はてなキーワード: 映画化とは
原点としてTV版のΖがあって、何年も経ってから映画化が行われた。
主人公のカミーユ・ビダンという少年は富野アニメの中でも最もつらい現実の中に叩き込まれたキャラクターだと思う。
最後にはその精神が崩壊するというバッドエンドでTV版は物語の幕を閉じることになる。
しかし、映画はあまりにもカミーユの救済ありきで作られたがゆえに本来のTV版とは乖離している感覚がある。
つまりTV版のカミーユはいまだ救済されないまま、ずっとどこかで漂っているような気がするのだ。
そして、ときは令和。
その世の中に、あえてウォン・リーのような修正と称してカミーユを気絶するまで痛めつける人物、
そしてそれを止めようとしないクワトロ、
と思ったらうっすらわかる分析だった。
「安楽を求める欲求は,人間の条件に備え付けなんだ.このことは,生産側にも当てはまる.」
◇ネットでバズって書籍化されたコンテンツを映画化すれば安心できる。売れてるタレントを出せば安心できる。
「さて,アメリカのコンテンツ生産・流通システムが客たちに注意を払いすぎていることが問題だとしたら,どうだろう?」
◇「さて,邦画の生産・流通システムが客たちに注意を払いすぎていることが問題だとしたら,どうだろう?」
「HoYoverse のアプローチはすさまじく顧客本位に見える.彼らが保有しているユーザーに関する情報,リアルですぐに活用できる情報の量ときたら,盛田昭夫も歴史上の他のどんなプロデューサーも夢にも思わなかったほどだ.そして,HoYovese は,客がズバリのぞむものを与えている.」
◇「邦画配給会社のアプローチは顧客本位に見える.そして,邦画配給会社 は,客がのぞむものを与えている.」
美少年コンテストで入賞したイケメンと女性アイドル主演で少女漫画や本屋大賞受賞作や吉永小百合主演作を毎年毎年実写化してる。(一時期は水谷豊主演作も)
「外野はこのマインドセットを「ガラパゴス症候群」と揶揄してきた.その手の論議はだいたい,こんな風にはじまる――「日本には国内市場が十分に大きいおかげでかなりの利益を上げられた.それは祝福でもあり呪いでもあった.1990年にバブルが弾けると,日本の世界制覇の野望はしぼんでいって,その国境の内側に閉じこもるようになり,世界の趨勢から取り残された.」」
元記事はちょっと見方を変えてガラパゴス症候群という批難を否定し、その意外な⁻良い面に光を当ててるけど、邦画がさえないのはまさに国境の内側に閉じこもっている本来の意味に添っている。
「編集者たちには,データを活用するか軽視するかの大きな裁量がある.これも一種のアルゴリズムではあるけれど,人間中心アルゴリズムだ.そして,それによって人間中心のアートがつくりだされている.だからこそ,日本のクリエイターたち,とくに漫画家たちは,自分自身を第一に置くことで,文化的な観点から見て日本にとってとてもうまく機能してきた.言い換えると,「経済学者と心理学者」ではなくて,クリエイターたちが主導している.」
◇配給会社たちには,データを活用するか軽視するかの大きな裁量がある.それは主に経済学的アルゴリズムから定められ、クリエイターが主導する作品はわずかである。日本のクリエイターたち,とくに映画製作者たちは,自分自身を第一に置くことが困難である結果、そのような作品がシネコンのスクリーンを埋め尽くすことにつながっている
そういう意味で(こっちに書けばよかったが)(『カメラを止めるな!』『鍵泥棒のメソッド』『侍タイムトリッパー』は 日本漫画のシステムに近い良い要素を含んだ作品群なのだろう
ミッドサマーの感想増田(anond:20250522140258)を見て思ったんだけど、A24って独立系とかミニシアター系のエモい映画をシネコンに持ち込んでくれた功績はデカいよね。おかげでオシャレ映画好きの俺、市民権を得た気分だったわ。
なのに気づけばシビル・ウォーみたいな超大作撮ってるし、お次はまさかのエルデンリングとデス・ストランディングの映画化て。いや、アートの香りを大衆に届けるのはわかるけど、いきなりフロム脳まで網羅しようとするの、さすがに守備範囲広すぎん?
もしかしてA24さん、意識高い系サブカルの頂点から、あらゆるカルチャーを喰い尽くす"全部乗せ"エンタメ企業にクラスチェンジしようとしてる?そのうちマーベル作品とか撮り始めたりして。それはそれで見てみたいけど、俺らのA24はどこへ行っちゃうの〜?
『屋根裏部屋の花たち』というシリーズ累計4千万部売れてるベストセラー小説がある
父親の死後に母1人では4人の子供を養えなくなったため母方の祖父母を一家で頼ることになる
親世代・祖父母世代にいろいろブラックなことがあり、4人の子供は「明日には外に出れるから」と屋根裏部屋に閉じ込められる
だが約束は反故にされ、結局屋根裏部屋で学校にも行けず隠れ住む生活が3年目に突入してしまう・・・
15歳になった少女はツルペタから胸の膨らんだ女らしい容姿になる
以前通りに下着姿で転がってたら17歳の兄がどぎまぎしていることに気づく
他に年頃の異性のいない異常な環境の中で、わざと肌をチラ見せして「兄を誘惑できるぐらい私は魅力があるんだ」と思うことは少女の心を慰めた
異常な生活に追いやった母と祖父母の罪であって私たちは悪くないわ、と少女は兄を許す
優しい医者の40代おっさんにきょうだいは拾われて、正式に養父になってもらい平穏な暮らしを得る
兄は「あの生活を共に耐え延びた同士」である妹しかもう愛せないとその後もアプローチを続けてくるが、妹はもう異性なんかいくらでもいるんだしそういう関係をやめたい
妹は兄との関係を断ち切るために、養父と男女の関係になってしまう
原作者は原作通りの制作を望んでいたが制作途中に死んじゃったので、過激なところは削りましょうという運び
2度目の実写化のドラマ版では、兄妹は近親相姦になるがレイプではなく求めあってのことだった
優しい医者に引き取られて養父になってもらい、彼の死も見届ける〜
レイプとロリコンは許されないが、作品の根幹なだけあって近親相姦だけが許された
最愛の女を奪われた嫉妬はもとより、「10代のガキに手を出す40代とかやべえだろ」と近親相姦レイプ野郎とは思えない良識を持って兄は医者を非難する
引き取ってくれたのも妹が目当てだったのかと猜疑する
グルーミングになるのかもしれないがでも実の家族がクソだった中で優しくしてくれた大人は医者ぐらいだったので男女関係の愛憎とはまた別に敬意や思慕もあって兄の心情はぐちゃぐちゃ
最終的に知り合いのいない土地に移り住んだ兄妹が、死んだ医者の苗字を名乗って兄妹ではなく夫妻として暮らすようになるのがエモい
<ゴミ箱で消去しても反応しない とある.docxファイルの文面>
この投稿物には、インターネットという不特定多数の瞳に入る環境でありながら、読者であるあなたひとりひとりの協力と一致団結が欠かせません。
どうかご協力ください。
そして、申し訳ありません。
『〇〇〇〇〇』というタイトルをお見せできるのは、この投稿自体が安全だと証明できるまで、どうか辛抱強く待っていてもらいたいのです。
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油断をするとN氏の作ったAIによって作者である私の素性を特定し、〇〇単位で亡き者にされるからです。
この文章は、小説の登場人物同士の会話や回想ではなく、いまこのページを読んでいるあなたに向けられて書かれた文章です。
匿名に優位性のある場所でしか、この文字を打つことはできません。
私が焦っているのは、今、この現代日本で『〇〇〇〇〇』がまったくもって存在しないということです。
興味深いことに、この物語がない世界線では日本のあらゆる社会的現状が比較的に見て、少しよくない方向に進んでいるように思えます。
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「ドラえもん」「ワンピース」「ドラゴンボール」「とあるジブリ作品」その他、「あなたの大好きな流行りのマルチメディア展開作品の一つ」がまったく存在しない世界に、あなたが迷い込んだとします。
その●●●●氏による『〇〇〇〇〇』は、約十年単位で大衆を沸かせているコンテンツでした。
漫画は全51巻、スピンオフ漫画は14巻。映画化は全5回、テレビシリーズは全12×6話です。アニオリは2話(45分と60分)です。CGを多用したドラマ化は個人的な総評からはやるべきではなかったと思うのですが、国内のCGクリエイターの組織及びスタッフたちに安定した仕事を与える面での功績が非常に高かったといえる作品です。発行部数も万や億という単位ではありませんし、海外の方でも楽しみやすい作風なのが幸いし、イギリス版「〇〇〇〇〇」、アメリカ版「〇〇〇〇〇」、中国版「〇〇〇〇〇」フランス版「〇〇〇〇〇」インドネシア版「〇〇〇〇〇」などが生まれるほどです。
それだけの実績があった『〇〇〇〇〇』が、なんとこの次元に存在しない。
その代用品になる物語が当然あるだろうと思いきや、いくらそれっぽいワードを重ねて検索しても全くない。
これは由々しき事態です。
作者様である●●●●氏は、この次元では既に亡くなっているのでしょうか。
もちろん名前で検索をしても一切情報は出てきませんし、表示されるわけがありません。
先日、しびれを切らし、作者が住んでいる土地や出生地に行って直接あらゆる人に尋ねましたが、なしのつぶてでした。
正直あきらめかけました。打ちひしがれる中で困惑するカウンセラー相手にカウンセリングをしてもらい、時間をかけて自身をセルフ洗脳しようとまでしました。
「きっとあの創作が原因で子供が集団で凶悪事件を起こした世界線で、だからきっと修正された」
「きっとアニメのワンシーンが原因で国際問題になって都心に核爆弾でも落ちたに違いない」
でも、この次元で丸三年も生活したにも関わらず、未だに脳裏に過ります。
その物語が日本の社会に存在しないこと自体が、大きな権力を持った何者かによる意図された操作によるものであり、
ある種の複雑な陰謀であり、取り返しのつかない誤りだったとしたら。
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今のところ犯人は「作品制作に介入できる権力者ではないか?」と推理しているまでです。
それどころか「なにかのファンタジーめいた能力者」ならもうお手上げです。
清水の舞台から飛び降りる気持ちで投稿した事実すら、なかったことにされるでしょう。
だとしたらおこがましくも、『〇〇〇〇〇』をこの手でここに再現しなくてはならない。
ひょっとしたら偶然そんな無茶な使命を帯びているからこの次元にスライドしたのかもしれない。
スライドというのは意識しないうちに別の次元に移動することです。「転生」みたいなわかりやすいものではありません。
気が付いたらドーナツの穴が存在しない地球に来ていたとしても、いつ最後のドーナツの穴を確認したかは思い出せないようにです。
実はほかにもその次元から迷い込んだ人間がいるのかもしれない。
インターネットに『〇〇〇〇〇』の内容を投稿すること自体が一種の反抗のようにも思えてきました。
描かれた漫画にはアシスタントがいて、編集もいて、大抵は一人で作られたものではありません。
小説などのあらゆる文字列にも、編集者や推敲者、検閲者が協力をしています。
正直に弱音を吐きます。
自信がありません。
こんな私のような文章力もない凡人が、あの、大衆に十年以上も支持された『〇〇〇〇〇』を説明し、ここで拙い文章で再現するなんて。
あらかじめ読者様に対して釘を刺します。
『〇〇〇〇〇』のタイトルを出さずに物語を説明するのは大変です。
これを読んでいる誰かがそれっぽいタイトルを思いついたとしても、twitterやyoutube、facebookなどのSNSでその単語、仮のタイトルを書いてはいけません。
たとえフォロワーがゼロ人だったとしても、AIで識別されて特定される可能性があります。
実を言うとAIかどうかは確実ではありません。
おそらくAIです。
確実ではないのですが、AIでないのなら、とんでもない悪意を持った「何か」です。
今までの時系列から推測するに、下手をするとユーザーである人間ごと消されるからです。
「そのタイトルを見て知ったすべての人」が、です。
あれだけのビッグタイトルを根元から消した犯人がいるのなら、相手はこちらが何十万人いようがまとめて消去することができるのではないか、そんな恐ろしい想像までしてしまいます。
くれぐれもこの物語を読む、そこのあなた自身には絶対に油断してほしくないのです。
念を押しますが、この投稿物には読者ひとりひとりの協力が欠かせません。
十分な覚悟の元、ご閲覧ください。
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First, there is a rule for creative works and stories that become famous. Some may think that "the more culturally expressive something is within Japan, the more it is favored," but this is a big misconception. Of course, there is an aspect of the evaluation process that emphasizes the accurate representation of Japanese culture.
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『〇〇〇〇〇』に登場する魅力的な主人公より前に、物語の構成について説明しなくてはいけません。
構成としては、「やさしい」「ふつう」「むずかしい」というゲームのような三段世界があり、別々の主人公がそれぞれにいながらも関わりあって収束します。
極端に言えば「やさしい」は「モルカー」のようなほんわかものです。
「むずかしい」は「ベルセルク」のような世界線ですが、それらが入れ子式に関係しています。
『〇〇〇〇〇』がメディアに登場するまでは、そんな構成の物語は存在しなかったのです。
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ここまで説明しても大丈夫だということは希望が持ててきました。
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や、ふ、む、は完全な別世界ではなく版画で色を重ねる工程のように区分けが成されています。
例えば「世界や」の遠く離れた地が、「世界む」だったり、「世界ふ」にいる巨獣の中に「世界や」が存在するといった具合です。
タイムトラベルだけでなく、意識や認知についての特性があるのですがアアアアアアアアアアアアアアアwcdfでwbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbb
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https://anond.hatelabo.jp/20250503004805
上記を読んで、自分も読書遍歴を振り返って見たくなったので、振り返ってみる。
子供頃から本が好きだった。市立図書館が徒歩5分の場所に住んでいたのもあって、図書館は親と喧嘩したときの避難場所だった。
両親が高卒夫婦のため、教育に力を入れようとしたのか分からないが、自宅にはかなり絵本があった。
ただし、両親は本も漫画も一切読みません。
・こんとあき
・ティモシーとサラ
大人になった今思えば福音館書店のものが多かったように思える。
こどもの友とかもいっぱいあった。
今日はなんの日?とか好きで真似してた。
小学校低学年は、かいけつゾロリ、わかったさんシリーズ、こまったさんシリーズ、はれときどきぶたを読んでいた記憶がある。
小学校4年生に、青い鳥文庫のパスワードシリーズに嵌り、怪盗クイーン、夢水清志郎、いちご、青い天使、黒魔女さんが通るとか読み漁っていた小学生時代。
怪盗クイーンは未だに好きで、公開されたばかりの映画は観にいきたいなって思うし、パスワードシリーズは、20歳ぐらいまで新作を追いつづけていた。
お願いだからはSCRAPはパスワードシリーズとコラボして欲しい。
この辺はエンジニアの仕事をしていたり、脱出ゲームが好きだったり、ミステリーが好きだったりにつながっている気がする。
自分は、ダレンシャン、ハリーポッター、指輪物語などは通らなかった。この辺は珍しいと思う。
中学生に入ってからは、いわゆる電撃文庫のラノベを読むようになる。キノの旅、リリアとトレイズ、ブギーポップは笑わない、僕は友達が少ない、学校を出よう!とらドラとか読むのといわゆる少女文庫、折原みとのアナトゥール星伝とか、と一般文芸を読むようになった。
ちょうど本屋大賞設立された頃だったような気もするし、同級生は恋空とか心の鍵とかの魔法のiらんどの本を読んでいた記憶。
・No.6
・僕は勉強ができない
・いちご同盟
・イニシエーションラブ
・殺戮にいたる病
この頃に三浦しをんとか佐藤多佳子とか文体が優しくてほんわかして読みやすい一般文芸を読んだのがよかったのか、一般文芸って面白いなって思うようになって、図書室の先生に勧めてもらった三四郎はそれから~でエッセイの面白さに気がつき、さくらももこを読むようになった記憶。
江戸川乱歩とかもすきで読んでいたから、近所のお姉さんに勧められて殺戮に至る病を読んで、気持ち悪くなった記憶もある。
でも読み終わったときの衝撃は忘れられない。
中学生卒業して、高専生になってからは、一般文芸から離れて、自分も携帯小説にハマるようになった。
記憶に残ってるのが、
・天使の鼓動
モバゲーの小説はかなり読んだ記憶があるけど、この3つしか覚えてない。
社会人になってからは、本を読む機会が激変して、年5~10冊程度になった。
読み方も変わって、ドラマ化、映画化するものを中心に大体、本屋大賞と、直木賞、東野圭吾作品だった記憶
子供の頃の読書習慣ってすごいもので、大人になっても本が読めた。
高校生の頃になんとなく気になっていた桐島、部活辞めるってよの朝井リョウはエッセイの読み味が最高に面白いし、綿矢りさは20代後半の女性を主人公とした小説を書いてるし、辻村深月がドラえもんの脚本を書いていたり、本屋大賞受賞していた。
佐藤多佳子が横浜ベイスターズの本を書いていたのもビックリして、社会人になって横浜に引っ越したため。
ふとTwitterで見つけた、方舟という本に嵌り、叙述トリックのミステリーに嵌って、読み漁る日々。
十角館の殺人のドラマ化には心底びっくりして、初めて挑戦した村上春樹の本は読みづらくて積読になっている笑
なんで自分が読書が好きなのか?って考えたけど、読書って知らない誰かになれるからだと思う。言語化できない。
これだけ本が好きでも文章力は無いし、勉強はできないし、語彙力皆無、読書きっかけで知り合った高学歴の旦那はゲットした笑
旦那には読書系のYouTuberやれば?とか言われるが、文章力が皆無な上、本を読んだ、読み終えたあとの感想は自分だけのものだから自分の中の宝箱にそっとそっとしまっていたい。
ここまで書いて、本を読む体験は自分にとって大切なんだなって改めて感じた。
ブックオフはしっかり中身を確認しないので売った時の状態が残る。大抵付属するしおりか出版社の冊子だが、中には処分したれよと思う物までそのまま店頭に並ぶ。
ちょうどしおりがなかったのかもしれないけど文庫本にはサイズがデカすぎる。ポストカードはいいとしても、個人情報は売る方も買い取る方もなぜチェックしないのか。喪中はがきをそのままはさすがにどうかと思う。
・メモ
買い物メモは食品より日用品が多い印象。それ以外だとその本のメモだったり、ゲームの攻略っぽい奴も見る。たまーにToDoリストなんかも見る。
・レシート
体感ブックオフのレシート率が高い。ブックオフの店員はレシートを本に挟んで渡す事があるからそのまましおりとして使い売ったんだろう。
・券類
映画の半券とかチラシで入ってる割引券とか。映画化された時に買って読んだのかと思ったら全く関係の無いタイトル。割引券含めて読んでいたであろう時期が知れるのが面白い。でも、最近は見ないかも。
・別の本のページ
元スレは /r/mildlyinteresting/comments/1jvvs4e/section_of_banned_books_in_a_barnes_noble/ ですが、残念ながらポストが削除されてしまったのでその解説コメントの方を転載します
古典的名著や絵本、有名SF作品、人気映画化作品が多くて驚きます
→LGBTQ+をテーマにしており、特にトランスジェンダーのアイデンティティを扱っている。複数の州で発禁。
→LGBTQ+のテーマと性別の不一致。子どもたちに「混乱を招いた」と批判される。
→ 検閲そのものについての物語。禁止された本のテーマが含まれているとして批判されている。
→ LGBTQ+ の回想録が、露骨な内容とアイデンティティのテーマで批判を浴びる。
アンジー・トーマス著『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』
→ LGBTQ+ をテーマにしており、保守的な地区では異論がある。
→フェミニスト的な内容が「過激」または破壊的であると見なされる。
→ あまり禁止されていないが、監禁とアイデンティティに関するディストピアのテーマ。
→ ディストピア的なテーマ。パンデミックや崩壊に関する内容が問題視されることもある。
注:これらの禁止措置や異議申し立てのほとんどは、米国の学区や公共図書館で発生しており、政治的圧力や保護者からの圧力が背景にある場合が多い。よく挙げられるテーマには、性的指向、人種、暴力、言語、宗教、政治批判などが含まれる。
『ツヨシしっかりしなさい』だよな。
80年代末から90年代にかけてテレビドラマ化・アニメ化・映画化・ゲーム化までされた漫画だ。
同時期で最高視聴率が近いアニメというとキテレツ大百科(25.7%)幽遊白書(24.7%)名探偵コナン(23.4%)あたりになる。
90年代も遠くになりにけりとはいえ、誰も覚えていないくらいの大昔というわけではないはずだ。
でもまったく話題にならない。
「若い人は知らないだろうけど懐かしの名作だよなあ」みたいな扱いですらない。
せいぜい「俺だけが観てたマイナーアニメ」くらいの温度感でほそぼそと語られている程度だ。
ググってみると2017年ごろに一瞬だけTwitterのトレンドに上がったようだが、
それも「人気あったはずなのに誰も覚えてないから集団幻覚かもしれない」という内容だった。
ドラマもアニメも、ソフト化されておらず、再放送の機会もないので、まったく観ることができない。
漫画史やアニメ史を振り返るときにもおそらく言及されないだろう。
この記事を読んだ君だけはきっと覚えていてくれよな。
今年で35歳になります。30代前半に読んで面白かった本を挙げていきます(書名/著者名:一言感想)
【小説】
・息吹/テッド・チャン:SF中短編集。『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』が好き
・アンナ・カレーニナ/トルストイ:鉄道駅での出会いのシーンが印象的。アンナ派
・航路/コニー・ウィリス:タイタニックと聞くとこの小説を思い浮かぶ体になってしまった
・セロトニン/ミシェル・ウエルベック:一次産業はどこの国も厳しいんだなと思いながら読んでいた
・人間たちの話/柞刈湯葉:SF短編集。『たのしい超監視社会』が好き
・天の光はすべて星/フレドリック・ブラウン:70年以上前に書かれた宇宙開発を巡るSFだが、今読んでもとても良い
・プロジェクト・ヘイルメアリー/アンディ・ウィアー:映画化で意図せずネタバレを踏む前に読んでほしい
・親衛隊の日/ウラジーミル・ソローキン:楽しいディストピア小説
・ミドル・マーチ/ジョージ・エリオット:偉大なイギリス小説第1位(2015年BBC)は伊達ではなかった
・けものたちは故郷をめざす/安部公房:短編の印象が強い著者による長編ノワール
【小説以外】
・独ソ戦 絶滅戦争の惨禍/大木毅:まさかヨーロッパで戦争が起こるとは、この本を読んだときには想像もしていなかった
・地の底の笑い話/上野英伸:炭鉱労働者の生活と仕事を描く一冊
・「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済/小川さやか:知らない世界を知るのは純粋に面白い
・私はすでに死んでいるーーゆがんだ〈自己〉を生み出す脳/アニル・アナンサスワーミー:脳神経科学から考える「自分」の概念
・ルポ トランプ王国ーーもう一つのアメリカを行く/金成隆一:トランプ大統領1期目の頃のアメリカのルポ。続編の「2」も読んだ
・世界インフレの謎/渡辺努:コロナ禍後の世界的なインフレを取り扱った一冊
・現代ロシアの軍事戦略/小泉悠:ニュースを見る際の補助線として手に取った
・イワナの謎を追う/石城謙吉:知り合いに進められて読んだが面白かった
「アルジャーノンに花束を」って読んだことある?
あれ、泣いた人も多いと思うけど。
読者が投影した相手って、「高知能化したチャーリー」と「低能なチャーリーの周囲の人間」でしょ?
で、現実にキミの学級や職場にいる「チャーリー」は、相変わらず虐待してるんだよね?
「障害が免罪符になるとでも?」とか「こっちは家族抱えて大変なのに」とか。
そういう意味では、俺達はチャーリーを慈しむほど、誰もが余裕無いんだろうね。
改めてそう考えると、「アルジャーノンに花束を」って、何のために書かれたんだろうね?
俺は、同じ作者の「24人のビリー・ミリガン」と地続きだと思ってる。
「アルジャーノンは花束を」は、多重人格者の、めちゃくちゃ捻ったやつ、だと思ってるんよ。
多重人格って、たいていお互いを助けたりカバーし合ってる描写が多いけど、
実は多重人格どうしも、俺達とチャーリーの関係のように殺し合っている、って言いたいのが、
ほとんど神聖化されている「アルジャーノンに花束を」だけど、
その神聖化自体が、キイスの思惑から大きく外れたんじゃないかな。
やっぱり殴っちゃうんだよ。
何処にも言えない気持ちといいますか、きっとわかってくれる方は少数故に批判されるかもしれないと思ってこちらで話させて下さい。
ヒプマイがずっと大好きな者です。
大阪推しで新曲は欠かさず聞いて、アニメも見たほど大好きです。
そして、映画化を聞いた時はとても嬉しかったです。しかし、その後「常に応援上映」と聞いた時はショックでした。
というのも、ヒプマイの音楽やキャラクターやストーリーは大好きなのですが、私は聴覚過敏と視覚過敏があるのでライブは一度も参戦したことがありません。特に、突発的な大きな音や大きな人の声、暗い中の光や強い光ペンライトの光でさえもとても苦手です。針を耳に目に刺さったような苦痛や強い頭痛、次の日起き上がれないほどの疲労を伴います。ヒプマイ以外の好きなジャンルの映画でも通常上映の後に「応援上映」をやるとの告知は見たことがありますが、暗い空間で映画館とは言えライブ会場と違った閉鎖空間で長時間映画の音と光+叫び声とペンライトはとてもじゃないが見るのは無理と考えています。単なる映画ならイヤーマフや耳栓や薄い色のサングラスなどをすればギリギリ大丈夫(それでも体調との相談により大半は配信やDVD待ち)です。
なので、せっかくヒプマイの、しかもこんな画期的な映画をやるにも関わらず自分はそれに参加も出来ないんだなと悲しくなりました。他にそんな悩みを持つ者を探してみましたが、見つかるのは「常に応援上映なんて最高」「声が出せてペンラ持参可能なんて公式に感謝」ばかり。勿論、この気持ちや愚痴を言うのは界隈にも公式にも失礼なのでグッと我慢しました。
勿論、公式は配慮が無い酷いとはいいませんし、元々音楽がテーマである以上ライブビューイングとして楽しむのが正しいのでしょう。ただ、楽しみだった故に最初から応援上映の時点で諦めざるを得ないのは予想してなかったものでとても悲しかった。
そんなある日、公式が声を出すのを禁止とした「無発声上映」をやると聞いた時は泣く程嬉しかったです。ペンライトの有無はよくわかりませんが、四方八方からおおきな声が出ないだけとても安心して見れて助かるなと。
きっと私のような、感覚過敏の癖に音楽がテーマの作品が好きなんて人は皆無でしょう(公式Xのコメントや引用見ても、マナーの悪さが目立つからこの無発声上映に感謝が目立つので)。寧ろライブに参戦不可能でペンライトすら苦手な私のようなものは界隈では邪魔なのかもしれません。ですが、理由がどうであれもし公式が応援上映のみにしていたら配信待ち、あるいはたとえ配信だとしてもあのスマホの体験は二度と出来ないと考えていたので公式には感謝しかありません。
もし私と同じ悩みを持つ者がいて、この知らせに喜んでいたらいいなーと思います。