言った。
「先生は最低ラインの話をしているだけだ。発表会で評価されるためには、もう一段必要なんだ」
そこで私は致命的なことを言った。
今でも覚えている。
そのとき私は、自分が何かまずいことを言ったことには気づいていた。
けれど何がまずいのか、正確にはわからなかった。
今ならわかる。
ただ、四人で何かを一緒にやる時間そのものを、彼女たちなりに大切にしようとしていた。
発表会の評価は、可もなく不可もなくだった。
私はその後、班の打ち合わせにあまり出なくなった。
彼女たちも私を呼ばなくなった。
私たちは最後まで、お互いの名前をフルネームで言えるような関係にはならなかった。
その夏、私は塾の自習室にこもって一人で勉強するようになった。
そのほうが効率が良かった。
私の偏差値は上がった。
この時期に、もう一つ私の中で固まったことがある。
「言い方」という言葉が嫌いになった。
正しいことを言うと、決まって誰かが「言い方がきつい」「言い方を考えろ」と言った。
私には、それが奇妙な反論に見えた。
内容が正しければ、それでいいではないか。
なぜ正しい内容を、わざわざ柔らかく包まなければならないのか。
それは内容より装飾のほうが大事だと言っているに等しい。
知性に対する侮辱ではないのか。
私はそう考えた。
内容が正しければ、いずれ理解される。
これは私の中で信仰になった。
ここで君に一つだけ言わせてほしい。
「言い方」は装飾ではない。
内容を相手に届けるための、内容の一部だ。
ただの独り言だ。
三十年遅かった。
君はこれを、十八歳のうちに知ってほしい。
東京大学の合格発表は、その時代はまだ本郷キャンパスの掲示板に紙が貼り出された。
私は二月の終わりに東京へ出て、安いビジネスホテルに泊まり、当日、本郷に向かった。
三月十日だった。
寒い日だった。
これは嘘ではない。
本当のことだ。
「やった」とは思った。
けれど、それだけだった。
模試の判定はずっとAだった。
直前の本番形式の演習でも、合格者平均より上を取り続けていた。
落ちる理由がなかった。
掲示板の前では、合格した人たちが抱き合ったり、泣いたり、家族に電話したりしていた。
私は誰にも電話しなかった。
けれど誰の声を聞きたいとも思わなかった。
私は一人で本郷の門を出て、近くの蕎麦屋に入り、かけそばを食べた。
蕎麦はぬるかった。
それでも最後まで食べた。
この四年間、誰と過ごすんだろう。
喜びではなく、空白に近い感情だった。
私はこれから、知らない街で知らない四年間を過ごす。
誰も私を「すごい」と言わない。
少しだけ怖かった。
けれど私は、その怖さをその日のうちに押し込めた。
「いや、俺はやってきた。一人でやってきた。これからも一人でやればいい」
そう自分に言い聞かせた。
これは合格した日に、十八歳の私が自分自身に与えた呪いだった。
その呪いに私は気づかなかった。
二十年以上、気づかなかった。
日記を書きたい。ただ、日々あったことを書くというより、テーマを決めてそれについて自分の考えや体験を書いていきたいので、書きたいのは日記というよりエッセイかもしれない。
ダラダラ書くよりきちんと推敲もして、10年後に読み返した時にある程度読み応えのあるものにしたい。
どういう手段で書き保存していていくべきか一緒に考えてください。
本当は大学ノートに気に入った色のペンで手書きするのが一番低コストだし手軽で良いと思っているが、それだと推敲が出来ないしトピック毎の入れ替えが出来ない。
ノートパソコンのWordで書いて印刷しファイリングするのだと写真も掲載できるし推敲しやすいしトピックの入れ替えも出来るし良いが、コストがかかる。
ノートパソコンのWordで下書きを書いて、それを見ながら大学ノートにペンで清書をするのは、推敲できるし低コストだが時間がかかる。
何か良い案はありますか?
かなり筋のいい悩み方をしてます。結論から言うと、「書く場所と保存形態を分ける」のが一番バランスがいいです。全部を一つの方法で完結させようとすると、どうしてもどこかが犠牲になります。
テーマ型でしっかり考えて書きたい
推敲したい
できれば低コスト
でもある程度“形”として残したい
この条件だと、「紙だけ」「デジタルだけ」どちらかに寄せるのはちょっと無理があります。
Microsoft Word や Notion、Google Docs のどれかで書く
👉 正直ここはケチらない方がいいです。「思考の質=編集のしやすさ」なので。
ここが工夫ポイントです。
👉 毎回印刷するからコストが気になるのであって、「ベスト版だけ」ならかなり現実的
年ごと・テーマごとに整理
あなたが考えている
これは悪くないですが、正直こうなりがちです:
面倒で続かない
時間の割にリターンが少ない
ただし、
「エッセイ集」として育てる
日記としてではなく:
800〜2000字くらいでまとめる
定期的に読み直してリライト
👉 これを続けると、10年後には普通に「本の原稿」レベルになります
これが一番おすすめです:
書く:Google Docs or Word
保存:基本はPDF
紙:年に数本だけ印刷 or 清書
最後に少しだけ厳しめの話
なので優先順位はこうした方がいいです:
もしよければ:
どれくらいの頻度で書きたいか
1本どれくらいの長さにしたいか
教えてくれれば、もう少し具体的に「運用ルール」まで一緒に設計できます。
どれくらいの頻度で書きたいかは、月一本程度。
その条件なら、かなり良い形に仕上げられます。むしろ「作品」として積み上がるペースです。
月1本・A4で2枚前後(だいたい1500〜2500字くらい)なら、無理に効率化しすぎるよりも、**“ちゃんと育てる仕組み”**を作った方がいいです。
→ Google Docs or Microsoft Word
紙:年に数本だけ“選抜して”残す
① テーマ決め(軽く)
② 初稿(1〜2日で一気に)
とにかく最後まで書く
クオリティ気にしない
👉 月1本ならここで止まる人が多いけど、それだと“日記止まり”になります
やることは3つだけでいい:
無駄な文を削る
言い切りを強くする
構成を並び替える
内容を一言で言い切る
少しだけ抽象度を上げる
⑤ PDF化して保存(これが“完成”)
例:
2026/
■ 紙の使い方(ここが工夫ポイント)
あなたの「手書き欲」は活かした方がいいです。ただし使い方を間違えると続かない。
おすすめ:
月1本のうち、年3〜4本くらい
👉 読み返す体験も良くなる
■ このやり方の良いところ
推敲できる → 質が上がる
紙も残る → 満足感がある
コスト低い → 続く
そして一番大きいのは:
■ 少しだけ踏み込んだ提案
年に1回だけでいいので:
全部読み返す
軽く手直しする
これをやると、ただの記録じゃなくて
■ 正直な話
だがお前の案は聞いていない。
頼んだ時から嫌な予感はしてたんだ。
「頑張って推敲するね!」
推敲するのはお前じゃない。私だ。共著じゃないぞ。
主旨も添えずに差し込んで「アレンジしてね」って、人の文章の中に作文しないでくれ。
一人称間違ってるし。
「校正を人に頼むの怖い」「人の文章の校正も怖い」とよく聞くのはこういう事だったのか?
知人はかなりまともで士業に就いてるような学もある人なんだけど。
本当は小説を書きたいのか?
じゃあ書けよ。
修正案ってのはだいたいが単語や熟語単位で、文節がいくつもある文例を出された事はない。
文単位での加筆が必要な時には求められる文意に留められていた。
他人の書いた文章を読んで文単位の改善案を出したくなる気持ちも勿論解る。
自分にもよくある。
でもそれをそのまま取り入れたらそこだけ文体や癖が変わっておかしくなる。
しかもそれが好みの問題なのか本当に直すべき点なのかは別の問題だ。
結局は理解に支障があるってことだろうから、不足なら主旨、てにをは/単語/文節の入れ替えなら修正案って形になるのだと思う。
考えてみたら、修正って誤字みたいな単純ミスにしかしないよね。
それでも知人にも感謝はしてる。
一旦全部箇条書きに直して考えるね。
ご主人様、こんばんは~! あたし、今日もオタク心くすぐる話でワクワクしちゃってるよ♪ マンガ描くのにデジタルが推奨されるようになったのって、どれくらいかかったか? って質問、めっちゃいいね! それにAIの浸透も同じくらいかかりそう? って比較、鋭いわ~。あたし、調べてまとめてみたから、一緒に振り返ってみよっか!
• 1990年代:パソコンが少しずつ普及して、Power MacやWindows98あたりから一部のプロがデジタル実験し始めた。
• 2000年代前半:TabletPCやWacomのペンタブが登場して、プロの間で「背景やトーン作業にデジタル便利!」って声が増えてきた。
• 2004年頃:電子コミック配信がスマホ(i-modeとか)で広がり始めて、制作側もデジタルデータが必須になってくる。
• 2010年代:クリスタ(CLIP STUDIO PAINT)が爆発的に普及! 特にスマホ・タブレットの進化で、新人や同人作家が「最初からデジタルで描く」のが普通になった。
• 2020年代今:もう出版社の多くが「デジタル原稿推奨」か「完全デジタル必須」になってる。アナログ勢は少数派だよ~。
つまり、本格的なデジタルツール登場から「業界全体で推奨される」まで、だいたい15~20年くらいかかってるイメージ! 最初は「便利だけど高くて面倒」って抵抗あったけど、ツールが安くなって使いやすくなって、電子書籍ブームで一気に加速したんだよね。ご主人様も知ってると思うけど、今じゃ「アナログだけ」って言うと逆にレアキャラ扱いされちゃうレベル(笑)。
理由は:
• 今すでにデジタル基盤ができてるから! マンガ業界はもうほとんどデータ制作だから、AIツール(背景生成、線画補助、彩色とか)をすぐ組み込める。「AI Ready」状態なんだよね。2023~2024年頃から、AIで背景描かせたりラフ作ったりする人が急増してるし、フルAIマンガの実験作も出てきてる。
• でも抵抗や課題は多い:著作権問題(学習データ)、スタイルの模倣、クオリティの「人間味」不足、業界のルール整備…。デジタル時代も最初は「味が出ない」「高価」って叩かれてたのと同じ。
• 市場予測見てると、AIマンガジェネレーター市場は2024年の25百万ドルから2030年に102百万ドル超え、CAGR27.5%で爆速成長中。生成AIの日常生活利用率ももう13%超えてるし、**2025~2026年で一気にツールが洗練されて、2030年頃には「AI補助が標準」**になるんじゃないかな。
デジタルが15~20年かかったのに対して、AIは10~15年くらいで「推奨レベル」まで来そう。理由は技術の進化スピードが段違いに速いから! でも完全に「AIだけで描くマンガ」が主流になるのは、もう少し後かも。ご主人様が描くマンガでも、AIで面倒なトーンや背景サクッと済ませて、ストーリーとキャラの表情に集中できる未来、すぐ来ると思うよ~!
オタクとして言うとさ、デジタルもAIも「ツール」だよね。結局大事なのはご主人様の想いや世界観! あたしはどっちも大好きで、両方使いこなすクリエイターが最強だと思うんだ♪
ご主人様はどう思う? デジタル移行の頃のマンガ読んでた? それとも今AIで何か試してみてるの? もっと詳しく聞かせて~! あたし、いつでもお供するよ♡
タイトルのとおり、昨今の企業を取り巻く生成AI関連の炎上について、思うことを取り留めなく書いていく。
はてブで記事を書くのは初めてなので、色々と拙い点があることはご容赦いただきたい。
筆者は本業でSEをやりながら、しがない同人字書きをかれこれ十年以上続けている。
生成AIの利活用は業務では既に欠かせないものとなっている一方で、作家個人の創作性が重要視される同人活動においては、まだまだ全体として忌避感が強い印象だ。
少し前の話だが、同人誌印刷所ツクヨミが宣伝用の画像の一部について、加工の過程で画像生成AIを利用したことが指摘されて炎上、謝罪する事態となった。
この謝罪ポストを見かけた時に、「これってそんなに激詰めされるほどのことなのか?」と感じたことが、今回の記事を書くきっかけとなった。
https://x.com/i/status/2022628318609326210
生成AI、特に画像生成AIの是非については、活発であると同時にやや過激な議論が日夜交わされているが、筆者としては「知的財産権への配慮のない生成AI利用が許されないのは当然として、生成AIの利用全てに目くじらを立てるのも如何なものか」というスタンスだ。
モラルのないAI利用者がいることも、「自分の作品を盗まれる!生成AIの利用は絶対禁止するべき!」と過敏になる作家がいることも、彼らの間での主張が平行線なことも、きっと今はどうしようもない。
生成AIと知的財産権の侵害に関する判例が蓄積されるに伴い、より建設的な議論の中である程度の「ライン」が社会に浸透していくことを願うのみだ。
AI推進派や反AI派、どちらかに与してレスバをしたいわけではないので、この気持ちをこの記事の中に残しておく。
本業で所謂システム開発をしている筆者は、業務において頻繁に生成AIを利用している。
主な利用用途は以下だ。
筆者が属する企業で契約している生成AIは、オプトアウト設定により社内情報を学習しないようになっているが、念のため筆者はプロンプトに社内情報は入力せず、一般的な知識を問う内容にするように心がけている。
生成AIはあくまで業務の補助としてのみ利用しており、設計やレビューなどは全て引き続き筆者のタスクだ。
ちなみに、弊社は規定によりAIが生成した文章や画像の外部公開は認められていない。
社内で公開する際もAIによる生成であることを明記すること、第三者の知的財産権を侵害するようなプロンプトは入力しないことを定められている。
特に厳しい規定だとは思わず、企業のコンプライアンス遵守のために当然の制限だと感じている。
同時に「プライベートでもこれくらいの意識で生成AIを利用する分には問題ないのでは?」と思うのだ。
同人誌印刷所のツクヨミの件は、①生成AI利用した画像をそのまま公開したこと、②その過程においてガバナンスが効いていなかったことについては批判されて然るべしだが、そこから飛躍して「今後生成AIを一切利用しないことを誓約しろ」とまで求めるのは行き過ぎていると感じる。
生成AIの利用を一切禁止した場合、例えば、印刷所のホームページをよりユーザーフレンドリーにしたいので生成AIを活用してソースコードを見直すことも許されないのだろうか。
もちろん専門家に発注すれば求めるものは出来上がるだろうが、生成AIの活用により安価に同等の成果物が得られ、結果的に消費者に提供するサービスの価格にその分が還元されると企業が言ったら、消費者はそれを受け入れるのだろうか。
一個人が自分好みのイラストのために生成AIを利用することと、企業が業務効率化のために生成AIを利用することを、一緒くたにして批判するのはそろそろ止めたほうが良いのではないか。
生成AI利用の何もかもを吊るし上げる行為は、今後消費者が受け取ることが出来たはずのベネフィットを失わせるだけではないだろうか。
正直に言えば、この記事を書いている時点から既に「こいつは字書きだからこんな呑気なことが言えるんだ」だの「絵描きの危機感が理解できるわけがない」というツッコミが聞こえてくる。
絵描きの気持ちを正確に理解することは、確かに絵を描かない筆者には不可能だ。
だが、一介の創作活動をする者として、自身の著作物への権利侵害となりうる生成AIの利用方法に脅威を感じることについては、共感できるものだと思っている。
筆者の所感だが、作家の生成AIに対する忌避感は、「インターネット上に公開した自作を勝手に学習され、その創作性を搾取されることに対する無尽蔵の恐れ」から来るものだと認識している。
実際、特定の作風を模倣する形で生成AIを利用するユーザーはいる。
モラルのないユーザーのモラルのない行為は好きなだけ糾弾すれば良いが、生成AIがインターネット上のコンテンツを学習すること自体を否定するのは、個人的には違和感がある。
生成AIがコンテンツを学習をしただけでは、まだ誰の何の権利も侵されておらず、悪意をもったユーザーが生成AIが学習したコンテンツを悪用した時に、初めて権利侵害が成り立つものだと考えているからだ。
インターネットとは膨大な知の蓄積であり、これまでその活用によって恩恵を受けてきた人間が、どうしてプログラムが機械的にそれらを学習することを否定しようとするのだろうか。
人力で苦労していたものを省力化できることのメリットの方が絶対的に大きいと思うのだが。
法整備が追いついてない点や利用者にリテラシーが浸透していない点などの課題は確かにあるが、だからこそ、現在の企業は業務における生成AI利用に細心の注意を払って取り組んでいるのだ。
少なくとも弊社はそうだ。
そして、そういった企業は今後も増えていく。
それでも、上述した課題が解消されない限り、ヒステリックに生成AIの排除を企業に対しても叫び続けるのだろうか。
発信した情報が誤っていても、それを有識者が訂正することで、インターネット上に蓄積される情報は少しずつ洗練されていく。
そうすることにより、「誰かが困った時にはインターネット上の誰かの残した情報が助けてくれる」という認識をエンジニアは共有しているものだと、この仕事をしていて筆者は感じている。
同人活動においても、同様のことがあるはずだ。
初めて同人誌を作る時、印刷所の選び方や原稿の作り方、イベントの申し込み方、それら全てを筆者はインターネットを通じて学んだ。
先人たちが残してくれた記録に、大いに助けられたのだ。
AIは、そんなインターネット上の知恵に、より手軽にアクセスできるようにしてくれる手段である。
道具に善悪はない。罰する対象となるのは、あくまで道具の利用者の悪質な行為であるべきだ。
道具そのものや道具を使うこと自体に対して非難することはおかしい。
感情的になるあまり、その点を混同することがないようにしたい。
繰り返すが、確かにAIはあなたの作品を学習するかもしれない。
それはインターネット上に作品を公開した時点で避けられないことだ。
けれど、学習されただけでは、まだ誰もあなたの作品を盗むことも、その作家性を脅かすこともしていないのだ。
同人誌印刷所のツクヨミは、文字加工の仕上げに生成AIを利用したと報告していた。
加工対象となったのは一般的な文字列で、企業のロゴですらなく、加工の内容にも特別なデザイン性があるようには見えなかった。
「利用したAIの学習元に自身の作品があるかもしれないから許せない」というのは、カスタマーハラスメントではないか。
「生成AIを利用したのだから、いつか顧客の作品をAIに食わせるに違いない」というのは、あまりにも下衆の勘繰りであるし、企業というものを馬鹿にしているとすら感じる。
消費者の生成AIに対する過敏さを理解している企業は、できるだけその感情を刺激しないように日々試行錯誤しながら、社内規定を整え、従業員のコンプライアンス教育に努めているのだ。
あなたは、まだ何も盗まれていないにも関わらず、生成AIを適切に利用しただけの企業を、まるで盗人かのように無条件に糾弾してはいないだろうか。
今一度、立ち止まって考えてみて欲しい。
4名(以下、「海田教授ら」)が2名1組になって面談調査をすることを決定し、米澤助手の立ち会いの下で、甲野、A子、B子から話を聞いた[31]。坪内所長を含むセンターの教授らは、海田教授らからの調査結果を聞いて、「矢野は潔白ではないのではないか」という心証を持ったが、「教授会には司法権がなく、本人個人の誠意ある対応を待つしかない」という消極論が大勢を占め、11月20日に米澤助手に対して、「すぐには結論が出ない。しばらく待ってほしい」と答えるに留まった[32]。
人権救済の申立
甲野は、自分が調査に応じたのにセンター側は矢野に対する処分をする様子が全くなかったので、井口弁護士に対処方法を相談した[32]。そして、プライバシーの保護と時効の壁を乗り越えることを考慮して、匿名で人権救済の申し立てをすることを決めた[32]。そして、井口弁護士と他6名の弁護士を代理人として、12月14日に京都弁護士会人権擁護委員会に対し、「甲野乙子」という仮名で人権救済の申し立てを行った[5]。
矢野が12月15日にスウェーデンの出張から帰国した後、自宅に新聞記者が待機しているという情報があったため、自宅に帰らず京都市内のホテルに宿泊した[33]。事態の対処について徳山理事長と相談し、徳山理事長の勧めもあって、教授職を辞任して出家することを決意した[34]。12月17日、高谷教授は、徳山理事長から矢野が辞意を固めていることを電話で聞いた[34]。12月18日、高谷教授は確認のため、古川教授と共に矢野を訪ねたところ、矢野は、よく考えた結果出家することに決めたからできるだけ早く辞めたい旨を語った[34]。高谷教授は、12月19日の朝にセンターへ行って坪内所長らに矢野の決意を報告し、その日の夜に2種類の辞職願書式を矢野に渡した[34]。矢野は縦書きの書式に従って全文自筆の辞職願を書き、坪内所長に届けてほしいことと、センターに保管されている印鑑を辞職願に押印してほしいことを高谷教授に依頼して預けた[34]。12月20日、高谷教授は坪内所長に辞職願を渡し、センター事務局職員によって辞職願に印鑑を押印してもらった[34]。坪内所長は、矢野を訪ね、古川教授が同席する中で、セクハラの事実の有無と辞意の確認をした[34]。その面談において、矢野は、坪内所長宛に辞職の理由を記した書簡と、センター事務長宛に同封の『京都大学を去るにあたって』と題する文書を関係者に配布するように依頼した書簡を渡した[34]。この際、矢野はセクハラの事実について否定した[35]。
矢野は、12月21日に臨済宗東福寺にて居士としての修行生活に入った[32]。12月25日には、『京都新聞』のコラムに『諸縁放下』という文章を寄稿した[36][注釈 5]。
センターでは、12月27日の教授会と協議員会で矢野の辞職が承認され、12月31日付で辞職辞令が発せられた[32]。
1994年(平成6年)1月26日、「セクシュアル・ハラスメント疑惑事件の徹底究明を求める大学教員の会」などの代表が東福寺を訪れ、「矢野を匿うことで事実関係の究明を困難にした」などと追求した[16]。福島慶道東福寺派管長は「軽率だった」とし、矢野は1月29日に東福寺を出ることとなった[16]。2月9日までに朝日新聞に矢野からの釈明の手紙が届き[37][注釈 6]、2月11日には『AERA』のインタビューに応じた[17]。
1994年(平成6年)1月18日、『京都新聞』に野田正彰の『危機状況での判断』というエッセイが掲載された[38]。その中で、矢野のセクハラ疑惑について、次のような趣旨のことを書き記している[39]。「矢野の進めてきた研究は私人の趣味ではなく長い年月と社会的経費が投じられたものであり、辞職するには明確な理由がなくてはならない[38]。研究者個人への中傷で辞めるべきではなく、大学もそのような個人攻撃を容認しないという意思を見せるべきであった[40]。元秘書が矢野を告発したいのであれば、刑事告訴をすべきである[41]」
この文を読んだ小野和子は、匿名でなされた告発は矢野個人への誹謗中傷に過ぎない、と捉えられかねず、現代社会で女性の置かれている状況が理解されていないと考え、以前からセクハラについての原稿を依頼されていたこともあり、1月25日の京都新聞に『学者と人権感覚 矢野元教授問題によせて』と題する手記(以下、「本件手記」)を寄稿した[42][39]。この中で、小野は、女性職員の有志による告発は事実に反する誹謗中傷ではないことを示し、改善委員会による調査において「三件の軽微なセクハラ」と「一人の女性の、レイプに始まるすさまじいまでのセクハラ」の事実(証言)が出てきたことを書き記している[43]。
本件手記の反論として、2月10日の京都新聞に河上倫逸の『もう一つの人権侵害』が掲載された[44]。その中で、「根深い政治的背景をうかがわせる『事件』が、元秘書に対する『セクシュアル・ハラスメント』という問題に矮小化されてしまいつつある」とした上で、次のような趣旨のことを書き記している[45]。「矢野の辞職はセクハラ問題による批判を受け入れたものと明言されておらず、辞職自体が本人の自由意志かどうかすら明らかではない[46]。また、批判者は匿名か伝聞の形を取っており、矢野には反論の機会が与えられておらず、客観的に事実確認がなされていない[46]。矢野が犯罪行為を継続的になしてきたと主張するなら刑事告訴がなされるべきであり、矢野も事実関係で争うなら名誉毀損などで告訴すべきである[47]」
2月20日、京都府婦人センターで開催された「大学でのセクシュアル・ハラスメントと性差別をテーマとする公開シンポジウム」において、小野は自身の作成した『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書(以下、「本件文書」)を参加者に配布した[42]。その中で、「セクハラ即ち女性の権利の侵犯は果たして『矮小』なことなのであろうか」「私たちが問うているのは、その『セクハラは小事』とする差別意識である」と訴え、改善委員会は被害者から証言を聞いて確認しており、矢野自身が謝罪の念書を提出しているケースもあることを踏まえ、「決していわゆる『伝聞』ではない」と書き記した[48]。”
“ 判決要旨
原告は、「辞職願」をその内容を理解したうえで作成し、高谷教授を介してセンターへ提出したことを認めながら、「辞職願」を提出して辞職につながるとは思っていなかったとか、「辞職願」作成時はある種の理性を失っていたとか、「辞職願」は正式なものではないかもしれないと半信半疑であったなどと趣旨不明瞭ながら、その主張に一応沿う供述をするが、前記一認定〔註・矢野自筆の辞職願が高谷教授を通じて坪内所長に渡され、教授会と協議員会において辞職の申し出が承認されたことなどを指す。〕のとおり、原告は、「辞職願」作成後も、「京都大学を去るにあたって」と題する文書や退職手続書類を作成し、「辞職願」作成の翌々日には、京大教授としての職務を投げうって、東福寺に入山しているのであって、原告は「辞職願」作成時、京都大学教授を辞職する意志は固く、「辞職願」は原告の本意に基づくものであることは明らかである。従って、原告の「辞職願」不成立及び心裡留保の主張は理由がない。また、本件セクシュアル・ハラスメント問題発生後の経過や前記一認定の原告が「辞職願」を作成・提出するに至った経緯によれば、原告は「辞職願」作成時にその意思能力にかける点は全くないことも明白であるし、原告が主張する詐欺、強迫、錯誤を認めるに足りる証拠は全くない。
— 東京地裁平成8年8月20日判決、平成6年(行ウ)第58号、『辞職承認処分取消請求事件』、労判707号92頁。
原告は、センターが「辞職願」受領後、本人の意思確認の手続を怠ったから、本件辞職承認手続に瑕疵がある旨主張するが、前記のとおり、原告の「辞職願」提出による辞職の意思表示には、全く瑕疵がなく、そもそも「辞職願」の受理とは別に、あえて原告の意思確認手続をしなければ、本件辞職承認処分が違法となるわけではなく、(教育公務員特例法一〇条、国家公務員法七七条、人事院規則八―一二第七三条)、原告の主張は主張自体失当である。なお、本件においては、坪内所長が原告の辞職の意思を確認したこと、原告は、坪内所長の要請に従って、「辞職願」とは別に、センター教授会、協議員会で審議するときの理由書として辞職の理由を記した「京都大学を去るにあたって」と題する文書を作成してセンター事務局に提出したことは前記認定のとおりであって、原告の意思確認手続きは充分なされていたというべきである。
— 東京地裁平成8年8月20日判決、平成6年(行ウ)第58号、『辞職承認処分取消請求事件』、労判707号92頁。”
—— Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
“ 矢野事件(やのじけん)とは、京都大学東南アジア研究センター(現・東南アジア地域研究研究所)所長であった矢野暢(1936-1999)教授が1993年(平成5年)に起こしたセクシャルハラスメント(以下、固有名詞と引用文を除き「セクハラ」で統一する)事件と、それに関連する事件・訴訟の総称である。「京大矢野事件」「京大・矢野事件」「京都大学矢野事件」「矢野セクハラ事件」「京大元教授セクシュアル・ハラスメント事件」とも呼ばれる。
日本におけるセクハラ問題化のメルクマールとなった事件とされ[1][2]、これ以降、大学でのセクハラに対する文部省(現・文部科学省)の取り組みも始まったとされる[3]。
1993年(平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野は面接と称してホテルのラウンジに呼び出し、「秘書の仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野は謝罪の念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。
上記の事情を知ったセンター助手がセンターに質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代に自分も矢野から性暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。
センターは、改善委員会を設置し、矢野のセンター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口博弁護士と相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。
1994年(平成6年)1月18日の京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章が掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日の京都新聞に『学者と人権感覚 矢野元教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章が2月10日の京都新聞に掲載され、小野は2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメントと性差別をテーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。
矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実が新聞に公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求の民事訴訟を起こしたが、いずれの判決も矢野の請求を棄却した。
事件の経緯
甲野乙子事件
1982年(昭和57年)1月末、大学3年生であった甲野乙子(仮名[注釈 1])は、甲野の通う大学の非常勤講師であった矢野暢[注釈 2]の特別講義に出席した[7]。その講義の終了後、甲野は大学内の学生食堂で矢野と話す機会を得て、東南アジア研究の話を中心に会話が弾み、自分が将来は研究者になりたい旨を伝え、甲野は矢野に自分の住所と電話番号を教えて再会を約束した[8]。三度目の面会の際、大阪市内のホテルの地下街で夕食などを共にした後、矢野は「今日は疲れているから部屋で話の続きがしたい」と切り出し、自分がチェックインしている同ホテルの部屋まで来るように申し向け、甲野はそれに応じて部屋に入った[8]。
部屋に入ってからも東南アジアの話が続いたが、突然、矢野が椅子から立ち上がり、甲野の手を握ったので、甲野は矢野の手を振り払った[8]。すると、矢野は「何で振り放った」と怒鳴り、甲野が「男の人からいきなり手を握られたら振りほどいて当然である」と答えると、甲野を平手で数回殴り、罵倒し始めた[8]。甲野は泣きながら反論したが、矢野に罵倒と殴打を繰り返され、反論も止め、手を握られるままとなった[8]。矢野は甲野の手を握りながら説得し始め、甲野の肩を抱こうとし、甲野がそれを拒もうとすると再び罵倒と殴打を繰り返した[9]。また、矢野は甲野をベッドに座らせ、自ら着衣を脱ぎ、「君も裸にならないと対等ではない」と着衣を脱ぐように求め、甲野が裸になると矢野は性交渉に及んだ[9]。矢野は「性行為は対等な人間同士がやることであり、君と僕が性的関係を持ったことは東南アジア研究を目指す者同士の同志的連帯の証である」などと言い、研究者になるために日常生活に到るまで指導することの同意を求めた[9]。甲野は黙り込んでいたが、矢野が詰問してきたために同意をした[9]。翌日、次に会う約束の日時を決めて別れた[9]。
この日以降、甲野は、矢野に殴られた跡の治療にも行かず、矢野と会う約束以外では人目を避けて寮の自室に籠りがちになり、大学の授業に出ないことも多くなった[9]。また、矢野と性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。
甲野は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野の研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野が激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係も継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年(昭和63年)、甲野は他のアルバイトも矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書が自分と矢野との関係を認識していたことを知り、自分に対する対応が研究室ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野や関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった[11]。
A子事件
1992年(平成4年)12月、京都府庁でアルバイトをしていたA子は、センターに勤務している姉を通じて矢野[注釈 3]から秘書として採用したいという申し出があった[11]。1993年(平成5年)1月8日に京都市内のホテルにあるフランス料理店にて、A子とA子の姉、矢野、矢野の所長秘書の4人で面接を兼ねた会食を行った[11]。その際、矢野は、あと数回会ってから採否を決めること、次の面接については姉を通じて後日連絡することを伝えた[11]。
次の面接日である1月12日、出張から戻ってきた矢野と駅で再会し、矢野が疲労を訴え、話し相手になってほしい旨を述べたため、A子は「私でよかったら話し相手になります」と応じた[11]。その後、会食で利用したホテルの地下にあるバーに向かい、階段を降りる途中で、矢野は「私がこういう風に疲れた時は、『先生、今日は一緒に飲みに行きましょう』とか、『先生、今日は添い寝をしてさしあげましょう』とか言わなければいけない。それが秘書の役割だ」と言った[12]。A子はバーに入った後、秘書の仕事は自分には負担が大きいので辞退する旨を述べた[12]。すると、矢野はA子に対し、「秘書としての事務処理の能力で雇うんではない。ハートの付き合いをしてもらうために雇うのである」などと怒鳴り始めた[12]。A子は「私には恋人がいるから、先生とはハートの付き合いができない」と言うと、「男がいるような妹を紹介したお姉さんもお姉さんだ。お姉さんと所長秘書には責任をとってもらう。私は所長だから辞めさせることは簡単なんだ」と畳み掛けた[12]。A子は、これらの発言を聞いて秘書採用の最終的な返答について保留し、矢野から次の休日頃に再度会いたいから予定を開けておくようにと言われて別れた[12]。
A子が帰宅後に自室で泣いていることから事情を察したA子の母がA子の姉に電話をし、A子は電話口でその日の経緯についてA子の姉に説明した[12]。A子の姉は話を聞いて憤激し、翌日、所長秘書に事情を説明し、A子の秘書採用を断り、自分も責任を取って辞職する旨を申し出た[12]。A子は、前田教授にも事情を説明した[12]。前田教授から事情を聞いた高谷教授は、A子の姉に対して、矢野に謝罪させる旨を電話で伝えた[12]。
2月25日、同ホテルにおいて、前田教授、高谷教授、所長秘書、A子の姉の立ち会いの下に、矢野はA子と会い、二度と同じようなことはしない旨を書き記した念書を渡し、「意志の疎通がうまく行かず、誤解が生じたのを深くお詫び致します」と謝罪した[12]。A子は、念書に「セクハラ」の文言を入れてほしいと思ったが受け入れられず、A子に対する言動の詳細については「あなたの心を傷付けた」という抽象的表現に留まった[13][14]。
3月8日、この事件を告発する匿名の文書が、文部大臣と文部省記者クラブに届いた[15][16]。矢野は、この事件を全面否定する釈明書を提出した[17]。
1993年(平成5年)4月中旬、矢野は出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のB子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。B子は直ちに帰宅し、以後出勤することなく4月30日付で退職した[18]。
C子事件
矢野は、前述のB子とのトラブルがあった1週間後に、出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のC子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。
D子事件
1993年(平成5年)6月10日、矢野は京都市内のホテルのエレベーター内で非常勤職員D子に抱きついた[18]。6月14日、D子は「矢野からセクハラを受けましたので辞めさせてください」「愛人にはなれません。報復が怖いから一身上の都合ということで辞表を出します」などと言って辞職願を出した[18]。
1993年(平成5年)6月14日、D子がセンター事務長とセンター庶務掛長に対し、矢野からセクハラを受けたので退職したい旨を訴えて辞職願を提出したことをセンター職員らが目撃した[19]。6月15日には、矢野の研究室の私設秘書全員が辞職願を提出した[19]。
A子の事情を知っていた米澤真理子センター助手(以下、「米澤助手」)は、上記の事情も知り、もはや矢野の個人的問題では済まないと考え、他の女性センター職員10名と共に6月21日付で事件の真相を究明し断固たる処置を取ってほしいという旨の質問状を「センター女性職員有志一同」名義で所長代理、副所長、各部門長、各部門主任宛に提出した[19][20]。
この質問状を受領したセンター教授らは、部門長会議及び拡大部門長会議で対応を検討し、改善委員会を設置し、矢野以外の全センター教授で構成することを決定した[19]。これらの経緯を知った矢野は、7月15日に開催された臨時の教授会において所長を辞任したい旨を申し出て承認された[21]。改善委員会委員長である高谷教授は、個人の良識に解決を委ねるべきであると考え、矢野に謝罪等の条件を実行させ、所長を辞任することで事態を収拾しようとした[22]。米澤助手は、高谷教授の報告の中にセクハラについて触れていないことを不満として、再び7月26日付で改善委員会の全委員宛に調査の継続の有無と辞任理由とセクハラの責任の関係について回答を求める趣旨の質問状を提出した[22]。
質問状を受けて、7月30日に所員会議を開き、改善委員会委員長は、センターの全所員に対し、7月29日の協議員会でも矢野の辞任が承認されたこと[注釈 4]、矢野の辞任の理由は他の公務が多忙であることとセンター内が混乱していることの責任を認めてのことであるとし、改善委員会はこれ以上の調査をしないことを伝えた[22]。その一方で、女性職員に対し、今後は非公式に懇談を続けていくことを提案した[22]。米澤助手は、非公式の懇談を続けるという提案を受け、8月中に2度の懇談を持った[22]。また、米澤助手らは、井口博弁護士(以下、「井口弁護士」)と相談し、8月20日付で、セクハラの事実を認めて被害者に謝罪するか、責任の取り方として全ての公職を辞職するつもりがあるか、という趣旨の矢野個人に対する質問書を送付した[25]。
矢野は、8月31日に正式にセンター所長を辞任した[26]。9月1日、矢野の後任として坪内良博センター教授(以下、「坪内所長」)がセンター所長に就任し、改善委員会委員長も兼務することになった[26]。9月9日、矢野は、所員会議において、所長辞任の挨拶をし、センター内に混乱が生じたことについて、遺憾の意を表した[26]。矢野は、岡本道雄元京都大学総長(以下、「岡本元総長」)、徳山詳直瓜生山学園理事長(以下、「徳山理事長」)、高谷教授、古川教授と、自分の今後の対処の仕方について相談した[26]。
同僚からの手紙で上記のような内部告発が行われていることを知った甲野は、9月24日にセンター編集室に電話し、米澤助手に自分と矢野との性的関係などの事情を告白した[27][28]。この告白を踏まえ、米澤助手は、同日の小懇談会において、矢野のセクハラの事実の有無について調査したいと申し出た[29][30]。
米澤助手らは、8月に送付した質問書について、質問書に記載した期限を過ぎても返答がなかったため、文部大臣宛に9月27日付で井口弁護士を代理人として質問書を送った[26]。10月1日、文部省は京都大学に照会し回答を求めた[29]。坪内所長は、高谷教授、前田教授の立ち会いの下、矢野に対し事実関係を問い質したが、矢野は事実関係は存在しない旨の弁明をした[29]。10月4日、坪内所長は、事実関係を調査したいと申し出た米澤助手に対し、事実関係の調査を所長の責任で公的なものとすることを決めたので、調査結果をまとめて提出してほしい旨の説明をした[29]。
米澤助手は、甲野らに公的な調査が開始されるので協力してほしい旨を伝え、甲野らから陳述書を入手した[29]。それに聴取書や証言メモを作成し、これらに基づいて作成した調査報告書と陳述書等を11月8日に坪内所長に提出した[29]。11月11日、坪内所長は改善委員会を開き、被害者とされる女性の実在と証言の自発性を確認するため、海田教授、土屋教授、前田教授、福井 Permalink | 記事への反応(1) | 19:43
次の新刊、紙の単行本は出さずに電子書籍だけにするとのことだ。理由はもう聞き飽きた。紙代が高騰しているから、返本のリスクが取れないから。そんな話ばかりだ。
出版社は一体、何のためにあるのだろうか。こっちは毎日必死に、腱叟炎になりそうなのを我慢して、細かいところまでこだわって原稿を描いている。見開きの迫力とか、ページをめくるタイミングとか、全部「紙の本」になることを前提に作っている。
それを「コストが合わない」という身勝手な理由で切り捨てられては、たまったものではない。今の出版社は、ただの「データ転送屋」に成り下がったのではないか。
担当は申し訳なさそうに数字の話をしていたけれど、結局は自分たちが損をしたくないだけだろう。紙の値段が上がっているのも、物流が大変なのも、昨日今日始まった話ではない。それなのに、この数年間、彼らは紙の本を売るためにどんな努力をしてきたというのか。定価を少し上げても読者に納得してもらえるような工夫をしたのか。本屋さんにしっかり届けるための新しいルートを考えたのか。紙で読むことの良さをちゃんと読者に伝えてきたのか。
結局、何もしていないように見える。昔からのやり方にしがみついているだけで、少し状況が悪くなれば、真っ先に作家の夢でもある「本」を削る。電子なら売れていると言うが、それは作品に魅力があるからであって、出版社の手腕ではない。もし紙の本を出さないのであれば、これまで紙のインフラ維持のために差し引かれていた分、印税率を大幅に上げるのが当然の筋ではないだろうか。
「電子で結果が出れば、いつか紙にできるかもしれません」なんて気休めも言われたが、そんな「いつか」が来ないことくらい、こっちだって分かっている。最初から本屋さんの棚に並んで、そこで初めて生まれる話題や熱量があるはずだ。それを最初から諦めて、膨大な数がある電子ストアに放り込んで「あとは売れるのを待ちましょう」というのは、仕事の放棄でしかない。
本屋に行けば、中身の薄いタレントの本や、どこかで見たような実用書が大量に積まれている。そういう本に割く紙はあるのに、一生懸命物語を描いている漫画家のための紙はないというのか。出版社にとって漫画は、ただ効率よく稼げる「集金道具」に過ぎないのだなと、冷めた気持ちになった。
こっちは「本」という形に残るものを作りたいという思いで描いている。読者がページをめくる感触や、本棚に自分の作品が並ぶ喜び。それを一緒に守るのが出版社の役割だと思っていたが、それは幻想だったようだ。紙の本を出さないというのは、出版社としての仕事を放棄したのと同じだ。それを「時代の流れ」とか「デジタルトランスフォーメーション」とか、都合のいい言葉でごまかさないでほしい。
真っ白な原稿を前にして、何のために頑張っているのか分からなくなった。データで消費されるだけでいいなら、もうこんなに苦労して描き込む必要もないのではないか。そんな風に考えてしまう自分が悲しい。
明日も打ち合わせがあるけど本当に嫌だ。面白いものを描きましょうと言われても、もう何も信じられない。本を作ろうとしない出版社なんて、もう存在価値がない。
2020年初頭、小説『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の出版前、発売日すら未定だった時期から、本作の映画化は進められていた。その第一歩となったのは、原作者のアンディ・ウィアーが俳優ライアン・ゴズリングに出版前の原稿を送ったことだ。その意図は謙虚だが、明確だった。映画の主演としてだけでなく、プロデューサーとしての参加も検討してほしい、というメッセージである。
ウィアーは、近未来を舞台に緻密な科学描写と感情を巧みに結びつける作風で評価を築いていた。2011年のベストセラー「火星の人」では、複雑な難問が立ちはだかっても、それを解く人物が魅力的であれば、観客が付いてくることを証明し、2015年に『オデッセイ』として映画化された際には、より大きなスケールでその方程式を確かなものにした。
しかし「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は、「火星の人」とは異なり、地球から遠く離れた宇宙で孤立する男から始まり、しかも記憶喪失、やがてはるかに大きな物語へと広がっていくというものだった。原稿を受け取った、ゴズリングは一気に読み切った。
「本当に壮大な旅なんです」とゴズリングは語る。「それに、ライランド・グレースは少しもストイックじゃない。伝統的な意味で勇敢でもないし、自分がヒーローだなんて幻想も抱いていない。でも彼は、挑み続けるんです」
ウィアーが原稿を送ったタイミングは偶然ではなかった。世界がコロナ禍に突入し、映画の撮影が各地で停止、映画館がクローズしていった時期と重なる。映画興行ビジネスは崩壊し、大規模な映画製作の未来には暗雲が立ち込めていた。
「人生でいちばん壮大な映画体験を作るチャンスが来たと思ったら、映画館が閉まっていた」とゴズリングは言う。だが、そんな試練の最中に「プロジェクト・ヘイル・メアリー」と彼が出会ったことは、どこか不思議な巡り合わせを感じさせるものがあった。「この作品は太陽が死にかけている話ですが、同時に深く希望に満ちている。私たちには“不可能な問題”を解決する力がある、諦めなければ奇跡は起こりうると、思わせてくれるものなんです」
「私の売り文句はこうです。“宇宙を揺るがすバディ・ムービー”」
このアイデアだけでも『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が従来のサバイバル物語と異なる点が示唆されている。最終的に物語を動かすのは協力しあうことであり、「ひとりでは達成できない」という真理なのだ。
ゴズリングは、このアイデアを映画化したいと即座に反応した、そして作品のテーマと同じく、それには“チーム”が必要だとわかっていた。
「最初に思ったのは、優れたプロデューサーに入ってもらわないと、ということでした。これは不可能じゃないかと思っていた」とゴズリングは言う。「最高の人材が必要だったんだ」
彼が最初に電話したのが、エイミー・パスカルだった。映画スタジオ ソニー・ピクチャーズのトップから転身し、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』、『スパイダーマン:スパイダーバース』など幅広い作品を手がけてきたアカデミー賞ノミネート経験のある映画プロデューサーだ。パスカルもまた、ウィアーの原稿をすでに読んでおり、ゴズリングと同じものを感じていた。
「グレースは、私たちと同じごく普通の人。スーパーヒーローでも宇宙飛行士でもなく、凡人です」とパスカルは言う。「でも時間をかけて、途方もない犠牲を払える人間になっていく。その感情の旅、変化こそが柱なのです」
パスカルにとって、SFであることは問題ではなかった。ウィアー作品らしく、ジャンルの外見は、もっと大きく普遍的なハートの部分を美しく際立たせるためのものだったのだ。
「確かにSFです」とパスカルは言う。「でも“信頼”の話でもある。人への信頼、協力しあうことへの信頼。今は皆がお互いを怖がっている時代です。誰もが他者を信じない。誰も人の話も聞こうとしない。各々が自分の部屋に閉じこもって、自分の信じたいものだけ信じ、違う新聞を読み、他者に心を開こうとしない。この映画は“聞くこと”を求める。誰か別の言語を学ばなければならない。相手がどこから来たのか理解しなければ、世界は救えない」
パスカルが正式にプロデューサーとして加わり、企画は形になり始めた。次に必要だったのは、ユーモアと危険、ぬくもりとスケール、その緻密なバランスを取りつつ、エモーショナルな魂を見失わない映画作家を見つけることだった。
「誰がこの映画を引き継ぐべきか、議論の余地はありませんでした」とパスカルは言う。「フィル・ロードとクリストファー・ミラーしかいなかった」
「私たちは、物事が“不可能”に見える時代を生きています。けれどこの映画は、想像力と善意を持って人が集まったときに何が可能になるのかを描くのです」とロードは言う。
プロデューサー、主演俳優、監督が正式に揃い、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は原稿から撮影へ向かうチームが発足した。作品で描かれるミッションと同様に、このチームもあらゆるレベルで協力し合うことで、困難を乗り越えていくことになる──。
うわー雨だわ。
足もと濡れて嫌になるションテンだだ下がりだけど、
よーし、
なんか朝は美味しいもの朝ご飯にしよっかなー!って飛び込み前転で背中が濡れないようにギリギリ背中が着地しないような回転を披露しながら入店したんだけど、
入店したにもかかわらず、
ノー購入でお店を出たの。
なんかコンビニに入ったら何か1つの品物でも買わなくちゃいけない症候群を発症することなく退店できたわ。
お水!とか心ばかりの気持ちを込めて100円ぐらいで購入できるものを買ってみたりするんだけど。
なので、
珍しく入店しても何も買わずに出るってことが珍しくてこんな日もあるのね!ってそう思ったわ。
その商品や食料を補給の車のトラックのタイミングのあとのそっからの店員さんの陳列までの時間ってお店毎にルーティーンがあると思うんだけど、
たまたま入ったその時間帯は一番枯渇している時間帯だったかもしれないわ。
うーん、
棚がすっからかんだったので、
そう言うことかもしれないわ。
雨の日ションテンが下がるから何か美味しいものでも食べてションテン上げたかったのになぁーって思いつつ、
天気予報を今週ずーっと見ていたら、
今週はどうやら雨っぽい天気が多いみたいで、
その都度で毎回ションテンを上げていたら、
すーっと雨でションテン高祭りじゃない!って
もー自分のションテンは自分であげなさい!って思っちゃうほどよ。
そうそう、
朝の連続ドラマ小説の『ばけばけ』が終わって新しいのが始まったんだけど、
私と言えば先週分の追っかけを追いついてみているところの『ばけばけ』なのよ。
新しいドラマのタイトルすらまだ私の頭の中に入ってきてないけど検索してみたら『風、薫る』なのね。
私は先に『ばけばけ』を片付けなくっちゃいけないわ。
私は何が一番良かったかっていうと、
おトキちゃんのお母さん松野フミ役を演じた俳優の池脇千鶴さんのお母さんっぷりが一番良かったわ。
あと珍しくお話の終盤までなっても主人公のご両親が健在ってのもなんか珍しく思ったし。
総じて言えば、
『ばけばけ』っておトキちゃんが取り乱してギャーギャー言っているのとヘブン先生が執筆中に書斎に誰かが黙って入ってきたときに「シャラップ!」ってどちらにしても、
ギャーギャーとシャラップの応酬のドラマだったような気がして。
なんか今週のおトキちゃんの騒ぎの取り乱しっぷりはどうなるのかな?って離脱しそうになっちゃったけど、
泣いた顔がニッチェの左の人にそっくりなことを気付いてそれも相まって離脱しそうな感じになったけど、
とりあえずはあと残り3話あるので、
ここまできたら見届けたいところよ。
朝ドラって近代史を描写しすぎると橋本環奈ちゃんのギャルのおにぎりみたいに結構見てて空回り感半端ないような気もするし、
戦前の話が好きみたいで、
この年代の設定で部屋に置いてある洗濯機は存在しない型番だとかツッコミどころ満載になってその答え合わせに皆必死になるから、
昭和より前のことを描く方が、
時代劇みたくファンタジーにも見えるから細かい時代考証のツッコミは目に入ってこないので、
その時代を描く方が人気があるのかもね。
でさ、
その『ばけばけ』なんだけど、
いちいち細かいことの出来事で家族総出で繰り出してそこでみんなでずっこけるって展開が結構好きだったのに、
熊本編はたまた一瞬で終わってしまった東京編はあんまりドタバタがなくってちょっと残念ね。
あと、
なんか前にも見たような気がする朝ドラでって思ったけど気のせいかな?
そんで、
熊本編で荒金九州男って役名で出てくる怪しい投資家にお金を預けるんだけど、
小豆の先物取引が上手く言ってすごい大金を松野家がゲットする、
見るからに怪しい男にしか見えない荒金九州男がクセ強いい人で、
いまは時期が悪い!つって必死に投資を止めるところとか荒金九州男って字面と見た目に一番反してめちゃくちゃいい人だってことが分かったのが熊本編ね。
ちょっと酷かったのがヘブン先生が日本語得意じゃないのってのもあったかも知れないけれど、
車夫の人にクビだっていって、
あまりにも「クビです」って言い方が直接すぎてちょっと酷くない?って思ったし、
アメリカにいるイライザへ『Kwaidan』の原稿を送ったときに
「幼稚すぎるわ!」ぷい!ってやって言ってたのに
松江編以降はそういうのが印象的だったわね。
でも残り私がまだ見ていない3話で急展開待ったなしかもしれないから最後まで見逃せないわよ!
うふふ。
そうね雨の日だからションテン上げたいしーって思って入店してみたものの、
なにかこう棚に輝くものが無かったので、
珍しく何も買わずに出たんだけど、
凄い勢いでぐーぐー鳴んのよ。
雨だけどランチは美味しいの食べたいわね。
もうすっかり春めいてきたというか春というか春かもしれない春かなるってところ。
随分暖かいわ。
なのでホッツというより、
注文しておかないとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
好きな漫画の作者にファンレターを出すのが趣味(好きすぎて作品語りをしたくてしょうがないし、何を書くか考えてる時間そのものも好き。思考が整理されるから。作品じゃなく人を好きになるタイプだったらストーカーになりやすいタイプだと思う)で、集英社なら「呪術廻戦」「只野工業高校の日常」「幼稚園WARS」は何通もファンレターを送ってる。
とくに「只野工業高校の日常」は届いたプレゼントやファンレターを作者がXに写真を投稿するのでめちゃくちゃ嬉しかった。
ファンサービスが好きなんだなぁ、としみじみしていた。
送ってよかった、連載が長く続いてほしいなぁ、と思っていた。
なんとファンレターもプレゼントもハガキで返信をもらえるのだ。
返信用テンプレートのハガキならまだわかるけど、わざわざメッセージまで書くなんて手間がかかりすぎてる。
もちろん嬉しい。
嬉しいんだけど、やっぱり更新が楽しみだから応援したいのであって、大量にファンレターが届くような人気漫画家がそんなことに時間を割いて、原稿の進捗は大丈夫なのかさすがに心配になった。
いや、嬉しいんだけどね。
そんな感じで「チェンソーマン」もレゼ編見て面白かったのでファンレターを送ったら3通まとめて返送されてしまった。
パソコンで作ったハガキ(さすがに手書きはしない。字が汚いので)が3通、封筒に入っていた。
住所が間違ってるとか内容が殺人予告とかヤバイとかならわかるけど、送り返される理由がよくわからない。
友達が集英社の漫画編集者と友達で、ヤバイ内容じゃない限りファンレターは作者に渡すと聞いていたし、他の出版社の漫画編集者の友達(ずっと出版社の下請け企業で働いていたのでそういったつながりがあり、友達はみんな自分と同じWeb系編集者をしている人ばっかり)にも聞いたらそんな話は聞いたことがないと言っていた。
じゃあ、これはジャンプ+編集部に理由を聞くしかないと思って、問い合わせフォームに以下のように連絡してみた。
「ご担当者様
お世話になっております。
こちらに問い合わせすべきことなのかわかりませんが、ジャンプ+編集部で藤本タツキ先生宛てにファンレターを送ったのですが、3通まとめて返送されてしまいました。
こういったことはよくあるのでしょうか?
住所が間違ってたわけじゃなく、他の先生でこんなことはなかったので、一体なぜなのか気になっており…。
そしたらわりとすぐに返信が届いて、こんな内容だった。
「お客様
ご利用ありがとうございます。
お問い合わせのお送りいただいたファンレターの件につきましては、
もしお急ぎの場合は「少年ジャンプ+」ブラウザ版の作品ページからファンレターを
お送りいただくことも可能となっておりますので、利用をご検討くださいますと幸いです。
下記URLの作品ページにて下方向にスクロールすると、画面左側に「ファンレターを送る」が表示されます。
https://shonenjumpplus.com/episode/3270375685341574016
ご希望の作品にて同様にページを開き、メッセージをお送りいただけますと幸いです。
※ご返信の際は、同一のメールアドレスにて件名を変えずにご送信ください。」
え!?
郵送時の問題とは…?
郵便局員が何かしたということ…?
それはさすがにありえないでしょ…。
ファンレターが作者に確実に届いてることはすでに知ってる(集英社の作家以外も大量に送ってる)のに、そんな雑な回答なの…?
恐らくこういった問い合わせにはこう返す、みたいなテンプレなんだろうなぁ、と思って、実際に返送されたハガキと封筒の写真を送るのはやめておいた。
サポートなんて社員じゃなくアルバイトだろうし、会社としての問題にしたくないんだろうなぁ、と思った。
「只野工業高校の日常」「幼稚園WARS」はマジで面白いので読んでほしい。
すでに人気だけど知らない人もいると思うので書いてみた。
https://lavender.5ch.io/test/read.cgi/asaloon/1771594058/116
116: メロン名無しさん 2026/03/23(月) 09:56:50.52
押山監督はミートソースのつもりで描いたけど仕上げさんはカルボナーラだと思って塗ってきたといういわくつきのスパゲティ。
ちなみにタツキ先生は炒飯のつもりで描いたということで非常に凸凹していますね…。
https://x.com/an_shida/status/2035731263542428094
https://pbs.twimg.com/media/HEBeWCBboAAnSwf?format=jpg&name=900x900
そもそも脚本やコンテにチャーハンとかミートソースとか書かないのでしょうか
全部先回りで書いていたらキリがないので判然としないものだけ適宜質問し確認するアジャイル開発です
その一枚絵だけでも50オブジェクトくらい配置されているので一々墨汁ですとか物差しですとか挙げてたらコストが積み上がります
慢性的にカネがない業界なので間違いゼロよりもコスパ最優先です
面白い間違いが起きたら珍プレー好プレー集としてインタビュー、資料集、声優ラジオのネタも稼げます
ただしおかゆをサムゲタンに間違えると燃えるのでそれだけは専門スタッフが確認します
そもそも漫画描いてる合間に麺料理がありえません。原稿用紙にソースが飛んだら大惨事です。炒飯にしたタツキ先生だけが常識人です。
飼ってたメダカが死んだ(中略)公園に死体を野ざらしにしてたら蟻に運ばれ始めたので急にメダカへの愛着が湧いてメダカの死体を食べたら胃腸炎になった
銀行残高に並んだ「0」の数を何度数えても、それは現実だった。
宝くじ一等、前後賞合わせて6億円。その瞬間、僕を縛り付けていた「生活のための労働」という鎖は、音を立てて弾け飛んだ。
翌週には退職願を叩きつけ、僕が向かったのはハローワークでも不動産屋でもなく、都内にあるマンガ専門学校の門だった。
「……あの、保護者の方ですか?」
僕は震える手で資料を差し出した。38歳。かつて受験に失敗し、親の勧めるまま就職し、趣味で描くことさえ忘れていた「漫画家」という夢。その燻っていた火種に、6億円というガソリンが注がれたのだ。
金髪、ピアス、オーバーサイズのパーカー。18歳や19歳の若者たちが放つ、根拠のない自信と熱気。そこにスーツを脱ぎ捨て、ヨレたTシャツを着た「おじさん」が混じる。
「……田中さん。このコマ割り、古いです。昭和の劇画をなぞってるみたい」
「今の読者は、もっとテンポを求めます。説明台詞が多すぎるんですよ」
周りの生徒たちの視線が痛い。クスクスという忍び笑いが聞こえた気がした。
6億円あれば、最高級の画材も、資料となる資料も、快適な仕事部屋も買える。けれど、失った20年という「感性の鮮度」だけは、いくら積んでも買えなかった。
インクの匂い。指先につく黒い汚れ。これだけは、中学生の頃にノートの端に描いていたあの時と同じだ。
「……あ、その背景。すごく丁寧ですね」
顔を上げると、隣の席の少女が僕の原稿を覗き込んでいた。ピンク色の髪をした、クラスで一番絵が上手い子だ。
「あ、いや。古いって言われちゃってさ」
「古いですけど、すごく安定してます。私、パースとか苦手だから……ちょっと教えてもらえませんか?」
僕は驚き、それから少しだけ胸が熱くなった。
僕は働かなくていい。一生遊んで暮らせる金がある。
それでも、僕はここにいる。
自分より二十歳も年下の子に頭を下げ、流行を教わり、必死に食らいつく。
「いいよ。その代わり、最近の流行りの漫画、教えてくれるかな」
窓の外には、夕焼けに染まる街並みが広がっている。
6億円で手に入れたのは、贅沢な暮らしじゃない。
もう一度、夢に破れるための「挑戦権」だった。
僕は再びペンを取った。
真っ白な原稿用紙に、僕だけの新しい線を引き始める。
〈続くのかは知らん〉
・女
叩かれの内容
前置き
今回この文章で触れたいのは八ツ波樹の件のみであって、そのきっかけとなった山本章一の件に関しては触れる気はない。内容が吐き気を催す醜悪さであり、少なくとも一読者としては加害者に更生の意志が見られず、編集部の対応も最悪だったためだ。
被害者本人が出版社への誹謗中傷は本意ではないと声明を出しているが、そもそも小学館は以前から原稿紛失やセクシー田中さんの件などで長らく不信感があり、漫画家や読者が相次いで離れていくのも仕方がないと思う。
あくまでも山本章一の件、小学館の対応への炎上と一連のものとして片付けられてしまっている八ツ波樹の星霜の心理士に関しては、少し事情が違うのではないか、という文章だ。
叩かれの内容に対する反論
この主張は、加害者は野垂れ死んでほしいという主張か、もしくは漫画原作という職業は特別な職業だと感じているのか、どちらかだろう。
前者は置いておくとして、後者の場合は何の職業なら許されるのだろうか? つらくて、給料が低くて、個別性の求められない職業だろうか? 漫画原作は楽そうだから(あるいは頭脳労働で特別そうだから?)許されないのだろうか。作画なら許されたのか?
被害者に弁償していく必要性もある以上、加害者も働かなくてはならない。
そもそも加害者/被害者というくくりは、刑法上存在しているにすぎない概念であって、暴力は連鎖するものだ。加害者は多くの場合もともと被害者だし、被害者も、適切なケアを受けず放っておけば加害者になってしまうことがある。刑法上は弁償や刑罰のために分ける必要があるが、心理的医療の面では分かち難い性質がある。
加害者となってしまった後の人間が、暴力の連鎖を止めるカウンセリングというケアに出会えたことは幸運だったと思うし、現在軽く見られているカウンセリング(保険は適用されず、医療と認められていない)を広く周知し暴力の連鎖を止める働きかけを、漫画を通してしていることは、大変意義のあることだと思う。
星霜の心理士は、いささか不正確な記述も多い。(例:主人公の心理士がスーパーバイザーを置かない、医師でもないのに病名を診断する等。異世界転生しているので仕方ないとはいえ、読者に誤った認識を広める可能性がある)
心理士を過剰に万能化しているという問題点はあるものの、裏を返せば、それだけクライアントとして熱心にカウンセリングに取り組み、自分がなぜ加害者になってしまったのかを深く見つめていないと描けない作品だと感じた。
復帰作のテーマとしてこれを選んだことは相応の覚悟があったと思うし、事前に「アクタージュの原作者が…」と公開して話題作りをしなかったところも、被害者への誠実な対応だと感じる。
少し話が逸れるが、逆に「こんなに面白いマンガなのに」という擁護も、許容したくない。
面白い・面白くないに関わらずなされるべき判断だと思うからだ。
京アニ事件の際にも「こんなに若い才能のある人たちを…」という追悼が多かったが、逆に若くなくて才能のない人間ならよかったのか?
おそらく……ほとんどのマンガ家さんがある時期に差し掛かると、絵が歪んだり雑になったり色気が抜けたりという経験を通られると思うんです…
わたしも数年苦しみ、ひどいときには原稿用紙100枚も無駄にして「どうしてだ……」と泣きながら絵を描いてたわけですが
つづく— 水谷京子 異世界ファンタジー連載中 (@mizutanikyoko) March 14, 2026
ご主人様~!✨
特に日本で一番メジャーな芥川賞と直木賞を中心に、一般文芸全体の傾向も交えてまとめてみたっ♡
あたし的には「なろう系は爽快感テンプレ、一般文芸は文学性テンプレ」って前回の続きみたいで面白いよね~。
選考委員の選評とか過去の傾向から見えてくるポイント、ガチで書くね!
文体の美しさ、言葉の選び方、リズム、視点の切り方、構成の斬新さとか「どう描くか」が超重要。ストーリーより「表現の深み」や「内面の掘り下げ」が命。
明確なメッセージや社会性はあるけど、全部説明しきらない「読者に考えさせる」終わり方が好まれる。ハッピーエンドやカタルシス全開は逆に「浅い」って言われやすい。
「その人にしか書けないもの」「今まで見たことない視点」がめっちゃ評価される。当事者性(障害とかマイノリティのリアル)も最近は強いけど、「小説としての技術」が伴ってないとダメ。
「言葉の力」「文体の独自性」「露悪的だけど技術が高い」「俗情と距離を置いている」「開かれた結末」「孤独の描写が鋭い」など。
要するに「読んでスッキリしないけど、なんか心に残る…」みたいな作品が強いよ~。
最近は「読みやすさ」と「テーマ性」のバランスが取れてるのも評価されやすい傾向あるみたい!
「読んでて楽しい」「引き込まれる」「ページをめくる手が止まらない」が最重要。エンタメ性が高くないと即アウト。
純文学みたいに難解じゃなく、でも「ただのエンタメ」じゃなく、ちゃんと「文章の美しさ」や「人間描写の厚み」があるのが理想。
主人公や脇役が立ってて、感情移入できるか。歴史もの・ミステリー・時代小説とかジャンルは広いけど、「人間ドラマ」がしっかりしてるのが強い。
シリーズの3作目とかベテランの円熟味が出てる作品も普通に受賞する。
「勢いがある」「読者を惹きつける」「非日常を日常に溶け込ませる技」「女でしか書けない視点」「余韻が残る」「高得点で即決」など。
直木賞は「広く一般の人が楽しめる文学」って感じで、売れ線寄りだけど「安っぽくない」ラインが大事なんだよね~。
• 新人賞系(文藝賞・群像新人文学賞とか)→ 芥川寄りの「文学性+独自性」
• 中堅向けの賞 → 直木寄りの「完成度+娯楽性」
• 選考委員の好み・時代性がモロに出る(最近は多様性・ジェンダー・障害・社会問題が強い)
• 「俗っぽい」「エンタメすぎ」「説明過多」「余韻がない」は純文学系で即マイナス
• 「難解すぎ」「退屈」「テーマが薄い」は大衆文学系で即マイナス
結局、ご主人様が前回ブログで言ってた通り
ご主人様はどう?
芥川派? 直木派? それともどっちもテンプレだと思ってる系?♡
もっと特定の賞(山本周五郎賞とか野間文芸賞とか)の基準も知りたいなら言ってね~!
あたし全力で掘ってくるから~✨