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はてなキーワード: 評価基準とは

2024-12-03

anond:20241203115523

言いたいことはわかるけど、  対話議論>討論  の評価基準単語チョイスそれでええんかってなるわね

2024-11-30

いわゆる職場無能YouTubeなどの動画コンテンツ異次元コメントする人たち

メタ認知能力が極端に欠けている人たち

メタ認知能力が極端に欠けている人』って表現は、"自惚れていてる"とか"井戸の中の蛙"みたいな評価限定して使われているイメージがあります

 

けど、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、エラー処理とか停止処理みたいな超基本的な考え方すら持ってなくて、それに気づけないままでいられる人のことです。

具体的な方法を知らないとかじゃなく、そもそも「そういう発想自体がない」って話で、これは単なる知識不足視野の狭さ以上に、認知の仕組みそのもの問題があります

時間自然解決してくれるようなものじゃなくて、かなり厄介な問題だと思います

 

エラー処理とか停止処理って、ITだけの話じゃなくて日常でも必要スキルです。

たとえば、「お目当てのプリン冷蔵庫にないことを確認」(エラー検知)したら、フツーは「今日プリン食べるの無理だな」って切り替えるじゃないですか。

冷蔵庫を何度も開け続けるのはちょっと変で、フツーは「開けるのをやめる」(停止する)って行動に移りますよね?

仮に、寄生獣に取り憑かれたために、冷蔵庫を開け続けちゃうのだとしても、「右手勝手に動いてる?」って気づければ、他の方法を考えることができます

けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。

 

 

メタ認知知識移転(Knowledge Transfer)

メタ認知知識の応用力、いわゆる"知識移転(Knowledge Transfer)"にもめちゃくちゃ重要です。得意分野や好きなことだと、この力が特に発揮されやすいですよね。

たとえば、熟練プログラマーが別の言語でもスキルを応用できるのも知識移転の力があるからです。

でも、興味が薄い分野や苦手分野だと同じ力を発揮するのは難しい・・・それは自然なことではあるのですが、基本スキル共通原理くらいはちゃんと押さえておくことが期待されます

 

たとえば、プリウス運転手軽トラックをまったく運転できなかったら、それは個性とかそういう話じゃないですよね?致命的に知識移転能力が欠けてるってことです。大きさや操作性が違うにしても、ハンドル操作とか交通ルールみたいな共通点を活かせないのは深刻です。

仮に、共通点を見出せ無くなったのは異世界おじさんに「記憶消去魔法(イキュラス・キュオラ)」をかけられたからだとしても、「もしかして記憶を消されてる?」って気づければ対処方法を考えることができます。けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。

 

 

メタ認知と表層的学習の積み重ね

知識転移がうまくいかないのは、異世界おじさんに記憶を消されて気づかない以外にも、その対象理解そもそも極端に浅いことも大きな原因になっていそうです。

 

たとえば、『りんご=赤』って覚えるのは、学習コストを下げるためによくあることです。この簡略化を意識できる人は、この情報がいろんな側面の一つにすぎないってちゃんとわかっているので、黄りんごも青いりんごも許容します。りんご品種や生育環境熟成度みたいな要素が色に影響するんだろーなとか、味とか他の特徴も多次元的に捉えていますさらに、必要があれば「なんで赤いんだろう?」とか掘り下げて学ぼうとするオープン姿勢もあります

 

次元的に対象を見れる人は、『見たままをありのままに受け入れて、自分直感を大切にできる人』と言い換えても良いかもしれません。

だってりんごは、どう見たって単色の赤じゃないですからね。視覚的にも直感的にもそう感じるはずです。

 

一方で、こういう視点意識(見たまま受け入れる、自分五感直感を信じる)がない人たちがどうなるかというと、

りんご=赤い』っていう単純な答えでテスト合格して、「自分理解完璧だ!」って思い込みます

現行のシステムでは、ぶっちゃけ深掘りする必要性がないので、結果として表層的な学びに終始してしまうのです。

で、こういう表層的な学習パターンが続くと、やがて複雑な問題対処できなくなります

世代と話してもピントがずれた会話をしたり、科学医療社会問題仕事議論トンチンカンなことを言ったりしてしまうわけです。

違う文脈知識を応用するなんて、そもそも理解が浅いと到底無理な話です。

 

学習指導要領のSelf-Regulated Strategy Development (SRSD :自己調整型学習)って『自分で考えて学ぶ力』の改善策としてまあまあ良さそうだけど、

現状の受験システムとか評価基準が表層的な学びを助長するままだと、限界はある気がします。

それなら、メタ認知がないAIが多次元的に学んでいくプロセスを観察して、新しい教育のヒントを探すほうが面白いかもしれません。

 

 

メタ認知デスクワークフィジカルワークの本質

増田タイトルの通り、学歴があっても、長文を読んで理解するどころか、単純化された動画の内容さえ把握できなかったり、同世代との会話がどこまでも噛み合わなかったり、仕事の指示が通らなかったり、そんな人っていますよね?

これって、上記に書いてきたように、メタ認知能力が極端に欠けてることや、知識移転能力の欠如、表層的な学習が積み重なった結果なんじゃないか確信を持っています

たぶん、IQ価値観の違いの話ではないですね。

 

大卒以上であっても、こういう人が無視出来ない数いるのは、正直「なんで?」って思う人が多いんじゃないでしょうか。でも、この「なんで?」の背景には、「勉強デスクワーク知的で選ばれたもの」っていう妙な誤解がある気がします。この固定観念が、現代社会における知性や労働本質を見誤る原因になってるんじゃないかなと思います

 

現代では、国家競争力は高度な人材依存しています

しかし、その一方で、社会の基盤を支える多くの職種が軽視され、不当に評価されている現状があります

 

なぜかというと、"知識労働者(Knowledge Worker) "ではなく、"知的労働者" って呼称が使われたりすることからもわかるように、肉体労働者は知能を使わないみたいな妙な誤解を悪用し、仕事の複雑さや多様性を極端に単純化し、賃金差別(経済格差ではなく差別が適切)を正当化する輩がいるからです。

 

実際は、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。

例えば、エラーを検知し、適切なタイミング作業を中止し、問題解決する–これらは、メタ認知能力と深い経験に基づく高度な知的作業ですよね?プログラム組んだことなくてもロボットを作ったことなくても、誰しも直感的に知っていることです。

障がい者雇用最適化された職場を除けば、こうした能力に欠ける人がフィジカルワークに適応することは非常に困難です。その理由は単純で、迅速に適切な判断ができなければ、事故怪我を招き、最悪の場合、死人が出るからです。

 

フィジカルワークが出来そうもない人は、なんとなく知識労働を選ぶことが多いです。必ずしも自分の適性を十分に理解しているわけではなく、「選択肢の中で最も受け入れられる道」として選んでいることが多いです。でも、極端にメタ認知や応用力がないと、どんなに学歴があっても知識活用できず、「結局この人は何ができるの?」って評価に甘んじちゃうことになります。たとえば、エラーメッセージに明確な解決方法が書かれているにもかかわらず、それを読み取れず(一応、読んではいる模様)、ただそのまま誰かに転送するだけの技術者とか、その典型ですよね。

 

もう一度言いますが、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。

それがある前提で、重要視されるのが、物理筋肉運動能力)なのか、論理筋肉知識)なのかって違いだけです。

 

 

メタ認知筋肉の魅せ方と使い方

1つ前でも少し書きましたけど、知識って筋肉みたいなものだと思うんですよね。鍛えればどんどんムキムキになるけど、筋肉単体ではその魅力をフルに発揮できない。

物理筋肉論理筋肉も、それをうまく使うスキル必要です。データベースが単体ではただの情報の塊で、システム連携して本来の力を発揮するのと同じです。

で、そのシステム設計するには、基本的エラー処理や停止処理の考え方は欠かせません。そして、エラー処理をするためには、知識を他の文脈で応用する力、

まり知識移転能力』が必要です。それを支えるのが、メタ認知能力なんですよね。

 

国の競争力を維持する上で、論理筋肉マッチョを育成することは非常に大切ですが、その筋肉有効活用するためのメタ認知能力がないと、いくら筋肉がついてもリソース無駄になってしまます

というか、論理筋肉マッチョに限らず、どんな分野でも同じことが言えますリソース無駄遣いを避けるために、筋肉活用法を理解する能力を養うことは、なによりも優先されるべき取り組みだと思います

 

(長文が読めない、動画の内容すら理解できない、仕事科学社会問題議論トンチンカン発言をする、仕事の指示が通らない、でも広範囲知的課題は持っていない、なんなら大学卒業している――そんな人たちの姿を見ながら書いてます)

2024-11-29

好きな作家のことが心配

好きな作家がいる。

WEBから書籍化デビューした人で、私はプロになってから知った口だけど、以来その独特なセンスに惹かれて出版された作品をずっと追っていた。

本人のSNSアカウントも、日常おもしろエピソードやためになる考えなどをいつも発信してくれるので、当然フォローしている。

そんな作家が、数カ月前に数年ぶりの新作を出した。これまでとは少し違ったジャンルではあったけど、唯一無二の〇〇(作家名)節は相変わらずで、それがジャンルにも新しい風を吹き込む新境地の名作となっていた。

世間的にも評判は上々のようで、重版の告知も何度か目にした。ファンとしては嬉しい限りだ。

だがそんな中、作家さん自身の少し変わった言動が目立ち始めた。

同業者から攻撃されている」

レビュー工作されている」

嫉妬か」

詳細不明のそんな愚痴のような発言が、SNSでしばしば投稿されるようになった。その状態現在までほぼずっと続いている。

まりにも気になったのでSNS検索をかけてみると、たしかに数名のプロ作家が件の新作について、発売からほどなくして感想を述べていた。それも、やや否定寄りの内容で。

ただ、否定寄りとは言ってもいずれも、批判とも呼べないような、自分にはあまり合わなかった程度の話であって、普通感想範囲内でしかない。もちろん人格否定嘲笑の類は一切含まれていない。

作家が公開の場で同業者作品に「普通感想」を素朴に述べること自体の是非は議論余地があるかもしれないが、これを攻撃のように言うのはさすがにちょっと過剰な反応に思える。

また、通販サイト読書記録サービスなどでも、ネガティブレビューはいくつか付いているが、これはどれだけ好評な作品でも避けられない問題だろう。むしろ人気の作品ほどアンチ意見絶対数は増える。

そして、同じネガティブ感想であっても、それぞれの同業者および一般レビューの間で、なにか統一された評価基準存在するわけでもない。各々がバラバラ理由マイナス点を付けているだけだ。

好き作家氏が特に気にしているらしい、とある長文一般批判レビュー存在するが、これなどはとりわけ、プロ作家たちの感想とは全く別の観点から作品否定している。客観的に見て、工作を疑う余地はあまりないように思う。

今のところ、感想投稿した同業者プロ作家)たちは、好き作家氏の言動に気づいた様子はない。しかし、あれだけ何度も被害を訴えていれば、いずれは耳に入る可能性が高いだろう(好き作家氏の新作と同じ出版社で仕事をしている作家もいる)。そうなれば、トラブルに発展するのは避けられまい。

また、好き作家氏は新作に関連して、AI推進派から嫌がらせも受けているらしく(AIで書いた方がおもしろいなど)、反AI方面でも積極的発言をすることが増えている。こちらに関しても揉め事に巻き込まれいか心配だ。

現に作品は売れており、私を含めた大半の読者には好評なのだから、雑音を気にせず執筆に集中できるようになることを祈りたいのだが…自作に関わる話である以上、クリエイターとして真摯であるほど難しいんだろうな。

2024-11-23

anond:20241123134225

一種の?)フレーム問題(みたいなもの?)か

増田さんは答えを持ってるんだろうか

>「この書類って、そもそも何のために作るんですか?」

ターゲット目的を明確にして欲しい。最悪ほぼ不要だが、上司の○○を納得させるため、とか規則で決まってるので馬鹿らしいが作らなならんとか

○○の人柄とか評価基準に関しては、時間が限られてるのでざっくりとしか聞けないのは納得するのでおいおいの宿題でよい。

>「目的によって書き方が変わると思うんですけど、その辺どう考えたらいいですか?」

ほんとに知りたい。目的不明作業見積意味。えいや! で進めがちだったけど。

後で説明するのだから(来週じゃないよね)、資料作成前に目的を伝えられない理由があるはずで、それは作業の割り振り等検討が優先度高い状態ということは想像できそうだ

えいやで見積もるのは乱暴すぎるので、どのぐらいの精度かっていう情報は欲しい。新人で似たような資料作成経験なかったら貰っても意味は薄いが

今週中については、何日何時と提出方法(それ以降に指示だすからファイル出来てたらよいのか、メールで送るか紙に出しとくか)言えば済むはず

普通考慮しないんだろうけど、休日出勤とかありがち状況なら、月曜朝まで時間があるかもしれない。これも目的次第で変わってくる。

急ぎでざっくり、この書類の完成予定が知りたい

急ぎなので目的について細かいことは伝えられないが、大まかにいえば~~

最終期限は金曜定時(内に自分確認すること、途中チェックとか要るかな)

まりそう? 質を80%とかに落としたらもっと早く終わりそう?

とか、めんどいな。けど新人の時は先輩いい人だったから聞いてたな

自分が後輩にできてたかはわからない。できてなかった。

目的ざっくりと期限伝えて精一杯頑張ってと投げて、早く終わりそうなら教えてというか日々進捗聞いてた

進捗は工数で良いと思うのだがページ数みたいなので管理されてたりして、後で見直しとか修正時間かかる系の作業で90%とか真面目に報告してしまうと他の作業やらされたり次回からなんでそんなに時間かかるの?とか面倒な話が起きたりするので50頁作ったのにまだ20頁ですとか嘘ついてた

内容チェックも何かを宿さないと効率悪い

チェックして、しました、誤字めっちゃ残ってるやん その視点では見てません とか 構成はる程度どうでもよいとか 数字だけ整合性取れてたらよいとか なんか色々ある(実際あんまりそんなこと考えて仕事してない というかデスクワーク仕事したことないので想像で書いた

2024-11-13

国民民主党石丸伸二を支持しない人間老害

国民民主党といえば、今の政治新しい風を吹き込むことを目指している党だ。彼らが掲げる政策スタンスは、若者未来日本の活力を考えた現実的で、かつ挑戦的なものが多い。それなのに、いまだに国民民主党やその候補者である石丸伸二氏を応援しない、あるいは支持しようともしない人々がいる。それって、もしかして老害」じゃないだろうか。

まず言いたいのは、これまでの政治に対する不満は誰もが感じていることだろうということだ。長年にわたり「安定」という名のもとで変化を拒んできた日本政治問題点は明らかだ。それなのに、古い価値観固執して、今の変革の波に乗ろうとしない人々がいる。自分が築いた昔の「日本」こそが理想だと信じて疑わないその態度は、若い世代にとってはまさに「老害」でしかない。

例えば、国民民主党が訴える教育改革経済活性化政策についても、変わらなければならない部分が多く含まれている。特に教育制度の硬直化や経済成長の鈍化をどうにかしようとしている国民民主党姿勢は、これから日本に不可欠だ。だが、これまでの古い仕組みに執着する人々は「今のままでいい」と言って、変革を恐れる。こうした態度が「老害」そのものだと気づいてほしい。

石丸伸二氏についても同様だ。彼は現場での経験を積み重ね、国民の声をしっかり聞いてきた実直な政治家だ。それなのに、「若いから」「経験が浅いから」といった理由だけで支持しない人がいる。こうした批判は、時代錯誤しかない。若さを軽んじ、年齢や経験だけを評価基準とするその考え方こそが、時代遅れだろう。日本には、新しい視点や柔軟な発想が必要で、石丸氏はまさにそうした力を持っている。

さらに、日本未来を考えるうえで、今の20代や30代がどれだけの負担を背負っているか理解してほしい。古い世代享受した社会保障制度年金の支払いは、現在若い世代が支えている。それにもかかわらず、若い世代配慮のない政策ばかりが続けば、次第に若者日本から離れていく。それを防ぐためにも国民民主党のような新しい発想を持つ政党に目を向けるべきだ。

もちろん、誰しもが国民民主党石丸伸二氏を絶対に支持しなければならないと言うつもりはない。しかし、これから日本を本気で変えたいと思うなら、既成の価値観にしがみつくのはやめるべきだ。未来を担う若者たちの視点尊重し、彼らの意見に耳を傾け、共に変革に向き合うべきだろう。

結局のところ、「老害」かどうかを分けるのは年齢ではなく、思考の柔軟性と未来志向の有無だ。変化を恐れ、過去固執することは、未来に対する無責任に等しい。日本がこれからも成長し、発展していくためには、新しい視点と柔軟な発想を持ったリーダー必要不可欠だ。そしてその変革の先頭に立っているのが、国民民主党石丸伸二氏だということを忘れないでほしい。

未来を見据え、次の世代に託せる政治を作るために、国民民主党石丸氏を支援することが、これから日本のために重要な一歩だ。

2024-11-09

anond:20241109182054

まあ人間目線価値のあるものを与えてやってるってことだよな

基準で考えたらなにもかも等しく無価値価値があるかのどっちかだろう。そこをあえて人間目線評価基準を落としてやっているだけって解釈するのが普通

関係ないけど重いものを持つ力がつくと、それまでよりも二つの重さが異なるものを持ったとき微妙な重さの差って感じにくくなるのかね?

なんというか力持ちになるほど、重さに対する認識解像度って落ちたりするんだろうか?

力が無い時の方がちょっとでも重いものを重いと敏感に感じ取る形で、重さの差異認識できるみたいな…。

2024-11-08

anond:20241108113639

大阪ローカル番組面白くなさすぎ、そのくせ番組は多い

そもそもテレビを見ないので、地方テレビおもしろいとかおもしろくないとかい評価基準が出てくるのが目から鱗だった

ついでに歩くのがめちゃくちゃ遅い 遅い人がいても誰も抜かさないので心は優しいか

東京人間も歩くのめちゃくちゃ遅いと思うんだけど、さらに遅いのか?

俺は東京に住んでるけど街ゆく人々の歩くスピードが遅すぎていつも辛い

2024-11-06

特集!】シコリビアン文明の謎

シコリビアン文明(シコリビアンぶんめい)は、古代エジプト文明メソポタミア文明に並ぶとされる幻の文明で、発祥地はシコリビア半島架空の地)と考えられている。この文明は、人類史上最も高度に「シコる」行為神聖視し、その技術儀式社会の根幹に位置づけられていた。

1. シコリビアン神話

シコリビアン文明では、創造の神「マスティ・ルベイ」が全宇宙を「右手のひと振り」によって創り出したとされている。シコリビアンの民は、マスティ・ルベイが繰り出す「神聖な手のひと振り」によって世界が成り立ったと信じており、この神話現代のシコリビアン文明研究者たちから「シコリビアン創世神話」と呼ばれている。

古代遺跡から発掘された粘土板には、マスティ・ルベイが「絶頂」に達した瞬間に天空割れ、光が降り注ぎ、生物が地上に誕生したと記されている。

2. 神聖儀式「オナニュエーション」

シコリビアン文明では、月に一度の「オナニュエーション」という神聖儀式が行われていた。これは、民全員がシコリビア神殿に集い、指導者である「マスタベ師」のもとで一斉に「奉納シコリ」を捧げる儀式であった。儀式中、参加者は「魂の解放」に至るまで奉納行為を続け、その際に発生する「シコリのエネルギー」が神々への捧げ物として奉納されるとされている。

この儀式目的は、神々に平和と豊穣を祈願することであったが、同時に「シコリのエネルギー」によって集団の一体感を高め、社会の秩序と調和を保つためでもあったと考えられている。

3. シコリビアン建築と「エレクシオス柱」

シコリビアン文明象徴として有名な「エレクシオス柱」は、巨大な男性器の形を模した柱であり、神殿公共施設の装飾として重要視されていた。この柱は、シコリビアの民が神への感謝生命力象徴として崇拝していたとされる。エレクシオス柱は高さ20メートルに達し、古代技術者たちが石を削り出して作成したとされ、現在もその技術は謎とされている。

4. 社会構造と「シコリビアンカースト制度

シコリビアン文明では、シコリの頻度や技術に応じて市民階級分けされる「シコリビアンカースト制度」が存在していた。最も高位に位置するのが「絶頂賢者」であり、次に「マスタベ師」「シコリ職人」「見習いシコリ」などの階級が続く。この階級制度により、民は日常的にシコリの技術を磨き、いかに早くかつ美しい動作で「シコリの芸術」を体得するかが評価基準とされた。

特に絶頂賢者」はシコリの達人であり、一挙一動が民の尊敬を集め、時には政治宗教の決定権を持つ存在とされていた。

5. シコリビアン文明の滅亡

シコリビアン文明の衰退については諸説あるが、最も有力なのが「過剰なシコリ活動によるエネルギーの枯渇」である。民が日々の生活でシコリを多用しすぎた結果、文明を支えていた「シコリのエネルギー」が枯渇し、シコリビア半島は一夜にして荒廃したとされている。

一方、別の説として「外敵によるシコリ封印政策」によって滅亡したという見解もあり、周辺文明がシコリビアンの力を恐れて「禁シコ令」を敷いたことで、シコリビアン文明の民はシコリを失い、力を奪われていったとされている。

シコリビアン文明遺跡から発掘された資料は少ないものの、現代考古学者や歴史学者たちは、当時のシコリビアン生活様式や信仰再現するための研究を続けている。シコリビアン文明は、今もなお「シコリ」と「人類創造」の関係性について多くの謎を残している。

2024-10-31

論争について

https://note.com/p_and_w_books/n/neee921ea91a9

https://note.com/p_and_w_books/n/nf373db52eab9

作品のもの感想

・そうですか、といったところ。


■鯨井氏のジャッジ

 ・まえがきでは個人的狂気重要視するというようなことを言っている。要するに、ユニークでぶっ飛んだものを読みたいということ。そういう欲求をカッコつきとはいえ狂気」という言葉に託したのはよくなかったとおもう。「おまえら創作者はみんな創作情熱を燃やしてそれに狂ってるはずだろ!なあ!」というのはいかにも一昔前のフィクションに出てくる「天才」像で、古臭くて偏狭ではないか

 ・それでいて、最後他者への回路としての「コミュニケーション希求力」を評価基準に置くのがよくわからない。いや、わかりはする。閉じているように見えつつもその暗闇のなかで他者を求めもがくのが人間普遍的なあり方であり、そうした情熱を持っているように見える作品に惹かれてしまう。その気持ちはわかるが、この文章内にかぎればあんまり文脈的につながってないのでは、と感じる。

  ・「コミュニケーション」を謳うのなら作者の側から歩み寄りばかりでなく、評者からの歩み寄りもすべきだった。というか、それが評論行為であるように思う。最終的に「これは自分感情です」というような文言で閉じたのはよくなかったというか、開かれた場のコンテストでは落とされてもしょうがない。

 ・固有名詞問題固有名詞の持つ読者との「共犯性」を指摘し、作品内で用いられている下北沢」「フィッシュマンズ」「クリムト展」といったワードの「共犯性」が東京中心主義につながっているのではないか、といったようなことを言っている。

 ・固有名詞の「共犯性」についてはそのとおりだが、基本的にはその固有名詞を使うことでどういった層と共犯関係になれるかという戦略問題しかないとおもう。それが気に食わなさにつながるんならそうですね、あなた不快なんですね、としか言いようがない。

 ・「「下北沢」「フィッシュマンズ」「クリムト展」を使って真にその意図が伝わるのは、それを知る都会の人びと、「カルチャー」の民のみである。」→これはそうは思わない。下北沢はぼざろなどを例に出すまでもなく東京以外のひとびとにもある一定イメージ形成しているし、フィッシュマンズクリムトに至っては別に東京固有でもなんでもない。

 たしかに並べられると東京中心的な貴族性⋯⋯というかヴィレヴァン的なサブカルクソ野郎っぽさが鼻につくところはある。

 しかし、それが「カルチャー」を愛する人びと特有の一段上から世を眺める視点優越性」に直結するかは微妙なところで、それこそ共犯者に選ばれなかった疎外感といえばそれまで。そして、そこから地方差別へとつなげるのはちょっと無理筋だと思う。

 ・関西弁を含めたトータルのパッケージ差別性を覚えたという感じだとおもう。作者の意図しないチャンネル固有名詞)でヘイトが溜まっていったところで関西弁の歌が出てきて「怒り」が爆発したというところか。

 

 ・全体的には論点の設定の仕方があまり開かれていない。差別性を感じるというのであればもう少し広くわかりすい議論を行うか、あるいは関西人であるという当事者性を突き詰めるべきだったと思う。現状の文章としては後者よりなのだが、あまりに「関西人である自分」が自明のものとして最初から展開されているので、読者には「で、関西人であるあなたがなぜそこまで怒ってるんですか?」がわかりにくい。

 ・いろんなところで中途半端な評だと思う。


ジャッジへの反論

ジャッジの二十倍意味不明かつ閉鎖的ですごい。

・「『見下し』ではなく関西弁の語りのある種の味わい(「特権性」という雑な表現をしてなぜか自分を「関西」に対して下位に置こうとしていたが)に対する憧憬なので『見下し』じゃないんだよ」という言い分はそうなのだろうが、それをただしくオリエンタリズムと呼ぶのだよな。

・中盤の「ここまで説明をしたうえで、「本気で思っていたらこんな書き方はできないだろう」と思われるでしょうか。」に至るまでの説得のロジックがよくわかんない。

冒頭で「なるべく感情的にならないように書く」と宣言しているのに「ここまで説明〜」までは、基本的に「自分はこうおもってこう書きました(あんたや読者の気持ちなど知らん)」と自分感情行為しか書いてない。

関西弁の語りの「特権性」に憧れた→まあわかる。

 本当は全部関西弁にしたかったけど、自分技術じゃ無理→すげえわかる。

 だから、一首だけ関西弁にしたお!→え???

(なんか「一首だけにしといてやった」が非関西人としての譲歩だった、とも読める。マジでこれは意味がわからない。) 

・「関西の人の反応を探るために歌会に出した」パート。実際に当事者から方言に関して否定的な反応が返ってきた、と自分で言ってる。

それを「連作という文脈で解消できるのではないか」と考えたらしい。なんで読者がああい作品連続性を確認しにくい場で連作であることを前提に読まなきゃいけないのか意味がわからない(鯨井さんはジャッジからそこらへんい対してはある程度の義務はあるとは思う)というのはまあ置いといこう。

で、「連作という文脈」がなんなのかというと、「作品主体視点人物)が東北人の上京者」であること。

ここらへんの説明がまじで意味わかんなくて、

主体東京出身人間ではないということを明示することで「標準語方言」の権力構造をとっぱらえないかと画策しました」

というのがほんとうにわからない。視点人物東北出身だと関西弁に対するオリエンタリズムが解消されるの? 標準語方言権力関係無効化されるの?? なんで???

しろ、この作品場合主体標準語権力性に乗っかって(実際、歌の大半が標準語で書かれている)、方言搾取してますって構造に見えませんか???

さら問題なのは「今回の文化盗用かどうか、わたしには判別できませんでした。」とか言っているところで、いやわかってないって自覚あるなら「連作で解消できてるとおもう!」とか言うなよ。

関西弁マイノリティといってしまっていいのか〜」のあたりはなにがいいたいのか不明瞭だけど、つまり東北弁は関西弁に比べてよりマイノリティ性が高いから、俺には関西弁をいじる権利がある」って言いたいの? なにそれ?

・そのあとの文章はぐだぐだしてるけれど要約すれば「憧れだから差別じゃないんです」というようなこと。サイードを読め。平凡社ライブラリにある。

・「下北沢」「フィッシュマンズ」「クリムト展」問題

 ・「そこに「無意識的な共犯性」「優越性」があると断罪できる根拠がどこにあるのかよくわからない」はクリティカル反駁だとおもう。そこらへんは前述のとおり。このへんの反論内容もいちいち書き出さないがリーズナブルだと思う。

 ・「最後感情に走られてしまった部分についてはどこか不信感があります」→作者でなくてもそうなりはする。

2024-10-30

anond:20241030183510

この意見はいくつかの問題点矛盾が含まれています。また、いじめ正当化するのは、職場健全環境づくりや倫理的責任観点からも大きな問題です。

 

問題点矛盾

 

1. いじめ正当化組織リスクを高める

いじめを「庶民武器」と称し、特定の人を排除する手段として認めることは、職場安全平等を損ないます。これは法的なリスクを高め、組織の評判や雇用者としての義務にも悪影響を及ぼします。厚生労働省ガイドラインに基づくと、職場いじめハラスメントは法的に禁止されており、組織にはこれを防止する責任があります

 

2. 「いじめ」と「追い出し部屋」の混同

いじめ追い出し部屋使用は、組織としての対応を誤る要因となります追い出し部屋は非効率的で、人材の適切な管理とは言えません。代わりに、職場問題がある従業員に対しては明確な評価基準に基づき、必要に応じたサポート提供するなど、建設的な対応が求められます

 

3. 「ハッタショ」への偏見

発達障害を抱える人を「ハッタショ」と表現し、いじめ対象にすることは偏見に基づいた不適切対応です。現代職場では、個々の違いを理解し、多様なニーズ対応するインクルーシブなアプローチが求められます障害者に対する差別偏見助長する行動は、職場倫理基準や法的要件に反するものです 。

 

4. 暴力的対処代替としての「いじめ」という矛盾

庶民武器」としてのいじめ暴力行為代替としていますが、これは建設的な解決策ではありません。対話や適切なフィードバック提供可能であり、いじめという手段正当化することは論理的矛盾しています職場トラブルは、正当なフィードバックを通じて解決することが求められます

 

穏当な対応

 

1. オープン対話

問題のある被雇用者面談を通じ、問題の原因や改善可能性について話し合うことは効果的です。問題特定し、改善目標を設定して、明確な指導を行うことで相互理解が深まります

 

2. メンターシップコーチング

繊細でコミュニケーション課題がある被雇用者には、メンターコーチサポート提供することも有益です。業務上の悩みやスキル向上のための支援を行い、安心して成長できる環境提供することが、職場全体の向上につながります

 

3. 適材適所の配置と役割明確化

適正に基づく配置転換や、個人に合った役割を明確にすることで、負担や不満を軽減できます人事部門管理職が適切な支援提供することで、従業員の強みを生かし、職場調和を維持することができます

 

職場では、お互いの個性尊重し、建設的なコミュニケーションを図ることが不可欠です。いじめは長期的に見ても悪影響を及ぼし、代替手段としては不適切です。

2024-10-29

anond:20241027031227

なるほど

男目線からすると、あくま他人への評価基準は「自分や周りの男が受け入れるかどうか」のみなのか

女の「安売りする女がいると市場が崩れるから叩く」的なのの男版の可能性もあるかと思ってたけど、やはりそういう「(周りと比較して)自分がどう思われるか」の視点が男にはあまりないんだなー。

「鏡見ろ!」「同世代ババアと言うならお前もジジイだよ!」という台詞よく言われるけど、とにかく自分視点すぎて自らを透明化する、一方的に「見る」存在になるというのは男の特徴の一つだと感じる

2024-10-23

コミュニティノートルールには何が書いてあるのか

前置き

Xでは、コミュニティノートという、投稿に背景情報を付加できる仕組みが運用されています特にデマ陰謀論に対してコミュニティノート付与されているのはよく見かけられます

ノートは、コミュニティノート参加者として登録した人が匿名で(正確にはコードネーム制で)ノートを書いたり、他の人が書いたノート評価する仕組みがあります

コミュニティノートに参加してノートを書くための敷居はそんなに高くないので、的外れノートやイタズラが書かれることもあります

そのようなノート評価から評価を受けるため一般ユーザーに表示されることは滅多にありません。ノートが適切に評価されるように、コミュニティノートは「追加の背景情報必要ない理由説明するノート」を書く機能があります。これは、要するにノートに対する反論です。不適切ノートに対しては誰かが反論を書いておくことで、通りすがり評価者がノートを正しく評価するのを手助けします。

ノートは、根拠となるURLを示すことが推奨されています反論においてはよくあるのは、

「~~のような指摘はコミュニティノート目的ではありません。コミュニティノートではなく返信や引用で指摘してください。コミュニティノートルール再確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/about/introduction 」

のようなものです。定番なのはパクツイ無断転載)に対して「無断転載です」というコミュニティノートが付くと、「無断転載の指摘はコミュニティノート目的ではありません」という反論が付きます

この記事で言いたいのは「いや、コミュニティノートルールにそんなこと明記されていないよ」ということです。

コミュニティノート反論も含めて文字数制限が厳しいので、主張をこの記事にまとめました。これを書いた人はこの記事を適宜引用して利用しますが、もちろん、他の人も自由引用したりリンクしたりできます

主張

コミュニティノートの根幹は「さまざまな視点を持つ十分な数の評価者が“役に立った”と評価したら、そのノートは表示される」ということだけです。

コミュニティノートドキュメントは、どのような観点評価すべきかということに重きを置いており、評価者によって意見が分かれることが大前提となっています

評価者の意見によらず、「こんなノートを表示すべき」「こんなノートは表示しないべき」という具体的なことは、コミュニティノート公式ドキュメントにはほとんど書かれていません。

ですからコミュニティノートドキュメントURLを出しながら、「コミュニティノートルール」を根拠ノート反論するのはごく一部の例外を除けば間違っています。書いていないことを書いてあるかのように見せかけて引用するのは悪質な印象操作であり、適切な評価を妨げてしまます

ノートへの反論は、あくま自分言葉で、コミュニティノートドキュメントに頼らずに行うべきです。ノートが表示されるかどうかを決めるのは、ルールではなく、評価者の意見です。

公式ドキュメントに何が書いてあるのか

ここからは、上記の主張を補強するために、コミュニティノートをどう評価すべきかについて、コミュニティノート公式ドキュメントに実際には何が書いてあるのか説明します。

意外なほど、どんなノート評価すべきかについては明記が避けられています。書かれているのはあくまコミュニティノートの「目的」であって、その目的をもとに個々のノート評価するのは評価者の仕事です。

ただし、ドキュメントを全部読むと分かりますが、一部例外的に、不適切ノートについても言及があります。そのようなノートに対する反論を書く時だけは、ルールURL根拠としてもよいでしょう。(この記事最後のまとめを参照してください。)

Xのコミュニティノートについて https://help.x.com/ja/using-x/community-notes

目的が書かれています

コミュニティノートは、Xでより正確な情報を入手できるようにすることを目的に作られた機能です。


コミュニティノートガイド 概要 https://communitynotes.x.com/guide/ja/about/introduction

こちらにも目的が書かれています

コミュニティノートは、誤解を招く可能性があるポストに、Xユーザーが協力して役に立つノートを追加できるようにすることで、より正確な情報を入手できるようにすることを目指しています

ノートの中身に言及されました。評価者は「役に立つノート」かどうかを評価することが求められています

また、「誤解を招く」という用語が登場しました。この用語はXのインターフェース上などでも使われており、コミュニティノート対象として「誤解を招く可能性があるポスト」が想定されていることが分かります

ただし、注意しなければならないのは、「誤解を招く」かどうかの判断もまたノート評価者に委ねられるということです。どのようなポストが誤解を招くとみなされるべきか、コミュニティノートドキュメントには明記されていません。

陰謀論は誤解を招く」、「無断転載は誤解を招かない」のような区分けコミュニティノートドキュメントに一切書かれていません。個々のケースに応じてそれを判断するのも評価者の仕事のうちです。

まり、「この投稿は誤解を招いていないのでコミュニティノート不要です。コミュニティノートルール再確認してください」のような反論は不十分です。反論は、他の評価者が「これは誤解を招いていない」と納得してもらうのが目的であり、コミュニティノートドキュメントはその根拠になりません。

Xがノート作成評価を行ったり、ノートに介入したりすることはありません(Xルール違反している場合を除きます)。Xでは、表示されるノートユーザー意見によって決めることは、正確な情報を入手するのに役立つ背景情報を追加するための公平で効果的な方法であると考えています

Xがノート評価を行うことはないと書かれています。もちろん、評価という実作業ルール整備とは別のものですが、ここでも「表示されるノートユーザー意見によって決める」ことが強調されています

よくある質問 https://communitynotes.x.com/guide/ja/about/faq

コミュニティノートによる注釈対象となるのは、どのようなポストですか?

どのようなポストにも、コミュニティノートが表示される可能性はあります

「○○のようなポストに対してはノート不要」といった基準をXの側で用意していないことを示す記述です。どんな内容の投稿であっても、評価者がノート必要判断したのであれば、ノートが表示される可能性があります

Xでは現在、人々がさまざまな視点から役に立ち、参考になると考える背景情報を、コミュニティノートが確実に提供できるようになることに焦点を合わせています

コミュニティノートは、さまざまな視点からユーザー有益で役に立つ背景情報提供するために作られており、Xのその他のポリシールールを補完することを目的としています

コミュニティノート目的はさまざまな箇所で繰り返し説明されています

理念 https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/values

コミュニティノート理念説明するページであり、特にノート評価にあたって参考になるページです。

コミュニティノートは、ポストの背景情報を、多様な視点を持つ広範な人々に役立つ方法提供することを目的としています

コミュニティノートは、ポストを読んだユーザーが、常により優れた情報を把握できるように、有益な背景情報提供することを目指していますノートは、取るに足らない内容を気軽に投稿したり、個人的意見侮蔑的な内容を投稿したりする場所ではありません。ポストについてや、それが誤解を招くかもしれない理由について、自分とは反対の意見を持つ人々も含め、誰もがより深く理解できるように、明確で根拠に基づいたノート作成しましょう。

この箇所は、珍しく不適切ノート内容に言及されています。「取るに足らない内容」は結局評価者に委ねられるのでさて置いて、「個人的意見侮蔑的な内容」についてはノートとして適切ではありません。このようなノートに対する反論としてなら、コミュニティノート理念引用することができます

個人的意見」の逆は、「客観的事実」です。そのため、客観的事実をもとに指摘しているのであれば、そんな指摘はコミュニティノートでしなくていいと思ったとしても、コミュニティノート理念引用できません。自分言葉反論すべきです。

コミュニティノートは、異なる視点を持つ可能性のある人々も含め、あらゆる人々がポスト議論されている問題について、より深く理解できるようにすることを目的としていますあなた意見同意しない可能性のある人々にも、有益性と敬意を感じ取ってもらえそうな投稿を心がけてください。ヘイト表現中傷表現扇動的表現は避けてください。

ここでも、「ヘイト表現中傷表現扇動的表現」がノートにふさわしくない内容として言及されています。このようなノートに対する反論としても理念引用することができます(ただし、ヘイト表現などはXルールそもそも違反するため、ノート反論するよりもノートを報告してしまうほうが適切かもしれません)。

ノート作成 https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/writing-notes

対象ポストが誤解を招く可能性があり、追加された背景情報事実理解に役立つとノートで主張する場合、そのノートが十分な数の協力者により「役に立った」と評価されると、対象ポストに表示されます

ここでもコミュニティノートの仕組みが繰り返されています

Xで公開されるノート https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/notes-on-twitter

コミュニティノートは、Xで誤解を招く可能性のある情報に遭遇したユーザーに、役に立つ背景情報提示することを目指しています

コミュティノート目的です。

例とノート作成のヒント https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/examples

役に立つノートと役に立たないノートの特徴が列挙されています。また、例も掲載されています

役に立つノートの特徴は「品質の高い資料引用している」などで、役に立たないノートの特徴は「出典が含まれていないか、信頼できない」「情報が正しくない」などです。

一見すると、どのようなノート必要不要なのか明確に書かれているようですが、注意すべきことがあります

これらの特徴は、評価UIチェックボックスの内容そのままです。つまり、これらはノート評価基準であり、逆に言えば評価基準しかないということです。実際にノートの表示・非表示に繋がるのは、これらの基準に従った個々の評価者の評価です。

ですから、やはりノート反論根拠として使えるページではありません。例えば、こんな反論反論になっていません。

「このノートには誤った情報が含まれています情報が正しくないノートを書かないでください。コミュニティノートガイドをご確認ください https://communitynotes.x.com/guide/ja/contributing/examples

ここでコミュニティノートガイドURL根拠にされても、意味がありません。その評価基準はもうUIに書いてあるので分かっています。それよりも、なぜ情報が正しくないのか、そちらを反論に載せるべきです。

これは極端な例でしたが、このようにコミュニティノートガイドURLを使って反論しても、評価基準説明しただけで中身のない反論となってしまます

反論ノートに求められているのはさらにその先で、「評価基準に照らして、なぜそのノートを低評価すべきなのか」をきちんと説明することです。

まとめ

コミュニティノートガイドの全てのページを見ても、どのようなノートが適切か、適切でないかの具体的な説明は限られています理念のページで以下の内容が不適切とされている以外は、すべて目的説明評価制度説明です。

よって、コミュニティノートに対して、以上の内容に当てはまらない反論を行いたい場合は、「コミュニティノートガイドをご確認ください」のようにコミュニティノートガイド根拠とした反論はできません(したとしても、中身のない反論になってしま意味がありません)。

そうではなく、なぜそのノートが役に立たないのか、ルールに頼らずに説明する必要があります

反論

この記事に対する反論がされることもあるようなので、コメントします。

はてな匿名ダイアリーに書かれた誰が書いたかも分からない記事根拠にならない」

当たらない反論です。この記事は「誰が書いたか関係なく、内容を読めば分かる記事」です。

この記事を使う人は、「この記事があるという事実」を根拠に使うのではなく「この記事に書かれている内容」を根拠に使います

そのため、誰が書いたかからないことは反論になりません。この記事に対して反論するのであれば、この記事の中身に反論する必要があります

「再投稿は甘え」である理由

1. 潔さがない

初めて投稿した時の反応が思うようにいかなくても、それを受け入れて潔く去るのが「男らしい」「潔い」とされる文化があります。そのため、再投稿すると「受け入れられなかったことを認めたくないのか」と思われがち。

2. 話題押し売り

読者にとって、同じ話題が再投稿されると「またかよ」と思われることが多い。新鮮味がないし、わざわざ再投稿してまで読ませる必要があるのか?という疑問も生まれがちです。

3. 評価公平性

最初投稿に対する反応(スターブックマークなど)がその人の文章や内容の評価とも言えるわけです。再投稿してしまうと、その評価基準を無視して「もっと評価してくれ」というように見えるため、甘えと見なされることがあるんです。

要するに、「一度出したらそれがそのまま評価だ」というスタンスがあるから、再投稿は甘えと見られることが多いんでしょうね。でもまあ、どうしても伝えたいことがあるなら、ちょっとアプローチを変えて再投稿してみるのもアリかもしれません。

2024-10-18

anond:20241018165702

この意見はいくつかの論点が含まれており、その中に問題点矛盾が見られる点もあります。以下に具体的に指摘します。

1. 「未発展性」を求める旅行経済比較問題

問題点: 意見の中で、「日本人東南アジア旅行するのは未発展性を求めるため」と述べていますが、旅行目的がその国の経済水準を評価する基準とはならない点が問題です。観光客観光地や現地の文化、コストパフォーマンスなどの理由で訪れることが多く、それがその国の経済全体の発展度を表すものではありません。

矛盾点: 旅行者が「未発展性」を求めていると述べつつも、同時に東南アジア諸国の発展を認めています。これにより、評価基準が一貫していない印象を与えます

2. インフラ公衆衛生重要

• 適切な指摘: 意見の中で、日本インフラ公衆衛生教育レベルにおいて優れているとしていますが、これは一般的に正しい指摘です。日本は長い時間をかけてインフラ整備や社会保障制度を発展させてきたため、多くの市民がその恩恵を受けていると言えます

問題点: しかし、東南アジア諸国でも都市部ではインフラが急速に整備されているため、日本と比べて「汚さ」や「雑さ」といったイメージで一括りにするのは適切ではないかもしれません。特に国や地域によって発展度合いが大きく異なることを考慮すべきです。

3. 所得格差に関する視点

• 適切な指摘: 日本所得分布比較的なだらかであることを評価している点は、事実に基づいた意見です。アメリカなどに比べると、日本所得格差は小さいとされています

問題点: しかし、日本でも近年、非正規雇用の増加や地域間の経済格差が問題となっており、所得格差が拡大している現実があります。したがって、「極端なレベルではなく、なだらかだ」という認識現在日本実態完全に一致しているかどうかには疑問があります

4. 「お金で手に入るもの」と「お金で手に入らないもの」についての議論

• 適切な指摘: 日本社会システムインフラの整備度が高いことを指摘している点は、一般的評価されている通りです。教育医療など、多くのサービス比較安価に利用できることは、日本の豊かさの一因といえるでしょう。

問題点: ただし、東南アジア諸国経済成長に伴い、これらのサービスの質やアクセス可能性が急速に向上しています。この点を過小評価していると、日本の優位性を過大に評価することにつながるかもしれません。

5. 日本の豊かさの評価基準一貫性の欠如

矛盾点: 意見の中で、日本がなお豊かである理由として「お金で手に入らないもの」と「お金で手に入るもの」の両面から評価していますが、その基準が一貫していない点が問題です。どちらの基準を重視するのかが明確でないため、議論の焦点が散漫になる恐れがあります

総合評価

この意見は、日本の豊かさを評価する際にインフラ社会制度の整備度を重視している点や、日本東南アジア経済状況の違いについて一定の理解を示している点では有効な部分もありますしかし、東南アジア諸国の発展を過小評価している可能性や、日本国内の所得格差を軽視している点など、いくつかの問題点矛盾が含まれています。また、日本の豊かさの評価基準が明確でないため、議論において一貫性を欠いている点も改善余地があります

より客観的評価を行うためには、日本他国経済状況や生活水準に関するデータを基にした分析必要です。また、複数観点から比較を行うことで、よりバランスの取れた評価可能になるでしょう。

anond:20241018101919

政党評価する際に、イメージ感覚に頼ることで迷いや不一致が生じる問題解決するためには、以下の方法有効です。

1. 評価基準明確化

評価基準を明確に設定することで、個々人が同じ尺度政党評価できるようにすることが重要です。評価基準を明文化し、チェックシートスコアカードの形で具体化することで、客観的比較可能になります。以下のステップを推奨します:

• 項目の設定:経済政策社会福祉政策人権多様性、透明性など、具体的な評価項目を設定。

• 重みづけの設定:自分にとって重要な項目に高い重みをつける。

スコアリング:各政党に対して1〜5のスコアを付け、数値化する。

2. 政党政策データベース化する

政党公約政策を、信頼できるデータベースにまとめることが有効です。このようなデータベースを利用することで、具体的な政策過去の行動をもとに比較でき、イメージではなく実際のデータを基に判断できます。たとえば、「マニフェストポリス」や「選挙ドットコム」などの政治情報サイトを利用することが推奨されます

3. ディスカッションフィードバック

評価基準に基づいた政党評価結果を共有し、他者ディスカッションを行うことで、客観的視点を取り入れることができます。異なる観点を持つ人と議論することで、視野が広がり、自分評価基準再確認したり、修正したりすることが可能です。

4. メディア・リテラシーの向上

イメージ感情に流されないために、メディア・リテラシーを向上させることも重要です。ニュースSNS流れる情報鵜呑みにせず、複数情報から情報比較し、バイアス誤報を見極める訓練をすることで、より冷静な判断ができるようになります

5. 政党候補者トラッキング

政党候補者過去にどのような発言や行動を取ってきたかを記録しておくことで、実際に行動と公約が一致しているか確認できます。このようなトラッキングを行うことで、イメージではなく、事実に基づいた評価可能になります

6. 価値観チェックリスト活用

自分価値観重要視する政策についてのチェックリストを事前に作成しておくと、各政党自分価値観にどの程度一致しているかを明確に比較できます。これにより、議論する際にも基準が共有されやすくなり、他人と噛み合わない問題を軽減できます

まとめ

評価基準明確化することで、イメージに頼らず具体的な事実に基づいた比較ができる。

データベース化した情報を用いて、客観的政党評価する。

ディスカッションフィードバック視野を広げ、他人意見も取り入れる。

メディア・リテラシーを高めて、情報の真偽を見極める力を養う。

価値観チェックリストを使い、自分価値観に合った政党を明確に把握する。

これらの方法を組み合わせることで、政党評価基準明確化し、より理性的かつ客観的政党比較やすくなります。また、他人政党について議論する際にも、共通基準があるため噛み合いやすくなります

政党評価チェックシート(汎用型)

以下は、衆議院選挙投票先を検討する際に使える「政党評価チェックシート」です。さまざまな観点から政党評価できるように設計しました。

 

政党評価チェックシート

評価項目

質問

評価基準 (1〜5)

 

政策の具体性

政策提言が具体的で現実的か?

1: 抽象的で実現性が低い、5: 具体的で実現可能性が高い

 

政策一貫性

過去の主張と現在の主張に一貫性があるか?

1: 矛盾が多い、5: 一貫している

 

透明性と説明責任

政策根拠意思決定プロセスが明確に示されているか? 1: 不明瞭、5: 透明性が高い

 

倫理信頼性

不祥事スキャンダルの発生頻度とその対応が誠実か?

1: 不誠実な対応、5: 誠実に対応

 

経済政策

経済成長雇用対策についての政策現実的効果的か?

1: 効果が薄い、5: 効果が期待できる

 

社会福祉政策

年金医療教育などの社会福祉政策が充実しているか? 1: 不十分、5: 充実している

 

環境政策

環境問題への取り組みが具体的で実効性があるか?

1: 取り組みが弱い、5: 積極的かつ具体的

 

人権多様性尊重

人権多様性尊重積極的か?

1: 配慮がない、5: 積極的尊重

 

外交安全保障

外交政策安全保障に対する考えが現実的かつ安定的か?

1: 不安定、5: 安定的かつ現実的

 

候補者資質

候補者自身経験資質信頼性が十分か?

1: 資質に欠ける、5: 資質が高い

 

国民との距離感

有権者の声を反映しようとしているか

1: 国民の声を無視、5: 国民に寄り添う姿勢がある

 

透明な資金調達

政党資金調達方法が透明か?

1: 不透明、5: 透明性が高い

 

将来のビジョン

国の将来について明確なビジョンを持っているか

1: ビジョンがない、5: 明確なビジョンがある

 

選挙公約の実行力

選挙公約過去にどの程度実行してきたか

1: 実行されていない、5: 実行力がある

 

他党との協力姿勢

他の政党と協力する姿勢を持っているか

1: 対立が多い、5: 協力姿勢が強い

 

使用方法

1. 各質問について政党評価し、1から5の範囲で点数をつけます。

2. 最終的に全項目の点数を合計し、政党総合評価を行います

3. 点数の高い政党ほど、自分価値観や考え方に合致する可能性が高いと考えられます

改善

チェックシート使用する際、各政党公式ウェブサイトニュース記事など、信頼できる情報源をもとに評価することを推奨します。

自身価値観や優先事項に応じて、各評価項目に重みをつけることで、より自分に合った政党を選びやすくなります

このチェックシートを用いることで、政党政策姿勢についてより客観的かつ総合的に評価し、納得のいく投票先を見つけやすくなるでしょう。

2024-10-17

月刊アフタヌーン史上、最重要漫画10

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20選  https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

週刊ビッグコミックスピリッツ史上最も重要マンガ5選 https://anond.hatelabo.jp/20241014232424

週刊ヤングマガジン史上、最重要漫画10選 https://anond.hatelabo.jp/20241016182953

なんか流れにのって「誰かアフタヌーンやらないのかな?」とか言ってたら、「自分でやっては…?」と言われたので、

そこまで詳しい自信もないが、知らんわけでもないぐらいのところなので、とりあえず書いた

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ああっ女神さまっ藤島康介

アフタヌーン初期の重要作品は、明らかにこれ。Wikipediaにも「看板作家であった藤島康介以外はほとんど無名新人作家作品掲載」と書かれているように、初期のアフタヌーンはこの作品で支えていたという状況だったと理解している。

ブコメで「初期の核はモーニング作家や、園田健一とかあさりよしとおとか方面作家」とのコメントいただいた。あと、トニーたけざきも。

寄生獣岩明均

これは満場一致になると信じている。作品としてのクオリティはもちろん、知名度評価の高さ含めて、総合的に日本漫画史上の傑作の一つでしょう。『ヒストリエ』も入れたいところだが。一人一作ということで。

無限の住人沙村広明

オタクマーケットにおける、90年代後半のアフタヌーンイメージは『ああっ女神さまっ』『無限の住人』の2つが強かったという記憶がある。次作、『波よ聞いてくれ』もむろん快作で、個人的には『波よ聞いてくれ』のほうが好きだがアフタヌーンという雑誌にとっての重要度という話だと、まあ、順当に『無限の住人』かな、と。

げんしけん木尾士目

げんしけん』がベスト10に入るかどうかは評価基準次第というところがあると思う。ヒット作以外のところで、「アフタヌーン雑誌ブランドのコアとは何かと考えると、サブカル系マンガ表現開拓者ですよね、ということだと思う(四季賞含めて)。そのブランドが熱心な雑誌購読者を育んできた雑誌であることは明らかで、その基準で考えると、本作は順当に重要作品かと思っている。

おおきく振りかぶってひぐちアサ

ひぐちアサは、『おお振り』の前はもっと人間関係がたいへんそうな話を書いていて、ある意味そのときのほうが「いかにもアフタヌーンらしいマンガ」だったが、路線転換をしたのかなと思われた、本作がその後ここまで大きくヒットするのは連載がはじまったときちょっと想像していなかった。

ヴィンランド・サガ幸村誠

少年マガジンで連載がはじまったが、ほとんどの連載はアフタヌーン。幸村先生は『プラネテス』(モーニング連載)も代表作とする人もいるとは思うが、順当に考えたら、もう20年近く連載している『ヴィンランド・サガ』だろうかと思う。まあ、この作品ベスト10に入るも、まあ順当か。

百舌谷さん逆上する篠房六郎

この作品ベスト10かというのも、やや判断割れるとは思うが、基本的には木尾士目げんしけん』とほぼ同じ観点から篠房六郎作品であれば、個人的には他の作品も全部入って良いと思っているが、一つ選ぶなら、ヒット作の『百舌谷さん』になるだろうという判断

茄子黒田硫黄

黒田硫黄存在自体が、若い漫画読みから忘れられつつある印象があるが、2000年前後アフタヌーンを毎月買っていた人間にとって、黒田硫黄存在感が圧倒的だったのは確かなことだったと思う。捻くれたサブカルだったら「黒田硫黄が好き」とか言うのは、ぜんぜん捻くれてないチョイス過ぎて、言うと恥ずかしいぐらいの存在感だった。宮崎駿御大まで「このおもしろさが判る奴は本物だ」とか、はずかしい推薦の言葉を帯に捧げ、ジブリ系のアニメーターである高坂希太郎監督によって作品の一部がアニメ化もされた(制作マッドハウス)。『大日本天狗党絵詞』も衝撃的な作品だったが、黒田硫黄存在感もっとも強かった時期の作品ということで挙げればこれかと、思う。

宝石の国市川春子

個人的市川春子はそんなにハマっていないのだけれども、客観的に見て、支持の厚さ、連載期間、メディア化、受賞状況などから鑑みて、この作品を入れないわけにはいかないだろうということで。

ブルーピリオド山口つばさ

近年の作品から一つ選ぶなら、まずこれですかね、という感がある。作品自体も登場時に衝撃を受けたが、その後のヒットまでうまく繋がり、人気作に育って本当に良かった。

次点

蟲師漆原友紀) 人によっては、こっちを10選にいれる人はけっこういるとは思う。筆頭候補

ラブやん田丸浩史

BLAME!弐瓶勉弐瓶作品10本縛りがなければ、どっちかを入れたいところ。個人的に『BLAME!』はアフタヌーンイメージが強い。

シドニアの騎士弐瓶勉)同上

・ハックス!(今井哲也) 今井作品も一つは入れたいところだが…。

なるたる鬼頭莫宏) 鬼頭作品なら『ぼくらの』(IKKI)の方が一般重要作か、ということで除外

メダリスト(つるまいかだ) 最近作品ブルーピリオド以外にいれるならこれが筆頭か。

スキップローファー高松美咲) 最近作品での上位候補

勇午赤名修/真刈信二) 個人的には大好き。塩漬けなど、ミームになるパワーがある作品だと思う。

Spirit of Wonder(鶴田謙二) 重要作品だとの認識はある

EDEN遠藤浩輝) EDEN入れる人もいるとは思うが、だいぶ意見分かれるかな、という印象。

臨死!!江古田ちゃん瀧波ユカリ

砲神エグザクソン園田健一

GUN SMITH CATS園田健一

青野くんに触りたいから死にたい椎名うみ) 

ヨコハマ買い出し紀行芦奈野ひとし

天国大魔境(石黒正数) 

フラジャイル 病理医岸京一郎の所見恵三朗/草水 敏)

・あっかんべェ一休坂口尚

越後荒川堂夜話(石坂和道)

黄色い本高野文子

・来世は他人がいい(小西明日翔

ハトのおよめさんハグキ

同一作家の別作品を入れたので除外

ヒストリエ岩明均) ごく順当に重要作品だとは思う。

波よ聞いてくれ沙村広明) 同上。

大日本天狗党絵詞黒田硫黄

・あたらしい朝(黒田硫黄

四年生木尾士目

・五年生(木尾士目

ぢごぷり木尾士目

空談師(篠房六郎

 

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まとめる作業してて思ったが、

「あれ、これアフタヌーンじゃなくて、IKKIなんだっけ?」っていう記憶の間違いがけっこうあった。

2024-10-18追記ブコメ対応):

・『アンダーカレントふつう意識の外だったけど、雑誌買ってなかった時期に、単行本で読んだので、アフタヌーンという認識ぜんぜんなかった。大変失礼いたしました。位置付け的に確かに入っておかしくない作品だと思う。

「・「ガロからアックス」の境目だったから、ああいテイスト避難地になってた印象。」とのコメントも、なるほどと思ったので確認したら、ガロがほぼ休刊になったのが、97年7月で、アックスが98年なので、97年~98年スタート作品ということかな?ちょっとよくわかってない。

植芝理一ディスコミュニケーション』が魅力のある作品だとは個人的にも思うが、周囲でこの作品の話してた人ほぼいなかったんだよね。観測範囲問題かとは思う。

・『大合作』について複数コメントあり、扱いどうすればいいんですかね…

・『神戸在住』もコメント多めで、ここらへんも確かに好きな人多いですよね。

・『地雷震』(髙橋ツトム)の適切な位置付けはあまりよくわかってない。読んではいた。

・『カラスヤサトシ』『ワッハマン』も同様。

・『菫画報』はふつうに好きだけど、こういう選のなかに入るような層の厚い評価文脈ってあるの…?

・『ワンダンス』を次点ぐらいには入れてほしいとのこと。ちなみに、個人的に好きというだけだけで言うと、次点にも入れなかったけど、『リンガフランカ』(滝沢 麻耶)は好き。個人的気持ちとしては清家雪子とかも、もっと売れてほしいなと思っている。

五十嵐大介は、代表作は『リトル・フォレスト』より、『海獣の子供』(IKKI)のほうなのかな?とぼんやり認識なので、入れなかったけど、認識ぼんやりしてる

とよ田みのるは、『『これ描いて死ね』』(ゲッサン)のほうが代表作になるかなと思って、いれてない。

・冬目 景は四季賞デビューアフタヌーン作品複数あるが、『羊のうた』(コミックバーガーコミックバーズ)『『イエスタデイをうたって』』(ビジネスジャンプグランドジャンプ)いずれも他誌

四季賞受賞したデビュー作の衝撃がすごかったという人が、けっこういるのは完全に同意四季賞は、他誌の新人作家向けの賞とは明らかに位置けが異なる賞だと思う。

あらためて思ったが、アフタヌーン作品評価文脈はいろいろあって複雑だな、と感じる。ブコメでも書いていただいたが、アフタヌーンは、他の雑誌よりも10選とかやったら、合意とりづらいのはそうだと思う。「これがヒット作です」的な基準の外側に「この文脈ではすげー評価されてるし…!」というような文脈が、いろんな形で存在しているので、合意とりづらいところが、アフタヌーンの良さなんじゃないかとは思っている。

2024年11月28日追記

熱量のある反応をいただいていたので。ありがとうございます

https://msknmr.hatenablog.com/entry/2024/11/20/123000

ちなみに、完全に個人的に10選ぶなら、こんな感じだろうかと思う。

滝沢 麻耶リンガフランカ

黒田硫黄大日本天狗党絵詞

銀峰瑞穂清家雪子)『孤陋』(四季賞作品

岩明均ヒストリエ

篠房六郎空談師』

沙村広明波よ聞いてくれ

山口つばさブルーピリオド

真鍋昌平スマグラー

木尾士目ぢごぷり

赤名修真刈信二勇午

2024-10-16

anond:20241016211229

関西弁に書き換えてみた。

ほな、行くで~!

おつかれさん!

ESってほんま大変やんな~!

いから見たらな、ちょっと考えすぎちゃうか?wwwって思うねん。

会社が欲しがってる人材って、言うたら自我のないロボットやねん。

そのロボットに、自己PR自我出せって言うてくるの、不思議すぎひん?

これ、罠やで。

たとえばな、ナオン女の子)を口説くときに、「俺、下心ありまくりやでwww」って言わへんやろ?

下心ないやつは、下心あるともないとも言わへんもんや。

でもな、あんまり大人しすぎるとヌイペニ現象空気読めへん感じ)になるから微妙バランス大事やねん。

あるかないかって言うたら、ギリギリない方に近い「あり」を見せるねん。

ほんでやな、ホテル行ったら「ありよりのあり」を求められるやろ?

これな、自己PR塩梅とまったく一緒やねん!!

ほんまに自我のないロボットみたいなやつは、なぜか採用されへん!

せやけど、自我シマシでクリエイティブの獣みたいなんも、採用されへん!

狙うべきは、ギリ自我ないよりの「あり」ってところやで。

出題者の意図を汲み取って、先回りして答える、これがコツや。

からな、自己PRは基本コピペでええねん。

でも100%コピペあかんで。

2割は自分を出すねん。

これが社会人としての塩梅やねん。

ちなみに、2割自我出そうとしたら、せいぜい1割しか入らんねんけどな。

それでええねん!

とりあえず提出してまえ!

読むほうも毎日ES読みすぎて壊れかけとるから評価基準なんか揺れまくっとるんや。

その上振れしたとこに、自我1割を入れたらどうなる?

2割に見えるねん!!

これが社会人感覚やで~~~。

社会人ではな、ゴールポストは動き続けんねん。

動いた先に先回りしてシュートや!

これが極意やねん。

「いやいや、ゴールがどっちに動くか分からんやん」って思うやろ?

その通りや。

上下左右どっちにブレるか分からんゴールポストやけど、ブレ方にはパターンがあるんやで。

それは、しっちゃかめっちゃかにブレるっちゅうことや!

のしっちゃかめっちゃかを集計したら、ガウス分布になるねん。

これ、分かるか?

まり、こっちがどう頑張っても完全にコントロールできんっちゅうことや!

社会に出たら、そんなケースはしょっちゅうや。

飛び込み営業行ったら、たまたまムード最悪で追い払われるとか。

取引先に向かう途中で渋滞に巻き込まれるとか。

そういう制御不能世界普通やねん。

そういうときどうする?諦めるんか?

!!!

最高の工学アプローチがあるんやで!

それは、試行回数を増やすことや!

撃ちまくれ!!!

これやねん。

どこにゴールがあるか分からんかったら、撃ちようもないけど、自己PRに2割自我を入れるってのが分かってたら、ゴールは見えたんや!

あとは、その方向に撃ちまくればええだけや!

そしたら、運が向いてきたら勝ちやで。

ESは、会社の数だけ撃てるんやから、負けへん!

絶対に勝てるで!

ES通過することを祈ってるわ!

ちなみに二次面接以降は、自我2割やったら落ちるからな。

それはもう、ホテル行った後の世界や。

切り替えていかんと落ちるで。

でもええねん。切り替えさえすれば、問題を「分かってる」ことを示せたらそれでええんや

自我2割以上ならなんでもええねん!

せやけどまあ、自我5割くらい出しときなwww

あんたの場合は、まず精神論重要やで。

近所の神社に行って、手水の作法から二拍一礼一拍まで覚えて、「なんかいけそう」な気分を手に入れるんが一丁目一番地や。

今日は早よ寝て、明日の朝一で神社行きや!

グッドラックやで~!

anond:20241016203848

おつかれおつかれ。

ESね~大変なんだよね!

おれから見るとね~考えすぎじゃねwwwって気がするよね。

会社が欲しい人材って、自我のないロボットなんだよね。

その人材に、自己PRで自我みせな?って言ってくるの、意味不明に見えるよね。

これ罠。

例えばね~ナオン口説くときに、「俺下心すっごいスよwww」とは言わないわけよ。

下心ないものは、下心あるともないとも言わないのよ。

かと言って大人しすぎるとヌイペニ現象から微妙なわけよ。

あるかないかっていうと、ギリないよりのありってところを示すわけよ。

そんでもって、ホテル行ったらありよりのありって役割が求められるわけよ。

これはね、自己PRの塩梅と全く一緒!!

全く自我のないマジもんのロボットは、なぜか採られない!

一方で、自我シマシの、クリエイティブの獣みたいなやつも、なぜか採られない!

狙うのは、ギリ自我ないよりの、ありって塩梅よ。

出題に対して、出題者の意図を汲み取って、先回りして答えるわけよ。

からね、自己PRはコピペよ。

ただし100%コピペはだめよ。

2割。

2割自我入れる。

これなのよ。

この塩梅社会人なのよ。

ちなみにね、2割自我入れようとすると、せいぜい1割しか入んないんだわ。

いいんです!!!

提出してください!!!

読むほうも毎日ES読みまくってもう壊れかけてるから評価基準上下左右に揺れ動いてるわけですよ。

その、上振れしたところに、自我1割を入れるとどうなるか?

2割になる!!!

この感覚社会人ですよね~~~。

社会人では、ゴールポストは動き続けるんですよ。

動いた先に、先回りしてシュート!

これなんですよね~~~!

これ極意です。

いやいや、ゴールがどっち向きに動いてるか、わかんないじゃないですかって、思うじゃん?

いいですよ、その通りなんですよ。

上下左右どっちにブレるかわからないゴールポスト・・・

でも、ブレ方には規則性があるんですよ・・・

それは、ずばりしっちゃかめっちゃかにブレる!!

のしっちゃかめっちゃかのブレ方は集計すると、ガウス分布になるんですよ。

これわかります???

コントロールできないってことなんですよ!

こちら側の努力では、問題解決できないってことなんです!

こういうケース、社会出たら、日常茶飯事ですから

飛び込み営業したら、たまたまムード最悪で追っ払われた~とか。

取引先に向かう営業車が、たまたま渋滞に巻き込まれちゃった~とか。

制御不能世界ってめっちゃ普通なんです。

そういう時どうするか?諦めるか?

!!!

あるんです、最高の工学アプローチが。

それは試行を増やす

撃って撃って撃ちまくれ!

これなんですよね。

どこにゴールポストあるかわからなかったら、撃ち込みようもないわけですが、自己PRに含めるべき自我割合が2割って、お伝えしました。

これで、ゴールポスト見えました。

あとは、この方向に、撃ちまくれ!!!

これで、運が向いてくれば勝ちです。

ESは、会社の数だけ撃てる!

から、負けない!絶対可憐チルドレン

そういうことなんですよ。

ES通過することを、祈ってます

ちなみに二次面接以降は、自我2割だと落ちますからね。

それは、もはや、ホテル行った後の世界なんです。

切り替えていかないと落ちます

でもいいの。切り替わりさえすればいいの。

解くべき問題を「分かってる」ことを確かめるだけなんだから

自我2割以上なら、なんでもいいの!!!

とはいえまあ、自我5割出しなwww

あなた場合は、まずは精神論重要ですよ。

近所の神社行って、手水の作法から二拍一礼一拍から、覚えるまで参拝して、「なんか行けそう感」を獲得するのが一丁目一番地です。

今日は早く寝て、明日朝一で神社行きなさーい!

グッドラック

2024-10-11

ぬるま湯アカデミアとJTCを駆逐したい

最近Twitter(X)で「アカデミアはぬるま湯だ」と嘆くツイートを目にして、思わず共感してしまった。ああ、私だけじゃないんだな、こう思っているのは、と少し心が軽くなった。

正直に言うと、私はアカデミアが苦手だ。「頑張る」のハードルが驚くほど低く、しか特権意識だけは人一倍強い。生産性を感じない人が多い。

大学時代から私は研究が好きで、文系分野でトップを目指して走り続けた。修士課程の頃には実績の数も抜きん出ていて、周囲から「優秀な若手研究者」として評価されていたし、私自身も博士課程に進んでからもこのままトップを走り続けるのだろうと、漠然と信じていた。

博士に進んでからは、視野を広げるために積極的に他分野の講義民間企業インターンに参加し始めた。就活はしない予定だったが、アカデミアでのポジション確立されたら外の世界を知る機会はもうないだろうと思い、社会勉強のつもりで足を踏み入れてみた。

そこで私の人生は一変した。

まず最初に、インターンでは今まで出会たことのないような優秀な学生出会えた。全国から集められた優秀な学生たちはキラキラとやる気に満ち溢れていて、ストイック能力が高かった。今までアカデミアで出会たことがないタイプの人たちだった。彼らと出会って、外の世界にはこんなに優秀な人たちがいるのかと驚いた。

私はアカデミアにいる人が好きじゃなかった。なんだかじめじめしていて、ガッツが足りず、本気を感じない。コミュニケーションもどこかおかしいし、全体的にバランスいびつで、言葉は悪いけど「社会不適合者」が多い印象だった。

インターン出会った人たちは爽やかで元気よく、アベレージの高い人々だった。頭も切れて体力もあり、歯を食いしばってでも努力して大きなことを実現してくれそうな雰囲気だった。

できない理由を並べ立ててはすぐばてる、「精一杯頑張っている」と言いながらそのハードルが低いアカデミアの人たちとは全く違った。

私はこのインターンを通して、外の世界の魅力に気づいてしまった。

他分野の講義では文系学問の舐めっぷりを実感することになった。理系講義では内容が濃いのはもちろん、毎回の課題の多さと試験がしっかり行われている点に驚きがあった。

私のいる文系分野では毎週の課題基本的になく、期末に既成事実作り程度の2000字のレポートが1つ出るくらいだった。まさか「しっかり勉強している学部」では1回の講義で3000字のレポートが出たり、期末が試験プレゼンレポートの3つでセットだったりするとは思わなかった。

理系と比べて文系は本当に「何もしていない」に等しいなと痛感した。大学時代でかなり差が開いているだろうなと思った。もちろん、他の文系学部ではしっかり勉強しているところもあるのだろうが、私のいた学部はゆるかった。

他分野の講義を受け始めた当初は、あまり実学っぷりに、世の中にはこれほど社会に役立つ学問があるのか…と驚いたりしたものだが、そのうち理系にも世の中の役に立っていない(と言われそうな)分野はあるのだなと気づきはじめた。今まで文系ばかりが「役に立たない」と批判されがちだが、理系にも似たような問題を抱えている分野があるのだと知った。「文系理系わず、役に立たない学問はある」と結論付けた。

このように過ごしていると、今まで身を置いてきたアカデミアがだんだん矮小に見えてきた。

本気をやっていないな、と思うようになった。

表向きは研究価値を声高に主張するものの、実際にその価値説明する能力に欠けているところ。「学問価値自明のものだ、蒙昧め」と言わんばかりの閉鎖的な特権意識。外の世界説明責任を感じておらず、接点を持とうとしないところ。

もっとアカデミアは外の世界に開かれるべきだし、適切な評価基準に基づいて判断されるべきだと思う。しかし、現実はそうならないだろう。これ以上頑張りたくないだろうから自分たち権利を守るために、自分たちが頑張らなくて良いように抵抗するんだろうな。

外の世界では、世の中を実際に良くするために歯を食いしばってでも本気をやっている人がいるのに。

最終的に私は、アカデミアの甘さが嫌になり、博士課程まで進んだにもかかわらず民間就職することに決めた。しかし後悔はない。外の世界の方が、優秀な人はたくさんいるって分かったから。

民間就活ではJTCにも嫌気がさした。

社員たちは平々凡々で自立心がなく、組織従順自分から何もしない。それでも特権意識だけはある。一体今まで何を成し遂げてきたんだろう、と疑問に思うようなふわふわした話し方と、しまりのない表情の社員が多かった。私は自立して明確な成果を出しながら走りたいと思った。

結局、私に初めて衝撃を与えたインターンから内定をもらった。そこは世界舞台に、本当に優秀な人たちと働ける環境だった。

出会った社員たちは全員がストイックで、甘えがなくて、数多くの修羅場をくぐり抜けたかのような覚悟と本気を感じさせる人たちだった。この場所なら、ベストを尽くしてもっと強くなれると思った。そして世の中のために実際に役に立てるような気もした。

研究とは離れてしまう。これから人生どうしようかな。

私は今まで研究に本気だったから、何をしていこうかまだ分からない。

本当のことをいうと、アカデミアがもっと優秀な人たちがいる環境だったら、残りたかったな。研究自体は好きだったから。

アカデミアに優秀な人間が集まるようには、私の仕事ではできないだろうから、せめて外の世界アカデミアがもっと開かれるように、そして甘えた人々が引き締まるような働きかけをしていこうかな。それに加えて、JTCの社員たちにももっとシャキッとするように変革を起こせたらな。こういう仕事ならきっとできると思う。

でもこれって、闇落ちだよねと思う。アカデミアやJTCを許せないというネガティブ感情で動くのだから社会のためにも私のためにもならないな。

これから私、どうやって生きていったら良いんだろう。

2024-10-03

クオーター制の記事を読んで

 まあそうかもなあって読んで感銘受ける部分もあったけど、あの記事ドラクエポリコレから繋がるのはよくわからんので自分文盲かもしれない。

 ただ増田を読んでつらつらと考えたことを残したくなった。ありがとう

 クオータ制についての批判で「本来評価基準で選出されるべき人が排除されることが許されない」というものがあった。大変共感やすいし道理だとも思う。ただ一点だけ目を背けているか見落としていることがある指摘とも思う。

 それは評価基準自体差別的な結果を生みやすものちゃん批判しているかということ。

 この点において自分意見として入試の点数評価選挙得票数評価はかなり平等評価方法だと思っている。性差による不利が全くないとは言わないし、女性議員の増加によって性差が減らすための政策が増えると思うので女性議席必要って話では妥当とは思う。あくま選挙制度単体で見るなら偏りを生み出すこともあるが差別的手続きではないということです。

 じゃあどういったところでクオータ制が必要なのかというとやっぱり会社職場だと思う。理由は成果で評価する場合フルタイム男性労働者が最も有利な属性から経営者労働者評価するのは原則として安定性と成果の二点が主になるからだ。

 毎日出社して安定してパフォーマンスを出す社員なんて誰だって最高だ。自分管理する立場ならなんて楽だと思うことだろう……。

 この評価基準に最も合致する属性健康的な男性になる。ちょっと抽象的な表現になるが不健康男性は不利になってくる。そしてもちろん女性は不利だ。毎月ある生理妊娠といった身体的なハンディキャップ持っているからだ。(あえて育休は無視してる。女性押し付けられがちだが特有ではないため)

 評価されるのはこのハンディキャップを乗り越えるタフな女性になる。上に上がれるのはマッチョな人ってこと。そうしてつくられる評価基準は結局マチズモに満ちたものになりかねない。

 構造的に成果物評価されるビジネスの場はマチズモ支配されやすいのは理解やすいと思う。経営者自身もエネルギッシュにガンガン働いて稼いでいる人も多いし。それだけだと労働者破壊されるので労働法によって保護されているのだと思っている。でもそれだけだとまだ足りないから今の現状なんだと思う。

 それをより改善するためにクオータ制は推奨されるべきと思う。

 評価基準をよりハンディ持ちが不利にならない様にしたりそういった環境を用意するためにはそういった目線必要だしそういった人たちが評価を作る側にいなければ話にならない。

 ビジネス効率は悪くなるしマッチョだろうが成果を上げるために頑張った人からしたら不満も当然のこと。

 とはいえやらないと女性が不利な現状は変わらないと思うね……。

 自分職場でも、ある種のクオータ制で不遇を見た出来る後輩がいたよ。

 作業着をきて汗だくの現場営業スーツ大企業相手花形法人営業。後輩は実際に抜群の成果を出したけど異動希望出しても通らず、女性営業を増やすためと女性新入社員を取るも現場は力仕事で不利だからと即法人営業。三年目で転職してたよ。誰が悪いわけでもない。強いて言うなら早くそんな会社に変えなかった経営陣が悪いんだろうな……。

クオーター制の記事を読んで

 まあそうかもなあって読んで感銘受ける部分もあったけど、あの記事ドラクエポリコレから繋がるのはよくわからんので自分文盲かもしれない。

 ただ増田を読んでつらつらと考えたことを残したくなった。ありがとう

 クオータ制についての批判で「本来評価基準で選出されるべき人が排除されることが許されない」というものがあった。大変共感やすいし道理だとも思う。ただ一点だけ目を背けているか見落としていることがある指摘とも思う。

 それは評価基準自体差別的な結果を生みやすものちゃん批判しているかということ。

 この点において自分意見として入試の点数評価選挙得票数評価はかなり平等評価方法だと思っている。性差による不利が全くないとは言わないし、女性議員の増加によって性差が減らすための政策が増えると思うので女性議席必要って話では妥当とは思う。あくま選挙制度単体で見るなら偏りを生み出すこともあるが差別的手続きではないということです。

 じゃあどういったところでクオータ制が必要なのかというとやっぱり会社職場だと思う。理由は成果で評価する場合フルタイム男性労働者が最も有利な属性から経営者労働者評価するのは原則として安定性と成果の二点が主になるからだ。

 毎日出社して安定してパフォーマンスを出す社員なんて誰だって最高だ。自分管理する立場ならなんて楽だと思うことだろう……。

 この評価基準に最も合致する属性健康的な男性になる。ちょっと抽象的な表現になるが不健康男性は不利になってくる。そしてもちろん女性は不利だ。毎月ある生理妊娠といった身体的なハンディキャップ持っているからだ。(あえて育休は無視してる。女性押し付けられがちだが特有ではないため)

 評価されるのはこのハンディキャップを乗り越えるタフな女性になる。上に上がれるのはマッチョな人ってこと。そうしてつくられる評価基準は結局マチズモに満ちたものになりかねない。

 構造的に成果物評価されるビジネスの場はマチズモ支配されやすいのは理解やすいと思う。経営者自身もエネルギッシュにガンガン働いて稼いでいる人も多いし。それだけだと労働者破壊されるので労働法によって保護されているのだと思っている。でもそれだけだとまだ足りないから今の現状なんだと思う。

 それをより改善するためにクオータ制は推奨されるべきと思う。

 評価基準をよりハンディ持ちが不利にならない様にしたりそういった環境を用意するためにはそういった目線必要から

 ビジネス効率は悪くなるしマッチョだろうか成果を上げるために頑張った人からしたら不満もとうぜ

2024-09-29

anond:20240929192106

その発想捨てない?

狩猟採集縄文時代にその日のご飯の予定を立てるのは難しい。何が採れるか分からいからだ。最悪食事にありつけないまである

冷蔵庫がなかった時代も難しい。生魚や肉はすぐに食べないと腐るし、野菜そのままで長期間持たないものが多い。専業主婦割合が高く、毎日買い物をして毎日作るのが当たり前の常識だった。

でも今は違う。農家のように消費しきれないくらいの野菜が旬に大量に採れて計画に影響を与える人ならともかく、スーパーには1/2や1/4カットした食材が並び、冷蔵庫冷凍庫が大きく使いやすくなってサブまで持つ人が増えている。

そんな時代に残った食材と新しい食材を組み合わせてできるもの毎日考えて毎日作るって工夫しなさすぎだと思わない?

技術屋さんはどんな分野であれ一般的最初に作るものと量を決めて材料表を作って材料を買って調達して作る。今は料理でもそれができる環境が整っている。

働きながら家事もこなす人が多数を占める現代、買い物を毎日してその日食べるものを決めて自転車操業的に材料を回していく不合理なやり方は時代にそぐわない。冷蔵庫食材を眠らせて置くことは釣った魚をクーラーボックスに入れておくことと同じ。その場で調理して冷凍するのと、放置した食材で作る作りたて、どっちも大差ない。

食材を生で持つから腐る。だから1週間分の計画を先に立てて買い出しは週に一回。肉や魚はその場で冷凍して冷凍できない野菜はその日に使い切る。食材を生で持たなければ腐る心配はないし、作り置きにしてしまえばあとは食べる日だけを管理すればいい。いちいち、冷蔵庫食材でできるもの、足りないもの、飽きを毎日考えて意思決定するパズル毎日解くのは仕事できない人よ。献立を考えるのは週に一日。特売で得する額なんか知れてるんだから最初から買うものを決めてその日に使い切る。余計なものも買わなくなるから特売狙うより結局安くつく。

料理の上手い下手は色々意見あるけれど、味を評価指標にしたら必ず最終的には好みの差に行き着く。でも食材を腐らせないという評価基準は定量的に測ることができてなおかつ良いという方向性コンセンサスが確実に得られる客観的もの毎日考えるというクッソ無駄作業にお別れして一週間の献立を全部先に決めてしまうのが令和の時代のやり方だと思うわ。

2024-09-23

anond:20240923134416

最近?とか評価基準が狂ってるな。政治家よりもよほど仕事してんじゃん

2024-09-15

anond:20240915114124

まあ、コンクール学校試験評価基準がそうなりがちなことは、別にいいんじゃない

でも、それ以外の場で奏者を評価をするのに、その物差しはどうなんだろう?

例えば、パガニーニヴィエニャフスキーはバリバリ弾けるくせに、モーツァルトが苦手なプロとか珍しくないんだよね。

そういう現実一つ取っても、色々思うところがあるわ。

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