急にあたたかくなりました。通勤の行き帰りや、昼食の散歩どきに桜が目にとびこんできます。なんとなく、気分がいいものですね。これで花粉さえ飛んでいなければ、いい季節なのになあ……。
さて、さくらといえば、こんなイベント案内のハガキを見つけました。明日からなので、大急ぎで紹介します。
神保町さくらみちフェスティバル
会期:2007年3月30日(金)~4月1日(日)
時間:11:00~18:00
神保町交差点を中心にした靖国通り沿いの舗道に、飲食や小物の露店やワゴンが並ぶのだとか。神保町交差点には「さくら茶屋」という休憩所ができ、30、31日の両日は、先着1000名に甘酒の無料サービスが、4月1日は、先着300名にお茶付の野点サービスがあるそうです。土日には千代田の名所を巡るシャトルバスの運行まであるようですから、ちょっとしたお祭りですね。
本好きに見逃せないのは、「春の古本まつり」の開催でしょう。「神保町古書店街をあげて、春の廉価古本ワゴンセールを開催」とあります。神田古本まつりの小型版のような感じになるのでしょうか。楽しみです。
ただ、雨天の場合は中止とのこと、金土は少し崩れるとの予報もあるようですから、なんとかもってほしいものです。
桜の名所、千鳥ヶ淵も神保町から歩いてすぐですから、この週末、本好きのみなさんは、花見も兼ねて、神保町にレッツゴーです。
今日は別のテーマを用意していたのですが、この話題にふれないわけにはいきません。「昭和の名コメディアン 植木等さん死去」「昭和の大コメディアン・植木等さん、呼吸不全で死去」。
ひとこと、ショックです……。というのも、俳優として、ミュージシャンとして、ただ好きだったというわけではないのです。実は、わたくし、編集者になりたての頃、『植木等自伝』という本を作りたくて、マジメに企画を考えたこともあるのです。谷啓にもハナ肇にも本があるのだから、植木等にあっておかしいわけがない、というか、ないのがおかしい、ならばわたくしが!と、鼻息を荒くしていた頃があったのです。今からすれば若気の至りでしかない熱意に燃えていたわけです。むろん、実現するはずもなかったのですが。
- 谷啓『七人のネコとトロンボーン』(読売新聞社)
- ハナ肇『あッと驚くリーダー論』(主婦と生活社)
植木さんは本の世界の人ではありませんでしたが、ファンならおさえておきたい重要な本がいくつかありますので、空犬通信としては、やはり関連本を紹介しておきたいと思います。
植木さんがらみの本では、個人的にはまずこれを挙げたい。今はなき、トレヴィルから出た、クレージー本としては唯一無二の本といっていいでしょう。古本、すごい値段がついてますね。
- 『ジ・オフィシャル・クレージーキャッツ・グラフィティ』(トレヴィル)
小林信彦のこの本もおさえておきたい1冊です。
- 小林信彦『植木等と藤山寛美 喜劇人とその時代』(新潮社)
植木さん名義の本ではこれがあります。副題の通り、お父さんの一代記です。
- 植木等『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』(朝日文庫)
【“無責任に生きてみたい……さようなら、植木さん”の続きを読む】
先日の銀ブラ日記にも書きましたが、昨年から、ベルギービールがマイブーム中であります。
ベルギーというのはご存じの通り、日本よりもずっと狭い国土に1千万人ほどがくらす小さな国。そのこぢんまりした国に、ビールの醸造所が130ほど、銘柄はなんと800種類もあるそうな。大手4社が市場のほとんどを独占しているような日本のビール事情に慣れた身にはにわかに信じがたい数字です。
これまで、ベルギービールを飲むとき、その銘柄がどんなものか確かめるのに、『ビール大全』(文春新書)に頼っていました。ベルギーだけでなく、イギリスやドイツなどのビール大国はもちろん、フランス、中国など、世界のいろんな地域のビールを紹介してくれる、コンパクトながら実に役に立つガイドなのですが、残念ながら写真が白黒で少ない。瓶やコースターのデザイン、ビールの色などはやはり写真、それもカラーで確かめたくなるものでしょう。
まさにそのような思いに全面的に応えてくれたかのような、すごい本が昨年出ました。じゃーん。
- 石黒謙吾・三輪一記『ベルギービール大全』(アートン)
800にもおよぶ銘柄から紹介されているのは代表的なもの146銘柄。半分以下じゃないか、などと言うなかれ、これでも初心者には多すぎるぐらいの数です。さらに、この本のすばらしいところは、その146種の、瓶・グラス・コースターがすべてカラーで紹介されていることです。しかも、その多くは写真の縮尺まで合わせてあるという手の込みよう。
↑手元に少し集まったベルギービールのコースターから。銘柄それぞれにグラスやコースターがあるところが楽しい(けど、はまると大変そう……)。
【“ベルギービールの深そうな世界”の続きを読む】
久しぶりに、古本らしい古本(あくまで自分にとって、ですが)を買いました。
- 久保田二郎『20世紀号ただいま出発』(マガジンハウス)
- 吉田健一『本が語つてくれること』(新潮社)
『20世紀号』は、BRUTUS BOOKとシリーズ名のついたムック。欧文書名にJIRO KUBOTA'S PANORAMIC ESSAYとあるとおり、バラエティブック風の作りです。久保田はジャズ評論家・音楽家で、筆のほうも達者だったようで、晶文社、冬樹社などいかにもという感じの版元や、角川文庫や新潮文庫などにも複数のタイトルがありましたが、軒並み絶版・品切れ。数年前に編まれたアンソロジー『アンド・ジ・エンジェルズ・シング久保田二郎傑作選』(河出書房新社)もすでに入手できないようです。
【“久保田二郎、吉田健一……最近買った本たち。”の続きを読む】
邦画の濃ゆーい特集で知られる東京・阿佐ヶ谷のラピュタ阿佐ヶ谷がまたやってくれます。
「性と愛のフーガ 田中登の世界」
3月25日(日)~4月21日(土)
田中登がふつうの映画ファンにとってどの程度一般的な名前かよくわかりませんが、日活ロマンポルノや東映ギャングものに、鮮烈かつ強烈な作品を残し、後にフリーに、後年はTVドラマでも活躍、2006年10月死去……無理無理にまとめるとこんな感じの監督です。乱歩ファンなら『江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』で知る人もいるでしょう。今回、日活・東映作品からTV作品まで、代表作を含む十数作が特集上映されます。
上映作品(記事の最後にリストアップ)のうち、なんといっても今回の注目は『丑三つの村』。『八つ墓村』のネタとして知られる戦前の猟奇事件「津山三十人殺し」を描いた作品です。元ネタがこの大殺戮事件ですから、当然なのかもしれませんが、その暴力描写は当時(1983年)としてはありえないすさまじさだったようで、そのあまりの過激さに、エロではなく暴力で成人指定になったという、伝説のウルトラスプラッター。もともと、『八つ墓村』でその事件のことを知って以来、事件そのものにも興味があったし、しかもこの内容ですからホラー映画好きとしては観ないわけにはいかない作品ですが、この映画のことを知ったのはずいぶん後になってからのことで、気づいたら観るすべがない。なにしろこんな内容なもので、当然未ソフト化(海外版はあるようです)、これまで観る機会がなかったのです。
【“「性と愛のフーガ……阿佐ヶ谷発・田中登の濃すぎる世界”の続きを読む】
仕事帰りに独りふらりと銀座に繰り出してきました。中央線どっぷりの生活を送っている空犬がこういうことを書くと、「似あわねー」と言われそうですが、2/3の日記にも書いたように、銀座という街、けっこう好きなんです。
最近は銀座と言えばまずここ、松坂屋の熱帯魚売り場です。毎週のように通っているので、店員さんにも顔を覚えてもらいました。いつものように親切な店員さんを質問攻めにして、今日もブラジル産のコリドラス2尾購入です。これまでは数百円の安価な種類ばかり購入していたのですが、今回は1尾で千数百円、初心者としてはかなり「えいや」な買い物です。
↑写真が下手でわかりにくいですが、中央と右端に顔だけ見えている、それぞれ目の回りに黒い帯があるのがブラジル産のルーキーたち。
↑片方をソロで。みな模様が個性的で、それも楽しみの1つ。この子は、目の回りと、黒い背びれがポイント。
このお店に通い出してからは、1匹のロスもなし、順調にわがアクアリウムもにぎやかになっています。空犬通信に触発されて、これからアクアライフを始めよう、コリドラスを飼ってみようという方はすでに3桁を突破していると想像されますが、そのような方には、このお店、本当におすすめです。
それから伊東屋へ。缶入りの洒落たブックマーク、BOOK DARTSを購入。
独り飲みは家でが基本で、外ではあまりしません。まして銀座なんて敷居が高くて……という感じなんですが、最近お気に入りのベルギービールが飲めるFavoriというお店があるので、久しぶりに顔を出してきました。落ち着いた感じのなかなかいい店です。ベルギービールは実にたくさんの種類がそろっています。ベルギービールは銘柄ごとにグラスやコースターが違っているのも楽しみの1つなんですが、さまざまなかたちのグラスが並ぶ棚を眺めているだけでも楽しい気分にひたれます。
ボトルのものは、昨年も二度ほど紹介したベルギービールJAPANなどの通販を利用すれば家でも飲めるのですが、生(Draft)はこういうお店でしか飲めません。日によって飲めるものが違うのですが、今日は、ゴイヤス(GOUYASSE TRIPLE)とシメイ(CHIMAY TRIPLE)の2種をじっくりと味わってきました。
このお店には、新宿にFrigo、渋谷にBelgoという系列店があって、前者はぼくもよく利用するのですが、3店共通のパスポートというのが発行されています。
【“おさかな、文房具、ベルギービール……今日の銀ぶら。”の続きを読む】
このタイトルならば、空犬通信主催者としては買わないわけにはいきません。
- 上村卓夫『書店ほどたのしい商売はない』(日本エディタースクール出版部)
どうですか。いい書名ではありませんか。これ。
著者は書原の社長。書原は、新宿、新橋、霞ヶ関、阿佐ヶ谷など、関東圏で11店舗を展開する書店チェーン。なかでも、阿佐ヶ谷(最寄り駅は地下鉄の南阿佐ヶ谷)にある杉並本店の濃い棚作りは書店好き・本好きにはよく知られているところでしょう。
この杉並本店、JRから離れているのでふらっと寄りにくいため最近はあまり顔を出せないのが残念なのですが、阿佐ヶ谷に住んでいた学生時代にはよく利用したものです。夜遅くまでやっているので、阿佐ヶ谷に住んでいた頃は、よく夜の散歩の途中に立ち寄ったりしたのもなつかしい。当時(今も?)成田東にお住まいの谷川俊太郎さんのお姿を店内で見かけたことも数度。駅前型の新刊書店とはあきらかに違う品揃え、棚作りのお店で、波長が合うとはまるタイプのお店です。ここで買った本も少なくなく、個人的に思い出深いお店の1つなのです。
そんな書原の社長さんが書いたとなれば、ますます興味をそそられます。わくわくしながら読み始めたのですが、読み進めるうちになんとなく違和感が……書店好きをわくわくさせずにおかないこの書名から受ける感じと、内容の感じが微妙に違うのです。
第一章は「書店と時代背景について」となっているのですが、この「時代背景」の話が最初のところはずっと続きます。戦後日本社会史のおさらい的なところがあって、日本社会の構造・体質批判、読者層の変化、効率・成果主義の現代人批判、取次や大型店への苦言、取次や大手版元への苦言など、誰がどう語っても批判的な物言いにならざるを得ないテーマが次から次に語られます。前半は書名のイメージからはやや遠い、いくぶん小言めいた内容になっています。
もちろん、現在の書店の状況をマジメに語ろうとすればふれざるを得ない問題ばかりで、そのことが悪いわけでも間違っているわけでもありません。ただ、「書店ってどんなに楽しい商売なんだろう」という興味で手に取った年若い読者が、はたしてこのような話を「楽しく」読んでついてきてくれるものなのか、ちょっと不安に思ったのも事実です。
ある種のマジメさは、本文以外のところにもあらわれています。文中のキーワードにうるさいぐらいの脚注がふられていて、書店・本に興味がある人が読者対象の本に、高校の世界史・日本史レベルの言葉にまで註がついているのはどうかという気がしないでもなかったのですが、これから就職や将来のことを考える若い層に読んでもらいたいことも考慮しているからと考えればまあ妥当と言えるのかもしれません。
とにかく、「マジメ」な本であることはたしかで、そのこと自体は批判するようなことではまったくないのだけれど、今書いたように、ぼくが心配に思ったのは、この本の前半を読んで、「わー、書店ってほんとに楽しそうな仕事だなあ、ぜひやってみたいなあ」という感想を抱く読者がどれほどいるだろうか、ということです。こんなに魅力的な書名なのに、この本を読んで書店員を志そうという読者はそんなにいないのではないか、などと思ってしまうのです。それぐらい、「書店員の仕事の楽しさ」がもどかしいぐらいになかなか語られずに前半分ぐらいが過ぎてしまう……。
ただ、本書を手にした人は、ぜひやめずに読み進めていただきたいのです。おもしろいのは後半なのです。
【“書店ほどたのしい商売はない……といい”の続きを読む】
ジュンク堂書店新宿店が、3月2日、増床してリニューアルオープンしましたね。
約1.5倍の広さ(1,650坪!)となり、蔵書数で池袋本店を抜いたと聞きます。……1.5倍、池袋本店を抜いた、などとさらりと書きましたが、もともと広かったあの新宿店が1.5倍になり、在庫で抜かれたのはあの巨大な池袋本店です。その広さや品揃えを知る人ならば、この増床がいかに途方もないものであるかがわかるでしょう。池袋本店増床のときも、あまりの規模のすごさに本気で驚かされたものですが、そのとき以来の衝撃です。
これまで2フロアだったのが、3フロアになったため、ジャンルによっては大幅に棚が増えています。これがもうとにかく圧巻。まさに「本の森」、いや、「本の迷宮」といっていいでしょう。店内の様子がサイトに写真入りで少し紹介されています。よくジュンクの棚や品揃えをさして「図書館のような」などと形容したりしますが、こんなものすごい棚や品揃えの図書館はそのへんにはまずありません。超図書館的空間になってます。
ここまですごいと、大喜び派と、どん引き派にわかれてしまうかもしれません。ぼくのように本に囲まれている感じが大好きなタイプには遊園地みたいなもの、ジャングルを探検する気分でわくわくなんですが、逆に、苦手な人には広すぎ、多すぎで、本の森で迷子になり、本の海で溺れる人も出てくるでしょう。
たしかに、探している本・欲しい本が1冊に決まっていて、他は興味なしといった、よく、新聞のサンヤツ(広告)の切り抜きを手にして新刊書店にやってくるタイプの方が、この森の中で目指すものを探しだそうと思ったら、ひと苦労、ふた苦労ありそう、というか独力では探せない可能性も高そうです。「書名買い」ならば新刊中心の中規模店のほうが探しやすいし、ネット書店で検索するほうがさらにラクでしょう。
そういう買い方が悪いというつもりはもちろんないのですが、でも、それは、本来的な意味での書店の楽しみ方ではないように思うのです。少なくとも、「ジュンク堂書店」という場所の魅力は、本の書名買い・1点買いでは前面に出て来ない気がするのです。
ジュンクのすごさを堪能するには、やはり本の森で迷ってみるのがいちばんだと思います。本の森で迷子……いいじゃあないですか、これ。お目当ての棚を探してうろうろしているうちに、ふと気がつけば、自分には縁がないジャンルの棚に囲まれている。周りは見たこともない本、聞いたこともない作家の名前だらけ、見覚えのある表紙や背は1つもない……大型店苦手派にとって悪夢でしかないこういう事態こそが実は、ネット検索では出会えないような本に出会う最大のチャンス。ジュンクはフロア中にそんなチャンスが満ちているお店なのです。ぼくもそうやって、お目当ての棚に向かう途中でふと目を奪われて手にした本を買うことになったりは何度も経験しています。思いがけない本との出会いは、サンヤツ片手に、質問した書店員さんに出してきてもらった本に出会うよりもずっとうれしく楽しいものです。
出会いは、縁のないジャンルの棚でだけではもちろんありません。ぼくはジュンク堂新宿店カルトQがあったらぜひ出場したいぐらい、以前の棚の様子、とくに自分の担当ジャンル、自分の好きなジャンル、文庫・児童書などは相当に熟知しているほうだと思っていました。そういうよくしっているはずの棚でさえ、のぞくたびに発見があります。「こんな本まで……」「こんな本が……」というのにしょっちゅう出会うのです。今回のリニューアルでようやく頭に入った棚配置や品揃えの知識もリセット、スタートに逆戻り。でも、それでいいのです。またしばらくは、探検気分にひたれますからね。
そういうわけで、ジュンク堂は大好きな書店ですが、個人的にはいくつか困ることがあって、たとえば、つい長居をしてしまうことが1つ(見るべき棚、本の数が多いから)。つい散財してしまうことも1つ(しょっちゅう「発見」があるから)。よかった、神保町とか吉祥寺になくて。あったら大変だ(苦笑)。
ところで、
【“本の森で迷いたい……ジュンク堂新宿店増床”の続きを読む】
ごぶさたです。ただいま戻りました。
カウンタを見れば、休筆期間中ものぞいてくださった方がたくさんいるようで……気にかけていただき、ありがとうございます。
最近読んでいた本で、こんな一節に出会いました。
《ドレスデン(引用者註:第二次対戦中に米英軍の無差別爆撃で8割方が焦土化したドイツの都市)が爆撃を受けていたときのこと。我々は地下壕で、手で頭を覆うようにして座っていた。いつ天井が落ちてこないとも限らない。そのとき、ある兵士がふと言った。大邸宅に住む公爵夫人が、雨の降りしきる冷たい夜にふともらした、といった口調で。「こんな夜、貧乏人たちは何してるんだろうなあ」。誰も笑わなかった。それでも、私たちは、兵士がそんなことを口にしたのがうれしかった。少なくとも私たちはまだ生きているじゃないか! 彼はそのことを証明してみせたのだ。》(原文は英語。訳は空犬流超訳。)
カート・ヴォネガットの自伝的エッセイ『A Man Without A Contry』(Random House)の一節です。どこがどう、と説明しにくいのですが、この一節を読んだら、妙に気分が楽になった感じがしたのです。
同じ頃読んでいた別の本の、こんな文章にも心を動かされました。
《……私も三十年間、勤め人生活をおくっていますが、生活者には、本などとまったくかかわりのないところで、さまざまな困難に打ちあたることがあります。それこそ、この詩(空犬註:直前にラルボーの詩が引用されている)の「私」のように、うなだれて地下鉄に乗りこむことなど、めずらしくもないでしょう。生きているかぎり、当然のことです。
しかし、本がある。どんなときにも読書というものがある。本好きはそれを救いとすることができます。むずかしい局面に立たされたとき、なにもその局面に直接的に関係する本をさがして読むこともありません。なんでもいい、いま自分がいちばん読みたい本を読むのがいちばんいいのです。》
まさに「さまざまな困難に打ちあた」り、毎日「うなだれて地下鉄に乗りこ」んでいた者が、ある日、このような一節に出会ったときのことを想像してみてください。まるで、こちらの情けない様子を誰かがどこかから見ていて、少し景気づけてやるとするか、と言わんばかりに、この本を手に取らせたかのようではありませんか。
『〈狐〉が選んだ入門書』(ちくま新書)の「はじめに」の一節です。昨年、惜しくも亡くなられた著者の〈狐〉こと山村修氏については、本日記でも取り上げました。手だれの書評で多くの読書人(どころか、日刊紙の読者であるふつうのおじさんたちまで)を、ふだんは手にしないような本に向かわせた人の言葉です。沁みました。
このような本たちの後押しも受け、そしてたくさんのコメントやメールにも後押しされて、ようやく戻ってくることができたわけです。なんといっても、「しかし、本がある」のだし、「どんなときにも読書というものがある」のですから。
というわけで、毎日更新はできそうにないですが、またしばらくはぽつぽつと駄文を連ねてみようと思います。「本がある。どんなときにも読書というものがある」というのを、狐氏のような華麗な文章術にはほど遠いレベルで、ではありますが、空犬なりのやり方で伝えていければいいかなあ、などと、思ったりするのであります。
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