はてなキーワード: 財産とは
AIちゃん:マイケル・サンデル先生も混ぜて共同体主義を語るわ!
共同体主義って、マイケル・サンデル先生がよく言ってる「俺たちって自由すぎじゃね?」って話に近いんだよね。
サンデルは、「自由と自己責任ばっかり強調するリベラリズム(自由主義)ってさ、孤独になるし社会崩壊しない?」って問題提起してるの。
サンデル的には、「人は孤立した個人じゃなくて、コミュニティの中で育まれる存在」なんだよね。
だから、共同体(=地域とか仲間とか社会全体)の絆を大事にしながら生きていくべきだ、って感じ。
たとえば、サンデルがよく例に出すのが「才能は全部自分の努力の結果だと思うなよ!」って話。
• 「俺が成功したのは努力したから!税金払いたくねぇ!」とか言う人に、
• 「いやいや、お前の成功って、家族とか学校とか社会があったからだろ」ってツッコむわけ。
つまり、「個人の自由とか権利も大事だけど、みんな助け合ってるの忘れんなよ?」ってのが共同体主義のコアなんだわ。
• 共産主義は「私有財産とか個人の自由なんていらん!全部共有!」って極端なやつ。
• サンデル的な共同体主義は、「いやいや、自由や財産もちゃんと大事。でもコミュニティの絆も忘れるな」って、もっとバランス重視。
たとえば、サンデルが批判するのは、アメリカのリベラル経済の「勝者総取り主義」。成功者が「俺が稼いだ金だし、他人に関係ねぇw」って態度を取るのはおかしいだろ、と。
でも、それが共産主義みたいに「全部平等に!」まで行くのは違うよね、って話。
• 社会主義は「国が主導で、みんな平等に分け合おう」って感じで、国家主導感が強い。
• 共同体主義は「国家だけに頼るんじゃなくて、地域や仲間で支え合おうぜ」ってスタンス。
サンデルは、リベラリズムの自由放任主義を批判するけど、「国家が全部管理します!」みたいな方向にも行かない。
むしろ「国の役割は大事だけど、コミュニティで支え合う力も鍛えないとダメでしょ」って言うのが彼の主張。
• 全体主義は「個人より集団最優先!国家の命令に従え!」みたいな独裁っぽいやつ。
• 共同体主義は、「個人も大事にしつつ、共感とか絆で自然に助け合う」って方向性。
サンデルの思想だと「個人の自由も尊重するけど、個人が支え合う倫理観も育てよう」ってのが大事。
だから、全体主義みたいに「一つの価値観に従え!」って強制するのとは全然違う。
• サンデルは「社会ってさ、お互いに責任を持ち合う場所でしょ?」って言うのね。だから、自由とか権利だけ主張して、コミュニティをないがしろにするのはNG。
• 自由だけ求めると孤独になって結局不自由になる、って考え。「絆があってこそ、みんなが本当に自由でいられるんじゃない?」って言うのがサンデル流の共同体主義。
• 「お前が自由に生きられるのは、コミュニティの支えがあるからだろ?」
って感じで、バランスと取る考え方だよ!
コーランは日本で言うところの憲法に相当するので具体的なことはあまり書いてない。ざっくりとした方針として「女が肌などを見せるのは(男を誘惑するので)禁止」「女は男の家長に従うこと。従わない場合は男が罰を与えてしかるべきだが、殺したりはするべきでない」と書いてあるに留まる。具体的なことは
シャーリア等に書いてあるか慣習法としての部族法で規定される。強姦された女性が殺されるのは概ね部族法が原因
信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表れるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。…(24章31節)
男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが、一方を他よりも強くなされ、かれらが自分の財産から(扶養するため)、経費を出すためである。それで貞節な女は従順に、アッラーの守護の下に(夫の)不在中を守る。あなたがたが、不忠実、不行跡の心配のある女たちには諭し、それでもだめならこれを臥所に置き去りにし、それでも効きめがなければこれを打て。それで言うことを聞くようならばかの女に対して(それ以上の)ことをしてはならない。本当にアッラーは極めて高く偉大であられる。(4章34節)
タイトルの通りの通りなんだけど、今年諸々合算すると資産X000万に到達する見込みで嬉しくて、でもリアルでは親兄弟含めて誰にも言えないからここで自己顕示欲を発散させてくれ。
■スペック
■資産推移
・バイトして貯めた金があった。
・年収500万
・全額投資にぶっこみ始める
・精神病んで退職→実家戻る。実家でダラダラ本読んで過ごして、本当になにもしていない。
・細々とバイトしたり非正規で働いたり。資産を崩さないようにしてた。
・資産価格上昇の波に乗ったと思いきや、コロナ禍で下落して結果的にほどほど。
・株価上昇期に乗ったが、それ以上にXXXXの価格があがりまくる。レバレッジの力はすごい。
・ビットコイン系の資産もすごいあがっていて、かなりブーストしてくれた。(予定)納税額もえげつない。
・もうこのへんから資産の増大に毎月入金は関係なくなってきた。NISAにぶっこむぐらいしかやってない。
■結論
・生活レベルは必要に応じて適切に落とそう。精神病んだ時に即決で実家に戻ったのがよかった。
・直近の資産価格の上昇はすごいんだけど、チャートみているとこういう瞬間がたまーにくる。
・そういうときに一気にブーストできるように、現金の金額をできるだけ少なくしておくことは重要だと思う。
・年収一千万の仕事は二度と経験したくない類のあれだけど、結果的にはその時稼いだ種銭でいまなんとかなっている。
・ストレス発散のために風俗とか顕示的消費に使わなくてよかった
つうか今結婚の税制優遇どんどん消えていってるから、結婚はマジで貧困女の救済先じゃないよな。
定年まで働くのが一番マシな最悪
結婚なんかしても財産は増えずに年取って妻が癌になれば離婚されるわけだし
これが周囲から人気があって友達が多く本人も才能があり尊敬される妻なら夫も死ぬまで寄り添うだろうけど
貧困女みたいな生まれてからずっと周囲からバカにされ続けてる女にさ、死ぬまで寄り添ってくれるような上等な伴侶つくかな
22歳だとまだまだ選び放題だよね。
でも何年か付き合って見極めて結婚したいとか、
結婚後2年ぐらいは子ども作らないで夫婦の時間を楽しみたい、とか考え出すと、
何年も付き合って駄目で別れた場合またイチからスタートだ、とか
意外と時間は少ないことに気付く。
早めに考えて動くのは、賢い方法だと思うよ。
ただ、いろんな男性と付き合って、見る目磨くor分相応を学ぶor期待しすぎない見極めを学んでから、結婚相手を決めたほうが良いかなと思う。
あと、相手と相手の親と親族の知的レベル、学歴、職業、財産レベルに自分のそれらと大きな差が無いと、結婚後も楽だよ。
上昇婚て揶揄されるけど、夫が知的レベル、学歴、財産が上だと手のひらで転がしてもらえるからそれはそれで楽でもある。
良い結果になりますように。
そんなことよりも強盗したお金が収入として認められた事例を教えてくれ
「強盗で得たお金が収入として認められる事例は、一切ありません。
なぜ認められないのか?
* 違法行為による所得: 強盗は犯罪であり、法律で禁止されています。そのため、強盗で得たお金は、法律で認められた正当な手段によって得られた所得ではなく、違法な所得とみなされます。
* 社会の秩序を乱す行為: 強盗行為は、被害者に多大な精神的な苦痛を与え、社会の安全を脅かす犯罪行為です。このような行為によって得た利益を認めることは、社会の秩序を乱す行為を助長することになり、法律の目的にも合いません。
税法上の考え方
税法では、違法な手段によって得られた所得は、原則として課税の対象となりません。これは、違法な行為を奨励することを避けるためです。
誤解しやすい点
* 脱税: 違法所得は申告する必要がないため、脱税と誤解されることがあります。しかし、違法所得はそもそも所得として認められないため、脱税には当たりません。
* 所得隠しの手段: 違法所得を隠すために、合法的な所得と混ぜて申告したり、別の名義で財産を保有したりするケースがありますが、これは脱税行為に該当します。
まとめ
強盗で得たお金は、たとえ多額であっても、収入として認められません。もし、違法な手段で得たお金を持っている場合は、速やかに返還し、法律に従うことが重要です。
もし、税金に関することで何か疑問があれば、税理士や税務署に相談することをおすすめします。
免責事項:
この情報は、一般的な情報であり、個々のケースに当てはまるとは限りません。税務に関する専門的なアドバイスが必要な場合は、税理士などの専門家にご相談ください。
」
なぜなら、強盗は犯罪行為であり、法律で禁止されている行為だからです。
なぜ収入として認められないのか?
* 違法な所得: 強盗で得たお金は、違法な手段によって得られた所得であり、税法上認められる所得ではありません。
* 社会の秩序を乱す行為: 強盗は、社会の秩序を乱す犯罪行為であり、このような行為を奨励することはできません。
* 道義的に問題がある: 強盗行為は、被害者に多大な精神的な苦痛を与えるだけでなく、社会全体に悪影響を及ぼします。このような行為によって得られた利益を認めることは、道義的に問題があります。
税法では、一般的に違法な手段によって得られた所得は、課税の対象とはなりません。これは、違法な行為を奨励することを避けるためです。
誤解しやすい点
* 脱税: 違法所得は申告する必要がないため、脱税と誤解されることがあります。しかし、違法所得はそもそも所得として認められないため、脱税には当たりません。
* 所得隠しの手段: 違法所得を隠すために、合法的な所得と混ぜて申告したり、別の名義で財産を保有したりするケースがありますが、これは脱税行為に該当します。
まとめ
強盗で得たお金は、たとえ多額であっても、収入として認められません。もし、違法な手段で得たお金を持っている場合は、速やかに返還し、法律に従うことが重要です。
もし、税金に関することで何か疑問があれば、税理士や税務署に相談することをおすすめします。
免責事項:
この情報は、一般的な情報であり、個々のケースに当てはまるとは限りません。税務に関する専門的なアドバイスが必要な場合は、税理士などの専門家にご相談ください。
木嶋佳苗やりりちゃんのような低学歴無職の売春婦のブスなおばさんに全財産捧げるほど結婚に憧れる非モテ男性が、女も同様に結婚に憧れてるんだという思い込みを訂正出来ず、空回りし続け一歩も前進しない
まあわかるんだけどねえ
まず取引ってのが、ほしい人ともってる人で発生するよね
もってる人は、交換品くれるならあげてもいい
ほしい人は交換してもらうために今もってるいらないものか大事なものか何か相手がほしいっていったものをあげる
貨幣ってのは
「ほしい人が交換してもらうために現物がない、現在はない」けれども取引したい時に出るよね
明日ならあるものとか、来年かならずとか、あとで絶対とか、俺はもってないけどこいつに聞いてその先のだれかの紹介のあいつが持ってるとか
その約束が確実なら確実なほどいいんだけど「約束やぶったら本気で殴る」ってバックボーンがあったら安心
それが国ってわけ
国が貨幣を発行するのは交換を促すためなんだけど
「ものがほしくて交換したい人」が貨幣を使うってことは、今交換できるものを持ってない
つまり
・ものをもってる人
・ものをもってない人
この時点で等価交換できないよね
「貨幣は交換品をもっていないけど、あとで交換する約束をしている証拠」だよね
交換用に国が国の財産とか所有物の価値ときめたものを担保にした分発行した「交換用の保証書」はつまり借金として生まれてくるんだ
取引が終了した時点で貨幣は実際の価値と交換して終わってほしいけど、都度国からの支払いに還元する必要はないし
流動性で言うとその貨幣をつかってさらに交換をして生産をして交換をしたほうが効率がいい
だって農業が得意な人がいちいち国の現物と交換しても、ほしいのは水と農地と肥料と種だったら、それを扱ってる交換主と貨幣で交換したほうがいいよね
金本位制だからって都度金にかえてもらってたら時価であがればいいけど下がったら売るとかためるとか貸すとかいわゆる運用をして、さらに農業するとかしたら効率わるい
その「国が発行した借金」を回収する手段として「国のサービスと交換」という名目で回収するのが税金なわけ
国が発行した貨幣の分だけ、そのうちでも国内で交換に使う目的で流通している量が「国民一人当たりの借金」なわけだけど
これは「国民一人当たりが交換取引を確立できる権利をもっている価値」なわけで今やく一千万円
日本国民としての権利を保有している人間として日本が価値を認めている価値がひとりあたり一千万円
各個人が交換したいものにたどりつくまでの距離が、日本だと約一千万
一千万のうち持ってる現金から足りない分が、日本の国民が労働しないといけない量なんだ
これには期限や範囲がないから対比のしようもないわけだけど、一千万ない人間人間の分だけ労働が必要で不足している分が労働の必要性
仕事がないないいってる分がこれなんだ
だって発行した借金の数だけでトランプみたいなゲームをしてるんだから総枚数がかわるわけがない
トランプの総枚数を減らす、つまり公共事業などで消費しないとへらない
オリンピックとか万博とかでそうなるかというモデルケースに倣ったイベントもあったけど、あれ中抜きで半分以上ぬかれて材木の国内消費で循環取引なだけだから発行した貨幣が一部に移動しただけ
10社に百万ずつで発注して
各社合計500人で労働したら
一人当たり2万円はいってくる
10%かえってくる
半分+抜いた数人の税
下税で税収が増えるのはこれ
数人しかいない高収入の人間から数パーセントの割合でひっぱってもふえるわけがない
下請けに丸投げみたいな実際に交換の成り立ってない実質貨幣の移動だけとかには大きく課税すべきだけど労働種別として他にも同じしくみはあるから最大税率がある
これはいかんね
そもそも下請け丸投げが可能って法律にした二階と竹中がよくない
いけないのはそこだけでそいつらが日本をダメにしたけど、いまはそういう話じゃないよね
大きな額で定期的であれば、それを安定させるサービスの利用として税金を収めることが「いわゆる国民一人当たりの借金」といわれる貨幣発行量を減らす作業になる
国民の数だけふえても希釈されるから「一人当たりの借金」は発行量に対してうすまるね
国なんて規模の視点があるとすれば「移民受け入れ」と「徴税額」はほぼ同じ感覚にはなるんじゃないかな
同じ感覚で摂取してたら成人病になるみたいな栄養素感はあるけど
国民一人当たりに対して対比的に発行された交換保障の額が一千万円なのはいってみれば人権や保障の金額で
その所有が認められていなかったりする国だと、もってるお金で選択肢や権利がないから
国の都合で事故現場をなんの保障もされず生きたまま埋められたり、事件がなかったことにされたり
国民ひとりあたりの借金はおおければおおいほど豊かだ、というのは半分でそれと同じかそれより多く稼げないとそうは言えない
国民一人当たりの借金が一千万で平均年収がそれ以上で最底辺が三分の一以下だ、といえるならそれは豊かだと思うしそうでなければ貧しい
これは割合なので一千万でも百万でも一億でも、国内で言えばかわらない
儲かったほうがあまった金を納めるべきって感覚はまちがってないんじゃないかな
ただそれは「いま交換品をもってないから代替手段を蓄えているだけ」と差がないから、中抜きで集めただけの金と区別がつかない
いちおう不労所得には大きく課税して実際の生産には軽減されるしくみは現実的な範囲では設定されてる
「中抜きで移動させるだけの金」が発生するしくみをなんとかすべきではある
そこに流れ込むかどうかという労働や取引もまたここでの話ではないけども
「商取引自体に課税をする」だといい取引にも無差別に課税されちゃうし、わるい取引を駆逐する材料にもなりえないから
実際、交換をすることになった取引については、貨幣でのやりとりがあると税はあるべき
「ネトウヨはすぐに他国の軍事弾圧を肯定するくせに、なぜ天安門とか六四天安門とかbioに書くのか」という話をしばしば見かける。何か妙な勘違いなのだが、ネトウヨの連中は「敵国に迷惑がかかる行為を称揚し、自国に迷惑がかかる(と思い込んでいる)行為を批難する」という点において一貫しているだけであり、何も矛盾はない。中国の現体制に対して何かしら迷惑やダメージがある現象なら何でもいいのであり、つまり軍事弾圧の是非や民主主義イデオロギーは最初から問題としていない。要は一昔前の、自由と民主主義の国アメリカがその辺の独裁国家を支援していたのと同じである(ピノチェトとかフセインとか)(パフラヴィー朝なんかは話がちょうど良い具合にややこしくなると思う)。
軍隊による民衆弾圧に親和的なのもある意味当たり前の話で、むしろ「軍人は何のために銃を握るのか」という議題に対し、少なくとも日本人の歴史観においては「国民を守るために銃を握ることはありえない。それは異常である。国体または軍隊自身を守るために銃を握るのが一般的であり、その目的達成のために国民に各種の危害を加えるのは比較的当然のことである」という認識のはずだ。そもそもそれこそが日本国憲法第九条の前提そのものではあるまいか。恐らく「普通の日本人」とやらにとって、軍隊が自国民を守るために存在し行動する、という「印象(コンセンサスと言い換えてもよいだろうか)」そのものが存在しないはずだ。それは案外、「普通の」どころか左右両翼の共通認識ではないだろうか。
確かに、明治以降の旧軍は侵略戦争か、なんとなくその場のノリでその辺の戦争に参戦するか、いずれかの経験ばかりだったわけで、直接的に国民を守るための軍事行動というのは教科書に載るレベルでは存在しない(占領地に住んでる人を守るというのも、そりゃまず占領してんだし……という話が先に来る。まあスタコラサッサと逃げた関東軍は流石にちょっと凄い気はするが)。当然、ここで元寇や災害救助の話をしても仕方ない。それは過去の話ではないのか、現代にあってミャンマーやシリアと同レベルで恥ずかしくないのか、ではない。軍隊とは本質的に恥ずかしくて危険なもの、できればこの世に存在しない方がいいものなのだ。繰り返すが9条はそういう話のはずで、ここに論理の飛躍は一切ない。
話をあえて脱線させるが、日本人は恐らく「尊敬に値する軍隊」を近現代において認知したことがなく(自衛隊は日々努力し結果も出しているものと思うが、まあ個人単位で時々変なの沸いてはいるしなとも)、また「軍隊に対する正しい尊敬の仕方」も習得していない。これらは良い手本となる先達国があるのか、またそこから学ぶだけでどうにかなるものなのか、は良く分からないが、これからでも議論はあっても良いと思う。国民に銃を向けない軍隊や近似組織は当たり前ではなく、どうにかして作り続けなければいけないものではなかろうか。「デモ中に鉄砲を掴んだら危ないぞ」ぐらいは正直それはそう程度の反射的感想でもありえるところで、大事なのはわざわざそこを起点にしてまで危険な発言をすること等を阻止することであろう。
また別の方向に脱線させれば、日本人はまた「イデオロギーの基に生きて、時々うっかりイデオロギーのために死ぬ」という生活を想像できないのではないか。国益になるなら自他のイデオロギーを問わない、というのはネトウヨの根底の(ごく一部ではあろうが)どこかにあるし、本来それ自体はあまり頭ごなしに否定するものでもない気がする。
逆に言えば、日本国民はネトウヨの「9条のせいで日本が駄目になる」という妄言を、妄言ではなく実際に真剣に実現する義務を怠っている。9条を守って国体の崩壊や日本国民の財産、生命が著しく損害を受ける事態になれば、それは国際社会において極めて重宝される歴史や教訓となるはずであり、「お国のために死ぬ」より数十段もマシな「お世界のために死ぬ」が実現するにはする。これは割と皮肉や冗談ではなくて、一国の利益がために他国を侵略するという不正義の対極である以上、国際社会はそこに何らかの価値と教訓を見出し称揚する責務が存在するはずだ(責をさぼる可能性は大分あるが)。国際社会への貢献とはそのようなものであり、できないのであれば素直に「すみません終戦時点ではアジア諸国をマジで見下していて方々に攻め入るだけの国力を持つに至るとは思っていませんでした。完全に大東亜共栄圏脳のまんまでした。これからは行きすぎない程度の暴力装置で自由と民主主義のために集団的自衛権とかPKFとかぐらいはします」と謝罪したうえで改憲議論でもしたほうがよろしい。
話をタイトルに戻せば、価値観を共有できない国とどう向き合うのか、というより「友好的に向き合ってはいけない」という、普通は世界各国と仲良くするのは良いことでは……?という直感に反するイデオロギー準拠の行動指針にどう向き合えばいいのか、(すぐ撃てばいいという話では断じてないことこそをも含め)考えなければいけない訳である。もちろん「考えなければいけない」などというみっともない文末はよろしくないのだが、これはもう完全にしようがない。
これは残念だなーとは思うけど、現実的に遺贈で不動産を寄付されたときに売却以外の選択をするのは難しいと思うよ。
https://www.jrc.or.jp/contribute/isan/qa/
遺贈の場合、遺言書に遺言者の有する不動産や有価証券などの財産を遺言執行者が換価換金し、必要経費・税金を控除したうえで、日本赤十字社に遺贈する旨をご記載ください。
原則として、現金以外のご寄付につきましては、遺言執行時に遺言執行者となった方(または相続時に相続人になった方=寄付者)に換価処分(現金化)していただき、そのために必要な諸費用と税金を差し引いた金銭にてご寄付いただくようお願いしています。
本当に少子化で困ってるんだったら、女性をもっと優遇すればいいだけ
例えば、女性手当として18歳以上の女性には毎月10万円払って(男から人頭税方式で徴収すれば負担ゼロでできる)
ここまでやってくれたら産んでやらんこともないわ
こう言うことを主張すると地方在住底辺独身中年男(いわゆるキモいおじさん)が
「バ〜〜〜カジャねえの?ジャアアアアアアアアアプププwww」ってなるわ
小説を売ったことがないんだけど、読みたいって人いるんだろうか
あらすじ
============
主人公は40代の独身女性。若い頃痛々しい失恋をして占いにはまり、全財産を失って実家に戻ってきた過去がある。今は親に面倒を見てもらいつつ時々バイトして生活している。
占いからスピリチュアルに傾倒しており、占い師/宗教家/慈善家である欧米人女性主催の宗教(ユニテリアン・ユニヴァーサリズムを参考)の活動に応募し、内定を受けてアイルランドの某地で寮生活をはじめる。
寮では「仕事をするもしくは現地で生計を立てること」がルールなので、出身も年齢もバラバラの人々がその地で見聞きした体験を共有し、週に1回のミーティングで信仰生活について語り合う。
主人公はツテで女性支援団体の会計の仕事を得る。そこで全く支援したいと思えない相手を支援しないといけないこと、あらゆる問題の根幹に貧しさがまずあって余裕のある人がちょっと寄付するだけじゃ全然足りないことなど、人を支援することの難しさを学んでいく。
そんな毎日の中、主人公は乳がんにかかる。治療費は全額宗教団体が出してくれ、療養中の生活にも心配はなく、進行も初期ではあったが切除は避けられない。命の危険はないものの、まだ愛してくれる人にも出会えていないのに自分の体が変わっていくことに強い不安を覚えるが、寮の仲間やうっとうしいと思ってたルームメイトに献身的に支えられて少しずつ安定していく。
元気なときは若干胡散臭く見えていた団体の宗教臭さが、自分が落ちているときや病気のときは心地よく、しっくりと感じることに気づく。
ここに関してはふたを開けてみないとわからない。
ちなみに分野によって本人訴訟もできるし、金額によっては弁護士も後々報酬でもめやすいので、本人訴訟を勧めることがある。
まずは、「Vマジック 司法書士 民法」、「Vマジック 司法書士 民訴」、「Vマジック 司法書士 憲法」は最低限読んだほうがいい。
これを読まないと次に進まないし、司法修習のテキストはここら辺の知識がある前提で書いてある。
https://www.courts.go.jp/saikosai/sihokensyujo/sihosyusyu/syusyugaiyou/minsaikyoukan/index.html
1と2を読み終わるころには簡単な訴状や答弁書程度なら書けるようにはなる。
ただ、これだけだと、少し足りない部分があるので、3と4を斜め読み程度でいいので、読んでおいたほうがいい。
そして、ここら辺を読み終わったら、
https://www.courts.go.jp/saikosai/sihokensyujo/sihosyusyu/syusyugaiyou/minjibengokyoukan/index.html
1.民事弁護実務の基礎~シナリオ民事保全・執行~(令和6年9月版)
1と2を読むことを強くお勧めする。
現実の民事裁判は和解で終わることが多いし、財産隠しをするクソやろーがいるんで、1と2はどうしてもいる
今の民事訴訟は争点整理手続きがあるので、3も読んでおいたほうがいい
何をやってるか気になるなら、
https://www.courts.go.jp/saikosai/sihokensyujo/sihosyusyu/syusyugaiyou/index.html
あなたの所得稅と滞納金について、これまで自主的に納付されるよう催促してきましたが、まだ納付されておりません。最終期限までに納付がない場合、税法により不動産、自動車などの登記登録財産や給料、売掛金などの值権などの差押処分に着手致します。
稅
それ
子持ち様は社会福祉の美味しいところ(子育て支援)は受け取りたいから社会保障制度そのものは批判せず自分たちの不利益になる部分だけやめさせろと喚いてる
子供や若者は未来を担っていくから老人とは別なんだという思想を持つことは結構だが、その若者たちに投資しろという理由はその若者たちが年金払って老人世代を支えるからという自己矛盾を起こしてることに気づかない
子持ち様の反論として社会は人がいなければ成立しないと言うがそれは若者でなくても良い 少子高齢化とは別論
子持ち様は自分らが一番社会保障制度や国の制度の恩恵を受けているということに気付いていない 少子化の時代に子を持ってしまったから傲慢になっていると思う
社会福祉を削減して家単位でやってくべきだ、そうしたら子供が財産としての側面を強く持つことになるので結果的に少子化も歯止めが効く…かもね
炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。
*
(前編)
私は小中高と地方の公立を出て、浪人して都内の医学部を卒業している。
「東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータが話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。
まず医学部では「親が医者」なのは当たり前で、教授や講師と話す時も、世間話は最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。
ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化まである。「マグル」は家系に医者がいない学生が、自虐的に苦笑いしながら使う単語だ。
しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。
出身高校もほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。
蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったか、SAPIXや鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。
私のように地方公立校から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。
*
大学生はお金がかかる。私も美容や服飾、外食や旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死に時間をお金に変えた。
学費や家賃、生活費などは親持ちだったが、その他は自分のバイト代で賄うように言われていた。
けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ「禁止」される方が普通だ。特に、家庭教師はOKでも、高卒やフリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。
そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達の給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。
この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。
こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。
限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。
当然、金額を理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。
*
ここまでの話だけ聞くと、「地方出身の庶民が階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。
実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間のほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである。普通に暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。
尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日が面白かった。
地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。
生まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺に位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。
要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである。
*
(中編)
私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内の大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。
先祖代々続く大病院の家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親は医者ではないので「半純血」だ。
金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味で生活に困ったことはないと思う。
「全身脱毛の費用を自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費も家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。
そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。
よって親の学歴も自分が大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。
*
わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事の練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノやヴァイオリン、新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。
しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。
校内のヒエラルキーのトップにいたのは、我が家のクローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力や窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカと卑猥な言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味も理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。
一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。
外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい、面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。
生まれてからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。
ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。
何か作業をする時、見るからに効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやすく説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。
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何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。
クラスでナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノやポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンやバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。
その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。
「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう」
たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言が拡散された。
子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。
自分の性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。
たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています!可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか。
別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。
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万事がそういった雰囲気だった。
あまり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校のテストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。
何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。
お金や学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。
そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。
そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗で差別的な感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。
よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。
やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。
体力面の自信のなさから、ほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。
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(後編)
立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員の民度も低かった。
病院があるのは中途半端な田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルとゴシップしかない。
都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。
数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝、他人の悪口や噂話、そして「女性職員の容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。
百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。
「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情をストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。
彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。
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立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的に地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。
気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭に涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。
救急車がタダだから、生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシーや無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。
特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババア・ジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。
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バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。
一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。
特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。
これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみません、ちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばないからだ。
根本的な問題は、学歴や収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。
病院の同僚医師たちも、私立医学部を卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりのカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。
地方にいた頃の私のように——。
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医者や政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民の感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。
実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。
それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。
同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか、公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。
公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別や偏見、選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。
免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層の人間の存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか。
だからこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供は絶対に私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。
「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生ものの財産だ。
社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間。差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。
もしかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。
もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。